考えたこと2

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コミュ力
毎度出てくるが、元小学校教員の中沢良平という人が、自分の経験に即してブログを書いている。
今回は「若い教員はコミュニケーションに特化」というもの。

前にぼくも書いたが、日本の教員には教育業界しか知らない人(中沢氏はこれを純粋培養と呼んでいる)が多い。
社会人出身者は少ないのだ。
その一様性が、多様な価値観を阻害し、いじめの事件の際に、教育委員会がトンチンカンな記者会見をやったり、ひいてはいじめを誘発する原因になっている、と思う。

中沢氏によれば、実際に教育委員会トップがコミュニケーション能力を重視して、知識を否定している、という。
ブログには、こう書かれている。

「K市の研修センター所長の講話なんかを聞いていても、「これからは知識だけではダメで、不快な思いをさせない思いやりがないと生き残っていけない」とか話していましたが、これは多様性の観点から見ると、かんぜんに逆コースです。ほんとうのコミュニケーションは軋轢の中で生まれるでしょうし、グローバル化や多様化は、その摩擦といかに折り合いをつけられるかというのが現代というものではないでしょうか。びっくりしてしまいます。

とくに、今どきの若い方たちは、密なコミュニケーションがとれない人を排除する傾向があります。これは学校時代のスクールカーストのなごりでしょうか。社会人になっても自分もカースト下位に排除されないように、遮二無二コミュニケーションをとることになります。」

コミュニケーションが取れないのは問題だが、そればかりを重視するのもオカシイ。
中沢氏の言うとおりで、学校でぶつかることも経験しておかないと、とにかく軋轢を避けようとする人ばかりになる。
また、その軋轢の中から、真のコミュニケーションが生まれるというのも事実。
極端な話、教員に愛想をつかした生徒は、回りの生徒から排除されてしまう。
最近のいじめの傾向は、先生もそれに加担しているというもの。
それはコミュニケーション能力を重視しすぎることから生まれている。

また、中沢氏は今の状態で、アクティブラーニングをやっても仕方ないという。
本当にそのとおりだと思う。
空気ばかり読んでいる場合ではないのだ。

「コミュニケーション重視の「話し合い授業(アクティブラーニング)」では、児童生徒の中からしか答えが出てきません。そうやって、われわれ学校教員は、教育内容の責任を子供たちに丸投げしてきました。今一度、学力とはなにか、知識の大切さを確認する必要があると思います。」

今は「旧い学力」になってしまった、知識をもっと大事にしないといけない。
先人の知恵を伝えることが、教育の役割でもあると思う。
中沢氏はこう締めくくっている。

「うち内のコミュニケーションは軋轢がなく快適ですが、知識(科学技術)軽視の姿勢は日本の国力の根幹を揺るがします。そこから旧来の殻を破るような新しいものは出てこないでしょう。」

その通りだと思う。

そして、それは小学校だけの問題ではなく、今や大学の問題でもあると思う。

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