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2018.08.09 Thursday
入試改革2
教育学者は、教師をスーパーマンだと思っている。
人を見る目があって、誤りもなく、何でもできると思っている。 そう思うからこそ、小学校でどんどん新しい授業内容を増やし、アクティブラーニングなどという難しい授業を増やそうとしているのだろう。 それも、ほとんど教員養成課程を変えずにだ。 灘高出身で、受験の本もたくさん書いている和田秀樹が、今回の入試改革について書いていた。 それに、元小学校教員の中沢氏がブログでコメントしている。 2011年から大学入試制度が変わるのだが、それに対する懸念だ。 すべての国立大の入試がAO入試になり、内申書が加味される。 したがって、教師に逆らうような人間は内申点が下がり、大学に入りづらくなるということだ。 前にも書いたが、これはヨクナイと思う。 高校生というと、エデンの東のジェームス・ディーンのように、反抗する時期だ。 教師も人間。反抗されたら内申点を下げるということもあるだろう。 要するに、人間の主観的な評価など当てにならない、ということだ。 だから、国立大はペーパーテストという客観的な指標を使ってやってきた。(私学の一般入試は半分程度) それを否定することから、今回の入試改革は始まっている。 今回の改革で、上の顔色を伺う生徒が増えるだろう。 それが狙いかもしれないが…。 さらに、文科省の答申の中では、今の学力低下を無視して、詰め込み教育はヨクナイとか言っている。 詰め込んでいないから、学力低下を招いているのであって、論旨が逆だ。 小学校で教えることは、理屈だけではダメだと思う。 やはりドリルが必要だ。 そして、アクティブラーニング。 これができる先生は優秀な先生だろう。 大多数の先生には出来ないと思う。 教室で話し合い、そこで方向性を見出して、生徒自身が考える授業など、夢みたいなものだ。 サンデル教授の白熱教室はその例だが、あれは優秀な生徒と優秀な先生が揃って、はじめて実現するものだと思う。 ましてやそれを実現するのは「基礎の学力と読書力や問題意識」であって、それを軽んじてできるはずもない。 一番最初にセンター試験廃止が言われ、記述式試験を高校卒業試験というようなコンセプトでやる、という話を聞いたときには、これはいいと思った。 文科省の言う、「教育の質保証」というやつだ。 でも、なぜそれがこんな方向に行ってしまったのか…。 みんながもっと考えないといけない。 もう手遅れだが…。 |
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