考えたこと2

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批判と非難
下位の大学では、昔でいう「ゼミ」が成り立たなくなっているところが多い。
ぼくのいた学校でも、ゼミを成り立たせることができる先生は、数名のみだ。
あとの先生は、発表者にコメントをして、それでシャンシャンというようなもの。
就職選考でグループディスカッションというのがあるのだが、その説明をするのに「ゼミでやっている討論みたいなもの」というと、「ゼミは討論などしていない」、と学生が堂々と言ったりする。
討論するというのはスキルが必要で、それを身につけるのが大学であり、ゼミでもあると思うのだが…。

ナイーブな学生が多くなった昨今、人の言ったことに意見を言うのは、抵抗があるらしい。
だから、いいことや褒め言葉しか言わないという。
どうして?と聞いたら、意見を言うと文句を言っていることになり、仲が悪くなったら嫌だという。
つまり、建設的な批判というのが何だかわかっていないのだ。

とにかく、何か言うと文句、つまり非難になると思うらしい。
口を酸っぱくして、非難と批判は違う、というのだが、その違いがわからない。

非難は、相手を敵視して文句を言うこと。
話している内容はどうでもよく、難癖をつければいいというものだ。
批判は話している内容について、異なる視点から意見を延べる、という感じ。
言われた方も、なるほど、そういう見方もあるのか、と思う。
批判によって、話す内容がレベルアップしていく。
その区別がつかないと、議論のスキルが上がらない。

民主主義を守っていくためには、議論のスキルを上げなければいけない。
物事を理解し、より良い方向に持っていくのが議論の役割だと思う。
それを学ぶのが、高等教育の役割でもあるはず。

今のワイドショーなどは、コメンテーターがたくさん出てくるが、ちゃんと取り上げられていることについて、話すだけの基礎知識があるのだろうか。
こないだ、今回の台風のことで、いつもと逆方向から進んでいるので、高波が発生するというようなことを言っていたが、理由が全くわからない。

専門家の意見と言っていたが、最近はいろんな専門家がいるからなあ。
マスコミのレベルも下がったと思う。
誰かが責任を持ってくれるのなら、放送してしまえという感じだ。

話がそれたが、議論のスキルが下がって、ゼミが成り立たないというのは、あまり良い状態とは思えない。

第一歩としては、批判と非難を区別し、意見を言うことを恐れないことだろう。

それができるいい先生は少ないと思う。


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