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2018.06.22 Friday
馬齢
2010年に一度このことで記事を書いていた。
その時は、「馬齢を重ねる」の意味のことだったが、今回はどうして馬かということが気になった。 動物にはいろいろいるのに、なぜ馬の年をとったというと、無駄に年をとったということになるのだろう。 犬や馬は家畜として人間の役に立ってきた。 特に馬は昔は本当に役に立つ、身近な家畜だったと思う。 身近なだけに、自分を謙遜するときに「犬馬」というふうに言われたらしい。 だから、自らの年齢を貶めて言うときに「犬馬の年」といった。 「犬馬の年」は今まで聞いたことはないが、そこから「馬齢」という言葉になったと思われる。 「馬齢を重ねる」とは、年の割には成長してない、ということだ。 還暦を迎えると、とみにそう思う。 現役でやっていた頃と比べて、どう考えても今は大したことはやってないような気がするのだ。 日本の男性の場合、晩年になればなるほど仕事もなくなり、馬齢を重ねるという感覚が大きくなるのだろう。 だから、街にも不機嫌なオジサンが多いのだと思う。 別に馬に悪気はないのだが…。 そういえば、馬の耳に念仏とか馬耳東風というのもある。 これもあまりいい意味ではない。 馬が身近な家畜だったからこそ、馬が出てくるのだろう。 今は馬はあまり身近ではない。 どちらかというと、犬や猫だ。 「犬も歩けば棒に当たる」とか、「猫の手も借りたい」とか、犬や猫もことわざに出てくるが、あまりいい意味で使われているのは思い当たらない。 最近のように、愛玩動物としての位置づけがなかったからだろう。 いや、そういえば「犬は3日飼えば3年恩を忘れない」というのもネットに出ていた。 あまりメジャーではないが、これくらいしかいい意味のものは、見つからない。 昔は今の「ペット」などというものはいなかったということだろう。 近所の犬猫病院は毎日たくさんの患者が来ている。 もちろん、犬が「ちょっと調子悪い」などというわけはないから、人間が体調を推し量って連れてきている。 予防注射なども昔と違って、至れり尽くせりだ。 まさに、「コンパニオン・アニマル」という感じ。 そうなると、ことわざもそのうち変わっていくのだろう。 いつか、「負うた子に教えられる」が「飼うた猫に教えられる」になっているかも…。 |
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