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2016.08.26 Friday
日本の初年次教育
児美川孝一郎という東大卒の教育学者が書いた、初年次教育についての記事をみた。
この人、今は法政大学のキャリアデザイン学部の教授をやっている。 キャリアデザインの学問体系などないだろう。 ぼくはよくこんな名前の学部を作ったなあと思っていたが、この人の言っていることは正論でありスルドイと思う。 初年次教育とは大学に入学してすぐの学生に対する教育のことだ。 大学教育に入って行く前の準備教育と言ってもいい。 時代とともに大学のユニバーサル化が起こり、必要になってきた。 記事によると、要するに「問題の核心は、従来であれば大学には進学してこなかった層の学生が、大量に大学教育の舞台に登場するようになったこと、そうした層の学生たちには、総じて大学で学ぶためのレディネス(学力という点でも、意欲・姿勢という点でも)ができていなかったという点にある。それゆえ、大学の側は、彼らへの対応に苦心し、大学生活や学業への円滑な「移行」を支援するための新たな取り組みを開始することになった。その1つが、「初年次教育」にほかならない。」という現状。 諸外国では、働きながら学んだり、働いていたがもう一度学び直そうという社会人経験者が大学の大衆化を促進してきたのに対して、日本では18歳人口が増えるのにしたがって大学も増えたという特徴がある、という。 だから、諸外国では職業能力開発のための大学によって大衆化をしたのに対して、日本は18歳のフルタイムの学生が増えたということだ。 それはひとえに、日本が高度成長下で豊かであり、人口ボーナス期にあったということに起因するのだろうとぼくは思う。 人口が増える時期と、それに伴う成長を可能にできた、今考えると幸運な国だったということだ。 同じ「従来なら大学には進学してこなかった層の学生」といっても、諸外国では社会人を経験した人たちのことであり、求めているのは職業能力としての教育であるのに対して、日本では18歳のフルタイムの学生であり、求めているのはいわゆる「大学教育」であるということだ。 たしかに、アメリカのカレッジなどでは夜間コースも多く、そういうところで学位を取ったというのはよくドラマに出てくる。 自動車の整備の知識をつけるためのカレッジもあるという。 そういう科目ごとに履修できるようになっているのだろう。 そして、日本の場合それらの増えた学生を私立大学が担ってきたということだ。 学校数で74%、学生数で77%が私立大学。 そこで何が起こるかというと、こういうことだ、と記事はいう。 「より条件の悪い大学群(私立大学)が、大衆化によって新たに大学に進学するようになった層の学生たち(学力階層的には中・下層の学生層)を大量に引き受けている。しかも、経営上の事情があるために、私立大学にはそれらの学生の受け入れを拒否するという選択肢はない。彼らを入学させ続ける必要があり、かつ、そう簡単に中退させるわけにもいかない。丁寧な初年次教育の実施が必須の課題となるのである。」 国がそれらの教育を引き受けていたら、経営上の理由はなかった(あるいはもっと軽かった)が、不幸にも経営の事情がある私立大学が引き受けてしまったということが、日本の初年次教育を理解する場合には必要だ、ということだ。 経営上の理由というのは、私立大学の入試が複雑になった原因の一つでもある。 早く志願者を集めたいため、下位の私立大学は推薦入試やAO入試を多用し、事実上入試の選抜が行われなかったり、そもそも一般入試で入る学生がほとんどいなかったりする。 一般入試も1月、2月、3月と何回もやり、入る機会を多くする。 これら全ては志願者を集めるための経営的措置だ。 多様な入試で多様な学生を集める、などと言っているが、学校としては学力レベルを多様にしたいわけがない。 教育の効率を考えると、価値観が多様で、かつ学力は一定のレベル以上を保っているのが望ましいのは当然だ。 それでも、学生が多い時はまだよかったが、18歳人口が減る中どんどん初年次教育の意味は大きくなっている。 文科省の資料では、平成23年度に651大学が初年時教育をやっている。 内容は、レポートの書き方、文章の書き方、プレゼンのやり方、勉強に対する動機づけ、将来進路選択などの領域。 昭和の時代に大学に行った人たちなら、びっくりするような内容だろう。 そんな風に大学は努力をしているのが事実。 ただ、それらが功を奏しているかというと、そうも思えない。 初年次教育をうまくやったからといって、学生のレベルが上がり、大学教育の効果が上がっているという実感を持っているところは少ないはず。 それは「やらないよりはやった方がマシ」という感じを持っている関係者が多いと思う。 もちろん、教える方の問題もある。 しかし、教わる方のモチベーションや基礎学力の問題もあるのだ。 したがって、初年次教育が全てを救うわけではない。 それは大学教育の目標に近づくための努力なのだろう。 でも、本来18歳になるまでに身につけているべき内容を、大学でやらねばならないという状況は一向に変わらない。 そんなことは文科省はわかっているはず。 それでも、義務教育の改革はできない。 教育課程をいじって複雑化してもどうしようもない。 先生の養成方法を変えないといけないと思う。 しかし、それをメインでやっている教育学者たちは、そんなことは言わない。 本当に心配になる。 |
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