考えたこと2

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保育所問題
保育所の問題が取沙汰されているが、なかに説得力のある記事があった。

これを書いたブロガーはフリーの麻酔科医だが、保育所問題にも辛口のコメントをしているとのこと。
要は、認可を受けた保育所に補助金を出しているのだが、その補助金が児童一人あたり約20万円/月になり(0歳児なら月3〜40万円という試算もあるとのこと)、膨大な補助金が出ているのに、一方で無認可の保育園は放置されており、「認可/無認可」の格差が放置されていることが問題だという。

その上、認可保育園の合格基準が不明瞭であり、「認可保育園合格者の「収入や労働時間の偽装(特に自営業)」「偽装離婚」「偽装うつ病」「偽装児童虐待」「市会議員の口利き」といった噂はオンライン・オフラインを問わず渦巻いている。その結果、「保育園落ちた日本死ね!」というブログ記事が国会答弁で取り上げられたりするが、「東大落ちた、日本死ね!」というブログ記事は見かけない。」と書かれている。
要は、基準が不明確で落ちても納得できないから、「日本死ね!」という気持ちになる、ということだ。

今の国策を「ざっくり言って、子供が1学年約100万人いて、月20万の補助金で20万人分の認可保育園を作って、役所がテキトーに選んだ20万人だけ救って、後は放置しているのが現状」という。
したがって、一旦得た保育枠を占拠したがる家庭が増えるのも当たり前だ。
要は役所が恣意的に決めた子供だけが保育園に入れて、それ以外はほったらかし、というのが現状。
そこにかかるコストに不平等がある。
そうなると、納得できない、という気持ちも生まれるのは当然。
共産党や社民党は格差是正をずっと言ってきたのだから、どうしてここを突っ込まないんだろうか。
今の厚労省のやっている制度を是としているから、待機児童が減らないのではないか。

したがって、ガラリと考え方を変えて、保育バウチャーの制度を入れるべき、という。
そのために、規制緩和を行うのだ。

「保育園も規制緩和して「認可園への補助金をカットして、すべてを等しく無認可保育園にして、保育料はコスト相当(0才20万、1〜2才15万、3〜6才12万など)にする代わり、全ての子供に月4〜5万の児童手当(あるいはクーポン)を配る」ことを私は提案したい。これならばすべての子どもに平等だし、ムダに独占したがる家庭も減って待機児童もなくなるはずだ。」

要は保育事業を民間に移行するということだろう。
バウチャーというのは、実際にそこを利用する本人を補助し、そのお金を本人が望むところに使う制度のことだ。
つまり、保育所には補助しないという制度になる。
0歳〜5歳の子供の人数に応じて、4〜5万円を補助するのだ。

いい考えだと思う。
今現在、潜在保育士は70万人程度いて、不足している保育士が7万人程度らしい。
おまけに、それだけ保育園に子供を預けたい人がいるのに、保育所が足りない。
自由競争であれば、需要過多・供給不足の状態であり、それなら保育士の給料は上がるはずだ。
それが上がらないのは許認可で守られているからだろう。
給料が安い割に、仕事がきついから、辞める人が増える。
だから、潜在保育士が70万人もいるんだろう。

ぼくが行っていた大学に一緒に設置されていた短大では幼児教育学科をやっていた。
定員は200人程度だったが、資格を取った学生は、毎年幼稚園、保育園に就職が決まる。
教育が行き届いているから、決まるというのは本当だと思うが、それでも毎年ほぼ100%で決まるのが不思議だった。
地域の幼稚園、保育園がどんどん増え続けているのならともかく、どちらかというと少子化で減っているのに毎年毎年就職が決まる。
これはどんどん辞めている証拠ではないか、と思ったものだ。
まさに、その通りなんだと思う。

記事の最後の方に出てくるが、保育園の経営母体の多くは社会福祉法人である。
筆者はこう書く。

「日本ではイメージ的に「福祉法人やNPO≒非営利≒善」ということになっているが、その経理や人事制度には不透明な部分が多い。むしろ、「株式会社≒金儲け≒悪」とされる株式会社の方が、「損したくない」という株主の厳しいチェックが入るので、とんでもない不祥事が防げる…というのが、数多くの経営母体の違う病院と長年交渉してきた私の実感である。」

何度か書いているが、ぼくの学校法人の経験からも、同じことが言える。

つまり、「税金を児童手当としてダイレクトに各々の家庭に支払う」ことは社会福祉法人の「医療や福祉を名目に甘い汁を吸う人々」の不正を防ぐためにも有効なんだと思う。
どこか特区を設けてやってみるべきだ。
そういう社会科学的な実験が、日本の役所の認可をめぐる行政に欠けている。

おそらく、既得権を持った業界団体の猛反対にあうんだろうが、そういうところにメスをいれなければ、日本は良くならないと思う。
大学の補助金を削ってでも、保育所に投資すべきだ。

教育投資においては、幼児教育が最も投資効率が高いというのはOECDの結果でも明らかなんだから。

「保育所問題の本質は不足ではなく、硬直化した「認可/無認可」の格差や、「役所の審査に合格した家庭のみを税金で助ける」という「市場や価格を無視した、社会主義的配分システム」である。解決方法は「認可保育園を増やす」ことではなく、格差や規制を解消して保育サービスを多様化・流動化させて、マーケットを活用した適正な分配を促すことである。」

まことに、明快な解決策だと思う。


| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベタ
日本語俗語辞典によると、ベタとは「もともと「そのまま」という意味で使われた言葉である。ここから「特別でない」「ありきたり」といった意味を持つようになる(ベタ記事のベタはこの意)。更に「ありきたり」という意味から派生して「面白くない」といった意味でも使われる。ちなみに楽屋言葉の『べたネタ』とは特に面白みのないありきたりなネタ(関西芸人がツッコミで使う「ベタやなあ」はここからきている)、『ベタな客』とは大笑いするといった感情をあらわすことのない、おとなしい客のことをいう。」とある。

どちらかというと、ベタな芸とか、ベタなネタ、というのはあまり褒め言葉では使わない。
いつもの、おなじみのギャグ、というような感じだ。
吉本新喜劇でいうと、古くは平参平や岡八郎がやっていた、出てきたらこのギャグをやる、というパターン。
それをやったら、拍手が出る。
最近なら、池乃めだかが、さんざんやられておいて、「今日はこのくらいにしといたろ」と言ってみんながコケるギャグなどがそうだ。
あ、やった、やった、ということで、見ている方は拍手する。
見ている方も、やるのがわかっていて、待っている感じだ。

若いころは、ベタなネタや、と言って本来の笑いと分けていた感じがある。
やっぱり、新しいネタが面白い。
若い漫才コンビが、やる気満々で作るネタはほんとに面白い。
チュートリアルやフットボールアワーのシチュエーションコントなどは、シュールな面白さがある。

でも、年をとるとともにベタなネタが面白くなってきた。
松竹のベテラン漫才コンビ、酒井くにお・とおるとか、横山たかし・ひろしなど。

「ここで笑わないと、もう笑うとこないよ」
「大金持ちのお坊ちゃまじゃ」

聞いたことがあるだろう。
何十年と同じパターン。
でも、風月に耐えて残るギャグは残る。

いつも寝るときに漫才を聞いているのだが、最近はベタなものがよくなった。
安心感がある。

これも加齢現象かもしれない。

| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |