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2016.03.24 Thursday
アメリカの入試
日本のAO入試は問題が多い。
昔、入試についての本を沢山書いている和田秀樹が記事を書いている。 ぼくの理解では、成績下位の大学では、どんどんAO入試を増やして、志願者を集めていると思う。 推薦入試と違って、AO入試は一般入試に分類されるからだ。 推薦は、入学者全体の半分以下という文科省のルールがあるので、ペーパーテストの一般入試で受験生が確保できない大学は、AO入試で取る人を増やすしかない。 それが、高校3年生で受験勉強をしたくない受験生のニーズと合致して、負の連鎖が起こる。 今や成績中位の大学でも、18歳人口の減少に伴ってそういう入試をやろうとしている。 そんな中で、2020年からの入試制度の改革だ。 中教審はすべての大学にAO入試を導入するように要求しているという。 いったいどういう理由なのか、わけがわからない。 日本でAO入試を最初にやったのは、慶応大学の湘南キャンパス。 この時は頑張る学生を選抜するという意図があった。 人物重視、というカッコイイ言葉で隠しているが、これは客観テストを重視しないということだ。 より主観的な評価になる。 主観的ということは、選ぶ人間の考えに左右されやすいということだ。 AO入試の実績があるのは、アメリカ。 しかし、SATという大学進学適性試験という筆記試験のハードルがある。 さらに、AO入試は、Admission Officeという組織に任されている。 和田秀樹がこう書いている。 「AOというのは、admission office(アドミッション・オフィス)の略なのだが、その専門のオフィス、機関がアメリカにはある。入試の選考は、面接も含めて、その専従職員が行うのが原則となっている。日本のように、面接のトレーニングも受けず、また社会の動向もわかっていない(名門大学の教授ほど、大学以外の社会人経験が少ない人が多い)大学教授が面接を行うのではないのだ。 私が見るところ、アメリカには教授性悪説というか、教授を素直に信じないところがある。教授たちに面接をさせると、教えやすい、言うことを聞く大人しい学生ばかりを採りかねない。しかし、学問の進歩のためには、あるいは、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグのようなユニークな人材を入学させるためには(今回の大学入試改革はそういう学生を輩出するためということになっている)、教授とけんかする人、教授の理論に異を唱えるような人を入れたい。そこで、あえてそういう人間をアドミッション・オフィスの人間が選考しようという発想だ。」 もしもAO入試をやるのなら、アメリカ方式でやるべきだ。 今のAO入試を増やすのは、改悪以外の何物でもないと思う。 実際、面接者(教授)が違うと全く違う基準が適用されるという事がよくある。 いくらすり合わせしていても、「主観」の問題で、じぶんの気に入った人を選ぶのだ。 教員組織は絶対に選考に関わってはいけない。 アメリカの映画でAO入試の担当者が主人公のものがあったが、本当に厳しいポリシーを持った人が描かれていた。 記事にもあるように、できの悪い教授が揃っていると、自分より実績のある人を取らず、そのために教授のレベルがどんどん下がっていく、という現象が起こる。 実際、そういう姿を見てきた。 さらに、専門以外のことは知識がなく、議論ができない人もたくさんいた。 そういう人たちが「先生」として持ち上げられていると、人間的に「困ったちゃん」ができる。 もちろん、上位レベルの大学なら、いい先生もたくさんいるんだろうが、社会の一般常識という面では不足している人が多い。 もちろん、入試だから面接試験に十分な時間が取れるわけがない。 そういう人が面接で志願者を選ぶくらいなら、客観テストの方が絶対にマシだ。 念のためにいうが、AO入試が悪いわけではない。 日本の大学がやっているAO入試が悪いのだ。 |
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