考えたこと2

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フォークソング されどわれらが日々
「これは面白い」ということで、貸してもらった。
60年代に活躍したフォークシンガーたちへのインタビューを、文春が編集して作った本。

懐かしい名前が並ぶ。

高石ともや、西岡たかし、三上寛、山崎ハコ、シモンズ、りりィ、小室等…。

当時流行った歌の歌詞、プロフィール、あの頃をふり返っての本人の語り。

おそらく、ぼくよりも一世代上の人たちには同時代の感覚があるのだと思う。

ビックリしたのは、山崎ハコが同い年だったこと。
暗い歌を歌う人だった。
「貝殻節」はこの人が歌っていたとばかり思っていたが、記憶違いかな…。
さっきネットで見たら、民謡だったんですね。

話はそれたが、ほとんどの人が年上である中で、山崎ハコは年が同じということもあって、すごく興味深かった。

大分の出身で、ギターが好きな普通の女の子。
インタビューでも、ところどころ大分弁が出てきた。社長の方針で「作られた偶像」になってしまった。
一時は体重が29キロしかなく、自動ドアも開かなかったとのこと。
家の都合で九州を出て、横浜に行くときに、友だちが駅に来てくれて冷凍ミカンを買ってくれた…。
自分の歌を背負って生きている。

横浜についたとき、タクシーの中で酔っぱらったお父さんに
「お父さん、港はどこにあるとね。汽笛が鳴らんね。外国船があるとね。水兵さんはおらんとね。」
と言って、運転手さんに笑われたという。

そんな人やったんか…。

日本中に1957年生まれがどれだけいるのか知らないが、この人がその一人だとは思わなかった。

もう一度山崎ハコを聞いてみたいと思う。




| | | 21:22 | comments(2) | trackbacks(0) |
先生
ギターを習い始めて2年半経った。

先生は最初のレッスンで年を聞いたら56歳と言っておられたので、もう58歳になっている。

ぼくより6歳年上だから、ちょうどベンチャーズなどのエレキブームの頃に高校生だったということになる。

レッスンの合間に、少しずつお互いの身の上話をする。

一度、最初からプロを目指されたのですか?という質問をした。

先生は中学の頃にギターを弾き始め、最初はフォークギターから入り、バンドを組んでギターに熱中したとのこと。

プロを目指して…というか、ニュアンスではギターを弾くことが好きでそれをしているうちに時間が過ぎたという感じだった。

でも、25歳の時に、プロの道をあきらめようとしたとのこと。
普通の仕事につこうとしたのだが、結局雇ってくれるところがなく、やっぱりギターで生きていこうと決断されたらしい。

それから、バンドマンの見習いから始めて、荷物を運んだり使い走りをしたりしながら、先輩のギタリストにいろいろなことを教えてもらった。

その頃は、本当に暇さえあればギターを弾いていたとのこと。

冬はこたつに入ってギターの練習をしているうちに寝てしまい、ギターを持ったまま寝るというような日々だったと言っておられた。

もちろん、プロだからぼくらが知っているような歌手のバックもつとめたことがあるし、こないだ、ギタリストとして参加したCDも出た。

バンドマンが一番羽振りがよかったのは、戦後すぐ。カラオケなどの装置が進み、仕事は減る一方とのこと。

いつ行っても、練習している。

老眼鏡をずらして楽譜を見ながら弾いていたり、CDをかけてそれに合わせて弾いていたりする。

ここはどうしてこのコードを使うんですか?と聞くと、それは…といくつかの解釈を教えてくれる。
答えはたいがい一つではない。

何度か同じことを聞いて、ようやくわかることがある。

なるほど…やっとわかりました、というと、自分もいまだにそう思うことがある…と笑って言われた。

そんな先生に出会って、ラッキーだったと思う。




| | 考えたこと | 02:49 | comments(0) | trackbacks(0) |