考えたこと2

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落語をするということ
朝のドラマも、もうすぐ終わり。
落語への思い入れがあふれた、面白いはなしだった。

プロは落語を師匠から口移しで教えてもらうのだが、ぼくらは、カセットテープに入れたネタを何度も聞いて、ノートに書くことから始める。
プレイ、ストップ、巻き戻し…大学ノートに話している言葉をそのまま書いていく。

今なら老眼鏡をかけないと読めないような字で、びっしりと書いていた。
ネタのノートは今でもどこかに置いてあるはずだが…。

それから、何度も繰り返し聞く。
そして、ノートを見ながら、部室の高座で話す。
数週間がんばって、ネタを覚える。

覚えてしまったら、それで終わりではなく、そこからが始まりだ。

歩いているときや、電車の中や、寝るときなどに、覚えたネタを話す。
ついつい、顔が下手、上手を向いてしまうくらい、練習する。
これを、「ネタを繰る」という。

そして、先輩に見てもらい、仕草や目線、話し方などを直してもらう。

いよいよ、高座で本番モードで練習する。

そんな経緯を経て、舞台に出ることになる。

今朝のドラマでも言っていたが、落語をやる上で、一番大事なのは、お客さんである。

一人でやっていても、それは落語ではない。

演者と客席が一体になって笑いが生まれるとき、それが落語をやるということになる。

ウケたときは、何ともいえない充実感がある。
もちろん、逆の場合の方が多かったが…。

舞台を見てくれるお客さんの顔、こちらを見ている瞳、笑ってくれる声…、一人対大勢だがその大勢が一つになったような感じになる。

4年間やったが、本当に受けたことは数回しかなかった。

舞台にいる自分を見ている自分が、自分の外にいて、話している自分は、自分であって自分でない…そんな瞬間もあった。

お客さんには、面白くもない落語をたくさん聞かせてしまって、今では悪かったと思っている。でも、何度かは本当に笑ってもらえたと思う。

もう30年ほど前になるのか。



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
51歳
年をとるということは、あまり良いことでもないと思いはじめたのは50歳になってからだ。

よく、ぼくよりも若い人が、「若いころに戻りたい」というのを聞いたが、ぼくはあまりそういうことは思わずに来た。
せっかく、若いころよりはいろんなことがわかったと思っているのに、元の戻るのはイヤだと思ったからだ。

それが、去年はああ、もう50歳かという気分だった。
そして、今年は51歳になった。
1年経ったから、当たり前のことだが、この感覚はなんだろう…。

本当に年をとったという感じがある。

50という数字の響きがそれを思わせるのか…。

肩こりがひどいとか、頭痛がひどいとか、腰が痛いとか、老眼がひどいとか、白髪が増えたとか、たしかに身体的にはきつくなっているが、それは40代の後半から始まっていたことだ。

そうすると、何だろう?

やっぱり、精神的にも成長しなくなったのかもしれない。

頑固になったような気もするし、今さら新しい考えにめぐり会えるような気はしないし、どんどん心が固くなっているような気がする。

ちょうど、しなびたミカンの皮が、ひからびて、固く、もろくなるような感じ。

水につけておくと、そんなこともなくなるのだろうが…。

どうやって、みずみずしい状態を保つことができるのか?がこれから先の課題だと思う。

いい音楽を聞いて、おもしろい本を読んで、楽しい人と話をする…そんなことが必要なのだと思う。

これは、意外と難しいことなんだろう。



| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |