考えたこと2

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音のつながり
音のつながりと人間の感覚はどうつながっているのだろう。

それは後天的なものなのか、それとも先天的なものなのか…。

ドミナントモーションという音のつながりがある。
ソシレファという和音から、ドミソの和音に変化するというつながり。

小学校の頃、「起立・礼」のとき、ピアノで弾かれる「チャーン・チャーン・チャーン」という音楽…、その和音三つがドミソからソシレファにいって、ドミソに戻るというつながり。

この、2つめの和音から、3つめの和音に変わるところが、ドミナント・モーションといわれるもの。

終始感という感覚がある。
これで、終わりですよという安定感。

これは、ずっと西洋音楽を聞いてきたから、ドミナント・モーションに安定した感覚を覚えるのか?

生まれてから、ずっと邦楽しか聞いていなかったら、どうなるんだろうか?

音のつながりに、生まれる前からの刷り込みがあるのだろうか…。

音楽は不思議だ。



| | 考えたこと | 22:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
日本語変換
文語体でよく出てくるのが「せざるべからず」という表現。

これは「しないべきではない」ということで、「するべきだ」という意味になり、二重否定という表現になる。

ぼくはAtokという日本語変換のソフトを使っているのだが、「せざるべからず」と入力すると、<否定の連続>という赤い警告の文字が出てくる。

たしかに、「せざるべからず」と書かれると、一瞬どっちかな?と思うのは事実。

だから、二重否定の表現は避けた方がイイ、とソフトが教えてくれるのだろう。

でも、「〜するべきだ」というのと、「〜しないべきではない」というのは、ニュアンスが違う。
単なる肯定と二重否定は違うものだ。

わかりにくくするために二重否定を使うのはよくないと思うが、そう書きたいときに、<否定の連続>と注意されると、ちょっと腹が立つ。
別に無視すればいいのだが、よけいなお世話とちがうか?と言いたくなる。

「そんなふうに思わないことはない」と書いても、<否定の連続>は出てくる。
でも、「そんなふうに思わないことはない」と「そんなふうに思う」とは違うのだから、仕方がない。

「違わないとは思わない」でも出てくるし、「遠くないとはいえない」でも出てくる。

別に、否定が連続してもいいではないか。

この種の変換ソフトが改良されればされるほど、それに従う人が増えてきて、日本語の表現が貧しくならないだろうか…。

そういえば、携帯電話の予測変換機能というのにも、時々うなってしまう。
ついつい、自分が書こうとしていた言葉と同じ意味になる候補を選んでしまうのだ。

字を打っていて、下に表示される順位の高いものを選ぶ方が、早いから、こころの中で「まあ、ええか…」と思いつつ、これでいっておこう、と言葉を選ぶ。

この機能がどんどん強化されていくと、また、恐いことが起こりそうだ。

そのうち、だれが書いても同じ日本語になってしまったりして…。


| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |