考えたこと2

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ボサボサ頭
日本の体操の選手たちは、だいたいボサボサ頭だ。

だからどう、ということは言わないが、予選も決勝も何となくスッキリしない。
印象が悪いだろうと思ってしまう。
せめて短髪にできなかったのだろうか。

もちろん、選手の個性もあるし、ファッションの好みもあるだろう。
別に髪型など構わないと思う。

しかし、スポーツに適した髪型というものがある。
日本ではスポーツ刈りと呼ばれているものとか…。

自分も高校、大学の時は無節操に伸ばしていた。
だから、別にかまわないと思っている。
若者には若者の考えがあるし、それは尊重すべきだろう。

でも、就職するときには髪を切った。
前に書いた、いちご白書をもう一度で歌われているような感じだった。

今の日本には、オトナになるという区切りが、そこにあるのだろう。
江戸時代は、元服といって、髪型を変えるのが儀式だった。

大学生の選手は除いて、彼らはそれに当たるものを経たのだろうか。
儀式を経ないまま、年をとったのではないだろうか。

体操の不調は、それが関係しているように思うのは、ぼくだけだろうか。

アメリカの選手は、スポーツにふさわしい髪型をしていたと思う。
それは、勝つためには必要なことだという気合みたいなものが感じられた。

何かを犠牲にしても、勝ちたい、という気持ちが大事だと思う。

それは何でも一緒だが…。


| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウナギ
こないだは土用の丑の日だったが、ウナギは値段が高く、買わないという人が多かったのではないか。

2000円を超える値段のところが多く、ウナギのタレで焼いた豚肉をご飯にのせて食べる、という店も出てきた。
安くて、味もそこそこウナギ風で人気が出ているとのこと。

稚魚が不足しているらしく、取れないのが原因。
結局、調子に乗って食べ過ぎたということか。

ウナギの養殖をしているから、ウナギのことはよくわかっているのかと思ったら、まだまだわかっていない。
ウナギの養殖は、ウナギの稚魚を捕まえるところから始まるので、卵から育てるのではない。

ウナギは淡水魚だが、産卵は海に戻る。
どこで産卵しているのか、長らくわかっていなかったが、最近マリアナ海溝の近くの推進160mのところに卵が見つかったという記事があった。

産卵に川に帰ってくる鮭の反対だ。

ツバメなどの渡り鳥もそうだが、このウナギや鮭のような長距離を旅する魚は、どうやって帰るべき場所を覚えているのか、驚かされる。
本能にセットされているのだろう。
単に温度や湿度が産卵に適している、ということではなく、その場所でなければならない理由がどこかにある。

頭の中にコンパスがあるのだとしか思えない。

伝書鳩や渡り鳥、そして鮭やウナギ。

不思議な生き物だ。

まあ、乱獲に気をつけて、何とかたくさん稚魚が戻ってくるようにしてほしい。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
Beatle
そういえば、オリンピックの開会式でポール・マッカトニーがHey Judeを歌っていた。

きっと、ジョンとジョージが生きていれば4人揃って歌っていたのではないかと思う。
彼らももう70歳を超えた。
もう年もとったし、昔のいざこざは忘れて、故国でやろうではないか、という事にきっとなったと思う。

ジョンとポールが並んで、一つのマイクでハモる。
そんな姿を見られたかもしれない。

ポールの前に、若い人が歌っていた。
Come Togetherだ。
あのアレンジは変えられない。
ベースとドラムが曲を作っている。
当時、あの低音を録音するのにだいぶ試行錯誤したらしい。

そしてHey Jude。
リフレインのLa la laのところで、みんなの合唱となった。
伴奏を止めても、みんな歌っていた。

20世紀以降、Beatlesほど世界で流行った音楽はない。
今のアスリートたちがどれくらい知っているかはわからない。
でも、聞いたことはあっただろう。
それくらい、あのメロディは知られている。

たとえ、BeatlesがポールだけのBeatleになっても。

| | 考えたこと | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロンドンオリンピック
今朝テレビをつけると、ロンドンで開会式をやっていた。

お祭り好きのアングロ・サクソンらしい開会式。
ぼくは選手入場のところしか見ていないが、すごい数だ。

東京の時は91カ国だったが、倍以上の204カ国。
選手の数で5151人が1万500人。
いろんな国を見ているだけで楽しい。

東京が1964年だから、48年前になる。
開会式の日は学校が半ドンになったはずだ。
あの時はまだ白黒テレビで、それでも熱心に見た。
今はカラーになって、ハイビジョン。
すごい進歩だと思う。
ロンドン・オリンピックはネットでの中継の元年になると言われている。
また新しい時代が来る。

一方で、スポーツに対する助成金や、強くなるためのトレーニング法、薬物使用、オリンピックを取り巻く関係者のドロドロとした問題など、ややこしいことも増えてきた。
スポーツ科学、医学が進歩し、もちろん才能はあるが、それを鍛える方法も科学的になった。
周辺の技術がないと、勝てないという事実もある。
どこまでがスポーツで、どこからが技術なのか、いつか線を引かないといけないだろう。

遺伝子科学が進歩すると、また新しい薬物ができる。
それを注射したり、飲んだりすると筋肉が強くなったり、持久力が上がったりする。
最新のところはわからない。
ひょっとしたら、もうそんな薬が使われているかもしれない。
選手にとっては、人生がかかっている人もいる。
そう、報奨金の問題もある。

それだけ、規模が大きくなると同時にややこしい問題も増えてきたオリンピック。

しかし、とりあえずそういう浮世の問題は忘れ、スポーツを楽しみたい。

何といっても、なでしこジャパン。

Inspire the Genaration。

| | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
袖すりあうも他生の縁
今朝は出張で梅田で乗り換えだった。

電車を降りて、歩いていると声をかけられた。
見ると、以前一緒に働いていたY君だ。
白髪が少し増えてはいるものの、元気そうだった。

「元気ですか?」
「何とかやってる。」

そういう挨拶を交わして、Y君は電車に乗るために、ぼくは改札口を目指して歩いていった。

「袖すりあうも他生の縁」ということわざがある。
ちょっとした関わりあいも、前世から決まっていた、という意味だ。
袖すり合うどころか、一緒に数年間仕事をしたのだから、おおいに縁がある。
お互いに時間がなかったので、そのまま別れたが、これが夕方で帰りだったら、チョット行こか、というところだったろう。

それも、タラの話。〜だったら、という意味だ。

人生に"if"は無限にあるが、現実は一つしかない。

これが千利休が言った、一期一会ということだろう。

55歳になると、今日会って、もう一生会えないという人も出てくるはず。
もっと若くてもそうだが、年をとると現実味を帯びてくる。

今朝はそんなことを考えた。

| | 考えたこと | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
すまじきものは宮仕え
昔から、すまじきものは宮仕え、という。

宮仕えというのは、組織で働くということだ。
それはやるべきではない、という。

なぜか。
それは個人のことより、組織のことが優先されるからだ。
組織が生き残るために、個人は犠牲になることがある。
それが宮仕えというものの宿命だろう。

調子がいい時は宮仕えをしてもかまわない。

そういう意味では、今日本企業で働いているサラリーマンはシンドイだろう。

グローバルということで、外国語が重要になった。
GNPの上昇によって、製造基地ではなく、お客としてのアジア市場がある。
いずれ日本市場は小さくなる。
コストも高い。
やっぱり英語か中国語が必要になる。
社内文書は英語にする、という日本の会社も出てきた。
大きな会社だけではない。
中小でもグローバル人材とかいって、留学生を雇う。

不調になった企業は、組織の原理を発揮する。

で、すまじきものは宮仕え、ということになる。

しかし、耐えて頑張って、何とか後につなぎたい。

それがぼくらの役目ではないか。


| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Solar system
太陽系のことをSolar systemという。

太陽のシステム(系)という事だ。
しかし、今ソーラーシステムというと、太陽熱温水器か、太陽光で何かするものかと思う。

このシステムという言葉、日本語にはない概念だ。
Wikipediaによると、「システムは、相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体。一般性の高い概念であるため、文脈に応じて系、体系、制度、方式、機構、組織といった多種の言葉に該当する。」と説明されている。

日本語にはない言葉なので、いろんな日本語に訳される。

しかし、日本人はもともと、すべてのものがお互いに影響を及ぼしあう、と考えているのではないか。
何一つ単独で存在するものはない、という思想だ。
だから、すべてのものは、何かの一部であり、すべてがシステムだと思っている。

だから、部品がたくさんあって、複雑なものには強みがある。
なぜかというと、複雑なものを複雑なまま捉えるからだ。
何か不具合があると、すべての部品で調整しようとする。
設計図通りできていない、という暗黙の了解がある。

それが日本の強みだと思う。

だから、車や一眼レフにはまだ強みがあるのだと思う。

そういうモノはほかにあるのか。

| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近
最近の記事は面白くないと思う。

書いていてそう思う。
不景気なことばかり書いているような気がする。
こういうことを書きだしたらおしまいだ。

このブログを始めた時、政治や時事問題の話題は書かないでおこうと思っていた。

友人と政治と宗教の話はするな、という事を昔聞いたからだ。
政治と宗教の話をすると、友だちではいられなくなる、という意味だった。
たしかに、その手の話は意見が異なった時が恐い。
相いれる可能性がほとんどないからだ。

しかし、それもいつか、破ってしまった。
ついつい、書いてしまう。
それほど、おかしくなった。

日本の総理大臣をエラい人と思っている人は、一体どれくらいいるのだろうか。

総理大臣がエラい、と思ったのは小泉総理までだと思う。

その後の自民党、民主党の総理大臣はみんなちょっとおかしい。
自民党の人たちも結構おかしいと思ったが、民主党になって、本当におかしくなった。

一国の総理大臣というのは、その国の国民のレベルを表す、ということなら、間違いなく日本は最下位に近い。

どうしてこうなったのだろうか。

たしかに、国民のレベルは低いと思う。
ぼくも含めて、文句を言っているだけだ。
自分で変えようとは思わない。
それがダメなのか…。

それとも、この国の制度が国民に合っていないのかもしれない。

民主主義をやめたらどうか…。


| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
原理主義
原理主義というのは、宗教的にはいろいろとあるんだろうが、ぼくらがよく使うのは「現実を無視して特定の原理原則に固執する考え方」という意味のものだ。

昨今の節電を見ていると、不謹慎だとは思うが、節電原理主義とでもいいたくなるようなことがある。

まさに現実を無視した節電、といいたくなるような事態。
節電が目的なのか、それとも停電しないようにすることが目的なのか、今やそれもわからない。
なんのために節電しているのか、それがわからなくなっている。

たしかに、2年前までは電気代を払って、いくらでも電気を使った。
それは地球温暖化やその他の事情を考えると、よくないことだったと思う。
冷房の効率をよくするために、サーキュレーターを使うという知恵がなかった。
扇風機の効用も再認識した。

発電の方法でもめているのも、気持ちはわかる。

しかし、「たかが電気」という発言はないだろう。
これこそ原理主義だ。

電気が止まることで、命を落とす人もいる。
電気が止まることや、電気代が上がることで日本から雇用が失われる。
社会のロスも大きい。
めぐりめぐって、どういうことが起きるのか、その想像ができないのだろうか。

「たかが電気」と言っている人は、お金持ちだから困らないかもしれない。
電気自動車に乗って、電気を使っているはずだが、あれはどうするのだろうか。

前の前の総理大臣は、二酸化炭素削減で原発を増やすと言っていたハズだが、こないだデモに参加していた。
これは原理主義以前の問題だ。

あまりにも節操がなさすぎる。

国のエネルギーをどう考えているのか。

なんだかわけがわからない文章になったが、それも仕方がない。

すでに、むちゃくちゃだ。


| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロスアンゼルス決戦
2011年の映画。

突然宇宙から来た生命体に地球が侵略される、という映画。
使い古されたストーリーだが、話をロスアンゼルスに限って、地上戦を戦う、というところが新しい。

宇宙人も地上で戦う。
海兵隊のストーリー。

全貌がわからない中、ずっと局地戦が続く。
最終的にロスアンゼルスを放棄することになるが、海兵隊の一部隊が敵の司令基地を破壊し、一気に優勢になる、というエンディング。

地球侵略ものにしては、ロスアンゼルスに限定された局地戦であるのが面白い。

海兵隊の活躍の映画だ。

こういう映画を作って、海兵隊員を増やすのだろう。

冷戦が終わり、仮想敵がいなくなった。
だから、この手の映画も作りにくい。

CGの進歩もあいまって、こういう映画が作れるようになった。

アクションものが見たいなら、面白い映画だ。


| | 映画・舞台 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
クール・ジャパン
昨日、クール・ジャパンと書いたが、正確にはどういう定義かを調べてみた。

Wikipediaによると、「クールジャパン(Cool Japan)とは、日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの、または日本政府による対外文化宣伝・輸出政策で使用される用語」と書かれている。

具体的には「ゲーム・漫画・アニメや、J-POP・アイドルなどのポップカルチャーを指す場合が多い。さらに、自動車・オートバイ・電気機器などの日本製品、料理・武道などの伝統文化など、日本に関するあらゆる事物が対象となりうる。」とのこと。

ポップ・カルチャーとは、大衆文化のことだろう。
一般的にはこれだと思う。

日本のマンガやアニメのキャラクターには、海外に熱烈なファンがいるらしい。
もちろん、キャラクターだけではなく、マンガそのものも人気だとのこと。
時々ヨーロッパやアメリカのオタクっぽい人たちが、熱っぽく日本のアニメを語っている場面も見る。

カラオケも日本が輸出した文化だ。
アメリカのドラマでも、最近はカラオケが出てくることがある。

そういえば、ドラえもんやクレヨンしんちゃんのパクリが中国で問題になったこともあった。

ポケモンもアメリカで人気だった。
どういうわけか、ジブリのアニメも人気だった。千と千尋など、わかるのだろうか。

しかし、一方で「「クールジャパン」の語も広告会社のキャッチコピーであり、外国では誰も言っていない」という意見もある。

言葉の問題はさておき、日本のポップ・カルチャーがどの程度かはしらないが、人気があるのは事実だろう。
程度の問題だ。

ぼくは、日本のマンガやアニメのレベルは非常に高いと思う。
アメリカのコミックなど、見るからに子供向けのものだと思った。

これは手塚治虫を筆頭に、第一世代のマンガ家たちのレベルが高かったからだろう。
鉄腕アトムに代表される、ストーリー性の高いマンガが普通だった。
前にも書いたが、手塚のマンガは単純な勧善懲悪ではなかった。
悪者にも、アトムにも葛藤があった。

そこにクール・ジャパンの原点があるのではないか。

違うかな…。



| | 考えたこと | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
若い人の就職先
今日は何社か会社を回ってきた。

以前から気になっていたのが、海外の人材の問題。
母国語と日本語と英語が話せたりする。
やる気もある。
こういう人と競争しなければならない日本人の若い人は気の毒だ。

そう思っていたら、今日行った先も海外の進出を考えているという。
人数は100人以下の商社。
商品の売り先がメーカーの工場であり、そこが海外に行く、ということでどうするかという事になった。
結局国内に留まっていてはじり貧だ。
どんどん得意先がなくなっていく。
だから、ウチも海外に進出ということが計画された。
まだ明確には決まっていないが、採用は先にしておこう、ということになる。

ということで、アジアの人が採用された、という話。

これは必然だ。

同時に大変な事でもある。

日本人の若い人の席が一つ減ったということ。
その席は二度と埋まらないだろう。
海外進出は止まらない。

いずれ、世界中の労働者の賃金格差がなくなり、どこで作っても一緒、ということになるまでそれは続く。
また、そうなったら、より需要のあるところで作るということになるから、やはり当面はアジアで作ることになるだろう。

日本でなければ作れないものを作らないといけない。
世界中の人が、少々高くても、これがほしい、というようなものだ。

または、モノづくりではなく、サービスや形のないものもある。

また、農産物でも、海産物でも、その加工物でもいい。
日本の自然が育んだものだ。

クールジャパンの代表、アニメやキャラクタービジネスもありか。

どうしてもダメなら、自給自足の生活か。

そういうことを考えると、原発は当面動かさざるを得ないと思う。
もちろん、将来どうするかは議論して決めればいい。

香山リカの「原発維持や推進をしようとする人は、 私、精神科医として見れば心のビョーキに罹ってるヒトたち」というようなワケのわからない発言はどうにかしてほしい。

この人の方が、よっぽど「心のビョーキ」だろう。

若い人が就職できない社会はいずれ崩壊するぞ。



| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミュージカル
劇団四季を見に行ってきた。

事情があって、余った切符を買ったのだが、京都劇場の一番後ろ。
切り立った崖のような席だった。

アスペクツ・オブ・ラブという演題。
海外の作曲家が書いたミュージカルらしい。
セリフがなく、歌ばかり。
曲はなかなかよかった。

日本語の歌詞がちょっと不自然だが、これは仕方がない。

ストーリーは題名の邦訳どおり、愛の諸相を描いたもの。

まあ、登場人物をあまり増やさずに、色恋沙汰を描くと、こういうふうになるか、というものだった。

海外のものにしては珍しく、輪廻の思想という感じだった。

あらゆるものは、繰り返す。
人間関係もまた同じ。
因果はめぐる糸車…という感じのミュージカルだった。

たまにこういうのを見るというのも、なかなかいいものだ。

観劇の類は、日常から非日常への体験だ。
劇場という場所が、観客にそういうリセットをしてくれる。

だから、四季劇場には赤絨毯が敷かれている。
そこを通ったら、もう日常ではないのだ。

そういう体験を時々はしないといけない。



| | 映画・舞台 | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
労働組合
今の労働組合は、資本家と労働者という対立構造の中にいるとは思えない。

どちらかというと、資本家側のような気がする。
といっても、日本では資本を持っている資本家という感じではない。
もともと、株式会社はお金を株という形で集め、大きな会社はそれを持ち合いして分散しており、階級闘争的な意味での資本家という経営者は少ないと思う。
しょせん、どちらも雇われの身なのだ。

今の日本の状態を何とかしようと思うと、雇用の流動性を上げないといけないと思う。
クビ切りがしやすく、また切られても次の仕事が見つかりやすい世の中にしないといけない、ということだ。
そこでややこしいのが、正社員の存在。
今や労働者の1/3が非正規社員。
ここの壁を守っているのが、一つは労働組合だろう。
若い人が雇えない理由の一つも、そこにある。
国家公務員の新卒を4割も減らすのは、まさに組合の存在があるからだろう。
きっと仕事がなくて、窓際にいる定年前の年寄りもいるはずだ。
そういう人が組合に守られて、若い人が仕事に就けないというのはよくない。

労働者の中に、非正規社員は入っていない。

組合員の中に入れていないのだ。

組合の趣旨からすると、非正規でも労働しているのだから、組合員になってもおかしくない。
ここに派遣とか請け負いとかいうシステムがある。
必然的に、社員と一線を画した扱いになる。

ぼくが会社に入った時は、もう労働組合はストをやるような組合ではなかった。
業種によってばらつきはあるだろうが、入った時には数年前にストをやってそれが最後と聞いた。
組合は総評系ということだったので、そんなに左翼バリバリではないにしても、ある程度は左翼的な考え方の人が組合をやっているのかと思ったが、そんなことはなかった。
労使協調というヤツだ。

春秋は組合員の集会があるが、そこでの口癖は「先行き不透明」だった。
先行き不透明だから、ボーナスも要求値以下で妥結する。

先行き不透明だからこそ、もらうものはもらう、という考え方ではない。

結局、企業内組合は、ほとんどの会社で長期的なことを考え、経営側のいうことを聞くようになったと思う。

それが今の組合。

一時は日本的雇用がすばらしい、と言われた時期もあった。

年功序列、終身雇用、企業内組合の3点セットがそれだ。

今やそれが成長の足かせになっている部分がある。

これも何とかしないと…。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
腰痛 3
金曜日の午前中から腰痛だ。

今回は腰の右側。
座ったり立ったりすると痛む。
じっとしていると、痛みはない。
特に立ったときはしばらく腰が伸ばせない。
出張先で講習だったので、休み時間に立つ時に苦労した。

この病気とは、20代から付き合っている。
危ない時は、ちょっとオカシイ、という予感がある。
姿勢が悪かったりしただけでも、突然くる。

老眼になってから、姿勢が悪くなった。
老眼鏡をかけるのがめんどくさく、どうしても離れて見ようとすると、椅子にもたれるように座る。
腰に悪いとわかっているのだが、メガネがめんどうで、ついつい後ろにもたれる。
これが悪いのだろう。

日常の習慣が持病の元というのは、ほとんど正しい。
生活習慣病だ。

高血圧は過剰なストレス。
肩こりや腰痛は運動不足と姿勢の悪さ。
血液の数値は食生活と運動。

豊かさが生んだ病気と言っていい。
朝から晩まで、外で働く仕事なら、こういう病気にはならない。
もちろん、別の病気になるのだろうが…。

贅沢な話だ。



| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
移動ド
五線譜というのは、音楽をやる上では避けては通れない。

小学校で習う。
ハ長調、ト長調、ヘ長調くらいが出てきた。

ハ長調は一番簡単で、通常のドがドになる。
ト長調は通常のソがドになる。シャープ一つ。
ヘ長調は通常のファがドになる。フラット一つ。

そして、ドレミファソラシドは全全半全全全半という構成。
つまり、ドとレ、レとミの間は全音。ミとファの間は半音。ファとソ、ソとラ、ラとシの間が全音。シとドの間が半音ということだ。

ソがドになったら、ソラシドレミファソがドレミファソラシドになるから、ソラシドレミファソで全全半全全全半という構成になる。だから、ファが半音上がるので、シャープをつけないといけない。

どんなに調が変わっても、同じ事だ。

これがドの音を移動させるという考え方。
ギター弾きはたいがいこう考える。

結局どの調でもハ長調と同じになる。
しかし、これにジャズのスケールを当てはめようとすると、難しい。

いろんな所にシャープやフラットがつく。
例えば、オルタード・ドミナント・7thスケールというのは、ド・レ♭・ミ♭・ファ・ソ・ラ♭・シ♭・ドという音階。
これは難しい。
普通は、弾きながら階名を頭の中で歌いながら弾いている。
しかし、フラットが4つも出てくると、歌えない。
ゆっくりなら、レフラット、ミフラット…、というように歌えるのだが、速くなるとそれが追いつかない。

うまい人は、どうやっているのだろうか。

ぼくはいつからか、この方法でやってきたのだが、ここに来てこの壁が乗り越えられない。

絶対音感がある人は強いような気がする。
ピアノ型の覚え方をすれば、わりとすっくりいけるだろう。
音で覚えるという事になる。

しかし、移動ドでやろうとすると、絶対的な音ではなくて、音の相対的な関係で覚えようとするので、難しいのだ。

どこかで、移動ドから別のものに移らないといけないのか。
さて、別のものとはなんだろう。



| | 考えたこと | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
へいぜい
親父の口ぐせは「へいぜい」という言葉だった。

これは、通常、という意味だ。
へいぜいからやっておけば、いざという時に大丈夫、という風に使う。

この「へいぜい」という言葉、どういう漢字を書くのか。
調べてみると、「平生」という漢字を当てている。
常日頃、という意味と書いてある。

この平生はちゃんとした日本語のようだが、親父以外に使うのを聞いたことがない。
ひょっとしたら広島弁かと思っていた。
しかし、用例で、菊池寛の小説に出てきたところをみると、古い日本語だろうか。

関西弁で言うと、「つねから」というのが感じが近い。
「つねから」は「常から」で、普段から、という意味。

平生という漢字も初めて見た。

しかし、あの口ぐせを聞いていると、昭和ヒトケタで生まれた人は普通に使っていたような気がする。
なぜ平生という言葉が口ぐせだったのか。

残念ながら、それはわからない。

聞いておけばよかった。

| | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育委員会
若いころ、石川達三の人間の壁という本を読んだ。

その本は教育について書いた本で、軍国主義教育に協力した戦前を反省して書かれた本だった。
上中下の3巻の文庫だった。

昭和30年代の話。
あの頃は、それなりに機能していたのだろう。
政治がかった小説で、組合のことなど書いてあった。
その当時、小説に書かれたことは正しかったし、教育長公選制をやめたのは間違いだと思う。

あれから時間がたって、世の中は変わった。

やっぱり教育長は地域の住民で公選にすべきだったのだろう。

大津の教育委員会は報道を見る限り、どうしようもない。
もちろん、担任も、学校もとても教育機関とは思えない。

石川達三が書いていた先生たちはどこかにいってしまった。

教組は形を変えて、文科省と一緒になって教育をダメにしている。

教育委員会は教師の不祥事を隠す組織になってしまった。

橋下市長の改革はそこを変えようとしている。

今変えても、30年はかかる。

早くしないと…。


| | 考えたこと | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
GCMS
CSIというアメリカの犯罪捜査の鑑識ラボのドラマ。

中で、GCMSという機械が出てくる。
化学の分析を行う機械だ。
何のことかな、と思って調べると、ガス・クロマトグラフ質量分析機ということだった。

なあんだ、と思ったのは前の会社の実験室にあったから。
畑違いで、原理や利用の方法などは全く知らないが、ガスクロという略称で呼んでいるのが耳に馴染んでいる。
よく「ガスクロで分析したらええやん」という言葉を聞いた。

この際、どんなモノか調べようと思ってwikipediaを見たが、難解で理解不能だった。

しかし、ドラマでよく見る分析結果と同じようなものが出てきた。

とにかく、サンプルにどんな物質が入っていたかがコンピューターの画面に出てくる。
それを見て、これとこれがでてきたということは、こういう所に犯人はいたとか、こういう物質が出てきたから、きっとこの毒を使ったとか、そういうことだ。

何と、GCMSというのは、日本で島津製作所が商標登録している。
アメリカでも登録できているのかどうかはわからないが、国内シェア1位で海外でも2位らしい。
日本の得意な分野なんだろう。

そういえば、そのドラマに出てくる鑑識のデジカメは全部ニコンだ。
フィルムに縛られなくなったから、フラッシュをたいて撮りまくる。
コンピューターの性能が上がり、後で画像を解析すればいろんなことがわかる。
それが、デスクトップでできてしまう。

最近は大きなディスプレイも増えた。
そこに映してみんなで見る。
ばかでかい画面に出てきた画像を、小さくしたり、大きくしたりするのは手だ。
タッチパネルになっている。

そういえば、今日健康診断があって、バリウムのX線担当者に、これもデジカメになっていて、データーで見られるのですか?と聞いたら、そうだといっていた。
すごいコストダウンだ。
フィルム代、現像、焼き付けのコストが不要になる。
解像度が高ければ、見たいところを好きなだけ拡大して見られる。

技術の進歩は、確実に世の中を変えていく。

一方で、全く変わらないモノもあるのだが…。


| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
青春 2
BSプレミアムでJ-Pop 青春の'80sという番組をやっていた。

中村雅俊が出ていた。
もう還暦を過ぎているが、とても60歳を超えているように見えない。
髪は染めているのだろう。

知らなかったが、宮城県出身らしい。
被災地の応援ソングを作って歌っていた。

ぼくは1980年に23歳になった。
青春というと、やっぱり10代だろう。
だから、青春の'80sと言われると、ちょっと違うなあという気がする。

しかし、まだまだ流行の中にいた時期でもある。

テレビの青春ものはもう見ていなかった。
だから、中村雅俊のテレビ番組はほとんど見ていない。
田中健と下條アトムと一緒に出ていた番組は、ちらちら見た記憶があるが、それ以外は全く知らない。
もっぱら、歌を歌っている姿を見ていた。
ベストテンなどの歌番組だ。

青春ものを見ていたのは、森田健作まで。
あのかん高い声で、「ヨシカワくん」というのはよく覚えている。
再放送を見ていた。

もうテレビで青春ものをやらなくなって久しい。

60年代から70年代にかけて、すごく流行ったが、結局金八先生で終わった。
ぼくは見ていないが、金八先生は社会派のドラマで、イジメなどが扱われたらしい。
そんなものを扱う青春ものは見たくない、とみんなが思ったのかどうかは知らないが、このあと青春ものはなくなった。

この番組、1979年に第一シリーズをやっている。
ぼくは全く知らない。
興味もなかった。

青春ドラマといえば、スポーツだ。

ぼくの中では、やっぱり青春は10代で終わっていた。

もう一度、あの頃に戻りたいとは思わない。

でも、懐かしい。


| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
古き良き昭和
男はつらいよ、を見た。

吉永小百合がマドンナの「寅次郎恋やつれ」という作品。

1974年の映画。74年というと、高校3年生。

ぼくは、男はつらいよのシリーズをほとんど封切り映画館で見たことはない。
見たのは主に3本立ての映画館。
初めて見たときは大笑いした。
とにかく、面白かった。
東大の教授の役で米倉斉加年が出ていた。
八千草薫がマドンナ。72年の作品だった。73年くらいに見たのだと思う。

このシリーズは毎回日本中の土地を回って、ロケをしていた。
古き良き昭和の風景を見ることができる。
マンションのような建物はあまり出てこない。
昔の日本の家だ。

土間があって、畳があって、障子がある。
ダイヤル式の電話が出てくる。
屋根瓦があって、縁側がある。
クルマも古い。ボンネットバスが走っていたりする。

70年代の日本は、イケイケの時代だった。
その頃の空気を山田洋次は感じていたのだろう。
映画の中に、古き良き昭和を残しておいてくれた。

このシリーズを見るたびに思い出す。

思い出せる過去がある人はラッキーだ。

高度成長を体験できたのだから。




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期待喪失
竹中平蔵が、今の若い人は自分に対する期待値が低いと言っている。

それはそうだろう。
こう不景気では高くなりようがない。

おまけにIT化でコンピューターに仕事を取られている。
グローバル化で外国人にも仕事を取られている。
働くところも、海外に出て行ってしまった。
ゆとり教育が悪かったとは言わないが、義務教育は崩壊状態だ。

日本のお家芸だった家電は、総崩れだ。
ソニー、パナソニック、シャープ…、みんな液晶テレビで失敗した。
シャープなど、もう台湾の会社になってしまった。

新卒社員の何割かは、確実に外国人に取られる。
彼らは優秀だ。
ヤル気もあるし、2か国語、3か国語は話す。
おまけに専門性も高い。

電気代が高いとか、円高とかで、輸出産業はシンドイ。
競争力を保とうと思ったら、海外に行くしかない。
海外のGNPも高くなり、購買力も増えてきた。
もはやアジアは生産基地だけではなく、消費地にもなった。

そんな状態で、期待値は高く持てと言ってもつらい。
もう少し期待してよくなるものを作らないと…。


| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
隔世の感
スマートフォンを使いこなす子どもを見て、「隔世の感があるなあ」と言った。

すると、「カクセイノカン」とは何か、と聞かれた。
隔世の感、が通じない。

隔世の感、というのは、世の中が大きく変わってしまった、という感じだと言った。
つまり、ジェネレーションギャップみたいなものか、と言われ、まあそうかな、と答えた。

「変化が激しく、まるで世代が変わってしまったような感じ」というのが正確な意味らしい。

こないだの「のべつまくなし」もそうだが、何気ない言葉が通じない。

そうすると、長男が、最近の大学生は十二支を知らないという。
ね、うし、とら、う、たつ、み…、の干支の順番と動物を知らないということらしい。

まあ、最近は年賀状をメールで済ませる人も増えたし、そういうものかもしれない。

何で覚えたのかは忘れたが、ぼくは覚えたし、子供らも覚えている。
教えた記憶もないのだが…。

この十二支は、香港に行ったときに、同じシステムを使っているのがわかって、喜んだ記憶がある。
元は中国らしい。
日本と中国が同じ文化圏だ、という証だ。

その干支がだんだん通じなくなっていく。

一足先に西洋化に成功し、また一足先に衰退に向かっている日本では、干支も一足先に消えてなくなるかもしれない。

これぞ隔世の感。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
財政赤字
土曜日の朝のNHKのニュース番組で、消費税増税の話をしていた。

増税反対の人が2人出ていたが、バカな政策について意見を言っていた。
確かに政府はバカかもしれないが、今の日本の財政を考えずに批判する傾向があるのはミスリードだと思う。

税金は国と国民の信頼関係だ。
国が信頼できないと、とにかく反対という事になる。
国=政府+役人だから、政府と役人を信頼できないということだ。
たしかに、ここ数年の総理大臣はどう考えてもマトモとは思えない。
家から金をもらっていたやつもいたし、どう考えても原発問題を混乱させただけというやつもいた。
役人も小さな政府にしようとすると反対するし、役所の統合なども進まない。
相変わらず縦割りの弊害がある。
民衆党のマニフェストに書いてあることで、役人の処遇や国会議員の数などについては、全くヤル気がないようだ。
結局、政治主導という声は出たが、役人の壁は厚い。
こんなことで、国が信頼出来るわけがない。
どんどん借金(国債)は増えていく。
今や支出の半分を借金でまかなっている。
家計簿なら、とうに破綻だ。
誰もそんな家には金を貸してくれない。
それを出してくれているのは、日本という国を信頼して、国債を買っている国民がいるからだ。(国債の消化は、多くは日本国民だ)

あれれ、国は信頼できない、という国民が、裏では国を支援している。

なぜか?
国民は、国債を買っているという意識がないからだ。
郵便貯金やJAバンク、日本中の銀行が国債を買っている。
だから、知らぬ間に「信用出来ない国」を信用していることになる。

本当に国が信用できない、という人は間接的にでも、国債を買ってはいけない。

だから、「うちは国債に投資はしません」という銀行に貯金をすればよい。
そういう説明をして、キャンペーンをはれば、儲かること間違いない。

しかし、そんなキャンペーンをはる銀行はない。
国が恐いからだ。
そんなことをしたら、潰される。
長いものにはまかれろで、財務省には逆らえない。
結局国民は役人に踊らされているのだろう。

国内の資産があるから、日本国債は大丈夫、というリクツがある。
しかし、日本国債にだけは投資しない、という金融機関が増えたら、いくら国内資産があってもダメだろう。
結局は、日本が信用できないと言っている国民が、国債という債券を通して国を支えている。

だから、リードすべきなのは、国が信用できない人は、国債を買うのをやめましょう、という選択だ。

けどそれを言ったら財政は破綻する。

そんなことは、テレビに出ているような人は言わない。


| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウィンブルドン
今年のウィンブルドンもいよいよ佳境に入ってきた。
あとは決勝を残すだけ。

何といっても、シャラポワが負けたのが悔しい。
今年は全仏で勝って、復活したかと思ったが、残念。
シャラポワのガッツを全面に出すところ、力まかせにフォアでドライブするところが好きだ。

男子はフェデラーが決勝に進出した。
このところ、ナダルとジョコビッチが優勝していて、フェデラーは影が薄かった。
しかし、この大会、ナダルが序盤で消え、昨日フェデラーはジョコビッチに勝って堂々の決勝進出。
この人のテニスは華麗という言葉が似合う。
シングルハンドのバックでラインぎわにリターンを決める。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。

ぼくがウィンブルドンの勝負で印象に残っているのは、1980年のボルグとマッケンローの決勝だ。
あのころ、まだ珍しかった両手打ちのバックで、ボルグが出てきた。
マッケンローはわるガキのような選手で、審判に悪態をつくのがいつもの調子だったが、ウィンブルドンではそれを抑えていた。
息詰まる熱戦とはこのことだ。
最後はタイブレイクがなかなか終わらない。
ボルグが最後のショットを決めて、コートにうずくまった場面がまぶたに焼き付いている。

あれから、ラケットの材質も変わったし、フィジカルトレーニングの方法も変わっただろう。
今YouTubeで見ると、テニスウェアもラケットも古臭い。
しかし、あれはいい試合だった。

今年の決勝はどうなるか。

フェデラーが勝つか…。

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ヒッグス粒子
ついに存在確率が99.9999%になった。
欧州のCERNの加速器でぶつけた粒子から、ヒッグス粒子らしきものが飛んで出たということらしい。

今の物理学には標準モデルというものがあり、その中で唯一見つかっていないのがヒッグス粒子だった。
逆に言うと、ヒッグス粒子が見つかって、標準モデルが完成したということだ。

詳細は全くわからないが、リサ・ランドールという人が書いた量子力学の本を途中まで読んだ。(途中で挫折した)
そこに標準モデルということが書いてあった。
ややこしい素粒子の説明があって、次元がたしか7か何かだったと思う。
そのへんまでは理解したのだが、その先はわけが分からなくなった。

ヒッグス粒子はものに質量を与える粒子だという。
宇宙が始まってしばらくして(しばらくといっても、今の時間ではものすごく短い)、ヒッグス粒子が現れ、粒子が自由に空間を飛び回れなくなった。
それがものに質量を与えたという。

この考えを生み出したのは、ピーター・ヒッグスという学者。

1964年に発表したらしいが、この人が生きていて、今日のCERN(セルン)の発表を聞いていたらしい。
1929年生まれだから、83歳。
発表を聞いて、涙を流したらしい。

35歳の時に、ヒッグス粒子の理論を発表して、48年後にようやく存在が確認された。
48年後というのは、早いほうかもしれない。
そんな幸運に恵まれる人も珍しいような気もする。

嬉しかっただろう。
何せピーター・ヒッグスが当時書いた論文を、「物理学に関連性がない」と却下したのがCERNだったらしい。

歴史は皮肉なものだ。

しかし、これで宇宙の理解が一歩進んだのだろう。

あくまで、この宇宙が生まれてからの話だ。

「なぜ」この宇宙が生まれたかはわからない。



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世間知らず
昔から、大学生は世間を知らないもの、というのが相場だった。

下宿などしていると、新聞も読まず、ニュースも見ず、世の中で起こっていることには疎くなる。
それで何の支障もなかった。

しかし、今は違う。
就活があるから、新聞を読んだ方がいい、という。
昔よりも、ずっと情報の入手はしやすくなっているのに、経済のことや会社のこと、世の中に関する知識は減っていると思う。

三井住友や東京三菱UFJなどのメガバンクに勤めている人は、公務員だという。
なぜか、と聞いたら、大きな会社の社員は公務員だと思っている。

メールといえば携帯だから、宛名は本文には書かない。
いきなり用件から始まる。

封筒の宛名などはちゃんと書けなくても当たり前。
ハガキすら怪しい。
A4サイズの封筒の右上に住所、名前、郵便番号が全部小さく書いてある。

若者には若者の文化がある。
だから、もう封書やハガキは使われなくなるのだろう。
しかし、まだまだ流通している。
見る機会もあるはずだ。
第一、ダイレクトメールで自分宛に送られてくるはずだが…。

だから、昔と比べて、世間知らずのレベルが違っている。
そして、自分が世間知らずだ、ということを教えられていない。
メタ認知がない、というやつだ。

昔は自分が世間知らずであることをわかっていたが、今はそれをわかっていない。

これはエラい事だと思う。

どこから来るのかわからない自信。
自信を持つことは大事だが、その根拠がない。

以前、何かに載っていた4コママンガを思い出す。

「俺はやるぜ」
「何を?」
「何かを」

このフレーズはわけもなく自信がある人を表していて、面白い。
マンガでは、「何かを」と言っている人はサングラスをしていて、タバコをくわえている。
いかにも自信満々、という感じだ。

この「いわれなき自信」が生まれてくる背景は何だろうか。
自己肥大化とでもいうべき現象が起こっている。

「世界に一つだけの花」が関係しているのではないか。

ぼくはそう思う。


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年をとること
年をとると、いろいろなことが起こる。

肉体的には老眼になるし、足腰も弱るし、食事の好みも変わる。
精神的には感動がなくなり、どんどん保守的になる。
要は今までの自分の経験に基づいた行動しかできなくなる。

最近それがひどくなったらしい。
ひとことで言うと、頑固になった、ということだ。

気がついてみると、何かを指摘されたら、それに対して反論し、自分の意図をわからせようとしている。
これが頑固になった、ということだろう。
自分では人の考えを受け入れていないという気はない。
でも、自説を曲げるということはしない。
なぜそうなったかを一生懸命説得する。

気づいたら、そういう行動が多くなるというのが、年をとるということなんだろう。

ああいやだ、いやだ。
絵に描いたような年寄りになろうとしている。

小林秀雄が、年をとらないと語れないことがある、と言っていた。
現代は、合理的になりすぎて年齢がなくなった、と。
年をとったら、とった如く語るのが本当の思想だ、ということだ。
合理的な思想などない、というようなことだったと思う。

その境地に入れる人は少ない。

普通の頑固親父になるのがほとんど。
自分の経験に固執し、それを主張する。
たまには正しいこともある。というより、言っている本人は常に正しいと思っている。

これが難しい。

| | 考えたこと | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
正面衝突
今日夜ガソリンを入れていたら、交差点の方からドカンという音がして、クラクションが鳴りっぱなしになった。

車対車の正面衝突だ。
片方はゴルフで、もう片方はヴィッツのようだった。
ゴルフは前の右側が、ヴィッツは前の全面がやられていた。
もちろん、ヴィッツの方はもう動かない。

しかし、最近のクルマはよくできている。
どちらのクルマのドライバーも無事だった。
ちゃんと前がつぶれて、運転席は無傷だ。
おそらくエアバッグは開いただろう。
シートベルトを閉めていたら、よほどの事がないと、大丈夫だと思う。

3次元CADでの設計で、衝突のシミュレーションもできる。
実車で何台も試作しなくても、大丈夫だ。
今のクルマは潰れたほうがいいところは、潰れるようになっている。

お互いに助かるように、という配慮だ。
車対車、車対人、どちらも考えられている。
だから、ボンネットは柔らかい。
人が当たっても、ボンネットで衝撃を吸収するようにできている。

クルマはこの40年ほどでスゴイ進歩を遂げた。
その何割かは日本の功績だ。

昔のクルマに比べると、ずいぶん安全な乗り物になったと思う。

燃費もよくなったし、これぞ技術の進歩だ。


| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンプレックス
誰しも割り切れない気持ちを隠し持っている。
それがコンプレックス。

ふだん意識はしないが、何か気持ちにひっかかるものがあるときは、きっとそれが絡んでいる。
メールを出してしまって、なんとなく気にかかるのも、コンプレックスのなせる技かもしれない。

コンプレックスというのは、時に劣等感と訳されているが、劣等感に限ったものでもないと思う。
何となくもやもやしていて、いろんな気持ちが混じっているから、気にかかるのだと思う。
それがひと言で言えないというのが、コンプレックスのせいだろう。

あと味が悪い、というのもコンプレックスが関係している。
会議のあと、自分の発言が気にかかるとか、誰かの発言が思い出されるとか、そういうやつだ。
そういう時は、ちょっと言い過ぎたのではないかとか、口にしてしまってよかったんだろうかとか、大人気なかったとか、会議の結論以外のところが気になる。

その時は気にならなくても、あとで気になるというのは、コンプレックスの特徴かもしれない。

なんでその時は気にならないか、というと、潜在意識が関係しているからだ。
何となくもやもやする、というのは、必ずあとで来る。
口に出したり、メールを出したりした瞬間は別になんとも思っていない。
その瞬間は意識が勝っていて、潜在意識は文字通り沈んでいる。
しかし時間が経つと、潜在意識が出てきて、意識と戦いを始める。
それがもやもやの原因だ。

たいがい、もやもやは自分が正しかったのか、それとも間違っているのかというところになる。
それはどちらでもない。
間違うとか、正しいとか、そういう決め付けをするのが間違っているのだろう。
冷静に考えれば、それはわかる。
でも、決めつけたいのだ。
こういう時は危ない。考えなければならない。

しかし、考えて、下手を打つ場合もある。
考えて何もしないのが正解のことも多い。

コンプレックスはそう簡単には克服できない。
だから、何度も同じ失敗を犯す。

諦めるわけではないが、それも人格の一部なんだから、仕方がない。

そういう開き直りも必要だ。

直せるなら、直したほうがいいのだが…。




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計画停電の7月
7月になった。

今月から計画停電になるかもしれない。
関東は去年やっていたが、こんなのだったんだろうか。
かなり複雑な区域分けで、警察や消防のあるところや、総合病院のあるところは計画停電しない、ということらしい。

まあ、なったらなったで仕方がない。
節電して、運を天に任せるしかないのだろう。
ぼくらがいかに電気に依存しているかがよくわかる。
ビルなどは水も汲み上げていたりして、電気が止まれば水も止まる。
内線の分配器があるところは、電話ももちろん止まる。
冷蔵庫は開け閉めしたらいけない。
信号は消えるし、踏切も止まる。
警察も大変だ。

しかし、計画停電は大きなロスだ。
本当に日本の企業が海外に出ることを考えている。
そうしないとやっていけないからだ。

とにかく、まずは電気を確保してからエネルギーの事を考えてはどうか。
原子力発電の是非を話し合うのに、原発が動いていたらダメだ、ということはないだろう。

とりあえず、明日は猛暑にならないことを祈る。

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