考えたこと2

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サッカー大会
秋といえばスポーツの季節。

中学校の時には、秋にサッカー大会があった。
僕らの中学は校区に小学校が3つあって、1学年が11クラスあった。その11クラスでトーナメント戦をやるのだ。

サッカー大会では、情けない思い出がある。

中学2年の時だったと思う。男子の半分くらいが選手になるのだが、どういうわけか僕は右のフォワードだった。
「ピー」という笛とともに、キックオフ。
センターから左、そしてセンター、そして右の僕にボールが回ってきた時に、なぜかゴールの前に来ていた。
キーパーは前に出ていて、僕は足にボールを当てて、ゴールの方につき出すだけでよかったのだ。

しかし、あまりのラッキーに舞い上がってしまい、思い切りボールを蹴ったら、ゴールポストのはるか上を越えていった。

情けないやら、恥ずかしいやら…。

今でもボールを蹴った時のことを思い出せる。

もう一つは、どこかの別のクラスの試合で、ゴールの後ろで見ていた時のこと。

ちょうどそのチームは点を入れて、意気が上がっていたところだった。

点を入れた方のチームのキーパーは、応援に来ていた女の子の黄色い歓声に応えて、ゴールのネットのところでクラスの女の子と話をしていた。

「ピー」というキックオフの笛がなった。

「あ、サッカー部のT君や」とだれかが言う。

サッカー部でバックスをやっていたT君がボールを蹴った。
さすが、キック力が違う。ボールはゴールをめがけて、一直線に飛んでいった。
まだ、キーパーはネットのところで女の子と話をしていた。
山なりのボールが空を飛んでいく…。

あれ…、このままいったら入るのかな…と思ってボールを見ていた。

さすがに、ゴールネットのところでキーパーと話していた女の子が気づいて、キーパーに、「ボール、来た、来た!」と叫んだ。

キーパーは、まさか直接ゴールをめがけてボールが来ると思っていなかったのだろう。

ゴールの中でジャンプしたキーパーの横をすり抜け、ボールは入った。

あの、ゴールの中のジャンプはかっこ悪かったなあ。

点を取られた方のクラスの選手のあきれた顔…。

あれは、僕が外したゴールより、かっこ悪かったと思う。

そんな慰めも、サッカー大会の思い出である。

あんまりいい思い出ではないけれど…。



| | 考えたこと | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
どうして時計を見るのか…
友人と話をしていて、出来事の時期がいつやったかな…という話になることがある。
特に、働きだしてから、時間の感覚があやふやである。

「あの、○○に出張したの、あれ、いつやったかな…」
「あの時、エライ失敗したけど、あれはいつ頃やったっけ…」

年単位の事を思い出そうとするのだが、どういうわけか、そんなとき、腕時計を見る。

「えーっと…、あれはやなあ…」

と言いながら気がついたら腕時計を見ているのだ。
そんなことが何度かあって、「どうして時計を見るのか」というメモを書いていた。

時間の事を考えると、無意識に時計を見るという行為に走るのだろうか。

年単位の事を思い出そうとするのに、今の時間を見ても仕方ないのだが。

実際、腕時計を見て、こんなの見ても仕方ないなあと思いつつ、話題になっている時期がいつだったか考えている。

誰かそんな経験をした人はいるのだろうか。

それとも僕だけがそんなアホなことをしているのだろうか…。

でも、またそんなことがあった時には腕時計を見るだろうなあと思う。

不思議なクセ…かな。



| | 考えたこと | 08:15 | comments(2) | trackbacks(0) |
ダイマル・ラケット
昨日落語の事を書いたので、今日は漫才の事を書く。

上方漫才ですごい人と言ったら、誰になるだろうか。
強いてベスト・ワンを選ぶなら…。

僕なら、ダイマル・ラケット、いとし・こいしのどちらかだ。

いとし・こいしもスゴイと思うが、ダイマル・ラケットもスゴイ。

ダイマルのネタが荒唐無稽で、ネタの面白さならダイマル・ラケットかと思う。
身近な話題を笑いにする、いとし・こいしもすごいのだが…。

小学校の頃、だいたい散髪に行くのは土曜日の昼下がりと決まっていた。
家からまっすぐ坂を下って、歩いて10分くらいのところに散髪屋さんがあって、だいたい2時過ぎくらいに行っていた。

その散髪屋さんはいつもラジオをかけていて、どこの放送局かはわからないが、土曜の昼下がりにダイマル・ラケットがコマーシャルを漫才風にやる、という番組があった。

内容はあまり覚えていないが、商品名をダジャレにしたり、商品の特徴を掛け合いで喋ったり…という番組だった。
30分だったのか、1時間だったのか…それもわからないが、時々歌謡曲がかかり、ほとんどがコマーシャルという番組だったと思う。
その番組を聞きながら、にんまりしながら散髪屋さんの鏡を見ていたことを思い出す。
そういえば、あの頃は鏡を見ていたなあ…。(今はほとんど見ない)

調べてみると、ダイマルが亡くなったのが1982年ということだった。
もっと早く亡くなったのかと思っていたら、僕が25歳の時まで生きていたのか…。

お化けになりすますというネタや、お父さんが義理の娘と結婚するというネタ、野菜や果物の品種改良をするというネタ、地球が丸いハズがないというネタなど…本当に面白いネタが多かった。

いとし・こいしもそうだが、ダイマル・ラケットは古さを感じない。
いつ聞いても面白いのだ。

どちらも、兄弟で、素晴らしい漫才師だった。

そして、どちらももう生で聞くことができないのは、残念だ。


| | 考えたこと | 01:26 | comments(4) | trackbacks(0) |
仁鶴
僕が落語をやりたいと思ったきっかけは、中学校の時に出てきた笑福亭仁鶴である。

やたら面白かった。
その頃は、仁鶴が初代の春団治に似ているとか、そんなことも知らず、とにかくそれまでの落語というイメージ(これは主に米朝だったが…)を飛びこえたような感じだった。

中学2年の時、仁鶴が出ていた、MBSヤングOh!Oh!という番組も、友達と見に行った。
すごく人気のあった頃で、夕方の4時から整理券を配るのだが、昼過ぎに行ったら、すでにビル一周分の列ができていた。

ステージの前に出てきて、「写真か!」と言ってポーズをとっていた。
「どんなんカナー」というギャグも、今から思えばなぜおかしかったのかわからないが、おかしかったなあ…。

「七度狐」「貧乏花見」「辛子医者」「池田の猪買い」「向う付け」「黄金の大黒」「借家怪談」「代脈」「湯屋番」など…。
レコードも買って、何度も聴いた。

落研に入っても、仁鶴のネタをやっていた。(その頃は既に、落研の中では後年襲名した枝雀の方が人気があったが、やっぱり僕は仁鶴が好きだった)
自分の出囃子(舞台に出るときに鳴らすおはやしのこと)も、仁鶴と同じ「だんじり」というのにしてもらった。

大きなネタのできる人ではなかったが、若いころの仁鶴は勢いがあった。
とにかく笑わすというパワーがあったと思う。

しかし、枝雀が襲名してから、どんどん勢いがついてきて、仁鶴はちょっと影に隠れてしまった。
喉を悪くされたようだったし…。

さすがに、枝雀のすごさは納得するしかなかったし、実際すごい芸人だったと思う。
化けた人だった。

そんなこんなで、落研時代の後半は、枝雀のネタもやった。

でも、1970年頃の仁鶴は本当に面白かった。
彼が上方落語の再興に一役買ったことは間違いないと思う。

あの面白さは何だったんだろうか…。
枝雀の面白さとは違う面白さだ。
哲学的な枝雀の笑いに対して、直感的な笑いだったと思う。

昨日の夜、仁鶴の古い録音を聞いて、思い出した。

あんな落語家、また出てくるだろうか…。



| | 考えたこと | 23:56 | comments(7) | trackbacks(0) |
歌謡ショー
11月というと、文化の日と勤労感謝の日である。

前に書いたが、文化の日にはボールに乗ってこけた。

勤労感謝の日というと、学園祭だった。
安いウールの着物を着て、三日間毎日朝から夕方まで寄席をやった。
部員が20名弱で、回り持ちだった。一日に何席かやらないといけない。
でも、お客さんが多くて、ウケるのがうれしかった。

漫才をやったこともあったし、歌謡ショー(これは先輩にギターの伴奏を頼まれ、仕方なくやったのだが…)をやったこともあった。

当時、ちょうどカラオケが出はじめで、カセットの化け物みたいなテープの機械が出来たところだったと思う。(8トラックという名前のテープだった)

最初にカラオケを引っぱったのは演歌だったのではないか。
僕はその頃はカラオケなど行ったことがなかったが、その先輩はどこかでカラオケを知り、歌う喜びを知ったようだった。

十八番は、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」という曲。

これを、人前で歌いたいがために、歌謡ショーをやろうと言いだしたのだ。
よほどやる気があったようで、画用紙でポスターを作って、自分で「○○(ここは芸名が入る)歌謡ショー」と書いて学校内に貼ってまわっていた。

「あ〜あ〜 長崎はぁ〜 きょうぅも〜 あめぇだぁったぁ〜」の部分を前川清風にせり上がって歌う。
最初はギャグでやっているのかと思ったが、大まじめだった。

とにかく、それを歌うためにやるので、ネタに笑うところなどないのだ。

全く笑いの取れない歌謡ショーはまずい、ということで、先輩に「何か面白いギャグを入れましょう」と言ったが、あまり真剣に考えている風ではない。

結局、365歩のマーチ(水前寺清子)を歌い(歌謡ショーだから、結局は歌なのだ)、「三歩進んで二歩下がる」の部分を、「三歩下がって二歩下がる」という歌詞に変えて、「下がってばっかりやがな」という突っ込みを入れる…というのをやろう、ということになった。(この時点で考え直すべきであったかもしれない)

落研の部室にあった、誰かが川べりに落ちているのを拾ってきたというギターを持って、その先輩と満員に近い(100人以上いたと思う)教室の前に立った。

「さぁ〜んぽ さがって にほさがる」
「下がってばっかりやがな」

もちろん、結果は惨憺たるものであった。
だが、それは笑いを取るということに関してであって、先輩にとっては、「長崎は今日も雨だった」が歌えたから、それで良かったのだ。

嬉しそうな先輩の顔と、口をあけて見ていた教室の最前列の子供の顔が今でも目に浮かぶ。

それが、その当時、創部9年間で初めての歌謡ショーであり、その後後輩が歌謡ショーをやったのかどうかは知らない。

勤労感謝の日というと、この事を思い出す。

歌謡ショー…この言葉もぼちぼち死語ですね…。


| | 考えたこと | 00:18 | comments(3) | trackbacks(0) |
007
こないだ、コメントにちょっと書いたが、007が好きだ。

色々な人がジェームス・ボンドの役をやったが、やっぱりショーン・コネリーだ。

僕らが小学校の頃は、まだまだ東西冷戦の真っ最中であり、西側対東側というスパイの戦いがリアリティを持っていた時代だったし、とにかくカッコ良かった。
若いころのショーン・コネリーは、小説の中の洗練されたイギリス人というよりは、ちょっと俗っぽさのあるバタ臭さが良かったと思う。
マジメ一徹ではないが、やるときはやる、という感じが出ていたし。

サンダーボール作戦やゴールドフィンガーなど、派手な映画だった。
日本の怪獣ものとはまったく違う世界だったし、少年マガジンの巻頭特集に出たりしていた。

アストンマーチンに代表される特殊仕様のクルマ、、ナイフが隠してあるアタッシュケースや、時計型の通信機など、映画の中ではQという名前の技術屋が毎回新しい武器を渡すのも見物だった。

また、1回説明を聞いただけで、ボンドはそれを上手に使うんですよね。
映画と言ってしまえばそれまでだが…。

スパイらしさが出ていたのが、何といっても「ロシアより愛をこめて」だったと思う。
これは、原作も読んだ。
ちょっと暗い作品だが、後のスペクタクル・シーンがクローズアップされる007映画とはひと味違う良さがあった。

「ダイヤモンドは永遠に」も良かったなあ。これは映画館で見たから、特に印象に残っている。
砂漠のサソリの場面がスリリングだった。

ベルリンの壁が崩れ、東西冷戦が終わってしまって、スパイのリアリティがなくなってしまい、一時ちょっと人気がなくなった時期があったが、やっぱり007は好きだ。

今年のお正月には、カジノ・ロワイヤルが上映される。
この作品は、ボンドが007になる前から描かれるとのこと。

今回から、また新しいボンドだが、どうなんだろうか…。

今から楽しみである。



| | 映画・舞台 | 01:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギョウザ
今日は長男が風邪で、かなりひどく吐いて、苦しんでいた。

僕は小さい頃から、風邪はあまりひかず、ひいてもほとんど熱が出たことはなく、どちらかというとお腹の方が弱かった。

吐いた…という事では一つ忘れられない思い出がある。

小学校の5年くらいだったか、母がギョウザを作ってくれて、それがやたらおいしくて、一人で山ほど食べた事がある。
それを食べたときの事は、まだ覚えている。
ギョウザを食べ、ご飯を食べ、ギョウザを食べ、ご飯を食べ…こんな事を書いても、書いている本人の目に浮かんでいることは伝わらないだろうが、ご飯もお茶碗に4杯くらいおかわりしたと思う。

とにかく、本当に腹一杯食べた。

そしたら、その晩から食べすぎでお腹をこわしてしまった。
酒と涙とナントカという曲があったが、その歌詞のように吐いて、吐いて…という状態だった。

食べた分は全部無くなって、酸っぱい胃液まで吐いて、本当に苦しかったことを覚えている。
吐くものが無くなっても、嘔吐が起こるのだ。

その時に、人間が一度に食べられる量には限界があるのだということを知った。

吐くということについては、その時が一番苦しかった。

それにしても、あの時のギョウザがおいしかったことは、今も心に残っていて、お腹をこわしたことよりも、そちらの方が思い出す回数は多い。

でも、それ以降、ギョウザを無茶に食べた事はない。

それは、あの時のギョウザがあまりにもおいしかったからかもしれない。


| | 考えたこと | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
実物大
長いこと自分で気づかないマチガイというものがある。

僕の場合は、実物大という言葉がそうだった。

二十代の後半だったと思う。新聞を見ていて、何かの広告があった。
一緒に見ていたのは、義妹だったと思う。
手のひらサイズのものだったが、何の広告だったかは忘れた。

そこに商品の写真があり、横に「実物大」と書いてあった。

何気なく、僕は言った。

「ふーん、実物はこの写真より小さいのか…」

すると、「何を言うてんの?」という返事。

「ここに、実物大と書いてあるということは、実物はこれよりちょっと小さいということやろ」

「えー!実物大いうのは、実物と同じ大きさということやん」

僕の理解は、実物大=実物より大きいだった。
生まれてこの方、その理解を疑ったことすらなかった。

大体、なぜ実物よりちょっと大きい、という中途半端なものを載せるのか?と義妹は言う。
それは、実物の大きさだったら、小さすぎて細かい部分がわからないから、ちょっと大きめに写真を撮っているのではないか…と言った。
義妹は、絶対にそんなことはないと言う。
実物の大きさを宣伝しないと、意味がないだろう、と言うのだ。

「ほんまかいな」ということになり、回りの人に聞いても、会社の同僚に聞いても、実物大というのは実物の大きさ、という事だった。

あとから考えると、確かに「実物よりちょっと大きい」というのは、一体実物の大きさはどうなのか、ということがわからないし、実物の大きさを宣伝しないと意味がない、という事もわかった。

それなら、「実物と同じ大きさです」とか書けばいいのではないかと思う。
「実物同」でも「実寸」でも良い。

どうしても、「実物大」というのは実物より大きい、というふうに読めてしまう。

だから、いまだに実物大という言葉を見ると、実物はこれより小さいと反射的に考えてしまう。

さすがに、人には言わないが、ひそかに実物大というのは、実物よりも大きいと思っている人がたくさんいるのではないか…と信じている。
みんな、隠しているのだ。

これを読んで、「そうそう、そのとおり」と思う人は、ぜひコメント下さい。
仲間になりましょう。

しかし、他にも気づかないマチガイはあるのかもしれないなあ。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(4) | trackbacks(0) |
平板アクセント
数年前からか、十数年前からか、どうもカタカナのアクセントでオカシイのが増えた。

よく知らないが、ビーズ(B'z)というグループがいる。
このアクセントは「びーず」であり、どこにもアクセントがない。
平板で発音する。
普通は、「びぃーず」と発音し、「ぃ」のところに強いアクセントがある方が英語的な響きがあって、すっくりくる。

ワンズ(Wands)というのもあったと思う。
これも「わんず」で、どこにもアクセントがない。
やっぱり、これも「わぁんず」であって、「ぁ」のところにアクセントがあらまほしい。

ところが、ファミレスのボンズは、「ぼ」のところにアクセントがある。
平板ではない。

マクドナルドを縮めた「マクド」は「まくぅど」であり、「ぅ」にアクセントがある。

普通は?カタカナ語はアクセントがあるような気がする。

この平板状のアクセントは何で出てきたのだろうか?
どうも、新しいカタカナ語だけに適用されているような気がする。

中年の方々、気になりませんか?

どうも不思議だ…。

聞くたびに、何かオカシイと思ってしまう。



| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |