考えたこと2

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泣きたい時もある
「泣きたい時もある」という番組、思い出した。

JTがやっていた番組。
いつも登場人物は2人。
恋人だったり、兄妹だったり…。

30分間、全て2人の会話で作られた脚本だった。

いつも、最後は歩いている場面で終わる。
ハッピーエンドもあったような気もするが…。

よくできた番組だった。

伊勢正三がエンディングテーマを歌っていた。「ほんの短い夏」という歌。カラオケでよく歌った。

もう20年以上前の番組だろう。

日曜日の夜11時くらいから30分。
明日は月曜で、会社に行くのが…と思いつつ時々見ていた。

懐かしい番組だ。

一人で見ていると、泣けてしまう。
泣くことで、頑張ろうという気になれる番組だった。

いいシリーズだったのに、すぐ終わってしまったなあ…。
ほんとに「ほんの短い夏」という感じだった。

2人の会話だけで作る番組なので、出演者も大変だったろう。
長いカットが多くて、今のように撮りなおししながら、短いカットをつないでいくというようなドラマではなかった。

俳優のパワーがないと、できない番組だったから、すぐに終わったのか。

こういうドラマがなくなったなあ…。

覚えている人いますか?

| | 考えたこと | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
SFアニメ
前にも書いたかもしれないが、ぼくらが小学校の頃が日本のアニメが生まれた時代であり、その頃のアニメといえばSFアニメだった。

代表作はもちろん手塚治虫の「鉄腕アトム」。

同じ時期に、横山光輝の「鉄人28号」があった。
アトムが自らの意志を持ったロボットであったのに対して、鉄人はリモコンで操作されるものだった。
鉄人を操作するのは、正太郎少年で、たしか小学生で、半ズボンにネクタイをしていた。
実写ではやりにくいだろう…。

そして、「スーパージェッター」。
これはよくできたアニメだった。
本格的なタイムトラベルものであり、後で知ったが、筒井康隆や豊田有恒といったSF作家が脚本を書いていた由。
タイムマシンの名前が流星号というのもそれらしい。

手塚アニメでいうと、注射をすると身体が大きくなる「ビッグX」、地球の調査に来た宇宙人が動物に化ける「ワンダースリー」がある。
ワンダースリーのウサギのボッコ隊長の声は白石冬美だった。深夜放送に出るずっと前だ。

忘れてならないのが、平井和正原作の「エイトマン」。ちょっと暗い影のある探偵が主人公だった。エネルギーをタバコで摂るところが今ならあり得ない設定だろう。

タツノコプロの「宇宙エース」というのもあった。
指の先からリングを出して、投げるという技が印象的。

そして、石森章太郎の「サイボーグ009」。
これは、大人の鑑賞にもたえるものだったと思う。
小学校の映画会で見た、紅一点の003(フランソワ)の声は、ジュディオングだった。
9人のサイボーグ達は、赤ん坊あり、中国人のコックあり、インディアンあり、黒人あり…と国際的な設定だった。
9番目のサイボーグである、ジョーが日本人のレーサーという設定。
こないだやっていた、ファンタスティック・フォーという映画に似ているかもしれない。
火を吹くヤツも、力の強いヤツもいたなあ。

そこから先、仮面ライダーが出てきて、SFアニメは減少し、実写の活劇ものになっていった。

その流れが今まで続いていて、5人組の戦隊もの(ゴレンジャーが発祥)になっているのだと思う。
いまだに仮面ライダーなんとか、というのはテレビでやっているようだ。
もちろん、ウルトラマンはあるが、これは別格。

SFアニメはなんでなくなったんだろうか…。
科学に夢がなくなったのだろうか?

アトムも、鉄人も、スーパージェッターも、宇宙エースも、エイトマンも、サイボーグ009も…みんな正義の味方だった。
科学は善きもの、という思想があったと思う。

SFアニメが、怪獣やかぶり物が出てくる活劇化していったのはなぜなんだろうか…。

1960年代の後半あたりが最後ではないか。

70年代に入って、高度成長が終わり、実際に生活が豊かになると同時に、公害なども露わになり、科学が善きものという幻想が崩れてしまったのだろうか。

SFアニメが今でもあれば、理科離れは少しはマシだったかもしれない。



| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
プール その3
今日は仕事の帰りに、スポーツクラブのプールに行った。
そこで泳ぐと、驚いたことに200メートル泳いでも、しんどくないのだ。
おかしいなあ、と思って一度休んで、もう一度泳いだが、300メートル泳いでも、そんなに疲れない。

土曜、日曜と2週間通ったのが効いたのかな…とも思ったが、それにしても楽だ。

休みの日の午前中よりも、仕事帰りの方が体力があるというのも、オカシイ。

思い当たったのは、水温。
スポーツクラブのプールは、入った時には少し冷たいかな…という感じがしたが、家の近所のプールは、入った時にあたたかいと思う。
この差が大きいのだろう。

家の近所のプールは健康増進施設のプールで、お年寄りが多いせいか、水温が35度に設定されている。
今日のプールはおそらく30度くらいだと思う。
この5度の差が大きい。

マラソンでも、いかに身体の熱を放出するかで疲労度が違うというが、その通りだと思う。
35度のプールで泳ぐと、すごくシンドイのだ。
すぐに息が切れる。

これは、熱くなった身体を冷やすために、通常よりもよけいに呼吸が必要になっているのだと思う。(いい加減な素人考え)
30度のプールなら、息が切れないで泳ぎ続けることができる。
心なしか、腕もしんどくない。

35度のプールで必死に泳いだおかげで、今日は1000メートルを楽に泳げた。

ということは、30代の頃に泳いでいた距離と同じだ。

いい気なもので、「そうか、体力はそんなに落ちてないんや…」とうれしくなってしまった。

きっと、本当は体力は落ちているのだろうが、いい気分で帰途についた。

今日はいい日だった。




| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
若い頃しか…
若いころしか読めない作家がある、と常々母が言っていた。
その一人が太宰治。

高校のころ、通学電車の行き帰りに文庫本を読んだ。
高校2年、3年で文庫になっているものはほとんど読んだと思う。
当時の作家はみんなそうだったのかもしれないが、たくさんの手紙を書いていて、書簡集も読んだおぼえがある。

走れメロス、斜陽、人間失格、グッドバイ、晩年、惜別、お伽草紙、トカトントン、津軽…そんな題名の文庫本が今でも本棚にある。
ページの色が茶色に変色しているが、捨てられない。

走れメロスや空想的な短編で印象に残ったもの以外は、ほとんど内容を覚えていない。

私小説は、自分をどんどんおとしめていくような内容だった。「恋」とか「革命」という言葉が出てきて、何となくそれに酔ってしまう。
空想的な物語は、面白かったし、わかりやすかった。

最期は自殺だったが、よくいえば、エデンの東のジェームス・ディーンみたいなものだろう。(ジェームス・ディーンのファンからは怒られそうだが…)

青森の富裕の家に生まれたが、それを引け目に感じて、東京で小説を書いて暮らす…でも、結局はお金持ちの坊っちゃんが抜けきれないというようなジレンマを生きた人、ではないか。

弱いと言ってしまえばそれまでだが、ジレンマの中であがく姿に何となく共感して、当時の若い人に人気があったのだと思う。

太宰治の命日には、墓のある三鷹で「桜桃忌」がある。
その日には、毎年若い人たちが太宰の墓参りに来ていた。今でもたくさん来るのだろうか…。

Webで調べていたら、青森で太宰治生誕100年にちなんで、マラソン大会を…という記事があった。

「走れメロス」にちなんだイベントとのことだが、どう考えてもまともに作品を読んだ人なら、太宰とマラソンは結びつかないだろう。マラソンというような健康的な活動とは正反対の人だったと思う。
もう、太宰治も観光の道具になってしまったのか…。

たしかに、今もう一度読もうとは思わない。
若い時しか読めないと思う。

それでも、本を捨てられないのが、太宰なのだろう。

もう、今の高校生は読まないが…。


| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
不思議な英語
中学校で最初に習ったのが、This is a pen.という英語だったと思う。
象徴的な文章だ。

これはペンです…見たらわかるやろ、というツッコミができる。
I am a boy.も、よほどヘンなヤツでないかぎり、見たらわかるやろ、という文章である。

もちろん、英語の文法を習うために、そのような文章が選ばれているワケだが…。

そんなこんなで、ネィティブの人たちにとっては、ヘンな英語なのかと思う。

それでも、いろんな表現があって、逆にぼくにはおかしく思える英語でも、ネィティブの人たちにはおかしくないものもある。

以前書いたSrepmomという映画で、ジュリア・ロバーツが、スーザン・サランドンに会いに行く場面があった。
娘と息子がいて、ジュリア・ロバーツは新しい母親で、スーザン・サランドンは前の母親という立場。

ジュリア・ロバーツが、スーザン・サランドンに初めて会って挨拶をしたら、スーザン・サランドンは"Do I know you?"と言った。
私はあなたを知っているか?…自分のことを質問する文章だ。

ぼくは、長いことカタチの上では Do I …? という文章はあるだろうが、実際に使うことはないような気がしていた。
でも、その映画を見て、なるほど…とわかった。

あなたはだれ?と聞く代わりに、私はあなたをしっている?と聞くのは、丁寧なきき方だと思う。
Who are you?よりも柔らかい。

Do I know you?というひと言は、そのシーンとともに忘れられない。

そのシーンのすぐ後に、またジュリア・ロバーツの印象的なセリフがあった。

実は、前の母親は病気で余命があまりなかったのだ。それを知ったジュリア・ロバーツは、"Are you dying?"という。「あなた死ぬの?」というような字幕だったと思う。

「死ぬ」という動詞に進行形があるという意識はなかったが、そんなふうに使うのか…と思った。
その後、時々ERという救急救命室のテレビ番組を見ていても、出てくる。おそらく、"Am I dying?"というのもアリだと思う。「私は死ぬのですか?」という時に使うだろう。

"dying"は、死の過程にあるという意味になるのかな…。

"die"に現在進行形があるというのは、何となくおかしい。

でも、死にも始まりと終わりがあるんだろう。終わりはもちろん死だが、病気などで本人が死を意識したら、死の過程が始まるという感覚かもしれない。

"Do I know you?"や"Are you dying?"という英語はそれだけ出てきたら、不思議な英語だが、ドラマの中で出てくるとよくわかる。



| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
トム・ソーヤ効果
マーク・トゥエインが書いた、トム・ソーヤの冒険という物語がある。

この中の話で、トムがやりたくもないペンキ塗りをやらされる、という話があった。
長い塀にペンキを塗るのだ。つまらない仕事だ。

一計を案じたトムが、ペンキ塗りの仕事を、さも興味深そうにやっていると、見ていた友達がぼくにもやらせてほしい…と次々に頼んできて、結局トムは友達にペンキ塗りをやらせたという話だった。

ペンキ塗り…面白くない仕事である。
面白くないなあと思いながらやると、時間がかかって、やっぱり面白くなかっただろう。

ところが、塗った塀をじっと見つめて、塗り方を工夫して、どうやったらうまく塗れるのか…と考えているように塗っていると、見ている友達が、ぼくにもやらせてほしい…と言う。
「いや、これは、案外難しいんだ」などと言うと、見ている友達はよけいにやりたくなる。
そして、やらせてもらった友達は、楽しくペンキ塗りをすることになる。
「こうやったら、きれいに塗れる」という自慢などするのだろう。

これは、仕事というものをよく表していると思う。

その仕事の面白みを意識すると、その仕事は面白くなる。
それが、ある人にとっては、つまらない仕事であったとしても、面白くなる。
その仕事に対する問題意識がどれだけあるかで、面白さは変わるのだ。

ということになると、問題意識をたくさん持てば、楽しくできる仕事が増えるということか。

問題意識をたくさん持つためには…いろんなことをよく考えることかな?

そのために必要なのが、一昨日書いた、中間言語ではないか、と思っている。

トム・ソーヤと問題意識と中間言語、この3つの組み合わせは面白い。

ここで、問題意識とは何のことか…わかります?
どういうことなのかな…何かに対して、ひっかかる感じということなのだが…。

この言葉は、会社に入ってから覚えた言葉だと思うが、いつも頼りになるWikipediaにも出ていなかった。

これはこれで、考えなければならない。

今日はもう寝よう。



| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
中間言語
ずっと、気になっていた言葉がある。
「中間言語」という言葉だ。

亡くなった山本七平がどこかに書いていたのだが、すごく面白かったということと、その言葉だけがやけに頭に残っていて、ここ数年ひっかかったまま過ごしていた。

今日の昼、ある人と話していて、「中間言語」の話になり、どうしてももう一度読みたくなって本を探し回った。
たしか、通勤電車の中で読んだから、文庫本であることは間違いない。
本棚をひっくり返して、手当たり次第にパラパラとめくっていたら見つかった。

「あたりまえ」の研究 という本。
短い評論集だが、その中の「小説の効用」というところに出ている。

どういうワケか、「ロシアのコカコーラ」というフレーズが「中間言語」とセットになって記憶されていたのだが、これはマチガイだった。
中に、ソビエト、モスクワオリンピック、ソルジェニーツィンという言葉は出てくるのだが、「ロシアのコカコーラ」は出てこなかった。
何でその二つがセットになったのかは、わからない。

何で「中間言語」という言葉が話題になったかというと、本を読まないとどうなるのか?ということを話していたからだ。

この山本七平の論評は短い作品だが、すごく奥が深いものだと思う。

中間言語について書いてある部分を、抜粋します。わかりにくいかな…。


 われわれの言葉には対外言語と対内言語がある。外部に向かって何かを話すのも言葉なら、自らの内で考え、自己と討議し、自己の考えを検証して一つの結論を出すのも言葉である。では小説を読むのはどちらに入るのか。その言葉は自分の外の活字から出て来るという意味では、外部にある言葉であって自己の内部にある言葉ではない。しかしそれを読むことは、自己の考えを外部に向かって発表することではないから、対外言語ではない。しかし、その作品に何らかの感慨を抱き、感想を持つことは、たとえ口にしなくても外部のものへの言葉だから、対内言語ともいえない。小説が応答してくれるなら、それに向かっていいたい言葉は、多くの人にあるであろう。いわば、自己の世界が外部の内面的世界と直接に接触しているわけである。すばらしい小説の中に没頭してしまうというが、それは読者がそう感ずるのであって、小説の方がその人の世界に入り込んできて、その人の世界を完全に占拠しているのがその状態である。そのときには小説はその人の対内言語になっている。私はこれを一種の中間言語と考えているわけである。そして人間は、これによって、自分の世界と他の世界との間を往復でき、いわば夢からさめたように、小説の世界から自己の世界に戻ってくるわけである。
 そしてそれによって人は、自分と違う世界がこの世の中にあることを知り、それを知ってはじめて自己の世界を再把握でき、サルにも電算機にもならずにすむ。われわれが他の外面的・内面的世界を知る手段は、ごく最近まで専ら小説だった。それが自国の歴史的過去であれ、他国のある時代であれ、また双方の現代であれ、多くの人は小説でそれを知った。と同時にすばらしい小説は、ある時代を、あらゆる記憶にもまして鮮明に見せてくれた……


中間言語がなければ、自分の経験し得た範囲内のものしか、自分の中に想像することができないというのが、ぼくの理解だった。
結局はそういうことなんだと思う。

そして、それはすごく大事なことであり、テレビやマンガでは得られないものだ。

このことは、もう少し考えてみたいと思っている。



| | 考えたこと | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
縁の下の力持ち
以前、図面の管理の仕事をしていた。

図面というのは、設計部署にとっては構成材料と並んで重要なものだ。
設計のコアと言っていい。

図面を作る仕事は、モノのカタチを決めるのだから、すごく大事な仕事である。
カタチを決めるために打ち合わせをし、いろんな部署と調整をして、何人もの承認を経て完成する。
今までの経験から、こうでなければならないというルールもあるし、ここのカタチはなぜこうなのかという思想も必要になるのだ。
この仕事はすごく大事だ。間違えると、それを使ってモノを作るところで問題が起きる。
だからこそ、時間をかけてギリギリまでチェックをする。
この部分は責任も大きいし、その分だけ注目も高い…ヘンな言い方だが、陽のあたる仕事である。

完成してしまうと、あとはそれを使うところに送るという仕事になる。
これを出図という。

出図は地味な仕事である。
その図面を使ってモノを作るところや、価格を見積もるところ、そのモノを取り付けるところなどに図面を送るという仕事である。

たいがい、ギリギリまで設計で検討するから、出図の時間に余裕があることは少ない。
一日、半日、1時間でも早く出さなければならない。
決められた手順にしたがい、決められた量の図面のセットを複数揃え、それを発送する。
もちろん、データーで送るところもあるが、紙でなければ送れないところもある。

時間通りに出して、時間通り着ける。
ただ、それだけである。

うまくいって当たり前。何かでトラブルがあって遅れると、怒られる。
それがどんな理由であれ、時間通りに着くようにしないといけない。
もともとシンプルな仕事だから、やってることは簡単だし、普通にやっていればちゃんとできると思われるのだ。

実際には、日によって図面の数は変わるし、急いでいるから、いつもとは違うような手順でやらないといけないことも発生する。
承認すべき人が出張でいなくて、本当に出図がギリギリになるとか、図面の番号を間違えて取っているとか、一部分だけは古い図面を兼用するとか…いろいろな問題が起こる。
それでも、何があっても予定通りに出図はしないといけないのだ。

設計変更で図面が遅れるのは仕方ないが、出図で遅らすようなことはできない。
うまくやっても、ほめられることはないが、失敗すると大目玉である。

どんなにうまくやっても、それは当たり前なのだ。
本当に縁の下の力持ちという仕事である。

たとえ何かあっても、何事もなかったように、淡々とこなす。
陽があたろうと、あたるまいと、そんなことは関係ない。
だれでもできる仕事だろうと思われようが、気にとめない。

その仕事の存在を忘れられるくらい、当たり前にできて、それが一番いい状態なのだ。

やっている人に、思いがなければいけない。

何年かかかって、その仕事のやり方を変えたのだが、それも何事もなかったように変わった。

そんな仕事に関われて、よかったと思っている。




| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
セミの声
今年は暑すぎるせいか、ツクツク法師のなく声がまだ聞こえない。
あの声を聞くと、ぼちぼち夏休みも終わり…と思ったものだ。

最近はアブラゼミの声ばかり聞こえる。

小学生のころは、ニイニイゼミという小さいセミもいて、夏の初めに鳴いていた。

少し大きめのクマゼミは、以前はあまり見なかったが、最近は増えたような気がする。

そういえば、ミンミンゼミというのもいたと思うが、今もいるのかな…。
あまり声を聞かないような気がする。

山に登ると、ヒグラシの声が涼しげだ。
カナカナカナ…と消えゆくように鳴く。

だいたい、小さな生き物ほど寿命は短いのが通例だが、アブラゼミは長生きだ。
地中で7年過ごすという。
地上に出てきてから、1週間ほどで死んでしまうというが、それでも生命としては7年と1週間である。
他の昆虫がどの程度長生きするのかわからないが、7年と1週間は長いのではないか。

ぼくら人間は、地上に出てきて、1週間で死んでしまうということをかわいそうだというニュアンスで捉えるが、だれもセミに聞いてみたわけではないので、地上がよいと思っているのかどうかはわからない。
実は地中の7年間はすごく楽しい時間かもしれない。

最後の1週間は、自分の命を残すために仕方なく、羽化して地上に出てきているだけかもしれないのだ。

セミは昼間に鳴く。夜はあまり聞かない。
夏の暑いさかりに、あんなに小さな身体で、どこから音が出るのか…というくらいの声で鳴く。
発音体がどうなっているのかわからないが、せいぜいウォークマンのヘッドフォン2個くらいの大きさだろう。
それで、あれだけの音がでるのだから、研究すればすごく高能率のスピーカーができるかもしれない。
暑さを感じさせる声だ。

夏…暑い…セミの声…。

秋は夜長にコオロギやスズムシが鳴くのとは対照的である。

夏は昼、秋は夜…季節をあらわす時間に鳴くのかな。

でも、もうぼちぼちツクツク法師が鳴く季節だ。
あの声を聞くと、ぼちぼち夏が終わると思える。

暑すぎて、ツクツク法師もでてくるのを渋っているのかもしれない。

8月も下旬となった。

子供らには悪いが、9月が待ち遠しい…。




| | 考えたこと | 00:22 | comments(2) | trackbacks(0) |
3年目
2005年の8月からギターのレッスンを始めて、まる2年経った。

最初にやった曲はMisty。譜面を全部起こしてもらって、すごく練習した。
それから、Over the Rainbawをやって、後は音楽CDを持っていって弾き方を教えてもらったり、コードの理論や表のコードに対する裏コードを教えてもらったり、練習曲を作ってもらったり…先生にはお世話になった。

3年目に入って、うまくなったかというと…少しはなったと思う。

コードの種類が増えたし、響きもわかるようになった。
今まで知らなかったコードのポジションがわかったし、スケール練習の意味もわかった。

それでも、道は遠い。

ただ、上達曲線が平たくなったところを、十何年歩いていたが、少し坂を上り始めたのは事実。
どこかで、グッと上向きになるはず。もちろん、練習をちゃんとすればの話だが。

でも、先生は本当にすごい。

指の延長線上にギターの指板があるように、曲に合わせて指が動く。
少しは見ていてわかるようになったが、最初は何をやっているのか、全くわからなかった。
どんなコードを弾いているのかすら、わからない。

ぼくが同じ曲を弾くと、手がたくさん動く。
先生が弾くと、動きが少ない。

ぼくは覚えているコードを弾いているのだが、先生は音をつなげていく。
コードが変わる時に、その和音の変化を一番よく表している音をつないでいくという感じだ。
ソシレの和音から、ドミソの和音に変わる時、一番その変化を感じさせるのは、シ〜ドという音の変化だということを意識して弾いている。
コードが変わる意味を見ているようだ。

来月で3年目に入る。

まだまだ、続けようと思う。

先生に感謝。





| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
プール その2
結局3日間続けてプールに行った。

午前中に泳ぐと、一日スッキリして気持ちがいいということがわかった。
一日が長くなる。
1000メートルは当分無理そうなので、600メートルを日課にした。

3日目の今日は、初日よりは楽に泳げるようになった。
200メートルを3回。
それでも、充分休憩しないと、息が苦しくなる。
休憩中は、水の中を歩くことにした。

それでも、普段の生活の中で、いかに腕を回していないかということがよくわかった。
とにかく、腕のつけ根の筋肉が、前も後ろも痛い。
腕の筋肉も痛いのだが、腕のつけ根の方がひどい。
泳ぐことで、こんなに腕を使うのかと思った。

帰ってから、毎日筋肉疲労のクスリを塗って、マッサージしているが、たった600メートルを泳ぐだけでこんなに痛いのか…という感じである。
普段からの運動不足のなせる業といえば、それまでなのだが…。

しかし、よく考えてみたら、普段の生活で腕を回すという行為はあまりないのではないか。
モノを投げたりすると腕が回るが、普通に事務仕事をしていると、手を肩よりも上に上げることがあまりないのだろう。
それが肩こりの元凶かもしれない。

だから、泳いだら、肩こりはマシになった。

思い切って、6枚綴りの回数券を買ったので、あと4回分残っている。

がんばって毎週土日に通うことにする。


| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sotte Bosse
Sotte Bosse…ソット・ボッセと読む。
イタリア語でヒソヒソ話の意味らしい。

最近見つけた、面白い雑貨屋の店内でかかっていた。
キーボードと女声ボーカルの2人のユニット。

聞いたことがある曲だが…、誰の曲だったかな?と思いながら聞いていたら、サビのところにきて、ようやくドリカムの曲だとわかった。
ボサノバ風にアレンジしているので、わからなかったが、歌詞がすっと頭に入ってくる。きれいな声。
レジのところに、今かけているCDを展示してあるので、それをみて買ってしまった。
Essence of Lifeというアルバムタイトル。

もともと、ジャズのグループのメンバーらしいが、Sotte Bosseの名前でカバーばかりのCDを出している。

Everything、真夏の果実、未来予想図2、ガラス越しに消えた夏など。

最近の音楽は、音でスキマを埋めつくすように作っている…らしいが、このCDは音の数も少ないし、スキマが多くて、聞いていて気持ちがいい。
緊張感が低いのかな?

サンバあり、ボサノバありで、リズムのバリエーションも多い。

この夏は、Sotte Bosseでいこう。


| | 音楽 | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
プール
だんだん身体が重くなってきたので、今日は一念発起して泳ぐことにした。

近くに市の健康増進施設があって、そこにプールがあるので、朝から自転車で行ってみた。
25メートルプールで、4レーンのうち1レーンは長距離を泳ぐ人が使える。(2レーンはウォーキング用だ)
ほとんどがお年寄りで、そのせいか、水温が34度で、けっこう暖かい。
もうちょっと冷たくても…という感じだが、仕方ない。
800円でプールが利用できる。
回数券を買うと、1回あたり666円になる。

三十代のころ、スポーツクラブに入って、毎週泳いでいた。
40分ほどかけて、1000メートル泳ぐ。
200メートルを5回、休みながら繰り返す。

さすがにもうそれはできないだろうな…と思いながら、泳ぎ始めた。
最初は調子よく泳いでいたが、100メートルを過ぎて、150メートルあたりでもう限界にきた。
腕は上がらないし、息は切れるし…200メートルで休憩。
以前はプールの中で少し休んで、すぐ次の200メートルに行けたのだが、さすがにムリだ。
外に出て、ベンチに座って、たっぷり20分ほど休む。

プールに戻って、100メートルを4回。途中で疲れると、ウォーキングのコースで歩いた。600メートルでギブアップした。

やっと最後の100メートルあたりで、何となく昔泳いでいた感じが戻ってきた。
息つぎのタイミング、手の入れ方、習ったことはないが、何となくスムースになった。
それでも、ムダな力が入っているんだろう…腕が痛いのでこれ以上はやめておこうと思う。
プールから上がると、すごく身体が重く感じた。

やっぱり、三十代とは違う。現実を見ないといけない。

水の中はいい。
水しぶきの音、息を吐く音、地に足が着いていない浮き上がった状態…日常とは違う世界だ。

帰りの自転車で、腕の付け根が痛かったが、気持ちよかった。

明日も泳ぎに行く。

いつか、もう一度、40分で1000メートル泳ぎたい。


| | 考えたこと | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロネコヤマト
宅急便という言葉を初めて聞いたのは、昭和54年の12月。
何でハッキリ覚えているかというと、その時期に北海道の釧路で仕事をしていて、そこで聞いたからだ。

北海道は広い。
釧路は都会だが、商売は根室や網走などをカバーしないといけない。
当時、営業所間のモノの物流に宅急便が使われていた。
ある営業所で足りないモノを、別の営業所から送ってもらうという事だったと思う。
いちいちメーカーの物流センターに伝票を立て、モノを送ってもらうよりも、隣の営業所から融通した方が早い…ということだ。
なぜ、その方が早いのか…宅急便が翌日には配達するからである。

親切なドライバーさんが集配に来て、引き取っていったので、ヤマト運輸だったと思う。
「宅配さん」みたいな呼び名だった。

昭和51年に始まった宅急便は、昭和54年末には、釧路で当たり前に使われていたのだろう。

それまでは、大口の荷物をまとめて集荷し、まとめて運ぶというのが大手の運輸業界の当たり前の仕事だったのに、それを根本から変えたのが、クロネコヤマトの宅急便だ。それを、日本全国翌日には届けます、と言って実行したのがすごい。

宅急便開設当時は個人の家庭からのモノを送るのがメインだった。
インターネットの通販がこれだけ増えてくると、さらに個人あての配送事業は伸びるだろう。
もしも郵便小包しかなければ、今ほどインターネットの通販も普及しなかったと思う。

今はメール便もある。
切手を貼っていない郵便である。

運輸省の規制と戦い、郵政省とも戦った一企業がヤマト運輸。

遅ればせながら、日通や佐川も同じようなことをやり始めたが、クロネコは強い。
ペリカンよりも、ゆうパックよりも、クロネコである。

近所に集配所があるが、最近は自転車の後ろにリヤカーをつけて、近いところは人力で配達している。
エコロジーだ。この暑いのに、エライと思う。
若い従業員が、制服で忙しそうにしているのをいつも見て通る。

ヤマト運輸は同業者や民営化した郵便局に追いかけられているが、当分追いつかれることはないと思う。
それはシステムや規模、先行者の利益というような問題ではない。
「人」が違うのだ。
亡くなった小倉会長の志は簡単には消えないと思う。

郵便局など、100年たってもヤマトには勝てないだろう。

規模や人数ではない。
働いている人の気持ちなのだ。

エライ会社だと思う。


| | 考えたこと | 22:06 | comments(2) | trackbacks(0) |
猛暑対策
暑い。あつい。アツイ…。

とにかく、暑い。
これはもう熱帯ではないか。
熱帯にはスコールがあるが、日本にはそれもない。

夜になっても暑い。
外に出ても、風もなく、地表にねっとりした暑い空気が漂っているようだ。

昼間直射日光に当たると、ホントに赤外線と紫外線を浴びているという感じがする。
昔と日光のきつさが違う。刺すような太陽光線だ。

小学校のころ、夏休みというと外の公園で遊んだものだ。
昼ご飯を食べると、すぐに外に出ていって、友達と野球をしたり、ボール遊びをしたりしていた。
野球帽はかぶっていたが、今なら熱中症になっているだろう。
子供も外では遊べない。
イオン飲料を飲み続けないと、外で走り回ることなどできないだろう。

何となく、太陽が大きくなっていないか…。
急に膨張が起こっているのではないだろうか。そんなことも考えてしまう。

Wikipediaで地球温暖化を調べると、いろいろなことが出ていた。
二酸化炭素よりも水蒸気の影響が大きいとか、温暖化には月を含む天体の影響があるとか…なかなか一筋縄ではいかないようだ。
要は、人間にはまだ温暖化の原因もわかっていないということなのか。

でも、都市部のヒートアイランド現象は明らかだろう。
熱量は保存されるから、室内を冷やせば、室外が暑くなる。当然のリクツである。

暑くなるから、もっと冷やそうとする。
もっと冷やそうとするから、もっと暑くなる。
もっと暑くなるから…これぞ、悪循環というやつだ。

前にも書いたような気がするが、熱の保存器があればいいのだ。
ドラえもんがいれば、一番に頼まないといけない。

エアコンに取り付けて、夏の間の廃熱を貯めて、それを冬に暖房で使う。
簡単である。
冬に暖房で使った冷気を貯めて、次の夏に冷房に使う。
我ながら、いいアイデアだと思う。

国を挙げてのプロジェクトにするべきだと思う。

ムダに税金を使わず、少しはそちらに回してほしい。



| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
真夏の自己防衛
クールビズになって、冷房の温度が上がった。
今の事務所は冷房の設備も古く、もともと暑いので、あまり関係はないのだが…、とにかく暑い。
予算的に、とても冷房の能力を上げてもらうことはできない。

そうなると、いろいろと策が必要になる。
クーラーのパワーが絶対的に不足しているのはマチガイない。
そのために、壁に付いているクーラーの近くの人は寒いし、遠くの人は暑いという状態になっている。
おまけに、ぼくは一番遠くにいる。

とりあえず、電気屋さんに連絡して、何かいい方法はないか?と聞いたが、すでにいろいろとトライしたがダメだったとのこと。こうなると、自分たちで考えるしかない。

まず、冷房の吹き出し口に、通販で売っていた冷風を遠くまで届かせるという羽根をつけて、できるだけ冷風を遠くまで飛ばすようにした。
ひ弱な羽根だが、両面テープでクーラーの吹き出し口の下に2枚付けて、風を上に向けるようにする。
「気のせいか、少し涼しい…」という程度。
これだけではダメだ。

羽根ではまだまだ弱い。クーラーの吹き出し口がちょうどパーティションの柱の後ろになっているので、柱にサーキュレーター(空気を攪拌する扇風機みたいなもの)を取り付けた。
針金でパーティションの細い柱にくくりつけると、ちょうどよい位置になる。こころもち、上に向けて取り付ける。
スイッチを入れると、ブーンという音ともにファンが回りだした。
見ると、ぼくの後の壁に貼ってある書類が揺れている。

クーラーの風がようやく部屋の奥のぼくのところまで届くようになった。
吹き出し口の近くの人も、風が直接当たらなくなったという。
大幅な改善だ。

それでも、暑い時は暑い。
クールビスならぬ、クールグッズを探した。

一つめは、汗をかいた時に使う、ウェットティッシュみたいなやつ。
暑い時にこれをつかうと、ヒヤッとする。よくできているのだ。子供に教えてもらったのだが…。

もう一つは、携帯扇風機。
ボールペンの反対側がファンになっているヤツ。
回ると、ファンについている発光ダイオードが光って、カラーの模様が出るのだ。
これはいい。実際、暑い時に首筋や顔に当てると、少しマシになる。
光るのを見ているだけでも楽しい。

今考慮中なのが、「どこでもアイスノン」。
こないだ墓参りの時に、姪が使っていた。
暑い時に、ハンカチやタオルにスプレーすると、ミストがシャーベットになって冷たくなる。
それを首筋などに当てるとよい。
熱中症対策のスプレーだ。直接肌にスプレーすると、凍傷になるというくらい強力らしい。
これは一度試してみようかな…と思っている。

もう一つ、最後の手を考えてある。
ベランダに置いてある室外機に、水をかけるという手だ。
まだやっていないが、おそらくかなり冷房効率が上がると思う。
一度やってみるつもり…。
ただ、問題はベランダに出る時に窓を開けて、熱風が室内に入るということと、バケツに水を入れて事務所を横切るという事だが、大きなペットボトルで代用できるかな…と思っている。
うまくいったら、庭の植木用のホースみたいなのを引っぱってもいいか…。

いろいろとやってみると、何とかなるものだ。
暑さとの戦いである。

それにしても、ここ数日の猛暑はスゴイ。
昼間は外に出ていられない。

本当に、日本の都市部の夏は熱帯になった。

自己防衛するしかない。




| | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
実験室
会社に入って最初の仕事が実験だった。

配属された時は驚いた。そんな部署に行くとは思っていなかったからだ。
高校の化学や生物の時間に実験をして以来、実験などしたことがなかったし、一体何をするんだろう…という感じだった。

配属後は、実験室と事務所を行ったり来たりする毎日になった。

内容にもよるが、実験室というのはたいがいアブナイところだ。
ぼくのいた実験室はかなり大がかりなもので、回転するドラムがあった。
もちろん、回転中に巻き込まれたりしたら、即死である。
ドラムに突起物をつけたりするのだが、それが外れて飛んだりしても、危険である。
だから、ドラムを回している時には、扉を閉めて、外から人が入れないようにしていた。
計測室の窓は厚みが1センチくらいあるもので、少々のことでは割れたりしないものだった。

それでも、実験中に回っているドラムのそばをウロウロしたり、今から思うとアブナイこともしていたなあ。

だから、実験室はきれいにしておかないといけない。
ぼくは整理が下手だ。机の上はきたないし、引き出しの中はあまり整頓されていない。ファイリングも上手ではない。
そんなぼくが管理していたのだから、テストするサンプルがあふれてしまったり、山積みになっていて、お世辞にもきれいとは言えない時もあった。
それでも、きれいにしておかなければいけないという気持ちは強くて、歴代の担当者の中でも、実験室をきれいに使っていた方だと思う。

毎週月曜日の朝は掃除から始まる。
ほうきで掃き掃除をして、モップでふき掃除をして、実験器具をちゃんと整理して、所定の位置に並べる。
毎週ちゃんとやっていると、そうしないと気が済まなくなるのだ。

実験で使うホース類は、ちゃんと巻き取ってきれいに置かないと気持ちが悪かったり、計測室の器具にほこりがかぶっていたら、雑巾で拭かないと気持ちが悪くなったりする。

外部からの見学が来る時には、朝から掃除をした。
いつもよりも、丁寧にやるのだ。

最初は、報告用のデーターを取るための実験だけだったが、何年かそこで過ごすと、開発のための実験をするようになる。
「こうなるハズ」とか、「このサンプルはこういう結果にならないといけない」とか、そういう思いで実験にのぞむ。

仕事自体は単純なものだが、そういう思いがあると、結果が出るまでの計測室での待ち時間など、心地よい緊張がでてくる。

実験前に立てた仮説があたる時もあれば、外れる時もあった。

「そんなはずはない」と、再測定をやったり、条件を変更してやってみたり…思い出すとなつかしい。

就業時間など関係がなくなる。
前にも書いたが、当時の計測器はアナログだったから、一連のテストはその日のうちにやらないと、精度が悪化するので、その日のうちにやらないといけないのだ。
5時、6時、7時…夜中までやったこともあった。

思い通りの結果が出ると、いくら残業しても事務所に戻る足取りが軽い。
そんな日はめったになかったが…。

実験室では、いろんなことを教わった。
測定器の使い方、掃除をすること、仮説を立てること、要領よく仕事すること…。

メーカーでは、設計が技術の中心にいて、実験はその外側にいる。
でも、実験というところは、製品を評価するという、ユーザーに一番近いところにいる。(開発のためだけの実験というものもあるが…)
会社の外側と内側の架け橋になるところだ。
実験室はユーザーとメーカーをつなぐ、大切なところだと今でも思っている。

同期の人たちが早々と帰る中、残業が多くてボヤキもしたが、そんな大事な仕事だと、エライ先輩たちに教えてもらった。

やりがいは、仕事自身の中にあるのではない。やる人の思いに、やりがいが出てくるのだろう。

実験室というのは、そんなことをぼくに教えてくれた場所だった。
今でも、どこかの見学で、「実験室」という言葉を聞くと、なつかしいと同時に、そこで働く人たちに親近感を覚える。

最初に働いた場所は、誰にとっても印象に残るところだと思うが、ぼくは実験室という場所で過ごせて、よかったと思う。




| | 考えたこと | 02:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
墓参り2007
今年もお盆がやって来て、父の墓参りに行ってきた。

2005年の夏にも墓参りのことを書いた。
墓参りの効能として、「自分の時間にはかぎりがある、ということを意識する」とあった。

書いている本人は同じだが、自分で書いたことを忘れているので、読みなおしてなるほど…と思う。
読んで納得した。
2年経っても変わっていない。

今日は、墓参りをして、いつかはぼくも墓に入るのか…と思った。
墓石の下に入るのだ。
もちろん、その時には骨になっているのだが。

骨になるまでには、死んで焼かれないといけない。
死ぬのは大変だろう。
人生のイベントの最後の一つ。

長いこと生きてきて、大概のことは経験するのだが、どうしても経験できないことであり、人に聞くこともできないのが、死ぬことである。

それに比べたら、まだしも墓に入るのは楽だろう。
もう死んでいるのだから…。

人間は時間というものを発明して、過去と未来を作った。
実際には「今」しかないのに、死んだあとのことまで考える事ができるようになってしまった。

いつになるのかはわからないが、確実にそのときが来る。
なるほど、「自分の時間にはかぎりがある」。

2年経っても、結局は同じだ。

今日は実家で夕食を食べて帰る。

これはもう一つの墓参りの効用だ。


| | 考えたこと | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
鳥取
鳥取に行ってきた。

二十数年前に、鳥取出身の会社の先輩と一緒に、みんなでカニを食べに行ったことがある。
あの時は、夕方に民宿に着いて、たらふくカニを食べ、雑魚寝して次の日の朝に帰った…というスケジュールだったので、鳥取に行ったといっても、鳥取の駅のそばをウロウロしただけだった。

今回は砂丘を見てきた。
猛暑だったので、エライ日焼けをしたが、きれいな砂の丘だった。
砂漠を見たことはないが、こんな感じなのかな…と想像できる。
とにかく、日を遮るものがない。厳しい自然だ。水の豊かな日本のありがたさがわかる。
砂漠に育った人たちと、自然に対する考え方が全く違ってくるのは当然だと思える。

近くに鳥取大学の研究施設があって、世界の砂の展示があり、星砂が本当に星の形をしているのが見られたり、アラブの砂漠の赤い砂が見られたり、なかなか面白かった。

砂丘でラッキョウが育つのも初めて知った。鳥取の特産品だったとは…。

最近は他の梨を食べることが多いが、小さいころは二十世紀梨を冷やして風呂上がりに食べるのが楽しみだった。
水分が多くて、あのシャリシャリした食感が好きだ。
二十世紀梨も鳥取が産地だ。

しかし、何といっても、あの日本海の海と空の青さが印象に残っている。
海も空も青かった。
瀬戸内海とは違う青さだ。
コバルトブルーという色。
海が青いのは、空が映っているから…ということがよくわかる。

夜は露天風呂に入って、のんびりした。

温泉はいい。

生ぬるい夜風だったが、お湯につかってボーッとしていると本当にのんびりできる。

今度はもっと涼しい時に来よう。

暑かったが、いい休みだった。



| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
8月8日
もう8月に入って、8日になる。
今はやっていないが、昔は8月8日というとハチハチロックデーというイベントがあった。

学生時代、深夜放送を聞いていたら、必ずその宣伝があった。
けっこう盛大にやっていたのではないか。

ヤマハのページに、ハチハチロックデーの歴史があった。
http://lmc.yamaha.co.jp/archive/rockday/74/index.html#main

1974年から1982年まで、9回にわたって開かれ、2003年にもう一度やったようだ。
開催地はびわ湖バレイ、万博公園、合歓の郷、万博ホール…いろんなところでやっている。

このころは、ロックという言葉が市民権を得て、若者(ぼくもその一人だった…)がそれに熱中していた時期だ。

ちょうど、受験勉強をしていたころに、このイベントが始まったのか。
そのせいで、深夜放送の宣伝が耳に残っている。

「8月8日はハチハチロックデー」という、そのままのコピーだった。
行ったことはなかったが、関西での開催であり、当時楽器屋に行ったりすると、ポスターが貼ってあった。
今ぼくがもっているSG-1000というヤマハのギターが出てきたころだ。
アマチュアがオーディションを受けて、決勝に残ると、このイベントに出ることができたのだ。

上田正樹とSouth to Southというバンド、一度大学祭で聞いたことがあるが、第1回に出ていた。
とにかく、大音量でガンガンやる…という感じだったなあ。

当時の夏は今ほど暑くなかったから、野外でやれた。
今なら脱水症状と熱中症で倒れる人が続出するだろう。

ハチハチロックデーが始まる前の年にユーミンが「ひこうき雲」を出している。

それまでは大音量でエレキギターをかき鳴らすというイメージだったのが、この頃から少しずつ変わり始める。
どちらかというと、洋楽を意識して、アメリカやイギリスで今何が流行っているか…ということを横目で見ながら音楽をやっていたのが、だんだんと自分がやりたい音楽をやるという位置に変わってきた時期だ。

第2回が開かれた年に、「あの日にかえりたい」が大ヒットした。

素人のバンドのコンテスト形式であり、関西らしいイベントだったと思う。

ぼくが深夜放送で、ハチハチロックデーの宣伝を聞いていたころから30年以上経つ。

毎年、8月8日が来ると、「ハチハチロックデーの日」だと思い出す。
もうあれから30年以上経つのか。

はやいなあ…。




| | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
過ぎ去った時間
今日は次男の誕生日だった。
子供は加速度的に大きくなっていく。
それは、自分が加速度的に年をとっているということだろう。

幼稚園に行くまでは長かった。一番大変な時期だ。
それから、小学校の3年くらいまで、やや長いかな。
小学校の高学年からあっという間に中学も半分過ぎた。
本人にとってはすごく長い時間だろうが、親にとっては後半は早い。

十年ちょっとの時間が過ぎ去ってしまった。
過ぎ去れば、あっという間…よく聞く言葉だが、本当にそう思う。

いろいろな人生のイベントを経て、時計を回して、カレンダーをめくっていく。
いいこともあったし、悪いこともあった。

過ぎ去れば、みんないいことになっていく…と思える人は、いい時間を過ごしてきた人だろう。

今を肯定できれば、それは過去という無限の中からの選択の結果なのだから、たとえその時に悪いと思ったことでも、いいことになっていく。
そう思うと、「今」がどうか…ということだ。

でも、たとえ、今はちょっとなぁ…と思っていたとしても、未来が過去を決めるのだから、時間が経てばどうなるかはわからない。

時間がどこまで続くのかというと、死ぬまでだ。

死ぬ時に、その「今」をどう思えるかが、過ぎ去った時間を決める。

常に、無限の選択の中から、決めるのは自分だ。

どれだけ、自分で考えて選択ができたか…それが未来を決めていく。

人間はややこしい。


| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
刷り込み
仕事帰りの飲み会などで時々話題になることがある。

鳥類の刷り込み現象のことだ。
鳥は生まれて始めてみたものを親だと思うように刷り込まれている…という話。

もちろん、本当の鳥の事を言っているのではない。
会社に入って、最初の上司の影響が大きい…ということを言っているのだ。
これは、誰しも「そうやなあ…」とうなずく。

社会人になって最初の部署の上司というのは、その後のその人の会社人生に与える影響が大きいと思う。
会社に入りたてで、何もわからないから、上司の言うことはゼッタイだと思ってきいてしまうからなのか…。
たしかに、最初の上司の言うことは「天の声」に近いものがあるだろう。
年も離れているし、エライ人だと思っているし…。

ぼくの場合はDさんだった。
Dさんは、最終的には専務までいった人で、尊敬できる人だった。(もちろん、いろんな意見はある)
自分たちが作るものに対して、「こうあるべき」という思いをもった技術者だった思う。

「世が世なら、M社に入っていた」とか、ブランド品(スーツ、ネクタイ、ライターなど)を身につけているのを自慢したりしても憎めない人だった。(もちろん、M社は世界的に有名な会社である)

外国人ともブロークンな英語で堂々と話し、英語の文献を配って課員に訳させるという宿題を出した。
やらなかったら、5000円を払えば、よろこんで許してくれた。
お前らがサボった金で、宴会できる…と言って宴会をした。

役員になっても、シコシコとデスクで資料を作ったりしていた。
後で困るのだ…。お客さんから「こんな話を聞いてますが…」と言われて、初めてDさんがプレゼンしていたことがわかったりする。知らぬともいえず、「あ、それはですね…」と言いわけしながら、「あの時コピーしたり切り貼りしていたのは、これやったんか…」と思う。帰って、その話をしても、「あれな、ゆうといたワ」で済んでしまう。

まだワープロがない頃、他部署の人が書いた手書きのレポートが回ってきた時に、電話でその人を呼びつけ、「キミなあ、麻雀ばっかりしとったんやろ。日本語がなっとらん。これはやな…」ここでハサミが出てきて、レポートを切り始めたこともあった。
書いた本人が「え…」と言っている間に、「これを先に書いて、そのあとこっちをもってくんネン」と言いながら、切ったレポートの切れはしの順番を指示する…そんな上司だった。

自称ダンディー。
会社を去る時の記念講演で、自分たちの製品は「こうあるべき」と思ってやってきたし、それは変わらないはずだから、その道を進んでほしい…という話をした。
専務だから、経営の話もネタはあっただろうが、根っからの技術屋だったんだと思う。「モノ」の話で締めくくった。

そんなDさんが最初の上司だった。

ぼくは刷り込みの影響は大きいと思う。

そして、Dさんという上司にめぐりあって、良かったと思う。


| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
スキマスイッチ
スキマスイッチの「全力少年」は前に紹介した。

子供が買ってきたスキマスイッチのグレイテスト・ヒッツというCD、これはいい。

キーボードとギターの2人組。
小田和正が去年のクリスマスにやっていた、クリスマスの約束という番組にも出ていた。
解散もしていないのに、「グレイテスト・ヒッツ」というのはすごいアルバム名だと思うが、その名前をつけただけのことはある。

「奏(かなで)」は泣かせるバラード。

「ふれて未来を」は得意のストリングスとキーボード、アコギのリズムキープが気持ちいい曲。

「冬の口笛」はサビのファルセットが印象的だ。
カタチのないものはたしかに信じるのは難しい でも君がいればきっと木枯らしにも勝てんのさ…

「全力少年」は歌詞がいい。試されてまでも ここにいることを決めたのに 呪文のようにシカタナイとつぶやいてた…
カーステレオでかけると、思わず歌ってしまう。
この曲もストリングスがいい。いいアレンジだと思う。

「飲みに来ないか」はブラスが入って、気持ちがいい曲。

「ボクノート」は、ぼくの音という意味だろう。
詩を書くことと、好きな人への思いを重ねて書かれた曲。

「スフィアの羽根」歌詞を読まないと意味がわからないが、夏の甲子園高校野球のテーマになった曲らしいさわやかな曲。

「アカツキの詩」は明るい感じの失恋の曲。散々迷ってさ 君が選んだサボテンだってそう、簡単にダメにしてしまったなぁ…

「惑星タイマー」という曲は何ともいえないメロディ。どう形容したらいいのか…。いい曲だと思う。

この2人組、聞いていると曲の感じがビートルズみたいな感じがする。
シンプルに聞こえるけど、凝ったコード進行とストレートなボーカル。

歌詞が少し複雑な日本語だが、わかると共感できる。

ストリングスの使い方は、ちょっとモータウン風だが、これも気持ちのいい音だ。

オススメのアルバムです。



| | 音楽 | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
Koshien Ball Park
数年ぶりに甲子園のナイターを見に行った。
職場の仲間に誘ってもらって、夕方5時にライト側アルプススタンドの入り口に行く。

阪神甲子園の前の店がすごく華やかになっていた。
タイガースショップ アルプスもきれいな店になっている。

待ち合わせ場所で合流して、甲子園のダイエーに行く。
地下の食料品売り場はすごい儲けだろう。
お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、から揚げ、フランクフルト…ナイター観戦のお供が山積みになっているが、飛ぶように売れている。
何せ4万人が動いているのだ。
ナイター1回で数千万の売り上げだろうと思う。

球場の中に入って驚いたのは、若い女性が増えたこと。
スタンドが禁煙になり、トイレも少しきれいになったのかな…。
警備員も増えて、球場に入る前には手荷物検査もある。
缶ビールは持ち込み禁止になって、1本だけ買った分を紙コップに入れてもらう。
だから、空き缶が転がったりしていない。もちろん、投げることもできない。

十年前は、おっちゃんがもっと多かったと思う。
ときどき、面白いヤジを飛ばすおっちゃんがいて愛嬌だったが、今は組織だった応援で、ボーッと見ながらヤジを飛ばすヒマもない。

結果的に子供、女性が増えて、甲子園は野球場からボールパークになった。

試合開始前には、子供の投球をスピードガンで測定するイベントがあり、トラッキーとラッキーと一緒に踊るというイベントもある。

贔屓の選手のハッピやユニフォームを着ている人も昔とは比にならないくらい多い。

7回の攻撃時にジェット風船をあげるというのも名物になった。

スコアボードに中継が映るし、うぐいす嬢のアナウンスがDJ風のアナウンスになっていた。

甲子園のナイターは、阪神タイガースを応援するイベントである。

今日はヤクルト相手に11-3の大敗だったが、途中で帰る人は少ない。来たからには最後まで応援するのが参加者のつとめだ。
観戦に来ているのではない。イベントに参加しているのだ。

いいことだと思う。
観戦から参加へ。阪神球団がそうしたのではなく、ファンがそうなっていったのだろう。

試合には負けたが、感心して帰った。

願わくは、選手にはもうちょっと頑張ってほしかったが…。

行ったからには六甲おろしを3番まで歌いたかった。




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