考えたこと2

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市民マラソン
市民マラソンが大流行だ。
こないだの東京マラソンは、3万5千人が出場したらしい。

何でこんなに流行るんだろうと思ったら、経済効果がスゴイ。
なんと271億円の効果があるという。(ちなみに、大阪マラソンの2倍らしい。)
だから、いろんな都市がこぞってやるわけだ。
運営の費用で22億かかるが、それをはるかに上回る効果だ。

出場は3万5千人だが、観戦者は130万人にも達するらしい。
それだけの人が動くと、交通費、宿泊費、飲食費、土産物、マラソングッズなど、波及効果が大きいということだ。

東京と比べると、他の市民マラソンは規模が小さい分だけ経済効果も小さくなる。
まあ、仕方ないのだろう。

それにしても、マラソンを走りたいという人が増えたと思う。
ジョギング人口は調査によると、約1000万人くらいいるらしい。
12人に一人がジョギングをしている計算だ。
そんなに多いかなあ…。

たしかに、回りを見ると走っている人が増えた。
ホノルルマラソンに出ましたとか、神戸マラソン走りましたとか、年賀状に書いてあったりする。
前の職場では、出たら上位入賞のプロの市民ランナーもいた。
申し込んでも抽選で外れて、なかなか走れないという話も聞いたことがある。

これは中高年の人口が増えているのと関係があるのかもしれない。
ぼくらが子供の頃の高齢者は、高度成長のど真ん中で走るどころではなかったと思う。
モーレツからビューティフルへ、と言われたのが1970年。
まだまだ1970年はビューティフルではなかったということだろう。
それから45年、日本はビューティフルな方向に舵を切った。

今会社ではコンプライアンス(法令遵守)と言われ、サービス残業が減り、早めに退社するようになってきている。
おまけに低成長で、給料も伸びないし、先の不安も大きくなって貯金が使えない…。
ゴルフは安くなったとはいえ、道具を揃えたりするのがじゃまくさい。
麻雀は流行らない。
となると、安価でできるスポーツに走る。文字通り走るのだ。
道はきれいになって、走りやすくなった。
朝早くは知らないが、夕暮れになると走っている人がちょくちょくいる。

ジョギングをやり始めたら、仲間ができたりする。
そうなると、何かイベントがやりたくなる。
みんなで走ろう、というのが一番やりやすい。
スポーツクラブでもそういうイベントがあるにはある。
ナイトランとかやっている。
でも、メインイベントはやっぱりマラソンだ。
結局ジョギングを始めると、マラソンに行き着くのだろう。

そういうニーズと市民マラソンが合致した。
なんせ1000万人もいるんだから。

そんな事情で、市民マラソンの人気があるのだろう。
自治体にとっては、地元が儲かると、税金が増えるというメリットがある。

うまくできている。


| | 考えたこと | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国人のお土産
円安で中国からのツーリストが増えているらしい。

ドラッグストアや家電量販店はツアーのコースに入っていて、団体で来る。
最近盛り場に行くと、大きなヨドバシの紙袋を持ったアジア人のツーリストをよく見る。
あの人たちは中国から来ているんだろう。

どんなものを買うのかなと思っていたら、そういう記事があった。

それによると、まず、ドラッグストアで買うものがある。
薬、液体絆創膏、のど飴、高機能マスク、栄養ドリンク、サプリメント、化粧品(化粧水、乳液)、シャンプー、トリートメント、紙おむつ、粉ミルク、白髪染め、歯磨き、離乳食、携帯カイロ、生理用品、アイマスク、温泉の素など。

北京や上海では、PM2.5はかなりひどいから、マスクは必需品だろう。
やっぱり日本製の高機能マスクは優れているんだろうか。

次は身につけるものだ。
ストッキング、衣服、靴、かばん、アクセサリー、ランドセル、腕時計など。

ユニクロなど、中国で作っているものでも買うらしい。
ストッキングはぼくが若い頃、日本製は品質がいいから持って行ったら喜ばれると聞いた。
あの時はヨーロッパに行くんだったか…。

次にヨドバシあたりで買うもの。
カメラ、ウォシュレットつき高級便座、美顔器、小型のマッサージ器、ステンレスボトル、電子辞書など。

土産物なので、小さいものが多い。
炊飯器は書かれていないが、相変わらず売れているんだろう。
電子辞書はもちろん、中国語バージョンだろう。
ステンレスボトルは売れると思う。
88年に上海に行った時、みんなお茶を持っていた。
タクシーの運転手さんは、ネスカフェの大きな瓶にお茶っ葉を入れて、使っていた。
あれが、今はステンレスボトルに変わっているのかな。

ウォシュレットは世界中で評判だと聞いた。
日本人の大発明だ。世界を制覇するかもしれないぞ。

次はその他もろもろ。
弁当箱、クッキーやチョコレートの詰め合わせ、即席ラーメン、コメ、調味料、ふりかけ、カレールー、せんべい、アニメ関連グッズ、キャラクター関連グッズ、ボールペン、ノートなど。

まあ、クッキーやチョコレートなどは土産としての定番。
弁当箱は、あの、朝詰めて昼食べても温かいやつだろう。さすがご飯の民族だ。
中華料理では、あまりラーメンは一般的でないのだと思う。
日本ではラーメンは当たり前にあるが、海外ではないところが多かった。
「拉麺」という字を書いて筆談すれば、出てきたりした。
日本の高級インスタントラーメンは、本場でもうまいと思っているのか。

コメも日本製はうまいんだろう。
農業改革と言っているが、コメこそ代表的な輸出品にできると思う。
値段が高いとか言っているが、高くても売れるのではないか。
全中を潰して、農協を潰して、農家の数を減らして、効率的な農業を早くやらないと、間に合わなくなるぞ。

カレールーも日本独自だろう。
インド人もびっくり、というところだ。
ふりかけも、ごはんを食べる民族にはいいと思う。

アニメはクールジャパンの代表だし、キャラクターグッズもメイド・イン・ジャパンは土産になる。
ノートやボールペンもこれでもか、というくらいの種類が売られていて、品質も高い。

こうやって、見てみると、日本製の製品は海外に持っていけるものが多いのかもしれない。
自然のものはコメくらい。
あとは日本で加工したものだ。

さすが工業立国ジャパン。


| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
実用ドローン
日経によると、日本でももうドローン(ラジコンヘリ)が仕事に使われているらしい。

用途は建築現場の空からの写真。
進捗状況を確認するのに便利らしい。

今までは近所の高いところに上って撮らせてもらっていたらしいが、なかなかいいアングルで撮れなかったりする。
河川敷など、撮りようがないところもある。
だから、ラジコンヘリを使う。

正式にはUAVという。
"Unmanned Aerial Vehicle"、無人飛行体という意味だ。
マルチコプターという回転翼が何枚かあるタイプ。
4枚とか、5枚とか、6枚とかいろんな形がある。

実際に工事の写真を撮っているのは、20万円くらいするドローンらしい。
もちろん、カメラや送受信機全部セットの値段。
しかし、これでもプロ用ではなく、趣味の高価なおもちゃというレベルの商品らしい。
それでも十分に役に立つ。
空中写真を頼んで撮影してもらうと、かなりお金がかかるからだ。
操縦もそんなに難しくないらしい。

これもデジタルカメラが進歩し、モーターが小型化し、バッテリー容量が大きくなり、サーボ技術が進んだからだろう。
最初からラジコンヘリを作ろうと思っていたのではない。

ラジコンヘリは以前は小さなエンジンで飛ばしていた。
もちろん、かなりの大きさだ。
モーターほど精密な制御はできない。
音もうるさい。

いろんな周辺の技術が完成し、その結果ドローンのようなUAVができた。

海の向こう側ではコンピューター上の地図と組み合わせて、注文した品物を配達するということを考えているらしい。
住所をGPSの座標で表せば、一軒家なら簡単だ。
今はヤマト運輸のお兄さんたちが電動自転車で配達しているが、そのうちドローンが飛んでくる日も近いかもしれない。

しかし、どうやってピンポンを鳴らすんだろうか。

あ、なるほど。
ドローンが来る前に自動でメールを出して確認するのかもしれない。

うーん、まだまだ難しいだろうなあ。

それでも、必要な要素技術はぼちぼち揃ってきた。

もうすぐだろう。


| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
Selfie
カメラ付きのスマホが定着して、新しい言葉ができた。

"selfie"という。日本語では「自撮り」になる。
まあ、ノートパソコンでも今は液晶ディスプレイの上にカメラがついていて自撮りできるようになっているから、スマホに限ったわけでもないのだが…。

Weblio辞書みると、「セルフィーとは、自らを被写体としてカメラで撮影すること、および、そうして自分を撮影した写真や写真画像のことである」と書いてあった。
2000年頃からこの言葉が出始め、2013年にはOxford English dictionaryに載ったとのこと。

Oxfordには「ソーシャルメディアに投稿するためにスマホのカメラで撮影すること」がセルフィーの典型的な事例で出ているとのこと。
フェイスブックなどを活用する若い人たちが、そういう言葉を広めたのだろう。
そういえば、フェイスブックの載っている画像など、自撮りらしいものがたしかに多い。

最近は自撮り用のスティックも売っている。
これは棒の先にスマホ(デジタルカメラでもよい)をとりつけて、背景を入れて自分を撮るものだ。
グループ写真など、メンバーが欠けずに撮れる。

今のスマホは両面にカメラが付いているものも多いが、自分側のカメラはやっぱり絵がイマイチだから、裏側のカメラで撮ろうというニーズに合わせたものだろう。
世の中がブロードバンドになったおかげで、画像のアップは簡単だ。
だから、スマホで撮る。
そのまま、ソーシャルメディアにアップすることができるからだ。

カメラがスマホについて(スマホにカメラがついた、というべきか)、世の中変わった。
みんながカメラマンであり、動画も撮れる。
災害時にはたいていスマホで撮った動画が流れる。

大学のゼミなどでは、消そうとしたら「ちょっと待って」と声がかかって、ホワイトボードを撮る。
企業でも、会議の議事録はホワイトボードの写真だったりする。

これも、いろんなソフト、ハード技術の複合の結果だ。

ブロードバンド、高集積化(小さくなる)、ソーシャルメディア…。

これから、どうなっていくのだろう。




| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
格差縮小の方策
昨日に続いてまた書く。
こないだ書いたピケティ先生は、主にアメリカの格差のことを暴いてみせた。
1%の人が25%の富を持っているということだ。
働いて得る給料よりも、大きな資産を持っている方が儲けが大きい。
そんなことをデーターで示した。

日本はアメリカに比べると、まだまだ格差は小さい。
でも、このままいくと、格差はどんどん大きくなると思う。
それは、義務教育(公教育)をなおざりにしているからだ。

アメリカのハーバード大学やイギリスのオックスフォード、ピケティ教授がいるパリ経済学校でも、ほとんどの学生が富裕層の子息だ。
これは大きな問題だろう。
豊かな家庭に生まれたら、良い教育を受けることができて、結果的にいいところに就職して豊かな家庭を築く。
このサイクルが繰り返されると、格差は大きくなる。

日本は戦後、占領軍の指示もあり、小学校6年と中学校3年が義務教育になって、6・3・3・4制に見直された。
家が豊かであろうと、貧しかろうと、小学校、中学校は同じ教育を受けることができる。
教育の機会均等というやつだ。
そうすれば、階層は固定化しにくいし、なにより機会が平等になる。
これが大事だ。
西欧の「平等」の概念は、機会の平等であって、結果の平等ではない。
機会は均等に与えられていて、そこで努力する人が報われる社会を目指しているのだと思う。
それが古きよきアメリカン・ドリームだ。

格差の問題を言うのなら、義務教育の充実もいうべきだろう。

それが結果的には一番機会の平等を達成するいい方法だと思う。

ところが、こないだ発表された文科省の資料によると、現実には大学生になって、小学校の算数や中学1年の英語ができない学生がかなりの率で存在する。

1999年に「分数ができない大学生」という本が出て、話題になった。
でも、その対策がとられたという話は聞かない。
文科省はほったらかしたとしか思えない。
個々の教員に指示は出したかもしれないが、それでできないことははっきりわかったのだ。
もう10年以上経つのだから。

そんな義務教育だから、親は子供を塾にやる。
塾で教えてもらわないと、わからないからだろう。

そんなバカな話があっていいのだろうか。
それこそ格差を固定化することになる。

義務教育を充実することが、格差の縮小に役立つのだ。
何とかしてくれ。


| | 考えたこと | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
義務教育?
こないだの文部科学省の資料だが、入学生のレベルが低く、カリキュラムの内容が低すぎるという注意が出ている。

前にもあったが、ある大学では、「Be動詞」「過去形」「進行形」を教える英語の授業があったり、割合(百分率)や小数、四捨五入とは何かなどを教える授業が指摘された。
それはそれで正論である。

しかし、ちょっと考えてみてほしい。
それらの知識がないのに、大学まで来た学生がいるということだ。
つまり、中学校の英語、小学校の算数の知識がない高校3年生がいる、ということだ。

大学は、そんな学生を大学が入れるのが悪い、という批判はあまんじて受けないといけない。
小学校や中学校の知識を教える場ではないからだ。

さらに、なぜそういう学生が入試を通ったのかということだ。
入試がいい加減なのではないか、と言われても仕方ない。
そういう知識がないとわかっていて、それをテストしていないのは批判されても仕方ない。

でも、そういう高校3年生がいる、ということは問題にならないのだろうか。
それこそが問題なのではないか。
文科省が、受け入れ側の問題を指摘するのはかまわない。
しかし、小学校、中学校のレベルダウンの責任は誰がとるのか。
いい加減な義務教育をやってしまった責任は誰がとるのか。

そういう指摘を受けた学校は、それを単位にしないといけないほど大量の大学生が、小中学校の知識がない、ということだろう。
そうでなければ、補習なり、学習支援なりでやっている。

実際にはそんな授業をやっている大学は、真剣に学生を育てようとしている、面倒見のいい学校だと思う。
わからないから、教えないといけないのだ。
そういう授業すらやっていない大学がほとんどだと思う。

なぜ、そういう高校3年生が大量にいるのか、それを文科省の役人は考えるべきだ。

義務教育はどうなっているのか…。



| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能 3
コンピューターがどんどん進歩して、人工知能が賢くなって、いつかは人間を超える知能を持つことを心配している人がいる。
しかし、そうでない人もいる。

心配しない人は、コンピューターは心を持たないと言う。
だから、指示したことしかわからない。
人間のように、余分なことを考えることなどしない。ということだ。

この問題は、どうして人間は心を持っているかということになるだろう。

人間の心がどうしてこんなふうになって存在しているのか、わからない。
人間が特別だから、というわけでもないと思う。
遺伝子上はチンパンジーとほとんど変わらないのだから。

心の元は脳だろう。
脳は物理的なものだ。
記憶するところがあって、考えるところがある。
考えるところは、いろんな知識を記憶領域から出してきて、総合的に考える。
ただ、考えるという動作がどんなふうにいろんなところが連携しているのかわからない。
それらの連携の結果が、ぼくらが思う、心というものになるんだろう。

それは、人間の脳が機能として持っているのか、それとも膨大な記憶する仕組みと、何かを考える仕組みを作ったら、自然発生的に心ができるのか、そこが分かれ目だと思う。
つまり人間は「心」という特別なものが存在するように思っているが、結局は物理的な現象であって、たとえ機械であっても、人間の脳並みの記憶やそれらの連携能力があれば、心を持つかもしれないということだ。

ぼくは、今はやりの機械学習というのが出てきて、ちょっと心配している。

ネコの写真をたくさん見せたら、ネコを識別できるようになった、というのが機械学習。
顔の形とか、目の形とか、姿とか、色とか、何かを識別するプログラムを作ったわけではない。
とにかくたくさんのネコの顔を機械学習(このアルゴリズムは不明だが…)すると、勝手にコンピューターがネコの顔を識別できるようになった、ということだ。
これは人間の学習とおなじようなプロセスになっていると思う。
その調子でいろんなものを学習できる。
例えば、英語がわかるコンピューターなら、英語で書かれたインターネットのサイトをすべて学習したらどうなんだろう。

インターネット上のサイト数でいうと、55%以上の数が英語のサイト。
今やありとあらゆるものに関するサイトがあるといってもおかしくない。
それを片っ端から学習していくとすると(そんなことが機械学習に可能かどうかはわからないが)、学習が終わったあかつきにはとてつもない知識を得ることになる。
それだけの知識があって、それらを連携する機械学習能力があれば、ひょっとしたら、心にあたるものが出てくるような気がする。

杞憂かもしれないが、そうなったら、機械が人間を征服しているというターミネーターの未来も、本当になるかもしれない。

| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラーメンという食べ物
最近できたラーメン屋に2軒ほど行った。
どうも、ラーメン屋という雰囲気ではない。
ラーメンという食べ物のイメージがだいぶ変わったらしい。

中に入っても、静かである。
「いらっしゃい」というような声も小さい。
なんとなく厨房にいる人達もおとなしい。
要は、ラーメン屋にしては元気がないのだ。
もちろん、ぼくがラーメン屋に求める元気の「期待値」というものがあって、それよりも下という意味だが…。

もともと、ぼくらの20代のころから、「天下一品」などのラーメン専門のチェーン店ができはじめ、そのころからラーメン屋がメジャーになり始めたのだと思う。
それまではラーメンには専門店などなく、中華料理屋で食べるものだった。
「中華そば」というのが正式名称だったかもしれない。
だから、この変化はその後30数年かけて起こったものだろう。

ついでに、ラーメンのチェーン店を調べてみたら、知らない名前がたくさんあった。
でも、ぼくが知っているのは天下一品だけ。
それほど目を引かないのかもしれない。
今やラーメンは個人経営の時代に入ったのかもしれない。

ラーメンブロガーというのもいるらしい。
ラーメン屋を回って、味の感想を書いてアップしているという。
あるランキングで2位の人のデーターベースを見たが、2008年8月からで1970店回っていた。
6年半ほどだから、2372日。
8割以上の日数は一日一食、行ったことのないラーメン屋でラーメンを食べていたということになる。
そういえば、近所にオープンしたラーメン屋も、オープン前に特別に人を呼んでプレオープンしていたが、あれはそういう人たちを呼んでいたのかもしれない。
プレオープンとは、けったいなラーメン屋やなあ、と思ったが…。

ニュータイプのラーメン屋は、いろいろと工夫している。
出汁は醤油、ミソ、塩、鶏ガラなど、いろいろある。
つけ麺もあれば、替え玉もある。
チャーシューだけでなく、貝が入っていたり、トマトが入っていたりする。

入店したら券売機で食券を買う。
ラーメンだけなんだが、何種類かある。
券を買って渡すのだが、買う前から券売機の前で待っている。
これなら、直接払ったほうが早いと思うのだが、ニュータイプにはこだわりがあるのだろう。
お金を扱うと、不潔だという感じもある。
ニュータイプは清潔なのだ。

ぼくの考えでは、とてもラーメンとは思われない食べ物まで、ラーメンになっている。
普通のラーメンを食べたくても、なかなか食べられない。

難しい分野になってきたなあ。

ごく普通のラーメンが食べたくなったら、中華料理屋に行かないといけない。

これが現代。



| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
いろんな入試制度
昨日のニュースにあったのだが、昔と違って今の入試はいろんな種類がある。
昔は、今で言う一般入試と、推薦入試というのがあったと思う。
推薦入試といっても、今とは違って、人数は少なかった。

今は一般入試に加えて、併願推薦、専願推薦、AO入試というのがある。
AO入試というのは、アドミッション・オフィス入試というもので、各大学が選考基準を決めてそれにしたがって志願者を募り、試験をする。
プレゼンテーションを課すものや、ディスカッションをさせるものなどいろいろある。

でも、昨日のニュースでは「アグリーメント入試」というのが発表された。
アグリーメント入試というのは、「学生と大学が同意に達したら入学を許可するもの」らしい。
これは画期的な入試だ。

これについて、文科省の設置計画履行状況等調査の報告書では、以下のような改善意見が出ている。

「アグリーメント入試について、学生と大学が同意に達したら入学を許可するものとの説明であるが、同意以外の大学側の合否の判断基準が明示されておらず、どのように合否を決定しているのか不明である。大学設置基準第2条の2「入学者の選抜は、公正かつ妥当な方法により、適切な体制を整えて行
うものとする。」と規定されていることから、公正かつ妥当な方法による入試となっているか検証し、必要に応じて入試の実施方法を見直すこと。(人間学部健康スポーツ学科)」

大学としては、入学者が入りたいという意思表示をして、受け入れが可能だったらOKということだろう。
ぶっちゃけた話、教育体制さえ整っていれば、やる気さえあれば入れてやったらいいと思う。
しかし、カリキュラムが修められるのかという問題がある。
だから、入試をやっているのだ。

入試というのは、受験生がこの学校で教育を受ける効果があるか、ということをはかるものだ。
入っても、教育できないのなら、入れるべきではないということだろう。
それを無視して入れてしまうと、教育効果がなくなる。

でも、受験生の数が減ってくるとそうも言っておられない。
だから、こういう入試が出てきたんだろう。

ちなみに、この大学、改善意見とは別に是正意見が3つも出ている。
中にこういうのもあった。

「今年度提出された報告書に事実と異なった記載が散見され、また、調査時の質疑応答においても、特に専任教員数及び教員の所属については回答が二転三転し、事実と異なる回答がなされたことは、設置計画の確実な履行及び正確な報告を行うという点で極めて不適切であることから、適切な対応をとることができるよう早急に改善方策を講じること。その上で、教員組織の正確な状況について文部科学省に報告すること。(人間学部健康スポーツ学科)」

要は、実地調査の時にいい加減な質疑応答があって、教員の数や所属という基本的なところさえわからなかったということだろう。
苦しい学校なんだと思う。

別の大学は募集要項に「可能な限り受け入れる」と書いてあるらしい。
適切な選別がされているのか、ということだ。
今はやりの看護関係では、「昨年度末に教員の約5割が退職」というところもあるらしい。
やれやれ。

少子化で苦しい大学が増えている。
こういう文書がホームページで公開されてるんだから、もうちょっと報道機関も報道すればいい。

しかし、いくら苦しくても教育機関なんだからなあ。
もうちょっとマジメにやってほしい。
犠牲者は入学者なんだから。



| | 考えたこと | 02:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
安いロボット
ハウステンボスに「変なホテル」ができるという。
ロボットが接客し、掃除もする、というホテルだ。
やり手の澤田社長が「サービス産業の生産性向上」をテーマに作る予定。

せっかく日本にはロボットの技術があるのに、それをサービス業に有効利用しない手はない。
さらに、少子高齢化で働き手が減少する社会を見据えても、こういうことは必要だと思う。

設計段階から、ロボットが仕事をしやすいように作る。
もともと高齢化対応で、バリアフリーなどを徹底すれば、ロボットにも働きやすくなるのはなるだろう。
それとともに、家具の配置とかいろんなものをロボットに合わせて作れば、掃除などはロボットで充分になる。
それにかかる費用は、ロボットを使うことによる人件費との差額で回収できる。

現在、工作機械メーカーとロボットの仕様を詰めているという。
今の技術でも、フロントでお客様を識別し、部屋番号を告げ、簡単な説明をするくらいなら充分に可能。
どちらかというと、機能を削って、値段を下げる方向で作っているらしい。

実際、フロントでキーを渡さず、部屋の前で顔認識でドアが開く設備を導入すれば、フロントで鍵を渡す必要はなくなるから、ロボットの手先の器用さは低くできるということだ。
なるほど。
しゃべる方も、音声認識なら外国語でも簡単にわかるし、話せるようにできるだろうなあ。

機能の絞り込みが、サービス産業へのロボット普及のカギだということだ。

たしかに製造業で使っているロボットは、人間がやっていた作業を代替する目的でやるから、可動部分が多く自由度が高くなっているが、そういうのは必要ないのかもしれない。
ロボットに合わせて、設備や仕事を変えていけば、充分にペイするところまで来ているのだろう。

ロボットが1台1,000万円しても、人の数が半分になって、ほとんどの仕事をロボットが自律的にできるようになれば、数年で回収が可能になると思う。
こういう技術が育つのも、少子化で働き手が減るという状況があるからだ。
この状況を活かして、頑張ってほしいと思う。

この澤田社長、こんなことを言っている。

 「変なホテルが軌道に乗れば、次は農業への参入を考えています。政府が保護してきた日本の農業は極めて生産性が低い。これでは国際競争に勝てません。まずは植物工場から始めたいと思い、ひそかに研究しています。その後は広大な土地で大規模農業ですね」
 「生産性の向上で雇用が失われると言う人もいますが、間違いです。IT(情報技術)革命はたくさんのベンチャー企業を生みました。生産性を上げると雇用は逆に増えるのです。なぜ誰もサービス産業の生産性を上げようとしないのか。誰もやらないなら、僕がやるしかありません」

こういう人がいるんだなあ。

日本をロボットのシリコンバレーにしてほしいと思う。



| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の特等席
クリント・イーストウッド主演の2012年作品。

年老いた野球のスカウトの役。
33歳の娘は弁護士。
もうすぐアソシエイツ(経営者の一員)になれるという直前のところ。

今やコンピューターが使えないスカウトは時代遅れだと言われている。
そんなものは役に立たない、という父親。
目で見て音を聞いて初めて判断できるという昔気質のスカウトを、イーストウッドが好演している。

娘は小さいころスカウト稼業で全米を連れて回られ、野球に詳しくなった。
それでも、母が亡くなり、ある時から父と別れて暮らすようにされた。
それが、彼女が弁護士になって働いた源になっている。

年老いた父親が娘との過去の確執を乗り越え、親子の絆を深める。
そんな映画だ。

こういう映画を見ると、本当にアメリカ人は野球が好きなんだと思う。
映画の中で、70年代のチームや選手、ワールドシリーズの成績などの会話がある。
もちろん、脚本だとわかっているが、そういう会話を楽しむというのが、野球好きの人たち。

父親は娘を人生の三等席に座らせたくなかった。
高校を回って選手を見て、バーで飲み、同じスカウト仲間と情報交換する生活。

それは本当は人生の特等席だった。

主演のクリント・イーストウッド、娘役のエイミー・アダムス。
どっちもいい演技だった。

| | 映画・舞台 | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロネコヤマト
ぼくはヤマト運輸の株主だ。
小倉社長の本を読んで、感激して株を買った。
残念ながら、小倉社長は亡くなってしまったが、ヤマト運輸のDNAは社員に生き続けているんだろう。

小倉社長がヤマト運輸のクロネコ宅急便を普及させるために、当時の郵政省や運輸省と戦ったのは有名な話。
一人で国家権力と戦い、そして勝った。
勝ったのは、クロネコヤマトの宅急便のお客さんたちが、たくさんいたからだ。
それは、小倉社長が本当にユーザーの立場に立って、安くて便利なものを、世の中のために作ろうとしたからだろう。

こないだ日経の記事を読んだが、この小倉社長が、社内の主だった人たちが集まった会議で、こういう質問をしたらしい。

「お客様が喜び、会社が損すること。営業開発部長として君はやる(実行する)かね?」

この営業部長は結局答えられなかったのだが、その時に社長はこう言った。

「お客様が喜び、会社が損すること。基本はやる(実行する)のです。そして、会社が損しない仕組みをつくるのが君(営業開発部長)の仕事です」

こういう人が上にいる会社は強い。
もちろん、それだけの力量があって、こういう事を言うという意味だが…。

単に会社が損しても、お客様が喜ぶことをやる、というのはキレイ事。
その後に、会社が損しない仕組みを作らないといけない。
それを考えて、実行出来る人が求められている。
まあ、100%やってしまってからだとシンドイから、やる前に考えないといけないが…。

でも、「お客様が喜ぶ」ということが需要であり、小倉社長はそれで世の中をよくしよう、と思っていた。
それは残された著作を読むとわかる。

松下幸之助や本田宗一郎、井深大といった日本の経営者の神様がいるが、みんなメーカーだった。
モノづくりの会社の人たち。

でも、小倉昌男は物流の会社だった。
物流を通じて、世の中のシステムを変えてしまった。
規制でがんじがらめの日本で、国民のために国と戦ったのが、クロネコのヤマト運輸。

こういう経営者がもっと出てくると、日本もよくなるんだろう。

小倉社長みたいな人が、本当に世の中を変えていく。

もっと生きてほしかったなあ。


| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドローン
ドローンというと、ラジコンヘリコプターのことだ。
ただ、ラジコンといっても、人間が操作するのではなく、コンピューターで操作されるものが主流。
実際にアマゾンで注文した商品の配達に使われようとしている。

YouTubeを検索したら、驚くような編隊飛行をしている様子などを見ることができる。
何といっても、手軽なのと、形が平らなのが物を運ぶのに向いているのだろう。

どこをどう操作したら、あんな動きができるのか、わからないが…。

シンガポールのベンチャー企業が、レストランで料理を運ぶドローンを作っている。
ジュースやハンバーガーみたいなファストフードだ。
水平に飛び上がって、水平に下りてこないとこぼれてしまう。
プロペラのところには、ネットがついていて、触れないようになっている。

テントの屋台でテーブル上のタブレットを操作して注文する。
そうすると、ドローンに載って注文した商品が飛んでくる。
ドローンにはセンサーがついていて、障害物はよけるようになっているらしい。

それにしても、エライ時代になったものだ。
人の手を介さずに、注文し、商品が来る。
もうすぐ実際の店舗で使われると思う。

公の空を飛ぶとなると、いろんな法規上の問題があるが、店の中なら問題ない。
意外に早いと思う。
技術的にはおそらく問題ないところまできているんだろう。
アメリカでは屋外の法規も決まりつつあるようだ。

これが進むと、ウエイターやウエイトレスのバイトも減るだろう。
実際、回転寿司のチェーン店では、そういうオペレーションをやっている。
あそこは、コンベアで回っているんだが…。
だからこそ、100円で寿司が食べられる。

そのうち、マクドナルドの中は、ドローンが飛び交う時代になるかもしれない。

その時までマクドナルドがあれば、の話だが…。



| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
パリ白熱教室
1ヶ月ほど前から、金曜日にEテレで「パリ白熱教室」というのをやっている。

先生はピケティ氏。
経済界では今ひっぱりだこの有名人になった。
こないだ日本にも来て、東大で講義をしたりした。

まだ40代で若い。
実際、数十名の学生を相手に講義をするのだが、若々しい姿。
白いカッターシャツで、ノータイでスライドを示しながら話す。

ピケティはパリ経済学校の教授で、フランスの経済学の中心。
以前やっていたマイケル・サンデルのハーバード白熱教室とは違って、小さい教室で授業する。
フランスらしい。

ピケティはウォール街のデモを起こした原因の1つになった、格差のことを指摘した。
アメリカでは、たった1%の富裕層が25%の富を持っているという。
そんなことが明らかになって、「我々は99%だ」というデモが起こった。
ウォール街は金融資産で儲ける富裕層の象徴だからだ。

それにしても、ピケティは若い。
時に頭の上で手を組んで、考えたこんだりする仕草はいかにも初々しい。

フランスは革命を起こした国であり、自由・平等・博愛を国旗に表している。
だから、格差には敏感だ。(といって、フランスに格差がないわけではないが)
ピケティは、どちらかというとフランスの左派の考えを持っているのではないか。

ドイツ以外のヨーロッパの先進国は、いずれも低成長の時代に入っていて、若者たちが苦しい傾向がある。
イタリアやスペインは大変だ。もちろん、ギリシアはもっと大変だが…。
だからこそ、富を再配分するシステムを作り、ちょっと古いが「頑張ったら報われる」という社会を作らないといけない、という考えだと思う。

昨日の最終授業では、世界のGDPの10%の資産が、隠れ資産になっている、という。
これらは主に世界の所得上位層のものであり、タックスヘイブン(税金を取らない地域)に隠されているとのこと。
この隠れ資産を表に出してちゃんと課税しないと、格差は広がるばかり、ということだった。

これらを各国の過去300年の税務データーを集め、数字で説明している。

「21世紀の資本」という本はアマゾンで5940円。
728ページもある。
それでも、売れているらしい。

これでピケティ教授はどれくらいの富を得るんだろうか。

格差の問題よりも、それにちょっと興味がある。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
deserve
deserve という単語はよくドラマのセリフで使われる。

学校時代に習った覚えがないのだが、単にぼくがサボっていただけか。
きっと出てきたんだろう。

deserveというのは、「〜の価値がある」という動詞。
「〜にふさわしい」というふうに訳すことが多い。

ドラマのシチュエーションは、どこかの雑誌の賞を受賞した女性が、それを辞退しようとするのだが、友人が「そんなことをしたらいけない」という場面。

そして、次のセリフが”You deserve it."となる。
「あなたは受賞の価値がある」ということだ。
「よくやった!」というニュアンスらしい。

こういう言い方は難しい。
あまり日本語ではそういう発想はしないと思う。
「君にはその価値があるから、受賞すべきだ」という言い方。

ドラマの中ではよく出てくる"deserve"。
英語ではよく使われる単語だが、日本人が使いにくい単語だろう。

"deserve" 覚えておこう。

| | 英語 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
セロトニン
このごろ、ちょくちょく聞く単語に「セロトニン」というのがある。

これは人間の脳の中で合成される物質で、「安心」の元になるものだという。
この合成能力が男性と女性で違うので、仕事のやり方が違うということがあるらしい。

記事によると、セロトニンの合成能力は男性の方が高いらしい。
女性は男性の52%ということだ。
これは出産と子育てなどの本能が、そういう差を作ったということ。

だから、女性の方が不安になりやすい。
不安になりやすいから、仕事を先延ばししない、ということらしい。

たしかに、男性には、まだやらなくてもいい仕事は、先延ばしする傾向があると思う。
自分の経験的にもそうだし、職場で見てきた事例でもそんなことが多かったような気がする。

一般的に、早くやることはいいことだ。
早くやっておけば、急な仕事が飛び込んできても対応できるし、時間が予想以上にかかることがわかったりする。
それに対して、先送りにはいいことがほとんどない。
めったにないが、その仕事をやらなくてもよくなった時とか、大幅な変更が入った時とかくらいだろう。

上司が男性で、部下が女性の場合、早くやってくれるからありがたい。
仕事が早いというのは、七難を隠す。
でも、上司が女性で部下が男性の場合、いろいろとややこしいことが起きるだろう。

「これ今週中にやっといて」
「はい、わかりました」

「あれ、どうなった」
「まだ一日あるから、できてません」

というようなことで、イライラするんだろう。

女性上司からみれば、暇そうにしているのに、なんでまだやってないのか、という思いがあるし、部下の男性からみれば、納期はまだ先やろ、という思いがある。
男性が上司の場合は、明日までにやっといてな、と言って終わりだろうが、女性の場合はセロトニンが少ないので、それだけでは終わらない。
もう、何で早くやらないのか、とイライラすることになる。

ぼくは偶然女性の上司にあたったことがないが、これからは多いだろうなあ。
これからは、そういうことを知っておかないといけない。

今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ…、とかまやつひろしが歌った「どうにかなるさ」という曲は、男の曲だなあ。

いくらカバーが流行っても、この曲は女性シンガーが歌う曲ではないだろう。

それは脳科学からも明らかだ。



| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
究極のアクティブ・セーフティ
警察は高齢者の免許制度の改定をした。この1月だ。
高速道路の逆走などが増えているから、それはやったほうがいいだろう。

以前から、75歳を超えると、講習予備検査が義務付けられている。
認知症を確認するのだ。
今までは、この検査で、「認知症のおそれがある」となった場合でも、免許の更新は可能だった。
でも、今回の改正によって、「認知症のおそれがある」という評価になった場合は、医師の診断を義務付け、認知症と診断されれば免許取り消しにする、ということになった。

やむを得ないだろうなあ。
ぼくらはまだ認知症の年齢ではないから、そう思える。
でも、実際にあと十数年たって、免許の更新の時にそういうことになったら、ショックだと思う。

ぼくは21の時に四輪の免許をとった。
もう35年以上、運転してきた。
運転には、意外と頭がいる。
いろんな高度な判断をして、ようやく普通に走れる。
交差点では、左右からクルマが来ているかどうか、車線変更するときには、後ろから車が来ているかどうか、前のクルマがブレーキを踏んだ時に、いつブレーキを踏むか、それともハンドルで回避するか、歩行者や自転車がいるときには、その動きを予測してよけるなど、結構頭を使っている。
若い時は当たり前にできる。
でも、年をとって、それができるかどうか…。

1つのことならできるが、一度に2つのことが重なったら、素早くできなくなったりする。
今は免許取り立ての次男に、助手席から指示しているが、これが逆になる日が来る。
早死しない限り、必ず来るだろう。

統計によると、75歳以上の免許保持者は約425万人で、そのうち約27万〜70万人が認知症と推定されるらしい。
この人数の幅はどこで認知症の線を引くか、ということでばらつきがあるのだが、最低でも27万人はほぼ認知症である、ということだろう。
そのうち、運転をしている人がどれくらいいるかはわからないが…。

自分で自分のやっていることが分からなくなるのが、一番怖い。
要は、自分では何の問題もないと思っていて、実際には問題がある場合。
人が見ていて、アブナイと思うようなケース。

クルマの方は、いろんな安全装備がつき始めている。
以前あったような、アクセルとブレーキを間違えて踏んで誤発進というような事故は未然に防げる。
しかし、それが防げるだけでは、ダメだろう。

クルマが人工知能を持っていて、そういうことが度重なれば「もう運転しないほうがいいですよ」と言ってくれたりすると、いいだろう。

これぞアクティブ・セーフティの極致だ。
クルマが、運転をやめるように言う。

もうすぐそういう時代になるだろうなあ。


| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ローレンツ力
磁界の中に電流を流すと、力が生じる。
これをローレンツ力という。
フレミングの左手の法則にしたがって、力の方向は決まる。

記事によると、これを応用した兵器ができたらしい。
レールガンという。
二本のレールに磁力かけて磁場を作り、そこに電流を通して弾を撃つという、まさにローレンツ力を使った大砲だ。

この力を使って、兵器にするというのは古いアイデア。
いろんなSF小説に書かれていたりするらしい。
レーザービームと同じようなものだ。

強力な電源が開発されたので、大きな電流が流せるようになって、実用化されたらしい。
もちろん、実用化にあたっては他にもいろんな問題点があったんだろうが…。
これらの兵器のメリットは、一旦作ってしまうと、維持費が安いことだ。
ミサイルなら1つで百数十万ドルもするが、これなら数万ドルとのこと。

新しい兵器がどんどん開発されていく。
それとともに、コストも安くなる。
こないだ書いたレーザーといい、このレールガンといい、いったん配備されたら維持費は安い。
だからこそ、開発しているのだろう。

となると、戦争のコストが安くなる。
一発100万ドルの弾を撃つのはもったいないが、数万ドルならいいか、ということだ。

安くなると、戦争が起こりやすくなる。

困ったものだ…。




| | 考えたこと | 00:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
少数派の医師
里見清一という医師がいる。

東洋経済のWEBにこの人の記事があったが、こんなことを言っている。

「90とか95の老人をさらに生かす見返りに、働き盛りの人にあきらめてもらうのは、やっぱりおかしいですよ。アル中で肝臓悪くした親父が子供や嫁さんからの肝臓移植を希望する。好き勝手した人間がそこまでして長生きしたいと言う。敏感な人が遠慮して身を引き、鈍感な人がのさばるなら、それはもう不公平でしょ。生きたいという意志を無条件で尊重しなきゃいけないかというと、できることとできないことがある。」

ほんの一例だ。
今の日本でこういうことを言おうとすると、勇気がいる。
反論がたくさんあるだろう。
それでも、賛成する人も多くなってきた。

この人は患者の自己決定ということに対して、オカシイと言っている。
これは賛否あるだろう。
以前インフォームド・コンセントについて書いたが、最低限、医師としての経験に基づいて、意見をいうべきだと思う。
こうなる確率は○%、こっちは○%、どうしますか?と聞かれたり、この手術にはこういう危険があります、と延々と聞かされた挙句、それで成功しそうですか?と聞いてもわかりません、と言われたりする。これでは患者はたまらない。
あれでは、手術の承諾の儀式になってしまっている。

また、記事の中から引用する。

「フランツ・インゲルフィンガーという食道がんの権威がいまして、30年前自身が食道がんになったとき、患者に自己決定を押し付けるのはやっぱり違うと痛感した。彼は第一人者だから誰より情報を持っている、でも決められない。結局、有能な同僚にすべてを任せました。彼は遺稿の中で「医者は自分で責任を負わねばならない。患者に負わせてはいけない。自分の経験を駆使して具体策を提示しようとしない医者はドクターの称号に値しない」と書きました。」

これはエライ。
たしかに、医師は自分の経験を駆使して、具体策を提示するべきだと思う。
患者は、医師のプロとしての意見を望んでいるのだから。
それを統計的な数字を並べて、あとは自分で決めてくれ、というのなら何かオカシイと思わざるをえない。

この人は、患者がこうしてくれと言っても「じゃあその治療で行きますけど、それは僕が決めたことだからね」という。

そんなことを「医師の一分」という本に書いたらしい。

最後に、安楽死についての意見。

「仮に医者が安楽死させるなら、良心の呵責(かしゃく)に苦しみながらやるべき。自分を守るためにガイドラインを作れ、法律で決めてくれというのは違うんじゃねえかな。今の国会議員に僕は人の命なんか決めてほしくねえや。結局、今そこで患者を診ている医者が、引導を渡す役を引き受けるしかないんじゃないですかね。」

江戸っ子のべらんめえの口調が似合う。

こういう意見が医療の現場からもっと出てくるといいと思う。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
石油はどうなる
ずっと、石油はいずれなくなる、という心配があるが昨今の原油安はいつまで続くのだろうか。
もうピークを過ぎたというデーターもあったのだが、その後増えているらしい。
どう考えても、いつかはなくなるのだと思う。
それがいつかはわからないが…。

埋蔵量が増えているのは事実。
ただ、それは掘れば出てくるという今までの石油そのものではない。
今までより深いところまで掘って、圧力をかけると出てくるというようなものも含めての話。
当然、深くまで掘ったり、圧力をかけたりすると値段は上がる。
この1つがシェールオイルと呼ばれるもの。
アメリカでたくさん採掘している。

したがって、石油の値段が高くなると、シェールオイルなどの開発が進む。
逆に、石油が安くなると、値段で競争できなくなって、開発が遅れる。

世の中の方向は、脱石油の方向だと思う。
電気自動車も、燃料電池車も電気で走るのだから、直接的には石油ではない。
ハイブリッド車などもガソリン消費量は少ない。
長い目で見たら、エネルギーとしての石油離れは確実に進んでいる。(日本は火力発電を増やしているから、逆だが…)

それにストップをかけているのが、今回の原油安だ。
中東の産油国は石油離れを食い止めたい。
だから、できるだけ長く石油の時代を続けたい。
それはそうだろう。

ただ、それ以外にもいろんな要因が絡んでいるからややこしい。
1つはロシアに対する制裁を有効にすること。
石油はロシアの外貨獲得の大きな手段だから、石油の値段が下がると経済的に苦しい。
ウクライナの情勢等をみると、西側の各国と中東の産油国の利益が一致したのかもしれない。

もう一つはISILの弱体化だろう。
ISILは石油を売って儲けている。
その値段が下がると、ISILは苦しくなるだろう。
中東の産油国はISILを何とかしたい。

石油の値段は世界中に影響を与える。

もちろん、日本にもだ。
急激な円安だったから、この原油安は本当にカミカゼだろう。
ありがたいことだと思う。

このチャンスを上手に使って、何とか景気を回復できたらいいのだが…。





| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
私人と公人
和歌山の児童刺殺の容疑者が逮捕された。
なぜか、父親の職業と勤務先が読売新聞に出ていた。

和歌山の仏教系大学の教授ということだ。
これで、容疑者の苗字もわかっているのだから、ほとんど父親個人を特定できる。
この報道はいいのだろうか。
普通のサラリーマンなら、まず出ないと思う。
個人情報保護法における個人情報とは、「特定の個人を識別できるもの」ということだから、該当するような気がする。

読売新聞が出さなくても、ネット上にはもうたくさんの情報が流れているのは事実。

でも、全国紙に載ったのは、ちょっとびっくりする。
もう成人している容疑者の親の職業が出たのは、それも特定できるような情報が出たのは珍しいと思う。

これは大学教授という職業が、ある種、公人だと読売新聞が思っている、ということだろうか。

公人とは、「公務員や議員のように公務についている人を指す」ということだから、私立大学の教授というのは公人ではない。
みなし公人、というのがあって、「社会に多大な影響を持っている、マスメディアに多く露出している等特別なステータスを持つ人」というようなことらしい。
それに当たる、ということなんだろう。

私立大学の教員は17万人以上。
これだけ多くの人たちが、そんなに特別なステータスを持っているとは思えない。
まあ、中には持っている人もいるにはいるが、それは大学教授としてというより、文化人等としての話だと思う。

勤務先の大学は気の毒だ。
対応を苦慮しているのが想像できる。
まだ容疑の段階だが、授業等はどうするんだろうか。
まあ、当面は本人に任せるしかないと思うのだが…。

以前、欧州ではこの種の保護者への言及や取材は全くないと聞いた。
もちろん、望んで出てくる場合は別だが…。
それはキリスト教の個人主義にまで遡る思想らしい。

日本は和の思想だから、家族の共同体を問題にするのが当たり前というような考え方になっている。

でも、個人情報保護法とは折り合わない。

西洋から学んだ個人主義を未だに消化できないままだ。

難しいなあ。



| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイバーシティ・マネジメント
今の会社は大変らしい。
会社の中には、いろんな人がいる。
その、人の問題だ。

世代間で考えていることが違う。
高度成長時代はそんなに大きな差はなかった。
でも、今はインターネット以前と以降の人もいるし、高度成長を知っている人、バブルを知っている人もいれば、バブル崩壊して低成長時代しか知らない人もいる。

インターネット以前と以降の差は意外と大きいと思う。
メールの書き方や何かを調べる時の行動、電話やFAXの使い方など、違っていることが多い。
それにつれて、ものの考え方も違ってくる。

仕事というものへの考え方も違うだろう。
会社は定年までいるのが当たり前と思っている古い人と、スキルをつけて転職するのもアリだと思っている新しい人がいたりする。

女性の登用ということに関して、保守的な古い人もいるだろうし、積極的にやっていこうという新しい人もいるだろう。
女性上司の部下にだけはなりたくない、という人も実際にいた。
産休や育児休暇などの子育てに対する協力という新しいものも出てきた。

さらに、国が違う人もいる。
国が違えば、仕事に対する考え方も違うし、価値観も違う。

正社員の他に、非正規の人もいる。
派遣の人、パートの人、嘱託社員等の人、同じように働いていても、身分や待遇が多様化している。

アフターファイブの付き合いに対する考え方が違う人もいるだろうし、出世に対する考え方が違う人もいるだろう。

昭和の時代からみると、世代間、国別、性別など大幅に考え方の違いが大きくなった。
要は価値観が多様化したということだと思う。
これを称して、ダイバーシティ(多様性)が増えたという。

そして、そんな状態で、どうやって組織のベクトルを合わせていくか、というのをダイバーシティ・マネジメントというらしい。

そして今、ダイバーシティ・マネジメントが難しくなっているという。

低成長の現在、会社を伸ばしていくためには、組織のベクトルを合わせ、やることを決めて実行し、それを検証して、ダメなものは修正するか、それともやめるかを決めていかないといけない。
そうするためには、目的をちゃんと理解することから始めないといけない。
でも、ちゃんと目的を理解してやる人もいれば、言われたからやる、という人もいるのが実情。
さらに、ちゃんと目的を理解させる上司もいれば、いい加減な上司もいる。
昔からそういうことはあったのだが、価値観が多様化して、それがひどくなったのだと思う。

では、どうしたらいいか。
コミュニケーションをよくするしかない。
だから、新入社員に求める能力の1位がコミュニケーション能力になっている。

ダイバーシティ・マネジメントでは、コミュニケーションの仲立ちをする能力が大事だということだ。

会社も難しくなった。


| | 考えたこと | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
大腿二頭筋
コーチについて、ストレッチをしているのだが、今日は自分の弱点がわかった。

足の大腿部の裏側(お尻側)の筋肉が弱い。
大腿二頭筋である。
どちらかというと、右足の方がその傾向が強い。
右利きの人はそうなりやすい、とコーチが言っていた。

上を向いて寝て、膝を立てて、腰を持ち上げるという運動で、大腿二頭筋が鍛えられる。
やってみたら、どっちの側も大腿二頭筋がつりそうになって、長いことはできない。

もうちょっときつくするために、片足を真っすぐ伸ばして、片足だけで腰を持ち上げるということをやってみたら、ものすごく効く。
この大腿二頭筋は足を後ろに動かす筋肉で、これが弱いと股関節が安定しない。
コーチによると、上半身と下半身がうまく連携できていないらしい。

10年間の車通勤が悪かったのだろう。
足の筋肉を使わない。
ローマは一日にして成らず。
10年がかりで弱ったものは、そう簡単にはなおらない。(このことわざはこういう使い方はしないような気がするが…)

少しずつ鍛えていかないと、歩いたり、走ったりしたら、すぐに足が痛くなる。
情けない話だ。

もうちょっと筋肉をつけないといけない。

しかし、自分の身体がどうなっているのかがわかると、何となくやる気が出てくる。

コーチに感謝。




| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドッグTV
ナショナル・ジオグラフィックというサイトに、イヌをターゲットに制作されたCMを見るイヌの様子が載っていた。
1分間のCMには、イヌしか聞こえない高周波の音が含まれているとのこと。

イヌの目は人間よりも動体視力が高いので、普通のテレビだとパラパラ漫画のように見えるらしい。
また、黄色と赤のみを認識するので、見え方が異なるという。
それらを考慮して、ドッグTVでは従来のテレビ放送よりも1秒あたりのコマ数が多い、HDTV(高精細度テレビ放送)を使い、イヌの色彩の感覚を考えて作られている。

なるほど。
こないだ読んだ本に、動物は世界の見え方が人間とは違う、と書いてあった。
眼の構造が違うから、人間向けのテレビ番組と、犬向けのテレビ番組は違って当然なのかもしれない。
研究が進めば、イヌの気を引く番組というのも考案されるかもしれない。
もちろん、ネコでもOKだ。

そうなると、室内で飼っているペット向けの番組を作ることができる。
例えば、イヌを残して留守番させる場合。
イヌがじっと見るような映像を流せばいい。
どんな映像なら、イヌが興味を持つかはまだまだ研究の余地がある。

ケーブルテレビの契約チャンネルで、イヌとかネコの専用チャンネルというのもありだろう。
ペットの数は15歳以下の子供の数より多いから、契約してくれる人もいるだろう。
そのうち、イヌの声に反応することもできるようになるかもしれない。
インタラクティブTVだ。

意外と早くそういう時代が来るかもしれない。

| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸せの教室
2011年のアメリカ映画。
トム・ハンクスとジュリア・ロバーツが主演。

スーパーをクビになったトム・ハンクス。
高校を出てすぐに海兵隊に入り、そこでコックを20年やって、除隊後スーパーに就職した。
でも、ある日大学を出ていないからという理由でクビになる。

アメリカらしく、退職金もなく、呼ばれていきなりクビ。
厳しい社会だ。

一念発起して、トム・ハンクスはカレッジに行く。
日本でいうと、単位履修になるのかな。
学生部長のような人がいて、オススメの講義の番号を言う。
スピーチのクラスと、経済学のクラスを取ることになる。
スピーチクラスの先生がジュリア・ロバーツ。

アメリカのカレッジは、本当に生徒がバラエティに富んでいる。
若い人もいれば、年寄りもいる。
いつからでも、学び直しができるようになっている。
授業を選んでそれだけの履修もできる。

トム・ハンクスはスピーチクラスでジュリア・ロバーツに出会い、人生が変わる。
というか、カレッジに行って、若い友だちもでき、住んでいたところも売って、人生を変えたのだ。
スピーチクラスの最後の授業を終え、A+の評価をもらう。
すごくいいスピーチだった。

アメリカのカレッジはオープンでいい。

こういう映画を見ると、日本の大学ももうちょっと開かれた大学にするべきだと思う。




| | 映画・舞台 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能の怖さ
人工知能はどんどん賢くなる。
GoogleはDeepMindという人工知能の会社を買収した。

DeepMindは大量のデーターを学習することができる。
人間が学習できる量をはるかに超えた量を学習できるのだ。
Googleがその気になれば、電子化された世界中の図書館の本を学習することもできるだろう。
極論すれば、インターネット全体を、教科書にすることもできる。

だから、人間をはるかに凌駕する知能を身につける可能性がある。
中には5年以内に問題が起こるという人たちもいる。
反対に、安全だという人もいる。

以前書いた、シンギュラリティの問題をどう捉えるかだ。
シンギュラリティとは技術的特異点のことで、この場合は人工知能が人間を凌駕して、結果的に世界を制覇するということ。

中学の頃、日曜洋画劇場でそういうSF映画があった。
アメリカとソ連が各々コンピューターを作り、それが賢くなりすぎて、お互いに手を結んで人間を支配するというストーリー。
兵器は全てコンピューターで制御されていて、人間は手も足もでない。
人間が電気を切ろうとするが、コンピューターの警備装置に見つかって、撃ち殺される…、というようなことだった。
恐ろしかったので、よく覚えている。

ターミネーターでも、未来の地球は人工知能に征服されている。

そういう映画を見ているからかもしれないが、人工知能は恐ろしい。

Googleは社内に倫理委員会を作るらしい。

かしこい人がたくさん集まって、判断を間違わなければいいんだが…。

| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンピューター・グラフィックス
今のアメリカのアクションもののドラマの爆発シーンは、実際のものではなく、爆発の部分だけセットで撮って、バックの市街地などはCGで合成している。

CGがあれば、ロケをする必要もない。
その場所だけ撮っておいて、人物は合成だ。
スタッフがその場所をカメラで撮っておけば、あとはセットで人が演技するだけでよい。
そのせいか、爆発のシーンでも、スタントを使っている場面が減ったような気がする。

でも、まだ爆発の炎のシーンなどは、CGだとわかるが、もうちょっとしたら違いがわからなくなるだろう。

海外の有名な場所でのシーンなども、その場所を撮っておけばCGでその場所でロケをしたように撮ることができる。

CGが始まった頃は、ここはCGという見え見えの使い方だったが、だんだんと本物と区別がつかなくなった。
コンピューターの能力はどんどん上がっている。
大きなデーターを扱っても、すぐに計算して、景色に合わせて変形したり、光の当たり方を変えたりできる。
きっと昔は何千万円という機材が、今は何十万円になっているんだろう。
何度も書くが、ぼくが始めてパソコンを買った1990年あたりは、パソコンのハードディスクが数十メガバイトだった。
それが今やテラバイトの時代。値段は安くなって、10万倍の容量になっている。
この進歩はすごい。

やろうと思えば、人の演技は全部スタジオでできるようになるのではないか。
バックの町や景色はあとではめ込むという具合。
俳優は楽になるし、天気は関係ないから、撮影のスケジュールは簡単に組める。
拘束時間が短くなれば、ギャラも安くなるだろう。
俳優にとっては、痛し痒しということかもしれない。

撮影隊にしたって、持って行く機材は軽くなったし、撮ってすぐに確認することもできる。
クルーの人数も減っただろう。

コンピューターは世の中をこういうふうに変えていく。

これはいいことなんだろう。

安く、いいものができる。

効率をよくして、付加価値を上げる、それが経済の目指すところだからだ。

そうだと思うのだが、なんとなく寂しい気もするのが、不思議だ。



| | 考えたこと | 01:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方分権から地方創生
地方分権という言葉が長らく使われていたが、それが地方創生に変わりつつある、という記事を読んだ。
地方分権という言葉は、地方自治体の自由になるお金を増やして、その地域にあった政策をやろう、というような意味だと思う。
知らなかったが、2000年に地方分権一括法というのができて、法律的にも国と地方は対等な関係になったらしい。

しかし、少子化によって、2040年には全国1800自治体の半分が存続できなくなる可能性がある、という声も出てきた。
そこで、今年の統一地方選挙の対策で出されたのが、「地方創生」らしい。

2001年度から2010年度までの統計では、大阪、東北(青森除く)、北陸(福井除く)、四国(徳島除く)、北海道は名目成長率で負け組になっている。
大阪を除くと、もろに地方は苦しいということだ。
商店街はシャッターが降りているし、若い人は減るし、どうしようもない、ということだろう。

そんな中で、鳥取県の国に対する要望を見ると、「国からの交付金を増やせ」「人が(鳥取に)移住するようにせよ」「交通インフラ整備の公共事業」だという。
小泉政権での地方分権改革では、「地方への財源移譲」「特区による規制緩和」「公共事業削減」だったから、全く反対のことを要望しているわけだ。

野々村議員の号泣会見に代表される、地方の議会の状況や、何十年も同じようにやっている地方公務員試験の状況をみると、国が地方に任せておけないという気持ちもわかる。

勝ち組の1つ、徳島県の事例が載っていたが、あの中村教授のいた日亜科学が徳島県にいた、ということが大きいらしい。
青色LEDが徳島を救ったということになるか。
そういえば、福井県もいろんな特色ある企業がいるので有名だなあ。
結局は儲かる企業をいかに誘致するかということであり、そのために特区を作って規制緩和をしなさい、ということだったんだろう。
鳥取も以前は三洋電機の工場があって、頑張っていたはず。
それもパナソニックとの合併で整理されてしまった。

しかし、地方創生という言葉を使っても、昔に戻ることはできないと思う。
高度成長の時代なら、国がお金をどんどん出して、公共事業でも何でもやって、地方は潤ったんだろう。
もうそんなことはできない。お金がないからだ。
時代は低成長だ。
そうでなくても、労働単価の安い国にどんどん製造業は流れていく(円安でちょっとはマシになったが)。
だから、特区で規制緩和で新たな知恵を、ということだったんだと思う。
なぜ地方ならではの知恵を考えないのだろうか。

例えば、鳥取県は大学が2校、短大が1校しかない。全部で6000人ほどだ。
公共事業にお金を使うくらいなら、学生の学費を補助してやったらいいのだ。
公共事業費が400億くらいだから、そのうちの1割弱の30億ほどで、学生一人あたり50万の補助ができる。
年間50万円を、県が入学者に学費補助する、というのは画期的だ。

そうすれば、優秀な学生が集まる。
大学も増える。
増えたら補助金も増えるが、学生が増えると落ちるお金もあるし、中には鳥取県に残ってくれる学生も出てきて、納税者が増えたりする。

そのほうが、人口が減って使うかどうかわからない道路工事にお金を使ったり、田舎に文化ホールを作ったりするよりも、よほど夢がある。
失敗してもかまわないではないかと、ぼくは思う。
どうせ、公共事業で生き延びたって、人がいなくなって自治体が存続しない未来が見えているのだから。
若い人を増やす政策を取らないといけない。

すでに大学がたくさんある都市部ではそんなことはできない。
動くお金が大きすぎるからだ。

これこそ、少子化に苦しんでいる地方ならではのお金の使い方。

そんな知恵を出さないと、地方は創生しない。

わかりきっていることだと思うのだが…。

そんなことを考える地方議員もいないし、そういう決断ができる首長もいないんだろう。

このままいったら、高い確率で消滅するのになぁ。





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