考えたこと2

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ジャマイカ
今回のオリンピックで何といってもすごかったのはジャマイカ。

400メートルリレーの時に言っていたが、100メートル9秒台が4人いるとのこと。
たしかに、群を抜いて速かった。

人口が1億や2億の国ならわかるが、中南米の島国であるジャマイカに9秒台が4人もいるのだ。

面積でいうと秋田県と同じくらい。
人口でいうと京都府と同じくらい。

要は、秋田県くらいの大きさの島に、京都府民(260万人くらい)程度の人数が住んでいて、そこに100メートルを9秒台で走る人が4人いるということになる。

これはすごいことではないですか。

冬のオリンピックにもボブスレーで出ている。

もちろん、雪など見たこともないような選手たちが出場したのだ。
「クールランニング」という映画は実話をもとに作られているが、面白かった。

ジャマイカ発で世界に広がっているものの一つが音楽。
レゲエと呼ばれるリズム。

リズムギターが、ン・チャ・ン・チャ・ン・チャ・ン・チャという裏ビートをきざむ。
興が乗ると、一つのコードで何時間も演奏し続ける…という話を上田正樹が何かの時に言っていた。

もう一つ有名なのは、コーヒー。
ブルーマウンテンというのは、ジャマイカの地名。
この地域でとれるコーヒー豆しか、ブルーマウンテンという名前は付けられないことになっているらしい。
なんと、ブルーマウンテンの80%が日本に輸出されているとのこと。

距離は遠いが、近い国だったということか。

カリブ海といえば、ハリケーンの季節。

大きな被害がないことを祈りたい。

| | 考えたこと | 13:24 | comments(2) | trackbacks(0) |
ハンプティ・ダンプティ
アメリカのドラマを見ていたら、初期化されてデーターが消えてしまった被害者の部屋のパソコンのデータを復元するという場面があった。

復元する技術者が、上司から「復元できるのか?」と聞かれてハードディスクの磁気記録のリクツを語った上で、"Humpty Dumpty back together again"という。

字幕は「復元できる」という日本語になっていたが…。
全く意味不明だった。

wikipediaによると、ハンプティ・ダンプティはマザーグースに出てくるキャラクターとのこと。

--------------------
ハンプティ・ダンプティ(Humpty Dumpty)は擬人化された卵として描写される、マザーグースの童謡に登場するキャラクターである。ほぼすべての英語圏の子供は、以下の詩に親しんでいる。

Humpty Dumpty sat on a wall.
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses and all the king's men
couldn't put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティが 塀の上
ハンプティ・ダンプティが おっこちた
王様の馬みんなと 王様の家来みんなでも
ハンプティを元に 戻せなかった
--------------------

この詩はナゾナゾで、Humpty Dumptyとは卵のこと、というのが答えらしい。
そこから転じて、戻ってこないものという意味で"Humpty Dumpty"が出てくる。

ドラマの場面で「ハンプティ・ダンプティ」は消されたデーター、という意味。
だから、"Humpty Dumpty back together again"が「消えたデーターが復元できる」という字幕になる。

前触れもなくセリフで出てくるくらいだから、よほど有名なものなんだろう。
たしかに、wikipediaには、そんなことが書いてある。

日本でいうと、浦島太郎みたいなもの。

久しぶりに帰ってきて、回りのことがわからない…というような場面で、「浦島太郎」をつかう。

そんなとき、字幕にはどう出るんだろう。


| | 考えたこと | 12:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
国歌
オリンピックを見ていると、表彰式でいろんな国の国歌を聴くことができる。
今回はアフリカ勢が強く、アフリカの国々の国歌を聴くのは楽しみ。

女子5000メートルの表彰式。エチオピアが金メダルだった。

国旗が掲揚され、国歌が流れる。
金メダルをとった選手は、うっすらと涙を浮かべて国旗掲揚を見ていた。

この、エチオピア国歌のメロディだが…、何となく日本の演歌の響きがあるのに驚いた。

特に、途中の伴奏でせり上がっていくところがあるのだが、演歌でよく聞くフレーズだ。
ドレミソラというスケール(ファとシが抜ける)。
もちろん、このスケールはブルースやロックでも多用されるのだが、エチオピアの国歌での使い方は、日本の演歌の香りがする。

ミトコンドリアの分析によると、現在の人類の祖先は全てアフリカから生まれたとのこと。

人種や民族が違っても、ルーツは一つ。

だから、作る音楽もどこかで類似しているのだろう。

それにしても、ぴったりくる。

興味のある人は、聞いてみて下さい。

http://www.nationalanthems-song.com/

それにしても、陸上のトラックは、アフリカ・中南米勢が強い。

以前はアメリカの国歌ばかり流れていたような気がするが、だんだんと世界が広くなって、いいことだと思う。






| | 考えたこと | 14:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーパーヘテロダイン
FM大阪が開局したのが1970年。
中学2年のとき。

これで、ラジオでステレオ放送が聴けるようになった。(NHKはあったが、クラシックばかりだった)

このころ、音楽を聞く上で、まだまだラジオは主体のメディアだった。

週間FMという雑誌があって(まだあるのかな…)、その本で番組を調べ、好きなアーティストのアルバムをカセットに録音して聴く、というような時代。
「エアチェック」という言葉もあった。

だから、ラジオの性能は大事だった。

よく、カタログを集めたりした。

その時に覚えた言葉が、「スーパーヘテロダイン」。

昨日読んでいた本の中に「ヘテロ」という言葉が出てきて、思い出した。
ヘテロダイン…接着剤ではないですよ。

あまり英語らしくない響きで、この「スーパーヘテロダイン」方式だから、ラジオの感度がよいというような説明だったなあ。

言葉は知っていても、意味は全く不明だったので、調べてみた。

「ヘテロ」は「他の」という意味で、「ダイン」は「ちから」のこと。
そう言えば、力の単位でダインというのがあった。
つまり、ヘテロダインは「他力」のことになる。

どんな仕組みかというと、ラジオが受信した電波は、そのままでは周波数が高くて扱いにくいので、いったん低い周波数に変換してから、音を取り出すということらしい。

なるほど。元々の周波数そのままではシンドイから、他の力(低い周波数)に頼って、電波を音に変えるということか。

40年ほどかかって、ようやく意味がわかった。
今でも、この方式が主体とのこと。

スーパーヘテロダイン…、なんだかものものしい言葉だが、すごく性能がいいぞ…という感じがする。

でも、意味は「超他力」だったのか…。




| | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
A版とB版
世の中で統一されないものの一つが、紙のサイズ。

日本ではまだまだA版とB版がどちらも使われている。

ネットで調べると、A版というのは、ドイツの工業規格で決められたサイズ。
B版は日本独自の規格らしい。

企業などでは、将来を見越してA版に統一しているところが多いはず。
特に海外とやりとりをするなら、A版だろう。
将来はA版に統一される…とどこかで聞いたことがある。

でも、役所などではまだB版が主流とも聞く。

Aだ、Bだと言ってもピンと来ない人もいるだろう。
だれもが馴染みがあるのは、ファックスのサイズ。
あれはA4版が主流。
インクジェットプリンタの用紙もA4版がメイン。

数字の意味は面積になっている。A4の倍の面積がA3、逆にA4の半分がA5になる。
A0が1平方メートルというのが大きさの基準。
この関係は、B版でも同じこと。B版は同じ数字ならA版より大きい。

企業ではA版が主流といっても、文房具屋に並んでいるノートをみると、難しい。
B版の方が売れているのではないか。
うちの子どもたちは、どちらもB5版のノートを使っている。
ルーズリーフもB5だ。

もうひとつ、ややこしいのは、アメリカのレターサイズ。
コピー機などでLTRなどと書いてあるサイズだ。

これは、ぱっと見たところA4に近い。

ワープロのデーターなどが送られてきて、印刷しようとすると、いつまで経っても出てこないことがある。
紙のサイズが違うからだ。
これはきっと、いずれA4になるだろう…と勝手に思っている。

そんな状況で、ぼくは自分のノートはA4にする、と決めてもう20年以上になる。
途中、何度かB5サイズにしようという誘惑に駆られたが、踏みとどまった。

10年ほど前からルーズリーフにしている。
そうすると、出張などのときは、用紙だけ持っていってメモをとればよいからだ。
また、必要な資料はルーズリーフに綴じておくことができる。

ところが、ルーズリーフというのは、紙のサイズよりも一回り大きくなっていて、持ち歩くのには大きすぎるのだ。
だんだん、それがしんどくなってきた。

だからといって、普通のノートにするのはちょっと…と思う。

そうなると、B5ルーズリーフというのが候補になるのだが…。
ここまでA版を使う…と決めてやってきて、B5にするのはやっぱりイヤだ。

そこで、思いきって、A4の半分のA5サイズのノートを買ってみた。
これが、また具合がいい。

打ち合わせのメモなど、ちょうどよいサイズだし、書いていて白紙の部分が減る。
持って歩くのも、すごく楽になる。

この際、思い切って、自分で書くのはA5、資料はA4と使い分けることに決めた。

今までのルーズリーフは、資料保存用になった。

これでまた、がんばるぞ…。


| | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
勇気を…
最近、オリンピックや大きなスポーツの大会などの実況のあと、ファックスで視聴者からのメッセージを受け付け、その場でアナウンサーが読み上げることがある。

上手なイラストが描いてあったり、飾りの文字が書いてあったりする。

もちろん、メッセージが添えられているのだが、その中で「勇気をもらいました」「勇気をありがとう」というのをよく聞く。

たしか、北島選手が平泳ぎで金メダルを取ったときも、そういうメッセージがいくつか届いていた。

「おめでとう」とか、「スゴイ」とか、「感動しました」とかいうのはわかるのだが、「勇気を…」というのはどういうことなんだろうか…。

大辞泉という辞書によると、勇気とは「いさましい意気。困難や危険を恐れない心。」という意味。

選手が金メダルをとって、いさましい気持ちになる…という意味で書いているのだろうか。
そうなんだろうなあ。
困難や危険は、この際関係ないだろう。

選手が金メダルをとったから、自分もがんばれるぞ…といういさましさだろうか…。

そんなことができると思っているなら、選手に失礼ではないか。
何年もの間、好きなこともガマンし、ひたすらレースやゲームに勝つために苦しい練習を重ねてきたからこそ、スゴイ成績を残せたのだ。

その成績に対して、めでたいし、すごいし、感動する。

でも、勇気はもらえない。

勇気がもらえるほどの努力をしているなら、もらえばいいのだが、それほどの努力をしている人がどれだけいるのか…。

何を対象にがんばっているかは、人それぞれだろう。

仕事なのか、勉強なのか、スポーツなのか…、でも、どれにしたって彼らアスリートが、「その日」に勝つために積み上げてきた努力に比べたら、そう簡単に「だから自分もがんばれる…」などと思えるものであるハズがない。

それを言えるということは、彼らの努力を甘く見ているか、それとも単に気楽なだけではないかと思う。

そんなこと、別に目くじら立てることでもないのかもしれない。
テレビ中継を見て、興奮してつい筆がすべったのか。

でも、そう簡単に「勇気」はもらえないと思う。


| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワシントンと桜
「ワシントンと桜」というと、ピンとくる話がある。

ワシントンが斧で父親が大切にしている桜の枝を切ってしまい、枝がなくなった桜を見て驚いた父親に対して、正直に「自分がやりました」と言って、その正直さをほめられたという話。

英語の教科書に出ていたのか、国語の教科書に出ていたのか、どこかで読んだのか…忘れてしまったが、この話は有名な話だと思っていた。

しかし、今の若い人たちにとっては初耳ということらしい。

もう教科書などには載っていないのだろう。

ウソはいけない…というときに、「ワシントンの桜の話や」と言ったら、「それなんですか?」というリアクション。

え、ワシントンの桜の話、知らんか…??

うちの子どもに聞いても、長男は知っていたが、次男はワシントン市に植えてある桜のことか?との反応。

長男に何で知っているのか?と聞いたら、小学校の時に図書館でワシントンの伝記を借りて読んだからとのこと。
みんなで習ったわけではない。

おそらく昭和30年代生まれなら、一度は聞いたことがある話だと思うが、今では「それ何?」の話になってしまった。

べつに知らなくてもいいし、知っているからエライというわけでもないが、こういうのが積み重なって、ジェネレーション・ギャップというものができていくんだろうなあ…。





| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケプラーの師匠
ヨハネス・ケプラーというと、惑星の動きについての法則を見出した人。
天文学の基礎、物理学の基礎を作った人でもある。

以前、古本で買った「物理学とは何であるか」という、ノーベル物理学者の朝永博士の本に書いてあった。

ケプラーの名前は、科学の歴史を作った人として記録されている。

しかし、ケプラーがその仕事をできたのは、師匠であるティコ・ブラーエという人が王室で金をもらって、従来にない高精度の観測を行い、しかもそれを16年も続けて記録したデーターがあったからとのこと。

ティコ・ブラーエという人は、そんなふうに歴史に残っている。

すごい人だと思う。

まず、王室に頼んで、天文台を作ってもらったこと。
それを作ることの重要性を訴えるという交渉をしたのだろう。

そして、観測を16年も続けたこと。

本によるとこの人は、観測はしたものの、数学の才能がなく、どうデーターを解析したらいいのかわからなかった…らしい。
当時はまだ太陽が動いているのか、地球が動いているのかもめていた頃で、どう星の位置のデーターを分析したらいいのかもわからなかった時代。
しかし、それにもめげず、16年間も精度の高い観測を続ける根気があったということだ。

惑星の動きだから、1年程度のデーターでは話にならない。
お互いの位置が大きく変わる範囲でデーターがなければならなかっただろう。

この人がいなければ、どんなにケプラーがえらくても、そもそも考えることすらできなかったはずだ。

天才の影に、それを支えた人がいる。

今の言葉でいうと、意義を説明して予算を取り、着実に実行するという力。

ケプラーのデーター分析力と創造力はすばらしい。

しかし、予算を取って着実に仕事を実行したティコ・ブラーエという人は、えらいと思う。

ティコ・ブラーエという人、最期はケプラーの才能を信じて、自分のデーターを全て彼に託して亡くなったとのこと。

ケプラーは天才だが、ティコ・ブラーエみたいな人も、そう簡単には見つからない…と思う。



| | 考えたこと | 01:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
旅慣れた人
落語研究会では、毎年夏と春に老人ホームの慰問旅行をやっていた。

初めての夏休みに、その慰問旅行に行ったときのこと。

3泊4日の旅行だったが、着替えやタオル、洗面具、替えのズボン、予備の下着、寝るときのジャージ、浴衣と帯、手拭い、扇子、足袋、ネタ帳、夜聞くための小型カセットテレコ…ひょっとしたら暑くて着替えがもう1セットいるかもしれないなどと考えて、大きな荷物になった。

寄席をやりながら旅行するわけだから、出囃子のカセットテープとテレコなど、備品も持っていかないといけない。

集合場所に行ったら、みんなにビックリされた。
いったい、何泊するつもりや…??

バカでかいカバンを持っているのはぼく一人。
先輩も同級生も、ぼくの半分くらいの荷物だった。

一番少なかった先輩は、風呂敷包み一つだけ…。

修学旅行以外、旅行などしたことがなかったぼくは、異常に多い荷物を持っていたのだ。
(ウチの家族は出不精一家だった)

たしか、山陽方面だったか。
神戸で一席、岡山、倉敷あたりで一席ずつ、呉、広島あたりで一席ずつ、帰りは明石あたりで一席…そんな日程だった。

泊まりは全てユースホステル。
移動は電車とバスと歩き。

慰問承諾のハガキを持って、事前に調べた地図を頼りに訪問する。

この時は、先輩にだいぶイヤミを言われた。
当たり前だが、備品は新入生が持つのが当然。
でも、大きな荷物を持っていて、とてもそんなモノまで持てない。
だいたい、テレコと自分の荷物を持った先輩のほうが、まだぼくより荷物が少ないのだ。

大いに反省した。
人間は反省することで成長するのだ。

それ以降、荷物はできるだけ少なくした。(さすがに、風呂敷包み一つというわけにはいかなかったが…)
着替えなくても、死なないのだ。
予備は不要。
タオルは洗って干せばよい。

旅慣れた人は、荷物が少ない。

ぼくも、一度目で慣れて、二度目からは少なくなった。

当然だが、荷物は少ない方が楽だ。

それは、旅だけでなく、生きていくことに対しても同じことだろう。

それについては、まだ自分でも反省が足りないと思う。

まだまだ、風呂敷包み一つの先輩のようにはなれない。




| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
番狂わせ
オリンピックを見ていて、考えさせられる。

4年に一度の大舞台でどうやって実力を発揮するのか…。
もちろん、練習は思い切りやってきたのだろう。
それでも、番狂わせ(相手はそう思っていないだろうが)が起こる。

マスコミもよくない。
勝ってほしいのはわかるが、「金メダル」「勝つ」と言いすぎではないか。

もう一つひっかかるのは、選手の選考方法。

今までの実績を取るのか、それとも選考会の成績を取るのか…。

人気と実績があっても、客観的な成績で選ばれないと、オカシイ。
「顔を立てる」とか「今までの貢献」とか…、基準が作れないようなものはやめた方がいい。

選ばれた方も、うれしくても、心の底にはしっくりこないものが残るだろう。
それが本番でマイナスに働くことも、あるはずだ。

今やスポーツの大舞台ではメンタルトレーニングというのが当たり前らしい。

どうやって、最高のパフォーマンスを出すか…。

イメージを作り、それを実現する。

きっと、日本も取り入れているのだろうと思う。
自分のパフォーマンスをイメージすることは大切なことだ。

でも、それ以前に、自分は本当に選ばれて来たのか、本当に来たくて来たのか…、そこがクリアされていないとダメだと思う。


| | 考えたこと | 19:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
100メートル走
人間が100メートルを走る最高速が秒速10メートル程度(100メートルを10秒)。
時速になおすと、36km/hになる。

動物はどれくらい速いのか?
yahoo知恵袋のページによると、日本の動物では…

ノウサギ 約72km/h、ウマ 約69km/h、イヌ 約67km/h、ロバ 約56km/h、ヒグマ 約50km/h、キツネ 約48km/h、ネコ 約48km/h、イノシシ 約45km/h、ブタ 約17km/h、ネズミ 約10km/h、モグラ 約4km/hということらしい。

人間に比べて、みんな速い。
ノウサギはジャンプするから、速いのか…。
イヌはもちろん大型犬のデーターだが、小型犬でもネコ程度の速さはあるだろう。
(もちろん、100メートルが前提。マラソンの距離なら、人間が一番速いらしい)

速く走るためには、二本足よりも四本足が有利ということだと思う。

ということは、人間も手をついて走った方が速い可能性があるということか…。
もちろん、そのための筋力トレーニングや体格の改造も並大抵ではないだろう。
もともと、彼らとは骨格が違うため、肩の筋肉や首の位置、手のカタチなど、どこまで訓練で変えることができるのか…。

しかし、うまくいけば、走り高跳びがベリーロールから背面跳びになったように、常識を変えることができるのかもしれない。

用意、スタート!…でそのまま手と足で走るのだ。

100メートルを8秒台で走るためには、それくらいの工夫が必要になるのかもしれない。(工夫と呼んでよいのかも不明)

しかし…

そうなったら、それは人間と呼んでよいのか、そうまでして8秒台で走る意味があるのか…それが問題だ。

そうまでして、そうするべきか?

暑さのせいで、頭がおかしくなっているのかもしれません。





| | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
芋がゆ
今日は終戦記念日。

亡くなった父は、この日は「敗戦記念日」というべきだ、と小さい頃毎年言っていた。

この日は、芋がゆを食べるというのが小学生の頃まで続いた。
サツマイモを入れたかゆだ。

それを食べながら、戦時中はこんなに白いごはんではなかったということと、こんなにサツマイモが入っていなかったということを聞いた。

白いおかゆの中に、サツマイモの黄色が鮮やかだった。

塩をかけて食べると、けっこうおいしかった。

ぼくが中学のころだから、昭和45年くらいを境に、その年中行事もなくなった。

最後に食べたのは、8月15日が日曜日の年の昼ごはんだったと記憶している。
「あの日は何曜日」というページで調べると…昭和46年だった。
14歳だったのか…。

流行語で見ると、昭和44年が「エコノミックアニマル」「全共闘」、昭和45年が「三無主義」「ウーマンリブ」、昭和46年が
「経済大国」「脱サラ」というような世相。

1970年(昭和45年)にゼロックスが「モーレツからビューティフルへ」というCMをやった。
それを見ていて、父が何か言ったと思うのだが…、思い出せない。

「エコノミックアニマル」と言われとるんやなあ…というような言葉は聞いた覚えがある。

父の世代は、今では昭和ヒトケタと言われ、青春時代を戦争で過ごし、戦後の日本の成長を支えた世代だと思う。
その父が、「モーレツからビューティフルへ」というCMを見て、「エコノミックアニマル」という言葉を聞き、どう思ったのか…それはわからない。

でも、その頃から我が家の年中行事である「芋がゆ」はなくなった。

日本が豊かになったからかもしれないし、20年ほど働いてきて、これからはビューティフルでなければ…と思ったのか、それとも「敗戦」にこだわることがバカらしくなったのか…、それはわからない。

ぼくらの世代には、8月15日にそんなことをする家庭がたくさんあったはずだ。

それを伝えることが可能だとは思わない。
今さら、芋がゆを食べて、その意味を話してもしかたない。
ぼくらはそれを直接経験していないからだ。

それでも…と思いつつ、新聞の一面を見る。

第二次大戦とはなんだったのか。

せめて、どことどこが戦ったのかくらいは、日本人なら知っておいてほしいと思う。

これは高望みだろうか…。




| | 考えたこと | 18:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイケル・J・フォックス
以前、「ラッキーマン」というマイケル・J・フォックスの本について書いたが、今日は前に見た「ドク・ハリウッド」という彼の映画をもう一度見た。

ところどころ、記憶と違うところがあって、人間の記憶はいい加減なもの…と思い知ったが、それは彼がスゴイ役者であることとは関係ない。

ひょんなことからロスの病院に赴任するはずだった若い医師が、クルマの故障で南部の田舎町の病院(といっても、医師は一人だけ)で仕事をすることになってしまう…というのが彼の役どころ。

セレブで都会的な生活に憧れて、自分は故郷を捨てた。
憧れたその生活が待っているのに、しかたなく南部の田舎で過ごす。

町の人たちとふれあい、救急車の運転をしている女性に恋し、ロスに行くべきか、ここにとどまるべきかを悩み始める。

そして、町のみんなに見送られてロスに去るのだが…。

「ラッキーマン」の中で彼は、「ぼくはコメディ=悲劇+時間というジョーク・ライターの公式の信奉者なので…」と言っている。

こういう映画を見ると、この公式が正しいことがよくわかる。

クルマが壊れて、ロスに行けず、南部の町で働かざるを得なくなるという悲劇。
そして、時間が経っていく。
カードも使えないし、ロスとは何から何まで違う町での生活…。
まさに、悲劇+時間という公式どおり。

そこで、彼の言う「人生のある面を笑い飛ばせる能力」を発揮するのだ。

この映画がコメディであり得るのは、彼がその「人生のある面を笑い飛ばせる能力」を持った人間として役をこなしているからだろう。

彼は、自分がコメディ役者としてのキャリアをかけて、自分がパーキンソン病に罹っている、という発表を行うときに「ぼくはこの発表を人生においても、仕事の面でも自分が前に進む方法と見ていて、追いつめられた結果とは考えていなかった。」と書いている。

そんなふうに、自らの人生に対しているからこそ、こういう役をやって笑いをとれることができる。

その意味で、彼は一流のコメディアンなのだ。

こないだ、ドラマのゲストで出ているのを久しぶりに見た。
病気でもうすぐ死ぬ大金持ちという役だったが…。

パーキンソン病と闘いながら、がんばっている。

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。」

彼が毎日祈っている言葉。

がんばれ、マイケル。







| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
国旗といえば…
オリンピックを見ていると、結果が出るたびにたくさんの国旗を見ることになる。

馴染みがあるのは、アメリカや西欧の国々。

アメリカの星条旗は、英語でStars and Stripes。訳してもそのままだ。

西欧のトリコロールの国旗はどこの国がどれなのか、よくわからない。
「自由・平等・博愛」がフランス国旗の3色になっていたはずだが、どれがどの色なのか…。
調べてみると、青が自由、白が平等、赤が博愛ということらしい。

イタリアも似たような国旗だ。緑、白、赤の縦三色で、似たような意味がある。

ドイツは横の三色で、黒、赤、金。
何となく、横の三色の方が落ちついて見える。

オランダやベルギーなど、ヨーロッパは三色旗が多い。
ロシアも三色だ。
ソ連の国旗は金槌と鎌があったのだが、国がなくなってしまった。

イギリスのユニオンジャックはおなじみ。
オーストラリアは、イギリス国旗に南十字星をプラスしたようなデザイン。

ブラジルは中央に地球があって、わかりやすい。

子どもが小さい頃、世界の国旗の絵本というのがあって、よく見た。
小さい子は覚えるのが早い。

一つだけ、今でも覚えているのは、南米の島国、アンチグア・バーブーダという国。

妙に語呂がよくて、また国旗がわかりやすい。
中央に日の出の模様があって、かっこいいのだ。

一度、実際に仕事でこの国名を見た。
製品の輸出先の一つだったが、「ほー、ここにも行っているんや…」とうれしくなったことを覚えている。

外務省のデーターによると、面積は種子島程度、人口8万人。日本人が3名住んでいるとのこと。
兵力は国防軍170人(陸軍125人、海軍45人)、予備軍75人ということだ(こんなデーターも国別に出ているのにビックリ)。

しばし、アンチグア・バーブーダのホテルやレストランのページを見てしまった…。

カリブ海、いいですね。

というわけで、国旗といえば、アンチグア・バーブーダ。

オリンピックにも出ているようだが、アンチグア・バーブーダ政府のページで見ても、オリンピックの放送予定が出ているだけで、選手はわからなかった。

ほぼ、日本の裏側で、遠い国だが、選手のみなさんにはがんばってほしいと思う。



| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
スイミング
テレビはオリンピック一色。

こんな時でないと、一流のスイマーが泳ぐのを水の中から見ることはなかなかできない。

それにしても、スゴイと思う。
人間がこんなにきれいに泳ぐことができるのか…と思う。
しかも、速い。
競技で泳ぐので白波も立つが、余裕を持って泳げば音もなく泳げそうな気がする。

見ていると、クロールが一番水の抵抗が少ないだろうというのはよくわかる。

背泳は、手の動きがクロールとは全く違って、水の中で平泳ぎのように動かしていた。
こんなのは、水中のカメラでないとわからない。

バタフライはダイナミックである。
人間にもっと筋力があれば、クロールよりも速く泳げるスタイルだ…とどこかで読んだ。

平泳ぎは身体を水の上に出す分だけ、抵抗が大きく、遅くなるのはしかたない。

どちらも身体を水上に出すので、必ずしも大きな選手が速いとはかぎらないところがおもしろい。
推進力と水の抵抗で、バランスがあるのだろう。

その点、クロールにはあまり小さな選手はいない。あまり抵抗が関係ない分だけ、筋力が重視されるのだろう。
ただし、バタフライや平泳ぎは左右対称だが、クロールは左右非対称だから難しい。
そこでフォームの差が出てくる。

息をつぐために、身体をどちらかにひねる。
そこで微妙な間ができる。
水中の映像を見ていると、足のビートが選手によって微妙に違うような気がする。

片手ひとかきで、3回キックする選手が多いように見える。
でも、キックの強さにリズムがあって、人によって違う。
見ていると強・弱・強という感じで、手のストロークにあわせて一様ではないし、両手のストロークに合わせて少し間があく人もいる。

大騒ぎした水着だが、みんな色々だ。
アメリカは星条旗のデザインが入ったspeedo。
短い水着で、スキンヘッドで直接ゴーグルをしている選手もいる。
4年後にはまた水着でもめるんだろうなあ…。
その前に、規程が変わっているかもしれないが。

それにしても、一流のスイマーの泳ぎはすばらしい。



| | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
悪魔の選択 The Devil's Alternative
悪魔の選択 フレデリック・フォーサイス 角川文庫(上下)

1982年に発表された、スパイものの小説。

当時は、まだベルリンの壁があって、アメリカとソ連が冷戦状態にあった時代。

ソ連の小麦が凶作になり、その機に乗じてアメリカが軍縮の交渉を有利に持ちかけようという上巻の展開に、ウクライナの民族主義者によるKGBの長官の暗殺や、過去の恋人とモスクワで再会したイギリスのスパイが絡んでいく。

下巻は100万トンのタンカーへのテロ攻撃で、西ドイツ、イスラエル、アメリカ、イギリスの首脳陣と、ソ連の息をのむ交渉。
一気に読ませる。

東西冷戦の時代を知っている人なら、時代背景がわかるのだが、今の二十代の若い人にはわかるのだろうか…。

奇しくも、昨日ロシアがグルジアと戦闘状態に入ったというニュースがあった。

この小説に出てくる、ウクライナの闘士と同じような思いが、グルジアにもあるのだろう…とわかる。

このころは、ジェームズ・ボンドも時代の枠の中で活躍していた。
ロシアより愛をこめて…の時代。

小説の中では、一人のイギリス人スパイが、結果的に世界を動かす活躍をする。

そして、最後に彼だけがわかる、すごいどんでん返しが…。

よい小説は、歴史の教科書に勝るという見本のような本。

残念ながら、古本でないと手に入らない。

東西冷戦とは何だったのか…という時代の空気を知るには、格好の本だと思う。



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Japanの由来
ニッポンのことを英語でジャパンというのはなぜか。

いろいろなサイトに出ているが、要はよくわからないらしい。

でも、たぶんそうだろう…といえるのは、「日」という漢字の「ジツ」という読み(元日のジツ)から、漢字の日本を「ジッポン」と発音しているのところから、西洋人が「ジャパン」にしたということだろう。

それが、中国で言われていたのか、それとも日本人がそう言っていたのか、そこは諸説あるようだ。

漢字の発音は、中国の中で一様ではないし、時代によっても違うらしい。

呉音や漢音など、同じ字でも違う音読みがあるのは、中国から伝えられた発音が異なるためだ。

果たして、日本人自身が「ジッポン」と言っていた時期があったのか、それとも中国で「ジッポン」と言っていたのが伝わったのか、それはわからない。

今はジャパンと言われると日本のことだとわかるが、明治時代、英語が入ってきた時期にはみんなどう思っていたのだろう…。

「なぜニッポンのことをジャパンと言うのでござろうか」
「不思議でござるな」

そんな会話がきっとあったはずだ。

ぼくは、英語は英語としてあるものであり、「教科書で習うもの」だったから、丸暗記して疑問も持たなかった。

でも、英語が「当たり前に習うもの」ではなかった時代の人たちは、不思議に思っただろう。

その時代には、オックスフォード辞書の編纂者に「ジャパンは間違っているぞ」と言うことなど思いもつかなかったから、ジャパンが生きているのか。

今やもう遅いとは思うが…。




| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
朝の連続ドラマ。

今日は、主人公が友だち4人で組んでいたダンスのグループを解散する、という場面だった。

コンテストに出たが勝ち残れず、みんな別々の生活を始め、別れていく。

河原に座って話をして、一人ずつこれからの生活を話し、みんなで川面を見つめる。

別れは、橋の上だ。
主人公は橋の右側、友だち3人は橋の左側に歩いていく。
一度別れてから、ふり返り、そしてもう一度ありがとうと言って、手をふる。

橋がズームアウトして、4人は景色になる。

橋は二つのものをつなぐものでもあり、分けているものでもある。
そして、いろいろな道があっても、それは一つの橋に集まっていくものだ。

出会いや別れは、人生の橋のようなものなのかもしれない。

それが象徴されているから、橋はドラマの場面になる。

誰でも、何度かは人生の橋に立つ。

人生の終わりに思い出すのは、橋の場面なのかもしれない。


| | 考えたこと | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
北京オリンピック
今日は北京オリンピックの開会式。

今の地球の人口が約67億人。
国の数は約200。(国の数は、国の定義が難しく、ハッキリしないらしい)

1964年の東京オリンピックの時は、開会式の日、学校が休みになった…と思う。
そんなことを思い出しながら見る。

たくさんの国がある。
いろんな国の民族衣装、国旗を見ているだけで楽しい。

こんな時でないと、聞かない国の名前もたくさんある。

内戦が続いている国もあれば、軍事政権が治めている国もある。

国民性だろうか、笑っている人が多い国、緊張の面持ちで歩いていく国、バラバラで歩いている国、隊列を組んで歩いている国、いろいろある。

もちろん、経済的に苦しい国は選手も少ないし、豊かな国はたくさんの選手団になっている。

実際の選手だけでなく、各国のオリンピック委員か…、年をとった人も歩いている。

肌の色も違えば、目の色、髪の色、顔つきも違うたくさんの選手。

本当に人間は多様だなあと思う。

オリンピックは大きなビジネスという側面もあるだろう。
国の威信を示す場でもあるだろう。
競技だから、勝たないといけないし、ドーピングという問題も出てきている。
高い器具もいるし、スポーツ医学、運動の解析など、お金もかかるし、豊かでなければ勝てないという状況もある。

そして、この瞬間にも飢餓や紛争で亡くなっていく人がいるという事実もある。

それでも、開会式を見ていると、無邪気だが世界は仲良くできるのではないか…と思う。

無邪気すぎるかもしれないが、そんな夢を見せてもらった。




| | 考えたこと | 00:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
現場の発音
また野球の用語の話。

ヒットエンドランという言葉がある。

ピッチャーが投げると同時にランナーが走りはじめ、バッターが打つという作戦。

ランナーはバッターが打つ前から走りだすので、バッターがヒットを打つことができれば、よけいに進塁できるし、内野ゴロでバッターが一塁でアウトになっても、ランナーはセーフになってダブルプレーを防ぐことができる。

文章で書くとややこしいが、要はランナーが走ってから打つということだ。

もちろん、リスクもある。
フライを打ってしまったら、走ったランナーが元の塁に戻ることができなければダブルプレーになる。

これは、英語では"Hit and run play"とかいうらしい。

ここでおもしろいのは、andである。
これは、普通はカタカナでは「アンド」になる。

ブレッド・アンド・バターとか、ユー・アンド・アイみたいに書かれる。

ところが、野球用語ではヒット・エンド・ラン…略して「エンドラン」ということもある。
ヒット・アンド・ランではない。

実際の発音は「エンド」の方が「アンド」よりも近い。

ヒットエンドランなら、運がよければ通じるかもしれないが、ヒットアンドランならまず通じないだろう。

これは現場の発音。

以前職場の先輩に、英語を習ったわけではないが、神戸の進駐軍で働いていた人がいた。
その人の英語は、実際に戦後すぐ米兵と話して習ったものなので、「通じる英語」だった。
それは「現場の発音」であり、教科書の発音ではなかった。
ギブミーチョコレートではなく、ギミーチョコレット。

エンドランはこれと同じだろう。

現場の発音がそのまま日本語になった言葉。

こんな外来語もある。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
8月6日
今日は広島に原爆が落とされた日だ。

前に「戸籍」という題で書いたが、亡くなった父は広島の生まれだった。
原爆が落ちた頃には、父は広島にはおらず、祖母が広島の北の方に住んでいたらしい。

祖母はもう18年ほど前に亡くなったが、原爆が落ちた後広島に行ったという話を小さい頃に聞いた。

原爆が落ちてから、どれくらい後で行ったのか、聞きそびれた。
もちろん、直後ではなかったと思う。
直後なら、被爆していたはずだ。
祖母はガンで亡くなったが、もちろん原爆とは関係なかっただろう。

広島には、仕事で何度も行ったことがあるが、結局一度も原爆ドームには行ったことがない。
特に理由はないのだが…。

今朝、式典の声をクルマの中で聞いた。
小学生の男女が出てきて、声明文の中で自分たちのことを、「私たち」と言わずに、「子どもたち」と言っていたのが奇妙に聞こえた。
そのせいか、大人に言わされているような声明に聞こえてしまった。

1945年に終戦を迎えたのだから、もう63年前になる。

夜のニュースでは、各地の被爆者の会が解散していっている、と言っていた。
被爆者の平均年齢が75歳になるとのこと。

原爆に関係することで、心に残っていることというと、小野田少尉がフィリピンで遅い終戦を迎え、帰国して広島に行き、そこにある碑を訪ねたときのこと。
「過ちは繰り返しません」という碑文を見て、「これはアメリカが書いたのか?」と尋ねた。
何で読んだのかは忘れたが、その反応にびっくりしたが、それもそうやな…と思った。

ぼくらの親たちは昭和の時代を生き、戦前の教育と、戦後の教育の両方を受けた世代が多いと思う。
終戦をはさんで、何もかもが変わったのを見てきた世代。
高度成長は享受したが、青春が戦争時代だった人たち。
それだからか、団塊の世代のように理想を語るよりも、現実をみて戦後を過ごしてきたのではないか。

ぼくらは、戦争を知らず、本当に運がよかったと思う。

でも、今の若い人の中には「第二次大戦って、どことどこが戦ったんですか?」という人もいるという。

別に、中国のように恨みを忘れるなというつもりなどない。
日本人には、うらみごとを言わず、水に流すという美学があり、それはいいことだと思う。

それでも、今朝の式典を聞きながら、やっぱり歴史はちゃんと伝えていかないといけないと思った。

今度広島に行ったら、原爆ドームに行ってみようと思う。



| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
レキシコン
レキシコンという言葉、あまり聞きなれない言葉だが、デジタルリバーブという機械を作っていた会社の名前だ。
歴史懇談会の略ではない…。

リバーブというのは、音に人工的に残響を与える装置。
エコーとは違う。エコーは、山びこのように音が繰り返されるものだ。
リバーブはもっと複雑な残響音になる。

ギターのアンプなどにも、リバーブというダイヤルがある。
これを回すと、音に残響がついて、ボワーンという響きがでる。

昔は人工的に残響をつける装置というと、鉄板に音を伝えて、その鉄板から音を拾うタイプとか、スプリングに音を伝えて、そこから音を拾うタイプとか、機械的なものが主流だった。

おそらく、80年代だったと思う。レキシコンがデジタルリバーブという機械を作った。
残響を計算で作る。
大きなホール、小さなホール、教会…いろいろな大きさやカタチの部屋の残響を元の音から計算するのだ。
初めて記事を見たときには、そんなことができるのか…と思って本当にビックリした。

さすがに値段は数千万円だったと思う。
もちろん、有名なスタジオなどで使われる、プロ用の機械だ。

それから10年ほどして、ヤマハから数十万円のデジタルリバーブが出た。

そこからは早かった。

いろんな会社から10万円台のものが出て、90年代の終わり頃には数万円でデジタルリバーブだけでなく、他の機能もついたものが出た。

10年ちょっとで、数千万から数万円まで下がった。
千分の一である。

もちろん、レキシコンは今でもその業界ではトップメーカーだと思う。

そんなことが、他の機械にも起こった。
コンピューターもしかり…。

だから、以前ならプロでなければ使えなかった機能を、多くの人が使えるようになった。

スゴイ進歩だ。

なんで、レキシコンのことを書き始めたのか…。

そうそう、レキシコン(lexicon)という言葉を調べたのだ。
何となく英語らしくない不思議な響きがある。

これは、メーカーの固有名詞かと思っていたが、「辞書」とか「語彙」という意味がある。

音響機器を作っている会社が、なぜレキシコンなのか…。

ホームページを見たら、「Lexicon - The Definition of Digital Audio-」と書いていた。
レキシコンは、音を定義するもの…そういうことらしい。

レキシコン…いい名前だと思う。





| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
サトウアイコ
サトウアイコというと、「佐藤愛子」だ。

作家で、小説やエッセイを書いている。
かなりの数の作品が文庫で出ていた。

80年代、90年代なら、本屋に行くと文庫の棚に佐藤愛子の本が10冊は並んでいたと思う。

ぼくは佐藤愛子のファンで、一時は文庫を手当たり次第に読んだ。

こないだ、週刊誌に出ていた佐藤愛子の記事の話をしていたら、若い人は「佐藤藍子」のことだと思ったらしい。

佐藤藍子週刊誌に記事…「おかしいなあ」…と思いながら、実際の記事を見て、「この人は誰ですか?」ということになった。

え?佐藤愛子を知らない…。佐藤藍子は誰だ?
どうも、女優らしい。目の大きな人。

しかし、サトウアイコが「佐藤藍子」とはなあ…。

そういえば、本屋に行っても「佐藤愛子」の本はほとんどない。

以前はたくさんエッセイの連載もしていたが、もう今は80歳を越えて、書いていないだろう。

それにしても、本は大量生産、大量消費の時代になった。
70年代〜90年代くらいまでは、文庫の棚に並んでいる本はそんなに変わらなかった。

太宰治、坂口安吾、石川達三、武者小路実篤、吉行淳之介、田辺聖子、佐藤愛子、曾野綾子、柴田錬三郎、池波正太郎、司馬遼太郎、筒井康隆、豊田有恒、安岡章太郎、夏目漱石、森鴎外、阿川弘之、…もちろん、今でも並んでいる人もいるが、今はほとんど見ない人も多い。

どんどん入れ替わる。

あの頃は、本屋に通っているうちに、何となく名前を覚えて、一度読んでみようか…ということがあったが、今は作家の数が多すぎて覚えられないのではないかと思う。

佐藤愛子のエッセイ、面白かった。
娘と一緒に旅行した時のことを綴ったエッセイや、シリーズ物のエッセイ…よく怒っていたのが印象的。

アマゾンで調べても、多くは古本でしか入手できない。

残念なことだと思うが、これも年寄りの繰り言か…。





| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
ツバメ2
去年の5月にツバメのことを書いた。

こないだ歩いていたら、ツバメが飛んでいた。
「ああ、ツバメの季節…」と思ったのだが、去年より2ヶ月も遅い。

去年は家の隣のマンションに巣を作っていたので、気づくのが早かった。
巣は通気口だったのだが、今年はそこには巣が作れなくなったので、毎日見ることがなくなってしまった。

スズメと違って、ツバメの飛行は速くて美しい。

スズメはバタバタと飛んでいるという感じだが、ツバメは空をすべるように飛ぶ。

普通のツバメの最高速度は時速200キロを超えるらしい。
なおかつ、その速度で自由に曲がる…曲がるといっても、空中なので3次元だ。どんな平衡感覚を持っているのだろうか。

そして、それを自由にコントロールする。
そのうえ、空中を飛んでいる虫を捕まえるという離れ技を、当たり前のようにやってみせる。

人間はマッハの速度で飛ぶ飛行機をつくっているが、どうしたって垂直尾翼が必要だ。
後ろの方にまっすぐ立っている羽根…、自由に方向を変えるためにはこの尾翼がいるのだろう。

でも、ツバメにはそんなものはない。
三日月型の羽根が水平にあるだけ。

身体をねじることができるから、垂直尾翼が要らないのだと思う。
ムダのないすばらしいデザインだ。
本当に美しいと思う。

手羽先を食べると、いつも思うことがある。
あの骨の中は空洞だ。
身体を軽くするために、鳥たちは骨の中が空洞になっている。
生命の神秘だなあ…と思う。

生命が水から生まれたのは間違いない事実。

空を飛ぶということは、水から生まれた生命にとって、大変なことだ。

飛びたい…という意志がどこにあったのだろうか…。

ツバメを見るたびに、毎年すごいなあと感心する。

去年も書いたが、また同じことを書く。

日本で雛を育て、4ヶ月ほどしたら、また2000kmを飛んでいかなければならない。
因果な商売…とは思っていないだろうが、それが彼らが選んだ人生(鳥生)だ。
近い仲間のスズメたちは、ずっと同じところで生活するのに、わざわざシンドイ生き方を選んだ彼らは何となく孤高な感じがする。(勝手に人間のぼくが思っているだけの話だが…)

残暑が厳しい頃まで、雛を育てて、無事に帰ってほしいと思う。




| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日までそして明日から
夕刊を見ていたら、吉田拓郎の歌碑が広島にできたとのこと。

「今日までそして明日から」の碑。

広島フォーク村から出てきて、「古い船をいま動かすのは古い水夫じゃないだろう」というレコードを出した(はずだ)。
このころに、「今日までそして明日から」を聞いた(はずだ)。

その後、「イメージの詩」、「人間なんて」…これはよく聞いた。

1972年、「結婚しようよ」が出て、一気にメジャーになった。

シンガー・ソング・ライターという言葉も、日本では拓郎が最初ではないか。

キャンディーズや浅田美代子に曲を書いた。
森進一の「襟裳岬」も拓郎の曲だ。

「今日までそして明日から」は中学の時にギターの練習をした曲だった。

 私は今日まで生きてきました
 時には誰かの力を借りて
 私は今日まで生きてきました
 そして今私は思っています
 明日からもこうして生きていくだろうと

拓郎ももう62歳。

ぼくも年をとるはずだ…。


| | 音楽 | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
エボナイト
昨日の「エボニー」、ぼんやり考えていたら「エボナイト」という言葉に思い当たった。

エボナイトというと、理科の時間に出てきたはず。

静電気の実験の時に使った、黒い棒だ。

wikipediaでひくと、色が黒くて黒檀(ebony)に似ていることから、エボナイトと呼ばれるとのこと。

色からして、炭素のかたまりのような気がしていたが、なんとこれはゴムらしい。(ゴムには炭素が入っているが)
開発者はチャールズ・グッドイヤー。ぼくにとっては馴染みのある名前だ。

さらに、wikipediaによると…

「エボナイトは耐候性、耐酸性、耐アルカリ性にすぐれ、また機械的強度が強い。ボウリングの球や、万年筆の軸・インク供給部フィード、サクソフォーン、クラリネットといった楽器のマウスピースや喫煙用パイプのマウスピースに用いられる。絶縁性も極めて高く、かつては電材として絶縁体に用いられてきたが、現代では使われる場合は非常に少なく、一般の人が手に取ることが出来る機会はほとんどない。」

たしかに、エボナイトというもの、小学校の理科の実験でしか見たことがない。

エボナイト棒をこすって、静電気を帯電させて、紙がひっつくというようなものだった。

もちろん、知らないうちに見ているのかもしれないが…。

それが、「エボニー」からできた言葉だと、今日わかった。

チャールズ氏は、ゴムに加硫という処理をして、できた物体の色を見て、「おお、これはエボニーだから、エボナイトにしよう」と思ったのだろう。

思わぬところで、言葉と言葉がひっついた。

こういうふうに覚えると、忘れない。



| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |