考えたこと2

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二月の謎…
もうはや二月の最後の日が来た。
二月は逃げるというけれど、そのとおり、本当に早い。
一月が来て、新年のお祝いをして、月末が来て、二月になると…あっという間に三月が来る。

普通の月よりも、二日〜三日少ないという物理的な理由もあるのだろうが、それを差し引いても早く過ぎるような気がする。

何でだろう…?

一月は正月ボケで実働日数が少ないのに、長く感じる。
これは、正月たくさん休んで、休み明けにいやいや働くから、なかなか時間が経たないということだろうか。

それとも逆に、一月は正月ボケが一ヶ月続いていて、長く感じ、二月になったらようやく普通に戻るから、短く感じるのだろうか…。
どっちにしても、あまり説得力がない…。

季節と関係しているのかもしれない。
二月は寒いから、早く暖かくならないかな…と思っているうちに過ぎてしまうのか。
たしかに、早く春が来ないかな…と思う気持ちはあるだろう。
でも、今年みたいに異常な暖冬でも、やっぱり二月は早いから、そうでもない。

やっぱり、年末に忙しくて、年始にボーッとして、十二月、一月はふだんのペースが狂っていて、二月に正常に戻るから、淡々と過ぎていく…そんな感じがする。

ということは、西洋人にとっても同じように二月は早いのか?
彼らはクリスマスの休みの方が長いから、一月を早く感じるのか?
旧正月を祝う人たちにとっては、二月は早くないのか?

二月の謎はいろいろあります。

でも、外国人に訊いたら、「ソレハ、28ニチシカナイカラダ…」と言われてしまいそうな気がする。

二月は逃げる…と日本人は思っているのだが、ひょっとしたらこれは日本特有の文化なのかもしれない。


| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
過ぎ去ってみないと…
学校ではもうすぐ学年末のテストが始まる。

ぼちぼち試験の日程が発表になるころで、「あー、また試験か」というぼやきの出る季節である。

ここ数日のうちに、期せずして二人の子供から同じことを言われて、同じことを答えた。
「オトナは試験がないから、楽や」ということである。

彼らには、学生時代がいかに自由で、楽しいものであるかがわかっていないのだ。

「オトナは試験はないけど、シンドイんや。オトナになったらわかる。」

そういえば、定期考査の時に、自分もそう思ったことはある。
口には出さなかったと思うが…。

たしかに、暗記科目の地理や歴史を覚えたり、英語の単語を覚えたり、漢字を覚えたり…しんどかったのは事実だ。
ワケのわからない数学の問題をやらされ、こんなものをやらなくても生きていくのに何の問題もない…と思ってみたり、山や川の名前を覚えて何になる…と思ったり、歴史などやってもしかたがない…と思ったりした。
今なら、それはマチガイだとわかるのだが…。

それでも、オトナになって仕事をしはじめたら、そのころの苦労など比較にならない…とぼくは思う。
納期に追われ、意に添わないこともやらねばならず、責任が伴い、できるまで帰れなかったりする。
そうなって、きっと、「学生時代は、よかったなあ…。」と思うに決まっているのだ。

でも、そういうことは過ぎ去ってみないとわからないのかもしれない。
自分自身も思ったし、今の子供たちも思っているのだから。

そんなことは他にもいっぱいある。

自分に対する期待や、夢を持つこと、やりたいことがたくさんあること、欲しいものがたくさんあること、利害関係のないトモダチ、純粋にやりたいと思うこと…。

オトナになることで、失うものがわからないのは、それがわかってしまったら、誰もがピーターパンのようにオトナになりたくなくなるからかもしれない。

過ぎ去ってみないとわからない…それでいいのだろう。

彼らも、いつかはそれを悟って、同じ言葉を繰り返すに違いない。



| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
心が若ければ…
トニー・ベネットという歌手がいる。
もう80歳だが、現役だ。

「想い出のサンフランシスコ」という曲が有名。メロディを聴けば、知っている人がたくさんいるだろう。

昨年、80歳になって、記念のアルバムを出している。
知らなかったのだが、こないだ録音してもらって聞いた。

そうそうたる顔ぶれの人たちとのデュエットである。
どんな人たちかというと…スティービー・ワンダー、ポール・マッカートニー、バーブラ・ストレイザンド、ジェームズ・テイラー、エルトン・ジョン、スティング…本当にすごい人ばかりである。

歌を聴いても、とても80歳とは思えない。
自己管理もちゃんとして、ボーカリストとして現役を続けているんだろう。これこそベテランとしかいえない…というアルバムだ。

これを聴いていると、人は時間で歳をとるのではない、ということがわかる。
50年以上にわたって、ショー・ビジネスの世界で歌い続け、第一線で活躍しているのだ。

何が彼をそんなことができるようにさせているんだろうか。

健康であること、楽しみを持つこと、家族にめぐまれること…そんなありきたりなことなんだろうか…。

Tony Bennett.netというページに、このアルバムのことや彼の生い立ちが書かれているが、その最後にこう書いてあった。

Tony Bennett is living proof that fairy tales can indeed come true when you're young at heart.

心が若ければ…ということらしい。

素直に感動し、笑い、泣き、怒り、未知のものへの寛容さをもつ…そんなことだろうか。
年をとってもそんな心を持ち続けられる人は、多くはないと思う。

でも、そんな人ばかりになれば、高齢化社会が来ても大丈夫だ。
中年の今から、そういう心を持たないといけない。

しかし、自分をふり返ってみると…ちょっと苦しいかもしれないなあ。


| | 音楽 | 17:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
経済の意味
最近、人に勧められて、飯田経夫という経済学者の本を読んだ。

2003年に亡くなっておられるが、この人は先生と呼ぶにふさわしい人だから、勝手に飯田先生と呼ばせてもらうことにした。

「日本の反省」「経済学の終わり」という新書を読んだが、片方はすでに古本を注文しないと手に入らなかった。
そんなに昔の本でもないのに、今は人気がないのか…。

自分は経済学者だが、半生を捧げた経済学というものが、結局日本のバブルを止められず、未だ明確な処方箋も提示できず、自らを卑下して「経済学者などやってられない」と書かれていた。

本の中には、経済学というのは「よい社会」を実現するための「社会哲学」でなければならない、と書かれていた。

お金の価値や景気の予測をするのが経済学ではなく、「よい社会」を作るためのものだという。

エライ人がいたものだ。
しきりに、バブルの時に自分がもっと大きな声で自説を唱えるべきだった…と反省しておられた。
(実際、警告を発しておられたらしいが、声が小さかった…とのこと)

懐かしい話だが、本の中に、「ホーホケキョと鳴く生ビールが売れることに何の価値があるのか…」というようなことが書かれていた。たしかに、90年代(まだ発泡酒がなかったころ)にそんな樽型の生ビールが宣伝されていたなあ。

売れるから、何を作っても、どんなサービスをしてもよいのか…と「社会哲学」としての経済学者だから書かれていたのだろう。

しきりに、今の日本の「豊かさ」の果てに何を望むのか…と書いておられた。

Wikipediaによると、「経済という単語は世の中を治め、人民を救うことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略である。」と書かれている。

飯田先生は、ご自分では「経済学者などやってられない」と言われていたが、まさしく「経済」をやられた人だったのだろう。

「世の中を治め、人民を救うこと」とは、お金の価値や景気の予測ではなくて、「よい社会」を作ることなのだから。



| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本語ワープロ
日本語のワードプロセッサは、1980年代にまず専用機から始まった。

文豪とか、トスワードとか、オアシスとか、書院、カシオワード…そんな名前の機械だった。初期のものはタイプライターみたいな形をしていて、液晶画面が小さく、2行くらいしか表示できなかった。今から思えば、よくあんな機械を使っていたものだと思う。
プリンタ一体型で、本当にタイプライターのように紙を入れて、印刷していた。

その後、液晶画面が大きくなって、日本語変換の効率もよくなって、どんどん進化していった。

しかし、90年代に入って、パソコンの普及とともに、ワープロソフトというのが出てきた。
なんといってもすごかったのは、一太郎の登場だった。
今でも覚えているのは、「あめりか」と入力して変換すると、「アメリカ」になったことだ。
今でこそ当たり前だが、外来語をひらがな入力でカタカナに変換する、というアイデアは一太郎で知った。

これが呼び水となって、ワープロ専用機はパソコンのワープロソフトに駆逐されていくことになる。

90年代の終わりになって、アメリカのマイクロソフト社のワープロソフトであるWordというのが入ってきた。
当初、一太郎と拮抗していたが、今ではWordが圧倒的に多くなった。でも、一太郎の根強いファンも多い。

Wordと一太郎の一番の違いは、書くということの文化の違いにある。

日本語は基本的に紙に鉛筆で書く。だから、書きたいところから、いきなり書き始められる。
紙の真ん中にいきなり字を書くことができるのだ。

しかし、西洋では、書くということはタイプライターで打つ場合が多いのだろう。
だから、Wordではいきなり紙の真ん中から書き始めるということができない。
紙が決まれば、書き始めの位置は決まっているのだ。
真ん中から書きたければ、書きたい位置まで改行をして、それから書き始め泣ければならない。

90年代後半に会社でWordを使い始めたとき、慣れるまですごくうっとうしかった。紙と鉛筆の世界から、タイプの世界に頭を切り換えなければならないからだ。

しかし、しばらくすると、Wordの考え方に慣れてきて、それなりに合理的だと思えるようになった。
でも、そこでつまずくと、一太郎からWordに乗り換えるのはしんどくなる。
だから、一太郎のファンがいまだにいるのだろう。

おそらく、ソフトを作る上で、紙のどこからでも書き始めることができる、という制約はすごく大きく、一太郎はすごい苦労をして作られていると思う。
今日、最新版の一太郎を見たが、やはり紙のどこからでも書くことができるようになっている。
ひょっとしたら、この部分をあきらめれば、一太郎のファンが逃げてしまうということがわかっているのかもしれない。

書くということに関する文化の差が、ワープロソフトの設計の基本の部分にかかわっているというのは、おもしろいことだ。
そして、日本では紙と鉛筆の文化で培ってきたワープロソフトが今や少数派になってしまったということも、おもしろいことだと思う。
それは、日本人は、異文化への適応性が高いということを表しているのかもしれない。

中国で生まれたワープロソフトというのは無いのだろうか?
それは、やはり一太郎のように、紙のどこからでも書き始めることができるのだろうか…。

| | 考えたこと | 19:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラブソング
高校生の頃にビートルズを一番よく聴いた。(もちろん、解散した後である。)
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人組。
"Beatles"はカブトムシの"Beetle"の二つめの"e"を"a"に変えるよう、神さまのお告げがあって決めたグループ名だ…というような記事を雑誌で見たことがある。そんな、まことしやかな伝説が似合うグループだった。

ほとんどの曲は、ポールとジョンの共作になっている。
解散後、どの曲はどちらが作ったとか、いろいろな噂が出たが、実際のことは知らない。
僕はポールが好きだった。

解散した後の曲をみていると、ジョンの曲はメッセージ性が強い。
イマジンやハッピー・クリスマスなど…。人類や戦争について歌っていた。
きっと、ビートルズの曲でもメッセージ性の強い曲はジョンが作ったのだろう…と思う。
それに対して、ポールの曲はシンプルできれいな曲が多い。

演奏でいうと、ポールのベースはすごいと思う。
ペニー・レインとか、カム・トゥゲザー、ドント・レット・ミー・ダウンなど、メロディックなベースラインはビートルズの大きな魅力だった。
当時のポップスとしては新鮮だった、凝ったコード進行などは、きっとポールのアイデアではないか…とずっと思っていた。

ポールの解散後の曲に、"Silly Love Songs"というのがある。
この曲は、ポールのメッセージだと思う。
「君は世の中には、バカなラブソングであふれかえっている…と思っている。でも、中にはそんなラブソングで世の中を埋めつくしたいと思う人もいる。君も恋したらわかる。それは、バカなことじゃない…」というような歌だった。

ジョンの平和へのメッセージとは違うが、楽しい歌だ。

アメリカのポップスも、イギリスのポップスも、ラブソングの宝庫である。
全体のどれくらいの曲が、ラブソングなのだろうか…。
スタンダードと呼ばれるような曲は、ほとんどがラブソングではないかと思う。
もちろん、「想い出のサンフランシスコ」や「我が心のジョージア」のように、郷愁をメインに歌ったものもあるのだが。

キリスト教徒でもないし、Loveという言葉にそんなに思い入れがあるわけではないのだが、ラブソングはいいと思う。
もちろん、失恋もアリだ。
「煙が目にしみる」は失恋の名曲である。

英語を母語としている人たちは、英語のラブソングを聴いて、どう思うのか、実際のところはわからない。
僕らは、本当の意味をわからずに、いいなあ、と思っているだけなのかもしれない。

それでも、ポールの思いには共感できる。
調べてみると、"Silly Love Songs"は、解散後ジョンからの批判に応えた曲とのこと。

平和のメッセージを発したジョン・レノンは、ホントにすごいと思う。

でも、やっぱり僕は"Silly Love Songs"を歌うポールが好きだ。
たとえ、世の中を変えなくても、ラブソングは人を救うことができるから。



| | 音楽 | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
スタンダード
十代の後半の頃、洋楽をよく聞いた。
主にアメリカのポップスである。

最初にカントリーから入って、フォークに行って、ビートルズ、サイモンとガーファンクル…と続いた。
ブラザースフォアやPPM(ピーター・ポール&マリー)は定番だった。
ここにも書いたことがあるが、キャロル・キングやフィフス・ディメンションはよく聞いたなあ…。

それ以外にも、ラジオで聞いたりした。(土曜日の昼にFMでポップス・ベストテンをやっていた。FM東京だったか…。三菱ダイヤトーンがスポンサーだったと思う。歌謡ベストテンはコーセーがスポンサーだった。)

他にも、洋楽を聴く機会は多かった。
当時はテレビでゴールデンタイムに輸入のドラマをやっていたからか…。
アメリカのドラマが圧倒的に多かった。
洋画も月曜、金曜、日曜に○曜ロードショーをやっていた。

そんな関係で、耳に親しんだ洋楽は多い。

日本には相当するものがないが、洋楽にはスタンダードとか、エバー・グリーン(いつまでも、緑…だから、ずっと生きているという意味かな)というようなジャンルがあって、よく流行った曲や長く歌い継がれる曲はそこに入っていく。
Smoke get in your eyes(煙が目にしみる)やI Left My Heart In San Francisco(想い出のサンフランシスコ)などは、スタンダードと言えるだろう。

時々、BGMなどで流れると、「あ、懐かしい」と思ってしまう。

僕らが小学校の頃は、小学唱歌だった。
今みたいに「風」や「翼をください」みたいな曲はなかったなあ。
「花」「おぼろ月夜」「虫の声」「やしの実」などを歌っていた。今はもっとハイカラになっていると思う。
音楽の教科書も入れ替わりが激しく、歌い継がれる歌というのは…少ないような気がする。

演歌の一部は、日本のスタンダードと言えるだろう。
「悲しい酒」「おふくろさん」「王将」などは僕らより上の世代では誰もが知っている歌だろうが、でも、若い世代に引き継がれてはいかないと思う。

日本に生まれていながら、懐かしい歌を聴くとなると、洋楽の方が多いというのはオカシイ話だが、生い立ちがそうなので仕方がない。

今は、長く歌い継がれる歌というのがなくなってきているように思う。
歌はデーターになり、はやる期間が短く、そして消えていくのが早いのではないか。

日本の歌のスタンダードと言える曲は何だろう?



| | 音楽 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
キロ・メガ・ギガ
1980年代に発表されたパソコンは、中にためることのできるデーターの容量がキロバイトという単位だった。
キロというのは、キロメートルのキロであり、1000倍ということ。(1000メートルは1キロメートルでしょう。)
1バイトというのは英数字1文字をあらわすための大きさである。

1990年代になって、その単位がメガバイトになった。
メガというのは、キロの1000倍で、100万バイトが1メガバイト。

2000年を少し越えて、これがギガバイトになった。
ギガはメガのさらに1000倍。
すごい単位である。
ギガバイトが出てきた時には、こんなものがいるのかな…と思っていた。

キロバイトの時代は、主に文字の時代だったと思う。それも、モノクロだ。
パソコンは、モノクロの文書を作ったり、数字を入れたりするものだった。

メガバイトが必要になったのは、一つはカラーになったこと、そして画像や音声を扱うようになったことだ。
今の高性能のデジカメで撮った写真は1枚で数メガバイトのものもある。
カラーの画像を扱おうと思ったら、メガバイトが必要になったということか。
音声も音楽1曲で数十メガバイトという単位になる。(今は音声信号を圧縮して小さくできるようになったが…)

そして、ギガバイトは、画像や音声をたくさんためておこうとすると必要になる。
また、同じ画像でも動画を扱おうとすると、ギガ単位になってくる。
映画1本で数ギガバイト(DVD1枚)になるのだ。

必要は発明の母…とはよく言ったもので、そういう需要に応えて、どんどん大容量の入れ物ができてきた。
文字から画像・音声、モノクロからカラー、そして動画へ…という変遷が、キロ、メガ、ギガという変化になった。

一文字1バイトから、1000、1000000(百万)、1000000000(十億)という単位になったのだ。

文字ベースで考えると、すごい量である。
ちなみに、このブログを1年以上続けているが、すべての文字を合わせても、1メガバイトにもならない。

今や500ギガバイトというような入れ物(ハードディスク)が数万円で買えてしまう世の中になった。

このままいくと、どうなるのだろう…?

今の動画をハイビジョンというような精細な動画にしたりすると、どんどん容量が必要になってくる。
ギガのさらに1000倍、テラという単位になる。

テラの1000倍はペタ、ペタの1000倍はエクサ、エクサの1000倍はゼッタ、ゼッタの1000倍はヨッタ、ヨッタの1000倍はハーポ、ハーポの1000倍はグルーチョ…というらしい。

僕が生きているあいだ、ずっとパソコンと呼ばれるものがあるのかどうかはわからないが、死ぬ頃には1ゼッタバイト…というような容量になっているのだろうか…。

それでも、文字や言葉はなくならないだろう。

容量が大きくなるのはよいが、どんどん1バイトあたりの内容が薄まっていく。

そのうち、人類が今までに書き残した文字すべてが、1枚のハードディスクに収まるような時代になるのだろうか。
集め方はさておき、それはすごいことだ。
何がすごいのか…わからないくらい、すごいことだと思う。

その頃、人類はそれを役立てることができるのだろうか?

難しい問題のような気がする。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
Seeing is believing
最近、習うことの重要さがわかった。

ギターでいうと、習うことの大きなメリットは、上手な人の演奏をじかに見ることである。
これは想像以上に大きな影響がある。

音楽だから、すごい演奏はCDなどでいくらでも聞ける。
しかし、聞くのと実際に目の前で見るのは、とんでもない違いなのだ。

CDなどを聞いて、すごいなあ、上手だ…と思う。
でも、自分でマネして弾いてみようとか、弾けるだろうとか、そんなことはなかなか思えない。

ところが、そのCDを先生のところに持っていって、弾いてもらって、それを見ると…それだけで、やってみようという気になる。
そばで見たから、技術的にわかった…という感じではない。
やってみよう…という気持ちになるというのが大きいのだ。(もちろん、100%できるわけはないのだが。)

難易度は高くても、先生がやっているのを見ると、そこに立っている壁の高さが下がり、やってみようと思う…その気持ちだ。
なにも、先生と同じように弾けるはずだ、などと不遜なことは考えていない。
がんばってやれば、できるかもしれない…という気持ちの垣根が下がることが、実際に目の前で見ることの効果なのだ。

これこそ、「百聞は一見に如かず」だと思う。

でも、ニュアンスは英語の"Seeing is believing."の方が近い。

見ることは、信じること…それが習うことの大きな効用だ。

新聞で学校のことがいろいろ言われているが、生徒が自分の力を信じて、やってみようと思わせること、これが授業の役目なのかもしれない。

習うことは、"Seeing is believing."なのだ。


| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
Mac
マックといっても、マクドナルドのことではない。(関西ではマクドだから、間違えないか…)
マクレガーという服のブランドもあったが、それでもない。

マッキントッシュ(Mac)というパソコンのことだ。
アメリカのアップルという会社が作っている。
今はiPodの方が有名になってしまった。

以前、Macを使っていた。
海外留学帰りの後輩が、会社に自分のパソコンを持ち込んで使っていた。それがMacだった。
見たとたん、すごい!と思ってしまった。
このパソコンには熱狂的なファンがいて、ウィンドウズ、マイクロソフトを仇としてユーザーとなっている。
ウィンドウズ98が出てから、だんだんと減ってきて、今は印刷業界、デザイン関係あたりがメインのユーザーとして残っているが、少ない。でも、一部にはまだ熱狂的といっていいファンがいるのも事実。

実際、ウィンドウズ98が出るまでは、Macの方が使い勝手がよかったのだ。
スイッチを入れると、アイコンパレードといって、パソコンに組み入れられている機能をあらわすアイコンが順々に出てくる。
元旦にスイッチを入れると、「あけましておめでとうございます」という文字が出てきたりした。
不意に止まってしまったら、爆弾のマークが出てくるのも愛嬌だった。

ウィンドウズ98が出るのと前後して、アップル社の社長が交代し、いろいろと路線変更があり、株価は下がり、マイクロソフトにどんどん抜かれていった。

僕がウィンドウズに転向したのは、会社で使っているメールシステムに家からアクセスできるのが、ウィンドウズだけだったからだ。
日本橋で、ウィンドウズの安いノートPCを買ってきた。それでもMacを併用していた。

パソコンの仕組みをおぼろげながら覚えたのも、いろいろなソフトの使い方を覚えたのも、Macだった。
毎月、Macの雑誌を買い、新型が出るとすぐに見に行ったりした。

それでも、会社でウィンドウズのPCを使いはじめ、結局は足を洗った。
会社に何人かMacのユーザーがいたが、Macを使うのをやめるというのは、何となく後ろめたいことだった。
これは、宗教なのだ。

紆余曲折を経て、Macは今やウィンドウズと同じような機械になった。
以前は考えられないことだったが、Macが動くパソコンの上で、ウィンドウズも動くようになっている。

アップルもiPodで成功したからか、シェアの差がつきすぎたからか、パソコンについては肩の力が抜けて、昔ほどマイクロソフトを仇として扱っていないように見える。
iPodの成功も、Macでの利用だけでなく、ウィンドウズ上での利用もちゃんとできるようにしたからだろう。

それでも、仕事をしているかぎり、Macを使うということはもうないだろう。
定年して、仕事を辞めた時、もしもMacがあれば…そのとき考えるかもしれない。

しかし、その頃には、インターネットにさえつながれば、パソコンなど何でもよい…という時代になっているかもしれないが。

| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
輝く場所
この冬はいくつか長袖のTシャツを買いそろえた。
ずっとTシャツは半袖…と思ってきたが、冬は長袖のTシャツを着て、その分薄着をするというのもよい。

どうしてそんなことになったかというと、去年の秋にライブハウスでピアノ弾きが、長袖のTシャツに厚めのジャケットを着て、すごい演奏をするのを見たからだ。

ルーズな袖口で、紺色の無地のTシャツだった。
白髪まじりの長髪で、老眼鏡を鼻メガネにして楽譜を見ながら、歌のバックを弾いていた。
興がのると、全身でピアノを叩くように弾く。
静かに弾いている時は、昔テレビによく出ていた世羅譲みたいな感じだが、勢いがつくと鍵盤を端から端まで使って、身体でリズムをとってピアノにぶつかるように弾いていた。

その姿がかっこよく、印象的だったので長袖のTシャツを買いに行った。

どうも、あの演奏をしていた時に着ていたのは、ユニクロの1000円のTシャツと似ている…ということがわかり、紺色とグレーを買って、この冬愛用している。

それにしても、あの演奏の姿はかっこよかったなあ…と思う。

でも、あの夜ライブハウスを出て帰途につくために駅に行ったら、となりの中華料理屋でさっきの彼がラーメンをすすっているのが見えた。
そこにいた彼の長袖のTシャツは、たんに寒がりのおじさんのようだった。

格好ではなく、ピアノを弾くという場所が、彼を輝かせていたのだろう。

でも、あの場所で弾いていた彼のピアノのすごさにあやかるために、僕も長袖のTシャツを着ることにした。

自分が輝ける場所を持てる人は、幸せだと思う。

それは、本人が意識できることではないかもしれない。

あの、ピアノ弾きの彼にとっては、ピアノの前も、中華料理屋のカウンターも同じ「自分」だっただろう。

何かに一生懸命になれて、それが誰かに認められる…そんな時間が、輝ける時間なのかもしれない。


| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
間違いだった
ずっとそう思ってきたことが間違いだとわかると、ちょっと面食らう。
特に、それが長い間思ってきたことになると、ビックリする。
そういうことが、最近あった。

高島俊夫という人が書いている「お言葉ですが」というシリーズがある。
今、5巻目を読んでいる。
このシリーズは、日本語の言葉にこだわる作者(支那文学が専門)が、いろいろな言葉をテーマにして書いているコラム。週刊文春の連載をまとめたもの。文庫になっている。

その中で、戦時中のことが出てくる。
きっと、僕らの年代の多くの人が信じていることだろうが、戦時中は英語は敵性言語として使用がはばかられたという話。
野球で、ストライクを「よし」、ボールを「ダメ」と言った…有名な話ですよね。

これは、間違いとのこと。
当時のいろいろな証言や文献を元に書かれていた。
事実としてなかったということではないが、実際には大学野球ではそんなことは一切してないし、当時始まった職業野球で形式上そういうことにしただけ…ということらしい。

そうだったのか。
ずっと日本はアホなことをしたんだと思っていたが、そんなことはなかったのだ。

それにしても、どうして事実がちゃんと後世に伝えられていないんだろうか…。
そんなに過去の話でもないのに。

面食らっても、ビックリしても、自分たちの歴史を正しくわかるのは、よいことだと思う。

この「お言葉ですが」というシリーズ、面白いですよ。

| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
遠い世界に
何かを書こうと思って、パソコンのキーボードをさわったら、「遠い世界に」という言葉が出てきた。

ティーン・エージャーの時に歌った歌は、なかなか忘れない。
数年前にNHKでフォークソングの特集を見た時にも、歌詞が口をついて出てきた。

五つの赤い風船というグループが歌っていた。
西岡たかしがリーダーで、オートハープ(というらしい)を弾いていた。
女性ボーカルが上手で、ギターに中川イサトというメンバーがいた。
中川イサトは今でもソロ・ギタリストとして活躍している(と思う)。

何でこの歌を思い出したかというと、こないだ、NHKでインドの特集をやっているのを見たからだ。
今のインドはすごい。
ネルー首相の「頭脳立国」という精神に則って、インドを豊かにしよう…と頑張っている若者がたくさんいた。
インド工科大学というところが紹介されていたが、30万人から5000人を選抜するという入試で、見るからに賢そうな人たちが、必死で勉強していた。
明治時代の日本人も「殖産興業」を旗頭に頑張ったんだろう。

僕ら、昭和の子は、高度成長の時期に学生時代を過ごし、会社に入ってしばらくしてバブル崩壊まで、日本の世紀というような時代を過ごしてきた。
Japan as No.1といわれるところまで行って、落ちてしまった。
インドの若い人たちを見ていて、「国」というものを感じ、僕らの若い頃は…と思い出すと、この歌が出てきた。

1969年にリリースされたらしい。僕が12歳の時。
寿命の長い歌だった。高校生のときに、みんなで歌った覚えがある。
懐メロという感覚ではなく、リアルタイムに生き残っていたと思う。

戦前を否定し、戦後の高度成長で豊かになり、そのために目標を失った時代だったのかもしれない。
三番の歌詞が印象的だ。

 雲にかくれた小さな星は
 これが日本だ 私の国だ
 若い力を体に感じて
 みんなで歩こう 長い道だが
 一つの道を力のかぎり
 明日の世界をさがしに行こう

若い人たちの中には、漠然と、この国はこのままではいけない…と思っている人もいて、この歌が歌い継がれたのか。

もちろん、インド工科大学の若者たちには歌など歌っている暇はなさそうだった。
彼らにどれくらい「国」を背負っているという気持ちがあるのかはわからない。

でも、彼らを教えていた50代くらいのインドの人は、「国」を意識していた。

「これが日本だ 私の国だ」という歌詞…あの頃自分はどんな気持ちで歌っていたのだろう。

 力を合わせて 生きることさえ
 今ではみんな 忘れてしまった
 だけど僕達 若者がいる

1969年か…。

もう、若者ではないが、がんばらないとね。




| | 考えたこと | 22:10 | comments(4) | trackbacks(0) |