考えたこと2

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何が違うのか
70年代、80年代の音楽を聴いていたら、子供が「古い」という。

「中央フリーウェイ」や「地球はメリーゴーラウンド」、「愛と風のように」「水色の雨」「土曜の夜はパラダイス」…など。

昔の曲だとわかって聞いているわけではないのだが、古い感じがする…らしい。

「そんなことないやろ」というと、
「この曲と、エグザイルの曲は全然感じが違うやろ…」とのこと。

なるほど、たしかに違う。

何が違うのか…。

最近の曲は、リズムの音が大きくなった。ドラムスの音が大きい。
低音(ベースやバスドラム)が大きくて、重い感じになっている。
そして、テンポが速いというか…、テンションが高い感じがする。
声の質は高く、キーも高い。歌詞のことばかずが多い。
全体に伴奏と声のバランスが違う。昔の歌は声がハッキリしているが、今ごろの曲は、伴奏の音が大きくなっている。
一つ一つの楽器の音が、ハッキリしている…かな。

そんなこんなで、聞いた瞬間に、「古い」という言葉が出てくるようだ。

ひと言でいうと、今の演歌歌手がむりにJ-POPを歌っているような感じ…ということも言っていた。
なるほどね。何となくわかる。

レコーディングの技術や機械は進んでいるものの、80年代くらいからは音楽を作って録音する方法が、画期的に変わったわけではないと思う。

高いものが安くなったのは事実だ。デジタル化のおかげである。
30年ほど前に、スタジオにこもって録音していたような事が、今や(防音装置などは別にして)数十万円もあればもっと高いクオリティでできるようになっているのだから。

それでも古く感じるというのは、時代の音、はやりすたりがあるのか。

音楽のジャンルでいえば、僕は、70年代以降新しく出てきたものは、ラップしかないように思う。
ニューミュージックがJ-POPになったが、どこが違うのか、よくわからない。

ビートルズ、ビーチボーイズ、スティービー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ…もちろん、その前をたどれば、まだ源流があるのだろうが、ラップをのぞけば、彼らと今の音楽はそんなに違うのだろうか…。

でも、今の若い人が聞いて、即座に「古い」というのだから、「音」は変わっているのだろう。
たしかに…。

「たいして変わらへんやん」と思っていたのは間違いだったようだ。

「音楽」はいつも「時代」をあらわしている、ということか。

本当に、決定的に何が違うのか、もうちょっと考えよう。
そのためには、もう少し今の音楽を聴かないと…。


| | 音楽 | 23:08 | comments(2) | trackbacks(0) |
敬称略
一人前に音楽が好きだし、尊敬するミュージシャンがいる。

日本人なら、小田和正や松任谷由実、山下達郎、竹内まりや、ギタリストの鈴木 茂などは、好きだし、スゴイと思うし、尊敬という言葉があてはまる。

こないだ、子供と話していたら、松本さんとか、桜井さんという言葉が出てきた。
友達かと思ったら、松本さんはビーズのメンバーであり、桜井さんはミスター・チルドレンのメンバーらしい。

「なんで、さん付けになるんや?」と聞いたら、「すごい人だから」というような返事である。
尊敬する人に敬称をつけている、という感覚らしい。

何となく、オカシイ…という感覚がある。

「さん」がつくのは、お互いに知っている人という感じがあるのだ。

おおやけの人、ミュージシャンなどで、尊敬する人であっても、向こうはこちらを知らないのに「さん」をつけると、馴れ馴れしくてかえって失礼…という気になる。
おおやけの人は、じかに名前を呼ぶことが普通だという思いがある。

先輩をさんづけするのと同じ(ように聞こえる)感覚で、「松本さん」と言われると、「どこの松本さん?」と思う。
「ビーズの松本さん」と言われると、「知り合いか…?」と反射的に思ってしまう。

「さん」をつけることは、良いことだが…。
勝手に、相手を自分の知り合いのレベルに下げているような感覚はないのかな…。

僕は、尊敬するミュージシャンは敬称略の方が尊敬している感じがする。
相手がすごければすごいほど、「さん」などつけて、雲の下に降ろしてしまうのは失礼だろう。

逆説的だが、敬称略の方が、うやまっているように思う。

どうですかね。

| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
テレキャスター
テレキャスターを知っていますか?

ニュースキャスターでもなく、お天気キャスターでもない…。
お化けのキャスター(キャスパーか)でもなく、移動式のイスの脚についている車輪(単なるキャスター)でもない。

これはギターの名前です。
フェンダーという会社が作っているエレキギターで、歴史的には古い形である。
今の主流の形のエレキギターの元祖みたいなものだ。

原型が発売されたのが、1949年だから、戦後すぐになる。

テレキャスターが好きだ。
余分なものがない。

後に作られたギターには、トレモロシステム(音程を変化させる装置)が付いたり、ピックアップ(弦の振動を拾うマイクのこと)の数が増えたり、ノイズの少ないピックアップができたり…いろいろな改良があった。

それでも、このテレキャスターは生き残っている。
シンプルなピックアップで、ビブラートをかける装置もないが、いさぎよいのだ。

地震(1995年)の少し後に、白いテレキャスターを3万円で買った。
梅田の楽器店での衝動買いだった。
もちろん、日本製で(アメリカ製は値段がひとけた違う)特価品だったが、しばらく前に行きつけの楽器屋さんで調整してもらって、みちがえるほど弾きやすくなった。

シンプルなものは、調整もしやすいし、長持ちするのだろう。
今でも調子よく弾ける。

余分なものがないこと…これは大事なことだ。
モノのデザインの基本でもあると思う。(僕にはデザインの才能はないが…)

今は、表面がアーチ状になっているものや、小ぶりのボディで軽く、スタイルのいいものもたくさんあるが、そんな細工の一切ないテレキャスターには存在感がある。

シンプルで存在感があるもの…一つの理想なんだろう。

自分にないものにあこがれるということかもしれません。



| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
メトロノーム
メトロノームを買って、速さを一定にしてスケール練習を始めた。
これは、想像以上によい練習だと思う。
自分勝手に弾くのとは全く違うのだ。

音の大きさが調整できるように、電子式のメトロノームにした。
ピッ・ピッ・ピッ…と音が出るのに合わせて、ドレミド レミファレ ミファソミ…と弾いていく。
正確に、確実に…を第一にして、ゆっくりしたテンポで始めたのだが、今までそんなことをしたことがあまりないので、大変だ。

どんどん、弾くポジションを変えていくのだが(ギターの場合は、同じ音が何ヵ所かで出せるから)、どうしても苦手の部分がある。

しばらく練習していたら、胃が痛くなってきた。

単調なテンポで鳴る音に合わせて弾くというのは、本当にしんどいものだ。
ずっと我流でやってきたし、CDやレコードに合わせて弾くことはあっても、メトロノームというのは初めてだったので、こんなに難しいものだったのか…と思い知った。
外部に合わせるのはしんどいのだ。

人間の生活も同じことか…。
自分の自由にやっていければ楽なのだが、外から強制されるとしんどい。
でも、外から強制されることが、社会生活の大事な部分であり、それがなければ社会が成り立たない。
コミュニケーションというのも、良い意味での妥協がなければいけないと思う。
外からの強制をプラスに転じなければならないのだ。

メトロノームに合わせて練習することは、外からの強制に耐えて、音楽でコミュニケーションする…ということを練習しているのかもしれない。

今年はがんばりますよ。


| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦中派
こないだ出張で長いこと新幹線に乗って、田辺聖子の「楽天少女通ります」を読んだ。

今の朝のドラマ「芋たこなんきん」の原案の一部になっている、著者の自叙伝だ。

本の中に大阪の空襲のことが書かれている。
たくさんの人が亡くなり、著者も大変な目にあいながら、学校から家まで歩いて帰った。
その途中のありさまが書かれている。
本当に悲惨な光景だったと思う。想像を絶するものだ。

一度だけウチの母に聞いたことがあるが、大阪と前後して行われた神戸の空襲のあと、路上の穴をよけながら歩いたことがある…とのことだった。穴はもちろん、爆弾が落ちた跡である。

僕らが生まれる少し前には、爆弾が降ったきた時期があったのだ。

母は戦中派だが、何度か、同じことを言うのを聞いた。

「ワタシらは、戦争をはさんで、世界が反対になってしもたから、何も信じられへん。」

たしかに、一夜にして、神さまだった人が人間を宣言し、神の治める国が、ミンシュシュギになった…と言われても、「どないせえ言うネン…」という事だったんだろう。

戦後の日本は、戦前を否定してやり直した。
そして、空前の高度成長を遂げた。
皮肉だったのは、その空前の高度成長を実現した指導者は、戦中派の人たちだったということだ。

大変な目にあった人は、人間が強くなるんだと思う。

もちろん、周りの環境も手助けしたのだろうが…。

田辺聖子の小説を読んで、もっと戦前を知らないといけないなあ…と思った。


| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
食べるのが速い
ご飯を食べるのが速い。

これは、小学校の頃に、お昼の休み時間に少しでも長く遊ぼうと思って、速く食べる習慣がついたからだと思っている。

小学校の運動場には、教室から見えるところに、丸い板が置いてあった。
板は裏表が赤と白になっている。
雨が降った時など、運動場に出てはいけません、というような時には、板が赤になっている。
白の時は、運動場で遊んでもよいという印である。
雨上がりの時など、授業中でも教室の窓から丸い板を眺めていたものだ。

通常の休み時間は10分だったのか、15分だったのか…。
午前中に4つ授業があって、12時過ぎに終わっていたのだから、授業が45分で、休みは10分だったのか…?
10分の休み時間でも、運動場に走って出ていって、ボール遊びなどをして、授業のチャイムで必死で走って教室に帰った。

昼休みは給食を速く食べれば、それだけ休み時間が長くなる。
食べ終わったものから順に遊んで良い、というルールだった。

だから、給食は速く食べなければならなかった。
少しでも長い時間遊びたかったからだ。
だから、給食は速く食べるものだった。
先を争って運動場に出て行ったものだ。

ウチの子どもたちは、それほど食べるのが速くない。
何でかな…と思っていたら、昼に掃除をするらしい。
だから早く食べ終わっても、長く遊べるというわけではないらしい。

僕らの頃は、掃除は授業が終わってから、当番制でやっていた。

ゆっくり食べるのはいいことだと思う。
ダイエットにもなるし…。

でも、速く食べるクセを、小学校の昼休みに遊びたい…という動機で身につけたことには後悔していない。
どうしても片づけたい仕事があったり、短い時間で食べないといけない時もあるのだ。
そんな時に、食べるのが速いのも芸のうち…と思う。

食べる速さと、小学校の昼休みの時間の使い方について、調べてみたら面白いかもしれない。


| | 考えたこと | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
ある日突然
今日はギターの初日だった。

正月にスケール練習をした。スケールとは、ドレミファソラシドのことである。
これを、いろいろなポジションで弾く。
一つの弦に3音ずつ弾くというパターンで練習した。

かなり弾けるようになった…と思ったが、先生のスケールの速さ、正確さとは全く比較にならない。
一生追いつけないだろう。
さすが、先生である。

どうやったら、そんなふうに弾けるんですか?と聞いたら、とにかく毎日練習すること…という当たり前の答えが返ってきた。
何か効果的な練習法はないですか?と聞いたが、そんな抜け道はない。

でも、速く弾こうとするより、しっかり弾くことの方が大事ということを教えてもらった。
メトロノームを買って、とにかく毎日少しずつでも速くしていこうと思っていたが、そうではなくて、しっかり弾くことを第一にした方が良いらしい。

そして、ある日突然「わかる」時が来るとのこと。
スケールがわかる…それは指が考えた音のところにいく、ということなんだろうと思う。

そのある日がいつになることか…。

単調な練習を続けることでしか、その「ある日」はやってこない。

何に関しても、言えることなのかもしれないと思う。

その時が、「わかる」と「できる」が一緒になる日なのだろう。

今年中に、一度はそんな時を経験したいと思う。

がんばろう。



| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
遺伝子の指示か?
何気ないことで、好みがある。

みんなで食事に行った時に、自分の頼んだものを人とシェアするのがいやだ。
自分の頼んだものは、自分で食べたい…と思う。

たとえ人が頼んだものがおいしそうであっても、それは次に頼めばよいと思う。
自分の分は、自分で…と思ってしまう。

もちろん、せっかくみんなで来たのだから、分け合おうという気持ちはわかる。
それでも、何となくイヤなものはイヤなのだ。

不思議なことに、2人の子供は、一人は僕と同じようにシェアするのはイヤみたいだが、一人は逆である。
別に教えたわけでもなく、非交換主義と交換主義というような一般的な規則があるわけでもない。
それでも、2人が違うのはなぜなんだろうか。

生物学の世界では、生き物は遺伝子を運んでいるのだ、という考え方がある。
人間でいえば、僕らが生きているのではなくて、遺伝子が自身を残そうとして、僕らは生かされているということになる。
遺伝子の意志で生かされている…という事らしい。

自分の遺伝子さえ残れば、それでいいのだ。遺伝子は利己的である。それが種の保存につながる…。
猿の子殺しなどの行為は、そんな理屈で説明されるようだ。

たしかに、自分という生命体を作る上での情報は、二重のらせん状に塩基が並んでいる遺伝子に全て書かれている。
それなら、食事に行った時に、人のものとシェアするのが好きかどうかということも遺伝子が決めているということになる…。

食事をシェアすることについて、親からしつけられたわけでもないし、ただ、何となく…という気持ちがあるだけなのだ。
何がその気持ちを作りだしているのか…、本気でリクツで説明しようとすると最後は遺伝子に行くのかもしれない。

脳や遺伝子についての研究が進めば、そんな好みにもリクツがつくのだろうか。

リクツがつくことに意味を見出すのかどうかは…、これも好みの問題かな。

そういう研究を好んでするかどうか、ということさえ、遺伝子が決めているのかもしれない。

遺伝子操作で、食事をシェアするかどうかの好みを変えられるとしたら…。

あんまり楽しくない未来ですよね。




| | 考えたこと | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
三本立て
高校の頃、よく三本立ての映画を見に行った。
ちょっと遠いが、歩いていけるところに映画館があって、そこはロードショーはめったになく、たいがい古い作品の3本立てをやっていたのだ。

一番よく見たのが、マカロニウエスタンの3本立て。
ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッドが出ていた。

最初に主人公がボロボロにやられて、最後にはやり返すというパターンに決まっていた。
主人公を助ける脇役に、面白いヤツが出てくるのも多かったように思う。

印象深いのが、いつも鉄の球(ビー玉より二回りくらい大きい)を手に持っていて、戦う時にはその球を靴の上に落として(靴にはその球が載る台が付いている)、すごい勢いでその球を足で飛ばす…というヤツだった。
足を振る時にビュッという効果音が入って、その球は必ず命中する。

客の入りはまばらだったが、命中すると「おー」という声が上がった。

当時、土曜日も学校があったので、日曜日の10時くらいに映画館に入り、出てくるのは夕方だった。
帰りに大衆食堂に寄って、丼ものを食べて帰る…というのがお決まりのコース。

今なら、目も疲れるし、とても身体がもたないだろうが、その頃は元気だった。
お腹は空いたが、充実した一日を過ごせた。

猿の惑星も、怪獣ものも、その映画館で見た。

バブルがはじけた頃に、その映画館は潰れてしまった。

今でもクルマでその前を通ると、三本立てを見たことを思い出す。

最近はロードショーばかりになってしまったが、映画館が潰れて減ってしまったからだろうか…。

いい時代だったのかもしれない。



| | 考えたこと | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストーニー・エンド
今日は車の中で、懐かしい歌を耳にした。

中学生の頃に聞いて、すごく好きだった曲だ。
探せばきっとこの歌が入ったカセットテープがあると思う。

バーブラ・ストレイザンドが歌っていた、ストーニー・エンドという歌だ。
Stoney end…石みたいな終わり(無情な結末…という感じかな)。
題名が印象的で、歌もよかった。
あまり流行らなかったから、知っている人はいないのかな…。

この曲を作ったのは、ローラ・ニーロという人で、フィフス・ディメンションという黒人のボーカルグループの曲をたくさん書いている。いい曲が多い。

おぼろげながら歌詞は知っていたのだが、調べてみたら、こんな感じだった。

「石みたいに悲惨な終わりに…」というところで盛り上がって、繰り返しの「ゆりかごで寝かせて…」というところが泣かせる歌だと思う。

いい加減な訳詞です。

ストーニー・エンド

 愛から生まれた私
 かわいそうな母は炭坑で働いていた
 私は聖書で育った
 行間の意味がわかるまでは

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい

 瞳に愛を光らせた彼を
 まだ思い出すことができる
 でも光は消え去って
 日がのぼりはじめる頃には別れてしまった

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい

 天気予報なんか気にしない
 だって空はおかしくなっているし
 怒りとおかしな雷が
 私の怒り狂う魂にぴったりくる

 今はもう信じない
 朝なんて来てほしくない

 石みたいに悲惨な終わりに落ちていく
 そんなふうにはなりたくなかったのに

 ママ、私をやり直させて
 もう一度ゆりかごで寝かせてちょうだい


こないだ書いた、街の灯りのまだ数年前の歌だ。
あの頃好きだった歌は、ずっと忘れないのだろう。

| | 音楽 | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
代名詞の動詞化
20年ほど前、会議に出て驚いたことがある。
代名詞を動詞に使うという事を知った。

それまでも、聞いたことはあったと思うのだが、その時の印象は強かった。

「それは、ナニすることになってたやろ」というようなヤツだ。

「ナニする」というのは、動詞である。意味は今までの経緯から決まる…というようなものだ。

例えば、Aという製品は、10万回の耐久試験をすることを前の会議で決めていたとしましょう。
それは、会議の出席者はみんなわかっているとしましょう。

そこで、このような会話になる。

「Aの耐久試験ですが、いろいろと事情があって、5万回の耐久試験をしたいのですが…」
「あかん、あかん、それはナニすることになってたやろ」

ここでは、「ナニする」は「10万回の耐久試験をする」という事である。
とにかく、あせって否定や肯定の意思表示をしたいような時に使われるような気がする。
意思表示が先に立って、内容を後回しにしてでもしゃべる…というようなニュアンスである。

「いや、ナニすることになってはいましたが、今回は類似データーがあるので、5万回でいけませんか?」
「そら、あかんやろ。ナニすることになっていたもんは、ナニせなあかんで。」

そんなふうに代名詞が動詞になるのだ。「場」の動詞と言ってもよい。

会話を関西弁で書いたのは、これは関西独自の用法ではないか…と思っているからである。

もちろん、ニュースでアナウンサーが使うような言葉ではない。

若い人はあまり使わないだろうと思う。

それにしても、便利というか、ずぼらというか、言葉の柔軟性が高いというか…。

関西弁は便利…と言ってよいのかな?


| | 考えたこと | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
街の灯り
テレビを見ていたら、懐かしい曲がかかっていた。

堺正章が歌っていた、「街の灯り」である。
関電のコマーシャルソングで流れていた。
カバーしているのは、SAKURA。

ここで聞けます。(灯の言葉篇です)
http://www.kepco.co.jp/media/cm/index_3.html

1973年の曲だった。
「そばにだれかいないと…」という歌い出し。

スパイダースを解散して、ソロになって、何枚目かのシングルだ。

まだCDになっていない(というか、ひょっとしたらCDは出ないのかも…)のが残念。

僕が高校生の頃。毎月、ギターの雑誌を買っていて(当時はギターといえば、フォークギターだった)、歌詞とコードだけが出ているページを見ながら弾いた曲の一つだった。

この頃の曲は、とにかく歌詞がわかりやすい。言葉の数が少ないので、言っていることがよくわかる。

二番の出だしの「街の灯りちらちら…」というところが、胸にぐっとくる曲だった。

CMで流れる、抑えたバックにひびく声がすごくいい。
原曲よりも、透明感があって、好きだ。

CDが出たら、買おう。

この頃の歌は、いいですね。


| | 音楽 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
読めない本
早く読める本と、なかなか読めない本がある。

得手不得手があるのだ。

田辺聖子の短編小説やエッセイが好きで、その手の本は面白く、すぐに読める。
馴染みになっている、ということか。

源氏物語もかなりのページ数だったが、田辺聖子版で一気に読んだ。
こんなに面白かったのか…と感心した。

その調子で、これもいけるだろう…と思って読みはじめたのが、「道頓堀の雨に別れて以来なり」という本。
文庫本だが、かなりの厚さで上・中・下の3冊になっている。
川柳作家の伝記巨編で、やっと上巻の終わり近くまで来た。
明治から昭和にかけての川柳界の変遷を、大阪の川柳作家を中心に据えてたどっているのだが、引用が多く、それが文語であったりするので、なかなか頭に入らない。

結局、自分の頭の中に予備知識がないのだろう。
そういう本は、読むのが遅くなる。

ふんふん、とうなずきながら読める本は、概して早く読める。
書いてあることに同意できるということは、さっきとは反対に、予備知識があるのだ。

しかし、予備知識があっても、これはおかしい…と思うような本は、読むのが遅くなる。
自分の考えと違うことは、頭に入りにくいのかもしれない。

そして、読むのが遅くなる本は、途中で止まる確率が高くなる。

本は必ずしも全部読む必要はない、読みはじめても、下らないと思ったら読むのをやめよ、と書いてあるのを何度か読んだことがある。
しかし、貧乏性なのと、ひょっとしたら面白くなるかも…という色気が出たりして、なかなか途中でやめられない。
読み終わってから、思わずため息が出る本もある。(もちろん、後悔のため息である)

それでも途中で止まっている本がたくさんある。(意識の中では、読むのをやめたのではなく、あくまで途中で止まっていると思っているのだ。)
それらは読んでない本の棚に戻したり、読んでない本の山を作る。

いつか精算しようと思うが、できるかどうかはわからない。

何年かの歳月を経て、「読めない本」が「読める本」に変わるという体験をしてみたいと思っていた。

残念ながら、ある年齢を超えたら、もう無理なのかもしれない。

それ以前に、読めない本を選ばないことか…。



| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
小さな幸せ
二日前に散髪に行って、髪を染めた。
半年に一度くらい染めている。

だんだん、髪が中途半端に白くなるので、グレーにした。
グレーにすると、白髪が目立たなくなる…とのこと。

家に帰って、ずっと黙っていたが、半日たっても誰も気づかない。

前回染めた時は、長男だけ気づいたのだが、今回は全滅だった。

「大いに変わった」と自負しているのだが、所詮は他人の顔である。

そんなこと、よくありますよね。
僕は、気づいたら言うようにはしているのだが…。
(言われて、イヤな場合もあるのかもしれないが、そのへんは無神経かもしれない)

髪型を変えた時…これは、難しい場合がある。
髪を切った時…これはわかりやすい。
メガネを変えた時…これも難しかったりする。

化粧品となると、男では難しい。女性同士ならわかるんだろうか…。

メガネを変えた時などは、「あ、変わった」と言ってもらうと、うれしいものだ。

最近、僕も老眼鏡を多用するようになったので、わかってきた。

でも、他の人から言われなくても、自分の何かを変えたり、新しくするのは何となく心はずむものだ。

新しい靴をおろした時…子供の頃は、うれしかった。足がはずむような気がしたものだ。
「おニュー」という言葉、これはぼちぼち死語なんですかね…。
「今日の靴はおニューやねん」などと言ったことがある。

文房具もそうだった。新しい筆箱や下敷きなどは、出して机の上に置いた時に、にんまりする。
気に入ったペンなどは、その気持ちが長く続く。
キャップをパチンとはめた時に、ほんの小さな幸せが訪れる。

人それぞれ、あるんでしょう。
気に入った傘を持って出る日は、気分がすこしウキウキするとか、気に入ったカバンを持って出る日は、足取りがかるいとか…。

そんな小さな幸せがたくさんある人は、人生を楽しんで生きている人かもしれませんね。


| | 考えたこと | 23:55 | comments(2) | trackbacks(0) |
正月雑感
お正月といえば、かるた、すごろく、コマ回し、たこ揚げ…であった。

かるたは、少年誌のおまけに付いていたようなものをやっていた。
すごろくはディズニーのゲーム盤をよくやった。

コマ回しは小学校の頃に、よくやった。

1メートルちょっとのヒモを、木製のコマに巻き付けて、ヒモの端を持って投げて回す。
懐かしい。
単に回すだけでなく、手のひらでコマを受けたり、回っているコマを、ヒモで浮かしたり…いろんな技があった。
子供が小さい頃に何度かやったが、最近はコマを持っている子供を見ないし、遊ぶ姿も見ない。

今年は、元旦の日にカイトを揚げているのを見た。
カイトというのは、翼があって、下に三角形の垂直翼みたいなのが付いていて、そこに糸が付いているヤツだ。
あれは、簡単に上がる。

凧は揚げるのが難しい。
正月には、やっこ凧を揚げていた。

昔は、正月には、高圧電線に凧がひっかかって…というニュースが流れたが、最近はたこ揚げもしないからか、ニュースにも出ない。

そういえば、最近は元旦からスーパーもやっていたり、コンビニが開いていたりする。
いつ頃からそうなったのか…。10年くらいかな…。

以前は正月の三が日はお店は閉まっていて、何も買えなかった。
お重に入ったおせちを食べていた。
四日か五日になって、朝食にパンを食べて、久しぶりにおいしい…などと思ったものだが、今はいつでも食べられる。
祖母が、子供は年の数だけお餅を食べないと…と言っていたのを思い出す。

お年玉をもらっても、使うところがなくて、四日あたりにデパートに連れて行ってもらったものだ。

だんだんと正月の風物詩もなくなっていくのか…。

そういえば、寄席中継も減ったなあ。
バラエティと呼ばれるような番組ばかりになった。

何となく、さびしいような…。



| | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の楽しみ
気のあった人と会って話をするという事は、人生の楽しみのリストで、トップにくるものだ。

今日は2年少しぶりに先輩と会って、昼の1時から7時前まで6時間、ぶっ通しで話をした。

いろいろと積もる話をして、楽しかった。
昔のハナシも、今のハナシも、共通の土俵の上で話せる。

飲んだ量は多かったが、こんな事は滅多にない。

おいしいものを食べるとか、欲しいものを手に入れるとか、何かを達成するとか、作り上げるとか…人間関係のない部分でリストに載るものはあるだろう。

しかし、人生は関係の中にあるのだから、リストのトップはやっぱり人と会って話をするということだ。
(本を通して、目の前にいない人と話をするということも上位にくる。)

昔のエライ人が、友あり遠方より来る…と言ったのは、そういうことではないか…と今日は思った。

さすがにエライ人はいいことを言う。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
初詣
二十代の頃はあまり行く気がしなかったが、最近は元旦に初詣に行かないと…と思う。

普段の生活の中では、仏教と神道を行ったりきたりする。
生まれた時はお宮参りで、鳥居をくぐり、死ぬ時にはお寺でお経をあげてもらう。
仏教徒なのか、神道なのか…どっちやねん、という感じである。

西洋人に、オマエの宗教は?と聞かれて、答えに困る。
最近は、生まれた時は神道、死ぬ時は仏教…ということにしている。

でも、生活の中では、仏さんよりも神サンの方が身近に感じる。
いいことも、悪いことも、神サンの差配でやられている…というふうに思う事が多くなってきた。

それに、何となく、お寺よりも神社の方が清々しくて好きだ。

寝ている神サンを起こすために、祈願する前に鈴を鳴らす、という人間くささもよいと思う。

いちいち、願いなど聞いていられるかいな…と神サンは横になっていて、鈴が鳴ると、しゃーないな…と出てきて、いい加減に願いを聞くという感覚が、しっくりくる。

今日も、家内安全、無病息災、それから、仕事がうまくいきますように、それから、ギターが上達しますように、それから…とたくさんお願いしておいた。
お賽銭の額を考えると、願い事をする方もする方だ…と自分で思う。

だから、鈴を思いきり鳴らして、大きく手を打って、ちゃんと聞いて下さいよ…という思いを込めて拝む。

お賽銭だけではちょっと欲どおしいと思い、お守りを買って、おみくじをひく。

今年は吉だった。
これは、折りたたんで、一年間財布に入れておく。

おみくじによると、

曇った空も晴れわたりて、月のいずるごとくなり
麻の衣は変じて、緑の衣となるべし
久しき憂いもしだいに退き、今は心安らかなり
財宝、威勢もましてあたりに輝く景色なり

ということらしい。

何となく、心うきうきする文句である。
あの六角形の入れ物を振って、出てきた棒の番号を言って、札をもらうだけの事なのだが、うれしくなった。

今年もよろしくお願いします。



| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |