考えたこと2

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とりあえず書く
ワープロができて、文書のつくり方がだいぶ変わったと思う。

それまでは、紙と鉛筆の時代。
紙を目の前に置いて、鉛筆を持って、考える。
場合によっては、資料を広げる場所も必要だ。
というわけで、何かを書くというのは敷居が高い行為だった。

でも、今はワープロがある。
紙を目の前に置かなくても、書くことができる。
そしてインターネットがある。
ワープロソフトを使いながら、ネットで調べものをすることも簡単にできる。
この組み合わせができて、書くことの敷居は大幅に下がった。

机の上の面積が必要なくなった、ということがある。
ノートPC1つ置ければ、それでいい。
ファイルを広げたり、本を広げたりするところも要らない。
引用も簡単だ。
選択してコピーすればいい。
準備はパソコンを持ってきて置くだけだ。

そして、とりあえず書き始めることができる。
書いたところは消しゴムを使わすに、いくらでも消すことができるし、いくらでも書き直しができる。
文章の順番を変えるのも簡単だ。
全部書きなおす必要もない。

結論を書いておいて、あとで事例を考えるとか、根拠を書き換えるとか、そんなことも簡単だ。

書きかけの状態で置いておいて、一旦保存して、別のバージョンを書いてみることもできる。

書き散らかして、あとでまとめることもできる。

そういう書き方ができるのがワープロの強みだ。

だから、ワープロとインターネットができて、世界に文章が溢れるようになった。
掲示板というメディアができ、文章というより言葉の断片でも書き込めるようにもなった。
ブログという公開の手段もできた。

とりあえず、書くことができる。
考えをまとめるために、書いて見ることができる。
そういう意味では、ワープロができて、書くことは表現することだけではなくなった。
書くことは、考えることにもなった。

ぼくのような者でも、こうやって毎日書くことができるのは、まさにワープロのおかげ。

だけど、駄文もたくさんある。

功罪相半ばというところか…。


| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
歴史を学ぶとは
人間の知識はどんどん増えているが、当たり前だが、脳の考える能力は変わらない。

進化論、という言葉でごまかされているが、長い年月を経て人間が進化した、と思ったら間違いだ。
人間という種は進化していない。
知識がついて賢くなったのは間違いないが、それは人間が自分の得た知識を伝えることができるようになり、どんどん知識を積み上げてきたからだろう。
自然科学など、その最たるもの。
知識の積み上げが、現在の文明を可能にした。
だが、だから人間が進化したわけではない。
人間は昔の人の知識を「もうわかっているもの」として伝えることができたから、見かけ上賢くなっただけだ。

特に自然科学ではなく、人間の営みに関してはなかなか学べない。
知識の積み上げになっていないからだ。
人間はいろいろな失敗をしてきた。
そのために、隆盛を誇った文明が滅んだりしている。
大成功した会社が潰れたりもする。
結果論だが、どうして革命が起こったのかとか、なぜ失敗したのかとかいう分析も必要だ。
そういう知識を積み上げて、そしてこれからの事を考える。
それが、歴史というものだろう。

ぼくは長いこと歴史をなぜ学ぶのかわからなかった。
暗記をすることが嫌いだったからだ。
というか、歴史の意味を知らなかったとも言える。

それがわかったのは、40代の頃か。

もう遅い。
前にも書いたが、歴史の意味を最初に教えないといけないと思う。
日本史も世界史もない。
歴史の教科書の最初のページは、なぜ歴史を習うのか、ということにするべきだ。
それに1年間割いてもいいと思う。

そうしないと、本当に人間は退化するぞ。





| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
65歳まで雇用
日経に記事が出ていた。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDF2800Y_Y2A820C1EA2000/

年金の支給開始の年齢が上がるから、それに伴って雇用を義務付けるというもの。
それ自体は理にかなっているが、財源の問題がある。
若者と高齢者の世代間格差の問題もある。
来年から60歳定年が1歳上がり、3年後に62歳になる。
3年ずつ上がっていって、2025年には65歳になるという寸法。
厚労省は高齢者に優しい。

昨日の朝刊に、昨年度の新卒者のうち3万人がニートと書いてあった。
実際はもっと多いと思うが、ニートの総数は60万人と言われている。
これから、毎年数万人がニートの仲間入りをすることになるだろう。
雇用状況は悪化する一方だ。
企業はアジアの海外拠点のために、留学生やアジアの大卒生を雇う。
日本の工場や、場合によっては本社が出ていく。
おまけに、電気代まで上がろうとしている。
これで日本で頑張れ、というのがムリだろう。

ニートが3万人増えても、人出不足という感じがない。
実際、やっと人余り感がなくなってきた、という論評が出ていた。
つまり、新卒が3万人減っても、企業が困ったという声を上げない。
大学を出て、何もしない若者が3万人いても、世の中は困らない、ということだ。
これは大変なことだと思う。

一方では高齢者を優遇し、年金の額を減らすために65歳までの雇用を義務付ける。
若者には見向きもしない。
役職定年とか再雇用の文字が見えないし、このままでは世代間格差はもっと広がる。
やっと記事の最後の方に、若者の雇用を抑える可能性がある、という言い方。

それでなくても、余っているのに、どうするのだろう。
新しい産業が出てくるように、規制を緩和するとか、若い人の雇用を促進するような政策を取るとか、そういうものとセットで出すべきだろう。
若者はもっと怒るべきだ。

今はまだ親の年金があるが、親がいなくなったらどうするのか。
働けず、家も売り払ったような中年がたくさん出てくる。

これは日本の危機だ。

だれか、若者の代表になる政党はないか…。




| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョーク
最近の刑事ドラマを見ていると、切迫した場面でジョークを言うことが多い。

これは海外のドラマの方が圧倒的に多い。
彼らの文化なのだろう。
戦争映画を見ても、日本では悲壮な場面でも、西洋では笑いに変える事が多い。

これは、ストレス下において、力を出すためには緊張をある程度緩和し、リラックスしたほうが力を出せるという事だろう。
ほどよいリラックスが望ましい。
あまり緩和しすぎても逆効果だ。
そういう意味でほどよいジョークを言う。
こういうのは、才能というか、文化というか、難しい。

オリンピックを見ていても、いつも思う。
日本の選手は悲壮感がただよう。
こうなると力が出せない。
もう少しリラックスしたらいいのに、と思う。
まだチームプレーの競技ならマシだ。
一人の競技なら本当にかわいそうになる。

西洋にはコーチングという技術があって、メンタル面のコーチが付いていたりするらしい。
今は日本もそういう人がいるのだろうか…。

どうしても、日本人は精神論で突破しろという伝統がある。
為せば成るという伝統だ。
ど根性といってもいい。
これはどうも効率が悪い。
また、この効率という言葉が日本人は嫌いだ。
「何が効率か」「効率がよければいいのか」と怒る人が出てくる。

効率が良い、ということの価値よりも、ど根性の価値が高いのだろう。
この伝統がいつ頃なくなるのか…。

なくならないかもしれないなあ。
| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動販売機
自動販売機というのはいつ頃から増えてきたのだろうか。

今や都市部ではあって当然という存在。
最初の頃は冷たいものだけだったが、熱い飲み物もサービスするようになった。
そういえば、紙幣も使えるようになったなあ…。

節電といえば、あれは真夏の野外においた冷蔵庫みたいなものだから、あれこそ止めないといけないのではないか。

ぼくらが中学校の頃、帰りにパン屋によってコーラの500mlを一気飲みするのが流行った。
あれはちょうど1970年あたりだった。
もちろん、ガラス瓶に入ったコーラだ。
あのころ、赤いコカ・コーラの自動販売機はもうあったが、瓶の500mlサイズが初めて出たのだったか…。

調べてみると、1970年に221,480台だった自動販売機が、1980年には2,156,430台になり、その後2000年以降は260万台で推移している。
要は、70年代に20万台から200万台への劇的な増加をとげたということだ。
高度成長にしたがって、増えていったのだろう。

最初は自動販売機といえば、コーラだった。
そのうち、駅のキップも、タバコも自動販売機になった。今やタバコ屋はもう死語に近い。
飲み物はビンから缶になり、そしてペットボトルになった。
最初は炭酸飲料が主流だったが、コーヒーができ、イオン飲料が増え、お茶が増えた。
そういえば、駅のキップも磁気になって、改札口も自動になった。
あれはいつ頃だったんだろう。

今や自動販売機はあって当たり前のものになった。
今の都市部の20代の若者は、生まれた時から自動販売機に囲まれて育った世代だろう。
最新の自動販売機は、内部に通信機能を備えていて、何がどれだけ売れたかを通信して配送担当とマーケッティング担当に伝える。
そのうえ、カメラで買った人の年齢や性別を推定して、どんな人が買ったかも分析する。

時代は変わった。

これこそ、消費社会への変遷だろう。


| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
もうあと4ヶ月
カレンダーをよく見たら、もう8月の下旬。

あと4ヶ月ちょっとで今年も終わる。
知らない間にそんなに時間が経って、今年も2/3が終わってしまった。
実際は知らない間ではないのだが、あと1/3という意識をしないまま過ごしてしまったということだ。

でも、多くの人はぼくと同じようなものだろう。
こうして年をとっていく。
毎日の些事に追われて、時間が経つ。
季節の変わり目や、ちょっとした変化には気づかない。

この分なら、あっという間に年末になる。

年末になって、2012年はいったい何をしたんだろう、と思うにちがいない。
だんだんと頭もかたくなって、行動がワンパターンになる。
そうこうするうちに、体力も落ちてくる。
そして名実ともに年寄りになる。

30代〜40代の頃は、忙しくて、こんなことを考える余裕もなかった。

それに比べると、暇になったということか。
それとも、名実ともに年をとったということか。

年をとるのは悪いことではないのだが、いろんな変化を受け入れるのに時間がかかる。

でも、少なくとも、この年まで生きられたのは喜ぶべきことだろう。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼッテー
「絶対」を「ゼッテー」というような言い方が、テレビのドラマで流行っている。
テレビのドラマで流行っている、ということは、若い人の間で言われているからだろう。
ぼくはすごく違和感を感じる。
気持ち悪いのだ。

言っている人は、違和感を感じないのだろう。
若い世代も違和感を感じる人がいるのだろうか?

ちょっとイキった若者が、「ゼッテー」という言い方をする。
例えば、「絶対負けない」→「ゼッテーマケネー」、「絶対うまい」→「ゼッテーウメー」というふうになる。

しかし、同じ「たい」でも「行きたい」が「イキテー」になるのは、理解可能だ。
似た言葉で、「何にも言えない」が「何もイエネー」も理解できる。
こういう言葉は時代劇などで聞き慣れている。
江戸っ子の言葉だろう。

もともと、「〜ない」「〜たい」という助詞が、「〜ネー」「〜テー」になるのはOKということだ。

しかし、「絶対」の「対」は独立した「たい」ではない。
漢字二文字で意味をなしている。
この「対」を「テー」に変えるのは、今までのルールに違反している。
だから「ゼッテー」は違和感があるのだと思う。

この方式でいけば、死体はシテー、期待はキテー、合体はガッテー、事態はジテーというふうになる。
絶対をゼッテーと言っている人は、こういう変化も可能になるだろう。
(「たい」がすべて「テー」になる江戸っ子弁ならあり得るが、それはアリ。)

「絶対死体がある。期待した事態だ」というのは、「ゼッテーシテーがある。キテーしたジテーだ」
ここまでひどくはないが、いずれこういう言い方もできるだろう。

生粋の江戸っ子でもない人が、こういう言い方をするのはどうかと思うのだが…。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
複雑な問題
原子力発電を即座にゼロにする、というのは複雑な問題だ。

大飯の原発を止めるのは、それが可能になったらできると思うが、そのトレードオフも考えないといけない。
トレードオフというのは、原発以外で必要な電気を作るという事のデメリットだ。
いくら何でも、常に上限を気にしながら電気を使うなどというのは、生産者にとっては困ったことだろう。

二酸化炭素の問題もあるし、火力を使うのなら原油価格の問題もあるし、公害の問題もある。
当然、電気代の問題もある。

2005年くらいから原油価格が高騰しており、今は80年代の倍の価格だ。
これから、新興国で石油化学産業が興ってくると、もっと高くなるだろう。
天然ガス、シェールガスに期待するが、これもどうなるのかわからない。
再生可能な太陽光発電は、ドイツを見ていると、まだまだだろう。

当然、原子力のコストが一番安い。鳩山元総理は原子力発電を増やす予定で二酸化炭素の排出量を減らすと言っていた。(現在は反原発のデモに参加しているが…)
原子力発電の廃棄物の問題はある。これは今までもこれからも同じだ。
冬の北海道で、泊の原発を止めるのも難しいらしい。
電気が足りなければ、死ぬ人がでるからだ。

何より、電気代が上がるのが困る。
消費者として言っているのではない。
生産者の目線で言っているのだ。
インフラのコストが上がると、モノの値段が上がる。
今や人件費が高くなった日本から、どんどん人件費の安い新興国に生産基地が出ていく。
日本で作れるものは高付加価値のモノやサービスだけだ。
そういうものを作るのに、電気は必要だろう。(そういうものでなくても必要だ。)
必要、というのは気にせずに使えるということだ。
そういうインフラを整備する必要がある。

そこで、いますぐ原発を全てなくすのは現実的ではないと思う。
働くところがなくなる、ということを考えてみたことがあるだろうか。
実際に若い人たちはそういう事態に直面している。
すでに、毎年10万人の大卒者があぶれているのだ。

エネルギーの問題は難しい。
地熱が有望だというが、まだまだ実用化は遠い。
何らかの再生不能なエネルギー源に頼らざるを得ないと思う。
ではそれを何にするのか。
どういう組み合わせでやるのか。
いつまでに、どうするのか、そういうことを考えないといけない。

ところが、総理大臣だった人が、二酸化炭素の排出を減らすために原発の比率を上げる、と言ったかと思えば、原発ゼロのデモに参加している。

こんないい加減なリーダーの国だから、エネルギーのポートフォリオも考えられるハズがない。

しかし、ヒステリックに反原発と言っている人たちはこういうことを考えないのだろうか。

本当に若い人の仕事がなくなってもいいのだろうか。

生産者が困ると思わないのだろうか。

きっと、根っからの消費者なんだろうなあ。
これこそ、大量消費社会の生んだ災害だ。

複雑な問題には、複雑な解決しかできない。

その複雑さを考えなければ別だが…。




| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
火星の景色
キュリオシティから火星の写真が送られてきている。

まるで地球の砂漠のようだ。
カラーの写真は赤茶けた砂漠が写っている。
白黒の写真には、クレーターの外縁の山脈が写っている。

そこらから、ちょっとトカゲか何かが顔を出しそうな景色。
生物がいても、何の不思議もない。

しかし、よく見ると植物がいない。
岩、石、砂という組み合わせ。
大気はほとんど二酸化炭素だから、水さえあれば植物が育つかもしれない。

今回のミッションでは、キュリオシティが火星の土壌を調査し、生命の存在の痕跡を探すという。
プルトニウム電池を積んでいるので、2年間(=火星の1年間)動くことができる。
温度が-120度くらいになるので、その熱で機器を温めることもできるらしい。

ぼくが小さい頃は、ひょっとしたら火星人がいるかもしれない、という時代だった。
火星がSFの舞台になる時代。
しかし、火星の探索が進み、そういうことはできなくなった。
現実に地球のような景色の火星を、カラー写真で見ることができる。

こんな時代が来ると、SFも書きにくいだろう。
スペース・オペラはもう無理だ。
遠いところの星も、ハッブル宇宙望遠鏡などで観察されている。
天文学がSFを追い越したようだ。
宇宙が11次元だとか、ひも理論とか、科学者の方がよほど突飛なことを言っている。

いつの日か、人が火星に立つ日もくるかもしれない。

NASAの予定では、2030年代半ばに有人火星探査をするとのこと。

あと20年ちょっと。
お金が続けば、予定通り20年ちょっとで行けるかもしれない。

あと20年ちょっとなら、ギリギリ生きているかもしれないなあ。




| | 考えたこと | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
呼び捨て
最近、芸能人とか作家など、有名人の名前を呼び捨てにしない人が時々いる。

さん付けしたり、くんになったり、いろいろバリエーションがあるが、まだ生きていて、年齢が近いと、そういうことになるらしい。
SMAPの中居君とか、総理大臣の野田さんとか、作家の東野圭吾さんとか俳優の松嶋菜々子さんとか…。

さすがにだいぶ前に死んでいる人には、つけたのを聞いたことがない。
夏目漱石さんとか、森鴎外さんとか、伊藤博文さんとか、そんなのはオカシイ。

だいたい、尊敬すべき偉大な人は、呼び捨てにすべきだろう。
それがルールだと思う。

以前、子どもたちがミスチルの桜井さん、と言っているのに違和感を感じた。
「桜井さん、て知ってんのか」
「向こうは知らん」
「そんなら、桜井やろ」
それでも、エライと思っているのなら、さん付けにすべき、という主張。
まあ、ミスチルの桜井が尊敬すべき偉大な人とは思わないが…、エライかもしれない。
しかし、芸能人などは呼び捨てが普通だ。
ミスチルの桜井は桜井でいいのだ。
それがリスペクトを表す言い方である。

「さん」とか「くん」とかをつけるのは、却って失礼な気がする。
実際に知り合いなら、それもいいが、有名だから知っているだけで尊称などをつけるべきではない。

さん、やくん、をつけると、普通の人になってしまう。
せっかく別世界の人なのに、自分の世界に引きずり下ろすことになってしまう。

単純に「さん」をつけるから、リスペクトしている、というようなものではない。
また、勝手に「くん」をつけて馴れ馴れしくするのも失礼だろう。
そういうことがわからないのか。

この国はおかしくなっているぞ。

| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
原爆資料館
今年は家族旅行で、広島の原爆資料館に行ってきた。

今まで出張で何度も広島に行く事があったが、いつもとんぼ返りで、寄ったことがなかった。
しかし、今回領土問題や太平洋戦争の事を考えて、何となく行く気になったのだ。

人に聞くと、昔はもっと怖かったが、今はちょっとマシになったのではないか、とのこと。

今回初めて見たが、たしかにそんなに怖い展示はなかった。

驚いたのは、海外からの訪問者がとても多かったこと。
話されている言葉も、英語だけではなく、フランス語やその他、何かわからない言葉もあった。
多くの西洋人が熱心に説明のインカムを聞きながら、資料に見入っているのが印象的だった。

広島、長崎の原爆は多くの市民の命を奪ったが、もともとこの戦争を始めた日本が悪いのだ、と多くの市民は思っている。
だから、「過ちは繰り返しません」と碑に書いてある。
これが日本人の考え方なのだろう。
帰ってきた小野田少尉だけが、「なぜ、これを日本人が書いたのか?」と聞いた。
日本人は他国の責任を追求したりしない。
自分の責任の範囲で考えるのだ。

しかし、原爆は悲惨だ。
今の爆弾は、水爆だから、もっと悲惨だ。
まだ、人類は水爆を戦争で使っていないが、使ったなら、広島や長崎の比ではないだろう。

8時15分で止まっていた腕時計が資料館にあったが、本当にそんなことがあったのか、と思った。
もう被爆者は残り少ないが、この体験が風化しないように伝えていかないといけない。

それでも、この広島、長崎の原爆があったから、ある意味で平和が保たれたという側面もある。
核兵器の悲惨さがわかり、それが抑止力になって、戦争を止めるインセンティブを与えた。
そういう面もあるのだと思う。
だから、皮肉にも核廃絶しないことが、平和の継続につながるのかもしれない。

そういう意味でも、ヒロシマ、ナガサキは伝えていかなければならない。

この悲惨さを知らない人ばかりになったら、また核兵器が使われることになりかねないぞ。

人類はそんなに賢くない。

| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウザい
「ウザい」という言葉、ぼくらの若い頃は使われていなかった。

しかし、「うざったい」という言葉は使わないが、存在は知っていた。
マンガの吹き出しに入っていたりしたのだろう。

この「うざったい」という言葉の意味は、「俗に「鬱陶しい」を表した語で、東京多摩地区の方言」ということ。
何となく、意味はわかっていた。

ウザいはその略で、「東京の若者の間で広く使われるようになり、全国に広まったもの」と語源辞典に書いてあった。

気持ち悪いをキモいと略するのと同じ方式だ。

要は「うっとうしい」、という意味。
東京発の流行語?だ。

気がついたら、若い人はみんな使うようになっていた。
でも、関西では東京ほど使われていないのかもしれない。

この語感はすごくよくわかる。
「ウザい」と言われると、近寄れない。

もともと、うっとうしいという言葉は、自分に過度に関わられるのが気持ち悪い、というような意味で使っている。
自分に関わらなくても、「うっとうしいヤッちゃなあ」というと、何か「障害になる存在」という感じだ。
それをもっと強くしたのが、「ウザい」という言葉になったという感じがする。

この「ウザい」という言葉といじめは関係があるのではないか。
「ウザい」から「いじめる」というのは自然なつながりだ。

人間は、言葉を作って自分の考えや思いを伝える存在だが、その言葉が逆に行動をうながす場合もあるのではないか。
自分の中にある醜悪な感情に名前をつけると、「ウザい」という言葉になった。
そんな感じがする。

だから、「ウザい」はいつも「ウザい!」という感嘆符がつくような気がする。

同様の言葉に「キモい」があるが、どちらも1980年代あたりに出てきた言葉。
http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/ijime.htmlによると、最初にいじめの記事が出たのが1978年ということだ。
そして、1985年に最初のいじめ自殺があったということも書いてある。

80年代に「ウザい」という言葉ができて、いじめが出てきたのか、それともいじめが出てきたから、「ウザい」という言葉ができたのか、難しいところ。

とにかく、「ウザい」は時代の雰囲気を表した言葉だったのだろう。

ということは、この言葉が流行っている限り、いじめはなくならないかもしれない。



| | 考えたこと | 18:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
高野連
作新学院の野球部員が強盗で逮捕されたとのこと。

学校は甲子園に出場中で、今日も勝った。
このままいくと、準々決勝に出る。

この事件で、高校野球連盟は「部員が個人で起こしたことであり、過去の事例から部活動以外で、個人が起こした不祥事で出場を差し止めたことはない」ということらしい。

そういえば、いろいろな不祥事はあったが、いつも高校側が出場辞退していたのかもしれない。
万引きや喫煙でも、甲子園に出られず、涙をのんだ学校もあったはずだ。
え、オカシイと思った人も多いだろう。

高野連も大会中でチームが勝ち進んでいるところで、出場を止めるのは大会運営上の問題があり、いろいろと問題があるので、出すことにしたのだろう。

このあたりのご都合主義は、日本の非営利組織では日常茶飯事になっているが、この感覚は良くないと思う。
こないだ書いた、野球留学の問題も中途半端でフタをして、結局地元出身者ゼロでもOKになっている。
建前と本音に分かれた、ダブル・スタンダードだ。
そこに、朝日・毎日というマスコミが絡んでいるのが情けないのだが…。

そうしないと、高校野球のレベルが上がらない、というのが実質的な解だろう。
そこまで考えたのか、それとも現場の声に流されたのか、それは定かではない。
サッカーの人気が上がり、このままでは野球がマイナーになる、という危機感もあるかもしれない。

しかし、それならそれで、もっとちゃんと説明すべきだろう。
大会運営上、やむを得ず出場させるが、来年度は公式試合禁止にするとか、監督の監督不行き届きで処分するとか、何とでも出来るはず。

過去の事例など関係ない。
そうでなければ、倫理などどこかにいってしまう。
万引きや喫煙で補導、という問題ではなく、強盗で逮捕という事態。
これがお咎めなしなら、マジメにやっているのがバカバカしくなる。

本当に野球のことを考えるなら、答えはわかるはず。

日本の非営利団体にみられる「ものを考えない」、という悪癖を変えていかないと、本当に大事なものを失ってしまうぞ・・・。


| | 考えたこと | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
60歳
ぼくのいた会社は60歳定年だ。

したがって、ぼくが入社した時の先輩も、ぼちぼち定年になる。
来月定年ということで、宴会の案内のメールをもらった。
2人の先輩が定年になる。

残念ながら宴会の日は別件で行く事ができない。
それで、メールを出した。
ご定年、おめでとうございます、ということになる。
どちらの先輩も、お世話になった思い出がある。

お二人から返事をいただいて、懐かしかった。
今のところ、希望すれば3年間ほど会社に残って、アドヴァイザーのような仕事ができるらしい。
もちろん、1回定年して、退職金をもらい、その後になるので、給料はまた安くなるのだと思う。

今回は会えないが、またいつか、と書かれていた。

そうだなあ、と思う。
ぼくは先に会社を辞めてしまったが、こういうことにお呼びがかかって、幸せだ。

多くの会社が年金の問題で、実質的に定年延長している。
その一方で、役職定年も導入している。
55歳で役職なしになる、というもの。
そのため、55歳になると、給料が下がる。
細く長く、60歳以上まで勤めるというシステムだろう。

そういうふうにしていかないと、若い人を雇えない。
そして、ポストが空かない。
高度成長の頃は、どんどん部署が増えて、勝手にポストができた。
課長代理も課長も、部長も増えていけたのだ。
これからは、そういうわけにはいかない。
どちらかというと、部署の統合を図っていかないといけないだろう。

そういうことを考えて、役職定年、60歳定年・再雇用というシステムを作っている。

しかし、いつまでこういう制度が持つのだろうか。
実際、家電メーカーなどは苦しくなっている。
おまけにパート5年雇ったら、それ以上は正社員にする、という法律ができたらしい。
そんなことをしたら、5年で雇い止めするに決まっている。
結果、5年後に失業者が増えるのだろう。

これ以上、正社員を守るのは無理だろう。
今の民主党は労組が支持母体で、正社員を守ろうとしている。
そうするよりも、みんな非正規社員みたいなものになればいいのだ。

そうすることで、ようやく辞めやすくなる。
そうやって、労働力が移動しやすくしていくしか、産業構造の転換はできない。

いつそうなるか、それが問題だ。


| | 考えたこと | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
a piece of cake
海外のドラマを見ていたら、何かを頼まれて、"A piece of cake."という場面があった。

これは、辞書をみると、「簡単にできること、たやすいこと」「朝飯前」「お茶の子さいさい 」「楽勝」「お安いご用」などという意味。

なぜ、「ケーキ一切れ」が「お安いご用」なのか、難しい。

ここを見てみると、http://eikaiwa-phrase.com/1519.html 「ケーキ一切れを食べるのは簡単だから」という事が書いてある。

なるほど、食べる方か。
どうしても、作る方の事を考えてしまって、「ケーキ一切れ」といえども、簡単には作れないから、何故だろう?という事になる。

昨日の話ではないが、何かを見る時に、どうしても生産者の視点で見てしまう。
かろうじて、大量消費の時代の前を知っているからだろうか。
学校に持っていく雑巾はスーパーで買う時代。
お金さえ出せば、何でも揃う時代。
生まれた時からそういう時代なら、根っからの消費者になると思う。
セーターをほどいて編みなおしていた時代は、ぼくらの小学校、中学校までではないか。

アメリカでもこの言葉はいつ頃から言われているのか、気になる。

このA piece of cake. がなるほど、そうだとストンと腑に落ちる人は、根っからの消費者だろう。
70年代生まれの、三十代。

そう思うのだが、如何。





| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
消費者の視点
消費者という言葉は、高度成長に伴って大量生産・大量消費が当たり前になり、生産者側が強くなりすぎていろいろな問題が起こり、そのためにできた言葉だと思う。

Wikipediaによると、「1968年5月には消費者保護基本法が制定された。これは消費者のための憲法とも言われることがあるものであり、これによって行政・事業者・消費者それぞれの役割が明確化された。それまでの「産業優先」に凝り固まった考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者行政の基礎が体系づけられ、消費者保護に関する基本的方向が示されたのである。」と書かれている。

1960年代の半ばくらいから、大量消費の時代に入ったということか。
それは高度成長の時代でもあった。

そして、2012年。
ぼちぼち低成長の時代だ。
それを認めないと仕方がない。
これから人口が減って、アジア各地に生産が移行し、下手をするとマイナス成長の時代になる。

これまでは生産者は強く、強大で、少々のことでは動じないものだった。
しかし、これからは生産者も厳しくなる。
家電などすでに苦しい。
今日日経にスマートフォンの世界シェアが出ていたが、そこに日本のメーカーは1つもない。
アップル、サムソン、ノキア、RIM、そして中国のメーカーが出ていた。
すでに、そういう状態なのだろう。

今の反原発の動きを見ていると、消費者の視点ばかり主張される。
生産にタッチしていない人の声が大きいのではないか。

国会議員や公務員、学生や子供を抱えた主婦、老人など。
サラリーマンは疲れてそんなことに関わっていられない。

町工場のおじさんや、工場の関係者は電気代のことが気になっているだろう。
そもそも、電気が足りるのか、という気持ちもあるだろう。
この夏、原発が動いてホッとしているに違いない。
経団連の会長も「エネルギー問題が経済成長の足かせとならないように、今後3年から5年の電力確保の道筋を明らかにするべき」と言っている。
多少なりとも生産にタッチしている人は、この意見に同意しているだろう。

今の社会、電気がなければ何もできないに等しい。
社会のインフラも電気に依存している。
これは事実だ。
携帯電話も、基地局にバックアップの電源がなければつながらない。
信号も止まる。
石油ストーブもファンヒーターは電気がなければ動かない。
非常用の電源がない病院は手術もできない。
オール電化にしていれば、料理もできない。
マンションなどは、ポンプが動かないから水道も出ない。
もちろん、電気自動車の充電もできない。
ガソリンスタンドも給油機が動かない。
POS端末が動かないから、コンビニやスーパーで買い物もできない。

今の社会は電気があることが前提になっている。
長い時間をかけて、世の中が便利になったというのは、結局電気の力を使っているからだ。
今、レジでバーコードを読めなければ、合計の計算もお釣りの計算もできない。
アルバイトにそんな能力はない。
そんな生活を送っているということが、わかっていないのだろうか。

自分だけ、電気を我慢したらいいとか、自分だけ電気代が上がってもいいとか、そんな考えでいるのではないか。
もちろん、事は自分だけではすまない。

一番大きいのは雇用の喪失だ。

電気代が上がれば、工場は海外に出ていく。
それでなくても、出ていきたいのだが、いろんな事情があって国内に留まっているところが多いだろう。
そして、出て行けないところは潰れる。

何とかふみとどまっている製造業が出ていってしまう。

今すぐ原発を止めろという人は、そんなことは望んでいないというだろう。
しかし、結果的にそうなる。

いずれ、電気があっても、アジアに出ていく企業は増える。
本社を法人税の安いところに置くところも出てくるだろう。
まさにグローバル化なのだ。
しかし、それを早めてどうするのか。
グローバル化しても、国内に残るような産業を模索する時間が必要だ。

もっと生産者のことを考えるべきだ。
ぼくはそう思う。




| | 考えたこと | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
終戦記念日
今日は終戦記念日。

一昨日、永遠のゼロという本を読んだ。
ゼロ戦のパイロットの話。
太平洋戦争の時に、自分は絶対に生きて帰ると言い続けた男の物語。

ラバウル、ガダルカナル戦や特攻の話。
結局当時の日本陸軍や海軍は自分たちの保身だけを考えて、太平洋戦争を続けたということだ。
実際に戦う兵隊や国民のことは考えていなかった、というのが作者の弁。
その通りだったと思う。
参謀たちは実際の戦いから遠いところから、無茶な作戦を立てて伝えてくる。
そして、自分たちが前線に出た時には、すぐに引き返す。
あるのは自分の保身だけ。
いかに、陸軍や海軍で出世するか、ということだ。
それを助けたのが日本の新聞。
大本営発表というのは、今の記者クラブで政府が流す報道と似たようなものだ。

以前、吉村昭の零式戦闘機という本を読んだが、その本に書かれている通り、ゼロ戦は乗員を守るという事を徹底的に排して、軽量化を図り、運動性能を上げたものだ。
その素晴らしい運動性能で、結局は熟練パイロットたちは命をながらえることができたという、皮肉な飛行機。
日本の軍隊の人命軽視の思想で(そんなものが思想といえるかどうかわからないが)、さすがに終戦当時は優秀なパイロットはほとんど残っていなかった。

こういう本を読むと、いかに日本が愚かな行いをしたかがよくわかる。
ドイツも同じだろう。

しかし、アメリカも同じだ。
戦争は人間の営みだ。
一方だけが絶対的に悪いことなどあり得ないと思う。
いくらかは、日本を戦争に追い込んだという側面はあったはず。

おそらく、戦争はなくならない。

これから先進国がどんどん落ちていき、新興国が強くなる。
それは面白くないことだろう。
その時に争いが起こると思う。

それはどんな争いになるだろうか。

どれほど遠い将来になるのかはわからないが、それまでに人間は賢くなっているだろうか。

今日はそういうことを考える日だ。




| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
盆休み
13日の週はお盆休みというところが多いだろう。

春のゴールデンウィークと、この盆休み、正月休みの3つが日本国の休みの代表的なもの。
盆というと、普通は帰省だった。
ぼくが入社した頃は、盆には帰るという人が多かった。
今でも、相当数いると思うが、以前に比べるとあまり聞かない。
それだけ、若い人が親の近くで暮らしているということだろう。
子供の数が減ったということも、影響があるはず。
こういうことを考えると、少子化ということに思い当たる。

盆というのは、祖先が帰ってくるという一種の祭り。
仏教の行事ではなく、日本だけで行われているらしい。
神道と仏教が合わさってできたものという説もある。
要は日本独自のお祭りということだ。

お盆に故郷に帰る、というのはどれくらいの人がやっているのだろう。
毎年帰省ラッシュというのがあり、帰るところがある人は、少しうらやましい気持ちもある。
もちろん、帰るのが大変だから、気の毒だという気持ちもあるのだが…。

帰る田舎があるというのは、いいことだろう。
ぼくにも、あるといえばある。
父は広島の出身で、祖母は広島にいたので、帰ろうと思えば帰れたはず。
でも、祖母は親戚の家にいたので、帰ろうとは思わなかったのだろう。
帰る、ということは、帰る家がある、ということだ。
だから、ぼくは帰ったことはない。
大学に入った時に、一度だけ一人で行った。
古い大きな木造の家だった。

田舎から出てきて、都会に住んだ世代はもちろん帰るところがある。
でもその次の世代は、親がどうするかによる。
親が帰れば、一緒に帰るし、その親が家を継ぐということになれば、もちろん帰るところがある。
しかし、親のきょうだいが家を継いだら、おそらく帰らないだろう。

日本では家系というのはそんなに大事にされない。
せいぜい、祖父祖母までしか名前は出てこない。
韓国や中国では、もっと家系は大事にされる。
4代前や5代前の名前まで言えるらしい。
日本では長男が頼りなければ、婿を取ったり、しっかりした番頭を養子にしたりして、血筋よりも実力が大事にされる。
家は大事だが、血筋は大事ではない。

それでも、盆が来たら、墓参りをする。
都会ではお寺の檀家も減って、寺も収入がない。
葬儀の時だけお寺を頼み、それで終わりというケースもある。

そろそろ、自分の葬儀のことも考えておかないといけないなあ。

| | 考えたこと | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年の大会も
夏の高校野球はオリンピックの影に隠れていたが、また例年通りになった。

しかし、今年もいい加減な状態が続く。
野球留学のことだ。

香川西高校、島根の立正大湘南は地元出身者がゼロという状態。
ほとんど大阪や兵庫、神奈川などの中学出身者で占められる。
その他にもほとんど県外勢という高校がある。

何度も書くが、選手自体に罪はない。
より、学校数が少なくて、甲子園に出られる可能性が大きなところでプレイしたい、と思うのは仕方がないだろう。
親もリトルリーグの監督やコーチが、ここなら甲子園に出られるし、野球特待生になれまっせ、と言われればその気になる。
そこに、高校側の甲子園に出て、校名を宣伝したいという経営上の判断が加わる。
寮を作って、指導者を雇い、設備を揃え、特待生制度を整え、選手を取ってきたら、強くなる。
資本主義の原理で、金があるところは強くなるだけの話。
そういえば、地方の学校は聞いたことがない名前のところが増えた。
そして、よりうまい選手が増え、大会も面白くなる。
北海道や沖縄に優勝旗がいくのも当然だ。
それ自体はいいことだろう。

ただ、高校野球連盟や朝日、毎日の主催者側の対応がいい加減だと思う。
数年前に野球留学が問題になり、その時はこの状態は良くない、と言ったのではなかったか。
地元の人達は何となくやりきれないだろう。
香川県の代表に地元出身者が一人もいない。
あれから、野球留学についての見解を明確にしていないと思う。
朝日、毎日以外の新聞もわかっていても書かない。

はっきりすればいいのだ。
建前と本音が違う状態を続けるより、どちらかにはっきりすべきだろう。

一票の格差ではないが、全国をブロックに分けて、予選に出る中学数を同じにするとか。
それとも、うまい選手が出たほうがいいのだから、この状態を認め、なんでもアリという宣言をするか。

どちらにしても、はっきりしたほうがいい。

というか、制度上はすでにはっきりしているのだろう。
高野連は野球留学を認め、地元ゼロでもOKにしている。
あとは、それをちゃんと宣言するだけの話。

サッカーもラグビーも同じだろう。

オリンピックも予算を増やしたら、メダルが増えた。
もちろん、才能もあるが、金をかければ強くなれる。

統計的に言えば、そういうことだ。

美しい場面の裏側には、そういう冷徹な計算があるということだ。


| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
東洋の魔女
この言葉も、知っている人が少なくなった。

東京オリンピック、回転レシーブ、時間差攻撃、大松監督…、という流れ。
1964年の東京オリンピックの時に言われた、女子バレーチームの別名。

あの当時、ブラジルとか、中国とか、イタリアとかは影も形もなかった。
強かったのは、ソ連。
日本の宿敵だった。

ロシアではなく、ソ連、というところが時代を表している。
東京以降、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールくらいまでは、ずっと強かった。
オリンピックといえば、女子バレーのメダル、という感じ。

しかし、80年を過ぎて、それ以降は低迷する。
ブラジルやイタリア、中国、アメリカなど新しいチームが出てきた。
もともと、体格で負けているところを、いろんな工夫で乗り切ってきた。
時間差攻撃やひとり時間差、Aクイック、Cクイックなど、日本のお家芸だったが、どの国もそういうことをやり出した。
そうなると、ジャンプ力や体格で勝っている方が勝つ。

女子バレーの歴史は作戦の歴史だったと思う。

しかし、だんだんと日本人の体格もよくなってきた。
海外に追いついたのだ。

そして、2012年、28年ぶりに銅メダル。
もちろん、作戦の妙はあるが、体格では負けないことを証明した。

これからがスタートだ。

| | 考えたこと | 11:45 | comments(2) | trackbacks(0) |
オリンピックで夜更かし
昨日、今日と夜更かしをしてしまった。

もちろん、なでしこジャパンと男子サッカーの観戦が目的。
一昨日の夜は3時半に目覚ましをかけて、起きた。
昨日は今日が休みなので、ずっと起きていた。

なでしこジャパンはよくやったと思う。
銀メダルだったが、アメリカは強かった。
ワールドカップで負けた事をバネに頑張ったのだと思う。
日本も、見事なパスワークだったが、なかなかゴール前のチャンスを生かすことができなかった。

ウォール・ストリート・ジャーナルの記事はこう書いている。

There is disappointment of course ― Japan beat the U.S. in the final of the World Cup last year and there were high hopes for the 2012 Games. It was also a close-run contest: Japan could have won at London’s Wembley Stadium if it had converted a few more of its chances in front of goal.

Still, the silver medal won by the Nadeshiko, as they are known at home (after a type of flower), was Japan’s first Olympic medal in women’s soccer.

「見事な接戦だったし、ゴール前でのチャンスを生かせていれば、勝っていたかもしれない…。
それでも、なでしこが取った銀メダルは、オリンピックの女子サッカー初のものだ。」

そして昨日は男子サッカー。
起きてはいたが、実際は寝ていた。
それでも、一応はテレビをつけて見ていた。

韓国のチャージは強く、日本は押され気味だった。
先取点を取られたあたりから、あまり覚えていない。
韓国の選手の方が、アドレナリンがたくさん出ていたような気がする。
日韓戦ではいつも思うのだが、韓国の選手の闘争心に遅れを取っているようだ。
若い世代だから、戦争中のことはあまり関係ないとは思うのだが…。
これも教育の成果か。
日本の選手は関係ないというだろうが、韓国の選手はどうなんだろうか。
今の日韓関係を表しているようで、ほろ苦い気分の負けだった。

しかし、夜更かしには弱くなった。
昔は起きていようと思うと、朝まででも何とかなった。
今はもう無理だ。
起きていようと思うのだが、勝手にまぶたが閉じる。

寄る年波には勝てない。





| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
殿様はエライ
鳩山元総理は次の選挙も出るのだろうか。

この人、総理大臣を辞めたときに、もう次の選挙は出ないと言っていたはず。
こんないい加減なヤツが総理大臣だったと思うと、情けない。

沖縄の基地問題にしても、安全保障の勉強が足りなかったと言っているし、オバマ大統領に「トラストミー」と言うし、母親から何億ものお金をもらっていたり、CO2の削減を25%と公約したかと思えば、原発反対のデモに参加している。
しまいに、国というものがなんだかよくわからない、という発言。
矛盾だらけだが、それを矛盾と思っていない。
もしかしたら、矛盾という言葉を知らないのかもしれない。
これが政権交代の結果、日本人が得た総理。

そう思うと、ずいぶん昔の話だが、細川総理はエラかった。
総理の辞職も、唐突な感はあったがすっきり辞めたし、そのあと数年して還暦で議員も辞めた。
当時、殿様だから…、と言われたが、どう考えても鳩山や菅に比べると潔い。
政権に固執せず、議員にも固執しなかった。

今になると、さすが昔の肥後熊本藩の殿様だと思う。
親には政治の道に入ると言ったら、そんなヤクザなことをやるのなら勘当だ、と言われたらしい。

由緒正しい家系というのはあるのだろう。

今の政治家に爪の垢でも飲ませたい。



| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
レスリング
オリンピックで女子のレスリングをやっているのを見た。

女子のレスリングなど、オリンピックの時しか見ないが、まだこちらのほうが柔道よりもわかりやすい。
フォールが一本勝ちで、技ありがバックについたり、転がしたり、投げたり、押し出したりすることだろう。
指導もあるらしい。レフェリーがあまり攻撃しないと、注意する。
まだ見ていてどちらが勝っているかわかる。

しかし、女子のレスリングは強い。
すでに金メダル2つ取っている。
今夜の3時過ぎに3つになるかどうか…。
何といっても、女子4人が代表で、そのうち3人がメダルという効率の良さ。

男子は4人の代表で、銅メダル1つ。
これも立派といえば立派。
勝つ望みがあまりなかったのか、それともすぐに負けたからか、あまり中継はなかったような気がする。

女子の小原と伊調が青森出身だったので、東北が強いのかと思ったが、そうでもなかった。
代表の出身地はバラバラだ。

それにしても、日本女子のレスリングはスゴイ。
伊調は3連覇だ。
3回オリンピックに出るだけでもすごいのに、3回とも金メダル。
他の競技ではありえないような気がする。
8年間にわたって、世界一ということだ。
あまり運の要素もなく、技とスピードと体力と気力で決まるからこそ、取れるのだろう。

しかし、16歳くらいからずっと打ち込んできているからこそ、強いのではないか。
20歳でアテネ、24歳で北京、28歳でロンドンという感じだろう。

他の代表選手も含めて、やってきた年数には頭がさがる。

みんなが遊んでいる時も、練習、練習だ。

たくさんやれなかったことがあるだろう。
でも、オリンピックに出られた人はまだマシか。
自分で望んだことだから、悔いはないかもしれないが、他の人とは違う人生を送ることになる。

誰しも人生は一度だし、時間は戻らないから、過ぎ去ったことを思っても仕方がない。

どうなんだろうなあ。

| | 考えたこと | 01:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
科学的に可能性のある「世界の終焉」8つのシナリオ
カラパイアというサイトで、面白い記事を見つけた。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52088801.html

それによると、人類の滅亡には以下の8つの可能性があるとのこと。

1.スーパー噴火
2.小惑星の衝突
3.彗星衝突
4.珪藻の反乱
5.危険なウイルス
6.超新星爆発
7.太陽系軌道の混乱
8.太陽の暴走

1の噴火は過去にあったらしい。
かなり大きな噴火になると、ススが大量に出て、温暖化を起こすことが原因になる。

2,3は小天体の衝突で、これは実際にあったと思われるもの。
ユカタン半島のところに、衝突のあとらしきものが残っている。
これが原因で、恐竜が絶滅したと言われている。
今度起こったら、人間が絶滅する。

4は初めて聞いた。
藻の突然変異で、塩を取り込んで、塩素ガスを出すようなものが生まれると、大気を変えてしまう。
これもあるかもしれない。

5はインフルエンザのようなもの。鳥や豚のインフルエンザのようなものが人間に壊滅的な打撃を与える、という。

6も長い間にはあるかもしれない。
近くで爆発が起これば、宇宙線などいろんなものが飛んでくるだろう。

7も初めて。
木星の引力の影響で、水星の軌道が変わり、金星とぶつかったり、その影響で地球と火星がぶつかったりする、という。
太陽系はぼくらの知っているカタチが永遠に続くわけではない、というのはその通り。

8は前から言われているもの。
太陽が膨張して地球を飲み込むという。
これは、ほぼ確実に起こるようだ。
ただ、70億年(50億年という説もあった)もかかって膨張する。
しかし、あと10億年でも膨張が始まり、地球の表面温度は摂氏93度を越えるという。
こうなれば、人類は滅亡する。

いずれみせよ、長いスパンでみれば、人類の滅亡は避けられない。

そういう意味では、日本人の無常感は正しい。
すべてのものは移ろい、そして滅んでいく。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまる事なし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

鴨長明の方丈記。けだし、名文。


| | 考えたこと | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
線を引くこと
最近の若い人に、文章を読ませて、大事なところに線を引けというと、全部に線を引く人がいるという。

ほんまかいな、と思っていたら、ほんまらしい。
全部線を引くというのは、何も引かないのと同じではないか、というと、その通りという。
文章で言わんとする意見はどこか、わからない。
その意見がなぜそういえるのか、根拠はどこか、わからない。
その根拠を支える事例はどこか、わからない。
トリプルのわからないで、全部線を引く、という事になる。

これはいたる所で起こっているらしい。

あるセミナーで同じような事をさせたら、全く大事でないところに線を引いたり、線を引いた理由が言えなかったりした、ということを聞いた。

それでなくても、分数ができないとか、割合がわからないとか、そんなことを聞くのに、算数だけでなく国語もか、という感じ。

だから、論理的に考える事ができない。
感覚的に捉える。

そういえば、何かが好きという理由を聞いても、好きだから、と答える人が多い。
好きだから好きというのは、トートロジーで何も言っていないのと同じ。
それで何か不満があるのか?という顔をする。
いや、好きな理由があるだろう、といっても、好きだから好きで何が悪いんだ、という事になる。
別にどうでもいいことなら、それで構わないが、大事な事でもそれで通そうとすると困る。
理由がいるのだ。

若い世代がそういう傾向にあるというのは、ゲーム機やスマホのアプリを見ていればわかるという。
取扱説明書、というものがほとんどない。
そういうものを読まないと使えないものは、ダメなもの、ということになる。
いじっていたら、使えるようになる、というものが普通なのだ。
だから、携帯は売れるがクルマは売れない。
クルマは勝手に動かないし、交通法規を覚えないと走れない。
だから、拒否するのだろう。
これは慶応大学の先生の受け売り。

しかし、世の中は全て感覚で生きていけるほど進んでいない。
特にこれからの世の中、世界が狭くなって、いろんな人と話さないといけない。
そうなると、好きだから好きという理屈は通用しない。
理由は何か、を説明しないといけない。

論理的に何かを考える、というのはこれからの世の中で、いや今までもずっとそうだったが、必要な能力である。
それができるようにならないと、オトナになれない。

意見、根拠、事例、という3つのもの。
これを分別して読むことができるようにならないと、本が読めない。

そのための方法論を書いているのが、この本だ。
http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766418279/

この本の著者に話を聞いて感激した。
読むことは難しい。だから、まず書かないといけない。
こういう人たちが、日本の教育を変えていけるのだろう。

慶応大学、エラい!

しかし、日本の義務教育は本当に崩壊している…。

| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
Touchdown
キュリオシティは無事着陸したらしい。

http://www.astroarts.co.jp/news/2012/08/06curiosity/index-j.shtml

地球から距離にして6000万キロほど離れたところで、史上最も難しいミッションが達成された。
NASAのサイトを見ていたが、着陸したキュリオシティから最初の写真を送ってきた時には、みんな抱き合って喜んでいた。

キュリオシティは900キロもあるので、エアバッグに入れて着陸するわけにはいかない。
そのため、クレーンでつり下げるようにして、ゆっくり下ろす。
なんせ時速2万キロ(秒速5.6キロ)から、減速するのだ。
まず、パラシュートを開くが、大気が薄いのであまり減速しない。
2億ドルかけた探査機をそんなやり方で下ろすのだから、ギャンブルのようなものだ。

また、途中でNASAが指令を出すこともできない。
自動で行うしか方法がない。

NASAのサイトには、着陸のことをTouchdownと書いてあった。
アメリカ人らしい。
アメフトのタッチダウンと引っかけたのだろう。

着陸後、最初の写真を送ってきたが、自身の影が映っていた。
送られた写真を見て、涙ぐむ人もいた。

素晴らしいミッションだ。
おそらく、万単位の人が関わって、ようやく達成できたのだろう。
一人一人は部分的な仕事をしただけだろうが、この組織力はスゴイ。

これから2年間、キュリオシティは火星の大地を走り回って、画像を送ってきたり、土のサンプルを自分で分析したり、いろんなミッションをこなす。

もしかしたら、火星に生命がいるかもしれない。
火星に水があるかもしれない。

どんな発見があるか、楽しみだ。

キュリオシティ(好奇心)を持って、待っていよう。


| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
暑中お見舞い申し上げます
キャンディーズの歌の題名。

これだけ暑いと、本当に何とかしてほしい。
最近の夏の日差しは尋常ではない。
殺人光線と言っていい。
赤外線と紫外線が見えるようだ。

ぼくは帽子が似合わない。
というか、サイズがないのだ。
顔の形にもよるが、帽子というのはぴったりのものを被るというのではないと思う。
ちょっと大きめのものを、ゆったり頭に載せる、という感じだ。
仕方なく買うのだが、むりやり被っているという格好。
もっと大きな帽子がほしい。

この年になると、あまり日に焼けたくない。
治るのが遅いからだ。
本当は長袖がいいのだが、暑くて着ていられない。
女性はいろいろと日よけグッズも売っているし、長い手袋とかあるのだが、男性用は見ない。

オリンピックで睡眠不足だし、ここ3ヶ月でちょっと減量して、夜もすぐに眠くなるようになった。
エラいものである。
今までは夜更かしは得意だったが、ちょっと体質が変わった。
しかし、夜になっても30度以上だから、本当に暑い。

どうあがいても、暑いものは暑い。
トートロジーだ。
AはAだ、というのがトートロジー。
何も言っていないのと同じ。

こう暑いと、何を言っても同じでも言いたくなる。

暑いものは暑い。

誰か助けてくれ。


| | 考えたこと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
柔道は一本
日本の柔道陣が金メダルをなかなか取れないのは、一本勝ち志向だから、と新聞に書いてあった。

しかし、今の柔道を見ていると、指導や有効、技あり、時間制限などで、どうもスッキリしない。
素人が見ると、どちらが勝っているのかもわからない。
本来の柔道は体重など関係なしだったはず。

柔よく剛を制す、という言葉がある通り、小さな人が大きな人を投げる、というのが柔道の醍醐味だ、と父がよく言っていた。
相手の力を利用するから、自分は力がなくても投げることができる、ということだ。

金メダルを取ることができなくても、一本を狙うべきだと思う。
その方がカッコイイ。

男子の選手が負けて、勝てなくてすいません、と言って泣いていた。

どうも柔道の男子は、悲壮感がある。
柔道の発祥の国として、勝たなくてはいけない、というプレッシャーがあるのだろう。
しかし、柔道らしい柔道をやって、それで負けても仕方がない。
一本を狙って、戦うべきだ。

時間を計算して、守ったほうが得だ、というような考え方はなじまない。

そして自分のためにやるべきだ。
いくらオリンピックだと言っても、日本代表は自分で勝ち取ったものだろう。
勝てなくてすいません、とあやまる必要はない。
日本で一番強い人を選んで、それで負けたのなら、仕方ない。
選ばれたと思うべきで、選んでもらったのではない。

そういうメンタリティが悪いのではないか。

堂々と一本を狙う柔道をしたらいいと思う。


| | 考えたこと | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
再生可能エネルギー
ドイツの電力事情をNHKでやっていた。

なかなか再生可能エネルギーがうまくいかない。
太陽光発電は未だに全体の3%。
電気代はむちゃくちゃ高い。
しかし、環境大臣が脱原発はできる、と言っていた。

ぼくは太陽光発電は個人宅でならやってもいいと思う。
しかし、メガソーラー発電は効率が悪い。
昼間だけしか使えないからだ。
その点、地熱や波、風の利用はまだマシだと思う。
特に、地熱は有望だということらしい。火山列島という言葉が生きてくる。
しかし、いずれにしても、すぐにはできない。
もうちょっと猶予が必要だろう。

そのあたりの冷静な議論ができないのはなぜだろう。

原発というと、感情問題になってしまう。
ヒステリー状態だ。
福島の農産物、海産物の風評被害も、それによるものが多いと思う。
どうしてそんなに短絡的になるのか。
東北地方の人たちに迷惑をかけていると思わないのだろうか。

前にも書いたように、1999年の動燃の臨界事故を見て、ぼくは日本人は原子力を扱う資格がないと思った。
ウランをバケツに入れて、決められた手順を守らずに、作業を早くしたいがために杜撰な処理をして、臨界事故が起こった。
こんな事故は世界中探しても、日本だけだ。
みんな、どうしてこの事故の時にもっと注目しなかったのだろうか。
この事故に、日本の原子力行政の問題が集約されているのではないか。
あの時に、原子力の恐さをもっと認識すべきだった。

今頃言っても遅いが…。

しかし、ぼくには今の騒ぎが、どう考えても論理的には思えない。

ほんとに感情論で突っ走って良いのだろうか。

「たかが電気」というなら、電気を使わずに生活してみたらいい。
クーラーのきいた部屋にいて、テレビを見て、インターネットを使って、おまけに電気自動車に乗っている人が、どうして「たかが電気」と言えるのだろうか。

ぼくには理解できない。


| | 考えたこと | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
RE:CYBORG
今年の10月に、サイボーグ009のアニメが映画になるらしい。

サイボーグ009といえば、鉄腕アトムと並んで、ぼくらのSF熱を上げたマンガ。
ロボットという言葉をアトムで覚え、サイボーグという言葉を009で覚えた。
石森章太郎の作だ。(後日、石ノ森章太郎と改名したが)

石森章太郎というと、サイボーグ009の他に、さるとびエッちゃん、佐武と市捕物控などを思い出す。仮面ライダーもこの人の作品。

サイボーグ009はいろんな得意技を持った9人が出てくる。009は島村ジョーというハーフ。レーサーだった。奥歯に仕込まれた加速装置で素早く動くことができる。
赤いマフラーなびかせて、というテーマソングが懐かしい。

001はロシア人の赤ちゃんだが、テレポートやテレパシーが使える。
002はジェット。アメリカ人。膝の所からジェットを出して飛べる。
003はフランソワ。フランス人の女性で009の恋人らしい。レーダーを埋め込まれている。
004はハインリヒ。ドイツ人。体中が武器というヤツ。
005はジェロニモ。インディアンで、怪力の持ち主。
006はチャンチャンコ。中国人で、口から火を吹く。
007はブリテン。イギリス人。身体を変化させ、何にでも化けることができる。
008はピュンマ。ケニア人。水中で活動できる。

こういう顔ぶれ。
小学校の低学年のころ発表され、たしか4年生の時には学校の映画会でも上映された。

悪役はブラックゴーストという組織。
この頃は冷戦が華やかなりし頃で、ベトナム戦争の影響もあったと思う。
このブラックゴーストという組織で改造されたのが、この9人。
彼らからみたら、裏切り者になる。

この9人の顔ぶれを見ても、すごく国際的だ。
当時の子どもは、一体何語で話しているのだろう、などと思わない。
吹き出しを読んで、すごいなあ、と思っていた。
今から思えば、石森の中には、世界中が仲良くという考えがあったのかもしれない。

たしか、一度完結したはず。
ぼくはそれ以降、009を見ていない。
最後のシーンは、ジェットとジョーが大気圏で燃え尽きるというようなシーンだったと思う。

手塚マンガと比べると、少し大人っぽくて、ロマンチックだった。

石森章太郎はもう一度009を書こうとしていたらしい。
そのストーリーと今回の映画の関係はわからないが、サイトを見ると、だいぶ絵が違う。
あの、繊細な石森の絵が、なくなっている。

残念だが、この作品は見ない。
今の50代以上はたぶん見ない人の方が多いと思う。

やっぱり009は赤いマフラーでないと…。



| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
地球外生命
古いCNNの記事だが、去年の11月にアメリカ政府が公式に宇宙人の存在について、公式に見解を出したそうだ。

その内容は、今まで地球外の生命との交信はしたことがない、という見解。
まあ、そうだろう。
だから、地球外生命はいない、と言っていないところがミソ。
どう考えても、億単位の年数でいろんな星ができていて、その中には地球型の惑星もあっただろうし、そこに水があって、生命がない、というのは星の数と時間を考えるとムリがあるように思う。

確かに、水があっても、どうやって生命になったのか、という理由は不明だ。
雷がアミノ酸を作った、という説が一時言われていたが、アミノ酸自体が宇宙から来た、という説もある。
自分をコピーする仕組みを持った生命体が、どうやって生まれたのか、というのは大きな謎だ。

だからといって、地球型の惑星に同じような事が起こらないとは言えない。
さらに、地球型以外の惑星でも、その環境に応じた生命体ができている可能性もある。
SFの世界では、人間が一番高等な生物だと思っていたが、実は…というような話もある。
実際、植物が、こいつら、かなわんなあ、とテレパシーで会話していない、という保証はないのだから。

「この宇宙に無数にある星々のどこかに、我々とは別の生命が住む惑星がある確率は極めて高いというのが多くの科学者の見解だ」
「ただし、その相手と我々が接触する確率は極めて低い」

これがアメリカ政府の見解。

ここで、宇宙と言っているが、それには空間的な広がりと、時間的な広がりがある。
一つはとてつもなく広いということだ。
その中に星がいくつあるかわからない。
恒星だけでなく、惑星もたくさんあるだろう。
もう一つは時間だ。
生命が生きられる星がどれだけその形を保てるかというと、地球の場合はあと50億年ほど。
太陽が膨張して、地球は飲み込まれる運命。
それがあまりにも先なので、人間には考えられないというだけのことだ。
ひょっとしたら、地球型の惑星で生命が住めるのは、ほんの数十億年かもしれない。
その中で、人間が住めるのはもっともっと短いだろう。
宇宙が生まれてから、137億年。

137億年前はビッグバンらしい。
その後、何十億年か経って、どこかの星に生命が生まれる。
その生命が滅んだ頃、別の星に生命が生まれていたら、出会う可能性はない。

そういうことも含んで、確率が低いと言っているのだと思う。

でも、出会うことができたら、ロマンだろう。


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