考えたこと2

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孤独を愛する
ハードボイルドの小説が好きだが、それらに出てくる探偵などは、たいてい孤独だ。
数少ない友だちはいるが、だいたいは一人暮らしだ。
結婚して子どもがいるハードボイルドの探偵は珍しい、というか、いない。
そういうものの対極にあるんだろう。
だいたい、ハードボイルドは孤独だ。

孤独、という言葉は最近流行らない。
友だちの数が多いほどいい、というような価値観が巷に溢れている。
SNSというようなモノが流行り、どこでどうしたとか、何を食ったとか、そういうしょうもないことすらみんなに知らせ、「いいね」と言ってもらいたいという世の中。
孤独は流行らない。

しかし、最近の調査の結果、SNSが広まって、逆になっている。
Facebookを利用した時間が長いほど、孤独感が深まる、という。

その理由は、SNSの世界はポジティブであり、自分の生活の良い部分を見せあい、それが虚飾の上塗りを重ねることになり、これを続けるほど精神的に孤独になるということだ。
確かにこんなつらいことがあったとか、こんな悪いことを言われたとかいうのは、Facebookではあまり見ない。
他人の幸せを見ると同時に、自分も幸せだということをこれでもかと見せることになる。
実生活はそんなにポジティブな行動ばかりではないし、惨めなこともある。
それが生活というものだが、それがFacebookになるとポジティブなものばかりになる。
そこに無理があるということか。

アメリカでは慢性的に孤独感を感じている人が多いという。
孤独感を感じている成人が、2000年には20%だったが、2010年には35%になったとのこと。
SNSの流行とともに、増えているのかもしれない。

ハードボイルド小説の生まれた頃は、SNSもなかったし、アメリカは希望の国だった。
その頃に孤独を愛するハードボイルド探偵が流行ったのは、みんなが孤独でなかったからか。
今は、ハードボイルドは流行らない。
孤独で、貧乏で、やせ我慢をして生きている探偵稼業は廃れてしまった。

さらには、孤独は健康にもよくないとのこと。
社会的孤独状態にあると、タバコ15本分健康に悪いらしい。
肥満になる確率も倍になる。
精神疾患、循環器の疾患のリスクも高まるという研究結果もある。

今や孤独は良くないものになったみたいだ。

ぼくはだいたいインドア派だし、一人で家にいるのは苦にならない。
BSや映画を見たり、何かを書いたり、本を読んだり、ギターを弾いたり、誰かにメールを書いたり、パソコンで何かを調べたりしている。
もちろん、最近は料理も皿洗いも洗濯物の片付けもする。
プライベートでは、時々誰かと会って飲みに行って話をする程度。
休みになったら、外に出て何かをする、ということはない。

ハードボイルドの探偵たちも、あまりアウトドアという感じではない。
依頼されたり、巻き込まれて仕方なく動く。
そういう感じは自分に似ていると思う。

ちなみに、孤独と戦うためにはこういうことをやればいい、ということが言われている。
一つは、そんなに多くの人との関わりは不要で、少ない友人との交流の質を高めるといいということ。
二つ目はボランティア活動に取り組むこと。
三つ目はペットを飼うこと。
四つ目は認知行動療法などに頼ること。

そういうことらしい。

| | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドラマの中の移民
海外の刑事ドラマを見ていたら、移民のための語学学校が出てきた。
そこの生徒たちと協力して、犯人を捕まえるというストーリー。

最後に移民の人たちを家に呼んで、「今日はアメリカ料理を食べてくれ」という。
移民の一人が、「えらく豪華な料理だな」というと、「いろんな国の料理がここにはある。アメリカは移民の国だ。あなたたちがアメリカを偉大にする」というようなセリフがあった。
この放映時期はちょうどアメリカ大統領の予備選挙の期間。
トランプ氏がメキシコとの間に壁を作るとか、イスラムの移民は拒否するとか言っていた頃だ。
今ごろ、日本で放送されている。
そういうタイミングだから、これからの海外ドラマにはそういう話題が出てくるだろう。

トランプ氏に投票した人たちも、大部分が本気でメキシコに壁を作らせるとは思っていなかったのではないか。
矢継ぎ早に大統領令を出して、本気でやろうとしている。
今になっても、どこまで本気なのかはわからないが…。

今朝のニュースでは特定の国から来た人たちが、空港で足止めをくらって困っているところが映っていた。
急な話で、まだアメリカ国内も混乱している。
大統領令に反対するデモも映っていた。

ロバート・デ・ニーロやマドンナなど、ハリウッドの芸能界は民主党びいきの人が多い。
もちろん例外もあるが、トランプの就任式で歌を歌う仕事はたくさんの人から断られたらしい。
ビッグネームのシンガーたちは民主党びいきだったのだろう。

ハリウッドは1940年から50年にかけて、「赤狩り」をされた。
マスコミに影響力が大きな人たちが、どんどん追放されたという歴史がある。
だから、民主党びいきなのかもしれない。

しかし、まだまだアメリカの分断は続きそうな気がする。

トランプ大統領を支持する人たちの気持ちもわかるし、反対する人たちの気持ちもわかる。
それだけ分断は深刻だということだろう。

アメリカは理想の国だ、と思う。
建国の精神に従うことを誓えば、誰でも国民になれる。
そういう、人類の壮大な実験が、アメリカという国だ。

ぼくはアメリカの独立宣言に謳われている理想は正しいと思う。
全ての人は平等で、自由に幸福を追求する権利がある、というものだ。

その理想に向かって行き過ぎたら、揺り戻しがある。

その時期が今なのかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェデラー勝った!
全豪オープンでフェデラーが優勝。
7年ぶりにグランドスラムで勝った。
相手はナダル。
どちらもケガでツアーを欠場したりしながら、決勝で戦った。

フルセットで最後はナダルのチャレンジ。
判定を待つフェデラーは冷静な顔をしていた。
でも、Inの判定が出て、その瞬間優勝が決まった。
冷静なフェデラーの表情が変わり、両手を上げて笑顔になった。
ちょっと涙ぐんでいたようにも思う。

今回の全豪は、ジョコビッチやマレーといったシード選手が若い選手に破れ、世代交代の時代になったのかな、という感じだった。
しかし、決勝はフェデラーとナダルというおなじみの選手。
まだまだ若い奴らには負けないぞ、という感じの勝ちっぷり。

誰でも、年をとる。
常勝のフェデラーにも負けるときが来た。
それでも、サーブの精度を上げ、サーブ&ボレーの技を磨いて、ケガを克服してフェデラーは復活した。
そして、グランドスラムで7年ぶりの優勝。

フェデラーの華麗なテニスに対して、ナダルは力のテニス。
互角に戦った。
勝機はどちらにもあったと思う。
勝利の女神にちょっとだけ近かったのがフェデラーだったのだろう。

こうなると、もう一度優勝してほしい。
次もガンバレ。



| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
履修履歴面接
就活の新しい動きとして、履修履歴面接というものがある。
これは大学成績センターという株式会社が数年前から推進しているもの。
徐々に意図を理解して実際にやるところが増えてきている。

それは何故か?
平たく言うと、今の就活の面接は「自分の得意なことや、やりたいこと」を問う。
それを自分で理解するのに時間をつかって自己分析などということをしている。
しかし、仕事は自分のやりたいことばかりではない。
苦手だがやらなければならないことも当然含まれる。
どちらかというと、新人の時はそういう仕事が大半だろう。
だから、今の面接では片手落ちだ、ということだ。

その点、大学での勉強の履歴というのは単位を取るためにどうしてきたかという記録であり、苦手な必修科目もあったかもしれないし、どういう目的で基礎科目などを選択したかというような質問の宝庫だということだ。
面接の時間を数分割いて、この履修履歴に基づく質問をすることで、得意なことだけではなく長期の目的意識や「やるべきこと」にどう取り組んだかということもわかる。

ぼくが大学で勤務している時に、これはいい、と思ったのは大学にとってもメリットがある、ということだ。
今の就活では主に課外活動とかの体験から、行動特性を探る質問をしていく。
だから、出口を考える学生は課外活動などに力を入れる。
必然的に、授業は二の次だ。
それがわかっているから、教員も手を抜き始める。
一部の教員は就活の学生にはゼミに来なくていいとか言い始める。

履修履歴面接が一般的になれば、そういうことがなくなる。
就職を考えて、授業を選択し、いい成績を修めるべく勉強するようになるからだ、という。
大学の就職担当にとっては、いいことづくめだ。
悪魔のサイクルを天使のサイクルに変えることができる。
就職担当者にとっては福音と言ってもいい。

数年前から大学成績センターが宣伝しているが、なかなか広まらない。
一部の上場企業が採用しているくらいで、普通の面接ではあまり勉強のことは聞かれない。
相変わらず、自分はどんなことを頑張ったかという質問が就活の場では問われる。

ぼくは大学成績センターの考えていることは正解だと思う。
しかし、なぜそれが企業に広がらないのか。

ひょっとしたら、今の人事担当者は本気で職種別採用を目指していて、やりたいことをやらそうと思っているのか。
年功序列・終身雇用はもう終わっているのだろうか。

それはそれでいいことだと思うが…。

それなら、新人は3年以内に3割も辞めたりしないはずだ。

どうなっているんだろう…。

| | 考えたこと | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学生のアルバイト禁止
大学生のアルバイトについて、過去の記事を調べたら2回書いていた。
大学で就職支援の仕事をしていると、アルバイトは頭がいたいものだ。

就活の最初に自分がやってきたことの棚卸しをする(自己分析という)のだが、そこで「大学では何もやってない」と泣きを入れる学生が多い。
その学生たちはたいがい「バイトしかやってない」というのだ。
それも、以前書いたようにほとんどが軽労働のアルバイト。
居酒屋、コンビニ、レストラン、スーパーなど外食や流通が多い。
これには経済的な事情も絡んでいるのは事実。

そういう学生は一切の大学の課外活動などには目もくれず、アルバイト一本で大学時代を過ごす。
だから、大学時代に頑張ったことはアルバイトの経験を書くしかない。
企業人事にはそれはあまり評判はよくない。
正社員にはアルバイトで出来る能力以上のものが求められるのに、アルバイトの経験を大学時代の成果として言われても…という感じだろう。
そういうわけで、就職担当はバイトと聞くと頭が痛くなる。

少し古いが、アメリカの大学生のアルバイトの記事を見つけたのでそれについて書く。

まず、アメリカの大学生は日本ほどアルバイトをしない。
大学の課題をこなそうと思うと、そんなに遊ぶ時間がないというのは本当らしい。
統計的にも日本の大学生のアルバイト時間が多い。
日本の大学生の平均が一日4.6時間であるのに対して、アメリカでは2.4時間。
ほぼ半分だ。
どこまで本当か知らないが、アメリカの大学は入るのは易しいが、出るのは難しい、ということもあるだろう。
それと、アメリカの映画やドラマを見ていると、成績がよくないと希望の就職先に入れない、ということもある。
私のレポートはどうして「A」がつかないのか、という場面も時々見る。

そして、彼らはインターンシップに精を出す。
記事を引用すると、

「アメリカでは、日本のように新卒大学生が一斉に就職活動を行うことがありません。「即戦力」の人を募集するのがアメリカの求人です。職に就いてから覚えます、というのは駄目で、「練習はよそでやってきてもらえるかな」というのが基本です。

ですからインターンシップを通じて、自分の希望する職種で求められるスキルについて十分な知識・経験を持っておく必要があるのです。大学に通いながらインターンシップを行うことは相当大変。大学生が長期休暇にインターンシップにいそしむのは、自分のキャリアのための準備なのです。」

ここが新卒でのポテンシャルを信じて採用するという日本との大きな違い。
高度成長の時には、日本企業に入社してから教育するという余裕があったが、それも陰ってきた昨今、「インターンシップ」という言葉が新聞を賑わす日も多い。
まだまだ日本では青田刈りの意味でのインターンシップが多いが、アメリカ型のインターンシップは増えてくるだろう。

日本では大学生のアルバイトは百万人の規模で安価な労働者になっている、という側面もある。
移民の代わりに、大学生が安い労働力になっているのだ。

安倍首相はデフレを止めたいのなら、大学生のアルバイトを禁止するといい。
そうすれば、外食などは一時的に困るかもしれないが、給料は上がるし、就職氷河期やリーマン・ショックのときに就職時期を迎えて、不幸にも現在ニートやフリータをやっている人たちが仕事につける。
ムダな24時間営業はなくなって、犯罪も減るだろう。
労働単価が上がって、首相が渇望しているインフレにもなるかもしれない。

経済的理由で大学進学できない人には、給付型の奨学金をあげればいい。

バイトが禁止になれば学生も勉強する時間ができるし、大学の先生もやる気になって教えるだろうし、課外活動にも勤しむからキャンパスは活気が出る。

それによって、学生が減るような大学は社会人に特化でもしてもらって頑張ってもらおう。

大学生のアルバイトを禁止することの経済効果を計算してみたら、ぼくはトータルでプラスだと思う。
教育効果も入れると、絶対にプラスだ。

これはいい考えだと思う。

| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
不安世代
日本のミレニアル世代(2000以降に成人または社会人になった世代)は不安らしい。
ブルームバーグの記事で読んだ。

記事によると、今の30代半ばまでの若者は、世界的には将来に希望を持っているとのこと。
インターネットが当たり前の世代で、パソコンやスマホを使いこなし、その便利さを享受しているから、これからの社会でもやっていけると思っているのかもしれない。

ところが日本では、調査した18カ国中もっとも悲観的。
自らのキャリアの将来性に期待が持てない。
引退の年齢に関する質問では、「死ぬまで働く予定」という人が37%でトップ。2位が中国で18%だから、ダントツのトップということになる。

記事を引用すると、

「キャリアの将来性に悲観的なのは、雇用市場の流動性が低いことも一因だと池田氏は指摘。年金制度の持続性への強い不安感や賃金上昇の期待の低さが「死ぬまで働く」との回答につながっているとみる。

内閣府の「高齢社会白書」によると、日本の社会は1950年時点では高齢者1人を12.1人の現役世代で支えていたが、2015年には現役世代2.3人、60年には1.3人の現役世代で高齢者を支える見込みだ。世界に類を見ないスピードで進む少子高齢化による労働力不足や社会保障負担増などが、日本のミレニアル世代を待ち構える。」

という現実。

今の年功序列、終身雇用の中では、正社員になる障壁が高く、新卒一括採用と相まって、新卒で正社員になれなければなかなか途中で正社員になれない。
企業側から見ると、正社員を採用すると定年まで雇わないといけないということで、なかなか正社員は雇えないから、忙しいと残業で乗り切るか、非正規を増やさざるを得ない。
こういう日本社会の特徴がバブルの頃まではうまく回ったが、崩壊してからは悪魔のサイクルになった。
「雇用市場の流動性が低い」というのはそういうことだ。

おまけに社会保障費はどんどん増えていく。
書いてあるように、高齢化がすごいスピードで進み、医療費や年金が増えるからだ。
だから、労働力不足になっても、自分の給料がどうなるのか、という不安がある。
さらに、人工知能などというものが出てきたり、グローバル化で仕事がなくなるかもしれない。

今の日本の若者に希望を持て、といってもムリだ。
ちょっと考えれば、わかることだ。

政治家は票になる高齢者のことしか見ない。
年金を減らすというと、反対が起きる。

医療費を減らすための処方箋薬のネット販売すら実現しない。
保険請求をチェックして、不要な薬を出さないような仕組みづくりもできない。
日本中の病院の前に人が何人もいて、広々した処方箋薬局があるということに疑問を持つ高齢者はいないんだろうか。
若い人はそういうところに行かないからわからない。
規制を緩和して、生産性を上げていかないと、社会は回らない。
割りを食うのは、まわりまわって若い人たちだ。

それが少子化にも結びつく。
こんな状態では結婚や出産はできない。

これを解決するためには、それこそトランプ級の指導者が出てきて、小泉元総理がやったように「古い日本をぶっつぶす」ということくらいだろうか。

残念ながら、ぼくにはそう思える。

| | 考えたこと | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
トラベラーズチェック
知らなかったが、いつの間にかトラベラーズチェックというものがなくなっていた。
ぼくが会社の出張で、初めて海外に行ったときには持って行った。
現地の銀行で、現地通貨に変えてもらった覚えがある。
あれは1980年代だった。

留学のサイトによると、2014年の3月に、最後まで残っていたアメリカン・エクスプレスのトラベラーズチェックが廃止されたとのこと。
もう時代はクレジットカードの時代になっている。
そういえば、ぼくが会社をやめた2004年当時でも、海外出張はカードだけで行くという状況だった。
レートを気にしないのなら、欧米なら現地通貨を持たずに行くような状況だったと思う。

そう思うと、海外旅行の敷居はずいぶん下がった。
少なくとも、お金の面では普通の国に行くときでも、ほとんど気にしなくてよくなったと思う。
昔はそれこそ日本円をトラベラーズチェックに換えて、それをまた現地で現金に換えるというようなことをしていた。

ことほどさように、80年代の海外出張は大変だった。
だからこそ、出張する人を部署総出で空港に見送りに行ったり、出迎えに行ったりした。
今なら考えられない。

たしかに、グローバル化は進んだと実感する。
海外は近い所になり、どんどん日本のものが売れた。
そして、貿易摩擦を緩和するためや、安い労働力を求めて多くの製造業が出ていった。

ぼくのサラリーマン時代は、そのグローバル化がダイナミックに動いていた時代だった。
勤めていた会社は自動車関係だったから、本当にその動きの中で仕事をした。
80年代といえば、日本の自動車産業がアメリカに工場を作り出した時期。
それこそ、ある時期は日本語よりも英語をたくさん書いていた。
夜中まで会社に残って、アメリカのスタッフと電話会議をしたこともある。
90年代に入ると、それらがどんどん本格化していった。
英語で東海岸、西海岸でプレゼンをして回るというようなこともやった。
あれは震災の時だったなあ。

本当に忙しかった。
あんな風に働くなど、もうできないだろう。
コンプライアンスなどという言葉がなかった頃だ。
それでも、今思いだすと、楽しかったと思う。

嫌なことは忘れてしまう。

トラベラーズチェックでそんなことを思い出した。


| | 考えたこと | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
プロジェクト・ベースド・ラーニング
日経ビジネスで、「問題解決能力を伸ばす「PBL」が就活生と企業のミスマッチを解消」という記事を見た。

PBLは今流行のアクティブ・ラーニングの一種で、「プロジェクト・ベースド・ラーニング」のことだ。
要は学生たちに課題を出して、その解決をする(だいたいはチームで話しあったり、現場に行かせたりする)という形式で、授業でやったり、課外でやったりする。

以前アクティブ・ラーニングの記事の時に書いたが、この種の授業をやるには、まず教員やファシリテーター(議論を円滑に進めさせるためのメンバー)のスキルが充分にあることと、学生側に基礎となる知識があることが必要だ。
それらがないままやってしまうと、ほとんどお遊びに近くなる。

もちろん、PBLを企画する人たちが悪いと言っているのではない。
だいたいが、学生のために一肌脱ごうという人たちが手弁当でやっている場合が多い。
エライと思う。
だから、PBLの結果は「学生が頑張って、良い結果が出た」というものになりやすい。
ちょっとでも効果があれば、そういうふうに評価し、この芽を絶やさないようにしたい、という運営側の思いが先行するのだ。

多くの場合、学生の知識不足や運営側のスキル不足で議論が盛り上がらなかったり、一部の知識の豊富な学生だけが意見を出すなどの状況になり、思ったほどの効果が出ないのだと思う。
ぼくが見たいくつかの事例はそんな感じだった。
事例発表の時は、いいことばかり言っているが、質問すると「いや、それは」というようなことが出てくる。

一部の教員はその難しさをよく知っており、アクティブ・ラーニングのためにはまず学生に勉強させることが大事、と言っていた。
でも、多くの場合は「まずPBLありき」で、それをすっ飛ばして、結果を得ようとする。
そうすると、わけのわからない事になってしまう。

さすがに、日経が大学と取り組んだものはそうではないのかもしれない。
でも、記事で紹介されている16の事例を見ると、前半は企業の事業の課題にの解決という感じだが、後半になると企業の採用の課題というようなものが増えており、最初から企業側が事業の課題を避けているような気がする。

やっている人たちのやる気は大事だし、ありがたいと思う。

しかし、その熱意が本当に企業の課題解決のためになるには、学生の基礎知識や文章力、論理構成力などを高めることが必要だ。

そのためには、そういうことをやっている人たちが、文科省に対して「初等、中等教育をもっとちゃんとやらないと、日本はエライことになるぞ」というメッセージを発するべきだ。

それが長い目で見た時に、本当の人手不足の解消策になるんだと思う。


| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビートでウォーク
スポーツジムに行ったら、最近はウォーキングマシンで歩く。
そのために、プレーヤーに音楽を入れた。
入れた曲はだいたい4分音符を1ビートとして、1分間に100〜120ビートという速さ。
そのリズムに合わせて歩くと調子がいい。

だいたい、時速5.5キロ〜7キロにセットする。
時速7キロで歩ける曲は3曲くらい。
ほとんどは6〜6.5キロがちょうどいい。
その日の調子に合わせて、曲を選択する。

これが、自分の好きな曲で、歩く速さと合わない曲だと調子が悪い。
歩いているのが、しんどくなるのだ。
どうしても、時速6キロくらいでしか歩けない。
歩くリズムと曲のリズムが違うと、歩きにくくなる。

時速7キロで歩くのはかなりシンドイのだが、曲のビートに合わせると何とか歩ける。

リズムは音楽の3要素の一つと言われているが、かなり本能に近いところにあると思う。
メロディやハーモニーは理屈があるが、リズムは理屈抜きで身体が動く。
そういうプリミティブな感覚がある。

リズムは身体の動きと直結している。
だから、リズムに乗ると、身体が動く。
普段歩けないようなスピードで歩くことができる。

だから、普段歩くビートのちょっと上で歩くといいと思う。
そういうリズムを発生する機器は売れるのではないか。

そのうち、ストリーミングでビートを指定してプレイリストを作れる、というようなウォーキングやランニング向けのサービスが出てくるだろう。

もうあるかな…。


| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
新たな貧困ビジネス
今日駅前でティッシュを配っていた。
コミックインターネットカフェの宣伝。
新たにオープンする店だ。

こないだまで飲み屋だったところが廃業し、新装できたというところ。
ティッシュを見ると、4つの宣伝が書いてある。

「みんなで遊べるリビングルーム
 女性専用エリア
 シャワールーム完備(有料)
 ソフトクリーム食べ放題」

もちろん、コミックインターネットカフェだから、インターネットの接続とマンガの読み放題は値段に入っている。
このティッシュを持っていくと、入会金が無料になり、ブース料金が半額になる、という特典がある。
料金が出ていないので調べてみると3時間で953円、12時間で2191円だった。
夜8時以降の8時間なら、1429円。
12時に入って、朝の8時に出たら、1500円ほどでOKということだ。
カラオケルームもあるし、ダーツやビリヤードもできる。

これはワーキングプアの人たちや若いサラリーマン、大学生たちの新たな宿泊所ということなんだろう。
女性専用エリアもあり、みんなで遊べるリビングルームもあり、至れり尽くせりだ。
シャワーもお金を出したら使える。

これでまた、新たなたまり場ができる。
ネットカフェ難民という言葉もあった。
しかし、スマホが普及し、わざわざ行こうという人は減少しているという。

それを埋めるべく、高齢者を取り込もうとしているのが現状らしい。
だから、ぼくにもティッシュを渡してくれたのかもしれない。

シニア割引をしているチェーン店もあるらしい。
主に昼間の利用だろう。
外国人の宿不足のニーズもある。
それを取り込むことも考えているとのこと。

ゆっくり眠れはしないだろうが、若い人たちにはいい宿泊所だ。

高齢者にとっては、いい昼間の時間潰しの場所になる。

これも形を変えた価格破壊だろう。
コンビニがコーヒーやドーナツなどを安価に出して、スタバやミスドの客を取っていったように、カラオケボックスやカプセルホテルから客を奪っていくのだろう。

これでは、なかなかデフレは止まらない。
| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
憧れの私立探偵事務所
夢には2種類あると思う。
一つは実現するかも、という夢。
もう一つは、全く実現の可能性はないが、それでも考えてしまうという夢だ。

ぼくはハードボイルドの探偵のファンで、その手の小説を読んできた。
なんで好きかというと、一本スジが通ったところとか、厳しさの中にある優しさとか…、考えてみると自分にあってほしいものがあるからだろう。
あってほしい、ということは自分にはないということだ。

ハードボイルドの探偵は、自分の事務所を持っている。
実際にはあまり儲からず、いつもお金には困っていて、あまりいいところの事務所は借りられない。
それでも、誰かの指示で働くのではなく、自分の意志で働く。
そういうところも好ましい。

お金はないが、事務所に座っていて、場合によっては留守番の秘書がいたりする。
ある日、そこに依頼人が現れ、簡単そうに見える仕事を依頼する。
引き受けてやってみると、死体が出てきたりする。
そうしてやっかいなことに巻き込まれる。
ぼくの想像ではそういうパターンが多い。

夜は行きつけのダイナー(安い食堂)に行って健康によくない食事をとる。
油たっぷりのカリカリのベーコンと、たくさんケチャップをかけたポテト、メインディッシュのハンバーガーが一皿に盛られている。
薄いコーヒーをがぶ飲みして、タバコに火をつける。
この不健康さがたまらない。

酒は何でも飲む。
好みは決めてない。
スコッチでも、バーボンでも、ウォッカでもありだ。
ただし、ワインは似合わない。

自分が事務所を持って、机の上に靴のまま足を上げて座っているところを想像する。
実生活ではあり得ない想像。

絶対にかなわない夢だが、そういう事に憧れる。

男のロマンと言っておこう。


| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
インターンシップ
以前に就活前倒しという記事を書いた。
2015年の10月末の話だから、もうあれから1年ちょっと経つ。
2015年は選考の時期が4月から8月に後送りされたが、2016年に6月に戻って、2017年はそのまま踏襲という状況。
いろいろとバタバタした時期だった。
その時はもう大学を辞めていたが、大学の言動不一致に腹が立って書いた記事だった。

その後、インターンシップの状況が大きく変わった。
当時から、インターンシップに行くのに面接選考をやるところが出てきて、これなら選考時期の前倒しと変わらないと思っていたが、それがどんどん激しくなった。

企業は少子化で人手不足、学生は売り手市場でありながら、これからの時代を見据えると採用基準は厳しくならざるを得ないという二律背反に双方が苦しんでいる。
ほとんどの予測では、近い将来人工知能が発達し、今まで以上に単純な労働は人工知能がやるようになり、対面の仕事も一部は置き換えられるという。
だから、それらに対応できる人がほしい、ということだろう。

金融業界ですら、ビットコインなどのテクノロジーによって、世界で2500万人が職を失うという予測が出ている時代。
すでに日本の地方銀行では淘汰が起きている。
数十年変わらなかった公務員でさえ、採用の基準が変わってきた。
税収が減って4割の自治体が消滅するという予測すら出ていることに、遅まきながら対応しようとしているんだろう。

そんな中で人は今まで以上に財産である、ということになってきた。
良い人材を採らないと生き残れない。
そのために採るべき人材を見極めることが重要になってきた。
健康であれば、誰でもいいという時代が数十年前にあったことを思えば、世の中は大きく変わった。

だから、インターンシップで学生を見極めようとする。
1日で終わる会社説明会のようなものもあるが、3日、5日、10日、1ヶ月など長いものも増えてきている。
技術系などは数日のインターンを経て、早々と内々定を出す会社もあるらしい。
どんな会社でもIT技術者は必要になる時代。
文科省も焦って、小学校でプログラミングを教えると言い出した。

就活スケジュールがどう変わろうと、良い人材を採りたいという欲求は変わらない。
実際、ユニクロなどは1回生から内定を出すという。
大学の付加価値など関係ない、ということだ。

こんな状態なら、今まで以上にインターンシップの重要性は増すだろう。
それも、1日で終わるようなものではなく、長期のものだ。
対象も3回生、4回生だけではなく、1,2回生も増えてくるだろう。
流通小売などの業界では、アルバイトからの採用も増えてくるのではないか。
アルバイトでもこれという人材は早く囲い込み、優遇したり、奨学金でひも付けたりするのもアリだろう。
少子化で、それだけ採用は難しくなる。

今までインターンシップは就業体験であり、無償で行うもの、という考え方だったが、これからはそうは言っていられない、
給料をいくばくか払い、長期間で本当に仕事をする、というインターンもアリだろう。

アメリカでは大学を卒業してから、就職するというパターンらしい。
インターンに応募して、面接を受け、そこで仕事をして採用、という形だという。
日本よりも雇われやすい反面、すぐにクビにすることができるという。
日本の正社員という考え方はなく、みんなが非正規社員という感じ。
だから、「雇ってみよう」ということができる。

それこそ、日本もロバート・デニーロが出ていた、映画”The Intern”みたいになっていくのかもしれない。

今の同一労働同一賃金という考え方は、それを推し進めるものだと思う。

ぼくはそれに賛成だ。

学校を出て、しかるべき知識やスキルをつけ、インターンに行って仕事を決めるというやり方もそのうち出てくるだろう。

でも、それで一番変わらないといけないのは、教育だろう。

今まで新卒一括採用で一番助けられていたのは、大学かもしれない。


| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界はわからない
中国の総書記が、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で自由貿易を守るという演説をした。
この世の中、今までの常識は通用しない。
共産主義の中国が、自由貿易を擁護したのだ。

ニューズウィーク日本版の記事にはこうある。

「保護主義のドナルド・トランプ次期米大統領とは対極の自由を訴えた習は世界最大の共産党の指導者であるにも関わらず、世界中から集まった「グローバルエリート」に歓迎された。アメリカの政治リスク専門のコンサルティング会社、ユーラシア・グループのイアン・ブレマー社長は「演説は大成功」とツイッターに投稿し、後でこう付け加えた。「世界の自由貿易のリーダーが中国とは、資本主義はピンチだ #ダボス」

今までの状況を考えると、中国がこういう演説をした事自体、皮肉なことだと思う。
まことに、世界はわけがわからない時代に入りつつある。
1年前には想像もできなかったことだ。

第二次大戦が終わって、世界はその反省に基づいて二度と戦争が起こらないようにと考え、国際連合を作り、理想を掲げた。
EUというのも、その理想の一つだろう。
ずっと戦争を繰り返してきた欧州に平和をもたらすには、国境をなくすしかないということだ。
そのEUがイギリスの離脱でほころびはじめている。
もともと島国であり、大陸とは一線を画してきたイギリスが離脱を決めたのは仕方ないとも言えるが、フランスやドイツの選挙結果によっては本当にわからなくなる。
戦争が終わって70年の歳月が経ち、理想では食えなくなってきた。

故郷が戦争で崩壊し、追われた人たちを受け入れるのは人道的に正しいことだし、いろんな意味でマイノリティの人たちの権利を認めるのもいいことだ。
しかし、それが行き過ぎているというのが、イギリスのEU離脱(BREXIT)やトランプ氏を大統領に選んだ人たちの総意だろう。

そんな状態になったから、本来は保護主義大国である中国の総書記が、自国の利益を考え、自由貿易を擁護せざるを得なくなった。

孔子はいいことを言った。

「衣食足って礼節を知る」

世界は豊かになってきているのに、こんな状態になったのは、格差も大きくなってきているからだろう。
移民の人たちはより安い労働力になり、今までその仕事をしていた人から職を奪う。
もちろん、テロが心配ということもあるが、きっとそれより職を奪われる方が切実だ。
移民の人たちは、国内でグローバル化を推進しているのだ。
マイノリティの人たちの権利を認めるのも、それが行き過ぎて「優遇」になってしまっていると感じる人が増えたのだろう。
そうしないと、フロリダの国語はスペイン語になってしまう、ということだ。

これらの問題は解決が難しい。
理想と現実の乖離が大きくなりすぎた。

そのほころびが顕著に出たのが、イギリスとアメリカというグローバル化を推進してきた国々だというのは当然なのかもしれない。

孔子が生きていたら、この状態を見てどう言っただろうか…。

| | 考えたこと | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼平のアニメ
鬼平犯科帳がアニメになるということで、1回目の放送を見た。
世間の評価はともかく、ぼくはダメだった。

池波正太郎の小説を読んで、中村吉右衛門の鬼平を見てしまったら、あんなに線の細い鬼平はあり得ない。
アニメではみんな細身で8等身以上ありそうだ。
まるで登場人物が西洋人の時代劇。
着物が似合わない。
やっぱり日本人は6等身くらいでないと…。

せっかくアニメなんだから、どうでも描けるのになあ。
アニメだけに、若い人向けにファンを獲得したいと思ったんだろうか。
声も渋さがない。
なんかベルサイユのバラみたいな感じだ。

鬼平は、日本のハードボイルドだと思う。
池波正太郎が生きていたら、止めていたのではないか。
盗みを「おつとめ」といい、盗人から改心して鬼平の配下になったものを「犬」という。
鬼平犯科帳はそういう犬の密偵たちの物語でもある。
鬼平自身、自分の部下も大事だが、改心した密偵たちとの交流がうれしいのだ。
そういう世界観の時代劇。

「人間というのは悪いことをしながら、善いことをし、善いことをしながら、悪事を働く」

そういう半分乾いた、ハードボイルドの世界。

これをアニメで描くのは難しい。

実写とは別物だと思わないといけない。


| | 考えたこと | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
透明性
さっきニュースで東京オリンピックのマスコットの選定についてやっていた。
たくさんの人が集まって、前のようにならないように、マスコットの選定については透明性を確保したいと会議を開いて話し合っていた。

透明性を確保するためには、オープンに公募し、結果は投票で決めればいい。
それだけだと思う。
有識者がたくさん集まって、透明性を確保するためにはというような会議をやればやるほど、うさんくさいものになる。
透明性のための議論など1回やれば十分だ。

世の中、コンピューターが発達し、プロと素人の差はどんどん小さくなっているんだから、正々堂々と公募して、一般人を募集して選別し、最終案をいくつか絞ってその中からオープンに投票で決めるべきだ。
選考委員が必要なら、専門家に依頼するのではなく、選考委員自体を公募すればいい。
とにかくオープンにやるべきだ。

その過程はインターネット等で誰もがわかるようにして、最後はネットで投票すればいい。
ハガキもOKだ。

何らかの組織票が入ったらどうするのかと言われたら、それもアリだと言うしかない。
どんな規程を決めても、抜け道は常にある。
それは仕方がない。

今日みたいに、透明性透明性と言うと、ほんとにうさんくさい。

きっとこのままいくと、紅白歌合戦の結果みたいになる。
結局はわけの分からない審査員が決めることになる。
そんなことはやめて、視聴者や客席の大多数で決めればいい。
所詮はどうでもいいのだ。
みんながいいと思ったら、それでいい。
その代わり、著作権等はオリンピックの組織に属し、一切儲けはなしだ。
マスコットを作ったのは誰という名誉だけ。

有識者であろうが、専門家であろうが、一人一票。

それが一番公平で透明だ。

こねくり回したら、きっとロクなことはないぞ。



| | 考えたこと | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイクの進化
ホンダが倒れないバイクを発表した。
二足歩行ロボットのAsimoなどの技術を応用したとのこと。
デモの動画を見たが、本当に倒れない。

基本的に自立するためのジャイロの組み込みや、ハンドルを細かく制御すること、キャスター角を可変にすることなど、色々な仕組みが盛り込まれているようだ。
バイクという乗り物は、自転車と同じく走っているときは安定しているが、低速では簡単にコケる。
ライダーの高齢化などに伴って「自立するバイク」というニーズも出てくるのかもしれない。
動画の一つには、人間についていくモードも示されていた。
クルマの自動運転の技術をバイクに応用したのだろう。

このバイクが、モーターショーではなく、ラスベガスで開催された家電見本市で展示されたというのも大きい。
二輪関係者にバイクとしての出来を見せるのではなく、家電業界にロボティクス技術を見てほしいということだ。

そういえば、ホンダは自立する一輪車も発表している。
行きたい方向に身体を傾ければ、そちらに進むというもの。
将来は車椅子の代わりになるかもしれない。

電池の技術が進み、コンパクトな充電電池が大きな電力を持てるようになってきた。
モーターと自立の技術で新しい乗り物も出てくるかもしれない。

人は自由にいろんなところに行けるようになることで、自由な考え方を得たのだと思う。

今回のバイクの進化が、新しいモビリティの可能性を拓くかもしれない。

| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
バズる
インターネットで使われる言葉でわからないのがあって、調べてみた。
「バズる」というものだ。
実際には「バズっている」、というように使われる。

こういう言葉は英語が元になっていることが多い。
案の定、バズるの意味は英語の「buzz」から来ており、それはハチがブンブンと飛び回るというというところから、「特定の単語や物事が、インターネット上で爆発的に多くの人にとりあげられること」という意味になる。
ネット上では「話題になっている」というような使われ方が多い。
「炎上」とは違って、プラスイメージで話題になるというニュアンスらしい。

バズられるために、どうしたらいいか?というようなサイトもあった。
自分の発言がみんなに引用されたり、企業の製品が話題になったりするために、どういうことが必要か?ということだ。
あくまでプラスイメージで捉えている。

バズッターというサイトもある。
これはTwitterで話題になっている言葉を抜き出して表示するもの。
今日のバズッターでバズっている単語が表示されている。
数学ということばがあったので、なんでかなと思ってクリックしてみると、センター試験の数学のことをTwitterで呟いている人がたくさんいた。
時間的にちょうど終わったところだったんだろう。
昼休みが終わる時間には消えてなくなった。

全国女子駅伝も中継中だったのでバズワードになっていた。
本当に時々刻々の話題を知ることができる。

こういうので、何が流行っている(バズっている)のか、情報を得ることができる。
みんなのつぶやきの中から、よくつぶやかれる単語を抽出するだけで、話題がわかるのだ。
Twitterを使う人の総数が増えれば増えるほど、それは確からしくなる。
ただ、年齢層は低いところが多いだろう。
トランプ氏のように70代でTwitterをやっている人は日本では少ない。

ぼくはTwitterをやってはいるが、見るだけだ。
フォローしているのは個人もあるし、日経やディスカバリーチャンネルなどの組織もある。

でもトランプ氏が大統領になってもTwitterを使い続けるのなら、ユーザーは増えるだろうなあ。
調べてみるとトランプ氏のフォローをしている人は1987万人。
ヒラリーは1200万人だった。
どれだけの選挙人が真剣にフォローしているかわからないが、トランプ氏が一言つぶやくと、2000万人に届く。

話はそれたが、なんとなく恐ろしい時代になった。


| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
一人あたりのGDP
ぼくは知らなかったが、日本人一人あたりのGDPは低いらしい。
まあ、低い低いという話はあったが、見ないふりをしていた。
どれくらい低いかというと、世界で27位であり先進国中最低レベルということだ。
労働者ベースでみると、債務で苦しんでいるスペインやイタリアよりも低いとのこと。
ちょっとビックリする。

ぼくが会社に入った頃、生産性という言葉は日常的に使っていた。
工場で一人あたりの生産性がどれだけ高いかということを指標にしていたからだ。
だから、漠然と日本の生産性は高いのかと思っていたが…。

デービッド・アトキンソンというイギリス人が「新・所得倍増論」という本を出している。
その中にそういうデーターが紹介されているとのこと。
買ってみようかと思う。

要は、日本人は人口が多いからGDPが高いことを過大評価して、一人あたりのGDPが低いことなど意に介していないということらしい。
そういえば、日本人には謙虚さがなくなったと思う。
典型的なのが、何か偉業を達成した人に対して「勇気をありがとう」というような人が増えたことだ。
どうして素直にきっとたくさんの努力をしたのだろう、エライなあ、とか思えないのだろうか。
自分の視点でしか、物が見えていないような気がしてしかたがない。
まるで自分もガンバレば、その人のようになれる、と言わんばかりだ。
マスコミも率先してそれを煽っている。
あの言い方は本当にオカシイ。

東洋経済の記事に、こう書かれている。

『 「世界第2位の経済大国」というのはGDPという「経済の大きさ」の指標である。GDPは人口×生産性なので、中国経済が台頭してくる以前、先進国の中で米国の次に人口の多い日本が、2位というポジションについたのは当然といえば当然の結果である。しかし、「日本のGDPが世界第2位にまでなったのはなぜ?」という問いかけをされても、「人口が爆発的に増えたからでしょ」と答える人は少ない。「世界一の技術力があったから」とか「日本人は世界一の勤勉だから」とか答える方が圧倒的に多いのではないだろうか。

 確かに、日本には技術力の高い企業がある。しかし、そうではない企業もそれ以上に多く存在している。日本人労働者は真面目だというが、怠け者だって少なくない。そういう「個」の事情が、「全体」に対する評価に引きずられる形ですべて帳消しにされる。つまり、ひと握りの日本人・日本企業が優れているという話が、「世界第2位の経済大国」というフィルターを通すと、いつの間にやら「日本全体が優れている」という話にすり替わってしまっているのだ。』

日本人が謙虚さを失っているということと、「いつの間にやら…」という意見とは関係があると思う。
80年代に日本はJapan as No.1などと言われ、増長してしまった。
それなりの実績もあったことは事実。
外国で評価される会社はたくさんあった。
それはぼくが小学校のころに、「アメリカ人はソニーはアメリカの会社だと思っている」という先生の言葉を聞いて、誇らしく思ったこととつながっている。
でもそれから20年、持ち上げられすぎて有頂天になってしまった。

これから人口が減る。
労働人口の減り方はもっと顕著だ。
だから、これからもっと経済成長は見込めない。

Amazonの「新・所得倍増論」内容紹介のところにアトキンソン氏のコメントが紹介されている。

「皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、塾にも通って、就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、有給休暇もほとんど消化せず、一所懸命働いているのに、「生産性は世界第27位」と言われて、悔しくないですか。
先進国最下位の生産性と言われて、悔しくないですか。
こんなにも教育水準が高い国で、世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第39位というのは、悔しくないですか。
「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

私は、悔しいです。日本は、この程度の国ではありません。

日本の実績を「この程度」に押しとどめている原因を特定し、改革を実行すれば、日本は必ずや、劇的な復活を果たせるはずです。
本書がその一助となれば、筆者としてこれほど嬉しいことはありません。」

彼は日本の問題として、戦時中の体制を引きずっているということを挙げているとのこと。
ぼくもそう思う。

賛否両論あるが、日本人は東京裁判で戦争が終わったと思っている。
でも、多くの日本人が稚拙な作戦で戦争中に餓死した事実ははっきりしていない。
その責任者たちはもう亡くなっているが、ぼくらはその責任を問うてはいない。
近代史の中でそれを明確にして、いかに日本が馬鹿な戦争をしたか、ということを今からでも認識しないといけないと思う。
それが日本人の謙虚さを取り戻す方法だろう。

アトキンソン氏のような人がいることに感謝。
本を買って読んでみよう。



| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
総務課が重要?2
こないだ、会社勤めから学校法人に変わって驚いたことの一つは、「総務課が重要なポジション」ということを書いた。
営業や技術といった部署がない学校法人という組織では、外向きの仕事が軽視される傾向にある。
仕事の大半は学内の調整業務で、それをやる部署が総務ということだ。

ぼくは会社時代に業務改善のプロジェクトをやったとき、「内向きの価値観」という事を問題にした。
社内向けの資料にかける時間の方が、外向きの資料よりも多いとか、社内調整の会議の時間が長すぎるというようなことだ。
当時、営業の人が、「この会社、お客さんより社長のほうが大事だと思っている」と文句を言っていたのを思い出す。

報告では、会社は社外のお客様に対して商売して、金を儲けているのに、社内の資料作りや調整にばかり時間がかかって、オカシイのではないかということを言った。
まさに、この業務改善プロジェクト自体が内向きの価値観でやられた仕事だったのかもしれない。

そういうことを思い出していたら、日経ビジネスに「おのれ! 間接部門 彼らが仕事を“邪魔”する理由」という連載があった。
まさにそういうことを問題視している人がたくさんいるということだ。
記事では「成果主義の導入」が間接部門の仕事を増やしたということが言われている。
なるほど、間接部門で成果を出そうとすると、直接部門の管理の仕事を作り出さざるを得ない。
そういう風にして、民間企業でも総務課に代表される管理部門が、直接部門の仕事のジャマ(全部が全部とは言わないが)をするようになったのだろう。

ぼくの会社では1990年代後半くらいから、目標管理という人事評価の方法を導入して、成果を評価するというやり方を始めたと思う。
目標設定時には、上長と面談するというふうになっていた。
成果をあげようとすると、目標を簡単にすればいいから、それを話し合って妥当な目標にすることが面談の目的だった。
難しい目標はチャレンジ目標とかいって、何項目か書き、それは加点評価になる。
到達されたら加点するということだ。そうしないと、みんながチャレンジしないからだろう。
比較的やさしい目標は業務改善などの項目だったと思う。

ぼくらは技術部にいたから、仕事の目標は内からも外からも決まっていたし、比較的定量化しやすかったから、設定は楽だった。
もちろん、到達は難しかったが…。
営業もそうだったろう。数字で管理されるところはやりやすい。

でも、総務に代表される管理部門の成果は難しい。
大部分はルーティーン業務で定形の仕事だから、チャレンジのしようがない。
そこでムリにチャレンジしようとすると、直接部門が巻き込まれる。
業務改善プロジェクトとか、予算管理の合理化とかそういうことをやり始める。
もちろん、全社縦断的にやるのだから、大変だ。
こういうのが増えてきたから、「おのれ!間接部門」というような連載が始まったのだろう。

ぼくが会社をやめた2004年当時は、そこまで問題になっていなかったが、今はどうなっているかわからない。

もちろん、学校法人は元々内部調整が一番大事という世界だから、「おのれ!間接部門」とも思っていないだろう。
それが当然ということだ。

連載によると、ぼちぼち間接部門を縮小すべきという感じだ。
流れとしては、そうなるんだろう。

でも、一旦大きくなったものを縮小するのは、難しいだろうなあ。

国でも、既得権をなくすのが一番難しいと思う。

それをやっていかないとイケナイ。




| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロシアのサイバー攻撃
アメリカでは、ロシアのサイバー攻撃についていろいろと取り沙汰されている。
実際にどの程度のハッキングや暴露があったのか、どの程度のウソの噂が流されたのかなど、ぼくらにはよくわからない。
でも、それはあったんだろうと思う。

日経の記事にもあったが、いろんなサイトに書き込むことによって、噂を操作し知らぬ間に空気を醸成することはできる。
ロシアのサンクトペテルブルグにネット世論を操作する拠点があるとのこと。
記事によると、その拠点ではこんなことが行われたらしい。

「 元従業員3人が証言する。ここは1日24時間365日、ネット上で情報工作をする「会社」だ。300〜400人の従業員が業務ごとに部署に分かれ、メディアにコメント投稿、フェイスブックなど交流サイト(SNS)には偽情報を拡散し、架空の人物になりすましてブログも展開する。政治風刺画を手掛けるデザイン部や映像制作部もあるという。

 マラトさん(41)は求人広告を見て面接を受け、月給4万ルーブル(約7万6000円)で2014年末から数カ月同社で働いた。配属されたのはロシアのメディアのサイトにコメントを書き込む部署。毎朝、カバーすべきトピックが与えられ、「我々の視点」を書くよう指示される。30〜40のIDを使い分け、1日200のコメントを投稿することをノルマとして求められた。」

専門知識など不要だ。
英語ができれば、コメント投稿やフェイスブックに偽情報を拡散できる。
エライ時代になったものだ。
インターネットでは、だれでも世界に向かって発信できる。
昔のように新聞や雑誌なら、こんなことはできない。

英語は世界公用語みたいになっているから、学ぶ人も多い。
だから、情報の拡散も容易だ。

政治と関係ないサイトやブログでさり気なく印象操作をする手法もあるとのこと。

「 ブログでは美女を装う手法が多用されているという。ネットなどから盗用した美女の写真を掲載して関心を引き、たわいのない話に政治的なコメントを混ぜる。「怖い映画がある。みんな死んでしまうの。アメリカも滅んだ。あの国はどのみち滅ぶ運命だけどね」。この手法は「ビキニ・トロール」と呼ばれる。」

こういうのは、何気なく読んでしまうだろうから、デマを意識しない。
たくみな戦術だと思う。

これからの戦争は、きっと戦う前に勝負が決まるのだと思う。
孫氏の兵法の「戦わずして降す」というやつだ。
インターネットの発達によってネットの世界では国境がなくなり、情報戦はやりやすくなった。

この瞬間にも日本も攻撃されているかもしれないぞ。

| | 考えたこと | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペットのハンコ
ペットの頭数は増えていると思う。
核家族化、高齢化に伴い、家でペットと暮らしたいと思う人が増えているからだ。
認知症予防のためにも、健康のためにも、正しくペットと暮らすのはいい考えだと思う。

そのせいで、ペットフードなどの売り場は増えた。
近所のダイエーではどんどん売り場面積が増えて、以前の倍以上になった。
イヌもネコも低カロリーや高齢用などのフードが増え、ペットの寿命が伸びているのがわかる。
そういえば獣医も増えた。
葬儀屋ほどではないが、道を走っていて目につくようになったなあ。

高齢者は家族が少ないから、ペットを溺愛することが多いんだろう。
だから、ペット関連のグッズも商売になる。
一昔前ならこんなもの売れるわけがない、というものでも売れる。

今日フェイスブックのネットの宣伝記事で、ネコのハンコというものがあった。
インターネットで「ネコのハンコ」で検索するといろいろ出てくる。
その中の一つのページを見てみると、いろんなネコのイラストがあり、そこに自分の苗字を入れるというものだ。
ネットでデザインを選び、文字のフォントを選び、それで注文するというもの。
銀行の届け印にすることも可能(メガバンクとゆうちょ他)という。

実際の販売ページを見てみると、イヌも鳥もうさぎもある。
ペットならなんでも来いという感じだ。
専門のイラストレーターが絵を描いているだけあって、なかなか可愛らしい。
さすがに、これを銀行の届け印にするのは抵抗があるが、宅急便の認印くらいなら、いいかと思う。

これはインターネットの店舗だから成り立つんだろう。
ペットのハンコを持ちたいという人はそんなにいないが、それでも認印くらいなら…というひとは数万人はいると思う。
そういうハンコがあることを知らしめ、販売ページに誘導すれば商売にはなるだろう。
ぼくのフェイスブックページにネコのハンコの宣伝が出たのは、よくネコの動画を見るからだ。
まさにターゲッティングされた宣伝。

昔なら新聞の広告か、テレビのCMしかなかった。
それをできるのはお金がある人だけだ。
でも今はネットの時代だから、そのアイデアと実現手法が決まればあとはネットで安く宣伝が打てる。
きっとイヌの動画を見る人には、イヌのハンコの宣伝が出るのだろう。
フェイスブックの宣伝とはこういうふうに使われるのかと分かった次第。

広告費のハードルが下がることで、アイデアさえあればそれに興味を持った人に宣伝することができる。
起業のハードル自体が下がったと言えるだろう。

しかし、昭和の時代なら「ふざけてんのか?」と言われたようなものが、堂々と製品化される時代。

世の中変わったなあ。

| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学事務
こないだ文科省が出していた、大学事務の役割見直しの案の記事があった。
「教職協働の推進」を規定しようとしている。

それによると、「海外の大学と共同で単一学位を出すジョイント・ディグリーという仕組みの制度化」の推進が第一らしい。
おそらく、海外とのやり取りや調整といった仕事がうまく進まず、まずこれをやってほしいという教員からの依頼があったんだろう。

国立大の職員は独立法人化したとはいえ、国家公務員みたいなものだし、古い人たちは国家公務員として雇われており、役人風になっている。
ぼくは大学で勤めている時に一度国立大に行ったことがあるが、事務員の数がめちゃくちゃ多かった。

おまけに、ある建物の2階で会合があったのだが、早く着きすぎて、行ってみるとまったく何の用意もされていなかった。
その建物の1階で聞いても全くわからず、まあ、ここでやるんだろうと待っていたら、机を持った人が何人か来て受付が始まったという状況。
2階の会議室の予定が、1階の事務ではわからないし、外部の人が聞いても問い合わせもしない、ということに「さすが国立」と驚いたことを覚えている。

国立大はきっと教員も優秀だろうから、中には事務能力に長けていて教員が事務に指示を出して仕事を進められる人もいるんだろう。
本当に優秀な教員は、何でもできるものだと思う。
しかし、中にはそういうことが全く不得手な教員もいるだろう。
そういう人のために、事務の能力を上げて、ジョイント・ディグリーのような国際的な取り組みを進めていこうというのが今回の主眼のようだ。

文科省の「大学の事務職員等の在り方について」という資料に、教員と事務のジョイント・ディグリーについての仕事が具体例として書かれている。

(事務職員):学内担当部局や担当教員との連絡調整・とりまとめ,文部科学省と相談・調整し法令上の解釈・運用の確認,同プログラム設置に当たっての申請書類作成,海外大学との事務職員の人事交流,学生支援体制の構築 等
(教員):海外大学との学位レベル及び対象学問分野,プログラム対象者の選定,担当教員の選定,単位の取扱い,成績評価,卒業・修了要件,在学期間,学位審査の制度の検討・調整 等

要は、教員は学びの部分以外のところができないということだ。
本来はそこまでできてこそ教員という感じだが、そういう人が減っているんだろう。

事務にとっても、今までの公務員という感じの定型業務ではなく、相手も組織だから臨機応変の対応が必要だ。
おまけに外国人だから、根回しなどは通用しない。
それが今回の「教職協働」につながったらしい。

そういうことをやるのなら、民間から募集したほうがいいと思う。
いわゆる中途採用だ。
こないだの「Gの世界、Lの世界」でもわかるが、官と民の差はとてつもなく大きい。

残念ながら文科省の資料には、そういうことは全く書いていない。
学校に今までと違った血を入れないといけない。

そういう事をこれから検討すべきだと思う。


| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビットコインの脅威
元旦の新聞に、そのうちビットコイン専用の銀行ができると書いてあった。
すでにギリシャにはビットコインのATMもあるらしい。
バンク・オブ・アメリカは、電子通貨の発達で、今後グローバルに金融業から2500万人分の職が消える、と言っている。

ビットコインは電子通貨であり、中央銀行や国家が発行するものではない。
でも、その脅威に対して、電子通貨を国が発行しようと考えているところもある。
スウェーデンでは「eクローナ」という電子通貨の発行を真剣に考えているらしい。

なぜビットコインが既存の銀行にとって脅威かというと、銀行が要らなくなるからだ。
銀行が存在できるのは、「信用」を作り出しているからだが、その信用を銀行が担わなくてもよくなる。
それがブロックチェーンという技術。
みんなで分散して台帳を持つことで、信用を担保する。
今でも海外への送金などはビットコインなら手数料も何も要らない。
世界共通通貨という感じだ。

実際、これだけお金の決済の電子化が進んでいると、普及は意外と早いかもしれない。
カードでものを買うことが増えた。
アマゾンや楽天などの通販や、インターネットでの決済はそれがあるから増えている。
リアルなマネーから仮想通貨へという流れは、インターネットの「中抜き」と一体になっている。

そうなると、よけいのこと金融機関に今から就職する人の将来はどうなるのか?ということだ。
自動車業界でエンジンからモーターへという変化が起こっており、参入障壁が下がるとか、部品点数が減ってたくさんの部品メーカーがなくなるとかいう動きよりも、こちらのほうが実体を伴わない分だけ動きが早そうな気がする。

現在日本の金融業に勤めている人が22万人ほど。
バンク・オブ・アメリカの予測でいくと、多くの人が失業することになる。
もう定年間近の人は大丈夫だろう。
でも、20代の人はあと40年以上先まで働かないといけない。

理論的には素晴らしいビットコインでも、実用をどんどん進めていけば問題が起きるかもしれない。
それこそ当局の規制対象になるかもしれない。
それでも、21世紀はインターネットの世紀だろう。
あらゆるものを変えていく。
そのあらゆるものの中には、きっと通貨も含まれると思う。

ぼくはまだまだ理論はわかっていないが、それでも「今さら聞けない、「ビットコイン」について知っておきたい基礎知識」ぐらいはわかる。

加谷珪一という経済評論家が「加速するフィンテック なぜ銀行の既存ビジネスを破壊するのか」という記事を書いている。
その終わりのところに、こう書かれている。

「国境を越えた送金やスマホとAI(人工知能)を使った融資の自動審査といったプラットフォームが整備されれば、従来の銀行が持つサービスはかなりの部分が不要になる。最終的には国の規制がどうなるのかというところに依存するが、市場メカニズムだけを考えれば、経営体力のない銀行は淘汰されていく可能性が高いだろう。」

規制緩和が進まず、既得権が打ち破れず、いろんな不条理がまかり通っている日本。

ビットコインを買ってみるのもいいかと思う。




| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
奨学金
今、ぼくの勤めていた大学は奨学金の受給率が50%程度になっていると思う。
もらっているのは、入学者の半分くらいだと思うが、その中で奨学金がなければ大学に来ることができない学生がその6割程度はいるのではないか。

下位の大学では、とにかく大学だけは出よう、と思って来る学生が多い。
そのせいで、推薦、AOで半分以上の学生が入ってくる。
一般入試を受けず、先に決めてしまいたいという学生がたくさんいるからだ。

国で今検討されているのは、給付型の奨学金だが、それは成績上位者が前提。
もちろん、経済的な状況も考慮されるんだろう。
下位の大学にはそういう学生はほとんどいない。

実際、大学を出る頃には百万単位の借金を背負って出ていくことになる。
だから、事務の担当者は全力で「できるだけ少なく借りること」を推奨する。
それでも残念ながら、新入生の奨学金のオリエンテーション時に額を増やす人も多い。

しかし、本当に大学で学び、その甲斐があって給料の高い就職先に勤められる人ばかりではない。
中には親が生活費に使ってしまい、休学してお金を貯めて卒業する人もいる。
また、バイト三昧で何をしに来たのかという学生もいる。
もちろん、そういう学生は給料の安いところに就職が決まることも多い。
職員が「この学生は返済できるんだろうか」と心を痛めるような学生もいる。

そういう学生を見ていると、本当に大学に来たほうがよかったのか、と思う。
高校を出て働いたら少なくとも4年間で800万以上のお金を稼ぐだろう。
一方、奨学金を借りて大学を出たら学費だけで400万以上、借金が少なくとも200万弱。
単純に見積もっても、4年で1400万の差がつく。

それだけの価値が4年間の教育にあればいいのだが…。
おまけに、社会としては年功序列が崩れ、実際の職務能力が成果にどれだけ活かされるかという時代になっていこうとしている。
長い目で見ると、単に大学を出ることにどれだけの価値があるんだろうかと思う。

奨学金は学生を助けるためのものだが、それは取りも直さず学校を助けてもいる。
その制度がなければ、大学に来れなかった学生もたくさんいるだろう。
下位の大学では、奨学金があるから経営が成り立っているという側面もあるだろう。

それだけの思いを大学は受け止めているだろうか。

下位の大学では、シンドイ学生を受けて入れているというのが事実だが、それに応じた教育システムを作っているかと言われると、そうは思えない。
必要なのは小学校あるいは中学校からの学び直しなのだ。
そんなことは、大学の先生にはできない。
授業を聞いても、難しい言葉は理解できないまま終わる。
話している方も、どこがわからないかがわからない。
就職の時の試験でも漢字の読みや四文字熟語がわからないし、非言語では分数や小数の計算が怪しい。
そういう状態がわかっていて、就職の担当が訴えても、何も変わらない。
とにかく卒業させたらいいと(全部の先生ではないが)思っている。
ほとんどの学生が「優」の成績がつく授業もある。
単位も乱発する。
実際、たくさんの学生を落とすと、教務から文句を言われたりもするのだ。

そんな大学には、きっと来ないほうがいいんだろう。
だから、奨学金は減らすべきだと思う。

それによって、大学に行けない学生ができて、今の下位校はある程度淘汰されたらいい。
そうしないと、いつまで経っても大学は変わらない。

ぼくはそう思う。



| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
笑い
仕事を辞めて大きく変化したのは、ぼくの場合は「笑い」だった。
ぼくらの仕事場はいつも笑いがあった。
笑いの絶えない明るい職場だからこそ、学生も来やすかったと思う。

一部の人たちからは不真面目だと思われることもあったかもしれない。
時には学生をネタにして笑うこともあった。
しかし、それは決して蔑んでいるのではなく、愛情をこめて笑っていたのだと思う。

会社時代もよく笑った。
下らないことを言い合って、笑っていた。
もちろん、そればかりではない。
真剣に書類に向き合うこともあったし、シビアなネゴシエーションもあったし、緊張する場面もたくさんあった。
でも、職場に笑いは必要だと思う。
しんどい事に真剣に向き合うからこそ、笑いが必要になるのだと思う。
決してぼくらの部署のパフォーマンスは低くなかったはずだ。

でも、仕事を辞めたら笑いは減った。
やはり人と接しないと笑いは生まれない。
もちろん、演芸を見たり聞いたりして笑うことは多いが、人と話すことに勝る笑いは生まれないだろう。

今の仕事場は静かだ。
あまり会話が聞こえないし、笑いもほとんどない。
メールが主体になって、話し声がオフィスから消えた。
だからこそ、潤滑剤として笑いは必要だと思うのだが、そんな感じはない。
みんな、こういう職場で働いていて楽しいのかと思う。
楽しいことがあるからこそ、シンドイことができる。
ぼくはそう思う。

みなさんマジメにやっているんだろう。
それは悪いことではない。
でも、なんとなく寂しい。

ぼくの思いは変わらない。
楽しくマジメに仕事をするためには、笑いは必要だ。

笑う門には福来たると言うではないか。


| | 考えたこと | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
擬人化家電
今年は家電が状況把握して、話をしたり聞いたりする製品が増えるという予想を見た。
各社ともそういう製品を計画しているらしい。

既にアップルは家電の制御をする機能をスマホに組み込んでおり、それに対応した製品ならスマホからコントロールできる。
フィリップスのLED電球はそういう使い方もできるらしい。
家に帰ってきたらスマホのボタン一つで家中を明るくしたり、寝るときは一気に暗くしたりできる。
グーグルもそういう機能を持たせるらしい。

家電などのコントロールを人間の声でやろうという製品も開発済みだ。
アマゾンやグーグルは既にアメリカで製品を発売している。
英語を音声認識して、いろんなことができる。
これもインターネットに常時接続の環境があり、ブルートゥースなどの無線通信の技術が発達したからこそできるようになった。
アメリカは規格づくりがうまい。
家電を制御する通信の仕組みを規格化して、家電メーカーがそれを使うというようなやり方。
まだ世界統一規格は決まっていないのだが、アメリカが先行している。
コンピューターやスマホの肝になるプログラム(OSという)を握っているから強い。
そこから指令を出して、家電(だけではないが)をコントロールするのだから、元を押さえているのと同じだ。

でも、グーグルやアマゾンの製品は筒状の置物だ。
キリスト教の西洋人は、ヒト型のロボットは気持ち悪いと感じるようだと岩井克人が言っていた。
人間らしい作り物は認めないという気持ちがあるのかもしれない。

でも、日本人は置物に話しかけるのはどうも気が引ける。
やっぱり擬人化したロボットのほうが話しかけやすい。
これは動物を擬人化して描いていた鳥獣戯画あたりから始まるんだろうか。
それを引き継いだ?アトムの伝統かもしれない。

人間型というより、アトム型という方がしっくりくる。

アトム型の家電コントロールロボットが今年は出るかもしれない。

世間話はまだできないかもしれないが、帰ってきたら声をかけて電気やエアコンをつけたり、寝る時に電気を消したりできる。
「音楽が聞きたい」といえば、かけてくれるようになるかもしれない。

きっとアジアではアトム型の方がいいと思う。

コンピューターでは遅れを取ったが、アトム型はお家芸だ。
頑張ってほしい。



| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポーツのIT化
アメリカではプロスポーツでITの利用が進んでいる。
ドイツでもサッカーの試合に使っているという記事があった。
コンピューターが大量のデーターを扱えるようになったことと、選手のどういうデーターを取ったらいいかという研究、そして試合中の動きをデーターにする技術が進んでこういうことが可能になった。

メジャーリーグを舞台にした小説「マネーボール」が書かれた頃は、主に統計データーだった。
出塁率や安打率、防御率など、主に試合終了後の数値だ。
しかし、今やどんな球をどんなふうにヒットしたとか、ピッチャーが投げた球の軌跡を分析するとか、一つ一つの動きの領域にも応用されている。
記事によると、ラグビーの日本代表は練習時にドローンを飛ばし、上空から撮影して選手を撮影したり、GPSを使って動きをデーター化していたらしい。
どんどんこういう動きは加速してくるだろう。

一昨年ミズノのバットの記事を書いたが、ああいうサービスはプロから個人のレベルまで広げてやっている。
バッティングがうまくなるために、データーを使うという手法だ。

ピッチャーも自分の球がどう変化しているのかがわかるから、どう配球したらいいかがよくわかるようになる。
打つ方も同じ。
このピッチャーの球はこう変化すると分かれば、打つ時の参考になる。(どれだけ理屈に身体がついてくるかという問題はあるが)

スポーツは一般社会の問題と違って、結果がはっきりしているから、取り組みやすいのだろう。
勝つか負けるか、打つか打たないか、点を入れるか入れないかなどの2つしかない。
おまけにフィールドが限られていて、やることも明確だ。

スポーツから始まったIT化はそのうち実社会にも出てくるだろう。
個人の社内での動きをデーター化して、どういう動きをしている社員が成績がいいかとかいう人事面や、トップセールスの人がやっていることをデーター化して、他の人の参考にするとかいう業績面でのサービスなど、もうやっているかもしれない。

機械の持つ知恵と、人間の知恵をあわせて、効率化を図っていかないと、追いつかない。

それらの技術を上手に使って、働き手が減る日本は生きていかないと…。

| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
のべつ
正月に息子や姪と話していて、「のべつ」というのが通じない。
「のべつ幕なし」の「のべつ」だ。

どんな話だったか忘れたが、「のべつ○○してんの?」というような言い方だったと思う。
特に中学生の姪は「?」という顔をしていた。

ぼくは普通に「のべつ○○する」という言い方をする。
しかし、若い人たちにその意味がわからないとは思わなかった。
「のべつ幕なし」という言葉も知ってはいるがそんなに使わないようだ。

「のべつ幕なし」の意味を見てみると、「のべつ幕なしは、同義語を重ねて強調した言葉である。 「のべつ」は「述べる」の「のべ」に助動詞「つ」が付いた語で、絶え間なく続くさまを意味し、「幕なし」は芝居で幕を引かずに演じ続けることを意味する。 「絶え間なく」といった意味の「延べつに」は、江戸時代から見られるが、「のべつ幕なし」の用法は明治以後から見られる。」とある。

たしかに、「のべつ」を独立させて使う用法はあまり一般的ではないかもしれない。
それでも、「のべつしゃべっている」というと、いつもしゃべっている、という意味だと思う。
「のべつ書いている」というと、いつも書いている、という意味だと思う。

そういう意味のつもりで使っているのだが、全くわからないという。

日本語は変わっていく。

ぼくの年代なら、「のべつ○○する」という言い方をすると思うのだが…。

みなさんどうですか?

| | 考えたこと | 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
NHKのウソ
こないだNHKを見ていたら、献血の話をやっていた。
そこで、関係者のオジサンが20代〜30代の献血者が減っている、という話をしていて、グラフが出てきた。
それは、80年代と今を比較して、20代〜30代の献血者が20%減っているというような棒グラフだった。
たしかに、献血の実績ではそうなっているのだろう。
それは真実だから、オジサンはテレビで説明していた。
それをそのまま見ると、若い人たちは献血に対して協力的ではないと思ってしまう。

しかし、それは間違いだ。
80年代と今では20代、30代の人数が違うからだ。
少子高齢化という言葉を思い出せば、そういうグラフはそのまま出さないだろう。
献血センターの統計はウソではないが、その比べ方はフェアではない。
せめて対象地区の20代、30代の人口に対する比率で表すとかの工夫が欲しかった。

そういう統計の数字は人をだます時によく使われる。
バックグラウンドを説明せず、一見自分の意見を表しているような数字があれば、それだけ見せる。
それはウソではないが、真実でもない。

そういうことに対するリテラシーはとても大事だと思う。

今は文系だからといって、高校の1年あたりで数学は止めてしまう。
統計や確率の知識がない学生が過半数だろう。
分数や小数もアブナイ学生もいる。

グラフが出てきたとたん、考えるのをやめる学生もいる。
ああいうのはわからない、と思っているのだ。
わかれば、そんなに難しくないのに、見ただけで拒否する。
中学生の統一テストでも、文章題やグラフの読み取りは成績が悪かったはず。

統計のリテラシーは大事だ。

そういうグラフや数値にだまされないために。

| | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
教職協働
教職協働に関する文科省の発表が年末にあった。
大学の事務職の在り方についての案が発表されたのだ。

教職協働という言葉、2004年に学校法人に行ったことにはもう存在した言葉。
大学の教員と職員が協働する、というものだ。
高校までと違って、大学は授業が自由であるだけあって、事務の仕事の幅が広い。
そのために、学校をちゃんと運営するために教員と職員が共に協力して働かないといけない、ということを「教職協働」という。

大学の事務に入って1年くらい経つと、だいぶ状況がわかってくる。
学校の事務の人たちは、大学の教員をエライと思っている反面、困ったもんだとも思っている。
それはどこでも同じらしい。

大学教員の中には、学校事務を自分たちの便利に動いてくれる手伝いのように思っている人も多く、露骨にそういう言い方をする人もいたのは事実。
今どきはそうでない人も多いが、抜き難く「学校は教員のもの」と思っている人が過半数だろう。
ぼく自身はメーカーの技術から大学に転職したので、大学の先生はエライと思ってはいたが、それを上下関係とは思ってはいなかった。
事務と教員は機能が違うということだ。
着任ほどなくして、実際の先生方の行状を見て、エライという意識はなくなった。
中には尊敬する先生もいたが、それはほんの数人だった。

大学事務員向けののセミナーに行くと、なかには講演のあとグループに分かれて話し合うということがある。
そういう時、教員の組織のことを話題に出すと、みんなちょっと複雑な顔をして「いや〜、それは…」と言いにくそうにして、「なかなかうまいこといきませんわ」というようなことを話す。
ぼくが在職中に、教員組織とうまいことやっていて、バッチリ、というような話は一度も聞かなかった。
まず間違いなく、「教員が問題で…」という意見になる。
もちろん、教員側にも言いたいことはたくさんあるだろうが、事務の人たちはそう思っている人が多い。

だから、FD(教員の能力向上)などという話を始めると、なかなか前に進まない。
なぜ事務の言うことを聞かないといけないのか、ということになる。

今回の中教審の大学部会への提案では、「事務職員が教員と同等の立場で大学運営に参画する教職協働の重要性を改めて認識する必要があるとした。」と書いてある。
ようやく、教員組織と事務組織は対等だと認めないと前に進まないということがわかったんだろう。

こんなことが今発表されるということ自体が遅れている。

でも、このことはとても大事だ。
遅ればせながらでも、そういう認識を確認したということはいいことだ。
特に国立大の職員は独立法人化したとはいえ、国家公務員みたいなものであり、その位置づけは変更が必要だろう。

この発表はフォローしていきたいと思う。
とりあえず、小さな一歩だ。




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新しい靴
今日は1月1日。神戸の実家に行った。
今年は母が入院中で、見舞いに行ってから実家で弟の家族と鍋をした。
今日に備えて、昨日新しい靴をおろした。

この20年ほど、ずっと休みは黒いロックポートを履いていたが、今年はちょっとイメージチェンジをして、リーボックに変えた。
色は黒だが、ソールの部分が白くなっている。
今までとは違って、スポーティな感じになった。

家を出るとき、目ざとく次男がそれを見つけ「新しい靴や」と言った。
自分が生まれてから、ずっと黒い靴を見てきたが、初めて白いソールの靴を見たという。

この年になると、子どものそういう一言がうれしい。

母がいない実家で鍋をつつく。
いつものように格付けチェックを見て、盛り上がる。

いつまでこういう時間を過ごせるのかと思う。
親も年を取り、ぼくらも年を取り、子どもも大きくなる。

いつまでも人生の同じ列車に乗っていられないだろう。

今年はどんな年になるのかな。


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