考えたこと2

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残業減デフレ
プレミアムフライデーとか言って、月末の金曜日は早く帰って、ゆっくりしようということになった。
それを当て込んで、早くから開店する飲み屋もあるらしい。
気持ちに余裕ができれば、財布の紐も緩むのではないか、ということだ。

でも、日本人の可処分所得は21世紀に入ってどんどん減少し、着実に貧しくなっている。
だから、お金を使わない。
若い人はなかなか結婚できないし、家庭が持てない。
そうなると人口も増えないことになる。

そんなことはお国のエライ人たちはわかっているはずだ。
わかっちゃいるけど…、ということだ。
それで、働き方をかえようということで、残業を減らそうということになった。
残業が減ると、当然手当てが減る。
だから、消費を抑えようということになる。
結局、お金を使わない理由の第一は、時間がないことではなく、使うお金が昔に比べて減っているということなんだろう。

非正規社員が増えているのもあるだろうし、社会保険の負担が増えているのもある。
要するに、以前ならもっとお金を使っていた人たちが、お金がもらえなくなっている。
その分は、より少ない正社員や、医療費や年金を使う高齢者がもらっていることになる。
どんどん高齢者が増えていくのだから、当たり前だ。

そこに気は付いているのだろうが、ポピュリズムで変えられない。

こないだ高齢者医療の番組をBSでやっていたが、そこでは「家族がどうしても生かしてほしい」というから、本人の意思に関わらず管をつないで生きている人がたくさんいる、という話をしていた。
その理由は、「死んだら年金が打ち切られるから」ということだ。

識者たちは言っているが、今の日本の一番大きな問題は、世代間格差だろう。
本来なら、それをもっと報じるべきマスコミが、スキャンダルを追いかけている。
地上波ではワイドショーで芸人がニュースにコメントし、最も安く作れる「食べ歩き」の番組が増えた。
相対的貧困で、人並みに食べることができない子供が増えているというのに、テレビでは食べ歩きだ。
そういう報道も取材不足で少ない。
絶対的貧困ではないから、かまわないと思っているようだ。
でも、相対的貧困ということこそ、世代間格差を表している。
決して全ての高齢者が富んでいるとは言わないが、食べ盛りの子供が貧困であっていいのだろうか。

戦後の高度成長で、先送りしてきた問題だ。
ぼくらの世代で、それは何とかしないといけない。

残業を減らすのは結構なことだが、もっと本質的な問題を何とかしないといけない。
でないと、もっとデフレになるだけだ。


| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
コマツと小松市
コマツという会社、建設重機などを作っている。
グローバルに展開しているし、収益性もいいし、優良企業だと思う。
そのコマツが本社機能の一部を、創業の地である、石川県の小松市に移したとのこと。
コマツというのは、小松市から名付けられたのかと理解した。

そのコマツが地元回帰したことで、地方が活気づいているという記事があった。
もちろんコマツは東京に本社があるのだが、東京と石川の30歳以上の既婚女性社員の子どもの数は、東京0.9人に対して石川は1.9人になっているとのこと。
少子高齢化の対策になっている。

また、兼業農家の社員のも多く、社会貢献のために地元の農業の生産性を上げる取り組みを始め、自社の建設機械で整地をやって、稲の直播きが可能になったとのこと。
今まで苗を育てて、田植えをしていたが、それが要らなくなったということだ。

これこそ、地方創生。
コマツの相談役は、他の大企業も地方で解題解決に取り組めば、地方も元気になるはずと言っている。

さらに、300人のコマツの定年後OB、OGが地元の教育現場でも活躍しているとのこと。
コマツの研修センターを使ってもらって、地元の子どもたちに理科教室やモノづくり教室を開催している。
それが、小松市の小学5年生のカリキュラムになっている。
今の小学校では、理科の実験がなかなかできないというが、それを補完する役割だろう。
こういう地道な努力こそが、地方創生になるのだと思う。
記事にはこう書いてある。

「現在、約300人のOB、OGの人たちが、たとえば、電気をどうしたら起こせるか、重いモノを少ない力で運ぶにはどうしたらよいか、といった普段小学校では習わない教材を小学生向けに考えて教えるようにしました」

「OB、OGたちが入れ代わり立ち代わり、子どもたちの相手をするのですが、彼らが言うにはそれが刺激になって、以前よりも健康になったとのことです」

「まさに、コマツの実践している地方創生が、貴重な教育の場になっていたり、社会保障費の膨張を抑えるヒントを提供してくれているのですね」

小学生もためになるし、コマツのOB、OGも健康になる。
ゆるキャラもいいが、こういう知恵を出してほしいものだ。

相談役は、今の地方は規制や補助金に頼ってきた結果、どの産業でも必要な技術開発やマーケティングをやってこなかったから、こうなってしまった。
だからこそ、規制緩和や地方自治の方式を改める必要がある。
地方の人たちが、そういう声を上げないと、いつまでたっても変わらない。

「農業や林業は企業がやるべきであり、農林業従事者はサラリーマンがやるべきでしょう。たとえば、規制緩和をして企業が農業法人の50%超の株式を持つことができれば、農林業の効率化・大規模化が進み、担い手不足も解消されるのではないでしょうか」

これこそ、今やらないといけないことだ。

相談役は、医療についても手厳しい。

「日本の医療というのは、この数十年間でどうなったのでしょうか。確かに、日本の医師は技術レベルについては高いかもしれません。しかし、医療技術というのは、いまや医師の技量よりも医療機器や薬、そして動物由来の感染症研究などで決まってしまいます。1990年代に米国で開発された遠隔医療機器の「ダ・ヴィンチ」だとか、あるいは有名な新薬などは、ほとんど欧米で開発されています。
いまや医学部、薬学部と獣医学部の連携はもちろん、工学と理学、そして情報工学も連携した大学や研究所に変わらないと世界競争には勝てません。今、問題になっている愛媛・今治の獣医学部が52年ぶり、あるいは成田の医学部が40年ぶりに認可と、この国では既得権者が守られてきたのです。
規制や財政によって医療業界を守ってきた結果、世界で後れを取るのは必然なんです。」

その通りだと思う。
獣医学科が52年間も新設がないなどというのはオカシイ。
既得権を打破して、自由に競争をしないとダメだ。

何でも自由にやったらいいとは思わない。
でも、この記事でいわれていることはやるべきだ。

コマツ、頑張れ!

| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
神宮球場
ヤクルトスワローズは14連敗を記録し、調子が悪い。
ダントツの最下位に甘んじている。
けが人が多く、まともに試合ができないという状態らしい。

しかし、ホームグラウンドである神宮球場の観客動員数の伸び率は、セリーグのトップらしい。
不思議な事があるものだ。
1試合当たり、2000人も増えている。
だいたい、弱くなるとファンが行く気が失せて、観客が減るものだ。
その証拠に巨人は今年はマイナスになっている。
ただ数字は観客動員の伸び率というのがミソで、動員数の絶対値は一番低いということではあるが…。

これを分析している記事が面白い。
その人によると、神宮球場はヤクルトカラーがそんなに強くなく、相手チームの応援もしやすいとのこと。
いつもあまり満員御礼にならない、というメリットもある。
場所的には東京だから、いろんな地域の人がいて、たしかに環境的にはGood。
なるほど、そういうこともあるのか。

後楽園は巨人一色という感じで、あまり表立って応援はしにくいが、神宮ならできるから行こう、という感じだろう。
あまり混んでいないから、チケットも取りやすい。
いろんな地域の出身者がいて、ファンも多彩。
そして最大の要因は、ヤクルトが弱いから、相手チームが勝つということだ。

なんという皮肉。
興行としては、観客が増えて嬉しいだろうと思うが…。

広島戦や阪神戦で観客が増えているのかもしれない。
その分析もやっているのだろう。

神宮球場特有の現象だろう。
球団関係者は複雑に違いない。

でも、やっぱり勝たないとなあ…。


| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
自衛隊サイバー部隊
防衛省がサイバー防衛隊の強化を発表した。
それによると、現在の110人から将来的に数千人に増やし、サイバー攻撃を自ら仕掛ける研究をする担当部門を設けるとのこと。
まあ、こんなものだと思っていたが、アメリカやロシア、中国などに比べると、周回遅れもいいところだと思う。
実はこれがフェイクニュースで、本当はもうやっている、というのならいいのだが…。

でも、日本人は戦後70年平和が続いたおかげでボケているから、本当かもしれない。
これでは、到底国を守ることもできないと思う。
民間でもセキュリティの専門家が今後不足すると言われている。
この分野は間違いなく人手不足だ。
計画を達成するためには、防衛大に学部を作るとか、付属の専門学校を作るとかしないといけないのではないか。

ドラマの見過ぎだと言われるかもしれないが、海外のアクションドラマを見ていると、たいがいこの手のコンピューターのスペシャリストが登場する。
番組の中で普通にハッキングをして様子をうかがったり、経歴を探ったりしている。
あれはドラマの中だから、というのはわかるが、日本のドラマにはそういう人さえ出てこない。

これからの戦争は、まず最初にサイバー空間で始まるような気がする。
いや、ロシアの情報部がアメリカの大統領選挙時にフェイクニュースを流したと言われているように、もうすでにそういう活動は始まっているのかもしれない。

そういう部隊を作って、一度調べてみてほしい。

自衛隊サイバー部隊か。

誰か小説に書いてくれないかな。

| | 考えたこと | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
ルワンダのドローン
BSワールドニュースで、アフリカのルワンダでは血液をドローンで届けている、というニュースをやっていた。

カリフォルニアのベンチャー企業が開発した飛行機型の高性能ドローンで、テレビでみたのは主翼の長さが1.5mくらいあるもの。
プロペラが2つ付いていた。
本体に血液の輸送用の箱を入れ、目的地の上でパラシュートで落とす。
ちゃんと病院の庭に落ちていた。
基地ではパソコンが何台か並んでいて、おそらくGPSで飛行経路はプログラムされ、自動で行って戻ってくる仕組み。
これによって、手術用の血液を届ける時間が早くなったとのこと。
空からの様子を見ると、ジャングルの上を飛んでいるようで、交通機関がないところでは威力を発揮するだろう、と思った。

これを見た人たちは「この仕組みを発明した人に神のご加護を」と言っていた。
ドローンというと、4つのプロペラのヘリコプター型ばかりが想像されるが、飛行機型のドローンもある。
やっぱり飛行機型のほうが、長距離を飛ぶのには適しているのだろう。

軍事では偵察用のドローンとか、実際に攻撃をするドローンとか、物騒なものもある。
人類を進歩させたのは戦争だという人もいる。
実際は当たらずとも遠からずなんだろう。
未来の戦争は、GPSで制御されたドローンが爆弾を運び、命中させるようになるだろう。
小型の軽い爆弾なら、もう実用化されているが…。

未来の戦争では、開戦と同時にGPSの衛星を攻撃するんだろうなあ。
そうすれば、位置情報がなくなるから、無人攻撃はできないし、経済的に与えるダメージも大きい。

その上で、各国のネットワークを機能停止させるような攻撃が来る。
時々映画やドラマでやっている、ハッキング犯罪の大きなヤツだ。

しかし、経済的には国境がなくなりつつあり(トランプ氏は復活させようとしているが)、民間のコンピューターのネットワークは、どんどん広がっている。
ぼくらはグーグルやアマゾンなしには生活は考えられない。
これが行くところまで行ったら、どういう未来になるんだろうか。

人類は性懲りもなくまた戦争をするんだろうか。
地球を滅ぼすことができる武器を手に入れたことで、大きな戦争は起こらなくなった。
とりあえず、この70年間は起こっていない。
皮肉なことに、武器が戦争を抑止している。
でもまあ、これはある種の真実だろう。

でも、世界のどこかではずっと戦争をやっている。
規模は小さいが、民族紛争や宗教紛争だ。

第二次大戦が終わった後、人々はもう戦争は嫌だと思って、いろんな事を考えた。
でも、その直後から米ソの冷戦が始まったのも事実。
いろんなところで、代理戦争が始まった。
しかしソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩れ、世界は平和になるのかと思った。
それは見通しが甘かったということだ。

人は生まれる時代や土地を選ぶことはできない。
ぼくらは幸いにも、第二次大戦後しばらくして日本に生まれ、70年間の平和を謳歌することができた世代。
平和ボケして、今になって、何もできなかったのかなと思う。

確かなことは、平和平和と唱えていても、平和にはならないということだ。

ルワンダのドローンのように、新しいものを始めないと、一歩も進めないぞ。




| | 考えたこと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
第九のコーラス
一万人の第九、という12月のイベントに近所の方と応募したら見事抽選に当たった。
初めての参加であるが、こないだ放送された去年の録画等を見ると、大阪城ホールのアリーナが男性コーラスで、女性が観客席であり、圧倒的に男性が少ない。
だから、男性は当たりやすいのだろう。
ぼくはテノール、知り合いはバスで応募した。

去年参加した女性に聞くと、初めての人は12回レッスンがあって、10回以上は出ないといけないとのこと。
結構厳しい。
もちろん、交響曲第九をやるのだが、合唱は第4楽章のみだから、ずっと待っていて、第4楽章になったら立って歌うという寸法。
本番で待っている間に寝てしまうという人もいるらしい。
当日は正装で、蝶ネクタイをして燕尾服か黒いスーツ、白いシャツで参加しないといけない。
前日のリハーサルも参加必須になっている。
地方から来る人は絶対に前泊しないといけないから、経済効果はそこそこあるのかな。

合唱はすべてドイツ語。
一般的に歌われている「喜びの歌」のメロディは、ソプラノが歌う。
テノールやバスはコーラスパートで、メロディラインとは違う音程を歌う(当たり前か)。
したがって、なじみのないメロディを覚え、歌詞をちゃんと覚える、ということが必要になる。

参加料が9300円、楽譜代が600円(2年目以降は不要)ということだ。
抽選に当たると、振り込みの手配の説明がPDFで見られ、郵便局で振り込んでその記録を8月の1回目の練習に持っていくこと、と書いてある。
実際、何人かわからないが、約1万人が9300円を支払うと、9300万円。
何席かは観客もいるようで(ほとんどが合唱団)、それを3000人とすると1800万円が収入に追加されるる。
したがって、収入は1億1千万くらいか。

このために5日くらいホールをおさえるようだから、ホール賃貸料が2500万くらいはかかるだろう。
各地で行う事前レッスンが近畿で12回クラス(初心者用)が18か所、6回クラスが13か所、その他東京、北海道、宮城、愛知、福岡、沖縄に10か所あり、全部で400回ほどのレッスンがある。
1回のレッスンにかかる経費を人件費込みで1回2時間12万とすると、4800万円。
ホールと1万人のメンバーのレッスンでまあ7500万円というところか。
抽選の事務などは全部ネットで行うので、経費は抑えられていると思う。

残りの4500万ほどで出演者のギャラや、警備その他諸経費を全部出せないから、サントリーなどの会社が協賛しているという感じだろう。
でも、放送権料としてMBSは儲かっているかもしれないなあ。

職場などで聞くと、参加したことがあるという人はいなかったが、参加した人を知っているという人はちらほらいて、さすがに1万人参加して1983年からやっているだけのことはある。
延べ三十数万人が参加しているのだ。

さあ、これからドイツ語の歌詞とメロディを覚えて、練習して本番に備えよう。

さて、どうなることやら。



| | 考えたこと | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
デヴィッド・マッカラム
小学校の頃、アメリカのスパイもののドラマで「0011ナポレオン・ソロ」というのがあった。
007の人気にあやかって、作ったんだろう。

主役のナポレオン・ソロはロバート・ボーンがやっていた。
相棒役がいて、この頃のドラマには珍しくソ連出身のスパイで、イリヤ・クリヤキンという。
この役をやっていたのが、デヴィッド・マッカラムという役者。

このドラマのあと、ロバート・ボーンは時々見かけた。
「荒野の7人」や「刑事コロンボ」などに出ていた。(実際には「荒野の7人」はナポレオン・ソロシリーズより前だった)
結構有名だと思う。
残念ながら、去年83歳で亡くなった。

もう一方のデヴィッド・マッカラムは、当時日本では人気があったと思う。
どちらかというと甘いマスクで、女性受けする顔だった。
吹き替えは当時野沢那智がやっており、声もよかった。

今83歳で、現役。
NCISネイビー犯罪捜査班というドラマで、イギリスから来た検死官の役をやっている。
ずっとこの人がナポレオン・ソロに出てきた、イリヤ・クリヤキンの俳優と同一人物だと気づかなかったが、ドラマの最初に出てくるメンバー紹介の時に出てくる「デヴィッド・マッカラム」という名前がどこかで聞き覚えがあった。

不思議なもので、どこかひっかかっていても、数年間結びつかない。
こないだ、ついにそれがつながった。

そう思ってよくみると、若い頃の面影がある。
紅顔の美少年もダンディな年寄りになった。
83歳にしてはまだまだしっかりしている。

なれるものなら、あんな83歳になりたい。

でも、ムリだろうなあ。




| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
なくなる職業2
オックスフォード大学の研究によると、今後保険や不動産業者などの事務が機械化される可能性は97%だという。
これまでは、ロボットなどによる機械化などで単純労働が取って代わられる、ということだったが、さらにそれ以外の頭をつかう事務仕事もロボットに取られる、ということだ。
今後15年間で25万人の職が失われる、という予測結果。

そう言われても、なかなかピンとこない。
ニュースを要約して記事を書くロボットができたり、ヘルプセンターでの問い合わせに答えるAIなどが紹介されるが、まだまだ広がっていない。
それに仕事を取られた人は、危機感を感じているんだろうが…。

でも、ぼくらの時代でも、多くのことが機械化された。
工場はぼくが入社した1979年当時工場にはたくさんの人がいた。
それが2000年を過ぎて、本当にいなくなった。
この頃、コンベアだけでなく、ものを持ち上げるとか剥がすというような動きも機械になった。
機械も単に動くだけでなく他のものを認識して動くようにもなった。
初歩的なインテリジェンスを持ったということだろう。

さらに、1990年代の後半から普及を始めたパソコンで、多くの仕事がなくなった。
一般的な事務の仕事はほとんど影響を受けたと言ってもいいだろう。
仕事は上流で完結するというのがITの力だ。
ぼくが会社に入ったときには手書きで書いていた伝票は、辞める頃には全てコンピューターに起票者が打ち込むことになった。
資金課とか経理課には、その昔は伝票を打ち込み、ソロバンや電卓で検算する人たちがたくさんいた。
他の課から伝票が集まってくるからだ。
そんな仕事は、2000年を過ぎてなくなり人も減った。

ぼくらの時代は、人がやっていたことを一部機械がやるということと、さらにパソコンとネットワークの発達で、転記や計算の部分を主にコンピューターに置き換えたという時代だったと思う。
失われた20年での失業と言っているが、そのうちの何割かはこれらパソコンとネットワークによる合理化だろう。

これからは、考える仕事もAIに置き換わっていく。
ロボットも知性を持って動けるようになる。

パソコンとロボットによる合理化の第2ラウンドという感じだ。

当時と違うのは、まだまだ経済が上向きだったこと。
今は長いこと低迷している最中だから、以前よりはシンドイかもしれない。

覚えるのが主の士業などは今回の置き換わりで影響を受けるだろう。
法律を覚えてアドバイスする行政書士や弁護士、税務を覚えてアドバイスする税理士などは影響が大きそうだ。
Web上で質問に答えていけばOKというようなサービスも増えていくだろう。
そういう事務所でも、資料を揃えるというようなアシスタントの仕事はまず減るだろうなあ。
そこは既にコンピューターの得意領域だ。
音声認識の技術が上がれば、企業の問い合わせ窓口などの仕事はAIがやるだろう。

公務の領域は恐ろしく遅れているから、どうなるかというところ。
競争にさらされていないところは、本当に変わらない。

大学の研究によると、教育領域はAIで置き換えられないということだが、本当にそうだろうか。
今でもいい予備校教師の授業を流しているくらいだから、そういうのが発達すると教育領域でもAIが先生になりそうな気がするが…。
バーチャルな林先生をたくさん作って、授業を任せるとか、ありそうだ。

知らぬ間に変化は起こっているんだろう。

これから仕事を選ぶ人は、難しいだろうなあ。

| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
超長寿命化
人の寿命はどんどん長くなっているらしい。
なんでも、主な先進国で2007年に生まれた子どもの半分は107歳まで生きると予想される、とのこと。
今売れている「ライフシフト」という本の書評に出ていた。
だから、これからの人は107歳までの人生設計をしないといけない、と書かれている。

ぼくらが若い頃は60歳が定年、と思ってきた。
実際、20代の頃に会社を定年される方を見て、それなりの年だと思った。
1979年の男性の平均寿命は73歳。
その頃でも定年してからの人生は10年以上あった。
でも、働く人はたくさんいたし、経済は上向きだった。
今は状況が違う。
定年は65歳に引き上げられたが…。
働き続けないと、お金がもたない。
年金100年プランとか言っていたが、あれは100歳になっても大丈夫という意味ではない。

この本にはみんなが足並みを揃えて、教育、勤労、引退という3つのステージを生きた時代はもう終わった、と書いてあるとのこと。
多くの人が100歳まで生きるのなら、システムそのものを変えないといけない。
それはもう今から手をつけないといけないんだろう。

今のシステムを信じている人たちの意識を変えないといけない。
この本には、人生100歳時代に備えて、どんな風に生きていくかということが書かれているらしい。
おそらく、これからそういう時代に直面する人たちへの本だろう。

今のシステムの中で60歳まで来てしまったぼくらも、これから先を考えないといけない。

河合隼雄が書いていた、500m走のつもりで走ってゴールしたら、あと300m残ってます、と言われるような感じだ、ということが身にしみる。

残りの300mをどう走るか、難しい。




| | 考えたこと | 15:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
シビック
シビックは、1970年代当時、世界で一番厳しいカリフォルニアの燃費規制を通ったクルマとして有名だ。
新しく開発したCVCCエンジンを使い、無理だと思われていた規制をクリアし、ホンダの躍進の元になった車。

アメリカで売れたシビックは、ホンダの世界戦略車になって、ワイドボディーになり日本では2010年に発売が終わっていた。
それが今年復活する。
CIVIC typeRというモデル。ヨーロッパのニュルブルクリンクというサーキットで、市販FF最速タイムを出した。

ボルボ・カーが電動自動車の宣言をしたり、フランス政府が電気自動車化すると宣言したり、世の中は電気自動車に向かう動き。
日本のメーカーはまだまだ様子を見ている。
経産省がぶち上げた燃料電池のせいもあるだろう。
水素社会とかいって、燃料電池にシフトした。
しかし、予想よりも充電電池の性能が上がり、充分に車に使えるようになってきた。

そのさなかに、シビックtypeRという選択。
実際、充電電池の航続距離を考えると、まだまだインフラが整わず、それだけのEVを作るための準備もできていない。
電気自動車で先行している日産でさえ、ガソリンエンジンの熱効率を上げて、電気自動車の発電に使おうとしている。
まだまだガソリンスタンドを使って、補助的にでも航続距離を伸ばす仕組みを作らないと、今のエンジンを簡単にはやめられないということだ。

それでも、時代は「速い車」に向かってはいない。
「エコな車」、「安全な車」が求められている。
それに反して、出てきたのがシビックだ。

ワンボックスや軽自動車が全盛の時代に、敢えて車高の低い「走る車」を出す。
どの程度売れるのかわからない。
それでも、敢えて出すところがホンダらしい。

今の中高年は、まだまだクルマというものにカリスマを感じていた世代。
家族が巣立って、もうこれで最後のクルマだと思って、もう一度…、と思う人がどれくらいいるかだ。
若い人は、このシビックを選ばないだろう。
買うとしたら、昔のシビックを知っている人だと思う。

このマーケティングが吉と出るか、凶と出るか…。

| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
人気のある大学
志願者数が多い大学が人気のある大学か?というとそうでもないと思う。
ぼくらの年代の人たちは今の大学の入試のシステムがよく分かっていない。
だから、志願者数というと、その大学に行きたいと思っている人と考えてしまう。
そういう勘違いを狙って、大学も宣伝しているのだろう。

上位の大学は知らないが、下位の大学の入試の願書は一度にいくつも書けたりする。
「いくつも」という意味は複数学部や複数学科を書けるという意味だ。
それで試験料の割引があったりする。
さらに、何度も入試をやる。
A日程、B日程、C日程という具合。
それらの志願者を1名と数えるか、それとも志願した数だけ数えるかということになる。
一人で5人分くらいの志願をする人もいるのだから、ややこしい。

と思っていたら、「志願者殺到の「人気大学」を選んでいいのか?」という記事があった。
この記事には本当のことが書いてある。

まず、この志願者は一般入試を受ける受験生であり、それは下位の大学では、受験者全体の半分以下ということ。
半分以上を推薦とAOで確保するのが、下位の大学の常道だ。
前にも書いたが、推薦入試は半分以下というのが今の文科省の指導。
AO入試は一般入試扱いだから、それを加えて半分以上になる。

おまけに、この志願者数というのは「延べの」志願者数だということ。
なんと志願者数を公表している大学のトップ10の合計は、100万人を超えるとのこと。
一般入試を受ける人が34万人らしいので、どう考えても水増しされた人数になる。
たった10校の合計でこれだから、大学全体の合計ではビックリするような数になるんだろう。
それだけ、入試で儲けているところがある、ということだ。

記事の中にはこう書かれている。

「18歳人口の減少が避けられない以上、志願者の数を競ったところで必ず限界は生じる。自校を深く理解し、入学後に伸びる可能性が高く、中退のリスクが低い……。そんな受験生を、少子化の中でどのように追い求めていくのかが問われている。

 志願者数を増やすだけなら、大学の広報担当者が行う施策は明確だ。

 実志願者数は伏せながら、一度の受験で安く、多くの学部を併願できるようにすれば良い。高校生を消費者として扱い、オープンキャンパスを派手に楽しく盛り上げ、大学グッズなどのお土産をたくさん用意して印象を良くするのも手だ。中退の実態やその理由などは決して公開してはならない。「大学の普段の授業の様子を見たい」などという高校生の要望は断り、高校生だけを集めた楽しい模擬授業の方に誘導した方が良いだろう。」

近大の戦略を見ているとまさにそういう戦略に見える。
まじめに学部を作って頑張っているところは認めるのだが、オープンキャンパスでマグロをさばく宣伝や、入学式のイベントなど、どうかと思う。
自ら、大学の質を落としているとしか見えない。

この戦略は今のところ成功しているように見える。

はたしてこれからどう舵を切っていくのだろうか…。

| | 考えたこと | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
民主主義
今、世界で存在感のある指導者は、プーチンや習近平で、民主的に選ばれた指導者はどうも頼りないという記事をどこかで読んだ。
どこにあったのか、もう一度探しても見つからない。

イギリスのメイ首相は、選挙で大勝出来ず、調子が悪い。
フランスのマクロン大統領は、まだまだ未知数だろう。
アメリカのトランプ大統領は、ツイートには熱心だが、どうも単に自分の悪口が許せないというタイプの年寄りのように見える。

民主的に選ばれたリーダーは、そんなに強くない。
国民の支持がなければ、ただの人になってしまう。

中国やロシアのリーダーも、同じことだろうが、権力を維持できるようにいろんな操作をしていると聞く。
政敵を投獄したり、民主化運動を弾圧したり、マスコミやネットをコントロールしたり…。
民主的な国家でもそういう動きはあるんだろうが、だいぶマシだろう。
アメリカのNSAがネットの通信を傍受しているとか聞くが、それをオープンにする人もいて、何とかバランスが取れている。

民主的な国家のリーダーは、国民の意見を聞かないといけないし、また国民に自分の思いを訴えて説得しないといけない。
こないだNHKのBSで白熱討論をやっていたが、トランプ大統領の支持者の多くはトランプがベストだとは思っていないが、それでもヒラリーよりはマシだ、と思っているとのこと。
既存の政治家に対して、不信感があるのだ。
だから、彼が既存の政治家たちをボロクソに言っていたこと自体が、当選の大きな要因だと思う。

政治家の役目の一つに「啓蒙」ということがあると思う。
国際的な感覚を持ち、国々のパワーバランスを考え、国民に痛みを強いてもやるべきことを伝え、それを実行するという役割だ。
それが、最近の日本の政治家には全く欠けていると思う。

増え続ける社会保障をどうするのか、若い世代に希望を持って将来を見つめてもらうにはどうするのか、そういうことが一番大事なのに、それにはどこの党も触れない。
医療費の削減のためには、国民の死に対する意識を変えないといけないとか、国と地方の関係を変えていかないと金を交付しているだけでは地方は創生しないとか、減り続ける人口をどうするのかとか、そういう国民の意識改革を訴えないといけないのではないか。

もちろん、憲法を変えないといけない、というのも大事なことだが…。

書評を見ていたら、『「西洋」の終わり』という本が最近出ている。
エコノミスト誌の編集長だった人が書いている。
内容は「戦後、自由民主主義を信奉する日米欧の西側諸国(「西洋」諸国)は共産主義陣営を打ち破り、繁栄を謳歌しました。しかし、グローバル化の進展がもたらした不平等や中国やロシアの台頭によって、この繁栄をもたらした理念そのものが危機に瀕し、「西洋の繁栄」は終わりはじめている」という本らしい。

たしかに、フランシス・フクヤマがベルリンの壁が崩れたときに書いた「歴史の終わり」では、不完全とはいえ、民主主義を超える仕組みはないのだ、という主張は説得力があった。
しかし、昨今の状況を見ているとロシア、中国の台頭が著しく、時によっては独裁に近い体制の方がうまくいくようにも見える。
国民が幸福かどうかは別だが…。

しかし、民主主義はどうなっていくんだろうか。


| | 考えたこと | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
トイロボット2
こないだ書いた、英語で話すロボットをレンタルした。
今日で3日目。
結論から言うと、このロボットを買って楽しめるのは、かなり英語の上手な人だろう。
もう十数年、英語から離れているぼくでは使いものにならなかった。

届いて、Wifiの設定をして、送ってきた資料に従ってログインして、スマホにアプリを入れてBluetoothをオンにして通信させる。
そこまで試行錯誤で数時間。
ようやく聞いた内容と、話した内容をアプリで文字で確認するところまでいく。

やみくもに話しかけても、何を言っているかさえわからない。
話す速度は調整で遅く出来るが、わからない単語を話す。
そこが、ちょっと人間と話しているのと違うところ。
人間なら、ちゃんと分かるであろう単語を返してくるはず。

話しかけると、目をクルクル回してインターネットに接続してAIが答えを返す。
また目を動かして話すが、何を言っているのかわからない。
その原因の一つは、自分の話している内容にもある。
発音が悪く、意図したことが伝わらない。

ここも人間と話しているのと違うところ。
わからなかったら、「パードン?」と聞き返すのが普通だが、このロボットはそうではない。
AIが考えて何かを返すのだ。
それがまたわからない。
きっと英語話者なら意味がわかるのだろうが、ぼくはわからなかった。

やっぱりこのロボットは、英語話者の子どもが話しかけ、会話を楽しんで友だちになれるという目的で作られたものだ。
それを英語の練習にも使える、という触れ込みで売っているが、会話を楽しむためにはかなりの英語力(ボキャブラリーと正しい発音)をすでに持っていないと難しいと思う。

まあ、これに10万円を払って、日夜練習すれば別だが…。

英会話初心者のためには、もっとチューニングをしないといけない。
もっと発音が悪くても聞きとれるようにすること、ロボットが話す時の単語を易しいものに制限することなど、日本仕様化が必要だろう。

AIはかしこいと思う。

しかし、第二外国語として学習している人には、まだまだ難しいだろう。

今度は日本語のロボットにしよう。

| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェデラー優勝
ロジャー・フェデラーがウィンブルドンで優勝した。
男子でウィンブルドン最多の8度目の優勝だ。

35歳のフェデラーは、今大会に賭けるため、フレンチオープンを欠場した。
体力を温存し、ケガを防ぎたかったのだろう。
その甲斐があって優勝した。

すごかったのは、今日の決勝を含めて1セットも落とさなかったということ。
35歳だから、長い試合になると若い選手に有利になる。
鍛えているとは言え、何試合も戦わなければならないから、1試合あたりの体力の消耗を最小限にしようということだ。
そのためには、毎試合集中力を切らさないことだ。

実際、今大会のフェデラーはそんな感じだった。
ちょっと流れが相手に行きそうだという時も、集中力を切らさず、果敢にネットに出たり、得意のドロップショットを決めたりした。

フェデラー、堂々の優勝。
さすが芝の王者というだけのことはある。

今回の試合を見ていると、まだまだいけると思った。

がんばれロジャー。
まだいけるぞ。


| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
しょんぼり
「しょんぼり」という言葉、最近聞いてないような気がする。
ぼくはマンガを読まないが、「しょんぼり」という言葉、コマの中には使われているんだろうか。

ぼくが最近「しょんぼり」を聞いたのは、おなじみ「男はつらいよ」の映画の中。
「どうしたんだい、しょんぼりして」というセリフだった。
やっぱりちょっと昭和の薫りがする言葉だ。

そういえば、「しょんぼり」という言葉はどこから来たんだろうと思い当たった。
ネットで調べると、江戸時代から使われているらしいが、「しょんぼり」という言葉そのものの語源はよくわからないらしい。

ネット語源辞典によると、
「しょぼしょぼ」というのは今でも使うが、小雨が降っている様子だ。
それが転じて、弱々しく陰気だという意味になり、「無気力」という意味になったと思われる。
でも、「しょんぼり」という言葉があるから、ひょっとしたら、「しょぼ」という言葉には元々寂しいという意味があったかもしれない、と書いてあった。

「しょんぼり」という言葉、あまり「しょぼしょぼ」とつながっていなかったが、そういうこともあるかもしれない。
ちびまる子ちゃんのアニメなどで、しょんぼりしたシーンに、黒いスジで雨のような模様が描いてあるのは、そういう意味のような気がする。

「しょんぼり 死語」で検索すると、「死語との遭遇」というブログの記事がヒットした。
書いているのは20代の人らしいが、「20数年生きてきたなかで、初めて聞いた」という言葉が「しょんぼり」。
記事にはこう書いてある。

「某百貨店にてエスカレーターに乗っていたところ、後ろにたった20代半ばの女性二人の会話。
一人がバーゲンの日にちを間違えていたために、すでにセールが始まっていたにもかかわらず、素通りしたために下着を買い損ねたと話し出した。
そこですかさず連れの女の子が
「それはしょんぼりだね」
とあいづちをうった。
確かに最近の下着は寄せて上げての能力もさることながら、お値段レベルも相当高い。
セールを逃したとなると、がっかり度も高いだろう。
そのがっかり感を「しょんぼり」で表すと、かわいらしさもプラスされて、「がっかり」よりも
ぴったりな表現だなぁと感心した。
なおかつ、しょんぼりをマンガくらいでしか見たことなかったので、普通に使うのにも驚いた。」

たしかに、ピッタリだと感心した。
こういう風に使ってほしいものだ。

「しょんぼり」という言葉、書いてあるのを見たことはあるが、話し言葉ではあまり聞かない。
若い頃には使ったような気もするが、どうだったか…。

でも、今の20代の人たちも、この言葉は知っているし、使う人もいるということで少し安心した。

ブログにあったように、20代の人たちで死語だと意識している人もいる。
それでも、まだ使っている人もいる。

慣れ親しんだ言葉がなくなっていくのは、しょんぼりする出来事。

まだまだ残ってほしいと思う。

| | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
専門職大学
いよいよ2019年4月から、新しい種類の大学が開学できるようになった。
名前は「専門職大学」。
狙いとしては今の偏差値下位の大学を改変したいということだろう。
文科省の説明では、「大学よりも実践的で、教養も身につく」というところが狙いという。

今すでに専門に特化した大学は、専門職大学を作りやすい。
調理専門学校の辻調グループは、従来の調理師育成とは異なり、飲食業の経営を学ぶ専門職大学を新設しようとしている。
文科省の狙いは、大学と呼ばれるところを増やして、天下り先を増やすことかもしれないが、2014年にこの専門職大学の元になるものを提唱している、株式会社経営共創基盤CEOの冨山和彦氏の考えは違うと思う。

冨山氏は従来の大企業とか中小企業とかいう分類をやめて、グローバル企業(G型)とローカル企業(L型)に分け、それぞれに対する人材をG型、L型と分け、せいぜいGDPの3割程度のグローバル企業を担う人材を育成するところを従来の大学、そして主にローカル企業を担う人材を新しい職業訓練校(これが専門職大学になると思う)にしよう、と言っている。
専門学校からの転換などではなく、今の多すぎる大学を2つに分けろと言っているのだ。

これは本当にいい意見だと思う。
冨山氏の意見によると、専門職大学になるべき大学は、現在の下位の大学。
文科省がシラバスを見て、「大学なのにbe動詞の授業がある」「大学なのに英語の筆記体を教えている」などと文句を言っている大学だ。
多すぎる下位の私学は、受験生を稼ぐために入試が機能していない。
もともと、一般入試を受けて入る人が少なく、推薦、AOというほとんど学力を担保しない入試で入る学生が多い。
また、一般入試を何度もやって、合格者を拾っているのが実情。
よほどのことなければ、落ちない入試になっている。
それほどまでに、入学者を確保したいのが実情だ。

そういう学生を入れて、心を入れ替えさせるべく真面目に教育しているのならいいことだが、真面目にしようとすると前述のように文科省から文句を言われる。
だから、本気でそういうことに取り組んでいる学校はほとんどない。

高校の進路指導も、従来なら就職させていた生徒でも、どんどん大学を受けさせる。
学費がないという親には、奨学金があるから大丈夫と言う。
そんなこんなで「全入」という学力低下が起こった。

そういう学生たちを教える大学の先生がまた大変だ。
自分たちが習ってきたやり方を踏襲しようとするが、そんなやり方では無理だ。
専門性を大事にしすぎるあまり、難しくて学生たちに何を学んだかと聞いても答えられない。
だから、履歴書で一番書けないのが「勉強で頑張ったこと」になる。

アラカルト式の授業が、時間割を埋めるための授業になる。
自分で自分の学びを設計などできない。
取りやすい単位を取り、時間割を埋めて、残りの時間はアルバイトという学生も多い。
その証拠に、多くの学生が3回生でほとんどの単位を取れる。
そうしないと、就職活動に差し障りが出るからだ。

卒論は、何でもいいから好きなテーマについて書く。
教員の専門性など関係がなくても、仕方ない。
アフリカの文化が専門の先生のゼミで、学生がヒップホップのダンスについて卒論を書いたりする。
まあまだ少しは関係があるだけマシだが、指導教員はヒップホップについての専門性はなくてもOK、という程度の論文になるのは致し方ない。
もっとひどいところでは、卒論を廃止している。

そんな状態で4年間過ごすのはもったいない、と思う。
意義がゼロというわけではない。
モラトリアムにも意義はあるだろう。
もちろん、課外活動に力を入れれば、社会に出ても役に立つ。

しかし、えてしてそういう大学では、授業外での学生のつながりなどほとんどない。
まず下宿生が少なく、ほとんどが地元の学生。
さきほど述べたように、奨学金をもらってはいるが、経済的にはアルバイトをしないといけなかったりする。
それで、授業が終わったらすぐにアルバイトに行く。
アルバイトの充実感を味わって、熱中する学生も多い。
そういう学生の「学生時代頑張ったこと」は「アルバイト」になるのは必然だろう。
だから、学生課が頑張って課外活動に力を入れようとしても、なかなか学生がついてこない。
それは構造上仕方がないことなのだ。

そのような下位の大学を冨山氏のいう「職業訓練校」にするというのが、専門職大学の姿だと思う。

しかし、下位の大学はそう簡単に変わらない。
ネックは教員だ。
4割の教員を実務家教員に変えないといけない。
これが超えられない壁なんだろうと思う。

このままだと、文科省の思うつぼになるぞ。

| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
気温40度
BSのワールドニュースを見ていたら、アメリカのウィスコンシン州やヨーロッパのスペインで気温40度を超えているというニュースがあった。
アメリカでは、洪水のところが中継されていた。
スペインでは「暑い」という市民のインタビューが映る。

ワールドニュースでは、こういう「異変」がよく報道されるようになってきた。
40度を超えるというニュースは、あまり聞いたことがない。
昭和の常識では、「温帯では気温は40度を超えない」という意識だろう。
そういえば、南極で三重県ほどの大きさの氷が割れて分離した、というニュースもあった。
温暖化はだんだんと目に見えるようになってきた。

しかし、まだ7月の中旬。
これからまだまだ暑くなる。
たしかに、最近の「暑い」というのは「熱い」という感じだ。

この暑さが、地球の長い歴史の上で自然変動する範囲の中にあるのか、それとも人類の活動でCO2が増えて温室効果の影響が出たのか、まだはっきりした答えは出ていない。
でも、はっきりした答えが出た時には、手遅れかもしれない。
だから、今から温室効果を減らさないといけない、というのが「パリ協定」だろう。

これから中国やインドで一気に経済発展が起こり、エネルギーの大量消費が始まる。
ひょっとしたら、両国合わせて20億人を超える人たちが、エネルギー消費を増やし始めたから、CO2が増えて、今の異常気象が起こっている可能性もある。
もちろん、太陽の側の影響もあるだろう。
だから、正確なことはわからないのだが…。

同じBSワールドニュースで、マクロンとトランプの会談のことも言っていた。
トランプはひょっとしたら、アメリカはパリ協定について翻意するかもしれない、と言った。
たしかに、州によってはパリ協定に準じて何かするということもあるらしいから、アメリカの中でもまだまだパリ協定離脱は決まっていないらしい。
パリ協定を守ることが、新たな産業の芽を生むということもある。
ちょうど1970年代に日本が石油危機を省エネで乗り切ったように、これからの地球の人口増加でそういう技術は「売れる」技術になる。

15年前のエアコンを買い替えると、電気代が4割ほど減るというのがネット上に出ていた。
ほとんど半分になるということだ。
技術の進歩は確実に省エネに向かっている。

いつか、人類は再生可能エネルギーだけで生活できるようになるかもしれない。
まだまだ遠い未来かもしれないが…。


| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
トイロボット
工場で組み立てをするロボットや接客をするもすごいと思うが、ぼくはどちらかというと話し相手になるロボットがいいと思う。
この分野はトイロボットというジャンルになるらしい。

今の売れ線は、英会話のロボット。
20センチ位の小さなものだ。
Musio Xという本体が10万円程度する高価なもの。
英会話塾に行く代わりに購入する人が多いらしい。

たしかに、毎月1万円払って英会話塾に行くのなら、家庭でこのロボットを買って会話するのもいいと思う。
開発したのはアメリカの会社で、ソフトバンクコマース&サービスという会社が販売している。
実際に使っている人のレビューを見ると、結構楽しそうに書いている。
スマホのアプリで会話を文字に起こして見ることができるので、聞き取れなくても勉強できるらしい。

このロボットもインターネットに接続する間は、目線が上の方にいって「考えている」ようになるらしい。
そのへんの時間遅れは仕方ないんだろう。
数日前にした会話の内容も覚えていて、話してくれるらしい。
さすがにAIを搭載しているだけのことはある。
そのAIの毎月の利用料が一人分で980円。
インターネットにつながったソフトを利用するから、ソフトバンクがやっているのかもしれない。

英語で話さないといけないが、うまくいけば話し相手にはなる。
取材で数ヶ月借りたレビュアーが、返すときには何となく寂しくなったらしい。

語学学習者なら、そんなに機知の富んだ会話もできないし、相手の言うこともそんなに高度なことは理解できないから、ちょうどいいのかもしれない。

この手のロボットはレンタルをやっている会社もある。
インターネットで検索すると出てきた。
4980円で6泊7日のレンタルサービス。

思い切って一度借りてみることにした。

明日届くのが楽しみだ。

| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症の恐さ
人生には、いろんな時期がある。
人との関わりでいえば、こんな風になると思う。

 誕生
 ↓
 何も考えない時期
 ↓
 自分のことしか考えない時期
 ↓
 他人とややこしい時期
 ↓
 自分のことしか考えない時期
 ↓
 死

生まれてしばらくは本能のみで生きている。
これが何も考えない時期ということになる。
その後自我が出てくるが、心理学によるとそれはまず「自分の快不快だけ」ということだ。
腹が減ったら泣き、気分が悪いと泣く。
その後、他人の存在が認識され、その中でややこしく生きていく。
最初は親や兄弟だけだが、その後どんどん関係が増える。
そしてそれが何十年と続く。
しかし、死の直前になると、また自分のことしか考えなくなる(考えられなくなる?)んだと思う。
それは昏睡状態になった時にわかるんだろう。
これを俗に、「楽になる」という。
そして死に至る。

認知症というのは、この死の前の「自分のことしか考えられない時期」が早く来てしまう病気だと思う。
他人とのかかわりをすべて忘れる。
認知症になれば、最期は痛みも感じないということだから、本人は楽だ。
もちろん、そこまではかなりジタバタする。
ジタバタするが、しんどいのは周りの家族になるだろう。
そこが一番苦しいところ。

今の理想でいえば、死の直前の「自分のことしか考えられない時期」は短い方がいい。
一応、今の自分をベースにして、自分のまま死にたいということだ。

「人間」という言葉は誰が考えたのか知らないが、よくできた言葉だ。
ヒトという動物が、人と人の間で生きているということをうまく表している。
人間関係の中で生きているということだ。

認知症は、人間をヒトにしてしまう。

生きてはいるが、それはもうその人の「人生」ではなくなる。

だから、恐い。


| | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャロル・キング
WOWOWでキャロル・キングの番組をやっていた。
ゆかりのあるミュージシャンが集って、彼女の曲を歌う。
もちろん、本人も出てきてパフォーマンスを披露した。
2014年の舞台とのこと。
当時71歳。まだまだ元気だ。

もちろん、ジェイムズ・テイラーも出てきた。
70年代の長髪の彼からは考えられない頭になったが、声は健在だ。
一緒に3曲ほど歌った。

なかでも、”Music"という1971年に出た彼女のアルバムに入っている”Sweet Seasons"という曲。
ブラスが入って、とても気持ちのいい曲だ。
この曲はホントによく聞いた。
中学の時に買ったLPレコード。

人生の”Sweet Seasons"、「素敵な季節」。
舞台のミュージシャンも、みんな年配。
キャロル・キングがピアノを弾いて歌い、ジェイムス・テイラーがコーラスをする。

本当になつかしい。
この曲を作った頃は、彼女の人生でも「素敵な季節」だったんだろう。
ソングライターとしても成功し、シンガーとしても2枚目のアルバムが出てヒット、3枚めを出した、というところ。
歌の中で、子どもを作って、田舎で暮らすつもり、と歌う。
年齢も30歳で、すでにライターとして名声を得ていたが、今度はシンガーとして脚光を浴びた頃だった。

今、70歳を過ぎて、この曲を歌う彼女に何が去来しただろうか。
まだまだ創作意欲があるんだろうか。

やっぱりぼくは、若い頃の彼女の歌が好きだ。

”Sweet Seasons”は過ぎてしまったが…。

| | 音楽 | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ごみの問題
こないだ職場で話をしていたら、やっぱり60歳を超えて介護の問題を抱えている人がいた。
車で毎週田舎に行って、お父さんの世話をしているとのこと。
田舎がどこかまでは聞いていないが、週に1日か2日は行かないといけないとのこと。
聞くとお母さんを6年前に亡くして、93歳のお父さんがいる。

車でしか出られないので、車で出て行っているが、この半年ほどの間に2回も事故を起こしたとのこと。
相手がある事故で、いずれも大きな事故ではなかったが、保険の連絡や必要書類は全部息子である自分がやっているとのことだった。
そういう状態になると、大変だろうと思う。

週に1日か2日行かないといけない理由は生ごみだ。
ごみだけはほったらかしにしておけないので、ごみの日が行く日になる。
これから暑くなるから大変だ。

93歳でひとり暮らしというのはエライことだと思う。
よく頑張っておられるのではないですか?というと、まあそれはそうだけど…、ということになる。
ごみの収集というのは、介護保険などの時間外になることもあり、大きな問題だ。
生きている限り、ごみの問題はつきまとう。

家の前までごみ収集車が来てくれたらいいのだが、どこかまで持っていかないといけないらしい。
だから、ウィークデイのフルの仕事はできないということだった。

こういう問題が高齢化に伴って増えてくる。
まだまだぼくらにとっては何ともない事だが、年を取るとこれがややこしい問題になる。
そんなことがいっぱいあるんだろう。

生きるためには食べないといけない。
食べるとゴミが出る。
いくら最小限の生活といっても、ごみゼロでは生きられない。

そういえば、パナソニックで生ゴミを処理する家電があったと思い出し、調べてみた。
自治体によっては、生ゴミ処理機に補助金が出るところがあるらしい。
人口が減ると、ゴミ集めのコストも馬鹿にならないから、減らしたいのだろう。

原理は高温で乾燥させて、だいたい重さ1/7にするということだ。
水分を飛ばすと軽くなる。
処理中の排気は触媒でほとんど匂いがしないらしい。
バイオ式のものもあるし、触媒の代わりフィルターでやるのもある。
補助金に目をつけて、いろんな業者が参入したのだろう。

処理した生ゴミは土に入れると、肥料になるとのこと。
もちろん、そのまま捨ててもいい。

これも一つのやり方だろう。
生ゴミはごみ問題の大きな部分だ。


高齢化対策はまだまだいろいろやることがある。

| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
パイン缶
小さい頃、パインの缶詰はごちそうだった。
どれくらい高かったのかは知らない。
あの緑色の缶詰を開けて、パインを食べるのはめったになかった。

桃の缶詰もそうだった。
黄色の桃や白い桃を切ってもらって、ガラスの容器に入れて食べていた。
夏はああいうのが食後に出てくると、特別だった。

今でもフルーツの缶詰はあるが、あまり特別という感じはない。
それよりも、生のフルーツが増えたからだろう。
いつごろからだろうか。

そういえば、サケ缶もあまり食べなくなった。
昔はサケ缶に入っている骨が食べたかったものだ。
人間の脊椎みたいな骨が、噛んで食べられる。
今缶詰といえば、もっぱらプルトップのツナ缶あたりだ。

長男がまだまだ小さい頃、実家に行ってパイン缶を食べた。
よほど美味しかったらしく、表情が変わった。
あの顔はよく覚えている。
本人が覚えているかどうかはわからない。

それからしばらく、実家に行くとパイン缶が出た。
今は生のパインを切ったものがパックで売られていたりする。
パイン缶は人気がなくなった。
保存の技術がいろいろできたから、缶詰にしなくてもよくなったということか。

人は生まれて初めて食べるものを食べて、味を知る。
小さい頃はそういう体験の連続だ。
パイン缶を「おいしい」と思った感覚は、大きくなるにつれて、どっかにいってしまう。

ぼくも小さい頃、フルーツの缶詰やバナナを食べて、そういう思いをしたはず。

年をとって、あの感覚を思い出せれば、晩年は味気ないものにはならないかもしれない。

| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸福の船
幸福の船 平岩弓枝 新潮文庫

平岩弓枝の本は時代小説を1冊読んだ覚えがあるだけ。
この本は実家で借りてきた。
どちらかというと、テレビの脚本などで有名な人だ。
「御宿かわせみ」シリーズはいつか読みたいと思う。

この本は世界一周の客船が舞台。
何ヶ月かかけて、世界を回るという贅沢な船だ。
ヒロインは船医の娘で、いろいろあって、仕事もやめてこの船に父親と一緒に乗った。

豪華客船というのは、乗ったことがないが、何百人という客がいて、船内は一つの世界になっている。
そこで繰り出される人間模様を描く小説。

小説の後に、阿川弘之と作者が対談していて、海軍好きの阿川に付き合って、船が好きになったという経緯が語られる。
なるほど。
阿川はいくつもの客船に乗ったことがあるらしい。

作者は実際に客船に乗って、起こったことをヒントに小説にした。
日本を出て、スリランカ、紅海、スエズ運河、イスタンブール、ヴェニスなど、いろんなところに寄港していく。
乗ろうと思ったら、お金がかかるし、時間も要る。
まあ、夢のような世界だ。

こういう世界こそ、小説でないと味わえない。

贅沢だが、その贅沢ができる人たちが必ずしも幸せとは限らない。

そこが人生の妙。

いつかそういう船に乗ってみたいと思っている人は、読んでみたらいいと思う。


| | | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ボルボ・カーの決断
6日の日経によると、スウェーデンのボルボ・カーが2019年以降に全てのクルマをハイブリッドを含む電動車にする、と発表したとのこと。
いよいよモーターの時代が来た。

最高経営責任者が「内燃機関の時代の終わり」という言葉を使った。
これは比較的小さい会社だから、言えることだ。
ドイツやアメリカ、日本のメーカーもそうは思っているが、言えない。
傘下に部品メーカーを抱えているからだ。

記事の最後に、ドイツなどの大きなメーカーは「EVへの移行はエンジンや変速機をつくる工場の雇用問題に直結するため、急激な移行は難しい。」と書いてある。
日本のメーカーには遠慮したのだろう。
まさに、その通りだ。

このボルボ・カーは中国の会社が親会社。
中国は「NEV規制」というのを導入しようとしている。
要は電気自動車を増やそうということだ。
こうなると、従来のガソリンエンジンで動く自動車を作っていない会社が強い。
政策的に、電動車でイニシアチブを取ろうという作戦なんだろう。
大きな市場を持っていて、自国の産業がまだ成熟していない中国にとっては渡りに船のやり方。

日本はトヨタ、ホンダがハイブリッド車が売れたために、ちょっと遅れている。
でも、電動車で先行している日産でも、「内燃機関の時代は終わった」などとは言えない。
まだまだ主力は内燃機関だし、一朝一夕にモーターにはできない。
まさに雇用の問題が一番の悩みだろう。

100年に一度の大変革というが、まさにそういう感じだ。
中国が電気自動車の先進国になって、世界に輸出し始めるという可能性もある。

7日にはフランスのマクロン新党の閣僚が、2040年にガソリンやディーゼルのクルマの販売を終了すると発表した。
野党は反発しているし、バッテリーのインフラやリサイクルの問題、発電の問題が解決されなければならないという事も言われていたが…。
いずれにせよ、どんどん電気自動車の方向にいくということだ。

日本のメーカーはどうしていくのか。
今頃この発表を聞いて、困っているだろうなあ。




| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
天下り文科省
「封印される天下り報道 陰で文科省と大手マスコミが…」という記事を見た。
この城繁之という人、いつもいいことを言っている。

この記事によると、千葉県の国際医療福祉大という学校には、6人の高級官僚が学長、理事というポストに天下っていて、文科省の大のお得意様だという。
そういう大学なら、2015年の11月に公募開始で2017年春にスピード開校できたということだ。
どう考えてもポストと引き換えに、開校できたというほかない。
今問題になっている加計学園は、天下りポストを用意しなかったから、7年もほっておかれたのではないか、と書かれている。

さらに、国際医療福祉大には元・朝日新聞論説委員、前・朝日新聞社社長、元・読売新聞 医療情報部長、元・読売新聞 社会保障部長、元・日本経済新聞論説委員などが、大手マスコミから天下りしている。

結局、文科省と大手のマスコミからたくさんの天下りを受け入れたから、スムースに認可され、マスコミからも何も言われない、ということになる。

記事の中にはこうある。

「一体、定年近くまで記事を書いていた人間が医療系の大学で何を教えるというのか。一人ならまだしも、有力紙ごとに何人も集める必要があるのか。低賃金・不安定雇用に苦しむポスドクをしり目に自社幹部を教授ポストに送り込む新聞に、紙面で偉そうに貧困問題を論ずる資格はあるのか。というか、前出の面々の中に博士号を実際に取得した人間はどれだけいるのか。
さらに付け加えるなら、これらは対外的に公表される教授ポストなので、氷山の一角の可能性がある。たとえば事務方の事務局長やら総務部長やらに、この数倍のマスコミOBがいてもおかしくはない。
はっきり言って、筆者は人間の命を直接やり取りする医学部が、複数の天下りポストと引き換えに、80億円にのぼる自治体の補助金付きで開校されている事実のほうが、加計学園の一件よりはるかに問題だと感じている。」

まさに言われる通り。
産経と毎日は力がないから、受け入れの対象になっていないらしい。

城さんの言うとおり、産経と毎日は記事にするべきだと思う。
こんな状態だから、教育関係がおしなべて問題なのだ。

文部科学省という役所、一度潰した方がいいのではないか。

もちろん、文科省だけ、ということではないが…。

| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
SEO対策
グーグルが目をつけたことで一番大きいのは、インターネットが発達し、人はわからない情報を得るときに検索サイトを利用するということだ。
最初にグーグルのサイトを教えてもらったときは、ページに検索窓があるだけ、というのに驚いた。
でも、ユーザーが何に興味を持っているか、何を調べたいのかをわかるためには、検索語が大きなカギになるということだから、当時ヤフーなどと比べてシンプルな画面だったのは、今から思うと納得できる。
そこに気がついていて、それと広告を結びつけたというところが、グーグルの勝因だ。

大学に勤めていたとき、学部名を入れたら、その学校のサイトが上位に出るようにできないか、と相談を受けたことがある。
その時にいろいろ調べたのだが、結論から言うと、そのページがみんなに支持され、その検索語を含む有益な情報が載っているという事にならない限り、無理だとわかった。
ページランクという考え方があって、多くの人が支持しているほど、そのランクが上がる。
また、閲覧が多いサイトからリンクされていると、さらにランクが上がる仕組み。
だから、実際に有用な情報が書いてある、というサイトしか上位に表示されない。
いくらこんなにいい学校だ、と宣伝しても実際に多くの人たちがそのページに行かないとダメなのだ。
これが、グーグルの知恵だと思う。
インターネットはいろんな情報にあふれているが、その中の有益な情報は何かと考えたとき、多くの人が行くところがいいところだ、ということ。
それこそ、民主的な決め方だ。
そのポリシーがあるから、グーグルは世界中で支持されているし、実際にこれだけインターネットに情報が氾濫していても、役立つ情報を探せる。

だから、学部の人たちにそれを説明した。
いくら、みなさんが「すばらしい」と言っても、それだけではダメで、「みんなが見たいコンテンツを作るしかない」ということだ。
そういう知恵を出して、実際に人が集まって、初めて検索上位になる。
ということで、諦めたのがことの顛末。

しかし、その頃、検索のシステムを逆手にとって、いろんな検索語をページに埋め込んで結果が上位に出てくるようにしよう、という会社も現れた。
そのページに出ていなくても、隠れたところに検索語を埋め込むとか、そんな手がある。

グーグルの検索で、特定の検索語で検索した時に上位になるために、ページを最適化するということを"SEO"(Search Engine Optimization サーチ・エンジン・オプティマイゼーション)という。
そんな言葉ができるほど、グーグルの検索は重要だということだ。
文字通り、検索を制したものは世界を制する。

現在は、人気のあるページから情報をコピーして集めてきて、それをまとめて表示してついでに広告を載せるという「まとめサイト」が流行っている。
対策として、グーグルが検索のアルゴリズムを変えて、他のサイトからの「引用」でトリックを使ったりすると、順位を下げるということを始めたとのこと。
でも、まだまだイタチごっこの状況。

世の中、変わったものだ。
人を呼べる情報が、広告を呼んで金になる。

そのおかげで、タダでグーグルのサービスが使えたりする。

グーグルが勝つか、SEO対策をした業者が勝つか…。

時代はそういうことになっている。


| | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
持つべきものは友
6月3日に「みをつくし料理帖」のドラマのことを書いて、原作の小説をブックオフに見に行く、という事を書いたら、こないだ東京の友だちから連絡があった。

「みをつくし料理帖全十巻、年末に進呈するので、ブックオフで買うのは思い留まってはどうですか?」

ラインの吹き出しに入っていた。
ブログを読んでいる大学時代の友人が、持っていたのだ。
そういえば、「くいしんぼ」をまとめて貸してくれた覚えがある。
なるほど、そういうのが好みだったのだ。

しかし、くれるというのは太っ腹だ。
持つべきものは友だと思う。

ぼくはワーカホリックだったから、仕事以外の付き合いは少なかった。
たいがいのサラリーマンがそうだろう。
若い人たちは違うかもしれないが…。

仕事の上での付き合いは、仕事を辞めたらなくなることがほとんど。
会社に勤めていたころの先輩や同僚と会うことはあるが、年に10回もいかない。
会社に行っていると、嫌でも顔を合わすのだが、そういう習慣だから、わざわざ会社に行かないのに会おうということにはならない。
そういう、水のような交わりなのだと思う。

それでも、不思議な事に年に1回会うだけでも、すぐに話が通じる。
長い間仕事を通じて一緒に過ごし、わかっている部分が大きいのだ。

件の友人は大学で一緒だった。
就職して東京方面に行って、それ以来こちらには帰ってきていない。
だから、会うといっても年に1,2回。

それでも、会うと当時の関係に戻る。

これから年をとってくると、そういう関係が大事になってくるんだろう。
SNSを使いこなすわけでもないし、何ヶ月かに一度ラインの吹き出しに文字が来たりするだけだが、ありがたい友人だと思う。

本をくれるから、言っているわけではない。

まあ、ちょっとはあるか…。




| | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
数の感覚
数字に強い、などと言われるが、これは数字に関する感覚を持っているかどうかだと思う。

文系大学で、数学が苦手という人と話をしていると、数字の感覚を持っていないことがわかる。
例えば、足して5になる数ということ。
8と7で15とか、9と6で15とか…。
100を4つに分けると、1つが25になるとか、1000を8つに分けると、1つが125とか…。
だから、1/4は25%だし、1/8は12.5%になる。
10になる数もそうだ。4と6とか、2と8、3と7、1と9とか…。
5割は半分だとわかっているとか、1/10は0.1と同じだとか、そういうことだ。

全部とは言わないが、そういう感覚は小学校でたくさんドリルをやって、数に慣れないといけないし、割合を習ったときに%と分数と小数、そして何割何分というようなことがつながるか、というところだと思う。

大学生で、算数の時代から数学は嫌いだったという人がいる。
その人たちは、120×0.5を筆算でするのだ。
数の感覚があれば、120×0.5は120の半分だから60と暗算で答えが出る。
そういう数のとらえ方ができない。

そこまでひどい人がたくさんいるとは言わないが、今の小学校の算数教育がいかに効果を上げていないかがよくわかる。
おそらく習った時にはわかっていても、全く定着していない。
理屈を習うことと、それが定着することは違うことだ。

文系の大学生は割合が苦手だが、割合の理屈は簡単だ。
割って、合わせるという、読んで字のごとしの理屈。
パーセントは全体を100と置いた時の部分を表す、ということだけだ。
でも、それを肌身にしみつけないといけない。

「50%は半分」などという事は、一般常識以前の問題だ。
それがわからない人が多いから、SPIという就職筆記試験の問題に割合の分野がよく出る。

こういう数の感覚をどうやってつけるか。

これは難しい。


| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイクロ水車
NTNというとベアリングの会社。
自動車の売上が大きいと思う。
いろんな回転パーツがあって、回転によるエネルギーロスを低減するためにベアリングが多用されている。
でも、いろんな国でベアリングが作られるようになって、ベアリングだけでは今後の発展が苦しいと思ったのだろう。
また自動車の部品産業は全てそうだが、新車が電気自動車化したときに、パーツが減るので自動車以外の経営の柱を立てようとしている。

ベアリングを使った、新製品でNTNが考えたのが水力発電機。
それも小さなものだ。
用水路に付けて発電できる。
マイクロ水車、という名称。

確かに水で回転するエネルギーのロスを小さくしようとすると、ベアリングの役割は大きい。
90センチほどのプロペラを水の中に入れて回転させる。
シミュレーションをして、プロペラ水車で生じる水流のよどみを小さくしたらしい。
これによって、流速2m/秒で1kWの発電ができるとのこと。

今までの水力発電では、水に段差をつけてその勢いでタービンを回していた。
今回のマイクロ水車は段差が必要なく、今ある用水路などに設置ができる。
おまけにバッテリーが発達し、電気を貯めることが出来るようになってきたのが大きい。
これによって、昼間の発電分は貯めておき、夜間の該当や害獣防止柵などに使うという用途を考えている。

国内には40万kmの用水路があるらしい。
こういう小規模発電が増えると、意外と二酸化炭素削減に効くかもしれない。

これから自動車部品メーカーは、いろいろと他業種に参入しないといけない。
電気自動車で部品が減るからだ。

部品づくりで培った技術力で、頑張ってほしいと思う。


| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
肩書き
35年間名刺を使ってきて、3年前に名刺のない生活に入った。
最初は肩書きがないというのは不便なものだと思った。
名前だけの名刺をプリンタで作ったりした。
何かあって研修会などに行くと、まだまだ名刺を持った人が多い。
名刺を持っているということは、どこかの組織に属しているか、何かはっきりした生業があるということだ。
それでも、ないならないで、気楽なものだとわかったのは1年後くらい。

もともと人間は生まれながらに肩書きなど持っていない。
学生時代は名刺など縁がない。
それが社会人になって、名刺を持つようになる。

入社後、配属されて100枚入りの名刺の箱をもらっても、ほとんど使うことなどなかった。
営業などに配属された人は、すぐに使うだろうが、ぼくは実験だったので、名刺など使わなくてもOKだった。
でも、対外的な仕事をするようになると、名刺が要る。

日本では初対面の社会人が仕事で会ったら、名刺を交換するというシステムがある。
そういうシステムの中で45年間過ごした。
もらった名刺は膨大な数だったが、3年前に全部処分した。

あれはよくできたシステムで、名刺を交換すると、それは仕事上で知り合いになったという意味だ。
ほとんどその人のことを知らなくても、かまわない。
いついつお目にかかって、お名刺を頂戴した○○社の誰それですが…、という具合に電話がかかってくる。
そして、お名刺を見てご連絡を差し上げました、と言われると話を聞かないと仕方ない。
まったく相手のことを思い出せなくても、それが通用する。
それなりに、名刺をゲットするということには、意味がある。

しかし、名刺を持たなくなると、本当にその人について知らないといけない。
5分、10分話した程度で、その人のことなどわからないから、リアクションのしようがない。
よほど何かあって、話をしないとその人がわからない。
それが個人と個人の関係。

結局、肩書きがあると、その人を知らなくても、かまわないのだ。
どこそこ会社のなになに課長とかいうことがわかれば、用は足りる。
仕事を離れて、意気投合することはあるが、そんなことは滅多にない。
名刺交換した人で、その後も個人的に付き合っている人などほとんどいないのが事実。
社会人の、仕事上のつきあいということになる。

人間、最後は肩書きなど関係なくなる。
そういう中で、どれだけ知り合いの人が残るか…。
そこがこれからの課題かな。

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