考えたこと2

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アロマ
アロマテラピーというのがある。

wikipediaによると、
「花や木など植物に由来する芳香成分(精油)を用いて、心身の健康や美容を増進する技術もしくは行為のこと。 また、お香やフレグランス・キャンドルも含め、生活に自然の香りを取り入れてストレスを解消したり心身をリラックスさせることも含めて呼ぶ場合も多い。」
ということだ。

数年前からカイロプラクティックに通っているが、そこがアロマテラピーもやっていて、何となく興味がわいた。

植物の精油といっても、いろんな種類がある。

レモンやグレープフルーツ、オレンジなどの果物。
ローズウッドやラベンダーなどの花。
ゼラニウムやペパーミントなどの葉。

睡眠に効果があるということで、ラベンダーの精油をティッシュに染みこませて、枕の横においていたが、これは匂いがきつすぎてかえって眠れなかった。
オレンジの方が効き目がある。
ローズウッドはお風呂に置いてあって、気が向いたら数滴お風呂にたらす。
香りが広がって、リラックスできる。
レモングラスというのをクルマに入れてあるのだが、血圧を下げる効果があるという。

お店でブレンドした、オリジナルのオイルも持っている。
これはクルクルと塗れるようになっていて、時々手首に塗ったりしている。

匂いというのは不思議なものだ。
記憶にとどまる。
見たことや聞いたこと以上に覚えていることがある。

新聞紙に包んでくれたコロッケの匂い。
小学校の給食のクジラの醤油煮の匂い。
プラモデルを作る時の接着剤の匂い。

何かのひょうしに、この匂いは…、と思うことがある。

そんな時、なつかしいと思う。

目の前によみがえるような、そんな記憶。

匂いは不思議だ。



| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
バナナ
バナナという食べ物、複雑な思いがある最後の世代がぼくらかもしれない。

ぼくらが小さい頃、バナナは値段が高く、希少品だった。
滅多に食べられない果物。
病院に見舞いで持って行くことも多かったのではないか。
今のメロンみたいなものだ。
当時は台湾バナナと言っていた。台湾から輸入していたのだろう。

バナナが安くなったのは、東南アジアでのプランテーションのおかげ。
今はフィリピンから輸入しているらしい。

それにしても安くなった。
ひと房100円台で売っている。
高くても、200円ちょっとではないか。

ひところ、バナナダイエットというのも流行った。
あれは効くのだろうか。

バナナは栄養もあって、ビタミンやミネラル、食物繊維などが含まれている。
一本86kcalで、そんなに高カロリーではないらしい。
というと、効果があるのかもしれない。

ぼくらは中学のときには、もう安くなっていたから、それほどバナナに対して思い入れはない。

もう少し上の世代では、思い入れのある人が時々いる。

バナナをお腹いっぱい食べてみたかったという人や、一本のバナナを分けたという人など。

今ならいくらでも食べられる。

小さいころの思い出は、いつまでたっても残っているんだろう。

そんな複雑な思いの入ったバナナ。

久しぶりに食べたくなった。





| | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
不安
不安というのは、やっかいである。
新しい仕事、新しい部署、新しい学校、新しいクラス…。
そんなときの不安だ。

なんだかわからないが、漠然と不安…。
たいがい、人が不安というときには、それだと思う。

対象がわかっているものは、恐いとか、嫌だとか、気持ち悪いとかいう言葉になる。
不安というのはそれが言葉にならないときの感情。
具体的な対象がない。

だから、特効薬がない。
その時が来てしまうまで、どうしようもない。

その手の不安に対するにはどうしたらいいのだろう。
よい方法はないのだろうか。

経験者に聞くのは、いいだろう。
どんなことが待っているのか、想像がつく。
それでも、人によってとらえ方が違うから、自分はどうだかわからない。

えてして、その時が来て、なあんだという事になる。

そういうもの…、とわかっていて不安になる。

人間は面白い。



| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ボート
小学校の頃、近所に深田池というところがあって、ボートに乗れた。
今はもうやっていないが、ボートが2艘ほどあって、もやいであった。
20分いくら…というような値段だったと思う。
父に連れて行ってもらって、何度か漕いだ覚えがある。

あの当時、六甲山にもボートに乗れるところがあった。

ボートと言っても、アヒル型の足で踏んで進むものではない。
ちゃんとオールで漕ぐボートだ。

後を向いて座り、オールを使う。
右に曲がるときは、右側のオールを水につけて、左だけ漕ぐ。(本人からみて右だ)
もっと急に曲がるときは、右と左をお互いに逆向きに漕ぐ。
止まるときはオールを水につける。

そんな事を思い出した。

まっすぐ進むのは難しい。
右手と左手の漕ぎ方を一緒にしないといけない。

父はボートの漕ぎ方を教えてくれた。
父自身、漕ぐのはうまかったと思う。
教練か何かで、ボートがあったのではないか。

後ろを向いて、前に進む。
自分にとっては、背中を向けた方向。

誰かが、ボートを漕ぐのは人生に似ていると言っていた。

過ぎ去った景色は見えるけれど、決して前は見えない。

今はどこに貸しボート屋があるのか…。

もう一度漕いでみたいなあ。



| | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
30年前のギター
うちの実家の物置からギターが出てきた。

弟が高校の時に買ったギター。

「昭和52年12月15日 ロッコーマン」というシールが貼ってある。
ロッコーマンといえば、当時元町にあったギターの専門店。
ギターといえば、ロッコーマンに買いに行った。
当時はセンター街のヤマハの隣にショップがあったが、今は移転している。

母が、こんなものが出てきたけど…、と言って出してきた。

もう30年もたつ。
20年くらいは、物置の中で眠っていたはずだ。
ケースに入れていたら、まだよかったと思うが、ケースもない。

だいぶ汚れているが、まあ、楽器屋さんで見てもらうといって、持って帰る。
錆びた弦を外して、拭いたら、ちょっとましになった。

日曜日に王子公園のアコースティック・ハーモニーという店に持っていって、ご主人に見てもらった。
Morrisのギターだったが、何でも、いい方のMorrisだという。

弦を張って音をだしたら、結構いい音がする。

「これは、なかなかいいですよ。」

ものは見てくれで判断してはイケナイ。

さっそく持って帰って、もう一度ワックスをかけて、きれいにした。

長男が下宿に持っていくという。

30年前のギターが復活して、また音を奏でる。

たまには、いいこともないとね。

ありがとうございました。



| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
オーディオマニア
昨日の話の続き。

1990年くらいまではオーディオマニアが身近にいた。

スピーカーのコードが1mあたり1万円とか、レコードプレーヤーの重さが40kgとか、スピーカーの下にコンクリートブロックを置くとか、アンプは重さが大事だとか…。

有名だったのが長岡鉄男。
長岡教と言われて、信者がいた。

他にもたくさんオーディオ評論家がいて、毎月雑誌に書いていた。
各雑誌に専属の評論家がいて、好みがあったと思う。

残念ながら、もうそんな時代ではない。

板を切って、箱を作り、スピーカーの本体を買ってきて組み立てる…、そんなめんどくさいことやるわけがない。

真空管のアンプでなければならない…、という人も、もう少なくなった。

やっぱり、レコードの存在は大きかったなあ。
どうやって、原音を再生するか…。
そんなことを考えて、マニアになった人もいるだろう。

ぼくは、たまに雑誌を買って読む程度だったが、すごいマニアもいた。
1990年代までは、まだオーディオがメジャーだったかもしれない。

オーディオにカリスマがなくなったのが、2000年代。
何が、そうさせたのだろうか。

音楽が身近になった。
カセットのウォークマンが出てきて、CDウォークマンが出て、MDウォークマンが出て、ipodが出た。

ipod化した音楽は、もはやデーターだ。

それが、どう関係しているのかわからないが、ありがたみがなくなった。

それはそれで、いいのだろうが…。



| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
なくなった雑誌
今日ステレオのことを調べようとして、雑誌を買いに行った。

昔の調子で、趣味の雑誌のあたりを探す。
どうも見つからない。

クルマでもないし、パソコンでもないし…、昔はオーディオというカテゴリーがあったのだが…。
やっと見つけたら、音楽のところの下の段にあった。

ぼくらが中学校の頃(昭和45年当時)オーディオ関連の雑誌は本屋の棚の一角を占めていた。
ステレオとかステレオサウンド、テープサウンド、Hi-Fiとかそんなタイトル。
それに、FMファン、週間FM、ラジオの技術、無線と実験、トランジスタとか、いろいろあった。
まだあるのかもしれないが…。

今は見る影もない。
上の棚には置いてない。

パソコンの雑誌のところに、ipodの本があったりする。

実際、うちの子どもたちも、オーディオのことは知らない。
アンプ、スピーカー、プレーヤー、チューナー…それ何?という感じだ。

パソコンにつながったスピーカーで音楽を聞く。
自分の部屋にはipodとMDラジカセ。

音楽が身近になったということか。
いつでも、どこでも、音楽を聞ける時代だから。

昭和45年当時、オーディオは憧れの対象だった。

ソニー、テクニクス、デンオン、ダイヤトーン、オットー、サンスイ、トリオ、オンキョー、パイオニア…、ブランドもいろいろあった。
アンプはどこがいいとか、スピーカーはどこがいいとか…、音も聞いたことがないのに、カタログと雑誌で得た知識で、いっぱしのことを言っていた。

S/N比とか、インピーダンスとかいう言葉も雑誌で覚えた。

あの頃、3wayのスピーカーをマルチチャンネルのアンプで駆動するのが流行っていて、ウーファー、スコーカ、ツイータという言葉も覚えたなあ。
ちなみに、ウーファーは低音用、スコーカは中音用、ツイータは高音用のスピーカーのこと。

レコードがCDに置き換わって、それから少しして、CDラジカセが出てきたころから、オーディオ雑誌の凋落が始まったのかもしれない。

レコードプレーヤーの存在は大きかった。
LPレコードのサイズが必要だし、モーターも要る。
他のものは小型化できても、プレーヤーがあるうちはオーディオの値打ちがあった。

そう思うと、CDがでてきたのは、結果的にすごいことだったなあ。

CDプレーヤーは当時8万円くらいだった。
それが、どんどん安くなり、小さくなって、今は5000円程度。
電池で動く。
もちろん高いのもあるが、マニア向け。

安くて、イイものが手に入るのはいいことだと思う。

でも、ちょっとさびしいのは、ぼくだけか。

| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
まいど1号
H2Aロケットの打ち上げが成功して、温暖化ガスの測定衛星である「いぶき」が無事軌道に乗ったとのこと。
この衛星は1750kgもある。
これでも軽量の衛星だそうだ。

一緒に打ち上げられたのが「まいど1号」。
この衛星は50kgしかない。
平成14年に東大阪の町工場の経営者が集まって作った。
世界初で、宇宙から雷の観測をする。

久々に夢のあるニュースだ。

今のところ、まいど1号は電波を送ってきており、順調に動いている。

読売のニュースによると、「東大阪宇宙開発協同組合の専務理事、棚橋秀行さん(48)は「モノづくりに若者が目を向けてほしい一心で、ここまでやってきた。多くの人に感謝している」と笑顔をみせた。」とのこと。

今の若者の理科離れの様子を見ていると、そう簡単に若い人がモノづくりに関心を持つとは思えないが、たしかにこの打ち上げが契機となって、若い人が興味を持ってくれれればと思う。

宇宙に目が向くだけでも、いいことだ。
人は宇宙から生まれたのだから。

まいど1号がちゃんとデーターを送り続けることができれば、新しいタイプの衛星になる。
重厚長大から、軽薄短小へ。
何トンもあるような衛星よりも、日本の小型化技術を生かして、小さな衛星をたくさん作ればいいのではないか。

資料によると、衛星のコストが高いのは、全てをオーダーメイドするからであり、今回のまいど1号はモジュール化されているとのこと。
今のパソコンのように、いろいろな部品をモジュールとして組み合わせ、それで作られたとのこと。

何でも小型化する今の日本の知恵を結集したようなものだ。

ぼくは宇宙で使う部品は、紫外線に強くなければいけないというくらいの知識しかないが、日本らしい衛星だと思う。
それが、東大阪の町工場のプロジェクトだというのが、本当の日本らしさだ。

今の衛星の常識をくつがえすようなまいど1号。

ぜひ、無事に観測を続けて、まいど2号、まいど3号と実績をあげてほしい。



| | 考えたこと | 14:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
I could have danced all night.
有名なミュージカル、マイ・フェア・レディの中の曲。

「踊り明かそう」という邦題がついている。
ぼくは、マイ・フェア・レディは見たことがないが、この曲は知っている。
時々、頭の中で鳴る。

オードリー・ヘップバーンが主演。
この頃のオードリーはとてもきれいだった。
モンロー派とオードリー派に分けるとすると、ぼくはオードリー派である。
何ともいえず、上品な人だ。

この題名をなぜ覚えているかというと、仮定法過去完了…だったかな、とにかく
could+have+過去分詞という形のタイトルだからだ。

これは、踊り明かそう、という意味ではない。
一晩中踊れたらよかったのに…、という意味だ。
踊れたはずなのに、踊れなかった…というニュアンス。
これが仮定法過去完了。
〜できたらよかったのに(できなかった)という構文。

これは、覚えておいて損はないですよ。

I could have danced all night.

一晩中、踊りたかったのに…。




| | 英語 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
就任式
オバマ大統領、すごい就任式だった。

パレードの会場を埋めつくした人、人、人。
200万人もの人がどうやって集まったのかと思う。
思い思いに歩いてきたり、地下鉄に乗ったりして来たのだろう。
甲子園が満員になったとして、その40個分。

スケールが違う。

まだ今も踊っているらしいが…。

就任演説、さすがにアメリカ大統領だ。
いろいろと懸案事項はあるが、それをいちいちどうやって解決するかではなく、そのためのビジョンを示した。
国民に責任を求めている。

たかが演説、されど演説である。

一番気に入った部分を抜き書きする。

「我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは昔から変わらぬ真実である。」(読売新聞の訳)

"Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends -- hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism -- these things are old. These things are true. "

ぼくは素人だが、原文の、"old"と"true"の対比がすばらしい。

これらの使い古された価値観は、やっぱり真実なんだ…という感じがする。

さすがに、正しいことを言っている。

そういう古いものが役に立つ時代なのだ。



| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
オバマ大統領
もうすぐオバマ大統領の就任式。
どんな演説をするのだろうか。
それにしても、えらい時に大統領になったものだ。
でも、それが初めての黒人大統領というところが、アメリカらしい。

"Change"がオバマ大統領のキャッチフレーズ。
何をどうChangeして、あの国を立て直すのだろうか。

投資銀行、証券会社など、ひどいものだし、自動車のBig3は青息吐息。
一方でインテルやマイクロソフト、グーグルなど、強い企業もあるが…。
一筋縄ではいかないだろう。

2億の人口がいて、それも若い人が増えているらしい。
少子化などという言葉はアメリカにはない。
移民の国、アメリカ。

貧富の差は大きい。
それはアメリカン・ドリームの裏側だ。
数%の金持ちが国の富の6割だか8割を持っているという。

民主党政権になったから、福祉に厚く、マイノリティを大事にする政策をするのだろうか。

いくらなんでも、自由すぎた投資には規制をかけるのだろう。

夢の代償を払わないと…。

日本でももうすぐ選挙がある。

こっちは、どうにもならないだろうなあ…。





| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドリアン
ドリアンといっても、イタリア料理ではない。
南洋の果物でもない。

ドリアンというと、キーがCの時にレから始まるモード。

レミファソラシドレという音階。
Dドリアンという。
全音、半音、全音、全音、全音、半音、全音という感覚の音階。
この音階は便利な音階だ。

何で便利な音階かというと、ほとんどのマイナーコードの時にそのドリアンが使えるのだ。(?mの時は使えない)
Cドリアンというとドレミ♭ファソラシ♭ドという音になる。
この音階はCマイナーが出てきた時に使える。

Fマイナーであれば、Fドリアン。
Dマイナーであれば、Dドリアン。
Aマイナーであれば、Aドリアン。
A♭マイナーであれば、A♭ドリアン。

とにかく、これを弾いておけば何とかなるというもの。

今日先生から聞いた。

リクツというのは役に立つ。

ただ、リクツとして覚えていてはダメだろう。

リクツが身体になじまないといけない。

いったん身体になじんで、考えてなくても弾けるようになって、その時にこれはドリアンだから…、というようになるのが本来の姿だと思う。

いつかは、そうなるぞ。



| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
組織の判断
今日は地震から14年の日。

NHKで神戸市の消防署員があの時のことを語っていた。

その場その場の対応。
生き埋めだから助けてくれ。
火事が迫っているから火を消してくれ。
どうしたらいいのか…。

結局は数の判断になる。

一人を助けるのか、百人を助けるのか。

そんなことは想定していなかった。

その教訓を今後の防災の対応にした。

 「まず、火災への対応が優先である。」

極限状態では人間はどうしていいかわからなくなる。
その場その場の対応にならざるを得ない。
だから、組織としての判断を決めておく。

組織の判断は、時につらいこともある。

判断する人は孤独だ。

でも、つらくても決めたことはやらなければならない。

本当につらかったと思う。

いつかは、また来るだろう。

きっと来る。

その時には、組織の判断を最優先にすることを、みんながわかっておければいいと思う。

| | 考えたこと | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
だんだん
朝のドラマ、今回も見ている。

「だんだん」とは、松江の言葉でありがとうのこと。

別れ別れで育った双子が18歳の誕生日に出雲で出会う。
出生の秘密もわかり、お互いに松江の大学生と祇園の舞妓として生きようとするが、やっぱり歌を唄うことにする。
しじみ汁というグループだったが、解散して双子だけのグループになる。
そして、二人がメジャーデビューするところまできた。

マナカナこと三倉茉奈と佳奈が主演。
本当に似ていて、どちらがどちらかわからない。

ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、松田聖子の「赤いスイトピー」、加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」…。
60年代から70年代、80年代の歌を唄う。

たしかに、きれいなハーモニーだ。

なつかしい音楽。

このドラマ、竹内まりやがテーマソングとナレーションをやっているが、きっと自分と重ね合わせているんだと思う。

竹内まりやも島根出身で、大学時代にデビューして、アイドルになって、忙しすぎる日々を送った。

きっとドラマの中でこの二人もそんな目にあうのだろう。

これから先、どうなっていくのか楽しみ。

CDが出たら、買ってしまいそうだ。



| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
目線
目線という言葉、使い道が広がっている。

この十年ほどで、〜目線という使い方が増えた。

「カメラ目線」、「上から目線」とか、「子ども目線」とかはよく使われる。
「ファン目線」、「社長目線」、「男目線」、「女目線」など、何でもいいから目線をつければいいのかもしれない。

カメラ目線というのが、最初に使われたのだろうか…。
これは、文字通りカメラを見つめる目線という意味。

その他の目線というのは、立場という意味だろうか。
「上からの」というふうに「の」をつけないのが特徴。
「上から目線」で一つの言葉になっている。

ぼくらは使わないが、意味はわかる。

以前、目線という言葉は、文字通り視線という意味でしか使わなかった。
目線を感じてふり返るとか、目線の先には彼女がいたとか、そういう使い方だ。

今は、「麻生首相の言葉づかいが、上から目線なのでイヤだ。」そんなふうに使う。

そういえば、確かに麻生首相の言葉づかいは、えらそうに聞こえる。

気になる人は気になるだろうなあ。

でも、そんなに上から目線でない話し方をする人でも、「上から目線」でイヤだと若い人は言う。
ぼくらが聞いていたら、そんなに違和感はないのだが…。

学校の先生はどんな話し方をしていたのだろうか。

学校の先生が上から目線で話さないと、教えることなどできないと思うのだが。

「友だち目線」で話すのだろうか。

先生は「先生目線」、親は「親目線」で話さないと…。




| | 考えたこと | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼平
池波正太郎を読んでいる。

以前、「仕掛人・藤枝梅安」「蝶の戦記」「忍びの風」「忍びの女」「忍者丹波大介」「雲霧仁左右衛門」などを読んだが、この人の時代小説は好きだ。

柴田錬三郎とは違った面白さがある。
上品な(シバレンが下品というワケではないが)時代小説なのだ。

こないだテレビを見ていたら、さだまさしが出てきて、オススメの本について話していた。
その本が、「鬼平犯科帳」。

二十数冊出ているが、それを何度も買って読むとのこと。

鬼平の部下に対する人情やリーダーとしてのふるまいなど、鬼平の魅力を語っていた。
それを聞いて、読みたくなった。
たしか、実家にあったはず…。

貸してほしいというと、15冊ほどあった。
一巻、二巻、三巻、…途中まで揃っていて、最後の方の長編がある。
何でも、人に貸したりして、なくなっていったとのこと。

もうだいぶ古い本だ。
色が変わっているのもある。

でも、喜んで借りて帰る。
すぐに一巻を読んだ。
本当に面白い。

ひと言でいうと、江戸時代の美学。
盗人にもリクツがある。
鬼平はそのリクツを守らない盗人には容赦なくあたる。
火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)という機動力のある警察。
そのリーダーが鬼平こと長谷川平蔵。

時代小説だから、時代を感じさせないのではない。
池波正太郎の小説が、時代を超える魅力を持っているのだと思う。

当分は鬼平犯科帳。

眠るのが遅くなりそうだ…。



| | | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
当たり前の世代
ぼくらが子どもの頃、自動車は贅沢品だった。

親戚のおじさんがコルトに乗っているのがめずらしくて、来たら止まっているクルマに乗せてもらったりした。

その上、中学、高校と技術家庭科の時間にエンジンの機構を習った。
4ストローク、2ストロークのエンジンの仕組みや、バルブの点火の仕組みもおぼろげながら知っていた。

20代の頃、ツインカムだとか、エンジンの仕様だとかに興味があった。

今の若い人とはだいぶ違う。

今の若い人は生まれた時からクルマがあった世代だ。
クルマに乗るのが当たり前。
何度も書くが、この差は大きい。

おまけに技術家庭科ではパソコンの使い方を習っている。
エンジンのことなどわからない。
ツインカムって何?という世代だ。

いずれ、クルマが売れない時代が来たはずだ。
正確にいうと、売れないわけではない。
車齢が伸びて、中古の販売が伸びるだろう。
結果的に国内需要は縮小する。
エコカーへの乗り換えを奨励して、少しは伸びるだろうが、一時的なものだろう。

クルマの総量は変わらない。
でも、新車は減ると思う。

生まれた時からクルマがある世代は、クルマに対してそんなに思い入れはない。
そこをどうやってアピールするか…。

当たり前の世代は手強いと思う。






| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブックオフ
子どもにつき合って、ブックオフに行った。

文庫の品揃えにビックリした。
翻訳物など、一般書店には揃ってないものもあるし、もちろん古い本もある。

佐藤愛子など、普通の本屋で見あたらない本も売っていた。

店ができた時に一度行ったが、それほど文庫が揃っているわけではなかったし、コミック本が主体だった。
でも、今は本当にたくさんの文庫がある。
池波正太郎の鬼平犯科帳シリーズもあった。

こうなると、難しいなあ。
何しろ本が安い。
一冊105円とか、二冊で500円とか。

でも、読みたい本はやっぱり本屋で買わないといけないような気がする。
印税は払わないと…。

それでも、誰かに借りて読んだとしたら、同じことだ。

この問題は大きい。

前から古本屋はあったが、ブックオフと古本屋の違いは規模だ。
チェーン店でもある。

いろいろと考えている人はいるんだろうが、難しい。




| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
三匹の子豚
昨日のソノシートのはなしの続き。

そういえば、三匹の子豚のうち上の2人はオオカミに食べられるというストーリーが本来のハズだ。

ぼくが聞いたソノシートでは、上の二人は逃げて一番下の弟のレンガの家に避難する。
最後は三匹揃って助かって、めでたし、めでたしということになっていた。

あの頃から、そういう改変をやっていたのか。

さるかに合戦のカニのお母さんは死んでしまったし、かちかち山ではおばあさんは狸に殺されてしまった。

今ではそんな残酷なことはしないことになっている。
カニのお母さんはケガをするだけだし、かちかち山でも同じようなスジになっている。

他にもたくさん改変があるんだろう。

童話には、残酷なものもある。
その理由のない残酷さ(理由づけをする場合もあるが)をこわいと思うところに、その童話の良さがあるのではないか。

そうやって、「死」というものを小さい子どもにも理解させる…そんな気は作者にはなかっただろうが、ぼくは不条理に殺されるという怖さを子どもに伝えることは、そんなに悪いことではないと思う。

オオカミには悪いと思うが…。

世の中は、不条理なこともある。

それでも、頑張って生きていくものなのだから。



| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ソノシート
ソノシート、知っていますか。

知らない人もいるだろうなあ。
今はもう死後になっている。

ぼくが何度も聞いたソノシートは「三匹の子豚」。

絵本とソノシートが一緒になっているもの。
ソノシートとは、レコードだがすごく薄くて、曲げることができる。
だから、本のページになったり、付録になったりした。
三匹の子豚、有名なおはなし。

一番上の子豚はわらの家を作った。
家はオオカミに吹き飛ばされ、二番目の家に行った。
二番目の子豚は木の家を作った。
やっぱり家はオオカミに吹き飛ばされ、兄と一緒に三番目の家に行った。
三番目の子豚はレンガの家を作った。
レンガの家は吹き飛ばされない。
オオカミは煙突から入ろうとしたが、煙突のしたでは大鍋に熱湯を沸かしていた。
それに落ちて、オオカミは死んだ。
めでたし、めでたし。

それがミュージカル仕立てでソノシートになっていた。

それ以外にも、ギターの教則本にソノシートがついていたりしていた。

あの頃、レコードが全てだった。
それがCDが出て、あっという間にメディアの主役は交代した。

ビデオもそうだ。
VHSや8ミリテープが主流だったが、あっという間にDVDになって、今度はブルーレイだという。

ぼやいても仕方がない。

でも、時代は進んでも内容は進んでいないと思う。

あの頃のソノシートを越えるものができているとは思えない。

そうではないですか。



| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ステレオ
ぼくが小学校の頃までは、テレビもステレオも真空管である。
だから、電源を入れてもすぐにはつかない。
ボワンと赤いパイロットランプがつく。

ラジオはさすがにトランジスタだった。
ちょうどICが出たところで、小型化されていた。
前にも書いたが、昭和30年代後半、「トランジスタ」と言えば、「トランジスタラジオ」の事だったし、それはソニーが一番だった。

その頃でも、ステレオは真空管だった。

幼稚園の頃、祖母の家にビクターのステレオがあった。
ビクターのあのイヌがラッパ上のスピーカーを聞いていて、"His Master's voice."というマークがついていた。

ステレオといっても、別々に買えたのだと思う。
まず、大きな蓄音機を買って、その後別売りのスピーカーを買って、それでステレオにする…というものだった(と思う)。
ラジオもついていた。

そのラジオは、電波の入りが悪くて、あまり出来のいいものではなかった(当時としてはよいものだったかもしれない)。

横長のチューナーを針が動く。

あれはAMだったか、短波だったか…。
局間ノイズを飽きずに聞いていた思い出がある。
ピーという音や、サー、ザー、ガーという音だ。
その音が、スピーカーから出てくる。
宇宙からの音だ…そう思っていた。
ミステリアスな雑音だったが、何となく魅力がある。
チューナーのダイヤルをいろんな位置で止めて、音の違いを楽しんだりした。

そのステレオは、その後祖母の家のとなりから引っ越した我が家に来て、ソノシートを聞くために活躍することになる。

ソノシート…なつかしい。

その話はまた今度。




| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
サザエさん
もうだいぶ慣れたが、アニメの声優が変わるとすごく気になる。

おなじみのサザエさん。
ぼくが中2の時からやっている。
カツオとワカメとノリ助の声が変わった。
もう1年か2年たつ。

初めは気になったが、ようやく慣れた。

さすがに長いことやっているから、よる年波には勝てない。
声優の人も疲れてくるのだろう。

そういえば、ドラえもんも変わった。
ぼくは見ていないが、あれだけ長いことやっているのだから、ドラえもんをずっと見てきた人にはすごく気になるだろう。

むかし、鉄腕アトムも変わった。
あの時、そんなに違和感がなかったのはよほど似ていたのか…。

でも、ことほどさようにキャラクターにおける声は大事だ。

みんな似たような声の声優に変わっているのに、「あれ…」と気づく。

人間の認識は目だけでなく、耳も重要だということだろう。

35年も続くと、35歳の声優も65歳になる。
そう考えると、サザエさんの声やタラちゃんの声はすごい。
全く変わらないのは、摂生をしているからか。

サザエさんは我が家の日曜日の風物詩になっている。

いつまでも元気で続けてほしい。




| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
古典落語
1月2日に寄席に行った。
米朝一門会である。
今年サンケイホールがリニューアルして、新しいホールでの第一回目。

ずっと昔にサンケイホールに行ったことがあるが、あのホールは足もとが狭かった。
ぼくぐらいの背丈のある人は膝が前の椅子にひっかかって、シンドイ。
日本人の体型も変わったと言うことだろう。
あの椅子では大きな人は座れない。

新しいサンケイホールは900席ほどのホールで、ビルの7階、8階になる。
せり上がりのきついホールである。
ビルに収めようとすると、しかたないのかもしれない。
椅子はよくなった。背もたれが薄くなって、余裕ができた。
これならぼくでも十分座れる。

肝心の落語だが、新作が1席と古典が3席。

古典をやるのは難しい。
古典を古典風にやっていたら、もうダメなのではないか。
ネタにもよるだろうが、今やもう通じない日本語がたくさん出てくる。

今のお客さんがいなくなったら、もうシンドイだろうな。

亡くなった枝雀のように、自分の世界に引き込んでしまえば、ネタの世界に入れるのだが、そこまでの力がないとシンドイ。

それに比べて、新作は面白かった。
もちろん、今風のネタだから、笑える。

落語という芸が生き残るためには、どんどん新作をやっていかないといけないのではないか。
そのうえで、自分の世界に引き込む力があるものが、古典をやる。
もちろん、基本は古典でしっかり覚えることが大事だが…。

まあ、でも繁昌亭も流行っているらしいし、ぼくの予想は外れるかもしれない。

四の五の言っても、結局は落語家の魅力になるか…。

古典落語の将来について、考えさせられた一日だった。




| | 考えたこと | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
店の名前
今日は、こないだオープンした西宮ガーデンズに行ってきた。
300近い店が入っている、巨大なモールだ。

歩き回ったが、とにかく広い。
阪急百貨店が入っている。
ユニクロやブックオフなど、有名な店もある。

専門店はファッション関係と雑貨、そしてレストランがほとんど。

レストランはともかく、ファッションと雑貨の店の名前はすごい。

少しわかりやすい名前でいうと、「ivory court」、「AS KNOW AS PINKY」、「ANOTHER SIDE SQUARE」、「キッド ブルー グレイス」、「Catherine Harnel」、「Today is・・・」など。

英語系の名前はまだわかりやすい。

フランス語系では、「Par Avion」、「chambre de nimes」、「un dix cors」、「CUL DE PARIS」など。

何となく、フランスっぽい感じ。

わけのわからないのは、「ウンナナクール」、「エミリオロバ」、「BCBGMAXAZRIA」、「LURECONSCIOUS」みたいなやつ。

ウンナナクールとは、何だろうか。
ウンのナナクールなのか、ウンナのナクールなのか、ウンナナのクールなのか…。
これはわかりにくい。

エミリオロバは、エミリオのロバという感じだが、BCBGMAXAZRIAにいたってはどこの単語だか想像もつかない。

店の名前、けっこう大事だと思うが、今の人はその意味をわかっているのだろうか。

それとも、店の名前など気にしないのだろうか。

場所で覚えているのかもしれないなあ。

働いている人も、店の名前の意味を知らないかもしれない。

ぼくなら、意味はわからないと気持ち悪いのだが…。




| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
正月今昔
ぼくらが子どもの頃、正月というと静かなものだった。
正月の三が日に営業している店などない。
本当に、おせち料理を作っておかないと、食べるものがなかった。

4日か5日になって、店が開いたら、やっとパンが食べられる…とうちの母は言っていた。

正月にお年玉をもらっても、使うところがない。

店が開くまで待っておかないといけない。

世の中がのんびりしていた。
お店をやっている人も、正月三が日は休まないといけなかったということだろう。
日本人の伝統が資本主義より強かった。

いつ頃から元旦も店をやりだしたのだろうか。
バブル崩壊した頃かな。
ダイエーがまだ元気で、元旦も開けますと言っていた。

あの頃を境に、みんな競って三が日も開けないといけなくなった。

便利になっていいのだが、正月らしくなくなったとも言える。

初詣くらいしか出ていくところもないし、あとは家でのんびり過ごす。

すごろくやトランプなど、ゲーム三昧。
テレビゲームなどないから、家族とするしかない。

そんな正月だったなあ。

それから思うと、隔世の感。

今日は二日だが、大阪の繁華街はみんな開いている。

これでよかったのか、悪かったのか…。

昔の方がよかったと言うようになると、もう年寄りだというが、それは認めよう。

それでも、今が行き過ぎのような気がするのは、ぼくだけではないと思う。


| | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |