考えたこと2

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ベース女子
Youtubeの動画を見ていると、YOASOBIの曲など、女子のベーシストがよく出てくる。
なかには女子高校生もいる。

スラップベース(昔はチョッパーベースといった)というジャンルがあるが、それは親指で低い音を、人差し指で高い音を弾く奏法。
親指で弦を叩いてパーカッシブに弾くやり方で、80年代から出てきた。
これを弾こうと思うと左手はかなりストレッチして開かないといけなかったり、右手の薬指を鍛えないと痛くなったりする。
人差し指は弦を引っ掛け気味に上に引っ張り上げるので、普通の奏法よりもしんどいと思う。

そのスラップベースをピックで弾いているツワモノの女子高校生もいた。
なぜピック弾きなのかはわからないが、とにかくうまい。
だいたい手が小さい女子用に、ミディアムスケールのベースもあるのだが、レギュラースケールのベースを弾いている女子も多い。
これを見て、曲が弾けないのは手の大きさや指の長さのせいではない、ということを自分に言い聞かせた。

中には普通の指引きとスラップを交えて、おまけにサビでは右手でフレットを押さえて弾いている人までいる。(ギターのライトハンド奏法というやつ)
元歌はボーカロイドの打ち込みの曲だったりする。

打ち込みの曲、というのはベースなどの音符を打ち込んで、コンピューターで音源を鳴らすというもので、もともと人間が弾くことを想定せずに作っている。
大体の曲はテンポが早く、普通は「これは打ち込みだから無理」と思うもの。
それを見事にやってのける。

ベース男子もいるのだが、どういうわけか若い方は女子が多い。
吹奏楽部でエレキベースを弾き始めて、高校で軽音に入るとかのパターンが多いのかもしれないと思う。
吹奏楽部は今や女子ばかりだから、あり得る。

前にも書いたが、ほんとに若い人たちの音楽はすごい。
ぼくら年寄りにはついていけない。

とにかく、感心した。

ガンバレ。




| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナによる「禍」
医師の萬田緑平という人、何度か紹介した。

ぼくは、この人の言っていることが正しいのだと思う。
老人ホームに入った母を見ていて、ほんとにそう思う。

だから、今回も記事を紹介する。

旧型コロナウイルス問題への私見 part 16 1/30投稿というもの。

何度も書くけど、日本(東アジア)の感染規模は欧米に比べて1/100のレベル。
死者数を見てみればわかる。
ひどいアメリカで死者は43万7千人、それに比べて日本は5597人。
どうして2桁違うのに、同じようにマスコミや政治家は騒ぐのだろうか。
それに目を向けず、世界のコロナ死者が1億人を超えたと騒いでいる。
日本はコロナで死んでない人までコロナ死者にカウントしてやっと今の人数。
頭がおかしいとしか思えない。

日本ではワクチンこそが不要不急だ。
もっと死亡率が高い国で使ってくれればいい。
そう言って、欧米に恩を売る政治家はいないのか。

何が「専門家」だ。
日本の「専門家」のレベルがいかに低いかがよくわかった。
医師会の会長や感染症の医師など、そんな事実も見ずに煽っているだけに見える。
ニュースに出てくる医者など、統計など全くわからないのかと思う。
それでいて、外野から何かいうと「素人が言うな」という。
自分たちこそ、統計については「素人」だろう。
医者が数字を読めないのが本当によくわかった。

政治家はやっても効果がない「緊急事態宣言」を延長するという。
そうやって陣頭指揮を取っているように見せたいのだろう。
本来なら、医療資源を有効活用するための方策を考えないといけないのに、何をやっているのか。

ワクチンやPCR検査関連の業界は大儲けだろう。

一方で、飲食、宿泊、鉄道、航空、娯楽などの業界は壊滅的。
若い人たちの就職にも本当にかげりが出てきた。
来年度の求人はだいぶ減るのではないか。

今の「コロナ対策」と言われているものは、高齢者だけを見て、若者を切り捨てている。
そう思っている高齢者がどれだけいるのか。

本当の「コロナ禍」を受けているのは若者や現役世代だぞ。


| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
最後の授業日
この時期の大学は後期の試験前だが、今どきのまともな4回生は卒論以外はほとんど単位を取っているので、あまり来ることもない。

でも、今日の昼に2人連れ立って学生が来てくれた。
今日が最後の授業だという。
出席番号が近くて、仲良しだった2人だ。

去年の「グループ面接講座」で指導した2人。
毎回5人の定員なのだが、ドタキャンが相次いでその回は2人しかいなかった。
2人になるとこちらも名前を覚えて、その後のフォローもコロナの緊急事態もあり、電話フォローなどもやった。

どちらも数回しか面談していないのだが、それでも大学で一番お世話になったと言ってくれた。
一人は授業もないのに、挨拶のために来たとのこと。
おそらく、提出するレポートが有り、そのために来たのだろうが、嘘でもうれしい。

そういう学生は多くはないが、過去にも何人かいる。

大学にとってはキャリアの部署は必要悪。
そんな支援部署がなくて就職できるのが一番いいのだ。
下位の大学ではキャリア支援を売り物にしている学校もあるが、ぼくは本来「黒子」だと思っている。
学生にしても、やっぱり自分の力で就職を決めたいだろうし、キャリア支援の部署は黒子に徹しているのが必然だろう。

それでも、中にはそういう声をかけてくれる学生もいる。
ありがたいことだ。

こちらが親身になって相談に乗れば、嘘でもそう言ってくれる学生がいるという事実。
4年間も過ごし、そのうちの就活の時期にちょっとだけ世話をする。
今日話した学生など、集合型の講座を入れても10日ちょっとくらいの日数。
他にもっとお世話になった人もいるだろう、と思う。

今年の卒業式は二人のリクエストもあり、出勤にした。

袴姿を見送ってやろう。





| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本一人負け
今の日本の雇用形態がうまくいっていないことが、客観的に明らかになってきた。
パーソル総合研究所というところが行った調査結果の記事がある。
そのなかで、働く人の意識を国際比較しているが、日本の成績がダントツに低いという結果。
対象国は、中国、韓国、台湾、香港、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナム、インド、オーストラリア、ニュージーランド、と日本の主要都市で働く人。

日本で管理職になりたい人の割合は21.4%で調査中最下位。
それだけ豊かな国になったということかもしれない。
ひとつ上のニュージーランドでも倍近い41%あるのだから、文字通りダントツ最下位。
インド、ベトナム、フィリピンでは80%を超えている。

勤務先以外での学習や自己啓発もダントツで低い。
日本は「特に何も行っていない」が46.3%。
聞いた内容は、読書、研修・セミナー・勉強会への参加、資格取得のための学習、語学学習、通信教育・eラーニング、副業・兼業、NPO・ボランティア等の社会的活動への参加、大学・大学院・専門学校、勉強会等の主催・運営などだが、これら9項目中8項目で最下位。
日本の会社が忙しい、ということもあるのかもしれないが、最近はあコンプライアンスも言われており、本当に目を覆うような結果だ。
特に読書が最下位というのも驚いた。
日本は翻訳市場規模が大きく、他国に比べて母語でいろんな本が読める国なのに、それを使っていないというのはもったいない。

起業・独立志向についても、最下位だ。
タイやインドネシア、インドでは50%を超えている。
資本市場が活性化しておらず、企業の新陳代謝があまりないことは、ある意味で悪いことだと思う。

仕事選びで重視する点についても聞いているが、年収が1位なのは共通だが、「職場の人間関係」や「休みやすいこと」などが上位に入っているのは日本だけらしい。
このあたりも、古い年功序列、終身雇用というタコツボのなかで働く日本社会を表している。

同様に、「女性上司のもとで働くことに抵抗はない」「外国人と一緒に働くことに抵抗はない」という項目で最下位。「年下上司のもとで働くことに抵抗はない」はワースト2位。
古い価値観が抜けないのだろう。
若い人たちはそうでもないと思うのだが…。

勤務先に関する満足度も低い。
会社全体、職場の人間関係、直属の上司、仕事内容の4つの項目で最下位。
これをみれば、いまの雇用制度が崩壊していることは明らか。

したがって、今の勤務先で働き続けたいという人の数も最下位だ。
一方で、積極的な転職も考えていないという。
これをタコツボと言わずに何というのか。

この調査を実施したパーソル総合研究所も、この「日本一人負け」の結果を「日本型雇用が直面している「機能不全」と切り離すことは極めて難しい」と言っている。
こういう結果があるから、主だった日本の企業が「ジョブ型採用」に舵を切っている。
役所も組合もいい加減にそれを認めてやり方を変えないといけない。

世界に比べて死者数は圧倒的に少ないのに、バカみたいにコロナコロナと言っている場合ではないのになあ。




| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャッシュレス時代
こないだ学生の履歴書の相談をして「これでいこう」ということになった。
「では、事務局の券売機で履歴書のボタンを押して、100円で履歴書の購入券を買ってきてください」と言った。
そうすると、学生が「今2円しか持ってない」という。
ブランド物の財布を出してきて、カードがいっぱい入っているところを見せて、ひっくり返して現金がないことを示す。
本当に2円だけだった。

キャッシュレスの時代とはいうものの、現金2円だけで外に出るという感覚に驚いた。
まあ、定期があれば電車に乗れるし、どこかでお金を請求されたらカードで払えるし、必要ないといえばそれまでだが…。
今は自動販売機もキャッシュレス決済できるものもあるし、学生の立場で言えば、大学の各種書類の券売機もカード対応かスマホ対応にしてくれ、ということだ。

仕方ないので、100円貸して、買いに行ってもらった。

「いざという時のために、現金1000円くらい持っとかないと」と言うが、あまり説得力がない。
若い人にとっては、すでにキャッシュレスの時代なのだ。
そういうぼくも、現金は持っているが一日使わない日のほうが多いのだ。
安心料として現金を持っている、という感じ。

今の大学生は「現金」というものを知っているが、あと10年もしたらそれも死語になるかもしれない。
「現金」ってなんですか?という時代。
現金を持ったことがない、という時代だ。

上海あたりではそうなっていると聞くし、アメリカの若い人たちもお金のやり取りをアプリでやったりするらしい。
日本はそこまで進んでいないが、時代の流れでどうなるか。

今はキャッシュレスで手数料が発生したりするが、逆に現金で発生するようになる。
インフラが整えば、現金を扱うほうが手間だ。

果たしてそういう時代を見ることができるのか。

意外と早いような気がしてきたぞ。




| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
夜好性
紅白に出た「YOASOBI」という、男女2人のグループはだいぶメジャーになった。
それとよく似たネーミングのバンドがもう2つある。
「ヨルシカ」と「ずっと真夜中でいいのに。(ZUTOMAYO)」。
これらのグループには共通の特徴がある。

ストリーミングの配信がメインであること。
Youtubeの動画は、アニメなどを使っていること。
楽曲はわりと言葉数が多いこと。

さらに、「夜」というのがグループ名に入っていて、これらの3つのグループを好きな人たちの事を総称して「夜好性」というらしい。

「ヨルシカ」は2017年結成。
男女のコンビで、男性はボーカロイドの曲を作っていた人。
歌は女性が歌っている。

「ずっと真夜中でいいのに。」は2018年から。
正式メンバーとして明らかになっていうのは、作詞作曲、ボーカルを担当している「ACAね(あかね)」という女性のみらしい。
この人の詩は結構難しいらしく、いろんなリスナーが解釈を研究している。
もとは路上でライブをやっていたとのこと。

「YOASOBI」はボーカロイドの楽曲を作っていたAyaseと、シンガーソングライターの幾多りらのコンビ。
小説を音楽で表現しているらしく、「夜に駆ける」も元になった小説が投稿サイトにあるらしい。

「YOASOBI」と「ヨルシカ」はボーカロイドの曲を作っていただけあって、音楽はコンピュータの打ち込みで作った、という感じのものが多い印象。

いずれにせよ、なんとなくこれまでの音楽とは違う。
売り方といい、メディア露出の仕方といい、曲作りの感じといい…。
これが新しい音楽の方向なのかもしれない。

3つの中ではYOASOBIが一番馴染みやすい。
その次がヨルシカ。
ちょっと難しいのはZUTOMAYO。

夜好性が増えてくると、今の音楽番組などは壊滅だろうなあ。


| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
アカウント凍結
トランプ元大統領がツイッターにアカウントを凍結された。
議事堂に入ろうとするデモ隊に対する言動が原因とされている。
それについて、Twitter社のCEOが、この判断は正しかっただろうか、ということでツイートをしている。
続いて、FacebookなどのSNSもアカウントを凍結し、行き場を失ったトランプ支持者がParlerというところに流れたが、ここもアマゾンがクラウドを停止して使えなくなった。
これは国会議事堂のデモを扇動したということで、仕方なかったということだろう。

ぼくはトランプ氏をフォローしていたわけではない。
でも、毎日のニュースで流されるトランプ氏のツイートがアメリカの動きを表していたし、理不尽なこともたくさんあったと思うが、逆にこういう人が大統領になるというアメリカの現実問題も感じていた。
一般的に言われるような「ポリコレ疲れ」とか、行き過ぎたマイノリティ優先に白人の人たちが怒っているということもあったのだろう。

そういう理由を聞くと、なるほどなあ、と思う。
所詮、外国の大統領だ。
日本に最も影響が大きな国ではあるが、ぼくらには選ぶ権利もないし、とやかくいう筋合いもない。

ただ、日本のマスコミに、概してトランプ氏の言動に批判的な空気は感じていた。
それは今回の大統領選挙でも感じた。
ネットではトランプ支持者もたくさんいて、それらの人たちの声も出ていたが、ほとんど日本のマスコミでは紹介されなかった。
なぜ日本のマスコミがとやかく言うのか、意味がわからない。

まあ、トランプ氏自体が既存のマスコミに対してバカにしたような態度をとったりしていたから、アメリカのメディアも同じだったが…。
日本のマスコミがそれに付き合うのも、どうかと思う。

トランプ氏のツイートが流れなくなった世界は平穏になったと思う。
それとともに、こういうITの企業の力に依存する民主主義というのはどうなんだろうとも思う。
特に、トランプ氏が始めた政治手法だが、それがスタンダードになってしまうと、なんとなく恐ろしい。

彼は既存のメディアのフィルターを通さないことで、支持者を獲得してきたのだと思う。
本音をストレートに伝えたという感じ。
それが新鮮でもあった。

ツイッターのCEOはこう言っている。

「インターネットと世界規模の公共の会話は、人類の共通の理解と地球の平和構築のための最善かつ最適な方法だと信じている。だが、現在はそうなっていないことも認識している。われわれは今回学んだことに基づいて、改善していく必要がある」

「Twitterでアカウントを凍結することには重大な影響が伴う。アカウント凍結は、健全な会話を促進するためにならず、これはわれわれの失敗だと感じる。アカウント凍結は、公共の会話を分断し、われわれを分断する。説明や学びの可能性を制限することにもなる。個人や1営利企業が世界的な公共の会話に権力を持つ前例を作る危険性もある」

そのとおりだと思う。

未だに3割のアメリカ国民は、選挙で不正が行われたと思っているという。
確かに郵便による投票は不正が行われやすいということは確かだ。

アメリカの政治がどうこれに対応していくのか。
フェイクニュースにあふれる世の中で、どう事実を伝えていくのか。

これは民主主義の試練だと思う。


| | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
電気の安定供給リスク
電力の安定供給リスクという記事があった。
以下にそれを要約する。

2020年の9月に電力の「容量市場」というものの価格が決められた。
この「容量市場」というのは、安定した電気を供給するために導入されたもの。
これは送電と発電を分けて、電気を作ることに関して自由化を進めた結果、複雑になってしまったので、できたものらしい。

そもそもの発端は、2011年11月に民主党政権で既存の地域独占の電力会社を分離・分社化して、電力自由化が図られたこと。
経緯を見ると、原発事故の原因を東電だけに負わせたが、賠償金や廃炉費用の問題で原子力損賠賠償・廃炉等支援機構という組織を作り、国が財政支援を行うスキームを作った。
原発事故を東京電力だけの責任に押しつけ、他は一切責任なし、ということにしたかったのだろう。

本来なら、その時点で東電の株主は紙切れの株券を持つはずだった。
そうすればよかったのだが、東電は存続して、機構が裏でお金を出すということになった。
これはマスコミや一部の似非学者が原子力の危険性を無責任に煽り、「電力会社は悪」という意識を刷り込んだ効果も大きいと思う。
電力会社はまったく悪ではないとは言わない。
しかし、悪だと決めつけるのはどうかと思うのだが…。

そこで、こんな事故を起こした電力業界全体に対しても、何とかしないといけない、ということになってしまった。
だから、電力システム改革をしようということになった。

もちろん、原発を止めてしまったから、電気代が高騰した。
当然の結果だ。
他の原発まで全て止める必要はなかったのに、菅直人首相が要請して、法的にはなんの根拠もなく止まってしまった。
電力会社にも、原子力村にも悪いところはあったとは思う。
いきなり原発を止める意味がわからないが、それはさておき、上がった電気代を下げようということで、「自由化」という声が高まった。

そこに経産省の思惑も加わり、ここがチャンスと日本のエネルギー政策を東京電力から取り戻すために、東電を分離してしまった。
経産省は電力システムを効率化するという名のもとに、イニシアチブを取ったということだ。

ちょうど、欧米では「電力の自由化」が行われており、安倍政権で2013年に「電力システム改革に関する改革方針」が出て、「安定供給」「電気料金抑制」「需要家の選択肢や事業者の事業機会を拡大」という3つの方針が決まったということになる。

それから実際に施行されてきた政策は中途半端で、送配電事業こそ分離されたが、発電と小売りを分社化したのは東電と中電のみ。
その他の電力会社はまだ一体となっている。
自由化というのなら、全ての電力会社の発電と小売りを分離するべきなのだ。

さらに、東電と中電は発電と小売りを分離したが、それぞれの火力発電部門を統合して、JERAという会社を作った。
これは国内の発電容量の3割を持つ世界有数の発電事業者になる。
自由化によって、競争が促される状態になったとはとても言えない。

さらに、従来の電力会社の「地域独占=電力供給責任」が自由化によって解除された。
つまり、電力会社は従来地域独占することによって、法的には何も言われていないが、地域の電力供給の責任を持っていた(あくまでもボランティアとして)のに、それがなくなったということになる。
つまり、ここの発電事業者は日本全体の需要を満たすための設備投資の義務はなく、市場メカニズムに応じて供給をする、ということになる。
これが世にいう自由化ということだ。
つまり、自由化(価格の安い発電を選べる体制)と安定供給は背反している。

電気は貯めることができないので、停電しないためには常に需給を一致させる必要がある。
ところが、ここに再生エネルギー(再エネ)が入ってきた。
原発に反対するのはいいが、どうするのかという長期的な解は、再エネ。
それを推進しようということで、震災後メガソーラー(大規模太陽光発電)がいろんなところに作られた。
ぼくが南相馬に行った時も、太陽光パネルが散在しているのを見たのを思い出す。

当時の太陽光発電の買取価格はFIT(再生可能エネルギーの固定買い取り制度)で、作れば儲かるという値段だった。
要は国が補助をしまくったということになる。
どんどんできた再エネ施設で、総計1億kW 以上が認定され、不安定な再エネの発電量を埋めるために火力発電所は稼働率を下げ、コスト高になった。
一方で、日が照ったり、風が吹きさえすれば発電できる再エネは、作ってしまえばFITで高く電気を買ってもらえるので濡れ手で粟の商売になった。

結局、電力の安定供給にはジャマになる、無責任な新電力業者が増えた。
彼らは電力の調整には全く関わらないし、再エネで作った電気を売るだけだから、いい商売だったのだ。

そこで、供給責任を誰も負わないのはまずい、ということで電気の「容量市場」が作られた。
いろんな仕組みができつつあるが、まだまだ不完全であり、今回のように電気が足りなって、だれが供給責任を負うのかということになると、ややこしいことになる。
これらは全て民主党政権時代の負の遺産だ。

今回の電力不足で大停電でも起こると、事態は改善するのかもしれない。
残念ながら、国民の意識が高まらないと、ねじ曲がってしまった電力問題は元に戻らないということだ。

以上が記事の内容。

こないだ書いたが、立憲民主党の国会議員でも電気代が急に上がって困るという状態。
そういう制度を作ったのは誰なのか。
胸に手を当ててよく考えてほしいものだ。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
インフォデミック
インフォデミックという言葉がある。
これはWebで調べると、「大量の情報が氾濫するなかで、不正確な情報や誤った情報が急速に拡散し、社会に影響を及ぼすこと。」という定義。

今朝のニュースで、東京で30代の女性がコロナに感染し、自身は無症状だったが、誰かにうつしたかもしれない、周りに迷惑をかけたということで自殺したと言っていた。
これは、直接的には感染症2類指定による、保健所による感染経路調査などのことと、Webやテレビで流されている恐怖を煽る報道によって、「感染者することが悪」という気持ちになってしまった結果だと思う。

ぶっちゃけて言えば、冬に誰かから風邪をもらうのは今までと同じであり、感染したこと自体は普通のことなのだ。
それが、周りに迷惑をかけるというのは、感染者になってしまったら、周りの人にうつすかもしれない、という恐怖心から来るものだろう。
保健所でクラスター追跡などやられて、濃厚接触者を追求される。
それ自体は必要なことだったのかもしれないが、推定で何万人もの感染者がいるほど市中感染が広まってしまった段階でやる意味があるのだろうか。
これこそ、インフォデミックの被害者だ。

毎年なら、風邪の流行は普通のことなのに、今年に限っては「コロナ感染者」というレッテルを貼られ、社会から疎まれることになり、自宅でじっとしてないといけない。
自身はなんともないのに、そうなってしまう。
そんな状態で自宅でじっとしていたら、もう悪魔のサイクルに入る。
マスコミに煽られた世間の同調圧力もあり、最後は死を選んだのだろう。

だからこそ、早く感染症の指定をインフルエンザと同じ5類にするべきだ。
菅総理になった時に、そういう話が出たが、結局うやむやになってしまっている。

都市部ではもう市中感染が広がっており、クラスターを追いかけてもさほど意味はないと思う。

もっと被害者が出る前に、ぜひ何とかしてほしい。



| | 考えたこと | 20:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
世も末
冬の流行性感冒は止めることができない。
冬になると風邪が流行るのは少なくとも物心ついた頃から同じだ。
それは新型コロナウィルスも同じ。
ワクチンができようが、流行が止められないのはインフルエンザウィルスが証明している。
結局は共存するしかないし、体が弱っている人がかかると最悪亡くなることもある。
だからこそ、風邪は万病の元と言われているのだと思う。

立憲民主党の枝野氏が代表質問でこう言ったらしい。

「ウイルス蔓延の中で経済を回す「withコロナ」ではなく、感染者をなくす「zeroコロナ」へと方向を転換すべき。徹底して感染を封じ込め、その間は十分な補償と給付で支える。その後、いつでも封じ込めができる体制を維持し、旅行や会食を再開することが必要。」

党首だからだれも止められなかったのだろうか。
どう考えてもバカなことを言っているとしか思えないし、それによって国民をミスリードしてしまう。
本気で言っているのか、判断しかねるが、そんなことができないのは人類の歴史が示している。

具体的に「zeroコロナ」を一体どうやって実現するのか。
これ以上の厳しい措置をするのだろうか。
そうすることで、経済はどうなるのかわかっているのか。

実現できるのなら、毎年のインフルエンザの流行はなぜ起こっているのか。
そんなことも判断できないのだろうか。

コロナを利用して、存在感を示そうとしているのだろうが、「私はバカです」と言っているのに等しいと思う。
日本の感染は少なく、世界でも被害が少ないというのに。

こんなヤツが最大野党の党首であるとは、本当に情けない。

どれだけ国民が疲弊し、経済が打撃を受けているのかわかっているのだろうか。
この寒空に解雇される若者もたくさんいるのだ。
無責任極まりない。

これが党首だというのなら、世も末だ。




| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
新電力の値段
いきなり電気代が5倍になった人がツイッターで悲鳴をあげていたらしい。
それはそうだろう。
いきなり5倍はきつい。

5倍になった人は、市場連動型の電力会社と契約した人。
よく電気代が安くなる、ということで電話がかかってきたりしていたが、安くなるということは、高くなるリスクもあるということだ。

電力自由化によって、そういうことができるようになった。
今回の寒波、自粛による在宅、火力発電の燃料になるLPガスの高騰などで発電のコストが上がり、電気代が高騰した。

立憲民主党の国会議員が「脱原発、再生可能エネルギー」を公約に掲げていて、今回「地元の電気会社と間違えて自然電力と契約していて、電気代が高くなって解約しないといけない」とツイッターで言っている。
再エネは降雪などで発電量が下がり、供給量が落ちれば電気代が上がる。
それが自由化というものだ。

安い間は再エネで、高くなったらやめる、ということを表明するのは国会議員としてどうなんだろうか。
隠れて解約するのはともかく、そんなことを国会議員がツイートしていいのかと思う。
再エネを応援するのが信条なので、高くなっても払うくらいのことを言えないのなら、黙ってやるべきだろう。
こういう人が国会議員として「再生エネルギー」を推進している。

環境を守るとか、命を守るとか、聞こえが良くて、ある意味アタリマエのことを公約に掲げている。
ものにはメリット・デメリットがある。
さらに、効率というものもある。
それらを考えて、今どういう選択をすべきかという視点がないか、あるいはわかっていても黙っている。

「原発=悪」という刷り込みを行って、無責任に公約を掲げ、自分の電気代が高くなったら再エネはやめる、というような人物が国会議員でいいのか。

ぼくは今でも福島原発事故のあと、過大な恐怖心を煽った人たちを許さない。
菅直人は勝手に原発を止めて、国民の負担を増やした国賊だと思っている。

日本はエネルギー資源を輸入に頼っている。
だからこその原子力なのだ。
今の原発が100%安全ではないというのなら、国策としてもっと安全な原発を開発することにお金をかけるべきだ。

そう思っている人はほとんどいないと思うが…。






| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
起こるはずのない医療崩壊
「起こるはずのない医療崩壊」という記事が東洋経済オンラインに出ていた。
日本を含む東アジアは欧米と比較すると、人口あたりの累積要請者数は桁違いに小さい。

「すでに多くの報道があるとおり、世界では日本とは桁違いの流行が起こっている。人口当たりの累積陽性者数でみると、日本はアメリカの30分の1程度、イギリス・フランスと比べると20分の1程度である。」

ベッドの占有率で見ても、同じだ。

「アメリカやイギリスは病院のベッドの14〜16%程度がコロナによって埋められているのに対し、日本は1.7%である。しかも、ここでの計算は病床数としてOECDのHealth dataを基に筆者が行ったものだが、日本の病床数だけは病床機能報告を基に急性期および高度急性期のみを対象とした。もし、文字どおりの日本の全病床を分母に取れば、日本の病床に対するコロナの占有率は0.7%まで下がる。」

ではなぜ医療崩壊が叫ばれているかというと、「引き受け手が一部の限られているから」だという。

「答えは1つしかない。コロナでむしろ暇になっている医療機関のベッドである。日本医師会や病院団体が行った調査を見れば、コロナの流行が始まってから患者の受診控えが起こっていることは明らかである。菅首相も「コロナをやっていないところには、お客が来ない」という趣旨の発言をしているとおりである。

また、お客が来ないだけでなく、医療機関の側で拒否しているという要素もある。いまだに発熱患者や呼吸器症状があるというだけで診療を拒否する医療機関は少なくない。また、コロナ診療の現場では転院先を探す際に問題となるのだが、すでに治癒した元コロナ患者の診療さえも拒否するというとんでもない医療機関もある。」

「とんでもない医療機関」があるにもかかわらず、行政は「要請」しかできないから、どうしようもない。

コロナなら何でも入院という体制にも問題はあるが、これが医療崩壊の実態であり、だからこそ特措法は改正されなければならない。
飲食店への罰則が取り沙汰されているが、そんなことよりも医療機関への法的な指示を可能にすることが重要に決まっている。

国民皆保険という制度は、税金で治療費を補助する制度でもあり、要は国が医療を補助しているということだ。
補助をもらっている以上、医療機関には従う義務があるはず。

そこをまずちゃんとやるべきだ。

そうすれば、医療崩壊など起こっていないのは明らかだ。






| | 考えたこと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報 フィル・スペクター
フィル・スペクターが獄中で亡くなった。
獄中といっても、薬物中毒治療施設内らしい。

フィル・スペクターといえば、Wall of Sound。
亡くなった大滝詠一が心酔していた。
あのナイアガラサウンドはフィル・スペクターの影響だ。

知らなかったが、結構エキセントリックなところもあって、気に入らないことがあると、銃を持ち出したりしたとのこと。
刑務所に入ったのは、妻の射殺が原因。

ビートルズのアルバムLet it beをプロデュースした。
The long and winding roadは、ポール・マッカートニーの意に反してオーケストラをオーバーダビングして世に出した。
ぼくはこの曲のストリングスは秀逸だと思う。

でも、60年代、70年代のアメリカのヒット曲のいくつかの方が、彼らしいサウンドだと思う。
FMが盛んな頃、特集をラジオで聴いた覚えがある。

Be my babyは今でも時々聴く。
きっとまたどこかのFMでかかるだろう。
これは彼の「一発録り」で作られたらしい。
さぞかしたくさんのミュージシャンがスタジオに集ったのだろう。

コロナウィルスが死因とのこと。

81歳だった。

Rest in Peace.




| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
バッテリー寿命
スマホの充電は就寝中にやってはいけないらしい。
今のリチウム電池は100%の充電をすると、バッテリーの寿命が縮むという。
前からそんなことは聞いていたが、やっぱりそうなのだ。

バッテリーは使っている間にすぐに減るようになる。
最初は2日間余裕で持っていたのに、1日で無くなりそう、というような具合。
だいたい、1年で容量が減ったのがわかるくらいになる。

2年間使うと、1階の充電で終日バッテリーを持たせられなくなるかもしれない。
何となく理解できる。
これがバッテリーの充電の仕方で変わるらしい。

充電サイクルというのがある。
これはバッテリーを0%から100%まで充電してから、0%まで放電すること、という定義。
この回数がバッテリーの寿命を決める。
だいたいのバッテリーは300回から500回の充電サイクルで容量が75%になるらしい。

今のスマホのバッテリーはリチウムイオンポリマーを使っており、充電速度が早くなっているが、バッテリーの寿命に関しての考え方は同じ。
定期的に80%以上充電して、20%以下まで使うとバッテリーの劣化は早くなる。

つまり、バッテリーを20%以下まで使わないようにして、早めに充電し、100%まで充電しないことがバッテリーの劣化を防ぐということだ。
20%から80%までの間で充電、放電を繰り返せば、バッテリーの劣化は遅れ、1000回以上充電しても大丈夫。

中学の時に習ったイオン化傾向で、水兵リーベの「リ」がリチウム。
希少だが、イオン化しやすいのがこの元素の特徴であり、これが電池に向いている。
リチウムイオン電池はコバルト酸リチウム層とグラファイト層でできていて、リチウムイオンがグラファイト層からコバルト酸リチウ層に移動する時にエネルギーを放出するという原理。
このリチウムイオンの移動が極端に起こると、内部抵抗が増えて、劣化が起こる。

つまり満充電や過放電を繰り返すと、劣化が起こるということだ。

記事では寝る前に充電して、夜は充電器をつながない、という方法を推奨している。
もっとも、iPhoneの最新OSでは夜中中つないでいても、充電スピードをコントロールして抑えているとのこと。

急速充電ができるようになっているのも、それを使って夜間繋ぎっぱなしにするな、ということだ。
そのための監視アプリなども出ている。

前から聞いていたが、リクツがわかったので、夜の充電はやめようと思う。
これはスマホだけでなく、ノートPCも同じことだ。

なるべく上手に使おう。



| | 考えたこと | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
専門家?
最近、テレビで「専門家」という言葉をよく聞くようになった。

こないだ、テレビで「情報社会心理学の専門家」という大学教授が出てきて、常識で考えたら当たり前だろう、というようなことを言っていた。
あまりに当たり前すぎて、内容さえ忘れてしまった。

おそらくテレビ局は何かについて、こういうことを言ってほしいという場合に、研究者データーベースでその筋の専門家を探して、電話をかけるのだろう。
日本の大学が80年代から増えて、倍以上になって、文系の大学教授も倍増した。
量が増えると質が落ちるのは世の常で、当然のことながら大学教授にもあてはまる。
下位校では、まともな学会誌に論文を出したことすらない人が教授になれる時代。
そういう人を選んで、ストーリ通りのことを言ってもらうのだろう。

その中でも心理学は特に分野が多い。
「心理学」の中の「社会心理学」というのはまだわかる。
そこに「情報」をつけて、「情報社会心理学」という分野は、一体何を研究するのだろう。

学問の世界がどんどんタコツボ化していっているのは事実。
以前勤めていた大学の教授に話を聞いたときに、文系の世界では今までやったことを研究するよりも、誰もやっていない分野を研究する方が博士論文を書きやすく、その結果どうしても細分化してしまうことを聞いた。
その研究の価値そのものよりも、新規性を問う方が簡単だからだ。
今はデーターベースが充実しているから、過去にやったかどうかはすぐにわかる。
結果的に、それを研究して一体どんな価値があるのかということはおざなりになる。
単に「いままでやっていないから」ということに価値を求めることになる。

もう一人、基礎研究の話をしている人もいた。
研究の価値について、基礎研究はわかりにくく、お金が付きにくいというようなことだ。
基礎研究をやっていく上では、それが将来どんなところで役に立つかを想像しにくいという。
ノーベル賞を受賞した教授もそういうことを言っていたはず。
今はそういう研究にお金を出す余裕がなくなっている、という指摘だった。

それは、以前に比べて日本は貧乏になったからだ。
高度成長の時代は終わり、低成長が20年以上続いている。
もうあんな高度成長の時代は来ない。
低成長が普通だと思わないといけない。
当たればラッキーというような研究にお金を出す余裕などない。

少なくとも、研究をしている本人がその研究の未来を想像出来ないのなら、それはやるべきではないだろう。
それは自己満足か、わかったからどうなん?という研究だと思う。

以前、鍛冶屋の研究をしている、という若い人の話を聞いた。
ほとんどいなくなった鍛冶屋を尋ねて、状況を聞いて回っている。
ぼくはそれを調べることにどんな価値があるのか、と聞いた。
鍛冶屋の歴史がわかる、ということだった。

鍛冶屋がどの年代まで一般的に存在し、それがどんな経緯を辿って衰退したかということを詳細に調べることはそれなりの価値があるだろう。
しかし、それをやるのなら、そこにこういう価値があって、これからの社会に役立つのだ、という説明が少なくとも自分だけはできないといけない。
研究している本人が「どう役立つかわからない」のなら、自費でやるべきだ。

今の日本の社会にはそんな研究があふれていると思う。
それは研究者が増えすぎたことが原因だろう。

大学教授には2種類あると思う。
研究に力を入れるべき人と、教育に力を入れるべき人だ。
もちろん求められているのは両方なのだが、上位の大学ほど前者になるのは事実。
研究者の背中を見て育つ学生なら、前者でもOKだろう。
下位の大学には、圧倒的に教育の能力が求められている。

ところが、大学教授になるには研究の能力しか求められない。
ここで大きなミスマッチが起こる。
教員と学生が求めるものが違うのだ。

ここに大きな大学教育の問題があるが、教育界のどこからも声が出ない。

どういうことなんだろう。



| | 考えたこと | 21:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
リスクとリターン
昨年からみんなウィルス感染を恐れ、マスクをしている。
なかには、手袋をしたり、電車の吊り革のような不特定多数が触るものを持たないとか、家に入る時は外で着ているものを脱ぐとか、消毒するとかいう人もいる。
これらは感染リスクを避けるための行動だ。

その結果、昨年1年間で亡くなる人が1万5千人以上減ったという。
これがリスクに対する目に見えるリターンだろう。
しかし、それ以外のリターンもある。

飲食店、ライブハウス、カラオケ店、飲み屋などは営業を自粛したり、要請を受けたりして実際に収入が減り、それに由来する自殺も増えている。
一部の学校はオンラインになったり、課外活動が制約されたりしている。
エアライン、ホテル、化粧品、アパレルなど、業種によっては、苦しい業績に悩まされている。
当然解雇された人もいる。

ワイドショーは視聴率は上がっただろうが、スポンサーは苦しくなっているらしい。
経済が縮小しているのだ。
それによって、職につけない若者も被害を受ける。
これはマイナス側のリターンになる。

昨年1年間の死者数が減っていることが予想できた時点で、リスクとリターンの評価をちゃんとするべきだったと思う。
一般的にコロナを含む風邪ウィルスは冬に活動が上がり、感染者も増える。
欧米に比べて東アジアは感染による死者数が非常に少ない。
それらのことを総合的に評価して、最適な策は取れなかったのだろうか。

国の借金は増え、医療機関は崩壊?し、主に現役世代が経済的被害を受けている。
国民は高齢化しており、高齢者の票がほしくて議員は高齢者寄りの政策をとる。
それによって、さらに現役世代は被害を受ける。
国を滅ぼすとしか思えない。

本当にこんなことをしていていいのだろうか。
「コロナ」といえば何でもOKという感じだ。
前にも書いたが、人はコロナにかからないために生きているのではない。
生きるためには働かないといけないし、楽しみも必要だ。
いろんな事を諦めて感染を恐れて生きるのか、それともリスクを承知して今まで通り生きるのかという問題になる。

現在は特措法改正で私権の制約も考えられている。
本当にこれはそういうものを検討すべき非常事態なのだろうか。
感染症のリスクを結果的に過大評価しているが、トータルでは死者は減っているのだ。
今までの生活を犠牲にしてまで、リスクを避ける必要があるのだろうか。
インフルエンザとどこがどう違うのか、ちゃんと定量的に説明してほしい。

コロナ死者の平均年齢は80歳だという。
それは遅かれ早かれ訪れる死なのではないのか。
どんな手段をとってでも、避けるべき死なのだろうか。

後世になって、感染症の「専門家」とマスコミに扇動された政治家、国民がバカなことをしでかした、という評価を受けると思う。

いくらネット上に反対論者はいても、マスコミは取り上げない。
長い目で見て、これは既存のマスコミの終焉だと思う。

科学が感情に負けたのだろう。





| | 考えたこと | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
トヨタの悩み
トヨタが「定期昇給ゼロ」も起こり得る、という賃金制度の変更を決めた。
みんなで仕事をして、みんなで結果を出して、みんなで昇給するということがもう無理だということだ。
特に、自動車業界が置かれている状況を考えると、それもやむを得ないと思う。

MaaSとか、CASEとかいう業界用語だけでなく、カーボンゼロとかグリーンという世論も出てきた。
一番の問題は将来的にエンジンがなくなるかどうかということだ。
ピュアEV(モーターだけで走る車)は部品点数が3万点から1万点に減るという。
今の日本の製造業を支えているのは自動車であり、ぶっちゃけて言えばそこの雇用が大幅に減る。

トヨタの社長が年末に政府の電動化方針に対して文句を言ったのも、そこがあるからだろう。
軽々しく「電動化」という言葉を使うなというメッセージ。
日本の強みである、長期雇用を前提とした信頼関係で、多くの部品をすり合わせて作るというシステムを残すかどうか、ということだ。

日本のメーカーは、ピュアEVを作る技術は持っていると思うが、それを阻んでいるのは一つは上に挙げた雇用の問題と、もう一つはバッテリーの値段だ。
そこに大きなブレイクスルーが起これば、否が応でも電動化に舵を切らないといけなくなる。
問題はいつそれが起こるのかということだ。

さらに、シェアリングエコノミーという壁もある。
自動車という資源を、みんなが持つ必要はないという考え方だ。
ネットが発達して、移動の価値が下がり、さらに街中に自動運転の車が走るようになれば、カーシェアの普及も大幅に進むだろう。

100年に一度の変革期というのは本当なのだ。

専門家から見ると、まだまだ定昇ゼロに対する取り組みが甘いと言われるが、トヨタがここまでの決断をせざるを得なかったのもよくわかる。

エンジンを残すためには、年功序列に基づいた長期の雇用を保証する必要があるのは間違いないのだろう。
しかし、それに頼っていては、ピュアEVや自動車のサービス産業化についていけない。
優秀な人材が取り込めないからだ。

どうやって日本の高度成長を支えてきた「年功序列で定年まで」、というシステムを壊していくのか。
向かう先はまさにアメリカ型の雇用ということになる。
社員の反発もあって、全部をアメリカ型にはできないと思う。

ではどこまでアメリカ型にするのか。

トヨタの悩みは深い。




| | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報 半藤一利
半藤一利氏が亡くなった。
もと文藝春秋の編集長。
昭和史の第一人者だと思う。

ノンフィクション小説をいくつか書いているが、ぼくは一つも読んでいない。
彼の講義を聞いたのが彼との接点。
聞いたといってもCDだ。
CDの6枚組が4つ。
昭和の初めから、戦後までの昭和史講義を聞いた。
調べてみると、2012年の12月にまとめ買いをしている。

その1年ちょっと後に2度めの退職をして、そのときによく聞いた。

それまでも、山本七平や阿川弘之、吉村昭などの本を読んで昭和史について考えさせられたが、この24枚のCDはそれを裏付けた。
関東軍の現場将校、優柔不断な政治家、売れるとなると手のひらを返すマスコミ、そして国民の大多数が戦争をしたがったという事実など。

実際にたくさんの人に会って、事実を確かめたという。

ついこないだも、誰かと対談の本を出していたみたいだったので、まだまだ元気なのかと思っていた。

この人こそ、本当の昭和の語り部だったと思う。

合掌。




| | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
2021年
21世紀に入って、20年が過ぎた。
現役で22世紀を迎える人は、まだまだほとんどいないだろう。
ぼくらの世代は、あと数十年でいなくなる。

21世紀の最初の20年は、インターネットの時代の幕開けだったと思う。
2000年あたりから、GAFAと言われるネット企業が力をつけ、今や世界を席巻している。
日本はネットの時代に乗り遅れ、家電で世界一になったものの、ウォークマンの凋落に見られるように、坂道を転げ落ちていった。
iPadに象徴されるネットのスピードは早かった。

完成品で日本に強みが残っているのは、今や自動車産業だけ。
それも中国やネット関連企業の攻勢に押されて、100年に一度の変革期ということになっている。
これを守ることができるのかどうかが、日本の浮沈を決めると思う。
バッテリー技術が鍵だ。

2021年はすごい不景気になりそうだ。
去年はまだ限定的だったコロナの打撃が今年は年初からひどい。
今や日本の中心産業となったサービス業を直撃している。
早く指定感染症を5類にするか、特措法を改正をして、余っている医療資源の有効活用しないといけない。
このまま緊急事態だなどと騒いでいては、求人倍率がどんどん下がるだろう。
若者や現役世代は受難の時代だ。
早く何とかしないといけない。

仕事は何でもリモートになった。
リモートで在宅勤務。
リモートで出張。
リモートで営業訪問。
リモートで診察。
リモートで面接。

2020年はリモート元年。
そして、2021年は少し揺り戻しがあると思う。
職場の人間関係が見直されるだろう。
週に2日程度は出社しないといけないと思うのだが…。

Youtubeはどんどん活用されるだろう。
エンターテイメントだけでなく、いい講義がたくさんある。
下手なリアルの講義などやめて、みんなYoutubeでいいとすら思える。
興味のあることはYoutubeで調べる時代だ。
いい先生しか残れない。
先生は受難の時代になってくる。

ぼくのギターはYoutubeのおかげでちょっとマシになった。

まあそれが一番2020年での収穫。

今年1年生き延びれるだろうか。



| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
竹槍でB29
今回の緊急事態宣言については、色んな意味で前よりも否定的な記事が多い。
日本の医療レベルは欧米に比しても高いのに、なぜ1/100程度の死者数で「医療崩壊」するのか、ということがわかったからだろう。
感染症は感染するから感染症であり、感染を止めることなどできた試しがない。
ワクチンはあっても、インフルエンザが毎年流行するのを当たり前と思うのなら、なぜコロナが特別なのか、よくわからない。
結局集団免疫を獲得するしか感染は止まらず、共存していくしかないのだ。

昨日ダイヤモンド・オンラインの記事を見た。
「戦時中と変わらぬ日本の姿」というの見出しの言葉に、すごく納得した。
全くそのとおりだと思う。

内容は記事を読んでもらえればと思うが、今回の緊急事態宣言が「経済死する人」の命を軽視している、ということが、ぼくが訴えたいことだ。
なぜそういう政策が取られるかというと、経済が止まっても食える人が多くて、その人たちが高齢で、コロナを過度に怖がっている(マスコミが悪い)からだと思う。
菅総理は頑張って発動を遅らせたが、バカな首長らの要望に屈してしまった。
そちらを支持する人の声のほうが大きいからだ。

この記事にあるように、医療資源の問題が今回明らかになったし、それは長い目で変えられないといけない。
国民皆保険はいいことだというが、それは税金でほとんどの医療費を保証することであり、それが無駄な医療を増やしているという側面もある。
そこにメスを入れないといけないだろう。

記事の著者はそれを先の大戦の経験になぞらえている。

「「無策」を放置して、「国民一丸となって頑張るぞ」と突き進むと、結局最前線で戦っている人たちや国民に、多数の犠牲者が出る。そんな悲劇が過去にもあった。そう、先の太平洋戦争だ。

 いろいろな分析がなされているが、日本が戦争に敗れてしまった原因の1つに「無策」があったということに、賛同する方は少なくないのではないか。

 その象徴が、一説には140万人とも言われる日本軍の膨大な餓死者だ。自身も復員経験のある歴史学者の藤原彰氏の『餓死した英霊たち』(ちくま学芸文庫)によれば、日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数約230万人のうち、140万人(全体の61%)は餓死、もしくは栄養失調による病死だと推察されるという。」

まさに無策というより、愚策をやって貴重な命をなくし、関係国に迷惑をかけた。
それを思い出させる愚策。
国民も同じだ。
自粛警察やクラスター班など、まさに「非国民狩り」の状態になっている。

「「コロナに負けるな」「みんなでステイホーム」などのスローガンのもと、自粛ムードが支配する社会において、国民一丸となって頑張った。営業自粛を強いられて「経済死」をする人もたくさんいたが、「現場で戦う医療従事者のため」と文句を言わずに歯を食いしばった。責任感の強い人たちは、自粛をしない人たちを探し出して注意もした。感染拡大地域のナンバーをつけた自動車に石を投げる人もいた。やっていることは、戦時中の「非国民狩り」と変わらなかった。」

そして、一番それを象徴しているのは、著者も言っているように「政府が後ろ向きな「緊急事態宣言の発出」を多くの国民が望んでいるという点」だと思う。
何度も書くけど、本当に先の大戦から何も学んでいないと思う。

「実は、戦時中もそうだった。わかりやすいのが娯楽規制だ。

 戦争中の映画、ラジオ、演劇、落語などの大衆娯楽は軍部が厳しく弾圧したというイメージが定着しているが、最近の研究ではそうではなく、軍は国民の「自粛ムード」に突き動かされていたことがわかっている。

 金子龍司氏の『「民意」による検閲―「あゝそれなのに」から見る流行歌統制の実態』(日本歴史 2014年7月号)によれば、ラジオの選曲が西洋風だと「日本精神に反する」と怒りのクレームを寄せる「投書階級」と呼ばれる人々がたくさんいた。投書は年間2万4000件にものぼり、番組編成や検閲当局にも影響を与えていたという。言論統制や娯楽統制を強く求めたのは、軍ではなく実は「民意」だったのだ。」

マスコミに煽られた国民が、日本の進路を誤らせたということだ。
山本七平の書いた「空気」を作り出し、それを振り返ったり検証することなく、突き進んでしまう。

昔と違って、今はネットという言論の場はあるが、それも届かない。

これでは戦時中の「竹槍でB29を落とす」という言葉を笑えない。
それを笑い話にして、ぼくらは反省したのではなかったか。

本当に情けないことだと思う。



| | 考えたこと | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
代理店というビジネス
広告代理店はGoogleに食われた。
旅行代理店は日本ではヤフートラベルや楽天トラベルに食われた。
そもそも代理店というのは、文字通り「代わりにやる」というビジネス。
それを実際の受益者が、自分でもやれるようにしたのがインターネットの技術だ。

AirB&Bは旅行者と部屋が空いている家主をつなぐビジネスで、これも旅行代理店の中抜きをした。
中古品の流通が盛んになったのも、メルカリなどのネットシステム、宅配運送のインフラのおかげ。
日本ではあまり普及していないが、Uberというライドシェアのシステムで、車を持っている人は誰でも個人事業主としてタクシーができるようになった。

若い人たちは最初からスマホを使いこなして、代理店など通さずやっている。
ぼくらよりも上の世代は、比較的裕福だったから代理店を通して何でもやっていたのだが…。

こうしてみると、誰かの代わりにやる、というビジネスはことごとく苦しいように思う。
インターネットと電子決済、宅配などのインフラが整って、直接受益者同士でやってしまおう、ということになってくる。
それによって、代理店に払うお金が浮く。
こういうことが、ここ20年ほどのデフレの要因の一つにもなっているのだろう。

電子書籍ができて、出版社という代理店ビジネスが苦しくなる。
これは本来、書籍というものは読者と作者をつないでおり、その代理が出版社の機能の一部だということなのだ。
必然的に、出版社に入るお金は減る。
その分、受益者である作家と読者は儲かる。

そんなふうに考えていくと、世の中の代理店ビジネスは意外と多いことに気づく。

芸能プロダクションだって、パフォーマーを選別する「代理」をやっていると思えば、その部分はYoutubeなどに中抜きされている。
パフォーマンスしたい人がやって、見たい人が見る、ということだ。
宣伝はSNSなどで口コミで広がる、というのがパターンだろう。

となると、そういうビジネスは今の若い人たちがぼくらの年代になる頃には廃れているかもしれない。
ただ、そうなった世界は個と個がつながる社会のように思うし、何となく荒んだ世界にも思える。
社会で共有するものが減るからだ。

ネットは社会を明るくするもの、と思っていたが、そうでもないのかもしれない。




| | 考えたこと | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は仕事初め
今年の仕事初めは今日。
土曜日だが、半日仕事。

パソコンのログインをするのが半月ぶりになるので、ちょっと新鮮だった。
こういうことも、年をとったら忘れるのだろうか。

大学生の話を聞いていても、新年という感じはない。
みんな就活で大変なのだろう。

折しも緊急事態宣言が大阪でも出されるという。
昨日の大木先生の提言がぼくは正しいと思う。
データーから帰納的に考えれば、普通はそうなるはず。
そんなことを言っても、テレビのマスコミは報道しない。

ようやく、週刊新潮が「医師、保健所から「コロナをインフルと同じ5類指定に」という悲鳴 声を大にして言えない理由」を載せた。
これで少し変わればいいと思うのだが…。

今年の仕事初めは遅かった。
毎年遅くなる。
あまりにブランクが長いと、仕事に行きたくなる。
それでも、前日になると仕事に行きたくなくなるのが不思議。
これはいくらサラリーマン暮らしが長くなっても変わらないらしい。

それでも、1日行くとペースができる。
これもキャリアの為せる技か。

今年も1年頑張ろう。





| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
大木先生の提言
慈恵医大の外科の大木先生がFacebookで提言を出している。

こういう先生もいるのに、全く報道もされないし、政府も取り上げない。
一体何がこの事態を招いているのだろうか。
マスコミは注目を集めたいと思うし、感染症の研究者や専門家はいつまでもこの状況が続いてほしいと思っていて、一部の首長はマスコミに露出し便乗して名前を売っているとしか思えなくなってきた。

提言を抜粋する。

1)医療体制が逼迫しているというが、感染者数が日本の数十倍の欧米では医療崩壊が起こっていない。
これは日本の医療体制に問題があるからだ。
本来なら経済を止めずに十分にコロナに対応できたはずなのに、誠に残念な限り。
本提言のポイントは、感染者数を減らすことを目的に、副作用が強く、効果も定かでない非常事態宣言を発出する前に医療体制を強化すべきというもの。
新型コロナがより猛威を振るっている欧米ですら、非常事態宣言の効用や是非に関しては議論の余地があり、欧米比べ強力なロックダウンを行っていないにも関わらず有症状のコロナ感染者数が極端に少ない日本において大きな経済ダメージを伴う患者数を減らす政策を実行する事は論理的とは言い難い。
やむを得ず宣言を発出するとするならば、それは経済を止めるものではなく医療体制強化を目的とした内容であるべき。

2)欧米の真似をするのではなく、日本独自の対策をするべき。
新型コロナは欧米においては恐ろしい感染症であるが、様々な理由から日本人にとっては季節性インフルエンザ程度の病気と位置づけられる。
それは日本での人口当たりの感染者数も死者数も欧米の約50〜100分の1である事や、オーバーシュートが一度も起こらなかった事など、過去1年間の経験とデータをみれば明白。
従って欧米での経験・政策、それに基づいたWHOの見解は日本にとって参考にならないものが多く日本独自の対策が求められる。

3)日本における真の感染者数を推定する。
難しいのは無症状感染者や無症状で終わってしまった既感染者の推定。
抗体検査では自然免疫でコロナを駆逐した場合、獲得免疫・抗体が出てこないから有用ではない可能性が大きい。
すでに、無症状の人に対してPCR検査をした結果(1−3%)、日本には数百万単位の感染者がいたことになる。
世田谷区が施行した無症状の介護職員らを対象にしたPCR検査によると、5455人に検査して55人の陽性が判明した。つまり、1%×1400万人=14万人に対して、死亡者数は632人だから、これらの信頼できる大規模データーから逆算したコロナ死亡率は0.4%程度。
死亡者数は1年の累計で、PCRは1回だけの検査のスナップショットであり、無症状感染者は通年であればはるかに多く存在しており、0.4%でも大幅な過大評価であり、真実の値は季節性インフルエンザと同程度(0.01ー0.03%)と推定できる。
これは2020年の死因別ランキングのコロナの数字を2019年の死因別ランキングに挿入すると、新型コロナは36位で、季節性インフルエンザは31位であることからも理解できる。
世界や米国の死亡原因ランキングでは、新型コロナは3位であり、日本人がいかに新型コロナに抵抗性があるかを物語っている。
さらに、日本のコロナ死者約3500名の平均年齢は80歳であるが、急増している自殺者は40代。
自殺者数はコロナの死者数の5−6倍もいる。
12月31日に東京の新規PCR陽性者数が1300人を超えたというが、都内には14万人単位の陽性者が存在し、そのうちわずか1%がPCR検査を受け、検出されたと解釈すれば、新規陽性者数に一喜一憂する必要はない。

4)いわゆる第3波と医療崩壊については、メディアで盛んに言われているが、新型コロナ重症者が一部の病院に集中し、その病院の声ばかりが報道されているため、バイアスがかかっている。
新型コロナ重症者の適正配分と医療の受け皿を大きくすることが重要。
現在東京都が確保目標としている新型コロナ用ICUは250床だが、これは東京にある全ICU/HCUのベッド数2045のわずか12%。
全国レベルでみると、17377床のICUベッドに対して、新型コロナに使用されているのはわずか4.2%。
無論マンパワーや第二類指定感染症の問題もあり、すべてを使えるわけではないが、こういう事実はもっとフェアに報道されるべき。
緊急事態宣言で経済を止める前に、大阪市長が大阪市立十三市民病院を新型コロナ専門病院へと市長命令ですぐさまコンバートさせた事例をお手本にし、国は自衛隊病院、国立国際医療センターなどに、都知事は都立病院群に一層強力な新型コロナ対応を命ずべきではないか。
今回のようなパンデミックや災害時こそ運営費や赤字補填に多額の税金が投入されている公的病院がその使命を発揮する好機である。人口当たりのベッド数が世界一の日本で、しかも日本に比べて人口当たり数十倍の患者数が発生している欧米でも医療崩壊を起こしていない中、日本で医療崩壊が叫ばれるのは適切な対応をとってこなかった何よりの証拠である。

5)ここでは慈恵医大がまだ余力があることを述べている。
少なくとも慈恵医大では健康診断や人間ドックなどの業務が実施されており、崩壊というようなレベルではないということだ。

6)第2類感染症指定の益と害。この指定によって、PCR検査陽性と判定されたら隔離等が必要となり、濃厚接触者も自宅待機となるので国民に過度の恐怖を与え、さらに保健所も医療も過度の業務を強いられている。
院内で医療従事者一人が感染すると、その病棟は閉鎖、その者と接触した医師、看護師、技師などが自宅待機、当該診療科の手術はすべて中止。こんなことを日本中でやっているので、病院がいくらあっても足りない。
さらに、看護師が新型コロナ専属とならざるを得ないので、極めて効率が悪く、看護師の肉体的・精神的負担増にもつながっているし、ベッドの運用もままならない。これが空きベッドがあっても使えないというような状況を引き起こしている。
全国で重症者用ICUを完備している医療機関は約1000ほどあるが、そのうちこれまでコロナ患者の治療で人工呼吸器を使用した実績があるのは310のみ。これも第2類感染症指定が影響している。
つまり、第2類指定によって、人もハードも極めて効率が悪くなっている。
元々、新型コロナウィルスは未知であり、治療法・予防法が確立されていないから2類になったが、1年にわたって経験を積んできて未知ではなくなったし、多くの確立された治療法が保険適用となっており、厚労省から治療ガイドラインまで発刊されている。
したがって、もう2類からダウングレードして、インフルエンザ・風邪コロナウィルス同様に扱うべき。
国民に対しては、新型コロナについて啓蒙、理解させることが肝要。
10〜40代の若年層については、1)体調が悪かったら学校、職場に行かない、2)症状が強くて辛かったら病院に行く、3)そうでない人は手洗い・ユニバーサルマスクを徹底しつつ慎重かつ力強く経済を回す、という常識的な対応をとるべき。
中高年以上で基礎疾患のある者、70代以上の高齢者に対しては軽症であっても積極的に早期にPCR検査、医療機関受診(肺炎のチェック)を行ってもらい、そして若者における無症候性、軽症者を極力入院させず、新型コロナ病床に常に余裕をもたせ、治療の必要のある患者に入院を特化させる体制を築く事が医療崩壊を防ぐ上でもう一つのポイントとなる。
罹患し症状が出たら、いつでも受診・入院加療が出来る事で国民の安心感も担保できる。また2類感染症指定をダウングレードする事により若干院内感染が増えるかもしれないが、ゼロリスクは存在しないこと、また、運用効率が悪いことにより治療が必要な患者がたらい回しになる事を考慮すると総じてリスク・ベネフィットの観点から十分正当化される。
対策としては医療従事者に対して定期的なPCR検査(週に一回など)を行うことで医療サイドからの無症候性感染のリスク低減を図ることであろう。

7) 高齢者施設や病院での院内感染による死者数が全体の40%を占めているのでこれら感染弱者を守ることで死亡率をさらに下げることができる。そこで公費負担で入院する患者と共に、施設・病院従事者に対して週一回程度のPCRを実施すべき。

8)最近、欧米製薬企業が相次いで有効性が約70%〜95%を謳うRNAワクチンの開発に成功したと発表したが、懸念点は二つある。第一に、人類史上初の遺伝子ワクチンなので長期の安全性が担保されていない。
また、発症と重症化阻止に有効であったとのことだが、感染防止あるいは感染伝搬阻止(無症候性感染者の感染力抑制)に有効であるか否かは不明で、死者数が極端に少ない日本に必要なのは後者である。
インフルエンザは毎年ワクチンが十分供給され、抗インフルエンザ薬が存在するにも関わらず毎年数千人が亡くなっている事実を忘れてはならない。
ただ、医療従事者へのワクチン供給がなされたタイミングで先述の第二類感染症指定を外すのは合理的である。

9) 結論:新型コロナは日本人にとっては経済を停止・破綻させ、自殺者増を招く非常事態宣言を度々発出するほど怖いものではない。
少なくともそうした私権制限を伴う措置をとる前に国民にそれを啓蒙し、実害のない「新規陽性者数」「過去最多」に一喜一憂せず、経済的に新型コロナ対応の私立・民間病院を援助・インセンティバイズし、政治主導で新型コロナ体制強化を命じる事が出来る公的病院を最大限活用し、第2類感染症指定の運用を柔軟にすることで医療崩壊を防ぐべきである。
そしてこの「日本の特権」を活用し、このまま基本的な感染対策を遵守し、国民の生活と経済優先で進めるべきである。詳しくはHP、Facebookにアップしてある「大木提言」を参照されたし

本当に、こういう意見がなぜ取り上げられないのか。
なんのための専門家なのか。
なんのための政治家なのか。

こういう風にして、太平洋戦争も始まったんだと思う。







| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスというキラーコンテンツ
日本ではミッション系の大学はわりと人気がある。
逆に仏教系はあまり人気がない。
結婚式もチャペルが人気だという。
結婚というおめでたい席では、仏教は影も形もない。
日本は、世界でもキリスト教徒が少ない国なのに、どうしてなんだろうと思っていた。

年末の記事にも書いたが、ミッション系のクリスマス・ミサというのを見たら、何となくそれがわかった。
チャペルで賛美歌を歌っているところを見ると、厳かな感じが伝わる。
最後に「きよしこの夜」を歌うのだ。

キリスト教はほとんど浸透していないが、クリスマスは浸透している。
家の宗旨が仏教でも、クリスマスを祝わない家はない。
ツリーを飾り、家に電飾までしたりする。

ぼくのいた仏教系の大学では、学生課にクリスマスツリーが置かれていた。
法人からは文句が来たが、そんなものはかまっていられない。

子どもらは、ある年齢までサンタクロースがいるのを信じている。
アメリカのドラマを見て、キリスト生誕のクリスマスの劇を知っている人も多いだろう。
一方、仏教の花祭りなど、ほとんど知らない。

江戸時代はキリスト教は禁じられていたし、明治になってもそれは続いたらしい。
でも、1900年代に入って、クリスマスプレゼントやサンタクロースがだんだんと浸透した。
主に日露戦争が終わった頃から盛んになったという。
大正天皇がクリスマスの日に亡くなって、翌年から12月25日が祭日になったのも大きかったようだ。

昭和に入って、日華事変が起こる頃までは盛んに祝っていたらしい。
戦時中はもちろん禁止されたが、敗戦後はさらに盛んになった。

クリスマスというのは、もともとキリスト教の儀式ではないが、これを関係づけたのがえらかった。
日本のような一般的に宗教とは関係の薄い国でも、クリスマスは祝われる。
本家アメリカではメリー・クリスマスという挨拶はハッピーホリディに変わってしまったが、日本ではまだまだ現役だ。

ローマ時代からの儀式だから、もうキリスト教とは分けられない。

これが日本でキリスト教的なものを一般に広げたのだろう。
ミッション系の大学、というのが一般の人たちにすっくり受け入れられる下地を作った。
大学だけではない。幼稚園や小中学校もある。
布教を目的として作っても、日本人はキリスト教には入らない。
でも、キリスト教的な部分はクリスマスを通じて、仏教よりも神道よりも広まったと思う。

結局、クリスマスはキリスト教のキラーコンテンツだったのだ。

仏教にとってのキラーコンテンツが葬式であるように…。




| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナウィルス
一度紹介した緩和ケアの医師、萬田緑平氏。
その後もコロナについて書いている。

新型コロナウイルス問題への私見 part 14 12/28投稿」というノート。

読んでもらえればいいと思うが、ぼくが大事だと思う部分を紹介する。

「研究者たちは今まで見えなかったウイルスの動きが遺伝子解析という手法で、一部見えるようになったので新発見と喜んでいるだけ。喜んでいる研究者は「風邪」なんか知らないはず。風邪薬を処方したこともない人が大半だろう。「風邪」を知っている医師は「なんでこんなに騒ぐのだろう」とあきれている。研究者にとってはコロナが「ただの風邪」では困る。ただの風邪の研究をしても偉くなれない。「死に至る病」の研究が一番なのだ。」

こういうふうに考えている医師もいる。

「風邪、、感染症のウイルスは体の中に招き入れられて増殖する。一度感染すると免疫を獲得し、しばらくは似たウイルスは招き入れない。ウイルスは種々の感染症や癌の原因になっている。病気という面からしか研究されてない。「コロナウイルスは脾臓に存在し、脾臓の遺伝子発現に関係している」という論文を見た事がある。ウイルスの研究が進んでいないから知らないだけで、なんらかの役割はあると思う。知らないということを認めよう。知らないものを制圧しようなんて愚かだ。
 インフルエンザに定期的に罹患してないと死亡率が上がる(若年層で)、、というエビデンスが20〜30年後くらいに出ると思う。勿論、コロナも含む「風邪症候群」も同様だ。「種によって体に入るウイルスが違う」なんて、、、殺人ウイルスというより「人の体に必要な物」と考えた方が合理的だろうに。」

所詮、感染を抑え込むなど無理な話だ。
人間はコロナウィルスを身体に取り込んで免疫を獲得する。
日本の場合、基礎疾患があって、高齢の人がハイリスクとわかっている。
それが自然の姿なのだ。
あまりにもリスクを恐れていては免疫ができず、いざというときに大変なことになる。
ある程度コロナウィルスに暴露されていることも大事なのだろう。

「インフルエンザワクチンを打ったからインフルエンザは終息したか? 全く終息してない。大勢インフルに罹って、大勢高齢者が亡くなっている。何十年も前から作ってる熟成ワクチンですらその程度。だから適当に作るコロナワクチンが出来たら終息なんて、、、ありうるな。ワクチンを売るのが騒ぎの目的だったら。毎年自粛して、働かないで、高齢者を守る、、ありえないけど、毎年新型コロナのワクチンを打つ事になりそうだな。ワクチン会社の勝ちだ。製薬会社の株を買おう!」

コロナワクチンを打っても、どんどん変異するから、コロナ感染は終息しないだろう。
ぶっちゃけた話、今やひどい風邪だと思う。
もう対処療法もわかってきたし、一応ワクチンもできるのだから。
なぜ共存しようということにならないのかと思う。

「医療が進歩し、数十年前は死んでたような人が生き残れるようになっている。私の印象では心臓病がもっとも死ななくなっている。腎臓がなくても何十年も生きられるようになった。ワクチンや抗ウイルス剤も抗生物質も気軽に使ってる。人が強くなって寿命が伸びているのではなく、弱い生かされている人間が増えている。ウイルスが強くなったのではない。弱い人間が増えているだけだ。風邪で死ぬのは何もおかしいことではない。そのうち骨折が「死に至る恐ろしい病気」となるから覚えておいてください。」

寿命が長くなっているということは、弱くても生きられるようになった、ということだ。
現場で見ている人は真実を知っている。

「風邪で亡くなる人は救えない。施設高齢者は本人の希望がなければ熱が出ても病院に搬送するべきではない。今まで通り施設で看取ってあげたい。病院は本来の助かる可能性のある人、本人が治療を望む人を助ける役割をさせるべきだ。病院スタッフに高齢者の介護や延命治療見取りをさせるべきではない。病院崩壊はコロナのせいではなく、コロナ分科会の自滅戦略のせいだ。」

要はどう死を受け入れるかということだと思う。
今の日本では「死」はタブーであり、議論すらできない。
議論しようとすると、「命は地球より重い」などと言い出す人が出てくる。
そういう人が鬱陶しく、声が大きいから、普通の人は黙る。
「命が地球より重い」ことを議論したいのではない。
それはそれで構わない。
その「命」をどう考えるかということを議論したいのだ。

「医療の役割は「死亡率を下げる」「生存率をあげる」だ。「コロナの死者を減らしたい」という医療者の代表である新型コロナウイルス感染症対策分科会の提言、、医療はそれでいい。その提言をそのまま取り入れる政治家が問題だ。そのまま取り入れるなら政治家は必要ない。「人が死なない世の中を!」という医師が政治をすればいい。各分野の専門家の意見を聞いて、国全体を考えて決断するのが政治家の役割だろうに。」

本当に「人が死なない世の中を!」という類の政治家が多すぎる。
菅総理は珍しくそうではないタイプの政治家だと思うが、だから人気が落ちる。
国民がバカなのだろう。
国民のレベルを超える政治家は生き残りにくい。

萬田氏のように、常に人の生死を見ている医師はわかっているのだろう。

たくさんの人にノートを読んでほしいと思う。



| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギターとネコ
Youtubeでギターの先生方が動画を公開している。
先生方も大変だ。
何せライバルが多い。
ほとんどの先生は、個人レッスンもやっているし、どこかの教室の講師だったりする。

動画の種類は、アコギ初心者向け、エレキ初心者向け、ジャンル別にはロック、ジャズなど。
ジャズは実質的に中級者以上が多いと思う。
それぞれ、検索するといくらでも15分程度の動画が出てくる。
あまり長いのは、内容が多くなりすぎて見る方も敬遠するのだろう。

いろんなタイトルをつけて、説明している。
タイトルの付け方や、タイトルの絵柄も大事だ。
しかし、いくらキャッチーなタイトルでも、中身が伴っていないと逆効果。
そのあたりのバランスが難しい。

もちろん、気に入った動画は保存しておいて見られるようにしておく。
反復練習は大事だ。

でも、「ソロの構築方法」とか「ペンタトニックがオシャレになる」とかいう動画はいくら頑張っても数万回の再生。
例外的に若い女性の講師が初心者向けにやっていたりすると10万回を超える。
10万回再生されて、だいたい1000円という感じ。
Youtubeは薄利多売しないといけない。

ぼくが見ている先生たちは、無料レッスン以外に「サロン」を作っていて、そこに入るには一月いくら、というやり方をしている。
教え方が上手ければ、そちらのほうが効率がいい。
無料版の動画で人を集めて、サロンに誘導するのだ。

それらの先生方の涙ぐましい努力には頭が下がる。

それにつけても、ネコの動画は強い。
子ネコが食事をしているところが十数万の再生回数だ。
たしかに、テロップを入れたり、音楽を入れたり、いろいろと工夫をしているが…。

Youtubeで稼ぐためにネコを飼っている人もいるのではないかと思うほど。

単純に再生回数で言えば、ネコの勝ちだと思う。
イヌではなくネコ。

ネコの動画は強い。



| | 考えたこと | 20:42 | comments(1) | trackbacks(0) |
環境保護は難しい
環境保護を言っている人たちは、自分たちの目の前のことに立ち向かっているのだろうか。
環境保護を言うことで、善人という仮面をかぶった偽善者にしか見えないのは、何なんだろう。
それをビジネスに儲けているのだろうか。
そんな事を思う今日このごろ。
自分でも相当なひねくれものだと思ってしまう。

国連で演説して、環境保護派のアイコンになったグレタさんは、グレているとしか思えない。
回りでそれを焚き付けている大人がいるのだろう。
CO2が悪だったら、呼吸もできない。
EVは環境に優しいというが、作る電気が火力発電ならほとんど意味がない。
再エネは進めていくべきだと思うが、それで全てをやるのは当分無理だろう。
環境保護派の人たちは、電気代が上がっても文句は言わないのだろうか。

ぼくは製造業に関わっていたから、現場が血の出るような努力をして省エネをしているのを知っている。
昔は熱源だった製造機械も、今は排熱が少なくなって普通に歩けるようになった。
事務所の蛍光灯は一つずつスイッチがぶら下がっていた。
自分のところだけ、明るくできるようにだ。
石油ショックのころはそういう努力もしていた。

環境を守れというのは簡単。
無責任に言うことができる。
その人たちにとっては、絶対の正義という位置づけになる。
世の中、「正義」を大声で言う人ほど、うさんくさい、というのは真実
絶対の正義などない。
善悪二元論で切り取れるほど、世の中は単純ではない。

昔、割り箸を使うのは環境破壊だと言って、マイ箸を持ってきている人がいた。
でも、割り箸は間伐材から作られ、それを使わないと却って林業が廃れる、という意見を見た。
今のエコバッグだって、ほとんどのスーパーの袋はゴミ箱にリユースされ、それがあると燃えやすくなって歓迎されるという側面もある。
やっても効果は知れているが、それで国民の意識を変えよう、ということだ。
それがわかっているのなら、意識を変えるためにやることがあるだろう。
人類が増えていることこそ、環境被害をもたらすのだ。

山本七平が書いていたと思うが、環境保護派の人たちが山の中に視察に来て、蚊が多いのに閉口し、冷房があるホテルに泊まったという話はよくできている。
そういうものなのだ。

SDGsも同じだ。
どうやって、経済を回していくのだろう。
ぼくにはわからない。

もちろん、全部を否定するわけではない。
建前上は正しいと思う。

それでも、何かもやもやが残る。






| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症と生活習慣
認知症予防のためには食事、運動、知的活動の3つが重要。
それらを実行するのとしないのとでは、最大で発症リスクに60%の差がつくという。

まず食事だが、接種を増やすべきものとして「緑色の野菜、その他の野菜、ナッツ、ベリー、豆類、全粒穀物、魚介、鶏肉、オリーブオイル、ワイン」、減らすべきものとして「赤身肉、バター/マーガリン、チーズ、甘いパン/ケーキ/菓子、揚げ物/ファストフード」という内容。
要は野菜と豆、魚、鶏肉を中心にした食事ということだ。
甘いお菓子やファストフードは美味しいからつい食べてしまうが、これはダメ。

さらに、認知機能を刺激する活動として、「新聞や本を読む、手紙を書く、図書館を訪れる、チェスやチェッカーなどのボードゲームをする」などの活動をすればプラス。

運動は、きつめのウォーキングや庭仕事、体操、サイクリング、水泳を1週間に150分以上。
喫煙はもちろんダメ。
飲酒も少ないほうが良い。

これらの項目を達成すると、最大で60%リスクが下がる。

ぼくは野菜はわりと食べるし、豆類、チキンは好きだし、ブログは毎日更新しているし、毎日歩くようにしている。
脳梗塞をしてから禁煙もした。
今年は7キロ痩せたし、バッチリだ。

とはいえ、認知症になるときにはなるのだ。
寿命が先か、認知症になるのが先か。

コロナになってもいいと思うが、認知症にはなりたくない。

自分を自分であらしめているのは、ひとえに記憶だろう。
その記憶がなくなっていく(ように見える)のは、自分がなくなることだ。
自分が自分でなくなるということは、もう自分は死んでいるということだと思う。

また、そうなってしまったら、もう自分で判断できない。

これは避けたい。






| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
緊急事態?
1月2日に小池都知事らが政府に緊急事態宣言を依頼したらしい。
感染者数は第1波の5倍程度いるらしい。
しかし、死者数は第1波と同等。
致死率は非常に低い。
こういうことをマスコミは言わない。

もう少し偏らない報道はできないのかと思う。

何度も書くが、日本は死者数が欧米の1/100レベル。
日本というより、東アジアがそういうレベルだ。

アメリカの人口100万人あたりの死者数が1000人ちょっと。
日本は26人。

それで医療崩壊だとか言っている。
これはポンコツな制度の問題だろう。

評論家の三浦瑠麗もツイッターでこう言っている。

「新型コロナが「有事」ならばやるべき医療体制の組み直しをやらず、平時と有事のあいだのグレーゾーンの質を判断してそれに対応する能力もなく、偽りの解としての竹槍精神的な自粛要請に飛びつく政治を目の前に、日本人が後世振り返るべき参照地点としての現在、緊急事態宣言発出に反対しておきます。」

竹槍精神的な自粛要請、という言葉に同意する。
日本人は先の大戦から何も学んでいない。

国民が学んでいないのはまだしも、県知事レベルでそれを学んでいないのはどうしようもない。

緊急事態宣言を出したら、自殺者がまた増える。
本気で言っているのかと思う。

もっと現役と若者を大事にすべきだ。



| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
65歳の壁
29日に忘年会で大学の同級生2人と飲んだ。
梅田は人通りが少なく、去年とは全く違う。
店も9時閉店。

それでも個室で飲んで食べてよく喋った。
一人はコロナでいろんな無駄な仕事が増えたといい、一人は東京から関西に帰ってきて激動だったという。
ぼくは2ヶ月程度の自宅勤務はあったが、それ以外は変わらず、一番マシだったのかもしれない。

しかし、3人ともボケてきたという話で一致。
65歳を迎えた友人は、65を超えるとひどくなる、という。
「65歳の壁」と言っていた。
かばんを買い替えて、荷物を移し、一番大事なものをかばんのポケットに入れたまま捨てたとのこと。
これはあるだろう。
大事なことは付箋に書いて、貼っておくという。

もう一人も、ほんまや、と言っていたが、2次会で喫茶店に行って帰りに1次会の店にかばんを忘れていることに気づき、あわてて取りに帰って解散。
どんどんボケていく。

ぼくもしょっちゅう物忘れするようになったし、車のキーが電子キーになってキーホルダーに入らなくなってから、車に乗ろうとしてキーを持ってないことに気づいたりすることは日常茶飯事。
なんだか心配になる。

まあ、ある意味ボケることも人間の自己防衛なのかもしれない。
ボケてわからなくなったほうが幸せという面もあるからだ。

人間、何が幸せかということを思う今日このごろ。




| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
62回目のオワコン
オワコンというのは、日本レコード大賞というショー。
珍しく最初から最後まで見た。

さすがに、もう形を変えるか、やめたらいいと思った。
名称からしても、レコードなど骨董品の領域だし、CDにしたってもうそんなに売れない。
ストリーミングの時代になった。

音楽の形が変わったのに、このショーは古いまま残っている。
レコード大賞の本来は、何枚売れたかということだったはず。
そんなものはもう関係なくなった。
その時点でやめるか、変わるべきだったのだろう。

大賞の曲はLISAという歌手の「炎」。
鬼滅の刃のアニメで歌われているらしい。
テレビを見ている高齢者たちは、ほとんど知らないだろうと思う。

高齢者向けには、松田聖子が歌ったし、演歌も1曲あった。
テレサ・テンやザ・ピーナッツの思い出のコーナーもあった。
筒美京平の曲もいろいろ流れた。
尾崎紀世彦も出てきた。
高齢者向けの昭和の音楽のカタログみたいな番組になっている。
どこがレコード大賞なのかわからない。

最後の方に嵐が出てきて、TBSで歌うのはこれが最後、という。
ああ、そうか、レコード大賞ではなくて、TBSという認識なのか。
もう「レコード大賞」という名前に意味はないのだ。

たしか、アメリカのビルボードはストリーミングに対応したはず。
せめてそこだけでもやればいいと思う。
CDの売上とダウンロード回数、ストリーミングでの再生回数を合計するとか、手はあるはず。
テレビ界は今でも自分たちがメディアのトップだと思っているのだろう。
トップが、いろんな会社に頭を下げて回って、再生回数やダウンロード数を教えてもらうなどできない。
そんなことがあると想像する。

こうやってガラパゴスになっていく。
本当に意味があったレコード大賞が懐かしい。
でも、時代は変わっていく。

このままだと本当にオワコンになってしまう。
いや、もうすでになっている。

潔く退場するのが花道だろうなあ。





| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |