考えたこと2

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五分ごとに切る
こないだ携帯の通話料金を調べていたら、auに「5分の通話はタダ」という「スーパーカケホ」というコースがあるのがわかった。
一日中何度かけてもタダということなので、これは得だと思う。

ぼくの使い方では、データー通信は月々3GBいかない(動画は見ないし、音楽も聞かない)と思うので、それを組み合わせるといくらなるか調べたら、月額6500円だった。
ただ、ぼくのスマホは古いので、サービスの対象外。
新しい4Gのスマホでないといけない。

安倍総理ではないが、やっぱりスマホの料金は高い。
格安スマホも出てきたが、まだまだややこしくて、変える気にならない。
自分一人なら変えてもいいのだが、家族も一緒だからややこしい。

だれかアプリを作ってくれないか。
5分ごとに電話を切って、もう一度同じ電話番号にかける、というアプリだ。
それをインストールすると、5分おきに切れるが、どれだけ話しても通話はタダというやつ。

しかし、若い人たちはLINE電話とかSKYPEとか、パケット通信で電話をかけるから、あまり流行らないかな。

かける方もかけられる方も、アプリを入れていたらパケットで通話ができる。
それならパケットの上限のないプランで入っておけば問題ない。

いや、しかしパケット通話をやめて音声電話に変えて、データー定額でGB数を減らせば得になるかもしれないぞ。

これはややこしい…。

そう、そのややこしさが通信会社の計略なのだと思う。
データー定額にしたって、自分のGB数がわからないと、どこを選んでいいのかわからないし、高齢者なら全く意味不明だろう。
格安スマホが出てきたって、いろんな制約があって、まだまだややこしい。

どうもスッキリしない。

だから、高い通話料を払い続けている。
でも、そのお金が新規の加入者への大幅な割引に使われている。
本来なら、長期のお客様は安くならないといけないのに、携帯の世界は長いほど損ということになる。

遅まきながら大手キャリアは見直すと言っているが、携帯を乗り換えして儲ける人もいるらしい。

だれか、いい考えを出してくれ。


| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
デ・ニーロみたいに
ロバート・デ・ニーロは今年72歳らしい。
渋い役者だ。
代表作はゴッドファーザーとか、タクシー・ドライバーとかたくさんある。

今回は、The Internという映画に出ていた。
アン・ハサウェイと共演している。

若い人が見たら、アン・ハサウェイの方に共感する映画だろうが、ぼくにとっては、デ・ニーロだ。

70歳のリタイアしたサラリーマンの役。
妻は中学の校長だったが、死に別れた。
リタイア後は旅行に行ったり、趣味の活動をしたりするが、結局は家に帰って一人、ということに耐えられず、毎日行くところがほしくなって応募する。

彼のキャリアは、電話帳の印刷をやっていた会社の部長、という設定。
アメリカにはインターン制度というのがあって、いろんな会社が長期の就業体験をやっているのだが、その一環のシニア・インターンという制度で申込み、入社するところから始まる。

アン・ハサウェイがやっている会社は、婦人物のアパレルの通販会社。彼女ひとりでやっていて、急成長した。
今やビルの1フロアをオフィスにして、その中を自転車で走り回って指示している。
大きな倉庫もあって、それらを文字通り取り仕切っているというのが社長である彼女。

Facebook世代の社長たち若い従業員にとっては、「電話帳って何?」というジェネレーションギャップがある。
インターネットで調べたらわかるのに、なんで電話帳を印刷するの?というところだろう。
今や電話帳を印刷する会社というものはない。

シャツをズボンに入れない若い従業員に囲まれて、スーツにネクタイ姿のデニーロがシニア・インターンとして座っているところは、なんとも言えない。

第二次大戦の直後のベビーブーマー世代であるデニーロと、Y世代と呼ばれる80年代生まれのインターネット世代の女性社長とのやりとりが面白い。
デニーロがFacebookのプロフィールの設定をアン・ハサウェイに手伝ってもらって完成し、あなたもこれでFacebook世代の仲間入りね、と言われるシーンが象徴的。

ぼくらは、やっぱりデニーロの雰囲気にあこがれる。
皮のスーツケースを持ち、ボタンダウンのシャツにネクタイで、スーツを着ている。
何事にも一家言持ち、若者たちの恋愛のアドバイスをしたりする。
さすがに、勤め人を長年やって鍛えられた、人生の達人という感じだ。

こういう人になりたいと思わせる。
これがデ・ニーロの貫録だろう。


| | 映画・舞台 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
情報強者の落とし穴
今やWeb上にないような情報は少ない。
日常的なあらゆる問題に関する答えがあると言ってもいいと思う。

たとえば、メガバンクに就職したければ、「メガバンク 就職」と入れて検索すると、内定者のインタビューやメガバンク3行の違いなど、解説したサイトが一瞬で現れる。
パソコンに習熟し、検索の手法に慣れると、簡単に情報強者になることができる。

検索の手法というのは、たとえば今のメガバンクのケースだと、検索して出てきた上位の10ページほどをざっと見て、内容を大ざっぱにつかみ、そのうえでわからない内容や言葉をさらに検索していくという方法だ。

この時、自分が何がわからないのか、そして、それが重要なのか、という最低限の理解力は必要だ。
そして、どこまでわからないといけないのか、という自分に対する理解力も必要だろう。

例えば検索して、メガバンク3行の違いはわかっても、「リテール」とか「外国為替」というような言葉の意味があいまいではわかったことにならない。
そこから派生して、どのレベルまでわかったら目的を達するのか、それを知らなければ本当に分かったことにはならない。

さらに、Webの記事の真偽を見極めることも必要だろう。
Webの記事の質の問題だ。
Web記事の特徴として、だれが書いているのかが明確でない記事が多い。
だからこそ、グーグルの検索は素晴らしいのだろう。
信頼性が高いページはほかのページからのリンクが多く、訪れる人の数も多いという情報で、ランクをつけている。
そのおかげで、グーグルで検索すると、まともなページが出てくるのだ。

それでも、いい加減な記述がないとも限らない。

そこを判断できる程度の知識は必要だ。
あるいは、複数のページをみて、それが判断できるだけの知識でもいい。

他愛もないことを調べたり、今のニュースになっているようなことを調べたりするのなら、別にかまわない。

でも、本当の情報強者になるには、そんな知識が必要だと思う。

調べたらすぐわかるからといって、それだけでいいとは思わない。

だから、オフラインの知識は大事なのだ。



| | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
InstagramやSnapchat
インスタグラムやスナップチャットという、写真をメインにしたソーシャル・ネットワーク・システムがアメリカでは流行っているらしい。
日本でも流行っているのかどうかは知らない。
アメリカでは若者のフェイスブック離れが進んでいるとのこと。
若者は、フェイスブックからインスタグラムやスナップチャットに移行しているらしい。

たしかに、フェイスブックはややこしい。
友達の友達なんて、基本は他人である。
他人が「いいね」と言っているものをわざわざ見ないといけないというのは、普通では起こらない。
そんなものは、見たいとも思わないし、見せられても迷惑だ。
また、facebookを見ていたら「知り合いかも」とか言って、たくさんの人が出てくる。
これも不愉快。
いくら消しても何度でも出てくる。
しつこい。
せめて、1回消したら、二度と出てこないように設定できないのか。
こちらが「知り合いちゃう」と言っているのに、何度もバカみたいに出す。
まるで人脈を広げない人間はオカシイと言われているような気がする。

インスタグラムというサイトを見てみたが、これもよくわからない。
が、画像共有サイトということだから、フェイスブックみたいに全く知らない人のものを見せられることはなさそうだし、画像だけだからまだマシだ。

スナップチャットというのは、画像が消えるのが特徴らしい。
とりあえず、友達に見てほしい画像を送っても、10秒ほどで消えるらしい。
残らない、というのがいいということで、シェアを増やしている。
端末にも画像が残らないというのがいい。

フェイスブックに嫌気が差した若者たちが、写真の共有サイト(それだけではなさそうだが)に走っているということだ。
それでも、フェイスブックを使うのは、付き合いのために、仕方なく…ということだろう、とも書いてあった。

ソーシャル・ネットワーク・システムというのも、難しい。
たった一度会っただけの人が、友達になる。
そんなに友達がほしいのか。

自営業でもやっていて、商売のために人脈を増やしたい、という人にはいいだろう。

毎晩、誰かよくわからない人の「いいね」を見ることに時間を使う。

ぼくは、「ヨクナイ」と思う。




| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
就活前倒し
経団連がまた8月選考開始の予定を2ヶ月繰り上げて6月にする、という記事が出た。
実質的には経団連に入っていない外資系や中堅・中小の企業がそのころに選考をたくさんやっているから、ということで、経団連加盟企業の意見を組み入れたのだろう。

当たり前だが、今年は8月〜9月にたくさんの内定辞退が出たらしい。
それはそうだ。
経団連加盟の大手企業の選考結果が出たら、それまでに保持していた内定は辞退するに決まっている。
十分予想できたことだし、中堅・中小の会社も仕方ないと思っているのだろう。
そう簡単に学生の大手志向は変わらない。
いくら中堅・中小の魅力を伝えても、やっぱり名前を知っている会社に行きたいという学生がほとんどだろう。
親も一部上場企業、ということで行かせたいと思っている。
こうなることはみんながわかっていた。

でも、忘れてはならないのは、大学側の意見だ。
大学は、3回生の12月に説明会解禁では、勉強ができない、と言った。
せめて3回生の間は勉強に集中し、4回生になってから就活、ということだったはずだ。
少なくとも、いろいろ意見はあっても大学の総意だったはず。

しかるに、大学は何をやったかというと、11月から学内に企業を呼び、業界研究をさせたという。
説明会が学内のセミナーに変わっただけ。
企業側は秋冬にインターンシップという仕掛けを作り、早いうちに学生の囲い込みを図った。
1日や2日のインターンシップ。海外では恥ずかしくて、そんなものをインターンシップとは言えない。
ほとんど選考試験のようなインターンシップさえある。
だから、大学もそれにどんどん行きなさい、という指導をする。
要は自分の学校だけがよければいいのだ。

結局大学は学生に勉強などさせたくないのだ。
勉強をするくらいなら、ちゃんと就職してほしい、ということだ。
それは、まさしく今の大学が勉強の価値を全く認めていないということだ。

今年は夏から秋に就活するから、卒論に割く時間が足りないということも予想されていた。
でも、おそらく卒論で落ちて留年するような学生はほとんどいないだろう。
結局ほとんどの先生も、卒論の価値を認めていない。
3回生で単位を取りきり、4回生は卒論だけ、という学生がほとんど。
理系ならまだ実験等あるが、文系は実質大学は3年で終わる。
4年目は卒論だけ、という状態なのだから、力を入れようと思えばいくらでも入れられるはずだ。
でも、先生もサボりに慣れてしまったのだろう。

一部の大学関係者まで、今年度の就活に文句を言っている。
いったい、誰がこの状態を望んだのか。

いったい、大学とは何なのか。
これなら就職予備校と言われても仕方ないと思う。

まともな大学人なら、8月以前に選考を行うのはやめてほしい、という声明を出すべきだったと思う。

出しても、同じことだと思うが、そういう声を出すことが大事なのだと思う。

文科省の役人も何もしない。
しかし、今回のドタバタで一番情けないのは、大学だろう。

これでは、ダメだ…。


| | 考えたこと | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能は人の中に
アメリカの未来学者がこんなことをいっている。
ブログで紹介されている。

それによると、2030年にはロボットは赤血球程度の大きさになって、人間の中に入り、それを経由して人工知能にアクセスできるようになるらしい。
その人工知能は、2029年にヒトのインテリジェンスを追い越す。

人工知能を賢くするためには、脳の大脳新皮質の構造を真似る。
恐竜の大絶滅のあと、哺乳類が生き残れたのはこの大脳新皮質があったからだと言われている。
その働きを人工知能で作るためには、3億個のコンピューターモジュールが必要らしい。
これだけあれば、だいぶ賢くなるらしいが、言語を習得するためには時間がかかるので、数十億個のモジュールにすればもっと早くできるということだ。
グーグルの社長は「そうしたい」と言っている。

そういう人工知能が、クラウド上にできて、そこにアクセスすればいい。
もちろん、文字も読めるし、話すことも理解する。
抽象的な概念を考えたりすることもできる。
そういうことが大脳新皮質を研究することでできるようになるらしい。

予想では、あと14年でそういうことが起きる。
たった14年だが、自動運転のように、14年前には想像できなかったことが現在起きているから、あながち絵空事とも思えない。

人間が脳内にあるモジュールから、その人工知能にアクセスすることで、第二の言語の習得すら瞬時にできるらしい。
それを「習得」というのかどうかはわからないが…。
これは、シリコンバレーでグーグルの未来学者であるレイ・カーツウェルがまじめにプレゼンしたことだ。

14年後には、人間がクラウド上にも脳を持って、賢くなる。
ほんまかいな、と思うが、本当になるのかもしれない。

こういう道を人類は歩んでいってもいいのだろうか。

もう古い人間になってしまったなあ。



| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ランクル
ランクル、といえばランドクルーザーのこと。
トヨタの4輪駆動車だ。

ランクルは世界を走っている。
トヨタもそれを理解して、変な工具がないと修理できないとか、特殊部品を使うというようなことは極力しないらしい。
車に何かあっても、走り続けるためだ。

国連の平和維持軍の写真にも写っていた。
天井にUN(United Nations)と書いてある。

特に過酷な地域では信頼性が高いんだろう。
だから、中近東の砂漠地域ではよく使われる。
止まらず、走り続けることができる車なんだろうと思う。

しかし、それが今回具合悪いことになった。
過激イスラム組織アイシス(ISIS)が使っている車はトヨタ車だ、というのだ。
ランクルとハイラックス。
アイシスが作るプロモーションビデオにはこれらが使われるらしい。
それも中古なら入手経路は複雑になっていてわからないと言えるが、何百台もの新車が使われているという。

おそらく、どういう経路で手に入ったのかを調べ、手は打つのだろうが、アイシスが使うほど信頼性が高いということだろう。

実際トヨタはアメリカの対テロ対策の部署に協力していて、入手経路を調べているらしい。
でも、一旦売った車を転売されたりすると、難しいらしい。

ランクルやハイラックスの信頼性がこういうことになったのは、皮肉なことだ。

もっと他のことで、脚光を浴びたらよかったのになあ…。

| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
50代から始める知的生産術 外山滋比古 だいわ文庫
外山滋比古の本は何冊か文庫で読んだ。
この人は英文学をやっていたが、日本語の研究をやって、そして発想法とか、学び方とか、思考の整理法とか、いろんなことを書いている。
いくらか年をとって、「人生二毛作」ということを言い出した。
自分が結果的にそういう道をたどってきた、ということだろう。

この本はその「人生二毛作」をすすめている本。
著者はもう91歳。毎日朝6時前の電車に乗って、皇居の散歩に行き、8時過ぎに帰ってきて朝食をとり、図書館に通って原稿を書き、月に何度かの会合に出ていて、老いを感じさせない。
書いてあることを読んでみると、とても91歳の人が書いているとは思えない。

健康維持のために、というよりも楽しみとしてのウォーキングだという。
そのためには、「型」を作らないといけない。
定期を買って、毎日行く、少々の雨でも行く、というような「型」づくりが大事だという。
たしかに、91歳にしてこの元気、ウォーキングのおかげだろうと思う。

これだけ元気な老人には、どうやったらなれるか、というのが、この本だろう。
そう簡単には人生二毛作にはなれない。
実際、筆者も「人生二毛作」を説明するためには、自分の他によい見本がないという。
それで、自分が見本になった。

いろんなノウハウが書いてあるが、元気な80歳に向けてと言っても、そう簡単にはできないことばかり。
おまけに、自分の年齢を考えると、もう手遅れというようなこともある。

この本に書いてあることは、どれもそう簡単にできることではない。
人生の終盤にさしかかって、こんなに元気な人もいるのか、ということだけでも勉強になる。

読めばヒントになることが書いてある。

ぼくは本の中で紹介されている内田百?の本を買おうと思った。

| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
マツダのFR化
マツダが今の中型車を次期モデルではFR化するという。

FRというのはフロントエンジン・リアドライブのことで、エンジンを前に積んで、後輪を駆動させるという方式。

今の中型車はFFが主流。
もちろんマツダも例外ではない。

FFというのはフロントエンジン・フロントドライブということで、前に積んだエンジンで前輪を駆動する。
部品点数が少なくなり、車を安いコストで作れる。
ただ、前がやたら重くなり、重量バランスが悪く、性能は一般的にはFR車よりも劣る。
BMWやメルセデスの高級車などはFRであり、マツダでもロードスターのようなスポーツカーはFRになっている。

マツダという会社は過去にも調子のいい時があった。
波が大きいかもしれない。
この前はファミリアが好調だった時。
80年代の前半だった。
その勢いに乗って、無謀にもディーラーを5チャンネルも作り、大失敗。
フォードから社長を呼ぶことになってしまった。

結果的にフォードが来て、正解だったと思う。
狙いがはっきりした。
あれから、デザインも統一されたし、イメージとしてハンドリングがよいマツダ、ということもある程度達成されたと思う。

そして、またマツダの好調の波が来た。
アクセラ、アテンザ、デミオ、CX-5、CX-3そしてロードスター。
どれも評判がいい。
ヨーロッパに習って、ディーゼルエンジンを使った車を、積極的に売っている。

そこにフォルクスワーゲンのディーゼルのトラブルが起こったが、どうなるのだろうか。
まだわからない。

でも、今のアクセラ、アテンザ、CX-5などをFRに切り替えるのは大変だ。
コストが高くなる。
一旦決めてから、ラインを変更したりしていると、時間がかかる。
このタイムラグの間に、市場がどうなるかわからない。
経済状況もどうなるかわからない。

マツダが狙っているのは、日本のBMWだろう。
東京モーターショーではロータリーエンジンを復活させて、スポーツイメージを訴求している。
小さな会社が生き残るためには、付加価値を上げないといけない。
高級路線に移行するということだろう。

しかし、トヨタは将来はガソリンエンジンだけの車は作らないという。
すべてハイブリッドか、電気自動車か、燃料電池車になる。

そういう不透明な中で、FR化を決断するのだろうか…。

マツダという会社は真面目な会社だ。

でも、その真面目さがアダとなることもある。

頑張ってほしいなあ。

| | 考えたこと | 08:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学ポートレート
文科省がやっている大学ポートレートというホームページを知っているだろうか。
開設して1年ほど経つが、もっと宣伝してもいいと思う。

これは、全国の9割の大学が参加していて、学生数や教員数、カリキュラム、授業科目、就職者数などを公開している(させられている)ページ。
大学名を入れて検索して、出てきた大学名をクリックする。
そして出てきたページのトップをみると上の方に、「本学の特色」「本学での学び」…とタブが並んでいる。
その4つ目のタブが「進路・就職情報」。
このページをクリックして下の方の表を見ると卒業生がどうなったかがわかる。

例えば、京都の有力私学を見てみる。マンモス大学だ。
たくさんの数字があってややこしいが、全体では2847名いて、表を見ると進学も就職もしなかった人がいくらいるか、というのが見るべき数字だ。
表の中の「上記以外の者」の「進学準備中の者」6名、「就職準備中の者」161名、「その他」79名、それと「不詳」が1名、この合計がその数字になる。
結局、それらの合計の276名が就職も進学もできなかった人数。
卒業生全体2847名の1割弱が進路未決で出たことになる。

それでは、弱小私学ならどうか。
適当な京都の大学をみると、卒業生582名に対して、127名になる。
全体の2割強が進路未決。
もちろん、就職先の質の問題もあるが、有力私学に比べて、決まらなかった人が倍の率になる。

もう1校、見てみると卒業生746名で進路未決が70名。1割弱だ。
同じ弱小私学でも、有力私学と変わらない数字を残している。

この数字はいろんなことを表している。

どれだけちゃんと入試をやっているか。
どれだけちゃんと面倒をみたか。
どれだけまじめに勉強させたか。
どれだけ進路指導に力を入れたか…。

大学のホームページを見たら、いろんなことが書いてある。
いいことばかりだ。
でも、この数字を見れば、ウソはすぐバレる。

数字はウソをつかない。

これらの合計に、「一時的な仕事についた者」や「正規の職員等でない者」などを足してみてもいい。

この数字は、ある意味で大学の真面目さを表している。

もっと文科省は宣伝したらいいと思うが…。





| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
火星の水
こないだ、火星からの帰還という記事を紹介したが、火星に送った人類が帰ってくるためには火星の水を利用しないといけないということだ。
だから、今探査機を送って、水があるかどうか、どこに水があるのかを探査しているのだろう。

そして、ついにNASAは火星の斜面に水が流れている証拠を見つけたと発表した。
それは、斜面に沿ってできる黒い筋のようなものだ、という。
季節によって出たり、消えたりする。
化合物が含まれる水が流れたあとらしい。
だから、斜面にそって下っていくのだろう。
それが火星表面の異なる4箇所で発見された。

太古の火星に水があったことは、その地形から明らかだという。
山があって、谷がある。
その当時は、今よりも暖かく、水が豊富にあった、という。
当時の火星は赤色ではなく、今の地球のように青かったのかもしれない。

でも、現在の火星に液体の水がある、というのはまだわかっていなかった。
この黒い筋は有力な証拠になる。

水源はわからないが、どうも水がありそうということになると、NASAの有人火星探査計画も現実味が帯びてくる。

2030年半ばまであと20年。

人類が月に立ってから、60年ほど先になる。

次に人類が立つ星は火星になるだろうか。

その時、火星の景色をネットで見ることができるだろうか…。



| | 考えたこと | 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
野球文学
アメリカには野球文学がある。
何冊か読んだが、野球を愛する人が取材をベースに書いており、必ずしもメジャーリーグなどの経験者ではない。

日本では、高校野球を題材にしたり、野球を舞台にした小説はあるが、実名のプロ野球選手やチームを扱ったノンフィクションの文学というのはない。

小さい頃からの野球ファンで、特定のチームを贔屓にはするものの、いい選手がいたら素直に褒め、取材し、その野球哲学を描いたりする、というような作品だ。
アメリカには、メジャーリーグを扱ったノンフィクション、というジャンルが確かにある。
そういうのを読むと、野球はアメリカの国技なんだなあと思う。

日経の電子版に、オリックスからメジャーに行った田口壮という人が、イチローやメジャーリーグについて書いている。
読んでいて、この人は頭がいいし、文章もうまいと思う。

こないだは、今季のイチローが42歳を迎えてマーリンズと早々に再契約をした、という記事を書いているが、さすがにメジャー経験者であり、よくわかる記事だ。
何より、日本でよくある精神論や自分の経験に基づく話ではでなく、報道や事実を積み重ねて誰にでもわかるように書くという、ライターとしての資質があると思う。

残念ながら、田口は評論家活動に一区切りをつけ、来季はオリックスの二軍監督としてユニフォームを着るとのこと。
来年は舞台を国内に移して、内部からのレポートということらしい。

どうしてもリーグの内部に入ってしまうと、書く内容は制限されるし、二足のわらじでどうなるのかはわからない。

ひょっとしたら、将来の一軍監督という線もあるかもしれない。

でも、ぼくは田口にはユニフォームを脱いで、野球を外から見て、ノンフィクションの野球文学に挑戦してほしいと思う。

舞台はやっぱりメジャーだろうなあ。


| | 考えたこと | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
組み体操
うちの子供の運動会以来、小学校、中学校の運動会に行ったことがないが、運動会の最後に行う組み体操はエライことになっているらしい。

八尾の中学校では10段のピラミッドが崩れ、骨折者が出た。
去年は4人、一昨年は2人が骨折とのこと。
土地柄、祭りに一生懸命になるところだし、親や先生も気合が入っていたのだろう。
何人か骨折しても、よくやった、ということだ。

でも、日本中で運動会の組み体操がどんどん高くなっているらしい。
タワーやピラミッドがそれにあたる。
骨折者も多く、段数を規制すべきだという意見が出ている。

ぼくが小中学校の頃も組み体操はあったが、そんなに高いものはなかった。
タワーなどなく、ピラミッドも3段だった。
息子たちの小学校時代は、思い出すと高くなっていたと思う。
タワーの5段くらいはあったかもしれない。

ただ、その時思ったのは、アナウンスも含めてやけに盛り上げるなあということだった。
ドラマ性を持たせて、盛り上げるというやり方。
否が応でも、盛り上げるぞ、という感じだった。
それは、ちょっとぼくらの時代とは違う。
結局、生徒に達成感を味わわせたい、ということで、盛り上げるのだろう。

でも、達成感を一番感じているのは、指導した先生や親ではないか。
生徒の側がそれほどの達成感を感じているとは思えない。
もちろん、段の上の方の生徒は別だが、たくさんの段の下の方の生徒はどう思っているだろうか。
何人もけが人を出してまで、どうしてこんなことをやるのか、と思っていないだろうか。
あるいは、自分も目立つ上の段に行きたい、と思っていないだろうか。

だからこそ、アナウンスなどでドラマ性を盛り上げる。

結局、不必要に高い組み体操でクライマックスを盛り上げ、盛り上がったところで運動会を終えるのが、達成感を得る大人たちだろう。
高い組み体操は、大人のエゴでやっているのだと思う。

小さな達成感でもいい。
段の低い組み体操をいくつも作れば、小さな達成感を得る子どもがたくさんできる。
全員で一つの物を作ろうとするから、不要に高いものになる。
ちょうどいい高さがどこになるのか、それはわからないが、9段や10段は高過ぎるだろう。

小さな達成感をたくさん味わうところが学校だと思う。
その積み重ねが自分を肯定する気持ちにつながる。

よく考えてみてほしい。
年に1回の達成感のために、そんなに危ないことをやるのか。
それをやって達成感を求めるのは、先生や保護者ではないのか。

それよりは、小さな達成感を持ち帰ったたくさんの子どもを家庭で労ってやる方がいいのではないか。

適度な高さの組み体操に戻すべきだ。
大人のエゴはもうやめよう。





| | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
動画採用
知らなかったが、最近就活のエントリーシートの代わりに、30秒の動画を送らせる会社があるらしい。
ネットで調べたら去年の4月の記事があった。

たしかに、これだけ大容量のデーターを送るインフラが整備され、スマホという動画作成のためのツールも行き渡ったら、動画を使うというのもアリだろう。
企業側にしたら、たくさん来るエントリーシートを読んで、この人は、と思う学生を呼んで、面接してみたら「あれ?」ということが起こりにくくなるだろう。
実際、表情を見て、声を聞いて、話を聞けば第一印象は決まる。
初期の面接で見るのも、第一印象の影響が大きい。
これが悪ければ、よほどのことがない限り落とすだろう。
要は、動画を送らせることで、1次面接をやったのと同じ効果が得られる。

学生にしたら、エントリーシートを一字一句間違わずに書く、という手間が省ける。(その忍耐強さも大事なのだが…)
実際アンケートをとると、ネット動画に対する賛否は半々。
半分の学生がネット動画を支持しているということだ。
その理由はエントリーシートを書かなくてもいいから、というもの。
さらに、面接では緊張して失敗する学生も、動画なら大丈夫、というメリットもある。

記事にもあるように、エントリーシートに書く情報よりも、動画で自己PRを30秒見るほうが圧倒的に情報量が多い。
表情、口調、目線、プレゼンの方法など、自己PRの内容以外に得られるものが多い。

実際に去年、レクミーという会社を介して、動画を利用した採用をした会社もある。

「LINE」はその中の1社だが、こんな動画の課題を出したらしい。

「2020年」「インターネット」「わたし」の3つのキーワードをもとに、2020年の状況を想像しそのお考えを述べてください。(45秒前後)

なかなか面白い課題。
ネットの未来を自分で考え、45秒でプレゼンする。
紙芝居のように大きな字で書いて見せてもいいし、熱意を込めて話してもいい。

海の向こうではすでにHireVueという動画採用サービスというのがあり、すでに50億円を調達しているらしい。
「今までの書類選考よりも10倍早く、9倍安い!」と宣伝しているとのこと。

たしかにそうだと思う。

エントリーシートを書くときには、「この学生、どんな人か会ってみたい」と読み手が思うように書く、というのが鉄則だ。
しかし、動画を送れば、もう会えるから、いきなり2次選考の段階になる。
最初が一番たくさんの学生に会わないといけないのだが、それが動画選考で一気に減らせる。

そこから、筆記試験をやったり、エントリーシートを書かせて、ポテンシャルを確認すればいい。

関連サイトを見ていると、いろんな撮り方がある。
友達をたくさん呼んで、プレゼンの最後にその輪の中に入って、自分が友達がたくさんいる、という印象づけるというのもあった。
ドラマ仕立てだ。

そうなると、友達役をサクラで集める、ということもあるかもしれないが…。

職種によっては、これは主流になるかもしれないぞ。


| | 考えたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
パソコンが使えない
毎日新聞の記事によると、若い人でパソコンが使えない人が増えているという。

就労支援のNPOの人が言っている。
教えているのはエクセルの基礎。
キーボードに慣れていないから、大変らしい。

内閣府の今年2月の調査結果によると、高校生でスマホを利用している率が89%だが、ノートPCは30%、デスクトップPCは16%とのこと。
欧米に比べても、日本のPC利用率は低いという。

スマホを使うから、PCを使えないというだけではない。
記事によると、

「経済協力開発機構(OECD)が今年9月に発表した15歳対象の調査では、欧米では家庭の経済状況と子どもの家庭でのパソコン利用率は差がないところが多いが、日本は経済的に豊かでない家庭では、利用率が下がっている。
 学校でのパソコン利用率も調査42カ国のうち、下から2番目。こうした点から、家庭でも学校でもなかなかパソコンを利用できない層がいることが浮き彫りになっている。」

ということらしい。

これから就職してどんな仕事をするにしても、パソコンは避けて通れない。
いろんなサービスはスマホでできるようになるかもしれないが、企業ではやはりパソコンだ。
高齢者の求人票を見たって、たいがいの仕事で「簡単なパソコン操作」と書いてある。
パソコンを避けようとすると、清掃とか警備とかになると思う。

パソコンはもう高級品ではない。
値段もかなり安くなっている。
ネットを使うだけなら、2〜3万円あれば買える。
ネットの使用料も月々数千円だ。

日本のパソコンリテラシーは欧米に比べてホントに低いと思う。

アメリカ人は便利ならとにかく使おうとする。
そういう国民性なのだろう。
だから、経済的に苦しいからといってパソコンを持たないという選択肢はない。
仕事でも当たり前にパソコンを使うのだろう。
仕事や子供の勉強にパソコンが必要だという認識がある。

一方、日本の家庭も学校も、パソコンを軽視している。
一応、小学校でパソコンを触る授業があり、中高では情報の授業がある。
高校の情報の教科書を見ると、かなり高度な知識までやっている。
でも、教える先生がいないところが多い。
先生が、パソコンなど使えなくてもいいと思っているのだろう。

就職できない博士が2万人弱いるのだから、そういう人たちを情報の先生にすればいいと思う。
アルバイトでもいい。
日本中で一斉にやればいいのだ。

今のスマホにはテザリングという機能がある。
パソコンをスマホ経由でネットにつなぐ機能だ。
だから、パソコンさえあれば、スマホでネットに接続できる。

ネット上のグーグルドキュメントに表計算も、ワープロも、プレゼンもある。
メールもあるし、一通りのことはできる。
3万円もあれば、クロームブックは買える。

本気で始めないと、将来困るのは子供たちだぞ。



| | 考えたこと | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
農地改革
地方創生と言われているが、今の日本を見ていると、人口が減って高齢化している地方でどうやってお金を回すのかがわからない。
そこにたくさんの地方銀行があるが、人口が減り、産業が減っていけば、融資先が減って経営が成り立たないのではないかと思う。

地銀の再編が続いているのも、そのためだろうと思う。
融資先がなくなった地銀は国債を買っているのだろう。
地方の住民のお金を集めて、国の借金を増やす手伝いをしている。
もちろん、預金している方はそんなことは考えない。

大規模な農業法人ができて、食料を輸出するというようなことがあれば、融資をしたらいいのだが農地法では農地を所有するのは耕作人ということになっている。
もともと農地開放で当時の小作人に耕作地を取り戻したという経緯だろうが、もう今となっては古い。

2009年に農地開放が行われたが、いろんな制約がついて、完全に株式会社の企業経営で農地を利用する、という方式にはなっていない。

今や専業農家の人口が250万人と言われている。
1億2000万のうちのたった250万人。
農業従事者の平均年齢は65歳を超えている。
この状態を放置しておくと高齢化がひどくなり、耕作ができない土地が増えていくのは、誰にでもわかる。

どうして農地法を改正して大規模農業を株式会社の経営でやらせないのだろうか。

いろんな理由が言われているが、専門家に言わすとやり方さえちゃんとやれば回避できることだという。

TPPで農家が厳しいというが、コメをどんどん輸出するくらいの産業に育てないとダメなんではないか。
和食ブームで日本のコメは高く売れるのではないか。
コメをどんどん作って、耕作放棄などせず、日本の代表的な輸出品にすればいいのだ。
世界には高くてもいいものを食べたい人がいる。
日本人は余ったコメでもかまわない。
そうすれば、ホントに生産が増え、食料受給率も上がるのではないか。

コメだけではない。
日本の農産品で、コメ以外に海外に輸出できるものもあるのではないか。

そのためには、経営の視点や輸出のノウハウなど、商社機能が必要だし、そういうことを知っている株式会社に経営を任せればいいと思う。
そうしたら、そこに地方銀行から融資できる。
地方のお金を回さなければ、地方は疲弊する一方だ。
地方銀行も、もちろん疲弊する。

地方に有効な投資を呼び、創生するためにも農地法を改正して、経営ノウハウを持った株式会社に農業をやらすべきだと思う。

そんな無茶なことを言っているだろうか…。



| | 考えたこと | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
梅酒もノンアルコール
今日テレビのCMを見ていたら、ノンアルコールの梅酒ソーダがあるという。
梅「酒」というくらいだから、酒なのだが、アルコールが入っていない。

ノンアルコールビールという言葉があるくらいだから、ノンアルコール梅酒もアリだろう。
何でもノンアルコールの時代。
ノンアルコールビールが人気があり、梅酒もあやかろうという作戦だろうか。
サントリーが作ってるノンアルコール梅酒は、当初の3倍の出荷に上方修正したらしい。

アメリカではノンアルコールビールの市場はほとんどないらしい。
低カロリーでアルコール度数の低い、ライトビールというジャンルもある。
わざわざアルコールを含まないジュースみたいなものに、お金をかけるのはもったいない、という気もあるのだろう。

意外にもドイツではアルコールフリービールというものが、定着しているらしい。
ノンアルコールというのは、完全にアルコール0%でないとダメということで、アルコールフリーという。まことにドイツらしい厳密さだ。
ドイツでも、アルコールフリーの飲料は成長分野とされているらしい。

サントリーの調査によると、日本ではノンアルコール飲料の市場は、2012年から今年にかけては横ばいだ。
しかし、これから昼間の飲用機会が増える、と言っている。

昼間のパーティの時など、ジュースでは物足りないし、車できている人など、昼から飲むわけにもいかない。
そういう時に、ノンアルコールビールなどの飲料のニーズがある、ということだろう。
病気になってアルコールは呑んだらダメという人が、ノンアルコールビールを飲んでいるという例もある。

要は、作ってみたら意外とニーズがある、ということだ。

それで、梅酒もノンアルコールになった。

ワインはノンアルコールにはならないだろうなあ。

ノンアルコールワインなど作ったら、フランス人に怒られそうだ。




| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
CO2かNOxか
フォルクスワーゲンの排ガス規制操作の件で、その関係のニュースが多い。
それを見ていると、欧州とアメリカの違いがはっきりしてきた。

欧州はどちらかというと燃費を重視している。
より少ないガソリンで長距離を走りたい。
そうすれば、CO2が少なくて済む。
地球温暖化を防止したいということだろう。

一方、アメリカ、特に西海岸のロス・アンジェルスは排気ガスの浄化が第一だ。
とにかく、排ガスをきれいにしないといけない。特に今回問題になったのは、NOx(窒素酸化物)だ。
過去に深刻な大気汚染の問題があったからだ。

つまり、燃費か排ガスか、という違いがある。
ニュースでは、それはなぜか、ということを解説していた。

欧州は緯度が高くて日光が弱く、光化学スモッグなどがあまり気にならない。
だから、燃費やCO2の排出量が気になる。
一方、西海岸は日光が強く、光化学スモッグの問題がある。だから排気中の汚染物質が問題になる。
地政学的な違いがあるのだ。
これらの違いが、遠因になっているとのこと。

今回はフォルクスワーゲンの不正なエンジンマネジメントソフトが問題になったが、以前から欧州メーカーにとってはアメリカの排ガス規制は、それ自体が車を売る上で目の上のコブだったのだろう。
そこに日本のハイブリッド車が出てきて、排ガス規制をクリアした。燃費もいい。
だから、焦りがあった、というのがニュースで言われている。

あんなことをするからには、けっこう深い問題があったということだ。
特に小型のディーゼルが問題になった。
これは必然だと言える。

これでディーゼルエンジンが風評被害を受けるのではないかと言われている。
そのため、欧州勢のBMWやメルセデスはいち早く「うちは大丈夫」というメッセージを出した。
もともと高級車だから、対策している。

日本ではマツダがクリーンディーゼル車を売って調子が良かった。
これがどうなるか、というところだ。

いずれのカーメーカーも、燃費の良いディーゼルとクリーンな排気のガソリンのいいとこ取りしたエンジンを開発しようと、開発競争をしている。
同時に、モーターだけの電気自動車もやっているし、自動化の技術なども開発しないといけない。

膨大な開発費を賄おうとすると、これから技術提携やグループ化が増えてくるだろう。

まだまだ自動車業界は大変だ。

日本の技術力で頑張ってほしい。



| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育政策
こないだ、効率のことを書いたが、教育にも効率が必要だ、ということを言っている人がいる。
慶応大学の中室牧子准教授という人。教育経済学者だ。
TEDxKeioという、慶応版のTEDでプレゼンしている。

世界に目を向けると、教育も経済学の一つであり、教育といえども効率を科学的に証明してやっていく、というのが流れらしい。
中室先生はネルソン・マンデラの言葉を引く。

「教育とは、この世界を変えるためのもっとも強力な武器である」

これは真実だとぼくも思う。
若い人にタバコを吸わない人が増えているのは、禁煙教育の成果だと思う。
戦後の民主主義教育は、ぼくらに民主主義は当たり前のことだと教えたし、ぼくらはそう思っている。

しかし、そのためにはもっと教育の効率を上げないといけない、ということだろう。

教育の効率といって、誰もが思いつくのはテストの点数だろう。
テストをやって、生徒の点数の伸び代を測れば、教育の効率がわかる。
アメリカでは、実際にやられているとのこと。
学校だけでなく、教師一人ひとりまで、どれだけ生徒の点数を上げたかという「教育の付加価値」がわかるようになっているらしい。
それを一般に公開している。

さぞかし、学校や教師からは評判が悪かったことだろう。
日本ではそういう動きさえない。
文科省のやった共通テストの点数を学校別に出すことすら、抵抗がある。
この差は大きい。

もちろん、先生の言い分もあるだろう。
家庭が悪ければ、いくら教えても復習や予習ができないし、それを十把一からげで比較されても困る、というような意見が出る。
アメリカのドラマを見ていると、中学や高校の先生が「給料が安いのに…」、という場面がよくある。
安い割には、そういう格付けをされ、大変なのだ。

でも、そういう意見を抑えこんで、2001年にアメリカ連邦議会は「No Child Left Behind Act(落ちこぼれ防止法)」を作り、教育の科学的な根拠が重視されるようになった、というのが経緯らしい。

その一つがテネシー州で行われた「スター・プロジェクト」というもの。
少人数のクラスの方が、通常クラスの生徒よりも良い成績をおさめた、という結果だ。
実際に11600人の生徒に対して、「ランダム化比較試験」をやったとのこと。
その結果をもって、初めて予算がおりる。

それらの事実を見てきた中室先生にとって、日本の教育は遅れているという。
先生は言う。

「まず、教育関連のデータへのアクセスは、この国ではきわめて限られています。国にしろ、地方自治体にしろ、学区にしろ。次に──こちらのほうがより深刻な問題ですが──もっとも正確で説得力のある根拠を提供してくれる方法である、スター・プロジェクトのような社会実験が、社会的に受け入れられていないのです。
おそらく倫理的な懸念があるためでしょう。しかしより本質的なところで、人々は、評価されることを嫌うのです。私も個人的には、その感情は理解できます。
しかし、日本はもはや裕福な国ではありません。限られた資源と制約の多い予算の中で、私は今こそ、教育について考えるべき時、根拠に基づいた教育政策決定に切り替えるべき時だと強く信じています。」

日本はもはや裕福な国ではない、ということだ。
特に、若い人たちに割ける予算が少ない。
途方も無い社会保障のツケを背負っている。
この国の負債は年間の予算の10年分にもなる。
だから、教育も効率を上げないといけない。

でも、ぼくらが小学校のころも、日本は貧しかった。
高度成長の前だ。
今、ノーベル賞をもらっている人たちの世代はそれより前だから、もっと貧しかった。
それでも、そういう人たちを輩出したし、高度成長を実際に成し遂げた人たちの子供の頃はもっと貧しかっただろう。

中室先生の言っていることは正しいのだと思う。

でも、本当にそうだろうかと過去の時代を見て思うのも事実。
末は博士か大臣か、という言葉があって、本当に博士や大臣になるのが素晴らしいことだった時代。
テレビにはかしこい人が出ていた時代。
どちらかというと、拝金主義が疎んじられた時代。

そういうのを考え合わせると、時代の雰囲気みたいなものが、教育にも影響していると思わざるを得ない。

それは何なのか、解明してほしいと思う。


| | 考えたこと | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
インターステラー
WOWOWでやっていた。
近未来に地球が異常気象などで住めなくなってきた、というのが時代設定。

昔NASAの宇宙飛行士だったというクーパー(マシュー・マコノヒー)が、人類が住むことができる惑星を探しに、異なる銀河に行く、という映画。
異なる銀河に行くとなると、時間の問題があり、相対性理論に基づく異なる時間の進み方が出てきたりして、ややこしい。
いろいろとおかしな所はあるが、そのへんは、SFチックな言葉でうまくスジを運んでいる。

でも、この映画のテーマは家族の絆。
娘に、きっと帰ってくると約束して行った父親。
帰ってくるのを待つ娘。

行った星の調査をするのだが、その星の1時間は地球の20数年になるという。
こういうことが、恒星間の宇宙旅行では起こる。
宇宙船の中で液体の中に入り冬眠したりする。
そうしないと、年をとってしまって調査どころではないのだろう。

いったい地球の時間がどうなっているのか、というところを気にさせられる。
時間の流れが違うところにいる、ということが実感できる。
最後まで、どうなるのかわからない。

相対性理論をわかっている方が、面白い映画だ。

でも、そういう理屈がわかっていなくても、楽しめる。

ただ、2時間50分という時間は長い。

これは地球上の時間で、1本の映画としては、長いと思う。


| | 映画・舞台 | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
バンジョーの教則本
中学の頃、バンジョーに憧れた。
家にあったクラシックギターをポロポロと弾きだした頃。
ブルーグラスという音楽も、そのころに出会った。ブルーグラスはアメリカの音楽で、その主役はバンジョーだと思う。

フィドル(バイオリン)やフラットマンドリンもあるが、やっぱりあのバンジョーの音がなければ、ブルーグラスとは言えない。
猫の皮を張った日本の三味線と同じように、牛の皮を張った上に弦がある。
だから、ボディは小さくても音は大きい。
もちろん、今はいろんな素材があるらしい。

有名なフォギーマウンテンブレイクダウンという曲がある。
あれが弾きたくて、テストで頑張っていい点を取った。
それで、当時一番安いバンジョーを買ってもらった。1万数千円だったか…。
結局、難しくて弾くのは諦めてしまったが、まだバンジョーは置いてある。
押し入れのバンジョーのケースを見るたびに、情けない思いになる。
一度ケースを開けてみたいが、開けるのが恐い。

その頃買ったバンジョーの教則本の著者が東理夫という人だった。
名前が珍しく、どう読むのかなとずっと思っていたので、今日の日経の読書欄でその名前を見た時は驚いた。

「アメリカは食べる」というその本の書評には、「作家にしてブルーグラス奏者でもあり、さらにはテネシー州名誉市民でもある著者が、長年かけて全米を踏査し、米国の食にまつわる謎の数々に迫ったのが本書だ。」と書いてある。
ぼくの覚えていた人と同一人物だろう。
あのバンジョーの教則本を買ったのが14歳くらい。
1971年だから、1941年生まれの著者は30歳。十分教則本が書ける。

東理夫は、テネシー州の名誉市民だったのか。
ブルーグラス奏者だったから、アメリカ南部の名誉市民になったのかなと思う。
内容は、アメリカ文化論というような感じ。

「七〇〇頁(ページ)を超える大著ながら、筆致は極めて平易で軽快。著者と一緒に全米各地をドライブしながら、日系カナダ人の両親のもとで育った著者の幼少期の思い出話から、車や音楽、文学、映画、米国史、英語表現の話まで、次々に湧き出る豆知識や逸話に耳を傾けながら、米文化、そして米社会の深淵へと誘われるかのようだ。」

日系カナダ人の元で育ったから、英語が堪能でブルーグラスにもハマったんだろうと思う。
その東理夫も74歳ほどになる。

46年越しの疑問が解決した。
彼の名前は「ひがしみちお」だった。

本は読んでみたいが、3800円という値段がなあ…。


| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
火星からの帰還
NASAは火星に行く宇宙船を開発している。

行ったからには帰らないといけない。
そこが難しいらしい。

ちょっと地球より小さいとはいえ、火星の引力に打ち勝って飛び立つのは至難の技だ。
地球から飛び立つロケットを見たら、ちょっと無理だと思う。

実際、火星に行くロケットに、帰りの燃料を積むと帰還船が重くなりすぎて火星への着陸が難しいとのこと。
だから、先立ってその燃料を作るための無人宇宙船を送っておく、ということが計画されている。

火星の薄い大気から、燃料を作るらしい。
ただ、宇宙船の重さが計算では18トンにもなり、それを分割して送ることができない。
探査車のキュリオシティでも1トンしかなかったのに、そんなに重いものをどうやって送り込むかが問題。

火星の大気はパラシュートを開いて減速するほど濃くない。
だから、パラシュートでは十分ではないのだ。
キュリオシティの着陸の時も、パラシュートは使ったが、地上に到着寸前にロケット噴射で減速した。

火星の大気は95%がCO2。
その大気と地下にある水から液体酸素を作るらしい。
ここが一番の問題。
地下に水があるところに着陸しないといけない。

火星に先送りされる宇宙船は、化学プラントの役割を果たす。
うまく、地下に水があるところに着陸できれば、の話だが…。

まだまだ問題がある。
うまく液体酸素が作れたとして、それを2年間保持しないといけない。
そして、飛行士が到着して帰るまでの時間を考えると、4年間も稼働できないといけない。
これに乗って帰るのだ。

あまりにも多い問題の数。
本当に人類は火星に立つことができるんだろうか。

今のところNASAでは2030年代の半ばという計画になっている。
あと20年ほど。
ひょっとしたら、生きているかもしれない。
それこそ、人類の歴史的瞬間だ。

すでに火星の風景はキュリオシティーが写真を送ってきたが、人間がそこに立つというのは夢の様な出来事。

予算の問題はあるだろうが、やり遂げてほしいと思う。



| | 考えたこと | 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
自転車も電子化
シマノという会社がある。
釣具を作っていたが、自転車のブレーキと変速機を手がけ、今や世界レベルの自転車部品メーカーになった。

そのシマノは、自動車でやっている、ドライブ・バイ・ワイヤーという仕組みを取り入れている。
ワイヤーというのは、電気信号を伝える線のことだ。
具体的には今まで機械的にやっていたギアチェンジを、電気信号でやるということだ。

つまり、ハンドルのスイッチを入れると、ギアのところのモーターに信号が伝わり、ギアを切り替えるということになる。

えらいものだ。
そんな時代が来るとは思わなかった。

ギアチェンジをするためには結構な力がいる。
そして、正確に切り替えるためには、動きすぎてはいけない。
それらを可能にする小さなモーターが必要だし、それを動かすためのバッテリーも必要になる。
ギアチェンジには結構な力がいるから、力も必要だし、制御もちゃんとしないといけないから、サーボモーターが使われる。
日本はアナログも強いから、こういうものは作りやすい。
国内で部品が揃うからだ。

こういうところで、日本製の強みが発揮できる。
デジタル100%のものは、アメリカに負けるが、モーターのようなアナログを組み合わせものは、まだまだ日本製は強い。

信頼性の高いリチウムイオン電池もある。
容量が大きく、長持ちし、パワーがある。

さらに、ハンドルのところにつける、アナログスイッチも強いと思う。
耐久性があり、いろんな形に対応できる。

こういう高付加価値のアナログ部品を使ったものは、日本製の強みがある。

シマノは世界の自転車の部品メーカーだ。

自転車のドライブ・バイ・ワイヤーを進めていってほしい。



| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
急なスピーチの対処法
ライフハッカーというサイトに急にスピーチをふられた時の対処法が書いてあった。

以下のように話せばよいとのこと。

1.挨拶
2.イベント(みんなが集まっている理由)「みなさん、ご存知の通り〜」
3.共通点(自分と聴き手を関連付ける)「みなさんと同様、私も〜」
4.自分が話している理由
5.行動の呼びかけ「拍手をお願いします」など

これで、例えば結婚式で急にスピーチをふられたときには、以下のように話せばよいと書いてある。

「こんにちは。(挨拶)
みなさんも知っての通り、ジムさんとパムさんが本日結婚されました。(イベント)
みなさんもそうでしょうが、私も新婦(または新郎)と長年の友人です。(共通点)
パムと私は幼なじみでしたので、彼女とはたくさんの時間を共に過ごしました。彼女がパートナーを見つけ、今日という日を迎えたのは喜ばしいことです。(自分が話している理由)
みなさん、2人の愛に乾杯をお願いします(行動の呼びかけ)」

なるほど。
なかなかうまくいく。
こういうのをまとめるのは、アメリカ人は得意だと思う。

聴き手をひきつけるためには、自分と聴き手を同じ場所に置かないといけないのだろう。
だから、イベント、共通点、行動の呼びかけの3つについては、「みなさん〜」という言葉で始まっている。

「みなさんも知っての通り…」
「みなさんもそうでしょうが…」
というような言い方をされると、話をやめて聞かないといけない、という気になる。

これを弔辞にすると、

「こんばんは。みなさんも知っての通り、○○さんは逝ってしまわれました。みなさんと同じく、私も故人にはお世話になりました。訃報を聞いた時には本当に驚きました。まだそれが真実とは思えません。悲しいことですが故人を送らねばなりません。みなさんと一緒に故人を送りたいと思います」

まあ、いい感じだ。

会社の創立記念の祝賀会か何かで、突然言われたら、

「こんにちは。みなさんも知っての通り、この会社が産声を上げてから今日で○十年になります。みなさんと同じく、私も○○社にはお世話になっており、今日のこの日を祝いに駆けつけました。個人的には○○社長と懇意にさせていただいており、今の時代にこれだけの期間会社を続けるのは本当に素晴らしいことだと思っております。みなさん、○○社長に拍手をお願いします。」

まあまあ、これもいけるだろう。

これはいい考えだと思う。

この5項目を覚えておけば、何とかなる。
特に、義理で出た時など、役に立つだろう。

もう、あまりそういう機会はなさそうだが…。


| | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
報道中継
最近のニュースを見ていると、「これ、スマホで撮ったんちゃう?」という画面が出てくる。

もちろん、視聴者からの投稿はそれでいいのだが、記者の中継などでも時々ある。
それだけ、スマホの画像がよくなり、インターネットも整備され、便利になったということだ。
市販のビデオカメラなら、普通の絵なら、プロ用との違いはわからなくなった。

海外では、取材の記者がセルフィー(自撮り)で中継をするところも出てきたとのこと。
自撮り棒やスマホ設置の道具を持って行き、取材者が1人でやる。
今までなら、中継車が行き、カメラマンと記者の最低2人が必要だった。
しかし、これなら中継車も要らないし、カメラマンも要らない。
すごいコストダウンだ。
クルーは要らない。
記者がスマホと自撮り棒を持っていけばいい。

最新の機器なら、画質もよくなり、そんなにカメラと違わないという。
中継ではなく、ビデオ撮りならもっと簡単だ。
何度でもやり直しができるし、スマホを見てすぐに確認もできる。
そのうち、どれがスマホの中継かわからなくなるかもしれない。

いろんなところにスマホが使われていく。
まさか、こんなところに、というところにも使われる。

アップルが最初にiphoneを出したのが2007年。
確かに便利になったが、あれから8年、まさかテレビ中継がこれ1台でできるようになるとは誰も思わなかっただろう。

今やレポーターに撮影のトレーニングを行う時代。
これで、またカメラマンの仕事が減った。

こんな風にして、技術の進歩が仕事のあり方も変える。

こないだドローンに積んだカメラで撮った映像をみたが、狭い通路をすごいスピードで飛んでいるのだろう、そういう映像だった。
今までならCGでないと撮れないような画像が、リアルに撮れるようになる。
きっと映画でも使われるようになるだろう。
カメラの性能が上がり、手ブレも補正できて、小型化され、ドローンに積むことができて、ラジコンで動かせる世の中だ。

これからの映画は空からの画像も増えるだろう。
ドローンで簡単に撮れるからだ。
そうなると、今までクレーン車を使っていたのが、ラジコンでできる。

今の小学生が職業に就くとき、半分以上が今はない職業、というアメリカの研究結果がある。

それもそうかもしれないなあ。

| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
基礎ゼミ
大学入試センターが調査結果を出した。日経の記事だ。
高校生の学習行動の格差について、言っている。

いま、大学入試センターでは、センター試験の改変をやろうとしていて、それをどう具体化するかの検討中だという。
しかし、理想に走る前に、高校生の現状を見てみよう、というのが記事の内容。
まっとうな意見だと思う。

調査は首都圏のランク別の進学校(有力進学校と半分程度が推薦、AOで進学する中堅校)で行われた。
結果は高校1年から3年にかけて学習時間は増えていくが、要は有力進学校と中堅校の差が大きいのは、1,2年の時期だということだ。
3年になったら入試を控えて勉強をするのだが、1,2年の積み重ねが足りないとシンドイ、ということだろう。
おまけに、推薦やAOで入学する人なら入試は秋には終わるので、追い込みをしなくてもいい。
だから、学習時間の平均値に差ができるんだろう。

いずれにせよ、高校に入った時に、いかに学習習慣をつけるか、だという。

大学も同じだ。
入学直後が最初で最後のチャンスなのだと思う。
それを逃すと、もう惰性で行ってしまう。
ぼくは勉強をしなかったクチだが、入った時にダレてしまった(言い訳だけど)。

最初が大事なのだ。
だから、下位の大学は初年次演習や基礎ゼミという名称で、入学直後のゼミ形式の授業に力を入れている。
午前中の授業(月曜の1限などが多い)で比較的少人数。
毎回課題を出し、仲良しができるようにグループ学習をやり、場合によっては学外に出て行って遠足のようなことをやったりする。
学内の施設の使い方を実習し、レポートの書き方を教え、インターネットの使い方を実習させる。
逆に言うと、初年次演習が充実している大学は苦しい大学だと言える。
シラバス(授業内容)が公開されている大学なら、見てみればいい。

ある大学の経済学部の1年生向けのシラバスの内容は下記のようになっている。
関西の中堅クラスの大学。

・教員を知り,知人・友人を作ること
・大学の学習環境に適応すること
・勉強のしかたを学ぶこと
・経済学とはどのような学問であるかを知ること
・世の中の出来事に目を向けること

古い世代の大学しか知らない人にとっては、びっくりする内容だろう。
経済学、という言葉を除けば、「大学」を「高校」や「中学」に置き換えても十分に成立する。
ひょっとしたら、経済学とはどのような学問か知らずに、どうして経済学部を選んだのか、という人もいるかもしれない。
でも、それが現実なのだ。

学習習慣がついていない学生を入れるのなら、こういうことを真面目にやらないといけない。
現実には、基礎ゼミが終わると、また元のもくあみ、というところも多いが…。

また、その基礎ゼミを、今の大学の教員が教えられるのか、という問題は大きい。
高校までの先生は一応免許を取っているが、大学の先生は免許などない。
教え方を教わらないまま教員になる。
だから、ひどいクラスになると騒乱状態になったりする。
昔の大学教員の範疇を超えているのに、旧態依然とした教員採用システムを取っているからだ。

そういう問題が多くの大学に起こっている。
それをもっと大きな声で大学は言わないといけない。
そうしないと、世間の人はわからない。
文科省は学校という閉じられた世界の中で、大きな失敗をしているんだと思う。

記事はこう締めくくる。

「おそらくそれなりの刺激剤でなければ、1日30分の学習もしないという高校前半期の生活は変わらない。ただ同時に指摘しておくべきは、効果的な刺激剤は、序列化や試験漬けといった問題を再び呼び起こす可能性があるということだ。
 入試改革のみならず教育界では、獲得すべき資質・能力を柱に据えた改革が試みられる。こうした議論を展開したくなる気持ちは理解できるが、柱とすべきは、現状の正しい理解であろう。そうでなければ、問題の所在を見失ってしまう。どの層の学習をどのように変えるために、何が必要なのか。何を優先すべき課題だと捉えるのか。地に足を着けた広い視野からの検討が求められる。」

もっともな意見。
大学も一緒だ。

早くしないと、間に合わないぞ。



| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゲートボール
ゲートボールというと、高齢者のスポーツ。
でも、最近はあまりやっているところを見ない。
日経ビジネスに記事があったが、ゲートボール連合が96年に統計を取りはじめた時、57万人いた会員は12万人に減っている。
実際、ゲートボールのプレイヤーが一番多かったのは91年らしい。
その当時は愛好者が200万人いた、ということだ。

皮肉なことに、健康寿命が伸びたから減ったということらしい。
確かに、年寄りは元気になった。
ぼくが会社に入った頃、定年退職する人を見て、本当に年寄りだと思った。
それは自分が若かったからかもしれない。
でも、あれから35年ほどで、高齢者は元気になった。
昔の60歳は今の65歳、いや70歳と同じくらいかもしれない。
だから、ゲートボールをしなくてもよくなった。
ゴルフやテニスなど、自分がやっていたスポーツを継続する。

さらに、高齢者の娯楽が増えた。
ゲームセンターに行く高齢者もいるし、スポーツジムに行く高齢者もいる。

女性はジムをフルに活用している。
朝から来て、ウォーキングをし、ダンスをして、筋トレ、ストレッチ、そしてプール。
その間にジム友達とロビーで食事をする。
帰るのは3時くらいだろう。
それなら、ゲートボールなどやっている暇はない。

学ぶところも増えた。
大学では生涯学習の講座をやっているし、カルチャーセンターの類も多い。
やろうと思えば、シニア英会話もあるし、お金さえあれば、留学もできる。

90年当時とはだいぶ高齢者を取り巻く環境は変わった。
ある意味、高齢者が生きやすくなっているのだろう。
国をあげて、そういうふうに持っていったともいえる。
高齢者ビジネスというものもある。

そんなこんなで、ゲートボールは姿を消した。
ゲーム自体がもめ事を引き起こすという側面もあったらしいが…。

時代は変わった。
あと10年、どう変わるだろうか。
ここから先、お金はなくなるし、高齢者の増えるペースも今までにないほど早い。

どういう社会を作ればいいのだろうか…。

これは難しい。


| | 考えたこと | 01:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
フロー電池
ハーバードが画期的な電池を開発しているらしい。

それはフロー電池と呼ばれ、電気が発生する部分とそれを貯めておく部分が別になっているもの。
具体的には液体を満たしたタンクに電気を貯めることができる。
そのため、タンクを大きくすれば、貯められる電気の量は増える。
まだ電極の腐食の問題や有毒性の問題はあるが、だいぶ実用化に進んだらしい。

すでに作っているところもあり、10年以内に製品化は可能だろうということだ。

大容量の電気が貯められるとなると、発電は少々非効率でもかまわない。
貯めることで効率を保つことができる。

今の太陽光や風力発電の弱点は、発電量が一定にならないことだ。
太陽光は曇だったり雨だったりすると発電量が落ちるし、風力は風が弱かったら落ちる。
だから、従来の発電所の代わりにはならない。
火力発電は原油に依存し、CO2が出る。
経産省が原発を再稼働させたいのは、そういうこともある。

しかし、たとえば家庭で地下室のタンクに電気を貯めることができるとなると、だいぶ様相は変わる。
夏の冷房で、電気の需要がピークになる時でも、安い夜間の電力を貯めておけるから、大丈夫だ。
大量の電気を貯めることができるだけで、エネルギー需要は楽になる。

そして、各家庭で昼間に太陽光で作る電気なども余った分は貯めておける。
そうすると売電などしなくても、自分のところで使えばいいのだ。

この技術が発達すると、エネルギーの需給問題はかなり楽になるだろうと思う。

まあ、そんなに簡単に蓄電技術があがるわけではないらしいが…。

でも、また希望の光が一つ増えた。

ぼくが生きている間に実現するかな…。


| | 考えたこと | 10:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
コレステロール
コレステロールという言葉、この何十年かで知らない人は珍しくなったと思う。

小林秀雄が講演の中で、「何とかロールというのが高くて、よくないと言われた」というのが、昭和40年代かと思う。
その何とかロールというのがコレステロールのことだ。
まだそんなに一般的ではなかったんだろう。

その後、血液検査の結果で、コレステロールという言葉がよく聞かれるようになった。
ぼくが25歳のころ、コレステロールが高いと言われた。
80年代には、もうかなり一般的になっていたのだろう。

その後、同じコレステロールでも善玉、悪玉がある、というようなことが言われるようになった。
今は悪玉コレステロールが高いと、健康に悪いということになった。

ぼくは親譲りでコレステロールが高い。
そんなに酒も飲まないのに、高い。
なくなった親父も、ほとんど酒が飲めないのに高かった。

脳梗塞をやってから、ずっとコレステロールを抑える薬を飲んでいる。

しかしハワイの研究では、コレステロールが高い人はガンになりにくい、という結果があるらしい。
ガンにならないためには、免疫力が高いことが効果があって、そのためにはナチュラルキラー細胞というのがたくさんある方がいい。
その細胞を作るのに重要なのが、コレステロールということらしい。

要するに、コレステロールが高いと、心筋梗塞になりやすくなるが、ガンにはなりにくいということだ。

人間の身体は複雑だ。
コレステロールだけではないだろう。
いろんなものが絡んでいる。

だから、あんまり気にしないことだと思う。

コレステロールなど、少々高くてもかまわないと思っておこう。




| | 考えたこと | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
三度目の仕事
今日から、第三の人生が始まった。

よく言われるのは、第二の人生という言葉。
定年してあとの生活のことだ。
普通なら、60歳〜65歳まで会社に勤め、そして第二の人生を迎える、というのがサラリーマンの定番。

でも、ぼくの第三の人生というのは3回めの仕事ということだ。

1回めが25年、2回めが10年、そして今度が何年あるか…。

できれば、細く長く続けたいと思っている。

もっとも、それが許されれば…の話。

人生には始まりがあって、終りがある。
始まりはわけも分からず、強制的に始めさせられる。
そして、終わりも自分では決められない。

ということは、人間は自分の意志で生きているという錯覚を抱いているということだ。
生き始める時も、死ぬ時も自分の意志は関係ない。
そんな理不尽な人生を生きる。

そう思うと、人生は理不尽なものだ。

いつまで、どんな形で働けるか…。


| | 考えたこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
お迎え
人は死ぬ時を自分で決めることができない。
死はこっちで決めるものではなく、向こうから来るものなのだ。
だから誰かが死んだら、お迎えが来た、という風に言う。

お迎えはいつ来るかわからない。
急に来ることもあるし、ある程度予想が立つ場合もある。
でも、所詮人間にはわからない。
だからこそ、お迎えなのだろう。

だいたいは順番だが、時には番狂わせもある。
お迎えには時に意外さがつきまとう。
小さな番狂わせならまだいいが、大きな番狂わせは気を滅入らせる。
できれば、出会わずに済ませたい。

この歳になると、振り返って自分が生まれた時代を考える。
第二次大戦が終わって12年後。
戦争のあとかたはなかったが、まだまだ日本は世界に追いつかないといけないという時代。
東京オリンピックがあって、万博があって、もう戦後ではなくなった。
働き過ぎた日本人はうさぎ小屋に住んで、エコノミックアニマルと言われた。
モーレツからビューティフルへと言われるくらい、サラリーマンは働いた時代。
土日が休みになったころ、社会人になった。
組織はどんどん大きくなり、仕事は増えていった。
今日より明日、明日より明後日が豊かになると思い、誰も疑わなかった。
欧米に追いつけ、追い越せと頑張ってきたが、もう追いついたと慢心した。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていい気になり、バブルが弾けた。
それから20数年、右肩下がりの経済。
いろんなものが硬直化し、制度疲労を起こしている。
人口が減り、高齢化が進む。
必死でなんとかしようと頑張っているところ、というのが今だろう。

思えばいい時代を過ごさせてもらった。
自分で選んだわけではないから、過ごさせてもらった、というのが本当のところ。
その時は必死で働いていたが、今から思えば、幸せな部類だろう。
こういうのが運命かもしれない。

時代は高齢化社会。
自分も知らぬ間に高齢者になる時が来る。
お迎えがいつ来るかは、わからない。

でも、ぼちぼちお迎えを意識して生きてもいいような気がする。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |