考えたこと2

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何かをはじめるときには
2002年の11月のメモから。

「当たり前だが意外とわかっていないことの一つ。何かを新しくはじめるときには、何かをやめないといけない。はじめることを決めてもやめることを決めないことが多い。はじめることよりやめることの方が慣性がついているので、難しいのか。まずやめることを決めよう。02/11/13」

書いた本人が、ふ〜ん、と思う。
やっぱりメモは大事だ。

きっと、仕事がらみで書いたことだと思うが、仕事にしても、プライベートにしても、使える時間にも処理能力にもかぎりがある。
生活必需時間や家族との時間は削れない。(一時は削っていたこともあったが・・・。)
そうすると、何かをはじめようと思うと、何かをやめないといけないという事になる。

そういえば、最近はこれを書き始めたし、ギターの練習も始めた。運動もしている。
結果的に何をやめたのか?

一つはテレビ。ほとんど見なくなった。
もう一つは、読書。やめたわけではないが、本を読む時間は減った。(・・これはよくない)
これらは、あくまでも結果論であり、やめよう(減らそう)と思ってそうなったのではない。なりゆきである。ちゃんと決められていないということだ。

テレビはやめても全く苦にならないし、本当に見たいものだけ見るのであれば、他はやめて正解。
これは、おそまきながら、やめることに決めた。

もう一つの読書は、減らしたくなかったのに、ずるずると減っている。
これは何とかしないといけない。

他の何かをやめて、読書は残そう・・・と思ったが、やめるものが見あたらない。

当分はちょっとずつ、いろんなところからやりくりすることにするしかない。

・・・と思うが、こういういい加減な計画がダメなんですよね。
学生時代に、できもしない計画を立てては、一人で悦に入り、結局数日後に見直す・・というような事をやっていたのを思い出す。

もうちょっと考えよう。

やっぱり、何かをはじめるときには、やめることをちゃんと考えておくべきだと思い知った。

難しいですね。
| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
スチールパン
今日はギターの先生が出演するライブに行ってきた。
主役はスチールパンという楽器。20世紀最後のアコースティック楽器と呼ばれているらしい。

発祥の地はトリニダードトバゴという南米の国。ここで石油が取れる。その石油を入れるドラム缶をへこませて、凹面になったところに円形の凸面を作り、その大きさで音階が決まる・・・書くと難しいが、このページを見てみて下さい。

http://www1.linkclub.or.jp/~ishiguro/pan/pan.htm

今日メインで演奏したのは、一つのドラム缶に28音階が出せるようにしてあるもの。クロムメッキの銀色ですごくきれいなものだった。たたく棒は、先にゴムのついたもので、20センチくらいの長さ。
これはテナーパンといって、30センチくらいの深さである。他に60センチくらいの深さのアルトパンというのもあった。こちらは低い音なので、出せる音が少なくなる。

カリブ海生まれの楽器というのがぴったりで、すごく明るい響きがする。金属的なパゥンという音で、きれいな音色。
二人のスチールパン・プレイヤーが、見事なスティックさばきで銀色のスチールパンを叩くと、何ともいえない音の世界ができる。

ディズニーのビビディ・バビディ・ブーや、セルジオ・メンデスとブラジル66のマシュケナダ、アントニオ・カルロス・ジョビンの波や、ジャズの名曲であるテイクファイブなどの曲が、何ともいえずカリブ風になって響く。
曲によっては悲しい響きになったり、明るい響きになったりする。
ギターのF先生は相変わらずうまい。スパニッシュ、ラテン、ボサノバ・・どんな曲でも弾ける。ソロも多かった。

たまにこういう音を聞くと、俗世界から離れることができる。

予約してなかったので、開店と同時に行った。
一番前の席に陣取り、ステージをながめながらビールを飲んでいると、すぐに酔いが回る。

酔いをさます意味もあって、乗りまくって手拍子したので、目立ったのかもしれない。
最後に、スチールパンのリーダーが席の前に来て、目を見て、「今日はありがとうございました」と言ってくれた。

あー、楽しかった・・と独り言を言いながら、帰途につく。
こういう夜は、時間が経つのが早い。

「音楽はこころの贅沢」こういう言葉があるのかどうか・・・Googleではヒットしなかったが、そういう言葉がぴったり来るライブだった。

2週続いた連休も終わり。

明日からがんばって働かないと。


| | 音楽 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
子供の運動会
子供の運動会に行ってきた。今回は、小学校6年生の次男。

運動会といえば、幼稚園のは出番が多かった。子どもの数も少ないし・・。段ボールの箱に子供を入れて引っ張っていき、イスの上の風船をおしりで割るとか・・・。

小学校では、定番の玉入れ、綱引き、棒引き、騎馬戦、クラス対抗リレー、それと各学年のマスゲーム、6年生は組体操・・そういえば、今年は大玉ころがしがなかった。

僕らの頃は全員が走る徒競走などなかった。代表が走るクラス対抗のリレーだけ。一度補欠になったことはあるが、結局出番はなかった。
生徒数が多かったから、そんなことをやる時間がなかったのかもしれない。

騎馬戦は男子だけで、女子はダンスみたいなのをやっていたと思う。今は完全に男女同じ事をするので、騎馬戦も男女・・時代は変わった。今は見慣れたが、長男の小学校1年の運動会は違和感があった。

組体操は、僕らの頃よりもメニューが増えている。
昭和44年は、2人組、3人組、4人組、5人組をやって、10人でピラミッドをやって終わりだった。
最近はもっと高い塔を作ったり、ウェーブをやったり、趣向をこらしている。これがクライマックスという感じで、放送部のナレーションも入る。「私たちは、ずっと練習してきました・・・」というようなもの。
昔は、先生の笛だけで、淡々とやったような記憶がある。

しかし、定番の種目はホントに変わらない。30年以上経っても、玉入れ、綱引き・・・をやって、組体操で終わる、という形式。偉大なる形式美なのか。単に保守的なだけなのか。脈々と引き継がれる小学校の運動会。

もう、今年で小学校の運動会とも縁が切れる。

この次、小学校の運動会に行くとしたら、孫の時か・・・。
そのためには、子供が結婚し、さらに、子供を産まないといけない。
そんな先のことはわからないし、考えずにおく方がよさそうだ。

でも、もしそういうことがあったら、その時も定番の種目を見ているのだろうか。
それとも、「えー!」というような事があるんだろうか。

それは、興味がある。

その時に、今日書いたことを思い出せればいいのだが・・。


| | 考えたこと | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
バック・トゥ・ザ・フューチャー
今日はテレビでバック・トゥ・ザ・フューチャーをやっていたので、ついつい見てしまった。
マイケル・J・フォックスの大ファンだ。

この映画は、今から20年前の作品。
マイケルがいい味を出している。
コメディが絵になる役者だ。

この人の書いたラッキーマンという本を読んだ。
この映画が発表されて、マイケルがテレビから映画に進出したちょうど13年後に、彼は自分がパーキンソン病にかかっていることを発表した。
ラッキーマンは彼の自伝であり、闘病記でもある。
この本は、なかなかめぐり逢えない本だった。

アマゾンのレビューから抜粋すると・・

「フォックスは、パーキンソン病が自分に何をもたらしたかを語る。すばらしい人生と仕事に感謝するチャンスが与えられたこと。そして、治療法を探すための手助けをし、人々に広くこの病気について知ってもらう機会を得たこと。そう、彼は実に幸運な男なのだ。」

だから、本の題がラッキーマンになっている。

発病は1992年らしい。パーキンソン病はゆっくりと進行していく。難病であり治療法が見つかっていない。
マイケルは今、財団を作って、この病気の治療法を確立しようとしている。

彼が引退する直前の番組が、ニューヨークの市庁を舞台にした、スピンシティというドラマシリーズ。
マイケルは市長の補佐官の役で出ていた。
番組の中の彼に、少し違和感を覚えるのは、病気の事がわかってからだった。
本の中に書かれているが、この番組の収録は大変だったとのこと。発作を抑えるための薬をのみ、いうことをきかない身体がほぐれてきた時を狙って、自分の出演場面を撮っていたらしい。
その演技が面白い。本当にこの役者はすごいと思う。

マイケルは、今、バック・トゥ・ザ・フューチャーを見て、映画のように、自分はもう一度過去に戻りたい・・・と思うんだろうか?
きっと思わないだろう。

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。」

彼が毎日捧げている祈りの言葉。

マイケル・J・フォックス財団が、パーキンソン病の治療法を確立して、彼の姿をもう一度見られることを願う。


| | 映画・舞台 | 23:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
シンガー・ソングライター
僕らが中学の頃だから、1970年代に入ってから、シンガー・ソングライターという言葉が出てきたと思う。
今はあまり使わない言葉みたいだが、自分の作った曲を自分で歌う人、という事だ。

吉田拓郎や井上陽水が日本ではメジャーだった。もちろん、岡林信康とか、高田わたるとか、もっと古い人はいるが・・・。
洋楽では、キャロル・キングをよく聞いた。この人は元々は作曲家だったが、自分でもピアノを弾いて歌い始めたのが70年代。ギターでは、ジェームス・テイラーだった。
ボブ・ディランなんかもそうだが、あまり、シンガー・ソングライターとは言われなかったような気がする。

今や、シンガー・ソングライターだらけだが、あの頃は自分で曲を作って歌うという事が、まだめずらしかったのかもしれない。今では、この言葉も死語になりつつある。

荒井由美が出てきた頃から、ニューミュージックという、今考えるとわけのわからないジャンルができて、そこにシンガー・ソングライターたちもくくられてしまったように思う。
ハイ・ファイ・セットなどは大好きだったが、シンガー・ソングライターではないけれど、ニューミュージックと言われていた。
そう思うと、ニューミュージックとはいったい何だったのか・・・難しい。

いずれにせよ、シンガー・ソングライターは、年をとると減ってくるのではないかと思う。

問題は歌詞だろう。吉田拓郎など、若いころは多作だったが、最近はそれほど歌は作っていない。
あれはきっと、曲よりも歌詞が書けないからだろうと思う。

若いころは、恋や愛、友情や正義、社会に対する不満、どう生きるか・・色々と書くことがある。
年をとると・・それらがなくなるわけではないが、自分の答えが出ていたり、熱意がなくなったり、開き直ったりしてしまう。

ふり返ると、自分というものに、何の言われもない自信や不安があったり、何に対してかわからない不満があったり、やり場のない自意識というものがあった。それがエネルギーになっていたと思う。でも、だんだん自分というものが確立して、やり場のない自意識はどこかに行ってしまった。

きっと、おおかたのシンガー・ソングライターたちは、年をとると、歌詞が書けなくなるのではないかと思う。
書くべきメッセージがなくなっていくのではないか。

ユーミンや小田和正は別格だが・・。

やり場のない自意識を持ち続けられることは、すごいことだと思うが、普通の人にはできない。

でも、全くなくなってしまうのは、さびしいことだ、とも思う。

それを、スプーン一杯くらい持ち続けて、老いることができれば、楽しいかもしれない。


| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい本屋
長らく工事中だった阪急の駅の改装がやっと終わった。

行ってみると、駅の事務所だったところに、本屋ができている。
最近、阪急の駅の構内や出口付近にできている、BOOK 1stという本屋だ。

今日の夕方、近くまで行ったので、どんな店かな・・と思って寄ってみた。

駅の売店で売っている本といえば、マンガと雑誌と西村京太郎や赤川次郎の推理小説の文庫本などに相場が決まっていたが、BOOK 1stはそういう店の延長ではなく、普通の本屋である。
西宮北口にもあるし、梅田にもある。

ひととおり、見て回ったが、店はけっこう広い。
マンガが意外と少なかったが、文庫・新書が多かったので、うれしくなった。
知恵の森文庫とか、PHP文庫などもあったし、翻訳の小説もそこそこあった。
これから、売れ行きに応じて、品揃えも変わっていくのだろうが、近所の本屋さんは困るだろうなあ・・と思う。

早川ミステリでは、限られた本棚スペースに、サラ・パレツキー(V.I.ウォーショースキーのシリーズ)とスー・グラフトン(キンジー・ミルホーンのシリーズ)が揃っている。
自分の好きなシリーズ本が揃っている店というのは、それだけで評価が上がってしまう。

誰が、店に置く本を選んでいるのだろうか?
アガサ・クリスティのシリーズを減らして、サラ・パレツキーやスー・グラフトンを置くのは、けっこう勇気が要ることのような気がする。
駅の利用者層とか、近辺に多い年齢層とか、近所の本屋の書棚とか、調査するのだろうか。
近所に女子大があるのは、考慮されているかもしれない。どちらのシリーズも女性探偵のハードボイルド系だから、若い女性に人気があると思う。

・・そうか、定期のデーターから、その駅で乗ったり、降りたりする客の性別・職業・年齢はわかるのか!
そのデーターは使っているかもしれない。

駅の利用者向けの店というのは、客層がわかりやすいということだ。

だから、BOOK 1stの品揃えはああなっているのか・・・。

そんなことを考えたが、とにかく、近所に本屋が増えたのはいいことだ。

休みの日の楽しみが一つ増えた。


| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
子供の文化祭
子供の文化祭を見に行ってきた。

まず驚かされるのは、来ている女子高生の格好。大人顔負けの派手な格好で、化粧もすごい。

教室の展示を回って、古本市に寄る。去年も行ったが、図書館で借り手のない古本を、やむなく販売している。
行った記念に、必ず1冊は買うことにしている。一昨年は掘り出し物を見つけ、よろこんで買った。

去年は、カバーに入った装丁のよい本がたくさんあった。内容は、宗教関係の本とか、マルクス全集みたいなもの。さすがに手が出ない。
今年はその手の本はほとんどなく、普通の単行本や文庫が積んであった。
図書館の所蔵印がなかったので、たぶん図書委員の生徒が持ってきた本だと思うが、2005年4月の新刊の単行本があった。
好きな著者の本で、これはラッキーだった。2200円の本が150円で買えた。

ここからが本題。

だいたい見て回ったので、時間つぶしのために野外のステージのところですわってぼんやりしていた。
野外のステージ企画は歌合戦をやっていた。

カラオケを流して、2組ずつ歌い、どちらがうまかったかというのを観客の拍手で決める、というもの。
ケミストリーを2人組でやる生徒や、女装でモーニング娘をやる生徒がいて、けっこう面白い。

もうそろそろ終わり、というところで、メガネのマジメそうな生徒が出てきた。ミスター・チルドレンの何とかいう歌を歌うという。急に参加が決まったらしく、昨日練習したとのこと。

ところが、司会がそれでは・・と言っても、カラオケが流れてこない。メガネ君はマイクを持ったまま立っていた。しばらくすると、司会が出てきて、カラオケの調子が悪くて、音が出ない・・とのこと。
どうするのかなあ、と思って見ていたら、司会の子も時間がないことを気にしていて、「それでは、カラオケなしで歌ってもらえますか?」という。
「えー、それはかわいそうやろ」とは思ったが、今さらどうしようもないらしく、メガネ君も「はい、歌います」という。

カラオケなしで、その、ミスター・チルドレンの歌が流れた。

エライやっちゃなあ、と思って見ていた。

歌が終わって、司会が出てきて、前に歌ったケミストリーの二人組と、メガネ君のどちらがうまかったか?と客席に拍手を求めた。

どうなるのかな?と思っていたら、明らかにメガネ君の方が生徒たちの拍手が多かったのだ。

ケミストリーの二人組も、悪びれず、罰則として、下手な歌を歌ってすいませんでした・・と謝っていた。

野外ステージのアトラクションだから、別に勝とうが負けようが、遊びといえば遊びだが、それでも、見ていて「みんな、いいとこあるやん」と思ってうれしくなった。

時間つぶしで寄った野外ステージだったが、おかげでいい一日になった。


| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
どうしてくれる?
気に入った音楽は、中学の頃からカセットに入れていた。カレッジポップスやカントリー、昔のフォークソングなど、まだ持っている。
その後、ドーナツ盤のレコードも買ったし、30cmのLPレコードもたくさんある。
さらに、テレビでやっていた落語や漫才を8mmビデオに入れて持っている。

何だかわかります?カセット、レコード、8mmビデオ・・どれもこれからなくなっていくものですよね。

かろうじて、カセットデッキはまだあるが、レコードプレーヤーは大きな店に行かないと売っていないし、レコード針もなかなか手に入らない。8mmビデオはもうデッキを売っていない。

特に8mmビデオはずっと愛用していたデッキが2年ほど前に壊れ、電気店に持っていったら、発売後15年以上経ったので、修理不可とのこと。
あわてて、オークションで1台8mmビデオデッキを買った。新品がないから、中古を買うしかない。買わないと、百時間以上ある落語や漫才を見ることはできなくなる。

VHSだって、今はまだまだあるが、どんどんDVDに切り替わっている。

以前、光ディスクなるものに文書を入れていたが、もうその方式の記録ディスク装置がなくなるので、変換が必要・・と言われ、全部データーをCD-ROMに入れ換えたこともある。

まだある。ウォークマンといえば、カセットだったが、ちょっと前にはMDになり、今はiPodなどというメモリーになろうとしている。

時代の進歩、技術の進歩という事なのだろうが、あまりにも早すぎるのではないですか。

記録メディアが変わるたびに、そのメディアにしか入ってなかったような音楽などがなくなっていく。
売れているアーティストの音楽は、LPレコード時代のものも、CDになっているが、メジャーではない人のレコードは、CDにはならない。

音楽も、演芸も、文化の一つだろう。
記録メディアの技術の進歩はいいけど、たいそうな言い方になるが、そのたびに文化が欠けていくような気がする。

大好きな曲で、芦屋のシーサイドを歌った女性シンガーのLPがあった。
レコードが今手許にないので、正しい曲名も、誰が歌っていたかも忘れたが、時々無性に聴きたくなる。
この人はレコード1枚出して、その後は何もなかったので、あの曲は僕の持っているLP(当時何枚売れたか知らないが・・)でしか聴けないのだ・・・。

それが文化とまでは言わないが、もうちょっと何とかならないものか。
家電メーカーが儲けるためにやってるような気になってくる。

困っている人、いるでしょう。

あの、芦屋のシーサイドを歌った曲が聴きたい・・・。
いい歌だったんですけどね・・・メロディもわすれてしまった・・・。
こんど、LPを持ってこよう!

| | 考えたこと | 01:11 | comments(7) | trackbacks(0) |
忘れられない一曲
こないだ、またライブに行った。

前回は70年代のヒット曲だったが、今回はその続編で80年代の前半の曲のコーラス。
今から20年〜25年前の歌になる。

プレイヤーとの距離が近くて、すごいエネルギーを感じたし、みんなが楽しそうに歌い、演奏しているのを聴くとこちらまで楽しくなる。
Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)という曲が、このグループのテーマソングになっていて、振り付けがあるのだが、前回と同じく、客席も一緒になって踊ってしまった。この曲はすごく好きな曲になった。

20代のころは、懐メロというと、軍歌だったり、古い演歌だったりして、当然興味はなかった。
でも、10年ほど前に、NHKの思い出のメロディーみたいな番組を見ていたら、太田裕美が出てきて、「木綿のハンカチーフ」を歌い始めた。えー、これが思い出のメロディになるのか?とびっくりしたおぼえがある。その当時で、発売後15年くらいか。

だんだん、思い出のメロディになじみが出てくる自分は、確実に歳をとっているが、この頃はそんなことも気にならない。イイ音楽は古かろうが新しかろうが、イイ音楽だ。

思い入れのある曲、ありますよね。
あの頃聴いた曲、あの場面で聴いた曲、誰かと一緒に聴いた曲など・・。

今回のライブで一番感激したのは、Sir Dukeというスティービー・ワンダーの曲。

今またギターの練習を始めたが、この曲が流行ったころは仕事で遅くなったが、どういうわけかギターをよく弾いた頃だった。
子供も生まれてなかったし、甲子園球場のそばのマンション住まいだった。自分で買ってきて組んだ安物のラックにレコードプレーヤーやアンプ、カセットデッキなどを載せて、ギターをつないで、もっぱらヘッドフォンで弾いていた。
今から思うと、この時期がギターを練習した最後の時期だろう。ここから進歩が止まっている。
Sir Dukeのサビのあとの部分のリフを弾こうと思って、何度も練習した。いつも最後のところでひっかかって、うまく弾けない。

Sir Dukeは、ジャズの巨匠であるデューク・エリントンに捧げる歌ということになっているが、歌詞とメロディがよく合っていてノリがすごくいい曲だ。残念ながらデューク・エリントンさんにはあまり面識がないのだが、曲の中に出てくるグレン・ミラーやサッチモにはお世話になったおぼえがある。

歌詞は、「音楽は世界中に通じるコトバだ。だれでも同じようにわかる。レコードにグルーヴがあるだけで、だれでも歌い、踊り、手拍子できる。・・・」というようなもの。
実は難しくて、歌詞の意味が全部はわからないが、サビのところの「キミも感じれるだろう(You can feel it all over)」のリフレインのところに来ると、感動してしまう。
こないだのライブでは、このリフレインの部分を何度も繰り返した。手拍子をしながら、ステージの上のプレイヤー、ボーカルが楽しそうに演奏し、歌っている顔を見ながら、一緒になって歌った。そしたら、涙が出てきた。

別にあの頃を思い出したわけでもない。郷愁でもない。今書いていると、たしかにそんなことがあった・・と思うんだが、その時は何も考えてはいない。音楽の力なんだろうか。

今度こそ、練習して、あのリフを弾けるようになろう。
今回、ライブに行って、Sir Dukeは忘れられない一曲になった。
これから、まだまだ忘れられない曲が増えてくる・・そんなふうに暮らせたらいいと思う。



| | 音楽 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
イベント
人生には色々なイベントがあると思う。
節目というやつだ。

まずは誕生。これは自分では覚えていないが、大きなイベントだろう。これがなければ、存在しないのだから。

それから、入学と卒業を繰り返す。幼稚園、小学校、中学校、高校・・。これも、がらりと環境が変わるのだから、大きなイベントだ。

そして、いつか社会に出る。一般的には就職ということになる。親から離れ、自分で生活するということ。これも一大イベントだ。

人によって前後はあるが、結婚も大きなイベントだ。家庭を持つ、ということだから。

そして、子供ができたら、それもすごく大きなイベントだ。親になる、というのは未体験の領域に入ることになる。

もしも仕事を変われば、それもイベントだ。
住むところが大きく変われば、それもイベントだろう。海外住むなどというのは、もちろんイベントだ。

そして、定年だろう。社会の第一線から外れることになる。

最後は死だ。死はイベントと呼んでいいのかどうかわからないが、もちろん、自分にとっては大きな出来事だ。

人は、社会で生きていくかぎり、これらのイベントを経ていく。
始まりがあって、終わりがある。

これらのイベントは、人間を成長させる。(死もそうだと思う。)そういう効果はきっとありますよね。

僕には、予定されたイベントは、それほどたくさん残されてはいない。

果たして、これらのイベントが多い方が幸せなのか、それとも少ない方が幸せなのか・・・それがわからない。
少なくとも、人生の後半でのイベントは少ない方が幸せだ、という人がいる。
人生の後半のイベントを少なくするために、みんな前半にがんばるんだ、という考え方だ。平穏無事にいければいい、ということだろう。
ホントにそうだろうか・・・。

一概にイベントの数だけを云々しても意味はないのだろうが、僕自身は、やっぱりイベントが少ないのは寂しいと思う。

そんなことは、自分だけで決められるものでもないし、交通事故みたいなものもあるのだから、考えるだけムダ、という人もいる。たしかに、一般的な正解はないだろう。

でも、大きなイベントでなくてもいいから、やっぱり、イベントが多い方が幸せだと思う。
自分で、イベントを作って、成長していく、そんなことができればいいですね。
| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストレス
最近血圧が高い。そのせいで書けなかった。

今年の健康診断で、今までになく高い値が出て、自分でもびっくりした。
知らぬ間に、仕事中に重症高血圧などという恐ろしい領域に入っている事があるらしい。

それから、マジメに血圧計で朝晩測って、血圧記録ノートにつけている。こんな自分を想像できなかったけど。
最近は、血圧が上がると、頭痛がする、という自覚症状まで出てきた。

血圧をつけると、不思議なモノで、高いのではないかと思った時には低かったり、今日は調子がいいと思う日には高かったりする。
何が血圧の高い・低いを決めているのだろう?

医学豆知識というサイトで血圧を下げるためには何をすればよいかを調べると・・・

・暴飲暴食を慎む
・煙草を喫わない
・適度な運動をする
・肥満にならないように気を付ける
・塩分を摂り過ぎない
・ストレスを上手にやり過ごし、楽しく生きるということをモットーとする

(http://www.adachi-med.or.jp/shimin/mame/mame4.htmlより)

ふ〜ん、煙草はやっぱりダメなのか。
でも、最近ダイエットもして、運動もして、体重も落としているのだが。
だんだん悪化しているところをみると、6番目の「ストレスを上手にやり過ごし、楽しく生きるということをモットーとする」というところが一番怪しいなあ、と思う。

ストレスは適度にないといけない、と思っている。ストレスがあるからこそ、それを克服した時の充実感や達成感がある、という側面があるからだ。
今も、ストレスはある。ストレスのない人などいないし、なければ幸せだとも思わない。

「上手にやり過ごす」というのは、どういうことなのかな。

克服しようとあがかずに、諦めてしまえという事なのか・・・。
それとも、仕事上のストレスは、仕事が終わった時点で、スッパリと忘れなさい、という事なのか・・・。
ストレスを冷静に見つめて、なぜストレスなのかを理解する、というようなことなのか・・・。

・・・そうか、自分のストレスについて、ちゃんと考えるということが必要なのか。

池田晶子の「考える日々」に書いてあった、この言葉か。

「・・人は言う。
「私だって考えてますよ。」
 違う。そういうときに人が言う「考える」というのは、ほとんどの場合、考えているのではない。その言い方によって、人は何をしているかというと、まず間違いなく、「悩んで」いるのである。「考える」という言い方で、人は「悩んで」いるのである。しかし、「考える」ということと、「悩む」ということは全然違う。いやむしろこう言っていい、人は、きちんと考えていないからこそ、ぐずぐず悩むのである。」

これが、ストレスを「上手にやり過ごす」という事なのかもしれない。

本当にストレスについて、考えることが大事なんでしょう。


| | 考えたこと | 01:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
習い事は練習が・・・2
以前に書いたギターのレッスンだが、その後のお話。

今はF先生が書いてくれた楽譜を見ながら、練習する毎日である。

とにかく、今まで弾いたことがない和音ばかりで、指が覚えていないのですごく難しい。
おまけに、そんなに弾いてなかったので、指が痛くなってきた。
それでも、がんばって練習を続けている。

今週の月曜日が3回目だったが、F先生のほれぼれするプレイを見て、自分で先生について弾いて、違いに愕然とするが、それでもやるしかない。

月曜日のレッスンまでは、本当に弾けるようになるのかな・・という気がしていたが、レッスンの時にF先生が、

「この調子で、とにかく3曲仕上げたら、あとは何とかなりますから。」

と言ってくれた。

あまりにも、遅々たる進み方なので、自分でも自信がなくなっていたが、そう言ってもらって、俄然やる気になった。
人間なんて、いい加減なもの。豚もおだてりゃ木に登る・・ということかもしれないが、F先生が言われるんだから、とにかくやろう、という気になった。

月曜日は、帰ったあとも、復習した。

習い事は練習が大事、というのは本当である。
当たり前のことだが、気づかなかった。

だんだん、ギターの練習がおもしろくなってきた。
奥が深いなあ・・と思う。

中学2年の時から弾きはじめて35年くらい。
この歳になって、練習がおもしろくなる、というのは幸せなことだと思う。

せめて、もう15年前にこうなっていたら・・と思うがあとの祭り。
こういう時は、あと15年先でなくて良かった・・と思うべきなんだろう。

とにかく、習い事は練習ですよ。
自戒する日々である。

| | 考えたこと | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
雪の女王
最近の日曜日の楽しみについて書く。

NHKが7時半から8時の枠で、去年から日曜日にアニメをやり始めた。

春くらいまで、名探偵ポワロとマープルというシリーズだった。これは、おなじみアガサ・クリスティの原作をアニメ化したもの。
これはこれで面白かった。ポワロとマープルが、探偵見習いの女の子を通じて、つながっているという設定。

それが終わって、5月の終わりから、アンデルセン原作の「雪の女王」という物語をやっている。原作も題名も知らなかったが、これがすごくいい。
夢のあるおはなしだ。

NHKのページを見ると、「少女の大きな愛と冒険の物語 信じつづけていれば思いはきっと届く」というコピーが書いてある。

すごく仲がいい、ゲルダという少女とカイという少年がいた。
ある日雪の女王の城の鏡が割れて、その破片がカイの目に入ってしまう。
そのせいで、カイは人が変わったようになってしまい、雪の女王が連れていってしまう。
そこから、ゲルダの旅が始まる・・・というストーリー。
ゲルダのひたむきなカイを思う気持ち、優しさ、旅の途中で出会い、別れる人たち・・・アンデルセンの原作にどれだけ忠実なのかはわからないが、毎回心が洗われるようなおはなしが続く。

こういう番組をやっているなら、いくらでも受信料払います・・と思う。

日本はアニメの輸出大国だし、もっとアニメをやるべきだと思う。
ハウス名作劇場なんて、いろんな国でやっているハズだ。

少子化の影響か、8チャンネルは日曜日夕方6時のちびまるこちゃんから、8時まで2時間通してアニメだったが、最近7時半までになって、30分はバラエティみたいな番組になった。どう考えても、あのバラエティ番組が輸出できるとは思えない。でも、良質なアニメは、いろいろなところに輸出もできるし、世界中の子供たちを感動させることもできるのに・・・。

雪の女王は、今日の話も、よかった。
吟遊詩人のラギの過去の話で、人を信じること、約束を守ること・・そんなテーマだった。
オープニングは千住真理子のバイオリンで、スノーダイアモンドという曲。
きれいなメロディです。
エンディングが、小田和正の「大切な君に」。
これが、最後に流れてくると、じーんとくる。
どうも最近、涙もろくなった・・・。

NHKのホームページにあらすじがありますから、興味のある人は、一度見てみて下さい。

http://www3.nhk.or.jp/anime/snowqueen/


| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ディズニーランド
新幹線に乗ったら、時々大きなディズニーランドの袋をいくつも持った家族連れを見ることがある。
今日も乗っていたが、みんな満足そうな顔をしている。

以前、ディズニーランドが、なぜ人気があるのかについて、支配人だったかが講演した文章を読んだことがある。正確にいうと、読まされた、というべきか。上司から配られてしかたなく目を通したから。

それによると、ディズニーランドは常に変わり続けているし、働く人の一人一人が、お客さんに来て良かったと思うような夢を与えるのだ、という目標を持っていて、それを常に共有しているからだ、ということだったと思う。いや、共有というような言葉ではなくて”夢を与える”という価値をみんなが信じていて、それを誇りを持ってやっている・・・というような書き方だった。

”常に変わり続ける”というのは大変なことだ。人は毎日・毎月・毎年同じ事をやる方が楽だし、しんどいことはやりたくないから。

それに、とにかく変わればいいということではないだろう。夢を与え続ける変わり方を考えないといけない。

顧客満足度、というような事で配られたテキストだったが、いい話だったのでコピーをとっておいた。例によってどこかに行ったが・・・探せばあるはずだ。

そんなふうに、みんなが夢を共有して、常に考えて、変わり続け、誇りを持って仕事ができるというような職場・・・なかなかないです。
”夢を与える”という変わらない価値を信じて、誇りを持って働く・・・すごい。

ディズニーランドで働いている人たちが100%そうだとは思わないが、人気の秘密は”夢の価値”を信じること、そこにあると思う。
他のテーマパークが、わかっていてもマネできないのは、それをやるのがすごく難しいという事だ。

難しいからこそ、やる価値がある。
それでも、やっぱりそういう職場を作るのは難しい。
ディズニーランドにそれができるのは、やっぱり、夢の象徴であるミッキーたちがいるからだろう。

こないだおみやげに、ガラスのミッキーマウスをもらった。
そのミッキーを見ていると、ウォルト・ディズニーが考えた”夢の価値”をミッキーが笑いながら伝えているような気がする。

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