考えたこと2

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今日は何の日
ずっと4月29日は天皇誕生日だったが、そういえば前の天皇が崩御して、天皇誕生日は4月29日ではなくなった。

今の天皇の誕生日は12月23日であり、クリスマスイブのイブで、なかなかいい日だ。

もちろん、4月29日も、憲法記念日、こどもの日とつながる、いい日だと思う。(連休のことしか考えていないのだが…)

ところで、今日は何の日になったのかと思うと、昭和の日だった。
そうか…。昭和天皇が生まれた日だから、昭和の日ということか。

ずっと、ゴールデンウィークということで、一まとめにしてカレンダーを見ていたので、あまり意識がない。

しかし、4月29日は、元はみどりの日だった。(それは記憶にある)

いったんみどりの日になって、その後やっぱり昭和天皇を偲んで「昭和の日」になったのが去年の話。
今年が2年目か。
それにともなって、みどりの日は5月4日に移動させられたらしい。何となくみどりの日が気の毒になる。

以前は5月1日はメーデーで(動員がかからなければ)休みだったが、今は出勤になったので残念。
ということで、今年は30日、1日、2日は仕事して、カレンダー通りの4連休。
読み終えた本の整理をするつもり。

昭和32年生まれのぼくとしては、知らぬ間にできていたとはいえ、昭和の日はうれしい。

恐慌、開戦、敗戦、高度成長、オイルショック、バブル…。

昭和の最後の日、ぼくは伊丹空港に海外からの訪問者を出迎えに行っていた。
予想外に早く出てきたGさんに、「今日は昭和の最後の日だ」と言ったが、何のことかよくわからなかったようだ。

そういうこともあったと、今思い出した。

今日は昭和の日ですよ。



| | 考えたこと | 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
平成の新語
子どもが「まんきつ」に行ってきたという。

「まんきつ」と言えば、「満喫」しかないと思う。
どこに「満喫」に行くのか…??

聞いてみたら「まんきつ」というのは、「マンガ喫茶」の略だった。

コミックカフェやネットカフェならわかるのだが、マン喫はわからない。

久しぶりにわからない新語を聞いた。

前に見た「カキコする」は掲示板などの書き込みをすることだが、これは前後の関連で意味がわかる。

動詞は目的語や前後関係でわかりやすいのだろう。

一番わかりにくいのは名詞。特に略語は難しい。

今はやりのアルファベットの組み合わせのもの、KY(空気読めない)などは、わかられないために作られた言葉だから、わからなくてもいいと思うのだが、マン喫のように発音上は別の言葉がある場合はややこしい。

満喫とマン喫はどちらもマンキツだから、ワケがわからなくなるのだ。

どこまでついていくべきか…、というより、どこまでついていけるのか?

今はまだそれを知ろうという熱意があるが、そのうちそれもなくなってくるだろう。

新語フォローは若さのバロメーターかもしれない。



| | 考えたこと | 18:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
同僚
Companyという言葉は「会社」という意味。

だが、もう一つの意味がある。それは「仲間」という意味。

会社の仲間は、「同僚」。
友だちというと、通常は仕事がからまない。
同僚というと、仕事がからむ…というより、仕事の仲間だ。
同期入社だけは、友だちになるかな…。

ニュアンスとしては、友だちの方が同僚よりも長いつき合いという感じ。

でも、時として仕事を通じてできた同僚は友だち以上の関係になる。
特にそれが「いい仕事」だった場合は、かけがえのない仲間になる。

そして、仕事を離れると、友だちになる。

仕事にかける時間は長い。

共通の言葉を持ち、一つの目標を共有する。
いい仕事ができないと、いい同僚は得られない。

そんな同僚を持てたら、いい仕事人生を送れたということだ。

ぼくはそんな同僚を持てて、ラッキーだと思う。

| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
瞬間接着剤
仕事を始めたころ、瞬間接着剤をよく使った。
商品名をアルテコという。

あれはすごく便利なものだが、一つ間違えると凶器である。

振動を測定するための圧電型ピックアップというのを、測定場所に取り付けるために使っていたのだが、これが難しい。
ひっつけるところは大体決まっていて、アルテコを2,3滴金属製のピックアップにたらして、それを金属の丸い棒状のところに押しつける。
グッと押しつけたら、息をころし、じっと接着を待つ。

瞬間接着剤というくらいだから、ひっつくときはすぐにひっつくのだが、気持ちの問題で、しばらくじっと押しつけている。

ゆっくり手を離したら、ピックアップがぽろりと取れる…失敗である。

接着というのは、接触面が命だから、失敗するとピックアップと棒の部分接着剤の残りをきれいにサンドペーパーでこすり取って、きれいに拭いて、もう一度やり直すことになる。

単にぽろりと落ちるのならいいのだが、時々アルテコをつけすぎて、接着面からはみ出ることがある。
それが指先につくと悲惨である。
手を離そうとしても、ピックアップと指が接着され、離れなくなる。

その時はカッターナイフなどを使って、指とピックアップの接着面を切り離すしかないのだ。

だから、凶器になる。(本当はお湯につければいいのだが…)

ある時、接着の原理を聞いたら、水分と重合反応を起こすことによって接着しているとのこと。

それなら…ということで、アルテコをたらしたあと、「ハー」と息を吹きかけることにした。
効き目があったのかどうかはわからないが、今でも何かを瞬間接着剤でひっつけるときには、「ハー」と息を吹きかけている。
子どもに、なぜそんなことをするのか?と聞かれると、もっともらしく、この接着剤は水分と重合反応をするから、呼気を吹きかけると反応しやすいのだ…と言っている。

そんなことをしていた頃が懐かしい。

今「アルテコ」で検索してみたら、これは社名なんですね。
従業員45名の会社だが、1965年の創業とのこと。

僕がお世話になっていたのは1979年〜82年くらいか…。

もう25年も前の話だが、入社したての頃で、なぜかよく覚えている。

これは忘れないだろうなあ…。




| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
エルゴノミクス
昔は人間工学と言っていたが、今はエルゴノミクスという言葉になった。

最近、右の肩がオカシイので、見てもらったら前に出ている。
寝たときに肩と床の間に大きなすきまがあるという状態。

こういうのは、やっぱり日常生活に原因があるはずだろうと思って考えたら、マウスに思い当たった。

前からマウスのコードがジャマになって、ポストイットを置きたい場所と重なるので、思い切ってコードレスのマウスに変えてみることにした。

どうせなら、エルゴノミクスマウスと呼ばれるものにしてみようと思って、探してみた。

どうなっているかというと、マウスの上面が右に傾斜していて、左の側面がえぐれているというカタチ。
このデザインが、エルゴノミクスマウスの主流らしい。

要は右手が水平ではなく、右に傾くことと、マウスをつかむ部分の幅が狭いということらしい。

これは、机の上に手を置いたときには、小指が下になって、右手が水平ではなく傾くというのが自然だ、ということから決まったカタチのようだ。
だから、従来のものよりもずんぐりむっくりのカタチになっている。

どうせなら、たくさんボタンが付いているのがよかろう…と左親指のところにボタンが二つ付いていて、おまけにホイールの手前にもう一つボタンが付いているもの…5つボタン(制服みたいだが)のものにした。

今日から使いはじめたが、何となく調子がいいような気がする。

コードを気にしないで使えるというのが、こんなに楽だとは思わなかった。

身体のどちらかの手で使うものは、左右非対称であるべき…ということか。

考えたら、当然かも…。




| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
アンドロイド
こないだ、テレビをつけたら、石ノ森章太郎の特集をやっていた。

ぼくが知っているのは、石森章太郎だが、いつからか名前を変えて、石ノ森章太郎になった。
調べてみると、石森で「いしのもり」と読んでほしかったのに、世間で「いしもり」になってしまったので改名した由。

有名な作品は「仮面ライダー」だが、昭和30年代前半生まれのぼくらにとっては、何といっても「サイボーグ009」である。

アトムのおかげで、ロボットとかエネルギーという概念が一般的になったと言われているが、「サイボーグ009」のおかげで、「サイボーグ」とか「アンドロイド」というものを知った。

サイボーグとは、装置を埋め込み、特殊な能力を持った人間のこと。
アンドロイドとは、人間そっくりのロボットである。

人型ロボットではなく、本当に人間のたたずまいをしたロボットが「アンドロイド」ということになる。

石ノ森章太郎のおかげで、ぼくらは「アンドロイド」という言葉を知っている。

何でこんな事を書いているかというと、最近「アンドロイド」という名前を聞くようになったからだ。
それは、ロボットではなく、グーグルが開発している携帯電話のソフトである。

グーグルはインターネット上で動くソフトをいろいろと開発していて、いくつかは職場でみんなで共有して助かっているが、それらと携帯電話をつなごうとしているのが、「アンドロイド」である。

携帯電話の買い換えの話をしていて、「ぼくは秋まで待って、アンドロイド対応を待つのがイイと思う」というと、若い人は「何ですか?そのアンドロイド…?」という。

アンドロイドという言葉を聞くと、人間型のロボットを想像し、ネット上で人間のように働いてくれるソフト…というイメージなのだが、その言葉を知らないとイメージはわかない。

「アンドロイドは、携帯とネットをつなぐように働いてくれるんですよ…」

この言葉は「まるで人間みたいに…」という意味を含んでいるし、だからこそグーグルは新しいソフトに「アンドロイド」という開発コードを付けたのだろう。
このイメージが伝わるのは石ノ森章太郎のおかげだ。

前にも書いたが、SFはどこかに行ってしまったし、今のマンガにはSF的な要素がなくなっている。
ちょっと残念…。

携帯のアンドロイドは、本当に楽しみにしている。

早く出ないかな…。




| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
フォークソング されどわれらが日々
「これは面白い」ということで、貸してもらった。
60年代に活躍したフォークシンガーたちへのインタビューを、文春が編集して作った本。

懐かしい名前が並ぶ。

高石ともや、西岡たかし、三上寛、山崎ハコ、シモンズ、りりィ、小室等…。

当時流行った歌の歌詞、プロフィール、あの頃をふり返っての本人の語り。

おそらく、ぼくよりも一世代上の人たちには同時代の感覚があるのだと思う。

ビックリしたのは、山崎ハコが同い年だったこと。
暗い歌を歌う人だった。
「貝殻節」はこの人が歌っていたとばかり思っていたが、記憶違いかな…。
さっきネットで見たら、民謡だったんですね。

話はそれたが、ほとんどの人が年上である中で、山崎ハコは年が同じということもあって、すごく興味深かった。

大分の出身で、ギターが好きな普通の女の子。
インタビューでも、ところどころ大分弁が出てきた。社長の方針で「作られた偶像」になってしまった。
一時は体重が29キロしかなく、自動ドアも開かなかったとのこと。
家の都合で九州を出て、横浜に行くときに、友だちが駅に来てくれて冷凍ミカンを買ってくれた…。
自分の歌を背負って生きている。

横浜についたとき、タクシーの中で酔っぱらったお父さんに
「お父さん、港はどこにあるとね。汽笛が鳴らんね。外国船があるとね。水兵さんはおらんとね。」
と言って、運転手さんに笑われたという。

そんな人やったんか…。

日本中に1957年生まれがどれだけいるのか知らないが、この人がその一人だとは思わなかった。

もう一度山崎ハコを聞いてみたいと思う。




| | | 21:22 | comments(2) | trackbacks(0) |
先生
ギターを習い始めて2年半経った。

先生は最初のレッスンで年を聞いたら56歳と言っておられたので、もう58歳になっている。

ぼくより6歳年上だから、ちょうどベンチャーズなどのエレキブームの頃に高校生だったということになる。

レッスンの合間に、少しずつお互いの身の上話をする。

一度、最初からプロを目指されたのですか?という質問をした。

先生は中学の頃にギターを弾き始め、最初はフォークギターから入り、バンドを組んでギターに熱中したとのこと。

プロを目指して…というか、ニュアンスではギターを弾くことが好きでそれをしているうちに時間が過ぎたという感じだった。

でも、25歳の時に、プロの道をあきらめようとしたとのこと。
普通の仕事につこうとしたのだが、結局雇ってくれるところがなく、やっぱりギターで生きていこうと決断されたらしい。

それから、バンドマンの見習いから始めて、荷物を運んだり使い走りをしたりしながら、先輩のギタリストにいろいろなことを教えてもらった。

その頃は、本当に暇さえあればギターを弾いていたとのこと。

冬はこたつに入ってギターの練習をしているうちに寝てしまい、ギターを持ったまま寝るというような日々だったと言っておられた。

もちろん、プロだからぼくらが知っているような歌手のバックもつとめたことがあるし、こないだ、ギタリストとして参加したCDも出た。

バンドマンが一番羽振りがよかったのは、戦後すぐ。カラオケなどの装置が進み、仕事は減る一方とのこと。

いつ行っても、練習している。

老眼鏡をずらして楽譜を見ながら弾いていたり、CDをかけてそれに合わせて弾いていたりする。

ここはどうしてこのコードを使うんですか?と聞くと、それは…といくつかの解釈を教えてくれる。
答えはたいがい一つではない。

何度か同じことを聞いて、ようやくわかることがある。

なるほど…やっとわかりました、というと、自分もいまだにそう思うことがある…と笑って言われた。

そんな先生に出会って、ラッキーだったと思う。




| | 考えたこと | 02:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
坂の上の雲
一時、司馬遼太郎の本をたくさん読んだ。

「坂の上の雲」はそのとっかかり。
明治時代の日露戦争を描いた小説で、単行本で7巻か8巻あったと思う。

…というのは、この本は亡くなった父がどういうわけか会社から借りてきて(図書館などないだろうから、誰か同僚に借りたのか?)読んだ本だからだ。

長い小説だが、読み出すとやめられなくて困った。

高校3年の時、これは面白い…ということで勧められ、第1巻を読んでしまったのが運のつきだった。

当時はまだ文庫にはなっていなかったし、単行本を待つしかなかった。

どれくらいかけて全巻を読み終えたのかは覚えていないが、2ヶ月くらいかかったのか…。

とにかく、最後の1巻は父が持って帰ってきた本を借りて、すぐに部屋にこもって読み通した記憶がある。

期末試験か何かの前だったが、試験勉強などしていられなかった。

この小説がドラマ化されるらしい。

こんな壮大な小説がテレビでできるのかな?

来年の秋からNHKでスペシャルドラマとしてやるらしいが…。

ぼくは見ない…と思う。

この本については、小説の記憶をおいておこうと思っている。





| | | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイク
こないだ、新聞を見ていたらホンダのバイクの広告が出ていた。

今のバイクはカーボンファイバーなどの成形が、3次元の曲面できれいにできるようになったからか、やたら格好がいい。

昔のように丸いヘッドランプが一つ真ん中についていて、クロームメッキのバックミラーがハンドルから伸びているというようなスタイルとは違う。
ヘッドランプは小さくても光量が大きいものを4つ、バックミラーはウインカーと一体になって、ハンドルの前にせり出した「顔」の部分に取り付けられている。

調べてみると、ホンダのDN-01というモデル。
まるで、ウルトラマンの国際警備隊が乗っているようなバイクである。
メーターはデジタルで、オートマチック仕様。

バイクにはおなじみの、チェーンがないのも特徴。
四輪と同じ、シャフトドライブ。

ここまで格好がいいと、値段も高い。
同じホンダの軽自動車とほとんど同じ値段だ。
乗れる人数、材料の重さからいうと、圧倒的に値段が高い。

それにしても、すごいデザインだと思う。

こんなバイクもあるんですね…。

デザイナーもえらいと思うが、このデザインを商品化するところがもっとすごい。

きっと、賛否両論あっただろう。

オートマチックにしたのは、ギアチェンジをすると、足で変速しないといけないし、そうするとデザイン上、乗るときの姿勢が成り立たなくなったのだと(勝手に)思う。

メカニズムとデザインは表裏一体だ。

一度実物が走っているところを見てみたい。






| | 考えたこと | 00:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
マウス
マウスという言葉は今のパソコンが普及することによって、入力機器の名前にとして一般的になった。

それまでは、実験用マウスというように、ねずみという意味がカタカナのマウスの意味だったろうと思う。

大きさ、カタチが何となくねずみを想像させるので、マウスという名前がついたのだろう。
よくできた名前だと思う。
英語圏の人たちはどちらも一般的な意味だから、文脈でねずみか、入力機器かを決めているのかな…。

その、マウスもどんどん進化を遂げてきた。

最初はボールを転がすタイプだったが、ボールがゴミを拾うので、よく調子が悪くなったものだ。
それが、光学式というタイプになって、光によって動きを感知するものになり、最新のものはレーザーマウスというタイプになっている。

また、ボタンが一つから二つになり、画面をスクロールさせるためのローラーやスイッチが付いて、今や5つのボタンがついたマウスまである。

コードレスも増えてきた。
たしかに、机の上でマウスのコードはジャマになるから、電池さえ切れなければワイヤレスは便利だ。

さらに、手や腕に負担をかけないカタチのマウスというのも出てきている。

初期のボールマウスのアイデアを逆さまにした、トラックボールというのもあった。

これはボールを手のひらで動かしてポインタを動かすもの。
大きなボールのものは手に優しい。

CAD(製図用)のマウスは3ボタンのものも使ったことがある。
真ん中のボタンと右のボタンを一緒に押すと、特定の動作ができたりした。

たった20年ほどの間に、これだけ人間に使われるようになった道具というのもなかなかないだろう。
今では一人に一台のパソコンを使っているオフィスでは、みんなが一日に数時間はマウスを動かしているのだ。
人間の対応力というのも、よくできていると思う。

こないだ、電気屋に行ったら、本当にいろいろなマウスが出ていた。
たしかに毎日長時間使うものだから、自分の身体にあったものが必要だろう。

そのうち、ゴルフのクラブ選びみたいに、「それでは、今からマウスを動かしてみて下さい」というような指示にしたがって、ポインタを画面通りに動かし、その時の腕や手や指の緊張度を測って、「あなたに合ったマウスはこのタイプです…」というような商売も出てくるような気がする。

カスタマイズ・マウス…。

なかなかいい商売だと思うが、一方でこのマウスという道具がいつまでもパソコンの入力デバイスであり続けることができるかというと…そこがわからない。

目で追いかけたら動くというようなものが出てきたりして…。

たった20年くらいでこれだけ使われるようになったものだからこそ、なくなるのも早いかもしれないなあ。





| | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
ごはんと合わないもの
ごはん(米)と合わないものというと、何を想像しますか?

ぼくは乳製品だと思う。

基本的に牛乳を使った料理は、ごはんとは合わない。

こないだ書いたオムレツだが、玉子を泡立てて、牛乳を入れたようなものはパンにはいいかもしれないが、ごはんには合わない。

チーズもそうだ。これは合わないと思う。

だから、ホワイトソースのたぐいはどうも好きになれない。

あれはごはんのおかずではない。
あれだけ食べて、ごはんはあとで漬け物で食べる…というようなカタチになる。

ヨーグルトなど、どう使ってもおかずにはならないと思う。(それ自体は好きだ。)

コロッケも、クリームコロッケというのはダメだ。
あれはパンには合うが、ごはんには合わない。
やっぱり肉じゃがのコロッケでないとおかずにならない。

グラタンライスは好きだが、これはごはんのおかずではなく、一つの料理だと考えることにしよう。

チーズちくわというものもあるが、これはおつまみであって、おかずにはならない。

自分で書いていて、すごく説得力があると思うのだが、そんなことはないのかな…。

しかし、牛乳を使ったもの以外はあまり思い浮かばないところをみると、ごはんの守備範囲はすごく広いということだろう。

ごはんの国に生まれてよかった。



| | 考えたこと | 23:55 | comments(4) | trackbacks(0) |
風邪
風邪をひいた。

季節のかわりめには風邪をひきやすいというが、その通り。

本を読みながらうたた寝したのが悪かった。
何かぞくぞくするなあと思いながら、眠気に負けたのが失敗。

久しぶりに、風邪をひく瞬間を経験した。

風邪をひくの「ひく」は「引く」と書くようだが、この「引く」はどういうことなんだろうか…。

そこら中に風邪がいて、それを身体の中に引っぱってくるという感じなのだろうか。

たしかに、風邪をひいた瞬間の「ぞくぞく」は何かが身体の中に入ってきたという感じがする。

「邪」というのは、「正しくないもの」ということらしい。
風邪というのは、「なにか、正しくないもの」という意味かと思う。
そこらに漂っているものが、油断をすると、身体の中に入ってくるのか。

薬をのんで、寝ていたらマシになったが、季節のかわりめは要注意。

みなさん、気をつけて下さい。






| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
一日の長
こないだ、浮気をして買ったSARASAというボールペンを使っている。

店の試し書きではそんなに気にならなかったが、実際に使いはじめるとHI-TECとの違いがわかる。

書き始めのインクの出方が全然違うのだ。

キャップを取って、書き始めたときに、インクが出にくくて、紙の上をすべるように書けない。
少しひっかかったような書き味になる。

その点、HI-TECは最初からすべるように書ける。

どちらも太さが0.4mmのものだが、そんなに小さい球を精度良く作ることがまず大変だと思う。
どうやって作っているのだろうか?

そして、そのボールがインクを潤滑剤にして、なめらかに回るように、ペン先にとめるということがスゴイことだ。
その部分にパイロットの特許があるとのことだったが…。

ペン先を支える筒の部分もあんなに細い部分にかなりの筆圧がかかるのだから、材質や根元のカタチも工夫が必要だろうと思う。

そう考えると、一連の新しいボールペンはまさにハイテクな商品だ。

その中でも、HI-TECは素晴らしい。

さすがHI-TEC。一日の長がある。



| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
時計
誰が最初に考えたのか…。

時計は丸くて、1〜12の数字が並んでいる。

いつ頃からこのカタチになったのだろうか。
短い針が時針で、長い針が分針という区別。

考えたらよくできた仕組みである。
丸い盤を一目見たら、何時何分とわかるようになっている。

ずっと時計を見てきたので、1〜12の間を5ずつで区切って、1の位置なら5分、2の位置なら10分というように読める。
これは慣れていないと難しいだろう。

60分で1時間…これもいつから決まっているのだろうか。

時間というのは人間の意識の中で流れている。
「今」以外の時間は、人間だけが意識しているものだとどこかに書いてあった。
動物には「過去」も「未来」もない…意識の上ではそうだろうと思う。
物理的には万物に等しく時間が流れていく(速い、遅いはあるが)。

区切り方は人間が勝手に決めたものだが、それを意識しているということがすごいことらしい。

時計がなくても時間は流れていくが、その時間に名前をつけていくのが、時計。

名前をつけることで、過去と未来ができた。

こうしている今も秒針が回り、分針が回り、時針が回っていく。

過ぎさってしまっても、その時間に何時何分何秒という名前がついてしまうから、過去ができる。

当たり前のように使っているが、時計とはすごいものだと思う。



| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
オムレツ
昔からオムレツは好物だった。

オムレツといえば、ミンチと玉ねぎ、にんじんなどを細かくきざんだものを玉子でくるんだものと決まっている。
ウスターソースとケチャップをかけて食べる。

しかし、最近のオムレツはプレーンオムレツなどといって、玉子だけである。

玉子を泡立てて、フワフワにするのがよい…というものもあるようだが、あれなら普通の卵焼きの方が好きだ。

少し焦げ目がついて、玉子がかためのものが好みなのだが、焦げ目がつかないのが上品でよいなどと言われると、え?と思ってしまう。

あの焦げ目がある外観が、いかにもオカズという感じがして、食欲が出るのだ。

黄色一色のかたまりで、おまけに具がなくて、中が焼けていないなどはもってのほか。

そういうものを作るのが難しいのはよくわかる。
どの程度焼くのか、ひっくり返すタイミングはどうか…など、テクニックがいるのだろう。

作るのが難しいのと、おいしいのとは違う…と思う。

日本のオムレツは、ごはんのオカズなのだ。



| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
要るものは…
起きて半畳、寝て一畳ということわざがある。

人間が生きていくのに必要なスペースのことだ。

起きているときは立っているか、座っているので、畳が半畳あればよい。
寝ていても、一畳あれば十分…という意味。

生きていく上で必要だと思っているものでも、実際には要らないものもたくさんある。

今はモノがあふれている時代。

いざとなれば、要らないものはたくさんある。

要るものは…?

人間として生きるなら、要るものは人間関係だと思う。

人のあいだと書いて人間。

人と人のあいだがあってこそ、人間として生きていける。

となると、起きて一畳、寝て二畳というのが正解かな。


| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
先生もビックリ
今日はレッスンにマーチン・テイラーのCDを持っていった。

こないだ書いた、Georgia on my mindの最初の部分で、指づかいがわからなかったのだ。

マーチン・テイラーというギタリスト、先生も知らなかったようで(最近のギタリストには疎いとのこと)、「いい音しとるなー」と曲を聴いたとたんに言われた。

ぼくが持っていったのはライブ録音だが、さすがの先生も「ほー…」と聴きほれていた。

一曲通して聴いて、おもむろに音を採りはじめたが、なかなかしっくりこない。

ああでもない、こうでもない…と何度もその部分を聴いて、ようやくわかってきた。

ギターというのは、ピアノと違って、同じ高さの音をいろんな位置で出すことができるので、どの弦でその音を弾いているか、前後のつながりから決めていかないといけない。

奏者がうまくなかったり、使っているギターがあまり良くなかったりすると、音を聞いたらこの弦だとわかるのだが、名人が素晴らしいギターで弾いていると、それがわからない。

1時間かかって、3小節の演奏がようやくわかった。

レッスンが終わってから、他の曲も聴きましょうということで、何曲か聴いた。

先生も「これはいい」とうれしい顔をしていた。

いい演奏を聴くと、うれしい顔になるのは、いずこも同じ。

ぼくはとてもマーチン・テイラーのようには弾けないが、先生に教えてもらって、できる範囲でコピーしてみることにする。

当分は、通勤の音楽はこれになる。


| | 考えたこと | 01:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
文学的なメニュー
西洋料理の名前は難しい。

パスタなら、ペスカトーレとかカルボナーラとか、決まった名前がある。
でも、メニューのところに材料とソースのベースになるものが書いてあったりするし、パスタとわかっていれば、まあなんとかなるだろうと思う。

海外に行ったときにワケのわからない名前だと困る。

夜遅く空港について、機内食も食べたし、ずっと狭いシートに座っている状態だから、あまり食欲もないし…というときに、ホテルのレストランに滑り込みで入り、ちょっとお腹に入れたいということがあった。

英語のメニューだから、だいたいはわかるはずなのだと思ったら大間違い。

そのレストランにはパスタが1種類しかなくて、その名前が「天使のヘア」というヤツだった。

ぼくは遠慮しておいたが、パスタだから大丈夫だろうと頼んだ人は気の毒だった。

大皿に山盛りのパスタが出てきた。
なるほど、白一色で、天使のヘアみたいな外観。
塩水でゆでたパスタをそのまま持ってきたような料理だった。
あっさりを通りこして、味がないのだ…。
仕方ないので、さらに塩をかけて食べていたが、あれは不思議な料理だった。
「天使のヘア」という名前にこだわって作られたのだろうか。

フランス語のメニューはさらに困る。

仏和辞典を片手に、メニューと格闘する。
聞いてもわからないので、辞書を引くしかない。
あんまり待たせても悪いし、根拠はないが何となく良さそうな感じのものを辞書で引く。
ところが、いざ訳してみると「水夫の食べ残し」などという名前。
文学的すぎて、どんなものが出てくるかわからない(たぶん、シーフードだとは思ったが)。
料理を持ってくるまで、ドキドキである。

牛肉のグリルとか、鶏肉のナントカ風炒め物とか、そういう名前にしてもらうとありがたいのだが、料理する人にとっては、芸術的な営みでもあり、「天使のヘア」などは傑作なのかもしれない。

スリルを感じながら待つのも楽しみの一つでもあるが、コトバが通じなくて困る大きな問題の一つは、文学的なメニューではないかと思う。





| | 考えたこと | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゴールデン・タイム
テレビで、一番視聴者が多くなる時間帯をゴールデン・タイム(ゴールデン・アワー)という。

これをアルクの英辞郎でひくと…

golden time〈和製英語〉〔【標準英語】prime time / prime hour〕 // prime time〔テレビの視聴率が最も高い時間帯。通例、午後7時〜11時を指す。〕

ということらしい。

正式な英語ではプライム・タイムという。
ゴールデン・タイムは和製英語だ。

そういえば、ゴールデン・ウィークも和製英語だったなあ。
一度、FAXに"golden week"と書いて、相手は察してくれたが、後で説明を書いて送ったおぼえがある。

洋画を見ていて、プライム・タイムという言葉は出てくることがある。
プライム・タイム ショーに出る…とか。
あれは、ゴールデン・タイムの番組に出る、ということになる。

primeの意味は、「最も重要な」ということだから、そのままの意味だ。

これを日本語では「ゴールデン」というのは何故なんだろうか。

金は稀少だから、たしかに重要なものではあるが、ゴールデン・タイムというと「黄金の時間」ということになって、意味がわからなくなる。

もうできてしまった言葉だから、仕方がないが、この手の言葉は英語だと思ってしまうから、ややこしい。

今や外来語(洋語)が文章に出現する比率は12%もあるらしい。

最近の外来語は和製英語ではなくて、だいたい英語の日本語読みになっていると思うのだが…。

ナイターがナイト・ゲームになってきたように、ゴールデン・タイムもそのうちプライム・タイムに変わっていくのだろう。

そうなると、この言葉は日本人にも外国人にも通じない言葉になってしまうのか…。

ぼくが生きている間に、そうなるかな…??



| | 考えたこと | 01:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
増えた宣伝
どうもオカシイ…。

最近テレビを見ていると、必殺仕置人が出てきたり、冬のソナタが出てきたり、何の宣伝が始まったのかな…と思っているとパチンコ台の宣伝ということが増えた。

何でかな…と思っていたら、調子が悪いらしい。

調子が悪いというのは、パチンコ業界が不振だということだ。

ギャンブル性が高すぎ、依存症が増え、多重債務者の原因を作り…ロクな事をしてこなかったと思う。
さすがに警察も重い重い腰を上げ、去年の9月にギャンブル性の高い機種を禁止したとのこと。
さらに、金融庁もパチンコ屋の近くには消費者金融の無人契約機を置けなくしたらしい。
ということは、今までパチンコ屋のそばに無人契約機が置いてあったということか…。(ビックリした)

ということで、今や百貨店の売り上げの3倍を稼ぐパチンコ業界も、苦しくなっている。
だから、パチンコの機械の宣伝をしているということになる。

いいことだと思う。

前にも書いたが、月給が一日で稼げるような賭博がどこでもできるような国はオカシイのだ。

でも、今のパチンコ機は電子部品のかたまりということで、機種の入れ替えが減って、電子部品を作っているところは苦しいとのこと。

気の毒だとは思うが、仕方ない。

百貨店の売り上げの3倍をバクチに使うのをやめて、マトモな消費や貯金に回せばお金は回る。

もっと規制してもいいと思うが、とりあえず、役所の重い腰が上がってよかったと思う。

どこもかしこもラスベガス…では困りますよね。



| | 考えたこと | 23:32 | comments(2) | trackbacks(0) |
貸本屋
昨日書いた貸本屋という商売、いったいどうやっていたのか…気になって調べてみた。

インターネットで調べてみると…

貸本屋という商売は江戸時代からあった。
家庭を訪問し、本を置いて帰り、回収時にお金をもらうという形態。
第二次大戦前頃までは利用者が多かったが、戦後公立図書館が普及し、次第に姿を消した。
一時は銭湯の数より多かったらしい。
しかし、マンガは図書館にはないので、マンガの貸本屋は生きのびていた。
著作権の問題、採算の問題で消えていった。
今のマンガ喫茶はその変形になる。
300円のマンガを1日30円くらいで貸していた。

そんなことらしい。

担保はなくても、毎回貸本屋でマンガを読もうとすると、必然的にちゃんと返さないと次が借りられないわけで、そこに返却のルールがあったということか。

たしかに、ぼくが小学生のころ市場の中にあった貸本屋にはマンガしかなかったと思う。

ななめになった台の上に、本を並べて、その奥におじさんが一人座っていた。
そんなによく利用したわけではないが、その光景はよく覚えている。

借り手のモラルも高かったのだろう。
貸本は丁寧に扱う…というか、たとえマンガであっても、本は丁寧に扱うものという暗黙の「常識」があった。

小学校の高学年のころだから、昭和30年代の終わり頃には、店じまいしたのだと思う。
よく行っていた市場の隣にダイエーができて、市場の中は閉まった店ばかりになった。

あるサイトに、「図書館は公共の無料貸本屋」と書いてあったが、そう言われたらその通りだと思う。

強力な商売敵が出てきたことと、日本が豊かになって採算が取れなくなったことで、貸本屋は姿を消したということか…。

「貸本屋」という言葉もきっと若い人には死語だろう。

この言葉に何ともいえない哀愁を覚えるのは、昭和30年代前半生まれくらいまでなのだろう…。

今やブックオフで、昔の貸本屋なみの値段で中古の本が買えたりする時代。

やっぱり、世の中は知らぬ間に変わっていく。


| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
市場
小学校の低学年のころまでは、今でいうスーパーはなかった。
市場(いちば)が買い物の主体だった。

もちろん、子どもにとっても同じことだ。

市場の中には、たいがい子ども向けの駄菓子を売っている店があった。
5円あれば、何か買えたと思う。
くじ引きもしたおぼえがある。

肉屋では店頭でコロッケを揚げて、一つ10円で売っていた。(もちろん、新聞紙に包んでくれた)

たこ焼きは7つで数十円だったと思う。(たこは入ってなかったと思う。代わりに何が入っていたか、覚えていない)

貸本屋もあった。
狭い間口だったが、おじさんがイスに座って一人で仕切っていた。
今でいうコミック本を貸してくれる。
よく考えたら、お金を払って、本を借りるのだが、会員登録をするわけでもなし、子ども相手で担保を入れるわけでもなし、どうやって返却のあてをつけていたのだろうか…。
返したら、いくらか返ってきたのだったか?…忘れた。
性善説の商売だったのかな…??

魚屋、八百屋、果物屋、豆腐屋も必ずあったと思う。

市場より大きいのが商店街。
近所の商店街にはたくさんの店が並んでいた。
今はシャッター通りが増えてしまったが、昭和30年代は隆盛を誇っていた。
洋服店、時計屋、はんこ屋、和装店、雑貨屋、金物屋、文具屋、本屋、レコード屋(店頭には演歌のポスターがあった)…みんなショッピングセンターに入ってしまった。

古き良き昭和だ。

時間を戻ることはできないが、もう一度歩いてみたいとは思う。
| | 考えたこと | 23:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
Georgia on my mind
「我が心のジョージア」という邦題がついている曲。

ここ数日、この曲ばかり聴いている。

この曲は、ジョージア州出身の人がよその土地に行って、ジョージア州を懐かしむ歌かと思っていたが、そうではないらしい。
ジョージアという女性のことを思って歌う歌。

でも、ジョージア州の州歌になっているらしい。

有名なのはレイ・チャールズが歌っているもの。

盲目のソウル・シンガーであり、ピアニストである彼はジョージア州の出身。
身体を揺すりながら歌う姿は、すごく印象的だ。

この曲はスタンダードナンバーとしてよく演奏されるが、マーチン・テイラーというギタリストが演奏しているのを聴いたのが2日前。

それから、耳から離れなくなった。

「我が心の…」というのも、文語的な表現だ。この曲の邦題はいい。
ブルースノートが多用される曲で、何ともいえない哀愁がただよう。

マーチン・テイラーというギタリスト、何でも、チェット・アトキンスという知る人ぞ知るギタリストが「こいつはスゴイ」というような事を言ったらしい。
おまけに、イギリス人で、王室から勲章ももらっている。

たしかに、スゴイ。
ギターの神さまがのりうつったようなプレイをする。

ベースと伴奏とソロ、どれか一つでもスゴイのに、それを1台のギターで一度にやってしまう。

ときどき、神さまが人に宿ることがある…ということを信じてしまう、そんなギタリストだ。

マーチン・テイラーの「我が心のジョージア」。
いいですよ!




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4月1日
予想通り桜も咲き、明日から4月。

桜の時期が早くなって、春も早く来るような気がする。

まだ寒さが残っているが、三寒四温で春になる。

今夜は少し冷たい雨が降ったが、明日はどうなるのか…。

4月は日本では、はじまりの月。

新入社員、新入生、新学期、新年度…である。

以前読んだ、山口瞳の「社会人心得入門」という本に書いてあった言葉。

『会社勤めで何がものを言うのかと問われるとき、僕は少しも逡巡することなく「それは誠意です」と答えている。』

亡くなってだいぶ経つが、山口瞳はサントリーの宣伝で、毎年4月1日朝刊に新入社員に贈る言葉を書いていた。

毎年、その日の朝刊を見ると、4月1日が来たなあ…と思いを新たにしたものだ。

山口瞳のコピーはなくなったが、それでも4月1日は巡ってくる。

あと何度、巡ってくるのかな…。



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