考えたこと2

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平成最後の日
今日は平成の最後の日。
民間企業にいたときは、ほとんど和暦など使わなかった。
学校法人に変わって、役所に出す書類がみんな和暦で、ちょっとビックリ。
文科省はぼくの退職時、和暦で紙はB版だった。

平成になったときはよく覚えている。
あの小渕総理(このときは幹事長だったらしい)が、墨で「平成」と書いた紙をかざしている姿だ。
小渕氏は早くに亡くなったが、これで国民の目に焼き付いたと思う。

平成になったのが1989年1月8日。
まだバブルの頃だ。
日本中が浮かれていたと思う。
意味もなく地価が上がり、ゴルフの会員権が途方もない値段で取引され、サラリーマンが600万もする車に乗っていた。
今の若い人には想像もできないだろう。
マンションを買うための抽選をするだけで、ビルの周りを何周も行列ができていた。

金融機関の新入社員のボーナスがバカ高かった。
ぼくのいた会社の年配の人の娘が、自分よりボーナスが多かったとこぼしていたのを思い出す。
理系でもどんどん採用され、社員になった。
バブルが崩壊して、その人たちの多くは辞めたという記事もあった。

30年前というと、32歳。
まだ会社に入って10年目。
実験から設計に移って3年目だから、ようやく図面のイロハがわかって、雲形定規を使って構造図面が描けるようになったくらいか。
社内のデーターベースの整備も考えないといけないと思っていた頃だ。
今考えると、あの頃CADを勉強しておけばよかったのだが…。

平成に入って、10年ほどは景気が良かった。
そのせいで、仕事はムチャクチャ忙しかった。
毎日終電か、自腹のタクシーだった。
今だったら、完全なブラック職場と言われるだろう。

平成の初めは、まだ一人1台のコンピューターではなかった。
手書きでやっていたから、効率も悪かった。
ネットワークがちゃんとつながったのは、平成5年あたりだったか…。
平成の30年はほぼパソコンの普及の歴史でもあると思う。

ぼくが学校法人に転職したのが2004年だから平成16年。
ということは、ぼくの会社員人生は昭和10年間、平成15年間が民間企業、残りの10年間が学校法人ということか。
民間企業で25年間充電したものを、10年間の学校法人で放電したという感じだなあ。

学校法人の10年間は、時計の針がだいぶ逆戻りして、本当に呆れた。
メールを読めない人がいるとか、ディスプレイに紙のポストイットが貼ってある人とか、そんな人を相手にして、仕事をした。
まだ学生の方がマシだ。

学校法人に変わって、3年目から今のキャリアの仕事を始めた。
結局、それまでの民間企業の経験や、学校法人の経験を生かして、学生の相談に乗るという仕事が最後のキャリアになったということだ。
企業の人事担当にも700人以上は会った。

さあ、これでいつまで続けられるか…。

今日で平成も終わり。



| | 考えたこと | 11:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
裁判官の科学リテラシー
ツイッターを見ていたら、日経産業新聞の記事があった。
記事の見出しは「科学的認識、日本は甘いか。欧米誌が示す危機感」というもの。

厚労省の研究事業で、子宮頸がんワクチンの副作用を指摘した医師に対する、ジャーナリストの村中氏の取材記事に関する名誉毀損の判決のことだ。
研究発表が科学的、倫理的に問題が多かったことを指摘し、結果を「捏造」だとしたことが名誉毀損に当たる、という。

村中氏はジャーナリストでもあるが、医師でもある。
彼女は英国の科学誌Natureが主催する「ジョン・マドックス賞」を受けている。
この賞は障害や敵意にさらされながらも健全な科学を広めるために貢献した個人に授与されるもの。
それほど、子宮頸がんワクチンについては世界各国で使用が認められている。

「捏造」は書きすぎだったかもしれないが、実際に発表内容に問題があったことは事実だと思う。
裁判所の判決は、法律に照らし合わせて、事実関係を認定するものだが、それが社会的にも影響を与えるという感覚を持っているのだろうか。

この判決を見て、Natureがネットに出した記事の見出しは「裁判所がワクチンについて誤った情報による脅威を強調する判決を下した」というもの。
サイエンスの方はもう少し穏やかだが、同じ趣旨だ。

子宮頸がんワクチンは世界140カ国以上で認可されており、そのうち80カ国以上で公的接種プログラムに組み込まれているとのこと。
このワクチンが認可されてから10年以上たって、その有効性と安全性に関するエビデンスが世界中で蓄積されているからこそ、Natureやサイエンスがこういうスタンスで記事を書く。

日本の裁判官の科学リテラシーは低すぎると思う。
科学の力で日本は発展してきた。
ぼくらが便利な生活ができるのも、科学のおかげだ。

たしかに科学は万能ではないし、使い方を誤るとひどいことも起きる。
しかし、科学的に検証され、世界的に認められているワクチンの恐怖を煽ることが正しいことだろうか。

最近の原子力絡みの判決といい、このワクチンの判決といい、日本の裁判所は中世に戻っているかのようだ。
裁判官はもっと科学の勉強をするべきだ。

日経産業新聞の記者も最後に書いている。

「問われているのは、日本の科学リテラシーではないかと思う」

そのとおりだ。
こんな記事が全国紙に出ないことも問題だと思う。
マスコミの科学リテラシーもひどい。

これも理科離れの影響か…。



| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
投げるロボット
人間がものを投げるというのは、非常に不確実性が高い行為だ。
この記事にもあるように、よく紙くずを丸めてゴミ箱に向かってシュートするが、半分も入らない。

それでも、人間はキャッチボールをすると、たいがいの球は受けられる範囲に飛んでくる。
投げるものにもよるが、人間はどれくらいの力を入れて、どの方向に投げると、特定の距離のところにいる人に受けられる、ということのデーターを身体で覚えることができる。
野球の選手など、この感覚を極限まで研ぎ澄ませた人たちもいる。

そのことをロボットにやらせようと考えたのは、Googleの学生リサーチャー、Andy Zengという人。

「物を投げるというのはたいていの場合、持って移動するよりも迅速な手段となる」

と考えたらしい。
この考えをもとに、有名なMIT(マサチューセッツ工科大学)などと一緒に「投げるロボット」を開発した。

1種類のものを正確に投げるのは、比較的簡単らしい。
バスケットボールをある位置からシュートするのは、ほぼ完璧にできるとのこと。
それを、いろんなものを投げても、思い通りの場所に落とすことができるようにした。
そのために、ディープラーニングを使ったということだ。

実際にカメラで、掴むものの形を解析し、投げたらどこに落ちるかというのを延々と学習するのだ。
投げる可能性のあるものを全て学習しておけば、あとは任せればいい。
そういうロボットももうすぐ実用化されるようだ。

単に掴んで運ぶだけでなく、投げるという動作もできるということになると、使える範囲が広がる。
アマゾンの梱包など、少々の衝撃は大丈夫だろうから、ダンボール箱を取って、いくつかある箱の中から目的の箱に投げ入れるということも可能だろう。
「置く」という動作より、「投げ入れる」という動作の方が早いし、効率も上がる。
学生リサーチャーは目の付け所が良かったと思う。

少子高齢化はどの先進国も多かれ少なかれ持っている課題。
そのためには、もっとロボットを使って省力化を図らないといけない。
日本は少子高齢化のトップランナーだから、頑張らないと。

未来の工場は、ひょっとしたらロボットがキャッチボールのように部品を投げあっているかもしれない。
寸分たがわず投げて、ストックする箱の中に入れる、ということができたらこれはすごい。

その頃には、打撃練習用のロボットも出来ているだろう。
指でボールを掴み、実際の投げ方と同じ回転をつけて投げることができる。
カーブもフォークもチェンジアップも何でも来いだ。

投げることは、人間の基本動作の一つ。

これができるようになると、ロボットの幅が広がるぞ。


| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
球数制限
高野連は野球の将来を考えていないと思う。
せっかく新潟県高校野球連盟が、「球数制限」の導入を決めたのに、それに待ったをかけたからだ。

実際に学生時代に投げすぎたのが原因で、選手生命を短くする事例もある。
それこそ、高野連の人たちはたくさん知っているだろう。
これが高校生にとって「フェア」なことだとは思えない。

新潟高野連が導入を決めたのは、子どもたちの将来を守るのが、大人の責務だ、という考え。
まっとうな考えだと思う。
投げすぎによる「野球肘」などの健康被害が、実際にあるからだ。
今回の新潟の決定は、プロ野球の選手などにも支持されているとのこと。
高野連がいったい何を根拠に導入に待ったをかけたのか。

さらに、新潟などの地方では子どもの数が減って「野球離れ」が起こっているという。
健康被害が取り沙汰されれば、それに拍車がかかるということもあるらしい。

高野連は、勝敗に関わることだから慎重に協議すべきだ、と言っている。
結局、高野連自身が「勝敗」が一番大事だと言っているのだ。
学校のスポーツは、勝つことが第一の目的だっただろうか。
将来性のある選手の身体を壊してでも、勝つことが大事なのだろうか。

選手の将来を考えて、高校野球では1試合で100球以上は投げられない、というルールを作ればいいだけだ。
そのルールがどうして作れないのだろうか。
ルールが出来たら、ピッチャーの人数が必要になるというが、その方が野球の裾野が広がると思わないのだろうか。

おそらく、高野連の上の人達は昭和のスポ根世代。
「巨人の星」に代表される、「根性至上主義」の時代の人たちだろう。
やる気があれば、全てをカバーできるという考え方。
旧日本陸軍の「竹槍でB29を落とせる」という考え方から進歩していない。

アメリカのリトルリーグでは1試合100球という制限がある。
だから、学生時代に肩を壊す可能性は低い。

戦争に負けても、全く反省していないのだ。

早く老害は取り除かないといけないと思う。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
割合の問題
こないだツイッターを見ていて、目についたのが看護関係のツイート。

「看護大学の先生が「生徒が割合の計算ができない」と言ってたり、看護界では希少な統計に強かった東大看護の先生が他大に移って四則演算から教えてると聞いたりしたので、看護大学を爆増させた闇は深いとひしひし感じる。」

「ちなみにとある医学系出版社さんが教えてくれたのですが、看護学校向けのベストセラー商品の一つが「国語、数学、社会などの高校の勉強をやり直すための参考書」だったそうです。」

「同感です。結局レベルが下がっただけ。国は必要な看護師人数で合格者数を決めているので負の連鎖が止まらないですね。根本的なシステム改革は必要です。」

特に、最後のツイートはビックリした。
看護師のレベルを担保するのではなく、必要な人数を担保するために国家試験をやっているということだ。
ということは、看護師のレベルは低下しているということになる。

真偽のほどはわからないが、大学が看護に手を出し始めて、爆発的に看護学部や学科が増加したのは事実。
看護は平成5年に21大学の設置だったが、平成26年には228大学にもなった。
看護人材の不足ということはあったものの、いかに大学が無茶な設置増を行ったかということだ。
大学にしたら、少子化を乗り切るために、出口が確実な学科を作ろうということと、周りがみんながやり始めたからということだろう。
だいたい、こういうブームには臨床心理と同じで中〜下位の大学が乗る。
志願者の募集に困っているからだ。
資格志向が強く、出口が決まっていると志願者が集めやすくなる。

というわけで、今はちょっと落ち着いたが、最初のツイートに書いてあるように、「爆増」した。

こういうふうに、少子化の闇は襲ってくる。
もちろん、悪いのは大人たちだ。

だからこそ、今の病院では患者にバーコードを付けて、点滴などの実施時に照合するようになった。
割合がわからないと、濃度の計算ができないので、間違っていても現場ではわからないからだろう。
ITの力が、看護師の仕事を助けている。

奇しくも新聞の本の発売の宣伝に、「%」が分からない大学生――日本の数学教育の致命的欠陥 、というのがあった。

こういうことで、若者の数学的なリテラシーが落ちていく。
それは容易に数字でだまされる人が増えるということでもあり、今の報道を見ていてもオカシイことがたくさんある。

いつ文科省は対策するのだろうか…。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
80歳まで働く
人生100年時代には、80歳まで働かないといけないという。
70歳まで働けばいいかな、と思っていたから80歳は想定外だ。
まあ、ぼくはきっと寿命が短いから十分だと思うのだが…。

人それぞれだが、ぼくは長く働くにこしたことはないと思う。
人生100年の時代は、年金も広く薄くになり、稼がないと食えない時代だからだ。
でも、身体が持つかということと、自分が世の中に必要とされるのか、という2つが問題。

健康面では、外に出なくなると健康を損ねる可能性が上がる。
仕事をすると、外に出るから、それはいいことだ。
それでも、だんだんと体が弱ってくる。
気力が萎えるし、足腰も弱まる。
個人的には、80歳まではもたないと思う。
体力は必要だ。

外に出なくていい仕事もある。
これからはネットで共有したり出来るから、在宅勤務もありだ。
そういう仕事をして、プライベートで外に出ることを義務付けてもいいだろう。
個人事業主、というやつだ。
イヌをペットにして、散歩に出るという手もある。

まあ身体は大丈夫として、問題は「世の中に必要とされるか」だ。
こっちの方が大きい。

60歳または65歳まで一つの会社で働いてしまうと、なかなか次の仕事に移れないのだと思う。
ぼくの友人の一人は、60歳ですっぱり会社を辞めて、NPOで働くことを選んだ。
どうして、65歳まで再雇用の道があるのに、辞めるのかと聞かれた彼は「65歳まで働いてしまうと、次の仕事ができないと思う」と言っていた。

年齢的に60歳というのはギリギリ、という感じだ。
できれば、会社にいるとしても、70歳、80歳までの計画を立てることが必要だろう。
50歳位から、自分の仕事を考えておかないといけない。
いつまで終身雇用の定年制があるか、いつまで年功序列の賃金があるかも不透明だ。

どう考えても、働く人が減って、高齢者がどんどん増えていく社会なのだから、そんなに年金に期待するわけにはいかないだろう。
そうなると自己防衛の手段としても、自分の仕事について考えておく必要がある。
自分で世の中に必要とされる仕事をする、ということだ。

自分のスキルは何なのか。
自分の職業人生で得たものは何なのか。
そういう棚卸しをしないといけない。

昭和の時代の「一社で一生」、というモデルはもう崩れ始めている。
誰もが課長になれる時代はとうに終わった。
今や非正規社員が4割という時代。

自分が高齢者になったとき、どんなスキルを持っていたら世の中から必要とされるか、そこが難しい。
会社人生で得たものは何か。
それが技術的なものもあるだろうし、経験的なものや人的ネットワークなどもあるだろう。
それを生かして食っていく。

人生が長くなると、苦労も長くなる。

これから生きていくのは難しい。


| | 考えたこと | 18:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
数学的な最低限の素養
経団連の中西宏明会長は新卒採用で重視する項目について「必要最低限の語学と異文化を理解する力は理系・文系問わずに持ってもらわないと困る。少なくとも数学的な最低限の素養は文理共通だ」と述べた。優秀な人材を企業がどう集め競争力をつけるのか、経団連としても議論を深める考えを示した。

政府は2021年春入社の新卒学生の就職活動時期を決めた。その際、学生が在学中に学業に専念し、その成果を企業が採用活動で評価する環境が必要とした。

就活時期を決めるルールはこれまで経団連が定めてきたが、中西氏が廃止を発表。現在の大学2年生が対象となる21年春入社以降は政府主導のルールに替わる。

文系の私立大学で就職に関わるものなら、誰でも「学生が在学中に学業に専念」などしていないことはわかっている。
いずれの大学もカリキュラム上は4年間勉強することになっているが、4年生はゼミと卒論を残して、3年生で全部単位が取れるようにしている。
それは、とりもなおさず3年の冬から「就職活動に専念」できるようにだ。

経団連が就活ルールを撤廃したのは、学業に専念できるように選考時期を定めても、学生は学業に専念などしないことがわかっているからだ。
そもそも、私立大学自体がそれを助長しているのだから。

2007年に初めて就職支援の仕事に関わって、一番びっくりしたことは下位の大学生の算数の知識。
あえて数学と書かず、算数と書いたのは小学校の算数で習うことがわからない学生が多いから。
分数の意味、割合の意味がわからない。
この2年間、就職筆記試験の指導の仕事をやり始めて、本当に根が深い問題だとわかった。

非言語が不得意、という学生たちが中でも一番いやなのが、割合の問題。
「Aさんはこの仕事をするのに10日かかります」という文章から、Aさんの一日の仕事量は全体の1/10ということが出てこない。
「300人は全体の30%です」という文章から、全体は300/0.3ということが出てこない。
全体×0.3=300人という説明をしても、怪訝な顔をする学生もいる。
もちろん、割合などわかっているという学生もいるが、それは半分もいない。

これは下位の私学だけの問題ではない。
中古車販売会社の社長(この人は高卒と言っていた)が関関同立の学生に面接試験をして、90万円の車に消費税8%をつけたらいくらになるか?という質問に答えられない学生がいる、という。
もう何度も書いたが、この状態はいくら何でもダメだろう。

実際そういう学生がいるから、小学校の算数を授業に入れる良心的な学校もある。
しかし、そういう学校は文科省から「大学らしくない授業」をやっている、と注意を受ける。
もう完全に悪循環だ。

こんな状態で、プログラミングを小学校でやっても仕方がない。

経団連の力で、文科省を、そして日本の教育を変えないといけないぞ。



| | 考えたこと | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
サバがツナを抜いた
昔は魚介類をもっと食べていたが、どんどん減っているという。
食事が西洋化して、肉類が増えた。

魚で食べると言えば、塩ジャケが一番だ。
その他には、サンマ、ブリ、ヒラメあたり。
近所のスーパーでは、焼いたものも売るようになった。

缶詰の魚というと、サケ缶を思い出す。
子どもの頃、時々食卓に出てきた。
当時の値段はいくらだったか知らないが、あのサケの骨が食べられるのが嬉しかった。
昔は結構な頻度で、魚の缶詰を食べていたような気がする。
冷凍食品がまだそんなになかった頃だったか…。
サケ缶は、ご馳走だった。

成人してからはもっぱらツナ缶。
サラダに混ぜて食べたりする。
しかし、最近はサバ缶が人気らしい。
サバ缶はシェアが倍増して、昨年魚介缶詰市場でトップになったとのこと。

いろんな番組で、栄養価や健康・美容への効果が大きいということが取り上げられたのが原因。
生活習慣病の予防や脳の活性化などにも効果があるという。
そのせいで、サバ缶を使ったレシピがネットで紹介されている。
高齢化が進み、値段に敏感になったというのもあると思う。
おかげで、サバの値段も上がっている。

サバは青魚で、ぼくは癖があって好きになれない。
でも、調べると今はいろんなサバ缶が出ている。
カレー味のものとか、洋風の味付けをしたものとか…。

イワシ缶も健康にいいとのこと。
こちらも消費が上がっているらしい。
イワシはまだ食べやすい。

サバやイワシは海の魚。
常に泳いでいる。
いかにも健康に良さそうだ。

一度サバ缶をスーパーで見てみようかと思う。
でも、いざ買うとなるとサケ缶になりそうな気がするが…。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校内の塾
以前学校内の塾のことについて書いた。
それがどんどん増えているという記事

東京都の私立高校で、手っ取り早く進学実績を上げるためにそういうことをやっている。
要は、個別指導塾が高校内の自習室を運営している。
学校は金を出すだけ。あとは個別指導塾がやる、ということだ。

「一人ひとりの学習計画に合わせ、専用ブースで個別指導を受けることもできる。自習室は通常は授業終了後、午後8時まで、夏休みなど長期休暇の時は午前7時30分から午後8時まで利用可能」

経費を抑える意味もあるのだろうが、こうなると高校の先生はいったい何を教えているのか、という感じだ。
中堅の高校でこういう状態らしい。
狙いは日東駒専やGMARCHというところ。関西でいうと、産近甲龍や関関同立という感じだ。

この学校はスポーツにも力を入れている。
どちらかというと、スポーツの方を外注して、勉強の方を先生にやらせたほうがいいと思うのだが、そうではないらしい。

もともと、なぜ個別指導をするかというと、集団での教育ではできない部分を埋めるということだ。
それは授業が難しすぎたり、易しすぎたりして、生徒がついていけないという状況が多いということ。
まあ、易しすぎるケースはまだしも、難しすぎると思う生徒が多いと、ややこしい。
それを防ぐために入試をやる、というのが第一義的な目的だ。
要するに、中堅以下の高校でも、入試が成立していないのだろう。
だから、入学者のレベルが担保できていない。

記事の中で校長の言葉がある。

「野球なら全体練習の後に、各自が不得意な分野の練習をして技量を上げる。勉強で同じことができないかと考えていた」

体育会系の人なんだろう。
こういう人が理事長で校長を兼務しているから、推して知るべしだ。
勉強もスポーツも同じように考えている。

というわけで、スポーツでやったのと同じように外注したのだろう。
個別指導塾のノウハウで、進学実績を向上させる、ということだ。

本来ならその前に、実態を確認して、授業をどう変えていけばいいのか等の議論があって、改善ということになると思うのだが、そこは書いてない。
というより、そんなことはしていないのだろう。
そうなると、学校としての役割はいったいどうなったのか、ということだ。

理事長は野球のことはわかるが、勉強のことはわからない。
こういう私立の学校がたくさんあるんだと思う。

記事にもあるが、日本の教育はそのうち塾が担うことになるだろう。

まあ、学校に行きたくない人たちも増えているし、それでもいいと思うが…。



| | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの裏口入学
ちょっと下火になったが、アメリカのワールドニュースでだいぶ話題になっていたのが大学の裏口入学。
ドラマの出演者など、有名人が関与していたから、話題性が強かったようだ。

対象となった大学はエール大学やスタンフォード、UCLAなどの一流名門校。
そこに息子や娘を入れたい、と有名人たちが画策した。

今回は、不正入学者にはコンサルタントがついていた。
33人の親に、ニセの慈善団体に寄付をさせて、それを「賄賂」の元にした。
それらは、大学の試験監督者や大学のスポーツチームのコーチなどに支払われたとのこと。

入試の監督の場合、試験中に答えを教えるように頼んだり、後で書き換えをしてもらったりした。
スポーツチームのコーチには、やってもいないスポーツの特待生にしてもらうために、フォトショップで顔を入れ替えて大学に提出した。
わりと単純な手法だが、そのほうがバレにくいのかもしれない。

支払った額は千万円単位の人もいれば、数百万で済んだ人もいる。
偽装のスポーツ特待生はちょっと値段が高かったようだ。
この事件に絡んで、複数の運動部のコーチが解雇された。

大学も、民事訴訟で訴えられる可能性があるとのこと。

アメリカの私立大学は学費が高い。
年間学費だけで平均300万円ほどかかる。
もちろんもっと安い州立大もあるし、もっと高い私立大もある。

一般的には、大学の費用は子供が持つ。
学資ローンや奨学金、休み機関のアルバイトなどで稼ぐらしい。
全額ローンで組んだら、4年で1200万円。さすがに全額ではないと思うが、日本の奨学金のどころの話ではない。
アメリカの大学生は勉強するというが、これだけ払えばやらざるを得ないとも思う。
ちゃんとインターンにも行って、即戦力になることを身につけて、いいところに就職しないと返せないからだ。

ただし、今回の入学者たちはセレブの子供なので、余裕はあったんだろう。
そのあたりも、心情的には批判したくなるところ。
子供に罪はないのだが…。

これから捜査されて、どうなるか決まるらしい。

どうなるのかな。



| | 考えたこと | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
唄娘
FMシアターというラジオドラマ、何ヶ月かに1作は保存して何度も聞きたいと思わされる作品がある。
ネットで調べると、年間のベストをアンケートしているサイト(NHKとは関係なく)があったりして、見ていると面白い。
去年1年間のベストはだいぶぼくの好みとは違っていた。
やっぱりアンケートに答える人は、年齢層が違うのか…。

というわけで、アンケート結果とは関係なく、気に入った作品の1つは、一昨年3月の「唄娘」。
制作者がHPで書いている。

「「唄娘」は、白山の麓にある村を舞台に、そこで生まれ育った18歳の“みさと”と、東京からやってきたワケありの“希星(きらら)”。2人の女子高生が出会い衝突しながらも成長する物語です。
村の民謡を代々歌い継ぐ「唄娘」の家に生まれ、村の人からも愛され育ちながらも、高校卒業後に村を出るか迷っているみさと。母親からの愛情を感じられず育ち、居場所を探し続ける希星。
育った場所も抱えている悩みも違う2人は、ぶつかり合いながらも、相手が気付かないところで互いに支え合うことができる存在になっていきます。」

そういう話だ。
岐阜県を舞台にした作品で、地方局が制作している。
地方局の作品にはいいものが多い。

この作品のクライマックスは、大晦日の日に主人公が「唄娘」を継ぐかどうかを、樹齢1800年と言われている大杉のところで、悩む場面。
ここで彼女が大杉の圧倒的な存在感のもとで独白する。

「千八百年か…。千八百…、人間なんかあっという間やなぁ。
あたし、何悩んどるんやろ…
生まれて、生きて、出会って、笑って、喧嘩して、泣いて…、いつか死んでいく。
かわいや命。」

この場面がいい。声優も上手だ。
書いてしまうと、なんだか値打ちがなくなるが、主人公が高校卒業で進路に悩み、「唄娘」の家に生まれた宿命を背負い、故郷に縛り付けられる重圧も感じ、自分は本当に何をやりたいのか迷い、樹齢1800年の大杉に「人間なんかあっという間」ということを教えられる。

「かわいや命」というのは、この作品のためのオリジナル民謡の「君丈華唄(きみたけはなうた)」の歌詞の一部。
「命」は「いぬち」と読む。

このオリジナルの民謡も、劇中で聞くとすごくいいのだ。

ラジオドラマという、場面を自由に想像できる形態でないと描けなかった場面だ。
こないだ聞き直して、やっぱりよかった。

これこそ、ラジオドラマの真髄だと思う。



| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
AI人材25万人
こないだ書いたAI戦略、の人材育成の件で日経に記事があった。
「人工知能(AI)技術を活用できる人材を年間25万人育成する」ということだ。
ぼくは25万人は「絵に描いた餅」だと書いたが、ちょっと今の大学に関わった人なら、大半の人が同じことを指摘すると思う。
それほど、現実離れした計画だ。

どんな有識者を集めたか知らないが、彼らは現実の大学教育についての知識はほとんどないと思う。
あるいは、所轄官庁である文科省が誘導したのかもしれないが…。

計画では「数理・データサイエンス・AIをデジタル社会における「読み・書き・そろばん」に当たる素養と規定。年間約50万人が卒業する大学生や高等専門学校(高専)生全員に、文理を問わず初級レベルの数理・データサイエンス・AI教育を課す。」となっている。
「初級レベルの数理・データーサイエンス・AI教育」というものが、どんなものを指すのかわからないが、少なくとも比率やパーセントといった割合がわからなくてもOK、というものではないはず。
教育は積み上げであり、基礎がわかっていないとその上のレベルは全くわからない。
特に算数はそうだ。

記事によると、この分野の第一人者である松原仁教授は「初学者向けカリキュラムの作成など、具体的な実装は容易ではなさそうだ」と述べたとのこと。
実際にAIの基礎ということになると、行列やベクトルの考え方が必要で、それらは高校の学習指導要領からは削除される。
全く整合性がないことを「有識者」の皆さんは決めたということだ。
英語教育といい、プログラミング教育といい、アクティブ・ラーニングといい、文科省の役人は、文字にしたらそれが実現すると思っている。
そうとしか思えない。

そんなことを言う前に、文系の大学の入試科目で「数学」を必須するべきだ。
文科省は自分たちの管轄のところは変えず、大学に丸投げするだけ。
もうちょっと反省しろ。

90年代に分数ができない大学生が存在することはわかっていた。
それでも何もせず、少子化で入試は有名無実になり、推薦やAOという安易な入学経路を認めてきた。
もちろん、本来の意味を拡大解釈して、AOや推薦入試でたくさんの志願者を入れる大学は悪い。
しかし、それを長いこと放置し、AO入試を一般入試扱いにして、事実上いくらでも受験生が入れるようにした文科省の罪は重い。

今頃慌てて、50万人にAIの基礎教育とはチャンチャラおかしい。
おまけにこれに絡んで、ちゃんとやったところは補助金を出すという。
丸投げにお小遣いをつけてやらそうという魂胆。

その前に、小学校でもっとちゃんと割合について教えることだ。
そっちのほうがよっぽど大事だぞ。




| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
WTO敗訴
こないだからニュースで、韓国がWTOの上級委員会が福島原発の汚染を理由に、日本産水産物の禁輸を容認している件で、日本が敗訴したということを報道している。
大体のスタンスは、風評被害を理由に禁輸するのは間違っている、というような感じ。

しかし、原発の風評被害を煽ってきたのは他でもない、日本のマスコミだ。
震災のあと、だいぶたっても福島には人が住めないだの、除染が必要だの、科学的に間違ったことを煽るように報道した。
センセーショナルなことのほうが、ニュースソースの価値が高い、くらいの理由だったろう。

住んでいた人を怖がらせ、地元から離れさせ、福島の農産物も水産物もひどい目にあった。
風評被害というようなレベルではない。
マスコミが一部のバカな学者に加担して、デマを報道したと言ってもいいと思う。

未だに日本各地に避難と称して、福島を離れて住んでいる人がたくさんいる。
それは、まさにマスコミの洗脳のせいだ。

WTOの敗訴で、一部のマスコミは福島の商品が安全なことには「科学的裏付けがある」というようなことも言っていた。
それなら、過去に自分たちがした報道が間違っていた、と謝罪報道をすべきだ。

同じマスコミがほとんど反対のことを言っている。
自分たちも本当はわかっているはずだ。
だから、見ていると心なしかやる気のない報道になっている。

外国の人たちも、日本のマスコミがいつまでも騒いでいたから、想像以上にひどい汚染だと思ったのだ。
あの頃、いい加減なことを言っていた学者やジャーナリストも悪い。
しかし、見識もなくその人達を使い、恐怖心を煽るようなことを放送したり、記事にしたりしたマスコミはもっと悪い。
最初は仕方なかったかもしれないが、ある時期以降は明らかにわかっていたはず。

原発では、未だに雨水をタンクに貯めている。
今や飲んでも大丈夫な水を海に放出できない。
それは、漁協が風評被害を恐れているからで、なぜ恐れるかというと、マスコミが煽るからだ。
もういい加減にしてほしい。
そういうことがあるから、福島の水産品を禁輸するのだ。

マッチポンプとはこのことだぞ。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
独り言つ
「ひとりごつ」という言葉がある。
「独り言つ」という字を当てるんだろうが、最近この言葉を実感する。
もちろん、独り言を言う、という意味だが…。

だいたい、ぼんやりと過去のことを思い出している時が多い。
そういう時に、なぜか「あー、なんでやろう」とかいう声が出る。
これが本当の「独り言つ」ということか、という感じ。

若い頃は全くそんなことはなかった。
思いはあっても、声には出ない。

独り言つ、というのは、単に独り言を言うのではなく、意識しないで声に出してしまうことだろう。
若い時はそういうことはほとんどない。
ところが、年をとると自然と声が出てしまう。
そういう現象だと思う。

ぼくの場合は、後悔に類することが多いような気がする。
なぜか、ふと過去の失敗を思い出し、独り言を言う。

こういう時、行動心理学のギロビッチ博士の言葉を思い出す。

「人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」

たしかに、思い出して独り言つのは「行動しなかった」場面のほうが多いように思う。
深く残っているのかもしれない。

長く生きていると、いろんなことがある。
いろんな場面で、後から考えると失敗している。
どういう訳か、そういう場面というのは、わりとはっきり覚えているのは不思議だ。
逆に考えたら、場面を覚えているからこそ、失敗を覚えているのかもしれない。

時には、リフレインのように何度も、その場面が繰り返し頭の中に出てくる。
そういう時に、独り言が出てくる。

ラジオドラマで言っていた「人生はうまくいかないものだ。だからこそ愛おしいのかもしれない。」というのも、含蓄のある言葉。
だから、年をとると「独り言つ」ことが増えるのかもしれない。

こういうのは、年令を重ねないとわからないだろう…。





| | 考えたこと | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界の音楽ビジネス
IFPIという組織があるが、これは「国際レコード連盟」などと訳される。
グーグルによると、 1933年にイタリアで設立された『International Federation of the Phonographic Industry』を母体として発足したとのこと。

このIFPIによると、2018年の音楽マーケットの売上が前年を上回り、過去11年で最大のボリュームになった。
音楽ビジネスは当面調子がいい、ということだ。

2018年の世界の売り上げは191億ドルで、約2.1兆円。
2017年比で10%近く伸びたとのこと。

内訳は191億ドルのうち、112億ドルがデジタルの売り上げ。
約60%がデジタルであり、前年比21%の伸びらしい。
増加要因はストリーミングサービス。
前年比34%増しの約90億ドル。

曲を指定して有料でダウンロード販売する形態は年々減少している。
前年比で約20%減。
全体の7.7%しかないとのこと。

CDの売り上げは全体の25%。
そこそこの売り上げだが、前年比10%の減少。
単価が高いから、売り上げのボリュームは保っているものの、大きな目で見たら減る一方だ。

全体の14%を占めているのが、放送局や店舗から得る楽曲使用料。
パフォーマンス・ライツという。
けっこう大きい。

そういえば、日本でも著作権協会が音楽教室で曲を使用するのに利用料を取る、ということで去年もめていた。
これはシンクロナイゼーション売り上げと定義されており、全体の2.3%ある。

結果をまとめると、以下のようになる。

物理メデイア:25%
有料ストリーミング:37%
広告型ストリーミング:10%
ダウンロードとその他のデジタル:12%
パフォーマンス・ライツ:14%
シンクロナイゼーション:2%

音楽を作る側にとっては、どうなったのだろう。
この結果をみると、ストリーミングが増えているということで、音楽の切り売りが増えているということかと思う。

音楽自体がコモディティ化して、希少材から一般消費財になった。
昔は気に入ったミュージシャンのレコードやCDを買って、ありがたくプレーヤーにセットし、黙って聞いたものだった。
音楽は貴重なものだった。

しかし、今やマウスで検索して、クリックすれば音楽は聞ける。
ストリーミングサービスに入っていれば、勝手に流してくれたりする。
アルバムというものも、どこまで意味があるかわからない。
ヒット曲だけ聞く、という聞き方も可能だ。

作り手も、レコード会社など通さなくても、極論すればYoutubeにアップロードすれば、自称ミュージシャンになれる。
供給が増えた分、需要も増えたということだろう。

音楽を演る人、聞く人が増えている。
そして、一曲あたりの単価は下がっていく。
今までアルバムという形で、10曲くらいセットで販売していたのが、ストリーミングで事実上のバラ売りが増えたのだろう。

以前は音質にこだわる人が多かったが、音楽のコモディティ化でそれほどこだわらなくなった。
だから、パソコンやウォークマン、スピーカーなどで十分。
大掛かりなステレオセットなど要らない。

ということで、音楽ビジネスは拡大したが、ミュージシャンは増えた分だけ儲からない。
ごく一握りのスーパースターが大きく稼ぐ。
ここでも勝者は総取りになる。

たしかに、裾野は広がったのだが、なんだか寂しいような気がする。

ミュージシャンは昔のようにカリスマであってほしかった。


| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
幸せの形
古内東子については1回書いた。
99年くらいにこの人の存在を知って、アルバムを買った。
98年に出したベスト盤。
ホームページを見ると、デビューは93年だったらしい。

このベスト盤は長い間愛聴盤だった。
当時は仕事が一番忙しい時期で、何だかわからない間に毎日が過ぎていた。
今となっては懐かしい。

今日探してCDを見つけて、早速ウォークマンに入れた。

ディスコグラフィーを見ると、この頃はまだまだシングルCDを出していた時期。
まだミュージシャンがCDの売上で食えた時代。
音楽がまだカリスマ性を持っていた。

古内東子はとにかく恋愛路線。
デビューから恋の歌ばかり。
最近は知らないが、それを売りにしていたと思う。

このベスト盤の中では、「幸せの形」を一番よく聞いた。
シングルカットをされた曲もよかったのだが、なぜかこの曲が最終的にベストだ。
この曲はあまり古内東子らしくない曲。
だいたい、この頃の曲はちょっと重たい感じが多かったのだが、珍しくこの曲は軽く明るい。
だから、よかったのだろうか…。

しかし、今日もう一度歌詞を見てみると、そんなに軽くない。
でも、他の曲と比べると軽かったからなのか…。
シンセサイザーのストリングスが心地よい曲だ。

「出逢いはつくるものだと人は言うけど
気づいたら始まってる それが恋でしょ」

こんな出だし。
最後の歌詞の後、長いエンディングが続く。
ここでは、アコースティックギターがソロをとる。

心なしか、他の曲より声が明るいような気がする。

この人、アルバムのバックコーラスは全部自分でやっている。
あまり取り沙汰されないが、これがとてもうまい。
古内東子は吉田美奈子と並んでこの分野のスペシャリストだと思う。

このアルバムは買っておいて、ほんとによかった…。




| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀シャリ
最近、寝る時に聞く漫才は銀シャリだ。
サンドウィッチマン以降、あまり若い漫才師は知らないのだが、銀シャリは時々テレビで見て興味があった。
一度聞いてみるか、ということでYoutubeで検索するとたくさん出てきた。

ボケが鰻(うなぎ)、ツッコミが橋本でこれは不動。
最近の漫才はボケとツッコミが入れ替わるパターンが多いが、この銀シャリはそれはない。
ただそのボケとツッコミがどちらも特徴的。

ボケの鰻がいい味を出している。
声といい、顔といい、適度なボケで本当にいい。

一方、ツッコミの橋本は今までにないパターン。
「アホなこと言うな」というような類型的なものではない。
ツッコミの言葉が長くて論理的。

この二人が正統なしゃべくり漫才をやる。
さすがにM1で優勝しただけのことはある。
絶妙のボケとツッコミだ。

ネタも今流行りの「間」だけに頼ったものではなく、考えオチもあるし、バラエティに富んでいる。

王道の上方漫才。

銀シャリは面白い。


| | 考えたこと | 13:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハイ・ファイ・セット
こないだ、久しぶりにスポーツクラブに行った。
ストレッチをして、筋トレをして、音楽を聞きながらウォーキングマシンで歩く。

行く前にウォークマンにハイ・ファイ・セットを入れて、持っていった。
今の若い人たちは知らないが、「赤い鳥」のメンバーが分裂してできたグループ。
一つは「紙風船」という、フォーク調のバンド。
そして、もう一つ、ポップスに寄ったのが、ハイ・ファイ・セットだ。

ちょうど荒井由実が売れてきたころで、「卒業写真」や「冷たい雨」、「海を見ていた午後」なんかを歌っていた。
「冷たい雨」や「卒業写真」はハイ・ファイ・セットが先だった。
だから、今でもユーミンの曲を聞くと、ハイ・ファイ・セットが思い出される。

何といっても、山本潤子の透明感のある声が魅力的で、当時の荒井由実の世界に合っていた。
男性2人のコーラスも入り、ステージ映えするグループ。
ポップでスマートなコーラスグループとしては、日本で最初だったと思う。

いい曲がたくさんある。
「スカイレストラン」「土曜の夜は羽田に来るの」は荒井由実の詞。
2つとも空港の別れの曲だ。
なかでも、「スカイレストラン」で歌われる女性の心情は、ユーミンにしては珍しい歌詞。

80年代に入って、ジャズコーラスも始めた。
洋楽のマンハッタン・トランスファーみたいな感じだ。

時々ヒット曲を出しながら活動を続け、92年に活動休止、94年に解散となった。

今日久しぶりに聞いて、やっぱり初期のハイ・ファイ・セットはいい。

残念なのは、持っている音源。LPレコードが多い。
あまりCDにもなっていない。

若い頃だからなあ…。

デジタルで、ダウンロードだけでも出来るようにしてくれたらと思う。



| | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
AI戦略
政府は大学に要請すれば、大学が何でもできる(する)と思っているのだろうか。

こないだ、政府が「AI戦略」を策定し、AIを使いこなす人材を年間25万人育てる、という目標を立てた。
そこで、文系や理系を問わず、全大学生がAIの初等教育を受けるように大学に要請したとのこと。
小学校のプログラミング教育といい、今回の大学生のAI教育といい、政府の誰が決めたか知らないが、全く現状がわかっていないと思う。

AIの何を教えるのか。
そもそもAIとは何かわかっているのか。
AIの初等教育とは何なのか。
いったい、誰が教えるのか。

AI以前にやることがあるだろう。
今の文系の大学生の大半が初等、中等教育を通じて、論理的な考え方を身につけていないと思う。
AならばB、BならばCだったら、AならばCというような考え方だ。
犬ならば動物だ、動物ならば生物だったら、犬ならば生物だ、ということ。
こういう思考ができない学生がたくさんいる。
だから計算はできても、文章題はできない。

日経によると、こういうことだ。

「目玉に据えるのが高等教育へのAI教育の導入だ。年間1学年あたり約60万人いる全大学生や高等専門学校生(高専)に初級水準のAI教育を課す。最低限のプログラミングの仕組みを知り、AIの倫理を理解することを求める。受講した学生には水準に応じた修了証を発行し、就職活動などに生かしやすくする。
 そのうち25万人は、さらに専門的な知識を持つAI人材として育成する。初級水準の習得に加え「ディープラーニング」を体系的に学び、機械学習のアルゴリズムの理解ができることを想定する。「AIと経済学」や「データサイエンスと心理学」など文系と理系の垣根を問わずAIを活用できるよう教育を進める。
 現状、4年制大学では各学年文系が42万人、理工系が12万人、保健系が6万人いる。このうち理工系と保健系を合わせた18万人に加え、文系の15%程度にあたる7万人がAI人材となる想定だ。」

これで毎年25万人が「AI人材」として修了証を持って社会に出ていく算段。
絵に描いた餅とはこのことだ。
大学にヒアリングして決めたのだろうか。

半期15回の授業で2単位だけやって、身につくのなら誰も苦労しない。
全員やるということだから、大教室になるだろうし「やらされ感」満載の授業になるだろう。
さらに、必修にすれば落としたら卒業できないし、そうなれば単位は緩くなる。
下手をすればレポート試験になるし、試験をやっても教科書、ノート持ち込み可だ。
そうまでして、25万人に受けさせるのか…。

まず政府に必要なのは、社会人の学び直しのプログラムの増強だろう。
今いるIT人材が必要に応じてAIを学べるようにする方がよほどまし。
教えるのが難しいとわかっているから、大学に丸投げするのだろう。

文科省はバカだから、「こういう案にしておこう」とエライ人が言えば、それなら各大学に文部科学大臣名で通達出しておきます、でオシマイ。

これで、またAI対応が遅れるのではないかと思う。




| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
昨日から風邪で休んでいる。
喉と鼻をやられた。喉は痛いし、鼻水もひどい。
昨日は一日、頭がボーッとして寝ていた。
今日は用事で外へ出ないといけないが、用が済めばさっさと帰る事にする。

風邪のせいかどうかはわからないが、昨日は珍しく夢を見た。
会社に入って、クレームの電話があり、それに対応する夢。
夢の中で、何度も「これは夢ではない」ということを確認していた。
そういう夢も珍しく、朝起きて覚えているのも珍しい。

実際、夢というのは、どれくらいの時間見ているものなんだろうか。
だいぶ長いこと見ていたような気もするが、時間の感覚がなくて、一瞬かもしれない。
人間の脳の酸素消費量は起きている時も、寝ている時も変わらない。
脳が眠るのではなく、体が眠るのだ。

脳は寝ている間に、起きている時に起こったことなどを整理している。
よく例えられるのは、図書館でみんなが読み散らかした本を棚に戻す、というような作業。
そんな感じで、夜中にも働いているらしい。

なぜ会社に入った頃の夢を見たのか。
なぜクレーム対応だったのか。
あまり考えても意味がない。

こないだ公認心理師のことを書いた時に驚いたが、心理分析で、今や夢を分析するなどというのは古い手法らしい。
たしかに、フロイトやユングという「夢」にこだわった人たちは1800年代の生まれ。
フロイトは無意識というものを発見した功績はあるが、古いと言われれば古い。
今や心理学史の中の人物、ということだ。

それでも、めったに見ない夢を見ると気になる。
「夢分析」でグーグル検索すると、出てくるのは「夢占い」のサイトが多い。
なるほど。
夢の分析は、占いみたいなものなのかもしれない。
それで本人が納得すれば、事は済むからなあ。

故河合隼雄がいろんな人の分析をしている。
講演録も出ている。そういうのを聞くと、夢に意味があるのだろうと思う。
筒井康隆の夢を分析をして、彼は本当は俳優の夢が捨てきれていないということを伝えた話もある。

誰でも、ちょっと本を読んで勉強すれば、夢について語れるようになる。
誰もが経験する「夢」のことだから、簡単だ。

だからといって、簡単だとは言わない。
それによって、正しい分析ができる場合もあるからだ。

でも、今はエビデンスが求められる時代。
当たるも八卦、当たらぬも八卦では、飯は食えないだろう。

夢の意味などわからないと言ってしまえばそれまでだが、それにしても気になる…。



| | 考えたこと | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
医療のIT化
日本のIT化が遅れたのは、人を切れない組織が原因だと聞いた。
まだ民間企業は競争原理があるし、配置転換等で、ある程度はITでの合理化を進めたのだと思う。
公的なところや、国にぶら下がっている業種などでは、本当にその部署の人数を減らさない、ということだったため、大幅に遅れた。

もっとも大きいのは役所だろう。
2000年代からIT化が始まっているが、人数は減っていない。
見かけは減っているように見えても、非正規の人たちが多くなって、ほとんど減っていないのが実情。
公務員の効率化で書いたとおり。

民間の企業が、バブル崩壊して、コンピューターを導入して、人を減らした時期に人を減らさなかったということだ。
雇用を守るという意味では、いいことだったと思うが、それが役所のIT化を遅らせ、ひいては日本全体の効率を下げているのだと思う。

高齢化が進む日本では、これから負担が増える医療費をどう減らすかということが大きな課題。
そんな中、「ITを利用した医療の効率化がかけ声倒れになっている」という記事があった。
具体的には「診療データーの病院間の共有」のことだ。
すでに530億円も突っ込んでいるとのこと。

要は、ある病院で検査をした内容を、他の病院で共有する、ということ。
その重複を防ぐ、というのが目的。
全国で210ある地域ネットワークの患者登録数は、国内人口のわずか1%らしい。

2018年に稼働予定だった名古屋のネットワークは、未だに参加病院がゼロらしい。
民間なら責任者はクビが飛ぶ。
そのあたりのインセンティブが全くないのも問題だ。

金をかけても、利用されないということだ。
こういう投資こそ、国会で議論してもらわないといけない。

この原因の一つには、電子カルテの利用が進まないこともある。
最近、大きな病院に行くと、パソコンのキーボードを打ちながら診察する、という電子カルテ化が進んだと思うのだが、日本全国の病院と診療所でみるとまだまだ。
普及率でいうと3割台とのこと。
先進国のイギリスやオランダは9割であり、大きな差がある。

病院が儲けるために、過剰医療の発見を恐れる、というのも電子化の普及を阻んでいる一因らしい。
だからこそ、オープンにして医療費を減らさないといけない。

また、情報共有に患者の同意が必要になっていて、医師の説明が必要だったりするのも、利用が進まない原因。
これは病院や医師が、共有化によって医療費削減が必要、ということを理解していないということでもある。

この事業の元になった基金は2014年の消費税増税に伴って創設されたとのこと。
いったい何のために投入したのか。
国会で追求してほしい。

こんな中で、厚労省は2020年に全国共通のネットワークを整える方針とのこと。
200以上ある、地域別のネットワークはいったいどうなるのか。
血税をドブに捨てたようなものだ。

ぼくは消費税増税に賛成だが、その分社会保障の無駄を削って、若い人たちの負担を減らすことが条件。
そういう意味では、こんな無駄遣いはもっと摘発すべきだ。

行政の無駄を洗い出すGメンはいないのか。
これこそ、大手のマスコミの役割だろう。
こういうことを本来伝えるべきマスコミが機能していない。

記者クラブで、しょうもない質問をしている場合ではないぞ。





| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
隠居
ぼちぼち同じ学年だった人たちから、隠居の便りが届くようになった。
ぼくが会社に入った頃は、一部をのぞいて定年は60歳だったが、今は65歳に延長されている。
それでも、早めに仕事は引退、という人がちらほらいる。
本人の希望なのか、会社の都合なのか、それは定かではないが…。

江戸時代の隠居というのは、字が見えなくなったとか、歯が悪くなったとか、要するに公式の場に出ることができなくなる、というのが要因だったと聞いた。
でも、眼鏡ができて、歯の治療も進んで、身体的な原因で隠居というのはなくなった。
まあ、隠居が出来る人というのは、ほんの一握りの相続できる財産を作った人ということだ。

そもそもアメリカなどでは、定年制は年令による差別として法律で禁じられている。
本人が決めるということだ。
そうでなくても、契約に反したら、会社が簡単に辞めさせることができるから、定年というものにあまり意味がない。

それでも、大概の国では年金受給開始可能年齢と仕事を辞める時期はリンクしている。
アメリカやドイツでは満額の受給開始年齢が67歳まで引き上げられた。
日本はまだ65歳だが、いずれ引き上げられるだろう。

ただ、そのためには雇用の流動化がどうしても必要になる。
隠居の便りを見ると、まだまだ働けるのに…、と思う。
人それぞれ考えはあるにせよ、もったいないことだ。

ぼくは、定年を考えると、一つの会社に居座るのはよくないと思う。
もちろん、役職定年もあるだろうし、待遇はいろいろだが、現役とは違う扱いになる。
それでも、若い人にとっては、今までずっと上にいた人が部下になる、というのはやりにくいだろう。
そのために、今までの部署を変えるという会社もあると思う。
そうなると、経験や人脈が生かせないということも起こる。
ややこしいことだ。

リクルートの調査で、定年前後の人を受け入れた企業の声があった。
いい方の声は、こんなもの。

「新しい知識やものの見方を得られた」
「周囲のメンバーのスキルアップにつながっている」
「採用した人材が活躍することで、同年代への良いプレッシャーになっている」
「人柄が良い」「礼儀正しい」「話しかけやすい」
「自社の経営にとって良い影響があると思う」
「会社の姿勢に良い印象を受けた」

一方、悪い方の声は以下だ。

「健康状態や体力面に不安がある」
「仕事を覚えるのに時間がかかる」
「これまでの仕事のやり方を改められない」
「目標の設定が難しい」
「仕事を覚えてもすぐに定年を迎えてしまう」

やっぱり、これまでのキャリアが、いい意味でも、悪い意味でも評価されるのだろう。
結局は周りの若い人たちとのコミュニケーションや、自身の謙虚な気持ちがキーになると思う。

これからの数十年、日本の人口は減少し、働き手が減る。
自分の食い扶持は自分で稼がないといけないと思う。

そのためにも、これから中年になる人たちは、70歳まで働くというビジョンを持ってほしい。
若い頃に儲けまくって、60歳で定年というのもいいとは思うが、将来計画を立てて、40代、50代で転職を計画するのも良いと思う。

そして、政治家はそのための法整備をするべきだ。

シルバー民主主義になってはいけないぞ。



| | 考えたこと | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
年功賃金
日経に出ていたが、NTTの社長が、35歳になるまでに研究開発人材の3割がGAFAなどに引き抜かれてしまう、とのこと。
NTTといえば、日本でも有数のIT企業だ。
IT系を目指す就活生なら、一度はエントリー候補に挙げる。
もちろん、図体が大きいとか、官僚的体質だから、ということで最終候補に残るかどうかは別だが…。
しかし、その企業で研究開発職をやって、10年ちょっとで3割がGAFAなどに転職するという事実。

こういうことがあるから、経団連の会長が新卒一括採用に警鐘を鳴らし、横並びの就活時期の廃止を決めたのだろう。
グローバル化した市場では、日本の賃金体系や働き方では若い人たちを引き止めておけない、ということだ。

記事にはITスタートアップ企業(ITベンチャーのようなもの)で働く人が、GAFAに転職した同僚が倍の給料をもらっている、ということで転職について考えている、と書いてある。
日本企業では自己負担のセミナーも、グーグルの社員は会社が出してくれるなどの事実もある。
これなら、悩むだろう。

日本の企業は年功序列の賃金体系だが、アメリカはそんなことはなく、IT業界なら30代がピークだという。
さらにアメリカでは、20代から50代まで平均年収は1000万を超えている。
日本は全ての年代で平均年収は800万以下。
30代では倍以上の差になる。

グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの4社の頭文字を集めたのがGAFA。
30代で倍の年収なら、そこに人が集まるのも、もっともだ。

この差はアジアでも大きくなっている。
データサイエンティストの年俸の最高額は中国で約1660万円とのこと。
日本では1200万円。
IT業界の平均で比べると、インドが9倍、中国が7倍らしい。

NTTでは遅まきながら別系統の賃金ラインを作ったとのこと。
AIの人材を雇うためだ。

もちろん、そういう社員は無期雇用(定年まで働ける)ではない。
成果報酬が厚くなっている。
そうしないと、今の正社員が納得しないという面もある。

しかし、どこかで折り合いをつけて、若い有能な人を雇わないと、海外の会社に勝てない。

2000年代に入って、グローバル化が進んだ。
当初グローバル化といえば、生産拠点を海外に移すことだった。
安い労働力を確保するためだ。

しかし、どんどん時代は変わってきた。
今や日本の技術者が高い給料で取られていく。

日本の年功序列、終身雇用のシステム自体が陳腐化していっているのだ。
70年代から80年代にかけて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代があったが、もはやそんな成功体験は捨てないといけない。

なかなか捨て去るのは難しいが、ようやくそういう時代になってきた。


| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
選挙
ぼくがまだ学生の頃は、選挙の前になると選挙カーが走り回り、「清き一票を」という決まり文句が聞こえていたものだ。
学校にいても、聞こえていたし、平日でも走り回っていた。
名前を連呼したりして、大人は大変だとか思っていたものだ。

今日は、統一地方選挙があった。
選挙運動期間中、朝に駅でビラを渡す人はいたが、本当に静かなもの。
ほんとに選挙をやるのか、という感じ。
候補者のポスターを貼ってあるのが、普段と違うくらい。
選挙管理委員会が淡々と選挙を進めて、投票に至る。

有権者の権利だというが、自分の住んでいるところにどんな問題や課題があって、それを各議員はどう解決しようと思っているのか、そんなことがわからないから、選挙に行く気にもならない。
時々駅前で一人で演説をしている人もいるが、話しているのは国政のマターばかり。
それはアンタの仕事ではないだろう、と思う。

実際の市議会や県議会ではどんな議論がされていて、何が争点なのかもわからない。
知ろうとしない有権者が悪いのかもしれないが、みんなの代表だというのなら、積極的に報告するのも仕事のうちではないか。
今はネットという無料の手段もあるのだから。
実際、トランプ大統領はツイッターでどんどん発信している。

そんな状態で、兵庫県議会も神戸市議会も投票率が40%を切って、過去最低となった。
民主主義は自分の地元の地方自治から始まる、ということは本当だと思う。
ということは、日本では民主主義が根付いているとはいい難い、ということだ。

議員のなり手不足もあって、無投票も増えているとのこと。

今はネットなどの無料の伝達手段もあるのだから、選挙管理委員会がそういうページを作って、候補者の意見を出させればいいのだ。

投票率の低さを問題と捉える人がいない。
今のままでやっておけばいい、という人たちが地方政治をやっている。
地方の役人もそれを問題と考えない。
自分たちの身分さえ維持できればいいと思っている。

本当に改革すべきは、選挙のシステムだろう。
インターネットの時代に応じた選挙システムを作らないといけない。
実際に議員の問題意識が何かということを明確にすべきだと思う。
そして、それは金もかからず、簡単に実現できる。

早くやらないと、無能な多選議員ばかりになってしまうぞ。


| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェアプレー
だいぶ前に高校野球で「隠し玉」をやって、話題になったことがある。
隠し玉とは、ランナーが出たときに、野手がボールを隠して、いかにもピッチャーに返したというふうなフリをして、ランナーが油断して塁を離れたときにタッチする、というプレーだ。
これを高校野球の大会でやって、ランナーはアウトになった。

このときは、高校野球は若者のスポーツだから正々堂々とやるべきだ、というような話になったと思う。
どちらかというと、隠し玉をした方を責める風潮だった。
その時に、まだ現役だった上岡龍太郎が「フェアプレーというのは、ルールに則ってやるということで、隠し玉はルール内だから全く問題ない。それこそが、スポーツマンシップというものだ。」と言ったことを思い出す。
事前のルールを守ることが、スポーツにおけるフェア、ということだった。

今回の選抜高校野球で、今度は「サイン盗み」のクレームがあった。
ランナーが2塁に出た時に、キャッチャーのサインを盗み見て、ランナーに伝えるというもの。
99年にそれが問題になり、高野連がルールを改定して「禁止」になったとのこと。
ただ、罰則はなく、紳士協定みたいなものだ。
この辺が中途半端。

2塁ランナーの動きで、サインを打者に伝える方法はいくらでもある。
離塁の仕方とか、手の位置とか、それらを組み合わせるとか、その気になればいくらでもごまかせるのだ。
実際、「サイン盗み」は「やったもの勝ち」という人もいる。

高野連もルールは定めたものの、運用が難しいということはわかっているのだろう。
だからこそ、罰則もつけなかった。
今回、高野連は試合後の抗議はノーサイドということで、抗議した方を注意したらしい。

高野連は高校野球は高校生が正々堂々とやるものだ、という幻想を維持しようとしている。
しかし、最近の高校野球を見ていると、野球留学については黙認し、出来て数年の野球部が初出場できたりする。
高校野球がビジネス化しているのだ。
それは仕方のないことだ。
ルールの範囲内なら、何をやっても構わない。

それなら、サイン盗みの禁止などやめるべきだ。
サイン盗み対策をバッテリーがやればいい。
実際、2塁にランナーが出たら、サインを変えている学校もあるのだから。

高校野球を野球ビジネスと捉えて、きれいごとの正義など捨てればいい。
その代り、選手の学業成績をチェックし、野球バカ一辺倒にならないようにして選手の将来のことも考えたり、投手の投げ過ぎをルールで制限するなど、ビジネスとしての野球の発展を目指すべきだ。

高野連は一旦解体して、新しい組織を作るほうがよほどフェアになると思う。


| | 考えたこと | 17:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコの写真
アメリカのロボット会社が、サンフランシスコの猫カフェで、ロボットでネコの生活風景を動画で録っている。
ただ、これは趣味で録っているのではなく、仕事で録っているのだ。

ロボットといっても、手のひらに乗る、小さなブルドーザーみたいなものだ。
時間を表示したり、伝言をできたり、センサーで見て人を認識したりできるらしい。
英語なら、アマゾンのAIであるアレクサにも対応している。

もう発売しているようだが、そのロボットがペットを識別できないので、イヌやネコを識別するための学習用のデーターを取っている。
ロボットは人間は認識できるようになったが、同じようにペットを認識するというのは簡単ではない。
そのロボットの視点で見たペットのデーターが必要になる。
そのために、猫カフェでせっせといろんな姿を録画している、ということ。

そのデーターをディープラーニングで学習し、初めてネコをネコとして認識できるようになる。
そうすると、ロボットの機能として、家で留守番中のネコの写真を撮ったりできる。
そういうニーズはたくさんあるだろう。
ホームロボットという位置づけとして、機能を増やしていきたいということだ。

グーグルがネコの顔がわかるようになった、ということだが、そのデーターはこのロボット向けには適さない。
あれは人間が撮ったネコの写真を学習しており、人間の視点だから。
あくまで、そのロボットの視点で画像を撮らないといけない。
動画を録っておいて、それをコマごとに学習するんだと思う。
イヌやネコの身体の一部だけでも、識別できるように、録画をしている。

同じような学習をイヌについてもやっているところ。
まあ、イヌとネコに対応できれば、ペットのニーズの大半はOKだ。

パナソニックがペットの見守りロボットを発売しているが、あれは自動でペットの追尾をする。
赤外線センサーも併用していて、動くものを追いかける。
さらに、ペットの認識をするのだが、あれは人間の視点なので、Web上のネコの画像でOKだったのだろう。

視点が変わると、人間が撮った画像が使えなかったりする。
このあたりがAI開発の難しいところ。
かなりの画像数が要るんだと思う。
さらに、トラ猫もいれば、ブチもいるし、ペルシャネコやスフィンクスという毛のないネコもいる。
それらをロボットの視点で見るのは大変だ。

そういうことを意識せずにやってのける、人間の脳は素晴らしい。

たかがネコの写真、されどネコの写真…




| | 考えたこと | 15:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミック・ジャガー
先日のニュースによると、ミック・ジャガーが心臓の弁の手術をするためにツアーを延期する、ということだ。
医師から今の状態なら、ツアーはダメ、と言われたらしい。

ミック・ジャガーといえば、ローリング・ストーンズのボーカル。
もう75歳だが、73歳のときに子どもができたとのこと。
まだまだ頑張るために、手術を受ける。

ローリング・ストーンズというと、ビートルズと並んで人気があるバンドだった。
ビートルズは解散前にレコーディング中心のバンドになったが、ローリング・ストーンズは長らくステージをこなしてきた。

ローリング・ストーンズは生粋のロック、という感じで、音もハードだ。
「サティスファクション」のイントロは、エレキギターを持ったら一度はやってみたいと思うもの。
「アンジー」というアコギの曲もあった。これは静かな歌だ。この曲のイントロも有名だ。
でも、ぼくが知っているのはそれくらい。

ぼくはビートルズの方が好きだった。
実際には解散してからファンになったのだが、ぼくらの年代はそういう人が多いと思う。
よりポップでメロディックな曲が多かったし、ギターの音もクリーンなものが多かった。
しかし、メンバーの個性が強かったのか、解散してしまって、もう2人は亡くなった。

ローリング・ストーンズの方が、バンドとしては圧倒的に長生きだ。
ミック・ジャガーもキース・リチャーズもまだ生きているし、他のメンバーも途中のメンバーチェンジがあったとはいえ健在。

そういえば、内田裕也もこないだ亡くなったが、長生きだった。
79歳を長生きと捉えればだが…。

ロックンローラーというと、ヤクをやって、タバコを吸って、自堕落な生活を送り、短命というイメージがあり、実際そういうミュージシャンも多かった。
しかし、一流はそんなことはないのかもしれない。

ミック・ジャガーは今でも体型を保ち、ハードなステージもこなす努力をしている。
そのために手術もする。
えらいものだ。

ロックンロール!



| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーツの将来
アメリカの金融大手、ゴールドマン・サックスがドレスコードを緩めるとのこと。
あの銀行の大手が、「クライアントの期待に反しない服装で」という注意書きをつけてはいるが、カジュアルなスタイルも許容するということらしい。
ドラマでも、アメリカの銀行員はスーツにネクタイ姿だが、それが変わる。

うちの息子たちは二人ともスーツなどめったに着ないという。
ネクタイなど、結婚式の披露宴の時くらいだ。
そんな会社が増えているらしい。

その一つの理由は、若い社員を入れたいということもある。
日本でも、アメリカでも、若者はカジュアルな格好で働ける職場環境を求めている。
リクルートスーツは仕方ないとしても、実際に働く場ではカジュアルにいきたいと思っているのだ。
それが、入社する若者を制限しているとしたら、もったいないというわけだ。

ぼくらの時代は、会社に入ったらスーツだった。
ぼくは技術系だったから、汚れてもいいように制服だったが、それでも行き帰りはスーツにネクタイ。
今考えたら、どうせ制服に着替えるのになんでスーツで行くのかとも思うが、それが社会の当たり前だった。

入社の時に、新しいスーツを親に買ってもらったことを思い出す。
うちの息子たちにもスーツを作ったが、着る機会がない。
毎日ラフな服装で会社に行けるというのは、いいことだと思う。
クリーニング代も助かるし、無理して革靴を履かなくてもいいというのはありがたい。

ぼくらの時代は、堅苦しい格好をすることがサラリーマンになるということだった。
ドレスコードというようなルールはなかったが、暗黙の了解事項。
慣れないネクタイをして毎日行ったものだ。

でも、今やアメリカで成功したビジネスマンといえば、たいがいスーツ姿ではない。
スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカバーグみたいなスタイルが多い。
そういうのに憧れるところもあるのかもしれない。

ゴールドマン・サックスも、アップルやフェイスブックに若い人を取られるのが困るのだ。

ウォール街もカジュアルなスタイルが増えてくる。
日本のメガバンクも、いつまでもたくさんの店舗を持ってはいられない。
街の姿も変わるだろう。

銀行に勤めていた友人が、銀行員はお互いに見たらわかると言っていた。
服装や身につけているもの、カバンや雰囲気などが同じニオイがするという。
それも時代ともに変わっていくのだろう。

JPモルガンも、ビジネスカジュアルでもOKになったという。
女性のCAに「メイク」をしなくてもいい、というところも出てきたらしい。

どんどん世の中は変わっていく。

またまた老兵は去りゆくのみ。





| | 考えたこと | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクティブラーニング その3
アクティブラーニングについては2回書いた。
こないだ、小学校の先生の話を聞いたが、小学校の現場ではいろいろ困っているらしい。
アクティブラーニングというのは、要するに「話し合い」であり、それを「主体的な学習」と言っている。
そこで多数決で決まった結論を教師が覆すのは気が引ける、と言っていた。
主体的な学習だから、主体的に出した結論はオカシクてもそのままいく…、というところに悩みがあるらしい。

まあ、過去2回アクティブラーニングに対して、文句の意見を書いてきたわけで、それはこれこれを見てもらえばと思う。

今回もいつも参考にしている元小学校教師の中沢氏のブログのこと。
アクティブラーニングにはいろんな疑問点があるのだが、それでも小学校の教師をみんなが続けていることについて、書いている。

今回は中沢氏はだいぶ頭にきている様子だ。
最初に辞めさせられた川崎市の先生のことを紹介しているが、この教育委員会の対応はヒドイ。
教育委員会がブラック化している。
しかし、そこは飛ばす。

彼が問題にしているのは、教員の「生きる力」。
こういうことだ。

「以前も述べましたが、教員ほど「生きる力」の脆弱な職業人もいません。しかも、給与は生産性のわりに圧倒的に割高です。だから、こんな職場で、住宅ローンや教育ローンを組んだら、辞めるに辞められなくなります。だって、手に職がなさ過ぎて転職なんてとてもできないもん。

昨今、話題になっている教員の働き過ぎ問題も、根っこは同じです。ようするに転職というオプションが使えないから、上から言われるがままの業務量を黙々とこなすしか選択肢がなくなってしまっているのが現実です。しかも、仮に辞められたり、それで辞めた職員に悪い噂を流されても、倒産のない役所なので、痛くもかゆくもありません。」

転職というオプションを使いにくいのは、普通のサラリーマンも同じだが、教員は特にそうらしい。
たしかに、小学校の教員、というキャリアは一体何なのだろうと思う。
小学生に教える、というスキルはある程度は評価されるだろうが、普通の企業では必要とされない。
塾は学校よりも高度だから、無理だろう。(難しいことは塾で聞け、というらしい)
となると、たしかに転職というチョイスはないかもしれない。
その割に、給与は高いとなると、よけいだ。

そういう先生方が、アクティブラーニングを実行する。
一番の被害者は子どもだ。

「でも、いちばんの被害者は、将来のある子供と、学校を信頼しきっている保護者でしょう。

こんなアクティブ・ラーニング的な学力は、昭和の会社、とくに大企業ならテクニックとして役に立ったでしょう。上司や同僚の顔色をうかがって、結論ありきだけれど、活発な議論をしているように見せる・・・(とくに大卒ホワイトカラーにおいて)。

こんな茶番が今日も全国の学校で続いています。
ぼくは常々、なぜ現場の先生方が文句を言わないのか、と思っていたが、こういう状態では仕方がない。
中沢氏ではないが、だんだん腹が立ってくる。

彼も書いているが、こういうふうにして、日本の教育はすこしずつ衰弱していくのだと思う。

だれも何ともしようがない。

ネット学習ソフト、スタディサプリに期待するしかない。



| | 考えたこと | 22:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
公認心理師 その2
以前、公認心理師について書いた。
その時に、心理学系の学会数が多く、たくさんの民間資格が存在するということが現状で、それを何とかしようとできた国家資格が公認心理師と説明した。

今回「この国で「自称心理カウンセラー」が乱立する現状はようやく変わるか」という記事を読んだ。
これを書いた人は筑波大学の教授。

公認心理師の活動フィールドは、教育、福祉、司法、産業、保険医療の5つあり、この人は司法領域で活動している現役の人。
司法というとどんなところかと思うが、「刑務所や少年鑑別書での心理検査や再販防止の治療的な処遇」などをやってきたということだ。
もちろん、臨床心理士資格も取得している。
現状について、この人が書いている。

「この状況は本当に憂慮すべきものである。以前、「似非カウンセラーの問題」を取り上げたが、カウンセリングと称して、不当に個人情報を取得したり、果てはわいせつ行為に及んだりする者すらいる(女子中学生を「買春」子どもを食い物にするカウンセラーが増殖中)。
わずか1日やそこらの講習を受けて、「心理カウンセラー」を名乗り、あたかも専門家のような顔をして「カウンセリング」を行っている者のなんと多いことか。」

問題があることは想像していたが、こんなにひどいとは思わなかった。

「ちょっとネットを検索しただけでも、多くのいい加減な「講座」がぞろぞろと出てくるし、わけのわからない「カウンセリング・ルーム」「心理相談室」などもたくさんある。
悩みを抱えていたり、あるいは心理的な問題や障害をもっていたりする人たちに対して、素人のような人々が「カウンセリング」をした場合、良くなるどころか、むしろ悪くなってしまうことを示すエビデンスはいくらでもある。しかも、安くはない料金を取るのである。
現状では、このようなことが野放しになっているわけだから、今回のような国家資格ができるのは、とても意義のあることである。むしろ遅かったくらいだ。」

なぜ、国家資格が遅れたかということも書かれている。
医療分野で「医師の指示を受けない専門職」というのがネックだったとのこと。
臨床心理士が心理臨床学会メインの文科省寄りの資格であるのに対して、厚労省が医療領域の臨床検査業務をやる心理士を作りたかったが、医療領域は医師会の力が強く、「医師の指示を受けない」というところが譲れなかったということだ。

チーム医療にはリーダーが必要であり、医療領域では医師がそのリーダーにならざるを得ないと思う。
それが当たり前のチームワークであり、そこに医師から独立して指示を受けないメンバーが入ることは、ダメというのが当然だろう。
ぼくは、「独立した専門性」にこだわる方が、間違いだと思う。

この記事で著者が問題にしているのが、公認心理師になるための受験資格だ。
実際に心理の仕事をしている人は、受験資格があることになっているのだが、その受験資格認定でいろいろともめたらしい。

伊藤絵美という、我が国の認知行動療法の第一人者が受験資格を得られず、大変だったということらしい。
調べてみると、数多くの本を出しており、公認心理師のガイドブックなども執筆しているのに、「受験資格なし」になった。
何万人も応募者がいるのを審査するのは大変だとはいえ、杜撰だったということだ。
伊藤絵美さんは厚労省と交渉して、試験の3日前に受験票が送られてきたとのこと。
しかし、同様の理由で却下された人がたくさんいて、説明もなく受験できなかったということが書いてある。
それほどまでに、心に関わっている人は多く、玉石混交ということだ。

この記事の最後のところで、「一番の問題」とされているのは、公認心理師の「大学のカリキュラム」。
心理業界には古い人たちが多く(だいたい学問の世界はそうであるが)、「エビデンスのない技法や理論がずらりとならんでいる」ということだ。
アメリカの大学では今や「心理学史」の中にしか登場しない、フロイトやユング、アドラーなどが、カリキュラムの中に入っている、という。

これはぼくもビックリした。
古いとは思ったが、フロイトやユングはもう歴史の中の人物なのか!
まあ、時代的にはそうだが…。

最後にこう書かれている。

「エビデンスがないと言われても、長年の間、それを学び、臨床場面で活用してきた人たちは、それを手放すことに激しく抵抗する。そして、「エビデンスだけが大事じゃない」「悪口を言うな」などと感情的に「逆切れ」する。

古い人は仕方ないとしても(本当は仕方なくはないが)、今後もこのような時代遅れのカリキュラムで学んだ人たちが、公認心理師として社会に出ていくわけである。

時代遅れだけならまだよいが、治療においても、検査においても、エビデンスがないものを振りかざして、悩める現代人の「こころ」の問題に対処できるのだろうか。それは自己満足以外の何物でもない。

実際、今回の試験問題にも、カビの生えたような理論や技法の問題が数多く出題されていた。私などは、これらの問題に不正解であった者こそを合格とすべきではないかと思ったくらいである。

このような問題点を改めるためにも、広く公認心理師の存在と仕事を世の中の方々に認知していただき、監視していただきたいと切に願う。」

同様のことは、精神科医の和田秀樹も書いていた。

ぼくも大学で勤めているとき、臨床心理をやっている人はなんでこんなにセクト主義なのかと思ったことがある。
自分たちの仲間で固まっていないとイケナイ、という考え方なのだ。
学問分野として必要な人を採らないといけないのに、結局は仲間優先になってしまう。
だから、先生がたくさんいてもカリキュラムが組めない。
大事な科目が非常勤になったりする。

たしかに、この状態は何とかしないといけないと思う。



| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワールドEYES
今朝からNHKのBSワールドニュースの枠が変わり、ワールドEYESという番組になった。
今までの、各国の各国のニュースを順番にただただ流す、という構成から、間に解説を挟むという形に変わった。
より、ニュースのソースを選んで、解説に時間をかける。
良くなったのか、悪くなったのかはわからない。
各国のニュースをそのまま流すほうが、本当にその国が重要視しているニュースがわかるからだ。

今日最初の解説は、トライバリズム。
これはトライブから来ている言葉。
あのオメガトライブのトライブだ。

部族、という意味であり、トライバリズムは狭義では「部族主義」という意味で、最近は他の集団の言うことは聞かず、暴力に訴えても自分たちの考え以外を排斥する集団、というような意味でも使われる、という解説だった。

ニュージーランドの銃乱射事件から、この言葉がよく出てくるようになったとのこと。
あの事件はフェイスブックで中継されたらしい。
フェイスブックのAIは銃の乱射を学習しておらず、止められなかったとのこと。
このへんが、AIの「一般常識の壁」なんだろう。
人間なら、銃の乱射を不特定多数に中継していたら止めるのだが、AIはそれが常識はずれだとわからない。

話がそれたが、トライバリズムはSNSで増殖するものだ。
解説でも言っていたが、SNSは同じ考えの人がつながりやすく、自分たちの考えは正しい、と思ってしまうものだ。
そういうふうに作られているから、流行るんだろう。
特にツイッターなどを見ていると、そうなりやすい。
トランプ大統領がツイッターを多用するのは賢いと思う。
自分の仲間を作りやすいからだ。

ツイッターが、トランプ大統領をフォローした人には、自動的に民主党のサンダースも勝手にフォローして表示するようになったら、きっと誰も見なくなる。
自分の満足のために見ているのだからなあ。
でも、民主主義のバランスを考えると、対立する両方の意見を聞いて判断するというのが望ましいのだが…。

続いて、フランスのニュースで、歩きスマホを問題にしていた。
フランスでは、歩きスマホをする人をスゥオンビ、というらしい。
スマホとゾンビを結合した新語だ。
世界では歩きスマホに罰金を課するなどの対策も進んでいる。
横断歩道に来たら、自動的にスマホに注意を表示するところもあるらしい。

ワールドEYES、これからどんな話題を解説してくれるのか。
とりあえず、様子を見よう。




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