考えたこと2

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良いお年を
10月の25日の金曜日。
朝、出勤で運転していたら、右手がパタリと落ちた。

それから、10分間ほど右手が思うように動かない。
初めての経験なので、なぜかわからない。
どうにかして、右手を上に持っていくのだが、ハンドルまでたどり着かない。
しかたなく左手で運転して駐車場に着いた。
右手の事は気にしないでおこう。きっと職場に着いたら治ると思った。

クルマから降りて、職場まで歩く。
何となく、右足がおかしいなあと思いつつ、それでも階段を歩いて上って、部屋につく。

「お早うございます」というと、戻ったような気がした。

それからは、普通どおり。
何ともなく、一日が過ぎた。

帰って話をしたら、それは病院に行った方がいい、とのこと。

次の朝、そうかな…、と思いつつ病院に行くと、MRIを取られて、即入院。
脳梗塞のあとがある、とのこと。

それから毎日点滴三昧だった。
血がさらさらになるクスリ、血圧を下げるクスリ、コレステロールを下げるクスリ…。

土曜日から木曜日まで6日間入院した。

身体に後遺症は残っていない。

でも、何かが違う。
何か言おうとすると、言葉が出てこなかったりする。

あれから2ヶ月。

ぼくは左脳が強くて、理屈っぽい文章を書くと思っていたが、ブログの文章が少し変わったような気がする。

ちょっと、叙情的になったような…。

左脳が少し休んでいるからだろうか。

元に戻ったら、また理屈っぽい文章を書くのだろうか。

それは、その時にならないとわからない。

気長にやります。

みなさんも身体に気をつけて、良いお年を。


| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
一年
年に一度、大学時代の友達2人と会う。

今年は1人来ることができなかった。
この年になると、いろんな事情がある。

友だちと二人でサウナに行って、夕飯を食べて飲みに行く。

あまりいい話は出ない。
健康が衰えたとか、調子が悪いとか、景気が悪いとか…。

そんなふうにして、年を取っていくんだろう。

今年は悪かったが、来年は明るくいきたいもの。

まあ、今の景気なら当分無理かもしれない。

21歳の頃から想像もできないところまで来た。
あの頃から思うと、かしこくなったとは思う。
世の中の事を曲がりなりにもわかった。
でも、本質的には変わっていないなあ。

若いころ、「思えば遠くへ来たもんだ」という歌があったが、あれはこういう心境を歌ったんだろうと思う。

みんないい年になったが、まだまだこれから。

来年も集まろう。




| | 考えたこと | 01:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
カンパ
歳末になると、助け合い運動や募金がある。

「カンパしとこか」といって、お金を入れる。

カンパと言われても、今の若い人は通じないかもしれないなあ。

しかし、このカンパという言葉はどこから来たのだろうか。

調べてみると、このカンパというのはロシア語のkampaniya(カンパニア)の略とのこと。

語源由来辞典によると、

「カンパは政治的な活動や闘争を意味し、特に、大衆に訴えて、ある目的を達成しようと組織的な活動をいった。その意味から、資金を集めて目的を達成する面が強調され、カンパは資金を集める意味で使われるようになり、政治的な目的以外でも資金を集めることを「カンパ」というようになった。」

ということらしい。

めずらしいロシア語の語源の言葉。

その他には、アジト(扇動本部)、ノルマなどがある。

アジトというのは、アジトブンクトの略で、いかにもそれらしい。
ノルマは、おなじみの言葉。
これが一番有名かもしれない。

アジト、ノルマ、カンパ…。

あまりいい印象はないか。

何かひと味違う外来語。

ロシアに夢を持つ時代がもう一度来るのだろうか。






| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラインの白
赤と白とロゼ。

ワインの種類である。

その他にも産地で分ける。
フランス、イタリア、ドイツ、アメリカ、オーストラリア…。

ぼくはそんなにたくさんのワインは飲まないし、コレクターでもないが、ワインの好みはある。

ワインは、ライン地方でとれたものの、白が好きだ。

若いころ、出張で行って、会社の先輩にワインはラインの白だと言われた。
飲んだら、甘口だが、おいしかった。
それ以来、ラインの白に決めている。

ぼくに決定権がある時は、ラインの白を探す。
当たりはずれはあるものの、ハズレは少ない。

とはいうものの、いろいろなワインを飲み比べたわけではない。
素人の一つ覚えに近い。

でも、ラインの白というと、聞こえがいい。

置いてあるところは少ないが、あれば頼む。

ラインの白、どうですか。




| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
平成の無責任
ミュージックステーションの特番をみた。

最近の歌は最初からテンションが高い。
中には違うのもあるが、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ…というふうに、徐々に盛り上がっていく構成の歌が減ったように思う。

「無責任ヒーロー」という歌。
関ジャニ8というグループで歌っている。
大勢で歌う。8人いるのかな。

もちろんクレージーキャッツの「無責任一代男」のパロディだろう。
それと知って聴いている人は、少ないかもしれないが…。
「無責任一代男」は植木等が一人で歌う。

 オレはこの世で一番
 無責任といわれた男…

高度成長時代、要領よく立ち回れば、えらくなれた。

 人生で大事な事は
 タイミングにC調に無責任

そんな時代だった。

平成の無責任ヒーローは違う。

それにしても、騒がしい。
最初から全開だ。
8人もいて、ユニゾンで歌う。コーラスなどない。
一人ずつは大したことないから、全員集めても大したことはない。

 全力前進 ジャジャジャジャーン
 丸腰宿無し ジャジャジャジャーン
 笑っておくれよ なるようになるさ

なんだかわからないが、なるようになるという。

 オイラは伝説の無責任ヒーロー
 夢は無限大の無責任ヒーロー

それでも、夢は無限大だ。

平成の時代、悲しいことだが、夢だけは無限大になっている。

昭和の時代、要領よく、ゴマすりでゴルフと小唄と碁の相手をしてえらくなっていけた。
でも、平成の時代は、気の毒だ。
なんだかわからないが、全開なのだ。
そして、夢は無限大だという。

みんな気づいているのかもしれない。

この歌を景気よく全開で歌わないと、みじめになる事を。

平成の無責任ヒーロー。
報われるように、ぼくらが頑張らないと。



| | 考えたこと | 13:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生は短い
やらねばならないことと、やりたいことが、たくさんある。

やらねばならないことというと、まず仕事か。学生なら、勉強だろう。
これは生きていくために義務であり、権利である。

やりたいことは、何かを書くこと、ギターを弾くこと、本を読むこと、いい音楽をお聴くこと、映画を見ること、友だちとのおしゃべり…。

その他に生活必需時間がある。
睡眠、食事、入浴、などなど。

平日はやらねばならないことと、生活必需時間を合わせると、もう24時間近い。
最近、早く寝るようにしているし、寝る前の読書もあまりできない。

休みの日は、自由な時間があるとはいえ、何やかやとやることがある。

そう考えると、意外とやりたいことに割く時間は少ない。

そういう意味では、人生は短いのかもしれない。
やりたいことは、ムリしてでもやらないと…。

でも、それくらいでちょうどいいのかもしれないなあ。

やりたいことを十分できたら、面白くなくなるだろう。
十分やれたら、やりたいことではなくなるかもしれないし。

ギターを弾く時間が十分あっても、自分が上達しないのにイライラするのもイヤだ。
本を読む時間が十分あっても、次から次から忘れていくのもイヤだ。

人生は短い…、そう思えるくらいでちょうどいいのかもしれない。




| | 考えたこと | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマス
今日はクリスマス。

いよいよ今年も終わり。
あと1週間だ。一年は早い。

また1月が来て、年を取る。

年を取るのはイヤではないけれど、だんだん身体が衰えてくるのはつらい。

メガネなしで近くの字が見えないのは、実際不便だ。

まあ、今までメガネなしで来られたのだから、よしとしないといけない。

それにしても、あっという間にここまで来た。

51年間の人生。

いろんなことがあった。

年が明けると52回目の誕生日。

クリスマスは特別な日だが、今年は特にそう思う。




| | 考えたこと | 22:56 | comments(2) | trackbacks(0) |
ティーカップ
こないだ、テレビでつらい時には遊園地のティーカップにのって思い切りグルグル回って、それから吐くといい、と言っていた。

それで思い出した。
遊園地のティーカップ。
調子にのって、グルグル回した。

降りたら、まだそのあたりがグルグル回っていて、気分が悪い。
血の気がひくとはあのことだろう。
胃がむかむかしてきて、吐いた。
そんなことは初めてだった。
しばらく日陰でじっとしていて、収まるのを待った。
酔うという事を知らなかったので、その時は酔ったという意識もなかったなあ。

それから、二度とティーカップには乗っていない。

あの時の記憶が残っていて、気持ちが悪くなる。

父と二人で乗ったのだが、何ともなかったところをみると、父はそういうのに強かったのか。

あれはどこの遊園地だったのか。

今はなき甲子園阪神パークだったのかもしれない。

あの頃、阪神パークといえば大きな遊園地だったような気がする。

レオポンがいた…はずだ。

なんか、なつかしいなあ。



| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
切手
二十数年前、フランスに3ヶ月ほどいたことがある。

仕事で長期出張だった。
ビジネスホテルに泊まって、毎日クルマで通う。

毎朝、フランスパンを食べる。
フランスのフランスパンは本当においしい。
日本人はぼく一人で、レストランに行っても言葉は通じない。
ジェスチャーとかたことのフランス語で注文する。
何日かたつと、毎日同じものしか頼まないので、座って目で合図するだけでよくなった。

フロントでキーをもらうのも同じ。
英語はほとんど通じない。
Room No.505。サンソンサンというと、キーを出してくれる。

ある日異変が起こった。
帰ってきて、キーをもらおうとしたら、何か言っている。
よくわからないが、家から手紙がついたらしい。

切手がほしい…と言っているようだ。

You want this stamp?というと、ウィという。
OK。その場でハサミで切って渡す。
受付の彼女は、ものすごくうれしそうな顔をした。

なるほど、日本の切手はきれいだ。

あんな切手は世界中探してもないだろう。

価値がわかったので、何でもいいから記念切手か何かをたくさん送ってほしいと返事を書いた。

数日後、手紙が来て、受付の彼女に新品をあげた。
今度は、飛び上がらんばかりに喜んでいた。
メルシー・ボクー。大変ありがとう…、そんな言葉は聞いたことがない。

次の日、朝食堂に行くと、奥からシェフが出てきた。
英語が話せるらしく、「切手を譲ってほしいというウェイトレスがいる」という。
フロントの女性に聞いたらしい。

いいよ、まだ余ってるから…、といって記念切手を1シートあげた。

彼女もとてもうれしそうな顔をして、メルシー・ボクーを連発した。

日本の切手は、彼の地ですごくめずらしく、そしてきれいなことがわかった。
もしコレクターがいれば、日本の切手はすごく喜ばれる。

あのホテルの受付の彼女と、ウェイトレスの彼女。
彼女らのスタンプ・ブックに、きっとぼくがあげた85年の記念切手が貼られている。

あれから20年ちょっと。
あけて、それを見るたびに、「これは日本人にもらったのよ」と言ってくれていると思う。

そんな事を考えると、うれしくなる。


| | 考えたこと | 18:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
英語教育
今日のニュースで、日本の英語教育が変わるという。

中学か高校かは知らないが、授業は英語を主体にやるという。
単語の量は増やして、中国や韓国と同じだけにするらしい。

単語の件はともかく、英語を主体にやる、というのはどういうことか。

本気だろうか…。

英語の先生が出てきて、大変だが頑張ってやりたい…みたいなことを言っていた。
研修を受けるらしい。
ちょっとでも、それらしい発音を…ということだ。

日本人が英語を教えるのに、日本語を使わずに教えることができるのだろうか。
おかしくないですか?

どうして話すことを重視するのだろうか。

読み書きこそ重視すべきだと思う。
読んで書けれなければ、意味のあることを話せるわけがない。
相づちばかり覚えてもしかたがないだろう。

話すことを重視するのはマチガイだと思う。

話すためには文法がいる。
文法は英語では教えられない。
効率が悪すぎる。

どうして、戦後の日本人は、アメリカに進出し、商売ができたのか。
製品がよかったのもあるかもしれないが、英語の読み書きができたからではないか。

ぼくは間違っているのだろうか…。





| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
腰痛
二十代の頃、ムチャをして腰を痛めた。
腰椎分離症。
X線でイヌの首輪みたいな写真が撮れる。

それ以来、ムリをすると腰に来る。

腰痛のベルトを作ってもらったり、既成のバンドを使ったり…。
でも、ムリしないに越したことはない。
40代の頃まで、続いた。
やっぱり、働き盛りだったんだろう。

それ以降は、あまりムリをしなくなったせいか、ほんの時々出るだけだ。

腰痛はシンドイ。

ひどい時は、トイレに座るのが一苦労だ。
そして、今度はトイレから立ち上がる時も同じこと。
要は姿勢を変える時に、イタタタタ…となる。

慣れてくると、もうすぐ来るな…とわかる。

何気なく寝返りを打った時に、ちょっとイヤな予感がする。
これは、アブナイ。

ぼくの場合、寝返りが一番正直なサインのようだ。

2,3日続けてサインが出ると、気をつけないとイケナイ。

そんなふうに腰痛とつき合って、もうほぼ30年。
だいぶ仲良くなってきた。

おかげで、ここしばらくはましだ。

腰痛のように長い友だちとは仲良くできる。

そんな友だちが、だんだん増えていく。

それが年をとるということだろう。



| | 考えたこと | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
This will be
ナタリー・コールの曲。

この曲、とにかく調子がいい。
女性3人で歌うスタイル。
だんだん盛り上がって、そのまま一気にエンディングだ。

こういう曲は大好きだ。

手拍子あり、転調あり、ブラスセクションありの大サービス。
ブラスの入れ方もいい。

何かの映画でかかったのだが…。

そうそう、ディズニーのFamily gameだった。
今朝ドラでやっているのと同じ、双子の出会いのパターンの映画。

離婚した両親と同じく、別れ別れになった双子の女の子が、入れ替わって…というストーリー。
コメディとしても、ファミリードラマとしてもいい映画だった。
その最後にこの曲が流れる。

 これは、永遠に続く愛
 これは、私が今まで待ち望んでいたもの…

エンディングはそうなるというお話し。

最後にlove のリフレインから、from now on のリフレインに行く。
明るく、素敵な曲だ。

こんな曲でギターを弾きたいと思う。
リズムギター。
そんなに目立たない。
でも、しっかり弾く…。

この曲とあの映画、セットでよかった。




| | 音楽 | 14:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動車
国内の自動車の需要予測では、2009年の新車販売台数が500万台を割り込む予想となった。

31年ぶりとのこと。

31年前というと、1978年。
キャンディーズが解散し、サザンオールスターズがデビューした年だ。

78年というと、まだこれから増えていくぞという年だった。

それから90年に777万台にまで増えて、また減ってしまった。
トヨタが営業赤字になるかもしれないという。

正常に戻ったということだろうか。
日本車は世界一優秀だからなあ。
丈夫で長持ちする。

だから、昭和50年代に3.3年だった平均車齢が今は7年を越えた。

そんな時代がいつか来ると思っていた。
いずれはこうなる運命だったのだ。

それでも、こんなに早く来るとは思わなかった。

日本車は必要とされるが、作るのは日本でなくていい。
本当は日本で作ると一番いいクルマが作れるのだが、それももう要らない。

でも、日本人の技術は必要とされているのだ。

だから、頑張ってほしい。

規模だけが目標ではないと思う。

きれい事かもしれないが…。





| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
風のガーデン
今日は最終回だった。

中井貴一と緒形拳の演技は、素晴らしかった。

病気との最後の戦いを戦って、中井貴一は逝く。

本当は緒形拳が戦っていたのだ。

そんなことはわからない。

「父さん、死後の世界があると思いますか」
「さあ、わからないなあ。でも、あるように思えてきた…。」

中井貴一が緒形拳と交わした会話。

本当にそう思っていたのだろうか。

役者の心の内は知る由もない。
でも、本当に役者だと思う。

あらためて、緒形拳の冥福を祈る。


| | 考えたこと | 23:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
リスペクト
リスペクトという英語、便利な言葉だ。
尊敬といわずに、リスペクトという。

何かを上達したいときには、道具に対するリスペクトを持たないといけない。

ギターが上達したければ、ギターに対するリスペクトを持たないといけないのだ。

リスペクトを持つ…、日本語にはない表現だ。

ギターに対する尊敬を持つ…、これは言いにくい。
日本では尊敬の対象は人になる。
リスペクトも同じだろう。対象は人だ。
でも、英語なので、対象をものにしても聞こえがいい。

上手になるひとは、道具に対するリスペクトを忘れない。

安いギターでも、高いギターでも、同じことだ。

自分の使っているギターにリスペクトを持つ。

弦を張り替え、クロスで拭き、きれいにする。

そういう儀式が必要だ。

リスペクト。




| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
平成の死語2
こないだ書いた、「ぼくらの時代」に平成の死語があった。

内ゲバとゲバ棒。

wikipediaによると、内ゲバとは、

「政治・思想分野に限らず同じ組織に属する人間間の対立、仲間割れによる不毛な暴力を伴った論争を称する「内ゲバ」という言葉が一般に定着。皮肉にも本来のゲバルトより幅広く末永く、新左翼が自然消滅に近い今なお用いられている(単語としての具体的な出典・日時は不明)。」

ゲバ棒とは、

「基本的に、ゲバ棒は左翼の実力行使時に武器として使用される。その際、特に決められた素材で決められた色柄に加工し、決められた形状である必要はないとされる。つまり、暴力行為を伴いかねない過激な左翼集会に参加している人が装備している棒状の物体は、ゲバ棒である。」

この「ゲバ」というのは、「ゲバルト」の略らしい。
らしい…というのは、ぼくもゲバルトという言葉は知っているが、その意味はわからないからだ。

ゲバルトというのは、「国家権力の暴力装置(警察等)に対する暴力」。

なんとなく、暴力みたいなものだろうとは思うが、国家権力の暴力装置に対する暴力とは思わなかった。

内ゲバで、たくさんの人が亡くなった。
笑い事ではない。
あの頃の熱い気分を知らない人は、ビックリするだろうが、内ゲバというのは、単なる仲間割れではなくて、殺人なのだ。

内ゲバで使われたのがゲバ棒。
鉄パイプが主に使われたのではないか。

これらの言葉が死語になるのはいいことだ。

昭和の時代、こんな言葉が毎日のように言われた時があった。





| | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジェームズ・ボンド
ジェームズ・ボンドの役はショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアーズ・ブロスナン、そしてダニエル・クレイグという役者が演じている。

ロジャー・ムーアは、アメリカっぽくて今ひとつ。
ティモシー・ダルトンとピアーズ・ブロスナンはイギリス人らしいのだが、ちょっとマジメすぎる。
ダニエル・クレイグは、ちょっとシリアスすぎる。

やっぱり、ショーン・コネリーだ。

あのバタ臭さ、ちょいワルの感じ、ユーモア…、ショーン・コネリーの右に出るものはいない。

イアン・フレミングの原作のボンドはそんなふうではないらしいが…。

「ロシアから愛をこめて」が一番の名作。

でも、冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩れ、ジェームズ・ボンドの映画も撮りにくくなった。

CIA、KGB、MI6、これだ。

KGBをケージービーではなく、カーゲーベーと読めないといけない。

冷戦の終結とともに、スパイ映画は終わったのかもしれない。

"007, Lisence to kill" なつかしいフレーズだ。


| | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
将来の夢
今は若い人に夢を求めている時代だ。

何がしたいのか。

大学の学部選びも、就職もそうだ。

大学の学部選びでは、この学部に行ったら将来何になれるか書いてある。
法学部は弁護士、司法書士、経済学部は公認会計士、税理士…など。

工学部、理学部などは教員とか、研究所員しかない。
文学部も、教員くらいしかない。

そう考えると、何になるのかわからない学部がほとんどだ。

だから、変な学部ができた。

観光学部とか、福祉系の学部。
旅行会社社員だとか、社会福祉士などになれるという。

そして、もっとわけのわからない学部ができてきた。
曰く、国際コミュニケーション、政策マネジメント学部、人間環境学部、長いものでは、グローバル・メディア・スタディーズ学部などというのもある。

国際社会で活躍できる人間とか、自治体で公共政策をやるとか…。
そんなものになれるという。

何かおかしくないですか?

本気でそんなことを考えているのだろうか。

ほとんどの人間はサラリーマンになる。

どこの学部もサラリーマンになれる、と書いてあるところはない。

サラリーマンには夢がないということか。

もともと夢がある商売などない。
やれる仕事で、夢を持って仕事をするのだ。

それが、わからないのかなあ。







| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ぼくらの時代
もう52歳だから、ぼくらの時代はほぼ終わろうとしている。
ぼくらの時代とは一体何だったんだろうか。

今やもう戦後ではない…という時に生まれた。
それでも、小さい頃はまだ貧しかったと思う。
セーターは手編みで、二年に一回くらいほどいて編み直しだった。
冬になると、鼻をたらして袖で拭くから、袖は光っていた。

先生はえらくて、立派だった。
本当に立派だったと今でも思っている。
立ってウロウロするような生徒などいない。
先生はこわかった。
1クラス45人。卒業式ではみんなが君が代を歌い、仰げば尊しを歌い、日の丸を掲揚していた。
小学校の頃の写真はモノクロが当たり前だ。

そのうちに、高度成長で日本は豊かになった。
今日より明日、明日より明後日が、確実に豊かになると信じていた。
科学を信仰し、アトムのファンだった。
誰もがエネルギーという言葉を使い、誰もがエネルギーという言葉の意味を知っていた。
科学で全てが解決すると本気で思っていた。

そして、ベトナム戦争と安全保障条約で、大騒ぎになって、暴れていた人たち。
ぼくらはそれを見ていた。

中には赤ヘルをかぶっている(広島ファンというわけではない)人もいたが、大部分の人はノンポリを決め込んでいた。
ゲバ棒も内ゲバもあまり縁がなかった。

あのころ騒いでいた人はどこに行ったのだろうか。
あのころ騒いでいた人たちには、責任があると思う。

オイルショックでさっぱりワヤだったころに入社した。

省エネ、品質改善、体質強化、提案制度、年功序列…日本企業がだんだん優位になった。
ジャパン・アズ・ナンバーワン…、そんな言葉が言われた。
会社に入った頃は全て手書きの時代。
そして、15年ほどたって、パソコンが出てきた。
20年目には一人一台のパソコンだ。

アメリカやヨーロッパに出張するのが普通になった。
忙しい、忙しい、忙しい…。
毎日タクシーに乗って帰る日々。
サラリーマンがシーマやセルシオを買うという話を真剣にしていた。

そして、バブルがはじけた。
失われた10年。

ようやく、息をついて、何とかなると思ったら、サブプライム。
リーマンブラザーズが破綻する。
また不況だ。

はたしてぼくらの時代は何だったんだろうか。

そんなことを考える。

昭和ひと桁ジュニア。

もう少し、現役で舞台の上でプレイする。

少しでも、若い人にいいことを残せれば…と思う。

それでも、ぼくらの時代は…。



| | 考えたこと | 22:20 | comments(2) | trackbacks(0) |
使い捨て
ラインマーカーを使っている。
色は蛍光色の黄色。
それでなければ、ラインマーカーとはいわない…と思っている。
コピーしても、うつらないからだ。

…ということは、話題ではない。

しばらく前から、このラインマーカーをカートリッジ式のものに変えた。
ぼくは、ラインマーカーをかなりたくさん使うので、もったいないからだ。
たしかに、便利だ。ペン先はまだまだ使える。カートリッジ3回分は大丈夫。
三菱のPROPUSという製品。

ただ、今になってカートリッジが最寄りの店で見あたらないのだが…。
製造中止になっていないことを祈ろう。

そう思うと、ボールペンももったいない。

カートリッジだけ変えればすむ。

HI-TECの0.4mmは、変え芯を売っていない。

これは売ってはどうか。

そんな風に考えていると、使い捨てるものが他にもある。

電池はその最たるものだ。

さいわい、三洋電池がエネループという製品を出している。
これはスグレモノだ。(別に三洋の回し者ではない)
これに変えれば、充電電池になる。

カイロもそうだなあ。
お世話になっている人も多いと思うが…。
中に鉄粉が入っているらしいが、鉄は不足していないのか。

使い捨てといえば、最近の音楽もそうだ。

ロングヒットが生まれない。

ちょっと流行って、それで終わり。

こんな暮らしでいいのだろうか…。



| | 考えたこと | 21:06 | comments(5) | trackbacks(0) |
大麻
大麻を買ったり吸ったりして、つかまった人がいる。

何でも、家で栽培している人から、手に入れたらしい。

栽培セットは売っている。
種さえ手に入れたら、それで大丈夫。

売る方も、それほど商売になるとは思っていなかったとのこと。
生活費を稼ぐのに、栽培して売った、という人もいる。
売ってみて、意外と儲かることに気づいたりしている。

種だけ持っていても罪にはならないらしい。
おかしな話だと思う。

繰り返すが、プロが栽培して売っているわけではない。
素人が、家で栽培しているのだ。
生活費を稼ぐために…。

こんなの、どうやって取り締まるのか。

種は海外で買えるらしい。
そのうち、種を持っていたらそれだけで罪にするのだろう。

それでも、リスクを犯して栽培する人が出てくる。

そのリスクに合わないほどの重罪にしないと、難しいと思う。



| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
時計
こないだアナログについて書いたが、アナログというと時計である。

従来からある、12時が真上で、針が時針、分針、秒針とあるもの。
これをアナログウォッチという。

これと対照をなすのがデジタル。

数字が3つ並ぶ。
時、分、秒である。
その他に月、日、曜日が表示される。
デジタルは高機能だ。
ストップウォッチになるし、残量タイマーになるし、アラームもセットできる。

どう考えても、デジタルの方がいい。

山口百恵の「デジタルはカシオ」という宣伝を見て、すぐに買いに行った。
その時から、時計はデジタルになった。

それ以降、20年ほどデジタル時計を使ってきた。
ところが数年前、アナログに変えた。

昨日書いた、近いところの小さな字が見えなくなったからだ。

それでも、字の大きなデジタル時計を持っていた時期もあったが、ムダな抵抗だった。

ぼくはデジタルの時計が便利だと思う。
いろいろな機能もあるし、時間がはっきりわかる。

それでも、よる年波には勝てない。

これだけは、残念に思っている。


| | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
気がついたら…
むかし、忙しい時、早く暇になりたいと思っていた。

暇になって、時間ができたら、何でもできると思っていたのだ。

その時から比べたら、今は暇になった。
毎日帰るのも早いし、休みも取れる。

今、あの頃より暇になったからといって、あの頃やりたいと思っていたことができているかというと、そうでもない。

目が衰えるということに気づいていなかったのだ。

近いところが見えなくなった。
老眼鏡が必要になる。

そうすると、細かい事ができない。
メガネをかけると、できるのだが、めんどくさい。

これは想像以上にめんどくさいことだ。

めんどくさくても、やらなければならないことは、やるのだが…。

ギターの練習も、細かい譜面のものは、もう見る気がしない。
昔、スクラップした譜面も、もうダメだなあという感じだ。
あの頃は、よく見えたので、大丈夫だったのに…。

しょせん、そうなる運命だったのだ。

大らかに、生きていこう。

神さまは、小さいことにこだわらないように、年を取ったら老眼鏡をかけるようにしたのだ。

スクラップブックはもう捨てよう。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
アニメ
中国、韓国、台湾、日本の4ヶ国のパーソナルアニメをやっていた。

残念ながら日本は韓国に負けた。力負けだった。

韓国と中国のアニメへの取り組みはすごい。

中国は国内に何ヵ所かアニメの拠点があるらしい。
国策でやっているのだ。

韓国も、一万人以上の人がスクールでアニメを学んでいるとのこと。
これも国策だろう。

アニメが儲かるから…、ということだろうか。

日本のアニメには歴史がある。
手塚治虫が本格的にアニメを始めたのは1963年、昭和38年のことだ。

それまでは子供だましのアニメしかなかった。
鉄腕アトムが最初のストーリーアニメ。
そこからアニメの歴史が始まる。

マンガとアニメは一つのものだった。
オバケのQ太郎、おそ松くん、サイボーグ009、鉄人28号…。
原作者がマンガ家だ。

それがいいとは言わないが、アニメをやりたくて、必死に描く人がいた。
お金が入ってこなくても、描きたいという人たちが支えてきた。
そんなふうにして、アニメ業界は大きくなった。

そして、ついにアジアに下請けに出すようになった。

今やコナンの映画を見ても、最後に出てくるアニメーターは中国人がたくさんいる。
色の指定もコンピューターでできる。

でも、国策でアニメをやっていない。
それがいいのか悪いのか…わからないが。

国策でやっている方が、儲けもいいし、やる気も出るだろう。

でも、それで第二の手塚治虫が出るだろうか。

それとも、そんなやり方ではもうダメなんだろうか…。

日本、がんばれ。


| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
風のガーデン
緒形拳の最期のドラマ。

でも、死ぬのは緒形拳ではない。

ターミナルケアの医師が緒形拳の役。
その息子が中井貴一である。

麻酔科医である息子は膵臓ガンの末期。

北海道の富良野でのロケーション。
久しぶりに気合いの入ったドラマだ。

今日は緒形拳と中井貴一が話しあう場面があった。

「生きている間に、何かしたいことはありますか。」

緒形拳が息子に聞く。
息子の命が長くないことは知っている。

この年になると、緒形拳の方に自分を重ねて見てしまう。

墓に入る順番が逆になる…。
お父さんは、息子の最期を看取るつもりなのだ。

そんなドラマである。

緒形拳もいいが、中井貴一もいい。

緒形拳が、勘当していた息子に家に帰ってきませんか、という場面。

見た人でないとわからないだろうなあ。

今日は感動した。



| | 考えたこと | 23:33 | comments(2) | trackbacks(0) |
ナツメロ
テレビで懐かしい曲をやっていた。

キャンディーズ。ぼくらの年代にとっては、キャンディーズは外せない。
春一番をやっていた。

あの手のフリは印象に残っている。

ラン、スー、ミキの3人組。
今はもう50を超えているが、記憶の中では20代だ。
ぼくはそんなに好きではなかったが、でもキャンディーズだ。

あなたに夢中、そよ風のくちづけ、あぶない土曜日、なみだの季節、年下の男の子、内気なあいつ、その気にさせないで、ハートのエースが出てこない、春一番、夏が来た!、ハート泥棒、哀愁のシンフォニー、やさしい悪魔、暑中お見舞い申し上げます、アン・ドゥ・トロワ、わな、微笑みがえし。

ぼくはそんなにファンではなかったが、ほとんど知っている。
これらの曲を全部聞いて、その次の年に就職した。
1979年だった。
レコードやCDは一枚も持っていない。

でも、今でも聞くとあの頃に戻る。

70年代をあらわすアイコンの一つだろう。

キャンディーズ…。

好きでもキライでもなく、ただそこにあった。
オフコースや、山下達郎や、さだまさしや、荒井由美と違って、それはそこにあった。

ただそこにあるもの、それがキャンディーズの音楽だったかもしれない。

でも、聴くとむしょうに懐かしくなる。

なぜだろう…。



| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
イルミネーション
12月になった。

イルミネーションの季節である。

帰り道の家が何軒か、きれいな明かりをつけている。
青と白の光。幻想的だ。

庭の木、家の窓、通りの塀…。
いつ頃から、こんな事がはやるのだろうか。

サンタの絵が描いてあった。

今年あたりは、LEDの電球だから電気代は安い。
とはいえ、LEDをあれだけつけるのだから、結構な値段だろう。

配線も必要だ。
雨の対策も必要だろう。
何ヵ所も線を引っぱるのだから、大変だ。

誰かのためにやっているのだろうか…。

ああ、今年もイルミネーションの季節が来たなあ…、という感じだろうか…。

ぼくはあんな事は出来ないが、している人にはありがとうと言いたい。

そういえば、ルミナリエの季節。

ずっと前に見に行ったが、神戸はきれいだろうなあ。

今年は100円の募金をするという。

震災のあと、みんなを勇気づけるために始めた。

今年は見に行こうかな。




| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
リズム
音楽はリズムだ…と思う。

2ビート、4ビート、8ビート…、何でもいい。

足でリズムをとる。身体が揺れる。その感覚が楽しい。

うまいとか下手ではなく、それを感じることを楽しいと思うのだろう。
音楽はリズムだ。

でも、中にはそうでない人もいる(と思う)。

そういう人は、音楽の中に絵を見ているのだと思う。
目を閉じて、何かを感じる事ができる…そんな雰囲気。
音楽が風景を表すとか、音楽が感情を表すとか、そちらの方が強いのだろう。

「音楽はリズム派」と「音楽は印象派」である。

そのどちらも持っている人もいる。
というか、どちらも強いというべきか。
そんな人は、うらやましい。

「リズム派」は結構多いと思うが、どうなんだろうか。
気に入った曲が流れると、自然と身体がビートをきざんで、足でリズムをとる。

だから、「リズム派」はリズムのない曲は弱い。
リズムがない…というか、クラシックのような曲だ。
延々とあれが続くと眠くなる。

そのかわり、ビートのきいた曲になると、すぐに目が覚める。

リズムが音楽の肝なのだ。

それが音楽は「リズム派」。

下手でもいいのだ。



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