考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< June 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
係り結び
季節はずれの話題になるが…。

最近は歌わなくなったみたいだが、僕らのころは、卒業というと「仰げば尊し」を歌った。

小学校でも、中学校でも、高校でも、歌った。
今の40代以上の人たちは、「仰げば尊し」の世代だと思う。

仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
おもえば、いと疾(と)し、この歳月(としつき)
今こそわかれめ、いざ、さらば

これが一番の歌詞。
意味を完全に知っている人は少ないと思う。

これは文語体だ。
「いと疾し」というのは、「すごく早い」という意味。
これは意味がわからなかった。

でもつい先日知ったのが驚くべき思い違い…。

今こそわかれめ、というのは、「今こそ分かれ目」だと思っていませんか?

これは、間違い。

今こそわかれめ、は今、別れよう、という意味。

古文の係り結びというヤツです。

……こそ……め、という関係で、わかれめ、というのは、わかれよう、の意。
こそ、に対応して、「わかれむ」が「わかれめ」に変化、とのこと。

http://www.mmjp.or.jp/MIYAJI/mts/nihonnnouta/aogebatootoshi.html

それを理解して、この歌詞を見ると、最後の一行はすごくいさぎよい一節になる。
「分かれ目」ならセンチメンタルだが、「わかれめ」なら、きっぱりしている。

そうだったのか…と今ごろわかった。

できれば昔に戻って、中学くらいの時に意味がわかっていれば、もっと違う気持ちで歌えたかもしれない。
先生にとっては、当たり前だったので、教えなかったのか…。

少し残念だ。

| | 考えたこと | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
目からウロコ
今日はレッスンの日だった。

前から、スケール練習(ドレミファソラシドをいろんなポジションで弾く)をしてはいるのだが、今ひとつ、スムースに弾けないので、色々と教えてもらった。

これは、書いて説明するのが難しいが…今まで僕は1本の弦あたり、2音弾いたり、3音弾いたりしていた。気まぐれで弾いているわけではなくて、合理的な弾き方をしていたつもり。

今日教えてもらったのは、弦を押さえる方の手はちょっと不規則になるが、必ず1本の弦あたり、3つの音を弾く、というやり方。

これは弦を押さえる方(左手)はシンドイのだが、右手は必ず1本の弦を3回弾いて、次の弦に行く、という規則性ができるので、すごく弾きやすくなる。

先生によると、80年代以降、こういう弾き方が出てきたとのこと。

押さえる方の手を重視するか、弾く方の手を重視するか、という選択で、弾く方の手を重視した、ということだ。

目からウロコという言葉があるが、今日はそれだった。

最初は何でこんな弾きにくい事をするのかな、と思ったが、先生が弾くのを見ていると、なるほど、とわかる。

今の僕のスピードは頑張っても先生の半分以下だが、これを真剣に練習すれば、ちょっとはマシになるだろう。

前から何となく先生の手の動きを見ていて、オカシイなあ、と思っていたことが解決した。

へー、そうやったんか、という経験。大事ですね。

今月の月謝は安かった。



| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
レコード
今日、何となく思い立って、LPレコードを出してきた。

尾崎亜美が聴きたくなって、探したのだが、見ていると水越けいこのアルバムも出てくるし、竹内まりやのユニバーシティ・ストリートも出てきた。前に書いた、永尾美代子の「芦屋セーリングスポット」もついに見つけた。

ジャケットを見ると、買った当時のことを思い出す。

聴きたかったのは、尾崎亜美の「春の予感 I've been mellow」。
たしか、化粧品のCMに使われていたと思う。

いい曲だ。ギターが鈴木茂で、バックコーラスがオフコース(まだ二人の時)だった。

ユニバーシティ・ストリートも久しぶりに聴いた。曲の終わりに、「まりや、元気ぃ?」「元気!」「バイビー!」「バイビー」というやり取りが入っていた。これも、よく聴いた。カセットだったなあ。

「う〜ん、東京ではバイバイの事をバイビーというのか…。おれらもこれでいかなアカン…」などと言いあい、「バイビー」を一時使っていたが、関西弁には合わなかったようで、誰からともなく使うのをやめた。

たしかに、「ほな、帰るワ、バイビー」と言うと、浮いてしまう。

水越けいこは子供向けの番組で、歌のお姉さんをしていて、それからデビューしたハズ。

LPレコードを見ていると、ついつい時間がたつ。
場所を取るし、重たいが、30センチ四方の大きさは情報量が多い。

ふんふん、こんなの聴いたなあ…と思いつつジャケットを手に取る。

ユーミンのコバルトアワーのピンクのイラスト…かっこよかった。
オフコースのOverは、シンプルでよかった。
EPOも何枚かあった。ポップなマンガ風のジャケットが懐かしかった。

みなさん、レコード持ってます?

レコードプレーヤーは捨てられても、レコードは捨てられませんよね…。

そんなお父さんが、世の中にたくさんいるのではないかと思う。

どうですか?



| | 音楽 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
エリザベスタウン
ちょっと前に封切りだったが、上映期間が短くて見ることができなかったのが、この映画。
TSUTAYAでもうビデオになった。

会社に10億ドルの損をさせてしまった青年が、自殺をとどまって、父の葬儀に故郷に帰る…。
その飛行機の中で…というおはなし。

たぶん、評価が分かれる映画だと思う。
現実味がないといえば、そうだろう。

僕はこの映画が好きだ。

アメリカ南部の素朴な風景、少しブルース気味のサントラ、そして、人生で大事なものは何か…。

主人公の青年と、飛行機の中で会うスチュワーデスのナレーションがいい。

父親の灰を撒くシーン、彼女と最後に再会するシーン、母親が告別式で話したあとダンスを踊るシーン…。

棺の中のシーンしかなかったが、父親も良かった。セリフはないけど、ギャラはもらえる役だ。

挫折、故郷、家族、旅、恋、音楽…そんな映画でした。

母親役のスーザンサランドン、こないだ書いたところだが、この人はうまい。

オススメはしません。
ひょっとしたら、面白くないかもしれません。

でも、いい映画だと思います。
| | 映画・舞台 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
四畳半フォーク
70年代、四畳半フォークというジャンルがあった。
こんな言葉、もう死語に近いだろう。

四畳半フォークを定義して、Web上に色々と解説があったが、これが一番自分の感覚と合う。
「身の回りの限られた空間、社会、人間関係への思いを歌に込めた私小説的な色合いが濃い音楽」
(http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/enken.htm)より

「神田川」や「赤提灯」(かぐや姫)は完全に四畳半の世界だろう。
初期の井上陽水の「傘がない」とか、「人生が二度あれば」もそんな感じ。異論があるかな。

マイナーなところでは、あがた森魚、加川良、友部正人とか、いろんな人がいた。
RCサクセションも当初は四畳半系だったと思う。(今とはだいぶ違う)

「ちいさな石けんカタカタ鳴った」とか、「父は今年2月で六十五」とかいう歌詞。

ホントに四畳半一間の下宿…というイメージだった。
もちろん、ワンルームというような言葉はない。
下宿というと、バス・トイレなし、キッチンなしが当たり前だった。
畳敷きの部屋だけだ。

僕が下宿していた所は、1ヶ月の家賃が1万円くらいだった。

共同のトイレの前で、本当に四畳半一間だった。
机とふとんと冷蔵庫(生協で買った小さいヤツ)、卒業前にステレオとエレキギターが加わった。
ふとんをしまう押し入れはあった。

懐かしい。この頃のことについては、「タイムスリップ」に書いた。

でも、四畳半フォークというのは、僕が下宿する前(中学の頃)が全盛期だったろう。
僕が下宿していた頃には既にチューリップもガロもユーミンもいて、ぼちぼちシンガーソングライターというような言葉ができていたから。
ユーミンが出てきて、四畳半フォークは完全に廃れていった。
山下達郎や竹内まりや、オフコースが流行りだしたのもこのころ。

ユーミンのミスリムやコバルトアワーというようなアルバムは衝撃的だった。
かっこよかったのだ。

山下達郎のサーカスタウンは日本人離れしていたし、竹内まりやのユニバーシティ・ストリートはオシャレだった。
ユニバーシティ・ストリートを聞いて、みんな「バイバイ」の代わりに「バイビー」と言ったものだ。

四畳半からいきなり湘南海岸に、そしてアメリカ西海岸あたりまで飛んでいってしまった。

今また、森山直太朗などを聞くと、少し四畳半への回帰を感じる。
もちろん、明るいし、世界は広いけど…。

四畳半が流行った頃は、時代的には安保闘争の頃で、今の団塊の世代が大学生だった頃だ。
戦後が完全に終わり、時代が変わっていく、その変わり目であだ花のように一つの時代への惜別の悲しさ、閉塞感を歌ったのが四畳半フォークだったのかもしれない。

暗いけど、妙に懐かしい…僕にはそう思える。

最後の四畳半ヒットは、「22歳の別れ」ではないか。
この時、ちょうど22歳だった。
これは、よく歌ったなあ…。


| | 考えたこと | 00:18 | comments(2) | trackbacks(0) |
父の日
先週の日曜日は父の日だった。

最近は子供が何かくれるようになった。
マトモにあげたことがなかった自分とはエライ違いだ。

今年は次男がカエルのカード立てをくれた。
どこで買ってきたのかわからないが、紙製のカエルが台の上に座っていて、その後ろ側にカードをはさむところがある。
その後ろ側から、針金が出ていて、風車がついている。
高さ15センチくらいのもの。

父の日というのは、母の日があるのに、なんで父の日がないのか?ということで、できたのだと覚えている。
母は感謝の対象だが、父はそうはなりにくいんだろう。

それでも、何かもらえるというのはうれしい。

昨日はその中学一年の次男に、何で数学が大事なのか?ということを風呂で話した。

前にも書いたが、数字というものは、世の中にはないものだ。
1も2も人間の頭の中にしかない。

そういうと、指を1本立てて、これが1や、というから、それは指であって、1ではない、というと、ふ〜ん、という返事。

「あのな、数学というのは、人間の頭の中にしかないものだけを使ってやるねん。それが何千年も続いてるんや。ということは、それをやることで、人間らしくなれるねん。宇宙の中で人間しかわからないことをやるから、大事なんや。」

というと、「…そんなに熱く語られても、困る…。」と言って逃げられてしまった。

親の心、子知らずとはこういう事か…。

| | 考えたこと | 01:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
やりがい
こないだ、きらりと光るセリフで書いたが、やりがいは人から求められること…そうだと思う。

でも、やりがいにはもう一つあると思う。
それは、一緒に働く、ということだ。
単に一緒に働くだけではなく、同じ目標に向かって行く、ということだ。

時にはもめてもいいし、議論白熱してもいいし、疑心暗鬼になってもいい。
でも、最終的には同じゴールを共有して、働けることだと思う。

仕事だけではない。私生活でも同じだろう。
同じ方向を向いて、共感できること、これが生きがいに通じるんだと思う。

みんながバラバラで、思い思いの事を考えていて、表面だけ「そうだよな」などと言って仕事をしているようなところでは、やりがいなど出てこない。

共有の目標があるからこそ、誰かが脱落しそうになった時には、助けることが当たり前になるし、誰かが突っ走ったら、止めたりできるのだろう。

そうでない組織にいると、やりがいを見失ってしまう。

どれだけ、自分が頑張っても、認められないし、そんな時には自分で必要とされているという確信すら持てない。

そんな組織を、目標を共有するような組織に変えていくことは、すごく難しい事だ。

それはそれで、やりがいはあるのだが…。

身体が持つかどうか、そんな問題も出てくる。

健康第一、最後に必要なことは、元気、ということか。

元気こそ、全てに優先する価値、やりがいを求めるための源泉ということなんだろう。

みなさん、元気でないとダメですよ…。

今日は早く寝ます…。


| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
不思議なくだもの
ずっと前に、英語がカタコトのフランス人とクルマの中で話していた時のこと。

その日は暑い日で、眠かった。田舎道を走っていて、休憩に止まった時に、あまりに眠いので、話し始めたことを覚えている。

もう20年前になるのか…。彼も僕も20代だった。

好きなくだものは何か?ということになった。イチゴや、リンゴなどの話しが出たあと、彼は「おお、これを忘れていた」というような感じで、フランスでは「ルモーン」というくだものをよく食べる、という。

ふーん、それはどんなものか?と聞くと、ゲンコツくらいの大きさで、直接食べるというよりも、料理に使ったりする、というような事を言った(と思う)。

料理に使うくだもの?ゲンコツの大きさ?…それは日本にはない、というと、ヨーロッパでは大変有名で、よく見かけるのだ、という。

彼は話していてもどかしくなったらしく、色々と言うのだが、何せお互いにカタコトゆえ、なかなか通じない。

どうも、色はイエローという事なので、ひょっとしたら黄色いピーマンか?それなら日本ではあまり食べない、と言おうとしたが、ピーマンが通じない。ピーマンは英語ではないのか…と思い、こちらも必死になってピーマンの説明を始めた。

彼は、日本にもあるのではないか…ということを言うので、フランス語で「ルモーン」というようなものか?と聞くと、英語で「ルモーン」だという。

うーん、それはないなあ、というと、けげんな顔をした。

思いついて、ルモーン…ちょっと、書いてみて、というと、Lemonと書いた。

なんや、レモンか!というと、「ウィ、ルモーン」。

よく考えたら、Leはフランス語で「ル」と発音するので、彼はレモンの事をルモーンと言っていたらしい。

あ、レモン、レモン、それなら日本でもよく見る!というと、やっと安心したらしく、Yes, Yesと言っていた。

あれは、ちょうど、アルゼンチンでワールドカップが開かれた年だった。
なつかしい。

もしも、あの時、メモに書いてもらわなかったら、「ルモーン」という不思議なくだものがフランスにはあるのだ、と思いこんでしまうところだった。

夏の暑い昼下がり、クルマの中で「ルモーン」の話をした、あの時の彼は今ごろどうしているんだろう。

ワールドカップで、思い出した。

やっぱり紙とペンはいつも持っていないといけない…ということです。

| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
Stepmom
邦題と原題が全然違うので印象に残っている映画がある。

ジュリア・ロバーツとスーザン・サランドンが出ていた、グッドナイト・ムーンという映画。

原題はStepmom(継母)という。なんでグッドナイト・ムーンなのか…。

この映画の中に出てくる、マービン・ゲイとタミー・テリルの Ain't no mountain high enough という曲がいい。

映画では、子どもたち二人が、離婚した母親(スーザン・サランドン)の家に泊まり、この曲のレコードをかけて、3人で踊る場面が感動的だ。

この曲は、「天使にラブソングを2」のエンディングでも、出演者がみんなで歌っていた。

曲の解説はこちらに。
http://takamatsu.cool.ne.jp/divamania/newsonglist7/aintnomountainhighenough_mavin.htm

ジュリア・ロバーツは「ノッティング・ヒルの恋人」も良かったが、このStepmomでは悩める継母をうまく演じていた。

スーザン・サランドンは、病魔に襲われる、別れた母親役で、さすが、という感じ。

1年ほど前にジュリア・ロバーツが出ているというだけで、借りてきて見たが、Ain't no mountain high enough という名曲とともに、忘れられない映画になった。



| | 映画・舞台 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
I'm so tired
疲れたときに、必ず頭の中で鳴る曲がある。

ビートルズのホワイトアルバムの中に入っている、I'm so tiredという曲。

このアルバムはまとまりがないが、いい曲がたくさん入っている。

Back in the USSR, オブラディ・オブラダ, While my guiter gently weeps, Black bird, I will, Mother nature's son…などなど。

I'm so tiredという曲は、ジョン・レノンがホントに疲れたような歌い方で、歌詞の意味はよく分からないが、「オレは疲れてんねん」という感じがすごく表れている。

疲れた時には、この曲の出だしの部分"I'm so tired, I haven't slept a wink."というところが聞こえる。

後半のサビの部分は一転して元気(というか、やけっぱちみたいな感じ)になるのだが…。
そんなにいい曲でもないし、FMなどでオンエアされるような曲でもないのだが、妙にジョンの声と出だしの部分の歌詞が頭の中に残っている。

「あ〜、疲れたなあ」と思うときには、二カ国語放送みたいにこの歌が聞こえる。

こんな風に、特定の感情とつながった曲というのは他にはない…と思う。

うれしいときに鳴る曲、悲しいときに鳴る曲、切ないときに鳴る曲、楽しい時に鳴る曲…あってもいいとは思うが、思いつかない。
ということは、その時々で違うのかもしれないし、音楽とは結びつかないのかもしれない。

考えてみると、うれしい、悲しい、切ない、楽しいなどの感情には、その時々でその感情につながる物事があるような気がする。
何かがあったから、そんな感情が生じているのだ。

でも、疲れた、という感情(これを感情と言っていいのか…)は特定の物事につながらない場合が多い。
だから、特定の曲と結びつくのかな。

いろんな事があって、何となく疲れてしまう。

そんなとき、ジョンの声が聞こえる。

ということは、もしも疲れ切ってこの世から去るというような事があれば、最後に聴く曲はこの曲か…。

せっかくなら、ちゃんと歌詞を覚えておかないと、中途半端になるなあ。

人生最後に聞こえる歌、何か心当たりありますか?


| | 考えたこと | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
きらりと光るセリフ
風のハルカが終わってしまったが、やっぱり朝の連続ドラマを見て(正確にはクルマの中で聞いて)しまう。

今やっているのは、「純情きらり」という番組。
戦前の岡崎出身の女の子が、色々な困難を乗り越えて、音楽(ピアノ)を勉強するというおはなし。

お母さんを早くに亡くし、ついこないだ三浦友和が演じていたお父さんも亡くなってしまった家族が主な登場人物になる。

家族は三人姉妹と長男という設定。

一番上はしっかり者のお姉さん、二番目は結婚に失敗し、実家に帰ってきて助産婦を開業しようとしている。
三女が主人公で、今は東京で音楽学校に行くための勉強中。
長男は大学受験を控えた学生。

今日は、次女が主人公の桜子に向かって話したセリフが印象的だった。

次女は嫁ぎ先でいじめられ、失敗してしまったことを語る。
自分は、幸せになろうとして結婚したが、失敗した。今は助産婦をやることでやりがいを見出している。
その次女が語る…。

「人は自分が幸せになろうとしてもなれないことがわかった。他の人を幸せにしようとすることで、初めて自分が幸せになれる…。」

いいセリフだった。

本当にそうなんだろう。

だれかのために頑張ること…あくまで結果論だが、それが自分の幸せになる。

仕事もそうだろう。

自分のために…ばかり考えていても、仕事にやりがいは出てこない。

誰か、あるいはみんなのために、という思いが自分のやりがいにつながるんだと思う。
そんな確信があれば、たとえ認められなくても、かまわないと思う。

今朝はクルマをおりてから、そんなことを考えながら駐車場を出た。

| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
イメージ
去年の7月からギターを習い始めてもうすぐ1年になる。

最初は、一度習ってみよう、ということで始めたが、最近ホントにうまくなりたいと思うようになった。

先生が弾くのを見ていると、ひょっとしたら練習を重ねたら、自分ももう少し上達するのではないか…と思う。

すぐ目の前で、持っていったMDの曲のソロを弾く姿を見ていると、そのイメージが焼きつく。
イメージは大事だと思う。
イメージをもらうことが、レッスンすることの大事な部分ではないか。

先生が弾いているところのイメージが、ひょっとしたら自分も…というイメージになる。
実際に習ってみないと、そのイメージが身につかない。

ギターレッスンのDVDを1枚買ったことがあるが、やっぱりDVDとは違う。
目の前で実際に弾いている姿を見るのと、テレビの画面を通して見る事はイメージのでき方がまったく違うのだ。

インターネットが発達し、通信教育が進歩するというが、画面での説明を見ることと、対面で話しながら実際に先生が弾く姿を見ることは別のことだ。

いくら通信が進んでも、学校はなくならない。
イメージが伝わりにくいからだ。

対面には対面の価値がある。

あくまで、僕のギターの先生みたいに、いい先生でないとダメですけどね…。


| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジャコビニ彗星の日
最近またユーミンの曲を聞く。

1972年10月9日にジャコビニ彗星が来たらしい。

きっと新聞に載っただろうが、僕はその頃15歳で、そんなことには興味もなく、気にもとめていなかった。

日本からはあまり見えなかったようだし、シベリアからも見えなかったらしい。
そんなふうに「ジャコビニ彗星の日」という唄に歌われている。


彗星が来る夜、、部屋の明かりを消して、小さなオペラグラスで空をのぞく。

でも、見えたのは、月をすべる雲と、柿の木が揺れていただけ…。

あなたの電話が少ないことに慣れていく自分を思い、どうでもいいことだったけど、ジャコビニ彗星が見たくなった。

いつか手を引かれて、河原で見た花火の思い出と重なる…。

さみしくなれば、また来るかしら 光る尾をひく流星群…で唄は終わる。


スゴイ才能だと思う。
ジャコビニ彗星を歌にした人は他にいないだろう。

何となくさみしく、満たされない心が、夜の彗星を見たい、という気持ちを起こさせる。
別にどうでもいいことだけど、そんな気になるだろうなあ、ということは共感できる。

夜空には、人の心をなぐさめる効果があるんだろう。

キャンプファイアーの時など、火が消えた後の夜空を見ていると、何となくイヤなことも忘れるような、浮世離れした気持ちになれる。

そんな気持ちを、ジャコビニ彗星になぞらえて、作られた歌だと思う。

今日は満月。

さっき、車の中から夜空を見たら、うすい雲にかすんだ満月が見えた。


| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
体育祭
子供の体育祭を見に行ってきた。

学校は坂の上にある。
いつもは登っていくのが大変なので、タクシーに乗るのだが、今日は運動不足解消のために歩くことにした。

それが失敗だった。
帰ってきたら、ふくらはぎが痛い。

子供は毎日通っているというのに…なさけない。

風呂上がりに、マッサージ用のクリームを塗って、マッサージした。
ちょっとマシになったので、これを書いている。

体育祭というと、体育の先生が色々指導して、マスゲームみたいなのをやったりしたことを覚えている。

ところが、子供の学校ではまったく先生は出てこない。
全て生徒がやる。
指示も、練習も、パンフレットも全部だ。

へー、こんなのもアリか…、と数年前に初めて見て、感心した。

メインイベントが、昼からの総行進というヤツだ。
全校生が6列で歩きながら、枝分かれし、いろんな模様を作る。
このパターンも生徒が考え、練習も生徒が指導するらしい。

エライ。伝統ということか。
先輩がやったことは、自分たちもやる、という事で続くんだろう。

そんなことができる、ということすら考えたこともなかったが、子供らはそれが当たり前だと思って生きていくのか。

教育というのは、こんなことなんだろう。



| | 考えたこと | 00:23 | comments(4) | trackbacks(0) |
研究業績
北山修という人、知っていますか?

フォーク・クルセダーズというフォークグループのメンバー。
「あの素晴らしい愛をもう一度」の歌詞を書いた人。

僕らが小学校の高学年の頃に出てきて、長いこと音楽関係の人だと思っていたが、実は精神科医で、今は九州大学の教授である。
「人間共生システム心理臨床学」というのをやっているらしい。

仕事の関係で調べていたら、九州大学の研究者情報のページが出てきて、研究業績をみてビックリした。

その他の優れた研究業績として、
1970.12,『戦争を知らない子供たち』を出版、同名曲(歌ジローズ)などでレコード大賞作詞賞を受賞

と書いてある。

http://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search-cgi/details/K000586/research

「戦争を知らない子どもたち」をリアルタイムで聞いてきた僕らは、優れた研究業績と言われると、?マークが頭の中にいくつも出てくる。
研究だったんだろうか…。

レコード大賞作詞賞が、優れた研究業績…???

「戦争を知らない子どもたち」はメッセージだったと思っている。

ご本人がシャレで書いたのか、それともマジで書いたのか…。

おもしろいでしょう?


| | 考えたこと | 02:53 | comments(2) | trackbacks(0) |
神戸
前にも書いたが、方向音痴だ。
いちばん困るのが、京都。

神戸生まれの神戸育ちは、山があるのが北、と思っている。

実際、神戸で暮らしていると、方位については六甲山を見ればよい。
(今の神戸は山が南に見えるところまで広がったが、僕らが子供の頃は狭かった)
とにかく、山がある方が北なのだ。

京都に行くと、四方に山がある。
何も考えずに、ふっと山が見えると、そっちが北と思ってしまう。
ところが、右を見ても、左を見ても山がある。
あれ?どっちも北か…という事になる。

坂を登っていても、坂をあがる方向が北だ、と感覚的に思ってしまう。
神戸では、北が高くて、南が低いのだ。

太陽の方向もくそもない。
山が北…それだけでいい。

ひそかに、神戸生まれは方向音痴が多いのではないかと思っている。

海は近いし、山はあるし、気候は温暖で、ハイカラで、食べるものもおいしいし、神戸は本当にいいところだと思う。

ただ、山が北と覚えてしまうと、他のところに行った時に困る。

それだけがちょっと…。


| | 考えたこと | 00:32 | comments(2) | trackbacks(0) |
ストレスと食欲
ストレスがたまると、食欲が出る。

食欲が出るといっても、ごはんの食欲ではなくて、ジャンクフードの食欲だ。
ごはんを食べた後、しばらくして、何か口に入れたくなる。

そういう時に、手に届くところにポテトチップスとかがあると、ついつい開いてしまう。
また、そういう時に食べるポテチはおいしい。
ヘタをすると、一袋食べてしまったりする。

これはどういうリクツになっているんだろうか。

アドレナリンが出ると、空腹中枢が刺激される、というのは聞いたことがある。
食前酒というのはそのために飲むものだ、という事だったような気がする(いいかげんな知識)。
でも、ストレスで何か口に入れるというのは、このアドレナリンとは関係なさそうだ。

健康ネットというところに、ストレスと栄養について書いてある。

http://www.health-net.or.jp/kenkozukuri/healthnews/040/080/p082/index.html

しかし、何となくストレスでポテチをつまんでしまうのと、このページの説明とはちょっと違うような気がする。

そんなにひどくイライラしているわけではない。
ただ、何となく何か食べたい…という感じ。
ある程度の満腹感はあるが、それでも、何か口に入れたい、という感じである。

これをポテチ現象と言いたい。

そんなときに、パイとかクッキーとかがあっても、今ひとつ口に入れよう、という感じではない。
やっぱりポテチであることが、重要な気がする。

ひょっとしたら、ポテチに何かの物質が入っていて、それが食べたくなる気持ちを起こさせるのかもしれない。

これを見つけたら、すごい発見だろう。
食欲亢進剤として売り出すこともできる。

ポテチから抽出される物質なので、ポテチクオーゼというような物質名がいい。

しょうもないシャレで、すみません。
題名と中身がずれてしまいました。


| | 考えたこと | 23:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
スグレモノ
こないだ、ギターの弦を巻く器械に、弦を切る仕組みがついたモノを紹介したが、あれからまたいいものを見つけた。

五本指分の鼻緒がついたスリッパだ。

足の指を開くのは、気持ちがいい。
このスリッパを履くと、勝手に足の指が開くようになっている。

鼻緒が4つあるので、各指をそこに入れていく。

最初ははきにくいが、なじんでくると、すっと5本の指が入るようになる。

また、土踏まずのところが盛り上がっていて、はいていると土踏まずが押される。これがまた気持ちがいい。

誰がこんなモノを考えつくんだろうか。
単にはくだけなら、鼻緒は一つで充分だ。

欠点は、靴下をはいているとスリッパがはけないこと。
家に帰ってきて、すぐにはこうと思っても、靴下を脱がないとはけない。

これは、足の裏がだるいなあ、と思う人にはお勧めします。

べつにまわし者ではありませんが…。

| | 考えたこと | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
Shakatak
こないだ、TSUTAYAに行って、CDを借りた。
モーリス・ホワイト、クインシー・ジョーンズとか、懐かしいソウル系のCDを持って、カウンターに行ったら、あと1枚借りたら安くなって、1週間レンタルできます、と言われたので、もう一枚探しに行った。

何となく目にとまったのがShakatakのCD。
なつかしいグループだ。

フュージョン、というジャンルだった。
ジャズとロックの融合でフュージョン、という事だ。
デビューが1981年。今から25年前。24歳の頃か…。入社してすぐの頃。

よく聞いた曲はNight Birdsという曲。女性ボーカルが入って、テーマが透明感のあるピアノ。リズムギターがすごくかっこいい。

Shakatakのベスト盤1枚を追加して借りて帰った。
Night Birdsを聞くと、いま聞いても古くないし、さわやかな音にホッとする。

70年代から80年代にかけて、レコーディングの機器も進歩し、電子楽器も進歩し、プレイヤーの技術も進歩したと思う。

ShakatakのNight Birdsを聞くと、それから25年たった今、25年間の変化はなんだったんだろう?と思う。

べつに、変化する必要はないと思うが、60年代、70年代、80年代の10年ごとにはすごい変化があったし、それを聴いてこられて、よかったとは思う。

フュージョンとか、クロスオーバーとか言っていた、この手の音楽は最近あまり聴かなくなったが、80年代にはいい曲がたくさんあったと思う。

また探してみよう。
| | 音楽 | 01:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼリー・ビーンズ
好きなお菓子がある。
ゼリー・ビーンズだ。

最近、あまり見ないが、以前はバナナ型をしたゼリー・ビーンズを売っていた。
赤・緑・黄色・オレンジ…わりと原色系の色のが多かった。

外側がかたくて、中が柔らかくて、グミよりは粘りがなく、くにゃっとした食感が好きだった。

ハリー・ポッターで豆のようなお菓子が出てくるが、あれを見るとゼリー・ビーンズを思い出す。
あのお菓子もゼリー・ビーンズだったか…。

こないだ、伊丹のダイヤモンド・シティに行ったら、メインの通路のところで、ワゴンでいろんなキャンディ系のお菓子を量り売りしていた。
その中に、ゼリー・ビーンズがあった。

ちょうどアズキ大の大きさで、すごくたくさんの種類がある。
赤、ピンク、オレンジ、白、黒、黄色、緑、紫、ベージュに茶色の斑点、赤にピンクの斑点、黒い石みたいなもの…などなど。

フルーツの味だけでなく、ミントやバター系の味のもある。

色をみているだけで楽しくなる。

こないだ、ごっそり買ってきた袋を見ると、ホームページが書いてあった。

http://www.sweetfactoryjapan.co.jp/gif_ver/sw_3.html

このページに出ている人気商品ベストテンの6位の分がゼリー・ビーンズです。

スイート・ファクトリーという会社で、イギリスの会社だった。
ハリー・ポッターで豆みたいなお菓子が出てくるのは、やっぱりイギリスらしい、ということか。

アメリカのハリー・ポッターなら、チョコバーか何かを食べそうな気がする。

ということで、中にはクスリみたいな味のもあるが、ゼリー・ビーンズが戻ってきたのはうれしい。

このお菓子、日本ではやらないのはなぜだろう…。

| | 考えたこと | 02:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己中
自己中、という言葉は結構最近の言葉だと思う。

知ってます?
自己中心主義というのを略して自己中(じこちゅう)という。
自己チューというような表記もあるようだ。

自己中について、グーグルで調べてみると、自己中度を測定するサイトがあった。

http://homepage2.nifty.com/AKHR005/check.htm

僕の測定結果は37%で、標準だった。

この言葉は、実際には知ってはいるが、使うことはほとんど無い。
わがままとか、利己主義とか、エゴイストとか…そういう言葉は使ってきたが、この自己中というのは、僕が20代以降の言葉。

Wikipediaによると、「ぎゅわんぶらあ自己中心派」というマンガが発祥らしい。1980年代初めくらいだから、今から20年ちょっと前。

うちの息子たちは、自己中という言葉を使っている。「あいつは自己中や」という感じ。

でも、わがままと自己中は何となくニュアンスが違う。

わがままの方が人間的だ。

わがままなヤツ、というのは、自分の利益のために他人に対して何かを主張する、という感じ。
「こっちがいい」というような事がハッキリしていて、仲間ともめ事を起こす。

自己中というのは、もめ事を起こす前に、勝手に自分で「こっちにしといた」と決めてしまう、という感じだ。
どちらかというと、人間関係を拒否して、勝手にやる、というニュアンス。
わがままの方が、対人関係があるだけマシ、という気がする。

人間関係が1980年代から希薄になってきて、もめる前に勝手に何でも決めてしまうような人が増えた、という事ではないか。

世の中には自己中の人がいるようだが、せめてわがままになってほしいと思う。

どうですかね。


| | 考えたこと | 21:56 | comments(2) | trackbacks(0) |