考えたこと2

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メルクリン
今日の新聞にメルクリンが破産という記事が出ていた。
メルクリンというとドイツの鉄道模型の会社。

何でも破産を歓迎しているとか。
米英系の投資会社の支配下にあったらしい。
それで、だいぶリストラされたとのこと。

米英系の投資会社がみんなそうだとは言わないが、彼らはどうしても短期的な利益を重視する。
経営者が自分の業績を上げることと、株主の利益を重視する(今はストックオプションとかあって、必ずしも株主の利益だけとは言えないが…)ことが第一だからだ。

ドイツの会社は家族的な経営が多い。
これでまたメルクリンはドイツの会社になるとのこと。

たくさんのドイツの会社が支援を申し出ている。

メルクリンの鉄道模型はよくできている。
交流を使うのが特徴だ。

ぼくは知らないが、メルクリンデジタルというのもあるらしい。
まだ進化しているのか。

ドイツの職人芸の模型。
テレビゲームに追われて、販売が低迷した。
そうだったのか…。

そう簡単には壊れない。

ウチの実家の屋根裏にもある。
昔のメルクリン。
きっと今でも動くだろう。

またドイツのメルクリンとして復活してほしい。




| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブルー
今日は月曜日。

Blue Mondayという言葉があるように、ブルーな日だ。

休み明けの日というだけで、気分がブルーということになる。

ブルーというと、マリッジブルーとか、思春期ブルー、マタニティブルー、内定ブルーなど、憂鬱な気持ちを表す。

どうしてブルーが憂鬱なのか…。
日本語の青にはそんな感じはない。

ブルーだけが気持ちを表す色になっている。

調べたが、レッドもイエローもそんな意味はなさそうだ。

英語では青に何か思い入れがあるのだろうか。

なぜかわからない。

青ざめた…というところから、気分が悪いという意味になるようだが、それと憂鬱な気持ちとはちょっと違う。

ブルーは、ブルーだということか…。


| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
捨てられないもの2
長男が下宿して、家の中がちょっと広くなった。

そうなると、逆に置いてあるものが目立ってくる。

机の上や、棚の中など、そういえば捨てられるものがいっぱいある。
古いコンピューターの雑誌や、古い機種の使い方の本。
昔仕事で必要だった、CADの雑誌。
ビデオテープもたくさん処分しないとイケナイ。

そして、本だ。
いらない本がたくさんある。

昔の教科書や辞典類。
読んでみたら、ハズレだった本。
時代遅れの解説本。

そして、古い電卓などの機械類。
今となっては、ガラクタがたくさんある。

ぼちぼち整理しないといけないなあ。

捨てる!技術という本があった。
ちらちらと立ち読みはするものの、買う気にならない。
本質的に、捨てるのはキライなのだ。

でも、もう整理しないといけない。
いずれ、誰かに迷惑がかかる。

若いころは、ビデオにダビングして、年をとったら見よう…などど思っていたが、実際に年をとったらもうその頃のテープを再生する機械がない。

捨てよう。



| | 考えたこと | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
マリンバ
さだまさしの35周年コンサートテレビでみた。

さだまさしはさだ企画という会社をやっていて、弟が社長で、さだまさしが主な所属タレントである。
ファミリーの会社。そこにバックバンドも所属しているだろう。

さだまさしのコンサートというと、トークが多いのが有名だ。
3時間のコンサートで、1時間半くらいはしゃべっている。

それはさておき、さだのバックバンド。
35周年ということで、特別メンバーもいるが、ベースやドラムなどは変わらない。

みんな50代かな。
イスに座っている。トークの間立っていると疲れるからだろう。

その中でもマリンバがすごい。
若いころからずっとやっている。
マリンバだけでなく、リズム楽器をこなすのだが、この人は本当に見せる。
演奏が絵になるのだ。

さだまさしよりも少し年下だと思うが、もうかなりの年だ。

とにかく元気だ。
そして楽しく音楽をやっている。
ずっと前にみた時も、元気だったが、今も変わらない。

年間100本ほどのコンサートをやっているはずだが、ずっとついて回っているのだろうか。

楽しそうに、時には悲しそうにマリンバをたたくのが印象的。

いつまでも元気でやってほしい。



| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジェイムス・テイラー
ジェイムス・テイラーを久しぶりにテレビで見た。

声はそのままだが、頭はさびしくなっていた。
えらい変わりようだ。

テレキャスターを持って、歌をうたっていた。
以前のように凝った伴奏ではなかったが、指弾きのスタイル。
懐かしい。

ジェイムス・テイラーといえば、You've got a friend。
でも、この曲はキャロル・キングの曲で、彼女がうたっているほうがいい。

ぼくはDon't Let Me Be Lonely Tonightという曲の方が好きだ。
難しいコード進行で、ピッキングもややこしい。

彼のギターはギブソンのJ-50だったか…。
とにかく、独特の音だった。
低音がドーンとでる。

他にもギブソンのギターを使っている人はいるが、ジェイムス・テイラーの音は特別だ。
あの音はすばらしい。

どうやってあの音を録音したのか…。

高校の時に初めて聞いた。

あれ以来、あんな音は聞いてないなあ。

そういえば、サウンドホールにふたをして、ピックアップで音を取っていたかもしれない。

でも、あの低音はすごかったなあ…。


| | 考えたこと | 02:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
立ち位置
立ち位置という言葉、日常では使わないが、仕事ではよく使う。

「君の立ち位置はどこや?」というふうに聞かれる。

どういう場面で使われるかというと…

「自民党案でいきますと、2010年度に3500億の赤字になりますが、民主党案でいきますと、2000億の赤字で済みます。ただ、自民党案では該当企業の補助が5%に対して、民主党案では3%しかありません。一方、自民党案では該当企業の総数が2万社であるのに対して、民主党案では2万5千社になります、けれど…」

「わかった。それで君の立ち位置はどこや?」
というような時だ。

要は、あなたはどうすればよいと思っているのか?ということだ。

世の中には、説明をするのがうまい人がいる。
こうすれば、ああなるし、ああすれば、こうなるし…、という具合。
えてして、そういう人に、立ち位置がわからない人がいる。
もちろん、ぼくもそういうときはあるのだが…。

ただ、何かものをいうからには、立ち位置ははっきりさせておきたいと思う。
もしもそれが決まらないなら、私はどうしたらいいのかは分かりませんが…、と前置きする。

賛成のための賛成や、反対のための反対の意見を聞いていると、嫌になってくる。
ダメなものはダメとか、いいものはいいというやつだ。
何にも言っていないのと同じ。

賛成とか反対とかは立ち位置ではない。
論拠が立ち位置なのだ。
それを言わずに議論しても始まらない。

あなたはどこに立って、何を見ているのですか?と聞きたくなる。

そんなこと、ありませんか?


| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
アラカンといえば…
アラカンといえば、ぼくらの世代くらいまでは嵐寛寿郎のことだとわかる。

ぼくは映画を見たわけではないが、アラカンといえば、鞍馬天狗や旗本退屈男の嵐寛寿郎…という物まねを見て知っているのだ。

wikipediaには、「300本以上の映画に出演した、戦前映画界の大衆のヒーロー」と書いてある。
そうらしい、としか言えないが、亡くなったのは1980年とのこと。
1972年に「男はつらいよ 寅次郎と殿様」に出ている。
思い出した。あの老人か…。

というのが、本題ではない。

こないだポートジュビリーに行った時に、初代の会長が「アラカンの人は…」と話した。
何のことかな、と思ったら、アラウンド還暦のこと。
なるほど、アラフォーがアラウンド40だから、アラカンはアラウンド還暦つまり60歳あたりのことか。

「アラカンは嵐寛寿郎のこととちゃいますよ」と説明していた。

アラカンとはうまいことをいう。

アラフォー、アラカンにはさまれたアラウンド50はどういうのだろう?

五十にして天命を知る、という論語の言葉では、むずかしい。

フランス語で50はcinquante(サンカント)だから、アラウンドサンカント…、語呂が悪い。

50は五十路だから、アライソはちょっといけるかもしれない。

アラフォー、アライソ、アラカン…いけるかも。



| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
根付
根付の博物館の案内が来た。
会社のえらい人が、道楽でやっている。
なかなか面白そうだ。

wikipediaによると…

根付(ねつけ)とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。

つまり、昔の着物にはポケットがないから、煙草入れなどのちょっとかさばるモノを持ち歩くための道具である。
実際には、煙草入れなどにつけて、帯にはさむ。
根付はひもで煙草入れとつながっており、そのひもの部分を帯に通し、根付を帯の上に出す。
そうすると、落ちずに止まるというものだ。
大きさは数センチから1cmとのこと。
動物やお面など、色々なものがあり、その彫刻や細工がすばらしい(ものもある)。

これは、現代の携帯のストラップに似ている。

帯に通して止めることはないが、よく女子高生が無意味にチャラチャラしたものを持っている。
ほとんどの人がつけているのではないか。
みんなお気に入りのものをつけている。

ぼくはギターのストラップをしている。
何かその人の思い入れのあるものをストラップにつけているんだと思う。

だいたい、日本人はこんな小物が好きなのだ。
人によっては3つも4つもつけている。
つけているものが大きくて、それこそどうやって携帯するのか、という人もいる。

そういう文化があるのだ。
江戸時代から伝わる根付だが、いったんなくなって、形を変えてストラップになった。
今からほんの400年ほど前。
その頃と同じ嗜好が日本人の中で脈々と受け継がれてきた。
これが民族性というものだろう。

そう思って見回すと、ライト、ペンのように実用性のあるものから、人形や単なる飾り、細かい細工をしたようなもの…、いろいろある。

NHKの朝のドラマでも携帯が出てくるが、ストラップがついている。
一方、海外のドラマでは、たいがい何もついていない。

ぼくらは当たり前と思っているが、彼らから見たら異様なものもあるんだろう。

これこそ、日本の文化。
気づいていないところが、本当に文化なんだろう。



| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
どういうこと?
どういうこと?と思うことがよくある。

曰く、これはもう申請してしまったから、やらないとイケナイ。
曰く、もう誰かの許可を得たから、行かないとイケナイ。
曰く、規程で決まっているから、もらわないとイケナイ。
曰く、以前にみんなで決めたから、やらないとイケナイ。

どういうことだろう。

たしかに申請してしまったり、許可を得たり、規程で決まっていたり、みんなで決めたりしたのだろう。
それは認める。
でも、今でもそれをやる価値があるのか?ということだ。
そして、今でもそれをやらないとイケナイと本当に思っているのか?ということだ。

冷静に考えてみたら、現状をかんがみて、やめようということにならないか。

どう考えても、オカシイことをやり続けている。

もう、時代は変わったのだ。

それをわかってほしい。

あくまで、一般論として。



| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
インサイト
後から追いかけるものは強い。

もちろん、先行者の利益というのはある。
でも、絶妙のタイミングで出た。
ホンダのインサイト。
本格的なハイブリッド車だ。

インサイトの特徴はエンジンもモーターも小さいこと。
もちろん、モーターだけで走ることはできない。
だから、燃費はプリウスの方がいい。
でも、燃費は走り方の影響の方が大きい。
急加速や急発進でたくさんガソリンを使う。

ホンダのインサイトは、エコ運転のトレーニングができるように、メーターの色が変わるらしい。
こういうところがホンダらしい。
カタログの値ではなく、本当の燃費をよくするのはドライバーだからだ。

モーターもエンジンもハイブリッドの仕組みも簡単にした。
バッテリーも小さい。
常にエンジンを動かし、モーターは補助。

プリウスがより電気自動車に近く、インサイトはより普通のクルマに近い。

だから、値段が安い。

トヨタは旧型プリウスを値下げして、そのまま残すらしい。

ほんまかいな…。



| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポート・ジュビリー Final
昨日は、国際会館で最後のポート・ジュビリー。

前回2004年に行った時と同じような顔ぶれだった。

出演者の体力を考えると、こんな舞台でやるのはもう限界…とパンフレットに書いてあった。
1960年代に大学生の人たちが、始めたイベントだから、それはそうだろう。
年齢の幅が20歳くらいあるから、まだまだ大丈夫なバンドもあるが、一部のバンドはもうシンドイかもしれない。
昨日見ていても、もう苦しいかな…、というバンドもあった。

音楽はいつまでできるのだろう。

新しいことはともかく、自分たちが若いころにやっていた音楽は、70を超えてもできるんだろう。
大きな舞台でやるのは、ちょっとムリとしても、自分たちで楽しむ分には十分できそうだ。

あの人たちは、「自分で自分の音楽をやる」という戦後の第一世代。
アメリカンミュージックがそのきっかけだ。

戦前には上海バンスキングでおなじみの、日本のジャズメンがいる。
でも、あの人たちはプロを目指した人だし、そんなに人口も多くなかった。
楽器が高かったのかな…。

あの頃の大学生は、みんなギターを持って歌をうたっていた。
フォークソングでは、PPM、ブラザーズフォア、ママス&パパスなど。
コーラスするのが当たり前だった。

そのあたりが、今の人と違う。
なんであんなにハモらないのだろうか。
SMAPなど、5人もいて、楽器も弾かずにユニゾンはなさけない。

ブルーグラス、カントリー、フォークのオンパレード。
楽しいイベントだった。

3時から、8時まで、5時間。
7時30分で終わりと書いてあったが、たぶん伸びるだろうなと思っていたら、案の定だった。
お尻が痛くなったが、それでもみんな元気で、たのしかった。

国際会館ではFinalとのこと。

会の運営にあたった皆さん、ごくろうさまでした。


| | 考えたこと | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
一期一会
昨日は神戸で昔の仲間と飲み会だった。

一つの区切りをつけて、会社をやめたのが5年前。
まる25年の会社生活。
2004年の3月31日でやめた。

やめて5年たって、ようやく会社生活とは何だったのか、ちょっとわかるようになった。
勤めている間はわからないこともある。
外から見て、わかることもあるのだ。

今日その当時のメモを見返していたら、こんな事が書いてあった。

Uさんにメールをもらって、その返事を書いている。
3月30日のメール。やめる2日前だ。

 Uさんにも言っておいてあげます。
 いざ辞めるときが近づいても、おそらく全く気持ちとしてわからないと思います。
 本当に、31日、ロッカーで着替えて、会社を出て、初めて、あ〜おわったんやと思うような気がします。
 2日前でもまだわからないのです。
 そういうものですよ。
 辞めるときが近づいたら、この言葉を思い出してください。

実際には、辞めてからもまだわからない。
本当の意味というのは、数年経たないとわからないだろう。
ぼくの会社生活とは、何だったのか?ということ。
何かをもらって、何かを与えて、何かをして、何かをしなかった。
誰かと一緒に働き、話し、笑い、ぼやき、励ましあって時間を過ごした。
会社のことを考え、自分のことを考え、仲間のことを考え、製品のことを考え、そして仕事をした。
その時間が25年。

昨日は久しぶりに会って、楽しかった。
バカな話しをして、笑いあう。

会社の人の話が出てくるが、半分くらいはわかる。
ボヤキを久しぶりに聞く。

話していると、昔いた事務所を思い出して、なつかしい。
実際には、もう今はないのだが…。

でも、覚えておいてくれる人がいるのは本当にうれしい。

人生は一期一会。

この言葉の意味が、よくわかるようになった。



| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
無限の可能性
若い人に、無限の可能性がある、というようなことをいうが、これはどれくらいの年までいうのだろうか?

「無限の可能性」というのは言葉のあやで、有限であることはわかっているとしてもだ。

たぶん「無限」の範囲が問題になるだろう。

実質的には高校生くらいまでだろう。
この場合の無限というのは、文字通り無限だ。
頑張れば、何にでもなれる。
あるいは、その道で一流になれる。
無限の可能性、というよりも、無限の希望がある、あるいは無限の希望が持てるといった方がいいかもしれない。

大学生にも、無限の可能性という時はあるが、ここまで来てしまうと、無限の意味はかなり限定的になる。
頑張って精進すれば、夢は叶う…、というような意味だろう。

新入社員になると、もっと限定される。
無限の可能性…、というとすれば、その会社で社長になれるかもしれない、という程度の無限だ。

年を取るとともに、当たり前だが、範囲が限定されてくる。

それはそれでいいことだ。

あんまり年をとって、まだ無限の可能性が…、などといわれると困る。
今までの自分を否定されているような気になるからだ。

何かを成し遂げたという気持ちがあれば、そんなに可能性はなくてもいい。

そんな風に年をとっていきたいものだ。

どこかで折れて、納得する。
納得せざるを得ない。

それが、人生というものかもしれない。




| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
修理
実家のパソコンが壊れた。
なんでも、スーッと画面が消えたとのこと。

ジョーシンで買ったので、一応5年くらい経っているが、そこに持って行った。

電源を入れてみて、真っ暗な画面のままなのを見て、これは基盤がやられているから5万くらいかかりますよとのこと。
まあ、ダメもとで修理の見積もりを出してもらうことにする。

今日電話がかかってきて、やっぱり基盤がやられていたので5万400円かかるらしい。
すごい額だ。これで修理をする人はいないだろう。
修理代が原価のほぼ半分とは…。

基盤そのものを変えるから5万400円かかる。
やられているのは、基板上のどこかの部品一つである。
その単価はおそらく高くても数百円だろう。
でも、どこがやられているのかを判断することができないのだ。
判断できる人のコストが高いから、基盤そのものを変える。
完全にブラックボックスになってしまっている。

前にも書いたが、「新品を買った方が安いですよ」というセリフだ。
確かに、モノによっては修理に出したら、新品を送ってくることもある。

電化製品は、何でもかんでも事実上修理不能になっていく。
ラジカセ、ウォークマン、テレビ、ラジオ、ビデオ、掃除機…。

確かに新品が安くなっていることは事実だ。
でも、修理できるものまで新品に買い換えているような気がする。

昔は、街の電気屋さんでも、ハンダごてを持ってテレビの修理をしてくれるところがあった。
当時のことだから、真空管だ。

ところが、トランジスタができ、ICができたころから怪しくなってきた。
どんどん回路の集積化が進み、小型化し、性能が上がり、そして中がわからなくなった。
消費電力も少なくて、信頼性も高くて、いいことだと思う。
でも、いざ壊れたら、基盤を一気に変えることしかできない。

機械が便利になって、どんどんそういうことが起こっていく。

自動車もそうだ。
今のエンジン回りはコンピューター化されているから、簡単にいじれない。
でも、コンピューターを変えると、とたんに馬力が上がったりする。

世の中から、中味が分かっている人の数がどんどん減っている。
それは、ものが高度化し、よいことだろうとは思うが、本当にこのままでいいのだろうか。

携帯電話なんかを見ていると、そう思う。

もういいのではないか…。


| | 考えたこと | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
エコ発電
風力や太陽光、地熱、波などのエネルギーを電気に変えるという事業、水面下で動いているようだ。

特に風力はアメリカをにらんで、開発しているらしい。
大型の発電機だろう。
お金が動くと、モノも動く。
アメリカには、風がいつも吹いているところがあるのかもしれない。
ただ、風力発電でも、輸出に依存するような形になるのは避けるべきではないか…。
設置するのに大きな場所もいるし。
できれば、日本で役立つ風力発電とは何か、という事をやってほしい。

太陽光は日本が得意とする分野だ…と思ったら、ドイツや中国系の企業に抜かれているらしい。
まあ、いずれにしてもシャープやサンヨーが強い。
変換効率は10〜19%くらいとのこと。
風力発電が10〜35%らしいから、太陽光発電はまだまだ効率が低い。
それに、一日の半分は夜だから、ちょっとシンドイかもしれない。
でも、変換効率のよい太陽電池を作ることができれば、のぞみはある。

変換効率でいうと、火力発電が40%だからやっぱり火力は効率がいい。

前にも書いたが、原子力発電は危ない。
一度事故を起こしたら、取り返しがつかなくなる。
たしかに日本はエネルギー資源がないから、原子力に頼ろうとするのはわかる。
再生処理をして、使えるものを取り出せるのもわかる。
リクツでは可能だ。でも、あくまでリクツはリクツなのだ。

昔はぼくも原子力発電に賛成だった。
でも、最近反対に変わった。人間はミスをするものだからだ。
バケツでウランを扱っていたという事がわかったこともある。
ミス以前の問題だ。現場は正直だから、いくら改善したといっても、そんな現場を持っている限りダメだ。
原子力に関する知識を持った人が、ウランを扱ってほしい。

途中から主旨が変わってしまった。

とにかく、原子力は原理は正しいが、実用はやめた方がいい。
それに変わるエネルギーを開発するのに予算を投じたらどうだろうか。
現在の電力の30%を作り出すエコ発電に投資するのだ。
それで新しい雇用が創出できて、GNPの潜在成長率も上がる。
世界が求めている技術を日本から生み出せる。
ここで、キーになる技術を持つことは、将来の日本の飯の種になり得ると思う。

そうではありませんかね…。




| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
一人暮らし
長男が一人暮らしを始めた。

昔は四畳半一間でトイレは共用、ガスコンロも共用という下宿だったが、今はワンルームでバストイレ付き。
まあ、風呂屋も高くなったから、しかたないか。

簡単なキッチンが付いている。

自炊する気満々で出ていった。
リンゴの皮もむいたことがないヤツが、できるんかいな…と思っているが、まあこれも勉強だ。

それにしても、人が一人いなくなるというのに、あっけない。
昔、自分が出ていく時には何も考えなかったのが、ウソのようだ。
ま、それを繰り返していくのだろう。

カバンや靴、服も持っていったし、CDもなくなった。

自分の持ち物は、だいたい持っていったことになる。

生まれてから19年。
ガラクタのようなものが、たくさん机の引き出しに入っていた。
一つひとつが、自分の歴史なのだろう。

これから、別のところで歴史を刻む。

まだまだ若いのだから、何でもできる。

それがうらやましいような、めんどくさいような…。

頑張ってほしい。



| | 考えたこと | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブックオフ
初めてブックオフに本を売りに行った。
次男がマンガを売りたいということで、今朝、紙袋いっぱい持って行く。

買い取りカウンターで渡すと、番号札1番をくれて、しばらく待っていると呼び出される。
マンガ(15冊)が1冊100円〜50円くらいで、ぼくの持っていった単行本(全部で6冊)は3冊値段なし、3冊は10円程度。

全部で1450円だった。

なるほど、活字の本の古いやつは、やっぱり安い。
前に書いた「主観的価値」の通りだ。

今日はどうでもいい本を持っていったが、昔の文庫の愛着のあるものを持っていって、5円とか値段なしとか言われると、ショックだろう。

ついでに、古本を見て回る。
普通の本屋では売っていない本が見つかると、儲かった気になる。

今日も外山滋比古と鷲田小彌太の文庫本を見つけた。
どちらも、本屋ではなかなか見つからない。
¥300で2冊買う。

古本屋といっても、だいぶ雰囲気が違うが、巷で売ってない本を買えるのはありがたい。

特にSFや海外ミステリは最近本屋に置いていないので、重宝する。

たまに覗くのも、楽しみになった。

散歩の時に、寄る場所にしよう。



| | 考えたこと | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
必殺仕置人2009
金曜日にテレビで仕置き人をやっていた。
リバイバルでやっているが、だいぶ雰囲気が違う。

あの音楽とともに、藤田まことが悪人を斬る場面が出てくる。
たしか、昔は無言で去っていったと思うのだが、今回は何か言う。

他の殺し方も何となく安っぽくなった。
首つりのシーンは今回も出てくるが、三味線の糸ではない。
専用の道具がある。

針で刺す場面もある。
昔は緒形拳扮する藤枝梅安が首の後ろのところを刺したのだが…。

どうも昔と比べて見てしまう。安っぽく見える。
なんでかな。
出ている俳優が若いからか…。

あの当時、中条きよしや三田村邦彦はいくつくらいだったろうか。

昔も安っぽかったのかもしれない。

美化されるからなあ。

どうも調子が狂う。

今の人が楽しんで見られればいいのだが、昔の人は見ても何となく興ざめしそうな気がする。

ぼくだけかもしれないが…。



| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
円周率
3月14日は円周率の日、とアメリカの下院が承認したとのこと。

3.141592…という数字。3.14でおなじみだ。
全米円周率の日、National Pi Day。
Association for Competitive Technology(ACT)、米国化学会(ACS)、バイオテクノロジ産業協会(BIO)、米電気電子技術者協会(IEEE)、TechAmerica、TechNetなどのテクノロジおよびエンジニアリング団体が提唱したらしい。

円周率だから、幾何の団体がなぜ入っていないのか…と思う人もいるだろう。
実はこのパイという数字、数学のあらゆるところに顔を出す。
あくまで、半径と円周の長さの比なのだが、確率や複素数などおよそ関係ないところでも、パイが出てくるのだ。
だから、バイオテクノロジ産業協会というようなところまでが、パイの日制定に一役買っている。

パイは超越数でもある。
普通の実数は有理数(分数で表せる数)と無理数に分けられる。
その無理数が代数的数と超越数に分かれる。
超越数は代数方程式の解にならない数。
わけが分からないが、何となくすごいということがわかる。

それが円の半径と円周の比などという、卑近な数である事が驚きなのだ。

小学校の時、図形の話(だったと思う)という本が図書館にあって、その本の1ページを全て使ってパイの値が書いてあった。
3.141592653589793238462…と続く。
これを小学校6年の時にクラスで覚えるのが流行って、ぼくは50桁まで覚えた。
ついこないだまで、50桁言えたのだが、今は20桁で分からなくなった。
思い出そうとしたら、思い出せない。

これは一生忘れないと思っていたのだが…。

全米円周率の日のニュースは、ぼくが年を取ったことを思い出させてくれた。

アメリカでは、その制定に対して、「知識基盤経済にとっての数学および科学教育の重要性を認めたことに感謝する」という感謝状が出たとのこと。

まさに数学や科学の重要性を凝縮したのがパイだ。

日本も遅ればせながら、3月14日を円周率の日にすべきだ。

それにしても、アメリカにはホワイトデーというのはないのかな…。




| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドレミの歌
ドレミの歌の歌詞。
日本語の訳は、ドはドーナツのド、レはレモンのレ、ミはみんなのミ、ファはファイトのファ、ソは青い空、ラはラッパのラ、シは幸せよ、さあ歌いましょ…というふうになっている。

英語の歌詞も、ドレミファソラシのそれぞれに、何かが当てはまっていると思うのは当然だ。

ところが、そうではない。
ドレミファソラティという発音である。
英語の歌詞は…

Doe, a deer, a female deer
Ray, a drop of golden sun
Me, a name I call mysel
Far, a long, long way to run
Sew, a needle pulling thread
La, a note to follow sew
Tea, I drink with jam and bread
That will bring us back to Do

となっている。
ドレミファソはそれぞれ鹿、光線、私、遠い、縫う、という単語であり、ティはお茶になっている。
でも、ラは「ソの次の音」になっている。

ドレミの歌だから、ラにも何か単語があるだろうと思うのだが、ラは「ソの次の音」。

ラで始まる単語で適当なものがなかったのだろうか。
それとも、この歌詞は勢いで書いたのだろうか。
La, a note to follow sew というフレーズがぴったりしていて、これだ!という感じだったのだろうか。
それとも…、疑問は尽きない。

英語で歌っている人は、疑問を持たないのだろうか。

くだらないことだが、気になる。

誰か、アメリカ人かイギリス人に聞いてみてくれないか…。




| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
スタイル
人にはスタイルというものがある。
このスタイルというのは流儀のことだ。

何か起こったときにどうふるまうのか。
誰かともめたときにどう解決するのか、あるいは決裂するのか。
いったん決めたことを変えるとき、どういうのか。
何を大事にして、何を大事にしないのか。

そんなことを決めるのが、その人のスタイルだろう。

それはどうやって学ぶのか。
先輩のやり方をみて学んだり、自分で失敗を重ねて学んだり…。
よく分からない。
でも、目標にしたい先輩は数名いた。その存在は大きいと思う。

例えば、イチローにはイチローのスタイルがある。
それはハッキリしている。

自分のスタイルはそんなに明確なものではない。

なぜか分からないが、こう考えた方がいいだろうとか、この時はこうしたらいいという事を日々決めている。
そんな細かい事にでも、スタイルは表れる。

そのスタイルが、この前書いた「サラリーマンの美学」に通じるのだろう。

一つのスタイルを持つこと。人それぞれに違ってもいい。

でも、これはとても大事なことだと思う。




| | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポート・ジュビリー
ポート・ジュビリーというと1965年に第一回をやったらしい。
東京オリンピックの次の年。

ぼくはリアルタイムでは知らないが、神戸のカントリー& ウエスタン、フォークソング等のアメリカンミュージックを好む学生の音楽同好会として発足したとのこと。
その後何度かコンサートをやって、いったん途絶えて、1999年に復活した。

今回、Final in KOKUSAIということで、2009年3月21日に国際ホールでもう一度復活する。
Finalというくらいだから、もう国際ホールでやることはないのかな。

前回のメンバーを見ても、もう還暦という人もいたし、バンドによってはかなり高齢になっているだろう。

それでも、この年になっても(失礼)続けているというのはすごいことだ。
アコースティックのバンドばかりだが、みんな上手だった。
当然、物故者もいる。

当時のアメリカンミュージックはすてきだった。

ぼくは、Peter, Paul and MarryのパフやBrothers Fourの七つの水仙を中学2年の頃に聞いた。
どちらもすばらしいコーラスで、ギターのフィンガーピッキングもすごかった。
当時の大学生が、彼らの音楽をコピーして演奏していたということだ。

もちろん、Kingstone Trioのトム・ドゥリーもなつかしい。
バンジョーが登場する。
実は、当時バンジョーが弾きたくて、中学3年の時にようやく買ってもらった。
もちろん安いものだが、今でもケースに入れて置いてある。(残念ながら弾くのは断念した)

そんなこんなで、行きつけの楽器屋さんに前売り券をもらって、ポート・ジュビリーに行く。

今回も、元気なプレーヤーを見て、懐かしい曲を聴いて、思い出に浸ろう。

楽しみにしてます。


| | 考えたこと | 23:20 | comments(2) | trackbacks(0) |
メリー・ジェーン
メリー・ジェーンというと、つのだひろを思い出す。

メリー・ジェーン オン マイ マインド…というあの歌い出し、印象的だ。
日本のロックの名曲の一つ。

メリー・ジェーンというのは女性の名前だし、彼女のことを歌った歌詞だ。

ところが、メリー・ジェーンはマリファナの隠語らしい。
まさか、そんな意味があったとは…、ビックリ。

調べてみると、doobie, joint, bone, weed, hemp, ganja, cheech, 420…、いくらでもある。

ドゥービー・ブラザーズが「マリファナ仲間」という意味だとは初めて知った。

420というのは、大学生が4時20分に集まって吸ったことから名付けられた名前だとか。
アメリカの警察でも、マリファナの事件のコードは420というらしい。

しかし、これだけ隠語があるということは、それだけマリファナが身近なものだということだ。

アメリカの麻薬はおそろしい。

どうやって根絶するのだろう。

日本も同じ道を歩みつつあるけど…。





| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
組み立て式
組み立て式で持ち帰りの家具を買った。

どうも不思議なことがある。
背面が二つに割れているのだ。
組み立てる側にとっては、不便なだけだ。

しかし、背面を二つに割ることで、パッケージが小さくできる。
同じ容積で、たくさん運べる。
船積みの効率がよくなるのだ。
そんなところまでやらないと、安くできないのだろう。

昔の組み立て式の家具は、もうちょっと楽に組み立てられたような気がする。

完成品を見て買うと、エライ目にあうことがわかった。

ガラスの扉と引き出しをつけて、木の扉をつけて…、大変だ。
2時間以上かかって、ようやくできた。
この人件費を差し引くのだから、安いに決まっている。

それにしても、この家具、お年寄りや女性には組み立てられないのではないか。

組み立て料は書いてなかったが、それを足すと、完成品を買った方が安いと思う。

みなさん、組み立て式の家具を買う時は、気をつけて…。



| | 考えたこと | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワールド・ベースボール・クラシック
監督選びですったもんだしたが、始まってみると調子がいいWBC。
今のところ、勝てば官軍の日本チームだ。

イチローを見に行きたいという人がたくさんいる。
でも、あのハイテンションは気になる。
アメリカに行って、日本という国を意識するようになったというのはわかるのだが、なんだかイチローらしくない。

とにかく侍ジャパン…、頑張ってほしい。

一方、ビジネスで言うと、このWBCは読売新聞社の興業。

ライバルの朝日新聞は複雑な心境だろう。
Web版の新聞を見てみたが、写真はJリーグの開幕だった。
もちろんスポーツ欄にはある。

一方の読売新聞は、速報でWBCの写真が出ている。
毎日と産経もWBCの速報写真が出ていた。

朝日は今日のところはTOPページに出していない。

この駆け引きも面白い。


| | 考えたこと | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
ありがとう
「おおきに」という言葉がある。
ありがとう、という意味だ。
京都・大阪で使われる。

この「おおきに」はもとは「たいへん」という意味だ。
「おおきに ありがとう」という言葉が縮められて「おおきに」だけになった。

「おおきに はばかりさん」とは枝雀のよく使うフレーズ。
「たいへん恐縮しております」という意味。
この、「おおきに」は「ありがとう」というニュアンスは感じない。
もとの「たいへん」という意味だろう。

どうやら、いろんなところで「おおきに」にあたる言葉が「ありがとう」になっているらしい。

熊本では「ちょうじょう」というのが、ありがとうの最上級になる。
これは「重畳、かさねがさね」ということらしい。
「かさねがさね ありがとう」という意味が、「ちょうじょう」ということになっているらしい。

そして、松江では「だんだん」。
「だんだん」というのは、段々でこれも「かさねがさね」という意味らしい。
もとは「だんだん ありがとう」と言っていたのだ。
それがいつか「だんだん」だけになった。

「おおきに」と「だんだん」がよく似た意味だとは、思わなかった。

どちらも柔らかくて、いい言葉だ。

日本語は面白い。





| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
下宿
長男が下宿をすることになった。
色々と忙しくなるそうだ。

ぼくも三十数年前に下宿をした。
その時は、家から運ぶものは引っ越し屋に頼んで運び、向こうで買うものは適当に買った(はずだ)。
何のためらいもなかったし、「家を出る」という意識もなかった。
たしか、机とみずやと布団と冷蔵庫…、あとは小物があったかな。
四畳半一間でトイレは共用、お風呂はなく近所の風呂屋へ行くことになっていた。
引き戸のドアで、共同トイレの前の部屋だった。
今のワンルームと比べると、えらい違いだ。
でも、別に不満はなかったし、住めば都だった。

必要に迫られて下宿をするんだし、一人暮らしへの淡い期待もあった。

実際に一人暮らしをしてみると、いろいろと不便がある。
そんな不便も楽しく過ごしたような気がする。

親父は一度も下宿には来なかった。
母は、期限切れのパックの鍋焼きうどんの中の天ぷらで食中毒を起こした時に一度来てくれた。
あれは、ありがたかったなあ…。

洗濯機も共同のものだったから、洗濯物がたまるとボストンバックに入れて家に帰った。

家では、いつ帰ってくるかわからない息子に困っていたのかもしれない。
でも、今思えば、いつ帰っても、快く迎えてくれた。

4回生になって、大学院には行かない(落ちるから)と決めた時も、「ああ、そう」と言ってくれた。
あの頃のぼくは、何でも思い通りになると思っていたのかもしれない。

親の気持ちは全く考えなかった。

今になって、親の気持ちがわかる。

何度も書くが、そういう年になった。




| | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
52回目の誕生日
明日で52歳になる。

過ぎ去ってみれば、あっという間の52年間…、という言葉がまんざらうそでもないと分かってきた。
まいど書いているが、毎年毎年、過ぎるのが早くなる。

正月でぼけている間に1月が過ぎ、2月は28日しかないから、気づいたら3月。
桜はまだかと言っている間に4月が来て、新年度が始まったなあとバタバタしている間に5月。
ゴールデンウィーク明けてぼけている間に6月が来て、うっとうしい梅雨だと思っている間に7月。
暑いあつい、と言っているうちに8月が来る。盆休みが終わると9月。
まだまだ暑いと過ごしているうちに10月が来て、秋になったと喜んでいると11月。
もうすぐ年末やなあと思っている間に12月が来て、あっという間に1年は終わる。

このところ、そんなふうに1年が終わる。

もちろん、いろんな事が起こっているのだ。
日々の暮らしの中で、家族のこと、仕事のこと、友だちのこと、…。
ただ、若い頃のような、感動というか、新鮮な出来事に出会わない。
それは、それなりに新しいこともあり、喜びも、苦労も、困難も、壁も、涙も、汗も、あるにはある。
でも、それは想定内というか、こんなものだという気分になる。

たしかに、長いこと生きて来たという事は、酸いも甘いもかみ分けたという事だろう。
だから、それでいいのかもしれない。

前にも書いたような気がするが、それが年を取るということなんだろう。

今さらそんなビックリするような事があっても、困る。

でも、子供らを見ていると、ちょっとうらやましくなる。
まだまだ、未知の出来事がたくさんあるだろう。いいことも、悪いことも…。

それは、ふり返るから、言えることだ。

そんな風に思って、52回目の誕生日を迎える。

めでたい。

| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
こだわり
ずいぶん前に買ったコートを着ている。
今年は何となく着たくなった。
黒い、何の変哲もない、普通のコート。

黒い普通のコートは、はやりすたりがない。
オーソドックスという表現がぴったりだ。

スーツもほとんどグレーか紺か黒。
まあ、そんなところか。

カッターシャツはランズ・エンドのものを通販で買う。
ほとんどがブルーだったが、最近ピンクを買って、意外と気に入っている。
毎回何を買ったか忘れて、いろんなタイプのものがある。
微妙にえりの形が違ったり、生地が違ったりする。

オフィシャルな服装には特にこだわりはない。

カジュアルな服装にもそんなにこだわりはない。
ジーンズはスリムでないといけないことくらいか…。

実は、30代のころ、ジーンズなど履かなかった。
それが、あるとき立ち寄った文房具屋のおじさんが、太った身体にストーンブラック(石みたいなグレー)のスリムのジーンズを履いていて、どういうわけか気に入ってしまった。
かっこよかった…、というわけではないのだが、似合っていたのだ。
というわけで、それ以来ストーンブラックも含め、スリムのジーンズを持っている。
昔のものが捨てられない。痩せたら履けるのだ。

こだわりがあるとしたら、年を取ってもジーンズを履きたいという事くらいか。

ジーンズが似合う年寄りになりたい。

それは、そう思う。



| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼平犯科帳2
24巻を読み終えた。

最初の方は実家で借りて、足りない分はブックオフで買って、それでも足りない分は本屋で買った。
借りたのは10冊。ブックオフで10冊。本屋で4冊。

池波正太郎はすごい作家だ。

1990年に急性白血病で急逝した。
鬼平犯科帳を最後まで書き続け、絶筆となった。
書きはじめは1967年。23年にわたって、135の短編・長編を書き綴った。

池波正太郎は今でいうと中学を出て丁稚奉公に出た。
株屋、ペンキ屋、また株屋と仕事を変わり、そこで開戦。
国民勤労訓練所というところで旋盤工となる。
この旋盤工としての仕事が、池波正太郎の小説創作に大きな影響を与えた…、と24巻の巻末に書いてあった。
その後徴兵され、米子にて終戦。
それから、東京都の職員として仕事をしながら、劇作家を経て小説家になる。
本当にたくさん書いた。

母によると、何といっても「真田太平記」が一番面白いとのこと。

でも、とりあえず次は「剣客商売」というシリーズに挑戦することにした。
全部で15巻ある。

江戸時代を舞台とした小説は、何とも言えない味がある。

鬼の平蔵は、ずっと生きている。

月並みだが、ぼくらの心の中に。



| | | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヒトと人間
テレビ脳を研究している人が、子どもが小さい時にビデオをお守りにしてはいけないと警告しているらしい。
核家族化して、家事をやるときに子どもがうるさいので、ついついビデオを流してしまう…、経験がある。
アンパンマンや戦隊もの、ウルトラマンなどのビデオだった。

それが、大きくなって、人とのコミュニケーションをとれなくなる原因の一つになっているとか。
さもありなん。
ビデオは一方的に流れるだけで、返事はしない。
受身のメディアだ。
だから、それで育った子どもはコミュニケーション能力が欠ける…、というのは説得力がある。

これも時代だろう。
便利になることがいいこととは限らない。
環境が変わって、ヒトが人間にならなくなる。

岸田先生(心理学者)は、ヒトは生まれてそのままでは人間にならず、ヒトが社会で学んで、それで初めて人間になるという。
本能が壊れて、そのまま生きることができないからだ。
人間の社会や文化は代理本能である。

だから、社会や文化が変われば、できてくる人間も違ったものになる。

そういうふうに考えれば、納得がいく。

昔はテレビやビデオなどないから、親子の話があった。双方向だ。「うるさい」と怒られるにせよ、コミュニケーションになっている。
テレビができて、やや受身の姿勢になったが、番組の放送時間の制約がまだあった。
その頃にぼくらは大きくなった。ちょうど白黒テレビの時代。「チロリン村とくるみの木」の時代だ。

そのうち、ビデオができて、レンタルビデオができた。
いまはハードディスクもできて、「お母さんと一緒」など毎週自動で録画できる。
ビデオを見せておけば、子どもは静かになるから…、というのもわかる。

テレビを見て育った若い人は、一般的にはコミュニケーションが苦手だという。

テレビの影響もあるかもしれないなあ。

それが、悪いことかどうかは別としても…。




| | 考えたこと | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
C.J.
ザ・ホワイトハウスというドラマ。

C.J.という女性の広報担当がいる。
背が高くて、格好良くて、頭がいい。
大統領にも、自分の意見を堂々と言う。

先週のエピソードで、首席補佐官が心臓病で倒れ、退任した。
病床で彼は大統領に後任を告げる。

後任はC.J.だ。

女性の首席補佐官。初日は自信をなくす。でも二日目には堂々とふるまう。

一日に読む書類の量は20センチほどの厚み。
分単位のスケジュール。

とてつもない仕事量だ。

民主党の立場を理解し、優先順位をつけ、会議から会議へ。
何を聞かれても、的確に答え、わからなければ適切な質問をする。
いつ考えを整理する暇があるのだろうか。

そうでなければならないのだろう。

日本にあんな主席補佐官がいるだろうか。
縦割りの行政で、全てに通じた人はいない。

いや、組織の問題ではないだろう。
人の問題だ。

大統領のスタッフは、任期とともにホワイトハウスを去る。
もちろん、有能な人たちだから、退任後も他で働いたり、政界に復帰したりする。

背水の陣で仕事をするから、あんな風に働けるのか。

もちろん、麻生首相にもスタッフはいるだろうが…。



| | 考えたこと | 01:53 | comments(0) | trackbacks(0) |