考えたこと2

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ネコ3
しばらくぶりにアニマルプラネットというチャンネルを見た。
2月22日はニャーニャーニャーでネコの日だったからだ。

今やネコはペットの主役になった。
世界で飼われているネコは6億匹。
イヌよりも多い。
もっとも大きな要因は、手がかからない(散歩に行かなくていい)ことだ。

ネットの動画再生回数もイヌよりのネコが圧倒的に多い。
イヌは表情筋が発達していて、表情が豊かだが、それが災いしているらしい。
見ていて想像する部分がイヌのほうが小さいのだろう。

ネコは表情が少ないが、大きな目と低い鼻がキュートだと人間に思わせる。
それがネコ動画が再生回数が多い理由だという。
たしかに、あの大きな目、小さくて低い鼻、見た目の小さい口はマンガで描かれる人間に近いと思う。

人間と仲良くはなるが、服従はしない。
いわゆるツンデレというやつだ。
放置してもそんなに文句は言わない。

ネコは人間は大きなネコだと思っているらしい。
自分と同じ種族だと思っている。
イヌが主従関係を求めるのとは違った関係になる。

子ネコは文句なくかわいいと思う。
ネコ動画も、子ネコが多いのは事実。
時々あれを見ると癒やされるのだ。

前にも書いたが、ギターの講師たちが一生懸命工夫して撮った動画よりも、ネコの動画のほうが再生回数が多かったりする。
講師の先生方には、本当に気の毒だと思う。
ギター人口のほうが、ネコ好き人口よりも圧倒的に少ないのはわかるのだが…。

それでも、時々ネコ動画を見てしまう。

困ったものだ。


| | 考えたこと | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
萬田緑平氏のコメント
新しい萬田氏のコメントが出た。

前にも書いたがこの人は、

「癌患者専門の在宅緩和ケア医。「緩和ケア 萬田診療所」で1日4〜5人の患者を1人で診て、年間100人程度の看取りがある。「看取り屋」ではありません。最期まで目一杯生きること支える「生き抜き屋」です。「穏やかな死に医療はいらない」以下3冊著書があります。講演は年に50回しています。」

という人。

毎回このコロナに関するコメントは考えさせられる。
ようやく関西は緊急事態宣言が終わりそうだが、関東の4県はまだ続くらしい。

「TVに毎日出演できるコロナ禍は次のステップを狙う緑の狸にとっては大チャンス。」

関東に住んでいる人たち、特に飲食店などは気の毒だ。
明らかにおかしいベッドの占有率など、どうなっているのだろうか。
バカを通り越して、犯罪だと思う。

高齢者は高齢者からもらったり、院内感染が多いのに、どうして若者がうつすなどというのだろうか。
せっかくの卒業旅行も「控えて」などと朝のニュースで言っていたが、この国は本当に若者を大事にしない。
喋っているアナウンサーたちも、楽しそうにやっている。
本気で言っているのか…。

「1万人に4人しか起こらない事をウイルスの特徴と主張する。医学ではは1%以下は副作用としても無視するレベルなのに、どうなっちゃってるの?」

リスクゼロを求めて、社会に不利益を生じさせるバカモノだと思う。
みんながリーズナブルなリスクを取って、生きてきたはずなのに、そういうことがわからない。

テレビは高齢者しか見ないから、完全に次世代を見切っているのか。
それは取りも直さず、地上波はもうすぐ終わるということなのだが…。
ここで逆張りをして、若者の味方、という局が現れてもいいと思うのだが、これだけ煽っておいてそんなことはもうできないのか。
真珠湾と同じく、Point of No Return まで来てしまったのだろう。
戦前と同じだ。

2020年の人口動態統計速報が出て、死者数が9373人減少という。
出生数は2.9%減り、小中高生の自殺は前年比41%増加。
日本は海外基準でZero covidを達成している。

どうしてこういう事実を報道しないのか。

不思議で仕方がない。

普通は年をとって、知恵がつくはずなのだが、日本では真逆。
年をとって、バカになっている。

もうどうでもいい。





| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの後
中古の家具などを扱っているところによると、ホテルや旅館などに置いてある1ドアの冷蔵庫がどんどん入ってきているらしい。
ビジネスホテルなど、コンビニで飲み物を買ってきて、入れておいたりするやつだ。
そういえば、旅館にも、そこそこ高いホテルにも置いてある。

それがどんどん中古市場で売りに出されているということは、それだけ潰れたホテルや旅館があるということだ。
観光業や宿泊業はどうなるのだろうか。
今までかろうじて生き残っていた旅館なども、潰れてなくなってしまうのだろうか。
ラーメン店の倒産も過去最高だという。

医者や感染症などコロナの専門家たちは、マクロな数値など読めない(読まない)から、緊急事態宣言の効果など検証しない。
実際、どれだけの効果があるのか、データーで検証してほしいものだ。
死者数が2桁多い欧米でも、、ロックダウンしてもさして効果がないと言われているのに、日本でこんな自粛をしてどれだけの効果があるのか。
いずれ誰かがちゃんと検証してほしいものだ。

たしかに、自粛したら感染はある程度は防げるだろうが、そもそも昨年の超過死亡はマイナスであり、欧米とは全く違うという状態。
経済的なインパクトの方がよほど大きい。
1兆円もの国費が使われたと聞いた。
つくづく、日本の専門家や政治家のレベルは低いと思う。

ホテル業界に就職した卒業生が心配だ。

子供のうつも増えているという。
自殺者も増えている。

コロナで死んでいる人たちの平均年齢は80歳らしい。
80年生きたら、もう十分とは言わないが、80代の人の命と、若い人たちの人の命はどちらが重いのか。

命に軽重はないというのは正論なのだろうか。
本来なら、そういう議論がなされてもいいはず。

ぼくは、余命が長い人たちの命の方が重いと思う。

前にも書いたが、なぜそういう事実をマスコミは報じないのだろうか。
最近ニュースを見ていると、コロナのニュースになるとキャスターが明らかに嬉しそうに見える。
今まで注目されなかった地上波の人たちは喜んでいるのだろう。
おかげで、もともと見ていなかった地上波だが、ついていると腹が立つようになった。

こんなことを続けていると、本当に日本の未来はないと思う。

コロナの後の日本は、当たり前だが、もっと貧しくなるだろう。
そうなったら、専門家たちは責任を感じるのだろうか。

感じないだろうなあ。
医師会などは若い人たちの敵だと言ってもいい。
現役世代が高い医療費を社会保障という形で払ってくれているからこそ、自分たちの保険診療が成り立っているということもわからないのだろうか。

やはり、バカは死ななきゃ直らない、ということだ。





| | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
Hi-Tec 0.4
今日仕事で久しぶりにHi-Tecの0.4mmを使ったら、字がきれいに書ける。
あのペンの摩擦がちょっとあるところが、具合がいい。

昔はもっぱらHi-Tecだったが、ここ数年は浮気してSARASAを使ったりしていた。
一度そっちを使ったら、何となく気に入って使っていた。

最近のゲルインクボールペンは書きやすい。
だんだんと書く時の摩擦が小さくなっている。
今日気づいたが、Hi-Tecはこの摩擦がぼくにとってはちょうどいい感じだった。

しかし、このHi-Tecの0.4mmは最近文房具屋では見られなくなった。
Hi-Tec Coretoというリフィルで入れ替えられるタイプが出て、しばらくそれを使っていたが、そこからSARASAに行ってしまった。
あの細いリフィルのペンは、同じHI-TECではなかったのだろう。
調べてみると、あの普通のHI-TECはもう作っていないらしい。
気づいたときには遅かったということだ。
しかし、久しぶりにあのペン先の形を使って、やっぱりこっちが合っている、と思った始末。

でも、その形のペンはHI-TEC maicaという名前で残っていた。
あわてて、アマゾンで注文した。

あの先の尖ったシャープペンみたいな形のボールペンは、HI-TECだけだ。
きっとコストが高いのだろう。
円錐形のSARASAなどのほうが安く作れるのだと思う。
後発のメーカーが細いペン先を円錐形で作れるようになって、コストで追いつかなくなったというのが、廃番の理由だと思う。

しかし、あのペン先でないと、実現できない書き心地があるのだ。

HI-TECの0.4mmに戻ろう。




| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年の講座
今月2日間、同じ内容で就職筆記試験の講座をやった。

マスクをして1日3時間話すと、しんどい。
肺活量を鍛えないといけないと思う。
一緒にやった50代の塾の先生も、今年は自粛で動いていないし、マスクもしてるからしんどいと言っていた。

講座の日の朝、エレベーターに乗っていた学生が「朝の9時から5時の授業はしんどい」と言っていた。
そうか、学生も90分授業4回と40分の模試は大変なのだ。
3回生で、一日フルに授業を入れているような学生は少ない。

就活の筆記試験など、学生にとっては止めてほしいものの筆頭だろう。
大学入試が終わって、一生算数や数学のテストとは縁がないはずだったのに、ここでそんなのに当たるとは、という感じ。
それほど、文系の学生にとっては非言語の試験は嫌なものになる。

一番メジャーな試験はSPIというリクルートが作っているもの。
出題範囲は小学校の割合から、高校の集合、確率あたりまで。
ただし、学校ではやっていない「推論」というのが出る。
これは計算などではなく、パズルのようなもの。
これが得意な学生はラッキーだ。
短時間で問題の情報をわかりやすく書き出し、考える力が必要になる。

今回もやってみたが、いかに割合の分野が弱いかよくわかる。
分数の「1」の意味がわかっていなかったり、%や歩合がわからない学生が多い。
何度も書くが、小学校、中学校はいったい何をしているのか、と思う。

世の中を絶対値でしか考えられないと、今のマスコミのようにコロナを煽られて乗ってしまう。
割合で考えるというのは、比較をすることだ。
まあ、今のマスコミの記者のレベルが下がったこともあるだろうが…。

だから、全体を1とおいて、毎日1/6の仕事をしたら、何日で終わるかがわからない。
1÷1/6という計算の意味がわからないのだ。
毎日パンを2個ずつ食べて、10個食べるのに何日かかるか?という計算をしてみて、それと同じこと、といっても怪訝な顔をしている。
これで世の中をわたっていけるのか、と思う。

集合はまだマシ。
でも、濃度は拒否反応を示す学生が多い。
仕方がないから、食塩水、食塩、濃度の表を書いて埋めていくという説明をする。
教える方も、何でわからないのかがわからない。

速度もみんな嫌いだ。
速さ=距離÷時間、というだけなのだが、時間と分、Kmとmの換算などが入ってくると難しい。
30分が1/2時間というのがわからないのだ。

分数がわからないと、この換算もできなくなる。
分を60で割る、という説明をするが、その作業をするのではなく、30分が1/2時間、ということそのものを理解してほしいのだが…。

日本人が科学的でなくなったというのは、こういうことが積み重なっているからだろうか…。


| | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
褒め方
褒め方は難しい。
うまく褒めないと、逆効果になることもある。

あからさまに褒めても、喜ばれない。
わざと褒めていると思われる。
それは逆効果になることもある。
以前、キャンプで子どもに火を起こさせるのをやっている時に、上手に火がついたので褒めたら「人は褒めて使えという」と生意気にも言われてびっくりしたことがある。
その時は大げさに褒めたのが悪かったのだと思った。
何でもやりすぎは良くない。

褒めることに関しては、アメリカの実験結果がある。
小学5年生400人にパズルをやらせ、終了後半分のグループには知性を褒めて「頭がいい」と伝え、もう半分には努力を褒めて「がんばった」と伝えた。

そして両方の生徒に、最初のパズルより簡単なパズルと、難しいパズルを選ばせた。
すると、「頭がいい」と褒めた生徒たちのほとんどが簡単なテストを選び、「がんばった」と言われた生徒の9割が難しい方を選んだという。
「頭がいい」と言われた生徒は、自分を賢く見せることに気持ちを向けるようになって、間違いをおかすリスクを減らすようになる、という説明だ。

さらに、もっと難しいテストを与えたら、「頭がいい」と言われた生徒たちはすぐに挫折してしまい、「がんばった」と言われた生徒は熱心に取り組んだという。

その後、各々の生徒たちは「自分より良い成績のテスト用紙を見るか、悪い成績のテスト用紙を見るか」という選択を与えられた。
想像通り、「頭がいい」と言われた生徒たちはほぼ全員が自分より悪い成績を見て、「がんばった」と言われた生徒たちは自分より成績の良いテストを見るほうが多かったという。

最後には、最初のテストと同じ難易度のテストをやらせた。
「がんばった」と言われた生徒たちは平均スコアが30%伸び、「頭がいい」を言われた生徒たちは20%低下したという。

褒め方でこんなに変わるのか、と驚く結果だ。

褒めるときはプロセスを褒めないといけない、ということだ。
ただやみくもに褒めたら、かえって悪くなることもある。

残念なのは、こういう実験はたいがい欧米でやられている。
教育の方法論を研究している結果だろう。
これこそ、教育学。

ぼくはエントリーシートの内容を褒めるときには、「上手に書いている」と言うことにしている。

プロセスを褒めているつもりなのだが、伝わっているだろうか…。



| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
男女平等
森喜朗の発言で、にわかに女性蔑視のことが盛り上がった。

今日Facebookのニュースフィードを見ていたら、フィフィという女性タレント?がこんな発言をしていた。
彼女はエジプト出身の女性タレントで、44歳。
中学、高校、大学は日本で過ごしていて、フォロアーが23万にもいるらしい。
インフルエンサーというやつだ。

載っていた発言がこれ。

“私の意見は女性に厳しいね、なんて言われるけどそれは違う。日本は女性が蔑ろにされる社会とは思わないし、能力を発揮できる機会も与えられてる。性差で配慮もしてもらってるし、それなのにいつまでも女性は特別に扱わないと文句言うから〜みたいな方向に行ってるのが今の日本。それって結局、逆効果”

たしかにイスラム教圏から見ると、日本の女性は平等に扱われていると見えるだろう。
男女雇用機会均等法が1986年に成立し、30年経った。
今の大学生と話をしていると、男女の差などなんとも思っていないように見える。
ゼミ長の女性が、メンバーが頼りないというが、彼女以外はほとんど男性だったりする。
言っている本人は、別に男女の違いを意識していない。
男性学生も、女性がリーダーでも、別になんとも思っていない。
なにか思うこと自体を感じていないのだから、本当に平等なのだと思う。
ぼくらは森喜朗に近い男女意識を持っているが、今の30代くらいからは、意識が違っていると思う。

亡くなった渡部昇一が書いていた、女性論を若い頃に読んだ。
その本がぼくの男女の考えの基礎になった。
今調べたら、もう絶版らしく、出てこなかったが…。

要は、男女は平等だが性差はあるし、それは認めないといけない、ということだ。
性差を認めることは、差別ではないという考え方。
おそらく、今の通説よりも保守的だったと思う。
フェミニストとは意見が合わない。

ぼくはこのフィフィの考えに近い。
フィフィは一部のフェミニストからは敵視されると思う。

それでも、こういうことを言えるのは女性だけだろう。
男性が言ったら、もっと炎上するのがオチだ。

したがって、ぼくのような男性は何も言わない。
無用な争いは避けないといけない。

この問題は時代が解決すると思う。


| | 考えたこと | 19:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャリア形成のジレンマ
キャリア形成関連の授業はいろんな大学でなされている。
ぶっちゃけて言えば、自分がやりたいことやなりたい姿、やっている学びやスキルと仕事を結びつけよう、という試みだ。
こういうことをやると、どうしても理想論になる。

明治大学ではこんな授業もあるらしい。
iU情報経営イノベーション専門職大学の講師が書いていた。

「明治大学の私の授業では、「死ぬまでに実現したい夢、十年後にしたい仕事、その仕事に就くため勉強すべきこと」を1分間で発表する。夢を実現するためには、いつでもどこでも誰でも安価に一生涯にわたって体系的なオーダーメード教育を受けられることが理想だ。スマートフォンに夢、就きたい職業などを入力すると、最適化されたオーダーメードの学びのロードマップが図解で表示される。そこには学年別、レベル別に身につけるべき学びの体系と細目が盛り込まれている。」

この人は、コロナでオンラインが進み、こういうことがスマホでできるようになる、ということを書いているのだが、何となく違和感がある。
キャリアの難しいところは、まだやっていない、ということだ。
将来など、わからないのだ。

ぼくが大事だと思うのは、目の前の仕事を一生懸命にやること。
それをできれば3年から5年続けてみること。
節目で自分のやってきたことを振り返ること。

結局、大事なのは現在だけなのだと思う。

たしかに、夢やなりたい姿を考えることは必要だ。
でも、考えるだけでは前に進まない。
やってみて、初めて分かることのほうが多いからだ。

人生は「こんなはずではなかった」という出来事の集積だと言ってもいい。
そういうことをわかった上で、なりたい姿や夢を考えるのは難しい。

ぼくの若い頃は「就職して、企業に入って働く」というのは「負け」みたいな風潮があった。
中村雅俊のドラマなど、そういう感じだったなあ。
自由に生きることがかっこいい、という時代。
それをユーミンは「あの頃のまま」で歌にして、ブレバタが歌った。

本当に小さい頃の夢にたどり着けるのはほんの一握り。
才能や運も左右する。
夢のリストに書いてあるものは、消していかないと行けない人がほとんどなのだ。

それをスマホに入れて、いつでも見られる、というのはどこか間違っているように思う。
そんなものはメモでいいのだ。
そして、いつかは捨ててしまう。

そういうものだと思う。



| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
メンバーシップ型の弱点
ジョブ型とメンバーシップ型というのは、今の会社の働き方の区別。
ジョブ型が欧米で主流なのに対して、メンバーシップ型は日本が採用してきたもの。
これで80年代、日本は世界を席巻した。

メンバーシップ型というのは、グーグル先生によると、

「日本企業に多く見られる雇用契約の一つで、日本特有の年功序列や終身雇用を前提にした、職務や勤務地を限定しない無限定正社員を指します。 職務や勤務地の範囲を限定していないことから、基本的には企業の都合により、自由に配置転換を行えるのが特徴です。」

と書いてある。

メンバーシップ型には年功序列や終身雇用がひっついている。
そうでなければ、成り立たないのが日本の正社員の制度。

これがあるから、転勤や単身赴任、サービス残業などの問題が起こるとも言われている。
しかし、メリットもあって、どの仕事は誰がやる、という定義が不明確だから、困ったときはみんなでやる、ということもやりやすい。
だから、柔軟に運用できる。

しかし、今どきの評価は違う。
単身赴任など、海外では考えられないと言われている。
社畜という言葉のように、会社の言いなりにならざるを得ない、ということもメンバーシップ型の悪い点。
ぼくらはそれが当たり前だと思ってきたが、もう今は当たり前ではない。

2000年以降、低成長が続いているのも、一因だろう。
高度成長の時代はポストもどんどんできたから、みんなある程度まで出世できた。
しかし、20年以上続いている低成長下で、もうポストはなく出世もできない。
給料もそんなに上がらないし、ベースアップもなくなろうとしている。
大企業では、海外でも新入社員が入り始め、そんな制度では優秀な社員を採れないから、給与体系を変えつつある。

若い人たちから見ると、能力がなくても上に上がっている人が目立つ。
年功序列だから、と言っていたら、優秀な若手は辞め始めたりする。
あのトヨタでも、たくさんの優秀な社員が辞めているらしい。
だから、トヨタも人事制度、賃金制度を変えようとしているのだ。

メンバーシップ型のいいところだった、柔軟に仕事を回せるという利点も、だんだんと機能しなくなって、今はわざとゆっくり仕事をして、別の仕事が振られるのを避けたりするらしい。
日本の雇用制度が、もう疲労しているのだ。

今や弱点ばかりが目立つメンバーシップ制。

これこそオワコンだと思う。




| | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい発見
何度も書いているが、損益算が今の若い人たちにはわからない。
百分率や歩合がわからない、というのも確かにある。
パーセントや「何割」が出てくるといや、という人もいる。
それでも、小学校の時にやっているので、思い出せば何とかなるはず。

モチベーションを上げるために、バーゲンセールで何割引きとか、何パーセントオフとかいう表示で、正札の値段からレジで引くと書いてある時に、それがいくらかわからないと、買っていいものかどうかわからんやろ、と言っていた。
数年前まではその言葉に「そやなあ」というリアクションだった。
実際、それで困ったことはあるという。

しかし、スマホでグーグルやシリに聞けば教えてくれる、という返事が出るようになったのが去年あたり。
ああ、そうなんか、と思った。
6500円の10%オフは?と聞いたら答えてくれるらしい。
実際、ぼくのスマホでも即座に答えが表示された。
もう損益算はしんどいなあ、ということになった。

それが今年はもう一段進んでしまった。
スマホで払うから、別に現金要らんやん、という返事だ。
なるほど、こんなところまで来たか、と思う。

最初は定価ってなんですか?ということだった。
90年代くらいに値引きが大きくなり、定価を廃止するところが増えて、今は全部オープン価格。
定価という言葉が死語なのだ。
それを昭和の人たちが損益算という形で使っている。
わからなくて当たり前だ。

それから、言葉の定義から始めることにした。
原価は仕入れた元の値段で、定価は売りたい値段、売価は定価で売れんから値引きして売れた値段のこととなる。
利益は売価と原価の差になる。
前にも書いたと思うが、商売をしたことがないと、売れた値段が利益だと思う人が多い。
なんで原価を引くのか?という質問が出る。

つくづく、世の中の商売の仕組み(と言っても超簡単な説明だが)を教えるのは難しい。

しかし、キャッシュレスになったのは新しい発見だった。




| | 考えたこと | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界の学校
世界の学校という本の書評を見た。
そういえば、フランスに長期出張した時に、学校にグラウンドがなく体育の授業もない、ということを聞いて驚いたことを思い出す。

たしか小学校だったと思うが、送り迎えが必須だと言っていたと思う。
学校は単にビルだったはず。
授業終わりの時間帯には前に車が並んでいた。
あれは1980年代だった。

ぼくはどこの国でも学校にはグラウンドがあって、体育の授業があるものと思っていたが、それは日本の常識だった。
別になくてもいいのだ。

イギリスに留学している高校生の話を聞くと、高校は2年間しかない。
5歳からスタートして、6年小学校、5年中学校、2年高校という感じ。
日本よりも1歳早い小学校で、中学が5年というシステムだ。
高校のカリキュラムはすべて選択式。
政治と経済と数学を専攻というふうに言っていた。
クラブ活動はピアノが弾けたりすると、奨学生扱いになって、音楽クラブに所属しないといけないらしい。

インドネシアでは制服を着た小学生がグラウンドのある学校に行っていた。
人数は少なかったが、あれは私立だったのだろう。
ひょっとしたら、キリスト教関係だったのかもしれない。

世界中にいろんな学校があるということは、日本のやり方もたくさんあるうちの一つ、ということだ。
そんなに簡単に変えることはできないが、それでも変えることを考えるのは必要だと思う。

ぼくは今の日本の義務教育は制度疲労を起こしていると思う。
学校の構成員から変えていく必要がある。
一生教育界の中にいる人たちだけで、教育をやっているのは間違いだ。
もっと社会の人たちを巻き込んで、教育をやるべきなのだと思う。

教育委員会にはもっと地域の人達が入るべきだ。

とにかく、今の義務教育は変えないといけないと思う。

この書評を見て、そう思った。





| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
スイスの安楽死
スイスは安楽死が認められており、世界から人が集まるとのこと。
エグジットと呼ばれる自殺幇助を行う団体があって、2019年末現在で12万8212人の会員が登録されている。
それを紹介している記事があった。

「医師は患者に直接致死量の薬や注射を投入することは認められていない。安楽死を希望する患者は医師が準備した致死薬を自ら体内に取り入れるか、延命装置を外す。自殺のほう助は、?治癒する可能性がない場合、?耐えられない苦痛や障害がある場合、?健全な判断力を有する場合、という3条件を満たす必要がある。

 スイス連邦統計局によると、がん患者が36%、多疾患罹患26%、疼痛患者7%、筋萎縮性側索硬化症(ALS)3%、そして精神疾患・認知症は各2%だ。患者は昔、65歳以上が大半だったが、最近は若者も増えてきている。スイスでは年間、1000人を超える人が安楽死のほう助を受けて自死する。」

と書いてある。

スイスでは医師による注射などは認められていないが、そういう「積極的な安楽死」を公認している国は欧州連合(EU)ではオランダ、ルクセンブルク、そしてベルギーの3国。
スペインが検討中ということらしい。

延命装置を外すなどの「受動的な安楽死」を認める国は年々増えてきており、ドイツやオーストリアが法整備をしている。

日本では「安楽死」は全く話題にのぼらない。
世界一の高齢化国でありながら、なぜなんだろうか。
日本はまだ高度成長の遺産があるから、お金があるのだろう。

実際に厚労省のデーターで、年代別の年間医療費を見ると

40-44歳  13.0万円
45-49歳  16.2万円
50-54歳  20.5万円
55-59歳  26.0万円
60-64歳  34.6万円
65-69歳  44.5万円
70-74歳  60.9万円
75-79歳  76.1万円
80-84歳  89.1万円
85-89歳  98.7万円
90-94歳  106.7万円
95-99歳  115.2万円
100歳-   118.5 万円

となっている。
これを見ると70歳を超えても、3割負担というのは仕方ないのだろう。
手放しで長寿化を喜んでいられない。

年をとったら、ほとんど「生かされる」状態になっていく。
そこに生きる意味はあるのだろうか。

安楽死の問題はそこに踏み込むことになる。
その問題は、年寄りが語るべきだろう。




| | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
いい日旅立ち
アルペジオというのは、和音を分散して弾くこと。
何語か知らないが、ぼくは昔の新譜ジャーナルで知った言葉。
ドナドナの楽譜があって、アルペジオで弾こう、ということになっていた。

当時はそこがギターの入門だったように思う。
ピックでジャカジャカ弾く、ストロークはぼくの場合は後だった。

今やっているギターの教室では、最初にストロークをやっているが、アルペジオもあとからやり始めた。
今日は「いい日旅立ち」をみんなで弾いた。
4拍子の定番のアルペジオパターンで弾く。

それと並行して、前回からハンマリング・オンの練習。
弦を弾くと同時に左手で指板を押さえて、音の高さを変える。
決めのところで使うと効果的だ。

ネット上に、いくらでも資料はあるので、それを見て練習用の資料を作って渡す。
毎回、資料を渡して、Youtubeのオススメの動画をLineで送る。
進捗に合わせて、適切な動画を選んで送るのはなかなか難しい。
それでも、毎回2つか3つの動画コンテンツを送るようにしている。

ひとつ、リズムの読み方とかいうコンテンツは秀逸だった。
全音符、二分音符、八分音符、などの関係が動画でよくわかる。
「音大卒があなたのお困り助けます」というシリーズ。
音楽の基礎を動画でわかるようにしてくれていて、なかなかおもしろい。

今日の「いい日旅立ち」はなかなか上手にできた。
グループレッスンも調子が出てきた。

自主練習のモチベーションを維持するために、教室があるのだろう。
うまくなってくれると嬉しいもの。

月に2回だが、頑張って続けよう。




| | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
改正高年齢者雇用安定法
今年の4月1日から改正高齢者雇用安定法が施行される。
70歳までの就業が企業の努力義務になるということだ。

寿命が伸びると働く期間を増やさないと、普通は高齢になると困る。
でも、日本では年金制度があるから、困るのはその負担をする現役世代。
それでなくても、日本では当分は高齢者が増えて、社会保障の負担が増えるので若者は大変だ。
それを緩和させるために、65歳までの雇用になったが、負担増は待ったなし。
だから、70歳までの雇用を法制化しようとしている。

具体的には生産年齢人口が2050年には2015年比1750万人減少する一方で、65歳以上の高齢化率は35.3%まで上昇するらしい。
そのために、22年の4月には年金支給開始年齢は65〜75歳に選択制で拡大する。
そうしないと年金会計がもたないのだろう。

企業には何らかの70歳まで働けるような制度を入れることが努力義務となるようだ。

今のジョブ型化の動きも鑑みると、定年制度辞退を廃止する企業が増えるように思う。
能力に応じて、いつまで働くかを労使双方が決める。
年齢は関係なくなるという動きになるのだろう。
ただ、長らく続いた日本型雇用と、当分の間どういう棲み分けになっていくかが難しい。
長期的には仕事の内容と契約ベースで雇用が決まっていくということになると思う。

一方で、厚労省はずっと「正規雇用」にこだわっていた。
非正規から正規雇用へという動きこそ、年金制度を維持する上では必要だという考えだろう。
しかし、時代は日本的雇用を守るようには動けない。
そんなことをしたら、企業が生きていけないからだ。

労働組合も過去の遺物になってしまった。
非正規社員は蚊帳の外という組合はもう要らなくなる。
自立した労働者が増えていくのだろう。

これからの若い人は、自立した労働者になるべく、自分のスキルを計画的に磨いていかないといけない。
一社で一生涯などという幻想は捨てるべきだ。

一方で、70歳以上まで継続して働くとなると、本気で年功序列の制度は崩さないといけないだろう。
年齢に関係なく、能力に応じて職位を決めていかないと、単に年をとっているからというだけで組織の上の方が詰まってしまうのは、それこそ終わりだ。

公務員なども抜本的に人事制度を変えるべきだ。
まず「隗より始めよ」で役所が率先して制度を改変すべき。
厚労省から始めたらいい。

それができないのなら、役所など全部潰してやり直すべきだ。

生きている間にどこまで進むだろうか…。



| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
国立感染症研究所の役割
一昨日のブログにも書いたが、国立感染症研究所の役割は、感染を食い止めるということばかりではないだろうと思う。
去年の夏くらいの時点では、少なくとも欧米に比べて東アジアの感染の規模は明らかに小さいことはわかっていたはず。
その時点で、日本については欧米と違って感染の規模は小さく、その原因はわからないが(山中教授はファクターXと言っていた)インフルエンザと比較して感染規模を調査していれば、現状はだいぶ変わっていただろう。
それこそが、感染症研究所の役割だと思う。

マスコミがコロナコロナと煽っても、国立感染症研究所がデーターを示し、欧米と東アジアでは違うのだ、と言いさえすればよかった。
指定感染症もインフルエンザ並みの5類に下げていれば、医療体制が逼迫などしなかった。
そうすれば、今回の緊急事態宣言などなく、みんな正月を楽しんでいた。
外食産業やアパレル、化粧品なども今ほど不景気にならずに済んだだろう。

それが未だに緊急事態だという意見が9割だという。
もう止まらない。

一体何のための感染研なのか。
一昨日書いたように、超過死亡は減っている。
これが欧米なら、諸手を挙げて勝利宣言しているだろう。

これほど国立感染症研究所の人々が欧米崇拝しているとは思わなかった。
何でも欧米と同じようにしないといけない、と思っているのだろう。
欧米から教えてもらった、科学的な考え方というものを本当に理解していない。
ちゃんと数字を見て、科学的に考えれば緊急事態宣言など必要があるはずがない。

それでも、欧米が対策をすれば、日本も対策をしないといけないということになった。
最初の間は仕方がない。
でも、去年の夏くらいには欧米と東アジアは違うとわかっていたはず。
数値を理解して、指定感染症も外して、ちゃんとしていれば、今頃ファクターXもわかっていたかもしれない。
残念この上ない。

本当はそうすることが、欧米への恩返しだったと思う。

もう手遅れだが…。





| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの罪
最近非言語の問題で質問によく来る学生がいる。
今日は、損益算で未知数の置き方がわからないということと、少数の掛け算、割り算の復習をしないといけないということで、プリントを渡した。
1年留年して今は4回生だが、3回生扱い。

どんなところに就職したいのかと聞くと、とにかく接客業はダメとのこと。
スーパーのレジのアルバイトをしている時に、信じられないような大人の相手をさせられて、3ヶ月で辞めたという。
どんなクレーマーだったか知らないが、そんな大人がいるとは情けないことだと思う。

販売職は無理だが、法人向けの営業ならなんとかなるかもしれないとのこと。
それなら、だいぶ就職先が広がる。
とにかく、来年は卒業して、就職しないといけないという。

聞くと、母親とはあまり話をしない。
姉も1年留年した。
ふーん、お父さんとは話すのか?と聞くと、どこに住んでいるかわからない、とのこと。
ああ、そうなんか、と言ってしばし黙ってしまった。

自分は奨学金を600万借りているから、働かなあかんねん、という。
働いて数年は実家にいるけど、できるだけ早く家を出たいというのが希望。

まあ、そういうことになるかな…。

高校では軽音にはいっていて、ベースとキーボードをやった。
どちらの楽器も初めてで、頑張ったらしい。
夏の高校の軽音のバンドコンテストが晴れ舞台。
惜しくも上の大会に進むことはできなかったが、みんなで「いい演奏だった」と納得した。
難しい曲で、泣きながら練習したらしい。

そのエピソードは使えるなあ、と言いながら聞く。

何となく、心配な学生だ。

こういう学生の就職の機会を奪ったりしているのが、今回のコロナ騒動。
来年度の求人はだいぶ減るだろうなあ。
この国はどれだけ若者をいじめたら気が済むのかと思う。

本当に何でも欧米のマネをしないと気がすまないのか。

今日は帰り際に「来年の春は絶対卒業も就職もしよう」と約束した。



| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
公教育の立て直し
今日は学生と話をしていたら、高校時代の先生の話をしてくれた。
公立の高校で、吹奏楽部の顧問だった男性の先生で、非正規だったらしく担任は持っていなかったが、教科は世界史。
自分はどういうわけか、この先生に嫌われて、部活でいじめられたという。
先生がいじめるとは、どういうことかと聞いたら、貧乏な学校だったので、楽器を調達するのも大変で、年度替わりの時に、自分の楽器だけ借りる手配をしてくれなかった。
回りの部員が見るに見かねて、なんとかなったという。

それだけではなく、嫌われているのがわかっていたから、頑張って課題も出してテストでもそこそこの点を取っていたのだが、評定は2だった。
友人と話していたら、自分より成績が悪く、課題も出していないのに評定3がついていた。
その友人が「自分の成績が落ちてもいいから、納得できないと言いに行こう」と言ってその先生のところに行った。
そしたら、冗談交じりで「お前は2だ」と言われたらしい。
結局校長先生のところに行って、その話をして調査が入り、校長先生が謝ってくれたという。
自分は校長先生が謝らなくてもいいから、その先生に謝ってほしいと言ったがウヤムヤになったとのこと。

大学に入って1回生の時に、後輩から電話があり、自分はその先生にいじめられているのでどうしたらいいか、と言われたとのこと。
即座に、校長先生に訴えろ、と言ったとのこと。

自分の先輩はその先生にいじめられて、自殺未遂をしたという。

本当か?と何度も念を押したが、これはホントの話とのこと。
当該の教員は、今は正規の教員になって担任も持っているらしい。
ほんまかいなと思う。

一方的な話で判断はできないが、そんな先生がいるのだろうか。
話を聞いていると、ちょっとは誇張が入っているかもしれないが、本当に聞こえる。

東須磨小学校の、教員同士のいじめの話のとき、こういうことが一つ表に出るということは、たくさん隠れているということだ書いたが、全くそのとおりだ。
「えこひいき」という言葉はぼくらの時代もあったが、こんなにひどいものなどなかった。

客観的なテストの点数や課題の提出数などを確認して、それで校長が謝ったということは、本当に成績のいじめがあったということだ。

何より、自分の成績が下がってもいいから校長に言いに行こうと言ってくれた友だちがエライと言ったら、自分はそういう回りのいい人に恵まれたからガンバレたのだと思う、と言っていた。
そういう君もエライ。

何度も書くが、教職課程を見直すこと、学校に多様な人材(民間企業経験者)を採用することが必要だ。

これだけ訴えても結局ウヤムヤになってしまうのだったら、教育委員会という制度も廃止したらいいと思う。



| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
超過死亡のファクト
昨年の日本の超過死亡者数はコロナのなかった一昨年よりも2万人ほど減ったとのこと。
国立感染症研究所はそれをよくわからない報告書で書いている。

47都道府県(全国)の(2020年の)超過死亡数の積算は1319–11989で、最も多くの超過死亡数が確認された月は8月でした(1007–3839)。過去2017–2019年の1-10月の超過死亡数は、2142–23428(2019年)、4413–32655(2018年)、3327–35863(2017年)でした。

いろんな推定法があって、その数値を書いているのだが、要するに去年や一昨年に比べて大きく減っているということになる。
数値の幅は信頼区間を表すものらしいが、要は昨年は少なかったということだ。
わざわざ8月に増えているのを書いているが、トータルでは明らかに減っている。
グラフを見れば明らかだ。
どうしてこのデーターを厚労省はもっと宣伝しないのだろうか。
国立感染症研究所の人たちは、感染症を抑え込んだということを明らかにしたくないのだろうか。

欧米などの感染症による死者が多い地域ではその逆で、超過死亡者数が大幅に増えており、その数字はほぼコロナの死者数に近いということだ。
先進諸国の中で大幅に超過死亡がマイナスの国が日本。
欧米の基準でいけば、もう全てを解除して、通常の生活に戻れるレベルだろう。

ネットにこんな情報が出ているのに、マスコミは全く言及しない。
新聞、テレビなど全てを通じて、コロナは怖い、の一点張りだ。
PCR検査をやっている医師などは儲けるために煽っている。
感染研の医師などは、自分たちがもてはやされるためにやっている。
ただ医師というだけで、わけも分からず煽っている人もいる。
岩田健太郎という感染症の「専門家」など、今でもゼロコロナなどと言っている。
どうなっているのだろう。

政治家も、下手に勝利宣言でもすると、国民から見放されるのが怖くてそれが言えないのだろう。
菅氏はきっとそう思っているのだろうが、周りに流されていると思う。

結局真珠湾攻撃に踏み切ったのも、国民の圧力だったのだ。
今回の騒動でそれがはっきりわかった。

マスコミは自分たちが儲かればそれでいい。
コロナの騒動が終わってしまえば、また高齢者しか見向きしなくなるのが怖いのだろう。
正論をいうマスコミは存在しない。
そうやって、マスコミと国民の圧力で真珠湾攻撃にGOサインを出した。

未だに緊急事態宣言の支持が90%という。
どこまで確かなアンケートかはわからないが、それを正すのが本来のマスコミの役割だろう。

第二次大戦の時は、終わったあとにアメリカが占領してくれて、全てリセットされた。
結果的にそれが高度成長の道筋をつけた。

今回は100兆円のお金をコロナ対策に使って、GDPを減らし、借金を増やしただけだ。
何がWithコロナなのか。

つくづく、日本人はバカになったと思う。
いや、なったのではなく、もともとバカなのだ。
第二次大戦から何も変わらない。

バカは死ななきゃなおらないのだ。






| | 考えたこと | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイナーブルース
セブンスコードばかりで構成されているのが、普通のブルース。
キーがCなら、C7、F7、G7の3つだ。

それがマイナーになるとマイナーブルース。
キーがAmなら、Am7、Dm7、E7、Bb7-5あたりが出てくる。
通常の12小節のブルースだが、最初の4小説はずっとAm7が続く。

前回、今回のレッスンで、このマイナーブルースをどうやって弾くかということを先生に聞いた。
Am7が4小節続く最初のところは、単調になるので変化をつけたいという。
どうつけるのですか?と聞くと、Am7/E7というコードに読み替える、という返事。
時と場合によるが、そういうやり方もあり、ということだ。

E7というコードはAmと相性がよく、次はAmが来るぞというときに弾かれる事が多い。
これをドミナント・モーションというのだが、そういう組み合わせは常に可能ということだ。
そういう組み合わせのコードトーンなどを弾いて、変化をつける。

セッションの時など、今どこをやっているのかわからなくなることがある。
メンバーがそうなったと思われるときに、E7を強調したソロを弾くと、ここだ!とわかることもあるという。
ふーん、そういう風に、音楽で会話しているのかと思う。
こういう音を弾いたら、ここやで、ということだ。

ギターのプロの話を聞いて、ちょっと音楽での会話を垣間見れた。

そういう風になりたいが、もう無理だろうなあ。



| | 考えたこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
エクセル方眼紙2
2017年にもエクセル方眼紙について書いた。
あれから3年経って、もうなくなったかと思ってたら、最近また見る機会があった。
官公庁の書類だ。

これを使っている限り、デジタル化の根本的な考えがわかってないのだと思う。
文書をエクセルで作るか、ワードで作るかの違いではない。
完全に「ナンチャッテ」デジタル化だ。
そんなものを使っている部署は、全くアナログの世界で生きていると言っていい。

エクセルというツールは表計算ソフトだったが、最近はデーターの解析ツールとして使うことが多い。
元になるビッグデーターから、必要なものを切り取って出力し、それをエクセルで解析する。
脱エクセルという動きもあるが、今はそういう使われ方が主流だろう。
定形書類は専用のアプリケーションになっていると思う。

文字を扱う昨日も初期からだいぶ増えた。
数字だけでなく、文字列も解析できる。
そういうソフトウェアだと思う。

つまり、一つの列の同じ属性のデーターを入れて、いくつものデーターを比較したり、抽出したり、いくつかの列を計算したりする。
そういうソフトウェアだ。

それを行の頭を揃えるためのワープロ代わりとして使っている。
単に書類の見た目だけの問題。

それならワードでインデントを使えばすむだけの話。
本当にITのリテラシーがない。
それを組織として使っているということは、組織の中の誰もそういうことを考えていないということだ。

例えて言えば、数千万円のポルシェを買って、押して歩いているようなもの。
全く使えていないということだ。

これが官公庁の生産性が低い原因の一つ。

思い出したから書いておく。


| | 考えたこと | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
官公庁の労働生産性
日本の生産性はOECD諸国の中で最下位グループというのは事実。

日本の就業者1人当たりのGDPは、危機的だと超整理法の野口教授も書いていた。
2018年のデーターでは、日本は韓国やトルコ、スロベニアにも抜かれて、アメリカの58.5%でしかない。

実際、高度成長時代の仕事のやり方にあぐらをかいて、仕事のやり方を変えようとしない中高年は巷に溢れている。
すでにいろんなところで日本型の雇用が今やマイナスになっていることは明らか。
それでも、変わらないのが、長期停滞の原因の一つだと思う。

まだ民間企業はマシだ。
変わらないと食っていけないから、国外に工場を移したり、否応なく人材を活用する方法を模索している。
国内の中小企業も、補助金で食っているところもあるが、One and onlyの技術力で食っているところもある。

それに比べて、官公庁はひどい。
前にも何度か書いているが、そこを批判しないマスコミはどうなっているのだろう。
本当に役に立たない。
マスコミが数字のリテラシーもなければ、ITのリテラシーもないから仕方ないか…。
そういうことを言っているのは、維新の会くらいだろう。

公務員試験など、必要な人材が変われば選別方法も変えるべきなのに、全く変わっていない。
教員も同じだ。
バカのひとつ覚えと言ってもいいレベル。

最近は改善の兆しがあるが、デジタル化(IT化)の遅れは相当なもの。
とにかく人を減らすということを考えない。
平成の大合併で自治体の数は減ったが、公務員は非常勤を入れると減っていない。
非常勤の分だけコストだけは下がったが、ITが使えず、仕事ができない年寄りは増えている。
そのせいで、関係する外郭団体や民間の国内が主戦場の企業のIT化も遅れている。
それが労働生産性を下げているのだろう。

政府はデジタル化を進めるというが、なかなか進まないだろう。
デジタル化の主たる目的は、省人化だ。
仕事をデジタル化し、関わる人を減らす。
余った人材を別の産業に回す。

1990年代から2000年代にかけて、グローバルな民間企業でやったのはそういうことだ。
社内の余った人材を別の部署に回したりして対応した。
ITがわからない、などと言っていられない状況だった。

公務員にはそんなプレッシャーなど一切なく、今もPDFの書類を送って、それをエクセルで打ち込むというような仕事をしている。
エクセルで方眼紙を作り、それでワープロ代わりに使っているのも役所だ。
よくこんなバカな使い方ができるものだと思う。

早く官公庁のデジタル化を進めないと、日本の生産性は最下位のままだぞ。




| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
音楽の効能
音楽の効能については何度か書いているが、チューリヒ大学のグループから、また新しい研究結果が出された。
それによると、「音楽をやっている(したことのある)人の脳は、そうでない人に比べ、脳領域の接続レベルがはるかに高い」ということらしい。

たとえ音楽をやめてしまったとしても、子供の頃に培った音楽の力は一生を通じて効果があるということだ。
調査結果は、音楽をやっている人の脳は、生まれ持った音感とは関係なく、構造的・機能的な結合が強くなっている、というもの。
103名のプロの音楽家と、音楽をやらない50名が参加して検査した結果だ。

プロの音楽家のうち、51名は絶対音感を持っていたが、その有無にかかわらず、脳の構造的・機能的な結合が多かったとのこと。
特に会話と音に関する領域で顕著。

まあ、音を扱うのだから、当然といえば当然だ。

その人たちの脳の聴覚皮質は、記憶・作業領域・実行機能といった高次の認知機能をになう領域とも緊密に結合している。

これも、音を扱うのだから、当たり前のように思えるのだが、そこから言語の学習や知能のような能力も向上させている可能性がある、という。

そうかもしれない。
ただ、これまでダンス、バレエ、ゴルフ、チェスなどの活動が、脳の好ましい変化を生むことが観察されてきたとのことだから、何かをやると脳は成長する、ということだろう。

結局はなにもせずボーッとしていたら、脳はだめになるということだろう。

日本の年寄りは、自宅や施設で歩けなくなっても、正月に今まで食べていた餅も食べさされず、こけると危ないからベッドに寝かされて、リスクを減らして、年金をもらって生かされている人も多いように思う。

そういう状態は、最も脳に悪いということになる。

だから、必然的に認知症が増えている。

こないだ紹介した萬田先生が書いていたが、日本人の長寿は、強くなって長寿になったのではなく、弱くなっても死なないから長寿になったということだ。

ぼくはギターは続けていこうと思う。




| | 考えたこと | 19:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
リモハラ
在宅勤務でのハラスメントのことを「リモートハラスメント」というらしい。
略して「リモハラ」だ。

在宅勤務ではZoomなどを用いて、打ち合わせが頻繁にある。
定年後の嘱託勤務をやっている人に聞くと、朝から課内ミーティングがあって、その後担当者別に進捗報告などもあるという。
マネジメントの立場になると、進捗管理が仕事ということになり、細かく聞いてくる上司もいるのだろう。
まあ、それしか仕事がなければ、ずっと一人ずつと打ち合わせということにもなる。

リモハラの一つはその打ち合わせの中で、オンラインで部屋の様子を聞かれたり、服装のことを言われたりすること。
そうなるとカメラをオフして声だけでやるしかない。
別にそれでも用事はすむ。

リモハラと呼んで、区別しているが、要はセクハラやパワハラをオンラインでやることと同義だ。
パワハラ、セクハラのオンライン版だという説明もあった。

上司の立場を考えると、「部下の仕事の状況を確認することが仕事」ということになれば、チェックの頻度を上げることもまあ正当化される。
部下にとってはそれを「過剰な干渉」と感じて、ストレスを感じ、ハラスメントということになるのだろう。
上司が部下の仕事の進捗を管理するということだけを仕事にしていて、部下の人数が少なければ、どうしてもそういう状況になる。
オンラインでの打ち合わせ以外に、管理する方法はいくらでもあるのだが、それしかできない、というのが問題だし、そもそも「部下の仕事を管理するだけ」という仕事が問題なのだと思う。
上司もその上の上司にとっては部下であり、自分の仕事があるはずだからだ。
いままでメンバーシップ型でやってきた仕事の体制も、悪い方に働く。
一人ひとりの仕事の定義があいまいだからだ。

実際、半分以上の管理職も在宅勤務でストレスを感じ、部下とのコミュニケーションで悩んでいるとのこと。
上司は上司で悩んでいるということか。
上司の仕事自体も、ちゃんと定義されていないという問題もある。

双方がストレスを感じた状態で打ち合わせなどやると、ハラスメントを感じる比率も上がるのだろう。
だいたい年寄りはリモートワークのツールなど、不慣れなことも多く、慣れないチャットなどできつい表現になったりするらしい。
このあたりは、受け取る方の問題もありそうだが…。

2度めの緊急事態宣言も延長されたし…。
バカバカしいことだと思うが、やりたい人が多いのだから仕方がない。

そのうちリモハラで訴訟が起こるだろうなあ。






| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
読解力が大事
プレジデントオンラインに新井紀子国立情報学研究所教授が「9割が教科書を読めていない」という記事を書いていた。
文字が読めることは「識字」といい、それは文章を読んで意味がわかる「読解」とは違うものだという。

その中で、教授が言っている「読解力」がどんなものか、という説明に納得がいった。

「算数の計算問題は解けるのに、文章題になるとわからなくなる」
「解けないのではなく、問題文が理解できないのだ」

文章題が解けるか、あるいは解けなくても意味はわかる、という学生は下位の大学では非常に少ない。
この問題は今から10年以上前から明らかだった。

仕事算という小学校の割合の問題がある。

Aさんはある仕事をやり切るのに10日かかります。Aさんが3日間仕事をしたら、どれだけ残っていることになりますか?というような問題。

就活筆記試験の参考書などを見ると、仕事算は全体を1と置く、と書いてある。
だから、全体を1と置いて、Aさんの一日の仕事量は1/10ということになる。
したがって、3日間で3/10の仕事をしたことになる。
どれだけ残っているかというと、全体の1から3/10を引いて7/10が答え。

この答えを導く解説を読んで、3日間で3/10だから、残りは7/10と書いてある部分がわからないから質問に来る。
1は10/10だから、10/10から3/10を引いて、7/10という説明がなかなか理解できない。
「1と置く」という表現の「置く」という意味も曖昧になっているかもしれない。
結局は線分図を描いて、理解させることになる。

こういう具合に、文章を読んで理解するためには識字力だけではダメということがわかる。
この学生の場合は、全体を1とおく、という部分がネックだった。

新井教授はさらに、「語彙の不足」が問題だという。
たしかに、この場合は「1」という言葉の意味がわかっていなかった。
この学生は10日間で仕事を終えるから、1/10と機械的にやっていた。
この1/10の分子の「1」の意味がわかっていなかったということになる。
結局は、「分数」の意味がわかっていないということだ。

こういうことが、就職筆記試験の手伝いをやっていると山のように出てくる。

記事には、

「文中の言葉の95%以上を理解していないとすらすら読めないという研究結果があるように、語彙の不足は読解のネックになります。特に、算数や理科で使う言葉は日常で使う意味とは違う場合もあり、それを理解していないとたった1行の文章でもわからなくなってしまいます」

とあるが、全くその通りのことが起こっている。
要は「数学が苦手という人のほとんどが数学の文章を読むことにつまずいていることがわかります」ということだ。

「今の子が活躍する2030年代には、事務職の50%がAI(人工知能)に代替されることが予想されます。つまり、文系の人が就く事務系の仕事は減り、賃金が安くなることが考えられます。一方、あらゆる分野がテクノロジーと関わることから、多くの仕事に理系のリテラシーが求められるようになるでしょう。その時代に職を失わないためには、文系でも理系の基礎知識を併せ持っていなければならない。プログラミングも関数も何もわかりませんという状態では、15世紀の人がタイムマシンで21世紀にやって来て働くような状況になってしまうのです」

現実にどうなるかはわからないが、文系でも理系のリテラシーが必要、ということは明らかだろう。
そうでないと、機械に使われる側になってしまうおそれがある。

新井教授というとAIが東大の入試を通るかという研究で有名だが、今はこの読解の問題に力を入れている。
頑張ってほしい。







| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
留学生
こないだから中国からの留学生の相談にのっている。
どうしてこの履歴書、自己紹介書が通過しなかったのか、教えてほしいということだ。

日本の新卒の求人のシステムが良くわかっていない。
ナビサイトを使ってみたり、中途の求人サイトを使ってみたり、やっていることが無茶苦茶だ。
とにかく、日本で就職して、生活したいという気持ちが上滑りしている。
それが「夢」なのだ。

中国の地方の出身。
高校生の時から日本に興味を持った。
旅行で日本に来て、日本のアニメや桜、おもてなし、真面目な国民性などに憧れた。
高校を出て、働きながら通信制の大学を卒業した。
その傍ら、日本に来たいという憧れが捨てられず、日本語教室に通って、中国にいて日本語検定N1を取得した努力家。
その後何度か転職して、中国で日本人に中国語を教えるという仕事につき、働いてお金をためて、ようやく2019年に来日。
日本語学校を経て、2020年に短期大学に入学したという経歴。
年齢は30歳だ。

日本の新卒のシステムは大学卒業者というものの、職歴のある30歳は想定していないから、学校に来る求人や新卒のナビサイトの求人はすぐには対象にできないということだ。
かなり日本語はできるのだが、まだまだ日本の文化には馴染んでいない。

今日も相談していて、本当に日本人は真面目だと思うか?と聞いたら、中国に比べたらみんな真面目です、という。
アニメも好きだし、桜はきれいだという。
本当に日本が好きで、日本で就職して生活したい、という。

とても30歳には見えないほど幼い感じ。
中国の田舎出身だからだろう。
でも、みるからに真面目で好感の持てる学生だ。
今もアルバイトで日本人に中国語を教えているという。

でも、中国語教師の仕事では正社員はないらしい。
いくらでも代わりがいるのだろう。
中国人の留学生は多いからだ。

父母はまだ健在で中国にいるという。
でも、自身はずっと日本で働きたいと言っている。
それほど日本がいいと思っているのだろうか。

彼女のような日本のファンを、日本で就職させてやりたいと思う。
日中関係はさほど良くないが、そんなことは関係ない。

個人と国家は別なのだ。





| | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
地球温暖化?
NHKが温暖化対策の番組をやっていたらしい。
緊急事態宣言から、ほとんど地上波のニュースも見なくなった。
NHKすら煽るだけのニュースを流し、見る気がしないからだ。

杉山大志というキヤノングローバル戦略研究所の人が、その番組を統計でファクトチェックした記事を読んだ。
温暖化については、アブラゼミがいなくなったり、霜が降りなくなったり、最高気温記録が出たりしているから、気になっていた。
海水温が上がっているのは事実らしいし、温度が上がるということはエネルギーが大きくなるということで、台風が大型化するのは科学的だからだ。

実際にファクトチェックをすると、気象庁のデーターで全国の1951年から2010年の最高気温の平均値は変わらない。
台風の発生数も増えていないし、強い台風の割合も増えていない。
世界の山火事は減っている。
これがファクトとしてのデーターだ。

杉山氏は、まず若者は誰でも手に入る統計の読み方を学ぶべきであり、事実関係を確認すべきだ、と書いている。

ぼくも今回データーを見て本当にそう思った。

都市部が暑くなったのは、コンクリートやアスファルトが増えたからだろう。
実際、気象庁によると東京の平均気温は1905年から1999年で3度以上上がっている。
ヒートアイランド現象というやつだ。

要するに、地球の温暖化は統計では明らかではないが、ヒートアイランド現象で都市部の温度が上がっているというのが事実。

どうしても都市に住んでいると、夏は暑くなったし、冬の寒さはマシになったと思って、それが地球規模で起こっていると錯覚する。

今の温暖化キャンペーンはそこを履き違えている。
まともなマスコミが注意喚起してくれたらいいのだが、最近のマスコミはNHKまで恐怖を煽る戦略に出ているから、信じられない。

都市部のヒートアイランド対策がまず必要だ。





| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
教員の質向上
中教審がICT(情報通信機器)を活用した学校教育を巡って、教員の指導力を向上するための制度改正などの答申をまとめたとのこと。

ようやく、教職課程に情報機器の活用法を学ぶ科目を新設し、現職の教員への研修を充実させるなどの対策が入った。
ぼくは今の義務教育は崩壊状態だと思っている。
それは何より教科をいじくり回し、基礎教育をおろそかにした上に、英語やプログラミングを追加しているにも関わらず、教職課程を全く変えずにやり過ごそうとした文科省の責任だ。
教員になる人材のことを真剣に考えず、省益を考えて人数ばかり増やそうとしたツケなのだ。
そこには教育学者たちの怠慢も含まれると思う。
結局、自分たちの仕事を続けるために、学生の質を落とし続けてきたのは事実。

また、遅ればせながら今の教員の能力不足を補うために、理科、算数、英語などで教科担任制を5.6年生に22年から導入するという。
理科と算数、英語が例に上がっているのは、今の初等教育課程修了者たちの能力が低いからだ。

小学校の先生になるためには初等教育課程を修めねばならず、その学部は文系に属している。
文系の教育学部で数学、理科(物理、化学、生物)を入試で必須にしているところはないと思う。
つまり、数学と理科を捨てても入学できるということだ。
さらに、これは一般入試の話で、今は推薦やAOで実質的にほとんど無試験で入る人たちが半分もいるのだから、教員の資質が担保されるとはとても言えない。

そんな状態を30年近く放置して、教員の質の向上などちゃんちゃらおかしいと思う。

でも、そんなことは言っていられない。
教科担当にはぜひ教職課程を修めていない人、民間企業経験者などを雇うべきだ。

学校のデジタル化はひどいものだ。
せっかくIT機材を買っても、使えないから放置されている。
IT機材というのは、時間を買うようなものでどんどん陳腐化していく。
そんなところに買うのは無駄なのに、教育委員会もバカばかり。

言葉は悪くなったが、本当にそうなのだから仕方がない…。






| | 考えたこと | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) |