考えたこと2

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日本総研のレポート
日本総研が「新型コロナ感染が再拡大 本当の脅威は何か?」というレポートを出した。

Wikipediaによると、日本総研は「株式会社日本総合研究所(にほんそうごうけんきゅうしょ、英称:The Japan Research Institute, Limited.、略称:JRI)は、東京都品川区に本社を置く、三井住友フィナンシャルグループのシステムインテグレーター(ユーザー系)である。シンクタンク部門やコンサルティング部門も持つ。略称は日本総研 。」というもの。

日本を代表するシンクタンクだ。

そのレポートの要点は、

「7月入り後、新型コロナの感染者が再び増加。もっとも、若年・壮年者が増加の主で、重症者・死亡者も抑制されていることから、過度の懸念は不要。政府が7月10 日に実施した活動制限の緩和も理にかなった判断。

新型コロナの本当の脅威は、感染者の増加よりもむしろ、国民の間に浸透した萎縮心理。根強い自粛ムードが活動再開の足枷に。結果、膨大な需要不足による倒産・失業の増加、子どもの成長阻害を通じて、長期的な潜在成長率を低下させる恐れ。

活動再開を軌道に乗せるために、政府が三つのメッセージを発信することが必要。
?「若年・壮年者にとって新型コロナは脅威でない」
?「感染者が増えるのは心配ない」
?「日常生活を取り戻そう」

新型コロナを冷静に正しく恐れ、日本独自のウィズコロナ社会を設計することが重要。そして、わが国で解明された科学的エビデンスや、それを基に構築された社会的取り組みを、世界に向けて積極的に発信すべき。」

調査部のチーフエコノミストのレポートだ。

「新型コロナの本当の脅威は、感染者の増加よりもむしろ、国民の間に浸透した萎縮心理」ということだ。
それを煽った一部の専門家の罪も、マスコミの罪も、一部の首長たちの罪も重い。
基準が変わったPCR検査の陽性者の数がいくら増えても、重傷者や死者は全く増えていない。
そういう報道を意図的にか、全くしない。
もう指定感染症を外して、軽症者や無症状者を入院させるようにしないといけない。
死者の比率の高い70代、80代や、基礎疾患がある人は自粛をしてもらって、国内だけでも経済活動を再開しないと、本当に自殺者が激増することになる。

このコロナ騒ぎを冷静な目で分析すれば、そういう結論になると思う。

でも、いくらこういうものが出ても、全く収まる気配もない。
一旦植え付けられた感情は、そう簡単に消えない。
それが命に関わる(と思っている)ことなら、余計のことだ。

「新しい生活様式」を全年齢一律に無理強いするのは見直すべきだと言っている。
そのなかには、必ずしも科学的根拠に基づかないで実施されているものもあるという。
漠然と多くの制限を導入すればするほど、社会・経済が回復する際の足かせとなる。

まことに時宜を得たレポートだと思う。
願わくは、一人でも多くの政治家が目を通してほしいと思う。

早くしないと、本当にどんどん倒産が増えて、二度と戻らなくなってしまう。



| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
感情の壁
ツイッターでストラテジストの永江一石氏がコロナについてツィートしている。

「インフルエンザワクチン有効率は70%。ワクチンがあっても流行時は超過死亡3万人になる。そして罹患しても無症状が40%。ワクチン接種しなくてもかからないという人はこの類い。無症状だから高齢者にうつすと危険ならインフルエンザ流行時も自粛必須。同じ理由でコロナのワクチンできても死ぬ人は死ぬ」

「テレビで土屋教授というかたが、何もしなければ来週には感染者が一日3000人になると煽っているそうだ。
しかし、来週3000人には100%ならないと断言できる
3000人になるためには一日の検査件数を10万にしないとならんから。www」

「ワクチンも抗ウイルス薬もあるインフルエンザだって夏でも月に10人から20人以上は無くなるのに、コロナは7月になってからずっと重症だった方が8人。
インフルエンザでは、コロナの累計以上の人数が1ヶ月で亡くなっている。
みんな、インフルエンザを知らなすぎる。インフルエンザの無症状率は40%。無症状が高齢者にうつすから自粛なら、我々は一生自粛しないと。」

「医クラの皆さんの本音は「コロナは実は他の怖い疾病に比べたらたいしたことないが、これで気が緩んで死者が多少でも出ることを食い止めたい」というところだと思う。NYみたいに死ぬとは誰も思ってないはず。
現実は観光をはじめとして経済活動はほとんど止まり、いまはそちらの死者を考えるときですよ」

「ヨーロッパではすでにそうなった。日本は高齢化社会でリテラシーが低い人がたくさんいる。警鐘を鳴らし続けて働き盛りや若者を殺すのはどうか、もう「我々には経済はわからない」とか言ってないでちゃんと考えるときです。経済の専門家のいうことは恐怖におびえた大衆は誰も聞きません」」

「イギリスもイタリアもフランスも死者がほとんどいなくなってきて国境を開いて経済を再起動しているのに、同じく死者がほとんどいなくなった日本がいまだに怖い怖いって騒いでるリテラシーの低すぎる件について
日本は検査方法が変わっただけと100万回言っても理解できない」

「「コロナは無症状でうつすから怖い」という人に
インフルエンザの無症状は40%だし、コロナの30倍死んでる肺炎球菌も発症してない子供の保菌率8割だよというと、全くスルーして、ふと見ると
「コロナは無症状でうつすから怖い」
とまた言ってる件
お前らの脳みそ、蠅なみか!?」

永江氏はツイッターで毎日こういうことを書いて奮闘している。
本当に若い人や経済を心配して、こういう言い方になっているのだろう。
もう疲れた、と書いていることもあるが…。

でも、本当にデーターを正しく見て、意味を考えればこういう結論になるはず。
この奮闘ぶりを見ていて、本当に頭が下がる。

専門家がこういうことを言ってくれないと、マスコミ御用達の専門家が煽り、マスコミが煽ったコロナの恐怖心はなくならない。

少なくとも、今感染者が増えている理由は「37.5度、4日以上」というPCR検査の条件を取っ払ったことと、検査キットの精度が上がったり、能力が増えたりしたことだろう。
ちゃんとした症状がない人たちにインフルエンザの検査をしても、同じような結果になるはずだ。
それを第二波とか、感染拡大と言って、結局収入が減らない年寄りが若い人たちの教育機会を奪い、働き盛りの人たちの働く場所を奪っているのだ。
その年寄りの代表が、医者や政治家。
現場はもうやめてくれと思っているはずだ。
日本の若い人たちはおとなしいから、そういうことに反論しないが、ぼちぼち立ち上がったほうがいい。

人間は感情の動物だから、普通の人は死の恐怖という感情の壁はなかなか超えられないのだろう。

それを超えられるのは、実際に教育機会を奪われ、働くところを奪われた人たちの怒りしかないのかもしれない。


| | 考えたこと | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
情報弱者
情弱とは、情報弱者の短縮形だが、ネットスラングでは蔑称の意味もある。

初期の情弱は「情報を入手するための環境が整っていないなどの理由で、十分な情報が得られない」という意味だった。
これは情報弱者ということだ。
しかし、日本では今やネット環境はほぼ整ったし、そうでなくてもスマホがあれば情報は得られる。

そういう環境で、情弱という言葉は「情報収集能力が低い人、または情報を知っているのに十分に活用できない人という意味の蔑称」になる。
日常会話では使わないほうがいい、とされている言葉。

不名誉な言葉だが、自分が情弱かどうかを測るチェックリストがあった。
これらに当てはまると、情弱の可能性があるということだ。

1.SNSで見た情報をすぐに信じる。

SNS上には御存知の通りフェイクニュースがたくさんある。
それをすぐ鵜呑みにしてはいけない、ということ。

2.自分で調べない。

受け身ではなく、ポジティブに情報を信頼できるところに調べに行くことも大事だ。

3.銀行の引き出し手数料が毎月かさむ

今や銀行の引き出し手数料を無料にする方法がいくつもあるので、それを指定ない人は情弱だということ。

4.社会、経済などのニュースに興味がない。

こういうはちゃんとキャッチアップしておこう。そうすればデマに引っかからない。

5.新しいサービスは面倒なので使わない。

これは耳が痛い。面倒くさいのだが、こういうものを積極的に判断して使っていると情弱にならずに済む。

6.スマホのキャリアサービスなどを見直さない。

これはぼくも見直して変えた。今はSIMフリーだ。

7.自分の常識や価値観を疑わない。

これも耳が痛い。ぼくはついていっている方だが思うのだが…。

ぼくらが若い頃と違って、インターネットができて、時代の変化が大きくなった。
江戸時代なら、そんなに価値観は変わらなかっただろうが、今や広告業界や自動車業界のように、20年前の常識が通用しない業界も多い。
情弱にならないためには、努力も必要なのだ。

違う味方をすれば、情弱になる人たちは、自ら努力をせず、願望とファクトの区別もつかず、自分の見たいものだけ見て、不都合は他人のせいにする、ということを言っている人もいる。
だからこそ、情弱という言葉が蔑称になるのだろう。

キャリアの世界でも、他責の人はなかなか仕事が見つからないという。
他責というのは、何でも他の人のせいにする、ということだ。
自分が理想に近づけないのは、誰それが悪いから、という考え方。
それでは一生自分の理想には近づかない。
たとえ誰かが邪魔しているとしても、自分が目の前の仕事で努力して近づこうとすることが大切。

そういうことが理解されにくくなってきた。

困った時代だ。





| | 考えたこと | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
在宅効果
在宅勤務が広がって、いろんなことが起こっている。
驚くのは「異常な人」が多いこと。

まずは、微熱が出て保健所や病院に相談して、処方された薬を飲んで、念の為2週間休んで体調も良くなったので出勤すると言ったら、新型コロナの感染を疑われ、「病院からコロナに感染していないという診断書を持ってこなければ会社に出るな」と言うような人。
これは完全にコロナ脳でおかしくなっている。

2週間症状が出なければ、人にはうつさない。
病院の医師がPCR検査必要なし、と判断したから、そういう処置になっている。
2週間休んだのは、本人が気遣ったのだろう。
もっとそういうことをマスコミが伝えるべきなのだが、そのマスコミが怖い怖いの一点張りだから、どうしようもない。

そういう「陰性証明書」を持ってこいという理不尽な要求は多いそうだ。
派遣先で微熱があった派遣社員は、「コロナウィルスの可能性があるので解雇する」と言われた事例もある。
もっとひどいのは「コロナに感染したらクビにするぞ」というような事例。
そういう経営者はたいがい年寄りなのだろうが、そういう人たちが自粛すればいいのだ。
過剰反応もここまで来ると驚く。

そういう経営者のもとで、定年後の再雇用の人が感染を恐れ、出勤以外一歩も出かけることなく自粛を続けているという話もある。
経営者が神経過敏になると、社員もストレスまみれになるのだ。

実際、そういうコロナ感染過敏症に悩まされている人は多いと思う。
感染したら、勤め先の部署の濃厚接触者が2週間出勤停止になるから、部署の仕事が止まってしまう、というプレッシャーがあって、なかなか自由に出歩けない、というやつ。
日本は同調圧力が強いから、こういうのには弱い。

学生や、若い人たちはそんなに気にしないから、そういう人の感染が増えているだけだろう。
ほとんどが無症状であり、死者も重傷者もほとんど増えない。

いま問題になっているのは、正確に言うとPCR検査陽性者だ。
感染者ではない。
遺伝子のかけらが6個以上あれば、陽性ということになっているらしい。

今までは37.5度以上の発熱が4日以上続き、疑わしい人にだけPCR検査検査をしていたが、今はマスコミからバカみたいにPCR検査を増やせという声も出て、37.5度以上の発熱の条件を外してしまった。
つまり、軽い風邪の症状が続く人ならみんな検査することになった。
検査を増やせば、陽性は増えるだろう。
しかし、大事なのは重傷者数と死者数だ。
こないだ紹介した高橋泰教授の説明は、なぜそれらが欧米の1/100になっているのかの説明だった。

これを正しく理解して、今やるべきことは指定感染症を外し、インフルエンザと同じ5類にすること。
それをやろうとしているのは、ツイッターによると維新の会だけだ。

与党も維新を除いた野党も、重傷者や死者の数に言及しない。
もちろん、テレビも同じ。

どうにかならないものか…。




| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
アルキメデスの大戦
こないだWOWOWでやっていた「終わった人」という映画を見た。
舘ひろしが定年後のサラリーマンを演じていて、なかなか面白かった。
舘ひろしというと、「太陽にほえろ」とか「西部警察」、「あぶない刑事」などの刑事モノで記憶していたが、いい年になってコメディもできるようになった。

その彼が山本五十六の役をやっている「アルキメデスの大戦」を見た。
あの刑事役でサングラスでバイクに乗っていた彼が、山本五十六の役をやるなんて想像していなかった。
別に舘の身内ではないが、感無量だ。

「アルキメデスの大戦」は、史実に基づいているが、基本的にはフィクション。
数学には世界を変える力がある、と思うに至った若き数学者のドラマ。

関東軍の暴走、大艦巨砲主義にこだわる海軍、財閥との癒着などが描かれる。
阿川弘之の戦記物を読んでいると、背景がよくわかる。
この映画だけを見ても、よくわからないかもしれない。

海外ドラマでも物理学者が主人公のものがある。
扱うのはもっとモダンな数学で、それと比べるとだいぶレベル差がある。

邦画で理科系のドラマを作ると、こういうふうになってしまうのか、と思う。
単に数字の記憶力がいいとか、計算が速いとか、資料を一晩で読んでしまうとか、そういう描き方になってしまう。
もっと専門的なアドバイザーを入れて、ちゃんと作ったほうがいい。

ともあれ、戦艦大和の誕生ストーリーとしては面白い。
この艦を設計した意図は、日本がアメリカと戦争をしたときに、最後に出撃し凄惨な最期を遂げることで、日本人に戦争を止めさせるという意図だという。
それ自体は、なかなかよくできたフィクション。
一度始めると、やめられないという日本の失敗のパターンをよくわかっている。
今のコロナ対策と同じだ。

何となく精神論で終わってしまう。
そこが日本の映画なんだろう。

今の日米の差を表している。





| | 映画・舞台 | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
飲み会文化
アメリカ人やヨーロッパ人は酔っ払わない。
酔っ払わない、という意味は、要するに意識を失って前後不覚になることはないということ。
彼らも陽気にはなるが、我を忘れるほど飲むことはない、ということだ。

日本ではそうとは限らない。
ベロベロになるまで酔って、歩けなくなっても、それは許される。
遠く、400年以上前に日本に来た宣教師が、「日本人は酒をしつこくすすめあい、酔っ払うことを恥辱ではなく名誉だと考える」と書いているらしい。
欧米人からみると、酒の席で酔っ払って前後不覚になることは恥辱だったのだ。
たしかに、欧米人がそんな姿になるのを見たことはない。

海外出張に行くと、まれに駐在ではなく現地の人たちが宴会をしてくれることがあった。
家によばれて、奥さんの手料理を食べさせてくれることもあったし、スポーツバーで一緒に飲み食いしたこともある。
でも、ごく少数のメンバーで滞在中1度だけだ。
もともと、そういうことはあまりしないのだろう。
日本に来たことがある人が、恩返しのつもりでやってくれたという感じ。

彼らが日本に来たときは驚いただろうと思う。
当時は、部署をあげて、歓迎会と送別会をしたものだ。
若手の英語の練習にもなる、とかいうこともあった。

当人はあまり居心地は良くなかっただろう。
みんながみんな英語を話すわけでもなかったし、なんやこれ、と思っていたに違いない。
中には酔っ払って管を巻く人もいたから、余計に驚いただろう。

80年代末くらいから、以前勤めていた会社でも、社内に飲める場所ができたりした。
今なら「えー?」という人が多いだろうが、当時はバブルの末期で、そういう場所が作られたりしたものだ。
ぼくも何度かそこで飲んだことはあるが、周りに気を使ってどうも心地よく酔えない。
今はどうなったのか、わからないが…。

というわけで、世界の標準ではない日本の飲み方だが、コロナで様相が変わってきたらしい。
今回のことで、ITを使ってリモートワークをする時代になってきた。
会議に出るのと、判子を押すのが仕事だった人は、本当に仕事がなくなる。

「付き合い残業とかおじさんが大好きな飲みニケーションは、中長期的には廃れていきます」

立命館アジア太平洋大学の出口学長はそう言っている。

ぼくも勤めていたときにはよく飲みに行ったものだが、それもだんだんと変わっていく。
結果的に海外に近づくのかもしれない。

ちょっと寂しい気もするが、時代の流れなのだろう。

またしても、老兵は去りゆくのみ。


| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
漢字比率
エントリーシートを書く学生でよくあるのは、漢字が多すぎること。
漢字でできた言葉は、意味が広くて、言いたいことが具体的でなくなる。

自己PRを書くときには、「協調性があります」というより、「回りを気遣って、みんなと仕事をすることができます」と言ったほうがイメージしやすい。
読み手がいかに具体的にイメージできるかが重要になる。
ナントカ性とか、ナントカ力というのは、便利だが抽象的なので、結局何が言いたいのかわからない。

字数を制限されていると、どうしても漢字を使って圧縮したくなる気持ちはわかる。
ある程度は仕方ないが、漢字で意味を圧縮すると、イメージできなくなって伝わりにくくなる。
そうすると、落選率が上がる。

ワープロの弊害もある。
何でも漢字にしようとする。
最近のはマシになったが、以前のはひどかった。
と思って調べたら、3年前にも同じことを書いていた。

ありがとうございます、というのを「有難う御座います」とか打つのはよく見る。
ワープロでなければ、まず書かないだろう。
その類の間違いだ。

漢字の比率は20%台あたりが、読みやすい。
そういうことを心がけるだけで、だいぶ読みやすい文章が書けるようになる。

大和言葉が本来の日本語だ。
漢語が増えると、意味が抽象化してしまう。

作文の授業がなくなって、書くことが減った上に、漢字の予測変換などの支援機能が増えて、考えなくても文章が綴れるようになった。
ノートも写真で済ます。

文章を書くのがどんどん難しくなっているような気がする。



| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
メッセージ
学生の就職支援の仕事をしていると、年に1回くらいはお礼のメッセージを貰うことがある。
こないだも書いてくれた学生がいた。

その学生とはわりと本音の話もしたし、社会の表側だけでなく、裏側の話もした。
親が聞いたら、文句を言うかもしれないレベルの話もした。
もちろん、そういう話が必要だと思ったからだ。

就活して、頑張って、内定がもらえず、初めての挫折体験をした。
真面目な学生だったので、だいぶ落ち込んだと思うが、見事に復活し3つの内定をほぼ同時にもらった。
内定先を選ぶときに、一番向いていると思った内定先を選んだので、ちゃんと自分の価値観ができているんだと思った。

今の日本の文系の就活は学生に無理を強いている部分が大きい。
大学で学んだことはほとんど問われない。
ポテンシャル、と称して人物を見る、ということになっている。
求人も全学部全学科で、誰でもどこでも名目上はエントリーできる。

でも、実際には学歴フィルターがあったり、当たり前だが面接だから主観的評価で決まる。
客観的テストはあるが、性格テストも併用されていて、結果も示されない。
何で自分が選ばれたり、選ばれなかったりするのか、わからない。

まして、働いたこともないのに、なぜこの業界がいいのか、なぜこの会社がいいのか聞かれる。
志望動機と言うやつだ。
それを聞いて、ちゃんと思い通りの部署に行かせてくれるとは限らないし、またその思い入れが合っているという保証もない。
でも、熱意を測るという意味で、それを聞くのが今の就活。
そんなの、意味がないから聞いても仕方がないという会社もあるにはあるが、ごく少ない。
今の50代以上はそんなことを聞かれずに入社しているはずだが、それでも人事担当になれば、判断基準にしているのだろう。

その学生は一応は会社のことは調べるが、自分は本当に働いたこともなく、だから自分が調べたことは話すが、そこに熱意など見えなかった。
理由を聞くと、働いたこともないのに、そんなふうには話せない、という。
それはそうだが…、と言葉が詰まった。
全くの正論だと思うが、今の就活の考え方を話し、そこに熱意を込めないとなかなか通らないという話をした。

もちろん、昭和50年代のぼくらはそんなことは聞かれなかったし、ぼく自身も当時そんなことを聞かれたら、君と同じ意見だったろうということも話した。
それだけ真面目に取り組んでいる学生にウソはつけない。

まあ、やってみるわ、ということで新たなところを受け、そこで内定を3つもらった。

大根役者のはずが、主演女優賞ものや、というメッセージだった。
こちらが本音で話したから、やる気になったのだろう。

そういうことがあるから、この仕事はやめられない。



| | 考えたこと | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
藤井棋聖
藤井聡太が17歳で棋聖になった。
何か、強さが違うのだろうと思っていたら、彼は頭の中に盤面がないらしい。

普通の棋士は、頭の中に盤面があって、それで駒を動かして先を読んでいるという。
多分、そうだろうと思う。
しかし、彼は過去にインタビューされて、頭の中に盤面を思い浮かべていない、と答えている。

何ともイメージのわかない答え。
かと言って、棋譜(指し手の記録)で考えているわけでもないという。

そう聞かれて「自分でもよくわからない」と答えている。

どういう思考の方法を取っているんだろうか。
盤面や棋譜をイメージしていないというのは、何か脳と思考が直結しているようなことなんだろうか。

こういうのを天才というのかもしれない。
天才は神から与えられたものがあるから、そうしかできない、ということだ。

「藤井聡太七段、目隠しで詰将棋に挑戦。早すぎる回答に会場騒然」という見出しのニュースもあった。
目隠しをして、駒の配置をアナウンサーが言って、その詰将棋を回答するのだが、他の2名の棋士が考えている間に手が挙がる。
これで盤面をイメージしてないというのはどういうことなんだろうか。

まさに、盤面をイメージしないから、余計な時間が省けて、早く正解にたどり着くんだろうか。
盤面という制約がないから、自由に駒の配置を考えられる、ということか…。

人間の頭の中を開けてみることはできないから、どうなっているのかわからないが、とにかくすごい。

天才の方法があるんだろうなあ。

ぜひ、最強のAIに勝ってほしいと願う。






| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター 3
大学に入ってからは落語研究会に没頭した。
落語をするか、ギターにするか、迷ったのだが、結局落語を選んだ。

というわけで、ギターはあまり弾いていなかった。
でも、2回生の冬に楽器店で成人式セールをやっていて、そこで2万円くらいのバーゲンで、グレコのレスポールモデルを買った。
通称、ニセポール、というやつ。
これが最初のエレキギターだった。
でも、アンプを買ったわけでもなく、そのギターはそんなに熱心に弾かなかった。

総じて、大学4年間はギターをあまり触らない時間だった。
落語と下宿の友達とホンダのN360という、友人3人で5万円で譲ってもらった車に時間を使った印象。

黒のレスポールは友人に譲ったはず。
そして、就職してやっとお金ができて、当時高中正義が弾いていたヤマハのSGというモデルの廉価版を買った。
高中の弾いていたのはSG2000というモデルで、ボディとネックが一体になっているもの。
ぼくが買ったのはSG1000という、普通のエレキギター。
ボディとネックは別の部品になっていて、接着している。
とはいえ、廉価版といっても10万円もしたので、清水の舞台から飛び降りる決意で、神戸ヤマハで買った。
これをずっと家で弾くことになる。

時代はシンガー・ソング・ライターを経て、ニューミュージックになっていた。
大学時代に山下達郎、荒井由実、竹内まりや、ハイ・ファイ・セット、角松敏生などが出てきて、今のJ-POPの草分けの時代。
洋楽では、クロスオーバーとかフュージョンなどのインストものや、黒人のダンスミュージック(ソウルトレイン系)、アダルト・コンテンポラリーというジャンルにのJDサウザーやボズ・スキャッグスなど、その時々の流行りの音楽を聴いていた。

20代で就職して以降はもっぱらSG1000。
騒音問題でアンプはつながず、エフェクターとミキサーをつないで、レコードや音源に合わせて弾き、ヘッドフォンで聞くというやり方。

ギターの手入れなど全く仕方もわからず、やたら弦高を上げて弾いていた。
今なら押さえにくく、左手がつらいのだが、あの頃は若かったから気にしなかった。

仕事も忙しかったり、子供もできたりして、時折ギターを触る日々が続いた。

80年代、90年代はシンセサイザーの時代でもあった。
新しい楽器がどんどん出てきた。
それにも興味があって、キーボードマガジンなども買って、新しい機種が出るたびに調べていた。
モノフォニックから、ポリフォニックへ。
半導体やメモリ、CPUが進化するたびにシンセサイザーも進化した。

ヤマハのDX-7というデジタルのFM変調を使ったシンセサイザーは一世を風靡した。
音作りは難しかったようだが、DX-7のプリセットの音はレコーディングでも使われていたなあ。
あれは名作だったと思う。

そんな時に、ギターシンセサイザーというのが出て、すぐに飛びついた。
カシオのPG300というもの。
これはギターとシンセを一体化していて、直接シンセ音が出るもの。
ピックアップを後付けして、その振動からピッチを検出して使うものもあったが、カシオのギターは1台で完結しているのが魅力だった。

発売が1990年だったから、33歳の時に買ったことになる。
もう今から30年前。

でも、2000年代になると、もうシンセ音は流行らなくなった。
やっぱり人工的に作った音は飽きられる。
現在でもよく使われるのは、エレピ、パッド系の音、シンセベースあたり。

メモリが安くなって、本物の楽器の音をサンプリングして使えるようになったのだ。
やはり本物には勝てない。

この次はいよいよ今使っているギターになる。
乞うご期待。





| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター 2
高校時代はフォークギターの日々だった。

洋楽ではビートルズ、キャロル・キング、5th Dimension、サイモン&ガーファンクルなどを聞いていた。
まだまだ30センチLPレコードの頃。
邦楽ではガロから始まって、吉田拓郎、井上陽水。歌謡曲では天地真理。
チューリップもデビューアルバムを持っている。
当時のギター雑誌にはいろんな曲のコード譜が載っていたから、それらのコードを弾いていた。

アルペジオや3フィンガー・ピッキングは、洋楽で学んだ。
サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」「スカボロ−・フェア」「Old man」、ジェームス・テイラーの「You've got a friend」、ビートルズの「ミッシェル」「In my Life」など、よく弾いたものだ。

考えたら、高校の時が一番よくギターを弾いた気がする。
受験勉強の合間に、弾いていた。
特に高2以降は毎月買う雑誌を見て、いろんなコード進行を弾いていた。

ビートルズとキャロル・キングからは、G7のコードをDm7ーG7というツーファイブに分けることを教えてもらった。
F/Gという分数コードもそうだ。
今になって、1-6-2-5とか、3-6-2-5などという循環進行が、音を聞きながらわかるのも、そのおかげだ。

このモーリスは本当によく弾いた。

夜中にラジオを聞きながら勉強している時に、いい曲が流れると、どんなコードだろうかと弾いてみたりした。
懐かしい。

オフコースを知ったのも高校時代。
「でももう花はいらない」という曲で、友人と二人で体育祭のあとのファイアラリーというイベントのバンドのオーディションにも出たことがある。
たしか、講堂で昼休みにやったのだったか…。

夢多き時代だった。

ということで、次回は大学に入ってからのギター遍歴だ。


| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター 1
家には生まれたときからギターがあった。
親がスチールギターを持っていたからだ。
小ぶりのクラシックタイプのスチールギターだったのを覚えている。
時々父が弾いていた。

小学校の頃に、父がクラシックのガットギターを買ってきた。
会社の後輩の結婚式に呼ばれて、小林旭の「北帰行」を練習していたのを覚えている。
そういうわけで、ギターはいつも家にあった。
ギターは小さなオーケストラだと言っていた。
ピアノは持って歩くことはできないが、これは持っていけるし、単音も和音も出せるということだった。

初めてギターを弾いたのは、中学2年のとき。
当時はやっていた、ベッツィー&クリスが歌っていた「白い色は恋人の色」という曲のメロディーを弾いた。
どこに譜面があったのか、覚えてないが…。

その頃から流行りだしたのがフォークソング。
最初は洋楽。PPM(ピーター・ポール&マリー)やブラザーズ・フォアとかを聞いた。
バンジョーの音が好きで、カントリーのキングストン・トリオなども聞いたのを覚えている。
高石ともやの受験生ブルースや、遠藤賢司のカレーライス、岡林信康なんかも深夜放送で聞いていた。
この数年後、吉田拓郎や井上陽水が出てきて、フォークがメジャーになった。

フォギーマウンテン・ブレイクダウンというバンジョーの曲があって、それが弾きたくて、中学3年の時にバンジョーを買ってもらった。
それはまだ、押し入れの中に入っている。
2万円あたりだったと思う。

結局、その野望は頓挫して、今に至っている。
高校の1年くらいの時まで、バンジョーを時々弾いていた。
日本でもバンジョーを使っているバンドもあった。
バンジョーはボディの表に牛革を張って、その上で弦が振動して、その革自体が振動するので、大きな音がでる楽器。
もちろん、ぼくが買ってもらったものは、安かったから、革でなくプラスチック?だったが…。

高校2年の時に、今度はフォークギターを買ってもらった。
「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」というコピーをラジオで宣伝していた頃。
2万円くらいのモデルだった。

それまでは父が買ったガットギターを弾いていたが、そのモーリスがぼくの初めてのギターになった。
当時は洋楽ではサイモンとガーファンクルや、ジェームズ・テイラーなどを弾いていた。
毎月、ガッツやヤングギターというギターの雑誌を買って、コード譜やタブ譜を見て、当時の流行りの歌を弾いていたものだ。

受験勉強の合間に、深夜こっそり小さな音で弾いていた。
その癖で、今でも大きな音を出すのは苦手だ。

次回は高校時代をメインに。





| | 考えたこと | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
高橋泰教授
「新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ」という記事を読んだ。

この記事で、初めて日本の重症化率や死亡率が低い理由を説明してもらった。
なぜ欧米の1/100なのか、ということだ。
今までの「専門家」たちはそのことにほとんど触れず、何万人死ぬという話ばかりだった。
マスコミもそれに乗って、煽るばかり。

この先生の話によると、今発表された感染者数は、あくまでもPCR検査で判明した「PCR陽性者判明数」であり、正確には「感染者数」ではないし、もちろん「発症者数」でもないという。
特に、若年者の場合、PCR陽性者が発症する可能性は低く、多くが無症状、軽微な症状で治る。
また、「数十万人が死ぬ」という予測は、コロナウィルスについての前提が間違っているという。

一般的に病原体が身体に入ると、まず貪食細胞(マクロファージ)などを中心とする自然免疫が働き、数日かかって獲得免疫が動き出して、抗体ができる。
先生は日本人がほとんど抗体ができていないことから、自然免疫の段階でコロナウィルスが排除されていると考えている。
インフルエンザと違って、毒性が弱いから、獲得免疫がなかなか立ち上がらない、ということだ。
これはアメリカの医師会雑誌に発表されている。

記事によると、

「私の研究チームはこの現象を、新型コロナは毒性が弱いため、生体が抗体を出すほどの外敵ではなく自然免疫での処理で十分と判断しているのではないかと解釈し、「なかなか獲得免疫が動き出さないが、その間に自然免疫が新型コロナを処理してしまい、治ってしまうことが多い」という仮説を立てた。」

つまり、コロナウィルスはインフルエンザと違って、身体に入っても毒性が弱くて、身体が治癒してしまうということだ。
これなら、昨シーズン3000人が死んだインフルエンザに比べて、コロナの1000人というのがちゃんと説明できる。
今までの「専門家」はそういう比較で全く語らなかった。

そこで、この先生は、事実をもとに、全体像が見渡せ、かつ数値化できる「感染7段階モデル」を初めて作った。

「新型コロナの患者数を予測するために使えるデータが現状では非常に限られる。かかった人の重症化率や死亡率という最も基本的なデータすらない。

新型コロナの全体像を把握するためには、全国の暴露者数を推計することが大切なので、?全国民1億2644万人、?年代別患者数の実数値、?抗体陽性率推計値(東京大学の推計と神戸市民病院の推計)を使って、パラメータである暴露率(新型コロナが体内に入る率)をいくつか設定し、動かしながら、実際の重症者や死亡者のデータに当てはまりのよいものを探るシミュレーションを行った。」

詳細は記事を見てもらえばいいが、それによると、まず、国民の少なくとも3割程度がすでに新型コロナの暴露(ウィルスが身体に入るということ)を経験したとみられる。
つまりステージ0として、コロナにかかっていない人が国民の7割と推定した。

そして、暴露した3割の人の98%がステージ1かステージ2、すなわち無症状か風邪の症状で済む。すなわち自然免疫までで終了している、というモデルだ。
今の検査結果で陽性の人がほとんど無症状というのも、これで説明できる。

獲得免疫が出動(抗体が陽性になる)するステージ3、ステージ4に至る人は暴露者の2%程度。
そのうち、サイトカイン・ストームが発生して重症化するステージ5に進む人は、20代では暴露した人10万人中5人、30〜59歳では同1万人中3人、60〜69歳では同1000人中1.5人、70歳以上では同1000人中3人程度ということになった。

このモデルは現実に合わせて、重症化率等を決めている。
つまり、ウィルスにかかっても(暴露しても)98%は自然免疫で治るということだ。
今までの騒ぎは忘れたほうがいい、ということだろう。

そして、ずっと疑問だった死者数が欧米の1/100ということに関しても、推定している。

第1に重症化しやすい「高齢者の暴露率」が低かったのではないか、ということ。

第2に、自然免疫で治る人の比率が欧米より日本人(アジア人)のほうが高く、その結果「軽症以上の発症比率」が低くなるが、抗体陽性率も低くなる。
自然免疫力(特に細胞性免疫)の強化にBCGの日本株とロシア株が関与した可能性は高いとみている。

第3は、「発症者死亡率」。日本は欧米に比べて低いと考えられる。その理由としては、欧米人に比べて血栓ができにくいらしい。そのため、サイトカイン・ストームが起きても、日本のほうが重症化する可能性が低いと考えられる。

「他の条件は変わらないという前提で、このような数字を設定すると、10万人当たり日本の死亡者は0.9人、ベルギーの死亡者は82人となり、現在の実態とほぼ一致する。「暴露率、軽症以上の発症比率、発症者死亡率の数字の設定はもちろん仮説的なものであり信頼性は低い。だが、全部の数字を掛けたり足したりして求められる日本の死亡率が、欧米の死亡率の100分の1になる必要があるので、3要因のいずれか、またはすべてにおいて、日本が欧米に大きく勝っていることは間違いない。」

そういう前提で、リスクを考えた対策を言っている。

「30歳未満では重症化リスクは限りなくゼロに近いのに、対面授業を行わないとかスポーツをさせないというのは誤った政策だと思う。対面での教育が行われず、オンライン教育のみにすることの弊害のほうがずっと大きい。平常に戻すべきだ。そして、そこで学生からPCR陽性者が出てもマスコミが騒がないことが重要だ。明らかな症状が複数の学生に現われる集団発生が起きてはじめて、報道を行い学級閉鎖を行えばいいのではないだろうか。

30〜59歳も通常の経済活動を行ってよいはずだ。罹患した場合は症状に応じて自宅待機などを行い、集団発生すれば職場の閉鎖をすればよい。70歳以上の高齢者は流行している間は隔離的な生活を維持せざるをえないだろう。何度も言うが、感染リスクはある。しかし、2%未満の重症化リスクを減らせばいい。」

これらの推定から、第二波についても、

「日本は強力なロックダウンを実施しておらず、新型コロナに暴露した人が欧米より極端に少ないとは考えにくい。むしろ先に述べた「これまで多くの人が新型コロナにすでに感染しているが、自然免疫でほとんどの人が治っている」という仮説に立って、抗体ができる前に治っているので、抗体陽性者が少ないと考えるほうが自然であろう。

この仮説を用いれば、無症状のPCR陽性者が数多く発生している現状の説明もできる。第2波が来ても、自然免疫の強さは日本人にとって強い助けとなり、再び欧米より被害が軽くなるという考え方が成り立つ。」

この先生はちゃんと事実に基づいて考えているのが、今までの「専門家」とは違う。
彼こそ本当の専門家だ。

ぼくはこの先生を支持する。

新しい生活様式など破棄して、事実に基づくこの先生に従うべきだと思う。





| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
音楽でステイホーム
ヤマハは各地で音楽教室をやっていたが、コロナでできなくなった。
あまり目立たないが、音楽教室はヤマハの音楽事業の柱の一つでもある。

教室だけでなく、ライブも全部中止になった。
世界的にライブの演奏活動や、教室は止まっている状態だ。

でも、一部では楽器の特需が起きているとのこと。
電子ピアノが売れているらしい。
そういえば、ぼくの職場でも自粛のリモートワーク中に懸案だったピアノを初めたという人もいる。
自粛明けで出勤してきたときに、学校にあるグランドピアノで「赤いスイトピー」を練習していた。

鍵盤が光るキーボードで練習したとのこと。
ピアノは小さい頃にやったことがある、という程度ということだが、結構弾けていた。

ギターもステイホームの影響で売れているとのこと。
身近でギターを始めたという話は聞かないが、巣篭もり消費で売れている。

アメリカの電子ピアノの受注台数は、前年比200%になる月もあるとのこと。
電子ピアノやギターの生産工場は中国や東南アジアにあって、生産が追いつかないらしい。

電子ピアノは重量も軽いし、設置も楽だし、場所も取らないし、レッスン機能などもついているし、値段も本物のピアノよりも格安だし、音量調節もできるし、とりあえず始めるのにはピッタリだ。
ネットの発達で、あとから音楽データーをダウンロードできたりするので、付加機能も豊富だ。
ピアノは置けないけど、キーボードは習いたいという人がたくさんいた、ということだろう。

一方、管楽器は落ち込んでいるとのこと。
家でやるには音が大きいし、唾液の飛沫問題もあるからだ。
気の毒としか言いようがない。
インフルエンザが大流行しても、平気でやっていたのに…。

ヤマハの社長は「改めて音楽の力を再認識した。楽器や音楽は生活必需品ではない。不要不急といえば不要不急だが、逆に家にずっといるのであれば、音楽を聴いて、引いて楽しみたいという人が多かった。」と言っている。

ヤマハは「大人の音楽教室」ということで、ウィングを子供から大人に広げてきた。
少子化だが、楽器人口を広げて需要を喚起しようという作戦だ。
今回の自粛で、教室自体は休業したが、一方で通勤時間がなくなり、家での時間が増えた。
そのため、リモートレッスンなどの形態も加速したとのこと。

ぼくは知らなかったが、「ネットデュエット」という技術もあって、物理的に離れた場所にいる人とリアルタイムでセッションできる新たなサービス「シンクルーム」を6月に無償提供したとのこと。
結果として数十万人がダウンロードしたらしい。

ヤマハの電子ピアノでは、リモートで先生が打鍵したデーターを送って、生徒のピアノで再現できるらしい。
その機能を使えば、離れた人ともかなり高度なレッスンが可能ということだ。

Youtubeの利用だけでなく、実際のマンツーマンのレッスンでもいろいろと進歩している。

これはステイホームのおかげだ。

コロナでいいこともある。


| | 考えたこと | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
感染者数
まだテレビでコロナの感染者数を云々しているが、それはそんなに大きなニュースなのだろうか。

普通の感染症なら、感染の広がりを表す値として、実際に症状がある人で、確認された人を「感染者」と呼んで、その人数を伝えていると思う。
インフルエンザなら、熱が高いとか、インフルエンザ発症者と接触したとかいう状況があって、そこで初めて検査をする。
そこで陽性だった人が、インフルエンザの患者になる。
つまり、今までの感染者数というのは、症状を発生した「患者」の数、ということだ。
潜在的にはもっと感染者はいたのかもしれない。

ところが、今のコロナの感染者数というのは、ちょっと意味が違う。
わざわざ接触者を追いかけて、その人を(何ともなくても)検査して、感染の有無を確認しているのだ。
現在の感染者の中には、無症状の人たちが多いという。
だから、感染者数≠患者数なのだ。
こんな数はいまだかつて聞いたことがない。

東京新宿区ではコロナの陽性になったら、それだけで10万円くれるらしい。
そんなことも相まって、東京では感染者数が増えている。
それでも重症「患者」はほとんど増えない。
もちろん、死者は増えない。

無症状の人が多い、ということはだれもがコロナを持っている可能性がある、ということだ。
ネット上では、だからこそマスクをして、ソーシャルディスタンスをとって、用心しなければいけないという人もいる。
そうではなく、無症状だから普通に生活したらいいという人もいる。

WHOの言うことも、無症状の人はうつさない、と言ったかと思えば、無症状の人からもうつる、と言ったりしている。
要はわからないのだろう。

ぼくは、感染症の規模を一番表すのは死者数だと思う。
その死者数を比べたとき、昨シーズンのインフルエンザ3000人に対して、今回のコロナは1000人。
明らかに規模としてはインフルエンザの方が大きいのだ。

だから、インフルエンザの時にやらなかったことは、今回もやらなくていい、と思う。
予防接種があろうが、薬があろうが、3倍の人が死んでいるのだ。
明らかにインフルエンザの方が怖い。

先シーズンにインフルエンザが流行っても、ぼくはマスクをしていなかったから、マスクはする必要はないと思う。
3000人死んだインフルエンザが流行っていても、2メートルの距離を取らずに、大声で話していたのなら、今回もそれはしても大丈夫。
そういうことだ。

それでも、今は電車に乗るときや、職場ではマスクを着用している。
そうしないと、トラブルに巻き込まれるかもしれないからだ。

アメリカでは職場でソーシャルディスタンスを取るかどうかとか、マスクをするかどうかで揉め事が起こっているらしい。
日本はぼくみたいに流される人が多いから、あまり聞かない。
でも、内心不満に思っている人は多いと思う。
もう早く普通の生活に戻ってほしいし、何が「新しい生活様式」なのか。

本気で新しい生活様式を取り入れたら、外食などのサービス業は総崩れだ。
学校の教室だって足りない。
GDPが大幅に減ってもいいのか。
子どもたちの教育の機会を奪っていいのか。

高齢化で、減っても収入が減らない人たちが多すぎるのが問題なのだろう。

ウィルスの病気は基本的に対処療法しかないと思うし、共生するしかないのだ。
共生する、ということは感染者数が人口のある割合まで達するということ。
それによって、集団免疫ができる。
無症状で広がるのなら、結構な話だ。
いつまでも防御していたら、いつまでたっても免疫はできないのだ。
結局、人間を守るのは、自分が持っている免疫だと思う。
世の中がきれいになって、子供がドブや砂場で遊ばなくなって、アレルギーが増えたと思う。
人間は適度に汚いものに触れるから、免疫力が上がるのだ。

普通の風邪の2割くらいがコロナウィルスだという。
その変異したものが、Covid-19。
原因はまだわからないが、アジアでは死者数が欧米の1/100。
おまけに、日本では抗体保持者も少ない。
わけのわからない事態だが、それでも日本人はコロナウィルスに強いのだろう。

未だにコロナ怖いと言っているマスコミの罪は重い。

ツイッターで、永江一石氏がこんなツイートをしていた。

「これは本気で言うけど、

大多数が無症状または微熱が出るくらいで、たまに既存症ありの高齢者が亡くなる程度の病気になぜこれほどびびりまくる?

ワクチンや薬があるのにもっと死んでるインフルエンザや肺炎球菌を恐れずワクチンも打たずにコロナを恐れまくるのは何故?

苦しいのはどんな病気も同じ」

ほんとにそう思う。
ハイリスクの人たちには自粛してもらって、社会を正常化させるべきだ。

もう新卒の求人が何割も減っているんだぞ。



| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
大人のレゴ
最近、やたら精密なレゴで作られたクルマや建物のモデルを見る。
レゴといっても、あのブロックでははない。
もっと細かいものや、専用の形をしたブロックもたくさんある。

クルマのモデルもあり、1万円以上のものもある。
VWワゴンのキャンピングカーなどは1万6千円。
1322ピースのモデルだ。

説明書はあるようだが、部分ごとに別れた袋の中からそのピースを見つけるのは大変。
簡単には組み立てられない。
組み立てを楽しむ大人向けといったところか。

完成品はインテリアにもなる。
何度も分解したり、組み立てたりという普通のレゴの使い方ではない。
一度分解すると、ちゃんと部分ごとに部品を分けておかないと、組み立てることも難しいかもしれない。

他にダッジチャージャーやランドローバーなどもある。
ブガッティ・シロンというスーパーカーは46000円、3599ピースもある。
こうなるとジグソーパズルのようなもので、作ったら分解などできないだろう。
だいたい、それしか作れないようなブロックなのだから、他のものを作ろうとしても無理だ。

エンジンルーム、内装なども丁寧に再現されているという。
ピストンの動きも再現し、サスペンションや7速ギアボックスも付いている。
外側だけ似せているのではないのだ。

タミヤのプラモデルみたいなものだろう。
レゴだから、接着剤は要らないが…。

自粛で売れたのではないか。
通勤時間が浮いて、外に出て遊ぶこともできないと、こういうものが売れる。

ちなみに、タミヤのプラモデルも調べてみたら、1/12 ポルシェ カレラGTというので、38280円といのもあった。
1/24なら、だいたい4000円くらいで日本車もたくさんあった。

レゴならもともとのパーツの色を変えてカラーリングを表せるが、タミヤのモデルは組み立ててからが勝負。
スプレーや筆で色をつけたり、ステッカーを貼ったりして完成させる。
こっちのほうが機材と技術が要るだろう。

レゴもプラモデルも奥が深い。



| | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャリア自立
G型企業とL型企業という分類がある。
グローバルの競争世界で生きているのがG型企業。
その最たるものが電気産業や自動車産業だろう。

ぼくは民間企業で働いている時、その業界の端っこにいた。
25年働いた後、教育業界に転職して仰天したのは、そこが全く競争意識がなくて、IT化を始めとした効率化が遅れていることだった。
大学のキャリアにいる時、教育業界や福祉業界などのL型の世界も見たが、やっぱりL型企業はG型企業とだいぶ違うということだ。

そのG型企業が今苦しんでいる。
グローバル化が進み、ワールドスタンダードに合わせなければ競争に負ける、ということだ。
そのために、人事制度も変えようとしている。
それが終身雇用をやめる、ということになる。

終身雇用制度は、若い頃は安い給料で働く代わりに、年をとっていけば給料が上がり、定年まで守られる、という制度だ。
それをやめる理由は、一つは優秀な若者はもう安い給料で雇うことはできない、ということだ。
ソニーなどのグローバル企業が、日本でも年功序列を外れたコースで初任給700万円というような制度を作っている。
そうしないと、AIシステムがわかる人材が採れないのだ。

その上、この長引く不況で年功序列制度の負の側面が大きくなってきた。
会社にしがみついて、働かない中高年が増えている。
会議が仕事で、在宅勤務になるとすることがない、というような記事が出ていた。
ぼちぼち、成功した終身雇用も賞味期限が切れている。
もうどこかの国をキャッチアップしていたらいい、という時代ではない。

日経ビジネスの記事によると、経団連会長の中西氏(日立の取締役会長)は、日立の入社式を廃止し、入社直後から会社にぶら下がろうとする社員の意識を排除していくらしい。
こういう動きはG型企業ではやむを得ないのだろう。

日本の企業には雇用契約や就労規定はあるが、厳密な意味での職務記述書(ジョブディスクリプション)はない。
グローバルでは当たり前なことが、日本ではガラパゴス化しているのだ。
目標管理などをやってみても、結局は「みんなで」やる、ということで個人では差がつかない。
年次的に職級が上る人は甘くなり、上がってすぐの人は「がまん」してもらったりする。
そういうやり方をやってしまう。
かく言うぼくも、会社にいる頃はそういう評価をしていた。

しかし、日立はグローバル人事を制度化し、2017年からは労組とも社員の評価をジョブ型に変更すべく交渉しているという。

同様にトヨタもグローバル競争の中で、まさに100年に一度の大変革「CASE」http://suzy.blog.bai.ne.jp/?eid=221961をやらないといけない、ということで、人事制度にメスを入れようとしている。
こちらも、「会社にぶら下がって生きていくのは無理」ということだ。

社員は一人ひとり、主体的にキャリアを作っていかないといけない。
会社はそれを助けてはくれない。

若い人たちにとっては、まだ小さな変革であり、望ましいという人も多いだろうが、中高年にとってはきついと思う。
でも、それをするために副業の解禁や在宅勤務(仕事を個人に分ける)をやろうとしている。

ぼくらはかろうじて逃げ切ったが、まだまだ現役の人たちは大変だ。
でも、それをやらないと、日本の未来は暗くなる。

当分は終身雇用との併用だろうが…。

それが究極の働き方改革だ。




| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
カレーを食べるとボケない
認知症の専門医が、週に3回はカレーを食べるとのこと。
なぜかというと、認知症予防に効果があるからr。

カレーに入っている「ターメリック」に「クルクミン」というポリフェノールの一種が含まれており、これがアルツハイマー型認知症を防ぐ働きがあるのではないか、ということだ。
実際、シンガポールの人を対象とした調査で、よくカレーを食べる人は認知症のリスクが少ない、という結果が出た。

ぼくはカレーが好きだから、この結果はとてもうれしい。
今度から市販のルーでカレーを作るときには、ターメリックを追加で入れて作ればと思う。

ターメリックというと、黄色い粉末。
これは辛い香辛料ではない。
あまり辛くないカレーは黄色っぽいが、あれはターメリックの色だろう。

運動が唯一有意な予防策だと言われていた認知症。
カレー(正確には中に入っているスパイス)が効くとはびっくりだ。

どこまで確かかわからないが、なるべくカレーを食べることにしよう。

カレー万歳!




| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の非効率
東京で新型コロナウィルスの感染者が増えているが、積極的な検査によって陽性者増えたからだという。
今までの感染者数のデーターとは性格が違うので、過去のデーターとは比較ができないらしい。
そのせいで、緊急事態には当たらないということだ。

ぼくは感染者の数だけを云々すること自体、どうかと思う。
重傷者数、無症状者数なども合わせて報道すべきだ。
もちろん、一番大事な医療資源の圧迫度合いも知らせるべきだろう。
でも、それはさておくことにする。

問題は、感染者数のデーターに一貫性がないから、判断が変わるということについてだ。

5月末まではNECID(感染症サーベイランスシステム)というものだったとのこと。
時代遅れが問題になった、手書きのFAXというもの。
感染者を確認したら、手書きの発生届を作成して、FAXで保健所に送り、そこで確認した後厚労省や国立感染症研究に連絡されるというシステム。
手書きの紙とFAXという、20年は遅れているという代物。
あきれた話だが、これが実態。

神戸市の外郭団体で定年後勤めている友人も、公務員の世界がいまだに紙とFAXなどの時代遅れのシステムで成り立っていることに驚いていた。

当然、手書きとFAXの世界だから、多くの手待ちが発生する。
そこで感染者が増えれば破綻するのは当然。
紙詰まりや回線がつながらないというようなトラブルが多発したらしい。

こないだ書いたが、超過死亡者数の月別データーなどは世界から3ヶ月も遅れている。
情けない話だ。

おまけに、患者の入退院情報が入力項目になっていなかったりして、東京都から厚労省に改善要求を出されている。
厚労省は、それをメールで保健所に送るように指示を出したのだが、そのころは保健所も忙しくて、ちゃんと送ったのは1/5の自治体だけだったらしい。
しかたなく、都道府県がHPに出している値を積み上げる方式に変更して、入退院数が一気に5000人減ったりした。

やっと5月に「新型コロナウィルス感染者情報把握・管理支援システム」が稼働して、タブレットで情報を入力して関係機関で共有できるようにした。
それも、現状では7割の自治体しか使えていないのが実態。

昔は日本は統計データーが揃っている国と言われていたらしいが、今はこのていたらく。
政府はビッグデーター云々を言っているが、足元がグダグダだ。

これは頑なに仕事のやり方を変えようとしない役人の問題でもある。
何より、公務員試験がそれを表している。
ほとんどが文系行政職で、何十年も前から同じ試験。
科目も殆ど変わらない。

民間が今のネットに対応したIT化を勧めたのは、ほぼ30年前くらいから。
そういうことを勧めないと、競争に負けるからだ。
負ければ、会社が潰れる。

公務員は自治体が潰れない。
だから、ITを使った効率化をしなかった。
それをすると、ずっとやってきた仕事の内容が変わる。
人も減らさないといけない。
だから、変えなかった。
ただ、それだけのことだったと思う。

そういうことをずっと続けて、今まできた。
それも日本の生産性を下げている大きな要因だ。

このツケは大きい。




| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイエットの効果
1月の下旬からダイエットを始めて、7キロほど痩せた。
そこでストップして、なかなか体重が減らない。
どうやったら、減るのかを考えているところ。

痩せると、汗をかかなくなる。
これは本当だ。
この夏は汗をかかない。
小林亜星が、太っている人はご飯を食べるだけでも汗をかくと言っていたのを思い出す。

もちろん、目的だった膝の痛みはマシになった。
これは毎晩の膝体操も効いている。

ズボンのウェストサイズがだいぶ小さくなった。
最初はなかなか減らなかったが、ある時期から余分な脂肪が落ちたという感じ。
これなら健康診断でメタボリックとは言われないだろう。

こないだズボンを2着買った。
今どきのズボンだから、細いシルエットになる。
ウェストが小さくなって買い直したということは、また太ったら履けなくなるということだ。
減らすことより維持することが大変だから、気持ち的にはプレッシャー。

ちょっと胃も小さくなったような気がする。
すぐにお腹いっぱいになる。

しかし、必要な筋肉も落ちたように思う。
足や腕が細くなったと思うのは気のせいだろうか。

歳を取ると、食べることしか楽しみがなくなるというのは、よく聞く話。

そうならないように、ギターを練習しようと思う今日このごろ。


| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
太陽光パネル
太陽光パネルの評価には発電の効率というものがあるらしい。
同じ光を当てて、どれだけの電気を生み出すかということだ。
その値を少し高くするだけで、コストが上がるのは当然。
そこを日本のメーカーは見誤ったということを聞いたことがある。

中国製の太陽光パネルは、発電効率は若干低くても、値段が安い、ということで日本でもメガソーラーなどで使われている。
コストとパフォーマンスのバランスが良かったのだろう。

日本製は丈夫で変換効率も高いが、値段で負けたということだ。
高くていいものが売れる、という戦略は外れた。

しかし、ここに来て日本の技術が使われる兆しも出始めた。
電気自動車用の太陽光パネル。
接地面積が狭く、曲面も多い。
さらに、少しでも発電効率が高いことが求められる。
もちろん、丈夫さも必要だ。

それが、シャープと国の機関が共同で開発したEV専用太陽光パネル。
変換効率が高く、薄いフィルムなので曲面にも設置できる。
太陽光だけで動く電気自動車の試作に使われた。
曇ったらどうするのかと思うが、昼間なら発電するのでOKだ。

太陽光発電を最初に見たのが、電卓だったと思う。
電池が要らない。
蛍光灯でも発電する。
これはすごいなあ、と思ったものだ。
その後、デジタルの腕時計でも使われた。

それまでの電卓は蛍光管を使っていたが、シャープの液晶を使ったものは消費電力が少なくても動くから、太陽電池でOKだったのだろう。
数字を表示するところの近所に太陽電池が並んでいた。

今考えると、画期的な製品だったと思う。
サンヨーやカシオも出していた。

この分野では日本は強かったのだが、中国のコストに負けてしまったのが残念。

電気自動車で本格的に復活してほしいものだ。



| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
オンラインライブ
6月26日にサザンオールスターズやったオンラインライブ。
3600円のチケットを購入した人が18万人いるとのこと。
一緒に見た人も入れると、50万人が見たという。

すごい数だ。
いくらドームでライブをやっても、数万人。
18万人ということは、ドーム5回分くらいになる。
それが1回のライブで儲かった。

コロナが流行してから、無料のライブ配信は増えた。
でも、お金を払ってもチャリティーだ。
ミュージシャンが儲ける有料のライブはほとんどなかった。

サザンのオンラインライブ、18万人が3600円払うと6億5千万円ほどになる。
横浜アリーナを借りてやっているが、観客がいないということで、アリーナの席の準備や警備など不要なものもたくさんあって、経費的には安くなっているだろう。
こういうものが成功することで、それにあやかる人たちも出てくる。

人気次第ということだが、チケットを安くしても、人数が多ければ十分ペイする。
グッズ販売も誘導して通販しやすい。
うすく、広くという商売だ。
CDが売れない現在、ライブもできなくなると、ミュージシャンは食えない。
それを救うためにはこういう興行も必要だと思う。

ライブの雰囲気をどう伝えるかということだが、サクラの拍手や歓声などはどうしたんだろうか。
視聴者からのフィードバックがどういう形でできるかだが、それもそのうちARゴーグルなどと相まって、いろんなことが開発されてくるかもしれない。

もっと安く、スタジオライブにして、少人数の観客も入れて、それを中継するという方法もありだろう。
これからいろんな形が出てくると思う。

しかし、コロナのおかげで、いろんなものが一気に進む。
オンラインライブなど、今までは架空の話だったが、一気に現実化してきた。

普段ライブをやらないミュージシャンでも、無人ライブの配信なら可能だろう。

どうなっていくのか、楽しみだ。





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消えた香港
香港には1987年に仕事で行った。
当時は香港の販売店とは資本関係はなかったが、同じブランドを扱う会社として訪問させてもらい、新しい製品についての説明のプレゼンを行った。

宴会に呼ばれて、論語のことを話したことも、いい思い出だ。
クレイジー・ケン・バンドの「香港的士」もいい曲で、いまでも時々カラオケに行ったら歌う。
民主化デモが始まって、改めて香港のことを思ったりした。

今回の中国共産党の国家安全維持法について、いろいろと書いてある記事を読むと、よほど香港のデモが共産党にとって邪魔だったことがよくわかる。
すでに民主化運動の組織は自主的に解散し、中心的な存在だった若者たちは姿を消したという。
もうあの自由で猥雑な雰囲気のある香港はなくなってしまった。

この国家安全維持法は、総則でうたわれている建前は民主的なものだ。
しかし、市民が投票の行くにはこの法律に従うことを署名し、宣誓することが必要であったり、テロ活動の防止については学校・社会団体・メディア、インターネット等が監視対象になるなど、いままでの香港で民主化の中心的存在だったところが狙い撃ちされている。

また行政長官の下に秘書処というものが設置されて、その秘書長は中央政府の任命であり、中央政府が指名・派遣する国家安全事務顧問が会議に出席し、アドバイスを行い、委員は中央政府の「監督及び問責を受ける」ことになっている。
この委員会は「業務情報は公開しない」ということで、市民からは見えない秘密組織ができたということだ。

さらに、新設の国家安全維持公署は予算も中央政府が出し、人員は中央政府の関連機関が合同で派遣されるとのこと。
要は中央政府から派遣された秘密警察組織だろう。

これなら、民主化運動をした学生たちが姿を消すのも当然だ。
条文には抽象的な表現も多く、恣意的に民主化運動家を捕まえることもできる。
また、その支援をした人も犯罪とされているので、メールを送ったり、お金を支援することもできない。

おまけに、外国人が香港以外の場所で違反をしても、この法律は適用されるとのこと。

記事には、

「捜査手法については「犯罪の証拠がある場所、車両、船、航空機その他の関係する場所及び電子機器を捜査可能」「情報発信者又は関連するサービス業者に情報の消去又は協力の提供を要求」(第43条)とされており、電子メールなどの閲覧はもちろん、電話などの盗聴も可能で、捜査機関はあらゆる手段を使って海外からの情報も入手するであろう。」

と書かれている。

ぼくが行った当時の、猥雑だが自由な雰囲気の、なんとも言えない明るさがあった香港は、今回の法律で完全に消えた。

日本は西側の一員として、習近平を国賓として招くのは中止すべきだと思う。

中国からの旅行者で日本中が潤っていたが、それなしで食っていくことも考えないといけなくなるのが苦しいところ。
でも、「武士は食わねど高楊枝」で、ここは「やせ我慢の美学」を見せるときだろう。

そうでないと、香港で姿を消した若者たちにバカにされるぞ。



| | 考えたこと | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
カーディーラーの未来
アメリカでは、コロナの影響で自動車のオンライン販売が伸びているらしい。
ついに車もネットで買う時代になったのか、と思う。
たしかに、メーカーやグレードが決まっていれば、買いやすい製品だ。
昨今はディーラーでの値引きも減っていて、一物一価になってきているので、オンラインでもかまわない。

オンラインでローンを組む仕組みなどと相まって、より買いやすくなったのをコロナが後押しした。
三菱商事もタイやロシア、オーストラリアでオンラインの販売に力を入れるとのことだ。
ぶっちゃけた話、スマホで車を買うことができる。

車という商品は息が長い。
ローン、保険や車検などのメンテナンス、中古で売るところまで、数年はかかる。
その間、顧客を捕まえておける、という強みがある。
それを利用して、他の商品も売りつけよう、ということだ。

こうなると、車のディーラーは車を売るというよりも、車を通じて顧客とどういう関係を築くか、ということが課題になるだろう。
今の日本では、少子化に伴って車の販売量は減る傾向。
軽が4割という比率も、まだ上がるかもしれない。

さらに、シェアリングやサブスクなどで自家用車は将来的に減るだろう。
通勤など普段使いしていない自家用車の稼働率は3%だという数字もある。

だんだんと自動車業界の利益の構図も変わってくる。
車そのものを売ったことから得られる利益は減るのだ。

しかし、オーナーとの関係はその車を手放さない限り続けられる。
その関係の中で、どんなサービスをするのか。
それこそ、MaaS(Movility as a Service)の世界。

これからのカーディーラーは大変だ。





| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
インバーター
ぼくらが小さい頃、電池駆動のプラモデルをよく作った。
あの経験があったから、ぼくは何も考えずに理系を選んだ。
プラモデルで使われるモーターは、乾電池の直流を使うモーターだった。
マブチモーターというブランド。
今でも小型直流モーターで世界でもトップシェアだ。

今の小学生はゲームに触れることはあっても、電池とモーターというアナログなものに触れることはないだろう。
もったいないと思う。
電池駆動のプラモデルを作るということは、回転エネルギーをどう利用するかということを実地で理解することだ。
部品として回転数減少のためのギアを使ったり、二足歩行のロボットなどクランクを使ったりしていた。

だから、ずっとモーターは直流、ということが頭にあった。
ブラシという電流の方向を変える仕組みがあって、それはプラモデル用のマブチモーターにもちゃんと付いていた。
理科で習ったときに「なるほど」と思ったものだ。
モーターの周りに磁石が入っていることも、分解したことがあったから、知っていたなあ。

しかし、交流モーターというのもあって、これは中学の理科か何かで習ったのだったか…。
電気には交流、直流があり、それぞれにメリット、デメリットがある。
EVのように細かい制御が必要なものには、交流モーターが向いている。

電池は直流で、モーターは交流なので、ここで活躍するのがインバーター。
エアコンなどの省電力に役立っている。
直流から交流に変換するものだ。
同時に交流の周波数も変えることができる。
これが交流モーターの制御に役立つ。

ポルシェの新型EVは従来の電池の電圧400Vを800Vに上げた。
電圧を上げると、大量の電池を搭載して航続距離を伸ばし、さらに充電時間を短縮できる。
20分の充電で、航続距離400kmの充電ができるとのこと。
スマホの急速充電と同じだ。

充電ケーブルも、高電圧のため、流れる電流が小さいので細くできる。
高い出力が必要な部品は、高電圧化で小型化も可能だ。
このポルシェ用のインバーターは日立が作っているらしい。

インバーターやモーターはアナログだ。
デジタルの世界ではなかなか勝てないが、アナログは日本が強い。

もちろん、エンジンのようにアナログ部品の塊、というものではないが、車の電動化は時代の流れであり、そこで強みを持っておくことは必要だろう。

まだまだ技術開発は続くだろうが、頑張ってほしいと思う。



| | 考えたこと | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
スウェーデンの現状
スウェーデンというと、コロナのロックダウンなどの過激な対策を一切せず、集団免疫の政策をやった国。
ブラジルも同様の政策だが、国民の信頼という意味では大きな違いがある。
学校も普通に行って、コロナ前と同様に生活している。
やや死者数が多い、ということで保健省がちょっと反省していたが、それでもロックダウンなどはしなかった。

そのスウェーデンだが、去年の平均寿命と、新型コロナ死者の平均年齢を比較している人がいた。
2019年の平均寿命は82.87歳で、新型コロナ死者の平均年齢は81.15歳ということだ。

西浦教授が使ったSIRモデルは、感染症のシミュレーションモデルだが、ネズミ算式に感染者が増えていく、という特徴がある。
ネズミ算だから、指数関数になる。
家畜などの感染症なら、このモデルである程度予想できるらしい。
移動や回避行動などない、養豚場や養鶏場で適用するからだ。

人間社会ではその適用には無理があると思う。
実際、スマホのデーターによると8割削減などしていなかったが、42万人も死なず、今に至るも1000人程度だ。
大外れと言っていいレベル。
それによって、国民の生活が本当に不自由した。
ぜひとも、学会等で検証してほしいものだ。

しかし、海外などを見ていると、やはり感染初期に死者が増えるのは事実。
これは感染症が流行すると、死にやすい人が最初にかかって死ぬからだ、という事が言われている。
そのとおりかもしれない。

実際、全体の平均寿命に近いところの人が亡くなっている。
日本でも、スウェーデンでも、高齢者の死者が圧倒的に多い。
こないだのエライお医者さんも、同様のことを書いていた。

言葉は悪いが、平均寿命近辺の人たちは元気な人もいるが、もうすぐお迎えが来る、という人もたくさんいる。
要は、死ぬべき人が感染症でちょっと早く死んだということだろう。
それをよしとするか、しないかだ。
スウェーデンの戦略は、それを「よし」とした、ということ。
その人たちが亡くなってしまったら、もうそんなに増えないというのが実情だろう。

ぜひ、そのあたりをちゃんと検証してほしいと思う。
その上で、第二波云々を言ってほしいものだ。

いくら厚労省がIT化が20年遅れているからといっても、それくらいのことはやれるだろう。


| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
猿の自撮り
2010年に写真家が自撮りモードにしたカメラで、猿が自撮りをした写真の著作権について、訴訟があったらしい。
これもネット時代ならではだろう。

イギリスの写真家がそのカメラの持ち主だったということで、自撮り写真がネット上にアップされ、それが拡散されて一躍その写真家と猿が有名になった。
ネットがなければ、写真集にその写真を入れて発行しても、そんなに話題性はなかったんだろう。
ネットに上がった写真のおかげで、世界中の新聞や雑誌、Webサイト、テレビなどで紹介されて、写真家は儲かった。

でも、2つのウェブサイトがサルの自撮り写真を掲載したが「これはサルが撮った写真だから費用は払わない」と主張した。
ちょっと大人げないとは思うが、「自撮り」ということがわかっていたら、そう主張するかもしれない。

さらに、「動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)」は、それらの自撮り写真の著作権は猿に帰属するとして、すべての利益を猿のために使うことを提案した。
この猿の生息地域を守るために、費用が必要だったからだ。

結局は両者が和解して、写真家が25%をPETAに寄付するということで決着したらしい。

この問題には、米著作権局(USCO)が2014年に、著作権保護されるのは人間が撮った写真のみと判断したほか、米国第9連邦巡回区控訴裁判所が昨年、動物は著作権侵害を訴えられないと別途判断した。

猿に限らず、動物は著作権の概念もないし、金をよこせと文句も言わない。
Youtubeでネコ動画をよく見るが、飼い主が撮ってアップしている。
まあ、妥当なところだと思う。

ネコ動画は、何万人もチャンネル登録されている人もいて、食っていくのは無理でも、そこそこの小遣い稼ぎになると思う。
まめにアップして、映像もキャプションを入れて、キレイでないとだめだが…。
子ネコはいいコンテンツになる。

タレントの中には、テレビというコンテンツを見限って(自分が見限られる場合もある)、Youtubeの世界に入って活躍しようとする人もいる。
プロダクションを通さず、自分でやるということだ。

実力の世界。
常に興味のあるコンテンツを作り続けるのは至難の業。
食いつきも早いが、離れるのも早い。

動物に勝つのは難しいと思う。





| | 考えたこと | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
REON
ソニーが何ともソニーらしい製品を出した。
REON POCKETというウェアラブルの体温調節デバイス。

ソニーはトランジスタラジオで世に出た。
今まで真空管で作っていたラジオを、手のひらで、なおかつ電池で動くコンパクトな製品にしたのだ。

その後コンパクト化はソニーのお家芸になった。
ウォークマンもその一つ。

ネットワーク化でアップルに惨敗したが、また最近は調子が良くなってきた。

コンパクト化に付き物なのは、熱対策。
小さくすることは、熱をどう逃がすかという戦いでもあるらしい。
そこで得たノウハウで、夏場の身体を冷やそう、ということで新製品ができた。

ベルチェ素子というものを使う。
電気を通すと熱くなったり冷たくなったりする。
それを体温調整用にチューニングして小型化した。

クラウドファンディング(インターネットで製品を示して、資金を得る)で支持を得た。
すでに製品を使っている人もいる。
今回、ソニーから正式に発売されたという経緯。

身体を冷やしやすい首元にポケットのついたインナーも共同開発した。

もちろん、寒い時に身体を温めることもできる。
スマホでコントロールできる。

以前から気になっていたが、改めて値段を見ると1万3千円。
ちょっと高いとは思うが、夏の暑い時に汗をかかないというのは、値打ちがある。

と思ってソニーストアを見た見たら、もう初回のロットは売り切れ。
アマゾンでは倍の値段で売っていた。

もうちょっと待たないといけない。

| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
改正社会福祉法
社会福祉連携推進法人というものが、新しい社会福祉法で作られることになった。
メインは深刻な介護現場の人手不足を解消するということだ。
規模の小さい社会福祉法人ではできないことを、それらを連携する法人を作って、一緒になってやろうということらしい。

将来は外国人を入れざるを得ないし、その人達を教育、研修するためには余裕が必要だから、複数の福祉法人を連携(合併ではないらしい)させる。

北欧では、自分でご飯が食べられなくなったら死ぬということが国民のコンセンサスを得ている。
というより、そういう状態でも生きられるように、胃に栄養を流し込む「胃ろう」というのは虐待だとすら言われている。

「胃ろう」は日本では普通に行われている。
生きることが何より大事だ、ということがコンセンサスなのだ。

こないだのエライ医者がやっているのは、在宅緩和ケア。
家で死ぬ人を苦しまずに死ねるようにするのだろう。
その人も今の医療体制には疑問を持っている。

年金制度も悪いのだろう。
死にそうな親の年金を家族が当てにして、何とか生かしてほしいと懇願することもあるという。
親が亡くなったら、主たる収入が無くなってしまうからだ。

厚労省がやっていることはまあまあ正しいと思う。
しかし、もっと大事なことがあるはずだ。

まあ、今どきFAXで情報を集め、手打ちで処理しているのだから、効率が悪すぎる。
もっと人を減らして、お金を別のところに使うべきだ。
20年は遅れている。

もう一つは、国民の死に対する意識を変えることだろう。
厚労省というより、政治の仕事と言うべきか。

世の中の数少ない真実の一つが、生まれたら必ず死ぬということだ。
誰にでも平等に訪れる。
誰もがいつかは向かい合わないといけないことだ。

今は死を避けて、まるでないもののようにしてしまっているように思う。

何度か書いたが、本当に尊厳死についてもっと議論すべきだと思う。



| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
オトコマエの女子
オトコマエという言葉、最近ジェンダー絡みの言葉がややこしいことになっているが、以前の職場で使っていた。
男女問わず、「真っ当なことをやっている」というような時、その有様を表す。

例えば、大学のセンセイの研究費はだいたい年度末の駆け込み使用があるのだが、そういうことを一切せず、ちゃんと使途を明らかにして、なおかつ科研費もちゃんと取得しているセンセイは、女性であっても「オトコマエ」と言っていた。

キャリアの仕事をしていて一番うれしいのは、すごい若者に会ったときだ。
昨日の相談者はオトコマエの女子だった。

早くから就活を始め、ものづくりに興味を持ち、3月から4月にかけて名だたるグローバル大手企業2社から内定をもらった。
インターンから参加し、きっと評判が良かったんだと思う。
早期選考コースでコロナももろともせず、決まっていたのだ。

10日前に相談しに来た時には、そんなことは全く言わず、これまた違う業界のグローバル企業を受けるという。
1次面接の練習をしたのだが、全く問題ない対応で、大丈夫と太鼓判をおした。

そして、今日偶然にも同じ組み合わせになって、最終面接の相談だった。

今回も大丈夫だろうとは思うが、そこで初めて聞いたのが内定をもらっていたという話。
インターンからお世話になって、心苦しかったが、自分はやっぱりこっちだ、と考えて名だたる大手企業2社ともお断りした、ということだった。
その話を、選考状況について聞かれた時に、話したほうがいいでしょうか?という。

普通の学生なら、内定を一つは安全のために残しておいて、別の会社を受けるのだが、彼女は当然の如く「お断り」していた。
びっくりした。
競争率も高く、みんなが知っている会社を2つも「お断り」して、別の業界を志す。

ぼくは「背水の陣」という言葉が浮かんだが、言わなかった。
全くそういうつもりではなく、当然のことをした、という態度だったからだ。
きっとそう言っていたら、怪訝な顔をされただろう。

これを「オトコマエ」と言わずに何というのだ。

きっと彼女は内定を取れるだろうと思う。
虚実を取り混ぜてやっている就活で、そういうことを当り前にできる、という人はほとんどいない。

よい日だった。



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