考えたこと2

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2月29日
今日はうるう日。
2月29日だ。

ぼくは1957年生まれだから、最初のうるう年が1960年。
そこから4年おきに2月29日が来た。
2000年は100で割り切れるからうるう年ではないと思ったら、400で割り切れる年はうるう年になるから、今まで15回の2月29日を過ごしてきたことになる。
つまり、(2016−1960)/4=14で間の数が14あって、最初も入れるから(植木算)15回になる。

生まれてたった15回。
いつ死ぬかわからないが、平均寿命ならあと十数年だから、あと5回はないかもしれない。
生まれた年にもよるが、20回足らずが男性の平均値だろう。
要は人生でうるう日はたった20日ほどということだ。

そんな貴重なうるう日だが、今までのうるう日は全く記憶に無い。
うるう日だからといって、何かするわけでもないし、特別に何か祝いがあるわけでもない。
2012年の2月29日にも記事を書いているが、うるう年とは何の関係もない。
そんなものだ。

若いころはうるう年などいくらでも巡ってくると勘違いしていたのだろう。
別に特別なことではないからなあ。

年をとると、だんだんと普通のことが愛おしくなってくる。
うるう年みたいな、どうでもいいことでも何となく大事に思える。
4年に一度しかないからだ。

次のうるう年は2020年。
2月29日にはどうしているだろうか。

果たしてこのことを書いたことを覚えているだろうか…。

| | 考えたこと | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
七大都市
ぼくらが小学校のころ、七大都市という呼び名で言われていたのは、東京、大阪、名古屋、横浜、京都、神戸、北九州だった。
七大都市、という名前はよく覚えている。

当時ぼくは神戸市民だったから、神戸は6番目に大きな都市だ、と喜んでいた。
学校が神戸市立だったから、特にそれを教えたわけではないと思うのだが…。
その後神戸は札幌に抜かれて、京都を抜いたが、今回福岡にも抜かれた。
今は7番目だ。

京都を抜いたのは、どんどん周囲の町を併合していったからだろう。
ぼくらが習ったのは、垂水区、兵庫区、長田区、生田区、葺合区、灘区、東灘区の7つの区だったが、その後生田区と葺合区が合併して中央区になり、西区と北区ができて大きくなった。
西と北の方にどんどん伸びていったということだ。
ズルいといえばズルい。
昔の神戸市なら、もっと人口は減っているんだと思う。

Wikipediaを見ると、六大都市という言葉が一般的なようだ。
「六大都市(ろくだいとし)は、1922年(大正11年)に日本の六大都市行政監督ニ関スル法律で定められた、東京府東京市、神奈川県横浜市、愛知県名古屋市、京都府京都市、大阪府大阪市、兵庫県神戸市の6つの市のことで、当時の人口上位6都市にあたる。「六大市」とも言う。
1943年(昭和18年)7月1日の東京都制および五大都市行政監督特例の施行により、公的には「六大都市」とのくくりは廃止された。」

昔は六番目ということに意義があったのだろう。

神戸は七大都市の一つ、というのはぼくら小学生のちょっとしたお国自慢だったのかもしれない。
だから、いまだに「七大都市」という言葉を覚えている。

今になって、人口は大事だと思う。
中国が経済的に強いのは、人口の多さの部分もある。
日本のGDPが縮小傾向なのも、少産多死化で人口が減るからだろう。

そんな単純なことが大事だとは思っていなかった。
わかっていたら、もうちょっと真面目に考えていたとは思う。

しかし、まだ神戸が7番目とは。

喜ぶべきだろう。


| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガラパゴス政治
軽減税率は導入している国はヨーロッパに多いが、それは過去の経緯があるものであり、これからは入れない方がいいということを言っているらしい。
日経にそういう記事があった。

「世論が支持する軽減税率の導入を政権が決定するのは当然のように思われる。しかし国際社会では、軽減税率は消費行動をゆがめ、金持ちを優遇すると知られてから30年以上たつ。」

東大の教授が書いている。
さらに、軽減税率を入れた経緯をこう説明している。

「欧州諸国は逆進性緩和のために軽減税率を導入したのではない。欧州では消費一般への課税の伝統が長く、その古い形態を付加価値税に転じる際、既に存在した低い税率が温存されたのが軽減税率の始まりだ。その弊害が明らかになっても廃止できないのは、既得権益を守り利権を配分できる軽減税率を一部業界や政治家が手放さないからだ。
 最初に付加価値税を導入した西欧諸国は、他国には軽減税率を使わないよう助言している。にもかかわらず新たに導入するのは、先進諸国としては日本が初めてである。」

こういう専門家の声がどうして今ごろ出てくるのか。
日経は宅配の新聞は軽減税率を適用、ということが決まってからこれを載せた。
きっと社内にもこれはオカシイという人もいたのだろう。
それは、いやしくも「経済」を名乗った新聞だから、今ごろ軽減税率など…、という人もいたはずだ。
その声はかき消されてしまったが…。

一部の経済学者は、軽減税率などもともと相手にしていなかった。
そんなものを導入するとは考えていなかったからだ。

しかし、おそるべきポピュリズムである。
軽減税率というようなものを導入したら、そこに利権が発生し、利権が発生する所に政治家が活躍する温床ができる。
すでに、そういう動きもあるらしい。
公明党がそこまで考えていたとは思わないが、結果的にそうなった。

国際通貨基金(IMF)でも、軽減税率はやめるように言っているとのこと。
いったい、公明党は何を考えているのか。

記事の最後にこう書いてあった。

「先進諸国がより高い課税負担を国民に説得してきたのに対し、与野党ともに増税の先送りと減税で有権者の歓心を買ってきた政治がその原因だ。政治が政策を吟味せず、唯一の負担軽減の手段のごとく提案すれば、軽減税率への世論の支持は当然高くなる。労なく支持を得んと導入に走るのは、政治の無責任である。」

本当にそうだと思う。
マスコミが専門家の声を封殺すれば、世界では廃止の方向の法案も通るということだ。

きっとここには「政治とマスコミの無責任」と書きたかったのだろう。
これこそ、日本特有。ガラパゴス政治だ。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育の未来
人工知能が人間の仕事を奪っていくという。
賢い方がいいなら、それもあるだろう。
そうなると、賢い人がやっている仕事が一番にヤバくなる。

今奪われようとしているのは、銀行のヘルプデスクや法律の判例を調べる仕事だという。
銀行のヘルプデスクの仕事は多岐にわたる業務に精通した人がやっていたが、それが膨大なマニュアル化され、それを人工知能が学習して代替えできるようになった。
客から聞かれた内容を打ち込み、人工知能が答えを出し、それを人が伝える。
融資の判断もある程度人工知能ができるらしい。
お金を扱う仕事は、それが正確に入っているデーターベースがあって、ある程度の仕事の判断や方法が決まっていれば、人工知能に取られてしまう。
判例も同じこと。
ただ、これは内容を読んで、その意味を理解する必要があるが、法律の書き方はあいまいさがないので、人工知能向きなのかもしれない。
でもまあ、仕事を取られるといってもほとんどの場合、一部分だろう。
そこから先、人間に伝える仕事はやはり顔と顔を突き合わせて感情の入ったものでなければ、客は納得しない。

つまり、あるレベルで覚えたり、考えたりする仕事は人工知能ができるようになるということだろう。
工夫や合理化まで考えるようになるかもしれない。
結局人工知能の打撃を受けるのは、一般事務よりもちょっと上の仕事まで入るんだろう。

当分営業は安泰だと思う。
信頼とか人付き合いとか、そういうものが大事にされるからだ。
数字や文書をもとに判断する、というような仕事がヤバい。
つまり、中間管理職あたりの仕事までかもしれない。

工場はもっと厳しいだろう。
イメージセンサが発達して、目で見て確認しながら動くことができるロボットがどんどんできてくる。
前工程の状況や後工程の状況も判断しながら稼働し、熟練工まではいかないが、人間の平均以上の精度で、流れてきたものと通信してそれが必要としている加工を施すこともできる。
IoT(Internet of Things)という技術がそれを可能にするという。
壊れそうになったら、自分で修理を呼んだりもできる。
工場の労働者はさらに減っていくだろう。
生産年齢人口が減る日本にとっては、いいことかもしれない。

明治以降の教育は、上の号令以下、それにしたがって動くという人を送り出してきたと思う。
敗戦後、民主主義教育となったが、その部分は変わっていない。
そういう労働者が必要とされたし、その教育がうまく機能したからこそ、高度成長できたんだと思う。
今問題になっている組体操など、その最たるものだと思う。

しかし、これから社会は変わっていく。
人工知能が生まれ、実用化されていく。
そんな時代に、人間は何を学んでいくべきか。

製造業に従事する人は少なくなるだろう。
これからは、サービス業の時代になる。
考える人はやっぱり必要だ。

どんな教育が必要になるんだろうか。

| | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
アップル問題
スマホ1台あれば、いろんな事がわかる。
どこに連絡をとったか、どんな連絡先を持っているか、どんなメールを出したか、どこにいたのかなど、以前の電話よりも格段に情報量が多い。
サイバー犯罪のドラマを見ていると、たいがい、加害者や被害者のスマホを押収して調査し、犯行前後に連絡を取った先が共犯者だったり犯人だったりする。

アップルはFBIからテロ犯人のiphoneのデーターを調査したいと言われている。
ここ数日海外やWEB上ではニュースになっている。

具体的には、FBIはiphoneの情報を見ることができるような「バックドア」を作ってほしいと言っている。
バックドアというのは、FBIが鍵をもっていて開くことができる入り口というようなものだろう。
FBIはそれがあれば自由にiphoneのデーターを見ることができる。
テロリストがiphoneを持っていた場合、その中のデーターを見て、犯人につながっている人を特定し、共犯者を見つけることができるかもしれない。
そして、犯人グループを芋づる式に捕まえることができるかもしれない。

それだけ聞くと、バックドアを作ったほうがいいと思える。
しかし、FBIに自分のプライバシーを知られたくないと思う人もいる。
FBIが悪用するかもしれないし、FBIではない人がハッキングに利用したりするかもしれない。
そう思うと、作らないほうがいいようにも思える。
アップルはFBIに対して拒否の立場を取っている。
グーグルも同じ立場らしい。

新しいOSになればなるほど、セキュリティは強化されている。
個人のプライバシーを守るのか、それとも公共の利益を守るのか。
難しい問題だ。
ぼくが小学校の頃は、道徳の授業で公共の利益が優先するというふうに習った。
しかし、時代は変わって、どんどん個人の利益が強くなった。

アップルには政治的な配慮もあるのだろう。
中国で商売しようと思うと、アメリカの国家権力と結びつくのは不利だ。
だからといって、犯罪が起こるたびに選挙で問うわけにもいかない。

しかし、どこかで折り合いをつけないといけない。

きっと何らかの規則を作る必要があるんだろう。
情報端末というのは、文字通りその人のいろんな情報を含んでいる。
含んでいるからこそ便利なのだが、今までなかったような問題が出てくる。

悩ましい問題だ。

| | 考えたこと | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
小惑星衝突?
NASAが小惑星の衝突の可能性を発表した。
小惑星の名前は2013 TX68という。
今年の3月5日に最接近する予定。

一部の人工衛星よりも地球に近いところをかすめるかもしれない、ということだ。
太陽の方向から近づいてくる小惑星は、太陽の明るさでなかなか観測できない。
2013年に3日間だけ観測できたのがこの惑星。
最接近時の地球との距離を正確に予測するのは難しい。

この惑星は直径30メートルと推測され、こないだロシアに落ちた隕石の1.5倍あるらしい。
惑星というくらいだから、太陽の周りを回っていて、今回は衝突しないとされているが、次回の2017年9月28日には2億5000万分の1という確率で衝突する可能性があるとのこと。

まあ、これくらいの惑星なら、もし衝突しても大惨事にはならないだろうが、すごい精度で毎日夜空を見張っている人がいる。
直径数10メートルの地球近傍惑星は100万個もあるという。
大変な仕事だ。

夜中の間に録画したものを昼間に見るんだろうか。
アメリカのことだから、毎日夜勤をしているわけではないだろう。
天文学者というと、天文台にへばりついて一日中空を見ているというイメージがある。
しかし、CCDカメラも発達したし、自動で運転できる部分もあるんだろう。
Wikipediaをみると、自動運転でデーターベースもあるという。

そういえば、インターネットのハッカーを追いかけたノンフィクションを書いた人も天文学者だった。
コンピューターに詳しくなければ、天文学者もやっていけない時代なんだろう。
軌道の計算など、プログラミングで計算するから、詳しくなるのかもしれない。

仕事のイメージもだいぶ変わる。
天文学者がコンピューターの使い手だとは…。

そういう人たちがいて、こういう予想ができる。

たった直径数十メートルの惑星の予測だ。
昔なら、全くわからなかっただろう。

世の中、進歩したなあ。

| | 考えたこと | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
本当の学力
「本当の学力とは何か」という記事があった。

その内容は、ある巨大企業で、80年代のバブル前の時期、入社時の学力と会社での昇進はほぼ正比例の関係にある、ということだったが、バブル崩壊後グローバル化の波を受けて、従来の事業がふるわなくなり、新規事業を次々と立ち上げたが、どれもダメだったというもの。
結局、「学力」と新規事業をする力は正比例ではなかった、ということだ。

会社の業績が良かった頃の管理職の仕事は、「官僚的な仕事」であり、資源や人の配分やそれらの計画、実行、修正という仕事だったという。

しかし、これからは「商人的仕事」や「研究的仕事」がメインになり、従来の学力では対応しきれないということらしい。

たしかに、これから伸びるのはサービス業だ。
人が高齢化してくるし、ITも進むから新たなサービスが商機を得る。
多様化していくから、雇用機会も多いはず。
そうなると、今までとは違う能力をつけた人が必要になるのだろう。
今の教育は、少なくとも「商人的仕事」をターゲットにしているとは思えない。

学校法人にはずーっと学校で過ごしている人がたくさんいるが、あの人たちを見ていると「とにかく、やってみる」という感覚が少ないのに驚く。
新学部の設置だとか、新しいカリキュラムとか、新しい評価法とか…、とにかく「新しい」という言葉に拒否反応を示す人が多い。
ずーっと学校にいると、今が一番いい、と思うようになるのだろうか。

ぼくらは会社に入って、ある時期からは脅迫的に「新しいことをやらないと…」と思ってきた。
それが「商人的仕事」だろう。
ずーっと同じことをやっていたらダメだという感覚だ。

なにか新しいことを提案すると、「もしダメだったらどうするのか」という。
ダメだったら、変えるか止めるかする、というと、そんなことではダメだという。
やるからには、必ず成功しないと…、ということらしい。
必ず成功するという策があるなら、もう誰かがとっくにやっていると思わないんだろうか。
リスクをとるから、果実が得られるというのは世の中の常識。
そこから外れた所に学校の感覚はある。

吉田拓郎ではないが、新しい船を動かすのは古い水夫じゃない、ということだ。
そこで行き着くのは、どうやって新しい水夫を育てていくのかということ。

少なくとも、ずーっと学校にいる人ではない人を、もっと活用しないといけないと思う。

でも、ずーっと役所にいる人も同じような感じだから、難しいだろうなあ…。

| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
二代目
世間では三代目というと、J・ソウル・ブラザーズだという。
ぼくはてっきり春団治だと思っていたが、時代錯誤も甚だしいらしい。

二代目というと、決まった名前は思い浮かばない。
でも政治の世界を見ると、小泉進次郎というのがいる。
小泉総理の息子だ。

自民党農林部会長に抜擢されて、年明け早々「農林中金はいらない」という発言で物議をかもした。
この二代目、なかなかやりそうな気がする。
彼によると、農林中金は96兆円集めても、農業の融資に回るのはたったの0.1%しかないそうだ。
それなら、農林中金の意味がない、という彼の意見も納得できる。

農林中金はJAが集めたお金を吸い上げて、運用するという会社。
JA系だから、税制を優遇されているらしい。
それでいて、農業への融資が少ないなら、なんのための優遇かということだろう。
不良債権で騒いだ時も、農林中金は問題になったはず。
たくさんの不良債権を助けてもらったと思う。

おまけに地域のJAも農業への融資は5%しかないらしい。
これではいくらやる気がある農家が、大規模に展開しようとしても、資金がなくてできない。

それでいて、農協から買う肥料や農機具は割高だという。
農家からカネを集めて、運用しながら割高のものを売っているなら、いったい何だということになる。
実際JAから買うよりも、ホームセンターで買ったほうが安いという。
どないなっとんねん、という感じだ。
これではJAは農家のカネをむしりとっていると言われても仕方ない。

そういうことを農林水産業骨太方針策定プロジェクトチームで二代目が言った。
だいたいの二代目はいつの間にか代議士になっていて、存在感がないことが多いが、この二代目は違う。

初代が郵政民営化をしたように、日本の農業を儲かる農業に変えていってほしい。

世界では人口が増え続け、第一次産業は必要とされる産業だ。
いくら人工知能が発達しても、なくならない。

強い農業が生まれることを期待する。
ガンバレ二代目。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
営業心理学
最近の大学にはいろんな講義がある。
こないだWEBのニュースを見ていたら、手相を見る芸人が、どこかの女子大の営業心理学講師に就任した、という記事があった。

調べてみると、その大学には社会関係学部というのがあって、社会・臨床心理学専攻、というのがある。
そこで心理学を教えているのだが、その授業の一つらしい。
分野は社会心理学になるんだろうが、懐が深くなったものだと驚いた。

もともとアカデミズムの人たち(教授と呼ばれる)は、アカデミズム以外の人たちの参入を拒む傾向がある。
それはそうだろう。
苦労に苦労を重ねて、ようやくたどり着いた所に、横入りされるようなものだからだ。
それほど、アカデミズムの世界は狭いというのが、ぼくが得た結論。
もちろん、研究実績がないとダメだから、それは必要とされるし、審査対象にはなる。
最近はそれに加えて授業の実績もないと苦しかったりする。
高学歴プアとも言われる、何万人もの非常勤講師がひしめいているアカデミック市場だから、選抜は厳しい。

もちろん、客寄せパンダみたいな先生も、受験生を集めるという意味では必要であり、それに合致したのがこの人事だったんだろう。
その種の講師には事欠かない。
扱いは非常勤講師だったり、客員教授だったり、いろいろだが本来の(ちゃんと給料がもらえる)大学教授ではないと思う。
その部分は犯せない領域になっているんだろう。

しかし、営業心理学とはこれまたビックリだ。
行動経済学という学問があるが、これは人間の心理の領域まで入って、集団の人間がいかに間違うかというような観点に加えて、ゲーム理論などまで含まれた学問。
ぼくはこれがとても面白いと思ったのだが、ぼくの知っている心理学者は、どうもこれを認めていないと思う。
というか、そんなものがわかっても、人間の心理はわからない、というように考えているのだろう。
それは正しい意見だが…。

だから、営業心理学、という言葉自体も画期的だろうし、心理学者もだいぶ裾野を広げてきたなあ、と思う。
営業の心理学だから、どうやって信頼を勝ち得るかとか、怒っている時のなだめ方とか、そういうのをやりそうな気がする。

ちなみに、この大学、定員は満たしており、そんなに困っている様子もない。

転ばぬ先の杖、という感じか。
それとも、今回の芸人に何かのコネがあったのか。

それを調べても面白いだろうけど…。

| | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
Pokemon
ポケモンというと、ぼくらの世代なら子どもがゲームボーイでやって、それを手伝わされた人も多いと思う。
当時子どもが二人とも小学生で、難しいステージではやらされた記憶がある。
子供向けのゲームソフトとして、よくできていたと思う。
モンスターをゲットし、それを戦わせて経験値を上げ、強いモンスターを育てて図鑑に載せるというようなものだった。

難しいステージはけっこうよく考えられていて、どこか工夫しないとクリアできないというようなものだった。
数年間はレッドだゴールドだといって(ゲームの新作は色で表されていたと思う)、毎年買うのが大変だったと思う。
長男が白黒のゲームボーイから始め、二男がカラーになったかという感じだった。
ゲームボーイの進化とともにポケモンは育っていったという感じ。
でも、ある時期からは新しいポケモンもそんなに出てこず、新しさはなくなったと思う。
その頃には子どもももうポケモンは卒業していた。

その間にスゴイ勢いでライセンス化は進んだ。
当時のポケモンで人気があったのはなんといってもピカチュウ。
光るネズミだったと思う。
ある意味ではミッキーマウスと同根だ。
そのほかにもカメックスとか、なんとかバナという植物もあったなあ。

文具という文具にはポケモンがつき、茶碗や湯呑み、箸に至るまでポケモンのついてないものはなかった。
ポケモンカードは大人気でレアものは高値がついた。
テレビ放送が始まり、映画も始まった。
モンスターたちはゲームの中だけではなく、一人歩きを始めたような感じだった。

2000年代前半、何度かアメリカに出張したが、「ポーキーマン」という名前(ポケモンがそう聞こえるだけだが)でアメリカでも人気があった。
みんなアメリカのポケモンカードを、トイザらスで子どもの土産に買った。
うちはあまり喜ばれなかったが…。

というわけで、我が家ではそれでポケモンの時代は終わった。
でも、順調にポケモンビジネスは進んでいた。
株式会社ポケモンというのができていて、今やポケモンは4.4兆円の市場。
売り上げの半分以上が海外。

今や世界のポケモンだ。
それらを管理して、ライセンス商品を作り、儲けている。
もちろん、新しいものも作っているのだろう。
でも、新しいものよりは、今までのポケモンの資産をどう運用するか、というのが会社の役割のような気がする。

平成10年に会社になった。

これもクールジャパンの躍進の一つだろう。

ポケモン、日本発のブランドだ。

| | 考えたこと | 16:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
Something Stupid
フランク・シナトラとナンシー・シナトラ親子がデュエットで歌った歌。
親子で歌っているからか、真剣なラブソングというよりちょっと軽めの歌。
邦題は「恋のひとこと」。

昔の洋楽にはたいがい邦題がつけられていた。
だからといって、訳詩で日本人が歌っているわけではない。
邦題をつけるのは、題名を覚えやすくするためだ。
1950年代から70年代くらいまで、きっと戦前や戦中に育った人が多く、英語がわからない人が多いと思われていたからだろう。

ぼくらの年代なら、聞きおぼえがあるなあ、と思うようなメロディー。
この歌を竹内まりやのアルバムで聴いた時は懐かしかった。大瀧 詠一とデュエットしている。
この歌は山下達郎には似合わない。
デュエットのコーラスパートも含めて、この曲はとてもいい曲だと思う。

メロディーの男声とコーラスの女声の絡みがいい。
普通の3度上のコーラスではなく、5度上の音になる。
女性パートだけを歌うと、お経のように聞こえるが、これにメロディーがはいると全く違う響きになる。(たいがいのコーラスはそうだが…)

歌の中に出てくる”Something stupid like I love you” というのは、アイ・ラブ・ユーっていうようなばかな言葉、というような意味。

そういう軽いノリの歌かもしれない。
それでも、シナトラ親子のコーラスは魅力的だ。
もちろん、竹内まりやと大瀧詠一もそれなりにいい。

こういう曲をギターでやりたいなあ。

| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
民主主義は悪い?
ニューズウィーク誌の記事によると、アメリカの若者が民主主義離れをしているらしい。

その記事によると、「これは世界的な傾向だが、アメリカの若い世代でとくに顕著だ。1980年以降に生まれたアメリカ人で、民主主義国家に暮らすことが大切と答えた人の割合は30%に満たない。1970年以降に生まれたアメリカ人では、民主主義を「悪い」あるいは「非常に悪い」とした人が5人に1人を超える。1950年から1970年の間に生まれた人と比較してほぼ2倍の割合だ。」とある。

これはちょっとショッキングだった。
ぼくは戦前の日本の体制よりは戦後の体制がいいと思うし、民主主義はいいことだと思っている。
それは直接には戦前を知らなくても、馬鹿な戦争をやった体制だし、民主主義を持ち込んだアメリカを正しいと思っているからだ。
そのアメリカで、若い人たちが民主主義が悪いことだと思っている割合が20%を超えるとは…。

たしかに、今のアメリカは手放しで公平な国とは言えない。
格差は大きく広がっている。
上位10%の所得が全体の50%に達する国だ。
トリクルダウンという、全体が儲かれば、みんなが儲かるという理屈もわからないではないが、どこまでそれが機能しているのかわからない。

若者が選挙に行きにくくなるような法律も作られているらしい。
そういうものが反感を持たせるのだろう。

ぼくらは戦後の社会で、アメリカに代表される、民主主義で自由貿易の体制で育ち、その利益を享受した。
結果的にアメリカの軍備にただ乗りさせてもらったことも幸いした。
朝鮮戦争、ベトナム戦争など、アメリカがやっている戦争はなんとなく「民主主義のため」という大義があると思っていた。
それは単にアメリカの国益のためだったのかもしれない。
でも、民主主義は常に掲げられていたはずだ。
今になってちょっと怪しくなったが…。

しかし、時代は変わったのかもしれない。
そのお膝元のアメリカで民主主義にたいして懐疑的な若者がいる。

冷戦が終わって、アメリカも掲げるべき正義がなくなった。

これから歴史はどうなっていくのだろうか…。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
囲碁も人工知能
ついに、人工知能の棋士がプロ棋士に勝った。
グーグルが開発した人工知能だ。

チェスでは1997年に世界チャンピオンを破り、将棋も最近はトントンになっている人工知能だが、ついに囲碁も強くなったということだ。
囲碁は盤面が広く、局面の数は「10の360乗」になるとされているらしい。
局面の数が増えるほど、勝ち手を予想するのは難しくなり、従来は10年先くらいにならないと人工知能は勝てないと言われていた。
それが勝てるようになったのは、全ての局面を計算するのではなく、人間のように石の配置を見て予想するという方式になったからだ。
数々のゲームをインプットし、どういう時にどういう勝ち方をするかというようなことを、コンピューター自ら学習する、「ディープラーニング」という手法を使う。
具体的なやり方はわからないが…。

人工知能が自分で学習するのであって、それがどういうやり方で強くなっているのかはわからない。
人間は学習方法を決めるだけで、その内容はわからないらしい。
そこが何となく気になる。
まるで人間のようだ。
人間のプロ棋士も、どうやって考えているのかと言われると、それは説明できないだろう。
数手先なら考えられても、盤面全体の予想はできない。
過去の対戦結果とか、パターンとかそういう漠然としたものを元に次の一手を決めているはずだ。
そのやり方をコンピューターも使う。
これが発展するとどうなるんだろう。

人工知能は日進月歩だ。
どんどんソフトウェアが進むと、いつか人間のように考えることができるようになるかもしれない。

映画のターミネーターみたいにならなければいいのだが…。


| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
世も末
少し前になるが、日経の記事を見て思わず笑った。
「頭の体幹」を鍛えなければならない、という提言を人材育成に取り組むNPOが出したとのこと。
「頭の体幹」とは、まるで脳みそが筋肉でできているという感じがする。

昔から日本には「地頭」という言葉がある。
地頭を鍛えようということを言いたいのだろうなあ。
しかし、頭の体幹とは…。

NPOの中心メンバーは法政大学の教授で、さもありなん、という感じだ。
以前から法政大学は「キャリアデザイン学部」というのを作ったり、一時はアルバイトで単位を出すというような取り組みをしていた。(今はアルバイトで単位というのはやっていないようだ)
キャリアデザイン学部では経営学、教育学などを学ぶらしいが、だいたいカタカナの学部は総じてあまりスジがよくない。
そこに行くくらいなら、経営学部や教育学部に行けよ、ということだろう。
大学側もそのあたりの先生で、元になる学部からはみ出した人を入れているようなところが多いと思う。

本来、キャリアデザイン学などという学問はなく、どちらかと言うと教員がそれを学んで、学生指導に活かすというようなものだ。
それをいきなり学生に教えようというのだから、よく文科省が学部設置を認可したものだと思う。
漬物が主食になった感じだなあ。

このNPOは産学連携してやっているので、大学から企業への提言と、共同で取り組むもの、企業から大学への提言に分かれている。
提言は全部で12項目。

大学への提言
 大学教育の意義を正しく伝える
 教員の評価基準として教育能力をより重視
 教員が教え方を工夫する
 キャリアセンター職員の専門性を高める

共同で取り組む活動への提言
 外部講師に対して期待することを明確に
 学生と社会人が少人数で議論する場を増やす
 インターンシップを通して社会と企業を知る

企業への提言
 採用面接で学業について質問する
 採用面接へのルートを多数確保する
 内定後の採用前教育を長期的視点で行う
 考える習慣を身につけさせる
 入社後も「頭の体幹」を鍛え続ける

まあ、こんな身も蓋もない提言、よく出したものだと思う。
企業から見たら、大学は大学教育の意義を正しく伝えていなくて、教員は教育能力が低くて、教え方も工夫せず、キャリアセンターの職員は専門性が低い、ということだ。
だから、それらをちゃんとしなさい、という提言なんだろう。
たしかにこの先生の意見は概ね正しいと思う。
法政大学の教授が代表として写真入りで新聞に載っているところをみると、法政大学でもこのような状況なんだろう。
一応、MARCHと呼ばれる私学の2番手(明治、青山、立教、中央、法政、関西なら関関同立)がこれだから、日本の大学も落ちたものだ。
これなら、文系学部は廃止(訂正されたようだが)ということもうなづける。
しかし、もうちょっと書き方があるのではないか。

企業への提言など、意味不明である。
採用面接でどんな質問をしようと勝手だし、大学がちゃんと学業をやらせていないから学業のことなど聞いても仕方がない、という企業が出てくる。
内定後の採用前教育など、卒論のジャマだからやめてくれ、というのならわからなくもないが、それを長期的視点で、というのはどういうことか。
考える習慣をつけさせる、とは大学に言っていることではないのか。大学で考える習慣がついてないから、企業でつけさせないといけなくなる。
しまいに、入社後も「頭の体幹」を鍛えるときたもんだ。
いったいどこに大学の責任があるのだろうか。
もう脳みそが筋肉になっている。

戦後70年。
民主主義教育の結果がこれだ。
世も末だと思わざるを得ない。

池田晶子が言っていた、「教える人を教える人がいない」という現状。
笑えない現実だ。

そうでない人もいるのだが…。

最後に池田晶子の文章を引用する。

「 私は直には知らないことだが、敗戦の焼け跡、つまりまさしく最悪の状態から立ち上がってくる人々のパワーというのは凄いものだったと、知っている人々は口を揃えて言っている。しかし、立ち上がってくるその方向を、どうやら間違えていたらしい。五十数年かけて、われわれは一国を滅ぼしつつあるらしい。五十年かけて滅んだものを立て直すには、通例二、三百年はかかるというのは、さる碩学の言である。建造物ではない。壊れた建造物なら、数年数か月で再建できるが、いったん壊れた国家や社会を再建するのは、容易なことではない。ことは人心の問題だからだ。人心の教育、再教育には、何世代にもわたる忍耐と覚悟とが必要なのだと。
 このような議論の運びには、その通りと納得しつつも、だからどこからそれを始めるのだ、始められるのは誰なのだ、という現実的な疑問に、いつもハタとぶつかってしまう。やっぱりニワトリとタマゴなのである。教育こそが必要なのだが、教育する人を教育する人がいない。警察官を取り締まる人がいないのと同じことである。」
| | 考えたこと | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダボス会議
世界経済フォーラムが、それぞれのテーマに沿って話し合うダボス会議の番組を見た。
クローズアップ現代の司会をしている国谷裕子さんが司会をしているセッション。

アメリカのシリコンバレーでは、近い将来人間の仕事が大幅に減ると考えているらしい。
人工知能が発達するからだ。

実際、特定の業務に特化した人工知能はもう人間の仕事を奪い始めている。
銀行のヘルプデスクなどは人間が対応しているが、電話で聞かれた内容を打ち込み、コンピューターが答えたものを、人間が伝えているらしい。
今までは銀行のあらゆる業務に精通した人がやっていた仕事が、ある程度の研修をするだけで出来るようになる。
今は人間が伝えているが、そのうちコンピューターが答えられるようになる。
そうなると、仕事は減る。

しかし、そうなった時には人間は何をすればいいのか。
遊んで暮らせばいいのだろうか。
そんなに甘いものではないだろう。
6人ほどのパネリストが話をしていたが、みんな手放しで喜べるようなことは言わない。

テクノロジーの進歩に社会システムがついていかなければならない。
イギリスの非営利団体、オックスファムによると、世界の1%の富裕層の持っている富が、残り99%の人たちよりも増えたらしい。
富が偏在している。
富を再配分する仕組みをつくらないといけない。

今までは生産性が上がると、収益が増え、それが雇用を創出した。
その新たな雇用がGDPを押し上げた。
それを発展と言った。
しかし、これからはそうではないかもしれない。
生産性を上げるのが、ロボットや人工知能になるからだ。

機械に取られていく仕事はほとんどが中間層の仕事だということだ。
定型化された考える仕事、というのがなくなっていく可能性が高い。
でも、それがいつ顕在化するか、いつ問題になるかはわからない。

しかし、問題になってからでは遅い。
今から何をするか、ということになる。
でも、政治家は目先のことをやれ、という圧力があってなかなか先のことに手が打てない。

みんなが口をそろえて言っていたのが、教育の重要性だ。
小中高の教育もあれば、スキルの再教育もある。
いったん仕事を離脱した人が、戻れるように、ということも含まれる。

オランダで行われている仕事のシェア、ということも言われていた。
それが少ない労力でより多くの利益が得られる社会に対応するための手段の一つだろう。

アメリカのパネリストは、Uberのような新しい仕組み(インターネットを使って、クルマを持っている人が好きなときにタクシーの代わりに働ける)を拒むのではなく、どんどん受け入れるべきだという。
規制緩和をもっと進めないといけない、ということだ。
Uberのドライバーに聞くと、収入が増えないが、好きな時間に働けてハッピーだという人が多いという。
未来はそういう働き方をすべき、という意見だった。

そして、仕事や人生の意味、というところまで話は進む。
テクノロジーの進歩は人間にとっての仕事の意味や、人生の意味までも変革を迫る。
こうなってくると、もう哲学者の領域だ。

ぼくはあと何年生きるかわからないが、そういう時代になるんだろうか…。

| | 考えたこと | 20:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
パリとジャズ
パリが舞台の映画を録画で見た。
初老の夫婦がパリで週末を過ごすという映画。

どうということのない映画だったが、バックに流れる音楽がジャズで、それがよく合う。
サックスのリードにベースとドラム。
パリの夜景とジャズがマッチする。

夜景が綺麗なパリには自己中心主義の人たちがたくさん住んでいる。
セーヌ川の河畔はイヌの糞でいっぱいだった。
ぼくの知っているパリは80年代後半。
あれからだいぶ変わっただろうが、今もイヌの糞はたくさんあるらしい。

その頃も「人はパリで愛を知る」などと言われていた。
フランス政府の戦略だったのかもしれない。
ぼくはアミアンというフランスの田舎から何度か行っただけだったが、パリの街はとにかく人が多かった。
何となくおしゃれな人が多いような気もした。
フランス語など全くわからず、みんなカエルみたいに話しているようなところに行って、面食らっていたからそう思ったのかもしれない。

でも、ああいう映画を見ると、一度でもパリに行って雰囲気を感じられてよかったと思う。
映画で見るとどこでも綺麗だが、パリは凱旋門やエッフェル塔の夜景は綺麗だ。
昔行った時はクルマのヘッドライトが黄色で、独特の雰囲気があったものだが、それも規制撤廃されてなくなった。
それでも、やっぱりパリは綺麗だ。

日本もこれからは外国人に来てもらわないといけない。
東京は外国人の人たちにどう映っているんだろうか。
人は東京で何を知るんだろうか。

いつまでも爆買いに頼っていてはいけない。

パリにはジャズだったが、東京には何だろうか…。

| | 考えたこと | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランプ人気
アメリカの大統領選挙は何かと話題になる。
今回は共和党のトランプ候補が物議をかもしている。
不動産王、ということで実業の世界では成功しているらしい。
しかし、移民を入れないとか、ラテンアメリカやイスラムに対する態度など、問題が多いのも事実。
トランプ候補が大統領になったら、沖縄の基地もなくなって、グアムに行くかもしれない。

ところが、トランプ候補は一部の民主党支持者もひきつけているとのことだ。
何でそんなに人気があるのか、不思議だった。

なるほど、彼の言っていることはアメリカの一部の大衆の意見を代表している。
それでも、良識ある市民はあのトランプ氏の意見に同意するとは思えない。
でも、たくさんのアメリカ人が彼を支持し始めた。

なぜかと思ったら、かれは選挙資金を自ら稼いだカネでやっているらしい。
他の候補はみんな献金を受けているが、彼だけは自前。
そこが魅力らしい。
だから、一部の民主党の支持層まで獲得している。

なるほど、そういうことだったのか、と思う。
格差社会と言われるアメリカで、やっぱり企業献金を嫌う一定層がいるということだ。
いつの世もお金をもらったら、便宜を図るのは当然。
建前上は、その候補の政策に賛同するから払うということなのだろうが…。

アイオワ州での選挙結果ではトランプは敗退した。
でも、意外と頑張るかもしれないぞ。

しかし、献金をもらっていないということは、自分の好きなようにできる、ということでもあるし、その意味では恐いとも思う。
彼を見ていると、献金が歯止めになる場合もあるだろうからなあ。

難しい…。

| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
未来の戦争
未来の戦争は実際の弾やミサイルが飛びかう前に、サイバースペースやスペースそのもので起きるのかもしれない。
「スペースそのもの」とは、宇宙のことだ。
今中国では着々と宇宙開発の準備が進んでいるらしい。

2020年には中国独自の「天宮」という宇宙ステーションの運用が開始される。
22年には施設を運営し、国際的に飛行士を受け入れるという話もある。
ドイツが中国と宇宙協力に動き出したという話もあり、中国版の国際宇宙ステーションになるらしい。

今の宇宙ステーションは米国、ロシア、日本、カナダ、欧州諸国の計15カ国で運営されており、日本は8900億のお金をつぎ込んだ。

日経によると、「現在、主要国の安全保障体制は、宇宙空間にあるミサイル発射を探知する監視衛星や偵察衛星、通信衛星などに深く依存し、これら宇宙装備なくしては軍事作戦を展開できない状態になっている。仮に将来、大国同士の軍事衝突が起きた場合、双方が緒戦で互いに相手の宇宙アセットをつぶし合う展開になるのは確実だ。だから、米国や日本は、中国が平時に他国から技術を吸収し、有事の宇宙作戦能力を強めるような事態は極力避けたい。」とのこと。

未来の戦争では、まず宇宙で始まるということだろう。
宣戦布告と同時?に相手の偵察衛星や通信衛星、GPS衛星などを攻撃する。
今まではアメリカだけがそういうことができる装備を持っている可能性があった。
しかし、2020年頃には、中国もアメリカのような装備を持つ可能性がある。
となると、ややこしい。

それと同時にサイバースペースの攻撃が始まる。
市民生活はボロボロになるだろう。
交通は麻痺状態になり、銀行のお金は凍結され、メールや電話も通じなくなって、軍の命令系統もちゃんと機能するかどうかわからない。
先進国ほどインターネットに依存しているから、被害は大きい。

こうなってくると、戦争はすぐに終わるんだろう。
第二次大戦のように、何年もやるなんて考えられない。

相手の国を麻痺させておいて、核兵器を打ち込んで終わり。
そういう机上の計画なんだろう。

だから、お互いにやらない、というのが現代の戦争観。

でも、アメリカとの同盟を堅持しようと思っている日本にとっては、中国の覇権主義は気になる。
アメリカと中国が仲良くしてくれたら、それはそれでいいのだが。

これからどうなっていくのだろう…。

| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
紀元節
今日、2月11日は紀元節だ。
紀元節という呼び名は、祖母から聞いたと思う。
日本の最初の天皇、神武天皇の即位した日だ。

紀元節の歌も聞いた。
毎年この日は学校に行って、紀元節の歌を歌い、天皇の名前を覚えてみんなで唱えたということだった。
あれは昭和30年代の後半くらいだった。

「神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)、孝昭(こうしょう)、孝安(こうあん)、孝霊(こうれい)、孝元(こうげん)、開化(かいか)、崇神(すじん)・・・」

あの時で、祖母は50代だったろうか…。
たぶん、習ったのは小学校のころ。
軍国主義の時代だったのだろう。

すらすらと歴代天皇の名前を言っていた。
当時はみんな覚えさせられたらしい。
ぼくは今でもちんぷんかんぷんだ。

ぼくが小学校の頃はそんな話をこの日に聞いた。
もう建国記念日という名前になっていたが、まだ紀元節という呼び名を覚えている人が多かった時代。

あれからほぼ50年。
もう紀元節という言葉は聞かなくなった。
建国記念日の意味もあまりわかっていないだろうし、昔はみんな学校に行っていたことも、知らないだろう。

ぼくらの世代はそういうことは子供に伝えてこなかったと思う。

でも、そういう歴史を伝えるべきだったかもしれない。

| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
行動経済学
行動経済学というのは面白い。

ヨーロッパでの臓器提供の問題。
死んだ後、臓器を提供するかどうか、というカードだ。
ドナーカードと言われている。
提供率は、ドイツは低く、ベルギーは高い。
スウェーデンは高く、デンマークは低い。

国によって、提供するという人の比率が違う。
それも高い方は100%に近いところから、低い方は10%あたりになる。
文化的にも近い国なのに、なぜだろう、ということになる。

驚くなかれ、これは選択肢の問題になるという。

臓器提供の比率が高い国はドナーカードに「臓器提供しない人はチェックを入れてください」と書いてあり、低い国は「臓器提供する人はチェックを入れてください」と書いてある。
明らかにその違いが、大きな結果の違いを生む。

こういう時は人はチェックを入れない方を選ぶ。
何もしなければ、そのプログラムに参加する、という選択肢のやり方をオプトアウトという。
逆に、何もしなければ参加しない、という選択肢をオプトインという。
つまり、オプトアウトの選択肢にするだけで、参加者は増えるのだ。

人間は面倒くさいことに遭遇すると、考えるのをやめる。
つまり、何もしない方を選ぶ。

人間の決定は不合理なものだ、というのが行動経済学が明らかにしつつあること。
これは世の中を変えていく。

これを知っているかどうかで、大きく人間や世の中の見方が変わると思う。

「お金と感情と意思決定の白熱教室」でダン・アリエリー教授がやっていた。
録画していたが、今日1回めを見たら刺激的だった。

こういうのを勉強しないとイケナイ。



| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
関西の笑い
1989年、吉本興行が新喜劇をやめようというキャンペーンをはった時期があった。
そのころ、会社のメンバーで何度か花月に行った。
吉本新喜劇を見に行っておこう、ということでメンバーを募った。
中に、関東出身の人もいて、花月劇場の構成に感心していた。

当時の花月は、漫才や歌、落語、奇術などの出し物があって、それが終わったら新喜劇が始まる、という構成だった。
一日2回の公演で、入れ替えはあったと思う。

当時は京都花月、うめだ花月、なんばグランド花月と3ヶ所の劇場で、上席、中席、下席(かみせき、なかせき、しもせき)と出し物が変わるシステムだったと思う。
今は京都(祇園)となんばで、演目は1週間で変わるようになった。
梅田では新喜劇はやっていない。

3時間ほどの公演だったと思う。
吉本の公演はわけの分からない歌手から始まったと思う。
続いて、わけの分からない(見たことがない)奇術師とか、全くテレビに出ていない漫才師とか、売れない落語家と漫才師がやるコントなど、そういうのがあって、ようやくテレビに出ている漫才師が出てくる。
あの当時のトリはオール阪神・巨人とか、中田カウス・ボタンとかだったと思う。

そのトリが終わって、吉本新喜劇が始まるという寸法。

それをぼくと関東出身のやつとで見ていた。
当時の梅田花月はちょっと場末の感じがあった。
そこに、おばあちゃんに連れられた小学校の低学年の女の子がいた。
ぼくらの前に座ってずっと見ている。

漫才を見て笑い、新喜劇を見て笑う。
最初から最後まで、ぼくらと一緒の時間を過ごしていた。

見終わってから、その関東出身のやつが「あんな小さな頃から、こんなのを見て鍛えとるんですなあ」という。
彼は入社して初めて関西に来て十数年、関西人の話ぶりに感心していた。
どうしてあんなふうに(漫才のように)話せるのか、と思っていたらあの小学生を見たということだ。
あの年齢からこんなのを見ていれば、鍛えられるわなあ、という感心だった。

ぼくは、関西人がみんな花月に来て見ているわけではないが、ほとんどの関西人が子供時代に吉本新喜劇を見て過ごすだろう、と言った。
それはおそらく本当だったと思う。

今は新喜劇のテレビ中継も減り、それほどではないかもしれない。
というより、吉本の影響は日本全土に広がった。

それでも、関西人は笑いに関しては強いと思う。

どこかに吉本新喜劇のDNAがあるのだろう。

今も、彼が感心しただけのことはあるのだ。

| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
悲惨な現実
安倍首相は「一億総活躍社会」というスローガンで、日本の未来を明るくするという。
そのために、「強い経済」「子育て支援」「社会保障」を強化し、具体的な数値目標として「国内総生産600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」を掲げている。
今のところ、絵に描いた餅だ。
それが悪いとは言わない。政治家は絵に描いた餅を国民に見せ、だからこうしないといけない、という政策を実行するのもアリだからだ。

しかし、どう見ても難しい。
社会保障を充実するためにはお金がいるが、生産年齢人口が減り、高齢者が増えていく日本では大変だ。
そのために、次世代の担い手である子供を増やし、親の介護のために離職する人を減らすということだろう。
そう簡単にいくとは思えない。

現実には介護を余儀なくされ、仕事ができず、お金がなくなる、ということが起こっている。
悲惨な事件も起こっている。
だからこそ、こういうスローガンを作ったとも言えるのだが…。

政治家はいいことを言いたいものだ。
特に来年の参院選に向けて、国民にいい顔をしたい。
となると、景気のいい話をぶち上げたとしか思えない。

しかし、それに対抗する野党はもっとヒドイと思う。
民主党は共産党と共闘するかもしれないという。
主義や主張はどこに行ったのか。

与党もひどけりゃ、野党はもっとひどい。
これが日本の現実ではないか。
世論調査もそれを表している。
ぼくは若いころ左翼シンパだったが、本当に情けない。
なんでこんなふうになってしまったんだろう。

ぼくらがまともなことをやって、若い人たちに引き継いでいかなといけないのに…。

| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
青春のリグレット
今朝、ユーミンの歌が頭に引っかかって起きた。
「青春のリグレット」という歌。
1984年にリリースされた麗美のアルバムに入っている歌で、その後「DA・DI・DA」でセルフカバーされた。
この頃はあまりユーミンをリアルタイムで聞いていなかった。
ユーミンが30歳の時。
まだ「青春」という言葉が巷で使われていた頃だ。

「DA・DI・DA」はちょっと前にツタヤで借りた。
曲は過去にも何度か耳にしたことはあった。
とにかくサビの歌詞が印象に残る。

「私を許さないで 憎んでも覚えてて」というフレーズ。
この歌詞とメロディは一度聴いたら忘れられない。
「あなたが本気で見た夢を はぐらかしたのが苦しいの」と直前に歌う。
きっと男性が夢を追いかけていくのに、女性はついて行かなかったという後悔の歌だろう。
いつの世も女性はリアリストで男性はロマンチストというのが定説。
今はちょっと変わってきたかもしれないが…。

この頃の日本にはまだ夢があった。
70年代後半の中村雅俊のイメージだ。
ぼくが就職したのが79年。
まだまだイケイケドンドンの時代。
高度成長の時代だった。

そういう時代だから、まだ夢も持てたし、後悔もできた。

ユーミンはリグレットの歌を作ったが、いい時代だったんだなあと改めて思う。

ぼくらはこの曲をリアリティを持って聞けるが、今の若い人はわかるのかな…。

| | 考えたこと | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子タバコ
タバコをやめてもう丸7年が過ぎた。
社会的にも禁煙が広がってきて、タバコが吸えない場所が増えた。
というか、吸えるところを探すほうが大変だ。
脳梗塞になったのを機にやめておいてよかったと思う。

ウォール・ストリート・ジャーナルによると、タバコ会社のマルボロがリストラをするという。
年間3億ドルのコストカットをして、そのお金を電子タバコの開発費に回すということだ。
先進国化すると、禁煙になっていくから、世界的にも喫煙者は減る方向だろう。
経営は難しい。

この50年でタバコの売上は下落し、業界全体が縮小しているらしい。
新興国の需要にも頼れないということだ。
そこで出てきたのが、電子タバコ。
たしかにタバコの代替え品にはなっている。
しかし、電子タバコを吸っている人を見たことがない。
見たことがない、ということは、これからどんどん売れる、ということにもなるのだが…。

今まではどこが作っているのか、わからないバッタもんに近い感じだったが、これからは大手のタバコメーカーが本腰を入れて開発してくる。
今の大手のブランドの電子タバコも、そのうち出てくるんだろう。

しかし、健康に影響がないのかというのはまだ定説がない。
どうなるのかな。
液体を入れて、蒸気を出すという仕組みだろうから、身体に害のないものも作れると思うのだが…。
喉の薬など、いいのではないか。

健康にいい、電子タバコ。
これはなかなかいいと思う。

どういう商品が出てくるか、楽しみだ。

| | 考えたこと | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
コーヒーの効用
日経にコーヒーはがんに効果がある、という記事が出ていた。
一時は胃が悪くなるとか(実際がぶ飲みすると胃が重いのは事実)、身体に悪いとか言われていたが、最近は違う。
国立がん研究センターによると、「肝臓がんを抑える効果は「ほぼ確実」、子宮体がんを抑える効果は「可能性あり」と判定されている。肝臓がんのような特定のがんについては、コーヒーを日々飲むことで発生リスクを抑えられる可能性があるわけだ。」ということ。

ぼくはここ数年、コーヒー党になって、一日2〜3杯は飲む。
だから、肝臓がんのリスクは減っていることになる。
嗜好品はだいたい身体に良くないことが多いのに、コーヒーがいいとはビックリ。

おまけに、血管系の病気にも効くかもしれないとのこと。
「1日3〜4杯飲む人は、ほとんど飲まない人に比べ、心疾患、脳血管疾患、呼吸器疾患の病気で死亡するリスクがそれぞれ4割程度減少する」ということらしい。

がんばって、1日3〜4杯飲めば、脳の血管の疾患のリスクも減るとは、これまたビックリ。
そういえば、脳梗塞をやった頃はあまり飲んでなかった。
50代になってから飲み始めても効くのだろうか?

もちろん緑茶も身体にいい。
カテキンががんを抑制するらしい。
ただし、ティーバッグなどではあまり効果がなく、ちゃんとした葉で入れないといけないとのこと。
これも一日3杯くらい飲むといいとネットにあった。

ペットボトルでは生茶がカテキン含有量が多いらしい。

コーヒーやお茶は身近にある嗜好品だから、それが健康に良ければいいことだと思う。

ぼくは別に健康オタクではないが、こういうニュースを見るとうれしくなる。

過ぎたるは及ばざるがごとし、とは思うけど…。

| | 考えたこと | 01:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
政治家になりたい?
宮崎で行った高校2年生への政治意識アンケートの結果の記事があった。

対象は宮崎県内の高校生3000人足らずだが、その結果は政治家に対してあこがれはなく、政治家になりたいとも思わない、というもの。
ぼくらの高校時代にも、あこがれというのはあまりなかった。
その後、ロッキード事件もあったし、どちらかというとその頃から政治家はダーティなイメージになった。
ヤミ献金とか、発売前の株式譲渡とか、いろいろと問題も起こった。
でも、ここまで政治家に対するイメージが悪化したのはなぜだろう。

何度も問題が起きたが、根本的な対策をしない。
対策を政治倫理とかいう言葉に置き換え、法律で議員を辞めさせるという対策を取っていないからだと思う。

国会議員の仕事は、国会で法律を作ることだ。
それが議員のメインの仕事。
それをちゃんとしないで、どうするのだろうか。

どうしても、自分たちのこととなると締め付けを緩くしようとする。
そこに倫理があるにも関わらず、緩くしてどうするのだろう。

何にしても、カネを受け取るというのはやっていはいけない。

そんなことをしたら、議員を辞職すべきだし、そういう法律を作るべきだ。
法律があれば、議員も受け取らないだろう。
なぜ作らないんだろうか。

自らを正す法律を作らない限り、政治家に対する意識は変わらないだろう。
それが第一歩だと思う。

早く踏み出すに越したことはないぞ。


| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
アプリでバンド
スマホが普及して、大量のデータ通信のインフラが整備され、いろいろと不可能だったことが可能になる時代がきた。

レコーディングなどというのは、昔はスタジオでみんな揃って一発で録るものだった。
それがマルチトラックレコーダーというのができて、分業できるようになった。
予定の空く人から順に来て、リズムトラックを聞きながら録音というやり方。
これで、みんな揃わなくてもできるようになった。

でも、これからは場所の制約がなくなる。
揃ってなくても、通信環境があれば、時間を合わせてセッションができる、というスマホのアプリができた。
楽器やマイクをつなぐためのオーディオインターフェース(弁当箱のようなもの)が必要になるが、それさえあれば、アプリで複数のメンバーとつながることができる。
今でもどこかのCMで海外をつないで一緒にセッションしているところがあるが、その敷居がだいぶ下がるということだ。

こういうものが普及すれば、バンドのメンバーで時間を決めて練習することもできる。
そのうち、楽器のレッスンも遠隔でできるようになる。
ヤマハあたりがビジネスにしそうだ。
忙しくてレッスンに行く隙がないという人にはいいかもしれない。

パソコンと組み合わせて、実際に顔を見ながらということも可能だろう。
スカイプを使えばいいのだ。
ノートパソコンのスクリーンには、たいがいカメラが内蔵されている。

コミュニケーションのコストが下がって、パソコンやスマホというデバイスを通じてどんどんできることが増えてきた。
一昔前なら、1時間もつないでいたらビックリするほどの請求書がきたものだが、今はいくらつないでも値段は定額だ。

それらを支えているのが、高い携帯の通信料。
特に通信料が少ない長期契約の高齢者あたりが食い物になっていると思う。
そのお金で作ったインフラを使って、新しいサービスが生み出されるなら、まあ仕方ないかとも思う今日このごろ。

若い人たちへの所得移転だと思えば、世代間格差を縮小する方向になっている。

アプリでバンドができる時代が来るのか…。

| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ITリテラシーが低すぎる
日本の役所は総じてITリテラシーが低いと思う。
当初、パソコンが普及し始めたころ、組合が強くて、何分か使ったら必ず休むというようなルールもあったし、総じて保守的で新しい物は嫌うという風土があった。
仕事のやり方を変えるのが嫌なんだろう。
効率を上げて、人が減ったら困るという感覚だ。

民間企業にも多かれ少なかれそういう気持ちはあったかもしれないが、それでも時間当たりの付加価値を上げて、生産性を上げるために使っていこう、という積極性が勝った。
業務の質を上げていって、いい仕事をするためにはそれが必要だし、そういうことで会社が儲かり、給料が上がるというインセンティブもあったと思う。

しかし、どうして公的セクターにITリテラシーが高い人が少ないんだろうか。
住基ネットはわけがわからないうちに失敗したし、昨今の役所のセキュリティ意識の低さや社保庁のありさまなど、目を覆うような場面もある。

公務員を減らすためにも、もっと合理化ができないんだろうか。

ぼくは十年一日のごとく、同じ試験をやっていることに問題の一因があると思う。
特に地方公務員。
ITリテラシーが必要であり、それを試験で問うべきだ。
今の時代、ITリテラシーはあって当たり前だし、なければダメだと思う。
公務員こそ、日本中で同じ書類を扱い、マイナンバーでコンビニでその書類を出せるようにしていくのだから、これをどんどん進めていかないとイケナイ。

地方創生だって、ITを使うことが多くの場合前提になると思う。
ITで何ができて、何ができないか、それさえわからなければシステム発注もできないだろう。
結局ベンダーに丸投げになるし、途中であれも、これも、と欲張ってわけのわからないものが納品されたりしているんだと思う。

ただでさえ生産年齢人口が減っていく日本。
できるだけ公務員の数を減らさないといけない。
そのためにも、傾向と対策ができるような毎年同じような試験はやめて、ITの知識を入れた試験をすべきだろう。

そうでないと、ギリシアみたいになってしまう。


| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
答えのない問い
答えのある問題を解くことより、答えのない問いを作ることのほうがはるかに難しい、と思う。
それができる人が求められているという。
すぐれた問題を作る能力、これは本当の努力と天賦の才能だろう。

こないだ、NHKで数学ミステリー白熱教室、というのをやっていた。
エドワード・フレンケル教授の4回シリーズ。
ラングランズ・プログラムという数学のいろんな分野をつなぐ、というプロジェクトを進めている人だ。

その3回目の放送で、有名なフェルマーの最終定理の証明のことを話していた。
この証明には、日本人の数学者の奇跡的な発見が寄与しているということだ。

フェルマーの最終定理の本は読んだが、日本人の谷山豊という数学者が何をしたかというところまではよくわからなかった。
今回の放送で、そのスゴさがよくわかった。

説明はややこしいので省略するが、フレンケル教授はこの説明の中で谷山豊の写真を出して紹介し、しばらく絶句した。
異なる分野の数学から、同じ答えが出るという事実は何度見ても感動するのだろう。
何度もしている説明だったのだろうが、何度見ても信じられない、奇跡的な発見だったということだ。
思わず見ていて「ほー」という言葉が出た。

一見何の関係もない、整数を扱う数論という分野と、調和関数という周期を持ったものを表す解析学の分野が、この谷山の発見で結びつくことがわかった。
陳腐だが、奇跡という表現しか出てこない。

谷山はこの発見の後、自殺した。
数学者で無限の世界に足を踏み入れた人にはありがちなことだ。

谷山が生きていたら、もっとスゴイ発見をしたのだろうか。

これが答えのない問いを作る力、そのものだと思う。

そういう日本人がいたということに感激した。

| | 考えたこと | 08:50 | comments(0) | trackbacks(0) |