考えたこと2

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ジジ
ジジという黒ネコがいる。
魔女の宅急便に出てくる、主人公キキの相棒。
キキとだけ話ができる。

そういうネコがいたら面白いと思う。
これがネコだから、何となくいるような気になる。
犬ではダメだ。イメージが合わない。

ネコを嫌いな人もいるが、ぼくは好きだ。
最近はやりの太ったネコはダメだが…。

子猫はかわいい。
体長20センチくらいの子猫でも、一人前の動きをする。
逆さまに落ちても、くるっと回って、ちゃんと立つ。
あの身のこなしがいい。

大人になると、愛想がないのがちょっと気になるが、逆に愛想がないのも面白いところがある。
自分がほしいときだけ、かまってほしいのだ。
だから、こちらがかまっても、愛想のないときはプイと横を向く。
親子の関係になっているらしい。
子どもは勝手気ままなものだ。

人間の親子もそれと同じ。
子どもは勝手に去っていく。
親に未練があっても、そんなことは気にしない。
それでいいのだ。
親子関係は人猫関係のようなものだ。

この年になって、それがよくわかる。


| | 考えたこと | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
2月26日の記録
12年前の今日、井沢元彦の言霊を読んだ。とても面白かった。

11年前の今日、貸したテープに余計なものが入っていたと赤面。

10年前の今日はわからない。

9年前の今日、ドイツの人と宴会。感動の挨拶があった。

8年前の今日、以前会社を辞めた部下からのメールが届いた。
どうして辞めたのかな?というぼくの疑問に対して、義理堅くも答えを書いて送ってくれた。

7年前の今日、会社を早めに出て、お見舞いに行った。
そんなこともあったなあ、と思い出す。

6年前の今日、欠員があって若い人の宴会に呼んでもらう。
会社を辞めた人と、辞める予定の人が来ていて、その対照が面白かった。

5年前の今日、日興證券に行った。
担当が頼りなくて、もう一つと書いてある。

4年前の今日はわからない。

3年前の今日、「音のない時間2」を書いた。

2年前の今日、学生時代の苦労など大したことはないということは、過ぎさってみないとわからない…それでいいのだろう、と書いた。

1年前の今日、鼻メガネのことを書いた。

これが2月26日の記録。
このブログを書き始めてから、日記をやめてしまったが、やっぱりちょっとでも書いておくと面白い。
日記には日記の良さがある。

もう一度つけようかな…。


| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
電車通勤
最近、電車通勤が懐かしい。
電車通勤からクルマに変えてもう4年。
今は慣れたが、この変化は大きい。

まず、本を読めなくなる。
通勤電車の中では、寝るか本を読むかのどちらかだ。
通勤といっても、ぼくの場合は20分くらいだったが、それでも大きい。
通勤電車の中だけで、1冊本を読んでしまったりした。
1ヶ月に1冊以上は減った勘定だ。

もちろん、睡眠時間も減ったのだが、それはほんの20分なので、しれている。

そして、世の中のことがわからなくなる。
意外なことだが、電車の中は情報であふれている。
前に立った人が読んでいる新聞、隣の人の新聞、おじさんが読んでいるスポーツ新聞、吊り広告、女子高生のおしゃべり、サラリーマンのおしゃべり…。
電車通勤をやめてみると、その情報量が多かったことに驚く。
最近話題になっていることや、ニュース、旬の情報は意外と通勤電車がきっかけでわかっていたような気がする。

また、歩くことができる。
クルマに変えると、それもなくなる。

そして、大きな損失はこれだろう。
本屋に寄り道したり、同僚と連れだって飲みに行ったりできる。
この寄り道の楽しみが、電車通勤の一番の楽しみだったなあ。

たしかにクルマは便利だ。
CO2や色々問題はあるが、ぼくの場合、時間的には早い。
でも、偶然の出会いがなくなった。
偶然、帰りに寄った本屋で気に入った本に出会ったり、「お、久しぶりやな…」という事で飲みに行ったり…。
余分なお金を使うことも多いが、そこから得るものも多かった。(たまには、損失もある)

電車通勤、それは偶然の楽しみなのかもしれない。

そういうことは、止めてみないとわからないのだ。




| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
Clie再び
Clieというのは、ソニーのPDA(携帯情報端末)。
パソコンにつないで、スケジュールを管理したり、アドレス帳を使ったり、メモができたり…。
手帳くらいのおもちゃみたいなものだ。
長らくこれを使ってきた。
前にも書いたが、一筆書きで文字が書けるグラフィティという機能が気に入っている。

でも、最近出張が少なくなったのと、会議が減ったのでClieを携帯しなくなった。
部署でのスケジュール管理はGoogleカレンダーを使って共有しているし…。
その上、ウィンドウズがビスタになって、ソフトが動かなくなったり、いろんな不具合が頻出して、一時はもうダメかな…と諦めムードだったのだ。
ところが、4月から、会議が増えるし、先の予定がその場でわからないといけなくなる。
仕事が変わるからだ。

そこで、Clieをもう一度復活させることにした。
いろいろと調べてみると、OutlookとClieを同期できるようになっているらしい。
GoogleカレンダーとOutlookのデーターを同期させるソフトも手に入れた。
これで、スケジュールもアドレス帳も同期できるようになった。

ようやく復活だ。

まだ持ち歩きはしないが、もうすぐ持って歩くようになる。

もう少し軽くて小さければ言うことはないのだが、このシリーズ、もう作っていないからどうにもならない。

ソニーはPalmという会社から、ライセンスを得て日本でClieを作ってたくさん売って、Palmを駆逐した。
Palmにとってはよかったかもしれない。
でも、携帯電話が進化し始めると早々と製造中止を決めた。
もう日本では買えないのだ。
8mmビデオといい、MDディスクといい、責めるわけではないがソニーにはエライ目にあわされる。

このClie、あと何年もつか…。





| | 考えたこと | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
大きな古時計
大きな古時計という歌、小学校で歌ったのが最初。

平井堅が最近カバーして歌い、ヒット曲になった。

この歌を英語で聞いた。
よく考えたら、この歌の歌詞を聴くのは初めてだ。

おじいさんの古時計ということだから、Grandfatherがよく出てくるのかと思ったら、the old manの方がよく出てくる。

日本語の歌詞でいうと、「古時計」という終わりの部分が「When the old man died」となっていて、サビの部分でも出てくる。
My grandfatherは2回出てくるだけだ。

「今はもう動かない」のところは、「But it stopped short Never to go again」となっている。

「stop short」というのは、「ぱったり止まる」という意味。
そして、「Never to go again」という歌詞が続く。
本当に「ぱったりと止まって、二度と動かない」という感じが出ている。

アメリカらしい曲だと思ったら、wikipediaによると、イギリスの宿で聞いたエピソードを元に作ったとのこと。
そういえば、90年も前の時計が動いているというのは、イギリスらしい。

この曲のハイライトは何といっても、Never to go againのところ。
「動かない」という感じがよく出ていて泣かせる。

初めて英語の歌詞を聴いて、なるほど、と感心した。

訳詞もよくできているが、元の詞もすごくイイと思う。




| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
メモ帳とノート
A6サイズのメモ帳をついつい買ってしまう。

このサイズは海外製のものが多い。
ゴムのバンドがついていて、開かないように止めることができる。

いろいろなデザインがあって、色とりどりだ。
もちろん、リングタイプのもの。
書く時に、そのページが一番上に来るようにすることができる。
これがメリット。

ストックができるほどたまっている。

それと、PEANUTSのノート。
スヌーピーとチャーリーブラウン、ルーシー、ウッドストック、ライナス、サリー、シュローダー、マーシー…。
表紙にそれが出ていると、手が出る。
新しいもの、古いもの…。

今日はビンテージのPEANUTSのノートがあった。
昔のスヌーピーやチャーリーブラウンが出ている。
ちょっと顔が違う。初期の頃のデザイン。
2種類あって、2種類とも買う。

別にコレクションしているわけではない。
あくまで、何かを書くために買うのだ。

でも、足りているのに、買ってしまうものだからたまっていく。

最近は字を書かなくなって、漢字は忘れるし、字は汚くなるし…これではいけない。。

一念発起して、毎日何かを書こうとは思うのだが、打った方が速いからキーボードに向かってしまう。

ブラインドタッチを覚えたのが悪いのだ。
(とはいえ、生産性は上がった。)

ワープロを打って書くのと、ペンで文字を書くのとでは何かが違うと思う。

ワープロで打った文章はすぐに忘れるが、ペンで書いたものはずっと覚えている。
手を動かすからかな。

やっぱり書こう。

書かないと…。




| | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記 NATIONAL TREASURE: BOOK OF SECRETS
ニコラス・ケイジ主演の宝探しの映画。

おきまりの宝探しの鍵を探し、その謎解きをする。
大統領執務室の机に隠された謎や、大統領本人に聞かないとわからない謎があり、それなりに楽しめる。

中で歴代大統領が書き記した本があり、それが次の大統領に引き継がれていくという。
その本が国会図書館にあるというのが面白い。
もちろんパスワードに守られているのだが。
そんな本があったとしても、日本ならもっと別の場所にあるだろう。

一方でニコラス・ケイジはリンカーン暗殺者の孫。

その汚名を晴らすのが、もう一つのプロットになっている。

楽しめる映画。

ニコラス・ケイジという役者、こういう映画ではいい味を出している。

一方で救命士という映画での暗い役もこなす。

自分らしさがわからない。
本当の役者だろう。

監督もやっていて、この人は多才な人だと思う。



| | 映画・舞台 | 13:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
美学
それを美しいと思うものは何か、というのが美学だと思う。

男の美学…どう振る舞えば美しいか。。
引き際の美学…どう引退すれば美しいか。
暮らしの美学…どう暮らせば美しいか。
日本酒の美学…どう飲めば日本酒が美しいか。

というふうに、美学は何にでもある。
そして、逆にいうと、どこにもない。

ある人がこれは美しいと思うことが、万人に通じるはずがないからだ。

それでも、最大公約数的な美学はある。

昔の東映の映画であった、健さんのヤクザの美学。
一宿一飯の恩義は忘れず、つらいことに耐え、最後に一人でなぐりこみをかけ、悪いヤツをやっつける。

ジョン・ウエインのカウボーイの美学。
弱きを助け、強きをくじき、最後の一人になってもあきらめない。

映画の中にあるのは、ステレオタイプの美学だ。

日常の生活の中には、美学と呼べるものはないだろう。
美学は、文章の中にあるような気がする。
それがたとえ書かれなくても、言葉で語られないといけない。

そんな美学をもって、生きたいと思う。

サラリーマンの美学。
ぼくは、幸いにもそんなことを思える。

それにしても、なくなったのは、政治家の美学ではないか。

誰か、それがあると示してほしい。




| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
酒に注意
政治のことはあまり書きたくないのだが、今日は書く。

中川財務相の会見はひどかった。
あんなに泥酔状態で、誰も止めなかったのがおかしい。
それ自体、組織が潰れている証拠だ。

組織が組織として機能するためには、たとえトップであっても、ダメなものはダメと言える状態でなければならない。
そういう部下がいなければいけない。そのために側近と呼ばれる人がいる。

財務省という組織はどうなっているのか。

続報によると、その前にもたくさん公式の場に泥酔状態で臨んだことがあるらしい。

内閣というのは、どうなっているのか。
誰も注意しないのか。

米ABCテレビは「15時間のフライトは大変だろう。だがトヨタ自動車や日産が何万人も解雇していることは、目を覚ますのに十分な理由だ」と言い、「各国首脳が集まったが、起きているだけでも難しいことが判明した」「(眠いのであれば)いつでもエスプレッソがある」などと皮肉ったとのこと。
MSNBCは記者会見の映像を流した後、女性キャスターが、「これが日本の財務相だ」と笑いながらちゃかしたうえで、「そんな国が、きょうクリントン国務長官が訪れている日本だ」とコメントしたらしい。
英紙インディペンデントは、中川財務相の記者会見を「1970年代以来最悪の危機に直面している世界第二の経済大国のかじを取る責任者が、酒酔い運転だろうか」と伝えた。
英BBC放送は同日、東京株式式場の下落を伝える際に、記者会見の映像をだぶらせ、キャスター自身がろれつが回らないようなしぐさをした後、笑い転げたのだ。

これは控えめに見ても、国の恥だ。
個人の問題ではない。
こんないい加減なやつを選んだやつも悪い。

ぼくは「首相の任命責任」という言葉を、野党が使いすぎだと思っているが、今回は正しいと思う。

日本の代表としてイタリアに行っているのだ。

辞任は当然だと思うが、それにしても今までこんなひどいやつが議員をやっていた(今でもやっている)のは、どういう事なのか。
親の七光りもいい加減にしてほしい。


| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
風力発電
クリーンエネルギーが注目されている。
オバマ大統領がグリーンニューディール政策を打ち出したからだ。

ニューディール政策は、ルーズベルトが景気刺激のために行った政策。
ただ、この政策が成功したのかどうかはわからない(と言われている)。
詳しくは知らないが、排ガス規制を厳しくするとか、クリーンエネルギーに投資するとか、そういう一連の政策だろう。

クリーンエネルギーといえば、風力発電が思い浮かぶ。
昔ながらの風車である。

これを風の吹くところに据え付ける。
羽根が回転して、電気を作る。
書くと簡単だが、そんなに簡単なものではないらしい。

一定の風が常に吹くところでないと導入が難しい。
鳥が当たらないようにしないといけないし、落雷や強風の対策も必要とのこと。

デンマークが一番導入が進んでいるというのが面白い。
風車の国だ。
風力発電機のシェアもデンマークが高い。

日本はまだまだというところ。

でも、「富士重工業が日立製作所と共同で大型機を開発」というニュースもある。
富士重工業というと、昔の中島飛行機。やはりむかし取った杵柄というところか。

日本の技術力をもって、高性能の風力発電機を作ってほしい。

意外と小型の家庭用風力発電機というのもアリかもしれないなあ。

太陽光発電と風力発電で自給自足という時代が来るかもしれない。

原子力に頼るのは、ぼくはアブナイと思う。
危険すぎるのだ。
人間はマチガイを犯す生き物だから。

目に見えるカタチでの発電。

それがいいと思う。



| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
スーツ
社会人になって、初めてスーツを着た。

初めてのスーツは母が買ってくれた三つ揃い。
今は流行っていないが、当時はスーツの下のチョッキもそろえの柄で、3点セットにしたものが流行だった。
前にも書いたような気がするが、それは就職して早々に着られなくなり、捨てた。
あの頃は痩せていたのだ。

スーツにもはやりすたりがある。

三つ揃いは言うまでもないが、普通のスーツでも微妙にスタイルが違うことがわかった。

着られる中で、一番古いスーツだが、同じウエストでもズボンが太い。
当時は太いのが流行っていたのだろう。

ボタンの数にも流行がある。
ぼくは3つボタンのスーツは一着しか持っていないが、若い人は3つボタンが多い。

長男のスーツを買いに行ったが、本当にスリムだ。
こんなにぴったりでいいのか…というくらい。
それでも、売り場の人は、今の若い人はこんなのが流行だという。
まあ、それでもいいのだが…。

スーツを着るというのは、大人になることだと思う。

少なくとも、ぼくらの世代はブレザーにネクタイの制服などなかったし、スーツを着るということは、仕事をするという意味だった。

そのスーツを着て、30年。
よくもったものだ。

働きはじめた頃、寮にいてスーツを着て出かけるのがうっとうしかった。

そのうち慣れて、何とも思わなくなる。
慣れというのはえらいものだ。

そのうち、スーツを脱ぐ。

脱いだら脱いだで、とまどうのだろう。

古いスーツを着られるのは、新しい人ではない。
一度はそれを着たことがある人だ。

そんな当たり前のことを思う。


| | 考えたこと | 22:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
ゆるキャラ
ゆるいキャラクターのこと。

せんとくんとか、まんとくんとか、ひこにゃんとか…。
せんとくんは、変にリアルな大仏さんに鹿の角をつけたみたいで気持ち悪いが、ひこにゃんは許せる。

兵庫県のマスコットは、はばたんという国体の時の鳥みたいなキャラクター。
せんきょんという大阪の選挙管理委員会のキャラクターは、鉛筆型の頭の女性らしい。
和歌山では、紀の国戦隊紀州レンジャーというのがいて、タイレンジャー、ピーチレンジャー、メハリズシレンジャー、キンザンジミソレンジャー、スミレンジャー、タチレンジャー、ミカンレンジャー、クジレンジャー、ウメレンジャー、カキレンジャーと10人のレンジャーがいる。

KAN-CHAN、NAMI-CHANという子どものキャラクターもある。
静岡県の函南町(かんなみちょう)のキャラクターらしい。
男の子と女の子のキャラクターだが、あたまが富士山になっているのがおかしい。

ゆるキャラの定義は、はっきりしないが行政や公の団体が主体になって作ったキャラクター。

どこか、外れたというか、のどかというか、とぼけたというか…それが癒し系だというらしい。

自治体が行事のために作ったり、その土地の宣伝のために作ったりしているが、その後おざなりになっているのもあるのだろう。

でも、たくさんあるのに驚いた。

日本中にキャラクターがあふれている。

平和な国だ。

こんなに平和でいいのだろうか。



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
アンテナ
昔のクルマにあって、今のクルマにないもの。
たくさんあるが、ロッドアンテナはその一つ。
手でのばせる場所、ピラーのところや、ボンネットの運転席側についていることが多かった。

今は短いアンテナがルーフの上の真ん中のところについていることが多い。
デザインの一部になった。
ヨーロッパのクルマからきたのだと思う。
ゴルフやプジョーなど、ルーフのアクセントになっている。

あの短いアンテナがどうしてロッドアンテナの代わりができるのか。
何でも、コイル状のアンテナが中に巻かれて入っているらしい。
長いものを短くするための工夫だろう。

感度がよくなったのかどうかはわからない。

でも、ラジオを聞くためにいちいち窓を開けて、アンテナを伸ばさなくてもよくなった。

こうやって知らぬ間に少しずつ変わっていく。

そういえば、フロントやリヤのウィンドウにアンテナの線が貼ってあるものもある。

いつかはこのアンテナも見えなくなるかもしれない。

そういうふうにして、なくなっていったモノが他にもあるだろう。

金属製のバンパーとか、キャブレターとか…。

ぼくらはそれを知っているが、若い人は知らない。

なつかしくはないが、それが残念だ。



| | 考えたこと | 02:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
長谷川平蔵
鬼平犯科帳を読んでいる。
もう19巻まで来た。

毎晩読みながら寝る。
池波正太郎のライフワークの一つ。
それにしても、面白い。
鬼平こと長谷川平蔵と、火付盗賊改方の同心たち、鬼平の昔なじみの剣客、そして、密偵たち。
密偵というのは、もと盗賊で、平蔵がみどころがあると思ったものを逆に味方にしたもの。
言葉は悪いが、「狗(いぬ)」とも呼ばれる。

この密偵たちと、平蔵の心が通うところがこのシリーズの一つのテーマ。

平蔵は盗みはしても、盗人の3箇条を守るやつは信用する。
一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。
一、つとめ(盗み)するとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。
密偵となる盗人はいずれもこの3箇条を守ったものばかりだ。
その上、平蔵を慕い、平蔵のためなら死んでもいいと思っている。

その関わりの中で、何人かの密偵が命を落とす。

そこに義理があり、浮き世の厳しさがある。
やむにやまれぬ事情があるのだ。
秘密は自分の胸に抱いたまま、密偵としての役目を果たして命を落とす。
それが泣かせる。

このシリーズ、火付盗賊改方だけでは、面白さは半減するだろう。

時にはポケットマネーを出して、密偵の働きをねぎらい、場合によっては同心以上に感謝する。
そんな平蔵と密偵の関係が魅力なのだ。

長谷川平蔵、江戸のハードボイルド。

この人の部下なら、喜んで働ける。



| | | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドンナロイヤ
亡くなったSさんのお気に入りのレストラン。

イタリアンレストランで、正式にはリストランテ ドンナロイヤという。

この店は神戸のイタリアンの老舗らしい。
Sさんに何気なく連れていってもらった店。

以前は三宮にあって、初めて連れていってもらった時はそこだった。
何やかや注文して、ワインももらい、本日のパスタを頼んで食べた。
ここのペペロンチーノはすごくおいしかった。
これを越えるものはない。

Sさんはそんなにたくさん食べる人ではなく、シェアして食べたら、たくさんもらった。

震災で壊れてしまって、今は加納町の方にある。

新しい加納町のお店に1回行ったのが最後。

それ以来行っていない。

もう10年になるかな…。

この店はユーミンが神戸にきたら必ず来るらしい。
そんな人が来たら、サインを残してもらったりすると思うが、そんなことはしない。
普通のお客さんと一緒に食べるのだろう。
そんな雰囲気のお店。

いつもSさんが払ってくれた。
ぼくも払います、と言っても、「まあ、ええやんか」のひと言。

Sさんと一緒に行った店なので、一人で行くのは気が引ける。

ちょっと高いですが、いいお店です。

ぼくは、引っ越しする前の方が好きだったけど…。


| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
わからない言葉
新聞に若者言葉の特集があった。

これは、わからない。
英語の略語だ。

ATM、何かわかりますか?

答えは「あなたの便りを待っている」らしい。
この調子で続けていくと、、

AKB あえて空気をぶっこわす
DNA だからなんなのあんた
NHK なんか変な感じ

ということらしい。

後付けなんだろう。
すでに存在する3文字の英語に、あてはめて日本語をつけた。

勘違いするような3文字の英語。
DNAといえば、遺伝子のこと。
でも、仲間うちでは「だからなんなのあんた」ということになる。

面白かったのは、ドナドナされる、という言葉。

上司に連れ去られるという意味らしい。

ジョーン・バエズのドナドナが元になっているのか。

古い曲だが、どうして知っているのだろう?





| | 考えたこと | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミクソリディアン
今日はレッスン。

この前から、ミクソリディアンというスケールをやっている。
これは、ハ長調でいうと、ソラシドレミファというスケール。
つまり、全全半全全半という音のならびになっている。

コードがA7(エーセブン)の時は、ラの音から始めて、ラシド#レミファ#ソというスケールになる。

言うのは簡単だが、弾くのは結構むずかしい。

考えながら弾いていると、ワケがわからなくなってくる。

A7とD7を行ったりきたりするだけの練習だが、AミクソリディアンとDミクソリディアンのスケールを弾いていると、だんだんおかしくなってくるのだ。

ソラシドレミファソ、とつぶやきつつ、A7とD7を行ったりきたりする。

そのうえ、それを単なるスケールではなく、フレーズで弾くのはもっと難しい。

で、今日先生にどうやったら弾けるのかを聞いた。

「コードを考えて、そのカタチで音を覚えたらどうですか」

なるほど。
それでいくと、わかりやすい。
その上でフレーズにする。

要は、ミクソリディアンというフレーズをコードのカタチで覚えるのだ。

そんなことを練習した。

道は遠い…。




| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
古き良きサラリーマン
自分がサラリーマンだから思うのかもしれないが、この商売、なかなかいいところもある。

休んでも有給休暇があれば給料は出るし、ちょっとなら、残業もつく。
土日は休みだし、年を重ねるとそれなりに給料が上がっていくようになっている。
えらくなったら、会社が儲けている限り、部下にこれやれ、あれやれ、と指図もできる。
経費も使い放題というわけではないが、部署と役職によっては、結構自由になる。

ただ、そういうところがどんどんなくなってきているのも事実。

年俸制、裁量労働制、目標管理と連動した給与体型、役職定年制、能力給、コンプライアンス…。

それはそれで仕方ないと思う。
もう世の中が古いサラリーマンを許容できなくなったからだ。

それが実現できたのは、右肩上がりの高度成長の時代。
昨日より今日が、今日より明日が、明日より明後日が、必ず豊かになる。
ポストは増えるし、どんな人でも、課長にはなれた。
給料はベースアップで増えるし、入ったら定年までいるのが当たり前。
会社はファミリーみたいなもので、「うち」といえば自分の会社のこと。

今回の金融危機は、そんな古き良きサラリーマン生活にとどめを刺すのかもしれない。

今や正社員は守られすぎているという議論が出ている。
その通りだと思う。

でも、それが絶対的に悪いというわけではない。
それが日本の成長を支えた時もあったのだ。
今は、それが悪くなったということだろう。

残念ながら、もうあんな高度成長時代は来ない。
ということは、ぼくが思っているサラリーマンは、古き良きサラリーマンになる。
これは時代が求めていることなんだろう。

仕方がない。
だいたい、サラリーマンになりたい、というような若い人もいないのだから。

それでも、日本を支えているのは、大部分のまじめに働いているサラリーマンだと思う。



| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
豆炭アンカ
今日、湯たんぽがエコで売れているというニュースをやっていた。
低温やけどに気をつけて下さいとのこと。

それで思い出したが、ぼくが幼稚園の頃まで、豆炭のアンカというものがあった。

今は電気毛布や電気敷布が増えたので、電気アンカというものを知らない人もいるだろう。

wikipediaによると「あんか、行火 は一人用可搬型の暖房器具の一つである。布団などに入れ直接手足に当てて暖をとる。地域や世代によっては「こたつ」と呼ばれることもある。」

強ー中ー弱というようなスイッチがついていた。

それを電気でなく、豆炭でやっていたのが豆炭アンカ。

豆炭という「炭(すみ)」を使う。
ちょうど手のひらに載るような大きさの丸い炭。
5センチ四方の大きさだったらしい。

その豆炭に火をつけるために、練炭を使っていたと思う。
練炭とは、直径20センチ、長さ20センチくらいの円筒状の炭で、よく燃えるように空気穴が一定の間隔で開いている。
専用のコンロ状のものがあったような…。

とにかく、豆炭を真っ赤に燃やして、それをアンカに入れていた。
アンカは大きな弁当箱のようなもので、中は石綿かなにかでできていたと思う。

前置きが長くなったが、ぼくが幼稚園の頃まで、その豆炭アンカが使われていた。
昭和36年くらい。

そんな時代があったということだ。

もちろん、そんな時代があったとわかっている人はわかっているのだろうが、そんなことをしていたのは、明治の頃だろう…と思っているのではないか。

平成の子どもたちは、想像もつかないだろう。

でも、昭和30年代前半は豆炭アンカの時代だったのだ。

練炭や豆炭が普通に使われていた。
石炭の時代。

そう思うと、時代は隔世の感がある。

でも、お父さんは豆炭アンカで寝たことがあるのだ。




| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
二月
知らぬ間に二月になった。
あっという間だ。気がついたら4日。

二月は逃げる、三月は去るという。
二八(にっぱち)と言って、二月と八月は商売がヒマな月らしい。

一月は正月があって、松の内はぼけている間に過ぎる。
残り15日、バタバタしている間に過ぎていく。

二月は28日までしかないので、速い。
たった、2日か3日のことだが、体感的にはもっと短いような気がする。

何度も書いているが、年とともに時間がたつのが速くなる。

何かに熱中して時間を忘れるというのとは違う。

機械的に何かをこなして、ああ、今日も終わった…という感じ。

生まれた時は、時間の感覚などないのだろう。
お腹が空いたとか、気持ち悪いとか、そんな即物的なことだけだ。

そのうち、ものごころがついて、時間が流れ始める。
新しいことばかりだから、時間が経つのが遅い。
幼稚園から小学校、中学校、高校へ…、上がっていくごとに新しいことが少なくなる。

でも、社会人になって、また最初からやり直し。
時間が遅くなる。
会社に入った頃、何もかもが未体験で、とても疲れたことを思い出す。
同期の連中と喫茶店に寄って、くだらない話をして、寮に帰っていた。
やることなすこと、初めての経験。

でも、社会人に慣れて、時間がまた速くなっていく。

そして、今だ。

これから、まだ速くなるのだろうか。

もう、そんなに新しいことは出てきそうにない。

自分で新しいことを作り出して、時の流れを遅くすることはできるだろうか。

う〜ん…、それも難しい。



| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
七回忌
先週の日曜日が親父の7回忌だった。
早いもので、亡くなって丸6年。
丸6年で7回忌だから、仏教にはゼロという概念はない。
亡くなった時が1回忌になる。

お寺さんが来て、お経を唱える。
浄土真宗なので、あとで説教がある。
亡くなられたお父さんとつながっている…というような事を言われた。

次は13回忌だから、また6年後。
生きていれば、ぼくは58歳になっている。
もうすぐ還暦だ。

まだまだいっぱい話したいことがあった。
おそらく、聞いてもらっても仕方がないことばかりだが…。

いくつになっても親がいると思ったらマチガイだ。
そんな事はわかっているつもりだった。
それでも、言いたいことがある。

親父が死んでから、いろいろあった。

言ってどうなるものでもない。
ある程度年をとったら、親は関係ない。

それでも、聞いてもらえるとありがたいと思う。

そう思う時は、もう手遅れだが…。

そんなことを思いながら、七回忌を終えた。

母には長生きをしてほしいと思う。



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ガチで…
ガチンコ対決とか、ガチンコ勝負とかいうのを最近聞く。

これは一体何だろうと思ったら、相撲から来た言葉だそうだ。

相撲で真剣勝負を意味する隠語が「ガチンコ」。
あんまり日本語風ではないが、言葉自体は古いらしい。

でも、ぼくらが小さい頃は一般的に使われることはなかった。

ここ数年だろう。「ガチンコ」という言葉が一般的になったのは。

ついでに「真剣に」を意味する言葉を「ガチで」というらしい。

「マジで」の、より強い表現という感じ。

しかし、「ガチで」という場面はどんな場面なのだろうか。
想像がつかない。

新語辞書で引くと、「例えば「ガチで立ち読みした」「ガチで泣いた」「ガチで人生について考えた」などのように用いる。」とある。

でも、ガチで人生について考えた、と言われても真剣に考えたとは思えない。
人生も軽くなったなあ…という感じがする。

「真剣」という言葉の意味がだんだん軽くなってきているのだろうか。

どうも、腑に落ちない。

これは平成の新語だ。



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新しいギター
今日次男のギターを買いに行った。

何度か店に行って、試奏をして決めたギターらしい。
レスポールというギブソンのギターの形をしている。

黒に白のバインディングが入っていて、本物のレスポールと違うところはピックガードがついていないこと。
なかなか弾きやすいギターだ。

遅いクリスマスのプレゼントになった。

ぼくは中学2年の時に、家に置いてあったギターを弾きはじめた。
ガットギターで、父も母も弾いていた。

自分のギターを買ってもらったのは高校の時。
モーリスのフォークギターだった。

次男はぼくとほぼ同じ時期から始めた。
主にぼくのエレキギターで練習していた。
アンプを通さずに弾く。

もう半年になるだろうか。
ヤマハに習いに行った。
教本がよくできているのか、先生がいいのか、生徒のやる気があるのかわからないが、すごく上達が早い。
慣れるより習えとここにも書いた。

長男もフォークギターを下宿に持っていくという。

一時、せっかくギターがあるのだから、弾いたらどうや?と言っていたが全く興味を示さなかった。
かえって、ほっておいた方が、いつか弾くのではないか…と思い、ほっておいたのがよかったのかもしれない。
結局は二人ともギターを弾くようになった。

音楽をやることはいいことだと思う。

これからの人生、楽しいことばかりではないだろう。

それでも、音楽が助けてくれる時があると思う。

長いこと、ギターを引き続けてほしい。



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