考えたこと2

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ダム作り
お風呂で子どもに、今日どんなことをして遊んだのか?と聞いた。
遊んだことは、遊んだけど、いつも同じようなことをしているので、今日どんなことをしたか、忘れた、という返事。

自分が小学校の頃は、何をしていたのか話そうと思い、ふっと口から出てきたのが、ダム作りの話。

昭和30年代から昭和40年代の初めは、まだ道路わきにたくさん溝があった。
僕らはそれをドブと呼んでいて、そこにはいつも水が流れていた。
それがどこから来た水か、あまり考えていなかった僕らは、公園の前の広い道のドブでよく遊んだ。
ドブの水を、砂を積んでせき止める、という遊びだ。

せき止めて何が楽しいのか?と言われても、今はわからない。
とにかく、近所の友達何人かで、堰を作って水を止めるのが楽しかったのだ。

子どもに、そこそこ水が流れているのなら、大量の砂を入れないと、流れてしまうのではないか?と聞かれた。たしかにたくさんの砂を入れた覚えがある。

せき止めた水は、水位があがって、結局はダムを越えて流れていくのだが、大量の砂をドブに入れるのはあまり良くない行為であるということは今ならわかる。

そういえば、近所のおじいさんが、僕らが遊んだあといつもドブさらいをしてくれている、と母から聞いた覚えがある。

それは迷惑やろ、と子どもに言われ、そのとおり、「今から考えたら、ムチャしてたなあ」と言った。

話の途中、砂はどこから持ってくるのか?と聞かれ、当時はもう道路は舗装されていたし、公園から持ってきたのかな?と思っていたが、よく考えたら、そのおじいさんがドブさらいした砂が積んであったものを、またドブに入れて、ダムを作っていたような気がする。

ろくな事、してなかったなあ、という話になったが、妙になつかしい。

衛生上はとてもほめられたものでもないし、迷惑行為であることもよくわかるが、小学校の低学年の頃、ダム作りでよく遊んだことだけはよく憶えている。

あの時は、すみませんでした。

それにしても、何がおもしろかったんだろうか…。



| | 考えたこと | 00:22 | comments(2) | trackbacks(0) |
ファイリング
昔からファイリングが苦手で、本を何冊か買ったが、うまくいかない。
「超整理法」も買った。押し出しファイリングとかいうやり方だ。
どの本も読んで納得するが、右脳が納得しないらしく、リクツはわかるけど…実行できない。

書類を一応は分類してファイルやフォルダに入れたりするのだが、死蔵ファイルができたり、一緒に入れておくべき書類が別れてしまったりする。
おまけに、出したいときに出てこない。
その上、たまるのがイヤなので、時々捨てる。その時に必要なものが無くなったり、不要なものが残ったりする。
最終的には上手にファイリングできない。

ちゃんとできる人がうらやましい。

できる人は、捨てる書類は捨て、残す書類は残し、かといって見出しの数が多すぎるわけでもないし、大事なものは縮小コピーして量を減らして別にしていたりする。
見出しのタックをつかんで開けるように、セロテープでタックを補強したり、見出し用の専用ページを作ったりしている。必要なものはちゃんとあって、膨大なファイルを抱えているわけでもない。
横から見ていても、机の上はきれいだし、たまに見かけたら、引き出しの中もきれいになっていたりする。

これはどういう才能なのか。

うまくいかない原因は経験的にわかっている。
何か新しい見出しを作ったときには、その内容が増えてくると思っているのだが、それが見当違いだったりして、不要なファイルが増える。
また、ある見出しに関連したことをそこに一緒に入れているうちに、見出しの内容と中身が違ってきて、どこに何を入れたのかわからなくなったりする。
上手な人は、こういうことが起こっていないんだと思う。

マメに見出しの名前を変えたり、新しく作ったり、分けたり、不要なものを減らしたり…そういうことができることが必要だ。

頭の中がスッキリ整理されていないとダメなんだろう。

ということは、自分の頭の中は整理されてない机の上みたいになっているということだ。

それは、言えるかもしれない。



| | 考えたこと | 01:47 | comments(2) | trackbacks(0) |
読書は裏切らない
最近、本を読んではいるが、レビューが進まない。
一冊、なかなかレビューが書けない本があって、つまずいている…更新できず、すみません。

いろいろ本を読んだが、最近思うのは、本を読むことはいいことだ、ということ。
当たり前やろ、と言われそうだが、その当たり前のことを実感するようになった。
ただ単に思うことと、実感することは違う。実際に、いいことだなあ、と思う。

どんな本でもいいのか、と言われると読みたい本ならいいのではないかと思う。
本屋をうろうろしたり、ネットで検索したりして、読みたい本が出てくる。もちろんハズレもあるが、本当に読みたくなくなれば、読むのをやめればいいのだ。
読みたい本を読めばいい。

本を読むことは、決して裏切らないと思えるようになった。
裏切らないというのは、何といったらいいのか…、ためにならないことはないということ。

必ずしも何かのために本を読むわけではなく、純粋に楽しみのために読むこともあるのだが、とにかく本を読むことは自分のためになるのだ、という確信が心のすみに出てきたような気がする。

例えば、悪いことをするために本を読む、ということが世の中にはあるだろう。
爆弾を作って、どこかを吹き飛ばしてやろう、と思う。そのために、爆弾の作り方を書いた本を読むとする。
これは、自分のためになるのだろうか…難しい。

でも、僕の場合は、本を読むことで自分が良くなることはあれ、悪くなることはないと思う。
そういうふうに思える、ということだ。

そんなことはない、という人もいるかもしれないが…。

読書は裏切らない。


| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
二番は知らない
もう10年くらい前になるだろうか…。
ちょうど今頃の季節だったと思うが、職場の同僚と飲み屋で話していて、当時20代のヤツが君が代の歌詞を知らないという。

「え〜」と言ったのは、僕らの同年代。
「卒業式とかで必ず歌ったやろ」と言うと、彼曰く、「自分たちのところは組合が強かった関係で、ほとんど歌わなかったので、歌詞も知らない」とのこと。

それでも、大相撲の初日やボクシングの試合前とか、オリンピックとか、聴く機会があるやろ、と言っても、「いやー、知りません」とのことだった。

「ふ〜ん、世代の差やなあ」と年寄りチームが複雑な気持ちになっているときに、もう一人、遅れて若手が来た。

歌詞を知らなかった彼は、きっと自分たちの世代は知らない人が多い、というので、来るなりもう一人の若手にたずねた。

「君なあ、君が代の歌詞知ってるか?」

「知ってますよ…二番は知りませんけど」

「……」

ちょっと間があいて、「二番はないやろ」と声が出た。

「そうですか」

ちょっと情けない会話だが、いきなり、「二番は知らない」と言われても、すぐに反応できない。
二番…あったかな?と思ってしまう。

でも、これは実際にあった話。

どう思うかは、みなさんの判断で…。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
冷えた方がおいしい
小学校の頃、肉屋さんの店頭でコロッケを揚げていた。
1ヶ10円で売っていたので、時々買って、新聞紙やチラシにくるんでもらって、食べながら帰った。
その頃から、コロッケは好きだ。

でも、ご飯のおかずにコロッケが出たときは、揚げたてよりも冷えたコロッケの方が好きだ。
次の日に、ちょっとしなっとして、ソースをかけるとすぐにしみこむような状態になったのがいい。
揚げたてでかりっとした表面の時には、ソースがしみこまない。
翌日になって、しなっとしたコロッケは、ちょうどよくソースがしみこんで、おいしいのだ。

そういうので言うと、神戸名物の瓦せんべい。
これも、そのままではおいしくない。シカの餌みたいだ、と思ってしまう。
しっけて、ふにゃっとした方がおいしいと思う。

どちらかというと、炭酸煎餅もちょっとしっけた方が好きだ。

ちらし寿司もそうだ。
次の日に冷えたのを食べるのがおいしい。

豆ご飯も、どちらかというと次の日がおいしいと思う。
(これは炊きたてもおいしいが…)

ちょっと変わった好みだろうか…。

冷えた方がおいしいもの、ありますよね。

| | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
食べること
食べることは、生きることでもあり、生物として一番大切なことだ。

食べなければ、死ぬ。あたりまえの事実である。
すべての動物は、生きるために食べている。
必要なだけ食べる。本能がそんな風にセットされているからだろう。

でも、人間だけは、食べるために生きる事もできる動物だ。
欲しいものを必要以上に食べて、それを消費するために走ったりする。

人間以外の動物にとっては、食べ物は商品ではない。
売り買いするようなものではなくて、それを得ることが「生きる」という事であるほど、大切なものだ。

しかし、お金というまぼろしの価値を作ってしまった一部の人間は、食べ物をいつでも欲しいときに、好きなだけ、食べることができるようになった。

食べ物は、生きるためのものではなくなって、消費されるものになっている。

戦後の闇市がさかんなときに、正規ルートでの配給物しか食べない、と決めて餓死した人もいた。
食べ物があっても、自分から食べずに死ぬことすら人間にはできる。

食べきれないほどの食べ物を作り、捨てる事もやっている。
人間は、食べ物をどう考えているのだろうか。

こんな事を考えていると、食べ物に対する態度というのは、その人の生き方を表しているのかもしれないと思う。

好き嫌いはしない、出されたものは文句を言わずに残さず食べる、食べ物を粗末に扱わない、ご飯粒をお茶碗に残さない…こういう事って、親から言われてきたが、すごく大事な事だと思う。

食育などという聞き覚えのない言葉が出てきているが、食べ物に対する考え方は、池田晶子のこの言葉に尽きるのではないか。

「そも食べ物に感謝することを忘れたということ自体が、こういった騒動の大本ではなかろうか。牛だって鶏だって生き物だから、殺されて食べられるのはイヤである。しかし生き物は互いに食べ合って生きているものだから、その意味でそれは仕方ない。「仕方ない」という、こちらの側の、このイヤな気持を、ではどうするか。
 だから感謝するのである。私が生きるための食べ物になってくれてありがとう。「ありがとう」、言うだけではダメである。それは証されなければならない。証しとは何か。決まっている。よい人間になることである。よい人間、真っ当な人間として、生きることである。そうでなければ、私が生きるために殺される他の生き物たちに、申し訳が立たないのではないか。・・・」

池田先生はすごい。



| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
1+1=3
スグレモノという言葉がある。
ちょっとしたことだが、便利だとか、使いやすいとかいうときに使う名詞のようだ。

こないだ、大阪の楽器屋に行って、その、スグレモノを見つけた。

いつもギターの弦を張るときには、手で糸巻きを回して、弦を張った後、ペンチを出してきて余った弦を切る、という作業をしていた。

以前から、取っ手が付いていて、先を糸巻きの部分に差し込んで、糸巻きを早く回すという道具がある。
これは便利なのだが、それだけなら、手で回したらいいという気がして、買う気にならなかった。

ところが、その取っ手のところに、余った弦を切るためのカッターが付いている、という糸巻き器を見つけた。
これは便利、と思い買ってしまった。

昨日、これを使って弦を貼ったが、巻いた後すぐに余った弦が切れる。
いちいちペンチを出す必要もない。
ちょっとした工夫だが、いつもセットで使うものが一つでできる、というのが素晴らしい。
これこそがスグレモノだ。

そういう目で見ると、鉛筆のおしりに消しゴムが付いているヤツもスグレモノだろう。
二色や三色のボールペンも、出たときはスグレモノだったんだろう。
リンプー(シャンプーとリンスが一緒になったヤツ)は…、これはもう一つか。ネーミングは好きだが…。

こういうスグレモノは、道具として使うのがうれしい。

色々なところに発明のタネは落ちているのかもしれない。


| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
しりとり
昨年末にやっていた、松任谷由実のオールナイトニッポンというテレビ番組をビデオで見た。

平井堅がゲストで出てきたが、その中で「しりとり」をやっていた。
松任谷由実がツアーの時に暇つぶしにやっている、というのが「ん」付きしりとり。
これはおもしろかった。

最後が「ん」で終わる言葉でないといけない。
「新幹線」→「戦艦」→「関門トンネル記念館」みたいに「ん」と一つ前の文字で終わる言葉を続けていく、というもの。
やっぱり、言葉の感性のある人は、すごい。

学生時代、クラブで老人ホームの慰問の旅行をしていたときに、お金がなくて普通電車しか使わないので、移動時間が長く、電車の中でしりとりをやっていた。

よくやったのは、ジャンル別しりとり。
歌の題名しりとりはよくやった。「る」がなかなかないのだ。「流浪の民(ロシア民謡)」とか、「ルージュの伝言」とか言っていたと思う。

それ以外のジャンルは、「地名」、「食べ物」、「有名人」などか。
これも、「る」は鬼門だった。
「ルミ子・小柳」とか、言ったような気がする。

子どもが小さい頃は、寝る前に「ポケモン」の名前のしりとりをさせられて、負けた。

しりとりは、おもしろい。
これは、脳のトレーニングにもなるのではないか。能力トレーナーのメニューに入れたらいいと思う。
東北大の川島教授、お願いしますよ。

こんど、「ん」付きしりとりをやってみないと…。



| | 考えたこと | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
いまだにわからない
こないだ、NHKの「その時歴史は動いた」でゼロ戦の事をやっていた。
ゼロ戦の設計者と海軍の確執、日本とアメリカのパイロットの人命に対する考え方、戦闘機そのものに対する考え方というようなテーマだった。

仕事帰りのクルマの中で、音声だけを聞いたのだが、最後の方で特別攻撃隊(特攻)のための戦闘機に選ばれたのがゼロ戦だった、という事に対して、設計者が非常に残念に思っていた…というような部分を聞いて、果たして今の十代、二十代の人たちは、こんな番組を見て、どの程度わかるんだろう?と思った。

もちろん、僕らの年代は戦争を知らないし、第二次大戦のなごりも何も残っておらず、生まれてしばらくしたらすぐに高度成長が始まり、豊かな時代をすごさせてもらったので、僕らにも実感はない。
でも、親の世代は戦争を知っており、空襲にも遭っているし、ある程度は第二次大戦の話は聞いている。

そんなこともあって、まだ第二次大戦の悲惨さを思うことができる。

30代の頃、どうして日本は第二次大戦をしたのか?という事を考えて、第二次大戦(主に太平洋戦争)について書いた本を読んだ。阿川弘之の海軍関係の小説や吉村昭のゼロ戦や戦艦の小説、山本七平の一連の著作など。

どうして、どう考えても負ける戦争をしたんだろう?と思うだけの下地があったと思う。

でも、もう戦後60年以上経って、全く何も知らない、という人も増えたのではないかと思う。

戦争は悪い、戦争は反対、というのは何かを言っているようで、何も言っていないように聞こえてしまう。
何で戦争をしたのか、後から考えたら、負けるとわかっていたのではないか?と思うような戦争を、なぜしたのか、という事をちゃんと問わないと、また失敗するような気がする。

失敗、などというと、成功だったらいいのか?と聞かれるかもしれないが、日本が勝った(とされている)日清戦争や日露戦争については、反対というような声は聞いたことがないし、日本は反省すべき、という声も聞かない。
それなら、勝った(と後で言える)ような戦争ならいいのではないか…とあまのじゃくが顔を出す。

時事ネタと政治がらみのネタは書きたくなかったが、あの番組を見ると、書きたくなった。

いまだに、なぜ失敗したのか、わからない。


| | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
免許の更新
日曜日に運転免許の更新に行ってきた。
伊丹の免許更新センターに、朝9時前に行ったが、行列ができていた。

案内のハガキに、申請用の写真が要る、と書いてあったので持っていったら、要らなかった。
今持っている免許証をコピーして、申請書に自動で画像を貼り付ける、というシステムがあって、それで申請書を作成していた。だから、写真は要らないのだ。それなら、写真が要る、と書かなければいいのだが…。役所のやることだから、しかたない、とあきらめてしまう。

その次は目の検査。
今年は近眼と老眼がひどくなったし、もともと乱視もあるのでヤバイと思ってメガネを持っていったが、何とかOKだった。5年後はダメだろう。

その後やっと講習を受ける。
優良者講習なので、30分。最初の15分で追突のビデオを見て、後の15分間、講師の話を聞く。

何でも、道路交通法の改正で、6月から駐車違反の確認が民間委託できることになるので、どんどん駐車違反の取り締まりができる状態になるとのこと。
駐車違反摘発会社ができることになるので、成績を上げたら(たくさん駐車違反の切符を切ったら)、その会社は儲かる、という仕組みになるということ。

迷惑駐車を減らすために、民間委託をする、ということらしい。

なかなかいい仕組みである。

それで、ひとつ思いついた。
毎年、年度末になると、いろんなところで道を掘り返している。
こないだは、下水工事。終わったかと思ったら、電気の工事、ガスの工事などと続く。(これは単に印象の問題かもしれないが…)

これらの工事を検査するのを民間委託できないか?
どこかの工事が入ったら、その時に一緒にできる工事はないか、確認し、できるものがあれば、一度にやってしまう。
そうしたら、掘り返しの経費が減って、夜間工事もできるし、圧倒的に工期が短くなる。それで浮いた工費の何パーセントかを民間委託会社に報酬として渡す。
委託会社は、何とかして一度にできる工事を一緒にやろう、ということになるので、必死で節約をする。

更新の講習を聞きながら、そんなことを考えた。

どうでしょうかね?



| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
変わらないモノ
今日は、久しぶりにレコードを聴いた。

20代の頃によく聴いたHI-FI-SETのQuarter Restというアルバム。残念ながらCDにはなっていない。

A面の2曲目(A面と言っても、わからない人が増えてきたが…)の「薄れゆくメロディー」という曲、これがいい曲だった。
1979年のレコーディング。でも、古いとは思わない。

薄れゆくメロディー (作詞:大川茂)

薄紅色に染まりはじめた
街角に立ちどまる
かすかに聴こえる ビリーの歌が
あの頃 私 好きだった

今も この胸は あなただけ
憶えているのね
黄昏がせまる街に
遠く流れてたメロディー

どんな通りを歩いていても
曲がり角 淋しくて
ひとりこっそり振り向いてみる
どこかで見つめる気がして

もしも 見かけたら あの歌を
くちづさんでみて
今では うらみも消えた
笑顔みせてあげられるわ


この歌に出てくる「ビリー」は、きっとビリー・ジョエルの事だと思う。この曲をよく聞いていた頃、そんなことを考えた事も思い出した。

1977年にビリー・ジョエルはストレンジャーというアルバムで、一躍有名になった。
イントロの口笛のメロディはすごく印象的。すごく流行って、いろんなところでかかっていたから、「黄昏にせまる街に 遠く流れてたメロディー」は、きっとビリージョエルの曲だろう。

カーステレオ(今はカーコンポというのか…)で、カセット・テープでよく聴いた。

今日も、思わず一緒に歌ってしまった。

49歳になった日に、20代の頃に聴いた曲を懐かしんで歌う。

でも、これは歳をとっても変わらないモノが心の中にあるという事なんだろう。

きっと、そういうことだ。
| | 音楽 | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
エレキギター
小学校の高学年の頃から、グループサウンズというのが出てきて、第一次のエレキギターのブームになった。
ベンチャーズが毎年来日していたのも、この頃以降だと思う。

タイガース、スパイダース、テンプターズ…など。
エレキギターが主役だった。(もちろん、リードボーカルが主役だが…。)
加山雄三もエレキの若大将などという映画を撮っていた。

でも、当時はエレキギターというと、不良の楽器というようなイメージもあり、PTAが禁止しているところもあったはず。

時代は変わった。

日曜日の夜やっている番組で、小学生がロックバンドを結成する、というのがある。
昔なら、小学生がロックをやるとは何事!などと言われて、放送禁止になっていただろう。

中学2年の時から、家にあったクラシックのギターを弾きはじめ、20歳の時にエレキギターを買った。
楽器店の成人の日セールで1万円くらいで買ったと思う。

ソリッドボディ(ボディ中に空洞がないもの)のレス・ポールモデルというもの。
(レス・ポールさんはまだ現役でプレイしている!1915年生まれだ。)

エレキギターには、いくつかのデザインがある。
レス・ポールというのは、アメリカのギブソンという会社が作ったものだが、レス・ポールさんがデザインしたもの。
エレキギターを最初に買おう、と思ったら、このデザインに目がいく。
カッコイイのだ。(もちろん、ホンモノのレス・ポールは高いので、安いコピーモデルを買う。)

そのほかに有名なデザインは、フェンダーという会社が作っている、ストラトキャスターやテレキャスターというのがある。

でも、デザインで言うと、レス・ポールモデルは魅力がある。

結局、数年後に会社の後輩に譲ったが、今でも高校生には人気があるようだ。
長男の友達が、エレキギターを買うというので、何を買うのか?と聞いたら、レスポールモデルとのこと。
やっぱりな…と思った。

時代は変わっても、カッコイイものは変わらない。

いずれのギターも50年以上作り続けられているが、みんなが憧れている。

そんなモノは、多くはないが、ずっと生き残るんだろう。


| | 考えたこと | 21:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
金曜日が一番
"TGIF"という言葉がある。"Thank God It's Friday."の頭文字をとったもので、「花の金曜日だ!」という意味らしい。

その通り、金曜日の夜が一番気分的に楽しい。
次に、土曜日と日曜日が来るからだ。

月曜日はBlue Mondayという言葉があるように、今週も仕事が始まった…という憂鬱がある。
火曜日は、月曜の延長で半分ブルーか。
水曜日になると、やっと半分まで来た…「やれやれ」という感じ。
木曜日の夜は「あと一日」という安心感が出てくる。
そして、金曜日の夜は、"TGIF"となる。

金曜日の夜は、少々夜更かしをしても大丈夫。
まだ二日間休みがあるので、取り返せる…という気になる。
今日もその気になって、書いている。

土曜日の朝は早起きしなくていいという事に感謝!である。
これは、すごくうれしい。
最近は休みの日でも目が覚めてしまって、昼近くまで眠るというような事ができなくなった。
それでも、起きてパジャマのままでいれる、というのは至福である。

日曜日の朝も、ゆっくり眠れるのだが、翌日から仕事という気持ちがあって、それがハッピーな気持ちを少しジャマする。
そして、日曜日の夜…。サザエさんが終わると、少しずつ、月曜日の事を考えはじめる。
「あー、休みも終わりか…」というむなしさが出てくる。

そして、月曜日を迎える。

やっぱり、TGIF。
金曜日の夜が一週間で一番ハッピーな時間だ。


| | 考えたこと | 01:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
トイレの本
トイレには、何冊か本を置いてある。
トイレは、新聞を読む場でもあるし、本を読む場でもある。

スヌーピーのマンガが2冊、小林秀雄の「考えるヒント」が1冊。
そこに最近新しい本が追加された。
ミステリ傑作選というぶ厚い文庫本。

だいぶ古い本だが、もともと傑作選なので、昔のものがほとんど。

ハードボイルドなら、「長いお別れ」とか、「マルタの鷹」とかが載っている。

トイレに置く本は、長編小説ではダメだろう。
すぐに読めて、おもしろいもの、途中から拾い読みできるものでないといけない。

スヌーピーのマンガは、ベストである(というと、スヌーピーのファンに怒られる…)。
おもしろいし、どこからでも読める。
この本は、セリフが日本語と英語の両方で書いてあるので、英語の勉強にもなる。

「考えるヒント」は、ちょっとむずかしい。
でも、一つずつがあまり長すぎないし、ようやくこの頃、内容もわかるようになってきたので、本当に「考えるヒント」になる。

今回新しく加わった、「ミステリ傑作選」は、写真も多いし、分野別に分かれていて、読みやすいし、翻訳者の自薦ベストもあったりして、楽しめる。
何でトイレで読むのか?といわれると…何とも言えないが、以前「思いつき薬」に書いたように、トイレの中は、ゆったりしていて、考え事に向いているし、考える材料になるものがあると、楽しい場所だから…ということになる。

きっと、いろいろと異論がある人もいると思うが、トイレの中って、何か主目的以外のことに時間を使いたい…。

そんなことないですか?

| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |