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2020.04.30 Thursday
全体主義
コロナウィルスへの反応を見ていると、集団心理というのは面白いと思う。
当初はたいしたことないだろう、と思っていたが、武漢で感染が広がり、ダイヤモンド・プリンセス号が出てきて、だんだんとエライことだという雰囲気になってきた。 そして街で感染者が出てきて、PCR検査の大合唱が起こる。 それでも、さほど一般に広がらなかったと思うが、潮目が変わったのが志村けんの死。 そこから恐怖心が出て、大きくかじを切ったように思う。 一貫してマスコミはコロナウィルスの感染が広がる、というと人々の関心が高まる、ということになった。 検査をしないとダメとか、感染者が増えたとか、政権が隠しているなどの猜疑心と恐怖心を煽る。 また都合のいい感染症の専門家?という人たちが出てきて、また煽る。 注意喚起するのがマスコミの仕事とも言えるので、最初のうちはそれもいいと思う。 しかし、ぼくはダイヤモンド・プリンセス号の頃から、あれだけの人が乗っており、70代以上が大半の密室であの程度の状況なら、大したことはない、と思っていた。 本当に厳しい感染症なら、もっとバタバタと死ぬはずだからだ。 実際に今見ても、30代以下の死亡者はゼロ。 昨日の時点で、40代5名、50代13名、60代31名、70代77名、80代147名。 インフルエンザで昨シーズン3000名死んでいるのだから、それより明らかに軽い。 インフルエンザは同じ感染症として、もっと比較の対象に使うべきだ。 かたや、ワクチンがあっても、薬があっても、たくさんの人が死んでいるのだから。 そのさなかに、ツイッターで見つけたのが、オーストラリア在住の医師がつぶやいていたBCGの記事。 日本やロシアのBCG接種を義務付けている国は、明らかに死亡者数が少ないという結果。 いまだに反証はない。非常に確からしいのだ。 東西ドイツなどいい例だ。 旧東ドイツは西より明らかに死者数が少ないのだ。 これはBCG接種でしか説明できそうにない。 イギリスが最初に言って、取り下げたようだが、集団免疫という考え方も知った。 ある感染力を持った感染症が始まった時に、どうなったら終わるか、ということだ。 ウィルスと人間の戦いの歴史から、人間はウィルスには勝てないということを知った。 結果的に一度大流行したウィルスはなくなることはないし、流行はずっと続く。 ただ、医療資源の枠内で流行らせるためには、感染力に応じてある割合の人たちが感染しないといけない。 ワクチンを打つのも、人工的に感染させているのだから、ウィルスとの共生になる。 それによって、免疫ができるのだ。 その指標が再生産数というやつだ。 これが1を切ると、感染は収束に向かう。 今の日本で1を超えているのは、島根、鳥取だけで、他の都道府県は1を切っている。 本来なら、その数値を専門家会議が言って、緊急事態宣言を解除しないといけないはずだ。 でも、専門家会議は政権のいいなりになってしまった。 専門家としての矜持はあるんだろうか。 おまけに、子供はコロナにかかりにくいし、かかってもウィルスを巻き散らかしにくいということがわかったのだから(感染症会議の記事)、学校など止める理由はない。 早く再開すればいいのだ。 こんなことを続けていると、経済が無茶苦茶になってしまう。 その証拠にロックアウトを続けていた欧州では、ある程度の死者が出ても解除しようとしている。 それは政治家のバランス感覚だろう。 感染症でも人は死ぬが、経済が行き詰まっても人は死ぬ。 どちらの人数が多いかということだ。 それだけ多くのひとが死んでも、経済を取ったということだ。 日本など、なんで自粛などしているのだ、というレベルだろう。 2桁も死者数が少ないのだから。 不思議なことに、専門家会議では海外のデーターと国内の比較など一切しない。 再生産数もこないだから発表しない。下がっているからだ。 自粛自粛、といっているのは、自粛をしても給料が減らない人たちばかり。 こんなことをやっているのはオカシイと思わないのだろうか。 ということで、政府は延長の方針らしい。 ぼくが何を言っても仕方がない。 というより、そんなことを言うと、戦前の非国民みたいな目で見られることもある。 きっとこういうふうにして、太平洋戦争は始まったのだろうと思う。 これでは、ある意味、全体主義だとすら思う。 しかし、就活生がわりを食うのは本当に気の毒だ…。 |
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