考えたこと2

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全体主義
コロナウィルスへの反応を見ていると、集団心理というのは面白いと思う。
当初はたいしたことないだろう、と思っていたが、武漢で感染が広がり、ダイヤモンド・プリンセス号が出てきて、だんだんとエライことだという雰囲気になってきた。
そして街で感染者が出てきて、PCR検査の大合唱が起こる。
それでも、さほど一般に広がらなかったと思うが、潮目が変わったのが志村けんの死。
そこから恐怖心が出て、大きくかじを切ったように思う。

一貫してマスコミはコロナウィルスの感染が広がる、というと人々の関心が高まる、ということになった。
検査をしないとダメとか、感染者が増えたとか、政権が隠しているなどの猜疑心と恐怖心を煽る。
また都合のいい感染症の専門家?という人たちが出てきて、また煽る。
注意喚起するのがマスコミの仕事とも言えるので、最初のうちはそれもいいと思う。
しかし、ぼくはダイヤモンド・プリンセス号の頃から、あれだけの人が乗っており、70代以上が大半の密室であの程度の状況なら、大したことはない、と思っていた。
本当に厳しい感染症なら、もっとバタバタと死ぬはずだからだ。

実際に今見ても、30代以下の死亡者はゼロ。
昨日の時点で、40代5名、50代13名、60代31名、70代77名、80代147名。
インフルエンザで昨シーズン3000名死んでいるのだから、それより明らかに軽い。

インフルエンザは同じ感染症として、もっと比較の対象に使うべきだ。
かたや、ワクチンがあっても、薬があっても、たくさんの人が死んでいるのだから。

そのさなかに、ツイッターで見つけたのが、オーストラリア在住の医師がつぶやいていたBCGの記事。
日本やロシアのBCG接種を義務付けている国は、明らかに死亡者数が少ないという結果。
いまだに反証はない。非常に確からしいのだ。
東西ドイツなどいい例だ。
旧東ドイツは西より明らかに死者数が少ないのだ。
これはBCG接種でしか説明できそうにない。

イギリスが最初に言って、取り下げたようだが、集団免疫という考え方も知った。
ある感染力を持った感染症が始まった時に、どうなったら終わるか、ということだ。
ウィルスと人間の戦いの歴史から、人間はウィルスには勝てないということを知った。
結果的に一度大流行したウィルスはなくなることはないし、流行はずっと続く。
ただ、医療資源の枠内で流行らせるためには、感染力に応じてある割合の人たちが感染しないといけない。
ワクチンを打つのも、人工的に感染させているのだから、ウィルスとの共生になる。
それによって、免疫ができるのだ。

その指標が再生産数というやつだ。
これが1を切ると、感染は収束に向かう。
今の日本で1を超えているのは、島根、鳥取だけで、他の都道府県は1を切っている。
本来なら、その数値を専門家会議が言って、緊急事態宣言を解除しないといけないはずだ。

でも、専門家会議は政権のいいなりになってしまった。
専門家としての矜持はあるんだろうか。

おまけに、子供はコロナにかかりにくいし、かかってもウィルスを巻き散らかしにくいということがわかったのだから(感染症会議の記事)、学校など止める理由はない。
早く再開すればいいのだ。

こんなことを続けていると、経済が無茶苦茶になってしまう。
その証拠にロックアウトを続けていた欧州では、ある程度の死者が出ても解除しようとしている。
それは政治家のバランス感覚だろう。
感染症でも人は死ぬが、経済が行き詰まっても人は死ぬ。
どちらの人数が多いかということだ。
それだけ多くのひとが死んでも、経済を取ったということだ。
日本など、なんで自粛などしているのだ、というレベルだろう。
2桁も死者数が少ないのだから。

不思議なことに、専門家会議では海外のデーターと国内の比較など一切しない。
再生産数もこないだから発表しない。下がっているからだ。
自粛自粛、といっているのは、自粛をしても給料が減らない人たちばかり。
こんなことをやっているのはオカシイと思わないのだろうか。

ということで、政府は延長の方針らしい。
ぼくが何を言っても仕方がない。
というより、そんなことを言うと、戦前の非国民みたいな目で見られることもある。
きっとこういうふうにして、太平洋戦争は始まったのだろうと思う。
これでは、ある意味、全体主義だとすら思う。

しかし、就活生がわりを食うのは本当に気の毒だ…。



| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
SMARTとFAST
目標設定は「SMARTの法則」で行う、というのを初めて聞いた。
SMARTというのは、以下の頭文字をつなげたもの。

Specific(具体的な)
Measurable(測定可能な)
Achievable(達成可能な)
Realistic(現実的な)
Timely(期限がある)

これらの条件を備えないといけないということだ。
もっともな話。

しかし、SMARTの法則で立てた目標がうまくいかないときは「FASTの法則」を使うといいらしい。

「ゴールは頻繁(Frequent)に議論され、不可能ではない範囲で野心的(Ambitious)であり、具体的(Specific)な指標とマイルストーンで計測できて、組織の全員から見えるよう透明性(Transparent)が保たれるべき」ということだ。

ちょっとFASTという頭文字でまとめるには無理があるような気がするが、たしかに目標の共有は大事だ。
いくら目標を立てても、それがちゃんと共有されていなければ、達成などできない。

だからメンバー間で頻繁に(Frequent)に議論する必要がある。
その目標は達成可能であることは大事だが、簡単ではない高い目標(Ambitious)であることが必要だ。
さらに、具体的(Specific)であって、みんなから見えるように(Transparent)しないといけない。

どちらかというと、「SMARTの法則」は目標自身のことを言っており、「FASTの法則」はそれをどう運用するか、という側面のようだ。
まず目標をちゃんと立てること、そしてその目標を立てて実行するプロセスもちゃんとすること。
そういうことだろう。

こういうのを、西洋人は上手に作る。

分析して、まとめるのが得意なのだろう。
日本人は分析するのが苦手のように見える。
ぼんやりと、なんとなくやるのが得意。

日本の行政部門など、もっとこういうのを見習ってほしいものだ。
いい加減なNPOに仕事を丸投げしていた児童相談所など、こういう手法を使って目標を立てて仕事をしたことなどないんだろう。

困ったものだ…。



| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウィルスとの共生
昨日先輩とWebで話をしていて「感染が増えるのはいいことだ」というと、それは外では言わない方がいいと言われた。

ぼくが「感染が増えるのはいいこと」という意味は、ある感染力を持ったウイルスは、人間界に広がっていって、ある割合の人数が感染して初めて医療が崩壊しない程度に流行するから、という意味だ。
それを集団免疫という言葉でエライ先生が表している。
日本のエライ先生も、同じだと思う。
それしか、終わりはないのだ。
感染をゼロになどできない。

たしかに、ワクチンや薬ができるまで、感染を緩やかにするのは必要だ。
本当に恐いのは、インフルエンザと同じく、単に感染者が増えることではなく、重篤者が激増することで、それは医療崩壊につながる。
しかし、今のペースなら重篤化率も死亡率も低いし、軽症の患者のベッドを空けるということも始まっているから、それを徹底すれば大丈夫なのではないか。

海外の情報を見ていると、法的な規制を伴ったロックダウンをしても、それほど劇的に感染者数は減少していないし、やめるところも出てきているくらいだ。
人と人との接触を8割削減などという夢物語は早く引っ込めるべきだ。
まるでそれによってウィルスがなくなる、というふうに思っている人が多いのではないか。
そんなことはあり得ない。
これだけ世界中に広がってしまったら、共生するしかないのだ。

専門家会議の中にもまともな人がいるはずだと思うが…。
政権に阿ってばかりの専門家会議など意味がない。
ちゃんと言うべきことを言うべきだろう。

ぼくは、熱心さは足りないかもしれないが、以前より手洗いはまめにしているし、外に出るときは消毒液のマイボトルも持っているし、マスクも持っていっている。
しないとダメ、と言われるところではちゃんとマスクもしている。

ぼくが「感染が増えるのはいいことだ」ということで、世間の感染が増えるわけでもない。
ちゃんと、そのあとに「感染が一定以上増えることが、この感染症の流行を収める唯一の方法なのだから」ということも言っている。

薬ができたほうがいいし、ワクチンが早くできることも望んでいる。
ワクチンの働きは、要するに人工的に感染をさせることだし、その場合でも感染がある一定数に達しないと、この流行は収まらない。
要は医療資源の範囲内で流行る分にはインフルエンザと同じなのだ。

ウィルスがいなくなって、平和な世の中になるわけではない。
撲滅などできないのだ。
だから、これから先いつの日か、コロナウィルスに感染する可能性はいつだってある。
それが感染症というものなのだ。

もう一度言う。
接触を8割削減したら、ウィルスが消えてなくなるわけではない。
所詮、人間はウィルスには勝てない。
ワクチンを早く作って、それを体内に入れて、人工的に感染させ、免疫を作るしか策はないのだ。

当たり前のことを言っているだけなのだが…。


| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
在宅勤務
生まれてはじめての在宅勤務をやって2週間が経つ。
ネットでの面談の準備や、メールでの相談のやり方などと詰めている間に初日は過ぎた。
幸いウチは子供も出ていったし、自分のスペースもあるので、快適だ。

10時から5時の勤務。
朝ゆっくりして、コーヒーを入れて部屋にこもる。
携帯はカケホーダイなので、何かあれば電話する。
結局それが早い。
みんなでグーグルハングアウトもしたが、やっぱり遅れがあったり、何かと違和感があるので初日でやめた。
でも、ハングアウトのチャットは役に立つ。

とりあえず業務開始はメールで連絡。
こういう時に、多人数で共有できたり通信できるソフトがあったら便利なんだろうと思う。
一時グループウェアというやつができてきたが、それの進化版だ。
学校法人に行ってから、とんとそういうものに縁がなくなった。
ネットの情報を見ているだけだ。
学校法人によってはそういうものに熱心なところもあるんだろうが、ぼくのいた法人は全くダメだった。
2004年当時、財務部長のパソコンのディスプレイにポストイットが貼ってあった(もちろん電源は入ってない)くらいだからなあ。

仕事と言っても、そんなにあるわけがない。
請負でやっている指導、相談の業務なので、誰かが来ないと仕事にならない。
もう始めて数年経つので、プリント類は山ほど作った。
これ以上作っても仕方ない。

だから、基本的にはメールかWebでの対面の仕事になる。
申込みもまだまだなくて、ひたすら待つ。

そのおかげで、古い資料の整理に手をつけている。
学校法人で仕事をしているときの関連資料類。
いろんなレポートやコピーが残っているのだ。

昨日はそれを見ていた。
懐かしい。

中下位の大学の基礎学力問題。
臭いものには蓋で、これについてあまり取り上げる人はいない。
ぼくは6年間ほど、この問題を考えてきたつもり。

結局そんなに有効な手は打てなかったが、自分ではできるだけやったが…。
問題の根は小学校から続いているのだから、仕方ないと思う。

話がそれた。

というワケで、とりあえず快適な在宅勤務だ。



| | 考えたこと | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
コードトーンを追いかける
家にいることが増えたので、ギターの練習時間も増えた。
Youtubeの先生の言うことを聞いて、コードトーンを追いかける練習をしている。

そのコードを積み上げていく時の元になる音がルート。番号でいうと1になる。
3度の音はそのコードがメジャーかマイナーかを決める音。重要な音だ。
短3度(半音3つ分)ならマイナーに、長3度(半音4つ分)ならメジャーコードになる。
これが番号でいうと3になる。
さらに、5度上の音がきて、番号5の音が積まれる。
ハ長調でいうと、ドミソの和音が135という音の積み重ねでCというコードになる。

本来なら、4つ目に番号7の音を積んで、7thコードというものを作るのだが、とりあえず初心者は3つの音でやってみる。

コード進行を決めて、カラオケを流して、そのコードのルート(1の音)を最初に弾いて、続いて353と弾く。
ドミソでいうと、ドミソミということになる。
1353という音を各コードで弾くのだ。

有名な循環コードのC–Am~Dm7–G7というカラオケなら、ドミソミ、ラドミド、レファラファ、ソシレシという音になる。
これをカラオケのリズムに合わせて弾く。

これができるようになったら、3135と弾く練習だ。
ドミソでいうと、ミドミソと弾くことになる。
これが意外と難しい。

コードを見て、すぐに3の音を弾くのだから、知っていないといけない。
1から始まるのなら、コードのルートだから、馴染みがある。
しかし、3から始まるというのは意識したことがない。
Cのコードを見たら、まずミの場所を押さえないといけない。

Youtubeの先生は、指板を地図のように見て、ルートの音との位置関係で覚えればいい、という。
ルートの場所の左下がメジャーコードの時の3であり、右3フレットがマイナーコードの時の3になる。
そうは言ってもなあ。

それができたら、今度は5、次は4音で7を入れての練習になる。
こんな方法でギターを練習すればいいのか、と思う。

こういう努力を繰り返して、コードが分かればコード感のあるアドリブができるようになるという。
それはよくわかるのだが…。

まだまだ初心者の段階だぞ。

| | 考えたこと | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
iRealpro
仕事で使っているiPad(私物)にiRealproという音楽のアプリを入れた。
いくらかお金はいるのだが、入れるとポップスが400曲、ジャズが1350曲、伴奏をダウンロードできる。

その上、自分でコードとリズムパターンを指定して、伴奏を作ることもできる。
テンポもキーも自由自在だ。
これはたしかに便利。

老骨に鞭打って、コードを「度数」で考えるということに慣れようとしている。
ドを1とすると、ミはメジャー3度、ソは5度、シはメジャー7度という度数。
1、M3、5、M7とかいう表記になる。
これでそれぞれのコードの音を表す。

4声のコードの種類は主に4つあって、Maj7、m7、7、m7d5。
Cがルートなら、CMaj7、Cm7、C7、Cm7b5。
構成音はそれぞれ、ドミソシ、ドミbソシb、ドミソシb、ドミbソbシbとなる。

度数で半音も含めた12個の音(ド、レb、レ、ミb、ミ、ファ、ソb、ソ、ラb、ラ、シb、シ)を表すと、1、b9、9、b3(#9)、3、11、b5、5、b13、13、b7、7となる。
基本となる4声の和音が1、3、5、7となって、その間の音は7の上に積む形になるから、9、11、13という、元の数に7を足した数になる。
このへんがややこしい。
つまり、2が9、4が11、6が13になるということだ。

また、ドからシまでの7つの音に、それぞれの調の音符を積んでいってできる7つの和音のことをダイアトニックコードという。
キーがCなら、それぞれのコードはCMaj7、Dm7、Em7、FMaj7、G7、Am7、Bm7b5となる。
ややこしいが、これが基礎になる。

ここで、CやDというような音名ではなく、数字で表せば一般化できる。
1メジャーセブン、2マイナーセブン、3マイナーセブン…という具合。
こういうふうに考えて、曲のコード進行の分析をする。

ギターという楽器は、半音ずつずらしても指使いは変わらないから、数字で考えると便利。
調が変わると、大幅に変わる管楽器などと違って、やりやすい。

以前書いたが、1-6-2-5という進行はポップスやジャズでよく使われる。
キーがCなら、CMaj7-Am7(A7)-Dm7-G7ということになる。
この進行に1625という名前をつけて、iRealpro入れておくと、いつでもこの進行で練習ができる。

2-5-1という進行もある。
通称「ツー・ファイブ・ワン」という進行で、本当によく出てくる。
こういうのを流しながら、フレーズの練習をする。

仕事で使うはずのiPadだったが、最近はもっぱらギターの練習用になった。

これはオススメだ。




| | 考えたこと | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
現地現物
コロナウィルス関係のデーターはいろんなところで出ている。
日本のデーターなら東洋経済のページがいい。
海外のデーターもたくさんアップされている。
ネットの発達で、自宅にこもっていても世界のデーターを見られるのは、今までと違う状況だろう。
政府や専門家会議がデーターを独占していたような時代ではない。

その分、情報も多様化した。
意見も多様化しており、Google翻訳もあるので、いろんな人や団体の意見を見ることができる。
会社時代にイヤほど言われた「現地現物」という言葉を思い出す。
ちゃんと実際のデーターを見て判断しなさい、ということだ。

今朝のワールドニュースでは、もうイギリスでワクチンの臨床試験をやるというニュースもあった。
女性の学者がボランティアになって、ワクチンを接種しているところが映っていた。
すごいスピードだ。
いろんな法律をすっ飛ばしているんだろう。

暇だし、自分でデーターを見られるのは面白い。
なぜ欧米とアジアで死亡率が2桁も違うのか、というのはこの問題でのぼくの最大の疑問。
欧米は人と人との距離が近い、ということも言うが、感染は日本の方が早かったし、その後のデーターを見てもロックアウトしてもさほど感染者が減らないところを見ると、ソーシャルディスタンスなどというものはそんなに関係なさそうだと思う。
となると、日本も含め、中国と隣接していて、人の行き来も多い国々がなぜ死亡率が低いのだろう。

この問題で興味深いのは、日本の専門家が一切その事実を無視していることだ。
無視はしていないかもしれないが、少なくとも公式の場ではほとんど触れない。
まあ、それが未来の日本の姿だ、と言っているところで、触れていることになるのか。

ネット上にはいろいろ意見があり、中でも蓋然性が高いと思われるのは、日本の強毒性のBCGが効果があるのではないか、というもの。
オーストラリア在住の医師が言っている。
今のところ、これには反証がない。

この件については、日本のマスコミも、新聞やテレビもちょっと小さい記事が出ただけ。
連日報道されるのは、累積感染者数。
累積だから、増えるにきまっている。
あれは悪質な印象操作だ。

片対数グラフは高校の時に習った。
指数関数を直線の傾きで表すものだろう。
知らない人が多いのに驚いた。

今回の件で、日本の専門家が実際のデーターに不誠実であることと、マスコミのレベルの低さに嫌気がさした。
テレビのニュースも見るのをやめた。
新聞もコロナの記事は読まずに飛ばす。

そういうことを話すと、友達は減っていく。

早く収束してほしいと思う。


| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
オンライン飲み会
こないだ初めてのオンライン飲み会をやった。
勤めていた大学の卒業生2人が相手。
どちらも、在宅勤務になったと言っていた。

一人はアパレルの販売の女子で、若い身空で店長をやっている。
この時間を社員教育に使うらしく、カリスマ販売員のビデオを見てもらって、レポートを書くなどの課題をやらせている、と言っていた。
オンライン飲み会のいいところは、途中で家族が出てきたりすること。
お母さんが声だけで挨拶された。

もう一人は婚活パーティの会社にいる。
卒業してちょっとバタバタして落ち着いた。
婚活パーティの話はいつもなかなか面白い。
こちらは、結婚するということで、相手を紹介された。

2人とも立派になったものだ。
一人前のオトナの口をきく。
後輩に望むことや大学生のうちにやっておくべきことなど、言っていた。
いやいや、仕事を通じて成長したものだ。

パソコンで画像を確認しながら話をして、自分で缶ビールを飲むだけなのだが、結構面白い。
メラビアンの法則を思い出した。
人とのコミュニケーションで、話の内容はたった7%、話し声が38%、見た目が55%というもの。
解釈は色々あるようだが、要は話の内容よりも、話し声や表情が重要だ、ということだ。

声だけなら、そんなに長時間続かないだろうと思う。
やっぱり顔を見ながらやるのは大きい。
終わったときは2時間ちょっと経っていた。

カウンセラーの仲間の人も、なかなかいい、と言っていた。

緊急事態が解除されても流行るかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
8割削減
人との接触を8割削減したら、感染がゼロになるという。
言った本人は8割削減しているのだろうか。

在宅勤務になってから、外に出るのは一人で散歩の時か、スーパーに食料品を買いに行く時だけ、という感じだ。
ぼくはだいたい家でじっとしているのが好きだから、そう苦にはならない。
仕事以外の時間は、音楽を聞いたり、ギターを弾いたり、演芸を聞いたり、Youtubeを見たり、録りだめした映画を見たり、Webの記事を見たりして時間を過ごす。

インド製のお香も買った。
焚いてみると、なかなかいい感じだ。

でも、中には人と会わないと生きている感じがしないという人もいる。
そういう人はどうしているんだろう。

もちろん、職場に行かないといけない人もいる。
物流の仕事やインフラの仕事は行かないと仕事にならない。
本当に頭が下がる。

しかし、実際に8割削減というものの尺度が全くわからない。
ぼくの場合は職場に行かなければ、家族以外に会う人はいないので達成できるが、家族も人だから一人暮らしでもなければ8割は難しいだろう。

「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」には、「30日間に急速に収束に向かわせることに成功できたとすれば、数理モデルに基づけば、80% の接触が回避できたと判断される。」という記述があるらしい。

ということは、急速に感染者が減らないとすれば、8割削減は達成されなかったことになり、いつまでもダラダラと感染者が増えたらずっとこの措置を続けたほうがいい、ということになる。
本当にこんなことを続けるのだろうか。

よしんばゼロになったとしても、このグローバル化された世界で、鎖国でも続けなければ、その状態を続けることなどできるとは到底思えない。
イギリスのジョンソン首相が言ったように、集団免疫を人類が持つまで続くのだろう。
そう考えると、あの西浦センセイの言っていることは意味がわからない。

人間はウィルスを抑え込むことなどできないのだ。
できるのは時間稼ぎだけで、その間に藥かワクチンを作るしかない。
その時間稼ぎのためにやっているとしたら、いつまで続けるのか。
ゼロになって、自粛を辞めてまた感染者が出たら、どうするのだろうか。

何度も書くが、日本は200人ちょっとしか亡くなっていない。
アメリカは遅れて感染が始まって、もう2万人死んでいる。
これが日本人がきれい好きで、自粛好きだからという理由だけでそうなっているのだろうか。
ぼくはそうは思わない。
なぜそこに疑問を持たないのだろうか…。

結局この8割削減は経済などどうでもよくて、感染をゼロにしないと気がすまないということだけだ。
でもこんなことを続けていたら、もっと多くの人が経済困窮で死ぬことになると思う。

それを判断するのが政治家のはずなんだが…。


| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
民主主義の苦境
ウォール・ストリート・ジャーナルのチーフコメンテーターが、「民主主義の苦境」について記事を書いていた。
世界中の民主主義国家は混乱して、機能が低下しているように見える、ということだ。
トランプ大統領のような独善的なリーダーは、この傾向を指摘し、民主的なリーダーたちは、何かが軌道を外れてしまったと思案に暮れているという。

ヨーロッパを見ているとよくわかる。
2度の大戦を通じて、各国の結びつきを強め、西欧圏を一つのマーケットにしてしまう、という理想を掲げてEUを作ったのに、それが綻びてきた。
移民の問題が大きくなったのがその一因。
移民の安い労働力は欲しいが、それが制限なく入ってくるというのは嫌だ、というようなことだろう。
イギリスはとうとう離脱してしまったし、ドイツ首相は引退が決まっているし、フランス大統領は高齢者の評判が悪い。

アメリカの大統領選は、民主党の立候補者が左右に分かれて言い合っている。
ようやくバイデンに決まったが、それでも左右の溝は深い。

日本ではシルバー民主主義というような状態で、票の高齢化が起こっている。
そのため、政治家が高齢者に忖度して、若い人たちを優遇するような政策が取られにくくなっている。

もちろん、民主主義がベストな制度ではない。
時には衆愚政治に陥ることもある。
統治される側がポピュリズムや極度のナショナリズムに走れば、それが反映されるのは当然だ。
そこに民主主義の難しさがある。
だからこそ、統治される側の人たちの?育が大事なのだと思う。

さらに、今はSNSの影響も大きい。
ロシア、北朝鮮、中国は西側の国々にフェイクニュースや印象操作をしているらしい。
具体的に日本がどの程度影響を受けているのかはわからないが…。

ぼくらは戦後アメリカの影響を受けて、民主主義?育を受けた。
自由と平等の価値を教わったし、選挙で多種多様な意見の人たちを選べることはいいことだと思う。
でも、その多種多様な意見を悪用して印象操作をするのは悪質だ。
その印象操作に騙された人は、本気で操作された意見を言って世の中を変えたりするからだ。
アメリカの大統領選挙でも同じことが行われているという。

人々が多様であることが、民主主義の脆弱性を産むのかもしれない。
これからの時代、民主主義は受難の時代かもしれない。

でも、最後には民主主義が選ばれると思う。
これも教育の影響か…。



| | 考えたこと | 20:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
Together at Home
今朝のワールドニュースで、レディーガガが日曜日に呼びかけて実施したコンサートの様子が映った。
懐かしい顔がたくさん出ていた。
医療従事者の感謝とWHOへの寄付を募ったらしい。
「One World: Together at Home」というイベント。

ポール・マッカートニーやエルトン・ジョン、スティービー・ワンダー、ローリング・ストーンズなどが歌っていた。
他にもたくさんのミュージシャンが参加したらしい。
バンドで集まることができないので、家から一人でやっている。
すごい時代になったものだ。
そういうものが、コンサートとしてYoutube上で成立する。

こういうところを見ると、アメリカはすごいなあと思う。
実際、死者数も2万人も超え、本当に緊急事態の最中。
医療スタッフも命がけだろう。
遅れて始まって、日本の死者数の100倍。
「専門家」と称する人たちは、なぜ日本の死者数が少ないのか、気にならないのだろうか。

強気のトランプ大統領は経済活動の再開を進めようとしているが、州知事は慎重な人もいる。
アメリカは合衆国だということがよくわかる。
連邦政府の権限はそんなに強くない。

おまけに、アメリカは日本と違ってすぐに解雇できるから、あっという間に失業者が増え、失業保険が跳ね上がる。
だから、すぐに手を打たないと、食えない人が増える。
アメリカの支援が早いのは、そうしたこともあるからだろう。
日本で遅い遅いと文句を言っている人の半分は、給料も減らず、会社から守られている人たちだと思う。

こういうときは日本の終身雇用制度は強い。
企業が社会保障も担わされているからだ。
しかし、非正規の人たちは苦しい状態になる。
本当に困ったところでは、ぼちぼち契約を打ち切られはじめているらしい。

そんな状況の中で、Together at Homeが行われた。
いろんな人種がいて、世界でも一番多様性の高い国だ。

その力を見せられた気がした。



| | 考えたこと | 09:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
Tenor Tele
最近フェンダーは女性ギタリストの取り込みなど、若者のギター離れに危機感を持っていろんな策を打ち出している。

小さめのアコースティックギターを出したり、ギターの弾き方の通信教育などだ。
今までのギターユーザーは男性が多かったが、今は女性を取り込まないといけない。
ギターの人気は昔ほど高まらないので、パイを増やすという作戦。

そのフェンダーのエレキギターに新しいラインナップが出た。
テレキャスターというモデルのテナーギター。
エレキのテナーギターだ。

テナーギターというのは4本の弦。
ギターの高い音4弦でのチューニングで弾くことが多いようだ。
スケールは57センチほどで、だいぶ小さくなっている。

ぼくはてっきりテナーギターの大きさの普通のギターかと思ったが、そうではなかった。
テナーギターサイズのエレキギターなら、手の小さい女性でも扱いやすいからだ。

4弦のテナーギターって、そんなにニーズがあるんだろうか。
たしかにアンサンブルなら、使えると思うが、一人で弾くときに4つの音しかでないと、どうなんだろう。
それなら、レギュラーのギターのほうが向いていると思うのだが…。

フェンダーのことだから、ある程度マーケティングして出したのだと思う。
でも、ファーストギターとして買うにはなあ。

メキシコ工場で作っている。
価格は6万円くらい。

日本で売れるんだろうか…。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
LPレコード
次男がこないだ東京から帰ってきたとき、レコードを聞きたいという。
山下達郎にちょっとハマっていて、そのレコードを聞きたいということだった。

ぼくは山下達郎は「Circus Town」でデビューしてから、竹内まりやと結婚するまでの9枚ほどのLPを持っている。
それ以降を持っていないのは、竹内まりやと結婚してから、吉田美奈子とのコンビを解消したので、歌詞やコーラスがつまらなくなったからだ。
吉田美奈子のコーラスがあって、初めて山下達郎は山下達郎になったと思う。

それはさておき、10年ほど前に買った1万円ちょっとの安いフルオートのレコードプレイヤーにレコード盤を置いて、スイッチを入れる。
アンプも久しぶりに火を入れるので、ちゃんとつくか心配だったが、無事作動した。
左のスピーカーが音が出ず、ちょっと苦労したが、なんとか聴けた。

レコード盤の愛好家はいるようだが、ぼくは単に捨てられないだけだ。
若い頃に何度も聴いたレコードはなかなか捨てられない。
ぼくらの世代はそういうものをたくさん持っている。

レコードはもちろんのこと、カセットやオープンリール、VHSや8mmビデオ、そしてMD。
今やCDもそんなに売れず、新世代の人たちはストリーミングで聴く。
もう音楽はデーターだ。
過去のメディアはどんどん再生しにくくなっている。
ぼくらがこの世から姿を消すときには、もっと減っているだろう。

レコード盤に針を落としたとき、そこから小さな音が出る。
原理を考えたら、それくらいのことはあるだろう。
溝の両側に左右のスピーカーから出る音の振動が切ってあるのだから、当然だ。
でも、ほとんどレコードを見たことがない若い人にとっては新鮮なのかもしれない。

MDやCDになって、途中の曲から聴くのは簡単になった。
でも、レコードでは難しい。
途中の曲から聴きたいければ、針をそこに落とさないといけない。

音楽を聴くということは、そういう不便さを伴っていた時代。
誰かが、レコードプレイヤーの前で正座をして、ありがたくレコードを聴くというようなことを言っていた。
それは大げさだが、レコードを扱うときには、何となく厳かな気持ちはあったと思う。

音楽にカリスマがあった時代だ。

いまはそういうものは消えた。
気に入らなければどんどん飛ばす。
音楽は消耗品になったのだ。

それは時代の流れだし、いつでも、どこでも聴けることはいいことだと思うが、ぼくはちょっと残念だ。

やはり老兵は去りゆくのみ…。




| | 考えたこと | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
サプライチェーン
リモートワークの増加でPCが足りないというのをこないだ書いた。
それに関連して、デスクトップにつけるWebカメラやヘッドセットも値段が上がっているらしい。
急に需要が増えたから、仕方がないという感じだ。

しかし、ことはそれだけでは済まない。
今日、スマホで画像を撮って編集できるというミキサーが安くなってきたので、一つ買ってみようと思ってネットで調べたが、どこでも在庫なし。
早くても5月末くらい、と記載があった。

自宅待機で暇だから、そんなのを使ってみよう、というニーズがそんなに多いと思わない。
やっぱりいろんなところでサプライチェーンが途切れはじめているのが原因。
中国の工場が止まり、アメリカもヤバくなってきた。
そういう状態で、国内の在庫も底をついたから、製品が作れなくなったんだろう。

中国は世界の工場になっていたが、こういうことがあると、1ヶ所に集約するのは危険だ、ということになる。
阪神や東北の震災の時も同じようなことが起こったが、コストを極限まで切り詰めようとすると、どうしても複数購買は難しい。
安いところ1ヶ所で作ってしまう。
そこが操業できなくなると、たった一つの部品でも生産は止まってしまう。
今回もだいぶ国内回帰するかもしれない。

阪神大震災のとき、神戸の工場に自動車メーカーから支援があって、災害普及を手伝ってくれたりした。
サプライチェーンが途切れないように、ということだ。
でも、外国ならそういう支援もできない。

グローバル調達が進んでいる社会で、こういうことが起こると、回復するのに長くかかるのだろう。
日本は幸い軽く済んだのだから、世界経済のために頑張ってものを作ることができるはず。

このさなかに何が緊急事態宣言だと思う。
日本全国に範囲を広げるらしい。

バカとしか言いようがないと思う。
専門家は数字が読めないのか。
シミュレーションの「専門家」によると、60日後に重症患者が累計85万人になり、その49%(約42万人)が死亡すると予測しているとのこと。

誰がどう考えても、今まで感染が広がっていて、死者が100人程度なのに、なんで一気に42万人も死ぬのか。
もちろん、可能性はゼロではないが、みんな本気でそれを信じているのか。
おかしいとしか言いようがない。

何度もいうが、1万人や2万人死んでいる国と、100人程度の国で、なんで同じことをやらないといけないのか。
おまけに、こっちのほうが感染開始は早かったのだ。

補償だなんだと言っているが、経済活動を一刻も早く再開すれば済むことだ。
5月6日にはぜひ解除してほしい。

そうしないと、本当に自殺者が出るぞ。

| | 考えたこと | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
無駄な会議
日本の現在のGDPは世界3位。
それでも、一人あたりのGDPは26位になるという。

工場系の生産性は世界でもトップレベルだが、事務や営業、管理などの分野の生産性が大変低いから、そうなってしまう。
それを変えるチャンスが、今回のコロナウィルスかもしれない。

管理職になると、途端に会議が増える。
ぼくは設計の平社員の時に、課長に会議に出ておいてくれと言われたことがある。
その時の会議は品質関連の会議で、部長が2人も出る会議だった。
「え、そんな会議に私が出ていいんですか?」と聞くと、「かまわん」という返事。
上司の指示だから、仕方なく出た。

この会議はすごく印象に残っている。
ぼくが不勉強だったのかもしれないが、全く何を言っているかわからない会議だった。
この時に「何を何せなあかんなあ」という、代名詞が動詞になるという活用を知ったのだ。
「何しといてくれ」と一人の部長が言うと、「何しとくわ」という返事。
課を代表して言った会議だから、ちゃんと議事録を書かないといけない、と思って書いていたのだが、書きようがない。

エライことになった、と終わったあと先輩に話をしたら、メンバーを聞いて「そら、どうでもええ会議や」と言われた。
そんな会議があるのかと思って、言われたとおりに「何を言っているかわかりませんでした」というと、「そういう会議や」と課長は言って「ご苦労さん」と声をかけてくれた。
「課長になると、いろいろ大変やな」とその時思った。

あとから分かったことだが、その会議は何を言っているのかわからないことで有名な部長が2人揃う会議で、そんな人が部長になるのかと不思議だった。

そういうことが起こっていたのが、当時のぼくの会社。
もともと外資だった会社で、財閥がその経営権を買って数年たったところだった。
だから、年をとった部長クラスは外資の頃の採用。
妙に納得した。
やっぱり、会社にはいい人がいないとダメだ。

今の日本の一人あたりの生産性が低いのは、極論すればこういう会議がいろんなところで開かれているのも一因だと思う。
高度成長期に欧米という目標があって、それを追いかけていればよかった時代を過ごした人たちが上に立っている。
キャッチアップが終わって、仕事のやり方を変えないといけないのに、そのやり方がわからない。
若い人たちにとって、「わけのわからない人」になっている上司もたくさんいるのだろう。

学校法人に行って知ったが、ローカルの世界はもっとひどい。
旧態依然としたやり方をずっと踏襲している。
これはもう絶望的だ。

なんとかならんかなと日々思っている。


| | 考えたこと | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
なんのための部活?
いろんなイベントがコロナの影響で中止になっていく。
高校の吹奏楽のコンクールが中止になって、「部活の意味がない」というツイートがあったらしい。
それを巡って、いろんなツイートが飛び交ったようだ。

発端は「コンクール中止で部活に行く意味がない」とかいうもの。
そのためだけに頑張ってきたのに、やってる意味がない、ということだ。

それに対して、そんな投稿を目にすると、日本の吹奏楽はどこで方向を間違ってしまったのか、という関係者の意見があった。

コンクールで勝つための練習が厳しすぎて、吹奏楽部が嫌になって辞めたという人もいる。
本当はやりたい楽器があったのに、コンクールのために別の楽器をやらされたという人は、コンクールがなくなったら目標がなくなる、という人もいる。

高校時代吹奏楽をやっていて、大学で辞めた学生は大概やりきったという。
楽器を楽しむことをやりきったのではないだろう。
そんなに簡単ではないからだ。
そこには、吹奏楽を楽しんだというより、やらされたというニュアンスがある。
そういう学生は多いと思う。
本当に、楽しんでいたのなら、辞めたりしないと思うのだが…。

いろんな意見があるだろう。

実際にやっている人たちは、いろんな思いがあっていいと思う。

ただ、よくある学校法人の立場に立てば、コンクールで勝つのは目標であり、そのために指導者を連れてきて、楽器を揃え、練習場所を確保したということになる。
だから、コンクールで勝たないと意味がないのだ。
学校の宣伝のために、部活を利用する。
そうやって入学者を増やすという戦略だ。

甲子園と同じこと。
地方の私学なら、いい練習場を作り、寮も完備して、リトルリーグとコネをつけ、そこから指導者と選手を引き抜いてきて、一丁上がり、ということだ。
だから、最近聞いたことがない高校が増えた。

少子化に伴って入学者を集めるのが困難になったことと無関係ではない。
そういう学校法人の思惑があるのは事実。
あくまでも経営の手法の一つなのだと思う。

その経営手法を野球で使うか、吹奏楽で使うかはお金の問題だろう。
吹奏楽の方が安くつく。
わざわざ地方に経験者を引っ張ってくるほどではない。
一つの部活で全国レベルになれば、それで入学者が増える算段。
単なる金儲けの手法だろう。

そういう立場もあることを知っておいたほうがいい。

最近少子化で特にひどくなった。

ぼちぼち、コンクールのあり方を考えたほうがいいと思う。

高校野球も同じだ。


| | 考えたこと | 20:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
Japanese City Pop
日本の80年代のポップスがアメリカで人気があると聞いたことがあるが、Youtubeのミックスリストを見ていて、それがわかった。
あくまでマイナーな人気だろうが、外国人がJapanese City Popのミックスリストを作っている。
コメントをつけているのも、外国人だったりする。

ミックスリストに使われている写真が焼き鳥屋やカラオケ屋。
いかにも場末という感じがして、シティ・ポップスという感じではないが、アメリカ人にはそう見えているのだろう。
英語のコメントを見ていると「BGMにいい」とかいうものもあって、ぼくらが洋楽を聞くような感じなんだろう。
歌詞がわからないから、BGMにちょうどいいのだ。

音はちょっといじっていて、低音はだいぶ増幅されている。
ビートが立った音だ。
中音のボーカルはちょっと軽い声になっているように思う。

そういえば、アメリカのラップに、竹内まりやのアルバムのギターがサンプリングで使われているというのも聞いた。

80年代の前半は、テストコースに出張ばかりで、ほとんど神戸にいなかった。
とにかく忙しかった。
後半はバブルで開発が増えてきたころ。
毎晩遅くまで仕事をしていた。
今思い出すと、いい時代だったんだと思う。

80年代の音楽には、そこはかとない華やかさがあるのかもしれない。
聞いてて元気になる、そんな感じだ。
やっぱり音楽は時代を表すのだろう。

低音をブーストして、ビート感を上げて、中音を下げて軽い感じにしているのも、そういう効果を上げているのかもしれない。

今と違って、バカみたいに明るかった。
振り返ってみると、そう思うだけかもしれないが…。

Youtubeで一度聞いてみてください。




| | 考えたこと | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカの死者2万人
今日のニュースで、アメリカのコロナの死者が2万人を超えたという。
本当に医療現場はパニックになっている。
医師、看護師など、本当に大変だろう。
症状が急変するのが特徴らしい。

一方日本では重篤者も死者も一向に増える気配もない。
感染者自体は増えているが、これは検査が多いからだろう。
その状態を不思議と思わないマスコミが不思議だ。

なんの因果か知らないが、日本のコロナは軽く済んだのだ。
毎日たくさんの中国人が来ていた日本は、感染も早く、アメリカやヨーロッパの国々のようにはならなかった、というのが事実。
それを、まるでなかったかのように振る舞い、緊急事態宣言まで出してしまった。
これは人災だ。

高知県に友人がいる人が、高知ではなんともない、と言っていた。
Webで高知県の情報を見ると、895人検査して、陽性患者が60人、入院中が45人、軽症者が43人、人工呼吸器が必要な人が2人、死亡は0人となっている。

これなら、インフルエンザのほうが怖いだろう。
去年の1月には全国でインフルエンザで1日平均54人も死んでいたらしい。
2日あれば、今回のコロナの死者を超えてしまう。

緊急事態の大阪でも4月12日時点で、累計検査数が7359人で、現在の陽性者数が661人、軽症者数が602人、重症が45人、自宅療養が14人となっている。
死亡者は累計で6名。
4月に入って検査が増えているから、感染者数は増えるのは当然。
要するに、検査をすればするほど増えるということで、市中でランダムに感染が起こっているということだろう。
いつまでもクラスターを追いかけていても仕方がない。
これから爆発的に増える、という可能性はゼロではないが、高くもない。
また今日吉村知事から「感染爆発の兆し」という発表があったみたいだが、そうは思わない。

それよりも、この軽症化率で緊急事態だという方がオカシイと思う。
そう思っている人はたくさんいると思っているのだが、わからない。
意外と少ないのかもしれない。
それはそれで、恐ろしいことだ。
今までの経緯を踏まえて、この数字を見れば、そうなるのが当たり前だと思うのだが…。

「実際には周りに感染している人がいるだろう」というと驚かれる。
「でも、軽症だから、普通の風邪やと思って生活して、それで治ってしまうという人もいるんやと思う」などというと「そんな怖いことが…」という反応になる。

軽症の人たちがウロウロしているのは怖いことだ、というのだ。
自分がうつるのが怖いということだろう。
「でも、感染が終わるためには、そういう人たちが増えることが必要ですよ」というと、怪訝な顔になる。
やっぱり、ウィルスを撲滅すべきだと思っているのだ。
人間はウィルスに勝てないし、医療資源のリミット以下なら感染を進めるほうが流行は早く終わる。
幸い、軽症者も多いし、重篤者は少ないし、それでいいのだと思う。

状況は違うが、きっと戦争中に「冷静に考えたら、アメリカに負ける」と言ったりしたら、こんな反応になったんだろうと思う。
そのうち、非国民扱いされそうだ。
そういうのを嫌というほど見て育っても、、いざとなったらこんなことになる。

つくづく、イギリスはエライと思う。
| | 考えたこと | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
頬に夜の灯
コロナの報道に嫌気が差して、リアルタイムのテレビを見るのはもうやめた。
再放送の方がマシだ。
というわけで、今日は朝から「80年代のシティ・ポップス」というYoutubeのチャンネルを流していた。
杏里や山下達郎、竹内まりや、角松敏生といった懐かしい曲。

中にあっと思う曲があった。
一時よく聞いた曲。
吉田美奈子の作品。「頬に夜の灯」という曲。
82年にリリースされている。
出たときは知らなかったが、聴いて好きになった。
カセットに入れて、よく聴いたのを覚えている。

歌詞の最初の「灯ともし頃ならば」というところが、ストリングスとエレキギターのイントロと相まって最初から心を捕まえる。
いい曲だ。

「灯ともし頃」というのは、ぼくはこの曲でしか聴いたことがない言葉。

Webで意味を調べると、「明かりをともす時刻。夕暮れ。」と書いてある。
彼女がどこからこの言葉を持ってきたのかと思う。

間奏のサックスも泣かせる音。

夕暮れの寂しさと、明かりがチラホラしてはなやぎ始めた街で、足を止めて「愛をおくる」。
なんとも言えない。
82年というと彼女が山下達郎とのコンビを解消した頃。
そんなことを考えると、切なくなる。

吉田美奈子と山下達郎のコンビは曲作りといい、コーラスといい、最高だった。
コンビを解消してからの山下はあまり聞く気がしない。

この曲は吉田美奈子のそんな思いが詰まった曲だと、ぼくは勝手に思っている。

こういう曲が手軽に聴けるようになって、素直にうれしい。

 灯ともし頃ならば 街もはなやいで
 急ぐ足を止める 夜に飾られて

最初から、引き込まれる歌だ。
難しい曲だが、それをいとも簡単に歌う吉田美奈子の実力を発揮した曲。
80年代というと、ぼくの20代から30代。
いい曲多かったなあ。

彼女のベストパフォーマンスの一つだと思う。


| | 音楽 | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
抗体検査
ジョンソン首相が入院しているイギリスだが、やはり科学の国だけある。
大規模は抗体検査を計画しているとのこと。
死者が3000人もいるのだから、本当の緊急事態だろう。
残念ながら、輸入した中国製の抗体検査キットの信頼性が低くて、まだできないでいるが、そういう計画を立てるところがスゴイ。
感染の真っ只中だが、もう出口を考えている。

集団免疫という考えを示していたが、それを確認するためには、どれだけの人がすでにコロナにかかっているかが鍵。
だから、抗体検査ということだ。

コロナから回復した人には免疫証明書を出す計画もあるという。
その人たちは普通の生活ができる。
都市封鎖に関係なく仕事ができるのだ。

こういうことをやらないと、緊急事態からの出口はなかなか決められないだろう。
人間はウィルスには勝てない。
ウィルスと共存するしかないのだ。
だから、感染が進まないと、いつまでたっても流行は終わらない。
人口のある割合の人がコロナにかからないといけないのだ。
ワクチンが開発されればいいが、そこまで待っていられないのだろう。
いくら急いでも1年はかかるらしい。

医療資源の範囲内におさえつつ、どうやって重篤者をケアするか、ということだ。
軽い症状や無症状の人は病院から追い出すしかない。
その人たちの良識に期待して、自宅待機してもらうしかないと思うのだが…。

アメリカも自国の検査キットでカリフォルニアで抗体検査が始まった。
そうしないと、感染度合いもわからないし、いつまでこれが続くかも推定できない。
一日も早く普通の経済活動をするためにやっている、という側面もある。

日本も早く抗体検査キットを作って、東京でも大阪でもいいから大規模な検査をすべきだ。
それが恒久的に経済活動を再開させるために必要だ。
計画が示されないと、心配ばかりが募る。
マスコミが馬鹿みたいに煽るのもよくない。
現実離れした数字でシミュレーションをしたって、現実離れの結果が出るだけだ。
あんな現実離れした数字に基づいて、よく緊急事態宣言などしたものだと思う。

今の日本の状況の数字をイギリス政府に見せたら、きっと「なんで緊急事態なの?」というのではないかと思う。
もちろん、紳士の国だからそんなことは言わないろうが…。

コロナ不況で自殺者が増えないように、一刻も早くやってほしい。




| | 考えたこと | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ノートパソコン特需
アップルがFacebookでiPadがパソコンの代わりになる、という宣伝をしている。
新しいiOSがトラックパッドに対応したということもあるのだろうが、リモートワークでノートパソコンが売れている、ということも要因なんだと思う。

リモートワークが盛んになって、一人一台のパソコンが必要になり、家族のデスクトップから、個人持ちのノートになるという流れだろう。
一部の若い人たちは、家ではスマホという人もいただろうから、その人たちにとっては自宅用の初めてのパソコンということになる。

外回りの営業の人たちは、すでに会社からiPadなどのタブレットを渡されていることも多いから、それを使うのかもしれない。
しかし、会社がパソコンなら、やっぱりパソコンの方が親和性が高いから、ノートパソコンが売れているということだろう。
タブレットは持ち運びには優れているが、やっぱりキーボードで入力するほうが合理的だ。
今は音声でも入力できるが…。

アップルはiOSの最新バージョンでちょうとトラックパッドに対応したから、今回のノートパソコンの需要にギリギリ間に合ったということだろう。
アップルのノートパソコンは高くてなかなか買えない。
他社のトラックパッドがついたキーボードなら2万円弱だから、iPadを持っていれば安くノートパソコンがわりになる。
中国製ならもっと安い。

しかし、リモートワークが広まって、今さらノートパソコンが売れるとは思わなかった。
ぼくは、もうそこそこ行き渡っていると思っていた。
家ではスマホでいい、という人たちもたくさんいたのだろう。
だから、リモートワークが始まったら、自分で買うという人が増えた。

今ではWeb上で動くアプリケーションも多くなっているから、リモートワークもやりやすくなった。
セキュリティもWebだけを使うのなら、守りやすいと思う。

ネットの時代はリモートワークが増える。
グーグルドキュメントなどのクラウドの仕組みも、利用が飛躍的に増えるだろう。

これからの働き方は変わるなあ。



| | 考えたこと | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
オリンピック騒ぎ
オリンピックが1年程度延期になり、いろいろややこしい。
テレビでは7月開催の予定で、相変わらず盛り上げる番組をやっているが、あれはどうなるのだろうか。
まさか1年間続けるということはないと思うのだが…。
やっている方も、見ている方も、何となく力が入らない微妙な番組になってしまう。

嵐も解散してしまうし、ジャニーズ事務所もどうしようか困っているだろう。
解散の花道をオリンピックで、という思惑は大外れになった。
本当にいろんなところに影響が出る。

テレビ局にとっては、オリンピックはたった2週間とはいえ、一大イベントだ。
これでもか、これでもかと盛り上げようとする番組が目立ったと思う。
しげしげ見たわけではないが、そういうことだ。

最近のスポーツのテレビ中継は、ドラマ性を盛り上げて、魅せようとする。
選手の紹介も、昔で言う因縁めいたものまで見せて、ストーリー化する。
そういう手法が目立つようになった。
特に、バレーのワールドカップなど、ひどいものだ。

それは、昔ほど強くなくなって、試合ごとに見せ場を作らないといけない、ということも関係があるのだと思う。
中継のスタート時にはアイドルグループが歌ったり、休憩時間には応援ブースに陣取って派手にやる。
純粋にスポーツを見ているという気がしないのだ。

この数年間で、本当に印象に残っているスポーツの試合といえば、2016年のリオのオリンピックで、バドミントンの高橋・松友ペアが優勝した試合。
次男と一緒に見たのを覚えている。
あの時は、手に汗握る接戦だった。

デーブ・スペクターがインタビューに答えて言っていた。

「平和のための開会式だというが、オリンピックを開催して世界のどこが平和になっているというのか。24時間テレビと同じだ。やっても地球は救われていない。
現代のオリンピックは、美化されていて、白々しさがある。お金もかかりすぎだし、若者をつなぎとめるために種目を増やしたりと、無理してやっていると思う。」

ぼくもそう思う。
無理してやっている感じはすごく感じる。
感動の押し売りという感じだ。

「今、延期になって(テレビ局の)みんなが心配しているのは、えー、まだ引っ張るの?と。松岡修造があのテンションを維持できるのかが心配。来年まで、ずっとあの選手やあの選手を(テレビで)使い続けないといけないの、とか。
ただでさえ、みんな早く終わりたいと思っているのに......。オリンピックを観たくないわけではないのだが、とにかく今のやり方はオーバーだと思う。」

まだどうするか、正式に決まっていないと思うが、たしかに松岡修造があのテンションを持ったまま1年頑張れるのだろうか。
ぼくは事前の盛り上げ方が、前回の1964年に比べて、だいぶ違うと思う。
昔はもっとあっさりしていたし、それでいいのだと思う。
純粋にスポーツで感動すればいいのだ。
やれ、勇気をもらっただの、元気をもらっただの、あんまり言い過ぎだ。

「アメリカで、オリンピック番組のスペシャルキャスターにタレントを使うというのは考えられない。専門家かアナウンサーか、そのスポーツをずっとやっていた人が務める。でも日本は現場にタレントを送り込む。ショーアップしすぎだ。
純粋にスポーツ中継としての自信があるならそこまでする必要はないのに、日本のテレビはオリンピックに限らずスポーツにタレントを絡めたがる。そうする理由の1つは、アメリカのようにメジャーなスポーツ専門チャンネルがなくて、地上波での放送になるから。
本当の意味でのスポーツ中継ならタレントは必要なくて、試合と実況と解説だけでいい。でも放送権に巨額を支払っているので、どうにかしてゴールデンタイムで放送したいとなると、タレントが必要になる。」

日本でも、スポーツ専門チャンネルを作ってやればいいのだ。
そこはわけのわからない素人に毛の生えたようなタレントは使わず、純粋に専門家の解説を聞かせてほしい。
きっとそちらの方が人気が出ると思う。

「アメリカ人の認識では、アスリートはあくまで自分がそのスポーツをやりたいからやっているわけで、国のためにやっているわけでもないし、見ている側もアスリートにお願いしてやってもらっているわけではない。スポーツに対する態度がフラットだ。」

本当に、見ている方が干渉しすぎだと思う。
頑張ったと拍手をすればいいだけだ。
何かを与えてもらうために見ているのではない。

もっと見るほうが主体性を持って、マスコミに踊らされないようにした方がいい。

マスコミは煽るばかりだぞ。

| | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
無マスク仲間
緊急事態の宣言以降、マスクをせずに電車に乗るときの視線が痛くなってきた。
マスク装着率が上がり、無マスクの人の方が圧倒的に少ない。
1車両に数人しかいない。

感染予防に関するマスクの効果は高くないというのが今までの常識。
コロナウィルスというのは、風邪のウィルスの一種だから、今までの知見が当てはまると思う。

今になって、マスクをしたほうがいい、というのはアメリカやヨーロッパのように生死に関わるところのことだろう。
日本でも、医者に行くのなら、マスクをしないといけないらしい。
医師の感染予防とのことだ。
マスクを持ってない人は診てもらえないということになるのだが…。

電車も窓が一つは開いているようだ。
風通しがいい。
人も少ない。
ぼくが乗るのは朝の10時前とか、夜の6時過ぎが多い。
だいたい空いていて、座れる。

そんな状態だから、マスクはしなくてもいいと思っている。
マスクよりも手の消毒だ。
風邪には手洗いが重要であり、「ウイルスの伝播(でんぱ)において手指⇒粘膜の経路を無視してはならない」という鉄則を信じている。

こないだ無マスクで電車に乗っていて、同じようにマスクをしてない人が乗ってきた。
どういうわけか、アイコンタクトする。
みんながみんなではないが、そういう同調圧力を感じて乗ってきて、同類を見つけてホッとするのだろう。

一体こういう状態がいつまで続くのか…。

ニューヨークでは1日で750人ほど死んでいるらしい。
気の毒だ。
これこそ緊急事態だと思う。

日本では2ヶ月で100人も死んでない。
専門家会議はそう言っているがこれも緊急事態なのだろうか…。
感染者が増えるのは、検査が増えたからではないのか。
感染者と同時に検査した人の数を示したらいいのだ。

なんでマスコミも、こんな日本の状況に疑問を持たないのだろうか。
まともな人なら、そう考えるはずだと思うのだが。
そこまでマスコミも劣化したということか…。

重篤者がそう増えずに、感染者が増えるのは、終息に向かっている証拠でもあり、ある一定数は感染しないと集団免疫はできないということだ。
今必要なのは、感染者を減らすことではなく、感染者の層別だと思う。
無症状の人など、自宅待機を義務付ければいいのだ。

それこそが緊急にやることだろう。



| | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドイツ大使館
ドイツの大使館から在日ドイツ人に日本のPCR検査数が少ないから、かなりの規模の未報告感染が発生していると考えられる」という注意喚起をしたとのこと。
ニューズウィークに出ていた。

冗談抜きでドイツの人たちにとっては、日本は危険な国だと思う。
もっともな注意喚起だ。
危ないと思うドイツ人は帰国したほうがいいと思う。

日本では感染しても軽症の人や無症状の人も多く、感染しても熱が4日続いて、なおかつ医師の判断がなければPCR検査をしない、という方針だった。
それは第一に、PCR検査のキャパシティが小さいことがある。
手続きの面もあって、絞らざるを得なかったのだ。
日本の事情を考えると、患者が殺到せず、医療崩壊せずに済んだのは、逆に効果的だったと言える。

でも、検査をそんなにしなくても、結果的に「軽い」症状の人が圧倒的に多かったということだろうと思う。
ヨーロッパやアメリカの状況とは違うのだ。

本当に感染爆発して、重症者がたくさん出ていたなら、もっとひどいことになっていたはず。
ヨーロッパやアメリカの状況を見て、今から感染爆発が起こり、重症者がバタバタ出て、どんどん人が死ぬということが起こるだろうか。
可能性はゼロではない。
しかし、起こるものなら、起こっていたのではないかと思う。
ぼくはそちらの仮説の方が蓋然性が高いと思う。

したがって、今は軽症者を入院させなくても良いようにすることこそ、医療崩壊を防ぐための緊急避難措置だろう。
ぶっちゃけた話、自宅でじっとしていればいいのだ。
年間3000人が死んだインフルエンザだって、そうしているではないか。

おそらくコロナウィルスは12月頃に中国から入ってきて、2月までみんな自由に生活していて、感染は広がっていたと考えるのが自然だ。
中国からの旅行者を乗せただけのタクシー運転手も感染していたのだから。
インバウンドで賑わっているドラッグストアなど、感染しないはずがない。

今さら緊急事態宣言をして、どうなるのだろうか。
今日のニュースを見ていたら、キャスターとアナウンサーが間を空けて座っていた。
昨日まで隣に座っていたのに、感染するものなら感染していたはずだと思う。
テレビ局の人も、そう思わないのだろうか。

昨日の緊急事態宣言で、同調圧力はさらに増した。
同調させるのが目的だから、それはそれでいいのだが…。

ぼくは事実として、ヨーロッパやアメリカとは違う状況が起こっている、と宣言したらいいと思う。
日本人は運が良かったのだ。
そうでなければ、感染者数がどんどん増えても、重症者数がほとんど増えないことの説明ができない。

そういう事実を専門家会議はどう考えているのだろうか。
聡明なドイツ大使館でもわからないのだから、仕方ないかもしれないが…。

このままでは、コロナ不況が起こってしまう。
いや、もう起こっているか…。

ぼくの考えはオカシイのだろうか。


| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
緊急事態宣言2
昨日学生に聞いた話。
和歌山から大阪まで通っているのだが、地元のアルバイト先でおばちゃんから「大阪からコロナ持って帰ってこんといて」と言われるらしい。

冗談で言うてんねやろ、と聞くと「本気や。コロナ差別や」とのこと。
ほんまかいな、と思う。
それが実情らしい。

そういえば、福島の放射線でも子供のいじめがあった。
1mSvという過度な規制をした民主党政権の責任もあると思うが…。
しかし、おばちゃんは大人だからなあ。

こんな状態で緊急時代宣言だから、もっとひどくなるのだろう。
就活で大阪にきている学生は、不要不急の外出ではない。
自分の就職のために移動しているのだ。

大阪の夜の歓楽街では閑古鳥が鳴いているとのこと。
資金繰りが自転車操業のところが多く、1ヶ月もこういう状態が続けばバタバタと店を閉めるらしい。
こちらも大変だ。

今日の仕事の帰り夕方6時ごろに梅田の茶屋町を通ったが、人がまばらでとても梅田とは思えない景色だった。
飲食店も大変だ。
仕事にならないだろう。

死者数100人に満たない日本が、本当に緊急事態なのだろうか。
早くそこを解明すべきだとニュースを見るたびに思う。

なんでそれを言わないのだろうか。
何か都合の悪いことがあるのだろうか。
それとも、疑問を持つぼくがオカシイのだろうか。

誰か教えてくれ。


| | 考えたこと | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
緊急事態宣言?
日本の自殺者の特徴は失業率と高い相関があることだ。
失業率の高いイタリアではそんなことはない。
これは、日本の終身雇用制度の悪い面が出ているのだろう。
正社員として雇用されるハードルが高くなってしまい、失業した時になかなか正社員のルートに乗れないからだ。
そのうえ、派遣社員を3年や5年雇ったら、正社員にするというバカなルールを民主党政権が作ってしまって、それでまた非正規雇用が不安定化した。

実際、リーマンショックのときには失業者が増え、経済や生活苦による自殺者数が急増した。(日経ビジネス記事https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00108/00071/)
記事にもあるが、コロナウィルスによる自粛が経済活動を圧迫すれば、それによって病気で死ぬ人は減るかもしれないが、自殺者は増える。

専門家会議は海外で感染爆発が起こったように、日本でも起こる、という警告をしているが、日本は中国に近く、人の往来も多く、早くに感染が始まっていたと考えるのが当たり前。
アメリカやヨーロッパで感染が爆発しているのも事実だが、だから日本もこれからアブナイというのは明らかにオカシイと思う。

緊急事態というなら、なぜ日本の死者が100人にも満たないのか。
その事実は誰も触れようとしない。
なぜそれを専門家会議は追求しないのか。

マスコミも感染者が増えた増えたと毎日バカみたいに言うだけでなく、死者数が欧米に比べて非常に低いのはなぜなのか、と専門家に問うことが本来の役割だろう。
煽るだけのマスコミなら、そんなものは要らない。

一般人ができることといえば、感染予防の行動だけで、それ以外にはない。
一方、専門家会議のできることはたくさんある。
その第一が、異常な死者数の少なさの原因追求だ。

その理由を一刻も早く明らかにすることこそ、専門家会議の役割ではないのか。
その理由が明らかになれば、病院がいっぱいになるような指定感染症のレベルも下げれるし、何より過度な自粛をせず、経済活動を再開できる。

今や日本のメジャーな産業は製造業からサービス業になっている。
要はお客さんが来ないと話にならないのだ。
飲食店、小売業など、たくさんの人が働いている。

誰がどう考えても、イタリアみたいになれば、ベッドが足りない、という話よりも、なぜ日本はイタリアのようにならなかったのか、ということこそ追求すべき問題だろう。
記事によると、リーマンショックのときは生活苦による自殺者は8000人以上増えたということだ。
コロナでの100人程度の死者に対して、経済では8000人以上の被害が予想される。
どちらが大事なのだろうか。
そうならないように、一刻も早く人口あたりの死亡率が低い原因をつきとめてほしい。

緊急事態宣言などと言っているが、死者数からみてそんなことはやってはいけないと思う。
いったいどれだけの人が困るかわかっているのだろうか。

毎日同じようなことばかり書いているが…。


| | 考えたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
苦しい非常勤講師
知っている大学に、非常勤講師のクチを探しているので、仕事があれば雇ってほしいというメールが来たのを見た。
50歳を超えた男性。

居並ぶ資格をみると、海外の大学の言語教育関係の修士号が5つ、その他の海外の大学の修士課程や博士課程を3つほど中退している。
いったい、何年大学に通ったのだろう、と驚く。
日本の教育学の博士課程も卒業したらしいが、博士号は持っていない。

アカデミック以外のものでは、日本語教師の資格や英検、学芸員の資格、旅程管理者、小型船舶操縦士、潜水士なども持っている。

取得した学位の状況から、普通に卒業してから日本、海外で20年弱は学んだと思われる。
どうやって滞在費や学費を稼いだのかはわからない。
家が金持ちだったのだろうか。

海外の大学の修士をいくつも持っているのだが、残念ながら博士号はない。
今博士号がなければ、常勤の教員はつらいだろう。
今は2つの大学、高校、看護学校で非常勤の講師をしているとのこと。

その他の資格を見ていると、資格マニアかとも思う。
今、振り返ってどんなことを考えているのだろうか。

今年の非常勤講師は4月に授業がスタートせず、中途半端な状況。
こういうところにも、コロナで生活に困る人がいる。

ぼくも非常勤講師はやったことがあるが、本当にきつい。
行った先は下位の大学だったが、学生との関係性を作って、本当に身になることをやってあげようと思うと、かなりしんどい。
そんなことは考えず、決められたカリキュラムをこなす、ということなら、それほどしんどくはないが…。

同一労働、同一賃金の原則に従って、非常勤講師の給料を考えると、常勤の教員の給料のほとんどは授業以外の仕事の報酬になる。
授業以外の仕事というと、研究とそれ以外の会議、委員会等の出席だ。

研究は成果として学会誌などに発表するので、それが評価になる。
その成果で見ると、ほとんど研究をしていない教員もたくさんいる。
となると、教授会や学科会議、各種員会の出席が給料の多くの部分になるが、そう考えると給料を払いすぎ、という感じになる。
極論すれば、会議に出ているだけでいいのだ。

非常勤講師の組合がいろんなことを言っているが、同一労働同一賃金の原則に従うと、いかに正規教員の給料が理不尽に高いかをもっと大きな声で言えばいいのだ。

それが中下位の大学の実情なのだから。

| | 考えたこと | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
エイプリルフール
今年のエイプリルフールで思い出した。
ぼくは1回だけ深夜放送ではがきを読まれたことがある。
中学2年の時だ。

当時、関西のラジオ局の深夜枠は結構面白かった。
ABCはヤングリクエスト、MBSはヤングタウン。これが2枚看板だった。
ぼくはラジオを聞き始めたばかりだったので、なぜかラジオ大阪だった。
桂春蝶がパーソナリティーをやっていた。

今でもこの「パーソナリティー」というのはラジオ界では使われているようだ。
今で言うなら、DJというところか。
要は番組の進行役。

当時の深夜の枠はABCはアナウンサーがやっていたが、MBS等の他局は若手の漫才師や落語家、ミュージシャンなどを使っていた。
ラジオ大阪も当時の若手落語家である、桂春蝶を起用していた。
曜日ごとに人が変わり、人気がないと降ろされるというようなシステムだったと思う。

番組名が古臭い。
「ヒットでヒット バチョンといこう!」という名前。
当時、夜の11時から1時30分までやっていた。
Wikipediaによると「1970年から1974年まで、ラジオ大阪(大阪放送)で放送されていた深夜ラジオ番組」と書いてある。

70年というと、万博の年だ。
調べてみると月曜日が桂春蝶、土曜日が笑福亭仁鶴、日曜日が当時の桂三枝で、ぼくは落語ファンだったから、それで聞いていたのだと思う。(今となってはわからない)

エイプリルフールに関する小話を募集していた。
調べると、70年の4月1日は水曜日だから、3月30日が月曜日。
30日の放送のおそらく最後の方に、今週はエイプリルフールだから、それにまつわる小話を、ということを思いつきで言ったような感じだったはず。
それを聞いていたぼくは、はがきを書いて送った。

70年4月6日の放送ではがきは読まれた。
残念ながら、これは聞いた話。
ぼくは寝てしまっていたのだ。
友達が、「お前の小話、昨日読まれとったぞ」と次の日に言ってくれたが、後の祭り。
記念すべき放送を聞けなかった。

書いたものは今でも覚えている。

「ラジオ大阪がつぶれたらしいで」
「え、ほんまか」
「ほんまやがな。OBCで言うとった」

これだけだ。

桂春蝶も亡くなったし、今となってはぼくしか覚えていない思い出だろう。
残念ながら、ぼくの作品は次点で、プレゼントはもらえなかった…。

その後、何度かはがきを書いて送ったことはあるが、ぜんぶ選外。

それだけに、寝てしまったのはかえすがえすも惜しい。




| | 考えたこと | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナ自粛
ついにギターのスクールもお休みになった。
レッスンも4月いっぱいは休みということだ。
まあ、個室で距離を離れてやれば問題ないと思うのだが、同調圧力がかかったのだろう。

「昨今の新型コロナウイルス感染事情を鑑みて、誠に残念ではありますが、当スクールも全てのレッスンを一時停止致します。」

という言葉で案内があった。

スクールの先生は、音楽で食っている人たちだから、今は自粛ムードで全く仕事がないのだろう。
こないだ書いたYoutubeのギターの先生と同じだ。
ついにレッスンまでなくなったということだ。
スクールも何らかの補助金の申請をするのだろうか。
ぜひ、先生方にレッスン代が入るように手配してほしいと願う。

今日仕事をしていると、オフィスで人と人の距離が近く、感染が広がるのではないかという人が出てきて、うちも閉鎖するかもしれません、ということを聞いた。
それは経営陣が言っているのではなく、実際に働く人たちが感染を広げたらダメだという善意で言っているらしい。
日本人は真面目でエライと思う。
リモートワークの環境など整っていなくても、自主的に休んだほうがいい、という提案をしている。

ぼくは戦争前のことは知らないが、何となく第二次大戦の前はこんなふうだったのではないかと思う。
鬼畜米英という宣伝文句を思い出す。
大衆はみんな真剣にそういう考えになって、1億総火の玉などと言って、戦争に突入した。
軍部だけでなく、マスコミも、それらに踊らされた大衆も、みんな戦争をしようと思ったのだ。

戦前を描いたドラマなどで、大衆は戦争に反対していたなどという場面を見ることがあるが、そんなのはウソだ。
新聞など、戦争賛美したら売上が上がるので、みんな戦争賛成だったのだ。
マスコミが自主的にそういうキャンペーンを張ったのが事実。

今は、マスコミが怖い怖いと煽り、専門家と称する人たちも危ない危ないと煽る。
日本は、事実で見ると死者の数では圧倒的に少ないのに、肝心のその要因については何も言わない。
マスコミも、そういう事実は見て見ぬふりをしている。
報道すらしない。

たいして効果もないマスクをみんな免罪符のように買い求める。
朝早くから、高齢者が店の前に列をなしている。
そのうち、マスクをしていないと、人非人のように扱われるのだろう。

感染しない、感染させない、という圧力が高まるのだ。
そして同調圧力が高まって、あとから考えたらどうしてそんなことをしたのか、というような状態になる。
きっと戦前もそうだったのだと思う。

理論的に考えて、イギリスの首相が言ったように、感染がある程度広がらないと、この流行は止まらない。
現時点でたった70人足らずの死者であることをどう説明するのか。
何度も書くが、欧米に比べて死者が2桁少ないことをオカシイと思わないのだろうか。

もうすでに、感染は広がっていると思う。
それはサンプルを取って、抗体検査をすればわかるはずだ。
なぜそれを急いでやらないのか。

日本人は学ばない。




| | 考えたこと | 20:52 | comments(2) | trackbacks(0) |
専門家の役割
今日はコロナウィルス関連で、テレビ局にメールを送った。
最近はホームページ上に、視聴者の声、というようなバナーがあって、送りやすい。
内容はこういうものだ。

「コロナウィルスの死者数ですが、日本の死者数は66人。
イタリアは1万人を超えてアメリカでも大変なことになると言われています。
どう考えても、この死者数は「日本は清潔」「日本人は人と人の距離が遠い」「お上の言うことをよく聞く」などの要因だけでは説明できないのではないかと思っています。
1ヶ月以上遅れて始まっているのに、イタリアでは日本の200倍も死んでいるのです。
この状況で、なぜ日本では死者が少ないのか、ということを研究することこそ専門家の領域だと思います。
その成果がわかれば、欧米のコロナの致死率が高い国々に対処療法を提案できるし、そういうことこそ、今の日本に世界が求めるものだと思います。
日本人は今回のコロナウィルスに関して、運が良かったのだと思いますが、その「運」の原因を追求し、明確にしていただきたいと思います。
それでこそ、「専門家」だと思います。
恐い、アブナイ、検査をしろなどというのはもうたくさんです。」

今まで何度か送ったが、何のリアクションもなかった。
たくさん送られてくるんだから、当然だろう。
でも、みんなで声を上げないと、何も変わらない。

それこそ、海外の専門家たちは自国の事態で手一杯だろう。
日本はラッキーにも軽く済んでいるのだから、もっと世界のためになることをやるべきだと思う。
それが日本の役割だ。

感染者の数が何人だから、どうした方がいいなどというのにそんなに専門家は要らないだろう。
それこそ、行政のアドバイザーでいればいいだけだ。
後追いのことは誰かに任せておけばいいのだ。

専門家というなら、なぜ日本はこういう状況になったのかをもっと詰めるべきだと思う。
本気で日本人は清潔好きだから、イタリアとは違うなどと思っている専門家がいるのだろうか。

バカみたいだと自分でも思うが、ついついやってしまった。

でも、専門家には本当の専門家の仕事をしてもらわないと。





| | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
志村ショック
昨日、今日の通勤電車の人数がガタッと減った。
大阪の環状線は10時過ぎならガラ空きだ。

去年の今頃は新入生はいるし、旅行客はいるし、勤めに出る人もいるしで、立たないと乗れなかったのに、今は余裕で座れる。
4月の1日になっても、座れるくらい、人の動きが止まっている。

ここ数日で人が減る要因といえば、やっぱり有名人の影響だろう。
ドリフターズの途中加入のメンバーで、解散以降もピン芸人で活躍していた。
もう70歳になっていたのかと驚く。
志村けんが亡くなったことが、みんなの行動に抑制をかけたのだろう。

これで日本のコロナによる死者数は66人。
志村の死は、日本の死者が65人から66人になったということだが、1/66以上の重みがある。
その他の人たちは、見ず知らずの一般大衆。
名前もわからない。

一方、志村はついこないだまでテレビに出ていて、遺族が紹介され、関係者のお悔やみの言葉も放送される。
だから、テレビを見ている人たちは、「死」を実感したのだと思う。
急に怖くなったのだ。

世界を見ると、イタリアが1万2428人、スペインは8189人、フランス3523人、アメリカ3440人となっている。
感染のスタートが1ヶ月ほど早かったのに、日本はまだ100人にも満たない。
きっと何らかの要因があるのだろうと思う。
テレビで怖い怖いと煽っている人たちは、こういう数字をわざと言わない。

人々が安心するのが怖い、というのは感染防止の観点からは事実だ。
しかし、経済活動を停止して、いつまで続けるのかとも思う。

話がそれた。
志村けんがドリフターズの頃は、ぼくはあまり好きではなかった。
単なるドタバタのお笑いで、それは関西のしゃべりの笑いからはだいぶ離れていたからだ。

しかし、時代は変わって、関西の笑いは人をバカにしたり、客をいじったり、単にタイミングで笑わせたり、身内でだけ通じるものになってしまった。
バカバカしい「バラエティ」などその種の笑いばかりだ。
しかし、志村の笑いはそういう楽屋落ちだらけの下らない笑いに比べたら、随分真っ当だと思うようになった。

最近は動物の番組に出ていたりして、いい年のとり方をしたなあと思っていた。

まだまだ活躍できたのに、残念。


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