仕事の思想 田坂広志 PHP文庫
オリジナルは1999年に出た。それに加筆・修正を加えたのが文庫でこれは2003年。
大体は1999年時の状況で書かれたということだ。
バブルが崩壊して、不況だと言われ、それが身近に感じられだしたころかな。
この人は、1951年生まれ。東大卒の工学博士。74年に学部卒業後、民間企業に就職。退職して大学院を87年に卒業。その後アメリカのシンクタンクに研究員で3年、90年から日本総合研究所の設立に参画し、取締役、創発戦略センター所長などをやって、2000年に多摩大学の教授。内閣官房参与も経験という略歴。
この「仕事の思想」という本は、著者の仕事に対する思想を書いた本。
著者が自分と関わりがあった人とのエピソードを交えて、「働くとは」という思いを語っている。
この問いに答えはない。一人ひとりが自分の答えを持つべきだろう。
いや、持つために問い続けなければいけないのだろう。
「はじめに」にこう書かれている。
私が、新入社員として、民間企業に入社したころのことです。
その年に入社した新入社員たちは、各地にある工場に分かれて配属になり、半年間の新人研修を受けました。
その新人研修のころのことは、すべてが懐かしい思い出ですが、そのなかでも、最初に給料袋をもらった時のことが、深く印象に残っています。
新入社員一人ひとりが、初めての給料袋を手渡されて食堂に戻り、顔を合わせたとき、仲間の一人のY君が給料袋を見つめながらつぶやいたのです。
「ああ、これで自分の人生を会社に売り渡したのか…」
この言葉に、仲間の多くは、思わず笑い声を上げました。
たわいもない冗談だと思ったのでしょう。
しかし、私は内心、笑えませんでした。
なぜならば、彼の真剣な気持ちが伝わってきたからです。
Y君は、大学時代、演劇の世界に没頭し、できることならば演劇の道を歩みたいという夢を持っていたのです。
しかし、そうした青春の夢も現実の壁に突き当たり、彼は結局、民間企業への就職という道を選んだのでした。
私は、入社以来、このY君から、社員寮の部屋で遅くまでそうした話を聞かせてもらっていました。
だから、私は、彼の気持ちがわかるような気がしたのです。
そして、そこには、私自身の気持ちも重なっていたように思います。
しかし、こうしたY君のような気持ちは、多かれ少なかれ、誰しも、就職に際して抱いたことがあるのではないでしょうか。
誰しも、青春時代には夢を描きます。
自分の将来に夢を描き、そうした道を歩むことを願います。
しかし、自由な学生生活も終わりに近づき、就職という時期を迎えるとき、その「青春の夢」を追い続けるのか、それとも、現実を理解して「大人の道」を歩むのかの選択を迫られます。
そして、その青春の夢をあきらめ、大人の道を選んだとき、その夢が大きければ大きいほど、深い挫折感を味わうのでしょう。
このY君のつぶやきは、そうした挫折感の溜め息でもありました。
もちろん、Y君のような挫折感を感じることなく就職する人もいるでしょう。
就職というものに夢を描き、自分の希望する企業に入社することができた人です。
しかし、こうした幸せな人にとっても、かならず挫折感はやってきます。
なぜならば、希望したはずの会社で仕事を始めると、就職前には見えていなかった現実の厳しさが見えてくるからです。
ときには、その会社でやりたかった仕事がやらせてもらえず、やりたくない仕事をやらされることもあるでしょう。
また、やりたかった仕事をやらせてもらっても、思ったようには仕事がすすまないということもあるでしょう。
そうした意味では、就職して実社会で働くということは、多くの場合、青春時代に描いた夢が破れるということであり、志した目標が挫折するということでもあります。
そして、夢破れ、目標を失ったとき、私たちの心に浮かぶのは、次の問いです。
なぜ我々は働くのか。
その問いです。
もちろん、この問いに対して、「飯を食うため」という素朴な答えがあることはたしかです。
しかし、この答えに納得してしまえる人は、かならずしも多くないでしょう。
なぜならば、そうして飯を食うために働いている時間もまた、まぎれもなく、私たちの人生における、かけがえのない時間だからです。
だから、私たちは、Y君の
「ああ、これで、自分の人生を会社に売り渡したのか…」という言葉にささやかな共感をおぼえるのです。
もちろん、いまどき、実際に、社員の人生を給料で買ったと思う企業はありません。また、
自分の人生を給料で売り渡したというビジネスマンもいないでしょう。
Y君でさえ、本当にそう思っていたわけではないのです。
しかし、私たちが油断をすると、気がつけば
「給料で自分の人生を会社に売り渡した」という状態になってしまうこともたしかなのです。
だから、そうした状態になってしまうことに対する自分自身への警句として、Y君は、「ああ、これで、自分の人生を会社に売り渡したのか…」とつぶやいたのでしょう。
そうつぶやくことによって、決してそうした状態にはならないと、自分自身に言い聞かせたのでしょう。
では、私たちが、「給料で自分の人生を会社に売り渡した」という状態になってしまわないためには、どうすればよいのでしょうか。
そのためには、ひとつの問いを、問い続けることです。
なぜ我々は働くのか。
その問いを、胸中深く、問い続けることです。
この本は、その問いを深めるために10個のキーワードを取り上げて、書かれている。
思想/現実に流されないための錨(いかり)
成長/決して失われることがない報酬
目標/成長してゆくための最高の方法
顧客/こころの姿勢を映し出す鏡
共感/相手の真実を感じとる力量
格闘/人間力を磨くための唯一の道
地位/部下の人生に責任を持つ覚悟
友人/頂上での再会を約束した人々
仲間/仕事が残すもうひとつの作品
未来/後生を待ちて今日の務めを果たすとき
そして、そのいくつかに、人に絡んだエピソードが紹介される。
第一話のエピソードは1974年、筆者が大学の卒業前の友人との会話。その友人は東大の教育学部の学生だったが、わざわざ非行や校内暴力がはびこる問題高校に就職するという。
なぜ、その高校で働くのか、と筆者が聞いたら「たしかにあの学校は非行や校内暴力が問題になっている高校だよ…。だけど、そうした学校にこそ、本当の教育が必要なのではないだろうか…」と答えた。
筆者はこの言葉を聞いて、深く考えさせられたという。
今はどうなっているか、知るよしもない。
現実の壁に突き当たっているのでないだろうか、挫折を余儀なくされているのではないだろうか…。
そして、書く。
なぜならば、その現実の壁の厳しさも、その挫折の苦しさも、ほかの誰でもないこの私自身が感じ続けてきたことだからです。そして、そのことは、おそらく、現在の社会で働く多くの人々が感じ続けてきたことだからです。
社会の現実は、青春時代のロマンチシズムやナルシシズムを生き残らせてくれるほど、なまやさしいものではない。
そのことは、現在の社会で働く多くの人びとが、深い挫折感とともに感じ続けてきたことなのです。
しかし、そうした現実の壁に突き当たり、挫折のくるしさを味わったにもかかわらず、なぜか、私はいまも、こころの片隅で信じているのです。
彼は、きっと、あのころの気持ちを抱き続けて困難な教職の道を歩み続けているのではないだろうか。
四半世紀の歳月を経ても、彼の気持ちは失われてはおらず、その気持はますます深まりをみせながら、その道を歩む彼を支え続けているのではないだろうか。
(中略)
あのときの彼の言葉から伝わってきたものは、まぎれもなくひとつの「思想」でした。
「だけど、そうした学校にこそ、本当の教育が必要ではないだろうか…」
その彼の言葉は、「なぜ我々は働くのか」という問いに対する、彼なりの明確な答えを示したものでした。
それはおそらく、「仕事の思想」とでも呼ぶべき、明確な何かだったのです。
そしておそらくは、彼は、そうした「仕事の思想」をこころに抱くことによって、それを「錨」にしようとしたのでしょう。
これが「思想/現実に流されないための錨(いかり)」という章で語られるエピソードである。
ぼくは1979年に就職した。
前にも
「いちご白書をもう一度」で書いたが、ぼくらの時代、就職は負けいくさだった。
就職する、ということは青春時代と自分の夢(ぼくの場合は、そんなものはちゃんちゃらおかしいものだったが)を捨てて、社会の一員になるということだった。
でも、ここに出てくる彼は、そうではない。
自分の夢に基づく孤高な「思想」を持って、社会という大海原に船出をしたのだ。
筆者は1999年当時の風潮をみて、今の日本にあふれているのは、いかに安全で楽な仕事をみつけるのか、という「貧困な仕事の思想」が目につく、という。
この時代はまだバブルの残り香があったのかもしれない。
これが第一話だ。
第二話では、大学時代にジャズが好きで、就職したくなかった、という友人のエピソードが語られる。
その友人は、会社で仕事はするが、それでも好きなジャズは捨てないぞ、という決意を語った。
そして3年、久しぶりに会って彼に仕事のことを聞くと、困ったことに仕事が面白くなってきた、という。
そして、また7年が経った。
お互いにビジネスマンとして出会って会話が弾む。
そして、彼は、今は仕事をどう仕掛ければいいか、わかるようになり、ようやくやりたい仕事ができるようになった、と言った。
もうジャズの話は出なかった。
そして、もう5年が経つ。
彼は中堅のビジネスマンになっており、仕事というものは、こころをこめてやれば、何でも面白いよ、と語ったという。
あるとき、彼の同僚とふとした縁で知り合い、彼の評価を聞いた。
その同僚は「あいつは、夢のある奴だよ。そして、あいつは、志を持っている。うちの会社には、いなくてはならない奴だよ…」という。
ここで筆者は、仕事の報酬について考える。
そして、仕事の報酬は仕事であり、そして仕事の報酬は成長である、ということに至る。
第四話では、筆者が民間企業で務めている時の顧客のエピソードが語られる。
ある顧客に用意周到なプレゼンテーションを行った時のこと。
相手の部長さんから、ぼろくそに言われた。そして、その体験から20年、「厳しい顧客こそが、優しい顧客である」と思う。
筆者にそのことを気づかせてくれた顧客だったのだろう。
第五話では、入社2年目の時のエピソード。
自分の自信作のプロジェクトの企画を持っていった先の、H課長の話。
H課長は非常に面白いと言ってくれたのだが、上の了解が取れなかったという。
そして、上の指示通りに書き直してくれと言われた。
しかし、その瞬間、自分は顧客に対してベストを尽くしたか?という声が聞こえ、こう言った。
「以上が、私どもが、このプロジェクト企画を御社に提案した理由です。
そして、結果としては、このプロジェクト企画は委員会のご理解をいただけず、不採用になりましたが、私どもの信念は変わりません。
このプロジェクトを実施することができるのは、御社だけであり、また、このプロジェクトを実施することが御社の将来にとってかならず有益な結果をもたらすと、いまも信じています。
ただ、私どもは、お客様から仕事をいただく立場の企業です。最終的にはお客様のご判断に従います。そして、そのご判断もいただきました。ただ、お客様に対してベストの提案と説明を申し上げるのが、私どもの責任と思いましたので、最後に、もう一度だけ、そのことを説明させていただきました。
話を聞いていただいて、ありがとうございました。お約束どおり、明日までに、プロジェクト企画の修正案を持ってまいります。」
そして、結果的にH課長が上を説得してくれて、このプロジェクトは企画どおり実行できたという。
これが「顧客との共感」である。
自社の立場で顧客を操作しようとしてはいけない。
顧客の立場に立つ、とは文字通りH課長の立場に立たないといけないのだろう。
第9話では、職場の仲間の話が語られる。
この話はいい話だった。
もちろん、筆者の志が高いから、そういう仲間が集まってくるのだろう。
そして、第10話。
ここで筆者は「何を恐れるべきか」という。
自分の夢が破れた時にどうしたらいいのか、ということだ。
そして、「カッコーの巣の上で」という映画を例に引いて、こう語る。
だから、もし、夢を描く私たちが恐るべきものがあるとするならば、それは、「夢が破れる」ということではありません。
そうではありません。
私たちが恐れるべきは、「力を尽くさぬ」ということなのです。
もとより、この人生とは、かならずしも描いた夢が実現する世界ではありません。
本気で描き、懸命に求めた夢が破れることは、たしかに、ある。
どれほど本気で夢を描こうとも、どれほど懸命に夢を求めようとも、それがかなわぬことは、ある。
そして、その夢が実現するか、破れるかは、ときに「天の声」とでも呼ぶべき、一瞬の配剤によって決まってしまうときすらあるのです。
私たちが、この一回かぎりの命を燃やして歩む人生とは、そうした世界です。
だから、夢を描く私たちに問われるものは、「その夢を実現したか」ではありません。
私たちに問われるものは「その夢を実現するために、力を尽くして歩んだか」ということなのです。
問われていることは、それだけなのです。
この本の著者は、とてもレベルが高い。
その目線で書かれている。
だから、万人が読んでためになる本ではないと思う。
でも、たぶんにロマンを含んだ、時に詩的な文章は素直に感動する。
こういう「仕事の思想」を胸に秘めて、昔のエライ人(現在63歳)は就職していたのだろう。
しかし、ここまでではなくても、仕事はやっているうちに思想を持ってくるものだ。
それがなければ、やってられない部分がある。
この本を読んで、昭和54年当時、就職したころのことを思い出した。
入社してすぐの座学がある。
その座学で、役員が話をしたのだが、その話の内容は忘れた。
その役員が「君ら、この会社に入ってきて、今はどうおもっとるんや」と聞いた。
ぼくは、「この会社に入って、あと38年、辞めるときにどうおもうのだろうか、良かったと思えるだろうか、と思っています。」と答えたと思う。
結果として、25年で辞めたのだが、それでもぼくは「この会社に入って良かった」と思っている。
38年勤めることが大事なことではない。
そのプロセスが大事なのだ。
そういうことをこの本は言っているような気がする。
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