考えたこと2

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HSP
また新しいレッテルが増えている。
HSPというもの。
これはHighly Sensitive Personという性質で、生まれつき視覚や聴覚などの感覚が敏感で、刺激を受けやすいという特性らしい。
アメリカの心理学者が提唱した。
全人口の15〜20%、約5人に1人がHSPだという。

「心が疲れやすくて生きづらい…それは「HSP」かもしれません」というページによると、

「HSPには、特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」があります。

■ D:Depth of Processing/深く処理をする
  簡単に結論の出るような物事であっても、深くさまざまな思考をめぐらせる
■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
  刺激に対する反応が強く表れやすく、疲れやすい
■ E:Emotional response and empathy/全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
  他人との心の境界線が薄く、相手の感情の影響を受けやすい
■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
  他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づく」

俗にいう、心配性とか、神経質とかいうもののようだ。

この記事では最後のところに「HSPは欠点ではありませんし、自分自身を制限するラベルでもありません。むしろ長所となる部分もたくさんあります。「HSPだから……」とネガティブに考えるのではなく、生まれつき持っている才能としてとらえるとよいでしょう。」と書かれている。

とはいえ、最近は何かといえば「生きづらい」という。
時代が変わり、SNSなどで刺激を受けることが増え、問題化したのかもしれない。
LGBTQも「生きづらい」だ。
HSPも「生きづらい」から、問題なのだろう。

名前が付く、ということはそれを顕在化させることであり、それは「存在」するのだから対処しないといけないということになる。
存在する理由は問題にされず、名付けることでそれは所与のものになってしまう。

でも、生きていたらつらい時もある。
それを我慢したり、克服したり、諦めたり、反発したりして、人間は成長するものだ。

問題になる人口比率が少ないほど、生きづらさの度合いは増えるが、その人たちに対処する社会的コストは増える。
結局は社会のコストの問題なのだ。

今の日本は豊かだから、そういうものが問題になる。
でも、全てを問題にしていたら、日本はどんどん貧乏になる。

それでいいのだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
従業員エンゲージメント
ギャラップという会社の調査によると、「日本企業における熱意あふれる(従業員エンゲージメントの強い)社員の比率はわずか5%。なんと、調査対象129カ国中128位である。」とのこと。

ぼくは47歳の時に勤めていた会社を辞めたが、エンゲージメントは低くなかったと思っている。
特に当時の技術部は自由でやりたいことがやれて、いい会社だった。
最後の仕事になった図面のプロジェクトにしても、ぼくが言い出しっぺになって、数人でやったプロジェクト。
それに3000万円ほど出してもらった。

それまではタイヤの設計でOEMの仕事。
毎週たくさんの試作をやったが、経費のことは考えたことがなかった。
総試作数が決まっていたから、関係なかったのかもしれないが、おかげで金の心配はしたことがなかった。

だから、エンゲージメントが高くなったとは言わないが、いろんな不満はあっても会社は好きだったし、ある意味ワーカホリックでもあった。
使命感みたいなものも持っていたからだ。

自動車関連だったので、80年代途中から海外の仕事も多かった。
日本の自動車産業がアメリカから叩かれ、現地生産に舵を切ったころだ。
最盛期は夜中がアメリカの早朝なので、夜中に電話会議をしていた。
もちろん、普通に出社して、夜中までやっていたのだ。
当時は英語で話して、英語でFAXを書き、おかげで英検の準1級を取った。

日本の高度成長期にそういう仕事に打ち込めたのは、家族には悪いことをしたと思っているが、ある意味幸せな事だったと思っている。
飛行機は嫌いだが、ベルギー、ドイツ、フランス、イギリス、ルクセンブルグ、アメリカ、インドネシア、中国、香港などの海外で仕事もできた。

もともと、神戸にあるというだけで入った会社だったが、いい経験をさせてもらったと思う。
そんな風に思えるのは、やっぱり従業員エンゲージメントが高いということだろう。

そういう人は当時はそこそこ多かったと思う。
業界に勢いがあったからか、日本がそういう時期だったのか、何が決め手だったのかはわからないが…。

でも、今は128位だという。
今の日本が置かれている立場がそうさせているのだろうか。

高度成長期にもてはやされた、年功序列、終身雇用という制度が時代遅れなのはわかる。
それでも、簡単には変えられないという。

戦後70年、もう一度外圧が必要なのだろうか。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
孤独を避けるには
こないだ新聞に孤独について出ていた。

アメリカで公衆衛生政策を統括するビベック・マーシー医務総監によると、

「年齢、性別、基礎疾患などにかかわらず、社会的な結びつきが強い人は弱い人に比べ生存率が50%高いことが結論づけられた。同時に、孤独は死亡に関し運動不足や肥満より上位のリスクファクターに位置づけられ、喫煙や過度な飲酒と並んだ。」

ということだ。

人間は社会的な生き物であり、誰かとつながっていないと生きていけない。
仕事をしている間は、仕事を通じて社会とつながっているから大丈夫だが、仕事をやめると、特に仕事以外のつながりを作っていないと生きるのがつらくなる。

今の若い人たちはSNSなどで四六時中オンラインでつながっている状態。
ああいうのは、社会的なつながりと言えるのだろうか。
ちょっと違うようにも思う。
ぜひ誰かが明らかにしてほしい。

ぼくは、メールやLINEでつながっている友人は、ないよりマシという感じ。
メールやLINEは時間を拘束されないから、その分緩いのだ。
やはり、リアルに時間を使って会ったり話したりできる人とは、社会的とは言えなくても、つながっていると言えるだろう。

その意味では、電話は中間的存在だ。
そういえば、元気だったころ、母も数少ない友達とよく電話はしていた。

自分のために、時間をさいてくれる、というのが友達の価値なのだろう。
ペットは話し相手になってくれるから、飼っている人は長生きする。

今やっているバンドも共通の趣味でつながっている。
これも社会的つながりになるのだろう。

何かを学ぶこともいいと思う。
小林秀雄だったか、学問は一番の楽しみになると言っていたはず。
ぼくが習いたいのは英会話。
だいぶレベルは違うけど。
会話もできるし、頭も使うし、グループレッスンなら仲間もできる。

オンラインの英会話なら、かなり安くできると学生から聞いた。
それもいいかもしれない。

落語も昔やっていたからやってみたいのだが、もう正座ができないから無理だろう。

孤独を避ける手はいろいろある。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
杉山清貴
杉山清貴は、オメガトライブというバンドで活躍していた。

このバンド、1983年から85年末と短命だったが、リードボーカルをカルロス・トシキに変えて、86年に1986オメガトライブになり、その後カルロス・トシキ&オメガトライブになって91年に解散。
結局8年間ほどのバンド。

杉山清貴は63歳でぼくより3つ下。
昨日WOWOWでライブを見たが、まだまだ若く見える。
トレードマークの黒いサングラスが似合う。

小学校4年の時にビートルズのイエスタディを聞いて、影響を受けたということだ。
ぼくがビートルズを聞き始めたのが中学校だから、まあだいたい似たような時期だ。
吉田拓郎や井上陽水も聞いていたということだから、ほんとに似たような音楽との出会いだと思う。

彼は40周年の今年5月10日、Freedomというアルバムをリリースした。

60歳を超えたら、もう新曲は要らないと思っていた時期もあったらしい。
それでも、新しい曲を書こうと思ったのだ。

このアルバムの1曲めの”Too good to be true”がいい。
リズムはオカズの少ないドラムと控えめなベースで、エレピとギターがいい感じで絡んでいる。
間奏のソロはサックスとギター。
これも感じがいい。
彼が目指していたAOR(Adult Oriented Rock)の秀作。

Bメロの歌詞がいい。

 Too good to be true 人生は思いがけない
 偶然が重なり合い 今を生きてる
 Too good to be true 人生は思い通りになってるかな
 どんな時もI will keep loving you

還暦を超えないと書けない歌詞だろう。
なかなかこんなふうに人生を捉えられない。

この歌詞が2番になると、

 Too good to be true 潮風が通り抜けてく
 昨日と風向きさえ 変わってるから
 Too good to be true 人生は向かい風もある
 どんな時もI will keep loving you

こんなふうに変わる。
抑えた歌い方で、歌い上げる。

60歳を超えて、いい曲が出せたと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイバー対策
今年の初めに、サイバー攻撃の矛先が日本に向いているというニュースがあった。
今まで日本語という壁に守られていたが、OSが多言語対応になって、その壁も崩れた。

今日の日経には、北朝鮮からのハッキングで、日本から仮想通貨が950億円盗まれたという記事があった。
それが核ミサイルの開発費用になっているという。

日本を株式会社としたら、「社長や役員が何も考えてないから」だ。
社長や役員とは、内閣総理大臣や防衛庁長官ということだ。

1月の記事によると、「攻撃を検知したり、システムへの侵入を防ぐためにソフトウエアの脆弱性を修復したりするのが主要国で最も遅く、防衛力が弱いためだ。背景にはIT(情報技術)開発のベンダーへの丸投げが多く、サイバー防衛への当事者意識が希薄になりがちなことがある。」と書いてある。

何度か書いたが、2030年にはIT人材が79万人足りなくなる、という予測もある。
徹底的な人材不足を放置したのだ。
こんなもの、学術会議がちゃんとまともに考えていたら、「IT人材養成」と言っていたはず。
そんな気もなく、金だけがほしい、自由気ままにやりたい、などとやっているから、こんなことになる。
どうでもいい、というと語弊はあるが、憲法問題なんかやっている間に、日本に必要な人材育成をもっと考えるべきだった。
当の大学が全くそんな気がないのだから、どうしようもない。

記事はこう続く。

「システムに弱点があればハッカーが侵入する穴となるため早期に修復する必要があるが、日本は対応が遅い。米バッドパケッツによれば、米パルスセキュア製VPN(仮想私設網)の脆弱性が19年8月に公表されてから1週間後に修復された割合は日本が9%。ドイツ(49%)や米国(31%)を下回る。」

「ハッカーの攻撃を察知するのも苦手だ。トレンドマイクロが企業のIT責任者に実施した調査によると、ランサムウエア攻撃を侵入初期の段階で「検知できる」と答えた日本企業は34.5%と海外平均(42.2%)よりも少ない。日本は社内データの流出や攻撃者による探索の段階でも反応が鈍く、サービス停止など被害が最終的に生じてから気づく企業が多い。」

「海外のハッカーからは日本の対応遅れが見透かされている。警察庁によると、22年1〜6月に検知した不審なアクセス通信は1日約7800件と19年通年から倍増した。発信元のほぼすべてが海外だ。」

まさに、日本の経営陣がITに無関心だからだろう。
それがIT丸投げの態度に現れる。

「日本のサイバー防衛が脆弱な背景には、組織内でITの専門家を育てず、外部のベンダーに開発や運用を丸投げする慣習が根強いことがある。クラウドサービスのドリーム・アーツ(東京・渋谷)の大企業の担当者1千人に対する調査によれば、主要ベンダーを過去に一度も変えたことがない企業は8割に上る。」

まさに、政府をはじめ公的機関も、教育機関も、民間企業も、ITに関心が低いということだ。

本当に情けないことだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスク真理教
まだまだ通勤電車や歩道を歩いていても、マスクをした人が多い。
だんだん暑くなってくるから、減るのではないかと期待しているが、なかなか減らない。
感染者もいないし、流行ってもいないのに、どうしてマスクが必要なのだろうか。
3年間の刷り込みがよほどきつかったのだろう。

そんな中、日本中のいろんな所でマスクをした人が駅員やウェイトレスに絡んでいる。
最近は目の前でなにか起こったら、撮影する人がいて、ネットにあげるから、見られてしまう。
どちらも高齢のおじさんだ。

片方は女性に絡んで駅員に連れて行かれたところ、もう片方は若いウェイトレスに絡んでいる。
何が言いたいのかわからないが、弱いと思った相手に絡むんだろう。
一生家に閉じこもってろ、と書かれていた。
情けない。

日本の鉄道では乗客の判断に任せているはず。
積極的にそれを宣伝はしていないが、そうなのだ。
だからぼくもマスクはしない。

レストランだって、お客さんの意思に任せているのだ。
店員にも強制していないから、マスクなどしないだけの話。
本当に老害だ。

佐賀県や千葉県では知事や教育委員会が「マスクは不要、教員が積極的に外すこと」という指示が出たらしい。
いいことだと思う。
ネットには本来なら文部科学大臣が言わないといけない、という意見もあった。

許せないのは、一部の医者までこの期に及んでまだ文句を言っていることだ。
自分の身の回りの範囲しか見えてないのかと思う。
日本の医療機関はいまだにマスク着用。
フランスでは去年の8月に不要になった。
世界を見ろと言いたい。

欧米ではもうマスクは過去のもの。

したい人はすればいいが、しない自由を認めなければいけない。

そんなこともわからないのなら、それこそ一生家に閉じこもっていろ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
恨むか、申し訳ないか
こないだ2時間ドラマの再放送を見ていたら、認知症で寝たきりの母親とその介護の息子が出てきた。
刑事もので、結局は介護している息子が犯人だったというストーリー。

自宅で介護していて、非常に大変だという背景がある。
その中で刑事の上司が、実は自分の母親も認知症で施設に入っている、という。
一時は警察をやめて、自宅で介護をしようと思ったのだが、それも限界だった。
介護施設に入れるかどうかというときに、こういう言葉を聞いたという。

「もしも自宅介護を続ければ、きっとあなたは母親を恨むようになるだろう。施設に入れたら、母親に申し訳なく思うようになる。そのどちらかを選ばないといけない。」

もちろん、経済的な問題もあるが、これは真実だと思う。
上司は「申し訳ない」方を選んだということだ。

実家で母が一人暮らしをしているときから、時々行って会っていた。
まだまだまともだった頃だ。
そこからサービス付き高齢者住宅に入居した。
それは母の意思だった。
弟と二人で、軽トラック1台で引越しした。

母はそこが終の棲家になると思っていたが、だんだんと認知症が進み、一度目の大腿骨頭骨折。
病院でリハビリをやっているときに、認知がだいぶ進んだ。
とどめを刺したのが、コロナになってからの二度目の大腿骨頭骨折。
3か月ほどほとんど会えなかった。
リハビリを終えて、帰ったところは今の施設だ。
サービス付き高齢者住宅のケアマネが入院中に会いに行って、もう無理だという結論で、探して入ったところ。

脊柱管狭窄症になって、会いに行っていないが、申し訳なく思っている。
幸い、年金でほぼまかなえているから、そこに住んでいる。

前にも書いたが、生きているというより、まだ死んでないという状態。
会いに行っても、仮面のような顔をしている。

会うときは昔の写真を持っていくのだが、調子がいいと少し笑うこともある。

だんだんと足も萎えて、車いすの生活になった。
ほとんど寝たきりだと思う。

本当に申し訳ないと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九2023
2023年の1万人の第九の申し込みが、19日から始まっている。
今年は1万人の募集をするということで、めでたい限り。

フロイデクラブというところに入会して、申し込むのだが、そのページを見ると面白い。
参加者の声、というところに写っているのは小中学生や若い女性ばかり。
実際の合唱団はほとんどが高齢者。
女性は若い人もちらほらいるが、高齢者比率は今の日本の値よりもだいぶ高いと思う。
もちろん、男性はもっと高い。

今年は高齢者が少なくなると予想しているのだろう。
毎日放送自身を含むマスコミが煽ったコロナで、まだまだ高齢者は用心していると思う。

驚いたのは、感染症対策。
もうマスクなどしなくていいと言っているのに、今年もネックファン(首からかける扇風機)とマスクが必要らしい。
大阪医科薬科大学病院の感染症対策室室長と、感染症対策気流担当アドバイザーなる人達が決めたらしい。
感染が拡大してバタバタ倒れている状況でもないし、第一国がインフルエンザと同じ扱いと言っているのに、まだこの有様。
これこそ、恥ずかしい国日本の証拠だ。

1万人がマスクをして、首から扇風機をかけて歌っている第九など、日本人の恥だと思うが、この国はこんな国なのだから仕方がない。

スモークテストでエアロゾルがなんとか、と書いてあるが、もともとウィルスなどないし、あっても害はないのだから、やめればいいのだと思う。
だいたい、スモークテストも目視しかしてないのだ。
詳しくはこのページ

ちゃんとしたアドバイスができる科学者はこの国にはいないのか…。
こんなことをやっていたら、いつまでも対策はなくならない。
世間の動きに同調するということか。
ここで1万人が集まって、合唱してなんともないということを証明するほうがよほど価値がある。

これでは、もう科学の先進国とは言えないし、実際もう後進国だから仕方ないのだろう。
ポンコツの感染症の「専門家」ばかり。

不満はいっぱいだが、応募はすることにする。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
高嶺の花子さん
2013年のバックナンバーの曲だ。
アップテンポな曲だが、妙に東洋風でアジアのマーケットを意識した曲かと思う。
Youtubeの曲も字幕でインドネシア語が出てくる。
ギター教室でやってみたいという人がいて、見てみた。

なにより驚いたのは歌詞。
「高嶺の花」のとおり、手の届かない女性を思う歌なのだが、なかなか面白い。
出だしは、

「きみから見た僕はきっと ただの友達の友達
 たかが知人Bに向けられた 笑顔があれならもう恐ろしい人だ」

で始まる。

花子さんは、この世の人ではないような、そんな感じ。

その中に「生まれた星の下が 違くたって」という歌詞が出てくる。
「ちがうくたって」という言い方だ。

2010年の4月に「いるくない」という記事を書いている。
この時は、「いるのではないか」ということを言うときに、「いるくない」という言い方をするのが新鮮だった。

この当時、もう新語辞典に「違くない」という言葉が載っていた、と書いてある。
したがって、2010年には新語だったということだが、2013年にはもう歌の歌詞として使われる言葉になったということだ。

歌詞の「違くたって」は「違っていても」という意味だが、完全に市民権を得ているようだ。

Youtubeの動画には、1万件以上のコメントがあるが、ざっと見たところ「違くない」に引っかかっている人はいない。
それだけ自然に受け入れられているということだ。

ネットを見ていたら「2019年発行の「大辞林」第4版では「違くない」が見出し語になっています。」と書いてあった。

もうちゃんとした日本語として認められるようになっている。

歌は世につれ世は歌につれ…



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
IT担当役員
木村岳史という日経コンピューターの記者がいる。
この人の極限暴論という連載を時々見ることがあるのだが、この人がツイッターに書いていた。

「新任のIT部長が腹をくくって、大炎上していたシステム刷新プロジェクトの中止を社長らに進言した。

「大金を投じたのに、何とかならんのか」と言われたが、無理との判断は変わらない。そして「原因は何だ」と聞かれた際「社長や役員が無関心だったからです」と言い切ったそうだ。

その人はCIOに昇進した」

「社長や役員が無関心」、これはぼくが前の会社でやったITがらみのプロジェクトの時にも思ったことだ。
たかだか3000万くらいのプロジェクトだった。
もう20年以上も前になる。

紙の図面をどうするかというプロジェクトだった。
増え続ける紙をそのまま管理できるわけがない。
どこかの時点で電子化しなければいけないのは、場所の問題を考えても、手間の問題を考えても、アタリマエだったと思う。

それを実際にやるのには、役員にプレゼンして許可をもらわないといけない。
これだけの手間をかけてやっているのだが、電子化によって便利になります、ではもちろんダメ。
コストを比較して、さらに時間を比較し、「便利」を数値化しないといけない。

ただ、そのプロジェクトをやるときに、すでに同種のシステムを導入しているという会社に見学に行かせてもらった。
同じメーカーだが、IT関連の機器を作っていたので、トップや役員がITに詳しかったのが大きな違い。
話を聞くと、導入に対する決断は早かったという。

やっぱり、知っているか知らないかは、大きな違い。
同じことでも、簡単に説明してOKが出る。
見込みで話しても、それはそうだろう、と決断できる。

IT化は初期投資が大きいが、それを人件費や開発期間短縮で取り返していくというものだ。
そこがツーカーでいくのか、それとも全くわからないかの差は大きい。

ITは時間を買う部分があって、スピードも大事なのだ。

昔阪神の江本が「上がアホやから野球ができへん」と言ったというが、まさにそうだった。

このツイートのIT部長は、ちゃんと上が言われたことを理解して、昇進できて良かったと思う。
でも、ぼくの元の会社では今だにIT担当の役員はいない。

これではダメだろうと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
常識外れ
シスジェンダー・ゲイで、一般社団法人fairの代表理事の人が、ツイートしていた。

シスジェンダーは、トランスジェンダーではなく、「体の性」と「心の性」が一致しているということ。
つまり、一般的な「ゲイ」ということらしい。

「問診票の性別欄。多くの病院では問診票に男女を選ぶようになっていますが、自由記載でいい。入院着を男性は青、女性は赤とする必要もない。特別なケアが必要なのではなく、不要な男女の区別など、苦しみにつながる要素を減らすことが大切です」

何を言っているのかと思う。

病院で問診票を書くのが、そんなに違和感のあるものなのだろうか。
生物学的にどちらかしかないので、その区別を聞いているのだ。
書きたくなければ、書かなければいい。
しかし、生まれ持った性別は2つしかないのだ。

ここまで来ると、LGBTQ問題はどういう問題なのかと思う。

以前J.K.ローリングが「月経のある人が女性」という発言をして、猛反発を受けたという記事を書いた。

キリスト教圏ではLGBRQのことで殺人も起こる国だ。
もともとキリスト教では罪になっているからだ。
でも、日本はテレビに堂々と出ている人たちもいるし、その存在を認めて、殺人事件も起こらない。

この人達は、一体何が不満なのかわからない。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
病気の効用
脊柱菅狭窄症になって、一つ良かったことがある。
病気で歩けない人の気持ちがわかったことだ。

人間にはいくら知識があっても、経験しないとわからないことがある。
坐骨神経が痛い、というのは経験してみないとわからないのだ。

今まではそんな人が世の中にたくさんいる、ということも知らなかった。
脊柱管狭窄症という病気は、高齢になって筋力が落ちてくると起こりやすい。
人間にとって、二足歩行することは首や腰に負担がかかるから、仕方がないのだろう。

街を歩いていても、すごくゆっくり歩いていたり、急に立ち止まったりする高齢者がいる。
今までは、急いでいるのにジャマだなどと思っていたが、この病気になったことでその気持ちがわかった。
早く歩けないとか、痛くて立ち止まらざるを得ないのだ。

母がまだ元気だったころ、動作がのろくなったから、自分の後ろに列ができるのがいやだ、と言っていたのを思い出す。
そういうことが原因で、だんだんと外に出なくなった。
母は病気ではなかったが、自分が世間のお荷物になってしまうのが嫌だったのだ。

ぼくも最近通勤で歩いていて、痛くて立ち止まったり、電車に乗って高齢者席に座るときに思う。
自分は社会のお荷物になっている。
今はまだ仕事をしているが、もう数年して仕事がなくなったときには苦しいだろうなあ。
人生をエンジョイする、などという気持ちになれるだろうか。

昔は平均寿命が短かったから、そんなに高齢化が原因となる病気はなかった。
それが長寿命化に伴って、どんどん増えてきた。
ぼくはもともと若いころに腰を痛めていたから、早くかかったが、高齢化がこの病気の主因であることには違いはない。
手術待ちに3か月かかるというのが通常だという。
いずれ、高齢者は死に絶え、病気の数は減るのだから、むやみに手術を増やす体制を作っても仕方ないのだ。

でも、同じような病気を持つ人に対して、寛容になれたのは病気の効用だ。

高齢者には高齢者の悩みがある。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
石川佳純引退
卓球で3大会連続オリンピックに出てメダルを取った。
常に前向きでファイトあふれるプレーは、好感が持てたし、負けたときの悔しがる表情も印象的だった。
30歳で引退表明。
記者会見でちょっと涙ぐむ場面もあった。

東京オリンピックでのメダルを聞かれ、「すばらしい後輩たちと戦ってきて、追い抜く時は楽しいんですけど、追い抜かれる時は苦しいものもあって、難しい時間もあったのですけどでも頑張ることを辞めずに東京オリンピックの出場権を得られたのは自分自身を少し褒めてもいいのかなと思いますし、その5年間が選手としても、人としても大きく成長させていただいた貴重な時間だったと思っています」と答えた。

このメダルを取れたのは、当時の菅首相がオリンピックを決行したからだと思う。
もう1年遅ければ、石川も苦しかっただろう。

バカな「専門家」や医療関係者、多くのマスコミは延期を言っていたが、彼が決断して、オリンピックが実施できた。
でも、それが原因になって、菅元首相は評判が悪い。

しかし、あの国内の逆風の中、彼が実施を決めたのは、客観的に見て日本のコロナ死者は欧米に比べて圧倒的に少なかったからだと思う。
42万人死ぬとか、利権まみれで300億儲けたという分科会会長など、これから誤りを追求される人たちがコロナ危機を煽っても、それには動じなかった。

彼でないと出来なかった、福島原発の処理水の放出決定や、携帯の値下げ、最低賃金の引き上げなど、功績は多いと思う。
長年一緒にやってきた、故安倍首相が出来なかったことを果敢にやった。

結局、今まで日が当たらなかった窓際の感染症の「専門家」や、新型コロナを煽って視聴率を上げたかったマスコミに負けたということだ。

彼自身、退陣の発表の直前のインタビューでこう言っている。

「「私自身、もともと能弁ではないし、そもそも政治家は『弁舌よりも結果だ』と。結果を残せばわかってもらえるという政治姿勢で今までずっと来たので、そういう考えが会見の姿勢に出てしまっているのかもしれません」」

今の岸田よりもよほどマシだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランスジェンダーと学術会議
知らなかったが、日本学術会議が「トランスジェンダーの学生が女子校、女子大に進学できないのは、『学ぶ権利』の侵害に当たる」と2017年に提言したらしい。

それを受けて、2020年に御茶ノ水女子大が入学を認め、奈良女子大、宮城学院女子大など3校が続いたらしい。
今では受験資格として認めている学校が1桁あるとのこと。

ここで、トランスジェンダーというのは戸籍上は男性だが、性自認は女性という定義。

そして、現在LGBTの理解促進とか何とかいう問題が、反対多数を押し切って国会にあがっており、そこで日本学術会議がもう一度「トランスジェンダーの学生が女子校、女子大に進学できないのは、『学ぶ権利』の侵害に当たる」ということを繰り返して17日に言ったようだ。

ぼくの見たニュースはこれ

コメントは全部反対意見だった。

例えば、

「女子大じゃないと学べない学問ってなに? 
もしあるなら、その学問を女子大以外でも学べるようにしろよ。そうならなければ、男がその学問学べないぞ。男への差別だぞ

仮にその女子大でしか学べないことがあって、それを学ぶ権利とやらが焦点なのであればそもそもトランスでない男子の入学も認めるべきだなぁと思った

特にやらなくてもいい事を積極的にやるのが使えない団体のよくある特徴。そして肝心なことは何もしない。

むしろ女子大に通う普通の女子学生の権利の侵害につながると思う」

もっともな意見だと思う。

一体何が学術的なのだろう。
この時期にこのコメントを出すということは、政治的以外の何者でもない。

こんな団体、役に立つとは思えない。
学問の自由というのなら、国からお金をもらってやることはない。

早く廃止すべきだと思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
マスコミの勉強不足
前に少子化の原因という記事を書いた。
この記事も、もともとネット上の記事を見て書いたもので、今やっている対策はある意味的外れ、ということだ。

5月5日こどもの日のマスコミの報道姿勢について比較している記事があった。
そこには、国連に加盟する人口4000万人以上の国で、日本は年少の人口の比率が最低だと書いてある。
また、「待機児童ゼロ」「ワークライフバランス」政策の効果はほぼゼロだったとか、国の政策の的外れも指摘されている。

「この50年間で「少子化する高齢社会」が完成して、10歳代の働ける年齢層が激減し、高齢化率は4倍増となり、年少人口率も半減以下となった。この趨勢を見た後世の日本史家の慨嘆が聞こえてくるようである。未曽有の人口変動への政策的な対応としては、僅かに2000年4月からの「介護保険」制度のみが、高齢化に正対したにすぎない。」

日本の高齢化の歴史には、いくつかのターニングポイントがあったと思うが、ここまで高齢化が進んでも、まだ有効な手が打てない。
それは高齢化が進めば進むほど、若い人の意見が政治に反映されなくなるからだろう。

本来政治家は国家百年の計を立てるもののはずだ。
それが目先の票集めのことしか考えていない。
だから、世代間格差がどんどん大きくなり、相対的に人数の少ない現役世代は圧倒的に不利になる。
したがって、若い世代から高齢者への所得の移転(年金、医療)を防ぎ、収入を増やすことがまず必要だと思う。
それこそが、マスコミが政府を批判しないといけない部分だろう。

でも、今年のこどもの日の記事を各新聞社で比較した結果はこう書かれている。

「これまで示してきたように、例年の「こどもの日」の朝刊では全国紙、ブロック紙、地方紙の違いを問わず、5月4日に発表された「総務省報道資料」を要約した共同通信社による配信記事(?)の丸写しというべき状態が定着している。なぜなら、通常は取材を第一義とする新聞社の個性がそれぞれの記事にほとんど見られないからである。

同時にグラフ形式が同一という紙面が複数あることも、丸写しの疑いを濃くする。新聞社が独自に記事を作成する際、グラフの中の「こどもの絵」までが同一であることなど、ライバル関係にある新聞社間では絶対にありえないからである。」

結局、真面目に政策を検証しようとか、批判的な記事を書こうとかいう気がないのだ。
だから、共同通信の丸写しになる。
新聞社も主な読者が高齢者であり、共同通信も同じなのだ。

政治家もマスコミも、若い人たちの味方にならないようでは、少子化は止まらないだろう。

マスコミがこんな体たらくでは、どうしようもない。

もっとネットで勉強しろ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
手術
やっと脊柱管狭窄症の手術の日程が決まった。
だいたい3か月待ちということで、8月の中旬だ。
それまでは何とか頑張らないといけない。

頑張るといっても、歩く代わりに自転車に乗るか、バスに乗るかして、歩く距離を減らすしかない。
片方の勤め先にはバスが利用できるが、もう片方はちょっとしんどい。
中古の自転車を大阪で買って、駅から利用するという手もあるが、駐輪場が何か月か待たないと無理だ。

何とか対処療法で切り抜けるしかない。
だいたい200m歩くともう痛くて歩けなくなる。
座っていたら何ともない。
この落差が大きい。

道端に座れば、歩ける距離は伸びる。
数分座れば、100m程度はいける。
ただ、何もないところに座り込むこともできないので、バス停のベンチや植込みの端っこなど、見つけておく必要がある。

電車でも立ったままになると、降りたときに歩ける距離が減る。
やっぱり座らないといけない。

昔よくお年寄りが「神経痛」という言葉を使っていたが、あれがこの脊柱管狭窄症というようなものなのだ。
とにかく痛いのが困る。

6月には90分のセミナーをやらないといけないが、何とかするしかない。
仕事も休まないといけないが、夏の一番少ない時期だからまだましだろう。

術後はかなり痛いと聞いた。
まあ、それを経て治ると思って頑張るしかない。

3週間、ギターを弾けないのがちょっとつらい。
2週間でよくなったら、早めに退院できないのだろうか。

何歳まで生きるかわからないが、できればまだ仕事もしたいし、外に出て活動もしたい。

だから、手術をするしかない。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
環境社会主義
欧州は気候変動の聖地だ。
欧州各国は気候変動に熱心だし、実際に政府も金を出しているし、今まで主導的な役割を演じてきた。
ドイツでは、環境保護政党である緑の党が政権を担っているし、再生可能エネルギーの導入にも熱心だ。
今まで、地球温暖化のニュースはほぼ欧州から出てきていると思う。
サンゴ礁が減っているとか、シロクマが困っているとか、フェイクニュースも多い。

それはなぜなのかというと、欧州は東西が一緒になって、旧社会主義の国々が存在するからだと思う。
ベルリンの壁が崩壊して、社会主義は負けたということになった。
ソ連から次々と連邦国が独立して、ソビエト連邦は崩壊した。
そして、元々は東側だった国々が西欧にひっついたのだ。

元々東ドイツの党だった緑の党は躍進し、政権を取るに至った。
反原発が政権の最も大事な理想であり、エネルギー価格が高騰している今に至っても、残っている3機の原発を止めて、脱原発を達成した。

これらの一連の動きは、旧東側の国々の人々が資本主義に対してアレルギーを持っているからだと思う。
今さら負けた社会主義を持ち出してもダメだから、環境とひっついたのだ。
そんな風に解説しているサイトはたくさんある。

アダム・スミスが言った、「見えざる手」を認めない人たちだ。
人間は十分に賢く、世界をコントロールできるし、それが正しいと思っている人たち。
「正義」を振りかざす人たちだ。
実際、今では「気候正義」という言葉もある。
ESGを守る会社は、正義を行っていると言わんばかり。

でも、それは間違っていると思う。
人間はそんなに賢くない。
それは奢りだろう。

結局、自由に任せて市場原理で解決するしかないと思う。
少なくとも、明らかにおかしいこと以外は、ルールをできるだけ減らすことだ。
そういうことを歴史は証明してきたと思う。

もちろん、すべて自由にというわけではない。

でも、人間の力を過信してはいけないということだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
僕はラジオ2
「僕はラジオ」2003年だから、20年前の映画。
2006年にこの映画をテレビで見て、記事を書いた。

昨日この映画をやっていたので、もう一度テレビで見た。
何度見ても、いいものはいい。
知的障害を持つ若者と、フットボールコーチの教師の関係。
古き良きアメリカの道徳を感じた。

知的障害を持つ若者の面倒を見始めて、先生も生徒も変わった。
そして、コーチは「実は教えられていたのは自分たちだった」と言う。

前にも書いたように、コーチが娘に自分の少年時代の話をする場面が、ぼくは好きだ。
ただ、話すだけだが、それで娘も納得する。

これが実話だというのが、本当に驚く。
最後に、2003年当時のコーチと本人の姿が映る。

何度も見てもいい映画はいい。





| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
男たちの旅路2
昨日BSを見ていたら、「男たちの旅路」をやっていた。
1976年の第一部。
一度ここにも書いている。

鶴田浩二が吉岡司令補というガードマンの役で出ている。
桃井かおり、水谷豊という第2部以降もレギュラーになった2人も出ている。
第1部だけの森田健作もいた。

さすがに古い。
戦前と戦後の価値観のぶつかり合いだ。
70年代にベトナム戦争があり、社会主義がリアリティを持って語られていた頃だ。

鶴田浩二の「特攻隊の生き残り」と、水谷豊の「全共闘世代」の考え方の違いがこのドラマの見どころ。
山田太一の脚本もいい。

世の中の風潮は、全共闘世代への共感が多かったと思う。
少子高齢化など、はるか先の話で、団塊の世代がまだまだ若かったころだからだ。
今見ても、この対立は面白い。

実際、ぼくがこのドラマに興味を持ったのは会社に入ってからだ。
リアルタイムでは、あまり興味がなかった。
どちらかというと、このドラマは鶴田浩二が主人公であり、戦前の考え方に共感している。
そういうこともあって、見る気がなかった。

もう少し年を取って、このドラマの面白さにはまった。
今までも何度か再放送をしていたが、気が付いたら見ていた。

後のほうのシリーズでは、当時ファンだった岸本加世子が出ていた。
また今回のシリーズも見てしまう。
BSの番組をチェックしているわけでもないのに、どういうわけか、チャンネルをサーフィンしているとめぐり合うのも、何かの縁なんだろう。

このドラマをもっと今の若い人たちにも見てほしいと思うが、それは無理な相談なのだろう。

ちょっともったいないようにも思うが…。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
笑いをとること
相談を受けているときには、なるべく相談者の笑いをとるようにしている。
なぜかというと、笑うという行為は、信頼関係の中でしか起こらないことだからだ。

人は相手を警戒していると、面白いことを言っても笑わない。
よく、プレゼンの時に笑いをとる、ということをいう人がいるが、これも相手の信頼関係がないと起こらないことだからだ。
欧米圏のプレゼンは、ジョークで始まったりすることが多い。
やっぱり笑うという行為は、相手への信頼や安心感を示しているのだと思う。

よく学生が面接で「ウケた」という話をするが、それがダイレクトに合否とはつながらないが、緊張が緩和してやりやすくなる、ということを表している。
故人になった枝雀が、「笑いは緊張の緩和」だと言っていたのも、その文脈だろう。

相談に来ているのだから、敵対しているわけではないが、それでも自分にとって海のものとも山のものともわからない。
そんな状態で、どんなことを言われるのだろうか、という緊張がある。
それを緩和するのが「笑い」だ。

短い時間で、基本的には一期一会の面談だから、素直に聞いてもらいたいと思う。
そのために、笑いを意識するのは大事だと思う。
まじめだけではいけないのだ。
相談員は自分の見方だ、仲間だという意識の表れが、笑いになる。

面接練習で笑いをとるのは難しいが、最初にどんな質問をしてほしいかとか、エントリーシートにどんなことを書いたかを聞く。
そのあたりで、笑いが取れれば、いい感じで面接練習ができる。

ぼくの面接練習は、基本的に話す練習と質問のバリエーションを増やすことだ。
まずは等身大で自分について語る練習。
そして、自分について語っているが、思わぬところを突っ込まれて答えられなくならないように、質問をする。
本番までにそれについてどう答えるかを考えておくためだ。

こちらは面接を受けたこともないのだから、それくらいしかできない。

練習だから答えられなくても笑えばいい。

そういう態度でのぞめれば、きっと本番もうまくいくと思ってやっている。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
Software Defind Vehicle
SDVという聞き慣れない略語を見かけて調べてみた。
これは「Software Defind Vehicle」の略語。
ソフトウェアで定義された乗り物、ということだ。

これはエンジンやサスペンジョンといったメカではなく、ソフトウェアが車作りの中心になる、ということだ。
メカはもうほぼ完成した、というか、今よりよくしてもそれほど満足度が上がらない、ということだろう。
これからクルマの満足度を上げるためには、ソフトウェアの世界だろう。

実際、ぼくが買うときに気になるのは、自動ブレーキがついているかとか、音楽プレーヤーがつながるかとか、渋滞で勝手に追尾してくれるかとか、そんなところの方が大きい。
それらはすべてセンサーやソフトウエアの領域だ。

車がPCになれば、ネットもつながるし、Youtubeも見られる。
そういう世界なのだろう。
実際、SDVプラットフォームには1Gbpsのイーサーネットが組み込まれているらしい。

これによって、OTA(Over the Air)でソフトの更新もできる。
どういうことかというと、Windows Updateみたいに勝手に車に組み込まれているソフトウェアが更新される、ということだ。
まさに、車はパソコンになる。
ある日突然、自動ブレーキの機能が上がったり、増えたりするということだ。

コンサルの予想では、2030年には80%の車がネットとつながると言われている。
IoT(Internet of Things)という「全てのものがインターネットにつながる」時代に、クルマも飲み込まれていく。

人間は文化を作り、いろんな道具を作ってきたが、ここまで人間が依存するものは初めてではないかと思う。
今の生活、銀行も公共交通機関も役所の手続きも会社の仕事も、生活のほぼすべての分野でインターネットが関わっている。
それも、物理的に関わっている電線とか、機械とかではなく、判断業務もある意味任せているのだから、これこそライフラインだ。

今までクルマはそこから一線を画していたが、ついにそこに参加する。

依存するものが大きくなると、止まったときの危険度も大きい。
セキュリティの技術者が何万人も足りなくなる、などという予想もある。

依存度を上げるのは便利になっていいことだと思うが、特にクルマなどはフェイルセーフをちゃんと考えておいてほしいものだ。

文科省や大学はITの技術者もちゃんと育ててほしい。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
士業は崖っぷち
何でも検索してわかるようになったとはいうものの、そのサイトを見て、知りたいことをまとめるのは面倒だ。
それを自動でやってくれるのがChatGPT。

いろんな仕事が置き換えられるようになりそうだ。
こないだ「ChatGPTで士業ら知的産業は崖っぷち!」という見出しを見たが、たしかに士業はだいぶ危なそうだ。

「士業」というのは、弁護士、司法書士、行政書士、税理士などの「士」がつく職業。
ここに挙げたのは法律関係の仕事だが、民主主義の建前上、法律のことは自分でもできるようになっている。
それでも、日本の法律が複雑で、わかりにくいからみんな依頼してお金を払う。
でも、ChatGPTに聞けば複雑な手続きを簡単に説明してくれるようになる。

しばらくは置き換えはまだ無理だろうが、AIの学習は使う人が増えるほど上がるし、ほんの数ヶ月で飛躍的にChatGPTが賢くなったことから、AIでの仕事の代行はそのうち可能になるかもしれない。

みらい総研というところが「AIの登場で「今の」士業の仕事は無くなるか?しばらくは無くならないかな…?」という記事を書いている。
実際にAIを使ってやってみた結果だ。

まとめには、

「安価なAIが登場した時代においても弁護士・司法書士・弁理士・税理士と言った士業=特定分野のスペシャリストの仕事自体は「しばらくは」無くならない

ただし、専門家といえども一分野のスキルのみでは遅かれ早かれAIに代替される可能性が高い

今後数年で専門家に強く求められるスキルは自己+他のスキルを繋げるコーディネートする能力であり、他のスキルに対する理解も重要になるだろう」

と書かれている。

これから士業で生き残るためには、複数のスペシャリティを持つことが必要という結論。

たしかに、膨大な裁判資料から、過去の判例を調べるなどの作業はAIの方が圧倒的に得意だ。
それだけでは、仕事として成り立たないということだろう。

本当にえらい世の中になってきたものだ。

日本はやはりアナログな製造業で強みを持つしかないのだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
組織の意味
インターネットが始まったころは、海のものとも山のものともわからず、仕組みを知っている個人が自由に何でも発信していた。
始まりは核戦争が起こった時の通信技術だったが、それに反して中身は全くアナーキーなものだった。
今でもそうだが、ルールもなく、原則的には何を発信してもかまわない。

しかし、インターネットがインフラになるにしたがって、大きな企業が入ってきて、そこがルールを作り出した。
例えば、あるアドレスがGoogleから検索されないようにされると、そのサイトは知っている人しか見れない。
もちろん、それを使って、匿名化する人もいるだろうが、コロナのことなどGoogle本社の意向に反すると検索順位を下げられたりする実例が出てきた。
検索順位が下がると、見られる回数が減るので、広告収入が減り、最悪サイトが運営できなくなる。
これだけページが増えると、検索で見つけられないということは、存在しないことと同じだ。

それによって、Googleは儲かる仕組みを作った。
儲けのもとは個人情報だ。
何に興味を持っているかを、検索ワードで調べることができる。
それを広告と結び付けた。
無料でいろんな仕組みを使える代償として、個人情報を取っているのだ。

Googleは会社としてもいろんなことをやっていた。
業務以外の仕事を20パーセントやれとか、豪華な社内食堂を無料で開放したり、できるだけ社内のメールは使わないなど、「クレイジー」な取り組みをしていた。
なかでもすごいのが、上司はムダな存在だということで、管理職を全廃したことだろう。

しかし、さすがにこれはやり過ぎだった。
当時グーグルは数百人規模だったが、管理職を廃止し、各プロジェクトをメンバーが自主的に運営してやっていた。
少人数ならよかったのかもしれないが、この規模になると管理者が必要だった。

実際に仕事をしているエンジニア自身が、管理職が必要だ、と言ったということだ。
人間、自分が管理されたいとは思わないが、それでもみんなで仕事を始めると、管理する存在を必要悪として求めるのだろう。
管理職がいないことで、自分は管理されないで済むが、他人も管理されず、そうなると仕事が進まないケースも出てくるということだ。

組織にはいろんなタイプの人間が必要だ。
みんなを管理して、最終の責任を取る人も、必要なのだろう。

人間の組織は難しい。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
Blue Giant
連休の最終日に、近所の映画館でやっていた「Blue Giant」を見た。
ジャズのミュージシャンを目指す若者の映画だ。
5日間ほどの限定上映。
次男が見て、これはベストだと言っていたので見たかったのだが、なかなかやっているところが見つからなかった。

小さなスクリーンだったが、この映画は音が大事。
特別音響、ということで前にスピーカーが置かれていた。

この映画は主人公がテナーサックスプレイヤー。
楽器歴3年でほとんど我流で学んだという。
このあたりはちょっと無理があると思うが、アニメだからOKだ。

トリオでの演奏で、残り2人は主人公がライブハウスで見つけた、4歳からやっているピアノと、トリオを組んだときからドラムを叩き始めた旧友。
ドラムが素人というのも無理があると思うが、アニメだからOK。

音楽はジャズピアノで有名な上原ひろみ。
実際にトリオでプレイしている。
この音楽がストーリーと相まって没入できる。

圧巻はクライマックスのライブ。
この場面では本当に音楽のチカラを感じる。
2D、3Dの画面と音楽が融合している。

ライブが終わったら拍手をしたくなるのだが、この上映は拍手禁止だった。
拍手OKのところもあるらしい。

ジャズはあまり今の若い人たちには受け入れられていない、と劇中でも説明される。
今はイントロなし、サビから入り、3分程度で終わる、という曲しか流行らないという時代。
ジャズのように、テーマがあって、アドリブを回すというような冗長な音楽は好まれない。
だいたい、ライブではいつ終わるかもわからないのだ。
タイパ(タイムパフォーマンス)重視というような、早送りで映画を見るような世代には向いていない。

達人たちが音楽で会話する、という感覚はオーディエンスにも伝わる。
それがいいのだ。

見に来ている人たちは、若くても30代後半くらい。
高齢者が多かった。

エンドロールで立つ人は一人もいなかった。

アニメとジャズの融合という新しいジャンルを作ったと思う。


| hdsnght1957kgkt | 映画・舞台 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
言語沼
「ゆる言語ラジオと」いうYoutube上の言語を楽しむチャンネルがある。
それは言語オタクとその友人がやっているのだが、どちらも副業としてやっており、Youtubeで食っているわけではない。
それが結構面白く、役には立たないが、楽しめるチャンネルだ。
今は16万人のチャンネル登録者がいるという。

その2人が出した本が「言語沼」。
GWで長男が帰ってきて、その本を借りて読んだ。
本の内容はYoutubeの内容ではなく、新作だという。

普段何気なく使っている日本語だが、「えーっと」と「あのー」の違いなどという、そんなことに意味があるのか、ということを題材にして、日本語の深層に迫っている。
「あいうえお」という母音の順番だが、それにはちゃんとした順番の理屈があったりする。(ちょっと強引な気もするが、言語とはそんなものかもしれない)

そんなテーマで2人の掛け合いの対談本になっている。
Youtubeを聞いていない人にとっても、2人のボケとツッコミの掛け合いは面白い。

Youtubeはコロナ以降、趣味、教養系のコンテンツが増えた。
ギターのレッスン動画については書いたが、このような言語についてのウンチクを語る番組も、教養系のコンテンツで多くの人をつかまえている。

コロナで自宅で過ごす時間が増えたのと、動画の周辺の機材が安くなったのとが重なって、やりたいことをみんなができるようになったのだろう。
こんなに面白いコンテンツがあるのなら、若い人でなくても、地上波など見てられないだろう。

結局のところ、コロナはテレビの終わりを早めたのかもしれない。

危険ばかりを煽り、海外の情報は嘘ばかりで、単に政権批判をするだけの団塊の世代の老人向けの番組か、お手軽な食レポか、コストの安い芸人を集めてワチャワチャ言うだけの番組など、どんどん質が落ちている地上波だ。

差はどんどん大きくなるばかり。

話がそれたが、言語沼は面白かった。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
尾身氏のインタビュー
尾身氏といえば、コロナの感染症対策分科会の会長。
この人は73歳。
散々コロナの危険性を煽って、今に至ってもまだインタビューで「まだ完全に普通の病気にはなっていない」と言う。
この人を見ていると、本物の老害だと思う。

理事長をやっている病院で、コロナで何百億も儲けたと言われている。
そう言われた時点で、会長職は降りるべきだったのだろう。

昨日のツイッターでも紹介したが、日本は諸外国に比べて、1年は対応が遅れたと思う。
それらの責任の大部分はこの人達にあると思う。
もちろん、煽ったマスコミも悪いのだが、一応科学者の端くれなのだから、もっと客観的な評価をすべきだったはず。

今回、日本公衆衛生協会から「新型コロナウイルス感染症対応記録」というのが出た。
尾身氏の共著だ。
そこに「諸外国との比較」という項目がある。
以下のような記述だ。

「諸外国との比較
 わが国の人口100万人当たりの感染者数および死亡者数は、米国、カナダ、英国、フランス、イ
タリア、ドイツなどG7の中でもかなり低い(図表3、図表4)。マスク着用、手洗い・手指消毒
の徹底、3密回避などの個人でできる基本的対策に関する普及啓発、世界的に例を見ない保健所と
いう組織による積極的疫学調査の徹底、適時の緊急事態宣言による接触の回避、感染リスクの高い
方に対する検査の徹底、国民皆保険を前提としたフリーアクセスおよび高度な医療レベルなど適切
な医療提供体制などさまざまな政策が功を奏した、と指摘する人もいる。
 一方、キスやハグの習慣の有無、健康と経済に対する意識の違い、全体主義・個人主義の違い
など社会的背景の違いも指摘されており、こうした国際比較は、世界保健機関(World Health
Organization:WHO)など国際機関が中心となって政策を評価しながら行われることが望ましい。
特に感染者数や死亡者数が多かった国と比較するよりも、台湾やニュージーランドなど少なかった
国や地域と比較する方がわが国としては学べることは多いと考えられる。」

本来なら、なぜ少なかったのかというところをもっと考察すべきだろう。
結果的にG7の中で最も死者が少ない日本が、最も多く金を使い、国民が長く怖がっているのだ。
その事実に蓋をして、自分たちのやったことを正当化しようとしているのだろう。

感染症対策が及ぼした副作用については、別のところでやるべきだろうが、公金の無駄遣いや、不要な社会不安を煽ったことについては、本当に総括すべきだと思う。

ニュースによると、

「政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(73)は2日、共同通信のインタビューに応じ、感染症法上の位置付けの5類移行に「社会を動かす時期に来ているとの考えには賛成だ」と理解を示す一方、高い感染力があることから「まだ完全に普通の病気にはなっていない」と指摘した。今後の感染症対策に生かすため、政府対応を徹底的に検証する必要性も強調した。」

今になっても「まだ完全に普通の病気にはなっていない」と言っているのには呆れた。
政府対応を徹底的に検証するのは賛成だ。

ツイッターでもまた書かれていた。

「もうアンタはええから!金だけ返して!」

「人口あたりコロナ死亡者数の差を見れば2020年の夏の時点で地域差に気づいた人はいた。どちらかというと医学とは異なる分野の人だった。逆に感染症の専門家連中はこのデータを無視した。そして3年も経ったのにまだ解明しようともしない。」

本当にその通り。

ポンコツな「感染症の専門家」は金を返して、早く引退すべきだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの総括
あと3日でコロナの感染症としての扱いが2類から5類に変わる。
2020年の7月に5類にすべきという記事を書いたが、3年経ってやっと実現する。

ツイッターのぼくのタイムラインにmooncaveというアカウントで、コロナの総括を書いてくれている。

いいツイートだと思うので、一連のツイートを紹介する。

国がコロナ騒動について総括しないので、勝手に総括。
この病気は当初、未知のウイルスと警戒されたが、初年度2020年の死者数は全国で3,400人とインフル以下で死因別ランキングでも30位程度の感染症だった。ウイルス学者の中には当初からSARSやMERSとは異なり、風邪に近いとする者もいた。

政府分科会にはウイルス学者や免疫の専門家がおらず、感染を食い止めることしか頭にない感染症医の発言力が強かった。結核や天然痘などのように厳格な隔離政策が必要なのか、重症者対応に絞るべきなのかを政府は見誤り3年間も感染症分類を変えなかったため、医療崩壊が起きた。

2021年1月に5類にしておけば、無症状者を隔離したり入院させて、本当に入院の必要な患者が入院できないといった本末転倒の事は起きなかった。感染症のせいではなく制度による混乱、言い換えれば人災により社会・経済のダメージばかりが続いた。

もともと高齢者の病気なのに、子供や働く世代にまで厳しい感染対策を強いたことも失敗だった。そして、2021年3月、コロナワクチン接種が始まった2021年には検査体制も1日3万件の処理能力で稼働した結果、大規模な感染爆発を何度も繰り返した。

第5波では人流やマスクには感染状況との相関性がないことが判明したにも関わらず、政府分科会は当初の飛沫感染対策とワクチン政策を頑なに続け、軌道修正することもなかった。WHOが空気感染を認めたあともである。日本人を含めた東アジア人がこの病気に先天的に強かった原因、いわゆるファクターX

である交差免疫を理化学研究所が突き止めた2021年12月にも政府の動きは鈍く、2年間の間違った感染対策を見直すことはなかった。その間、医療にアクセスできなかった患者は自宅で放置死し、医療従事者が濃厚接触者となり出勤できないという愚かな事態になった。

2021年12月に日本に上陸したオミクロン株は救世主だった。感染力は強いが病原性と致死性は風邪程度に落ちた。にも関わらず、政府はワクチン接種を続け、1日100万人といった接種目標まで定めた。ワクチンで重症化を防ぎ死亡を増やさないという目論見は崩れ、2021年のコロナによる死亡は1万5千人

2022年は4万人、2023年は4月まで1万7千人と惨憺たる有様だ。そして深刻なのが超過死亡で、2021年におよそ6万人、2022年は11万3千人と史上最悪の記録を出した。すべてワクチンが原因とは言えないが、この2年間で爆発的に増えた原因としてワクチンを疑うのは合理性がある。国は逃げずに検証すべきだ。

コロナ騒動に一役買ったのは間違いなくテレビだ。当初、日本国内ではまさにさざ波程度だった病気をさも恐ろしい死病として伝えた。欧米の悲惨な医療崩壊を見せ2週間後の日本はこうと散々煽った。安倍総理が全国でわずか3人しか死者が出ていない2020年2/27に全校休校を決めたのもメディアの影響だろう。

別のツイート

【コロナ、5類までに3年かかった理由】

・不安を煽り社会を混乱させたマスゴミのせい
・利権を生み、貪る医療関係団体(専門家含)のせい
・有権者の票と支持率を最優先とした政治のせい
ひいては
・マスゴミを妄信し搾取されていても気づかずアホな政治家を選んだ国民のせい

非科学的で海外との比較をしない専門家、高齢者の視聴率を見込んで煽るばかりのマスコミ。

ほんとにそう思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
インフォームド・コンセント
今まで何度かインフォームド・コンセントについて書いたことがある。

昨日「医者が患者を殺すとき」という記事を読んで、こんな医師もいるのかと救われた思いだった。
以前紹介した「人は家畜になっても生きる道を選ぶのか?」を書いた森田洋之氏。

一般的に病院などで手術前に行われるインフォームド・コンセントは、起こりうる可能性を列挙して、それでも構わないという書類にサインをする、という儀式みたいなものだ。
サインしないと手術できないのだから、納得してもしなくても、医師を信頼してやってもらうしかないのだ。

がんの告知も、30年ほど前までは行わなかった。
だから、当時の医師や家族は、それを「自分たちで引き受けてくれていた」、ということだ。
手塚治虫のブラック・ジャックの話をひいて、こう書く。

「ブラックジャックは「真実を本人に伝える」ことにもまして、「医師として自分が引き受ける」という道を選んだのではないだろうか。
そう考えると、今の医療の「特に理由がない限りがんは全例患者に告知する」という態度は、「自分で引き受けると言う態度を手放した医師の責任逃れ」、もっと言えば「患者への丸投げ」と言われても仕方ないのかもしれない。」

ぼくが何度かインフォームド・コンセントを受けて感じたことも、同じことだ。
医師の責任を問題にしないという書類にサインをするのだから、せめて自分の経験からこういうこともあるかもしれないとか、おそらくこうなるだろうとか、そういう意見が欲しかった。
それがプロとしての医師の態度ではないかと思う。

決められた書類を読みあげて、あらゆる想定される悪いことを告げ、患者とその家族にサインをさせることが、インフォームド・コンセントになっている。
それは責任逃れの儀式にしか見えない。

森田医師は「僕は一人の医師として、ここから逃げたくない。真摯に患者さん・ご家族と向き合いたい。いや、こういう問題から逃げずに向き合うことこそが、医師の仕事ではないかと思う。」という。

手術中に起こることは、執刀医である自分しかわからない。
彼はこう言う。

「僕もこれまでの約20年の医師人生で、このように「多少事実をごまかしてでも自分が引き受け」たことが何度もある。その選択で結果が良かったことも悪かったこともある。その度に、僕はまるで自分が悪魔になったような悲痛な思いで涙を流す。

医師という仕事は、業の深い仕事だと思う。でも、医師という仕事はそういうものだ。もしそこから逃げるような存在なら、そんな価値のない存在は今すぐにでもAIに取って代わられていい。

そんな風に涙を流すこと、その覚悟を持ち続けること。それこそが医師の仕事だということだけは忘れないようにしたい、と僕はそう思っている。」

こういう医師にめぐり逢いたいものだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
生きづらい?
こんなツイートがあった。

「LGBTQは生きづらい、移民は生きづらい、若年女性は生きづらい。可哀想な人は世の中に山程いるが、生きづらいと言ったもん勝ちなのか?黙って頑張っている人よりも、生きづらいと宣言した者が守られるならば、努力もせず保護される事を望む者ばかりになり民主主義が成り立たなくなるじゃないか。」

ぼくもそう思う。

ツイッターに出てきて、生きづらさを訴えている人たちは、たしかに生きづらいのだろう。
しかし、その裏側には、もっと生きづらい人もいるだろう。

1月に紹介したColaboの不正会計は、さすがに監査を受け、公金の注入はストップした。
生きづらいと言っている人たちの後ろには、公金を狙っている活動家がいる。
いったん法律で保護が認められたら、そこに巣食うのだ。

「どっちのトイレを使えばいいか分からず生きづらいとか言ってるんだぞ。こんな事でいちいち生きづらさを叫ぶ奴等は、今後はもっとしょうもない事で辛い辛いと喚きだすだけだろ。婚活パーティ、更衣室、風呂、スポーツまで。何でこんなアホみたいな悩みに社会が法まで作って理解しなきゃならないんだよ。」

これが「アホみたいな悩み」というと言い過ぎかもしれないが、自分で「生きづらい」と言っている人の話だけ聞いていてダメだと思う。

本当に生きづらい人は、声高にそんなことを宣言するだろうか。
そんなことさえはばかられるのではないだろうか。

何かオカシイ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
脱原発のドイツ
ぼくの知っているドイツ人は、親切で情け深く、それでいて合理的という感じだ。
それでも、今のドイツはちょっとオカシイと思う。
ウクライナ戦争が始まって、ロシアからのパイプラインを止め、エネルギー不足になっているのに、残っていた原発を止めて石炭を焚いて電力を作っている。

もちろん再エネ比率も高いが、再エネだけでは不安定だから、バックアップの電力が必要だ。
足りない部分はフランスから買っている。
フランスは原発比率が高い国で、その電気を買っているのだ。
どう考えても合理的ではない。

日本のマスコミを見ていると、ドイツを見習えという識者も多い。
こないだ見た記事では、「すでに電力消費の5割近くを再エネで賄い、2030年までにその比率を8割に引き上げるドイツにとって、原発がもはや電源として重要性を失っていたという事情も大きい。ドイツは対仏をはじめ、隣国ほぼすべてに対して電力の輸出超過国だ」という日経新聞のコメントを紹介し、それがいかにオカシイかということを説明している。
本当にこんなバカな人が大学のセンセイをやっているのだから、日本もおめでたい国だ。

どうして、数々の自然科学の法則を発見し、人類の科学の発展に寄与してきたドイツ人が、こんなバカなことを平気でするのだろう。
やはり、東ドイツと統一したのが影響していると思う。

現政権を取っているのは「緑の党」で、ここが「脱原発」を宗教にしてしまった。
理屈は関係なく、何が何でもやらないといけない目標にしてしまったのだ。
今や国民がオカシイと思っても、それを政権が実行する。
この緑の党は旧東ドイツが主体の党だ。

記事によると、産業の脱出も始まっている。
大企業はそんなに高いエネルギー代を払っていられない。

日本も電気代が上がって、電気を大量に使うアルミの精錬がなくなった。
半導体もたくさん電気を使う。
今やエネルギーコストは安全保障の面だけでなく、国力も動かす。

記事によると、ドイツが脱原発を達成した4月15日は、「陽が沈み、再エネがほぼなくなると、石炭・褐炭を焚き増したため、CO2の排出量は、脱原発の完遂後1日目にして、早くも記録更新を達成したという。しかも、それでも足りずにフランス(原子力)とポーランド(石炭火力)からの輸入にも頼った。これから、こういう日々が続くことは間違いない。」とある。

高い電気代を払って、いつまでドイツ国民は我慢するのだろう。

今や脱原発に反対すること自体が、憚られる雰囲気だという。

早く正常化してほしいものだ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |