考えたこと2

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ギターの名人
最近Youtubeでギターの講師の動画を見ることが多いのだが、こないだ見た動画はある意味ショッキングだった。
ギターYoutuberがプロのギタリストにインタビューしているのだが、その内容がすごい。
インタビューしているほうは、「今回の動画を参考にして、みんな頑張れ」みたいなことを言っていたが、ぼくにとってはすごすぎて、ちょっと…、となってしまった。

プロはやっぱり想像を絶している。
弾き方を教えてくれているのだが、エレキギターを一音弾いて、スライドして音程を上げて、そこでビブラートをかける、というだけのことだった。
それでも、ギター講師をやっているYoutuberとは違うのが動画でもわかる。
言っておくがギター講師だから、かなりうまいのだ。

同じギターで、同じように弾いているのだが、音が違う。
それも、クリーンな音ではなくて、歪ませたギターの音。
歪ませたら、誰が弾いてもそんなに変わらないと思っていた。
それが違うとはほんとにびっくりした。

結局、ピックをあてる角度や深さ、強さなどが違うということだ。
そんなところまでコントロールしているとは、気が遠くなる。

そのあと、アンプを通さず、生で弾いてくれたがこれがまたびっくり。
たいがい、しっかりピッキングしているのかと思うのだが、ほとんど音が聞こえないくらい、軽く弾いていた。
逆に、あれだけ音を出さずにギターをちゃんと弾くのはすごい技術だ。

エレキギターは音を増幅しているので、強く弾く必要はない、ということだ。
それはわかっているけど、と思う。
あの軽いタッチは本気で難しい。

ギターYoutuberも驚いていたが、あれは演出ではなく、本音だったと思う。

こないだ「こーじゅん」というアコギのプレイヤーのところでも書いたが、「絶望」を感じた。
まだ30代くらいのプロギタリスト。

やっぱりプロはすごい。

死ぬまでに、あのやわらかいピッキングの境地に達したいものだ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
グレートバリアリーフ
グレートバリアリーフのサンゴ礁が温暖化でだめになっている、というのは有名な話。
えらいこっちゃなあ、と思っていた。

しかし、オーストラリアで長年にわたってサンゴ礁を研究してきた人が、グレートバリアリーフには何ら問題は見られないと書いているという。
ほんまかいな、と思ったのだが…。

記事によると、このグレートバリアリーフのサンゴ礁が危機だ、ということになって引き合いに出されるのが、サンゴ礁の成長率の図だ。
オーストラリア政府の研究機関である海洋科学研究所が1990年から2005年にかけて、成長率が年率1%で激減している、という報告をした。
このペースで減っていくと、2020年には1990年よりも30%低くなっているはずなのだが、調査すると間違いが見つかったという。

1990年以前のデータのほとんどは、大きくて古いサンゴの資料を使い、1990年から2005年のデータははるかに小さくて若いサンゴのデータだったらしい。
調べる対象を変えていたのだ。
その上、政府の海洋研究所は、2005年以降調査をしていないので、真偽の確かめようがないということ。
オーストラリア政府はグレートバリアリーフが危機だと主張していながら、その後何もしていない。

さらに、海水温が暖かくなるとサンゴ礁は白化する。
しかし、白化したサンゴ礁はたいてい速やかに復活するらしい。
この白化の写真は温暖化の証拠として見たことがある。
温暖化以外でも、サイクロンなどで白化は起こっているが、たいてい復活しているとのこと。
自然変動も大きいということだ。

そもそも、温暖化してもサンゴ礁が崩壊するとは思えないとも言っている。
世界で最もサンゴ礁が豊かな場所はマレーシア、インドネシア、パプアニューギニアなど海水温が高いところであり、もともとサンゴは多様な水温に適応するものらしい。

ということは、グレートバリアリーフのサンゴ礁が危機だと言うことは嘘だということになる。

著書の主張はまともなものに思える。

記事のもとになった本を書いた学者は勤めていた大学をクビになった。
この批判が原因らしい。

「「きちんと観測をして、データを公開し、互いに批判する」という科学のあるべきプロセスが、「サンゴ礁は危機にある」という御用科学に歪められ、腐っている」

どっちが本当なのか、オーストラリア政府ははっきりしてほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
無言のオフィス
午前中に二言三言、午後に二言三言話し声が聞こえるが、その他はオフィスでは話さない。
できるだけ対面での会話はやめておこう、とみんな思っている。
一方で、オンライン会議では話している。

いくら緊急事態だからと言って、これって何かおかしいと思わないのだろうか。

ぼくらは就職相談の仕事で行っているので、予約が入った学生とオンラインで話す。
予約状況にもよるが、勤務時間の7割くらいは話している。
それが仕事だからだ。

一方で、オフィスにいる人たちは自分の仕事をしている。
今は連絡はメールがメインだから。電話などほとんど鳴らない。
だから、会話が聞こえない。

緊急事態になって、オフィスの人も減って、よりまばらになった。
リモートワークしている人もいるのだろう。
なんだか人気のないオフィスというのは、さびれた感じがしてよくない。
「ニューノーマル」らしいから、そんなことを言ってはいけないのだろう。
無駄話も禁止なのだ。

しかし、無駄話の中からいいアイデアが生まれることもあるのだ。

なんかバカバカしい。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
演歌の将来
WOWOWでブルース・スプリングスティーンの2006年のライブをやっていた。
彼はロックシンガーだと紹介される。
ぼくも、エレキギターを持っているロッカーだと思っていた。

でも、このライブを見ると、アコースティックギターを持って、バックのフィドルやバンジョーのサポートを得て歌っていてロックという感じはない。
完全にカントリー歌手という感じ。
曲もカントリーによくあるスリーコードの感じの曲が多い。

2006年というと、今から15年前だから、56歳の時のライブだ。
ニューオリンズのジャズフェスティバルの演奏。
土地柄か、ブラスのバンドも入って、スゥイングしている。
ドブロギター、ウッドベースも入っている。
バンドネオンの間奏なども入って、楽しそうなライブ。

カントリーというと、日本の演歌みたいなもので、白人のルーツみたいな音楽。
若い頃はロックをやっていても、歳を取ると回帰するのだろうか。

そういえば、アリスの堀内孝雄は完全に演歌歌手になった。
谷村新司も、フォークソングを歌っていたが、「昴」を歌ってから何となく演歌という感じだ。

演歌はなくなるとか言われているが、どうなんだろう。
ぼくらの世代は若い頃に散々聞いたので、演歌は耳に残っているが、うちの息子達はほとんど聞いていないと思う。

それでも、DNAの中に演歌的なものがあるのだろうか。
水原弘の「君こそわが命」とか藤圭子の「夢は夜ひらく」、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」など、死ぬまで忘れないだろう。

演歌の将来には興味がある。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの死亡率
厚労省のデーターで現在の累計の死亡率を見てみた。
すると、30代以下は0%。
40代0.1%、50代0.3%、60代1.4%、70代4.5%、80代以上12.3%という結果。
トータルで1.4%だ。

他の死因で亡くなってからコロナ検査をして陽性ならコロナで死んだことにしているから、その分が2割くらいあるとすると、1.4%✕0.8だから、まあ1.1%程度。
ぼくは60代だから、まあ100人に一人くらいしか死なない。
客観的に見て、これがそんなに恐ろしい病気なのだろうか。

コロナの陽性者というのは、症状がある人の濃厚接触者なども調べた上で出している数字なので、他の病気とは比べられないが、100人に一人という数字がそんなに恐いとは思えない。

こないだクリニックの待合室でモーニングショーを見たが、だいぶ数字からみる印象と違う。
もっともっと恐ろしいという感じだった。
どう考えても煽っていると思う。

イギリスでワクチン接種率が上がって、日常を取り戻すと言っているが、その100万人あたりの死者数は日本と変わらない。
ほぼ同じ状況で、えらい違いだ。
ジョンソン首相はパブでビールを飲んでいるのだ。

自殺者は増え、外食産業やホテル関係の人たちは大変だ。
本当にどうなっているんだろうと思う。

みんな冷静にデーターを見て考えているのだろうか。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:19 | comments(2) | trackbacks(0) |
シナボン2
2006年にシナボンのことを書いた。
シナボンは2000年にアメリカに行ったときに食べた。
空港の店だったか。

シナモンパイで普通サイズは直径20センチくらいある。
当然、シナモンの味がするのだが、砂糖もたくさんかけてあって、とても甘い。
日本人なら1個食べたらお腹いっぱいになるくらい。

これがメチャウマで、日本でも食べたいと思っていた。
作っているのはシアトルの会社。
日本にも店舗はあるが、今は関東のみだ。

このショップが、ついこないだまでネット通販をやっていた。
今日日経のネットニュースで知ったのだが、もう終わっていて残念だ。
なんで終わってからニュースにするかな。

何でも、今年の1月から3月で「月平均の検索ワードの伸び率が高いもの」に「シナボン」が入っているという。
女性が圧倒的に多かったらしい。
日経でも分析しているが、シナモンロール自体はいろんなところで売っているが、シナボンがほしい、というニーズがあるということだ。
これはうなずける。
シナボンは普通の健康的なシナモンロールとは違う。
圧倒的に甘くて、カロリーが高いジャンクフードなのだ。

シナボンを食べたのは43歳の時だから、まだまだ若かった。
あのジャンクな感じは忘れられない。

やっぱりクセになった人もいるのだ。
その気持はわかる。

今度東京に買いに行こう。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
b9という音
b9という音は、和音の元になっているルートの音の半音上の音。
ただし、1オクターブ離れている。

通常は7thコードの上に音を重ねていくことになるから、C7b9なら、ドがルートの音でドミソに7thであるシのフラットを乗せて、その上にレのフラットを追加することになる。
ルート音の半音上の音が和音に重ねられるというのは、何となく納得がいかない。
どう考えても不協和音になると思うのだが、これが実際に重ねてみると、何ともいえない切ない響きになる。

ピアノで鍵盤の隣の音を一緒に弾くと、和音というより雑音になると思う。
不協和音というやつだ。
経過音としてはいいけど、和音としては成り立たない。
しかし、これがオクターブ離れて弾くと、それほど不協和音に聞こえないから不思議だ。

ギターという楽器は弦が6本しかないから、一度に鳴らせる音はどう頑張っても、6つまでになる。
昔は鳴らす音は多ければ多いほどいいのだ、と思っていたが、そうでもない。
和音のそれぞれの音には価値があって、3度と7度の音は価値が高いと言われている。
3度はその和音がメジャーか、マイナーかを決める音だし、通常の7thとメジャー7thではかなり響きが違う。
つまり和音感を決める音なのだ。

だから、和音を感じるためには5度を飛ばして、3度と7度を弾くといいという。
実際、5度の音(ドミソでいうとソの音)は飛ばすことが多い。
やむを得ず飛ばす場合もあるし、積極的に飛ばす場合もある。
音の数が多いと、アンサンブルのジャマになるという場合は、3度、7度を弾くのが鉄則らしい。

それに加えるとすると、切ない響きのb9になる。
これがジャズではよく使われる音。
ポップスを聞いていても、なんかジャズっぽいなあと思う時は、このb9の音が使われてたりする。

このあたりはロックとだいぶ違う。
ロックで多用されるパワーコードは、逆にルートと5度だけの音で、メジャーかマイナーかよくわからない感じになる。

b9の音を意識して、上手に使わないといけない。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
訃報 浜裕二
ぼくにとってはチャーリー浜より、浜裕二の方が馴染みがある。
吉本新喜劇の役者だ。
18日に亡くなっていた。

もともとは二枚目の役者だった。
二枚目といっても、吉本新喜劇だが…。

なぜか大阪の吉本で、関東の言葉でも話していたのが印象的。
「あーりませんか」というギャグをよく覚えている。
あれは浜裕二の時代から言っていたはず。

吉本の役者の持ちギャグとしてはそんなに面白いものではなかったが、妙に心に残るギャグだった。
「何処へ」とか、「君たちがいてぼくがいる」というのもあった。
チャーリー浜という改名は、事務所の指示だったらしい。

改名して東京で一時は売れた。
あの標準語がちょうどよかったのかもしれない。
ちょうど吉本新喜劇をやめようかというキャンペーンの頃だったか。

そこから先は、ギャグ先行の役者になった。
もう少し芝居をしてもよかったのに、と思う。

あの眼鏡の似合う浜裕二も鬼籍に入ったのか。

知っている役者がどんどんいなくなる。
まあ、Youtubeでいつでも見られるのだが…。

冥福を祈る。

合掌。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
カラオケ
昨日書いたギターの「カラオケ」のこと。

カラオケといっても、一般的なカラオケではない。
ギターの練習用のバッキングトラックだ。
Youtube上にたくさんある。

こないだ、ブルース系のバッキングを見ていたのだが、関連動画を見ていて、いろんなジャンルがあることに気づいた。
気に入ったのは、Music Jam TracksというチャンネルのMotown Jam C Major 98bpm version Backing trackというもの。
このチャンネルはリズム&ブルース系のカラオケをいろいろ出していて、とてもいい。

このMotownのものは、いかにもデトロイトの黒人のグループがノリノリでやっているような音楽。
カラオケなので、1コーラスを繰り返す。

Fmaj7 Em7 Dm7 Cmaj7という循環。

4-3-2-1というコードの度数の繰り返しだ。
カラオケがいいと、いい演奏が出来る気がする。

他にもSoulful Jam G Major 80bpm、Soul Pop Jam C Major 74bpmなど、適当な速さの10分程度のカラオケが並んでいる。

今の若い人たちは恵まれていると思う。
こんなカラオケがいろんなキーで、いろんな速さで用意されていて、流しながら弾き放題、という環境など考えられなかった。
チャンネル登録者が2万6千人程度。
比較的新しいチャンネルだ。

ギターだけでなく、ドラムやベース、ピアノなどの練習用にマイナスワンのトラックもいろいろ出している。
うまいバッキングで練習すると、うまくなったように思えるし、10分があっという間に終わる。

若い人たちがテレビなど見ずに、Youtubeばかり見るのもわかる。
どう考えても、こっちのほうが楽しいし、役に立つ。

コロナ騒動以降、めっきり地上波を見なくなった。
いつ見ても、感染がどうのこうのという話題だ。
仕方ないから、時代劇ばかり見ていたが、やはりYoutube。

今日は就活のコンテンツも見て、役に立つものをピックアップした。

時代はYoutubeだ。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミニアンプ
最近、Youtubeでカラオケを流し、それに合わせてギターを弾くという機会が増えた。
この練習は、とても楽しい。
ただ、自分で弾けるものしか弾かないので、あまり上達はしないかもしれない。
でも、スケールを決めて弾くというやり方なので、指を鍛えるのには役に立つと思う。

いつもは、ギターの生音で弾いていた。
いろいろ再生の道具はあるのだが、面倒なのだ。
もともと、ディストーション(歪んだ音)はほとんどかけない音が好きで、レッスンの時も最初はエフェクターを使っていたが、いつの間にかアンプに直でつないで弾いている。
家でもそうしたいのだが、つなぐのが面倒なのと、音が出せないという問題もあるからだ。

大昔はヘッドフォンで弾いていた。
ミキサーでバックの音を流して、それに合わせて弾くというやり方。
当時は優先の音楽チャンネルをつないでいて、いろんな曲を次々流して弾くのは楽しかった。

いろいろと大人の事情があって、今はそういうセットが手元に置けない。
だから、勢いパソコンやタブレットなどでYoutubeのカラオケを流し、それに合わせて生のエレキギターを弾くという形式。
ずっとそれでやってきたが、やっぱりアンプを通さないと練習としては今一つ。
それでいろいろ探してみた。

練習用の小さなアンプはいろいろあるが、結局面倒くさい。
やっぱりヘッドフォンしかないのかと思っていたら、ついにいいのが見つかった。
なんと、吸盤でギターに引っ付くタイプのアンプ。
握りこぶしよりもちょっと小さく、ギターのボリュームでコントロールする。
リバーブとコーラス、クランチがついて1万円しない。
ちょっと迷ったが、買ってしまった。

これが非常に具合がいい。
リチウム電池で充電して3時間半使える。
まるでエレキギターがアコギになったような感じ。

ピックのタッチなど、あまり気にしていなかったが、やっぱりアンプをつなぐとその感じがわかる。
指で弾くニュアンスもはっきり出る。
これはいい練習になる。

出力は6Wだが、それでもボリュームを絞っているくらい。

これはいいぞ。

| | 考えたこと | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
人として…
去年のコロナ禍の最中に、ドラッグストアでアルバイトを始めた学生の話を聞いた。
当時はアルバイトがあるだけでラッキーという感じだったが、この時のドラッグストアのアルバイトはきつかったという。
なぜかというと、マスクが不足して買いに来るお客さんが無茶を言ったり、ティッシュペーパーやトイレットペーパーが足りなくなったりしたからだ。

マスクは特にひどく、買い占め対策で一人1枚とか、入荷日を教えないとか、そんなルールが決められて、それに従って対応したという。
特にひどかったのは、お年寄りのおっちゃん、おばちゃんだったという。

いつ入荷するか教えろとか、家族に頼まれてきたので2枚くれとか、さんざん毒づかれた。
真面目な学生だったので、お店の方針を伝え、それでも納得してもらえなければ店長に出てもらって対応してもらったという。

それは大変だったなあと労うと、「事情はわかるけど、本当に辛かった」らしい。
19歳の学生に「人としてどうかと思う」と言わせるくらいひどかったようだ。
それも、相手が若ければ文句を言い、店長になるとすぐに引き下がるというところが情けない。

ぼくらは、年配者は若者の見本になるべき存在だ、と教えられた。
また、仕事をやめたら、若い人たちのジャマにならないようにするものだと思う。

最近の世の中、何だかおかしいと思う。

これも自分が年をとったからか…。




| | 考えたこと | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
天才
どこの世界でも天才はいるものだ。
沖縄出身の「こーじゅん」というギタリストがいる。
この人はギターの講師をやっていて、Youtuberでもある。

とにかく、この人のギターはすごい。
どんな手、指をしてるんだろうと思う。
アコギでスラップもやるし、とにかくビートが効いている。
ピックと指を両方使う。

最初に楽器をやったのがエレキベースだったらしい。
その影響もあるのかもしれない。

高校時代にギターを始め、バンドに参加し、どんどん上手くなっていったが、人からパフォーマンスを期待されているという思いに潰されて、耳が聞こえなくなったという。
それで何年かギターを弾けず、それが吹っ切れて、今のスタイルができたらしい。
今は、他人の目など気にせず、自分がやりたいことをやっているようだ。
この人は天才の匂いがする。

6弦の威力、という動画ではギターの1弦から5弦を外して、6弦だけにして弾いているが、彼が弾くと6弦1本でもすごい迫力だ。
リズムを言葉にして伝えたり、彼の動画を見ていると、苦もなく難しいフレーズを弾くので、ついつい自分もできるような気になったりする。
とつとつと話す沖縄訛りも、人柄を表している。

ギター教室の生徒は150人もいるらしい。
上は70代もいるという。
確かに魅力があるのだ。

習っている生徒の動画もまとめて上げたりしているが、みんな思い思いの弾き方で、先生が型にはめない指導をしているのだろうと思う。
だいたい、天才は教えるのが下手なのだが、彼は違う。

彼が奏法を紹介している動画にこんなコメントがついている。

「初心者に希望を与え、経験者に絶望を与える動画」

納得!


| | 考えたこと | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
来週からオンライン
いま週に4日行っている大学が、来週からオンラインになる。
吉村知事の要請によるものだ。

文科省は対面を推奨しているのだが、蔓延防止にしたがった形。
ただし、2週間続けて、様子を見るとのこと。
ぼくの行っている部署は通常通り出勤で、来た学生には対応するという。
まあ妥当な処置だとは思う。

もうみんなわかっているのだろう。
そう簡単にコロナにはならないのだ。
特に若い人たちはそうだ。
去年の秋から対面でやっていて、ぼくが聞いたのは一人だけ。
一応ソーシャルディスタンスだの、マスクだの、消毒だのと言っているが、全く怖がっている様子はない。
秋から冬はそんな感じもあったが、もう暖かくなってからはほとんどそんな感じはない。
それも当然だ。
実際、何ともないのだから。

知り合いの60代の人は、ずっとコロナにだけはなりたくない、と言っていたが、こないだ会うと「今まで一人も回りでコロナになった人なんかおらん」と言って、もう心配するのをやめると言っていた。
そんなものだ。
日本の「感染者」と言われる人たちは、濃厚接触者を探し回って見つけているのだ。
それでも、欧米と比べたら桁違いに少ない。

大阪の感染者が多いのは、飲み屋が夜営業できないので、昼間から営業しており、そこに年寄りがたくさんいたり、カラオケで昼間から騒いだりしているから、という声もある。
まあ、そうかもしれないと思う。
東京から大阪に来た人が、大阪の盛り場が賑わっているのを見て、「大阪は楽しそうだった」というのも聞いた。
やっぱり、大阪人は見切るのが早い。

今年のGWはどうなるのだろうか。
まだ飲食店をイジメるつもりなのだろうか。

もう何を出しても効かないのではないかとも思う。

こんな事をやっていて、オリンピックもやる気なのだろうか。

何だかワケが分からなくなってきた。


| | 考えたこと | 00:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
汚染水?
ツイッターを見ていたら、共産党の衆議院出馬予定の候補(東京)が、こんな事をつぶやいていた。

「本当に恥ずかしいし、腹立たしい。周辺諸国からも怒りの声が上がっています。漁師さんだけが困るのではありません。日本をお魚が食べられない、海で遊べない国にするつもり?世界中に汚染水で迷惑かける国にするつもり?」

こんな人たちが福島の復興を遅らせ、風評被害を生み出し、みんなに迷惑をかけている。
世界中で、今回の処理水以上のトリチウムを含んだ水を原発から放出している国はたくさんある。
ぼくは、福島で地下水をタンクに貯めているのかも理解できないし、そんなことが未来永劫続けられるわけもないと思う。
この人が「汚染水」と言っているのは、すでに処理済みの水であり、海に流すことが妥当な水なのだ。

風評被害と言っているが、マスコミも含めこういう人がいるから、「福島の魚は食べられない」という風評が立つのだ。
それがどれだけ福島の人たちを傷つけ、苦しめているのか全くわかっていない。
あたかも自分が言っていることが正義であり、正しいことだというスタンスがバカだろう。

こんな人が国会議員の候補者になるとは、本当に情けない。
共産党はバカの集まりだと言われても仕方がない。
立憲民主党も似たようなものだが…。

「原子力=放射能=悪」という非科学的なステレオタイプの考えで、日本のエネルギーを将来にわたってまかなえると思っているのだろうか。

太陽光パネルで今の軽水炉の原発1基分の電力を発電しようと思ったら、山手線の中を全部パネルにしないといけない、ということだ。
再エネはクリーンだが、効率が悪すぎる。

効率が悪いから、国が補助金を出して、再エネを推奨しているのが現実。
2019年に電気代に上乗せされた国民負担は3兆1000億円ほど。
消費税が全体で28兆円くらいだから、消費税に換算すると1割程度。
つまり、今10%の消費税が11%になったのと同じことだ。

結局見えない増税となって、国民が負担していることになる。
これは何の議論もなく、影で増税されたようなものだ。
消費税を1%上げる、ということなら共産党や立憲民主党は大反対するだろう。

再生エネルギーに期待するのはいいが、こんなに効率の悪い発電を拡大していいのかと思う。
こんな風になってしまったのは、「原発は悪、再エネは善」というマスコミの誘導のせいだろう。

「再エネはクリーンだが、効率が悪く、自然に左右されるので補助的なものにしかならず、導入しても赤字になるので、国民負担をするために消費税を1%上げないといけません」ということをちゃんと国民に知らしめて、議論しないといけない。

このままなら、本当に日本は貧しくなってしまうぞ。

| | 考えたこと | 20:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
死に時
「死に時」という言葉、Webで意味を調べてみると、

「死ぬ時。死ぬべき時。死ぬのにふさわしい時機。」

と書いてあった。

それに対して、生き時という言葉はない。
調べても出てこなかった。
まあ、すでに生きているのが前提だから、「生きるべき時」というのは言葉としては成り立たない。

第二次大戦の時は、若い男性は「死に時」を考えざるを得なかった。
特攻隊など、生きて帰れない。
南方の戦線に徴兵されて、実際にジャングルに入って攻撃を受けたりすると、死が間近に迫ってくるのを感じただろう。
今でもそういう映画を見ると、胸が痛む。

ぼくは幸い戦争が終わってから7年後に生まれ、その悲惨さを知らずに生きてきた。
日本は奇跡的な復興を遂げ、80年代にジャパンアズナンバーワンと言われ、その後バブルが崩壊し、今はほぼ20年以上長期停滞が続いている。
それでも、高度成長の遺産があるから、一人当たりのGDPでは貧しくなったが、社会としてはまだまだ豊かだ。

東シナ海や南シナ海の付近がきな臭いが、それでもそう簡単には戦争にはならないだろう。
いくら中国共産党とはいえ、台湾を攻めるなどということはないと思う。

戦後、アメリカの傘の下で、日本は平和な時代を70年も過ごしてきた。
ぼくはアメリカや西欧の民主主義の掲げている理想は正しいと思う。
そう教えられてきたから、という側面もある。
そういう民主主義が、戦争のときに若者たちを「国を守る」ということで戦争に駆り立てた側面は否定しない。
でも、自由や平等(これは機会の平等で、結果の平等ではない)というものの価値は、やはり大切にすべきものだと思う。

つくづく、人類の歴史の中で、1957年に今の日本に生まれてラッキーだったと思う。
日本に生まれたおかげで、右肩上がりの経済の恩恵も受けたし、世界一にもなったし、豊かさを享受することができた。

バブルの時はしんどかったが、アメリカやヨーロッパの人たちと仕事もできたし、面白かった。
日本が比較優位を持っている、自動車産業の端くれで仕事もできた。
大学に転職して、教育業界のこともわかったし、今の大学の抱えている問題もよくわかった。
そして、それをまともにすることが難しいこともよくわかった。
そして、今は大学生の指導の仕事をしている。

これだけいい時代を生きられたのだから、いつ死んでもいいとは思う。




| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
EPO
EPOは80年代の山下達郎絡みで知った日本のシンガー。
EPO(エポ)という名前しか知らなかった。

今日偶然EPOのアルバムをYoutubeで見つけて聞いた。
一時はよく聞いた。
LPレコードも何枚か持っている。

【佐藤榮子】【EPO】とクレジットされていたが、EPOの旧姓の本名が佐藤榮子だと初めて知った。
今は宮川榮子になって、沖縄に住んでいるらしい。
山下達郎が在籍したシュガーベイブというグループの曲、ダウンタウンを歌っていた。
ちょっと流行ったはず。
俺たちひょうきん族、というテレビ番組のエンディングも彼女が歌っていた時期もあった。

何とも言えない無機質なソプラノで、あの頃の音楽によく合っていた。
コーラスもうまかった。
一時海外に住んでいたこともあったはず。
その後、ちょっと病んでいたと思う。

今は元気でいるらしく、よかったと思う。

彼女の曲で、今日思い出したのは「私について」という曲。
この曲は歌詞がとてもいい。

15の私に手紙を書いたら
幸福だったと返事が来たから
思い出の中さまよう私を
探さないわ
自分について考えはじめたら
眠れない夜がいくつも続いたの
髪を切ろうと決めた日はいつでも
火曜日の午後
私のどこが好きかと尋ねたら
君が嫌いだと感じるすべてさと
うまくかわしたあの人に許した
はじめての愛
20の私に手紙を書いたら
幸福だったと返事が来たけど
ひとりでむかえる夜が恐いと
ふるえていた

床に落とした万年筆の
音で目がさめた
カゼをひくよと上着をくれた
あなたをみつめた
未来の私に手紙を書いたら
あて名がちがうと返事が来たから
明日の風をさまよう私を
さがさないわ

何十年かぶりで彼女の歌が聞けてよかった。

| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
いなくなった新入社員
4月は新入社員のシーズンだが、出社して2時間でいなくなったという新入社員のニュースを見た。
たった2時間でいなくなるのもすごいが、その1時間後に親から辞めるという電話があったとのこと。

これはすごい。
と思ったら、コメント欄に「自分が知っているのは初日の昼休みにいなくなったやつ」とあったので、今どき初日のうちに辞めるというのは珍しくないのかもしれない。

終身雇用が崩れ、年功序列も崩れ、中途市場が立ち上がり、会社を辞めやすくなっているのは事実だが、いくらなんでも2時間は呆れる。
なんで採ったのか、と言われるレベルだろう。

親から電話がかかってきたということだから、親がとにかく何でもいいから行ってみてから決めろ、と言ったのかもしれない。
2時間で何がわかるのかと思うが…。
おそらく本人は最初から辞めるつもりで出社したのだろう。

ぼくは、就職支援の仕事をしているが、やりたい仕事を見つけるよりも、やりたくない仕事に就かないことを勧めている。
やりたい仕事など想像上の産物で、やってみないとわからないからだ。
でも、こんなことはやりたくない、と思うのはまだ想像がつく。

例えば、BtoCの新規顧客開拓の仕事などは、やりたくないだろう。
要するに、ピンポンを押したり、電話でアポを取って、顧客に商品やサービスを勧め、成約に結びつけるという仕事だ。
こういう仕事は普通の新卒にはムリだと思う。
高いインセンティブがあって、どうしてもお金が欲しい、という人でないとつとまらないだろう。
せめて、店舗で待ち受ける形式の販売を目指そう、という。

しかし、2時間でいなくなった会社は、会社側というより辞めた方に問題があったんだろう。
内定をもらえずに病む学生もいるが、内定をもらってブルーになる学生もいる。
きっと内定ブルーで家族もわかっていたのだろう。
でも、会社に行ったらひょっとしたら治るかも、と思って送り出したけど、ダメだったということかもしれない。

キャリアの仕事をしていて、就活を賛美し、仕事をすることは素晴らしいなどという人もいるが、ぼくはそうは思わない。
学生の方が良かったし、仕事をするのは嫌だった。
実際に仕事をしてみて、後悔もあるが、良かったとも思える。
でも、やっぱり学生のうちから仕事はいいことなどと言われてもなあ、と思う。
就活は必要悪なのだろう。

結局仕事はやってみないとわからないのだ。

それでも、2時間でいなくなるとは…。

| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
みずほ銀行
みずほ銀行のシステムトラブルはなかなか終わらない。
2月28日に全国のATMの8割が止まり、キャッシュカードなどが出てこなかった。
3月3日には一部のATMでトラブルがあり、今日また海外送金が送れるというトラブルが発生だ。

みずほ銀行というと、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が合併した、メガバンクの一つ。
金融業界でも優秀な人材が集まっているはず。
そういう銀行が、以前のトラブルに続いてまたトラブル。
さらに、それが1回では収まらず、何日も続いているという異常事態。

普通なら、そんな銀行信用できない、とみんなが預金をおろしに行ってもいいレベルだろう。
それが起こらないということは、日本人はよほどお人好しということだ。
大きいから、大丈夫などと思っている。

このへんが、この国のITリテラシーが低いということを表している。
銀行のコンピューターシステムというのは、業務の根幹であり、それが信用おけないという事態は本当にゆゆしい状況だ。
それをマスコミが言わないのは、言えば本当にそうなるから、防いでいるのかもしれない。
銀行の信用創造はの機能は、文字通り「信用」があってこそ、成り立つのだ。

ITリテラシーがある、ということは会社で出世することと関係がない、というのが悲しいかなこの国の大企業の状況だ。
社内政治に長け、財務省とのパイプも持ち、誰がどの年次でいつ頃誰を変えるか…、のようなことが大事なのだろう。
それがみずほ銀行がトラブルを続けている根本原因だと思う。

コンピューターの基礎知識や、何ができて何ができないかを知っていることは経営者の必須条件だと思う。

もう20年ほど前になるが、図面のシステムをやる時に、京都の会社がすでにそのシステムを入れていたので、見学に行った。
その時に、見学の対応をしてくれた人に記憶容量の事を聞いた。
そしたら、「記憶装置は数年でどんどん安くなって、大きいのができるので、今は当座の分だけ持っておいたらいいだろう、と役員が言ったので、そうしました」という返事。

正直、びっくりした。
役員レベルで、そういうことが言える人がいるのは、大したものだ。
その会社は日本電産だったと思う。

やっぱりITリテラシーがある役員がいる会社は、すごい会社なのだ。

残念ながら、みずほ銀行はダメ銀行だろう。


| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
「専門家」は不要
コロナから以降、テレビにやたら「専門家」と紹介される人が増えたように思う。
肩書を見ていると、偏差値があまり高くない大学の教授や、下手をすると准教授以下の場合もある。
専門家、というからにはテレビ局で国立情報学研究所の論文データーベースで、その人がどんな論文をどこに出しているか、確認するのがスジだ。
そんなことをせず、肩書だけで信用しているのではないか。

というか、テレビ局の言いたいことを言ってくれる人、という選び方をしているのではないか。
以前、どこかの教授がそういうインタビューはお断りと言っていて、「彼らは都合のいいところだけ切り取って使う」ということだった。
本当にそういうことをしているのなら、それはテレビ局による情報操作だ。

ぼくは文系の私立大で仕事をしていたが、まともに教授と呼べる人は少なかった。
以前大学教授の資格教員審査という記事も書いたが、学校教育法によると、大学教授はこのように定義されている。

教授の資格
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。

一 博士の学位を有し、研究上の業績を有する者
二 研究上の業績が前号の者に準ずると認められる者
三 大学において教授、助教授又は専任の講師の経歴のある者
四 芸術、体育等については、特殊な技能に秀でていると認められる者
五 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者

上記の定義でいくと、三はすでに大学教授の経歴を持つということで定義外、四と五はその分野で誰もが認める能力のある人ということだから、当然として、問題は一と二になる。

博士の学位を持つのは今はほぼ当然、なおかつ「研究上の業績」というのは学会誌などへの掲載で、もちろん査読付きのものが対象になる。
もちろん著書も入るが、これは要注意。
編著とか、一般的な著書ではなく何人か集まって書いているものだったりする。
一度業績を見た時に、すごい著書の量やなあと思ったら、その中の3ページだけだったりするのだ。
こんなの業績に入れていいのかと思うが、これが慣例らしい(文系単科の私学だが)。

論文のなかに「紀要」というのもある。
これは各大学が出している論文集。
歴史ある大学の紀要はまともだったりするが、紀要というのは大学院生が練習のために書く媒体というのがまともな先生の言葉。
したがって、一応査読はあるが、身内の査読でいい加減なものだったり、そもそも論文が集まらず出せなかったりする。
こういうのは紙にして発行するだけ無駄だと思う。
結局大半の紀要は業績づくりのための隠れ蓑になっている。

まともな先生は査読付きの学会誌に論文を出すのだ。
だから、私立文系の大学で、聞いたことがないような大学の教授という肩書だけでは質は全く担保されない。
今の「専門家」というのは、テレビ局の御用学者であって、本当の専門家ではない。

まあ、使うマスコミが悪いのだが…。




| | 考えたこと | 18:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリティカルシンキング
デーヴィッド・アトキンソン氏が、クリティカルシンキングをもっと大学で教えるべきだ、と言っている。
今や首相のブレーンになったアナリスト。
ぼくもアトキンソン氏の本は読んだが、数字でものを考える理詰めの人だ。

しかし、彼はきっと日本の義務教育の惨状を知らないのではないか。
こないだ書いたが、不登校の原因を当事者に聞いたら、ほとんどが先生が原因、という。
東須磨小学校の教員同士のイジメの問題や、大津などの教育委員会のイジメ隠しの問題など、問題は山積みだ。
昔は予備校や塾は学校の影に隠れた黒子で、あまり表には出なかったが、今は逆に生徒の成績を知ろうと思うと塾や予備校に行くことが多い。
中学校で職員室に勇気を出して聞きに行ったら、そんな難しいことは塾で聞け、と言われる始末。
いったい、どうなっているのかと思う。
それらに無関心な市民も問題だが…。

彼は小中高よりも大学の方が優先順位が高いという。
イギリスと比較して、日本の大学ではクリティカルに物事を見る目が備わっていないという。
それは事実だと思う。
全入時代になって、入試が機能している大学は半分もない。
入試が機能している、というのはその学校に入るに値する学力を持っているかどうか、という選別ができていないということだ。

だからこそ、入った学生に初年次の訓練をする。
図書館の使い方、レポートの書き方、授業の取り方など、きっとアトキンソン氏が見たら驚くだろう。
学校によっては、アルファベットの書き方やBe動詞の使い方、分数、小数、割合などもやるところもある。

ぼくは割合というのは小学校で初めて出てくる「抽象的」なものだと思っている。
それがわからない、ということは形而上のものはわからない、ということだ。
形があって、触れるものはわかるが「割合」という目に見えない、形のないものはわからない。
抽象的なものがわからない人には、クリティカルシンキングなど難しい。

今回のコロナ騒動だって、欧米と比較したり、インフルエンザと比較して考えれば、日本ではそんなに大きな問題ではないくらい、すぐにわかるはず。
医者もマスコミもそういう考えが全く身についていないのだと思う。

彼は、「日本の小中高では詰め込み教育がよく批判されますが、クリティカルシンキングを教えるという意味では、小中高までは基本的に詰め込み教育をする場で、大学はクリティカルシンキングを訓練する場所だと考えています」という。

今の日本の小中学校では詰め込みなどやっていない。
やたら増えた科目と教員の教えられる科目のアンバランスがひどく、小学校で詰め込むべき算数のドリルや漢字のドリルなど足りない。
だから、大学に入って割合がわからない学生が続出するのだ。
アトキンソン氏の言うように、小学校では総合的な学習などやめて、読み書きそろばんをもっとやるべきなのだ。
それを詰め込んでこそ、義務教育だと思う。




| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギターの奏法
ギターの奏法にもはやりすたりがある。
ぼくがギターを始めた70年代は、フィンガーピッキングが多かった。
スリーフィンガーで弾くのが主流。
親指、人差し指、薬指だ。
小指をピックガードにつけて、3本指で弾く。

有名なのはPPMのパフ。
ポール・サイモンもフィンガーピッカーだった。
日本では、あの素晴しい愛をもう一度や神田川が有名だった。
よく練習したものだ。

しかし、アコギの奏法も増えた。
今の若い人たちは本当にすごい。
驚くような奏法を開発している。
フィンガーピッキングはどちらかと言うと下火だ。
ほとんど聞かない。

新しい奏法はアタックミュート、スラップ、スラミングとかいろいろある。
アタックミュートはYoutubeのギター講師はみんな使っている。
エレキギターでも同じこと。
指で弦を弾く時の要領で、弦の上に指を乗せて、音を止める。
止めた時に、ジャッというミュート音が出る。これがアクセントになるのだ。
去年流行った「香水」という曲に出てくる弾き方だ。

スラップは元はベースの弾き方。
低音弦を親指で弾き、主に人差し指で高音弦を引っ掛けてパーカッシブに音を出す。
これはそんなに使われてはいないが、ソロで使う人はいるようだ。

スラミングというのはギターのボディを右手の手のひらで叩いたり、弦の上を手のひらで押さえたりして、バスドラ、スネアのような音を出し、その合間に右手の爪や指の先でコードの音を出す。
これもソロで演る人が多い。
こちらはエレキギターではほとんど叩いても音が出ないので、アコギの独壇場。

いろんなパーカッシブな弾き方が増えた。
スラミングはドラムとギターを一緒に弾いている感じだ。

いずれも、リズムギターとしての弾き方。

ちょっと頑張ってみようと思う。





| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
二人のIくん
ぼくの高校以前の友だちにI君は2人いた。
一人は15年ほど前に亡くなったI君
小学校から高校まで一緒だった。

もう一人のI君とは中学、高校で一緒だった。
そのI君も亡くなった。
以前、「ボランティアについて」という記事を書いたことがあるが、その記事に出てくるJRCというクラブで、両方のI君と一緒だった。

高校を卒業して、実際にあった回数はしれている。
社会人になってからは、もう一人のI君の葬式のときに会ったくらいだったと思う。
それでも、毎年年賀状のやり取りはしていた。

静岡の会社に入って、ずっと勤めていた。
聞くと、3月末で退社して、数日後脳卒中で倒れてそのままだったらしい。
何となく彼に似つかわしくない最期だと思った。

毎年夫婦で行った旅行先の写真を入れた年賀状だった。
彼は大学でもボランティアの活動をしていた。
人形劇を子供に見せるというような活動だったと思う。
たしか、そこで知り合って結婚したと聞いた覚えがある。
調べてみると、暮れに喪中欠礼の連絡があった。

いつもニコニコして、気のいい、頭のいいやつだった。
若い時の姿しかインプットされていないから、それしか浮かばない。
怒った顔は見たことがない。

結局、彼の社会人としての生活は全く知らない。
同じ中学、高校にいて、6年間の時間をちょっとだけ一緒に過ごした。

こんな風にして、友人が鬼籍に入っていく。
いずれはぼくもそうなるのだ。

早く向こうに逝く人、遅れて逝く人、時間に差はあれど、大して変わらない。
もともと、人生の「ついで」の時間なのだから。

合掌。

| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
新規感染者数の欧米比較
コロナの新規感染者数の海外比較のデーターを見た。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツと日本の比較だ。
Y軸は人口100万人あたりの過去7日間の新規感染者数。

これを見ると、一目瞭然だが、日本は下の方にはりついている。

まん延防止だなんだと騒いでいる人たちは、いったい何を見て言っているのだろう。
マスコミが好きな欧米の国々と比較して、日本は全く少ないのだ。
欧米なら、諸手を挙げて快哉を叫んでいるレベル。

日本でなぜワクチンが必要で、なぜまん延防止をしないといけないのか、わからない。

めったに画像は載せないのだが、今日はこれを見て考えてほしいと思って載せる。

「専門家」って何なんだろうか…。


| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
水素のエネルギー収支
水素社会を作るというのは、難しい。
いったんできた水素を使うのは、たしかにCO2を出さないから、クリーンだが…。

今の時点なら、エネルギー収支が大幅なマイナスだったり、水素を作るために化石燃料を使うのなら、火力発電と変わらない仕組みだからだ。

水素を作る方法として、簡単な方法は水を電気分解して作るという方法。
水を電気分解する時の転換効率というものは、100の電気を使って水素を作って、それを燃料電池にして使うとすると、約30になってしまって、作るために使った電気の7割が無駄になる。
これはクリーンかもしれないが、エネルギーの無駄遣いでもある。
再生可能エネルギーを使って、電気分解しようとすると、ほしい電力の3倍の発電が必要となり、現実的ではないだろう。

石油などから水素を作る方法も検討されており、これは転換効率は高いものの、製造段階でCO2が出る。
そのCO2は地中に埋める。
この地中に埋める技術は開発途上であり、今の所はコストも膨大だろう。

最終的なエネルギー形態は電気エネルギーになるのはほぼ確定だろう。
となると、結局電気をためておく電池の進歩がなければ、今の発電の形態を続けるしかない。

これだけSDGsとかESG投資というのなら、原子力を使うしかないのだ。

なぜ原子力発電に前向きに取り組まないのだろうか。
福島の事故を反省して、そうならないために取り組まないといけないのに、10年間ほったらかしだ。

まだ原子力発電の技術が残っている間に、やるべきだと思う。
それと並行して再エネをやればいいのだ。

現実的な解は、原子力でできた電気を使うこと。
これがまずやるべきことだと思う。



| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
新型レボーグ
こないだ最新型のレボーグに乗せてもらった。
アイサイトの最新版で、ステレオカメラだけでなくレーダーもついている。
車のセンシングもここまで来たか、という感じ。

渋滞の追尾モードもついていて、渋滞になったらハンドルから手を離してもOKだ。
運転者の顔をモニターしていて、居眠りやよそ見は注意される。
速度が高い時は、クルーズをオンにすると自動で追尾し、自動で速度維持のための車線変更もできる。
ミラーの内側のオレンジのランプが点灯すると、後方に車がいて、車線変更は危険ということを知らせる。
後方レーダーで死角もモニターしているらしい。
緊急時には、勝手に左に寄せてハザードを出して駐車するところまでやるらしい。

ダッシュボードの中央に13インチほどのモニターが付いていて、今の車は半導体がなければ作れない、ということがよくわかる。
ナビ兼その他の操作を確認するためのモニターになる。

これが370万円程度で買えるらしい。
夢のような車だと思った。

一番初めに乗った車、N360の事を思うと、本当に隔世の感がある。
あの頃の車には動くために必要な電子部品はなかったと思う。
空気を吸い込んでキャブレターで燃料と混合し、燃焼室で爆発させてピストンを動かし、その上下運動を回転運動に変えて、ドライブシャフトを回し、トランスミッションを介して、デファレンシャルギアからタイヤを回す。
それらを全部機械的にやっていたと思う。

乗せてもらったレボーグはガソリンエンジンだったから、モータの制御等は関係ないが、今の車は電子制御が多く、走るコンピューターのようになっている。
混合気のコントロールは早くから電子制御化された。
EFIという仕組みで、ここについているCPUのパラメーターをいじれば、簡単に馬力を上げることができた。

自動運転になっていくと、カメラやレーダーの情報でアクセル開度、ブレーキ、ステアリングまで制御しないといけない。
モーターが100個入っている、というのもあながち嘘ではない。
それだけ、産業が集積していないと、車が作れないのだ。
自動車産業の裾野は本当に広がっている。

日本の強みである、数万点以上の部品を組み上げ、信頼性の高い製品を作る、ということができている。
新型レボーグを見て、本当にそう思った。

この日本の強みが、いつまで続くのか。
エンジンがいつまで使われるのだろうか。

この10年ほどが勝負かもしれないなあ。


| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
80年代のシティポップ
日本の80年代のシティポップが海外で人気があるらしい。
といっても、ごくごく一部の日本ファンなんだろうけど。
Youtubeで外国人のチャンネルで、日本の都市ポップなどという紹介もされたりしている。

どんな曲かというと、山下達郎、竹内まりや、角松敏生、松原みき、杏里などが目につく。
珍しいところでは、山県すみ子や菊池桃子なんかが入っていたりする。
このへんは、フォークや歌謡曲といった感じだが、外国人の耳には心地よく聞こえるのかもしれない。
ぼくはJimmy Koprotoという人のプレイリストをよく聞く。

なんで今頃80年代の日本のポップスが…、と思うがこの頃から英語のコーラスを入れたり、歌詞の一部が英語だったりしはじめているのも影響があるのかもしれない。
まあ、ビートが聞いた曲が多いし、ベースを持ち上げてミックスしているのかもしれない。
ブラスが入っていて、当時はやったディスコでかかるような曲だ。

この頃のアーティストはうまかったと思う。
今が下手というわけではないが、70年代後半から本格的に洋楽を取り入れた日本のポップスが出てきて、それが従来の音楽から「ニューミュージック」という言い方で独立したジャンルみたいになった。
そして、80年代にアメリカの音楽を自ら消化した人たちが出てきた。

それが初期の山下達郎。
どちらかというと、リズム&ブルース系だと思うが、ソロのデビューアルバムは片面が西海岸、片面が東海岸で録音という快挙だった。
あのアルバムが達郎のベストかもしれない。

そういう音楽は今やアメリカではあまり聞けないのかもしれない。

ラップが流行りだして以降、黒人の音楽と白人の音楽が別になったように思う。
それまでは、ポップスという括りで一緒になっていたように思うが、ラップは黒人のもの、という感じ。

80年代はちょうど、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、アメリカが調子悪かった頃だ。
そういう時代の雰囲気もあるかもしれない。
日本がイケイケだった頃。

今となっては、あの頃が懐かしい。



| | 考えたこと | 18:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
データー野球
アメリカの野球はデーター野球になった。
だいぶ前に、マネーボールという小説があったが、その当時から選手の成績データーを利用して、それまでの勘と経験に頼るやり方を変えてスカウティングする、という手法が一般的になったのだろうと思う。
要は、従来の常識を覆し、打たなくても、アウトにならなければいい、ということで一発屋よりも選球眼のいい選手が重視されたりしたのだ。

今やメジャーリーグにはほとんど野球の経験がないコーチがいるらしい。
レイズの監督が、試合中もデータ分析をやってほしいということで、プロセス&アナリティクスというコーチ職が新設されたという。

さらに、各種の測定器ができて、投げたボールの縦横の変化量や回転効率などが測れるようになると、そのデーターを利用する方法が考案されるようになった。
2年前にはそのスペシャリストがフルタイムの打撃コーチとしてヤンキースに採用されている。

確実に、メジャーリーグは変わっているのだ。
野球に科学の視点が入るようになった。
それによって、データーがわからない名選手はテレビなどで解説はできるが、コーチや監督にはなかなかなれなくなったという。

なるほどなあ、と思う。

ぼくの知っているアメリカの人たちは、とにかくデーターを入れるのが好きだった。
それがまだ何の役に立つのか、わかっていなくても、貯めていた。
こういう気質が、いざ何かしようとするときに、役に立ったりする。

日本の現場では、まずどういう役に立つのかという説明をしないと、データーを貯めないという姿勢。
この差は大きい。
デジタル機器が発達し、データーを貯めるのが容易になっても、データーを貯めない。

マネーボールに出てくるアスレチックスのデーター解析係は、大学のリーグ戦のデーターでスカウトの判断を下していた。
これも、そういうデーターが残っているからこそできた。
西洋人の気質なのだろうか。

何の役に立つのかわからないデーターを貯めておくからこそ、それが役に立つかどうかが検証できる。
統計データーはたくさん集めてなんぼの世界だ。
その労を惜しむのがぼくの知っている日本の現場だった。

スポーツファンには失礼だが、野球なら別にデーターを貯めなくてもいい。
所詮、楽しみのためのものだ。

でも、モノづくりの世界などでは、その差は大きい。
日本がデジタル化の時代に遅れてしまった一因はそういう気質にもあるかもしれない。

メジャーと日本のプロ野球を見ていて、そう思う。




| | 考えたこと | 01:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事と成長
2017年に就職筆記試験の指導という仕事についた。
当初はいろいろと学生に迷惑をかけたと思う。

筆記試験といっても範囲が広い。
パソコンでやるSPIや玉手箱、ペーパーでやる一般常識や時事、それに性格テストまである。
さらに公務員試験もあり、守備範囲は広い。

最初のうちはこちらも覚えるのに必死だ。
最もメジャーなSPIの非言語はどんなものがあるか。
学生が持ってきた問題なら一緒に考えて解けるのだが、どんなのが出ますか?というような質問にも対応しないといけない。
そういう時、聞きに来てくれる学生から教わることになる。

SPIというものについては、結構研究した。
リクルートがうまく作ったものだと思う。
要は学校でどれだけ勉強して、それが定着しているかということだ。

英語はTOEICなどの公的試験があって、テストせずとも実力はわかる。
どれだけ学生時代に頑張ってきたかを測る指標としては、残る国語と算数、数学になる。
この2教科は積み上げだからだ。

国語は語彙や漢字の量と文章読解、算数は小学校4年くらいからの割合から、損益算、濃度、集合、順列組合わせ、確率など。
それと情報をまとめる力と論理性を測る推論というもの。
これはパズルみたいなものだが、たしかに頭の良さを調べるのにはいいと思う。

これがリクルートのオリジナル。
他のWebテストではないものだ。
性格テストもよくできている。
リクルートという会社はすごい会社だと思った。

そういうことを理解して、実際に筆記試験を受けた学生たちの経験談も聞き、公務員試験のことも勉強して、ようやく格好がついたのが3年目くらい。
申し訳なかったが、仕事をやり始めたときと、今とではだいぶ違う。
スキルを身につけたということだ。

結局、仕事を通して勉強し、プロになるということだ。
そういう意味では、仕事は誰かのためにするものだが、それを通して自分の為にもなる、ということだろう。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミュージシャンの定年
こないだギターの先生に「ミュージシャンの定年ってどれくらいなんですか?」と聞いたら、そんなことは考えたことがないとのこと。
いつまでできるだろう、と考えたことはあるが、まあ、オファーが来る限りはやるという。

実際、80歳を超えてもやっている人はいるし、そこには体力の問題もある。
先生でも、1時間立ちっぱなしのステージをすると、膝から下がパンパンで、痛くなるという。
それでも、仕事はこなしていかないと、次がなくなる。

クラシックの楽団からオファーが来ることもあるらしい。
ほんの一部分のために、依頼されることもある。
そういう時に大変なのは休符を読むことだと言っていた。
もともとなじみのない曲で、長い曲の場合は、演奏するところが1か所だけだと今やっているところを見るのが大変だ。
つまりほとんど休みで、数小節だけ弾くというのが一番難しいのだ。

リハーサルで気を付けていても、自分が演奏するところを忘れてしまったりする。
1曲通して、弾くところがなかった、という状態。
そういうときはつらい、と言っていた。
それでも、時間は拘束しているから、ギャラは出る。
これは受け取りにくいというが、その通りだと思う。
本番では細心の注意で演奏する。

でも、結局そういうのが続くと、もうオファーが来ない。
そうやって、だんだんと仕事がなくなるらしい。
これはつらい。
定年がないということは、実力勝負であって、若くてもオファーが来ないともうプロではないということだ。
実際、コロナの自粛の時には弁当を詰めていたとのこと。
あれだけギターが思うように弾けるのに、もったいないと思う。

先生も、Youtubeで演奏の動画をあげたりしているが、やっぱりそんなに儲からない。
Youtubeはほとんどの人にとっては、身内の世界のツールだ。
サロンを作って、会費でも取れば食っていいけるかもしれないが、不特定多数に見てもらってお金を儲けるのは難しい。
1万回見てもらって、100円の世界だからなあ。

まあ、今はコロナが早く普通の風邪になって、従来通りライブができるようになることを祈るのみだ。


| | 考えたこと | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |