考えたこと2

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年収3000万の仕事
ニューヨークでは、求人情報で給与開示を雇用主に義務付けたとのこと。
これによって、年収20万ドル(3千万円近い)収入の仕事はどんなのか?ということがわかるようになったらしい。
年収20万ドル超になる職種のリストは想像以上に多いという。

法律名は「給与透明化法」。
11月1日に、ニューヨーク市のほぼ全ての雇用主に対して、給与を開示することを義務付けている。
ニューヨーク市内で働く可能性があるリモート職も開示に含まれる。
この法律で求人する職種の、最低賃金と最高賃金を記載しないといけない。

アマゾン・ドット・コムのアマゾン・ミュージック部門が求人している、主任プロダクトマネージャーの基本給は年額19万7900〜26万7800ドルらしい。
日本円で約3000万円。
年俸3000万の仕事がオープンで求人されることは、日本ではなさそうだ。

今までも勤務地やスキルなどの要因で、給与は一律ではないということは書いてあったらしい。
日本でも新卒や中途の求人には書いてある。
もちろん、中途の求人は経験や年齢、スキルで変わる。

他人の給料は気になるもの。
自分が納得できる額の給料をもらっているとしても、どこそこの誰それはいくらもらっているらしい、というようなことを聞くと、ついつい考えてしまう。
もちろん、相手の方が多い時だ。

ぶっちゃけて言えば、給料というものはいい加減なものだ。
一般的な仕事の価値の対価ではない。
世の中の必要度合いで決まっているわけではないということだ。

エッセンシャルワーカーが必ずしも高い給料をもらっていないのは、一部を除いて明らかだろう。
その仕事をやれる人が多ければ、供給が勝るので価格は下がる。
単純な需要と供給の法則。

ITの技術者が足りないというのは事実。
供給が全く追いついていない。
だから、アメリカでは価値が上がっている。

でも、日本では新卒一律採用で、年功序列の給与体系だから、ITの技術があっても上がらないケースが多い。
ジョブ型の雇用が増えてくると、そういう事ができる人は給料が増える。
一部の会社でAIの技術を持っている人は、今までの給与体系を外して、高い給料をもらっている。
そうしないと、よそに取られるからだ。

今の日本の一番大きな問題は、仕事と給料がつながっていないということだと思う。
高度成長が終わり、低成長の時代に入って、制度疲労を起こしている。

ツイッターの大量解雇の話題が出ているが、彼らは月収250万円。
つまり年収3000万円クラス。
どんな仕事をしていたのか知らないが、解雇されてぼくのタイムラインはスッキリした。
新社長のマスク氏は、もっと働け、と言ったという。
ある意味、これだけ高給取りなのだから当然とは思う。

まあ、世の中には高給かつ無駄?な仕事もあるのかと思った次第。

給料は難しい。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
コンビニロボット
8月下旬から、AIロボットがファミリーマートの主要都市内300店舗に配備されたとのこと。
TX SCARAという名前。

といっても、店内には出てこない。
だいたい、飲料の売り場は冷蔵庫になっていて、店の裏とつながっている。
その店の裏側で、飲料を補充するロボットだ。

人間型ではなく、機械の形。
人の代わりに冷蔵庫の中の飲料補充業務をする。
狙いは人件費削減とそれによる採算向上だ。

飲料のボトルはけっこうバラついている。
真ん中がへこんだものや、四角形のもの、500ccだけではなく、最近は600ccもある。
AIで形にあったつかみ方をするのだろう。
ボトルの形状まで気を使うことはない。
また、在庫管理も24時間態勢でできる。

遠隔操作する様子の写真を見たが、VRのヘッドセットみたいなものをつけて、人間が遠く離れたところでの操作もできる。
これは主に、陳列作業で失敗したときのためのもの。

主要都市店舗300店だから、まだまだ少数。
それでも、人手不足の小売業はこんなロボットを使って、なんとか値上げを最小限にしたいと思っているのだろう。
導入にいくらくらいかかるのかは書いていなかった。

これから日本もインフレで、賃金は上がるだろう。
もちろん、物価が上がるのが先。

そうなった時のためもあるのかもしれない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国とベトナム
中国とベトナムは仲が悪い。
ベトナム戦争で、社会主義政権の北ベトナムが勝って、中国とは仲がいいと思っていたら、そうでもない。
ずっと国境あたりでもめているらしいし、中国もベトナムを御しにくい国と思っている。

ネットのニュースは。いろんなことが書いてあるから興味深い。
いろんなチャイナウォッチャーの人たちがいるんだろう。
その中のひとりがJBpressというところに記事を書いている。

そのベトナムの書記長が、習近平の3期目の主席選出の祝辞をわざわざ言いに行った。
健康上の不安があるにも関わらず、祝辞を言いに行ったというには、深い意味があるのだろう。
ベトナム・ビングループ主席経済顧問である、川島博之という人が書いている。

彼によると、台湾への侵攻が近いからだろうということだ。

「書記長が共産党大会直後に訪中して習近平独裁に賛同するような態度を表明するとともに、台湾有事の際にいち早く中国支持を表明する。ベトナムがそんな密約を交わしてくれれば、中国は南シナ海と北部国境でベトナムの安全保障を脅かすような行為はしない──。中国からそんなことを言われたのではないか? 水面下でそんなことが囁かれている。
 だが、そう言われたからと言って、そこまで習近平に擦り寄る必要があったのか。ベトナムの識者は戸惑いを隠せない。
 その戸惑いに対する答えは、「習近平は本気で台湾に対する武力侵攻を考えている」というものだった。中国の本気度がベトナムを動かした。」かららしい。

こんな記事が出るということは、ベトナムではそう思っている人が多いのかもしれない。
そう思って、退社後ベトナムで働いている後輩にLINEで聞いてみた。

彼の感触では、そんなことまではベトナム人は思っていないのではないか、ということだった。
とにかく、ベトナム人は中国人が嫌い、というのは事実だそうだ。
どんな密約が交わされたかはわからないが…。

台湾有事は起こってほしくないが、いざ起こった時にどうする、というシミュレーションはできているのだろうか。

閣僚がころころ更迭される今の政権に、そんなことができそうに思えないが…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ランズエンド撤退
ランズエンドというアメリカのアパレルが日本から去る。
28年前に日本法人を作ったらしい。
カタログ通販専門の会社だった。

ちょうどランズエンドができた頃から、ぼくは時々買っていた。
今あるワイシャツはほとんどランズエンドで買ったもの。
しっかりしていて、いいものだった。

アメリカサイズと日本サイズが物によって違い、ちょっとややこしかったが、大きめの服がほしい時はよかった。
帽子、カバン、ネクタイなどから、下着以外のアパレルはなんでもあった。

でも、だんだん買わなくなったのも事実。
ここ数年では、ワイシャツ何枚か買っただけだ。
それでも、結構な頻度でカタログは送ってきていた。

これだけ気前よくカタログを送って、ペイするのかと思っていたら、撤退するということだった。
最後に全品80%OFFという分厚いカタログを送ってきたが、ネットでアクセスするとみんな売り切れだった。
一応、注文は12月22日までとは書いてあったのだが。

わりと信頼のできるブランドだった。

日本は少子高齢化でどんどん市場は縮小している。
これからは人口も減少していくから、市場としての魅力はなくなる。

シティバンクも撤退したし、ランズエンドも撤退するのか。

1994年に日本進出し、2022年に撤退。

Many thanks to our friends in Japan.という挨拶だった。

こういうのが増えていくんだろうなあ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
AIロボット
通販が増えているが、倉庫のピッキング業務(送る品物を倉庫から取ってくる)の合理化のビデオを見た。
ロボットが自動で取ってくるというものではなく、取るところは人がやって、ロボットは常に入ってくるオーダーをクラウド経由で取って、最も人間の歩数が少なくなるように指示して、取った荷物を持ち歩く、という仕組み。
品物を取るところは人がやり、どこにあるか、どれを取るかはロボットが指示する。

人間だけでやると、取ってくる間にはどれを取るかがわからないが、ロボットは通信できるので移動中でもピッキングすべき品物がわかるから、作業効率を上げられるという形。
ビデオで見た事例は、品物が比較的小さく、ロボットが識別して取る仕組みまでやるとしんどい、という感じだった。
人も楽になるし、仕事の効率も上がる。
こういう使い方が合理的なのだろう。
ロボットも品物を取るという仕組みが要らないので、安く作れる。

狭い倉庫の通路でもロボットは障害物を避けて動くし、人が来ると道を譲ったりする。
たしかに、効率が上がると思う。

事例では業務開始時にロボットが棚を見て回り、スキャンしてどこに何があるかをチェックする。
だから、毎日量が変わって位置が変わるようなものでもOKだ。

経済的に考えても、これはいい線をいくような気がする。
車の自動運転などのセンサーが発達して、こういうところでもその技術が使えるから、ちゃんと通路を認識して動ける。
だから、床に色付けした線など描いていない。
協働型のロボットだ。

でも、それによって人件費はどうなるのだろうか。
人のすることはAIロボットの指示通りに動き、品物を取ってロボットに指示通りに渡すだけ。
特に必要な知識も要らない。
体は楽だろうが…。

効率が上がり、作業をする人たちが談笑する時間も増えるかもしれない。

よくできていると思ったのは、ディスプレイにちゃんとスマイルマークみたいな顔が出ていること。
状態によって変わるのかもしれない。
充電が切れそうなら、しんどい顔になったりするのだろう。
ロボットに話させることも簡単だ。

EC(Electric Commerce)が増えたから、こういうロボットも開発される。
開発は海外だが、日本はまだ国内で委託生産できる。
ものづくりの伝統が生きている。

せめて、ソフトでは負けてもハードは生き残ってほしいものだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
ぼくの高校
以前、高校在学中の落語研究会のことを書いた。
落研を作ろう」という記事。

その後日談。
ぼくは学校を休んだ時に同窓会の委員を選ぶ会があって、欠席していたから委員になった。
みんななりたくなかったのだろう。
そんな関係で、卒業して10数年たって、神戸新聞から取材の電話がかかってきた。
たしか土曜日の昼過ぎだったか。

それによると、神戸新聞社で高校の特集をやっていて、回生ごとに電話で取材を依頼しているとのこと。
ぼくは、欠席していた経緯で同窓会の委員になっていたので、電話がかかったきた。
そこで、記者が電話で先生の名前を出して、みなさん取材に応じてくれています、という。
たしか、載せてやるから寄付?を出せ、というような話だったと思う。

腹がたったので、この学校は在校生のことを全く大事に思っていない学校だ、という話をした。
有名無実の部室がいくつかあるのに、新しい部を作ってくれと言っている生徒の言うことは聴かない、という話をして、記者の方ならおかしいと思うでしょう、と言った。
それは、ひどいですね、と言って取材の電話は切れたが、あの時は思い出してまた腹が立った。

その後、同窓会館の建て替えか何かで寄付を募るという話があった。
その時はさすがに委員として出席したが、そのときも一口1万円という額があまりにも高すぎたので、お年寄りの方々は余裕があるから出せるかもしれないが、ぼくらの年代では1万円なら出さない、と意見を言って、年代で1口の額を分ける等の案を出した。
その時は、それで終わった。

2回ほどクソ忙しいのに会議に出たが、結局近くの同じ県立高校が1口1万円でいくら集めた、等の話があって、結局1口1万円で寄付ということになった。
結局、在校生のことを考えないのと同じように、働き盛りの卒業生のことも考えない、ということがわかった。

もうバカバカしくなって、その後は全て高校から来る書類は即座に破り捨てることにした。

それがぼくの在籍した高校の話。オソマツ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
人は家畜になっても生きる道を選ぶのか? 
人は家畜になっても生きる道を選ぶのか? 森田洋之著 南日本ヘルスリサーチラボ

医師であり、医療ジャーナリストである森田洋之氏が著者。
どの出版社からも出版を断られ、クラウドファンディングで一夜にして目標を達成し、本になった。

一日で読んでしまった。
帯にこう書いてある。

「医療法第1条には、「医師は(中略)国民の健康な生活を確保するものとする。」と書いてある。この2年間のコロナ対策で、経済は落ち込み、学校は休校・リモートになり、高齢者は施設に閉じ込められた。その結果、2020年の自殺者は激増し、子供の自殺は過去最高となった。果たして我々医療従事者は本当に「国民の健康な生活」を確保できたのだろうか?」

この本はいい本だ。

経済学部を出て医学部に行ったという経歴の持ち主だけあって、広い目でコロナ禍を見ている。
ぼくもずっと海外比較で日本は被害が2桁少なく、欧米の真似をしなくてもいいと思っていた。
彼も、同じ意見だった。

日本が世界一の人口あたりの病床保有していて、コロナ患者の死者数も人口あたりで、アメリカの1/10以下。
それでもなぜ医療崩壊するのかというと、コロナに対応しない病床が多いからだ。
他国では医療は公的なものということだが、日本では国立や公立の病院は少なく、民間の病院が多数。
要はどうしても儲け主義になってしまう。

おまけに、病院自体がコロナが怖いとなってしまうと、コロナ病床を断る。
マスコミで「専門家」が煽ったために、患者も怖がってよりつかない。
自称専門家たちの罪は重い。

諸外国では国や公的機関が運営しているので、機動的に動ける。
実際、患者数に応じてダイナミックに増減している。
日本は今回本当に被害が小さかったので、こんなポンコツな医療体制でも死者が少なくて済んだのだろう。

第1章にはこんなことが書いてある。

「自動車の製造を止めれば、交通事故で死ぬ年間100万人の命を救えたはずだ。でも僕らは歴史上決してその選択肢をとらなかった。意識するかしないかにかかわらず、我々はリスクと共存し、それを許容して生きてきたのだ。
 それなのに今、コロナによる恐怖と医療従事者による「ゼロリスク」の先導は世界中の経済を止め、生活を破壊し、人々は自らカゴの中に入ろうとしている。そして巨大な権力は近い未来、医療が持つ壮大な力を巧みに利用するだろう。(もしかしたら今がその時かもしれない)得るものに比べて失うものが大きすぎはしないだろうか。バランスが圧倒的に悪過ぎはしないだろうか。その時になって我々は、
「あ〜、あのコロナパニックが始まりだったんだ」
と気づくのかもしれない。
そんな未来を子ども達に残してしまうのか…しかも自分たちがその片棒を担いでいるのか…。漠然とそんなことを思っていたときに聞いたのが、

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

と言う言葉だったのである。」

お隣の中国では、すでにそうなっているのではないか、とぼくは思う。

マスクの効果に関しても、アメリカのノースダコタ州とサウスダコタ州の比較で説明している。
ノースダコタはマスクを義務化し、経済制裁も強固に実施し、サウスダコタはマスク義務なし、経済制裁もほぼ無し、いわゆるノーガードに近いゆるい感染対策。
その両者の感染者数を比較してみると、ほとんど一緒できれいに同じ曲線を描いている。

今のワールドカップでも、マスクなどしていない。
一体、日本はどうなっているのか。

また、デンマークとスウェーデンの感染者数の比較でも、ロックダウンの効果の検証ができる。
デンマークはロックダウンを厳格にやり、スウェーデンは厳格なロックダウンはしなかった。
当初スウェーデンは感染が拡大したが、デンマークの感染者はあとから激増し、累計の感染者数もスウェーデンを追い抜いてしまった。
つまり、外食の営業を停止しても、関係ないということだ。

森田氏は言う。

「果たして我々日本人は、「社会全体の最適解」をきちんと考えているのだろうか?
感染症の恐怖に引きずられて、自ら殻の中に閉じこもってしまってはいないのだろうか?
子ども達に明るい未来を残すためにも、いまきちんと社会を正常に戻しておく必要があるのではないだろうか。」

コロナ死だけを特別扱いする、ダブルスタンダードについても言及している。
毎年肺炎で10万人以上死んでいるが、コロナ死は2年で2万人以下。
どちらも感染症であり、どちらも主に高齢者。
コロナのみを偏重する専門家・メディア・政治家は「肺炎死を軽視している」ことに気づいていない、という。

ぼくは、普段マスコミに出ることがない感染症の専門家たちが、いちびっているようにさえ見える。
最初によく出てきて、思い切り恐怖を煽っていたおばちゃんや、緊急事態だと勝手に記者会見して、何もしなければ40万人死ぬなどと言った学者などは戦犯だと思う。

第5章に書いてある「日本の医療の構造的欠陥」は、著者が経済学部の大学院で授業をした記録。
これを読めば、いかに日本の医療が無駄を生み出しているか、よくわかる。

そういえば、2014年に「「病院」がトヨタを超える日」という本の記事を書いたのを思い出した。

あの本にも「日本の病院は7割が赤字であること、現在の医療は”装置産業”であって、資金調達が必要なこと、実際儲かっているのは設備投資をしない病院や、診療報酬点数の高い医療を優先する病院であって、患者のことを考えていない病院であること」と書いてあった。
こういう病院が今はコロナバブルで儲けているのかもしれない。

今まで豊かだったから、こういうムダが通ってきたのだろう。
でも、今からは人口が減り、どんどん貧しくなる。
次の世代がちゃんと暮らしていけるように、ぼくらは繋いでいかないといけない。

でも、そんなことを考えている政治家やマスコミは見えない。
それが根本的な問題なのだろう。




| hdsnght1957kgkt | | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
事業譲渡
いまぼくは派遣会社と契約しているのだが、今回事務領域の派遣事業が別会社に譲渡されることになった。
日曜日にWebで説明会があって、それを視聴したが、興味深かった。

現在の会社は、事務の領域の派遣のシェアが低く、今後の展開が見込めないということで、それを事業譲渡するという。
これからはエンジニアを主体にするということだ。
シェアの問題もあるのだろうが、今後の見込みということだろう。
人口減少やAIの活用などで、事務領域は仕事が減るのだ。

譲渡先の会社は、その分野では大手らしく、Win-Winの関係になれたのだろう。
コンピタンス経営というやつだ。

ぼくはその会社では週2日しか働いてないので、細かい就業規則や給与規定などほとんど関係ないのだが、現在フルタイムで派遣されている人たちは確認事項がある。
質疑応答でも、ほとんどフルタイムで働いている人たちが、会社の説明に関していろいろ聞いていた。

大学への派遣事業は、今の会社は結構強かったと思うのだが、全体で見たら小さいのだろう。
特に都市部の大手校がコロナ対応や、合格者の超過入学が厳しくなったことで、経費節減に走っており、そこもあったのかもしれない。

今の担当営業なども、譲渡先へ出向するということだ。
まあ、事業を譲渡したら、そうなるだろう。

数日前にメールで連絡があったが、営業の人たちもぼくらと同じタイミングで知らされたらしく、厳しい箝口令が出ていたようだ。
これも、いつまで出向扱いされるのだろうか。
いつか転籍の打診があるのだろう。

説明会ではスムースに派遣されている人たちが変われるように、先方と打ち合わせをしている、という感じだった。
数年間、移行した人は譲渡先でも特別扱いされるなどの項目もあった。

派遣されている人はいいが、事業譲渡される事業部の人たちは、本当に寝耳に水という感じだったのだろう。
譲渡先でも頑張ってほしいものだ。

これからどうなっていくことやら…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 14:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
替え玉受験
「関西の大企業の社員の男が大学生から依頼を受け、企業の採用で実施されたインターネット上での「適性診断テスト」を替え玉受検したとして警視庁に逮捕されました。」というニュースがあった。

替え玉受験をした社員が逮捕されたということだが、依頼した方も書類送検する方針とのこと。
罪状は「私電磁的記録不正作出・同供用」の疑い。

この私電磁気的記録不正作出という罪は「不正に作られた権利・義務・事実証明に関する電磁的記録を、人の事務処理を誤らせる目的で、人の事務処理の用に供する犯罪」らしい。
もともとは、クレジットカード等の情報をスキミング等で盗んで、不正使用する、というような罪。
昭和62年だから、1987年にできた。

ニュースによると、容疑者は就活中の20代の女子大生から依頼を受け、適性診断テストのIDとパスワードを受け取り、インターネットから不正ログインし、替え玉受験した疑いとのこと。
20社ほどの企業のテストの受験を依頼したが、いずれも内定前の選考で辞退したということだ。
容疑者は1科目あたり2千円、あわせて10万円以上の報酬を受け取っている。
今年に入って、7月までで同じ手口で300件の依頼を受けて、400万以上稼いだとみられている。

ここまでの金儲けは知らなかったが、替え玉受験はよくある話だ。
そんなことをして通っても、不幸になるだけといくらいっても、やる人はやる。
そんなものだ。

企業の側はお金を払えばテストセンターという特定の場所で、本人確認をしてから受験させることもできるのだが、コロナ禍以降、メールで自宅受験が増えた。
設備を使用しない分、安価にできるというメリットがある。
しかし、替え玉受験はID、パスワードを教えればできるし、本人が受験しているときに、周りで教える(オーディエンス)ということもできる。
それはしない、という性善説に基づいて試験をやっているということだ。

本気で能力適正(基礎学力)を調べようと思ったら、テストセンターの受験になるが、予算と志望者数、適性検査の重要度などを考えると、企業側もメールでの受験も選択せざるを得ないという事情もある。
ある意味、企業側もそれがわかっているので、最終面接までにこの点数ならできるはず、という問題をペーパーテストでやらせる、ということも実際にある。
この依頼者も、そんな目にあっていたと思われる。

どうしても本人の確認をしたい企業は、カメラとマイクをオンにして監視しながらやらせる、という手もあるが、そこまでやるのは珍しい。
それならテストセンターを使ったほうがマシだ。

今回逮捕に至ったのは、同種の犯罪を抑止するという効果を狙っているのだろう。

この容疑者はツイッターで宣伝し「請負経験約4年、1人で計4000件以上」「通過率95%以上」「ZOOM画面共有も可能」といううたい文句まで書いていたから、捕まったのだろう。
悪事を宣伝する、という神経がわからないが…。
そこまで替え玉受験が一般的になっていた、という背景もあると思う。

Yahooニュースによると、容疑者はこう言っている。

「繁忙期の3月とかは1日30件近く受けてた時もありました。コネ入社や裏金入社が蔓延る現状をみると、別に悪いことだとは思わないですし」

「以前テストで落とされまくって鬱病になり、自殺寸前まで行った方を見たことがあります。その方の代行をして結果就活がうまくいき、生き生きとした生活を取り戻されたところを見ると、私としてはすごくやりがいを感じましたし、人の心の助けにもなると思っています」

明らかに善悪を履き違えているから、捕まったのだと思う。

これは氷山の一角で、リンクを送って試験を受けるという仕組みはもうなくならないと思う。
企業の側はわかってやっているのだ。

この状況を見て、本気で基礎学力が必要と思っている会社は、テストセンター利用に変えるだろう。

能力適正のテストは主に小学校4年から高校1年までの算数、数学と国語の知識。
それがあれば、問題なくほぼ合格する。

大学生が企業を受験するために、主に小学校、中学校の知識を問われ、それで落ちるというのはオカシイ、と思うだろう。
でも、今まで何度も書いてきたように、日本の教育レベルは本当に下がっている。
大学入試の多様化という美辞麗句で、大学はそれをごまかしてきた。
文系の入試から数学を外したり、理系でありながら数学が選択だったりする。

高校はそれに習って、高1で数学をやめる。
そもそも、小中学校の知識がほとんとないのだから、高校で教えることすらできないだろう。
小学校の算数でつまづいた生徒は、中高でどんな気持ちで授業を受けたのだろうか。
学び直しは先生の仕事ではないのか。

分数ができない、小数がわからない、割合がわからない…、算数のレベル低下は本当にひどい。
大人のための数学塾などというものもあるが、そこで教えているのは%や割引の考え方などだ。
それほど、落ちているのだ。

高齢者の交通事故が増えているというが、高齢者自体も増えているのだから、割合で考えないと真実はわからない。
マスコミすら、そういう視点でニュースを作らない。
世の中のレベル自体が下がっているのだ。

今回のニュースが、教育レベルの低下について、考えるきっかけになることを望む。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
2000人の第九最終練習
今年の第九の練習も昨日が最終日。
花月先生の6回のレッスン(ぼくは5回出席)が終わった。

ずっと座っての練習だったが、最後に立って通しで歌う。
一部間違えたところもあって、反省。

最後に花月先生の挨拶があった。
前にも書いたように、この先生は音大卒ではない。
オペラ歌手として、海外で認められて日本でも頑張っておられる。

だから、理論派というより、感覚派なのだろう。
西宮教室のコダマ先生のように、身体をどう使って声を出す、というような指導はなかった。
でも、先生がしきりに言っていたのは、「曲がれそうにないカーブでも、アクセルを踏んで思い切りいくこと」ということだ。

そこで、チビってしまったら、喝采はない。
思い切りアクセルを踏んでトライすることが大事。
トライして成功できたらいいし、失敗してもナイストライ、ということになる。
本番ではぜひアクセルを踏んで、頑張ってほしいと言われた。

第九のコーラスは難しい。
いつもの年は一万人の第九だが、今年はコロナで2000人しかいない。
それでは、苦しいということがわかっているのだろう。
だから、第4楽章が終わった時に、アクセルを踏んで歌ってなければ、自分に喝采できないということだと思う。

間違いを恐れず、思い切っていけという教え。

覚えておこう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
頑張れ財務省
戦争の責任者は誰かというと、それを始めた人ではなく、予算を出した人だというのを聞いたことがある。
戦費をどういう形で調達するかということで、お金がなければ戦争もできない。
それを出したやつに最終責任がある、ということだ。

コロナも結局同じこと。
今回財務省が11月7日付でその戦費(社会保障)の資料を出した。
それを森田洋之先生という医師・医療ジャーナリストが解説してくれている。

詳細はリンクを読んでもらえばいいが、先生はまとめでこう書いている。

・コロナはもうインフル以下の重症化率・死亡率
・なのに医療機関には未だに巨額の補助金が流れている
・ワクチンも半端なく余っている
・厚労省よ、いままで黙ってたけどもうこれ以上の出費は許さないぞ!

コロナ関係で使ったお金は何と17兆円。
未だに医療機関に巨額のお金が流れている。
ワクチンは買った分の半分ちょっとしか使われていない。
バカな政治家と厚労省、専門家と言われる人たち、医師会など、戦犯はワンサカいる。

本当なら財務大臣がもっと早く指摘するべきだったと思うが、結局大臣は頼りにならないから、財務省が立ち上がったのだろう。
きっと財務官僚は大臣にオルグしていたと思う。
もう我慢できん、ということだ。

医療関係者の視野が狭いのは仕方がない。
期待した方が悪いのだろう。
自殺者が増え、経済が停滞し、外食・宿泊・観光業界は大打撃、そのうえ子どもたちの発達上の懸念が積み残し。

もうこれは人災だ。

何度も書くが、早く正常化しないといけない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の少子化
エマニュエル・トッドはフランスの人口統計学者。
書評欄を読んでいたら、彼が日本について語っているところがあった。

彼はこう言っている。

「少子化対策にも移民受け入れにも本格的に取り組んでいない日本が、対外膨張的な政策を展開することはあり得ないでしょう。私の目には、日本はそもそも国力の維持すら諦めているように見えます。」

たしかに、フランスは少子化を食い止めるためにいろんな法制度を作っている。
1988年の時点で、3人子供がいたら列に並ぶ必要はない、という制度まであった。
ぼくがフランスに長期出張しているときだ。
ちょうど駐在員の方が3人子供がいて、そういう話を聞いた。
役所の列など、フリーパスだと言っていた。
そういう政策のおかげで、フランスの人口は増えている。

こういうところは、フランス人はエライと思う。
日本でこういう法律を作っても、列に並んでいる人が文句を言いそうだ。
子供を優先するのなら、年寄りももっと優先しろというような文句は想像できる。

でも、ずっと言うだけでほとんど進んでいない少子化対策を、今進めないと、トッド氏が言うように「そもそも国力の維持すら諦めている」と言われても仕方がない。
人口は力であり、それが働くことで富を生み出すことができる。

それでも、この3年間はコロナで消えた。
コロナ対策は少子化にとってはマイナスだが、それをものともせず、老人パワーで喜々としてやっているのだ。
対策分科会のメンバーは、ほとんど企業で言えば引退か再雇用の人ばかり。
老兵は去りゆくのみで、若い人たちの手助けをする年齢だと思うが、そういう人たちが幅を利かせている。

マスコミは不安を煽るようなニュースしか流さない。
それは視聴者が高齢化していて、若い人はテレビを見ないことがわかっているからだ。
テレビ全盛期のころは、気分が良くなるようなニュースも流していた。
みんながテレビを見ていた時代。

本気で少子化対策をやらないと、日本はどんどん落ちぶれていく。
それをみんなが良しとするのならかまわないが‥。

でも、それは豊かさを捨てる、ということだ。
それはわかっているのだろうか。

今の年寄り連中は、自分が生きている間は逃げ切れると思っている。
脆弱な年金制度を必死で維持しようとしている厚労省も同じだ。
高齢者がマジョリティだから。
彼らにとっては正社員が善で、非正規社員は悪なのだろう。
そして、役所を定年しても自分たちは大丈夫と思っている。
そんなことでいいのだろうか。

こないだも、厚生年金から国民年金の補填をする、というニュースがあったが、現役のサラリーマンは何も言わない。

何でなんだろう。

若い人は自分が気の毒だとは思わないのだろうか。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
2類から5類へ
尾身感染症対策分科会長が、「第8波を乗り越えれば、5類への変更を議論する必要が出てくる」と言ったらしい。

第7波の時は、「第7波のあとに見直し」と言っていた。
この調子なら永遠に見直されない。

ぼくは2021年から、5類にしてもいいのではないか、と書いた。
海外の人口あたりの死者数をみたら、そう思うのが当然だと今でも思う。
不思議なことに、どの「専門家」もそういうデーターについては触れなかった。

分科会をはじめ、世にいう専門家や医師会、厚労省、官邸、マスコミはみんなこの騒動を煽った。

ネット上には5類にすべきだという意見はあったが、少数派。
でもさすがに今はみんなもう気づいている。
なぜただの風邪もどきにエボラ出血熱と同じかそれ以上の扱いをするのか、ということだ。

この期に及んでまだ5類にしないというのは、利権が絡んでいるとしか思えない。
尾身氏の病院は大儲けしたという。
恥ずかしくないのだろうか。

もちろん、彼だけが悪いわけではない。

でも、老醜とは彼のことだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己満イベント
昨日、卒業生から天六に来ないか?という連絡が来た。
聞くと、「1日だけお店借りて親友とワンプレートのご飯をだすんだけど、夜だけ2席空いてるからよかったらどうかなと。」という返事。
無料で晩ごはんを食べさせるという。

一体何のイベント?と聞いたら、「私と友人の自己満イベント」だという。
店と言っても、カウンター7席だそうだ。
それを借り切って、無料で晩ごはんを出すということらしい。

来るのはみんな一人参加だから、大丈夫だという。
ほんまかいな。

でも、そういうイベントに声をかけてくれる、というのが嬉しかった。
残り少ない人生、そういうものには積極的に参加しないと…。

カンパしよか?と聞いたら、そんなん要らんという。
ちゃんと衛生管理者も取ったとのこと。
そういえば、学生時代、その学生は学園祭の委員長かなんかだった。

夜は17時から22時まで、ということだ。
また時期が迫ったら場所を連絡するとのこと。

そんな自己満イベントをするのは、流行っているのだろうか。
どうやって店を見つけるのだろうか。
借り賃はどうするのだろうか。
どんな自己満足なのだろうか。

ぼくにとっては不思議なイベント。
ぜひ開店祝いの手土産を持って参加して、いろいろ聞いてみよう。

そんな友達?がいるというのは、素晴らしいことだと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ツイッターの変化
マスク氏がツイッターを買い取って、社員が半減したということだが、そのせいかぼくのタイムラインはだいぶ変化した。
ワクチン忌避のツイートが増えたように思う。
また、コロナ禍に対する不満のツイートも増えたと思う。
医師や専門家に対する批判(というより悪口)も増えたように思う。

「2類のママにしているから受け入れる病院が少なくて医療切迫、切迫って騒ぐことになると周知されているのに、また8波で医療切迫で騒ぐらしいですが、リテラシー高い人たちはもうドッチラケで見てるよね。医療切迫で騒ぐ医クラが2類のままにしろというのって、いわゆる自作自演でしょ」

「発熱外来やらずに逃げ回ってるクリニックや、補助金だけもらって受け入れない病院のことを言ってるって誰でもわかるのに、食いつくお医者さん多し」

「この茶番騒ぎで学べた事も沢山有ります。
例えば医者の殆どは信用に値しないクズだとか、専門家と呼ばれる連中の殆どは事実そっちのけの利権主義者だとか。
今となっては、医師会会長など道端の石コロ以下の存在価値しか有りませんね。」

こういうのを読んでいると、ぼくはスカッとする。
やっぱりストレスがたまっているのだ。

本来は冷静に議論するべきことなのだろう。
でも、肝心の司令塔である厚労省はコロナ利権で予算が増えるから、「やれやれ」だし、官邸は統一教会の問題でそれどころではないし、医療者は利権の当事者だから、どうしようもない。

でも、ツイッターの社員が減ったことは、ぼくにとっては、良い変化だった。

今のところは…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
うれしい日
今日は朝からうれしい日になった。
ずっと面接練習をした4回生が、来てくれたからだ。

筆記試験ができないから始まって、複数内定を取るまで、30回ほどの面談。
途中でプレゼン課題などもあり、結構しんどかったと思う。
よくがんばってくれた。

今は卒論で忙しいという。
夏休みには最終の就職先は決まっていたが、秋学期が始まって、やっと目処がついてキャリアの部屋に来てくれた。
お礼、ということでお菓子をもらった。

そういう時は、ありがたくいただくことにしている。
もちろん、グループで共有するのだ。

ぼくはそういう時、いつも頑張ったのは君で、ちょっと手伝っただけ、と言うことにしている。
だいたい、ぼく自身、今どきの就職の面接など受けたこともないのだ。
そんなエラそうなことは言えない。

いい社会人になってほしいと願う。
今日はうれしい日になった。

御礼のメールを出したら、「残りの学生生活、全力で楽しもうと思います」と返事が来た。

こんな日があと何日あるだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
Nope
また、ゆいにしおの曲から新語を発見した。
新語というより、英語のスラングだ。

"NOPE"という言葉。
こんな歌詞だ。

「鳴り止まない通知をNOPEしていく寝起き」

ノウップ、と発音するらしい。
意味は単に「NO」ということだ。
解説によると、

「インターネット上では、Nope は、恐怖や何かに対しての嫌悪感、生理的に受け付けないものなどを示す表現を強調するために使われています。
例えば、何かの動物が小さな蜘蛛を見つけて、nope,nope と言いながら一目散に逃げる合成映像など、怖くてたまらない感情を nope を繰り返すことによって表す動画や画像を多く見つける事ができます。
このように Nope は、咄嗟にひるんだり、逃げ腰になる、という意味も持つようになりました。
日本語で「ムリムリムリムリ」と拒絶反応を示すのと同じ感覚でしょう。」

ということで、ネィティブでない人が使うのはやめたほうがいい、ということだ。

ニュアンスとしては、若い人が言う「ムリ!」というのに近い。

スマホの通知が来るたびに音が出る。
NOPEしていく、ということは、通知が鬱陶しいということだ。
そんな意味をNOPEを使って表している。

ちなみに、この曲はリアル・ディスタンスという曲で、出だしが「あのドラマの名前はロング/バケーション 遠い遠い景気のいい時代」というもの。

ドラマをやっていたのは96年だから、もうバブル崩壊して、余韻が残っていた時代。
今より景気は良かった。

そんな歌が、97年生まれの25歳に歌われている。

ドラマをやっていた当時は、仕事が一番忙しい時期で、毎晩深夜まで残っていた。
もちろん、どんなドラマかは全く知らない。

とにかく、あの頃はしんどかったなあ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
新型コロナ対策分科会の平均年齢
新型コロナ対策分科会のメンバーの平均年齢を調べてみた。
会長の尾身氏が最高齢と思ったら、そうでもなかった。
尾身氏が73歳だが、76歳の人までいる。

メンバーのうち、Wikipediaで非公開の人は除いて11人の平均年齢をみたら、63.8歳だった。
ぼくらが就職した時の定年が60歳。
今は多くの会社で65歳まで再雇用というところが多い。
一応、60歳で定年し、多くは役職を離れる。
ということは、普通でいうと再雇用の年齢が平均値ということになる。

こないだ書いたが、老害の国日本を象徴しているような会だろう。
ぼくは65歳だが、明らかに頭の働きが鈍くなったと思う。
物覚えも悪くなったし、ど忘れも増えた。
58歳のときに資格の勉強をして、あまりの記憶力の減退に必死になった。
それは一般的なことであって、多かれ少なかれ誰にでも当てはまるのだ。

年をとると、どうしても自説や、過去の経験に固執する。
一旦いい出すと、周りは見えなくなる。
最初に、コロナはエライことだと言ってしまったら、ずっとそのままだ。

諸外国はみんなそこから変化した。
ロックダウンなどをした国も、もう解除の方向に舵を切った。
きっと指導者たちが若いのだろう。
そういうことが年寄りは素直に認められない。

一度自分が言ったことは、絶対に変えられないのだ。

役人の保身意識も手伝って、お上の権力を使えるのも嬉しいのだろう。
それがどれだけ国民に迷惑をかけているか、わからない。
いや、わかっていても、今やそれで儲けているから止められない。

これは今の日本の縮図だと思う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
対策強化宣言?
「保健所の中の医師」というアカウントでTwitterでのつぶやき。

「新型コロナでいまだに強い恐怖を持ってる人(まだ時々います)が知らないこと
 ・治療法が確立している
 ・重症化率・致死率とも季節性インフルエンザ並みもしくはそれ以下
 ・抗ウイルス薬が一般流通していてどの医療機関でも処方可能
 ・でも、ほとんどの人は抗ウイルス薬飲まなくても治る」

ということだ。

沖縄県ではオミクロン感染者の9割が無症状か軽症だった。

コロナでこれだけ騒ぐのはなぜなんだろう。
もうインフルエンザ並みか、以下なのだ。

今9月3日に行われたTUBEの横浜スタジアムのコンサートの録画をWOWOWでやっている。
スタジアムは、3万人の観客でいっぱいだ。
みんなマスクをしているが、やっとここまで来たという感じ。
貫禄のついたTUBEの前田も感無量だった。
客席を見て「声は出しちゃいけないけど、出ちゃうのは仕方ないよな」と言っていた。

ところが11日のニュースによると、

「政府は11日、新型コロナの感染症対策分科会を開き、流行「第8波」に備えた2段階の対応強化策を決定した。都道府県が外出自粛を要請する「対策強化宣言」を新設。それでも事態が悪化して医療逼迫が起こりそうな場合は「医療非常事態宣言」も発令し、出勤の大幅抑制、帰省や旅行の自粛を求めることになる。」

この感染症対策分科会というのは何者なのだろうか。
メンバーはここに出ていたが、コロナの騒ぎを3年間もやって、また同じことをやるのか。

3年間の進歩はないのか。
馬鹿の一つ覚えのように外出制限、行動制限のお願い、自粛。
医療逼迫というが、3年経っても逼迫するのは今まで無策だったということなのか。

もうぼちぼち国民も声を上げたほうがいいと思う。

感染症対策分科会は今や利権団体ではないのか。
尾身氏が理事長をやっている病院は何億も儲けたというのを聞いた。

補助金目当ての病院や医師会が圧力団体になっているのだろう。

こないだ、知り合いに聞いた話だが、心筋梗塞で苦しんで緊急搬送されたが、コロナの確認だの何だので3時間ほど肝心の治療はできなかったとのこと。

コロナで病床確保していると言ったら、誰も患者がいなくても補助金が出るような制度はもうやめないといけない。

対策強化宣言ではなく、利権強化宣言ではないのか。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近のコーラス
最近の歌を聞いていて、気づいたことがある。
高音のコーラスがあまり使われなくなった。
特に、ソロシンガーの歌では、少なくなったと思う。

ぼくは中学のときにビートルズの"Please Please me"を聞いて、コーラスを知った。
ジョンとポールのコーラス。
メロディがジョンで、コーラスがポール。
いつも3度上のコーラスだ。

あれがずっと頭の中に残って、コーラスと言えば3度上と思っていた。
70年代、80年代はわりとそんな感じだったが、最近はそうでもない。
一人多重録音が当たり前になって、メロディーを強調するために3度上はあんまり使われなくなったんだと思う。
同じ声で3度上を歌うと、どっちがメロディーかわからなくなる。

それでなくても、イントロは短くとか、サビから入るとか、ストリーミングで聞いてもらうためにはいろんな制約がある。
若い人たちの中にはもうそれが当然になっているのかもしれない。
そんな中で、メロディーを重視して3度上のコーラスを使わなくなったのだろう。

以前、アカペラ部のメンバーの学生と話したときに、特技は3度上ですぐに歌えること、というのがあった。
なるほど、それは特技やなあ、と感心した。

歌は世に連れで、最近はその学生も、特技を発揮する場所が減ったと思っているかもしれない。

緊張感を伝えるために、出せる音程のギリギリで歌っていて、3度上をつけるのがしんどい、ということもあるかもしれない。
今の歌のキーは昔に比べてすごく上がったと思う。

フランク永井は低音の魅力、と牧伸二がネタでやっていたが、あんなのはもうない。
今の歌の音域は2音くらいずれている感じだ。

そんなこんなで、今の歌で3度上のコーラスは減少した。

あのジョンとポールの歌声は秀逸だったのだが‥。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
電気代のマッチポンプ
この冬は電力が逼迫するらしい。
足りなくなったら発電を増やせばいいし、そのための発電所もある。
それでも、逼迫するという。
そのうえ、電気代が上がるから政府が補助金を出す。

値段が上がるから、使用量が減るというのが普通の考えだが、政府は何を考えているのだろう。
電気の需要を減らすためには、電気代を上げなければいけない。

送電と発電を分離して、諸外国のように電力市場を作って、自由化した。
自由化するということが、停電の可能性を上げるのは当たり前だ。
それは電力を市場に任せるということで、市場メカニズムに従うということ。
つまり、だれも発電量について責任を持たない。

普通は自由化したら、競争が起きて価格は下がる。
そのための自由化だからだ。
実際、いろんな売電会社ができて、安くなった。

しかし、市場に任せるということだから、逆もあり得る。
ここのところ、その手の売電会社が潰れているのも同じことだ。
電気代が急に何倍にもなったら、誰も買ってくれないから潰れる。

でも、夏は大丈夫だったのに、なぜ冬がより危ないのかと思う。
以前は夏のエアコンのピークがやばいということで、授業中の部屋も28度にして教員から暑くて授業にならんと言われたものだが…。

理由は、冬は雪が降ったり、日照が弱くなって太陽光が出力できないかららしい。
再エネは安いというが、そのバックアップも入れると高いのだ。
当然、再エネ業者はバックアップなどしない。
バックアップなどしていたら値段が上がるからだ。
つまり、再エネの比率が上がって、自由化もして、バックアップはあなた任せになって、電力が逼迫しているということだろう。

再エネ電気などと言って、再エネで作られた電気だけを売っている、というような売電会社もあった。
電気に色がついていて、識別できるわけではないので、計算上の話だ。
本当にそういう電気だけ使いたいのなら、送電も別にして夜は停電すればいい。
結局、再エネは今までの電気の送電線を使って送っている限り、それにタダ乗りしていることになる。

そこに地球温暖化が絡んできて、余計に話がややこしくなった。
CO2を削減しないといけない、というやつだ。
日本は世界のCO2排出量のたった3%。
GDPの割合で見ても、排出量はすでに低いと思う。
それでも、排出量を削減する、ということになっている。

そのために、再エネ比率を上げることが必要だという。
石炭は悪者にされて、廃止の方向だ。
でも、日本の石炭火力発電はクリーンコールと言われて、普通の石炭発電よりも発電効率を上げてCO2を減らしている。
世界ではまだまだ石炭発電をしていて、日本の技術を輸出できれば石炭を有効活用できる。
それでも、環境原理主義者は「石炭は禁止」という。
もったいない話だ。

再エネ比率を上げるということは、そのバックアップが必要であり、停電を防ぐためには誰かがそのバックアップをしないといけない。
そのために、再エネを増やすとコストが上がる。
そういうことを全く議論しないで「再エネは善」となっている。

それが電気代のマッチポンプを生んでいるということを、もっと宣伝しないといけない。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
離見の見
ぼくが落研で落語をやっていてよかったと思ったことの一つは、人前で話すコツがわかったことだ。
前にも書いたが、自分を離れて客席から見る、ということだ。

これは世阿弥の「風姿花伝」にも書かれているらしい。
ぼくは読んだことはないが、「離見の見」という。
自分で自分を見ることは「我見」で、自分を離れて客席から見ることが「離見」。
能の世界では、「離見」して客と一体になって見ることが大事。

まさに、落語をやっていて調子のいい時は「離見の見」だった。
落語をしている自分から、抜け出している自分がいる。
お客さんを見渡して、このあたりは笑ってないなあとか、この客は聞き入ってるなあとか、思う余裕がある。
余裕がなければ、「離見の見」にはならない。

そのためには、落語を話している自分が100%になったらダメだ。
余裕がないから、「離見」などできない。
これが「我見」だろう。

上手な落語家になるほど、話している自分の比率が下がってくるのだろう。
理想的には話している自分と完全に分離することだが、それは名人の境地だと思う。

亡くなった枝雀が言っていたが、理想は口座にいるだけで客も自分も笑うこと。
これも自分を離れて、客席と一体になって笑うということだろう。
自分と客席が分かれていては、一緒になって笑えない。

舞台や人前で何かパフォーマンスをする時は、「離見の見」が大事。
これは意外とみんな意識していない。

一度そういう経験をすれば、わかるのだが…。
世阿弥がそういうことを言っている、というのが面白い。

自分を離れる、という感覚。

これはある種の極意かもしれない。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
老害の国日本
国際エコノミストの武居秀典という人が、イギリスのスナク新首相を見て、「日本も世代交代を」という記事を書いている。

イギリスの新首相スナク氏は42歳。
首相として初めてのアジア系であり、国のトップの若さと多様性をみて、うらやましく感じるという。
首相交代に至る経緯はもう一つだったが、過ちをすぐに正そうというところには感心する。

日本では逆で、行動せずに検討ばかりしている首相が居座っているのだからなあ。

武居氏は海外で生活して、久しぶりに日本に帰ると「おじさん」の多さに驚くという。
企業内の重要会議、財界の会議、政府の審議会など、出席者のほとんどがおじさんという状況。

彼自身も自分のことを「おじさん」と言っている。
1967年生まれの55歳。
となると、ぼくらは「おじいさん」ということだ。

彼は「おじさん文化」の特徴として、以下の4点を挙げている。

・上下関係を重視し、部下に服従を求める
・過去の(成功)体験にしがみつき、自分の判る範囲のことしか許容しない
・同調を求め、異物を排除する
・群れることを好み、ロジックよりも根回しや人間関係を重視する

こんな状態だから、今年9月のスイスIMDの「デジタル競争力ランキング」で63カ国中29位で、昨年よりも順位を1つ下がったという。
まことにその通りだと思う。
ITについて学ぶ気がなく、リテラシーを持っていない人は、社会の重要な役割についてはいけない。

「企業経営の俊敏性」「国際経験」「ビックデータの分析・活用」は最下位の63位、「海外人材受け入れ」「デジタル・スキル」も最下位近辺。

80年代は家電もITも日本が世界を席巻する、と言われた時期もあった。
その成功体験は砂上の楼閣だったのか。

本当にこんな年寄りに任せていていいのかと思う。
彼はこの日本社会の土台となっている「おじさん文化」を駆逐しないといけないと警告している。
ぼくもそう思う。

ぼくがいた頃の会社は55歳で役職定年という制度があったはずだが、今はなくなったらしい。
結局おじさんが増えて、そういう制度は止めたのだろう。
いい加減この上ない。
彼は企業トップは少なくとも65歳で退くべき、という。
それなら、岸田首相もちょうど引退年齢だ。

その巻き添えを食う若い人たちはもっと気の毒。
バカみたいにいつまでもコロナ対策を続けているのも、年寄りで過去に実績があるような医者たちの意見が強いからだろう。

自民党の党内からも、「人生100年時代に、杓子定規に内規を当てはめることは適切とは言えない」との発言があったとのこと。
それこそ、老害以外の何物でもない。
もうすぐ人生が終わるような人には、国家百年の計は任せられない。

彼は日本の教育が従順な部下を育てていると言う。
その通りで、それは今の教員組織が「従順な先生」ばかりになっているのだから、変えようがない。
教育委員会や教員組織が一致団結して「イジメ隠し」をやるのも、おじさん文化と従順さの現れだろう。
それらをどうしていくのか。
もっと真面目に考えないといけないと思う。

彼は記事の最後にこう書いている。

「おじさんたちが、あらゆるレベルで決定権を握っている今の日本で、大きな変化を起こすことは、気の遠くなる程難しいですが、社会全体が明確な危機意識を持ち、「おじさん文化」の打破を促していく必要があります。そうでなければ、日本経済も持ちません。
筆者も含めたおじさんたち自身が、将来に対する責任ある行動として、過去にとらわれた自分たちの価値観を押しつけることなく、次世代に早めにバトンを渡すこと、そして、次世代人材がおじさん依存から脱却し、自らが将来を担うべく奮起することを大いに期待したいと思います。」

老兵は去りゆくのみ。

これがまともな社会なのだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
Cole Clark
Cole Clarkはオーストラリアのギターメーカー。
2001年に創業している。
このごろずっと聞いている、ゆいにしおのギターもCole Clarkだ。

最近、見慣れない色のギターを見るが、それがオーストラリアのギター。
白っぽい明るい色の木材だ。
ぼくらの若い頃はこんなギターはなかった。

アコースティックギター(以前はフォークギターと呼んでいた)といえば、マーチンやギブソンというアメリカのメーカーが有名だった。
1ドル360円の固定相場の頃は、マーチンのD-45は70万円していたはず。
当時、ガロのメンバー2人がそれを持っているのがスゴイと思ったものだ。

今は150万円くらいの値段。
世界の所得が上がって、欲しい人が増えると値段は上がる。

固定相場から変動相場になった時に、円の価値が倍になってD-45が半分の値段になるかと思っていたら、ならなかった。
いまだに不思議だ。
あの分の儲けはどうなったんだろう。

話がそれたが、Cole Clarkのギターは主要なギターの構造(主にアメリカのギターだろう)とは違う構造らしい。
ネックとボディが一体になっている。

全てピックアップが付いたエレアコで、こちらも振動を音にするだけでなく、音自体もコンデンサーマイクで拾っている。
木はアラスカやカリフォルニアからレバノン、タスマニア、インド、そしてオーストラリアのものなどが使われている。
あまり聞かない木材も多い。
希少性やサステナビリティに気を使っている。

ぼくらは若い頃に、マーチン、ギブソンに憧れがあった。
クラウンの宣伝ではないが、いつかはマーチン、いつかはギブソンと思っていた。
ぼくもマーチンのギターを中古で買って、アコースティックはこれで決まり、と思っている。

最近のYoutubeを見ていると、若い人たちはあまりマーチン、ギブソン信仰はなく、どこのギターでもいい音がすれば使うという感じかな。
しかし、マーチンやギブソンの高級モデルほどは高くないにせよ、国産や安価なアジア製ギターと比べると、かなり高い。

彼ら、彼女らは、いつかはマーチン、いつかはギブソンと思っているのだろうか‥。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 酒井くにお
酒井くにお・とおるという漫才コンビ。
地味だが、ぼくはファンだった。

東北から出てきて、兄のくにおが弟のとおるを誘って漫才コンビを組んだ。
最初はくにおが女装してでてきて、ドタバタの漫才をやっていたと思う。
なぜ関西に来たのか、それは知らない。
それでも、東北出身で上方で活躍するのは大変だったろう。

「10円ちょうだい」とか「とおるちゃん」というのがギャグだった。
とおるの「ここで笑わないと、もう笑うとこないよ」というのも息が長いギャグだった。
毎週NHKの上方演芸会を聞いているのだが、よく出てきていた。
ぼくの録音はここ5年ほどは上方演芸会のものばかり。

漫才ブームのときも、どちらかというと地道にやっていた。
そんなに存在感はなかった。
東北出身というのも、災いしたのかもしれない。
でも、堅実に笑いを取るいい兄弟コンビだった。

くにおは教員免許を持っていたはず。
教育大を出て、漫才師という当時としては珍しい経歴。
東京でやっていたが、売れずに関西に来たという。

52年のコンビ歴。
関西の芸人は人気が出て、長く芸人をやると、どうしてもエラそうになる。
それが楽屋うちだけならいいのだが、それが舞台やテレビで出てしまう人が多い。
そうなると、急に面白くなくなる。
芸人という商売は、腰が低くなければいけないと思う。

その点、くにお・とおるは本当にエラそうにならかなった。
上方お笑い大賞も漫才大賞も取ったし、松竹芸能では大御所だったはず。
漫才以外の仕事のオファーもあったろう。
それでも、最期まで漫才師として生きた。

晩年は腰を手術して、かなりしんどかったらしい。
それでも、舞台ではそういう素振りは一切見せなかったという。
本当にエライ人だ。

1週間前まで舞台を務めて、急に死去したとのこと。
74歳は早かったと思う。

結局、ぼくは一度も生の舞台を見なかった。
残念だ。
もうくにお・とおるの漫才は見られない。

今まで本当にお疲れさま。合掌。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 10:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
先生の指導
元は塾をやっていた人が、今は教育評論家になって、親からの相談を受けている。
その記事を見たが、親の前でも全く子供をほめない先生がいるらしい。

ぼくは大学の事務で就職支援をしていたとき、親からの相談もまれにあったが、そういう時は当該の学生のことを悪くは言わない。
たいがいが「就活がうまく行っていない」という相談なのだが、全く相談に来ない学生でも「こちらに来てもらえればご本人の希望も聞いて、進めさせてもらいます」というように答えていた。
実際に何度も面談をした学生であれば、こちらの力不足をわびて、それでも学生が行きたい会社のレベルが非常に高かったりするのでやんわりレベル差の話もしていた。
基本はまずこちらの力不足を認めるということが重要だと思う。

記事によると、親から「子供をほめてやりたいので、いいところを教えてほしい」と言われても「いいところは一つもない」という先生までいるらしい。
これはどう考えてもおかしいだろう。

指導の責任の一端を担っているのは学校であり、教員なのだ。
それで、いいところは一つもない、ということは、いいところを見つける気がなく、指導の責任は全て家庭にある、ということになる。
それでは学校の責任は何なのかということだ。

それは、自分が教員失格である、と宣言しているようなものだ。
学校の管理職はどう思っているのだろうか。
教育委員会はどう思っているのだろうか。
当然だと思っているのだろうか。

外部から言うのは簡単だという批判はあるだろう。
でも、学校組織にそういうことを「おかしい」と思う人が少ないのも事実なのだと思う。

そういう先生が増えると、生徒のフラストレーションもたまって、いじめも増えるだろう。
自らいじめに加担したり、いじめを主導する教員すらいるという。

この状態を放置し続けるのはダメだと思う。
今やコロナ対策よりも、よほど重要だ。

こんな記事を見て、教育委員会や学校の管理職はなんとも思わないのだろうか。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
オーストラリアのコロナ
オーストラリアもついにコロナは終了らしい。
10月14日以降は、COVID-19検査で陽性になっても、自己隔離(自宅待機)が不要になったとのこと。
首相が、自己隔離義務を撤廃するとともに、経済活性化を強化すると発表した。
こういう措置が日本にも必要だと強く思う。

すでに残っているコロナ対策はほとんど打ち切られていたが、この措置でほぼ全て撤廃されたらしい。
この「ほぼ」というのは、病院や高齢者施設への立ち入りの際にマスクが必要、というような規制を一部の州が残しているから。
まあ、日常的にはもとに戻ったということだろう。

コロナ陽性になっても、自己隔離もしなくていい、ということは、自己判断で大丈夫と思ったら、普通に生活していい、ということだ。
同時に、パンデミック法(ロックダウンや規制の準拠法)も終了になった。
ビクトリア州では、この法が930日以上発せられていたとのこと。
まさに、コロナ終了、ということだ。

オーストラリアでコロナ感染者や死者が減っているのか、ということだが、「陽性者の隔離義務撤廃」を発表した時点で、新規感染者数が1日5000人あまり。
この時点で、検査の義務付けはなくなっていたし、報告義務もなくなっていたので、ぶっちゃけて言えば感染者数はわからない、ということだ。

そもそも、当局自体が感染者数や入院者数、死者数などを発表しなくなったのだから、要するに普通に生活して問題は起こっていないから大丈夫、ということだろう。
これがまともな考え方だと思う。

街中ではマスクをしている人を見かけることが珍しく、数十人のパーティやイベントも実施されているとのこと。
もうコロナは過去のものになった。

今どき騒いでいるのは中国を除くと、日本だけだろう。
本当に情けない。

こないだ書いたが、これはどう生きるかという哲学の問題だと思う。

日本にはそれがないのだろう。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
薪ストーブ?
朝のNHKニュースを見て驚いた。
薪ストーブが注目を浴びているらしい。
テレワークで郊外に住んだり、家にいる時間が増えて、薪ストーブが欲しい人が多いという。

バイオマスなどの材料を燃やすので、エコだと言うが、それはおかしい。
もともと薪は再生可能なもので、サステイナブルなだけ。
薪ストーブがエコなら発展途上国などはエコだ。
その理屈なら、割り箸もエコだろう。

おまけにCO2削減はどうなるのか。
家庭で薪を燃やすなど、非効率の極み。
CO2がたくさん出る。
薪を燃やすのは、贅沢なのだ。

それを補助金で補助する自治体があるという。
SDGsを勧めているのなら、薪ストーブには課税はしても、補助は論外。
薪ストーブに補助するくらいなら、石炭発電にもっと補助をすればいいのだ。

海外では、日本ほどの先進国がなぜそんなことをするのか、と言われているという。
それは間違い。
日本は経済的に先進国であっても、国民の科学のレベルは後進国だろう。

バイオマス、などという言葉でころっと騙されて、薪ストーブに補助をしている国なのだ。
要らない間伐材を燃やしたって、CO2は出る。
各家庭で効率の悪い燃焼を増やすと、どうなるかさえわからない。
一体何がサステイナブルだと思っているのだろう。

それを取り上げて放送するNHKもひどい。
炎を見ていると、落ち着くなどと宣っている。

政治家もマスコミも自治体も、どこかネジが外れているのではないか。

まあ、さすがに、ニュースに「専門家」は出てこなかったが‥。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症の予防
介護のプロが書いている記事を見た。

それによると、同じものを何度も買うとか、小銭が溜まって財布がパンパンになるとかいうのは、認知症になった証拠らしい。
たしかに、認知症の母も、一人暮らしの頃、そういうことになっていた。
もう買い物に行けなくなって、生協の宅配で頼んでいたのだが、自分で同じものを何度も頼んでしまって冷蔵庫が一杯になると言っていた。

ぼくが親の認知症になる過程を見てきて、本当に思うのは、「脳が現状に過度に適応すること」だと思う。
要するに、考えても仕方ないから、考えるのを止めるのだ。

認知症に唯一優位な対策は運動することだという。
それは運動することで、脳が活性化するからだろう。
外を歩くだけで、脳の機能をかなり使う。

障害物を避けないといけないし、今どこにいるかを意識しなければいけないし、人が歩いてきたらそれが知り合いかどうかをチェックしないといけないし、自動車や自転車は避けないといけない。
目線を動かすのも脳の働きだ。

それだけで、一日家にいてボーっとテレビを見ているよりも使う領域は格段に広い。
運動する、ということで使う脳の領域がどれだけあるか、を考えればわかる。

結局、使わなければ、その状態に脳は適応するということだろう。

介護付きの老人ホームに入ると、一人暮らしの時よりも格段に考えることは減る。
おまけに、骨折や大病をすると、それで行動が制約されて余計に脳を使わなくなる。

人は生きている間に脳の能力の半分も使わないという。
脳の能力はまだまだ拡大できるということは、使わなければ縮小するということだ。
もともと脳は使うためにある。
それを使わないとその状況に適応して、脳が考えなくなるのだと思う。

統計的に85歳以上の2人に1人が認知症を発症するとのこと。
65歳以上の15%が認知症だというが、65歳〜75歳の認知症は3%だけ。
結局年寄りが増えていくから、認知症が増えていくのが今の日本らしい。

認知症になりたくない、というなら75歳までに死ぬべきということだ。
そうすれが97%の確率で認知症にならないという希望は叶う。
長生きしないことが認知症の最大の予防策。

スマホ1台あればいろんなことが手軽にわかる時代になったから、人は考えなくなり、そのために認知症は増えていく。

これからもっとひどくなっていくだろう。

尊厳死についても、議論しないといけない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
どう生きたいか
また、内科医の端くれアカウントのツイート。

「感染リスクだ感染対策だという話はキリがなくて、結局は医学的な問題ではなく、社会が感染リスクをどれだけ許容するかということ。
人間らしい生活は、あらゆる病原体の感染リスクに満ちている。
その一方でリスクを避けたり対策したりするとルールや規制まみれになり、人間らしい生活は失われる。」

まさにその通り。
欧米では感染リスクを許容して、感染対策のいろんなルールの撤廃をしているのが実情。
というか、感染のリスクよりも、完成対策の社会に対する「害」の方が大きい、という決断だろうと思う。

コロナ初期は感染リスクがわからないから、それを大きく見積もって対策をしたのが事実。
これはどこの国も同じだ。
ただ、欧米は単なる「お願い」や「要請」ではなく、法的に定めているところも多い。
だから、その法律を執行停止する、と政府が決めれば自動的に解除される。
それが今の欧米の状態だ。

ところが、日本は感染対策は全てお願いベース。
罰則はない。
なくても、勝手にマスク警察や「子どもが公園で遊んでる」など言いつける人もいて、「同調圧力」があるからいいのだろう。
日本の「同調圧力」は戦前と変わらない。
ずっと変わらない、日本の伝統なのだろう。

被害数を死者数でみると、日本は最も少ない国の一つ。
おしなべて、アジアの諸国は少ない。
それらの諸国でさえ、対策を止めている。
それでも、日本は感染対策をいまだにやめられない。

「社会全体でどこまでリスクを許容し、どこまで人間らしく生きていくか。今は「ただコロナを恐れよ」「常にコロナを気にせよ」のイデオロギーに国全体が染まり、極端にリスクを許容できない社会。「感染リスクがあるなら避けよ、対策せよ」これはもう純粋な科学の問題ではなく、イデオロギーの問題。果たしてこれをいつまで続けるか。その過程で何を得てどれだけのものが失われるか。広い視野で、長い目で考えないといけない。そしてどう生きたいか、何を大切にしたいか、どんな社会にしたいか。哲学レベルで考えないといけない。」

そういう哲学の問題になってきたのかもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいイオン
近所に新しいビルが建って、地下1階から2階までに店舗が入った。
今日オープンで、用事があったのでついでに見に行った。

もともとダイエーが地下と1階に入っていたが、取り壊して建て直すということになり、向かいのビルの2階、3階に移転したのだ。
新しいビルができたら、そこに戻るのかと思っていたら、戻らずに両方にスーパーができるという。
100m足らずの向かいに、新しい店舗ができて、両方ともイオン系列。
不思議な戦略だ。

そういえば、イオンのスマホのアプリを入れて、読み取れるようなレジが、昔からある方の店舗にもできた。
もうすぐ潰すのなら、そんな投資はしないだろうから、きっと店を残す理由があるのだろう。

もともとは市の開発でできたところだったが、今回の新造分は売り払ったのだろう。
残りの2つのビルも、売却予定なのかもしれない。

おおかた50年前にできたのだが、当初は子供向けのおもちゃ売り場や、屋上の遊園地もあった。
休みの日に子供を連れてよく行ったものだ。
馴染みの本屋も、文房具屋もあった。

あった、ということは潰れたhttp://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/?eid=232973ということだ。
そうして、歯が抜けるように店が減っていって、最後にビルごと建て替え、店舗面積は大幅に減って今はほとんど分譲住宅になった。

思えば日本の縮図みたいなものだ。
かろうじて90年代は過去の遺産で持っていたが、2000年に入って低成長になって、少子化も相まって店が減っていった。
当初入っていた店は、多くは駅前の店舗の地権者だったと思う。
その人達が高齢化し、あとを継いでくれる人もいなかったのだ。
店をやめて、分譲の住宅に入る人もいるのだろう。

しかし、イオンのスーパーの店舗が目と鼻の先に2軒あるのは解せない。
その理由はいずれわかると思うが、今の時点では新しい方は少し値段が高めになるというもの。
まあ、同じ系列でもダイエーは安くて、イオンは高級というイメージをつけたいのか。

もともと、線路を挟んでスーパーが3店あった。
ダイエーと、生協、そしてイカリスーパーだ。
新しいイオンはイカリの客を取りたいのかもしれない。

生協はもう店舗売りよりも宅配を強化しているようだ。
実際、買い物に行けない人も増えている。

新しいイオンはイカリ潰しかもしれない。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 17:44 | comments(0) | trackbacks(0) |