考えたこと2

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おとなしいアメリカ人
おとなしいアメリカ人 グレアム・グリーン 早川文庫。

こないだ、アメリカの保守主義に関する講演を聞いたが、その中で勧められた本。

グレアム・グリーンはイギリスの作家。
舞台はフランス統治下のベトナムであり、主人公はイギリスの現地駐在の新聞記者。

当時のイギリスをはじめとするヨーロッパ人が、大きな力を持つアメリカに対して持っていた「気分」を表した小説。

「アメリカ人」というと、「ヤンキー」のイメージでTシャツ姿で、大声で話し、ヨーロッパ人から見ると「かなわんヤツ」という雰囲気があると思う。

でも、そんなアメリカ人はまだマシで、「おとなしいアメリカ人」の方が困った存在だ…と主人公は考える。

おとなしいアメリカ人は、現実から離れた「理想」を持っており、それを「正義」として実現しようとする。
彼らの無邪気な「正義」ほど困ったものはないのだ。

ベトナムが南北に分断され、後のアメリカによるベトナム戦争に入る前の時代。

こんな風にして、アメリカはベトナム戦争に入っていったのか、ということがわかる。

そんな歴史的な背景の中で、退廃的なイギリス人新聞記者が、現地の恋人をアメリカ人と競いながら生きていく。

イギリス人が関わった、おとなしいアメリカ人の死を通して、あの時代のヨーロッパとアメリカの思いが描かれる。

ミステリ仕立てで書かれている。

この時のアメリカにはまだ理想があった。

でも、今のアメリカには理想よりもマネーが大事になったように見える。

グレアム・グリーンが生きていたら、どんなふうに描いただろうか…。

| | | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
レアメタル
レアメタル

希少金属という意味。

リチウム、マンガン、ベリリウム、ニッケル、モリブデン、ガリウム、バリウムなどがそれにあたる。
wikipediaでみたら、もっとたくさん載っている。

よく聞く名前だが、これらが稀少な金属だとは…。
希少ということは、あまりたくさん採れないということだから、そんなに気前よく使っていいのかな…ということだ。

リチウムやマンガン、ニッケルはパソコンなどの電池で使われている。
これからも、どんどん必要なものではないか?
電気自動車など、どうするんだろうか…。
埋蔵量とかわかっているのだろうか。

中国の地震でレアメタルが高騰し、それがビールの缶に影響を与えるとのこと。
何でそんなところに…と思って調べてみたら、薄いアルミの缶の強度を増すために、マンガンが添加されているとのこと。
以前のようにビンに戻せばどうなんだろうか…。

ガリウムは携帯電話で使われているらしい。
画面を光らせるためのLEDで使われているとのこと。

リサイクルの仕組みは大事だと思う。

ぼくが心配しても仕方ないが、それがなければ実現できないからこそ、希少なものでも使わないといけないのだろう。
でも、それは希少なのだから、コストは高いし、だいいち、なくなったらどうするのだろうか。

もちろん、設計者は、少しでもコストを下げるために代替材料を常に探しているのだとは思うが、そう簡単に見つからないからこそ、希少金属の価値がある。

大昔、ビッグバンでできた元素。
宇宙全体でも、そんなにたくさんないのだ。

一カ所にあるものを取り出して、少しずついろんなところにばらまいたら、いざ集めようとしても、集められない。

レアメタルが宇宙の贈り物だとすると、ちゃんと大事に使わなければ…。


| | 考えたこと | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロディア
こないだ、実家のそばの文房具屋さんでロディアという会社のメモ帳を見つけた。

ロディアはフランスの文具で、メモはよく使われていると思う。
特徴はオレンジ色の厚めのボール紙の表紙、ミシン目が入った方眼の用紙というところ。
いろんなサイズのメモが売られている。
前から気になっていたので、一つ買ってみた。

書いたものを残しておくということでは、リングタイプのメモがいい。
クルリと後ろにやってしまって、新しいページを出せる。
古いページが、新しいページを書くときのじゃまにならない。
これを発明した人は、エライ。

ロディアでは、それはできない。

リングではなく、のりとホチキスで止めているので、ページをひっくり返して使うのはすごく不便である。
どうしても置いておきたいメモは、ミシン目で切り取って別のポケットなどに入れる必要がある。

とりあえず、メモっておいて、あとでノートに写すなどの用途で使うといいのかもしれない。
ぼくはそんなめんどくさいことはしたくないので、このメモはたぶんこれで終わりだろう。

ただ、ロディアもユーザーの声を聞いたのか、昨年あたりからリングタイプのメモを新製品として出したようだ。
やっぱり、ピリッと切る快感はあっても、当座必要なメモはおいておきたいのが人情ということか。
リングタイプでも、得意のミシン目はいれているようだが…。
かえって、必要なメモがなくなったりしないのかな?

手になじむ大きさ、ピリッと気持ちよく切り取れるところが、ポイント。
何かを書いて、切り取って誰かに渡すのならいいだろうと思う。

アメリカの刑事物のドラマでは、上司から質問された刑事が、リングタイプのメモを繰りながら、質問に答えている場面がよくある。
そういう使い方をしたい人は使えない。

でも、これは何となくオシャレな感じがする。フランス風というわけでもないのだが…。



| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
雨にぬれても
ぼちぼち梅雨入りらしい。

暑くなったり、寒くなったり、台風がきたり…、ヘンな天候だが、もう6月だから梅雨入りで、それでいいのだろう。

雨というと、こないだ「窓の外は雨…」という曲のことを書いたが、他にもいろいろな曲がある。

「12月の雨」のことも書いた覚えがある。これはユーミン。

「冷たい雨」もいい。これもユーミンだが、ハイ・ファイ・セットの方がよく聞いた。

生まれて初めて買ったシングル版が、シング・アウトというグループの「涙を越えて」。
NHKのステージ101という番組の中で歌われていた曲。
サビの頭の部分で流れるトランペットのフレーズがかっこよくて、今でも忘れられない曲。
「涙を越えてゆこう なくした過去に泣くよりは…」というリフレインだった。

その次に買ったシングル版が、「雨にぬれても」…長い前置きになった。

「サンホセへの道」とか、「Close to you」などを作曲した、バート・バカラックの曲で、B.J.トーマスという人が歌っていた。
当時流行った「明日に向かって撃て」という映画のサウンドトラック。

洋楽の曲を買ったのは、これが初めてだった。

映画も見に行った。
ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン、キャサリン・ロス…懐かしい。
西部劇で、銀行強盗の映画だったが、とにかくラストシーンがすごかった。
ロバート・レッドフォードは、この映画が一番かっこよかったと思う。

深夜放送のヤングリクエストでも、ベストテン入りしていた曲だった。
よくはやったなあ…。

Raindrops keep falling on my head…という歌い出し。
雨粒がぼくの頭に降り続いている…。
サビでは、「雨が降ってブルーになっても、そんなことには負けない…」と歌われる。

中学2年の時、歌詞の意味もあまりよくわからなかったが、洋楽のシングル版を買うということが、何となくオトナになったような、すこし誇らしく、少し気恥ずかしいことだった。
この曲を買ったレコード店はもう潰れてしまって、今はない。

ちょうど、小降りになって、今の雨はこの曲で歌われているような雨になった。

明日は晴れるかな?


| | 音楽 | 23:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
不死鳥 火星に着く
知らなかったが、今日NASAのフェニックス・ランダーという調査船が火星に無事着陸して、画像を送ってきていた。
夕刊を見て、NASAのホームページを見たら、いろいろなCGがあった。

火星に着陸するのに、パラシュートを開くとは思わなかった。
大気があるんですね。
二酸化炭素の大気らしいが、だいぶ薄い。750パスカルとのことだから、地球が10万パスカルとすると、地球の1%以下になる。
だから、NASAのCGでも、パラシュートを開いておりていくフェニックスはすごいスピードだった。

着陸の瞬間のNASAのスタッフの様子もアップされていた。

現在の火星と地球の距離は約2億7600万キロとのこと。
電波は1秒間に30万キロ進むが、それでも電波が届くのに920秒もかかる。
たぶん、フェニックスから送られてくる速度や加速度、着陸用のレーダーによる火星の地表との距離のデーターを見ていたのだろうが、それも15分ほど遅れているということだ。

それでも、刻々と読み上げられる速度、地表との距離(これは、マイルではなく、メートルで言っていた)がアナウンスされ、最後にタッチダウンというところで、みんな抱き合って喜んでいた。
実際に着陸が成功してから、15分遅れの感動ということになる。

今回は、エアバッグを使わず、逆噴射で速度を調節して着地したのだからスゴイ。
本当にCGみたいにして降りたんだろう。

さっそく写真を送ってきていた。
今回は前のパスファインダーみたいに動くことはできないが、ロボットアームで土を掘って、いろいろと分析するらしい。

光の速さで15分もかかるところまで行ったということだけで、すごいと思う。
1年以上かかって、到着したのだ。

このフェニックスには、惑星協会のDVDが載っているらしく、その中にはいろいろな文献が入っている。

アメリカの惑星協会のページを見ていたら、アイザック・アシモフの作品が3つ入っていた。
日本人では、光瀬龍の「落陽2217年」(火星が舞台のSF)も入っている。

どちらも、生きていたら喜ぶだろうなあ…と思う。

火星の1年は地球の2年とのこと。

今が北半球は初夏なので、あと地球の時間で1年弱すると冬になり、今回着陸した緯度だと全く太陽が当たらなくなるので、マイナス100度くらいになり、ドライアイス漬けになって凍ってしまうらしい。

ということで、あと10ヶ月ほど、がんばって活躍してほしい。


| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
財布
財布の小銭入れのところに穴があいている。

1円玉が財布の外に挟まっていた。
なんでかな…と思ったら、ポケットの部分の接着が離れているのだ。

毎日使うものだから、何年かに一度は買い換えている。
消耗品なのだ。

今の財布はたくさんのものを入れる。
お金だけではなく、クレジットカード、テレフォンカード、診察券、プールの回数券、文房具屋のポイントカードなど…。

仕事し始めてから、10回くらい買い換えただろうか。

毎回これがいいというものを見つけようとするのだが、前のが傷んでしまってから買いにいくので、適当なもので間に合わせてしまう。
今回使っていたヤツは、小銭入れのところが二つに分かれていて、1円玉や5円玉を分けて入れるのが便利だった。

もうアブナイ状態になっているので、早めに次のを見つけないといけない。

こんどはどれくらい持つだろうか。

というか…、あと何回買い換えるんだろうか?


| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
素粒子のモンスター
ハヤカワ文庫アシモフの科学エッセイの第11巻。

このシリーズ3冊目を読んだ。

アシモフ先生の博学多識はすごい。
それ以上に、アシモフ先生自身が楽しみながら書いているのが伝わってくるのが楽しい。
自称「おせっかいな物知り屋」らしいシリーズ。

相対性理論の話、植物の葉緑体の話、初めて空を飛んだ人の話(ライト兄弟ではなく、気球で飛んだ人がいる…残念ながら最初の墜落事故を起こして亡くなった)など、次から次へと手品師にように繰り出される。

話の中でいつも感心するのは、リクツを述べるだけではなく、そのことに絡んだ人たちのことが語られることだ。

科学の歴史は、人間の歴史でもある。

正統に評価されている人、不幸にも少し遅れてしまって名を残せなかった人、惜しくも死んでしまってから評価された人…、アシモフ先生はそれらを丁寧に発掘して、暖かい目で紹介する。

標題となっている素粒子のモンスターというのは、磁気単極子のこと。
電気は、陽子と電子というプラス、マイナスのものに分かれるのだが、磁気はどんなものにもN極とS極が存在する両極子しか見つかっていない。
きっと、単極子(N極、S極のどちらかだけを持つ粒子)が存在するはずであり、それはすごく質量の大きなもの(モンスター)であるという話。

この本は1987年に出版されているが、残念ながら今でも書いてあることはそのままだった。
20年経っても、見つかっていないのだ。

逆に言うと、20年前に今でも通用しそうな話題を選んで書いているということになる。

あと何冊か読むつもり。



| | | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミスター・ボージャングル
最近、CMを見ていたら、BGMに昔の曲がかかることが増えたような気がする。(あまり見ないのでわからない)

松田聖子の青い珊瑚礁のカバー(誰が歌っているのかわからない)。
少し古めのアメリカン・ポップス(曲名がわからない)

わからないづくしになっているが、一つ、よくわかっているのは、ビールの宣伝でBGMに使われている、ミスター・ボージャングルという曲。
ニッティー・グリッティー・ダート・バンドという長い名前のグループが歌っている。

明るい曲だが、歌詞は悲しい。

ボージャングルという白髪のおじいさんが、古い靴をはいて、人生を語り、涙を浮かべて死んでしまった犬のことを話し、踊る…という歌。

6/8のビートで、跳ねるような曲だ。

リフレインで、「ミスター・ボージャングル、お願いだから踊って」というところで、涙が出る。

調べてみると、昔からいろんな人が歌っているらしい。

ぼくは70年代に入ってから、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのレコードで知った。

今夜久しぶりに聞いて、すごく懐かしかった。

そうか…、酒飲みのおじいさんの歌だから、ビールのCMに使われたのだろうか…。

とにかく、思い出して、よかった。


| | 音楽 | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
勝ち負け
勝ち負け

勝ち負けはわかりやすい。

だから、スポーツが好まれるのだと思う。
得点で競ったり、タイムで競ったり…。
大のオトナがスタンドで見ていて、勝ち負けでケンカまでするくらい、熱中する。

柔道はわかりにくくなった。
有効とか、指導とか…。

審美的なものもわかりにくい。
フィギアスケートなどは、その一つ。
だから、ジャンプの回転数が競われるのか。

仕事でいうと、売り上げとか、新規顧客の獲得数とか、クレームの数とか、数字になるものは、勝ち負けがハッキリする。
(これも、対外的にはごまかしもあるのだが…)

結局のところ、社会に出たら、勝ち負けで判断されることがほとんどだ。

たとえ数字にならなくても、誰がどれだけの仕事をしたかは、ある程度経験的な確かさをもって判定される。
平等ではない。それは当たり前だ。

一方で、今は小学校で勝ち負けをハッキリさせるのがよくないということで、タイムを計って、似たようなタイムの子どもにかけっこをさせる時代。

どのセンセイがどれだけよく教えたか…というようなことも判断されない。

学校の中は、驚くほど平等だ。

でも、そんなセンセイが内申書を書く。
今は相対評価から絶対評価になったりしているが、それでも内申書は平等ではあり得ない。

統一テストなどをやると、序列化が起こる…というのが決まり文句。
序列化というのは、まさに勝ち負けのことだ。
それはイケナイという。

人生は選択の連続だ。
とり得る道はいくつかあっても、一つしか選べない。
やり直しもきかない。
時間の流れの中で、あることを選択し、あることは選択しないというのが、生きるということだろう。
そして、何かを選択することというのは、多くの場合序列化していることだ。
一番を選ぶのか、二番を選ぶのかは別だし、何を基準に序列化するかは別しても…。

生きることの根幹の部分を否定してはイケナイと思う。

その中に浸っている人たちはよいが、そこから出ていかないといけない人たちはかわいそうだと思う。


| | 考えたこと | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
メカ好き
朝のニュースで、若い人が車への興味を失っているというニュースをやっていた。
お酒にもあまり興味がなく、もっぱら部屋にいることが好きだという人が増えているとのこと。

ぼくも出不精なので、何となく気持ちはわからぬでもない。

お酒はともかく、車が「欲しいもの」ではなくなったのはいろんなところで大きな影響をもたらすだろう。

すでに数年前から車のカリスマ性はなくなっていきつつあった。(これは前に「クルマの価値」で書いた)

でも、今朝のニュースで、若い人がインタビューに答えて「べつにいらない」、と言う素っ気なさをみると、何だかぼくらとは違う人だなあという気になる。

プラモ世代のぼくは、何やかや言っても、メカが好きだ。
機械ものが好きなのだ。

新しいエンジン、新しい機構、新しいデザイン…。

所有する、しないは別しても、そういうメカに心惹かれる。
新型車が出ると、ホームページを見たりして、「ほー」と感心したり、開発秘話を読んで「うむ…」とうなずく。
やっぱり、燃料噴射は電子制御でないとアカンとか、パワステがモーターになったから感じが違うとか…、そんなうんちくが好きだったりする。

それは、メカに対する愛着だろう。

30年ほど前は、そういう輩が多かった。

わけがわからなくても、雑誌で聞きかじったりしていた。

車の塗装の色などよりも、メカだった。
べつにキミドリ色など無くてもいいのだ。

それは、遠いところで、鉄腕アトムとつながっているのかもしれない。
心の奥底で、機械や科学をイイものとして捉えているのだろう。

アトムがドラゴンボールに変わって、メカはどうでもよくなったのかもしれない。

昭和ヒトケタの人たちは、メカで戦争に負けたという気があったのかと思う。
だから、よい機械を作るというのが「理想」だったのではないか。

そんなメカ好きの伝統がなくなってしまった。

理科離れという言葉も、そこにつながっているのかもしれない。

べつに車に興味を持ってほしいとは思わないが、メカに興味がないのは、残念だ。

小さなころ、何かのおりに電気製品のなかをのぞいて、真空管が光っているのを見て「おー、これが電気や」といった、そんな感慨はもうないのだろう。
だいいち、開けてみられるようなものもない。

これも時代の流れか…。




| | 考えたこと | 01:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
記憶に残る音
一度だけパイプオルガンを聞いたことがある。

石造りの教会の大きな聖堂に据え付けられているものだ。

あの音は、「荘厳」という言葉通りの音だった。

まるで空気が揺れているような低音、建物自体が楽器になっているようだった。

オルガンという楽器は、ピアノやチェンバロとは違って、力強い。
鍵盤が押されるのを、音が待っている。
出された音は、鍵盤が押されているかぎり、鳴り続ける。
パイプを吹いているのだ。

そういう音が、人を静かな気持ちにさせるのかもしれない。

日本の宗教音楽というと、神楽や雅楽というものになるのかな?
あれは、どちらかというと開放的であり、それに合わせて踊るというものだと思う。
日本の神さまは開放的だから、ああいうカタチになるかもしれない。

西洋の神さまは厳しい。
だから、閉じた空間で力強い音を鳴らす音楽になる。

もう20年ほど前になるのか…。

あの音は、匂いの記憶のように頭に残っている。

あれこそは、木の文化ではなく、石の文化の音だと思う。
| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
台風
今年はまだ5月だというのに、台風が上陸するという。

異常気象だ…と思ってwikipediaで調べてみたら、昭和31年の4月25日に大隅半島に台風3号が上陸したのが一番早い台風らしい。

二番目に早いのが昭和40年の台風6号。これは5月27日に房総半島に上陸した。この時はもう生まれていて、8歳になっているが、覚えていない。

それにしても、早い台風だ。

なぜ台風ができるのかは、よくわかっていないらしいが、その要因の大きなものは海水の温度であるとのこと。
海水の温度が26度以上あることが重要な条件らしい。

ということは、地球が温暖化して海水の温度が上昇すると、台風ができやすくなることになり、威力も増すのだろう。
緯度が上がって、日本近くまで来ると威力が弱るのは、一つは海水温度が低いからということだから、これが上がれば上陸直前になっても強い台風になる。

…という素人考えは、やはり素人考えらしい。

結局は地球の温暖化と台風やハリケーンの大型化(早期化?)の関係は、あまりよくわかっていない。

要は、「関係ある」という人と、「関係ない」という人と、「わからない」という人がいるということらしい。(詳細は不明)

結局は地球レベルの気候変動など、よくわからないということなのか。

これまた素人考えだが、産業革命以降、人間は何かを燃やして、その熱エネルギーを仕事に変えてきた。
馬よりも早く走り、鳥よりも早く飛び、魚よりも早く泳いだ。
それによって、生産性が上がり、たくさんの人間が食べられるようになった。
そのために、また、たくさんのエネルギーを使わないといけなくなる。

そのエネルギーは何らかのカタチで地球を暖める。
それが累積して無視できない量になってきたのが、今の温暖化ということではないのかな…。
メカニズムはともかく、温暖化しているのは北極の氷を見てもマチガイないのだ。

よくわからないが、今年の早い台風は、何となく不吉な予感がする。

台風の当たり年にならないことを祈りましょう。


| | 考えたこと | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
空想自然科学入門
アシモフ先生の科学エッセイのハヤカワ文庫第1巻。

この人は本当におもしろい。

生物学・化学・物理学・天文学の4部に分かれている。

第一部の生物学では、今の地球上に生まれた生物(水の中に生まれた、核酸とタンパク質を中心とするもの)以外の生物の可能性を追求している。
太陽系をモデルにして、各々の惑星の温度と、その上で液体であり得るもの、複雑な分子構造をとりえるものという考察を行って、生命のタイプを6つに分けている。
SF作家の面目躍如といったところか。

第二部の化学では、分子量が定められた歴史をわかりやすく語る。水素=1にするのか、酸素=16にするのか、炭素=12にするのか…。
ハッキリした数字が決まらないのは、やっかいな同位元素というものがあるからで、それは化学者ではなく物理学者の発見だった。そして、物理学者は化学者と違う数字を使いはじめ、具合が悪いことにそれは、それまで化学者が使っていた数字よりも正しい数字だったということらしい。
ぼくがこの数字を習ったのは1974年くらいだったと思うが、本によると今の形で分子量が決まったのは1961年。
化学者と物理学者がお互いに受け入れ合った結果だとのこと。
ふーん、そんなに新しい数字だったのか、と思う。

第三部の物理学では、エントロピーについて書いてあった。
熱力学から始まって、秩序・無秩序の話になる。
エントロピーはつねに増大し、あらゆる形のエネルギーの中で、熱が最も無秩序なものであり、熱でないエネルギーで何かが起こるときには、つねにそのいくらかは熱に変換されてエントロピーが増えてしまう。
なるほど…、地球上でエントロピーを減らすような行為は、太陽の中で質量がエネルギーに転換されてエントロピーが増大しているおかげなのか。

第四部の天文学では、宇宙の温度の上限はどれくらいなんだろう?という話が出てきた。
これは以前NHKの番組でみたことがあるが、超新星ができたときの内部温度がそれにあたるらしい。
それが60億度。これ以上には到達できない(爆発を起こしてしまうかららしい)
ニュートリノが熱エネルギーを持って飛び去ってしまうからとのこと。

これを実際に測ったのが、カミオカンデ。超新星の爆発で飛んできたニュートリノを測り、日本がノーベル賞をもらった。
やっとその意味がわかった。

このシリーズ、今となっては古い内容もあるだろう。
科学は日進月歩だから、それはしかたがない。
でも、アシモフ先生がときおりユーモアを交えながら、わかりやすく話してくれるエッセイは、読んでいて楽しい。
毎晩、少しずつ読んでいるが、ついつい寝るのが遅くなってしまう。

アシモフ先生のような科学者が、理科の教科書を作ってくれれば、いいのだ。

30年ほど前に出たシリーズだが、今になって読みはじめて2冊目。

こういうのは絶版にしてほしくないなあ…。





| | | 02:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
パーソナルカラー
こないだ、仕事でカラー関係の講師と会う機会があったが、いろいろな商売があるものだ。

その方は、会社の営業マンの研修などをやっており、営業の方々に対して、各々似合う服の色をどうすればよいか?というようなこともやられるらしい。
パーソナルカラーという。

「似合う」というのは、その色の服を着ると、お客さんから信用されるとか、自信ありげに見えるとか…要は商売が成功しやすくなるという指導とのこと。

たしかに、人によって似合う色、似合わない色というものがある。

こないだ、薄いグレーのスーツを着ていった出張先に壁一面の鏡があり、歩いているときに自分に気がついてビックリした。
一体だれがいるのかな?という感じだった。
自分で思っている以上に、年をとって疲れている自分がいた。
(人が見たら、そんなもん…というかもしれないが)

着ている服が悪いのか、それとも自分が疲れているのか、それはわからない。
でも、講師のひとと世間話をして薄いグレーは似合わないのかな…と思った。

子どものころは黄色系が好きだった。
あまり似合っていたとは思わないが…。

最近は黒、グレー系がメインになってしまった。

自分のパーソナルカラーは何だろう??



| | 考えたこと | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
クルマの表情
モノを擬人化するということをよくやる。

パソコンのデスクトップのように、自分用に画像を変えたりできるものは、自分の分身のように感じることもある。
動作が遅いと「今日は機嫌が悪い」とか、調子が良くないときに誰かに見てもらって直ったら「あの人の言うことはよく聞くなあ」とか…まるで人間のように扱う。

クルマというのも、そんな思いで見ることがある。

フランスのプジョーはだいたいそうなのだが、吊り目で、何となく怒っているような表情に見える「顔」をしている。

今日走っていたら、三菱のギャランが前にいて、このクルマのリアランプがすごい吊り目スタイルだった。
後ろを走っていると、何となく、怒られているような気になる。

この手の後ろ姿はめずらしい。

表情を決めるのは、ライトの形だろう。

昔のクルマは、おっとりした顔をしていたが、それはヘッドライトが丸かったのが大きな要因だと思う。
ライトはランプを反射させるために、凹面鏡の中で光っている。当時の技術ではランプの光量と凹面鏡の反射効率からして、大きな丸いライトしか使えなかったのだと思う。

それがハロゲンやディスチャージドというような光量の大きなランプができて、さらに曲面の加工精度も上がり、プラスチックの成型の技術も進んで、形の自由度が増えたのだろう。

空気抵抗を考えると、流線型のボディになるし、出っ張りを減らすためには曲面を使った異形のデザインになる。

そうなると、表情としてはロイド眼鏡から、サングラスに変わったような変化になる。

今はほとんどのクルマがボディと連続曲面を作るような、シャープな形のヘッドランプになった。

それに伴って、表情のバリエーションが増えた。

怒っている顔、気取った顔、精悍な顔、おっとりした顔…、中にはハ虫類みたいな顔もある。

でも、今日のギャラン、リアランプであんなに怒っているのもめずらしい。
デザイナーは何を訴えたかったのだろうか…。

今や自転車のランプはLEDになってきている。
そのうちクルマのランプもLEDの多灯式になるのだろう。
そうなると、もっとデザインの自由度が上がる。

もっと平べったい顔のクルマも出てくるだろうし、どこがランプかわからない…といようなクルマも出てくるだろう。

もう、ロイド眼鏡には戻らないだろう。

でも、今朝はあの丸い目が懐かしい…と思った。





| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストレスと笑い
ストレスは健康の大敵だと言われている。

もちろん、それはその通りだと思う。
ぼくも人並みに、神経性胃炎になったこともあるし、ストレスで胃がキリキリ痛むという経験もある。

ストレス状態の反対は「笑い」だと思う。
以前調べたことがあるが、笑いの効用として、笑うことによって「キラーT細胞」とか「ヘルパーT細胞」とかいうものを活性化するということが言われている。
これらの細胞は身体の免疫に関係しているもので、この活性化によって免疫が上がり、病気になりにくくなるというものらしい。

「ストレスと免疫」と入れてグーグルで検索すると、ストレスが免疫力を下げるということが書いてあるページがヒットする。

ということは、ストレスと笑いは主観的な判断だけでなく、生理学的にも反対の位置にいるのだろう。

たしかに、笑っている状態というのは、ストレスがかかっている状態ではないだろう。
ストレスを解き放つから、笑えるのだと思う。

だから、笑えることはいいことだ。

でも、いつもこのことを考えているとややこしいのが、ストレスは悪か?ということだ。

もちろん、強いストレスや長期にわたるストレスは悪だろうが、ストレスが全くないというのもヨクナイと思う。

何ごとにも裏と表がある。

ずーっと幸せだったら、それが幸せと感じられるだろうか?ということだ。

不幸せな(あるいは幸せではない)時間があるからこそ、幸せを感じることができる。

また、すごいストレス状態にあるときは、下らないことがおもしろくて、笑ってしまったりする。(不謹慎だが、中学の時に葬儀に参列してずっとマジメな顔でいるときに、前に並んでいる人の頭に木の葉が落ちてきて乗った…というだけで笑いがこらえられなくなって困ったことがある。)

よく笑うためには、ストレスがある方がいいのかもしれない。

だから、健康のためには適度なストレスが必要という言い方をされるのかな…。

ぼくはよく笑う方だと思うが…、ということは、ストレスも多いのかもしれない。

そんなふうに考え出すと、やっぱりややこしい。


| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
最高の人生の見つけ方
今日は一日出張で、仕事は夕方終わったのだが、名神の集中工事で渋滞しているので時間つぶしに映画を見に行った。

最高の人生の見つけ方。

ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン。
どちらもいい役者だ。

ジャック・ニコルソンは、こういう役がはまり役。
傲岸不遜な大富豪だが、内面はいいヤツ…という役どころ。
難しい顔をしている彼が、物語が進むにつれて見せる笑顔がいい。

モーガン・フリーマンはいつものように哲学者のような思慮深い人という役どころ。
それでも、自分の意志は曲げない。

死を目の前にして、やり残したことをやるのだ。
時間はそんなに残されていないが、二人ともそれほどたくさんやりたいことが残っているわけでもない。

若いころ、大学の教授にリストを書けと言われたのを思い出して、モーガン・フリーマン扮するカーターがベッドの上で書いたメモ。
余命を宣告され、ショックで床の上に丸めて投げたメモがきっかけになる。
実現すると、一つずつ消していく。
最後に残ったいくつかは、お金があればできるというものではない。
それは誰かと心が通じあわなければできなかったり、自分の気持ちの中で納得しなければできないことだ。
そして、それは最後に…。

原題はThe Bucket List…かんおけリスト。
死ぬまでにやりたいことのリストという意味。
映画はその原題通りのおはなし。

これは、オトナのおとぎ話だと思う。




| | 映画・舞台 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
窓の外は雨
今日は夕方になって雨が降ってきた。

今もしとしと雨が降っている。

こんな日は決まって思い出す歌がある。
イルカの「雨の物語」。

この歌のサビの部分が、頭の中で鳴っている。

「窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終わりに こんな雨の日 似合いすぎてる」
この、「窓の外は雨…」というフレーズとメロディがよく合っていて、すごく印象に残っている。
別にレコードを持っているわけでもなく、流行った当時によく聞いた覚えがあるだけなのだが…。

調べてみると1977年の曲。なごり雪の2年後に出たシングル。

伊勢正三が作った歌だが、彼らしい曲だと思う。
自分自身でも歌っていた。

ひょっとしたら、そっちで覚えているのかな…。

1977年というと、20歳だった。

前の年に山下達郎がソロでデビューして、下宿が近所だったI君がどういうわけかそのアルバムを買ってきて、「これはスゴイ!」と下宿仲間みんなで聞いた覚えがある。

その当時は、「雨の物語」には全く思い入れなどなかった。

それでも、今、雨がしとしと降ると、窓の外は雨…というフレーズが聞こえる。

どういう回路で、脳の中で雨とこの歌がつながっているんだろうか。

このフレーズはきっと忘れないと思う。

雷が鳴り始めた…。

こうなってくると、窓の外は雨…どころではないなあ。








| | 音楽 | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
自由と規律
高校に入ったときに読まされた本が「自由と規律」という岩波文庫の本。
アマゾンで調べたら、まだ売っていた。
もう入手できないのかと思っていたが、まだ手に入るのか。

発売が1963年の6月だから、ぼくが高校生になる10年前に出た本ということになる。

無理やり読まされたとはいえ、題名が覚えやすくて、ずっと覚えている。
なぜか本棚には見当たらない。
捨ててしまったのだろうか…。

記憶にある本の内容と、アマゾンの紹介のところに載っている紹介文がほぼ同じだったのは、何やかや文句は言いつつも、共感する部分があったのかもしれない。
でも、それほど意味は分かっていなかっただろうし、今でもちゃんと意味がわかっているかどうかはアヤシイと思う。

イギリスのパブリックスクールの学生生活の話。
自由は、規律の中から生まれるというような内容だった。
今思えば、その通りだと思う。

高校1年の時に読んで、どう思ったのか…ハッキリとは思い出せない。
感想文も書いたはずだが…、きっとあらすじを書いてお茶を濁したのだろう。

それでも、いまだに本の題名を覚えていて、概要を覚えているところをみると、読まされたのは正解だったのだと思う。

自由だからといって、何でもかんでも好き勝手にやればいいというものではない。
そんなことは当たり前だ。

でも、ひょっとしたら、それは今になったから思うことかもしれない。

三十数年の歳月は、人を変えるからなあ…。



| | 考えたこと | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
決まり文句
どこか、見知らぬところに行って仕事をするとき、とりあえず何かを連絡したとき…、決まり文句のように使う言葉がある。

「よろしくお願いします」という言葉。

この言葉、考えてみると不思議な言葉だ。
何を「よろしくお願い」するのか、ハッキリしないことが多い。

新入社員が入って、「本日配属になりました○○です。よろしくお願いします。」などという。

これは英語には訳せない。

「よろしくお願いします」の部分には「ベストを尽くします」とか、「皆さんと働けてラッキーです」とかいう言葉が入るのが通例。
気持ちとしては、「若輩者ですが、よろしく面倒をみてやって下さい」というようなものだろうか。

便利な言葉だし、ぼくもよく使うが、意味不明やな…と思いつつ書く。

特に、最後に一文つけ加えて、よろしく…などと書くときには意味不明なことが多い。

だからといって、「上記の件について、実施をお願いします」などと書くと、何となく差し障りがあるような気がする。

これこそ、「和をもって尊しとなす」という日本の文化か。

ということで、よろしくお願いします…。




| | 考えたこと | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
カスに向かって撃て!
前から読んでいるバウンティ・ハンター(保釈逃亡者逮捕請負人)、ステファニー・プラムのシリーズ。

もうこれで11作目になる。
前作は声を出して笑ってしまう場面があったが、今回は控えめだった。

いろいろと個性の強いキャラクターが出てくる。
主人公はハードボイルドらしく、ヘンなところで自分の考えを貫く女性。
この手の主人公は孤独なことが多いのだが、この人は家族を持っていて、それがこのシリーズの特徴かな。
寡黙なお父さん、料理が上手なお母さん、ちょっと神経質なお姉さん、馬が好きな姪、そして葬式好きなおばあちゃん…。
このおばあちゃんはシリーズの名脇役になっている。

毎回乗っているクルマが炎上するのだが、今回もやってくれる。
もう本人も慣れっこになった感じ。

ラストは意外なドタバタで一気に終わる。
これがまた面白い。

ジャネット・イヴァノヴィッチという作者は、このシリーズでベストセラー作家になったらしい。
すでに本国では15作目が出ている。

ハードボイルドのシリーズは、いずれも本のカバーのきれいなものが多い。
ステファニーのシリーズは、前作まで扶桑社ミステリー文庫だったのだが、今回から集英社文庫になった。
カバーのイラストが変わり、ポップな絵になった。これはちょっと残念。

気に入っているのは、V.I.ウォーショースキーのシリーズのイラスト。
ハヤカワ文庫だが、孤独な女探偵という感じが出ている。

…ということで、12作目を待とう。



| | | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
インクの色
ボールペンは、色が違っても同じだと思っていたが、どうも違うようだ。

インクの色が違うと、書き味が違うことに気がついた。

前にブルーブラックのインクについて調べたときに、発色のための薬品と、書きやすくするための添加物について書いてあった。

その時は色によって添加物を変えて、どの色でも同じような書き味にしているんだと思っていたが、色と書きやすさのバランスは色によって違う。

同じ銘柄のボールペン(もちろんHI-TECだが)でも、色が違うと微妙に違う。

ブルーブラックとブルーやアクアブルーでは、インクの軽さというか、ペンの走りが違う。

一番好きなのはブルーブラックだ。

人によって筆圧も違うし、好みがあるのだろうが、一番書きやすいと思う。

そんなことに気づいて、インクの開発をする人は大変だろうと思った。
発色と書きやすさのバランスをとって薬品を調合しないといけない。
インクが出すぎたら、にじむ。
にじまないようにしたら、かすれる。
いろんな筆圧の人がいる。
ペンの角度も人によって違う。
もちろん、色は変色してはいけないし、美しくないといけない。

考えたらいろいろな要因を満たさないといけないのだ。

インクの粘度、経年変化というような項目になるのだろうか。

ひょっとしたら、ペンの太さによって、インクの調合は変えているのかもしれない。
細いペン先には粘度の低い配合を、太いペン先には粘度の高い配合を…という具合。

インクのエンジニアリングだ。

昔は赤、青、黒の世界だったが、いまや12色ではきかないくらいのバラエティ。

何気なく使っているものにも、たくさんの苦労が入っているのだろう。

インクといっても、奥が深い…。



| | 考えたこと | 02:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
アケイシャ2
ユーミンのアケイシャを子どもに頼んで借りてきてもらった。

ほとんどの曲は聴いたことがなかったが、前半の曲はアジアを意識したような音作り。
「アジアを意識した…」というのはぼくの感想。
いつからか、ユーミンのメロディには短調のアジア風(といっては語弊があるが)の音作りが増えた。
初期のユーミンはアメリカ風(といっては語弊があるが)の曲が多かったが、一時アジアに傾倒した時期があったように思う。

acaciaという曲、アカシアという木の名前は出てこない。
「銀の花」というフレーズがアカシアの花を表しているんだろう。
難しい歌詞だ。何となく、
まだ見ぬ恋人を思い、アカシアが散る街を一人旅する…。

最後のフレーズは…

 なつかしすぎる未来が
 たったひとつの探しもの

この歌詞はなかなか書けないと思う。

後半は、いつものユーミンに戻る。
レコードなら、A面とB面で分かれているという感じ。

後半のバラードで知っている曲があった。
「幸せになるために」という曲。

この曲はユーミンのバラードの名曲の一つだろう。

このアルバムが出た2001年のころ…、部署を変わって、一からいろいろ考えていたころだった。

電話を取っても、前の部署名が口からついて出てきて、なかなか直らず、回りから苦笑されたことを思い出す。

まだ7年しか経っていないというべきか、もう7年も経ったというべきか…。

それにしても、ユーミンはすごいなあ。



| | 音楽 | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハードボイルド2
推理小説というと日本の作家が書いたもの、ミステリというと翻訳というのは相場として決まっているのだろうか…。

一昨日は久しぶりにそこそこ面白いミステリを読んだ。

この手の小説は翻訳が好きだ。
前にも書いたが、ミステリでもハードボイルドと呼ばれるジャンルがいい。

今回は、マイクル・Z・リューインというアメリカの作家。
インディアナが舞台のミステリ。「A型の女」という本。
題名から想像されるが、血液型から実の親を探してほしいという少女からの依頼で物語が始まる。

解説によると、ネオ・ハードボイルドという分野の小説らしい。

何でネオ・ハードボイルドというのか…主人公はクロスワードパズルが好きであり、銃も持っていないという知性派探偵…そういう設定が新しいという事なのだろう。

全体に乾いた模写であり、小説の中に本の十数行だけさらりと主人公の過去が書かれている。
それ以外の部分は、彼が事件について考え、行動するだけ。愛想がないほど主人公については語られない。

さすがにハードボイルドというだけあって、たとえ銃は持っていなくても、自分の考えは曲げない。
報酬よりも、自分で納得のいく仕事をする…いつもハードボイルドの探偵は割が合わないのだが、彼もその範疇に入る。

なぜ、ハードボイルドのミステリかというと、それらが主人公の生活に密着して書かれており、その土地の気候や風物、食べ物などが書き込まれているからだ。

特にハードボイルド小説は食事に関する模写が多い。
生活と食べる事は切っても切れないからだろう。

子どもの頃に、日曜洋画劇場でジャン・ギャバンが出ていた「現金に手を出すな」という映画で、ギャバンがクラッカーにバター(チーズ?)をのせて食べるシーンが忘れられないのだが(解説の淀川長治がコメントしていたはず)、あんな感じで(といっても分からない人の方が多いだろうが)食べるシーンが多いような気がする。

ほとんどの探偵たちは、いつも金欠状態である。

そして、忙しい。

だから、張り込みの合間や移動の合間に食事を済ます。
それでも、こだわりがあって、店やメニューを選ぶ。

そして、風の強いシカゴや柄の悪いニュージャージー、からりとしたカリフォルニアなどが描かれる。

そんな生活誌や風物詩も楽しもうとすると、ハードボイルドのミステリになってしまう。

つまるところ、ハードボイルドとは、「やせがまん」のことなんだろう…。

今週はもう1冊読む予定。

| | - | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
プラダを着た悪魔
ファッションにはほとんど興味はないが、この映画は面白い。

何のマチガイか、ジャーナリスト志望の女性が一流ファッション誌のカリスマ編集長のアシスタントに就職してしまうというコメディ。

編集長はハッキリしている。
人づかいが荒く、仕事を要求する。
実際には孤独なビジネスパーソン。
家庭を犠牲にしてまで仕事に打ち込む。
自分の作った帝国を簡単にあきらめたりしない。
食うか食われるか…それがビジネス。
でも、彼女にも彼女なりの思いやりがある。

そんなファッションビジネスの社会に飛び込み、知らぬ間に染まっていく主人公。
やるからには、認められたいという執念。

いったい何が大切なのか?

仕事、信念、生き方、友だち、恋人…。

そんなことを考えさせられる。

メリル・ストリープとアン・ハサウェイ。二人の心がだんだんと近づいていく。役者のパワーがあるんだろうと思わせる演技。

アン・ハサウェイを見ていると、元気になる。

ぼくには、メリル・ストリープが着ているものがプラダなのか何なのか、全くわからないが、それでも楽しめる。

ラストシーンは感動的。

いい映画だった。




| | 映画・舞台 | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
ナイト・ミュージアム
封切りの時に少し気になっていたが、今日子どもが見ていたので一緒に見た。

ベン・スティラーという役者、コメディなどでよく見る人だが、主役を好演している。
頭はいいけど、どうも人生がうまくいかないという役どころ。

もう一人、博物館のマネキンのフランクリン・ルーズベルトの役でロビン・ウィリアムズが出ている。
この人は、「グッド・モーニング・ベトナム」での社会派のコメディアンというイメージが強い。
「いまを生きる」での教師役もよかったし、「ロボッツ」もよかった。

ストーリーは、博物館の展示物が、夜になると命を得て動き回るというドタバタと、離婚して養育権を得た息子とのつながり、そして泥棒との対決とつながっていく。

何といっても、特撮(いまはVFX…ビジュアル・エフェクツというらしい)がすごい。
ティラノザウルスの化石が動き回ったり、ジオラマの小さな人形たちが動き回ったり、最近はそういうのが多いので当たり前みたいに見てしまうが、それでも70年代なら考えられない映像。

ネアンデルタール人、フン族、エジプトのミイラ、モアイ像、南北戦争の戦士、マンモス…、いろんな時代のものが出てくる。

よくできた映画だと思う。

リクツ抜きで楽しめる。

博物館、昔は退屈であまり行きたいとは思わなかったが、この年になると逆に退屈しのぎに見てみようという気になるところ。

でも、日常から離れた体験をするところだから、ある程度お金がかかっていないとイケナイと思う。

だいぶ前に行ったが、ポートアイランドの神戸市立青少年科学館はなかなかよかった。

中途半端にお金をかけるのではなく、作るならスゴイものを一つ作って、それを長く続けること(もちろん、展示の内容は変えていく必要があるが…)が大事だと思う。

ああいうのは、文化だから、世の中が豊かでないと作れないものだ。

豊かだからいいのか?という疑問はあるが、ちゃんとした博物館が作られ、運営されていくというのは、いいことだと思う。

おもしろい映画だった。




| | 映画・舞台 | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
アシモフ先生
アイザック・アシモフというと、「ロボット三原則」を思い出す。

手塚治虫もその三原則を意識しながら「鉄腕アトム」を作ったのだろう。

小学校の頃、SF読み物などでよく出てきた言葉だった。

だから、アシモフというとSF作家だとばかり思っていたのだが、そうでもない。
以前に買ったハヤカワ文庫のアシモフ科学エッセイ「次元がいっぱい」というのを読んで、感心した。

読んで…というより読み直したといった方が正しい。
本の整理をしていて、積んである山から出てきて、ついつい再読してしまった。

アシモフは大学の先生であった時期もあり、そのころに書かれた本が「次元がいっぱい」。
これが面白い。
科学への入門書という感じの書物で、どこから読んでも楽しめる。

アシモフ先生のノンフィクションは、ハヤカワ文庫でたくさん出ているが、なかなか本屋で見かけることはない。
一部は入手不能で、古書で探すしかないようだ。

数学のこと、物理学のこと、科学のこと、天文学のこと…。

何でも知っていて、それをわかりやすく、興味を引くようにおもしろおかしく書くというのは、並大抵の知識ではできない。
難しいことを難しく書くのは簡単だ。
難しいことをやさしく書けて初めてプロと言える。
そのためには、本当に自分で「おもしろい」と思った経験がなければいけないと思う。

だいたい、勉強などというものはイヤイヤやるものだ。
それが当たり前だと思う。

でも、本物のセンセイはどこかまで来たときに、面白さを経験して、それを伝えることができる。
教科書を理解しているとか、教えることを知っていることは大事だが、本当に大事なのは自分の経験した面白さを伝えることができることだろう。

その意味で、アシモフ先生はすばらしい。


| | 考えたこと | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
なさけない
朝めずらしくニュースを見ていたら、国会議員のセンセイたちの姿が映った。

経緯は省略。例のガソリン税の再可決の件だ。
賛否についてはふれない。みなさんご意見がおありでしょう…。

それにしても、やってることがなさけない。

中年…いや、老年といってもいいセンセイたちが、議長の入室を阻むために手をつないで壁を作ったり、通路をふさいだりして気勢を上げていた。気勢だけではなく、奇声も上げていたのだが…。

なんだか…ばかばかしくて悲しくなる。

デモンストレーションである。

示威をするなら、ちゃんとした場所で批判の意見を言うなど、他にやり方があるだろうし、少なくとも議会制ミンシュシュギとやらを奉じる人たちなのだから、あんなところで手をつないで通路をふさぐことで、国会の議決を止めることができると本気で思っているわけでもないだろう。

ぼくよりも年上の人たちが、通路で手をつないでバリケードらしきもの(本気でやるなら机やイスでも積めばよい)を
作っている姿を見せられると、本当になさけない。
…だからといって、議場の中で座っている人たちがエライとも思わないが。

あの人たちは、子どもでも学生でもなく、選ばれた議員なのだ。(それもいい年の…)

テレビカメラの前でパフォーマンスをやりたいのはわかる。

でも、パフォーマンスの質を考えてもらいたい。
議会で議論する権利と義務を持った人たちが、税金で給料をもらって、手をつないで通路をふさぐとは…。

デモはそういう権利と義務を持っているひとがやることではない。

他にやることがあるだろう。

選んでしまったのだからシカタナイとはいえ、本当になさけない。



| | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
アケイシャ
アケイシャとは、アカシア(acacia)の英語読み。

アカシアとアケイシャでは、響きが全く違う。

写真を見ても、どちらの響きがこの木に合っているのかはわからないが、漢字で書かないからこの木は西洋の名前をそのまま日本語にしたものだとは思っていた。

ユーミンのアルバム「acacia」が出て、それをアケイシャと読むことを知り、初めて「アカシア」は「アケイシャ」なのか…とわかった。

もともと、アカシアという名は「アカシアの雨がやむとき」という歌がなければ、知らなかっただろう。
そういう人はぼくらの年代以上ではたくさんいると思う。

でも、30年ほどたって、アケイシャと言われると、ビックリする。

音としては、アケイシャの方が好きだ。

ユーミンも年齢的に「アカシアの雨がやむとき」を聞いていたハズだから、それでも敢えて「アケイシャ」にしたのだと思う。

そのおかげで、アケイシャという言葉の響きを知った。
acacia…何ともいえない響き。

今日は突然「アケイシャ」という言葉が頭のなかにひらめいた。

このacaciaというユーミンのアルバムは2001年に出ているのだが、残念ながら聞いた覚えがない。

きっと何曲かは知っていると思うが、急に聞きたくなった。

明日TSUTAYAで借りてきてもらおう。




| | 考えたこと | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
エルゴノミクスマウス2

仕事で使うマウスを変えてから、1週間少し経った。

今まで右手の小指側からひじにかけて、すごくスジが張っていたのだが、マシになったと思う。

どの動きが一番効くかというと、人差し指でマウスの左ボタンを押しながらマウスを動かすという動作。
これが楽になった。

家で普通のマウスを使うと、それがわかる。

ずんぐりむっくりのマウスにすると、人差し指でマウスのボタンを押しながら、手を動かすという動作に、余分な力があまり入らないのだ。

よくできた話だと思われるかもしれないが、これは本当。

たしかに、手を自然にしている時のカタチは、普通のマウスの面のように平べったくない。
少し手のひらが丸まっている。
その状態が楽な姿勢なんだろう。

その姿勢のまま、指に少し力を入れて動かすのだから、楽になるハズだ。

考えた人はエライと思う。
これこそ、人間工学だ。

でも、売っているのは右手用しかなかった。
どうしても左手でマウスを使いたい人は、左右非対称のエルゴノミクスマウスは使えない。

野球のグラブと同じで、右用、左用が必要だ。
そのうち、出てくるのかな…。

マイクロソフトからも、ずんぐりむっくりのマウスが出ているが、これは少し大きすぎると思う。
日本人の手を考えて作ってないような気がする。

アメリカでB5サイズのノートパソコンが流行らないのと同じこと。
手の大きさが違うから、小さすぎてもダメなんだろう。

それにしても、考えたデザイナーはえらいと思う。



| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
読んだ本
このブログを始めてから、しばらくして本のレビューを書くのをサボってしまった。

読んだけど、レビューを書いてない本は、別に積んでいたら、だんだんひどいことになってきた。
まだ書く気はあるのだ…。

しかし、整理がつかなくなってきて、とりあえず読み終えた本をノートにつけておくことにした。
そうすれば、どれが書くべき本かわかる。

さっそく、専用の固い表紙のリングタイプのノートを買い、HI-TECの0.4mmボールペンでつけはじめた。

昨日一日やっていたら、どうしても本の中味をのぞいてしまって、なかなか終わらない。

「あれ、この本ホントに読んだかな?」とか、「これは、いい本だ」「途中までしか覚えてない…」などということになる。

そんなこんなで、2冊ほどその山から戻して、また次の休みに続きをやることにした。

しかし、昨日の時点で、リストを数えてみたら、どう考えても少ない。

そういえば、あそこに置いたなあ…と思い出し、あ、ここにもあった…という始末。

子どもに、整理が悪いからや…と指摘されて終わってしまった。

連休にはちゃんと全部リストアップするぞ。



| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |