考えたこと2

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今年のベスト
去年は年末に旅行して、読んだ本のベストの紹介をするのを忘れていた。

今年はご紹介します。

小説では、海外のミステリで面白いものもあったが、今年は「女たちのジハード」篠田節子がベスト。
時間を忘れて読むことができる。
働く女性たちのいろいろな人生を、いきいきと描いた小説。
篠田節子は、この本しか読んでいないが、この小説はさすが直木賞。

ノンフィクションは…難しい。
科学もので面白いものがあったが、あまり馴染みがないのでやめておく。
少し数学と関係があるが、とにかく面白かったのが、「マネー・ボール」マイケル・ルイス。
野球に興味のない人はすみません。
この本は野球というスポーツの見方を変える本。
永遠にアウトにならなければ、絶対に負けないということから、四球に最高の価値を与える。
そんな考え方でスカウト活動を行い、作戦を立て、チームを実際に強くした男の記録。

エッセイでは、急逝した池田晶子の本もあったが、今年は高島俊夫の「お言葉ですが」のシリーズを選ぶ。
この人は中国語の専門家で、その立場から日本語について書いた雑誌の連載を文庫にしたもの。8巻まで出ている。
今年、この人の新書の新刊が出たが、目を悪くされたようで口述筆記で出されたらしい。
もう書くことができないというのが残念。良くなられることを祈る。関西出身の人で、親近感がある。
この人の本を読むと、日本語と「漢字」の関係がよくわかる。
年代的には中年以上の人でないとわからない話題も多いが…。

紅白を見ながら書いているが、今日みたいに寒い日は演歌が合う。
「そして神戸」懐かしかった。
でも、クールファイブが4人だったのは残念。
この曲を聴くと、学園祭で演った歌謡ショーを思い出す…。

「君がいるだけで」「待つわ」「ルビーの指輪」…、これでは「懐かしのメロディー」ではないか…。
50代以上を狙っているのかな。

今年はとにかく老眼が進んだ。
でも、夏からプールに行きはじめたのは一つの大きな進歩。

世の中はどんどんワケがわからなくなるが、「来年はきっと今年より良くなる」と思う。
みんなが思うと、本当に良くなると思う。

 負けないで もう少し
 最後まで 走り抜けて

ZARDというグループの曲。いい曲だ。

今年も終わりです。

来年もよろしくお願いします。

よいお年を。






| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
Yuming films
こないだNHKでやっていた、ユーミンの曲にモチーフを得て作ったショートフィルムを見た。
「リフレインが叫んでる」「青いエアメイル」「A Happy New Year」の3本。

ユーミンの曲はもともとドラマ性が高いので、曲のイメージそのままを作るんだろうと思っていたら、何となく意外な3本になっていた。

人によって、曲から受ける感じは違うだろうから、それぞれの監督が感じたそのままを作ったのか、それともわざとひねったのかはわからない。
ぼくにとっては、意外だったというべきか。

結果的に15分くらいのフィルムにしようと思うと、あんなふうになるのか…。

ユーミンの詩はたいがい間接話法だ。
もちろん、思いは語られるが、それよりも情景が先にくる。
その情景から、何を感じるかは、聞いている人の思いで変わってくるのだろう。

「リフレインが叫んでる」では、岬を走る主人公が、「青いエアメイル」ではエアメイルの代わりに友達からのカードを受け取った主人公が、「A Happy New Year」では凍る街路樹を走る主人公が、それぞれ描かれる。

どれも、せつないフィルム。

ユーミン自身が解説で「泣ける」と言っていた。

こんな企画なら、もっとやってほしい。


| | 音楽 | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
神と仏
昼にお寺のコマーシャルをやっていた。
初詣は××寺へ…というもの。
普通は神社に行くのだが…。

ふだん何気なくやっているが、おかしなことだ。

クリスマスはキリスト教の祝祭。
クリスマスソングを聴き、心ウキウキする。
キリスト教の人たちは、クリスマスを単なるお祭りだとは思っていないのだろうと思うが、どうなんだろうか?

そして、大晦日には、煩悩をはらすために除夜の鐘を聞く。

年が明けると、神社に初詣に行く。

キリストを祝い、仏にすがり、神さまにもお願いする。

それが何の違和感もなく進んでいく。
おかしなことだとは思わない。
それはやっぱりおかしなことか。

あれは、宗教的な儀式ではなくて、単なるお祭りなのだろう。
そう思えば、とりあえず納得がいく。

個人的には、仏さんよりも、神サンの近くにいると思う。

一歩ずつ神サンに近づいていく。

今年もあと二日。

きれいになった窓を見て満足した。




| | 考えたこと | 14:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
中華そば
もうすぐ大晦日。

大晦日というと、年越しそばである。

そばのことを考えていて、ふと思い出した。残念ながらそばの話ではない。

ラーメンという言葉、ぼくらが生まれた頃にはなかったのではないか…。

母はぼくが小さいころ、ラーメンとは言わず、中華そばという言葉を使っていた。

wikipediaによると、「ラーメン」とは…

「…戦後、中華そばという名称が生まれた(ラーメンという言葉もあったが、中華そばの方が一般的だった)。1958年(昭和33年)に日清からチキンラーメンが発売され、「インスタントラーメン」という言葉が生まれて以降はラーメンという呼称が標準的となったが、地域によっては中華そばのほうが通りが良い場合や、ラーメンと中華そばを区別して認識される場合もある。…」

やっぱり…。
少なくとも昭和30年代、神戸では「中華そば」が主流だったのだ。

中華料理屋に行って、「何にする?」「中華そばにしよ」という会話が耳に残っている。

ぼくの中では、「中華そば」はまだ生きつづけているコトバ。

インスタントは「ラーメン」だが、中華料理屋に行って食べるのは、「中華そば」である。
醤油味で、薄いチャーシューが一枚か二枚、なると巻とシナチクが載っている。
だから今でも「ラーメン」と聞くと、この中華そばが頭に浮かぶ。

コトバは語りつがれていく。
中華そば。

でも、もう途切れそうだなあ…。



| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマスの約束2007
昨日の深夜、毎年恒例の小田和正の番組をやっていた。

クリスマスの約束。
彼らしいネーミングである。

もう還暦。60歳とは思えないバイタリティだ。
去年はすごくマイナーな、懐かしい人が出てきたが、今年は比較的メジャーな人が出てきた。

一人はさだまさし。

ゲストとして登場して、小田和正に、「あのころ(70年代後半から80年代前半か…)は、オフコースもグレープも、軟弱だということで、あまりよく言われなかった…」と言っていた。
そうだったなあ。
ぼくはどちらも好きだったが、たしかに「めそめそして、軟弱」というイメージがあった。「帰去来」というLPは何度聞いたことか…。

オフコースも、「さよなら」を出してメジャーになってからは、「軟弱」という声は小さくなったが、まだそんなことを言われていたと思う。

メッセージ性のあるフォークの残り香があった頃。

小田和正も、さだまさしも、「世界」や「社会」、「国家」というものではなく、「ここにいる人」を歌っていた。
「君」や「友」、「わたし」「あの人」…。

それが、学生運動の世代の人たちには「軟弱」にみえたんだろう。
ぼくらの世代には、隠れファンが多かったと思う。
おおっぴらに、オフコースとさだまさしのファン…というのは言いにい時期があったのは事実。

でも、結果として彼らが二人とも、いまだに活動を続け、ツアーをやればたくさんの人を動員するのだから、彼らのやってきたことは多くの人に受け入れられたという事だろう。

ベトナム戦争が終わり、学生運動が下火になり、毛沢東が亡くなり…時代が彼らを受け入れたんだと思う。
外野の声に屈せず、自分の道を進んできたのだ。

昨日は、若い頃の自分に、今の自分が問いかける…という歌を共作して歌っていた。いい歌だった。

もう一人は、佐野元春。
80年代に出てきた、孤独なロッカーで詩人というイメージ。
ラップを早くからやっていた。
彼も、自分の道を一直線という人だと思う。

昨日はSomedayを歌った。名曲だ。
カラオケでよく歌ったなあ…。
誰にでも、その年齢なりの「いつか(Someday)がある」と言っていた。
彼ももう51歳。でも、まだまだ若い。
51歳と60歳がギターをかき鳴らして、歌うのを見ていると、うれしくなった。

若いシンガーも出てきていたが、やっぱり年長組に馴染みがある。

また、来年、クリスマスの約束を果たしてほしい。



| | 音楽 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリスマス
今日はクリスマス。
我が家にサンタクロースが来なくなって数年が経つ。

トナカイのソリに乗って空を飛び、煙突から入ってくる、赤い服を着た白いひげのおじさん…。

わかってしまえば、来るはずがないことがわかるのだが、それでは夢がない。

世界中のどれだけの子どもが信じているのだろうか。
数億人と言っていいのだろう。

「どうも、いないらしいぞ…」という会話を友達といつしたのか、覚えがない。

そんな会話はしないのだ。

「まだサンタがいると思ってんの?」という会話もはばかられる…そんな存在。

どうも、クリスマスプレゼントはサンタさんが持ってくるものではない…とわかった子どもは、ひっそりとわかっている。

その会話をしていたとしても、きっとこいつはわかっている、という相手を選んで話す。

そんなふうに、世界中で今日ひそひそ話が行われたにちがいない。


Merry Christmas!




| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
師匠
今週の朝のドラマは、「師匠と弟子」という人間関係がテーマだった。

「先生」と違って、「師匠」という言葉は今は日常生活ではあまり使うこともない。
「師匠」は伝統芸能や習い事、囲碁将棋などの世界で使われる言葉。

先生は教えてくれることが決まっている。
英語の先生とか、国語の先生とか…。

師匠は、教えてくれる何かが決まっていない。
全人的なものだ。生きること、生活すること…その全てを「教えてくれること」を通じて教えてくれる…。
そんな気がする。

「師匠」と明確に呼べる人はいないが、近い人はいるなあ。

学生時代のI先生、K先生…。
そして、社会人になってから、上司や先輩だった何人かの人たち…。

もちろん、ぼくのことを弟子だとは思っていないだろう。

特に社会人になってからの「師匠」には、仕事のやり方を教わった。
個別に詳しく聞いたことは、そんなに多くない。
いろいろな場面で、その人たちがどんなふうに考えて、どんなふうに行動したか…ということが教えになっている。
それをそばで見たのだ。

共通するのは、「こうでなければならない」という思いがあったこと。
その時は反発したり、「何でこんなことを…」と思ったりもした。
でも、今は結果としてその人たちは「師匠」に近い存在だと思える。

そんな人にどれほど会えるか…、これは結果論だから難しい。

自分の思いがなければ、会ってもわからないからなあ…。




| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
12月の雨
去年もこの時期に書いたが、クリスマスが迫ると頭の中でこの歌が流れる。

荒井由美の「12月の雨」。

 もうすぐ来るクリスマス
 想い出の日には
 また会おうと言った
 もう会えないくせに

クリスマスがもうすぐ来る…そう思うと出てくるのだ。

入社した頃、研修期間は独身寮で2人暮らしだった。
同室のH君はひょうきんな、憎めないヤツ。
通勤電車は女学生がたくさん乗っている時間帯だが、その中で「12月の雨」を口ずさんでいた。

ぼくも隣で何気なく聞いていたが、彼の歌は…

 もうすぐ来るクリスマス
 もうすぐ来る正月…

という歌詞だった。
これが、ちょうどメロディに合う。
電車の中にいた女学生と一緒にぼくも笑ってしまった。

荒井由美の声の歌が流れたあと、H君の声も聞こえる。

順番は、荒井由美が先だ。

28年前の電車の中の歌がこれほど残るとは思わなかった。

今日は、一日雨。

「12月の雨」だった。

 時はいつの日にも 親切な友達
 過ぎてゆくきのうを 物語にかえる

ふー。
今年もぼちぼち大詰めだ。





| | 考えたこと | 00:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
千里の道も…
クリスマスソングの練習をしていて、「サンタが街にやってくる」をやってみたら、いい感じに弾けた。

以前、映画のことを書いた時に、この曲が出てきた。(いい映画だった。)

一度先生にレッスンしてもらった曲だが、あれから進歩したことがわかる。
ここは、このコードで…というのがスッキリと決まった。

やっていたら、少しずつでもできるようになるのだ。

今週の月曜日に今年最後のレッスンが終わったが、ぼくのギターについてはいい年になった。

月に2回のレッスン。

先生と同じように弾くなんて、とても無理だが、せめて足もとくらいにはいきたい。

千里の道も一歩から。

今夜は弾くことを楽しめた。

これはいい徴候だぞ…。



| | 考えたこと | 01:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
Season's Greetings
毎年この季節になると、レターが届く。
以前仕事を一緒にしたことのあるドイツの人から、Season's Greetingsが送られてくるのだ。

英語で返事を書くので、毎年少し遅れて新年になる。

彼は(不思議なことに、外国人が相手だと、彼という言葉が自然に使えるのはなぜだろう…)ぼくよりだいぶ年が上だが、いつも丁寧に接してくれた。
最後に会った日のことは忘れられない。

大の日本びいきで、来日した時は疲れも見せず、飲みに行ったり食事をしたりしていた。

頭のいい人だから、英語の文章も、ぼくらによくわかるように書いてくれる。

もう一度会って話ができれば…と思う。

彼のSeason's Greetingsの署名のところに、こんな英語が書いてあった。

"I was, have been, am and will always be Yours."

あの時も、これまでも、今も、そして、これからもずっと…ということだろう。

こんなふうに書くのか…。

一般的な言い回しではないような気がする。(ぼくが知らないだけかもしれないが)

でも、どういうわけかジーンときてしまった。

"I was, have been, am and will always be Yours."

こんなふうに書いてくれる友人がいるのは、すごく幸せなことだ。

今年はクリスマスまでに返事を出そう。



| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
献花
花には心を動かすものがある。

彼らが地球上に現れたのは、6500万年くらい前。
ちょうどほ乳類が現れたのと同じ時期だ。

人間の先祖が生まれた頃と時を同じくして、地球上に花が咲くようになったということか。

キリスト教のお葬式では、焼香の代わりに献花をする。

一輪の花に、死者への思いを託す。

献花台に一輪ずつ、花を置いていくのだ。

「花の命は短くて…」という詩があったが、花は散るからこそ美しいと思える。
桜がその最たるものだ。
美しく咲いて、新しい命を残して、散っていく。

散る花と、死者が重なって、花に思いを託すようになったのかもしれない。

生まれて初めて、キリスト教のお葬式に出たが、献花はいいなあと思った。

去っていく人に花を…。


| | 考えたこと | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の精算
数学や物理には真理と呼ばれるものがあるが、俗事になると真理というものがぼやけてくる。

誰にとっても正しく、誰にとっても価値があるものが明確にはならない。
人によって、宗教によって、民族によって、置かれた環境によって、真理は違ってくるだろう。

それでも、ただ一つ、生きていく上で間違いのない真理がある。

それは人は必ず死ぬということ。

生命が尽きるということである。

尽きる年齢に違いこそあれ、これだけは真理だ。

「一期一会」という言葉は、結局は「過去も未来もなく、今しかたしかなものはない」ということを言っているのだと思う。
「今」が終わる時がこの世を去る時である。

その時に、自分の人生をどう思えるのか。
身近な人の死を迎えると、そんな思いがよみがえる。

二十数年前、会社に入った時、役員の講話があって、エライ人から「君らは、今この会社に入って、今どんなことを考えているのか?」と聞かれた。

入社後の抱負など考えていなかったし、仕事をするしかないとしか思えてなかったぼくは、「何十年か働いて、辞める時にこの会社に入ってよかったと思いたい」と言った。

「えらい哲学的な答えやな…」と言われたが、それ以上は質問されなかった。
質問した役員も、そんなことを思っていたのかもしれない。

結局は25年間という中途半端な時間で会社を辞めて、仕事を変わったのだが、「この会社に入ってよかった」と思って辞めることができたのは、公約を果たせたということになるのかもしれない。

数年前までは、この世の生活を精算する時に、どう思うんだろうか…と思っていた。
人生の意味、何のために生きているか…みたいなことだ。
そして、そんな精算自体ができるんだろうか?と思っていた。

ところが、40を過ぎてしばらくして、そんなことは考えても仕方がないと思うようになった。
それは、きっとその時になったらわかる、という気持ちになったからだ。
その時、その瞬間に、きっと「なるほど、そうやったんか」とわかる。
その時にならないと、わかるはずがない。人間には「今」しかないのだから。

それからは人生の精算に対する思いは減った。

でも、時々は顔を出す。

先に逝った人が、いつか精算する時にそなえて、「今」を考えなさい…という機会を与えてくれているのかもしれない。




| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
「訃」という文字は「死を告げる」という意味とのこと。

今日は訃報を聞いた。

今の仕事に就く時にお世話になったHさんが亡くなった。

何度か病院にお見舞いに行ったが、仕事の話を聞いては、メモを取っておられた。
どんな思いで書いておられたのだろうか。

一度ご自身がボランティアをしている幼稚園で開かれたジャズのライブに呼んでもらったことがある。

あとで出演者のCDを貸してくれた。
「いつでも、ええで。ぼくはあんまり聞かんから…」と言っていた。

それを返せないままHさんは逝ってしまった。

今月、状況がよければお見舞いに…と言っていたのに、叶わなかった。

いつかは誰にも来ることだが、Hさんには早かったと思う。

冥福を祈ります。




| | 考えたこと | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
年内
ぼちぼち年の瀬である。
仕事をしていても、「これは年内にやってしまおう…」という言葉が出てくる。

今のところは、どれも「年内に…」のクチである。
でも、来週の半ばを過ぎると、もう「年明けに…」に変わっていく。

今年のことは、今年のウチに…というのが基本。
何となく「年を越すのはイヤだ」という気持ちがある。

正月をはさむと、忘れてしまうということももちろんあるが、「年を越す」ということ自体をはばかる気持ちが強い。

新しい年は、新しい気持ちでスッキリと…いきたい。

仕事納めの日には大掃除をして、机の上や身の回りをきれいにして、年が明けたら新しい気持ちで一からやるのだ。

実験室で仕事をしていた頃は、まさにそうだった。

一日かけて、入念に掃除をして、部屋に入るとスワイプ(当時使っていた洗剤)のニオイがする。
床はモップで拭き、計測器は丁寧にホコリを落とす。
そして、夕方から納会で飲んで帰る。

今年はできるだけ、「年内に」片づけてがんばろう。

あと2週間ほど。

それにしても、はやい。



| | 考えたこと | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカ人だったら…
期末考査の季節。

我が家の子どもたちも試験である。

英語は難しい…とぼやいているので、「外国の言葉だから、難しいのは当たり前だろう」というと、「それならアメリカ人に生まれていたらよかった」という。

もしも、アメリカ人に生まれていて、日本語を習うとしたらどうだろう。
英語を習うためには、大文字と小文字をいれても、50文字ちょっとのアルファベットを覚えればよいが、日本語を習おうと思うと、ひらがな50文字、カタカナ50文字、漢字を1000文字くらいは覚えないといけない。
おまけに、英語ほど確定した文法があるわけではなく、もっと大変だ…。

というような意味のことを言ったら、納得された。

日本語を学ぶのは大変だと思う。

まずは何から習うのだろうか…。

もちろん、挨拶などから言葉を覚えていくのだろうが、それをどうやって書いて覚えるのだろうか?
ひらがなを使うのか、カタカナを使うのか、漢字仮名まじりで書くのだろうか。

おそらく、日本語を教える基礎は確立していて、それでやっているのだろうが、想像できない。

人称代名詞は難物だろう。
「私」「あなた」という意味の言葉はたくさんある。
「おれ」「おまえ」「きさま」「おのれ」「ぼく」「あんた」「きみ」…。

英語なら"I"と"you"しかないのに…。

人間関係の哲学が違うのだとしか言いようがない。

だから、ぼくらは日本人に生まれて、英語を学べてよかったのだ。

生まれた時のどさくさにまぎれて、日本語を覚えてしまったのだから…。


| | 考えたこと | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブルーブラック
最近、ブルーブラックのボールペンをよく使う。

ずっとブラックを使っていたのだが、少し前にブルーブラックのペン(パイロットのHi-TECというやつ)を何気なく買って使いはじめたら、それが気に入ってしまった。

万年筆の時代の色だと思う。
むかしは、万年筆のインクといえば、ブラック、ブルーブラック、ブルーがメインだった。
ブルーといっても、空の色ではない。
もっと群青に近い色だ。

ブルーブラックはそれとブラックの中間の色。
両親の万年筆にはブルーブラックが入っていたと思う。

ひょっとしたら、ブルーとブラックを混ぜて作っていたのかもしれない。
…と思って、調べてみたら違うらしい。

http://www.nakaya.org/ink.htmlによると、

「インクの消費量の50%を占めるブルーブラックインクは、日光や湿気によって褪色しない上、防水度も高く、永久保存の記録に最適、とその優秀性はインクの中で最高。…ブルーブラックインクは、ブルーとブラックのインクを混ぜたインクではなく、第一鉄イオンが酸化して第二鉄イオンになり黒色沈殿を生じる酸化作用を利用しており、これに染料や硫酸を加えて書きやすくしています。カーボンや顔料を使用している他の色のインクとは色定着の仕組みが異なるのです。文字の耐年性はこのブルーブラックの成分に起因しています。」

ということらしい。

ブルーブラックが使われていたのには、理由があったのか。

色によって定着の仕組みが異なり、性能が違うということを初めて知った。

今のHi-TEC水性ボールペンのインクも同じリクツで作られているのかどうかは知らないが、ブラックで書くよりも目に優しいような気がする。
それに、何となく書きやすい。ペンの滑りがよいのだ。

何にでも、歴史があって、技術がある。

しばらくは、ブルーブラックのペンを使うつもり。
これはオススメです。




| | 考えたこと | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
季節もの
年内はあと1回でギターのレッスンも終了。

季節はクリスマス。
この季節はやはりクリスマスソングである。

今日は"Have yourself a merry little Christmas"をやった。

「ささやかなメリークリスマス」という曲(日本語の正式な曲名は知らないが…)

歌詞の中に、

 もし運命が許すのなら
 毎年集まりましょう
 輝く星を
 てっぺんに飾って

という一節がある。曲のクライマックス。

クリスマスソングには名曲が多いが、この曲は本当に素晴らしいバラード。

いい曲だが、12月にしか歌われない。
クリスマスソングは季節ものだからなあ…。

先生は、せっかくたくさんいい曲があるのに、もったいない…という。

本当にそのとおりだ。

買い物に出かけるとたくさんのクリスマスソングが聴ける季節。
温暖化でもう雪は降りそうにないが…。

来年の今ごろにも別のクリスマスソングを練習できるように、がんばろう。




| | 音楽 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
落語と漫才
「間」というものがある。

話し言葉でいうと、セリフとセリフの間の時間のこと。
この時間が短いと、つっこみ気味になるし、長いと、もたれ気味になる。

落語ではこの「間」が重要だ。
お客さんによって、最適な「間」がある。

老人ホームで落語をやる時は、長めの間を取る方がよい。
若い人が相手なら、短めにしないといけない。

間が短いほど、テンションの高い話し方になる。
短い間の時は、声の調子も上がるのが普通の話し方だ。

落語と漫才の決定的な違いは、この「間」であると思う。

落語は一人の人間が話すので、どうやっても、二つのセリフを同時に発することはできない。
セリフを「かぶせる」ことができないのだ。

「何でやねん」というひと言を、前のセリフを言い終わる前に言うことができるのが漫才。

当たり前のことだが、これはすごいことだ。

落研の時に、先輩と組んで漫才をやったことがある。
一度やると、その威力に驚いてしまう。

「何でやねん」「そんなアホな」というような言葉を、相手のセリフが終わる前にかぶせて言う。
落語では絶対に到達不可能なテンションの高さである。
そして、そこで笑いがとれる。

実際にやってみて、初めてその違いの大きさがわかった。

一人で喋って、その限界をカバーするのは大変だ。
そこに落語の話芸のすごさがあるのだと思う。

ひとつは、古典落語という、永く語りつがれてきた「噺」そのものの強さ。
時間に耐えてきたものは素晴らしい。

もう一つは一人で複数の人物を語り分けるという状態。
じっと座って、顔の向き、仕草、目線、声質などで場面を想像させる。
そのシンプルさが、逆に聞き手の想像力をふくらませることができるのだろう。

何もない空間に、漫才では見えない世界を作ることができる。
それが、笑いをとるための力を与える。

落語と漫才…どちらも奥が深い話芸だが、落語の魅力も捨てたものではない…と朝のドラマを見ていて思った。



| | 考えたこと | 01:22 | comments(4) | trackbacks(0) |
新しい死語
今日フジテレビで年末の歌謡祭をやっていた。

子どもと見ていたら、Mr.Childrenが歌っていた昔の曲に、「ノータリン」という歌詞が出てきた。

一緒に聞いていたら、「ノータリンて何や?」と聞くのでビックリしてしまった。
ずっと聞いていて、意味がわからなかったので気になっていたらしい。

脳が足りないから、ノータリン…アホのことや、と教えたら納得していた。

どんな意味だと思っていたのか?と聞いたところ、全く意味不明だったとのこと。
言葉の響きは飲料水の名前みたいな感じ…らしい。

こども二人が口を揃えて、そんな言葉は使わないし、聞いたことがないという。

今の十代には、ノータリンは死語らしい。

言葉の回転は早い。
オチケンを知らない二十代もいたし…。

どんどん死語が増えていくぞ。

だれか、死語辞典を作ってくれたら、面白いと思うのだが、どうだろう。
死語とは、十代のほとんどに意味が通じない言葉、というような定義である。

ノータリン、オチケン、エア・チェック、四畳半フォーク、全共闘、赤ヘル、トランジスタ、歌謡ショー、おニュー、半ドン、学生運動、プロレタリアート、プチブル、米帝…ここで死語だとあげたものだ。
「国鉄」や「専売公社」「交通公社」なども死語かもしれない。

あっと驚くような言葉が、十代ではもう死語になっている。

これはなかなか面白い企画だと思うのだが…。



| | 考えたこと | 01:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
明日に架ける橋
実家の隣がクリーニング屋さんの寮だった。

今はもう取り壊されてしまったが、若い人が入れ替わり立ち替わり入っていたと思う。
中学の頃、毎朝大きな音で音楽をかけて目覚ましの代わりにしていた人がいた。

誰だかわからないが、その人の好きなレコードはサイモン&ガーファンクル。

いつもかけていたのは、「明日に架ける橋」だ。

この曲はぼくも好きだった。すごく流行った曲だ。アート・ガーファンクルのトップテナーが素晴らしい。

友情について歌った唄。

一番に"I'm on your side"という歌詞がある。

あなたと同じ側ですよ…「あなたの味方だ」という意味。
この言葉がなぜか心に残っている。

シンプルな歌詞をピアノの伴奏とストリングスで歌い上げる。

レコードが出たのは中学2年のころ。

実際に歌詞の意味がわかったのは、高校に入ってからだった。

一つの時代を作った歌だと思う。
サウンド・オブ・サイレンスのようなポール・サイモンのギター伴奏もないし、二人のコーラスもあまり聞こえない。

その意味ではサイモン&ガーファンクルらしくない歌だが、この歌はすばらしい。

帰り道でクリーニング屋さんの寮のことから、そんなことを思い出した。

| | 音楽 | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間だけが…
去年の12月に書いたことを見ていたら、「一人で暮らす時の問題」というのがあった。

「笑うという行為は、人間が対象だと思う。
 ごくまれに、擬人化した動物が対象になるが、それは動物を人間として見ているからだろう。

 何でそんなことを思ったかというと、自然現象をみて笑ったという経験がないからだ。」

と書いてあった。

書いたことは忘れていくということがよくわかった。
だから、書く意味があるのだが…。

笑うのは人間だけだし、その意味で笑顔というのは、最も人間らしい顔なのかもしれない。

そして、笑うという行為は人間だけを対象にしている(と思う)。
笑顔でコミュニケーションがとれるということは、すごく人間らしい行為なのだろう。

知っている人と目があって、微笑んだり、久しぶりに会った人と笑顔で挨拶を交わしたり…。

笑顔はコミュニケーションの基本だとも言える。

何か発表をする時、難しい内容の発表であっても、どこかで笑いがとれれば、急に発表者とオーディエンスとの距離が近づく。
笑顔にはそういう不思議なチカラがある。

だから、別れる時は笑顔で別れたい。
そうすれば、次に会う時には、笑顔で会えるだろう。

人間はもともと孤独なものだ。

そして、人間だけがその孤独さの意味を考えることができる。

だから、人間だけが笑うのだろう。




| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
大事なことは些細なこと
NHKの朝のドラマで、主人公が落語家の内弟子修行をやっている。

内弟子修行とは、弟子として認められ入門した者が、師匠の家に住み込んで、家事や師匠の仕事の付き人をやるという仕組み。
落語の稽古をつけてもらうために内弟子になった主人公だが、洗濯、炊事、掃除などの家事一切をやらされ、憤懣やるかたない。不器用なので、上手に家事をこなして、稽古をしてもらう時間を作ることすらできないのだ。

窓ふきをしながら、兄弟子にそれを言ったところ、兄弟子はこんな事を言う。

あんたは、落語がやりたいのか、それとも落語家になりたいのか?
趣味で落語をやりたいのなら、自分がなんぼでも教えてやる。
でも、落語家になりたいのなら、掃除や洗濯がちゃんとできないとダメだ。
落語家というのは、人を気持ちよくさせる商売だから、掃除や洗濯を通じて人を気持ちよくさせるということができないと、なることはできない。

また、主人公は師匠が入れてくれたお茶がおいしかったということを、フリーライターの女性に話す。

自分と同じお茶の葉を使って、同じように淹れているのに、師匠さんが淹れてくれたお茶はおいしかった…。

それは、あんたが熱いお茶が飲みたい、と思っている時に師匠が淹れてくれたからおいしかったんよ。
どの世界でも、入った時は雑用をやらされるけど、それは相手のことを考えて仕事ができるように…ということでやってるんやと思う。落語家もおんなじやね…。

新聞に出たり、ニュースに出たり…世の中を変えるような大きな仕事ができる人がいる。
でも、世の中はそんな大きな仕事で成り立っているのではない。

もっと些細な仕事で成り立っているのだ。

一緒に働く人と能率良く、そして気持ちよく仕事ができるようにお互いに気配りすること。
掃除をしたり、お茶を淹れたり、相手の状況を見て自分のできることを探したり、逆に頼んだり…。
そんな気配りで世の中がうまくいっている。

それを学ぶのが、落語家の内弟子。
教科書などない。これは暮らしの中でしか学べない…ということだろう。

世の中を支えている「些細な仕事」は、学校では学べないのだ。

ドラマを見ていて、入社した時に実験室の掃除をしたり、片づけをやっていたことを思い出した。

大事なことは些細なことだ。

それができるようになるということが、社会人になるということだろう。






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十二番目の月
今年もいよいよ十二番目の月が来た。
昔の呼び名では師走。
陰暦から太陽暦に変えた時に、十二番目の月ということで十二月という名前になってしまった。

年末は忙しい。
忘年会もあれば、クリスマスもある。
年明け一番に報告してほしい、などという仕事もある。
必然的に報告する側は年末に頑張らざるを得ない。

ようやく寒くなってきたが、それにしても暖かい十二月だ。
まだまだ息が真っ白にはならない。

気の早い店では先月からクリスマスツリーを出していたが、ぼちぼち多くの店がクリスマス模様。
街にクリスマスソングが流れると、何となくうれしくなる。

ウチはもうサンタは来ないが、サンタが来る家は大変だ。
プレゼントを聞き出して、用意をしないといけない。
昔は大変だった。

とにかく、あと30回ほど寝たら、お正月が来る。

今年後半は新しい仕事で、いろいろやった。
自分でも頑張ったと思う。

その総括を年内にやって、来年は新たなスタートを切ろう。


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