考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
年末の風邪
一昨日から風邪をひいている。
つい10日ほど前にも風邪をひいて治ったばかりだというのに、またひいた。
そのおかげで、年末にずっと行っていた大学の友だちとの宴会にも参加を諦めた。

ぼくはだいたい風邪には強かった。
子どもの時から、高熱を出した覚えもないし、めったに風邪もひかなかった。
それが60歳に近づくにつれて、ちょこちょこ風邪をひくようになって、年末にこのありさま。

情けない。
あまり熱を出したことがないから、熱には弱い。
ちょっと熱が出ると、身体がだるくて動けなくなる。

寒さと風邪には直接の因果関係はない。
冬は空気が乾燥して風邪のウィルスが活動しやすくなるから、冬になると結果として風邪が流行る。
寒いと免疫力も下がるから、ダブルパンチになる。

それにしても、身体が病弱になった。
だんだんと身体が弱くなるのは、自然なことだと思うが、ちょっと早い。
このまま弱くなると、来年はどうなるのだろうか。

明日にはましになるはず。
今日、友だちと会えなかったのは残念無念。

あと何回会えるか…。


| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
第5の戦場
アメリカは、5月の「ワナクライ」のサイバー攻撃は北朝鮮の関与があったということを、公式に断定したとのこと。

そのせいかどうかはわからないが、アメリカの軍隊が、サイバー空間の戦力を強化することになったらしい。
民間からサイバー士官の候補を募集している。
ネットワークやサイバーセキュリティの技術者をターゲットにしているとのこと。
訓練終了後は中尉になる。

目立つウィルスの攻撃もあれば、ロシアのフェイクニュースなどのぼんやりとした攻撃もある。
例えば、相手国のネットワークに変なニュースを流したり、公的機関や企業のホームページを見られなくしたり、改ざんしたりできる。

さらに、どんどんインターネットを使った機器が増えている。
IoTなどと言っているが、それが進むとサイバー攻撃できるものが増える。
自動車だって、そのうちインターネットでつながるだろうし、そうなるとそれが遮断されると動かなくなったりする。
サイバー攻撃の対象は、これからどんどん広がっていくのだ。

下手をすると、サイバー空間だけで勝負が決するという時代も来る。
相手国を攻撃をしようとしても、その指令が行き渡らなかったりしたらどうなるのか。
通信が途絶えると、何も動かない。
おそらく、そういう回線はセキュリティが確保されるようになっているんだろうが、それ以外がムチャクチャになったらまとまらないだろう。
その時のために、固定電話の回線は残しておいたほうがいかもしれない。

そもそもインターネットは通信料が安く、一度にたくさんの通信ができるというのがメリット。
だから爆発的に普及した。
しかし、セキュリティを厳重に考えるとややこしい。
だからこそ、平和に価値がある。

アメリカの軍隊では、サイバー軍を太平洋軍や中央軍などと同等の「統合軍」に昇格させるらしい。

サイバー軍の士官はやっぱり軍服を着るんだろうか。
どんなオフィスにいるんだろうか。
何となく、半パン、Tシャツでパソコンを前にして、タブレットを持っているような気がする。

手書き、FAXで紙に埋もれていた時代が懐かしい。

「サイバー自衛隊」も本気でやらないといけない。



| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和の女流作家
佐藤愛子が90歳を過ぎて、「九十歳。何がめでたい」という本を書いて売れた。
新聞によると、今年一番売れた本だという。
今度は曽野綾子が、夫の三浦朱門を亡くして「夫の後始末」という本を書いた。

ぼくは、この2人に田辺聖子を加えて、3人の女流作家の本を若い頃たくさん読んだ。

もう3人とも高齢になって、そんなに書けない。

曽野綾子は夫の後始末を済ませ、今は雑誌の連載を減らしていく予定だという。
そういう年になった。

最初に読んだのは、田辺聖子。
実家で文庫本を1冊借りて帰った。
それがやたら面白かったので、本屋で文庫を買いだした。
当時買えるものはほとんど買ったと思う。
本棚を見ると、80冊ほどあった。
2006年につれあいであったカモカのおっちゃんを見送り、「残花亭日暦」という本を出している。
この人の小説に出てくる、人間関係の箴言には含蓄がある。
そういうのをアフォリズム、ということを学んだのもこの人からだった。
最近は源氏物語や枕草子などの古典の現代語訳が多くなった。

次は佐藤愛子だった。
当時雑誌にエッセイを連載していて、それを順番に買った。
小説を読んだ記憶がない。
ひょっとしたら、数冊は読んだかもしれない。
本棚には30冊ほど。並んでいる。

最後に読んだのは曽野綾子。
こちらもキリスト教関係のエッセイや生き方を書いたものだった。
この人のエッセイは勉強になった。
この人の本はまとめて置いてないので、何冊あるかわからない。

主に30代から40代のころ、よく読んだと思う。
3人共考え方がはっきりしていて、読んでいて小気味がいい。
昭和を代表する女流作家だ。(女流作家という言葉も死語になった)

これらの作家たちと、リアルタイムで生きられたのはラッキーだった。
女性は男性よりもリアリストだ。
建前にこだわらず、本音を語る。
だから、より生活に密着したことを書ける。

みんな、80歳をはるかに超えて、まだ現役。
まだまだ元気でいてほしいと思う。



| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
デフレの真因
ダイヤモンド・オンラインに、サラリーマンの額面700万円の人の手取りがどう変化したかが載っていた。
2002年から今年までの変化だ。
額面は変わらないが、この15年で年間50万円も手取りが減っている。
年収500万の人でも、35万円減少。

一年で50万というと、月に4万円以上になる。
月に4万円手取りが減ると、当然支出は減るだろう。
アタリマエのことだ。

これらの原因は「所得税も住民税も、厚生年金保険料も健康保険料もすべてアップ」ということだ。
サラリーマンの税金や社会保険は一番取りやすい。
源泉徴収になっていたり、会社から天引きされるからだ。
まさに、取りやすいところから取る、という国策。

しかし、それが国の活力をそいでいる。
個人消費が伸びないのは当たり前だ。

それらの若い人の給料を、老人の医療費や年金に使っている。
それに関連する役所も込みで金が使われていると思う。
これからまだどんどん増えていく。
もう限界に来ているのではないか。

若い人たちは給料が減って、使うお金が減った。
そうなると結婚が遅れたりできなかったりする。
さらに、将来の年金などあてにできないから、貯蓄に走っている。
企業は社会保障の負担があるから、非正規社員を増やす。
国は年金制度を維持したいから、正社員を減らしたくない。
今や労働組合は非正規社員の敵になっている。

安倍首相はデフレ脱却と言っているが、そう簡単にはできないだろう。

このシステムを変えないとムリだ。

| | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
不都合な未来
モノのインターネットIoTが進んでいくと、どうなっていくのだろう。
AIが進んでいくと、どうなっていくのだろう。
その最先端のベンチャーの経営をしている、孫泰蔵という経営者がインタビューに答えている。

それによると、2040年には今の仕事の8割がなくなるという。

これはエライことだ。
2040年というと、今生まれたての子供がまだ23歳。
世の中に出たところという頃合いになる。
しかし、今生まれた子供たちは、それに対応して就職できるからまだマシだ。

何にせよ、今までやっていた仕事が機械に代わっていくスピードが速くなる。
AIとロボットが組み合わさって、物理的な仕事もロボットに変わり始めると、どんどん移行が進むという。

こないだGoogle翻訳を使ってみた。
以前よりだいぶ賢くなったと思う。
中学校の宿題程度なら、簡単にやれるだろう。
こうなると、英語を学ぶ意味を考える必要がある。
文学をやるのなら別だが、コミュニケーションの手段としての意味は薄れるだろう。
おそらく、機械がリアルタイムで翻訳できるようになる。
それが、自走式のロボットに搭載されて、ホテルなどで案内できるようになると、人間の仕事が減る。
そういうことだろう。

既に台湾の工場ではロボットが24時間働いているらしい。
照明もほとんどなく、光は管理担当の人のところだけ。
今や工場の人件費はかからない。
人が要らないからだ。

そうなると、本格的に仕事がなくなっていく。
都市はスラム化する可能性があるし、経済的な格差が拡大する。
弁護士、会計士、税理士などの士業は9割くらいAIに置き換えられる。
医者の手術もロボットがやれるようになるという。

人間の仕事は何かを作り出す仕事にシフトしていくという。
なるほど、そうかもしれない。

そういう未来があと20年ちょっとで来るかもしれない。

これを不都合な未来と呼ばずして何というのだろう。

| | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
アストロズ
大リーグでは野球のデーター化がどんどん進んでいる。
球団によって違うが、データー化を進めて今年のワールドシリーズで勝ったのがアストロズ。
球場のあらゆるところにカメラがある。
バッティング練習をするときには、グリップエンドにセンサーをつけて、バットの軌道を調べる。
球団では物理学者や数学者も雇って、データーを解析している。
まさに、データー野球だ。

大リーグではデーター化が進み、打者によって守備のシフトを変える。
それがどんどん進んで、ヒットの確率が減った。
ボールを打って転がしても取られる確率が増えたから、それなら頭の上を超そう、ということだ。

それでフライボール革命というのが始まった。
どうやったら、野手の頭の上を超えていくか。
そのためには、飛距離が出る打ち方をしないといけない。
それもデーターで出ている。
ボールの7時の位置を叩くことを意識してバッティングをする。
それで飛距離が伸びたとのこと。

守備もデーターで変わる。
アウトごとに打球の滞空時間と野手の移動距離から捕球確率を出して、本当のファインプレーを評価する。
「本当の」というのは、楽に取れるはずの打球を、スタートが遅れてとりにいってもファインプレーに見えるからだ。
それを正確に評価し、真のファインプレーで選手評価をする。
もちろん年俸にもつながる。

それらを実現するのが、スタッドキャストというシステム。
野球場で起こることをすべてデーターにする。
こういうのが、ビッグデーターの活用。

アメリカは進んでいる。
野球というようなエンターテイメントでさえこれだ。

日本でもプロ野球機構が音頭をとってやればいいと思う。

でも、高野連など見ていると、野球をやっている人たちの頭が古いから、難しいと思う。
未だに、根性とか言っているんだろうか…。
この差は、野茂に始まって、イチローや松井などの日本のいい選手が大リーグに出ていく土壌の一つになっていると思う。

これを取り入れた球団は強くなるはず。

そうでないと、もっと大リーグとの差は大きくなってしまうぞ。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
杉原千畝 スギハラチウネ
こういう題名の映画。
姓が同じで何となく馴染みがあったので、ついつい録画した。

杉原千畝は戦時中の外務省の外交官。
リトアニアでユダヤの人たちにビザを発給した。
もちろん、日本はドイツと同盟関係にあったから、その行為は日本政府は許さない。
それでも、人々を助けるために本国の意向を無視して、リトアニアから退去をする時までビザを出し続けた。

それにしても、日本の政治家や軍隊は本当にひどい。
当時ヨーロッパの外交官の中には、ドイツが対ソ不可侵を破って進行し、そうなると日本は連合国と戦わざるを得ず、アメリカと戦って負けると言っていた人もいる。
杉原千畝もその一人。
まともに考えたら、勝てるはずはないのだ。
おそらく、国や軍の上層部でそう考えていた人は多いはず。

それでも、中国に侵攻した関東軍や陸軍の一部はなんとしても戦争をするつもりだった。
若手の士官たちも勝つつもりでいたのだろう。
昭和天皇が開戦に反対していたのは、周知の事実。
天皇陛下万歳と言いながら死んでいった若者はたくさんいるが、天皇陛下の言うことを聞かなかったのは軍隊の上の方の人たち。

それを一部の戦犯のせいにしてしまって、反省しない日本人。
大戦での戦死者は230万人だが、そのうち6割が餓死などの病死だという。
その責任はどこに行ってしまったのかと思う。
もちろん、原爆を落としたアメリカにも責任はあると思うが、日本人が日本人の罪を裁かないまま70年過ぎてしまった。
もう取り返しはつかないと思う。

それはさておき、こういう人が日本人にもいたということは、うれしいことだ。
日本の外務省からは追放され、亡くなってから何年も経ってからやっと認められた。
役所は本当に頭が固い。
間違いがわかったなら、すぐに認めたらいいのに、関係者が生きている間は認めないという感じだろう。

日本人も捨てたものではないと思える。
でも、本当に杉原千畝が訴えたかったのは、ビザのことではなく、世界をよくする、ということだった。

そちらの方がスゴイと思った。


| | 映画・舞台 | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
本当に賢いGoogle翻訳
今日時間があったので、もう一度Google翻訳のページで試してみた。
前回は中学校の英語なら、宿題もできると書いたが、試してみるともっと賢い。
もうほとんど、実際に使えるレベルではないか。
もちろん、そう思うから翻訳のサービスのページがあるのだが…。

昔、海外のサイトの英語の文章を、日本語に訳して社内で流していたことがある。
あのころ、これがあったら、楽だっただろうと思う。

ちなみに、日本文のニュースを英文でも報道しているサイトで、内容をチェックするとこんな具合。

英文
Four bodies suspected of being from North Korea were found Dec. 4 along the northern coast with the Sea of Japan, local authorities said.
Three of the bodies, believed to be of men and partially reduced to bone, were discovered in Yamagata Prefecture. According to investigative sources, police found one or more badges that appeared to be from North Korea with the bodies.
The fourth body, a skeleton, was found in Akita Prefecture along with pieces of wood that may have come from a boat.

Google翻訳結果
地元当局者は、北朝鮮出身である疑いのある4人の遺体が北海岸の12月4日に日本海とともに発見されたと地元当局者は述べた。
山形県で発見された人のうち3人が骨になっていた。 捜査筋によると、警察は北朝鮮からの身分証明書を1つ以上見つけた。
四つ目の骸骨は、船から来たかもしれない木片とともに、秋田県で発見されました。

もとの日本文
北朝鮮の出身と見られる4人の人の遺体が、12月4日に日本海に面する日本北部の海岸沿いで発見されたと地元当局が発表した。
男性と思われる、一部白骨化した3人の遺体は、山形県で発見された。捜査関係者によると、警察は、遺体につけられていた、北朝鮮のものと思われるバッジを複数、発見したという。
4体目の遺体は白骨化しており、ボートに由来する可能性のある木片と共に秋田県で発見された。

日本海北部とか、「男性」が「人」になっているとか、表現がおかしいところなどがあるが、十分に意味は通じる。
初めて見た人は、なんだこんなものか、と思うかもしれないが、昔と比べたら雲泥の差だ。
下手な人間よりもうまいこと訳している。

これをみんなが本格的に使って、どんどんAIに学習させれば、もっと賢くなる。
本当に英語教育について考えないといけない。
何のために教育をするのか、ということだ。

手段としての英語なら、機械に頼った方が確かかもしれない。
教養としての英語や、二つの言語を学ぶことの意味などを考えるのなら、どういうふうに学ぶのかを考えるべきだ。
既に日本語、英語、中国語の会話を自動で翻訳するイヤホンが、情報通信研究機構というところで開発されている。
イヤホンを付けた人同士で会話すると、AIが翻訳して伝えてくれるという。
話し終えてから、2秒語には翻訳が聞こえるということだ。

本当に、全員が小学校から英語をやる意味があるんだろうか。
もう決まってしまったことだとか、すぐ役所は言うが、これは見直すべきだと思う。

そうでないと、将来恨まれるぞ。


| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
アレクサその2
こないだ書いたアマゾンのAI、アレクサの記事がまたあった。
なかなか面白い。

AIスピーカーに内蔵されているAIは、ウェイクコードを設定できる。
買ったままの状態なら「アレクサ」。その言葉で呼びかけられたら青いLEDが点灯し、答える。
ウェイクコードというのは、どの言葉をかけたら、話しかけられたという認識をするか?というもの。
Wakeのことで、寝ているのを起こす、という意味だ。
何にでも反応して、会話に割って入られてもややこしいので、こういうコードが設定されているのだろう。

今回の記事は、アレクサに話しかけておいて、「なんでもない」というとどうなったか?というもの。
普通は用事があるから話しかけるわけで、通常の利用なら想定外だろう。

どうなったかというと、1回目は「なんでもない」というと「なーんだ。がっかり。」という反応。
2回続けると、「なんでもない」の返事に「ガチョーン」と返事するらしい。
もう一度やると、「お呼びでない。こりゃまた失礼いたしました」とのこと。

こういうのは、人工知能が学習したというより、プログラムした人のセンスだろう。
きっとアレクサの日本語版は、昭和生まれのぼくらの年代の人がやったはず。
このギャグはどちらもクレージーキャッツのものだからだ。

今ならかろうじて50代なら知っていると思う。
「ガチョーン」は谷啓のギャグだし、「お呼びでない」は植木等のギャグ。
今やこれをリアルタイムで知っている人は若手にはいないはず。

しかし、こういう記事を見るとアレクサが欲しくなる。
ぼくはアマゾンのプライム会員なので、音楽もプライムミュージックでそのまま流してくれそうだ。

グーグルの方が人工知能は賢そうなのだが…。

アマゾンは日本の金融資産の60%を60代以上が持っていることから、ターゲットを昭和生まれにしているのだろうか?

うーん、そんな気もするなあ。


| | 考えたこと | 21:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと
マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと ジョン・クローガン ハヤカワ文庫

アマゾンで中古で買った。

著者はアメリカの新聞社のコラムニスト。
13年にわたって飼っていた、ラブラドール・レトリーバーの「マーリー」の事を書いた本。
結婚とほぼ同時に飼い始め、別れるまでのエッセイだ。
「マーリー」はレゲエのボブ・マーリーから名付けた名前。

ブリーダーの所でラブラドールを買ったのだが、どうもあまりよくないブリーダーだったらしく、犬の両親を確かめられなかった。
引き取って帰る途中、父親らしい犬を見たのだが、不安を感じさせる犬だった。

案の定、もらってきたイヌは精神的に不安定で、標準的なラブラドールとは違う「おバカな犬」だった、という。
カミナリ恐怖症で、カミナリが鳴るとガレージに置いてある頑丈なケージをも破壊する。
自分が血を流しても、どこかに逃げようとする始末。
いつもよだれを垂らし、飛びつき癖があり、訓練所では失格する。
散歩をすれば飼い主を引っ張り回し、40キロの身体でぶつかってきたりする。
家中のものを壊し、何でも食べる。

最初の方を読んでいると、よく我慢できるなあと思う。
マーリーが壊して修理したお金で、きっとヨットが買える、と書いてあった。

しかし、読んでいるうちに、だんだんとマーリーが愛せる犬になってくる。
飼い主の気持ちが伝わってくるのだ。

最後にお別れする時は、涙が出る。

誰かが、イヌは寿命が短いけど、その短い一生で人間と同じだけ愛情を注いでくれる、と言っていた。
そういうエッセイだった。

大型犬は人に近いという。
なるほど、そうかもしれない。
アメリカみたいに広い家と土地があれば、いいんだろう。

日本では場所がなあ…。

| | | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教授は教育者
日本職業分類では学校教員は専門的・技術的職業従事者になる。
大学の先生でも同じことだ。

また、職業分類には研究者という分類もあって、これは定義によると「自然科学、人文・社会科学の分野の基礎的又は応用的な学問上・技術上の問題を解明するため、新たな理論・学説の発見又は技術上の革新を目標とする専門的・科学的な仕事に従事するもの」とある。
したがって、「研究大学」の位置付けを持っている大学で働く教員がそれに当たるのだと思う。

文科省は2年ほど前から、研究大学強化促進事業をやっていて、その対象は22大学だから、780校ほどある大学で、ほんの一部が研究大学であり、それ以外の大学の教員は本当なら学校教員、という扱いになる。
ただこれはあくまでも個人的な意見。おそらく文句がつくだろう。
大学教員は、ほとんどみんな自分は研究者だと思っている。

22校だけ、というのは極端な意見としても、780校のうち、半分以上は研究大学というよりも職業人養成大学である、というのは事実だろう。
科研費の分析を見ても、限りなくゼロに近いところにある大学群は実質的には職業大学と言ってもいいと思う。

したがって、10万人以上いる大学の教授・准教授のうち、5万人ほどは研究者というより先生だ。
軸足を教育におかないといけない。
そういうことを文科省はもっとはっきり言わないといけない。

おそらくアンケートを取ったら、自分は研究者だが、仕方なく教育をやっているというような気持ちの人が9割くらいになるのだと思う。
そこにおおきなギャップがある。

だから、文科省は新しく専門職大学というのを作り、既存の大学を転換するべく誘導するのかと思っていたら、そうではなく専門学校を専門職大学にして、天下り先を増やそうとしているように見える。
それでは学生や親の要望との乖離が広がるだけだ。

教育界のことは教育界にいない人が意見を出して、変えていかないといけない。
特に下位の大学に関してはそう思う。

そうしないと、いつまでたっても大学はよくならない。
ミスマッチを増やすだけだ。
だれも、学問をしようと思って入学するわけではない。
仕事に就きたいと思って入る人がほとんどだ。

そこをもっとちゃんとやらないと…。

| | 考えたこと | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
アレクサ
アメリカのIT大手はいずれも対話型のAIを出している。

グーグルは「グーグルアシスタント」、マイクロソフトは「コルタナ」、アップルは「シリ」アマゾンは「アレクサ」という名前。
AIスピーカーというのが巷で流行っているが、これはアメリカではアマゾンが早かった。
ここに搭載されているのが「アレクサ」というAIだ。
アマゾンエコーというAIスピーカーを買うと、アレクサがついてくるという寸法。

日本では今のところ、アマゾンから招待された人だけが買えるらしい。
まだプロトタイプという位置づけなんだろう。
これを1か月使った人の記事を見てみた。

例にたがわず、スマホでセッティングをする。
スマホやタブレットはIoTの必需品になる。
設定をして、「アレクサ」と話しかけるだけで、もうAIがセッティングされる。

なぜか、アメリカのAIはみんな女性の声だ。
「男女ともに女性の声の方が受け入れやすく、温かみを感じるから」ということらしい。

日本語の音声・会話は100%認識できる。
かなりの早口で喋っても問題ないとのこと。
えらいものだ。
もうそんなレベルになっている。

アレクサにできることは、基本的にWebでできること全部だ。
アマゾンプライムミュージックが使えるなら、音楽を鳴らすこともできる。
クックパッドを開いてメニューを聞いたり、ラジオをつけて流したり、ニュースや天気予報を聞いたり、レストランを予約したりできる。
そのためのアプリさえあればいい。これをスキルと呼んでいる。
スキルさえ適合すれば、照明のスイッチを入れるなどの家電の操作もできるようになる。
11月8日現在で265のスキルがすでにリストアップされている。
これによって、アマゾンを経由して各社のサービスを利用するという道をつけるのだろう。

アレクサとの会話はスマホのアプリに記録され、これがAIの学習のネタになるらしい。
どんどん賢くなっていく。
これが機械学習の強みだ。

最後にアレクサとの会話が書いてある。

「アレクサ、おはよう」

「おはようございます。今日12月3日は、ワン、ツー、スリー! ということで、奇術の日、だそうです。とうとう今年も師走を迎えましたが、まさに、マジックのように、あっという間に、行く年、来る年、とならないよう、日々を大切に過ごしたいですね」

こういう会話ができるとなると、末恐ろしい。

アレクサは歌も歌ってくれる。
このページで聞いてみてほしい。
なかなかいいぞ。




| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
日の名残り
カズオ・イシグロの原作を元にした映画。
原題は"The Remains of the Day"。
彼の本は読んだことがない。今回ノーベル文学賞をもらったので、ちょうどいいから見ようと思った。

アメリカの映画だが、舞台はイギリス。
時代は第二次大戦のあとだが、ほとんどの場面は回想で、対戦前だ。

主人公は貴族の家の執事。
お城のような大邸宅に住んでいて、たくさんの使用人がいる。
主人の貴族はドイツびいきで、ナチスさえ支持している。
回りで仕える人たちは去っていくが、自分は主人の主義主張は関係ないと残って仕える。
主人が死んだ後、関係があったアメリカ人が邸宅を買い取り、その後もずっと執事として残っている。

去っていった人の中には、有能な女性もいた。
その彼女から、20年経って、もう一度働きたいと手紙が来る。
そこから、この物語は始まる。

お互いに、前の主人の元で一緒に働いていたときが、人生で一番いい時間だった…。

そういうストーリーだ。
回想と現在が行ったり来たりするが、だんだんと分かってくるという脚本。

第2次大戦前にイギリスに親ドイツの思想を持った貴族がいた、ということにちょっとビックリ。
そういえば、以前やっていた刑事フォイルというのでも、そんな話が出てきたと思い出す。
いつの世も、いろんな考えの人がいて、世の中は成り立っている。
歴史になってしまうと、まるで一色に塗りつぶされたみたいになるが、現実はややこしいものだ。

執事を演じるのがアンソニー・ホプキンス。女性を演じるのがエマ・トンプソン。
どちらも、いい役者だ。

淡々と流れる時の中で、人生も流れていく。
思い出せば、いろんなことがあった。
執事という仕事は、何となく武士の仕事みたいな気がする。

人生の寂しさ、自分の居場所というものを感じさせる物語だった。
こういう作品を書いたのか、と納得。

カズオ・イシグロはイギリス人だが、この作品には人生の無常、という日本的なものがあるような気がした。

| | 映画・舞台 | 21:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校で英語?
小学校で英語教育を本格化する予定だが、一方で翻訳AIがどんどん賢くなって、英語学習が不要になる日がくるという記事も出てきた。

既に翻訳するイヤホンが販売されているところを見ると、それも嘘ではないと思う。
AIが囲碁や将棋で強くなるところを見ていると、機械学習が進めば本当に賢くなると思う。

Google翻訳を試してみるとよくわかる。
本当に賢くなった。
適切な日本語を入力すると、適切な英語が表示される。

翻訳が難しい「よろしくお願いします」と入れると「Thank you」と表示される。
大体の場合はこれでOKだ。
「善処します」なら「I'll do my best」になる。
「吾輩は猫である」なら「I am a cat」だ。
これが入力とほぼ同時に出てくる。
本当に中学校の宿題の英訳や英作文ならあっという間に終わるだろう。

今の小学生が働く年代になるのはだいたい十数年後だ。
外国人とコミュニケーションする、という意味ではほとんど必要なくなると思う。
「翻訳イヤホン」を使えば、事足りるだろう。

それなら、なぜ英語教育なのか、ということだ。
英語を学ぶことで、脳を鍛える、ということならそれもアリだろう。
しかし、それなら会話ではなく精読する方がいいと思う。
まして、小学校から英語などやる必要はない。
まず、日本語を鍛えることだ。

頭の古い人たちが集まって、英語教育について考え、小学校から導入を決めた。
小学校の先生への英語教育もできていないし、穴だらけの計画だと思う。

それなら、もう一度見直せばどうか。
AIが発展し、外国語のコミュニケーションを変えていくのだ。
その時、英語を習う必要があるのか。
英語を習う意味は何なのか。

英語教育に関わる人だけではなく、翻訳技術者や民間企業の人たちも入れて、そういう議論をすべきだと思う。

これからの小学生が大人になった時に、「あれはムダだった」と思わなくても済むように。


| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
優しすぎる日本
ある記事を見ていたら、フランスと日本の違いについて書いてあった。
こういう文章。

 「今はどうなっているか定かではないが、その話の当時、フランスの鉄道の列車内には、乗客がドアを開閉できるボタンがあった。そのボタンは停車中だけでなく、走行中にも動作した。
 ある日本人のフランス駐在員の奥さんがこの事実を知り「これは危険だ」と感じた。そして現地の新聞に「走行中に子どもが勝手にドアを開けて落ちたら大変だ。すぐに改善を求める」という内容の投書をした。
 するとそれに対し、新聞の他の読者から意見が寄せられた。「フランスにはそんなバカな子どもはいない」というものだった。」

なるほど、と思った。
日本人なら、「もしボタンを押して落ちたらどうしてくれる」という声が上がれば、マスコミも同調して何らかの防止策がされるだろうと思う。
この国は、そういう声が通る国だ。

フランスのように反対の声を出すと、「それなら、もし走行中にドアが開いて誰かが落ちたら、お前が責任をとるのか」などと言われる。
そうなると、黙るしかないと思ってしまうのだ。

記事の中では、フランス人は子どもに電車の走行中にドアが開いたらどういうことになるかを考えさせる、という。
だから、そんなバカなことはしない、というリクツ。
実際、フランスでは対策はとられなかったのだと思う。

30年ほど前にフランスに3か月出張したとき、そんなことを思ったことがある。
当時のフランスでは、メトロに1等車と2等車があって、乗ってしまえばチェックはなかった。
タダで乗り放題かと思ったら、ランダムに検札があって、もし見つかるとかなりの罰金を取られるというシステムだった。
会社のフランス人に聞くと、法外な罰金を払うリスクを取るのだから、タダ乗りする奴がいてもかまわない、ということだった。
トータルで見ると、罰金でメトロは儲かるだろうということだ。
日本なら、タダ乗りする人が放置される、という声が出てもおかしくなかったが、そんな声は聞かなかった。

日本はそういうことを許さない社会だ。
それはそれで、いいところはあるだろう。
しかし、最近見ていると、行きすぎているのではないかと思う。

これから貧しくなっていく日本の社会。
人の知恵で社会のコストを減らすことも考えなければならない。

少しはフランスみたいに考えないと。


| | 考えたこと | 21:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
阿蘇の噴火
阿蘇山が噴火してその被害が愛媛県まで広がり、原発が危なくなるというようなことは起こりうる。
それはその通りだ。
しかし、それが起こるとしたら、予兆はあるだろう。
地下のマグマが動き出し、いろんなところで地震が起きたり、小さな噴火があるはずだ。
地震予知につぎ込んだお金で、それくらいのことはわかっているはず。
どうも前回噴火したのが、何万年か前だったとのこと。

今回広島の高裁で、愛媛県の原発の運転の差し止めの仮処分が決まった。
広島という土地柄で、原子力に対するバイアスがあるのかもしれないが、どう考えてもこの決定はオカシイ。
そんな大噴火があると仮定した話が通るなら、もっと近くに住んでいる人たちはどうするのだろう。
いきなりそんな噴火が、何の前触れもなく起こるというのだろうか。
その確率はどれくらいあるというのだろうか。
あまりにも科学の知識がなさすぎる。

裁判官はどちらかというと文系の職業だが、理系の知識が要らない職業ではないと思う。
必要に応じて、そういう知識のある人達に聞いたらいいのだ。

もしも原発が動かないと、火力発電で月に35億が余分にかかる。
これは結局電気代に上乗せされることになる。

日本は火山国だ。
そこら中に火山があり、こんな状態が危険ということになると、設備など作れない。

1万年というオーダーで物事を考えることは必要かもしれないが、西暦が始まってたったの2017年。
西暦1万年まで人類が存続しているかどうかもわからない。
過去の恐竜のように小惑星が衝突して、滅びるかもしれないのだ。

原発に何かあった時の被害が甚大なのはわかる。
しかし、確率や効率というものは考えないのだろうか。
そういうことを総合的に判断するのが、裁判官というものではないのか。

それによって、年間400億以上の負担が増える。
それは電気を使う人みんなが負担することになる。
さらに、火力発電で二酸化炭素も余計に出る。

それらの事と数万年に一度の災害を想定して、安く電気を作る設備を止めるのと、どちらがみんなにとって有効なのか。
そういう判断をするのが、裁判所だろう。

それでなくても、日本の若い人たちは貧困化している。
中小企業も電気代が上がると困るのだ。

裁判所が気分で判断してもらっては困る。


| | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
討ち入りの日
12月14日は討ち入りの日だ。

赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に殿中でバカにされ、刃傷沙汰に及んだ。
吉良は傷は負ったものの助かり、一方で浅野内匠頭は切腹を申し付けられる。
切腹をした主君の仇を討つために、家老の大石内蔵助以下47名が1年以上をかけて準備して、吉良邸に討ち入ったのが、12月14日。
俗にこの仇討ちのストーリーを「忠臣蔵」という。

1964年、ぼくが小学校2年の時に赤穂浪士という大河ドラマがあって、それを一家で見ていた。
全話の平均視聴率は31.9%もあったという。
その後亡くなった祖母が、12月14日は「忠臣蔵」の討ち入りの日、と言っていて、覚えてしまった。

劇場で入りが悪くなっても、忠臣蔵をやれば客が入るとか、忠臣蔵は日本人の心情を表しているとか、そういう話も聞いた。
テレビで時代劇が盛んなころは、年末になるとどこかの局で「忠臣蔵」に類するドラマをやったり、昔の映画をやったりして、12月は討ち入りの月、という感じだったなあ。
80年代くらいまでそういう感じだったように思う。

さすがに90年代後半くらいから、知らない人が増えた。
大石内蔵助って誰のこと?という時代になったということだ。
今は若い人たちに聞いても、ほとんど知らない。
仇討ちという言葉も、江戸時代に使われたニュアンスで使われることもなくなったと思う。

ちょうど古い価値観が消えていったのと同じようなものだ。
武士とか、忠義とか、昔の「家」とか…。

封建時代の価値観だから、今には似合わないのは確かだ。
しかし、昭和生まれのぼくらの心に響くものがあったのも事実。

下宿で夜更かししたときには、朝の5時からラジオを聞いた。
12月に入ると、おはよう浪曲という番組は忠臣蔵一色だった。
刃傷松の廊下とか、天野屋利兵衛とか、懐かしい。
浪曲のしゃべりは落語に通じるものがあって、なかなか面白かった。

当然、ぼくの周りの同年代の人たちも、討ち入りの日というのを知らない人が多い。
ぼくは祖母の影響で、それを覚えた。

明治や大正生まれの人たちはどの程度知っていたのだろう。
日本人の記憶の中で、どんどん失われていくものの一つなんだろうなあ。

12月14日は「討ち入りの日」。

| | 考えたこと | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
至福の時
生きていてよかったと思える瞬間がある。
その一つが、面白い本を読むために、早く寝床に入ることができた時。

眠いわけではない。
本を読む目的で、寝床に入るのだ。

子どもの頃、本は寝る前に読むもの、と決まっていた。
それがずっと続いていて、趣味の読書は寝ながら、ということになった。
三つ子の魂百までで、その習慣は変わらない。

最近では「澪つくし料理帖」のような文庫で数巻あるような長編もの。
のってくると、ページをめくるのがもどかしくなる。

早めにお風呂に入って、寝る準備をする。
寝てしまってもいいように、歯磨きも済ませる。
スタンドをつけ、読みかけの本を手に取る時の嬉しさ。

これは間違いなく人生の至福の時だ。

そういう瞬間を迎えるためには、そういう本に出会わないといけない。

あと何度そういう本に出会えるだろうか。

| | 考えたこと | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
自走式スーツケース
歩くと後ろをついてくる「自走式スーツケース」が発売されるとのこと。
電池とモーターを積んで、スマホと通信し、それを持っている人についてくるらしい。
来年の2月から販売で、12万6千円とのこと。
ちゃんと障害物や段差を避けながら走行する。

エライ時代になったものだ。
垂直でも、水平でも走れる。
時速9キロで、連続駆動時間は4時間。
まあ、4時間動けば空港や駅で重い思いをしなくてすむ。
鍵は付属のスマホアプリでかけられる。

どれくらい売れるだろうか。
普通の買えば、スーツケースは2,3万だから、その5倍程度。
ちょっと高いなあ。

自重も問題だ。
電池で動くものは、電池が切れたときには結構重い。

電動自転車がいい例だ。
持ち上げて動かそうとすると、めちゃくちゃ重い。
電池が切れたら、大変だ。

スーツケースなら、充電を忘れたりすることも多いだろう。
移動した先で、充電できなかったりするかもしれない。
そのへんが難しいところ。

電池の能力が上がり、ブルートゥースというパソコン発の規格で通信する。
いろんなものが、自分で動くようになる日も近い。

電気代をもっと安くしてもらわないといけないぞ。



| | 考えたこと | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
世界のデーター量
ぼくは、グーグルのネットの仕組みを使っている。
検索だけではなく、ドライブやカレンダー、メールなどを全てグーグルに依存しているということだ。
何と言っても、無料だし、便利だからだ。

グーグルの使用許諾を全部読んで使っているわけではない。
グーグルについて書いてあるサイトによると、メールの内容からドライブに置いたファイルの内容まで、グーグルに解析する権利があるという内容になっている。

だから、個人にマッチングした広告が出せるというわけで、だから無料で使える、ということになる。
Gメールに送付したメールも解析されるので、Gメールで送信されたメールを拒否する会社もあるという。
そういうリスクは一応理解している。

結局、グーグルのサービスを便利に使おうと思ったら、何かを差し出さなくてはならない。
それが、個人情報だ、ということだ。
それとバーターでグーグルのサービスを利用している、ということだ。

でも、グーグルだけではない。
マイクロソフトもアップルもフェイスブックも似たようなものだ。
広告で収益を得ようとすると、そうするしかない。
無料で使う代償だ。

しかし、一方でグーグルは勝手にユーザーのデーターを公開したりしないし、プロモーションやサービス向上のためだけに使うとも言っている。
長いものには巻かれないと仕方がないのだ。

ぼくはグーグルの創業者が言った「邪悪になるな」という言葉を信用している。
他の会社よりもグーグルの方がましだと思う。
グーグルのサーバーは他のどこよりも安全だと思っている。

いずれにせよ、インターネットを利用する限り、外部に依存せざるを得ない。
そうしないとメール1つ送れなくなる。
だからと言って、Faxに戻ることはもうできないだろう。
そんなわけで、インターネット上のデーターの量はどんどん増えている。

今、全世界で生成されるデーターの量はどれくらいあるのかと思う。
そういう講演会があって、その案内によると…

「全世界で生成されるデータ量は年率40%もの勢いで急増しており、米EMCとIDC共同調査によると、2020年には2015年の約6倍、44ゼタバイトに達すると言う。
ゼタバイトは1000エクサバイト、あるいは100万ペタバイトだ。爆発的なデータ増加という課題を解決するには、大容量長期ストレージを効率的に管理するため、ディスク、フラッシュ、テープといった様々なストレージから、適切なストレージソリューションを導入する必要がある。」

と書いてあった。

今は個人でも写真や動画のデーターを扱うとテラバイトの単位で使う人もいる。
ギガの上のテラだ。
テラの上がペタ、その上がエクサ、その上がゼタということになる。
つまり、1ゼタバイトは1000エクサバイトで、百万ペタバイトで、10億テラバイトということになる。
44ゼタバイトは440億テラバイトだ。
つまり、44の後に「0」が21個並ぶ数。

今市販のハードディスクの容量で大きいものが4テラバイトくらい。
それを2億5000万個合わせたくらいの容量が2020年に世界で流通するということ。
想像を絶する。

90年代、インターネットの勃興期にそんなことになる、と想像した人などいなかっただろう。
2020年代、IoTというように全てのものがインターネットにつながり、AIという頭脳をインターネットを介して持つようになるとき、どんなデーター量がやり取りされるんだろうか。

ぼくは、そういう時代に老年期を迎える。
きっと激動の社会になると思う。

それはラッキーなのか、それともアンラッキーなのか、それすらわからない。

| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
パッセンジャー
2016年のアメリカ映画。
恒星間旅行を舞台にしたSFだ。

新しい地球型の惑星に旅行するためには、光のスピードでもかなりの時間がかかる。
光のスピードの半分の速さでも、100年以上だ。
その宇宙船に5000人の乗客と、250人ほどのクルーが乗っている。

もちろん、人間はみんな冬眠している。
ところが、機械のトラブルで技術者が一人だけ起きてしまう。
到着まではあと90年。着く頃には死んでいる。
そういうストーリー。

CGで宇宙の姿もこんなんだろうと思わせるような出来栄え。
恒星の火の玉も見える。

宇宙船が無重力空間で重力を発生させるために、クルクル回っている。
船の内部はどうやって撮っているんだろうか。
あれもCGなんだろうか。

船の内部も良くできている。
みんなが集まるはずのコンコースや食堂など。
酒場にはアンドロイドのバーテンダーがいる。

一人で寂しく生活する男が選んだ方法は…。

スペクタクルシーンもあり、ハラハラさせる。
CGにお金がかかるから、出演者は少なくなるんだろうか。

なかなかいい映画だった。

| | 映画・舞台 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
何で理系?
文系か理系かを選んだのは高校だった。
でも、ぼくはそれ以前にぼんやりと理系だと思っていた。

一つはプラモデルが好きだったこと。
電池やモーター、豆電球をつないだりするのは得意だった。
何かを組み立てて作るのは好きだった。
工作も下手だったが、好きだった。

もう一つはSFが好きだったこと。
SFのマンガやアニメ、小説も好きだった。
鉄腕アトム、鉄人28号、スーパージェッター、ワンダースリー、ビッグX、サイボーグ009…。
なぜSFが好きなら理系かというと、SFのSはサイエンスだからだ。

さらに、理科が得意だったこと。
高校に入ってからはダメだったが…。

だから、高校に入った時には迷いなく理系を選んだ。

ウチの父は商社に勤めていたが、経理部で文系だった。
でも、父は理系を進めた。
文系は本で学べるが、理系は設備が必要だ。
だから、学校で学ぶなら理系だという理由だった。
同じ学費なら、そっちのほうが得だというリクツ。
ひょっとしたら、戦争に負けたのは、科学の力が足りなかったからだと思っていたのかもしれない。

そんなわけで、大学も理系を選んで、技術系で就職した。
今に至るまで、それを後悔したことはない。
13年前に技術の仕事を辞めて、学校法人に変わったが、仕事のやり方は技術系のままだ。
それでよかったと思っている。

時間は戻せないし、人生は1回きりだから、今さらどうしようもないのだが…。

そんなわけで、ぼくは今でも理系だ。

それで良かったと思う。

| | 考えたこと | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
インティファーダ
インティファーダというのは、「イスラエルの占領地においてパレスチナ住民により組織的に展開された占領支配に抵抗する運動」のこと。
トランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認めたことによって、また新しい火ダネが増えた。
パレスチナではインティファーダを呼びかけているという。

イスラムのテロを防ぎたいのなら、エルサレムを首都と認めてはいけない、と思う。
イギリスを含む、ヨーロッパの主だった国々が反対しているのも当然だろう。
アメリカはイスラムと海を隔てているし、トランプ大統領の資金源などの関係もあるから、決定をしたのかもしれない。
でも、国として決定したということだから、簡単には覆らないだろう。
何といっても、両方の宗教の聖地なのだから、もめるわなあ。

ヨーロッパの国々にとっては、「なんちゅうこと、してくれるネン」ということだ。
イスラエルとパレスチナの問題は、もともとイスラム教とユダヤ教のもめ事であり、ヨーロッパの国々は何とか穏便な解決を望んでいたはず。
だから、どちらの主張も聞いて、どちらかに与することはしなかった。

歴代のアメリカの大統領も、国内ではユダヤの人たちの影響はあるものの、明確な判断は避けていた。
大多数のアメリカの国民にとっては、どうでもいいことだと思うが、だからこそトランプ大統領の決断は拙速だろう。

よほど、彼の国内の政治基盤が苦しくなってきたのだろうか。
共和党の主流派とは仲が悪いらしい。
それでも、まだまだ人気がある。

彼はぼちぼち2期目の心配を始めたのだろうか。
だいぶ追い詰められているんだろうか。

アメリカの歴代大統領が触れなかった問題に決着をつけた。
これが正しい選択だったかどうか…。

素人のぼくでも心配になる。

これでまたアメリカでイスラムのテロが増えなければいいのだが…。


| | 考えたこと | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
一万人の第九ロス
第九の本番が終わってしまってから、どうもよく眠れない。
目覚ましが鳴る前に目が覚める。
目が覚めると、頭のなかで第九が鳴っている。

このところは、最後のパートだ。
ザイトゥムシュルンゲン…という歌詞が頭の中で鳴っているのだ。

本番前の練習をしていた時は全くそんなことはなかったのだが、終わったとたんこういう状態。
第九の本番が終わってしまった、という気分だろうか。
ハレが終わって、日常が戻ってきた。
そういう虚しさなんだろうか。

あの1万人の第九に集まる人たちは、リピーターが多い。
たいがいの人たちは、一度あの感激を味わったら、また行こうと思ってしまう。
「5年ぶり」というプラカードを持って写真を撮っていた人は、その気分を味わっていたのだろう。

だから、35年間も1万人の第九が続いているんだと思う。
3ヶ月の練習を積んで、パートのメロディを覚え、ドイツ語の歌詞を覚えるのは楽ではない。
実際、音程の移り変わりや高さなどは、素人がなかなか歌えるものではない。
アイドル歌手が歌うようなメロディーを、ベートーベンは書いていない。
そのハードルの高さと、本番の感激が相乗効果を生んで、またやろうと思えるのだ。

やればやるほど、歌はうまくなるだろう。
それほど難しいとも言える。

それを1万人で歌う。
朝からずーっと座っていて、歌うのは最後の10分ほど。
それまでは、「あーしんどいなあ」と思っていた。
しかし、歌いきった時にはそんなことは吹っ飛ぶ。

一万人の思いが一つになった感じだ。
何とも言えない高揚感がある。
それが心のなかで続いているんだろう。

しばらくは祭りの後の状態かもしれない。
いずれ、また退屈な日常がやってくる。

それまで待とう。

| | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビジネス略語
ビジネスの第一線から退いて13年。
だいぶその世界も変わったのだろうと思う。

「新卒2年目が今更聞けない「ビジネス略語」8選」という記事があった。
そこで取り上げられているのが、これらの略語。

5S、ERP、KPI、3M、KY、QC、ISO、MoM・YoYというもの。
さすがにわからないものが増えた。

5Sは古い。ぼくが入社してしばらくして聞いた。
最初は3Sだったが、そこから4Sになって、5Sになった。
一番初めは整理整頓と言っていたんだと思う。
それに清掃が加わって3S、清潔が加わって4S、さらに躾が加わって5Sだ。
メーカーで工場に関係していたら、知っていると思う。

ERPは何の略かはわからないが、管理会計などのシステムのことだと思っていた。
Enterprise Resources Planningの略らしい。
元は経営資源の有効活用というような意味だったらしいが、それをするための基幹系情報システムのこともいうと書いてあった。
どちらかというと、そういうシステムのことをERPと呼んでいたなあ。

KPIは初めて聞いた。
「Key Performance Indicator」のことらしい。
日本語で言うと、「重要業績評価指標」。読んで字のごとく、重要なプロセスをおこなっているか、チェックする指標のこと。
こんな言葉もできたのか。
でも、この言葉は売上などの最終目標と勘違いして使っている人が多いという。
そうではなくて、売上を達成するための行動などの指標とのこと。最近の言葉らしい。

3Mというと、ポストイットの会社という感じだが、それとは違う。
「ヒト(Man)・モノ(Material)・カネ(Money)」であったり、「ヒト(Man)・機械や設備(Machine)、材料(Material)」と生産の基本要素を指していることもあるし、「ムリ・ムダ・ムラ」の3つの頭文字をとって3Mとする場合もあるとのこと。
ムリ・ムダ・ムラはよく聞いた。これならわかるのだが…。

KYは有名な「空気を読まない」ではない。
危険予知のことらしい。
危険予知ならよく聞いた。事故が起こらないように、危険予知しましょうというような具合。
これも略されているのか…。

QCは有名だ。
メーカーの人間なら誰でも知っている。
Quality Controlのこと。品質改善活動などの意味だろう。

ISOも知っている。
International Organization for Standardizationの頭文字。国際標準化機構のことだ。
モノの品質だけでなく、手順とか体制の品質も保証しようということでISO9001などのものが制定されている。
これを取るのは苦労するのだ。

MoM・YoYは初めて聞いた。
営業や経理の人は知っているのかもしれない。
MoMはMonth over Month、YoYはYear over Yearのこと。
要は前月比、前年比のことだ。

十数年離れて、だいたいわかるのが半分ちょっと。
まあ、そんなものかもしれない。

アルファベットの略語はややこしい。
でもまだ「5S」が生きているのには驚いた。
整理・整頓・清掃・清潔・躾。
これは死ぬまで忘れないだろうなあ。

| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゲネプロ
一万人の第九で聞いた言葉。
本番の朝、リハーサルをもう一度行ったが、それのことを「ゲネプロ」と言っていた。
あまり英語らしくない響きだし、わざわざリハーサルと言わず「ゲネプロ」というのはどういうわけなんだろう。

Wikipediaによると、「ゲネプロ」はドイツ語のGeneralprobe(ゲネラールプローベ)の略称とのこと。
Generalは「総合」、Probeは「稽古」という意味だそうだ。
シンフォニーで「ゲネプロ」と略して使うケースが多いとのこと。
なるほど、やってるのが第九というクラシックだから、ゲネプロというのか。

結局、ゲネプロというのは日本語で言うと、「通し稽古」のことだ。
本番と同じように進行する。
曲順、登場するゲストなど、本番どおりだった。
でも、衣装は普段着で、厳密な意味でのゲネプロとは違った。

衣装なども含め、全く本番の通りにやるのが本来のゲネプロ。
英語では単なるリハーサルではなくドレスリハーサル(Dress rehearsal)と言う。
演劇界では英語のドレスリハーサルを使うことが多いということだ。

現場で実際にやってみて、照明や音響の具合も確認しないといけないし、ステージ上の位置決めやマイクの受け渡しなども確認しないといけない。
今年はインターネットで生中継したので、余計に気合が入っていたのだろう。
去年までは録画だけだったからカットも可能だった。

でも、ゲネプロという略語は日本だけ。
ドイツではゲネラールプローベと言わないと通じないらしい。

今や卒業アルバムも卒アルと略す日本だからなあ。

ウィーンから何人かコーラスに来ていたが、ゲネプロはわからなかっただろう。

だれか通訳したんだろうか…。


| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
おかしな世の中
銀行業界が大幅に人や仕事を減らすという。
みずほ銀行は1万9千人の人員削減。
三菱UFJと三井住友が9500人、4500人の業務量削減とのこと。

みずほはダイレクトに人員削減と言っているが、三菱UFJも三井住友も業務量を削減して、人員も減らしたいのだろう。
要はメガバンク関連で3万人の雇用が失われる、ということだ。

地銀、信金、信組は言うに及ばない。
いずこも経営統合などの話がありそうだ。
金融庁は多すぎるというメッセージを出しているし、潰れざるを得ないのだろう。
もちろん、まだまだ実際に潰れてはいないが…。

国内は低成長で、利益が出ないから海外にシフトするとか、フィンテックに押されて合理化をせざるを得ないとか、そもそもお金が無国籍になって手数料が要らなくなるとか、いろんなことが言われている。
そのどれもがある程度は当たっている。

日本は日銀がマイナス金利までして、市場にお金をばらまきまくっても、インフレにならない。
国内に投資するところがないからだ。
見つけることができないということもある。

国内企業も余ったお金を海外に回す。
工場を作ったり、用地買収をしたりするのは海外だ。

国内の市場は人口減少で縮小する。
おまけに財政はやばい状態だから、先を不安視して国民がお金を使わない。
貯蓄に走っているのだ。

年金や医療の体制が、これから先どんどん苦しくなることを政治家はだれも言わない。
2025年に団塊の世代が後期高齢者になったら、急激に医療費は増加する。
それがわかっているのに、野党すら何も言わない。
まだ自民党の方がましだ。

お金は経済の血液だというが、それが回っていないのだ。
だから、成長率も低い。
GDPの600兆円など、どうやって達成するのか。

規制を緩和して、新しい産業を起こしやすくするような手を打つしかないと思う。
経済が上向けば、いろんなことがいい方向に向かう。

そう思うのは、高度成長を経てきたぼくらの悪い癖なんだろうか。

それとも、一歩下がって、現実を直視することか。
マスコミも、あと7,8年で財政が大変になることはわかっているのに、なぜ言わないんだろう。

戦後のシステムが劣化しているのだ。

もう一度スクラップ&ビルドしないといけないと思う。

残された時間はそんなにないと思う。

| | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
シルバー製品
昨日大阪城ホールに行って思ったが、これからどんどん高齢者が増えていく時代、いろいろと高齢者が活躍できるような製品作りが必要だと思う。

とにかく、昨日はトイレが大変だった。
高齢者が増えると、トイレが近くなり、ああいうたくさんの人が寄る場所では対応が必要だ。
昨日は通しリハーサルの間と、本番はずっと座って待たないといけなかったので、その前の休憩の時にはみんなトイレに立つ。
今はあまり行きたくなくても、これから2時間半トイレにいけないと思うと、やっぱり行っとこうと思うのが高齢者の気持ちだ。
トイレに行きたい気持ちを我慢して、歌など歌っていられない。

特に女性は人数も多かったし、大変だったと思う。
もうすぐ本番が始まるから、ご留意くださいなどとアナウンスしていたが、どうにもならない。
みんな、そんなこと言われても…、という感じだった。
女性の方は長い列ができていたのに、みんな諦めて席に戻っていたが…。
大丈夫だったんだろうか。
昨日は結局本番が5分遅れて始まった。
プログラムにも影響するわなあ。

もちろん、若い人たちは違う。
昼休みにコーヒーを飲んでいる若い人を見て、「これが若いということやな」と思った。
何の心配もなく食後のコーヒーが飲める、というのは若さの特権だ。
こちとら、朝も控えて来ているのに…。

いざという時の紙おむつはいいと思う。
ちょっと心配だから、はいていこう、という感じ。
もちろん、そういう日は飲み物は控えているから、そんなに量が出るわけではない。
だから、少なめの1回分は吸収するというようなものだ。
こういうのがあれば、安心だ。

においもせず、周りも気がつかないという性能が必要になる。
今の製品でも、そこそこいけるんだろうか。
さらに、トイレで履き替えたときに、捨てることができるとなおよい。
ただ、流すことはできないだろう。
水で溶けるようなものは、使えないだろうからなあ。
そうなると、ちゃんと捨てるところを作る等のインフラを完備するか、それとも入れ物を開発して1回分は持ち帰るか…。

花王やP&Gなどのメーカーはしのぎを削っているんだろう。

あの1万人の第九などのイベントは、そのテストにちょうど良い場所だ。
主催しているサントリーは無理だろうから、運営をしているMBSと組んで、出演者に事前にダイレクトのeメールを送って、マーケティングするのもいいと思う。

これは社会として解決すべき課題だと思う。

高齢者が生き生きと活動するためにも。

| | 考えたこと | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
一万人の第九 本番
今日は本番。
朝は8時過ぎの電車に乗って、9時前に大阪城ホールに到着。
すごい人で、入場のところで時間がかかる。
1万人が集まっているのだから、当たり前か。

入ったら注意があって、その後本番そのものの進行でリハーサルが始まる。
今日はくるりのボーカルは気合を入れて歌っていた。
初めて交響曲第九を聞く。
本番さながらの雰囲気で歌う。
テナーはみんな気合が入っていて、どうしても速くなる。
リズムにノッているというより、どんどん走っているという感じ。
そう思っていたら、後で注意された。
音が1オクターブ上がるところで早くなるから、ちゃんと指揮を見るようにとのこと。
その通り。

一万人の第九は、尿意との戦いでもある。
とにかくトイレが一杯になる。
高齢者が多く、みんな心配だからトイレに行っておこう、と思うのだ。
水分は控えていても、何となく心配になる。
だから、休憩の都度、トイレにいくことになる。
男性はまだ回転が速いが、女性は大変だ。
売店で紙おむつを売ってもいいのかもしれない。

そして、本番。
8月の終わりから練習してきて、ついにこれで最後。
歌い納めだ。

ダイネ・ツァウベルで始まる。
佐渡裕の指揮はちょっとみんなが走るのを意識しているのか、ちょっとゆっくりだ。
リハーサルのときと違って、そんなに走りすぎず、歌えた。

最後のダイネ・ツァウベルは、話すように歌う。
歌詞の最後を歌って、佐渡裕が指揮のスピードを上げて、曲が終わる。
拍手と同時に、テナーの後ろの方から、声が上がった。

歌いきったという安心感や、みんなで一つのものを作り上げたという満足感、講師の先生や佐渡裕への感謝の気持ち、それらが入り交じってずっと拍手をしていた。

聞いてはいたが、やっぱり感動する。
1万人の第九には一万通りの思いがあり、一人ひとりが主人公だと佐渡練の時に聞いた。

今日一日長いなあとぼやきながら座っていたが、歌い終わると、そんな気持ちはどこかに行ってしまう。
佐渡裕も山本直純から引き継いた時は、1回だけやろうと思っていたとのこと。
でも、一度体験すると、音楽のチカラというか、歌のチカラを感じることができて、病みつきになった。

コーラスだけでも、同じことを感じる。
やっぱり音楽は素晴らしい。



| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 前日リハーサル
いよいよ明日が本番。
今日は夕方から前日のリハーサルに行った。

さすがに1万人が集まると壮観だ。
大阪城ホールのアリーナの一部と観客席のちょっとだけが空きで、残りは全部コーラス隊。
ほとんどが埋まっている。

あれだけ広いと、他のパートの声がほとんど聞こえない。
回りはテノールばかりだから、歌いやすいといえば歌いやすい。

ぼくの席は、指揮者の佐渡裕までだいぶ遠い観客席だった。
見えるのは背中だけだ。
モニターに映る姿を見て歌うと遅れる。
途中で注意があった。

今年は「くるり」というバンドがゲスト。
あまり知らないバンドだ。
彼らがジョン・レノンのHappy Christmasを歌う。
途中からコーラスが入る。
自分たちの曲ではないからか、リハーサルだからか、ボーカルがちょっと弱々しい。
明日はもっと自信を持って歌ってくれるんだろうか。

最後の注意がいくつかあった。
テノールは最初の部分の、ダイネ ツァウベルの部分が、音程の高い所で速くなるという。
たしかにそんな感じだ。
それでなくても、みんな気合が入っているから指揮よりもちょっと早いと思った。
どうしてもリズムが走ってしまう。

「蛍の光」も練習。
これはみんなのユニゾンで歌う。

さすがに1万人になったら、細かい練習はできない。
効果もないと思う。

それでも、1万人のパワーはスゴイと思う。

明日は8時前に出ていって、9時から19時半まで大阪城ホールに缶詰。

いよいよ明日が締めくくり。

今日は早めに寝ることにする。


| | 考えたこと | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
フランシス・フクヤマ
どういうわけか本屋で見つけて買ったのが、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」だった。
1992年に文庫化されているから、その後に読んだ。
いつ頃かははっきりしない。

全く書評など関係なく買った本だったが、面白かった。
知的生き方文庫で、渡部昇一が翻訳している。
当時、渡部昇一の本を読んでいたから、それで手が出たのかもしれない。

アメリカの政治学者で、自由と民主主義の体制はベストではないかもしれないが、これ以上の選択はないだろう、というような本だった。
ソビエトの崩壊を受けての本だったと思う。
ぼくにとっては、わからない部分の方が多かったが、要はそういう時代の雰囲気を表していた。

フクヤマはまだ65歳。
この本を書いた時は、30代だったのか。
日経で時々彼の記事を読むが、今日もトランプ氏について書いていた。

彼は個別の政策では、トランプ氏が公約していたメキシコの壁が作られず、オバマケアが存続していることなどから、アメリカの民主的な体制は続いているという。
しかし、政治文化がダメージを受けた。
トランプ氏が人々の怒りをあおる発言をして、アメリカを分断しようとしているということだ。
彼の政治手法は、敵を作ってそれをたたくことで人気を得る、というやり方。
それはよくないのだ。

共和党はポピュリズムの方向に転換させられ、民主党は左旋回している。
これは危険なことだという。
また、問題だらけだから1期で終わるだろう、という意見についても楽観的すぎると指摘。

北朝鮮についても、過激な物言いを繰り返しているが、それは自身を追い込むかもしれないから、危ない。
専制的な指導者を好んでいるようにも見える。

フクヤマの意見によると、トランプ氏では社会の分断を止めることはできないという。
民主党がトランプ氏の支持者を取り込めるような候補を立てることが大切だ。

フクヤマの言うことは正しいと思う。
ネットがここまで発達した今、ポスト・トゥルースの時代。
何が本当かわからないほど、いろんな意見を簡単に流布できる。
人は真実を求めるのではなく、自分が真実だと思うものを真実だと思いこむのだ。

フクヤマは民主主義が今の世界でも生き残ると思っているのだろうか。
思っているかもしれないが、あの当時よりもだいぶ懐疑的になっているはずだ。

残念ながら…。



| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |