考えたこと2

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若い人の時代
これからどうやって生きていくか。

難しい。50歳を過ぎて4年。
まあ、ぼくらはもうすぐ終わりだから、まだいいだろう。

今の若い人はもっと難しい。
日本が戦後続けてきた制度が、もう続けられない。
終身雇用、企業内組合、年金制度、国民皆保険、年功序列、新卒一括採用…。
これから激動の社会になるだろう。

若い人たちは、この荒波を乗り越えていかなければならない。
よく考えたら、今でも荒波のような社会か…。
仕事はなかなかないし、年金はもらえるかどうかわからないし、保険制度もどうなるかわからない…。
そういう意味ではどっちみち荒波なのだから、激動の方が今の停滞感よりはマシか。

今の時代を作ったのはぼくら大人だ。
作るのを失敗した。
右肩上がりがずっと続くという幻想にとらわれて、いろんな制度を作った。
そして、成長が止まり、高齢化が進んでもなかなかそれを変えようとしなかった。
今もまだ変えることができない。
若い人から搾取するのにも、限度がある。

そのうち、エジプトやチュニジアのように、デモが起きるかもしれない。
そして、日本は一度崩壊するかもしれない。
でも、そのほうがよいのかもしれない。

スクラップ&ビルドが早いか…。

しかし、いったん崩壊したときに、いろんな事が起こるだろう。
それに耐えて、新しい制度と国を作る…。
そういう役割を今の若い人ができることを望む。

そんなに筋書きどおりにはいかないだろうが…。


| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
徒弟制度
焼肉屋で子供と話をしていたら、徒弟制度という言葉を二人とも知らないということがわかった。

たしかに、平成の言葉ではないかもしれない。
むかしは、徒弟制度でものを教えていた、という話。
昭和というより、明治以前かもしれない。
それでも、徒弟制度という言葉がどこかで聞けたのが、昭和の時代。

平成になると、もう徒弟制度という言葉自体がなくなりつつある。
言葉がなくなるということは、その制度がなくなるということだ。

そういう濃密な人間関係が苦手な人が増えているのかもしれない。

工場の現場でも、匠の技というのがコンピューターを使った工作に変わろうとしている。
工作機械の精度が上がり、ある程度まではできるようになってきた。
しかし、とぎすまされた人間の感覚には勝てない。
日本が世界で初めてクオーツの腕時計を作れたのも、組み込みの職人の技術があったからだという。

スポーツの世界でも、徒弟制度がなくなりつつある。
徒弟制度とは、ある種、義理人情の世界だが、それが契約に変わり、フリーエージェントなどの制度が生まれた。

おそらく、いろんなところで、徒弟制度がなくなっているのだろう。
もちろん、なくなることのよい面もあるが、悪い面もある。

一番悪いのは、年寄りは徒弟制度だと思っていても、若い人はそうではない、と思っている場合。
徒弟制度は信頼関係に基づいているが、それが一方的になっている。

全てを説明することが求められる関係。

これは難しい。

| | 考えたこと | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
国債の格付け
国債の格付けがひとつ下がった。

普通なら総理はそういうことも予想して、そのときにどうコメントするか、考えておくべきだろう。
それが総理の役目というものだ。

時間の問題だったと思う。
個人資産が1000兆円、国債がたまりにたまって900兆円、毎年40兆円ほどの国債を発行している。
これは異常な状態だ。
これからどんどん団塊の世代が資産を使い始める。
今の路線なら、予算の規模は拡大する。
右肩上がりの時代に作った年金や保険のシステムを維持しようとすると、お金がかかる。
そうすると、いずれ財政危機が訪れる。
というか、いずれというよりもう訪れているというべきか。

それを市場は予測していた。

まともに考えれば、当たり前だ。
収入の倍使おうと思っても、一般家庭なら使えない。
借金をしても、一時的だ。
それを何年も続けてきた。
高度成長している間はまだよかったが、低成長になって、どうするかが示されない。

早く手を打たないと、本当に破綻するぞ。

縄張り争いをしている場合ではないと思う。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネット社会
仕事で中国の人と会った。

以前、中国の人に会ったのは2004年。
このときは、大卒の新人たちだったが、みんな優秀だった。

その前は1988年。
このときは出張だったが、上海はまだ日本に比べてだいぶ貧しかった。

今日会った人は女性で40代から50代くらいだったが、顔つきが違う。
自信を持っている、という感じだった。

日の出の勢い、というヤツだ。
GDPが日本を抜いて2位になりましたね、というと誇らしげにしていた。

中国の若者は、どんどん海外に出ていきたい、ということだった。
日本のように優秀な国と一緒にやっていきたい、という。

一体、いつ頃までそう言ってもらえるのだろう。
名実ともに日本を完全に抜き去る日が来るのだろうか。
そういう時まで中国は一つの国なのだろうか。
13億もいる人口はどうなっていくのだろう。

情報が国境を越えて、簡単に出ていってしまう21世紀。
ウィキリークスなど、20年前なら考えられなかったが、今は簡単にできる。
インターネットという、とてつもないネットワークが世界中を結ぶ。
文字が問題だったが、不完全とはいえユニコードというものが出来て、漢字も扱えるようになった。

現にチュニジアではインターネットによって、長いこと続いた独裁政権が倒された。
ツィッターやフェイスブック、ユーチューブなどがその助けとなったという。
エジプトも今そういう状態になりつつある。

もしかしたら、核よりもインターネットの方が威力があるかもしれない。

これから世界はどうなっていくのだろうか。

何かが起こるとしたら、きっとインターネットが起点だろう。
| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
仕事をすること
ぼくらの時代は、ある年齢になったら、仕事をするものだった。

もちろん、女性はそれ以外の選択肢もあったが、男性の場合はそうだった。
それ以外の選択肢はなかった。
その中で、何になりたいかという夢を見た。

失われた10年というが、今の30代の人たちは本当に気の毒だ。
生まれたときが悪かったという言葉ではすまされない。
そこでいったん、この「仕事をする」という事が当たり前ではなくなった。
フリーターとかニートとか呼ばれている人たちが増えた。
バブルが崩壊して、やむを得なかった。

今の若い人には信じられないかもしれないが、本当に仕事をするのが当たり前だった。
昭和50年代後半、オイルショックとはいえ、完全失業率は2パーセント台。
先進国の中でもダントツに低く、まだまだ日本は強かった。
今は完全失業率が5%台まで上がった。
だが、新卒はもっと高いだろう。

そんな風にして、仕事をすることが当たり前でなくなっていく。
西洋の国々は早くからそうだった。

アメリカの映画を見ていると、「お前はクビだ」と言われたら、その日のうちに段ボール箱に私物をまとめて、会社を出て行くシーンがよくある。
完全失業率が高くても、そういう社会ならやり直しがきく。
すぐにクビにできる、ということはすぐに雇えるということでもある。
すぐにクビにできないと、恐くて雇えない。
だから、日本では派遣や請負という人が増える。

10万人以上の新卒が仕事をあぶれる時代。
ぼちぼち考え直さないといけないのではないか。
それでなくても、年金や保険のシステムは破綻しようとしている。

日本国債の格付けが下がったという。

えらいことにならなければよいが…。



| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
gook
gookというのは、西洋人が東洋人を蔑視していう俗語。
汚い、ネバネバ…という意味がもとだ。

こないだ、映画を見ていたら中国人のアメリカ移民が、自分のことを卑下して言っていた。
gookという字幕に東洋人というふりがながついていた。

しかし、この言葉はベトナムの兵士のことを意味するということだから、そう古い言葉ではない。
一説には、朝鮮戦争のときの言葉だ、という説もある。

ベトコン、というと何のことかわからない人もいるだろう。
ベトナム戦争で、アメリカ兵がベトナム兵のことを「ベトコン」と呼んでいた。

ベトナム戦争は、アメリカが負けた戦争として、記憶に残っている。
日本が戦って負けた国に、ベトナムという小さな国が勝った。
アメリカが北爆を開始したのが1965年。ぼくが8歳。
終わったのが1975年のサイゴン陥落。 ぼくは18歳。
そんなに長いこと戦争をしていたのか、とびっくりする。

でも、1975年に生まれた人は、ものごころついた時にはとっくにベトナム戦争は終わっている。
ということは、今の30代後半以下の人は、ベトナム戦争を知らない。

ぼくらも知っているわけではないのだが、とにかく同時代を生きた。

高校のときに、イージーライダーを見て、退廃的な若者とベトナム戦争が関係ある、ということを何となくわかった。

そんなに政治に興味があったわけではない。
それでも、なぜ戦争をしているのか、という疑問はわく。
北は社会主義、南は資本主義という図式は習っても、本当の意味の戦争の原因はわからなかった。

ロビン・ウィリアムズの”Good morining Vietnam”という映画を見て、悲惨さを知った。

今も、本当の意味の「戦争の原因」がわかっているわけではない。

あの頃は、アメリカとソ連、中国が対立していた。

今やソ連は崩壊し、中国はアメリカに次いでGDPが2位になった。

世の中、何が起こるかわからない。


| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
家に帰ろう
この「家に帰ろう」を「いえにかえろう」と読むか、それとも「ウチにかえろう」と読むか。
正解は簡単だが、意味を考えると難しいと思う。
「家」は「いえ」であり、この感じに「ウチ」という読みはない。
しかし、「家に帰ろう」と書かれると、ぼくは「ウチにかえろう」と読みたくなる。

漢字のおかげで、日本語は便利になった。
しかし、同時にややこしくいなったとも言える。
同じ読みで意味の違う言葉がたくさんできた。
橋と端と箸は日本語では同じ読みだが、中国語では違う。
発音と意味の区別がややこしくなった。
同時に漢字にしばられて、日本語が使いにくくなったとも言える。

家に帰ろう、という時の家は、やっぱり「ウチ」でないと感じが出ない。
内に帰ろう、と書いてしまうと、ウチに帰ろうと読めるが、ニュアンスは違う。
ウチという漢字がないのが原因だ。
家をウチを読むと決めればよかったのだが、そうは決まっていない。

「いえ」と「ウチ」は違う。
帰ろう、というと、やっぱり「ウチ」になる。
「いえ」は入れものであり、「ウチ」はその中の人も含まれるという感じ。

漢字の便利さには十分感謝しているのだが、その漢字で大和言葉を表現しきれないところがつらい。

だから、日本語は難しい。


| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
こいしさん
「こいしさん、こいしさん、ピアノを届けに参りました」

ピアノの空箱を持って来てくれ、という頼みに応じて、ご近所にピアノを買ったという見栄をはる「こいし」を手伝う「いとし」。
おなじみ、「いとこい」の漫才。

身体の弱かった兄のいとしが2003年に亡くなって、もう「いとこい」の漫才は終わった。
そして今日こいしさんが亡くなった。
享年83歳。

昭和30年代のいとこいのテープがあるが、すごいパワーだ。
若々しかった。
あの頃は、いとしがツッコミでこいしがホケだった。
いつごろ入れ替わったのだろう。

ウチにはたくさん漫才のテープが置いてあるが、その中で小学校低学年の息子が気に入ったのがいとしこいし。
大人に「しぶいなあ」と言われていた。
子供が聞いてもわかる漫才だった。

今の漫才のように、最初からテンションを上げない。
徐々に上がっていく。
昔は10分くらいもらえたので、そんなことができたのだろう。
今の漫才師は5分のネタでやらないといけないから、仕方ない。

身近なことをネタにした。
娘の結婚、仲人、ジンギスカン、迷子の犬、レンタルビデオ…。
ダイマル・ラケットに次いで、戦前の漫才師がいなくなった。

こいしさんは、戦争に行って帰ってきた。
家の前にふと現れて、いとしが「帰ったか」と言ったら、「帰った」と言ったという。
そんなに感動的な場面ではなかった、と話していた。

漫才のような大衆芸能は、消えていくものだという考え方がある。
そのときに大衆に愛されれば、それでいい、ということだ。
語り伝えるものではない…、という。

ぼくらは、今の漫才の前の音曲漫才はほとんど知らない。
かろうじて、小学校の頃、寄席中継で見たが全く面白くなかった。
そういうものだ。時代が違う。
それでいいのだと思う。

昭和から平成にかけてのしゃべくり漫才。
まだ残っているが、もう50代以上だろう。
あのゆっくりしたテンポで、君、ぼくという、標準語で話す。

まだまだ、たくさんの日本人が覚えている。
その間は、ぼくらの中で生き続ける。
あの漫才、おもしろかったなあ…。

夢路いとし、喜味こいし。

天国でまた兄に会って、今ごろ、

「来たか」
「来た」

と言っているかもしれないなあ。




| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
情報化時代
二十数年前から、この世の中は情報化社会になる、と言われていた。

2011年の今になって、本当になったと実感できる。
情報があふれている。
情報を入手するよりも、選択する方が難しくなった。

今はグーグルで検索すると、何でも出てくる。
wikipediaにもたいがいのものは出ている。
それ以外に、検索ワードの入ったWebページも山ほどある。

グーグルがスゴイのは、そのページが信頼できるかどうかを判断するシステムを作ったことだ。
ページランクという単純な方法。
信頼のあるページからリンクを張られると、得点が高い。
そういうふうに、みんなが自由にやることで、自然にページランクが正確な値になっていく。
それはネットでの検索のすばらしいアイデアだと思う。

それでも、情報過多の時代だ。
インターネットの利用が上がれば上がるほど、無益な情報も増える。
自分にとって何が有益で、何が無益かを選択することが必要だ。

しかし、人間は今までずっと情報を取ることを考えてきた。
情報は基本的に少なく、それを取りにいくということが当たり前だった。
情報過多というのは経験したことがない。
だから、情報の選択が、21世紀の人間の課題だと思う。

自分にとって、何が必要な情報か、それを選別する能力。

それが難しい。



| | 考えたこと | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラックユーモア
イギリス人のブラックユーモアは面白い。
一度一緒に飲んだときに、大笑いしたことを覚えている。

自分の奥さんの話をする。
いかに奥さんが太っているかとか、いかに自分が尻にしかれているかとか、そういう話だ。

ツボにはまってしまって、涙が出るほど笑った覚えがある。

真偽のほどは知らない。
しかし、中華料理屋でビールを飲みながら、5人ほどのテーブルで延々とその話をしている男は、紳士とは言えないが典型的なイギリス人という感じだった。

フランス人やドイツ人が、自分の家族のことや自分のことを悪く言うところを聞いたことがない。

その昔、エスプリとユーモアについて書いた本を読んだ。
フランスのエスプリ、イギリスのユーモアについて書いてあった。
フランス人の洗練された批判であるエスプリ。
それに対してイギリス人の自虐的なユーモア。
その対比だった。

その本では、イギリス人のユーモアに軍配を上げていたような気がする。

しかし、時々ブラックユーモアは、ブラックゆえに行き過ぎることがある。

世界一不運な男として、広島・長崎の両方で原爆にあった被爆者を紹介したイギリスのクイズ番組が紹介されていた。

日本大使館は抗議したとのこと。

やっぱり節度は守ってもらわないと…。



| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
至福の時
前に書いたが、祖母が広島に住んでいて、毎年冬になると神戸に来ていた。
いつも12月に来ていたと思う。

こちらに来る前に、広島からみかんを段ボール箱で送ってくれていた。

ある日突然、みかんがコタツの上のかごの中にたくさん入っていると、届いたことがわかる。
別に特に好きなわけではないが、あると手が出てしまう。

本当かうそか知らないが、みかんを食べると風邪をひかないということを信じていて、学級閉鎖のうわさを聞くとたくさん食べた。
手が黄色くなるくらいだった。

冬というと、コタツとみかん。

テレビの寄席中継などを見ながら、コタツに入って、みかんを食べる。

こういうのを至福の時、というのだろうなあ。


| | 考えたこと | 01:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
リーダーシップ
リーダーシップという言葉はよく使われているが、その意味はどういうものかといわれると難しい。

リーダーシップがある、というと、リーダーとしてみんなを引っ張っていける、という意味になるが、ではそれはどんな能力かということだ。
ひと言でいうのは難しい。
だから、リーダーシップという言葉で代用している。

みんなを説得するのが上手なのか、いちかばちかの場面で決断する度胸があるのか、状況を読むのがうまいのか、データーを解釈する力が優れているのか、カリスマ性があって周りの人をうまく使えるのか…、それらの条件をいくつ満たせば、リーダーシップがあるといえるのか…。

実際、どうみてもリーダーシップがない人が、リーダーシップがあります、と言ったりする。
それはなぜか?と聞くと、クラブでキャプテンだったから、というような答えだ。
結果論として、リーダーシップがある、ということになる。
顧問の先生に気に入られただけかもしれない。

リーダーシップとは、場面によって異なるという。
ぼくが読んだ分厚い経営学の本に書いてあった。
激動期のリーダーシップがある人は、安定期には「はみ出し者」であったりする。
その逆に安定期にリーダーシップがある人は、激動期には細かいことばかり言うやつであったりする。

したがって、真のリーダーシップとは、それらを理解したうえで自分がそのときに合っているか、ということがわかる能力も含んでいるものかもしれない。

ただ、ドラッカーは、どんな場合も「品格」というものがいる、ということを言っていた(と思う)。

それは、ぼくもそう思う。
少なくとも、リーダーシップには「品格」が含まれているべきだ。

それは、直接の能力ではないかもしれない。

 強くなければ生きてはゆけない。
 しかし、やさしくなければ、生きていく値打ちがない。

そういうようなものだろう…。




| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
下宿
ウチの長男は下宿で自炊をしている。
もちろん、部屋にちょっとしたキッチンがついているのだが、それでもよくやるなあと思う。

聞いていると、結構めんどうな料理もしている。
材料もまめに買っているらしい。
カレーうどんやオムライスも作るらしい。
下宿に10人も友達が来て、鍋をすることもあるという。

きざみねぎや、漬物はあまり好きではなかったはずなのに、帰ってきて食べている。

えらいものだ。

あまった野菜を時々持って帰ってくる。
家では炊事などしたことはなかったのに、下宿ではやっている。

たしかに、テレビを見ていると、男性が料理をするという番組が増えた。
スマップやお笑いのタレント、歌手などが番組の中で作る。
どこまで本当にやっているのか、わからないが、その影響もあるのだろう。

ぼくは全くやらなかった。
たまにお金がないと、ご飯だけ炊いて、のりの佃煮で食べていた。
そういえば、鮭缶も食べたなあ。

昭和50年当時、ぼくの知っている範囲では、誰も自炊はしていなかった。
困ったときだけ、米で生きていたような気がする。

そういう時代だったのかもしれない。



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
You tube2
調べてみると、書くのは2回目だが、これは書かないといけない。

ユーチューブという動画サイト、みたことありますか?

ぼくらの年代では、そんなにメジャーではない(と思う)。
ところが、今の若い人は、ユーチューブとかニコニコ動画とか、パソコン上での動画配信サイトの利用が多い。
想像以上である。

何でもあるのだ。

うちの息子は、ギターを弾くのだが、ギターの練習用のサイトの利用を見ているとスゴイ。
曲を指定すると(もちろん、古い曲は少ないが)、誰かがその曲をカラオケにして、弾いている動画が見られる。
あんな動画がぼくらの頃にもあったらなあ…と思うようなビデオ。
個人で撮影してアップしているのだ。

どういうわけか、テレビでやっているアニメも見ることができる。
もちろん、違法だろうが…。

漫才もここ数年のものなら、漫才師を指定して検索すれば、見ることができる。
もちろん、元はテレビである。
これも、違法だろうが…。

MTVでやっているような、ミュージッククリップなどはもちろん見られる。
これも、違法かもしれない…。

昔のテレビドラマのクリップも見つかる。
Thunderbirdといれると、懐かしいサンダーバードの姿が出てきた。
これも、違法かもしれない…。

色々な新製品の利用法なども、アップされている。

したがって、パソコンでユーチューブやニコニコ動画を見られれば、充分楽しめる。

これはテレビの危機だ。

今年の7月に地デジ化されて、潜在的に見られなくなるテレビはもう使われないのではないか。

想像以上の危機だということが、若い人を見ているとよくわかる。

というわけで、今の若い人は案外テレビには執着がないかもしれない。




| | 考えたこと | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
センター試験
ぼくは受けずに済んだが、ぼくらの少し後から共通一次試験というのが始まった。

1979年から1989年まで続いたらしい。
そして、1990年から、センター試験になった。
正式には大学入試センター試験という。
今は多くの私学も参加している。

平成22年度の大学入試センターの予算は108億円とのこと。
もちろん、108億といっても、検定料等がほとんどで、国費は8000万円しか使わない。
ほぼ105億の収入に対して、105億の支出は実施経費と人件費になる。
そのおかげで、3科目以上の受験生は1万8千円の検定料がかかる。

試験は全てマークシート式。
採点から合計まで全てコンピューターで行う。
問題はいろいろと工夫されて、マークシートらしくない問題も出せるようになっているようだ。

それでも、マークシートの限界はある。

国語や古文・漢文、英語などの言語はマークシートでは試験できない部分がある。

無意味とは言わないが、どれだけ意味があるのか。
消去法で正しいものを選ぶのと、真っ白な状態で何が正しいかを考えるのは、決定的に違う。

まあ、そんなことを言っても、今やセンター試験以外でも、マークシートの試験をやっているところがほとんどだから、仕方ないか…。

しかし、ここを変えないと、システムは変わらないと思う。




| | 考えたこと | 01:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
紙の運命
今年はタブレット型のコンピューターが流行る年になるとのこと。

確かに海外のドラマを見ると、すでにいろんなところでタブレット型のPCが使われているようだ。
病院では、CTの結果やカルテのデーター、 鑑識では分析結果などを持ち歩いて説明するのに使われている。

タブレット型は、十分に薄く、軽くなれば、それこそ紙の代わりになる。
そこに通信機能がついて、指で操作できれば、それこそ普通の人が使える機械になるだろう。

電子書籍もそれを後押しする。
特に雑誌などは電子配信になれば、便利な側面もある。
ネット通販のカタログなどは、すぐにでもできそうだ。
今は写真も含めて、全て電子データーだからなあ。

本当にみんなが使えるようになるためには、すでに慣れ親しんだものに近づくことが必要だ。
その形がタブレット型ということになる。
本や書類に近い。

だからといって、キーボードがなくなることはないと思う。
それはそれで、別のものとして残っていくだろう。

ぼくが生きている間は、紙はなくならないと思っていたが、意外と早くなくなるかもしれない。

いろんなものが、新しいものに置き換わっていく。

しかし、いくら紙がタブレットになっても、大事なのは中身だ。

入れ物が変わっても、それは変わらない。


| | 考えたこと | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
キディランド
時々、大阪のキディランドに行く。
ここもだいぶ様変わりした。

最初に行ったのはもう30数年前。
もともと、おもちゃ屋でプラモデルをたくさん置いていた。

10数年前、子供と一緒に行ったときには、長い行列ができていた。
何を買いに来ているのかと思ったら、たまごっちだった。
新製品の発売日だったようだ。
この頃はまだプラモデルやラジコン、工具類も売っていた。

その次は、ゲーム機とそのソフト。
プレイステーションやゲームボーイのハードやソフトの売り場が大きくなった。
ガンダムやそのフィギュアも、置いてあったなあ。

そして今は雑貨類が増えた。
キャラクター商品や手品、宴会グッズ、文房具、ぬいぐるみ、そして数は減ったが子供向けのおもちゃなど。
ゲームはもうほとんど売っていない。

近くにはスヌーピーショップができた。

小さな子供が減っているのか。
女子の中学生以上が対象の商品が多い。

もうプラモデルもない。

雑貨を見るにはよくなったが、少し寂しい店になった。
残念…。



| | 考えたこと | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
gdgd
KYというネットの略語が以前流行ったが、その新しいのを仕入れた。

gdgdはグダグダのこと。
これはつまらないことを、長々話すという意味の方らしい。

wktkはワクテカ。ワクワクテカテカの略。
何かを待っているときに楽しみで仕方がなく、心が躍ることによって血流が良くなり肌・ 顔につやが出てテカテカしている様、ということ。

ktkrはキタコレ。
くるかくるか、と待っていたら、来たーこれ!ということらしい。

この3つのうち、wktkは擬態語自体が新しい。
ワクワクとテカテカは各々意味はわかるが、ワクテカというように組み合わせない。

gdgdとktkrは、元の日本語の意味はまあわかる。

ネット上ではどんどん新語ができている。

http://cache001.ranking.goo.ne.jp/crnk/ranking/092/netword_2007/p1/

KY(空気読め)はなかなか面白い言葉だったが、その後はあまり面白みがない。

しかし、傾向としてはgdgdのように子音の頭文字を並べるという方向だろうか。

それにしても、日本語は面白い。
| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
平行線は…
小学校の時に習う図形は、平行線の問題が多い。

当たり前のことだが、平行線は交わらない。
少なくとも、そう習う。
そして、普通はそのままの知識で生きていく。

ところが、ぼくの小学校の先生は、6年生の時に「平行線が交わる図形もある」と教えてくれた。

へー、そうなのか、と思ったことを、いまだに思い出せる。

その時にユークリッドという言葉を知った。

平面図形の基本は、ユークリッドというギリシア人が考案した。
いまだに学ぶ価値のあるものだと思う。
これらを幾何として、その対になるものを解析と呼び、それは数字を扱うもの。
常に、幾何と解析は行きつ戻りつしながら、結局は結びついていた。

話が寄り道したが、、平行線が交わるというのは、いったいどういう状況なのか。

その時に先生が言ったのが、地球儀だった。
平行線が交わる平面の一つは球面。
平行線というのは、ちょうど経線にあたる。
二本の経線は平行だが、北極と南極の位置で交わる。

なるほど。

とてもわかりやすい話で、何となく理解できた。

これは、非ユークリッド幾何学という分野になる。
三角形の三つの角の和は180度を超える世界。

そんな世界があることを教えてくれた。

クラスの何人が覚えているかはわからない。

今なら、そんな余計なことを話してはいけない、と他の先生から怒られるかもしれないなあ。

別に何の役にも立たなかったが、そんな知識をくれた先生に出会えて、ラッキーだったと思う。

| | 考えたこと | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
すきまの時間
年末年始のCMで多かったのは、パチンコだけではなかった。

携帯ゲームのCMも多かった。
気づいた人も多かったはず。

グリーとモバゲー。どちらも携帯サイト。
タダでゲームがダウンロードできるというもの。

もちろん、タダのゲームだけでは物足りなくなって、有料バージョンにしたり、アイテムを有料で買ったりすることもできる。
というか、それが狙いのサービスだろう。

しかし、よほど儲かっているんだろうと思わせるCMの量。
どちらも同じくらいよく見た。

世の中、よほどヒマな人が多いらしい。
そういえば、最近電車の中で携帯をいじっている人が、みんなメールとは限らないようだ。
そんなキーの使い方をしていない。
あれは、ゲームをやっているのだろう。

昔は電車に乗れば、読み物に決まっていた。
新聞、雑誌、マンガ、文庫・新書などが定番だった。

それがいつの間にか携帯に変わった。
朝の時間は知らないが、昼間電車に乗って、何かを読んでいる人が減った。

まあ、携帯で文章を読む人もいるのだが…。

すきまの時間の使い方が変わったんだろう。

何となくもったいないような気がする。



| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
穀物高騰
金曜日のニュースで言っていたが、中国の所得が増えて、穀物の消費が増えているとのこと。

そのために穀物の値段が上がるという。

これから、GDPが減少する日本で、穀物の値段が上がるというのは、つらいような気がする。

何せ、13億人の人口をかかえた国だ。
この国民を食わせるだけでも、大変なことである。
あの国が成立するのは、国民を曲がりなりにも食べさせることができたときだ、という。
今まで共産党はうまくやってきた。

幸い、日本はこれから人口は減るし、少子高齢化するから、国全体の消費カロリーは小さくなる。
しかし、どこかで食料が足りなくなる時が来るだろう。
世界の人口は増え続けているのだ。

2010年の飢餓人口は10億人弱だという。
一番多いのは、アジア・太平洋で6億くらい。

この星の住人は食物をどんどん作っているが、それよりも人口の増加の方が早そうだ。

ボスの缶コーヒーの宣伝ではないが、これから一体どうなっていくのだろう。

宇宙人が見たら、無謀な人口増加をしていると思うのだろうか。

昔、マルサスという人が人口論という書物を書いた。
要は人口は等比級数で増えるが、食物は等差級数でしか増えないというもの。
等比級数とは、掛け算で増えるということ、等差級数とは、足し算で増えるということ。

世界の人口は、1950年に25億、1970年に37億、1990年に53億、2010年に69億という増加。
だいたい、20年で1.4倍になっている。

世界の穀物生産量の推移をみると、1970年に1100万トン、1990年に1600万トン、2010年に2200万トン。
だいたい20年で500万トンくらい増えている。

やっぱり、マルサスは正しいようだ。

宇宙人ジョーンズはなんというだろうか。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
決めゼリフ
時代劇のヒーローというと、誰を思い出すだろうか。

遠山の金さん、大岡越前、水戸黄門、鬼平(長谷川平蔵)、銭形平次、丹下佐膳、眠狂四郎、鞍馬天狗、清水の次郎長、桃太郎侍…。

ぼくらは小さい頃から、彼らになじみがあった。
大きくなって、再放送で夕方見たりしたのは、遠山の金さん。
中村梅之助がやっていた。

今の30代くらいまでは、ヒーローのどれかは知っているかもしれない。
しかし、20代になると、もうほとんど知らないだろう。

大部分の時代劇のストーリーは簡単だ。
勧善懲悪というやつ。

いつものパターンで始まり、誰かが悪役に陥れられたり、殺されたりする。
そして、それをヒーローが調べて、大団円。
ここが見せ場。
遠山の金さんなら、悪役が言う。
「金などという遊び人の申すことを、お奉行様が信じるとは…」
そこで、見せ場になる。
「やいやいやい、この桜吹雪が目に入らねえのか」と言って、片肌を脱ぐ。
そこに見覚えのある入れ墨…。
ひれ伏す悪役たち。

水戸黄門なら、「助さん、格さん、もういいでしょう」と言って、印籠を出す。
「このお方をどなたと心得る。先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ。皆のもの、頭が高い。」
「へへー」と言って、皆が平伏する。

時代劇には、こういう決めゼリフがあるのが多い。

今思うと、決めゼリフというのは、勉強になった。

古い言葉や言い回しを覚えることができた。

必殺シリーズで、悪役が「そちも悪よのう」というのもあった。
悪役が越後屋になることが多かったので、越後屋というと、悪役ということになる。
漫才でよく使われた。

こういうのが、時代だなあ。


| | 考えたこと | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
安上がり
最近、日本のドラマをたまに見るが、やけに若い俳優が多い。
お笑いのタレントが出ていることもある。
出演者の中で一番年長でも、40そこそこだったりする。

これは、やはり安くあげるための方策だろうか。
若い俳優は比較的コストが安い、ということはあるだろう。
テレビ局は、広告が減って、スポンサーがつかなくなっている。

ただ、海外のビデオを見て、みんなで笑っているだけという番組もあった。
出ているのは、ほとんどバラエティの常連。
ギャラの高いのは、司会者だけか。

実際の番組の時間もだいぶ減っている。
CMの前後でダブる場面が多い。
あれでも、だいぶ安上がりになるのかもしれない。

それと、エキストラの数が少ない。
病院の廊下で、出演者が4人で手すりにもたれて話している場面がある。
病院でそんな状況が、あるはずがない。
担架も出てこなければ、看護婦が歩いてもいない。
患者すらいない。

その上、番組は3ヶ月で終わる。
長く続けると、出演者がギャラを上げてくれと言うからだろう。

そう言えば、正月はやたらパチンコの宣伝が多かった。
いったい何の宣伝かと思ったら、たいがいパチンコだ。
アグネスラムとか、仮面ライダーとか、何でそんなに宣伝するのか。
あの宣伝を見て、行こうと思う人がいるのだろうか。
もともと、あの音と光で脳内モルヒネが出るらしく、中毒性が強いとも聞く。
今は盤面そのものが液晶みたいなものだからなあ。
パチンコの宣伝が多いのも、広告費の収入を稼ぐためだろう。

しかし、これだけ安上がりに作っていれば、そのうちネットの方がいい、という若い人も増えてくるだろう。

そういえば、どこかの電化製品のフェアで、ネットTVなるものを売ろうとしているとか。
クルマの中で聞いたニュースなので、画面は見ていないが、そういうこともあるだろうなあ。

インターネットの出現で、既存のメディアは軒並み危機だ。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、書籍…。

これからどうなっていくのか、わからないが、テレビの勢いはなくなるだろうなあ。





| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
コミュニケーション
今の若い人はコミュニケーションといっても、いろんな手段を持っている。

携帯メールやチャット、パソコンのソーシャルネットワーク、ネットゲームなど、新しい形のコミュニケーションだろう。

それ自身はいいことなのか、悪いことなのか、コメントできない。
しかし、今現在社会に出て、コミュニケーションといえば、まだまだ対面・会話が主流だ。

今の若い人が社会に出て、何が足りないかと聞かれると、企業側の1位はコミュニケーション能力になる。

それに当てはまるのは、俗にいうオタクというパターン。
人との対面・会話は苦手だが、ネット上では雄弁であったり、使いこなしていたりする。
そういう人はいるだろう。

コミュニケーション能力のパイが大きい場合は、問題がない。
人との対面・会話も得意だし、それをネット上でも駆使している。

となると、今の世の理想は、コミュニケーション能力のパイが広がった人ということになる。

当たり前か。

しかし、コミュニケーション能力とは、どうやって育てることができるのだろうか。
何でも、経験することが大事だというのは、これにも当てはまると思う。

赤ちゃんの時からの話しかけや、親の反応は大事だろう。
学校での先生とのコミュニケーションや、友だち、先輩、後輩とのコミュニケーション。
もちろん、家庭でのコミュニケーションも入る。

コミュニケーションとは、生きる楽しみでもある。

誰かが言っていたが、コミュニケーションは人間の本能であり、エンターテインメントだということだ。
人は誰かとつながってこそ、人になる。
一人のゲームより、ネットゲームの方が面白いというのはまさにそういうことだろう。

結局、仕事のコミュニケーション能力を育てるということは、人間の本質的な部分になるような気がする。




| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
日々の非常口 アーサー・ビーナード 新潮文庫
アーサー・ビーナードというのは、アメリカの詩人である。
日本語で詩作をしたり、日本の詩を翻訳したりしているらしい。

その人が、達者な日本語で書いたエッセイ集。
日本人の妻をもち、家庭では日本語の会話をしているようだが、それにしてもこんなに日本語がうまくなるとは…。
1967年生まれで、1990年に来日したそうだから、現在43歳で、日本に来て20年になる。

文章といい、漢字といい、すごい。
日常で出会った事を書いている。
もちろん、アメリカ人の視点で日本のことを語る部分はあるが、 純粋に日本語で楽しめる。

こういう人が語学の達人になれるのだろう。
日本に来て、辞書と首っ引きでいろんなところを自転車で走り回る。
来日20年で、日本人としてもかなり上のレベルの使い手になった。

一つの言葉の意味を何度もチェックする。

「月極」というのが、駐車場の名前だと思い込み、「げっきょく」という会社は駐車場業界の大手だと勘違いする。
それが「月極め」という言葉を発見して、「つきぎめ」だとわかる。
そういう風にして、日本語をマスターしていく。
気の遠くなる作業だ。

しかし、日本人も小さい頃から、そういう経験をして日本語をマスターするのだろう。

母語と第二言語とは少し違うかもしれないが、単語については、同じことだ。

そういうことを抜きにしても、面白い本だった。





| | | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネタ切れ
新年早々、ネタ切れである。

以前書いたような気もするが…、と書いてあるものは、実際に以前書いていた。
ほとんど内容が同じだったりする。

自分がどれだけ進歩していないか、よくわかる。

普通の人が一生で考えられることなど、たかが知れているのではないか。
同じことを違う言葉で書いているだけ。
違うように見えていても、底でつながっている。

それに、考えたといっても、誰かの考えを伝えているだけだ。
読んだり、見たり、聞いたりしたことがインプットされている。
それがアウトプットされるのがほとんど。
そのあいだに「考えた跡」が見られない。
困ったものだ。

年とともにネタが増えていかないといけないのに、逆に減っている。

これでいいのか…。

人が一生に考えられることは、その人によって、先天的に決まっているのか。
それとも、後天的に変えることができるのか。

アインシュタインは相対性理論を考えるべくして考えたのか。

いくらなんでも、アインシュタインと比べるわけにはいかんわなあ…。





| | 考えたこと | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
旧友
久しぶりに25年間勤めた会社の人と会った。

旧友というとおこがましい先輩ばかりだが、それでもみんな昔の仲間だ。
ぼちぼち定年という人もいるし、すでに定年した人もいる。

ぼくのやった仕事がまだ続いていると聞いて、ちょっとうれしかった。

まだ、仕事のことはだいたいわかる。
組織のこともだいたいわかる。

最近の若い人の様子も聞いた。

共通の認識があるというのは、すごくいいことだ。
会社では、何を求めていくのか、そこには答えがある。
社会から離れて、会社は存在しえない。
製品というのは、こうあるべき、というルールがある。
実際には、細かく記載されたガイドラインなどがそれにあたるのだが、もちろんそこに至るまでにはいろいろな物語がある。
敷衍すれば、哲学がある。

そういう集団の中に25年いたというのは、幸せな事だ、と今になって思う。

ぼくが入った頃はまだ会社が小さかった。
土曜日も隔週で出ていたし、伝票も全部手書きだった。
80年代に比べて、90年代は仕事量が増えた時期だ。
そこで人が増え、効率的な組織に変えていった。
ぼくらの頃は、一人で全部の仕事をやっていたのだが、それがある部分は派遣に置き換わり、ある部分は外注に変わり、またある部分は他の組織を作って縦割りにしていった。

昭和の時代は、まだ余裕があったということだ。
だから、考える時間があった。
他の部署の仕事を手伝ったり、出張に行くことができた。
そうすることで、知識の幅が広がって、人脈もできた。
それを効率が悪い、ということもできる。
だからこそ、90年代に効率化を図ったのだ。

その結果、何が起こったか。
一人ひとりが考えられなくなった。
そんなことをしていると、仕事が進まないのだ。
また、コンプライアンスが強化され、残業ができなくなった。
時代の流れだから仕方がないが、そうなると何が起こるのか。
ガイドラインに頼るようになった。

一番、信頼できる部下とはどんな部下だろうか。
何かで読んだが、言ったことができないのはまずダメ。
言ったことをちゃんとできるのがよい。
しかし、一番信頼できるのは、言ったことをちゃんとやるが、必要なときにはそれを破れる人だ。
そういう人が出てこないと、ダメだと思う。

その意味で、人の育成がしんどいことになっているのだろう。
言葉の端々からそういうことがわかる。

しかし、それを乗り越える手段が、共通認識だ。
それがカンパニーというものだろう。

少しうらやましい。

帰り道、阪急に乗って外の景色を見ながら、そんなことを思った。



| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
グラフィティ復活
グラフィティという入力方法がある。

これは、手書きでの入力だ。
グラフィティ文字というのがある。
これを24文字覚えて、ローマ字で入力する方法。

ちょっと普通のアルファベットとは違うが、それでもだいたい同じだ。
違うのは、A、F、K、Tくらい。
これを覚えたら、すごく早く書ける。

新しいスマートフォンを買ったが、その入力がうっとうしくて、困っていた。
アンドロイドのスマートフォン。

少し前にアプリのマーケットを見ていて、思い出してgraffitiと入れてみたら、出てきた。
なんとフリーソフトだ。

これを入れてから、非常に便利になった。
入力では困らない。
手書き文字で入れる事ができる。

ようやく使いこなせるようになった。

これはもともとパームという携帯端末の入力方式だった。
とてもよくできていると思う。
アルファベットの入力で、それを応用して日本語にしたのだが、24文字というところがミソ。

当時、日本語の手入力もあったが、ちゃんと書かないと認識しなかった。
複雑すぎるのだ。
アルファベットはわかりやすい。
文字の少なさがメリットだ。

でも、このグラフィティがなくなったら、困るだろうなあ。




| | 考えたこと | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
AKB48
古くはおにゃんこクラブ、そして、モーニング娘、今はAKB48。
エーケービーフォーティエイトというらしい。

年とともに、どんどん人数は増えているのではないか。
もはやグループという域を超えている。

こういう売り方をするのは、日本の特徴かと思う。
フォーティーエイトというから、48人かと思っていたら、何やかんやで100人以上いるとの事。

紅白で歌っていたが、マイクの数が多すぎて、昔なら大変だっただろう。
さすがに48人全部がマイクを持っているわけではないが、前の半分くらいのメンバーはマイクを持っていた。
まさか、後ろのほうのマイクはダミーというようなことはないだろうが…。

楽屋も大変だろう。
部屋の数が足りなくなる。

モーニング娘のときは、背の低い子だけを選んで、ミニモニという名前で切り売りしたりしていた。
そのうち、AKB48も切り売りが始まるのだろうか。
息子に聞いたら、AKB48という名前でも、人数が少ないときもあるし、フルメンバーのときもあるらしい。
そうか、AKB48というのはブランドなのか。

AKB48という名前で誰が出てもいいのだ。

スターシステムの裏をかいた戦略。

今年いっぱいもつだろうか。

どんどん入れ替わっても、AKB48。

どこまでいくのだろう。

| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |