考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< November 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
文系も数学を
経団連が大学教育を見直すべきだ、という提言をまとめるらしい。
デジタル分野の人材確保を目指す提言だ。
そこで「文系学生も数学を」ということになる。

まことにいいことだと思う。
今の経団連会長は理系の技術系だろう。
その人になって、ようやくこういう話が出てきた。

12月3日に経団連が若い人材の育成に向けて提言を出して、その後大学と対話する場を設けて意見交換をするという。
本来なら、大学自身が変わらないといけない、ということだろうと思うが、文科省と大学は現状を維持しようとして、全く変わらない。
だから、業を煮やして経団連が働きかける、ということだ。

今までサボってきたツケが来たのだ。

日経によると、

「大学には文系と理系でそれぞれ偏りすぎた教育内容の見直しを迫る。ビジネスの現場ではシェアビジネスやデジタルマーケティングが広がり、統計などの知識が必要と考える経営者は多い。データを扱うために「最低限の数学」を学生が学び続けるよう求める。」

とのこと。

ぼくは10年ほど前に大学にいたとき、学長と学部長、学科長の会議(事実上の最高意思決定機関)で、「割合がわからない学生に学士号を与えていいのか」と言ったら、「それは学士号の対象ではない」と言われた。
「しかし、それは世間の人の期待と違う」と言ったが、取り合われなかった。

さすがに大学も経団連に言われたら、ちょっとは変わるだろう。

今まで文科省も大学も、気づいていても全く変わろうとしなかった。

ようやく、これで少しは変わる。
三流官庁の文科省も、少しは心を入れ替えるのではないか。

大学が変われば、高校も変わる。
高校が変われば、中学も変わる。
中学が変われば、小学校も変わる。

時間はかかるが、そういうふうに変わっていくと、日本もマトモになる。

就活ルールなどどうでもいいのだ。

学生が変わらないといけない。




| | 考えたこと | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
不登校過去最多
不登校が過去最多という記事がある。
それによると、文科省が10月に「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」の速報値を発表し、2017年度の不登校の小中学生は14万4031人。
5年連続増加して、16年ぶりに過去最多を更新ということだ。

少子化で子供は減っていると思うのだが、不登校は増える、という事態。
内訳は、小学校3万5032人、中学校10万8999人。
小学校は過去最多を更新し、中学校は過去2番めに多い数字になった。
一方で全児童生徒数は過去最少を更新。
子どもに占める不登校の割合は1.5%で過去最多を更新しているとのこと。

ちゃんと教育さえできれば、別に学校に行っても行かなくてもいいと思うが、この数字はひどい。
文科省には改善する気があるのだろうか。
義務教育だから、親は行かせる義務がある。
逆に言うと、子供は教育される権利を持っている、ということにもなる。
その小中学校がこんな状態とは…。

文科省は、「複合的な要因が絡み合っているので原因を特定することは難しい」と言っている。
難しいからこそ、今の学校の体制を変えないとダメだと思う。
相次ぐいじめの問題や、それへの対応を見ても、教員や教育委員会に問題があるのは明らか。
学校が社会から切り離されているのが問題なのだと、ぼくは思う。
そのために、教育に関わるのが先生だけ、という状態になる。

数は少ないが、小中学校で働いている元社会人によると、教員の中には社会人としては失格、というような人がいるとのこと。
結局、社会で普通に働くという意味の「常識」を持っている人が、ほとんどいないのが問題なのだと思う。
教育委員会のイジメ対応などを見ていると、まさにそんな感じだ。
文科省は教育関係者に、なるべくよそ者を入れないようにしたいのではないか、とさえ思う。

教職課程を見直し、社会人から教員になれる道を広げ、小中学校には社会人出身の事務を入れること。
そしてその事務に権限を持たせること。
そういう改革が必要だと思う。

それが不登校をなくす方法だと思う。




| | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ケプラー宇宙望遠鏡
11月17日、ケプラー宇宙望遠鏡の運用が完全に終了したとのこと。
英語で言えば、”Mission Completed”というところだろうか。

ケプラーというと、天体の動きの法則を見つけ、それを体系化した人だ。
太陽系の惑星が太陽の回りを楕円の軌道で運動しているということと、太陽と惑星の間には引き合う力がある、ということを発見した。
その名前を冠した宇宙望遠鏡だった。

地球から星を観測すると、大気の影響を受けるから、なかなか正しく観測できない。
ケプラーは宇宙から観測するので、大気や天候の影響は受けない。
そのおかげで、たくさんの恒星を発見した。
また、恒星だけでなく、恒星の周りを回っている惑星を観測した。

惑星は光らないから、直接観測はできないが、恒星の前を横切るときに恒星の明るさが変化する。
横切られるから、光が減少するのだ。
それをケプラーは観測した。
一度テレビでやっているのを見た。

太陽系のように、恒星の周りを惑星が回っているという星たちがたくさんあったということだ。

2009年から3年間の予定で運用が始まったが、それが9年目まで伸びた。
今は地球から約1億5000万キロ離れたところで太陽の回りを回っているとのこと。
電波の速さが秒速30万キロだから、ケプラーと通信するのに8分ちょっとかかるところだ。
遠いところまで行ったものだと思う。

運用を終了するコマンドは「Goodnight」。
打ち上げた当初から、そういうコマンドで終わることを想定していたのだろう。
作った人はそのコマンドを打つときを想像したのだろうか。

重さ1トンの大きな望遠鏡。
宇宙ではけしつぶのような存在。
それでも、9年間ケプラーと付き合ってきた人たちは、ケプラーを人間のように感じていたのだろう。

こういうところに、宇宙を研究している人たちのロマンを感じる。
宇宙を見ていると、そういう気持ちになると思う。

きっと担当者は万感の思いを込めて最後のコマンドを打ったはず。
その日がヨハネス・ケプラーの命日だったのは偶然だと言っているが、そんなはずはない。
きっと敬意を表したのだろう。

宇宙のロマンだ。




| | 考えたこと | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
電車のマナー
ぼくは時差出勤が多く、ラッシュアワーの電車に乗ることは少ないが、電車の中でのリュックはちょっと考えてもらいたいと思う。
座席の間で、背中にリュックを背負った人が向かい合わせにいると、通せんぼ状態になる。
リュックを下ろして自分で持つか、体の前に持っていくかしてくれたらいいのだ。

若い人たちは学生だけでなく、通勤にもリュックという人もいて、車内空間が狭まった感じがある。
また、今のリュックはかなり容積が大きいから、余計にジャマになる。

ヘッドフォンの音漏れは、ヘッドフォン自体が良くなってほとんどなくなった。
ウォークマンが出た頃は、よく電車の中でシャンシャン聞こえていたものだ。

携帯やスマホの会話もほとんどなくなった。
今は却って年寄りの方が多いと思う。

電車の改良も進んだ。
長椅子を3つに分けて、3人、2人、3人と8人座れるようにしている。
端っこが好きな人は、区切りが2つあるので、8人がけのうちなんと6人分が端っこになる。
あれはナイスアイデアだと思う。
ああいうのをデザインの勝利、というのだろう。

逆に気になるのは、席が空いているのに、立っている若い人たちが多いこと。
ぼくらが若い頃に比べると、圧倒的に年寄りが増えた。
年寄り優先の座席も増えた。
だからといって、電車が空いているのにそこには座ろうとしない。
エライなあ、と思うのだが、ちょっと気の毒な気もする。

座席を譲るような状態になるのがイヤで、立っているのだろうと思う。
その気持もわかるのだが…。

また、ぼくは週に3日JRの大阪駅を利用するのだが、ここの駅のアナウンスはめちゃ大きい。
インバウンドの旅行者が増えているせいか、録音の音声だけでなく、実際にマイクでアナウンスする。
これがわかっている人にとっては、うるさい。
事故が起こってはいけないし、外国人の人たちへの配慮もあるのだろうが、とにかくうるさい。
自衛するしかないので、耳栓型のイヤホンをつける。
これでだいぶ楽になった。

でも電車のマナーで気になるのは、どっちかというと高齢者の方だ。
3人がけのスペースを3人座れないように座ったり、カバンを膝の上ではなく、自分の脇に置いたりする。
そういう事は、若い人はほとんどしない。

少子高齢化で若い人が減り、電車の中でも肩身が狭いように見える。

電車の中は、世の中を表しているようだ。


| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
佐渡連
去年も書いたが、1万人の第九では12回の練習を終えたあと、本番前に指揮者の佐渡裕の練習がある。
今日がその「佐渡連」だった。
昼から新神戸の神戸芸術会館に行く。
総勢900名ほど。西宮と梅田、森ノ宮の教室が集まった。

去年に比べると、佐渡裕はちょっと疲れていたと思う。
軽口が少なかった。
去年はよしもとの芸人みたいだったが、今年は指揮者という感じ。

佐渡裕は全部で10回ほど練習に付き合う。
関西と東京のみでも、10回になるらしい。
今年で1万人の第九は20回目とのこと。
もう20年もやっている。去年と同じく、最初はいやいや引き受けたが‥、という話。
1回やると、終わったあとの感激があって、もう1回、というようになる。
これはぼくもよくわかる。
あの感激は、やみつきになる。

いつものコダマ先生が10分間の発声練習をやった。
西宮の教室のメンバーはよくわかったが、森ノ宮や梅田の教室の人は初めてだったから、戸惑っただろうと思う。
骨盤底筋とか、軟口蓋とか、首の後から声を出せなどと言われて、わかったんだろうか。

その後、佐渡裕の練習。
通しで最初から歌っていく。
いつもの300人ではなく、今回は900人だから、それだけで迫力がある。
ただ、気合が入って、めちゃめちゃ早くなる。

去年の本番もそうだったのだが、とにかくみんな「走る」のだ。
ハイになって、テンポが早い。
最初の部分は、どちらかというと、指揮者がそれに合わせてふっているという感じ。
もう少しゆっくりやったらいいと思うのだが‥。

佐渡連で指導されたのは、どちらかというと意味。
ここはこういう意味だから、この言葉は大事とか、こういう場面だから歌い方はこうなるとか‥。
説得力があって、さすが指揮者だと思う。
当たり前か。

これでどんどんやる気を高めてきた。
泣いても笑っても、次の日曜日で終わり。

土曜日のリハーサル、日曜日の本番と、体調を整えていきたい。



| | 考えたこと | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
テレビ離れ
最近、家でテレビとネットとどっちをたくさん見るか?という質問を大学生にした。
すると、全員がネットだという。
十名ほどの学生。

エライものだ。
本当にテレビ離れが進んでいるのだ。

たしかに、流行語大賞の候補になったTIKTOKの話をして、どうしてあそこに出てくる女の子はみんな目が大きいのか?と聞くと、すごい反応があった。
テレビの世界では、TIKTOKなど出てこない。ネットの世界だ。

あれはフィルターを使って目を大きくしている、という。
みんな猫みたいな顔になっている。
動画でもそんなフィルターが使えるとは知らなかった。

まあ、15秒ならしょうもないと思ってもすぐ終わるからいいとか、バックで流れる歌はみんな早送りだとか、そういう話題にはけっこう食いついてくる。
今度はヴァーチャル・ユーチューバーの話でもしてみようと思う。

それにしても、全員がネットに手を上げたのには驚いた。
だいたい、質問しても全員が手を上げることはほとんどない。めんどくさいからだ。
それなのに、珍しく全員が挙手をした。
これはよほど確信があるということだ。
どっちかな、と思っていたら手は上がらない。

そういえば、ジャニーズ事務所がついにネットに進出したというニュースがあった。
実際には3月からYoutubeでジャニーズチャンネルというのをやっているのだが、いまいち評判が良くないらしい。
テレビに頼ってきたのが裏目に出て、ネット好きの中高生にはジャニーズは存在しないのかもしれない。

元SMAPでジャニーズをやめた3人がネットを中心に活動を始め、それなりの存在感を持っていたり、K-Popの人たちがネット上でも人気があり、ジャニーズのタレントを食い始めたとか、いろんな事情が重なって、ネット戦略を変更したのだろう。
SixTONES(ストーンズ)というグループをネットで売り出すという戦略を始めたらしい。

あのジャニーズ事務所ですら、若いファンを獲得しようとすると、テレビや雑誌ではもう無理ということだ。

たしかに、テレビはほとんど年寄りのために放送している。
毎日放送の「ちちんぷいぷい」という昼間の番組などひどいものだ。
テレビというメディアをおばちゃんたちの井戸端会議の場所にしてしまった。
年をとって、井戸端会議ができなくなった年寄りたちをターゲットにしているのだろう。

それで生きていけるのならいいが、もう終わりは近づいている。

テレビはなくならないだろうが、どういう形になっていくのか、想像がつかない。





| | 考えたこと | 19:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
Z世代
アメリカでは80年代に生まれた、インターネット世代のことをY世代という。
The Internに出てきた、アン・ハサウェイの世代。
そして、その次の世代がZ世代。
2001年以降に生まれた人たち、という定義になる。

その前のY世代がミレニアル世代とも言われ、情報機器に強く、デジタルネィティブ世代などと言われているのに対して、Z世代はちょうど成人を迎える頃に失業率が4%と高くなり、「慎重で頑固になった世代」と言われているらしい。

Forbesによると、その人達の購買上の特徴は6つあるとのこと。

1つ目は性別に対する考え方。
男女の差は以前ほど大きな意味を持っていない、という傾向が強くなった。
びっくりするのは、「彼(he)」や「彼女(she)」の代わりに性別を特定しない「ze(ズィ)」や「they」「them」などの代名詞を使って話す人がいると答えた人が、55%もいる、ということ。
「ze」という言葉は、トランスジェンダーに配慮した言葉らしい。
そんな言葉があることも知らなかった。

2つ目は社会問題に対する関心が高い、ということ。
小売業では持続可能性(サステナビリティ)に配慮した、というような態度が重要になるらしい。
フェアトレードなども同様だろう。
再生可能エネルギーなども、おそらく好まれると思う。
それらが、従来のブランドよりも大事になる、ということだ。

3つ目は正しい情報を見抜く力がある、ということ。
フェイク・ニュースを見抜けるということだ。
ソーシャル・メディアとともに成長した世代だから、ということだが、本当だろうか。
ソーシャル・メディアの情報は、どうしても自分が見たいものを見る、という確証バイアスが強くなると思うのだが…。
まあ、アメリカでは印刷メディアも中立ではないから、信頼できる著者のブログなどから情報を取っているのだろうか。

4つ目はオンラインよりリアルを求めるということ。
調査によると、この世代の67%がオンライン通販よりも、実店舗で買い物をしたい、と答えているらしい。
これも、びっくりの結果だ。
SNSの世代に育ったからこそ、リアルを求めるということなのだろうか。

5つ目は、ブランドにとらわれないということ。
あくまで自分の個性に合ったモノを選択するらしい。
これは2にも通じるが、Z世代のこだわりを満足させるものが必要ということだ。

最後は、やはりコストに敏感ということ。
価格と品質は重要な検討項目、ということになる。
この世代は、購入前に情報収集をして、お得な買い物をする。
うちの息子達も、そのあたりは敏感だ。
Z世代とは逆になるが、実店舗でチェックして、アマゾンで買ったりしているなあ。

まだまだ10代のZ世代だが、彼らが選挙権を持ち、自らを主張しはじめたとき、アメリカはどう変わっていくのだろう…。



| | 考えたこと | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 最終練習
水曜日は第九の最終練習だった。
去年もそうだったが、最後の練習となるといつもと違う。
何となく緊張感が漂う感じ。

もうすぐ本番という気持ちがそうさせるのかもしれない。
2年目のぼくも、またあの大阪城ホールで歌うのかと思うと、ちょっとうれしくなる。
当日になると、またあの長い時間座って待つという苦行が待っているのだが‥。

今回は本当に通しで練習をやった。
最初は発声練習。
歌わず、話すこと。
喉を開けて、力を抜くこと。
鼻の息で硬い響く声を出すこと。
足で舞台をつかみ、骨盤底筋に力を入れて息を吐くこと。
口は開けて、軟口蓋を意識すること。
肩甲骨を緩めて息を吐くこと。
こういうことをずっとやってきたが、少しでも思い出してやってほしい、ということだ。

前回に続いて、4楽章が始まって立つところからやった。
去年もやったが、実際には立つタイミングで観客席の照明がつくので、そんなに気にしなくても大丈夫。

みんなの気合が伝わったのか、最終練習はいつもより良かったと思う。
声に張りがあった。

ぼくは練習はしたものの、まだ完全には歌い出しのタイミングや歌詞が完全ではない。
最後の2つのパートが難関だ。

それでも、第4楽章全体やソロのパートも入って通しでやると、ようやく第九をほんとに歌っているという感じになる。
それがみんなをその気にさせるのだろう。

いつも先生が言うが、歌うときには身体で用意をしておく必要がある。
あくびの口で、息を横隔膜で吸って、歌詞の最初の子音を出せるように口の形を整える。
どうしてもリズムが日本人になりやすいので、ちゃんと跳ねるリズムを意識する。
それらの用意をして歌うと、歌い出しが遅れず、最初から声が出る。
何事も最初と準備が肝心だ。

最後にコダマ先生が2曲ほど歌ってくれた。
さすがにプロだ。上手。

帰ってみると、先生のフェイスブックにクラスへのメッセージが書いてあった。
最後にドイツ語で、Viel Spass!と書いてある。
調べると、「楽しんで!」という意味だ。

本番はみんな気合が入って、リズムが走るし、声のコントロールができなくなったりする。

でも、力を抜いて、楽しんでやれば大丈夫ということだ。

楽しもう。


| | 考えたこと | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
尼崎市 戦後最低の投票率
先週の日曜日は尼崎市の市長選挙だった。
現職の稲村市長は2期8年を勤め、3期目の立候補。
対抗は前回と同じく、共産党推薦の流目という70歳の人。
新聞では「新人候補との一騎打ち」と書いてあったが、70歳で共産党の地区の仕事をやっていて新人というのはなあ。
でも、対抗が出ただけましか。

市長選挙といっても、街でポスターも見ないし、街頭演説もないし、選挙の争点もわからない。
もうこれは、出来レースと言っていいのではないか。
まだ共産党は推薦を出しているだけマシ。
その他の党はどうなってるのか。
前にも書いたが、その他の党、特に公明党は尼崎市議会では与党なんだから、誰かを立てるべきだと思う。
そうしないということが、結局は市議会では市長も含めてみんな仲良しで、出来レースをやったということだ。

対立候補のビラをネットで見たが、例によって憲法改悪反対、消費税10%ストップとか書いてあった。
でもまあ、その字は小さいし、今回は形だけでも現職の市政批判もしているし、いいと思う。
ビラには、パブリックコメントを聞いているが市民は「私たちの声が届かないと感じています」と書いてある。
それなら、そういう実例を出したり、こんなことが困っているということを書かないといけない。
中学校の給食や公共施設の削減、民間委託計画の見直しなどが公約。
何ら具体的な数字はない。
共産党の市議に聞いたら、わかると思うのだが…。

選挙は無風だったから、市民の関心は上がらない。
その責任は市議会と市長の両方にある。
市議会で有効な議論がされていれば、自ずと争点は明らかになるし、もっと建設的な批判ができて、市民も意識が高くなる。
そうすれば、市長選挙に出よう、という人も出てくる。

今の市政をやっているのは、市役所の役人だ。
結局役人が出してくる提案に市長も議会も乗っているのだろう。
非効率が放置され、役所の人数は減らないし、市民サービスはよくならない。
これから少子化で人が減るというのに、どうするのか。
だいたい、役にも立っていない市議が42名もいることを問題にしないのか。
そういう提案が出れば、市民も投票に行くだろう。

その市民の関心の低さ、諦めを表しているのが投票率。
前回も尼崎市として戦後最低だったが、それを更新して25.69%だった。

ぼくも市民の義務だとはわかっているが、行っても仕方がない。
現職の市長が通るに決まっているのだ。
白票を投じて、不信任を表してもいいとは思ったのだが…。

ツイッターには、白票でを投じに行くべきという意見もあった。
そうでないと、どれだけ投票率が低くても、自分は信任されたと思うから…とのこと。

たしかにそうだとは思う。
しかし、いくらアホでもこの投票率で信任されたと思うだろうか…。
いや、今日にはもう投票率のことは忘れているだろう。

そのためにも、ぼくらが市政にもっと興味を持たないといけない。
とは思うのだが…。



| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
未来は変えられない
「過去は変えられないが、未来は変えられる」、というのはよく聞く言葉だが、これはちょっと違うと思う。
「過去は変えられるが、未来は変えられない」という方がいい。

過去に起こった事実は変えられない。
それは当たり前。
しかし、それをどう捉えるかが大事だ。
たいがい、キャリアの相談というのは、そこが大事になる。

自分が取り組んできたこと、頑張ってきたことの意味を考える。
それが主な作業になる。

自分では大したことがないと思っていたことも、見方を変えれば意味が変わってくる。
くだらないことだと思っていたことでも、それが縁の下の力持ち的な事だったりする。
誰かのためにならない仕事は少ない。
きっと誰かのためになっているのだ。
どこから光を当てるかで、意味は変わる。
だから、過去は変えられる。

未来は変えられる、というのは嘘だ。
未来はまだ来ていないから、わからないというのが正解。
そして、未来は作るものでもある。

未来は変えられる、という言葉には、自分の未来はきっと自分の思っているものにならないから、変えるべきだ、という暗黙の了解がある。
そんなことを考えていたら、未来はろくなものにならない。

未来はこれから作ればいいのだ。
たとえ、それが受け入れ難いものであっても、受け入れざるを得ない。
それをどう解釈するかということだ。

そんなに簡単に考えが変わるわけではないが、そんなふうに話を聞き、話をする。

自分の経験は大事だ。
それが考え方のベースになっている。
世の中の動きにも敏感にならざるを得ない。
妥当な世の中の認識も必要になる。

クライアントが満足するときも、しないときもある。
それは仕方がない。

あとは誠心誠意、接するだけ。

そういうものだ。


| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼミが飲み会?
いかに下位の大学の教員がいい加減なことをしているかという例がある。
ぼくのいた大学は、かなりひどい部類だと思うが…。

4回生の卒論ゼミでの話。
授業の時間割はわかっているので、教室に行ってみたら教員がいない。
学生が2人ほど来ていて、話していた。
学生に聞いたら、先生は来たり来なかったりする、ということだった。
何かでゼミがないならないで連絡しているのかもしれないが、やるのが当たり前だと思うのだが…。

それでなくても、4回生は授業に来ない。
単位を取ってしまっているからだ。
だから、卒論ゼミをちゃんとやらなければ、学生を捕まえることができない。

ぼくがキャリア支援をやっていた時、4回生ゼミの時間に学生を捕まえに何度か行ったことがあるが、一度も捕まえることはできなかった。
そもそもゼミをやっていないのだ。
聞けば、研究室でやっているという教員もいたし、卒論は個別の指導なのでメールでやっている、という教員もいた。
どちらもある程度は本当なんだろう。

だから、学校によっては出席を厳しくしている。
学生証を機械にかざして、コンピューターで出席を取る学校もある。
それは学生の出席を取ると同時に、授業をちゃんとしている、というチェックでもある。

次は3回生のゼミの話。
その教員は、自分の事務所を持っており、学校の出席率(週に何日来るかということ)も低かった。
一時、週に3日しか来ないという時期もあったと聞く。
いったいどっちに力を入れているのか、という人だった。

そのゼミで、酒の飲めない学生が、困っているという。
なぜかというと、ゼミの授業をやめて、夜の飲み会に振り替えるからだ。
ゼミを休むのは構わないのだが、飲み会で出席を取るのはどうか、ということだ。
もちろん、事務としてはダメだということになる。
こういうことは、学生は教務課や学生課では言わない。
就職支援の場で、学生時代に頑張ったことを聞いている時に「ゼミはどうやった?」と聞くと本音が出るのだ。

そういうゼミばかりとは言わないが、下位の大学にはそういう先生もいる。

そういう先生に対して、学生からはいい先生という評価もあり、悪い先生という評価もある。
困っている学生の評価は、もちろん悪い評価だ。
でも、それを先生に言うと、成績がどうなるかわからないから、言えない。
聞いた事務の方も、先生が犯人探しをするから、それとなくしか言えない。

これが下位の大学の悪循環。

困ったものだ…。


| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
VTuber
こないだ、キズナアイ騒動のことを書いたが、その後何となくキズナアイにハマってしまった。

3Dアニメのキズナアイは「AI」ということになっているが、実際は声優がしゃべっており、ネット上のいろいろなコンテンツを使って5分から10分程度のおしゃべりをする。
ただそれだけのことではあるのだが、たった5分くらいだから、ついつい見てしまう。
Youtubeの画面に視聴履歴に基づいてレコメンドが出るから、よけいにクリックしてしまう。

しかし、こういうのを見て育った世代は、どうなるんだろうか。
昨日の15秒動画のTIKTOKといい、キズナアイといい、たわいもない歌やしゃべりの短い時間の集合体だ。
まとまったストーリー性とか、プロットを読み解く楽しみとか、あとの楽しみのために我慢をするとか、そんな行動とは無縁だ。
たとえ5分であっても、気に入らなければ、どんどん飛ばしていけばいい。
15秒の動画など、気に入らなければ飛ばすということをしなくても終わる。

作る方も、一度3Dモデルを作ってしまえば、あとは声優にあわせて動かすだけだから、わりと楽だろう。
そのせいか、VTuberという言葉もできている。
ヴァーチャル・ユーチューバー(Vertual Youtuber)という意味だ。

そのVTuberが、運営企業を訴えるという事件があった。
内容は下記。

「人気VTuber「アズマリム」が11月8日、運営企業のCyberVについてTwitterで「望まな
いことを無理矢理押し付けられることになった」「センパイ(視聴者)を数字や金と
しか見ていない」などと告発し、ファンの間で波紋を呼んだ。CyberVは13日、「本人
の意向を尊重できていなかった」として謝罪し、アズマリムの活動はこれまで通り続
けると明らかにした。」

これを見ると、アズマリムというVTuberと、運営会社は別になっているということだ。
ちなみに、アズマリムというのは、キズナアイみたいなもの。
3Dアニメである。
センパイ、という呼びかけが特徴。
よくわからないが、運営会社がこれをやれ、というふうな押し付けを行い、VTuber(製作者)が実行するという手順になっているようだ。

キズナアイの場合は、Project A.I. 製作委員会という団体が運営している。
Ichikara Inc. | 道玄坂 | いちから株式会社というところは、月ノ美兎など18名のVTuberを抱えている。
こうなると、プロダクションみたいなものだ。

カグアというサイトによると、

「バーチャルユーチューバーの先駆けキズナアイは、3Dデータも公開し、個人利用であれば無料で使えるというオープンライセンス戦略を採用。多くのYouTuberがコラボ動画を作り、人気を不動のものにしました。事務所やマネジメント会社の競争が激しくなりますと、今後ライセンス戦略でも露出や人気に差が出る可能性がありますので、注目が集まりそうです。」

と書かれている。

VTuberの作り方も解説されていて、ある程度は個人でもできそうだ。
そうやって作ったVTuberを、運営会社と契約して売る、というような方式かもしれない。

だんだんと、VTuberが人間みたいになる。
世の中は知らぬ間に変わっている。

そのうち、テレビに出てくるのもヴァーチャルな3Dモデルになるかもしれないぞ。




| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
TIKTOK
今年の流行語大賞に知らない単語がノミネートされている。
それが「TIKTOK」。
調べてみたら、動画アプリだった。
Youtubeとの違いは、スマホに特化していることと、15秒の動画のみ、というところ。

Wikipediaによると、このTIKTOKを作っているのは、Bytedanceという中国のメディア企業。
中国では最大のユーザー数を誇るアプリとのこと。
今年の6月にアクティブユーザーが1億5000万人に達し、2018年の第1四半期に世界で最もダウンロードされたアプリになった。
TIKTOKの人気によって、アジア圏で多くのトレンドや有名人を生み出しているらしい。

なんと言っても、原則スマホでしか使えないアプリだということだ。
中高生のデファクトはスマホであって、パソコンではない。
PCでも使えないことはないが、いろいろとややこしい。

TIKTOKにアップされた動画が、Youtubeにも上がっている。
それを見ると、音楽に合わせて踊っている中高生の動画がたくさんあった。
なんだかよくわからないが、15秒という尺がいいのだろう。
飽きる前に終る。
圧倒的に年齢層が若い。
ほとんど音楽に合わせて踊るだけだ。

しかし、どんどん楽しみが刹那的になる。
たった15秒。
その時間に合わせて、音楽は早送りになる。
15秒ありきなのだ。

自撮りの延長で、動画も撮ってしまうという感じ。
10代後半から20代前半の女性。
みんな同じような顔立ち。異様に目がパッチリしているのは、加工なんだろうか。
中にはモデルをしている、という人もいる。

みんな、自分がスターになった気分なのだろう。
そのうち、このアプリが最初から入ったスマホが出るのかもしれない。
中国製のスマホがカメラに力を入れているのも、こういう現状があるからだろう。
iPhoneが売れるのも、一つはカメラの映りがいいからだ。
インスタグラムの動画版、という感じ。

流行語大賞にノミネートされるくらいだから、流行しているのだろう。

なんだかなあ。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイバー担当大臣
日本の低迷はIT音痴が指導者層に多いことが一つの原因だと思う。
これは官についても、民についても、同じことだ。

官の方はバンコクポストのニュース。
日本のサイバー担当大臣は「コンピュータが使えない」という報道。
民の方は経団連会長室。今回はじめてパソコンが入ったという。

どちらも正真正銘の本当のことだ。

サイバー担当の桜田大臣は、原発内でUSBメモリの使用は許可されているのか」という質問の意味が理解できなかったらしい。
1949年生まれの68歳。
普通の民間企業にいれば、おそらく使ったことくらいはあるはず。
50代くらいからパソコンが普及したはずだ。

しかし、政治の世界にいると、そういうややこしいことは秘書がやるのだろう。
それでも、サイバー担当大臣が自ら「パソコンを使ったことがない」というのは、情けない。
選んだ方も選んだ方だと思うが、なぜ本人が辞退しなかったのかと思う。
サイバーの意味すらわからなかったのだろうか。
よくSNS等で炎上とかニュースになるが、その意味もわからなかったのだろう。

日本人には、上に担がれるお神輿は軽くてもかまわない、という伝統がある。
大体の物事は課長クラスが決めて、稟議書を回す。
上の方に上がる頃には、下の方では合意ができている。
だから極端な場合、一番上はハンコを押すだけ、ということになる。

そういう人が大臣答弁をするから、こんなことになる。

民間はだいぶマシだが、大枠は似たようなものだ。
組織が大きくなればなるほど、そういう傾向は強くなる。

サイバー担当大臣はそれを象徴したニュースだった。
ツイッターを見ていたら「台湾では2年前にトランスジェンダーの女性プログラマー(当時35歳)がデジタル経済政策担当大臣として入閣」というのと比べものにならない、というツイートがあった。

まことにその通り。

長い低迷の原因はそのへんにあるぞ。





| | 考えたこと | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
さすがアメリカ
アメリカではタクシーの分野に、インターネットで登録した副業ドライバーが進出している。
ウーバーとかリフトとかいうアプリを開発した会社がやっているのだ。
これをライドシェアと言っている。
自家用車を使って、空き時間にお金を儲ける仕組みだ。
クルマそのものをシェアするカーシェアリングと並んで、クルマ社会に大きな変化を生み出そうとしている。

そのライドシェアの大手、リフトが全米35都市で「マイカーを捨てよう」というキャンペーンを始めたとのこと。
カーメーカーやカーディラーにとっては、驚くべきキャンペーンだろう。
T型フォードが生まれて以来、アメリカでは移動の手段の多くは自家用車であり、成人一人一台は当然という状況が、インターネットの仕組みで壊されようとしている。

リフトによると、2017年に北米では25万人が同社のサービスを使うことによって、クルマの所有をやめたらしい。

これに対して、全米自動車ディーラー協会の会長は、「全米20都市で配車アプリに頼る生活をした場合の平均費用は年間2万118ドル(約228万円)となり、車を自ら所有する場合(年間1万49ドル)の2倍超になった」という。
これをマスコミが大きなニュースとして取り上げないことに不満を表明した。

自動車メーカーも、GMやアウディが定額乗換サービスをやってはいるものの、本気でやっているという感じではないらしい。
それはそうだろう。
やっぱりクルマを所有してもらわないと、メーカーは困る。

しかし、ここ数年の新車販売の伸びは、リフトなどのライドシェアで、マイカーを使ってお金儲けをするドライバーが増えたためだ、という指摘もあるとのこと。
ライドシェアが伸びると、新車も売れる、という構図になっている。

それでも、カーディーラーはシェアリングエコノミーを敵視するのだろう。
クルマは個人が持つもの、というところが揺らぐと販売の形態が変わる。
ライドシェアが進んでいくと、どこへ行くのにもスマホで呼んで行けるようになり、そうなると自家用車は要らない、ということにもなりかねない。
あくまで都市部ということだが…。

しかし、こんな議論が起こるところが、さすがアメリカだ。
日本では規制に守られて、タクシー業界は安泰に見える。
ごく一部、配達の分野でウーバーがサービスしているという感じかな。
タクシー業界を守ることも必要だが、ドライバー不足などを考えると、新しい産業を育てることも必要だと思う。
それでなくても、日本は規制が多く、役所の権限が強い国だ。

トランプ大統領も、そのへんをもっと指摘すればいいのだ。

日本でも、一時的に混乱は起こるかもしれないが、もっと規制緩和は必要だと思う。




| | 考えたこと | 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
オソバ
オソバと言っても、お蕎麦のことではない。
ホンダとドワンゴが開発したiPhoneアプリのことだ。
クルマにUSB接続して、クルマの情報を取り、初音ミクが速度へのコメントや安全運転のためのアドバイスをしてくれるという。

初音ミクというのは、ボーカロイドのキャラクター。
ボーカロイドというのは、コンピューターで歌詞と音程を打ち込んで歌わせる人工の歌手。
そのスジでは有名だ。
Youtubeで検索したら山ほど出てくる。

話す言葉も滑らかだから、選ばれたという面もある。
若者をユーザーに引き込もうという作戦だろう。

クルマは軽のスポーツカー、S660だ。
安くはないが、200万ほどでスポーツカーにしては高くない。
しかし、スポーツカーを買う車オタクと、初音ミクのファンであるボカロ(ボーカロイド)オタクとは、ちょっとイメージが合わないようだが…。

ホンダとドワンゴは今後も共同研究を進めていくという。

若い頃、毎月茨城県までクルマで出張していた。
その時困ったのが、とにかく眠いこと。
音楽を聞いたり、ラジオを聞いたり、漫才を聞いたりしたが、さほど効き目がない。
モノを食べるというのはちょっと効く。
しかし、何が効くといって、誰かと話すことが一番。
気の合ったメンバーと2人なら、まず眠くならない。

だから、クルマに必要なのは、適当な会話ができるAIロボットだ。
GPSと連動して、位置情報も加味してくれるとなおいい。

自動運転など出来なくてもいいから、回りをモニターしていて、「あ、人が来た」とか「信号は赤」とか言ってくれたらそれでOKだ。
調子のいいことを言っているが、こういうのが一番難しいのだろう。

ぼくが生きている間に実用化してくれないかなあ。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
カーディーラーの未来
トヨタがディーラー網の再編を行うという記事があった。販売系列の廃止だ。
今のトヨタ、トヨペット、カローラ、ネッツという名前は残すが、2022〜2025年をめどに扱うクルマは全車種になるとのこと。
それに伴って、車種も減らす。

バブルの時は、小型車のターセル、コルサ、カローラ2とか、マーク2、チェイサー、クレスタなど、一つの車種を開発したら、ディーラーごとに兄弟車が作られたものだ。
バブルが崩壊して、ビッツあたりから、それらがまた統合されてきた。
コストダウンもあったのだろう。

それが一段進んで、ディーラーの垣根がなくなる。
みんな同じ車を売ることになる。
必然的に、競争は激しくなるだろう。
それでも、そういう方針を出したということは、それだけ自動車を取り巻く市場が厳しいと思っているからだ。
ディーラーの役割も、月額一定で乗り換え自由なサブスクリプションなどのサービスも入れていくらしい。

現在、新車ディーラーが5000店舗、レンタリースが1000店舗あるという。
意識的に減らすことは考えていない、ということは裏を返せば淘汰が起こっても関与しないという風にも取れる。
いよいよ自動車産業の変化が目に見えるところまで来たということだ。

現在トヨタが売っているのは150万台。
何もしなければ、2025年には、それが120万台に下がるという。
それを埋めるために、「個人の自動車保有平均年数である約9年に対応して、リース・残価設定ローンによる3〜5年での乗り換えによって15万台。また、法人向けで10万台、そして新しいジャンルで5万台と見込む。そのなかでシェアリング(の市場に対する影響の度合い)については現状でわからない。市場動向を見ながら、もう少し時間が経ってから(対外的に)説明したい」という。

この、2025年というのは、団塊の世代が75歳を超えて免許返納を真剣に考える年代。
びっくりするが、カローラアクシオの新車オーナーは60代〜70代らしい。
カローラといえば、どちらかというと若い世代と思っていたら、そんなことはないのだ。
若い人のクルマ離れ、高齢化はすごい勢いで進んでいる。

実際、若い人たちはクルマを持つよりも、シェアリングサービスを使ったほうが安い、と思っている。
持っていても、子供が出来たら手放したり、最初からシェアリングサービスで登録したり…。
タイムズ24などの会社が、シェアリングサービスを始め、そういうインフラが都市部では整備されつつある。
それが当たり前になって、スマホを使いこなし、自由に予約して使う世代が消費市場で力を持ち始めるのが、2025年ということだ。

その頃から、変化が加速するのだろう。

ぼくらは若い頃から、クルマを持ちたいと思ってきたが、そうではない時代が来る。
世の中のムダを減らして、資源を有効利用するためにも、そういう時代にならなければいけないのだ。

それが進んでいった時、自動車産業で食っている人たちはどう変化に対応するのか。
エライコッチャなあ。



| | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラック吹奏楽部
吹奏楽部が今は人気の部活で、「吹奏楽の甲子園」(全日本吹奏楽コンクール)はプレミアムチケットで、見る方も出る方も大変だという記事を見た。

記事は吹奏楽強豪校の先生方の指導を特集したもの。
見ていると、甲子園に出る野球の強豪校さながらの指導をされているのがよくわかる。
筆者は吹奏楽に詳しい人だそうだ。

たしかに、吹奏楽を上手になろうとすると、練習は大変だろう。
みんながみんな、吹奏楽のプロを目指すわけではない。
そんなに練習してどうするのだろうか。

記事から抜粋する。

「通常、コンクールの曲を練習し始める場合は、冒頭から楽譜のとおりに(多少テンポをゆっくりにして)演奏していくものだ。しかし、市立柏高校では楽譜に出てくる音符を一つひとつ、最初から最後までロングトーン(長く伸ばして吹くこと)していく。つまり、曲を構成しているすべての音を、じっくり時間をかけて隅々まで確認・点検していくということだ。気の遠くなるような作業だが、イチカシの音作りに一切の妥協はない。自分が出すすべての音、他の楽器とのピッチやハーモニーなどを確認するのだ。」

「また、通常では曲を練習していく際、楽器ごとに分かれて「パート練習」を行うのだが、市立柏高校では楽譜の特定の箇所で同じ音やフレーズを吹く楽器が集まる「パーツ練習」をする。パーツはいくつも存在するため、分刻みでスケジュールが決められており、部員たちは自分が担当するパーツの練習場所へどんどん移動しながら練習していく。」

人数が100人を超える強豪校の指導はこんな具合。
どれだけの時間を部活に当てているのだろうか。
今のブラック部活とか、高校生が本来やることとか、そういうことは議論されないのだろうか。

こういう人たちがいるから、部活至上主義みたいな風潮はなくならない。
部活はあくまで学校で本来やるべきことをやって、それ以外の時間でやるもの。
大学では1単位をについて、家での予習復習の時間まで文科省は決めている。
そういう考えは、高校生には当てはまらないのか。

ぼくは大学生と就職の相談をしていて、高校までやっていた部活をやめている人たちがすごく多いのに気がついた。
野球やサッカー、吹奏楽など、高校でさかんなものだ。
どうして大学ではやらなかったのか?と聞くと、いろんな答えが返ってくる。

やりきった感じがあった。
もうこれ以上やることはない。
別のことに挑戦したかった。

そんなことが語られる。

でも、ぼくは彼らが部活をやってきたのは、彼ら自身のためではなく、大人の自己満足のためだということを見破っているからだと思う。
世間から強豪校と言われ、百人以上の部員を指導し、大会で勝つのは気持ちいいだろう。
学校としても、宣伝になるから力を入れる。
しかし、それに付き合わされる部員の気持ちはどうなんだろうか。
一部にはそれに必死になる人もいるだろうが、仕方なく付き合う生徒もいるはず。

そういう人たちは、大学で続ける気にならないのだ。

その罪は重いと思う。
男子なら野球やサッカー。女子なら吹奏楽。
本来なら、楽しんで続けるはずの活動なのに、終わってしまう。

ことは野球だけではない。
ブラック部活はやめないといけない。

それを賛美する記事を書くなど、もってのほかだと思う。



| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
第一次大戦終結100年
昨日は第一次大戦が終結した日。
1918年の11月11日に4年続いた戦争が終わった。
終戦から100年が過ぎた。
それを記念して、フランスで72カ国が集まって式典があった。

1000万人の兵士が亡くなったという。
一般人も合わせると、1600万人が亡くなった。
戦車、戦闘機、機関銃、毒ガスなどの新しい兵器が開発され、使用された。
それまでの戦争とは違って、大量に人を殺すことができる武器ができたのだ。

日本は遠く離れていて、あまり第一次世界大戦のことはよくわからない。
世界史の教科書でも詳しくは教えない(載っていたけど)。
日本は日英同盟の関係で、イギリスとともに戦ったという事になっている、という程度の知識。

ヨーロッパの国々は戦場になり、終わったときにはみんな「戦争は二度としたくない」と思ったはず。
式典で、ラベルやバッハの音楽が演奏されるところが、さすがヨーロッパだ。

雨の中、首脳が並んで歩いていく姿は印象的。
その列にはトランプ大統領はいなかった。続く平和フォーラムも欠席したとのこと。

プーチン大統領はトランプ大統領とにこやかに握手をしていた。
まるでマクロン大統領を牽制するような感じだった。

マクロン大統領は「古い悪魔がまた姿を表した」と言った。
ナショナリズムや自国第一主義を批判したものだ。
プーチンやトランプはそうは思っていないが、行儀よく拍手していた、とイギリスのニュースでは伝える。
まさにそうだろう。

当のフランスでも、自国優先の人たちが増えている。
いずれの国でも同じだ。
メルケル首相は、退任を決めている。

EUというアメリカと並ぶ連合国を作ろうという試みは、イギリスが離脱を決めたことで綻びはじめた。
アメリカとEUの関係もぎくしゃくしている。

第一次大戦後に国際連盟ができ、二度と戦争はしない、と思っていたのに、その十数年後に第二次大戦が始まった。
第二次大戦後にできた国際連合も、どちらかというと軽んじられている。
みんな自分の国の利益が大事なのだ。
国際連合も、官僚的になっているという。

多くの状況証拠は、「二度と戦争をしない」と誓った日の逆方向に向いている。

麻生財務大臣はせっかく出席したのだから、どこか公の場でそれを報告したらいいのにと思う。


| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
「男はつらいよ」の新作
「男はつらいよ」の新作が来年発表されることになった。
主人公の渥美清は亡くなったが、どんな話になるのだろうか。

BSで山田監督と倍賞千恵子の対談を見たが、やっぱり主演は渥美清らしい。
回想シーンをつなげるのだろうか。

今年は満男(さくらの息子)が50歳になるという。
新作では、この息子の生い立ちが軸になるとのこと。

たしかに、シリーズの最後の方は、満男が大人になって、寅次郎との絡みが多くなった。
満男が結婚したら、レギュラーが一人増えるのだが、どうなるのかなあ、と思っていたら主人公が亡くなってしまった。
満男はやっぱり堅気の人生を歩まないといけない。
主人公が亡くなってからの長い間、満男はどういう人生を送ったのだろうか。

戦後の高度成長の前から、成長期、バブルが崩壊していろいろあった日本。
ちょうどシリーズの50周年にもなるという。

倍賞千恵子は、映画の中の自分のことを「さくらさん」と言っていた。
役者が、48作も出来てしまった映画の中で、自分をどう見ているか、面白かった。
役の自分は、自分ではない。
自分ではない、「さくらさん」なのだ。
そういうふうに、語っていた。

倍賞は、1作めに出た時は28歳だったという。
結果的に、自分の人生を「倍賞千恵子」という人間と、「諏訪さくら」という寅次郎の妹、二人分生きた感じなんだろう。
そういえば渥美清も、生前自分が「渥美清」なのか「車寅次郎」なのか、わからなくなる、と言っていた。

「男はつらいよ」は1969年にスタートし、1995年まで作られた。
その間26年間。
ぼくが12歳から38歳までの間。
そんな昔に終わったとはびっくりだ。

初めて見たのは、高校生の時。
ロードショウではなく「男はつらいよ」の3本立てだった。
友達と3人で、朝から見にいった。
やたら面白く、大笑いしたのを覚えている。
3本立てだから、5時間半くらいかかる。
朝の10時くらいから、3時過ぎまでだ。
あの映画館も、もう閉館した。

映画館で見たのは、その時とあと1回だけ。
あとはツタヤで借りたり、テレビで見たり…。
ここ数年はBSで録画してみている。

新作はどんな映画になるのかわからないが、映画館に見に行こう。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
クラシック
今日はポートアイランドに、クラシックのコンサートを聞きに行った。
神戸フィルの定期演奏会。
前売りで2500円だったので、第九の練習に一緒に行っている人と行った。

演目はチャイコフスキー。
最初が作品13「冬の日の幻想」というやつ。
これは、チャイコフスキーが若い頃に作って、師匠からボロクソに言われたというものだ、と指揮者の朝比奈千足から説明があった。
ところが、彼はこの作品にこだわって、晩年まで手を入れて直していたとのこと。
これを最初に1時間聞かされた。

ほとんど弦楽器だけ。
せっかく管もいるのに、ほとんど出番がない。
さすがに、ボロクソに言われた作品だと思う。
だいぶ寝てしまった。

2曲めは有名な「くるみ割り人形」から抜粋して演奏。
こちらはよかった。
管楽器も大活躍で、パーカッションもだいぶ入った。
こういうのが、聞きたかった。

クラシック、というのは今の時代から見てクラシックということだ。
この音楽も、昔は流行りの音楽だったのだろう。
その当時はクラシックではなく、モダンだったはず。
楽団が演奏する姿を見て、みんな喜んだんだろう。
音楽を聞くのはライブしかなかったし、実演を見ていたはず。
ちょっと当時の人達の気持ちがわかった。

弦楽器が30名ほど。バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス。
管楽器も30名ほど。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバだ。
あとは打楽器とハープ。女性5人。

弦楽器はわりと年配の人が多い。
管楽器はわりと若い。
そして、女性が3/4を占めている。

神戸フィルは女性パワーだった。

なかなかよかった。


| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
補助金
補助金には2つの問題がある。

一つはもらう方。
何をするにもお金は要るから、公共の利益に資するようなものには補助金を出す。
もちろん補助金の目的は法律で決められている。
補助金をもらうためには、行政などによる審査があり簡単にはもらえない。
しかし、補助金をもらい始めると、何も考えなくてもお金がもらえるから、工夫や努力をしなくなる。
場合によっては、事業が形骸化したり、やめたほうがいいものが継続したりする。
そういう評価を誰がやるか、ということだ。

もう一つは補助金を出す方。
これは一般的には行政だ。
補助金は行政の裁量が大きくなるから、その額はその権力の大きさを表す一面になる。
したがって、一旦できた補助金の予算を守ることが、行政側の権限を保持することになる。
もちろん、行政のお金ということは、税金だ。
だから、税金の無駄遣いの温床にもなっているということだ。

ぼくは学校法人に勤めて、初めて補助金というものに関わった。
補助金をもらう側になったのだ。
学生数に応じて支給されるものもあるし、特別補助というテーマごとのものもある。
GPという特別補助をもらおうとして、チームの一員となったこともある。
やっている時は、必死で補助金を得るために頑張るが、もらえても結果的には担当者だけがしんどくて、今ひとつうまくいかない
こちらの取り組みも悪かったのだと思う。学校ぐるみで取り組んでいなかったからだ。
しかし、補助金でよくなるのなら、日本中で今頃もっと良くなっているはずだとも言える…。

橋下元大坂市長は補助金を削減して、民営化を促進しそれを政策的に応援することで、関空を復活させた。
補助金は麻薬のようなもので、それをもらっていてはダメになる。
敢えてそれを削減することで、新しいやり方が生まれる。
民間の知恵を使えば、さらに促進されるだろう。
ぼくは橋下さんのやり方は正しいと思う。

補助金をもらっているから、学校法人は文科省の言うことを聞く。
だから、学校法人は天下りを受け入れる。
馴れ合いになって、大きな改革はできない。
大学は普段はかっこいいことを言っているが、いざ自分の補助金の話になったら口をつぐむ。
自ら補助金のことを話したりはしない。

役所から天下った人たちは、学校のよくないところもたくさん見つけるのだろうが、それは言わない。
所詮天下りの身だから、長いものには巻かれる。
次の天下りを確保しないといけない。
ひょっとしたら、役所も学校も同じような運営をしているから、疑問も持たないのかもしれないが…。

そんなふうにして、補助金をもらう側と、権限を保持したい役所の側が結託しているから、教育は変わらない。

だからこそ、変えていく努力が必要なのだ。
税金を投入してもらっている学校法人や、そもそも税金で運営されている役所組織などは、自己の組織をチェックして時代遅れになっているものや、他と比べて劣っているものを変革しないといけない。
民間企業ではアタリマエのことだ。

そういう努力が必要だと思っている人が、文科省の大臣にならないといけない。


| | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 練習11回目
いよいよあと2回。
いつもの発声練習も気合が入ってきた。
先生はしきりに喉を使わないで声を出せ、と言っているが、その感じがちょっとわかったかもしれない。
頭で音を考えて、高いところの息で話すように声を出す、という感じ。
パートをベースに変わって、声が出しやすくなっただけかもしれないが…。

今週は座席券の配布があった。
受付で参加証(毎回出席したらハンコを押してくれる)を出して、座席の券をもらう。
今年は「舞台アリーナ西」の席だった。
ひょっとしたら、今年は舞台の上で歌えるということか。
券をなくしたらいけないので、スマホで写真を撮っておく。
こういうリスク管理は重要だ。

今回は練習で通し稽古をやった。
最初から、最後まで、休まずに歌うという稽古。
去年は最後の1回だけだったが、今年は進捗が早い。
経験者が多いからだと思う。
たくさんの人が暗譜をしていて、楽譜を見ずに歌っていた。
去年こんな状況だったら、大変だったなあ、と一緒に行っている人と喜んだ。

ほとんどの部分は歌えるのだが、やっぱりテナーと譜割りが違う部分は、歌うところを間違えた。
そこを集中的に練習しないといけない。

恒例の「子供第九」(高校生までのメンバーが舞台上で歌う)や、男性だけで合唱をやる「おっさん第九」もやった。男性合唱の部分。
去年もそうだったが、歌えるようになると楽しい。
本来はそこからが練習だと思うが…。

そうそう、今回センセイが言っていたのは、苦しい音を出すには勇気がいるということ。
声が出ないと思って、喉に力を入れて声を出すのはやってはならない。
喉を開いて楽にして、勇気を出して身体が声を出してくれると信じること。
それをオーストリアに留学中ずっと先生に言われたらしい。

次回が最後の練習。
勇気を持って行こう。





| | 考えたこと | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
サブスクリプション・ビジネス
こないだ、XaaSのことを書いた。
「ナントカ as a Servie」、ものを作るだけでなく、付帯するサービスを売る、ということだ。
サブスクリプション・ビジネスとも言われている。

海の向こうでは、ギブソンが経営不振になったが、フェンダーはまだ頑張っている。
ギターだけでなく、ベース、ウクレレなどにも手を広げ、アンプやエフェクターも作って多角化している。
だいぶ前に、行きつけの楽器店で、ギブソンとフェンダーの違いについて聞いたら、「ギブソンは当たり外れが大きい、職人が作っているという感じだが、フェンダーは工業製品で、ハズレが少ない」と言われたことを覚えている。
確かにフェンダーのギターは作りやすい(壊れにくい)構造だと思う。
いち早くグローバル化を進め、日本にも工場があって、いろんなところでフェンダーを作れる。
まあ、モノとしてのギターの出来栄えはギブソンの方が芸術的なのかもしれない。
だから経営不振に陥ったのかもしれないが…。

そのフェンダーが2017年から、ギターやベースのインターネット教材を売り始めたという記事があった。
フェンダープレイという名前で、スマホアプリもあるし、ホームページもある。
実際にパソコンでホームページを見ると、2週間の無料トライアルができて、継続すると毎月19.99ドルという値段。
フェンダーの楽器の1割引の優待もある。
進捗も管理できるとのこと。
もちろん、ギターだけではなく、ベースやウクレレのコースもある。

1つのレッスンは短いビデオで、メインはギターの有名なフレーズ(リフという)を選んで習得していく、というスタイル。
もちろん基本レッスンもある。
美人のインストラクターも紹介されていた。

残念ながら、今の所英語しかサービスがない。
ざっと見たところ、ぼくが知っている曲がなかったのが残念。
そのうち、フェンダージャパンが日本向けのコンテンツを作るのかもしれない。
今の若い人をつかまえようと思えば、日本の曲も入れないとダメだろう。
まあ、今ならYou Tubeで無料のレッスンもたくさんあるのだが、それを系統的にまとめたという格好かもしれない。

インターネットが普及し、ブロードバンド化して、こういうサービスが可能になった。
それらが、製造業のサービス化を後押ししている。

ヤマハもアメリカで子会社のLine6という会社を使って、新会社Yamaha Guitar Groupを作り、サブスクリプションビジネスに参入するという。
アメリカはギター人口が多く、今でもピアノや管楽器を上回る規模があるらしい。
それにともなって、ギターマーケットの戦略の立案などもアメリカに移すとのこと。
日本ではヤマハ音楽教室をやっていたが、アメリカは広いからそっちの方に行くのだろう。
日本市場はここでも縮小だから、仕方ない。

ローランドはやってないのかと思ったら、ソフトシンセサイザー(パソコンにインストールして使うソフト音源)のサブスクリプションサービスをやっていた。
Roland Cloudという。こちらも月額20ドル弱だ。
知らぬ間に時代は変わっていた。

そういえば、教育分野でもすでに「スタディサプリ」は塾に代わる、インターネットを使ったサブスクリプションサービスだ。
商品を売り切りにするのではなく、サービスとして使ってもらって、利益を得る。
それを促進するのが、スマホなどの通信機器。

そういう時代が来ている。



| | 考えたこと | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
75歳まで働くには
ぼくが就職したときは、定年になるのは60歳だった。
最近、厚労省の指導で、65歳というところも増えた。
でも、60歳でいったん定年して、再雇用というような形で雇用継続するという形が多いと思う。

その弊害で、もとの会社の人に聞いたら、会社の中で年寄りが増えて困っているということだった(そう言った本人も、ぼくより年寄りだが…)。
今の社会保障を考えると、早く定年すると保障を受ける人がどんどん増えて、年金や医療保険制度が持たない。
だから、制度を考えると、定年を廃止したいというのが本音。
実際、65歳を過ぎても働きたい(働かないと将来が心配)という人も多い。
それはそうだろう。
若い人にたかって楽をしたいとも思わないし、経済的にも苦しいし、実際に保障を受ける人が増えすぎるのだから、何とかしないといけない。

では、65歳や70歳を過ぎて働くためにはどうしたらいいのか。

個人としては、体力をつけることらしい。
難しい言葉で言うと「加齢で低下する身体的機能を意識し、対策する」ことだという。
具体的には、視力や聴力、平衡機能、下肢、背筋の筋力、敏捷性、柔軟性、全身持久性、体温調節機能など。
要は毎日ストレッチをして、歩くことが大事という。
結果的にはこれが健康寿命を伸ばすことになる。
まあ、それをせずに「早めに死ぬ」という手もあるが、不健康に長生きするというリスクもあるから、難しい。
今はネットで在宅勤務という手もあるから、身体能力はちょっとダメでも、そっちを狙うという手もある。

それと並行して考えないといけないのが、社会としてどうするかということだろう。
職場に年寄りが増えすぎると、若い人たちのやる気をそぐことが多い。
今の進歩が早い世の中についていける年寄りならいいが、おおかたの人たちはついていけない。
古いスタイルに凝り固まった人もいるし、過去の成功体験から離れられない人もいる。
それが軋轢を呼ぶ。

年寄りが弊害を及ぼすということは、今のアマチュアスポーツ界を見てみればわかるだろう。
少なくとも70歳を超えて、指導的な立場に立つべきではない。
この仕組みを、社会としてどうやって作っていくかだ。

ぼくはある年齢を超えたら、若い人たちを助ける立場に身を置くことが望ましいと思う。
権力を手放し、今までの経験を役立てたり(場合によってはこれが弊害になるのだが)、下働きに徹することに注力すべきだと思う。
でも、これは「言うは易く行うは難し」というやつだ。
そういうのはやりたくない、という人が想像以上に多い。

例えば、そういうNPOなどを設立して、マッチングをするとかできないのだろうか。
何かいい知恵が必要だ。

新しい人材ビジネスとして、考えるべきだと思う。



| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
キズナアイ騒動
キズナアイという言葉をちょっと前によく見た。
ツイッター上で、「キズナアイ騒動」というような言葉だったと思う。
その時は意味がわからず(意味のわからない言葉はよく出てくる)、とりあえずは放置した。
それでも、何となく気になるので、ググることにした。

キズナアイとは、バーチャル・ユーチューバーだそうだ。
ユーチューバーというと、ユーチューブで生計を立てている人という意味だが、バーチャル・ユーチューバーというのは、その本人がバーチャルである、ということ。
要するに、3次元のCGで作られた女の子が、ユーチューブ上でクリック数を稼いでいるということだ。

察するところ、キズナアイとは姓がキズナ、名がアイ、つまり「キズナアイ(絆愛?)」という名前のことだ。
人間が出てきて何かする代わりに、3次元のキャラクターがユーチューバーをやっている。

ぼくは見たことがないが、キズナアイは「YouTubeチャンネルを2つ運用しており、両チャンネル合わせた登録者数は2018年10月現在で330万人を超えている大人気コンテンツにまでなっている。アップロードした動画の総視聴回数は2億2000万回を超えており、最も注目度の高いバーチャルユーチューバーである。」とネット上に書いてあった。

そのキズナアイを、NHKがノーベル賞の特別サイトに使って、その界隈で炎上したというのが、キズナアイ騒動。
こないだノーベル医学生理学賞を受賞した、本庶佑教授の受賞の特別サイトだ。
免疫の仕組みや、スイッチの話をしたのだと思う。

指摘されたのは、そもそもキズナアイというキャラクターを知らない人はとっつきにくいという観点や、キズナアイの女性性を問題視するものだったという。
しかし、別に問題になったというほどではなく、特設サイトは今でもある。
全く予備知識がないと、何でこのアニメキャラを使うのかな、と思う程度。

まあ、先生から教えてもらう生徒役だから、もうちょっと生徒らしいキャラを使ったほうが良かったのかもしれない。
でも、普段ユーチューブを見ている層を取り込みたいという意図はわからないでもない。

ぼくは目くじらを立てるほどでもないと思うのだが…。

これが「キズナアイ騒動」。

ネットが発達して、世の中がバラバラになった感がある。
そんな騒ぎがあったことも知らないまま生きていける。
一部の人たちにとっては、口角泡を飛ばすほどの話題であってもだ。

そんなことはリアルな世の中では、話されない。
もっぱらネット上での話だろう。

ややこしい時代になったと思う。




| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジェリー・ウォレス
Youtubeで60年代のポップスのミックスリストを見つけた。
ずっと聞いていると、「男の世界」が出てきた。

この曲を中学2年のときに聞いて、シングル盤を買ったのが、たしか最初の洋盤だったような気がする。
チャールズ・ブロンソンが出てくる、男性化粧品のCMソングだった。
当時、かなり流行ったと思う。
調べてみると、オリコン洋楽チャートで1970年10月5日付から通算12週1位とのこと。

出だしの”All the world loves a lover"というのが耳に残る。
チャールズ・ブロンソンのイメージもよかった。
この男性化粧品は丹頂というメーカーが作っていたが、この製品名マンダムを社名にするほどのヒット。

マンダムのCMもYoutubeにあった。
まだ西部劇が現役の頃だ。
砂漠で馬に乗ったブロンソンが、カウボーイハットで水を汲んだり、砂丘を駆け下りたりする。
最後に化粧品が出てくるが、効能などは一切なし。
男っぽいというイメージだけで見せる。

あの頃は資生堂のMG5に対抗してたと思う。
同じようなパッケージだった。
社名を変えるくらいだから、大成功したのだろう。

でも、実際の歌はジェリー・ウォレスというアメリカのカントリー歌手が歌っている。
Wikipedeaによると、「1960年から1980年にかけてカントリーミュージックのチャートで35曲をランクインさせた」とのこと。
「男の世界」は日本だけでヒットして、来日もしていないようだ。
日本では、ほんとにこの1曲だけ。
圧倒的にチャールズ・ブロンソンのイメージだったからなあ。

しかし、当時日本で12週オリコン1位になったというのは、カントリー歌手では記録ではないか。
シングル盤が120万枚も売れた。

写真を見ると、好青年という感じで、チャールズ・ブロンソンのイメージはまったくない。
だから、呼ぶのをやめたのかもしれない。

きっと70年当時、いろんな裏話があったのだろう。
もうチャールズ・ブロンソンもジェリー・ウォレスも亡くなってしまった。

いつの間にか、あれから48年も経った。

もうすぐ半世紀なのか…。





| | 考えたこと | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
八王子 その2
今日は昼まで寝ていて、ブランチにまた別のカレー屋に行った。
こちらはスリランカ人がやっているカレー。
なかなか美味しかった。
昨日からカレーづいている。

ご飯を食べてから、次男の会社を見に行って、そのあといくつか大学を見に行った。
残念ながら、ユーミンの曲の「ランドリーゲート」は跡形もなくなっていることがわかり、あきらめた。
曲ができたのが40年前。
米軍の基地はどんどん縮小しているから、仕方ない。

しかし、東京にはたくさん大学がある。
八王子近辺だけで20くらい。
スゴイ数だ。

創価大学の建物は立派だった。
学生数は8000人くらいか。

その向かいに東京純心大学というのがある。
聖母マリアに関係するミッション系。

日蓮宗とキリスト教が向かい合っているというのも、なんとも言えない。

その他にも、近辺に帝京大、中央大、工学院大、多摩美大、拓殖大、東京工科大、東京造形大、日本文化大、拓殖大などのキャンパスがある。

京都も大学がたくさんあると思ったが、東京はその比ではない。

4時前に出て帰りは東名、名神で帰った。
空いていて、休み休み帰っても、11時に到着。

久しぶりに東京を往復した。
ほとんど渋滞もなく、快適なドライブ。

しかし、サービスエリアの表示に英語、中国語、韓国語が併記されているところが多かった。
サービスエリアもインバウンド狙いなのだ。

土産物屋も、レストランも充実した。

山の中のサービスエリアにはドッグランが併設されていて、犬連れがたくさん来ていた。

この2日間で世の中が変わったことをだいぶ知った。




| | 考えたこと | 02:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
八王子
東京の八王子というと、東京都とはいうもののだいぶ都心から離れている。
次男が今年からそこで勤めていて、今日車で一日かけて来た。

初めて新名神、新東名を走ってきた。
さすがに早い。
昔と違って、渋滞もなく、順調に来た。
実質運転しているのが6時間程度。
昔朝早く出て、東京に入るのが夜の7時とかだったのに、今日は9時半に出て、17時半に八王子まで来た。
便利になったものだ。

八王子は、東京の田舎、というイメージを勝手に持っていたが、人口を調べると尼崎よりも多くて、来てみるとぼくらの住んでいるところよりもよほど都会。
JRと京王線の八王子駅があって、どちらの駅ビルも大きく、モールになっている。
食べ物屋や飲み屋もたくさんあって、さすが東京という感じ。
エライものだ。

夕食はオススメのスープカレーの店。
時間が早かったので入れたが、出たときには10人以上並んでいた。
エビスープのカレーを頼んだが、具がたくさん入っていておいしかった。
なぜか八王子には北海道出身の人がやっているスープカレーの店があるという。

夕食のあと、八王子の駅前付近を散策した。
八王子には大学がいくつかあって、若い人もたくさんいる。
創価大学もあって、その生徒らしき女の子たちが5,6人、駅前で学会の新聞を配っていた。
さすがにこの風景は見慣れない。

市のホームページを見てみると、関係する大学等が載っており、その数は25校もある。

「八王子市内には21の大学・短期大学・高専があり、約100,000人の学生が学んでいる全国でも有数の学園都市です。また、本市も加盟する、大学コンソーシアム八王子には25校が加盟し、約110,000人の学生が学んでいます。」

道理で若い人が多いわけだ。

八王子といえば、ユーミンの故郷。
ユーミンが在籍した、多摩美大もここにある。

明日は「ランドリーゲイトの思い出」にまつわる場所を見に行く。
ついでに、次男の会社も見てこよう。

どんなところだろうか…。



| | 考えたこと | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
1万人の第九 10回目練習
2年目の第九の練習も、もう10回目を数えた。
あと2回練習をして、佐渡裕の練習(通称サドレン)、リハーサル、本番という予定。
コダマ先生の指導にも、だいぶ熱が入ってきた。

今回は最後のところの練習をしたが、強調したのは歌詞の意味を考えて歌おうということだった。

Tochter aus Elysium, Freude, schöner Götterfunken
トホテル アウス エルージウム, フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン

ここは、「楽園から来た娘よ、歓喜よ 神々の煌めきよ」という意味。
単に発音を覚えて歌うだけでは、この歓喜の歌は歌えない、ということ。
1年目はそこまで至らなかったが、2年目はその余裕がある。

歌はその意味を考えて歌う、というのは母国語なら当然だ。
歌詞の意味で歌い方は変わる。
アタリマエのことだが、なかなかそこまでいかない。
ドイツ語なんて、ちんぷんかんぷんだ。

それでも、最後のところの意味は覚えた。
さすがに先生はオーストリアに4年間留学しただけのことはある。
聞いていて違和感があるのだろうなあ。

先生の指導で、パートの声が変わるのも、なんとなくわかるようになった。
今回はソプラノがだいぶ指導されたが、先生の指導で音圧が増えたり、音がきれいになったりする。

毎度まいど、喉で声を出すと汚い声になる、と言っているがそのとおりだ。
鼻の高さの息で、喉を開けて、身体で声を出させるということが、ほんのちょっとわかってきた。
インナーマッスルが勝手に仕事をする、と先生は言っていたが、そんな感じだ。

次回は男声合唱をステージに出て歌う。
恒例のおっさん第九。

あと2回。
頑張って暗譜しよう。

| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
経団連会長室
びっくりしたが、そうかもしれない。
経団連の会長室にパソコンが初めて入ったのが、今年の5月ということだ。
現会長の中西氏が会長執務室にパソコンを持ち込んで、職員にメールで仕事の進捗を聞くようになった。
「全国民唖然…」という表題の記事があった。

これだけIT化が進んでも、経団連の会長室にはパソコンがそれまでは置かれていなかったということ。
えらいものだ。
経団連会長といえば、だいたい60代後半以降の人だから、ITには明るくないかもしれない。
それにしても、今どきパソコンがない部屋で執務するというのは、どちらかというと窓際族という感じがする。

今回の会長は日立のエンジニア。
現在72歳だが、米スタンフォード大学大学院でコンピュータエンジニアリング学修士課程修了とのこと。
こういう人が会長になったから、パソコンも入れたし、就活スケジュールの見直しに手が付けられたのかもしれない。

だいたい、大きな組織でエラくなると回りが何でもしてくれるようになる。
チケットの手配から宿の手配など、全部やってくれる。

記事にはこうある。

「ある大手メーカーの品質管理部長だった筆者の知り合いは、退職して初めて自分で新幹線の指定席切符を取り、ホテルの予約を入れることになった。しかし、どうすればいいのか分からず、同行人の手助けを借りたという。乗り合いバスに乗るのも何十年ぶりだし、電話の出方すら忘れている始末。

周囲からすれば、いくらサラリーマン時代に偉かろうが、ただの迷惑な人だ。部長職でさえこうなのだから、大企業の経営トップの「浮世離れ」は推して知るべし。」

記事では企業に続いて、政治家も「秘書任せ」ということが書かれてる。
まあ、あの顔ぶれを見ていると、それほどITに明るい人はいないだろうなあ。
どちらかというと、音痴に近いのかもしれない。

ぼくのいた会社では、部長でそんなことはなかったが、今は人数が増えて組織が大きくなったから、どうだかわからない。
こういうことがあるから、定年後に「迷惑な人」が増えるのかと思う。

そういえば、学校法人にいた時、会計ソフトの使い勝手が悪く会議で文句を言ったら誰も何も言わない。
なぜかというと、管理職で誰もそれを使った人がいないからだ。
あの時は驚いた。

そういえば、2000年くらいにアメリカの会社に視察に行った時、部長以上のクラスでもパソコンを使っていた。
まあ、70歳を超えたトランプ大統領の得意技がツイッターだから、そういうものなのかもしれない。

記事では鋭い視点の指摘もある。

「近年明らかになっているのが、「デジタル・ネイティブ世代はパソコンが苦手」という傾向だ。文書作成は何とかなるが、表計算ソフトはムリ。新入社員研修でパソコンの基礎を教える企業が増えている、という話も聞く。いくらスマホが便利になったとはいえ、一般的なビジネスシーンでは、まだまだパソコンのスキルは必要だ。

かたや、なんでも紙ベースのオッサンたち。かたや、パソコンが使えない若者たち…前者だけを「IT音痴」と嗤ってはいられない現実がある。私たちはこのあまりに大きな世代間ギャップを抱えて、21世紀のデジタルトランスフォーメーション(DX)時代に突入している。」

若い人たちもスマホネィティブで、パソコンが苦手だ。
年寄りだけではない。
欧米では組織のトップに立つ人は、いかに高齢であっても「IT音痴」では許されないとのこと。

昔の総理のように、ITをイットと読んでいてはいけないのだ。

ほんとに何とかしないとなあ。




| | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |