考えたこと2

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キラキラネーム
とても読めない名前や、いわゆるケッタイな名前のことをキラキラネームというらしい。
その特集を雑誌でやっていたが、最近のキラキラネームはすごい。

「ハム太郎」という名前の子どもがいるらしい。
テレビでやっていたマンガの名前。
いつまでも「ハム太郎」が流行っているとは限らないが、この名前を付けられた子どもは気の毒だ。

読めない名前としては、「一愛和」という名前。
これを「ちわわ」と読む。イヌのチワワには飼い主がつけた名前があるが、この子どもはチワワが名前になっている。
これも気の毒としか言えない。

「源柳斎重國」という名前もある。
「げんりゅうさいしげくに」と読む。読み方は普通だが、この名前をつけた意味がわからない。
これに名字がつくから、長い名前になる。
これも気の毒としか言えない。

「僕」という名前で「しもべ」、「心中」という名前で「ここな」、「美空」という名前で「ぴゅあっぷる」、「神王」という名前で「ぜうす」。
どうなっているのか。
洒落で子どもの名前をつけているのか…。

記事には「ベビー用品専門店「赤ちゃん本舗」が行った新生児の名前に関する最新の統計によると、5人に1人が他の子どもと被らないオンリーワンの名前を持つ。」という。
みんながユニークな名前をつけたいらしい。

なんと、「賢一郎」という女の子もいるらしい。
名前は普通だが、まともな感覚ではない。

他にもたくさんキラキラネームが紹介されているが、どれも想像を絶するものだ。

いくら読み方は自由といっても、とても読めないものがほとんど。

親はオンリーワンの名前をつけて満足だろうが、子どもはほとんど読めない名前をつけられて、迷惑だと思う。

オンリーワンに価値があると思っているのだろうが、名前のオンリーワンには価値はない。
あくまでも名前だからだ。

勝負は中身で決まる。
それが分かっていないのだろう。


| | 考えたこと | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
英語と米語
英国人と米国人はどちらも英語を話すが、だいぶ違うらしい。

そういえば、英語と米語はだいぶ違う。
イギリスのドラマを見ると、やたら子音が強調される。
有名なのは「水」は英国では「ウォーター」だが、米国では「ワラ」と言われる。
米語の口語では、"t"の発音が"l(エル)"になる。だから、"water"が"waler"の発音になる。

ぼくらが中学・高校の時の英語はクイーンズイングリッシュらしいので、習うのは英国式だった。
だから、間違っても、ワラとは言わない。

昔、出張でバーミンガムに行ったとき、英国人の訛りがひどくて困った。
"a"をエイと読まずにアイという。
オーストラリアの訛りに似ている。
"today"をトゥダイという。
ぼくがそれは訛っている、と指摘をすると、そんなことはない、といわれた。
そこで、ぼくらの習った英語はクイーンズイングリッシュで、ロンドンで使われているものだ、と言ったら、笑われた。
彼らはロンドンの英語の方が訛っている、と思っている。
要は、自分が話している言葉が正しい、ということだ。

今日見た記事で面白かったのは、最近の若者の話し方だ。

『「It's 9 o'clock.(9時です)」と言えば、不愉快なほど権威的に聞こえるが、間にlikeを挟んで「It's, like, 9 o'clock」と言えば、適度なためらいが感じられ、かたくなな感じはしない。欧州では、「米国には『To Our Beloved Son, Brother and, Like, Husband(最愛の息子であり、兄であり、っていうか夫へ)』と刻まれた墓石があるらしい」とうわさされている。』(Wall Street Journal Web記事より)

という事で、ライクが多用されているらしい。
これが、日本語で言う、「みたいな…」「っていうか…」という意味。
だから、「It's, like, 9 o'clock」というと、「今9時、みたいな」という意味になる。
たしかに横柄な感じはしないが、どうしてライクを入れないといけないのか、という疑問は残る。

その記事によると、「米国では他人の通行を妨げてしまったときには「すみません」の意味で「Excuse me」を使うが、英国では「Sorry」と言う。」ということだ。
米国では簡単に「Sorry」と言ってはいけない、過ちを認めたことになる、と以前言われていたので、なるほどと思った。
「Sorry」という言葉は、「I am sorry.」の略であり、自分が悪かったという事を認めることになる。
しかし、「Excuse me」は一応謝っているように見えるが、これは命令文で、「You excuse me」ということになり、自分が謝っているのではなく、おまえに許せ、と言っている。
だから、「Excuse me」なのだろう。

同じ英語を話す国だが、これだけの違いが出てきている。
これからも、どんどん違う言葉になっていくと思う。


| | 英語 | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
I like dog.
イヌが好きだ、というのは”I like dogs.”という。

では、I like dog.と単数形で言ったらどういう意味になるかというと、「私はイヌの肉が好きだ」になるらしい。
dogsというと、「イヌというもの」という意味になり、dogというと「イヌ」という意味になる。
だから、イヌの肉、ということになる。
それ以外に、ホットドッグのことをdogというので、「イヌの肉が好き」というのはあり得ないから、ホットドッグの方か?と思ってくれるかもしれない。

日本人は単数と複数をあまり意識しないから、難しい。
イヌが好きだ、という場合、ほとんど日本人が「I like dog」というのではないか。
まあ、英語ネイティブの人は、「ああ、これはイヌが好きだと言っているんだな」と前後のやりとりから思うだろうが…。

欧米の言葉は単数と複数の区別がややこしい。
aやtheの冠詞の使い方も日本人には難しい。
だいたい、単数と複数の違いを意識して話していないのだから、よほど慣れないと、英語で単数や複数を意識して話せるわけがない。

これも言葉が実在をどのように切り取っているか、という違いになる。
日本人にはわからないが、きっと欧米人と日本人では同じものを見ても、感じ方が違うはずだ。
かたや世界をものの数を意識して切り取っているし、かたやそんなことは気にしない。
きっとこの差は大きくて、埋まらないのだろう。

小学校から英語をやっても、きっとダメだろう。
それよりは、ちゃんと日本語で話せるようにした方がよいと思う。

| | 英語 | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本語の基本
日経の朝刊に「新入社員のあなたは大丈夫?」という記事があった。

日本語の敬語や慣用句、漢字の誤用の事が書いてある。
敬語は難しい。
丁寧語、謙譲語、尊敬語…、いろいろな種類があって、自分の立場で使い分けないといけない。
よくあるのは、内部の人を丁寧に言ってしまうということらしい。
「ただいま部長がいらっしゃいます」というのが間違い。
こんな間違いはあんまり聞いたことがないが、実際にあるという。

慣用句で役不足、というのは「その人の力量に比べて、役目が軽すぎる」という意味だ。
これも、間違って逆の意味で使われる事が多いとのこと。
「私にはこの仕事は役不足ですが頑張ります」
これも間違い。
「気が置けない」というのも、気遣いしなくてよいという意味だが、逆の意味で使われることが多いらしい。

漢字の読み方も難しい。
「上意下達」は「じょういかたつ」と読む。「じょういげたつ」だと思っていた。
「疾病」は「しっぺい」「しつびょう」ではない。

ワープロができて、漢字が書けなくなった。
「持論」は「自論」ではない。
「処世術」は「処生術」ではない。
ややこしい。

仕上げは、「厚顔無知は恥ずかしい」。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
徹夜の効用
一般的な考えでは、よく睡眠をとった方が頭がよく働く。

しかし、場合によっては徹夜をした方がいい、という意見もある。
想像力を必要とする仕事がそれにあたるという結果があるらしい。
つまり、常識を逸脱した発想とか、一見バカげているアイデアとか、そういうものが必要になるような問題には、徹夜明けの方が向いているということだ。

ぼくの経験では、徹夜明けは頭が疲れているのだが、何となくハイな気分になる。
下らない事が、やたら面白かったりする。
何となく、常識の枠がとれたような、そんな感じになる。
そう思うと、徹夜明けの方が向いている仕事というのも何となくわかる。
枠が外れるのだ。

何かを考えるときに、半ば無意識に「ああ、これは無理だ」とか「これは当然だ」とかいう判断をしている。
その枠はけっこう強固にできていると思う。
意識できていないからだ。
その枠自体を疑うことはなかなかできない。

しかし、徹夜明けの状態なら、何となくハイになって、その枠が緩むような気がする。
そのことが、いい想像力を生むのだろう。
交感神経か、副交感神経か、わからないが普段と逆のモードになるのかもしれない。

時々徹夜をするのも、いいのかもしれない。
特に、行き詰まったときには、新しい発想がわくかもしれない。

時には「当たり前を疑う」ことが必要だろう。

それには、徹夜が効果があると思う。



| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ユダヤジョーク集
ユダヤジョーク集 講談社+α文庫

ジョーク集は好きでよく見るのだが、ユダヤジョークというのは珍しい。
ブックオフで売っていたので買ってみた。

アメリカやイギリスのジョークは面白い。
中には分からないのもあるが、政治、経済、民族などのネタはけっこう笑える。
たいがい1冊読むと、いくつか声を出して笑うページがあるのだが、ユダヤジョークはなかなか笑えない。
にやりとする程度で終わる。

昔、日本人とユダヤ人はどちらも変わっている、という話を聞いたことがある。
世界のほかの民族とはちょっと違うという意味だったか。

ユダヤ人というと、頭がよくて、ケチで計算高く、金持ちというイメージがある。

国を追われ、世界中に散らばった。(今はイスラエルという国ができたが)
散らばっても、信心深くて、ユダヤ教を信仰している。
だから、世界中にユダヤ教の教会がある。

明るくからっとした感じではない。
少しひねくれた感じ。

ぼくは、ちょっとしんどかった。




| | | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
プロ野球と柔道
プロ野球機構が飛ぶボールを使っていたのを隠していたらしい。
コミッショナーが知らなかったというのも、情けない。
元は外交官で、単に野球が好きということでコミッショナーに就任したように思える。
本当に知らなかったのか、それとも知っていて知らないふりをしたのかはわからないが、事の重大さを認識していないのは確かだ。
もう惚けているのだろう。
70歳を超えて、公職に就くのを禁じたらどうか。

また、日本柔道連盟の会長もこの6月に続投を表明した。
こちらの方は、柔道をずっとやってきた柔道家。
理事がみんなで今の体制を継続しようと思ったのだろう。
女子柔道のセクハラ、暴力問題、助成金の疑惑など、こちらも情けない状態だ。
理事会のメンバーを一新してもっとまともな人を会長にしてほしい。
柔道家ではなく、組織経営が出来る人を据えるべきだ。

日本のスポーツ関係の団体、いや、全体に非営利の団体はモラルがないところが多いように思う。

公益法人や学校法人、NPOなどの組織は、ガバナンスが出来ていない。
ヒト、モノ、カネの動きがいい加減にされている。
早い話が、誰が本当の責任者か、分からないということだ。

これは公益に資する方たちは悪いこともしないし、賢い人ばかりだ、という思い違いに基づいて法律が出来ているからだと思う。

いい加減に気づいたらどうか。
学校のイジメの問題も、高野連の野球留学の問題も、仕組みが悪いのだ。

ぼくは素人だから、法律のどこがどう悪いのかは知らない。

しかし、何度も校長が頭を下げたり、そこそこエライ人が謝ったりしているが、いっこうに止まる気配がない。
問題の根はどこにあるのか。

世の中いい人ばかりではない。
そして、いい人がいいことをする保証もない。
いい人は「いい」と思っていることがどれほど「よくない」ことか、考えない。

何だかわからないが、法律を変えるべきだ。

「いい」人が「いいこと」を出来ないようにしてくれ。


| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライン疲れ
若い人の間ではラインというのが流行っているらしい。

ラインというのは、スマートフォンのアプリ。
画面の左右に吹き出しのようなものが出て、そこにメッセージが入る。
いろんなメンバーでのラインを作れるらしい。
要は仲間別にラインを作ることができる。
学校のサークルのラインがあり、クラスの友だちのラインがあり、…という具合。
またこのラインは電話番号を使うので、メールと違ってアドレスを変えたのでつながらない、という事もない。
キャリアを変えても、電話番号は持っていけるからだ。

メールは出してしまえば、見たかどうかはわからない。
しかし、ラインではメールと違って、相手が読んだか読んでないかがわかる。
それが、見た方にも見られた方にもプレッシャーになる。
ラインに書き込んだ方は、自分のメッセージが読まれたことがわかり、返事がまだだということがわかる。
ラインを見た方は、それがわかっているので、見たら返事を出さないとイケナイという気分になる。
それがライン疲れという症状になるらしい。

要はメッセージを見たら返事を出さないといけない、ということだ。

しかし、たわいもないメッセージで、無視したっていいと思うメッセージにも、返事をしないといけないと思うと、疲れる。
「今日は○○に来ています」
「それがどうした」
「今日の晩ご飯は○○」
「あ、そう」
というようなやりとりは、しにくいらしい。
相手が傷ついたり、怒ったりしたら困るからだ。

そんなに疲れるのなら、ラインをやめたらいいと思うのだが、そうもいかないらしい。
やめること自体がストレスになるのだろう。

「大学生750人を対象にジャストシステムが実施した調査で、対象の7割が「既読が表示されると、返事をしないと相手に悪いと感じる。」対象の4割が「LINEトーク利用で疲れを感じることがある。」このような結果が出たそうです。」という記事があった。

フェイスブックとかラインとか、ソーシャルネットワークというようなものが流行っているが、こんな所に日常の下らない事を書くことの弊害は、もっと取り上げられてもいいと思う。

池田晶子が「考える日々3」で書いている。

「先日のニュースなど、近所でおいしいキムチを作るおじさんがいるので、このことを全国の皆さんに是非とも知らせてあげたい。で、その情報をインターネットテレビなるものに作成して流している人のことを、これまたテレビで放映しているわけである。
 そうまでして、そうするべきことなのだろうか。自分たちがいかに無内容なことをしているかということを、今やそこにいる誰もがわからなくなっているのだ。これは驚くべきことである。
 情報伝達機器が発達するほど、伝達される情報の無内容が露呈してくるというのは、皮肉なことだ。当然といえば当然である。伝えるべき内容を発達させずに、伝える手段ばかりを発達させてきたからである。そもそも「何を」伝えたいのかという然るべき問いを、なぜ所有せずにいられるのか、それが私には不可解である。「便利になる」、大変けっこうなことである。しかし、便利になるほど人が馬鹿になるのは、どういうわけなのだろう。」

状況はもっとひどい。
キムチを作るおじさんどころの話ではない。

そうまでして、そうするべきことなのだろうか…。

| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
昆虫食
世界の人口が70億人になったのは、つい最近。
2011年10月31日だとされている。
ぼくが小学校の頃、35億人だったと思う。
1965年くらいか。
35億人増えるのに、50年足らず。

人口は等比級数的に増えるが、食料は等差級数的にしか増えない、というのはマルサスの人口論。
どうも、亡くなった父はこれを習っていたらしく、何度も聞かされた。

このまま人口が増えると、当然食料が足りなくなる。
今でもそんな状態だ。
そうなると、食料を増やす必要がある。
でも、そんなに増えないとなると、何か新しいものを食料にしないといけない。
そこで、国連食糧農業機関はこの5月に「食糧危機に備え、今から我々は多くの昆虫を食べるべき」とする提案をしたらしい。

世界のいろいろな地域で今でも昆虫食は行われている。
主に幼虫やさなぎがメインだが、成虫を食べる場合もある。
バッタやイナゴは食べる昆虫だ。
ものの本によると、「地球上には食べられる昆虫が1900種以上存在し、東南アジアやアフリカの国々を中心に日常的に食べられていて、日本でもイナゴやザザムシ、蜂の子などが食用となっている。」とある。

なんと、未来の食材として有望なのはハエだそうだ。
「昆虫食」という本によると、「タンパク質の大量生産に有効というハエ、その理由は成長が早いことと、育てるための餌が生ゴミ、動物の死体、腐肉、排泄物まで利用できるので、廃棄物処理、物質循環、環境保全にも役立つという「エコ食材」なのだという。」とのこと。

たしかに一石何鳥かの効果がある。
ゴミや排泄物を食べるその昆虫を食べるのだから、これこそエコロジーだ。

人類の未来はどうなるのだろうか。

幸い、ぼくらはラッキーにも昆虫食の時代は見なくて済む。

でも、人口が増え続ければそういう時代も来るだろうなあ。

| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の地上波
出張に行って直接帰ったら、珍しく7時台に帰れた。

7時台の地上波を見ると、ご飯を一升食べるという番組があった。
芸人2人とSMAPのメンバーと女優一人の4人で、ご飯を食べるというだけだ。
デパートの地下で歩いておかずを買いながらロケをしている。
ただそれだけの番組。

1時間の番組で、ご飯を一升食べる。
制作費は思い切り安い。
芸人に喋らせておき、時々SMAPと女優を映す。
時間も1日足らずでOK。
こんなに安い番組が、夜の7時台のゴールデンタイムに流れているのが実情。

世界には飢えている人がいるということを思い出す。

そういうことのために、作っているではもちろんない。
マジメ?に作っている。

こんなことでいいのだろうか…。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
イギリス紳士のユーモア
小林章夫著 講談社現代新書

いったい、イギリス紳士とは何者か、イギリス紳士のユーモアとは何なのかを知りたくて、中古で買った。
1990年の本。著者は大学教授で、イギリスに行ったときの体験を元に書いている。

ちょうどぼくも80年代にフランスとイギリスに行き、その違いに驚いた。
フランスでは「規則を守らない」という規則がある。
列に並ぶということをせず、時間が来たらみんなが突然並んでいる人を無視して殺到する。
それが公然と行われる。
事前に並ぶことは意味が無い。
横断歩道で信号待ちをしていても、クルマが来なければどんどん横断する。
さすが、自由の国だ。

ところが、イギリスに行くととたんに変わる。
信号はちゃんと守るし、この先工事中車線規制とかいう看板が出ると、工事のずっと手前で、片方の車線が空いていてもみんなきちんと1車線になる。
まだドアの手前の遠いところにいても、ドアを押さえて待っていてくれる。
とても礼儀正しく、規則を守る。
クルマの中でパンを食べても、それは品がないと注意される。

このイギリスの礼儀正しさは一体どこから来たのか。

当時一緒に食事をしたディビスという男は、嫁さんの事を話して、それがやたら面白かった。
嫁さんの事をぼろくそに言って、自分を哀れむ。
それが何とも言えず面白く、涙を流して笑ってしまった。
ああいう面白さはどこから来るのか。

イギリス人のユーモアとは何なのか、ということを知りたかった。

そういうわけで本を読んだが、わからない。
イギリス人にはユーモアがある。
これは確かだ。
何か相談したいことがあって、上司の部屋に行っても、いきなりその相談を切り出してはいけない。
まず最初に当たり障りのない話をする。
そこで笑いの一つも出たところで、相談を切り出す。
それが普通のやり方だとイギリス人は言う。

イギリスの紳士というのは、そういうものらしい。

もう一冊、イギリス人のユーモアという本を読むつもり。

| | | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダスキンのララ
ダスキンのララという掃除の道具が出た。

このララというのは花王やユニチャームのモップと同じようなものだが、このララとセットでレンタルされるゴミ箱の方に工夫がある。
ゴミ箱の下のところがバキュームになっていて、集めたほこりを吸い込むようになっているのだ。

普通のモップで掃き掃除をするというのは何が不便かというと、集めたゴミをどう処理するかというところだった。
モップにひっついてしまえばいいのだが、大きなほこりはモップで押す格好になる。
だから、これをどうやってゴミ箱に入れるかが手間なのだ。
それを解決したのがこのゴミ箱型ゴミ吸い取り器。
いいアイデアだと思う。

もちろん、ゴミを吸い取るためにモーターがいるから、電源が必要だ。
でも、掃除機なら掃除のたびにコンセントをささないといけないが、これならさしっぱなしでいい。
掃除が終わったら、そこにモップでほこりを持ってきて、スイッチを入れるだけ。
そうすると、ほこりが吸い取られる。
テレビで見る限りは、なかなか具合がよさそうだ。

忙しい主婦には人気が出るような気がする。

新しい技術でなくても、今までの技術の組み合わせでまだまだ新製品は作れる。



| | 考えたこと | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
年金の問題
どうして参議院選挙の争点が憲法改正になるのだろうか。

とうにシステムが破綻している年金の問題はどうなったんだろうか。
政治家はこれを話題にしたくないのだろうか。
官僚もこれを話題にしたくないのだろうか。

憲法の改正は大事だが、そんなに急を要するような問題ではないと思う。
一方、年金の問題は生活に直結する。
答えがないから、討議しないということほど無責任なことはない。
払う人が減って、もらう人が増える、という単純なリクツ。
何年も前から分かっていたはずだが、何もしてこなかった。
支給開始を65歳に遅らせたが、そうすると若い人の仕事が減る。
そうなると、払う人が減る。
どうしたって、今のシステムではダメなのだ。

どうにかして、払う方ともらう方の折り合いをつけないといけない。

こうしている間にも、どんどんバランスが崩れていく。
世代間の格差が広がっている。
それを若い人に知らせようとしない。

みんな、このままではどうにもならないことはわかっている。
それでも、今のシステムを変えられない。

この問題には与党も野党もない。
だれもこれに触れたがらない。

いつまでほっておくのだろう。


| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
インターネットの監視システム
アメリカ政府が秘密裏にインターネットから情報を取っていた、というニュースがあった。

NSA(国家安全保障局)が持っている、プリズムという名前のシステムだという。
告発したのが、元NSAの職員だから、本当らしい。
そんなシステムがあっても、おかしくはないと思う。
実際、そういうシステムを使って、犯罪を予知するというテレビドラマもある。
もちろん、フィクションだが…。

でも、これだけインターネットが発達し、みんながフェイスブックなどのインターネット上のソーシャルネットワークシステムを使い始めると、ネットの上の情報があればたいがいの事はわかる。

早い話が、これだけインターネットが発達しているのに、それを使わないで犯罪をすることは難しい。
連絡にはメールを使うだろうし、電話でも、IP電話なら盗聴できる。
免許証を偽造しても、写真が本人なら顔認証のシステムですぐに本物が特定できる。
おまけに交通インフラがインターネットを使っているから、車で逃げようとしても、すぐに特定される。
そして、あらゆるところの監視カメラが、インターネットを使って通信しているので、それを見ればディスプレイの前に座っていて、どこでも見られる。

すでにドラマの世界は、実際の世界でもあるかもしれない。
それがプリズムというシステムだ、という。

アルファベットを使っている国には脅威だろう。
インターネットの技術はとうに国境を越えている。
だから、世界のどこへでもいける。

しかし、問題は文字だ。
日本語、韓国語、中国語などは見ることはできても、意味がなかなかわからない。
もちろん、NSAなら言葉に精通した人がいるだろうから、そんなことは障害にならないが、もうちょっとレベルが下のハッカーなら、文字は大きなハードルになる。
特に漢字はそうだろう。

そういえば、アラビア語も横文字だが反対に書くから、難しいのかもしれない。

話がそれたが、プリズムというシステム、あってもぼくは全く不思議ではないと思う。

というか、本当にあるのではないか。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ほめればいいというものでもないらしい
人はほめられて伸びる、ということを聞くし、自分をふり返ってもほめられて伸びたという気もするし、それは本当だろうと思っていたが、みんながみんなそうではないらしい。

ネットで見ていると、イヤな相手や嫌いな相手からほめられても、ダメと書いてあった。
かえってやる気がなくなるらしい。
ぼくはそんなことはないと思うが、そういう人もいるような気もする。

また、表面的なほめ言葉も逆効果ということだ。
まあ、あんまり白々しいほめ言葉はよくないだろう。
誰が見ても失敗、というときに、よくやった、と言われてもかえってやる気がなくなる。
そういうのは、ほめるうちに入るのか…。

たしかに、信頼関係がなければほめてもダメだと思う。
そういう関係がなければ、積極的には何も言わないのだが…。
信頼していない人からほめられても、ぼくなら素直に喜ぶような気がする。
しかし、一般的には信頼関係がないと、ほめても効果がないということになっているらしい。

ぼくはわりと何でもほめる。
カブスカウトを連れてキャンプに行ったとき、火おこしがうまいボーイスカウトの子供に、きみ、うまいなあ、火おこしの名人やな〜、と言ったら、「人はほめて使えということですね」と言われた。
まさに、その通り。
人はほめて使えばいいのだ。

そういうのを嫌いな人もいる。
まあ、気持ちはわからなくもないが、気にせず、どんどんほめればいいと思う。

それがぼくの方針だ。

ほめればいいというものでもない、ということだが、方針は変更しないぞ。

| | 考えたこと | 00:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
女性の影響
ストリームというクルマが気に入っているのだが、いっこうにモデルチェンジの噂がない。

今日ディーラーに行って話していたら、どうもフリードというクルマの方が人気があって、ストリームは分が悪いらしい。
理由を聞くと、女性ドライバーが増えたから、ということだった。
確かに、女性のドライバーは増えた感じがあるが…。

実際に乗る女性が増えたということかもしれない。
そのせいで、軽自動車が増えたのか。

女性ドライバーはスライドドアを好む。
子供の乗り降りが楽だし、荷物の積みおろしも楽だ。
室内が広いことも条件だ。
そうなると、普通のクルマよりちょっと背が高くて、スライドドアのついたクルマになる。
だから、ストリームよりフリードの方がいい、ということらしい。

そういえば、トヨタもウィッシュよりも、背の高いスライドドアのついたポルテやシエンタの方が宣伝が多い。
女性の好みが反映されているようだ。

ストリームは消えるモデルなのかもしれない。

今や軽自動車が国内売り上げの4割を超える時代。
エコの時代だから、これはいいことだと思うが…。

クルマというモノがどんどんコモディティ化して、一般消費財に近づいてきた。
中古のマーケットまで、新車メーカーが進出している。
若い人は車に乗らないか、乗っても中古でいいという。

クルマ文化もだいぶ変わったが、これも時代の趨勢か。

仕方ない。

| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダウンサイジング
ダウンサイジングというのは、サイズを落として小さくすること。
今クルマの業界で流行っている。
流行っているといっても、欧州の話。

燃費改善の方法について、日本ではハイブリッドが主流だが、欧州は別の戦略をとっている。
あくまでエンジンだけを使い、サイズを小さくして燃費を稼ぐというものだ。
サイズを小さくしたら燃費がよくなるが、馬力も落ちる。
それをあの手この手で補うという方法。

隠れている技術もたくさんあるのだろうが、過給が一番大きなものだ。
ターボチャージャーというようなもの。
それに、変速機などを細かく制御して燃費を稼ぐという仕組み。

新しいフォルクスワーゲンゴルフのエンジンは、今まで1.8リッターくらいだったものを1.2リッターまで小さくした。
それに過給器を付けて、馬力は今までとそれほど変わらない。
270万くらいの値段。

試乗記によると、高速では25km/lくらいの燃費だという。
これはスゴイ値だ。
1.2リッターというと、ビッツやフィットのエンジンと変わらない。
それで過給して、あの3ナンバーの図体をひっぱるのだ。

上位モデルは1.4リッターではあるが、余裕のあるときは4気筒が2気筒になる。
2気筒は休む仕組み。

結局日本は新しいハイブリッドという技術に走って、燃費をよくしたが、欧州はエンジンの性能を究極まで追求して燃費をよくしたということだ。
さすがにフォルクスワーゲンだと思う。
薄い混合器でどこまで馬力を出せるか、という戦略。

何より、ハイブリッドに比べると、値段が安い。
部品点数も少ないし、何より枯れた技術だから信頼性が高い。

きっとフォルクスワーゲンもいろいろと考えた結果だろう。
ダウンサイジングか、ハイブリッドか、選択は難しい。

そのうち、新しいゴルフが日本を走る。
プリウスばかりの道にゴルフがどれだけ食い込むか。

楽しみだ。

| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近の大学教育
最近の大学は、学生を学外に出して体験させるというタイプの授業が増えている。
これは、大学では学生が育てられないから、社会に育ててもらうということらしい。
こういうのを現場主義という。
これは、教育を放棄して何もしない、ということだと思う。

大学というところは、現場に出る前の学生に、本の世界を教えるところだ。
現実に知ることができる世界など、たかがしれている。
本の世界(歴史)から学ばずに何を学ぶというのか。
それを学ばずに現場に出るというのなら、高校を出て働いた方がましだ。
それこそ、真の現場主義と言える。
だから、入学した学生に何とかして本の世界の面白さを教え、その楽しさを体験させることこそ、最も根本的な大学の存在理由だと思う。

もし、そういう現場主義が、学生たちに本の世界の面白さを伝えることを諦めた結果の産物であるのなら(ぼくにはそう思える)、そんなものは大学教育を放棄しました、と世間に宣言するのと同じだろう。

人間が一生で体験できることなどしれている。
だから、本の世界を知り、体験するのだ。

その体験を少しでも広げ、人生に意義を見出す手助けをするのが、大学というところだと思う。(特に人文系はそうだ)

そういう面白さを一つも与えず、学生に4年間を過ごさせているのなら、それこそ現場主義に徹し、一刻も早く大学をやめて働くことを勧めるべきだ。

| | 考えたこと | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育委員会廃止論
穂坂邦夫という人が著者。アマゾンで中古で買った。
著者は埼玉の志木市長で、教育改革をやってきた人。
この本によると…、

教育委員会は、例外なく全ての都道府県、市町村に設置されており、首長から独立した位置づけで、教育行政の重要事項や基本方針を決定し、教育長が決定に基づいて職員を指揮、監督し、事務を行う、ということになっている。

これによって、教育は地方公共団体の長から独立し、合議制の執行機関とすることで、中立性、安定性、継続性を担保している。
また、多様な委員が合議により意思決定をすることで、地域住民の多様な意見を反映させることができる、ということに、これまたなっている。

ところが、市町村教育委員会には、学校運営の基本である教職員の人事権はもとより、任命権も懲戒権もなく、教職員の給与は都道府県が負担することになっているので、学校の所属する教職員はあくまで都道府県職員となる。
したがって、市町村にとっては学校の職員は部外者となっているのだが、教育行政上は公立の各小中学校の管理運営は市町村が行い、最終責任は市町村教育委員会となっている。
つまり、人事権が実際に運営しているところにはなく、また自治体の首長は第三者になっているのだ。

この本には、教育上の責任を持つ上で、責任者が人ではなく、教育委員会、という機関になっているという問題点を挙げている。
これは全くその通りだ。
いろんなところで、イジメや体罰の問題が出ても、誰も責任をとる人がいない。
これは大学の教授会と同じく、責任の所在をぼやかすためのものだ。
だから、教員の不祥事がいくら起こっても、抜本的な改革が実行されない。
いくつもの事例で、市町村教育委員会がさまざまな制度上の矛盾について文科省や都道府県教育委員会に改善の申し入れはおろか、議論を投げかけた痕跡すらない、という。

また、総合学習の失敗には3つの理由があるという。
第一点は、長い間自分自身で考えることをやめ、化石状態を強いられてきた教育現場に、いきなり学習内容を「教員が自分で考える」ことを求めたため、考えることのなかった現場に大きな戸惑いを与えたこと。
第二点は、県費負担教職員制度ゆえに採用から研修に至るまで、教員の資質が確保できないということ。
第三点は、教育現場は「時間が不足」していて、総合学習の準備に多くの時間がとれないということ。

今は地域コミュニティが壊れかかっていて、首長が先頭に立ってコミュニティを再生し、行政と学校が連携して地域との連帯や協力関係をつくり上げる必要がある。
だからこそ、教育委員会制度を終わらせなければならない、という。

ぼくは、橋下大阪市長が、ずっと言っている「選挙によって選ばれた首長がもっと教育に責任を持つべきだ」というリクツは当たっていると思う。

NHKのニュースサイトの記事。

「日本維新の会は、今の教育委員会制度は機能しておらず、制度を抜本的に見直す必要があるとして、教育委員会制度を廃止する法案をまとめ、5日、衆議院に提出しました。
法案では、都道府県や市町村の教育委員会を廃止し、代わりに自治体の長が教育施策の実施計画である教育振興基本計画を策定するなど、教育事務を一元的に管理するとしています。
また、教育行政の現場の責任者として、今の教育長に代わって特別職の「教育部局長」を置くほか、教育振興基本計画の進捗(しんちょく)状況について、少なくとも年に1回、議会に報告することを義務づけています。」

この意見に賛成。

今の日本の義務教育は崩壊している。
これを正すためには、教育における首長の責任を明確化して、教育現場に緊張感を取り戻すしかないと思う。

| | | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
迷い
いろんな人が人生や仕事を振り返って、ものを書いたりしている。

もともと、人間はなぜ生まれたか、なぜ自分が存在しているのかがわかっていない。
そのことの答えを探して、一生を終えるのだと思う。
死ぬ瞬間に答えが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
そういう生き物だと思う。

だから、自分が何が出来るのか、本当は何をすべきかなどというものも、わからない。
わからなくて、当然なのだろう。
「人はいかに生きるべきか」などという本が出ているが、これはそういうことを考えることが大事だと言っているだけで、こういう風に生きたらいいという答えを書いているものではないと思う。

そういうわけで、人は宗教を必要とするように出来ている。
こう生きなさい、という答えを与えてくれるからだ。

今の日本では「何をしたらいいかわからない」という若い人が多い。
世の中が豊かになると、そういう人が増えるのかもしれない。
実際、そんなことを考え始めると、きりがない。
もともと答えなどないのだ。
人生に答えなど用意されているはずがない。
答えは与えられるものではなく、自分で探すものだ。
そこが、豊かになって、あいまいになっている。

だから、そういう若者の多くは、とにかくやってみる、ということができない。
そういう風に人生を歩んできたのだろう。
いつも指示してくれる誰かがいた。
親だったり、先生だったり、塾の先生だったり…。

しかし、自分が社会に出るときには、指示してくれる人はいない。
だから、迷う。
迷って、自分で決めないと仕方ないと思える人はよいが、止まってしまうとニートにならざるを得ない。

そういうことが、今の若者の就職難に拍車をかけているのだと思う。


| | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
アメリカのネコ
ずっとアメリカで一番多いペットはイヌだと思っていたが、これは間違っていた。

こないだ見たウォール・ストリート・ジャーナルの記事によると、「米国人が飼っているペットで一番多いのがネコである。米獣医学協会(AVMA)の2012年のデータによると、7400万匹の猫が3610万世帯で飼われているという。(ちなみにイヌは、6990万匹が4330万世帯で飼われている。)散歩をさせたり、風呂に入れたりする必要がなく、仕事で長時間出ていても放っておきやすいなど、より自己充足的という評判がネコの人気の一因となっていると専門家は指摘する。米コロラド州デンバーにあるVCAアラメダ・イースト動物病院の獣医、ケビン・T・フィッツジェラルド博士は「ネコは理想のペットだと考えられている」と話す。」とのこと。

世帯数はやはりイヌがトップだが、個体数でいうとネコがトップ。
ネコを飼っている人は、ほとんど2匹ずつ飼っている計算。
イヌは1.5匹になっている。

なるほど。ネコの「自己充足的」というところが人気なのか。
たしかに、イヌは人間に依存する度合いが高い。
散歩もしないといけないし、かまってやる必要がある。

アメリカのドラマを見ていると、ネコは女性のペットというようなイメージがある。
家にネコを飼っていると、奥さんの尻に敷かれている、というような会話があったり、彼女が欲しくて本当は嫌いだったネコを好きだと言って近づいたり…という場面を見たことがある。
どちらかというと、イヌは男、ネコは女というイメージなのだろう。
ネットを見ていると、権威主義者はイヌ好き、自由主義者はネコ好きという意見もあった。
だいたい、権威好きは男なので、イヌ=男という事になる。

ウチでネコ好きなのはぼくだけだ。
他の家族はネコ嫌いまたはイヌが好き、という感じ。

ぼくが小さい頃祖母の家にネコがいた。トラネコだったが、時々ふっといなくなって、長いときは2〜3日帰ってこなかった。
祖母は昔の人で、ネコは外に出て行っても帰ってくるものという意識でいたのだと思う。
だから、帰ってこなくても別に探したりしなかった。
ネコの方も、別に家からいくらでも出られるし、帰ってきたらいくらでも入れるという、そんな関係だった。
たしかに、ネコは自己充足的である。
人に頼らない。

そういうところに魅力がある。
でも、最近はイエネコはあまり外に出ない。
自由にさせている飼い主も減った。
まあ、血統書付きのネコなら数万円〜十数万円だから、もったいなくて外に出せない。

ネコは自分がしたいことをするのだ。
人間を喜ばせようとは思っていない。
自分が食べ物が欲しいときは寄ってくるし、要らないときは寄ってこない。

祖母のネコは、ぼくがこたつの中でちょっかいを出すと、めんどくさそうな顔をした。

そういう、人間みたいなところがいいのだろう。

人間は難しい。

| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
いしだあゆみ
こないだ地上波を見ていたら、いしだあゆみが出ていた。

もともと痩せていたが、ちょっと痩せすぎだ。
もう骨と皮という感じ。
あんなに痩せると、気の毒だ。
65歳になる。

普通、女優の65歳というと、まだまだきれいだ。

栗原小巻、吉永小百合が68歳、三田佳子、十朱幸代が71歳、浅丘ルリ子が72歳…。
みんないしだあゆみより年上だが、きれいだ。

若い頃はスレンダーでよかったが、これは行き過ぎだ。
ブルーライトヨコハマの頃はすごくきれいだった。
こういうのを見ると、年をとるのは残酷だと思う。

しかし、見ている人に心配させてはいけない。
そういう配慮は所属事務所がするのだろう。
本人が出ると言っても、いや、もうちょっと体重を増やさないとダメです、などという人がいないのだろうか。

渡辺プログループのイザワオフィスというところだが…。

事務所ができたときからのメンバーだから、言いにくいのかもしれない。

でも、何とかしてあげないとイケナイと思う。

| | 考えたこと | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
センター試験廃止
今朝の新聞に「センター試験廃止」と書いてあった。

何でも、センター試験をやめて、高校生に到達度テストを年に2〜3回やらせて、学力を測り、その結果を使って大学入試につなげる、というものらしい。
教育再生実行会議が先月出した教育改革案に盛り込まれた。

新聞によると、安倍首相は会議の冒頭、「大学入試に過度にエネルギーを集中せざるを得ないことが、わが国の教育の問題。幅広い観点から議論してほしいと語った」と書いてある。
これは事実誤認だ。
一部の学生は過度にエネルギーを集中しているが、一方で大多数の私学では、一般入試を受ける学生は半分だけ、という事を見落としている。
今やAOや推薦で入る学生が半分。
多くの高校生は受験がイヤだから、AOや推薦で早く大学を決めようとする。
そこに進学実績しか頭にない高校や、入学者の数だけを確保しようとする大学の利害が一致し、大量の高校生が大学に送られる。
そのことも問題にしないといけない。

AO、推薦の野放し状態を防止し、本当の学力を測るためにぜひ全ての高校生に試験を受けさせてほしい。
断っておくが、AOや推薦をマジメにやっている大学は問題ない。
マジメにやれば、AO入試が一番いいとさえ言える。
でも、マジメにやっていない大学が多すぎる。
今の大多数の私学の大学入試は、何とかして学生を入れるためのものだ。
だから、いろんな方式がある。
高校生の好みに応じて、選ばせる。
だから、どこかの私学が受験科目を減らしたら人気が出たというと、すぐにまねをする。
それがどんな結果をもたらすかなど、考えない。

いずれにせよ、到達度テストをやる、というのはいいことだ。
これで少しはよくなると思う。

しかし、高校側の意見として、「高校側には大学に進学せずに就職する高校生の間での序列化につながるとの指摘や、到達度テストの勉強に追われ部活動など学業以外の活動がおろそかになるなどの批判があり、導入には曲折が予想される」と書いてあった。

一部の高校では、就職する学生の方が進学する学生よりも成績がよい。
高校で就職できないから、教師が大学を勧めるということもある。
今や就職の方が、進学よりも難しい。
大学を選ばなければ、進学はたやすい。

また、学業以外の活動がおろそかになる、という批判など一体何を考えているのか。
では逆はいいのか。学業以外の活動に追われ、学業がおろそかになっていないのか。
そんな事例は山ほどあるだろう。

高校野球やサッカーの強い学校で、わざわざ二つの高校を作っているところもある。
片方は野球などスポーツばかりやる学校、もう片方は受験のための学校。
そんなことをしている学校があるのに、批判するなど間違っている。

こないだAKB48のメンバーが、ピラミッドは最近出来たものだ、と言っていた。
わざとやっているのかと思っていたが、どうも本気らしい。
あきれるのを通り越して、気の毒になる。

そんなことも、氷山の一角だろう。

5年後と言わず、来年からでもやってほしい。

| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう6月
前にも書いたことがあるが、体感時間と物理的時間は異なっている。
アインシュタインではないが、文字通り、時間は相対的なものだと思う。

今年もあっという間に6月。半分が過ぎる。
なんと時間が早いことか。
おそらく、これが新入生や新入社員にとっては、体感上もっと長い時間になっているに違いない。
4月を境に古い体制から新しい体制に変わる。
新入生にとっては、学校が変わるし、新入社員にとっては、学生から社会に出るという大きな変化がある。
そういう人たちにとっては、中身が濃い時間になっているだろう。
今までの友だちと別れ、新しい友だちをつくらないといけない。
毎日が新しい体験。
通学や通勤すら新しい体験だ。

そういう人たちにとっては、時間が長い。
4月から6月までの2ヶ月は普通の2ヶ月ではない。
激動の2ヶ月だ。
6月になって、ふー、やっと6月か、というため息をもらしているだろう。

でも、もう四捨五入で60になろうとするぼくらにとっては、毎日が同じような日々。
暑かったり寒かったりするが、もはや新しいことに巡り会うわけでもなく、たいがいの問題は予測可能な問題だ。(それが解決できるとは限らないが…)
毎日をこなしている、という感じ。

激動の日々は長く、こなす日々は早い。

もう体感時間が長く感じる日々は来ないのかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
水資源
地球は水の惑星だ。
海の方が陸よりも広い。

だから、水は豊富にあると思っていた。
しかし、飲み水として利用できる水は2%しかないらしい。
その大部分は南極や北極の氷山などで、陸上生物が利用できる水は全体の0.01%にも満たないという。
地球上の水が風呂桶一杯の水だとすると、ぼくらが使える水は一滴。
この一滴を陸上の生物が分け合っているというのが今の状況らしい。

そんなに少ないとは驚いた。
ぼくらが生まれたときから、蛇口をひねれば水が出てくるという生活。
たしかに、砂漠もたくさんあるし、水道がないところもたくさんあるだろう。
例外的にぼくらは水に恵まれているのだ。

石油が足りなくなるのと同時に、水も足りなくなるということらしい。
中国では地下水をポンプで汲み上げているのだが、それがもう持続不可能な地域が増えているという。
Wikipediaによると、「2025年には、安全な飲用水と基本的な公衆衛生サービスを持たない人々が世界人口の2/3に上ると見込まれている。」とのこと。
あと12年すると、世界の半分以上の人々が、水不足になってしまう。

19世紀から20世紀というのは、人類の歴史の中でも特異な世紀だったのかもしれない。
石油が人類を幸せにした。
でも、いつまでもは続かない。
水も豊富にあった。
石油の利用と相まって、どんどん農地が広がっていった。

そういう時代は二度と来ないのかもしれない。

大きな川では、上流の国で水を取り過ぎて下流の国が困る、というような争いも起きるだろう。
21世紀の後半はどうなるのだろうか。
22世紀や23世紀はもっとややこしいことが起こるのだろうか。
それとも、人間の知恵が勝るのだろうか。

不幸にもというか、幸いにもというか、ぼくはそれを見ないで済む。
ラッキーというべきか…。

| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
散髪
月に1回、鏡の前に座ってしげしげと自分の顔を見る。

散髪に行ったときだ。
大きな鏡があるから、必然的に見る。
月に1回、年齢を確認させられる。
あー、年をとったなあとか、白髪が増えたなあとか、何となく死んだ親父に似てきたなあとか…、そんなことを思う。

女性は毎日鏡を見ているから、慣れているのだろう。

しかし、男性はほとんど見ることがない(と思う)。
一応鏡は洗面所にはあるが…。

そういえば、小さい頃からそうだった。
散髪に行ったときだけ、自分をしげしげと見る。
あの頃から比べたら、大きくなったし、年をとった。

養老孟司が、「1年前と比べたら、身体の中の物質はほとんど変わっている」と言っていた。
水分や細胞などが入れ替わる、ということだ。
それなのになぜ、自分は自分とわかるのかというと、毎日確認するからだ、と言っている。
寝て、起きたとき、「自分は自分。同じ自分。」と言い聞かせているから、自分がある。

ずっとそういうことを無意識に繰り返してきたらしい。

男性の場合は、月に1回の散髪がその機会を与えている。

散髪の重要性は自分を知ることでもある、ということか…。



| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
褒める
最近、ペットの番組をよく見る。

ドッグトレーナーが問題行動のあるイヌを矯正するのだが、その分析が素晴らしい。
イヌの行動を観察して、どう考えているかを教えてくれる。
些細な視線や仕草も見逃さない。
何気ない行動にも意味がある。

そう考えて見ていると、面白い。
特に複数のイヌがいるときは、その微妙な力関係がわかる。
服従と支配のサインがあるらしい。

当たり前だが、イヌごとに個性があり、自信がないイヌはいじめられやすい。
視線をそらしたり、隠れたりする。
人間と同じだ。

ストレスがたまっていたり、運動不足のイヌはエネルギーを発散できない。
アレルギーで身体をかいてばかりいるイヌは、機嫌が悪い。
そんなことをちょっと観察して発見する。
それがドッグトレーナーの仕事だ。

そこからは矯正が始まる。
矯正には食べ物が使われる。
言うことを聞いたら、食べ物がもらえる、という事を学ばせる。
これにはそんなに時間はかからない。
イヌは意外と賢い。
何度かそれを繰り返すと、食べ物がもらえなくてもできるようになる。

注意しないといけないのは、命令は1回だけということだ。
何回も言うと、最初の言葉が意味をなくす。
だから、1回言って出来なければ、やり直す。
もう一度普通の状態に戻って、命令をする。
それが大事らしい。

そして、出来たら褒めることが必要だ。
Good boy!やGood girl!を必ず大きな声で言って、撫でてやったりして、とにかく褒める。
そうしないと定着しない。

イヌのしつけを見ていると、人間も同じだと思う。
基本は褒めて育てるのだろう。

でも、人間は本能が壊れているので、時には怒って育てることも必要なのだ。

人間はややこしい…。



| | 考えたこと | 23:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
1998QE2
CNNのニュースで、直径2.7キロの小惑星が地球の近くを通過した、という記事があった。

NASAが発表したニュース。
地球から580万キロの所を通ったらしい。

恐竜の絶滅の原因となったと思われる小惑星は、直径が10〜15キロと言われている。
それに比べると、だいぶ小さい。
それでも、もし衝突したら相当な被害があるだろう。

この惑星の名前は1998QE2という。

記事によると、「1998年8月19日に発見されたことから、1998QE2と名付けられた。「Q」は8月を意味する。直径約2.7キロと巨大で、さらに直径約610メートルの衛星を伴っており、地球に衝突すれば世界規模の大惨事となる恐れもあったため、NASAは監視を続けていた。」とのこと。

15年前からわかっていたらしい。
すごい観測技術だ。
直径2.7キロの惑星に直径610メートルの衛星がついている。
衛星というくらいだから、惑星の回りを回っているのだろう。

こないだロシアに落ちたいん石でも、すごい爆発が起きた。
あのいん石が直径15メートル。
今回が2700メートル。
あのいん石の180倍。

今回は衝突は免れたが、いつかは本当に衝突が起こる、というのは過去の事例からもわかる。

それが人類にどんなインパクトを与えるかはわからない。
運が悪ければ、人類滅亡だ。

今回は助かったが…。

| | 考えたこと | 01:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライポン
ライポンというと、何を思い出すだろうか。

むかし、阪神パークに、レオポンというライオンとヒョウを交配させた動物がいて、見に行った覚えがある。
もう阪神パークがなくなってだいぶ経つが、幼稚園や小学校の遠足で阪神パークに行った世代は覚えているのではないか。
でも、これはレオポンでライポンではない。

こないだ、ライポンという言葉を聞いて、あれ、これ聞き覚えがあるなあ、と引っかかった。
文脈からは日用品のような感じだったので、何となくライオン油脂と関係があるのかな、と思い調べてみた。
そうすると、ライポンはライオンが作っていた洗剤の名前だった。
食器洗い用の洗剤で、1956年〜1960年代末まで家庭用を作っていた。
今でも業務用のライポンは売られている。
ちなみに、ライオン油脂はライオン歯磨と1979年に一緒になって、LIONになっている。

YOUTUBEでライポンのCMが見られる。
白黒でいかにも1960年代という感じのCM。
お皿がぴかぴかになるし、リンゴもつやつやになる、という宣伝。
当時は果物や野菜を洗剤で洗うことが推奨されていた。

それが原因かどうかはわからないが、ライポンを誤って飲んで人が死ぬという事故が起きたらしい。
このあたり、ぼくはまだ5歳なので、記憶にない。
そんな不幸な事件があった洗剤がライポン。

テレビCMを見たら、何となく思い出した。

もちろん、当時はライポンの缶に「飲んではいけません。誤って飲んだ場合はすぐお医者さんに行ってください」と書いてなかった。

今は「洗ったネコを乾かすために電子レンジに入れてはいけません」と書く時代(ただし、この話は都市伝説らしい)。

思い出してみると、懐かしい響き。ライポン。
きっと誤飲が原因で製造中止になったんだろう。

PL訴訟の草分けか…。

| | 考えたこと | 01:24 | comments(0) | trackbacks(0) |