考えたこと2

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細川元首相
インターネット上のテレビで細川元首相が都知事候補として話した言葉。

「北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物の大量死が続出している…」ということらしい。
これが福島原発事故の影響とのこと。
もしも本当にそんなことがあれば、もっと早くニュースになっているのではないか。
細川氏にどんな情報ルートがあるのかわからないが…。

日本新党のころは、まだマシだったと思っているのだが、この人はもう単なる老人に見える。

政治家を辞めるときに、あまりにも簡単だったので、さすが殿様やなあ、と思った。
庶民とは違う感覚で、あっさり辞めたのだ。
結局1993年8月から94年4月の8ヶ月間の首相経験者。

でも、今また都知事候補として出てきた。

もう76歳。

本当の殿様だ。
肥後の細川家の18代当主。

討論会は嫌いで出ないらしい。

こういうのを晩節を汚すという。


| | 考えたこと | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
パラサイト・シングル
パラサイト・シングルという言葉、1999年に本が出て広まった。
意味は「自立が期待される年齢になっても親と同居し続ける独身者」ということだ。

若い人たちにとって、この世は住みにくい世の中になっている。
経済の低成長による結果、失業率の上昇、給料の低下など、なかなか独立できない。
その結果として、このパラサイト・シングルという人たちが増えている。

このサイトによると、日本では2010年の調査結果で、20〜49歳の未婚親同居者は1,275万人。同年齢人口に対する比率は26.2%であり、若年から中年の4人に1人以上が、パラサイト・シングルらしい。
結局、世代間格差を取り返そうとすると、こういう形で親に寄生して生活するということもやむを得ない。
ある意味合理的な行動とも言える。

これはそんなに驚くことではない。

しかし、アメリカでもそれが増えているという。
ここによるとアメリカでの2013年の調査で、全米の若者(18〜31歳)の3人に1人(36%)が親と同居していることが判明。数でいうと2160万人で6年前に比べて310万人も増えた、とのこと。
年齢の範囲や調査年が違うので、一概に比較はできないが、要は日本でもアメリカでもパラサイト・シングルが少なくないということだ。

アメリカでは高校を出たら親に頼らず、家を出るのが一般的、と思っていた。
そう書いてある記事もある。
しかし、そうではなくなっている。

どちらも「雇用環境の悪化」が原因。
日本の場合は兄弟の数が減ったのもあるだろう。
親が子どもを離したくない、というのもある。

しかし、アメリカでも同じことが起こっているとは、知らなかった。

どの先進国もグローバル化の余波を受けて、経済成長率は下がっている。
だから大学を出ても仕事がない人が増えた。

21世紀は石油がなくなる時代。
エネルギーコストをどうやって下げるか、が成長を決めると思う。

これは難しい。


| | 考えたこと | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生に関わる
人それぞれ事情がある。
家族もあるし、仕事もあるし、やりたいこともある。
何かを決めるときには、過去を振り返って、自分の棚卸しをしないといけない。

普段は流れにまかせて生きている。
それでいいのだ。
いつも何かを決めているわけではない。

棚卸しをするものというと、過去に自分がやってきたことだ。
これをキャリアという。
キャリアというと、仕事だと思うが、それだけではない。
自分が受けてきた教育もキャリアの一つだ。
つまり、ものごころついてから以降すべてがキャリアになる。

人はみんな見えない荷車を引っぱって歩いている。
その荷車の中に入っているのがキャリアというものだ。
人生で何度かその中身を確認し、改めて前を向いて歩く。

その時が自分の人生に関わる時だ。
人によって中身を確認する回数は違う。
多いほうがいいのか、少ないほうがいいのか、それはわからない。

でも、そういう時は自分で関わって決めたいと思う。



| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
オトナ度
就活では初期の面接で「やる気」とか、「主体性」などを見る。
でも、最終面接に近くなってくると、そういう事よりも「オトナ度」を見る質問が増えてくる。

「オトナ度」とはどんなことか。
要は、社会人としてやっていけるか、というところになる。
質問としては、「学生と社会人の違いは何だと思うか」というようなものになってくる。

よく、「学生と社会人との違い」に、「学生に比べて責任が重く、時間にも厳しい」というような答えをする人がいるが、これはダメだ。
学生も重い責任を持っており、時間にも厳しい。
社会人よりも軽いとか、厳しくないというのはマチガイ。
その立場が違うだけで、軽重に違いはない。

では「学生と社会人との違い」とは何か。
答えはいくつもあるが、ぼくなりの答えは、「学生はお金を払って自分を教育しているが、社会人は誰か他の人のために働いて、お金をもらう」というもの。
この差は大きい。

よく自分を成長させるために会社に入りたいという人がいるが、これもマチガイ。
自分を成長させるのなら、お金を払わないといけない。
「誰か他の人」のために働くから、お金をもらえる。

こういう事に対して、問題意識を持っていて、何らかの正しそうな答えを持っている人は「オトナ度」が高い。

学生でも、こういう問題意識を持っている人が、企業が求める人材だと思う。

残念ながら、そういう問題意識を持った人は少ないのが現実。

まあ、自分のことを考えたら、当たり前だが…。

| | 考えたこと | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
社会人の壁
社会人と学生の壁が時代とともに高くなっている。
今やなかなか越えられない。

昭和から平成になって、インターネットが発達し、オープンエントリー化した就活とともに壁が高くなった。
なぜかというと、インターネット以前と以降とでは進歩のスピードが全く違うからだ。

レコードがCDになったのが80年代から90年代。
ただレコードがCDになっただけなら、そんなに世の中変わらない。
しかし、インターネットで曲がダウンロードできるようになると、時代は大きく変わった。
音楽がデーターになり、それを前提にしたミュージックプレイヤーができた時に、ソニーのウォークマンの時代が終わったのだと思う。
それが2001年。

1990年から2010年までの20年間の変化は大きい。

生まれた時から子機があって、今は携帯を持っている。
だから、自分の部屋から電話できるし、誰が出るかわからないという事はない。
家にテレビは何台もあって、見たい時に見たい番組を一人で見ることができる。
メールは本文だけでよくなった。
誰から来たかはアドレス帳にあればわかるからだ。

子供の数が減って、一クラスの人数が減った。
だから、仲間内で空気を読むことが大事になる。

封筒で手紙を送ることなどないから、封筒の宛名の書き方がわからない。
切手を貼る場所さえわからない。
教えてもらってないからだ。
メールを出せば済む。

だから、社会人の壁が高くなった。
90年までは変化はあっても、緩やかだ。
でも、90年以降は変化が大きく、それまでと不連続になっているのだろう。

だから、今の学生は大変だ。
彼らが悪いわけではない。
時代の変化が大きすぎるのだ。

それも就職で苦労する原因の一つだと思う。

| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
エントリーシート
エントリーシートという言葉、聞いたことはあるかもしれない。
最近は大学生の就職が新聞紙面を賑わすことも増えてきたし、その中で活字になっていることもたまにある。

インターネットが普及し、誰でも、どの企業でも志望できる、というオープンエントリー状態になって久しい。
会社によっては、学校名は最後まで聞かない、というところが出てきたのもこの頃。
そうなって、学生を選考するためにできたのがエントリーシートである。

ネットを見ると、代表的な項目は下記のようなもの。

 学生時代に打ち込んだこと
 自己PR
 業界・当社の志望理由
 入社後やりたいこと
 あなたの強み
 在学中学んだ専門分野
 関心を持っていること
 社会についての関心
 特技や資格について
 志望職種と動機

こういうものを書かないといけない。

リクルートがアメリカの研究結果に基づき、学校の偏差値では測れない「行動特性=コンピテンシー」によって優秀な社員が決まる、というようなことを言い出した。
そこで、90年代からこういうやり方が主流になっていると思う。
エントリー(応募)する時に、こういうシートを書き、面接選考に呼ぶ学生を選ぶ、という段取りになる。

残念ながら、今も昔も、20代の学生たちは文章を書くのが下手だ。
だから、エントリーシートに苦労することになる。

ぼくらが小学校の頃は、週に1回作文の時間があったと思う。
学習指導要領上はどうなっているのかは知らないが、実質的に作文を書く授業というのは、小学校だけだったと思う。

それも、とにかくあったことを書く、ということだけで、書き方とかを習ったわけではない。
だから、具体的に行動特性がわかるように書くとなると、難しい。
コツは、できるだけ書いたことが景色として浮かぶように書く、ということだ。
数字を入れ、自分の気持ちも織り交ぜながら、余分なことを省いてできるだけ具体的に文章化するといい。

そういう書き方はきっと今までやったことがないと思う。

まあ、社会にでる前に文章を書く練習をするというのは、いいことだが…。


| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
タイガース2013
BSプレミアムで昨日やっていた。
グループサウンズのタイガースのライブ。
2013年に行われたもの。
東京ドームだ。

5人のメンバーはみんな年をとっている。
当たり前だが…。

ぼくらが小学校の頃に流行った。
タイガースだけでなく、テンプターズ、スパイダース、ブルーコメッツなどたくさんいた。

そこから出発したミュージシャンも多い。
沢田研二、かまやつひろし、井上順、堺正章、三原綱木、萩原健一など。
懐かしい。
みんな還暦を超えた。

歌っている姿をみたが、沢田研二が疲れていた。
ギターを弾くメンバーも何となく疲れているようだ。
シーサイド・バウンドでも、ほとんど直立状態。
もう体力の限界なのだろう。

沢田研二も小田和正も60代の半ば。

タイガースの面々も小田のストイックさを見習ってほしかった。



| | 考えたこと | 01:05 | comments(2) | trackbacks(0) |
ハインリッヒの法則
一つの致命的な事故が起こったら、その背後には29の軽微な事故があり、またその背景には300の異常がある、というのがハインリッヒの法則。
要は事故が起こる時にはバックグラウンドがあるということだ。
その予兆の間に問題を潰せる組織が生き残り、それを潰せない組織はダメだということだろう。

小学校の関連のニュース。
「子どもたちのための本や絵の具などを盗んで、インターネットで転売していた小学校教師の男が逮捕された。逮捕された教師の男は「小遣い稼ぎのためにやった」と容疑を認めている。」とのこと。

学校というのは基本的に性善説で運営されている。
悪い人はいない、という前提。
特に小学校はそうだろう。
まあ、児童にはそんな悪事はできない。

しかし、先生に悪い人がいないとは限らない。
今回の事件でも、ちょっとずつオークションに出して売っている。

こんなことをやってもバレない、と思うところが情けない。

もともとハインリッヒの法則は工場などの事故が対象だが、今回のような事件でも考え方は適用できる。

もちろん、やった人が悪い。

しかし、そんなことができる、という環境が事件を誘発する。

性善説で運営されている学校のような組織は、どうしてもそのあたりの管理が甘い。
昔はそれで良かったのだろう。

でも、残念ながら今はそれではダメだということだ。

今回、こんな事件が起きたということは、その背景にもっと多くの可能性がある、ということ。

性善説はコストが安いのだが…。


| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
資格のわな
就職するのは大変だ。
学生と社会人のギャップがだんだんと大きくなっているからだ。
そのため、多くの親が何か資格を取っておけば…、と考える。
高校生も同じだ。
資格を過信することになる。

それに悪乗りしているのが大学業界。
いろいろな資格があり、この学部に入ったらこんな資格が取れるという宣伝もしている。
パンフレットを見たら「目指せる資格」などというページがあり、そこにいろんな資格が書かれている。
中には学会が資格を新たに作ったりもしている。

おなじみの教員免許は、オリエンテーションをやって、教職課程担当の先生方の職を守るために、多くの学生を誘導する。
教職免許を取っても教員採用試験に合格しないと教員になれない。
その仕組さえよくわかっていない学生もいる。
数年間にわたって、現役で教員になっていない学校も多いのではないか。

当たり前だが、取るのが比較的やさしい資格は就職の役には立たない。
なかには大学院までいかないと取れない資格がある。
なかなか食えない資格でも、だ。

そんな資格に高校時代に憧れてしまうと、一生の問題になる。

前にも書いたが、資格さえ取れば食えるというものではない。
難しい資格ほど、取れば食えるという側面はあるが、あくまで「人」が問題になる。
弁護士でさえ、今はなかなか食えない時代。

他人と全くコミュニケーションが取れないような人は、いくら弁護士資格を持っていても、仕事はできない。
計算ができない人には、経理を任せられないのと同じことだ。

まずは人。
その次にやる気。
最後に資格。
そういう順番になる。

だから、資格は何を取ったらいいかと聞かれたら、パソコンと英語と答えればいい。
この2つは汎用の資格で、どこでも使える。
後は漢検準2級以上、できれば2級。
それ以外は「国家資格」を目指すくらい。

上記以外の資格は、自分が何をやりたいのか、その目的に応じて取ればいい。
取ったからといって、それで就職できるとは思わないほうがいい。

くれぐれも手段と目的を間違えないように。



| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
最高の人生の選び方
2009年の作品。
録画して見た。

元メジャーリーガーで殿堂入りしている父親と、スランプ中のメジャーリーガー親子のロードムービー。

主人公は息子の方だ。
心臓病で手術を待つ母親が、父親に会いたいということから、この映画はスタートする。

不仲だった父は息子に野球のことは一切聞かない。
きっと調子が悪いのは知っている。
父親の目から見て、彼に自分ほどの才能がないこともわかっているのだろう。
恋人から彼が何か書いているのを聞き、クルマの中で長編を書け、とハッパをかける。

紆余曲折を経て、父親は母親と再会し、また離れてアリゾナに帰っていく。
野球に集中するために関係が微妙になっていた恋人のために、息子は野球をやめ、スポーツライターになる決心をする。

これが旅の結末。

尊大なオヤジだと思っていたが、年齢でいろんなところにがたが来ている父親を見ると、許す気になった息子。
偉そうにしているが、身体は着実に弱っている。

「クリスマスには会おう」と言ってまた別れる。

親子の関係、夫婦の関係は複雑だ。
夫婦は別れても、親子の関係は変わらない。

それらをどこかの節目で修復していく。

そんなロードムービーだった。

アメリカは広いから、車で走るのが絵になる。

この映画の原題は”The Open Road"。

あんなところを走ってみたい。

| | 映画・舞台 | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
原油の価格
ガソリンの値段が150円台から160円でウロウロしている。

ちょっと前は120円台あたりだったことを考えると、だいぶ上がった。
でも、その前は100円ちょっとだった。

いったい原油の価格はどれくらいだったのか、そしてこれからどうなるのか、調べてみた。
でも、調べるとなると原油価格というのは難しい。
為替の影響を受けるからだ。

とりあえず、為替の影響がないドルベースで見た時には、1バレル(=159リットル)あたり1980年に35ドルだった原油は85年に29ドル、90年に23ドル、95年に17ドル、2000年に28ドル、2005年に53ドル、2010年に79ドル、そして2013年に104ドルになっていた。
つまりドルベースでみた時には約3倍になっている。

でも、ついこないだまで日本は円が強く、円高だったからまだマシだった。

その為替を考慮したものをみると、80年に8000円、85年6500円、90年3300円、95年1600円、2000年3000円、2005年5900円、2010年6900円、そして2013年に10200円だった。
この間、円は強くなり80年ベースでみたときには1.2倍にとどまったということだ。

石油の需要は増えて続けているだろう。
ちょっと考えただけでも、アジアを始めとする新興国でモータリゼーションが起こっているし、石油化学工業も世界各地での生産が増えている。
だから、石油は必要だ。

考えてみたら、ちょっと掘ったら魔法の液体が出てきて、それを燃やしてエネルギーを生み出すこともできるし、それを使うとクルマも走らせることができるし、ちょっと加工したらいろんなプラスチックを作ることもできる、ということが起こったのが20世紀後半。
石油を始めとするエネルギーがあったからこそ、食料もたくさん作ることができる。
人類の繁栄は石油がもたらしたといってもいい。
だからこそ、この40年ほどで世界の人口が35億から70億と倍になった。

でも、その石油は限りある資源だ。

2010年11月9日に「石油情報に関して世界的に最も影響力の強い組織、国際エネルギー機関(IEA)がとうとうピークオイルを認めました 。」というニュースがあった。
2020年に原油価格が180ドルになる、というIMFの予測もある。
その頃にはひょっとしたら円安も相まって、リッターあたり250円を超えるかもしれない。

結局、需要と供給の法則に基いて、おそらく石油の値段はどんどん上がるだろう。
もちろん、シェールガスなど新しい形のエネルギー源は出てくるだろうが、全体のエネルギー源に占める割合はまだまだだ。
おまけに為替のマジックは不利な方に働くだろう。
円は当分強くならないと思う。

21世紀は脱石油の世紀になるだろう。

というか、21世紀中に石油は枯渇するか、代替品に取って代わられると思う。



| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
成人の日
過ぎてしまったが、成人式というと思い出すことがある。
ぼくが勤めていた会社では工場で成人式をやっていた。

あれは確かぼくが40代の頃。1月の16日だったと思う。
元の上司が名古屋の工場の生産技術課長になって、転勤した。
その人に電話をかけたら、女性が出てきて言った。

「A課長は今成人式に出ています。」

工場で成人式をやっているとは思っていなかったぼくは返事をした。

「Aさんはもう20歳は超えていると思うのですが…」

そんなリアクションがあると思っていなかった相手の女性は、無言で困っていたようだ。

その時に、工場は高卒の方が多いので、工場内で成人式をやる、ということを知った。
もちろんA課長は登壇して祝う側として出ていたのだ。
あとで電話がかかってきて、「しょうもない冗談を言うな。工場はみんなまじめなんやから」というお叱りをうけた。

昭和30年代は中卒が金の卵と言われ、農村部からたくさんの就職者が都会に出てきた時代。
今はさすがに中卒で働く人は減り、高校進学率はほぼ100%になった。
でもまだ大学進学率は50%そこそこであり、4割は高校を出て働いている。
そういう人たちをたくさん雇っているところで、交代勤務のところは工場での成人式ということになるのだろう。

日本が高度成長していた頃は、本当に人が足りなくて、そういう若い労働者が求められた。
だから、働く環境としては辛いことやシンドイ事もあっただろうが、基本的にいてくれないと困る、という感じがあった。
でも、今は低成長になり、バブル崩壊以降、成長が鈍化した年数も20年になろうとしている。
今の20歳の人たちは、成人式をどう思っているのだろうか。
一時ほど荒れた成人式というのはなくなったようだが…。

ちょっと前までは高卒で工場で働く人はたくさんいた。
今はどれくらい雇っているのだろう。

工場もぼくがやめる頃には本当に変わっていた。
入った年に工場実習があり、そこで働いたときにはたくさんの人がいた。
重いものを持つ仕事もたくさんあった。
しかし、今はみんなコンベアになったり、自走式のロボットになった。
驚くほど熱効率が良くなり、昔のように暑くなくなった。
機械からの廃熱が減ったのだ。

それは働く人にとって、いいことだろう。

でも、確実に雇用機会は減った。

だから、成人式もきっと祝われる側は少ないだろう。

それはいいことなのだろうか…。


| | 考えたこと | 18:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
RE:CYBORG その2
以前、見ないと言っていたサイボーグ009の映画だが、テレビでやっていたのでついつい見てしまった。
石森章太郎の代表作のリメイクだ。

石森作品は少年漫画のメカニックな面とロマンチックな面を合わせ持っている。

サイボーグという言葉も009で覚えた。
当時のマンガにしてはすごくメカニックな面もあったと思う。
世界中から集められた9人の戦士、というだけで胸が踊った。
人間の器官を残して、一部を機械に置き換えるサイボーグ。
アトムや鉄人28号に代表されるロボットブームに新たな1ページを加えた。

この映画は石森プロもクレジットされていたが、どうも消化不良だった。
オリジナルのサイボーグ009を知らなければ、全く何のことかわからない映画だろうと思う。
そういう意味で、第一世代のぼくらがターゲットの映画。

オリジナルのラスト・シーンが再現される。
002ジェットと009ジョーが大気圏でミサイルを爆破するのだ。

それにしても、センチメンタルな映画だった。
せっかくのアニメなのだから、もっと荒唐無稽なストーリーにしてもよかったと思う。
ヘンに現実の世界を取り入れて、3次元CGを使い、リアルにしてしまった。

だからどうなのか、と言われても難しいが…。

残念なリメイクだった。


| | 映画・舞台 | 00:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
阪神大震災
今日は阪神大震災の起こった日。
年々追悼行事の報道が小さくなる。
今朝のニュースでも取り上げられていたが、時間は短かった。

阪神間はほとんど復興したのは事実。
2号線は広くなったし、地震の傷跡はほとんど残っていない。
6000人以上が亡くなったが、日が経つに連れて、ニュースバリューは下がる。

しかし、阪神大震災について思いを新たにすることは、いつか来る南海地震の予防にもなる。

もともとぼくらが小学校で習った時は、神戸の下に断層があることなど教えられなかった。
瀬戸内沿岸の神戸は、地震もなく、気候も温暖でとても住みやすいところ、だと習ったと思う。
それが地震が起こると、実は断層があった、ということになった。
まあ、小学校だったから、時期が違うので見つかってなかったのかもしれないが…。

これは何度か書いたが、本当に生きているだけで儲けものだと思った。
ぼくの家は震源からは遠いが、それでも家の中では本棚が倒れ、大変だった。
実家は瓦が落ちた程度で済んだが、すぐ近くになくなった人もいた。

あのとき交通が途絶して、自転車で会社に通ったり、会社で机一つに4人も5人も集まって話をしたりしたことは忘れない。

あの朝、ドンという音とともに布団の上で飛び上がった。
その次に布団の上で転がった。
そしたら、本棚が倒れてきて動けなくなった。

子どもはまだ小さかったので、寝ていて何も知らない。

次の日、車に乗って神戸の実家まで行った。
途中警官の指示を無視してUターンせず、夙川のところを川に沿って下り、2号線を西に曲がった。
ところどころ煙がでていて、火事のようだったが消防車も来ていない。
電気が消えた街は異様だった。
どこに段差があるかも分からないので、ゆっくり走ったのを覚えている。

2号線から北に曲がって、ちょうど阪急のガードをくぐると、2号線あたりの惨状がうそのように何ともなくなった。
家を朝6時過ぎに出て、着いたのが夜の9時過ぎ。
いつもなら、40分足らずで行けるのが、15時間かかった。

ぼくはだいたい親不孝な息子だと思っているが、あのときは親孝行ができたと思う。

母は神戸生まれの神戸育ち。
帰りの道で2号線近辺の惨状を見て、絶句していた。

そんな19年前の記憶もだんだんと薄れていく。

それでいいのだと思う。

人間は忘れる能力を持っている。

でも肝心なことは覚えておこう。
災害はいつやってくるか、わからない。
一度起こってしまったら、取り返しがつかない。
あんな災害は、どんな予防をしても、ムダだと思った。

しかし、家族はどこに集まるか、決めておこう。


| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
入試制度
今の私学の入試制度について、親の世代は大きな勘違いをしている。
今の入試は落とすためにやっているのではない。
どうにかして志願者を入れたいと思ってやっている。

ちなみに、関西の有力私学のホームページを見ると、入試の種類は以下の14種類。

 公募推薦入試(総合評価型 基礎評価型)
 一般入試[前期日程](スタンダード3科目型 スタンダード2科目型 センタープラス)
 センター試験利用入試[前期]
 一般入試[中期日程](スタンダード3科目型)
 一般入試[後期日程](スタンダード2科目型)
 センター試験利用入試[後期]
 AO入試
 専門学科等対象公募推薦入試
 帰国生徒入試
 英語1科目型入試
 スポーツ推薦入試[前期・後期]
 外国人留学生入試[前期・後期]
 社会人入試
 編・転入試

こういうパターンが多い。

AO入試は8月から始まる。
推薦入試は11月からだ。
普通の高校生が受けることができる試験は、推薦とAO、一般、センターだから、上記のうちの7種類。
一般入試は2日間とか3日間あり、そのそれぞれを受けることができる。
その上、ナントカ型と書いてあるのは、併願も可能な場合がある。
したがって、たいがいの私学は少なくとも7〜8回の評価を受けることができる。

40年前の大学数は400程度。
今は780もある。
18歳人口が減るのはわかっているのに、大学数は今も増え続けている。
私学のうち、4割程度が定員割れを起こしている。

当たり前だが、先生も増えている。
常勤の先生の数は75年に9万人だったが、現在は18万人程度。
増えた9万人のレベルは当然下がっている。
その先生方は自分の職を守らないといけない。
だから、「学生を入れたい」という入試が増える。
「学生を落とすために試験をする」というような贅沢は言っていられない。

傾向的には後からできた学校ほどシンドイ学校だ。
シンドイというのは、募集が順調ではないということ。
そういう学校は、「入ってもらうための入試」をやっている。
それにつられて、本来なら「落とすために入試」が出来る学校でも「入ってもらうための入試」をやっている。

どうして同じ学生に7回も8回も受けさせる必要があるか。
ひとつは金儲け。試験料が取れる。
募集人数を小分けにして、何度もやっている。
つまり、上から順に分けて合格させているようなものだ。
それなら1回の入試でたくさん取ればいい。

もう一つは機会を増やしてできるだけ多くの学生に来てもらうため。
苦しい学校になると、入試は期間中随時というところもある。
人が集まらないからだ。

そうまでして、来てほしいと思っている。
だから、余程のことがないと落ちない。

現在の多くの入試は、そういう状況なのだ。


| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ダイ・ハード ラストディ
2013年に発表されたダイ・ハードの5作目最終話。
WOWOWでやっていた。

このダイ・ハード、第1作が封切られたのは最終作の25年前。
ブルース・ウィリスも年をとった。
1作目の時は髪の毛があったが、4作目からはスキンヘッドだ。

ダイ・ハードシリーズにしては、この作品はハードなアクションに欠ける。
これは仕方がない。もう派手なアクションはできない。
もう年だ。
その代わり、今回は息子が出てくる。
マクレーンのジュニアである。

舞台はロシア。
例によって、着いた日から騒ぎに巻き込まれ、そのまま一日でエンディング。

カーチェイスはすごい迫力だった。

当初うまくいっていなかった息子との仲が、協力して仕事をするうちに信頼関係に変わっていくのが見どころ。

これで、ブルース・ウィリスもダイ・ハードから引退。

スタローンのランボーやロッキー、シュワルツネッガーのターミネーターなど、シリーズ物を持ったスターは退き時が難しい。
興行成績も1作、2作、3作…と続くとだんだんと落ちてくるらしい。
でも、この5作目はシリーズ第3位の興行収入だった。
さすがウィリス。

25年の月日を感じさせる映画だった。

| | 映画・舞台 | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
コメの輸出
前から不思議に思っていることがある。
これからの世界は70億の人類を食わさないといけない。
水や食料はこれからの時代、争奪戦になる。

日本人はコメを食べなくなったという。
だから、コメが余る。余れば値段が下がるから、コメの価格を維持するために減反をした。
休耕田が増えたらしい。
せっかくコメを作ることができる田を、無駄に放ったらかしにしたのだ。
いくら休耕してもお金が出るといっても、農家の人たちのやる気はなくなっただろう。
今までの経緯はそんなことだったと思う。

しかし、消費量が減った時点でコメを輸出するという手はなかったのか。
日本のコメは高い。
同じ補償をするなら、輸出のコメに補助を出したらよかったと思う。
そうしたら輸出のルートも探すことができたはずだ。

たしかに当時はアジアは貧しかったので、日本の高いコメを買えなかっただろう。
それなら欧州やアメリカに市場を求めればよかったのだ。
栄養のバランスは穀物の中でコメは一番だ、とか農水省と経産省で組んで販売製作を作れば何とかなったのではないか。
休耕というのは最悪の策だ。

そうやってコメを作り続けていれば、食料自給率が下がることもなかった。
農水省には、日本のコメは日本でしか食べないという気持ちがあったのではないか。
TPPに対する農水省のいうことを聞いていると、そんな気がする。

農業を輸出産業にする、という前提があれば、休耕というような策はなかったはず。

そういう事を考えていれば、増産が善になる。

2018年に減反政策はなくなる、という予定だが、今からでも遅くない。
食料の自給率を上げるためには、食料を作ることが必要で、そのためには輸出することだ。
そうすれば、いざというときに輸出をやめて国内で食べることができる。

まあ、もともと石油がなければ、農業は成り立たないのだが…。

でも、少しはましだと思う。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
IPv6
インターネットは通信の手段だったが、今は「モノのインターネット」の時代を迎えている。

そのための技術がIPv6というもの。
Wikipediaから引用すると、「現在、主流のIPv4にかわるものとして、それまで約 232(= 約42億)個であったIPアドレスを約 2128(= 約340澗)個まで使えるようにしたのが大きな特徴の一つである。340澗個のアドレスとは、340兆の1兆倍の1兆倍(340京の1京倍)のアドレス空間があるということである。」ということになる。

IPアドレスというのは、インターネットにおける番地のようなものであるが、この数が増えるということだ。
そうすると何が起こるか。

今まで国や組織に割り当てられていたアドレスであるが、IPv6になることでアドレスの枯渇の心配がなくなるので、組織だけでなく、モノにも直接アドレスを割り当てられるようになる。
例えば、クルマ1台ごとにアドレスを与えれば、車同士で通信できるようになったり、人ごとにアドレスを与えれば生体センサーを使って体調管理ができるようになったりする。
時代はそういう方向に進んでいるらしい。

クルマの自動運転など今開発中の技術と、クルマ個体にインターネットのアドレスが与えられることは相乗効果を生むだろう。
家電などでも、インターネットのアドレスを機器に割り当てることができれば、今まででは考えられなかったこともできるようになったりするはず。
というのが、IPv6のコンセプト。

しかし、インターネットはどこまで進んでいくのだろう。
山本夏彦 がワープロは世の中をそんなに変えないが、インターネットというのは世の中を大きく変えると書いたのが1990年代だったと思う。

ぼくがあと何年生きられるかわからないが、どうなっていくのかちょっと想像できない。

ある意味、便利になっていくのだろう。

しかし、インターネットでは国を超えて人やものが標準化されていくが、どこかで「国家」の問題が出てくるのではないかと思う。
今でも欧州の国々はgoogleのやっていることに不満気だし、中国では禁止されていたりしたはず。
世界が均一になればいいのだが、それはおそらく国家が邪魔をするだろう。

インターネットが勝つか、国家が勝つか。

そんな時代が来るような気がする。

| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
遠すぎた橋
テレビでやっていたので、見てしまった。
若いころに映画館で見たのだが、ほとんど忘れた。

この映画はノルマンディー上陸以降の連合国のドイツ軍との戦いを描いたものだ。

連合国の活躍のイメージしか残っていなかったが、この映画は連合国側の作戦のまずさを描いたもので、たくさんの国が絡んで作戦を立てると色んな所で齟齬が起こり、違う風土の組織を束ねるのは難しい、ということを描いた映画でもある…ということがわかった。
1977年にこの映画を作っていたのか…。
製作国はイギリスとフランス。
だから、ちょっとイギリスびいきなのかと思う。

ショーン・コネリーやジーン・ハックマン、ロバート・レッドフォードの顔は若く、懐かしかった。

前線で取り残されたイギリス軍を率いるショーン・コネリーは、油が乗り切った中年の少将を見事に演じている。
結局、作戦のまずさや装備の故障などで、最後は退却を余儀なくされる。
退却したコネリーが将軍に「部下を8000名失った」と言ったら、「あの橋は遠すぎたな」と言われるシーンは何とも言えない。

ラスト・シーンは全く覚えていなかった。
20代のぼくは意味がわかってなかったのだろう。

ヨーロッパは2回の大戦を通じて、多くの国々が戦争に関わり、まだそれを体験した人もいる。
しかし、それを乗り越えてEUという連合を作っている。

あらためてヨーロッパの人たちの懐の深さに感心した。

異なる国々でチームを作って作戦を立て、それを遂行する難しさも興味深かった。
しかし、今となっては東アジア(つまり日中韓)との比較で、やっぱりヨーロッパはすごいと思う。
オトナの国々だ。

この映画は単なる戦争活劇ではない。

そんなことに今ごろ気づくのも情けない…。


| | 映画・舞台 | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
many thanks
英語でわかりにくいのが、数えられるものと数えられないものの違いだ。

一つ、二つ…と数えられるものと、切り分けて数えられないものは英語では別扱いになる。
timeという名詞はいろんな意味があるが、”many times”というと「たくさんの回数」という意味だし、”much time”というと「たっぷりの時間」という意味になる。
回数は切り分けて数えられるし、時間は切り分けて数えられない。
manyとmuchの違いはそういうことだと習った。

しかし、仕事でメールを出し始めて例外が出てきた。
メールの最後に”many thanks”と書いてある。
英語のネイティブがそう書くのだから、マチガイではない。
気をつけてみていると、複数の人が”many thanks”を使う。
それで、これは例外なのだとわかった。

「感謝」という意味の”thanks”は感情を表すので、数えられないと思うのだが、複数形で感謝という名詞になっているのだから(単数形でも感謝という名詞の意味もある)、感謝というのも「たくさん」とか「少し」とか数えられるということか。

Webの辞書を調べても、はっきりした答えは見つけられなかった。

正誤を問うテストで”many thanks”と書かれていたら、マチガイなくバツをつけるだろう。
感情は数えられないからだ。
しかし、実際の世界では使われている。

こういう例外はむずかしい。
| | 英語 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
古き良き時代の人
息子が「お父さんは古き良き時代の人やろ」と言った。

就職のことを話していた時に「とりあえず3年勤める気持ちで会社を選んだらいいと思う」と言った言葉が意外だったようだ。

「21世紀は20世紀とは違うから…」というような言葉も想像していなかったのかもしれない。

今の20代の子供にとって、親の世代は本当に「古き良き時代の人」だろう。
親の世代は高度成長の時代と80年代のジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を生きてきた。
明日は今日より豊かというのは、口には出さなくても、みんなが感じていた。
会社は大きくなり、ポストは増え、誰もが役職者になれた。
日本製品は世界を席巻し、メイドインジャパンは高品質の代名詞になった。

それに比べて、今の20代の人達は気の毒だ。
生まれてからずっと低成長。
バブルが崩壊して、不良債権を抱えた金融機関を税金で助け、モラルハザードを起こした。
センセイも政治家も悪いことをするのが当たり前。
世の中から権威がなくなったと同時に、権利意識が増大し、義務の意識は希薄になった。

本当に苦しい時代だから、かえって苦しいと言えない。

そういう意味で、子供のいうのは正しい。

しかし、ぼくらの時代の価値観で生きてはいけないと思っている。
21世紀の基準は20世紀のぼくらとは違う。

就社ではなく就職の時代。
会社を選んで入っても、転職が当たり前の時代になる。
非正規社員が増え、非正規社員が普通になる。
つまり、最終的にはアメリカのような雇用形態になるのではないか。
もちろん100%そうなるわけではないが、今の「正社員」と言われている人たちは一握りの人になるだろうと思う。

個人がスキルをつけ、評価され、プロモートされる時代が来る。
逆に言うと、ずっと同じことをやっていても、給料は上がらない。
そういう時代を迎えようとしている。

人は時代を選ぶことはできない。
選んで生まれてくることはできないからだ。

否応なく、その時代を受け入れて、適応していかなければならない。

もう57歳。
古き良き時代の人だ。
しかし、そのままでいいとは思っていない。




| | 考えたこと | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校の英語教育
今のところ、小学校の英語教育についての課題は「教える人材確保」らしい。

読売新聞の記事によると、「大学では、すでに小学校の教員養成課程に「小学校英語教育法」といった科目が出来ていますが、元々、英語を教えることを前提にしていなかった現役教員の中には、現在の「活動」にさえ戸惑っている人も少なくありません。文科省では、小学校で中学校や高校の英語の免許を持っている教員や英語の得意な教員を指導役に据えることを想定していますが、英語の免許保持者はせいぜい数%。大半の小学校教員への研修をどこまで充実できるかが鍵になるでしょう。英語を専門に教える「専科教員」を設け、苦手な教員の授業をカバーするようなことも考えているようです。」と書いてあった。

実際、今中高で教えている教師について、2005年と2012年に文科省が調査した結果がある。
英検準1級以上というのが求めるラインで、これは2005年に中学校教員の10.1% 高校教員の19.6%であったものが、2012年に中学校が27.7%、高校が52.3%といずれも倍以上になっている。(2012年の調査は正確に言うと「英検準1級以上または TOEFL の PBT 550 点以上、CBT 213 点以上、iBT 80 点以上または TOEIC 730 点以上を取得している者」となっている)

先生も頑張ったのだろう。
でも、文科省の目標はきっと2005年の結果を踏まえて、2012年には100%だったはずだ。
それを言えないのは、2005年以降、英語教員の養成課程に英検準1級の取得を義務づけていないのと同じ理由だろう。
そんなことをすれば、英語の教員が足りなくなる。

実業界からは、英語が出来る人材を、という声が強くなっている。
だから、英語教育をなんとかしてくれ、ということだ。
グローバル化に伴って、事務所で英語のやりとりをしたり、英語のレターを読んだり、実際に英語が使える人材を育ててほしいというのが本音だ。

今までの日本では英語など要らない人がほとんどだった。

海外から入ってくるものは、日本語に翻訳される。
テレビ番組は字幕どころか吹き替えだし、生の英語に触れなくても生きていける。
社内でも英語でやりとりをしないといけない人はほんの一部だった。
おそらく、今の一部上場企業でもTOEIC700点台以上の人はごく一部だろう。

しかし、グローバル化が進み、今まで生産拠点だった国々の所得が上がり、それらの国々が研究、開発、消費の拠点にもなってくると、様相が変わってきた。
今の状況では国際語は英語だ。
今までは生産を指導する人が行けばそれで済んでいたが、今は営業をはじめ技術の人も行かないといけない。
やりとりも飛躍的に増えたのだろう。
現地法人も生産だけではない。ひと通りの事はやれるようになってきた。
だから、今までよりも英語ができる人が必要になった。
もちろん、英語だけできればいいというものではないのだが…。

それで、今までの英語教育では足りなくなった。

そういう状況だから、文科省は小学校の英語というような事を言っているのだろう。
そんなものがすぐに効果が現れるわけがない。
今まででも中高大と10年間英語をやっているのだ。
まず手を付けるべきは中高だろう。
もしも、飛躍的に英語の能力を上げたいなら、まず中高の英語を何とかしないといけない。
それがムリだと知っているからこそ、小学校の英語で話題を逸らしているのだと思う。

でも、グローバル化は待ってはくれない。
だから、中高の英語を何とかしないといけない。

それが小学校で英語をやるより先の話だと思う。

| | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
女性の車選び
ウォール・ストリート・ジャーナルに興味深い記事が出ていた。

アメリカでの男女の車選びに関する記事だ。

男性が運転する比率が極端に高いのはランボルギーニで、93%が男性オーナー。
マクラーレン、フェラーリ、アストンマーチン、フィスカー、ロータス、ラム、マセラティ、ロールスロイス、テスラは80%以上が男性オーナーになる。

一方、女性の率が高いのはミニ。
女性の保有率が高かったのは、ミニ、起亜、三菱、現代というブランドのモデル。韓国のブランドが2つも入っている。
一見してわかるのは、男性は高い車が好きで、女性はリーズナブルな価格のクルマが好きだということだ。

「男性は米国メーカーか欧州の高級ブランドの車種を検討する傾向にあり、女性の新車購入者は輸入車を選ぶ傾向が高い。」との記載もある。

この場合の輸入車というのは、日本車や韓国車が該当するのだろう。

アメリカの男性はアメリカ製のマッチョなクルマや、欧州製のベンツやBMWを選びたがるということか。
アメリカで日本車が売れたのは、主に女性ユーザーのおかげかもしれない。

女性はクルマを単なる道具として見ているのだろう。
それは日本も同じ傾向だ。
男性は性能や見てくれ、ブランドなどにこだわりがある。
若い男性がまだクルマにカリスマ性を持っているかどうかは怪しいが…。

日本では働く女性が増え、クルマの購入に際しても女性の意見が取り入れられるようになってきた。
そして、燃費がよく、維持費が安く、車高が高く、スライドドアのクルマが増えた。

洋の東西を問わず、女性のチカラが強くなって、クルマの形も変わってきた。

エコの面からも、これはいいことだと思う。

しかし、クルマのカリスマ性がなくなるのはなあ…。

| | 考えたこと | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動チューニングマシン
すごい時代になった。

ギターの糸巻きの部分にモーターをつけて、自動でチューニングできるマシンが発売されている。
もともと、ギブソンのギターにOEMで付いていたのだが、代表的なギター用に市販も始まったようだ。
値段は3万円弱。まあ妥当なところか。

ドイツ製、というところが何となく信頼性を感じさせる。
まともな製品、という感じだ。
ビデオをみたら、あっという間にチューニングが終わる。
弦を一度にジャラーンと弾くだけだ。
すごい勢いでクルクルと糸巻きが回る。

チューニングのタイプもいくつかあって、通常のレギュラーチューニングだけでなく、オープンEというような変則チューニングにも対応している。

音の高さは糸巻きの部分で感知するのだろう。
一度に6弦をチューニングするのだから、それしかない。
6つのセンサーと6つのモーターを組み合わせて、一気にチューニングする。
おそらくセンサーは弦の振動数を感知するタイプ。
見ていると迷う様子がない。
本当にデジタルな感じで糸巻きが回って、本当にあっという間にチューニングが終わる。

ぼくがギターを始めた頃は、チューニングは音叉か笛を使ってやった。
たいがいは音叉を鳴らして、それで5弦のAの音を合わせ、そこからは同じ音になるフレットを押さえ、弦と弦の関係でチューニングをしていき、1弦から6弦まで合ったら、最後にオクターブ違いで合わせる、というやり方だった。

そんなやり方だったから、チューニングは難しかった。
絶対音感はなくても、相対的に音の高さが同じかどうかが判定できないとチューニングはできない。
ぼくがギターをやり始めた頃は、フォークのブームだった頃。
なかには、チューニングができない(微妙な音の高さが判別できない)人もいた。
これは気の毒だった。
教えてくれ、と言われても、教えられない。
というか、やり方は教えることができるが、やれるかどうかは音感の問題だから、どうしようもなかった。
いくら素晴らしいギターでも、チューニングが合ってないと悲惨な音になる。
ましてやバンドなどになると、アンサンブルのなかでチューニングしないといけない。
違う音色で音が合わせられないと、こちらもひどいことになる。
そんな時代だった。

しかし、いつしかチューナーができて、音の高さがデジタルで示されるようになり、それが当たり前になった。
今ではスマートフォンでもチューニングできる。

だから、バンドでも音が狂っている、というのはほとんどなくなった。
これはきっと良いことなんだろうと思う。

でも、例によって昔を知っているぼくは、複雑だ。

たぶん、ぼくはこのチューニングマシンは素晴らしいとは思うが、必要はないとも思う。
チューニングを自分でやるところから、演奏は始まっているのだ。


| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
早死する24の方法
早死するための方法を列挙した記事があった。
もちろん、アメリカ流のブラックユーモアだ。

24の方法というと、

1.ヘビースモーカーになる
2.ハンバーガーを食べまくる。
3.毎日11時間以上座りっぱなしでいる。
4.毎週末、高所から飛び降りるスポーツをしに行く。
5.ブロッコリーを食べない
6.ホッキョクグマと格闘する。
7.砂糖をたっぷりとる
8.ウィンドブレーカーとビーチサンダルで真冬にロシアのヤクーツクに行く。
9.牛とかけっこする。
10.すべてにイライラする。
11.海軍特殊部隊(Navy SEAL)に入隊する。
12.休暇を取ってアラスカのカニ漁に行ってみる。
13.世捨て人(ぼっち)になる
14.決して体を動かさない。
15.ロシアマフィアにみかじめ料を払わずにビジネスを始める。
16.ジャッキー・チェンのランチ代を盗もうとする。
17.クロコダイル(ロシアの麻薬)に手を染める。
18.中国の鄭州(空気が汚い)に引っ越す。
19.メキシコのシウダードファレス(紛争地帯)に引っ越す。
20.ホワイトハウスの芝生で日光浴する。
21.ベルトのバックルに生の極上リブロースステーキをぶらさげてケニアを横切る。
22.シカゴで麻薬の売人になる。
23.なにがあっても日本や地中海に決して行かない。
24.北朝鮮で金正恩(キム・ジョンウン)を侮辱する。

となっている。

この中で面白いのだが、あまり現実的でない4,6,8,9,11,12,15〜24を除くと、説得力がある。

1.タバコの害は言われている通り。
2.ハンバーガーのようなファストフードは美味しいが、身体に悪い。血管が詰まる。
3.オフィスワークで座りっぱなしの人は多いだろう。一日11時間座りっぱなしでいると、3年以内に40%以上の確率で死ぬ可能性が増すらしい。
5.野菜を食べないと、早死するというのはアメリカも同じ。アメリカの代表的な野菜というと、ブロッコリーらしい。
7.甘いものも食べ過ぎてはいけない。
10,13,14.ストレスをためるのも孤独も運動不足も早死の原因になる。

つまり、長生きしようとすると、タバコを吸わず、ファストフードはほどほどにして、適度な運動をして、野菜をよく食べ、砂糖はとりすぎず、ストレスをためず、適度に人と付き合う、という至極当たり前のことになる。

これでは当たり前すぎて、記事にならない。

だから、「長生きする方法」を「早死する方法」に変えて、ユーモアを交える。

「シカゴで麻薬の売人になる」とか「アラスカのカニ漁」、「海軍特殊部隊に入隊」、「ロシアマフィア」、「メキシコに引っ越す」などはちょっとシリアスな笑い。
「中国の蘇州」や「北朝鮮」などの時事ネタもある。

何より、「長生きする7つの方法」よりも「早死する24の方法」の方が面白そうに見える。

こういうふうに書くと、面白くなる。


| | 考えたこと | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロータリーエンジン
マツダがデミオの電気自動車にロータリーエンジンを発電用として積むというニュースがあった。

父が広島の三次(みよし)出身で、マツダのテストコースが三次にあり、その縁で何となくマツダという会社には親近感がある。

1991年にルマンで優勝したのも、ロータリーエンジン。
市販車では、RX-8というロータリースポーツを作っていたが、2012年6月に生産終了して、今はロータリーエンジンの生産はなくなった。

デミオに積むのはローター一つのタイプ。
エンジンと発電機、燃料タンクを一つのモジュールにして積むということだ。
ガソリン9Lで180km航続距離が伸びるということで、今回はまだ試作の段階だが、どうなるか。
ロータリーのメリットは小型化だ。
機構が簡単なので、エンジンが軽く小さい。
デメリットは燃費だ。
部品点数が少ないというメリットはあるが、複雑な制御ができないので、燃費は悪くなる。

マツダという会社はちょっと変わっている。
誰もやらないロータリーエンジンを作ったり、日本よりもドイツで知名度が高かったりする。
一時は潰れかけて、フォードの傘下に入った。
アメリカのフォードから社長が来ていた。
しかし、フォードの調子が悪くなり、また日本の資本に戻った。

でも、一時的にでもフォード傘下に入ったことが、マツダにとっては良かったんだと思う。
アメリカ人の経営者は過去のやり方を見直し、新しいシステムを築いたのだろう。
最近のマツダ車はデザインもよくなったし、新型アテンザは魅力的だ。

おまけに円安で輸出が多いマツダにとってはラッキーな年になった。

営業利益を上方修正し、前年比3倍になる予想とのこと。

広島本社のマツダ。

頑張ってほしい。



| | 考えたこと | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
Silly and stupid
ドラマを見ていると、バカでアホという字幕が出た。

日本語でもバカとアホというのはニュアンスが難しい。
”You’re silly.”というと「お茶目だ」というような意味になるらしい。
”You're stupid.”というと、文字通り「バカだ」という意味と書いてあった。

sillyは親しみを込めて言っているようなニュアンス。
ポール・マッカトニーの曲に”Silly love songs"というのがある。
その中では Some people wanna fill the world with silly love songs.  と歌われる。
「おバカなラブソングで世界を満たそうとする人もいる」という意味だ。
もちろん、この歌ではラブソングを肯定的に捉えている。
親しみを込めて、sillyと言っているのだ。

どちらかというと、sillyのニュアンスはバカよりアホに近いと思う。
一般的にはアホは親しみを込めていう場合が多く、アホやな、というのは関西では多用される。

まあ、男はつらいよで、おいちゃんが寅さんのことを「バカだねぇ、あいつは〜」という時の「バカ」は近い意味だと思うが…。

stupidには親しみの意味はないらしい。
単に「愚かだ」ということ。

つまり、silly and stupidというのは、アホでバカと訳すのが正しい。


| | 英語 | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
火事
今朝、火事があった。
ウチから100メートルほど離れたところのマンションだ。
見に行ったら、マンションの3階から煙が出ていた。

正月だからといって、火事が休んでくれるわけではない。
朝からサイレンの音がして、消防車が3台ほど来ていたが、道が狭いのでホースが届くかなという感じだった。
消防署の人も大変だ。

ニュースを見ると火事が多い。
というか、他のニュースがないから火事がクローズアップされるのか。
どれくらい火事が起こっているのか、調べてみた。

2011年の消防白書で見ると、一日あたり137件も火災が起こっている。
やっぱり暖房をする冬と春に火事は多い。12月〜5月の出火は7割に近い。
1月の火災による死者は年間の平均よりも100人以上多い、年間最大の278人になっている。

やっぱり1月が一番多い。

火事で亡くなる人は高齢者が多い。
60歳を超えると、数が増える。
高齢者の失火は意外と少ないようで、逃げ遅れる場合が多いらしい。

少子高齢化が進むと、家事で死ぬ人も増えるのだろう。
スプリンクラーやガス漏れ報知器、煙報知器などいろんなものの設置が進んではいるが、高齢化の進み具合はもっと早い。

そういえば、避難訓練の時消防署の人が一番怖いのは煙だと言っていた。
逃げ遅れると煙にまかれて死ぬ。
身体を低くして、濡れタオルで口を塞ぎ火の元から逃げるといい、ということだったと思う。

救急車は来ていなかったようだから、死者やけが人は出なかったのだろう。

消防車はすぐ帰ったし、ぼやで済んでよかったというべきか。

火の元には気をつけよう。
| | 考えたこと | 01:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
箱根駅伝
箱根駅伝の往路をテレビで見た。

この箱根駅伝というのは関東の大学駅伝の予選である、ということはあまり知られていない。
全国大学駅伝があって、その予選というのがこの箱根駅伝の位置付け。
でも、実質的には箱根駅伝が日本のトップという感じだ。
特に関西の大学はこのことに不満を持っているらしい。

今年は23校が出ている。
東洋、駒沢、明治、早稲田、青山、城西、順天堂、中央、山梨学院、国学院、日体大、帝京、中央学院、大東、上武、神奈川、日大、法政、東京農業、拓殖、東海、国士舘、専修。
名前を聞いたことがある大学もあれば、全く知らない大学もある。

現在日本に大学は782校ある。
終戦5年後の1950年には201校、ぼくが大学に入学した1975年に420校だった。
伸びは鈍化したが、戦後一貫して右肩上がりで増えてきた。

一方、大学に入学する年齢である18歳人口は、1966年に一度ピークの249万人を数え、そこから150万人に減って、また増え1992年にもう一度ピークの205万人になり、また減ってここ数年は120万人あたりをウロウロしている。
つまり、大学が増え、志願者が減り、大学に入りやすくなったということだ。

その結果、1992年には3人に1人が浪人だったのが、2012年は7人に1人となっている。
どこかには入れるから、ほとんど浪人しなくてもよくなった。

その昔は受験生ブルースというのがあった。
「大事な青春 無駄にして 紙切れ一枚に 身を託す まるで河原の 枯れすすき こんな受験生に 誰がした」と歌われるような受験生は、今やほとんどいない。
若い人は、もう歌詞の意味もわからないのではないか。

国立大もAO入試をやるし、私学に至っては10回以上同じ学部で試験がある。
一般推薦、特別推薦、AO、A入試、B入試、C入試…。
何とかして入ってもらうために入試をやっている。

箱根駅伝出場校の在学生の総数は42万人を超える。
すごい数だ。
たった23校で全学生の1/7。
マンモス大がいくつか入っているからだろう。

大学としては、駅伝に出られればそれでOK。
ホームページで「箱根駅伝出場」と宣伝できるし、正月の2日間学校名を言ってくれる。
なかには定員を割っている学校もある。
駅伝などにお金をかけている場合ではない…、というのはマチガイ。
そんな学校こそ、駅伝に出る必要がある。

箱根駅伝もそんな見方をすればまた違った面白さがある。

| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近の音楽
年末にテレビで音楽番組を見た。

しかし、よくわからないのは、女性ではももいろクローバーZやきゃりーぱみゅぱみゅ、男性ではゴールデンボンバーというようなカテゴリーの歌手が普通の歌番組はともかく、紅白にまで出てくるのかということだ。

あれらの歌手は昔なら「みんなのうた」に出てくる色物のグループだったろうと思う。
「カワイイ」ければ何でもいいのか。
「オモシロ」ければ何でもいいのか。
最初から最後まで声にエフェクトをかけて、生の声がわからない。
昔ならコミックソングだと言われているはずだ。

それとたくさんで出てくるのに、みんなユニゾンで歌うグループ。
何のためにメンバーが演奏もしないのにたくさんいるのか。
音楽の要素は、メロディー、リズムそしてハーモニー。
ハーモニーを作りたいとは思わないのか。

昨日も書いたが、出てくる人数が多すぎる。
AKB、SKB、HKT、NMBはなんで20人も30人も40人も出てくるのか。
あれらの人たちは、にぎやかしで出ている感はないのだろうか。
マイクもダミーだろうし。
まあ、最近は口バクも増えたから、同じことかもしれないが…。

エクザイルも曲の間に踊る人が増えた。
楽屋も大変だろう。
音楽はどんどん見る要素が増やされた。

12月30日に大滝詠一が亡くなった。
佐野元春と山下達郎と一緒にやったナイアガラ・トライアングルはぼくも持っている。
滝のように音の壁を作る、そういう音作りをする人だった。
たくさんの人に楽曲を提供した。
見れくれよりも、音作りにこだわった音の職人という感じだったが、彼岸に行ってしまった。
65歳はまだ早い。

彼は今の音楽ビジネスをどう思っていただろうか。



| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |