考えたこと2

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特別会計
医療費はどんどん上がっているらしい。

2014年度の医療費が厚労省から発表されたが、13年度よりも7000億円増えて40兆円になったとのこと。初の40兆円台で、12年連続の増加。
高齢化で治療を受ける人が増えていることが主因ということだ。

国民の4人に一人が65歳以上。
これはどうしようもない。
2025年には団塊の世代が75歳以上になる。
予想ではその時の医療費は54兆円ということだ。
今が40兆円だから、14兆円増えることになる。
どうやって、これを稼いでいくのだろう。

だいたい国家予算と呼ばれているものが一般会計と言われるもので、100兆円程度。
あまり話題にのぼらないが、特別会計というのもあって、これが重複分を除くと200兆程度ということらしい。
これは何とかならないのだろうか。
よく議論される予算の倍ほどある「特別」会計。
用途が決まっている目的税の収入や手数料などまで、いろんな歳入があるらしい。
これについては、ネットで見てもよくわからない。

でも、話題になる国家予算の倍以上のお金が動いているんだから、それらを一本化して管理するのが当然だと思うのだが…。

口の悪いサイトの言葉を借りれば「官僚の小遣いになっている」というようなことが言われている。
どうもよくわからない。

不透明だからいろんな疑いが出てくる。
もっとお金の流れを透明化しないと、ダメだろう。
ガソリン税や重量税など車関係で払っている税金も、一部は医療費に回すとか…。
そんなことも考えないとなあ。

本当に苦しいと思う。

アベノミクスと言っているが、もう終わっている。
頼みの株価も中国の景気頼みだ。
第三の矢である、成長政策はどこにあるんだろうか。
地方創生は担当大臣が降りるらしいし…。

家計が100万だとすると、もう200万の財布がある。
それが「特別会計」。

そこもガラス張りにしないとなあ。




| | 考えたこと | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
保護者用ポータルサイト
これをよくやった、とみるか、ここまできたか、とみるかは難しい。
近畿大学が保護者向けのポータルサイトを開設した。
これを保護者が見ると、自分の子供が授業に出席しているかどうか、成績はどうかなどを知ることができる。
PCはもちろん、スマホでも見ることができる。

もちろん、時間割やシラバス(講義内容)も見ることができる。
学生向けのシステムを保護者にも開放するだけのこと(若干の手直しは必要だが)なので、やるのは比較的楽だろう。

大学側にとっては、保護者に学生をよく見てもらって、ケツを叩いてもらうことができる。
もちろん、大学側がどれだけ熱心に情報発信をやっているかは、掲示板等で知ることができるので、悪いのは自分の子供だとわかるようになる。
事務局にとっては、保護者からの意見をどんどん出さして、先生を動かすことができる、というメリットもあるだろう。
果たしてこの取り組みは広がっていくだろうか。

今でも、成績を保護者に送付するということは、たくさんの大学でやっている。
就職関連の資料などは、保護者宛に送っているところもたくさんあるだろう。
就活が始まっても、ガイダンスに出ない学生や、就活そのものをほとんどやらない学生を何とかしたいと思う学校関係者はたくさんいる。
でも、その時だけ保護者に郵送物を送ったりしても、反応がないことが多い。
もっと親に関わってもらって、我が子を就職させたい、と思ってもらおうという意図が、どの程度近畿大学にあるのか、それはわからない。
しかし、それも確実にあると思う。

大学というところは、いったい何なんだろう。
親元を精神的に離れ、独立するためのところなのか。
それとも…。

残念ながら、上位校を除いて、学校としては親の手も借りたいと思っているのではないか。
そういう学校は、似たような取り組みを始めるだろう。
もうすでにあるシステムに、新たにユーザーを追加するだけだから、そんなにお金はかからない。
ひょっとしたら、今の学生ポータルのベンダーが提案してやっているのかもしれないなあ。

たぶん、評判を見て、後追いでやる学校が多いだろう。
私学の半分は間違いなく親の手も借りたいと思っている。
近畿大学がやったら、関西の私学のほとんどが「やれる」ということだ。

でも、それが本当に学生のためになるのか、というのは議論がいるだろう。
また、本当に保護者はそれを見るのかというのも問題だ。

それでも、親の手を借りたいと思う学校がどれくらいあるか。

結果はどうなるだろう…。



| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
Youtuber
ネットが普及するに従って、新しい商売が出てきた。
Youtuberというのは、Youtubeに動画をアップして、それが見られることで金儲けをしているプロのことだ。
もともとがミュージシャンとか、芸人というのではない。
実社会(リアル)で活動していなくて、Youtubeの中だけで儲けている、というのが、Youtuberだろう。

次男に聞いたが、「はじめしゃちょー」というのが有名なYoutuber。

2015年5月の時点の記事では「現在、チャンネル登録者数は158万人を超えていて、総合3位、個人では2位の登録者数を誇っています」と書いてある。

どんな動画がUPされているか、というと…

10位:【実験】うまい棒を燃やすと爆発するらしい
9位:ゴキブリ100匹でドッキリ
8位:チャリ走でオレに勝てるヤツいんの?
7位:カイロ800個で自宅サウナ作ってみた
6位:コーラが出る蛇口を作ってみた
5位:巨大な水風船にジャンプでブレイブバースト
4位:歯磨き粉とデスソースを入れ替えてドッキリ
3位:【本気】完璧な超巨大スライムの作り方
2位:コーラ風呂に体中メントスで入ってみた
1位:メントスで槍を作ってコーラにブッさす

ちなみに、1位の投稿は、2013/03/13で、再生回数が6百万回以上、推定年収が1930万円〜1億4980万円と書いてあった。
はじめしゃちょーは富山出身の大学生らしい。今はどこかの事務所に属している。

しかし、動画の内容は別にどうでもいいものばかりだ。
〜してみた、というノリのパターンが多い。
儲けたお金を使えるから、コーラ風呂とかカイロ800個とかできるんだろう。

見る方はお金はかからない。
正確に言えば、ネットの接続はしているので、パケット通信は発生するが、固定料金なら動画を見ることによるお金は発生しない。
Youtubeに広告を依頼している会社の広告が流れ、その広告料が動画をUPした人に入る仕組みだろう。

見ているのは、子供が多いのだろう。
子供と言っても、中学生や高校生だが…。

今までこの類の動画は、考えてみるだけで、それをあえてやろうとは思わなかったのだろう。
それをやってくれるから、面白かったりする。
マスコミが流すほどのものでもない。
そこにニッチな商売が成立する。
というか、ネット動画という媒体ができて、成立するようになった、ということだ。

いずれ淘汰されると、ぼくは思う。
豊かだから、こういうことができる。
ものと時間と興味の浪費だ。
淘汰されるというのは、そのうち、日本はそんなに豊かではなくなるからだ。
そんな暇つぶしのようなことなど、していられない。

それがいつになるか…。


| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
クリーンディーゼル
フォルクスワーゲンのディーゼルエンジンがアメリカで問題を起こしている。

排ガス規制のテストモードで走っているとコンピューターが判断すると、自動的に排ガスをきれいにするように制御するという裏の仕組みを入れていたらしい。
要は排ガスをきれいにしようとすると、できるようにはなっている。
しかし、いつもそれをオンすると走りの性能が落ちる。
だから、排ガス規制のテストの時だけ動くようにした、ということだ。

アメリカでこういう状況がわかるとなると、大変だ。
いくらくらいの反則金を取られるかわからない。
クレームを出されたらどうするのだろうか。

ヨーロッパは排ガスよりも燃費を重視してきて、ディーゼルを選んだ。
今や、売っている車の半分ほどがディーゼルになっている。
そのさなかに、こういう問題が出てしまった。

クリーンディーゼルということで、ヨーロッパ勢が攻勢をかけていた。
日本ではマツダがクリーンディーゼルということで売っている。

記事によると、たとえ排気規制クリアしていても、実走行での排気はかなり悪くなるということだ。
もちろん、ガソリンエンジンでも同じことが言えるが、まだマシらしい。

ハイブリッドで頑張っている日本のメーカーにとっては、順風になる。

フォルクスワーゲンは危機だ。
潰れることはないだろうが、今回のダメージは大きいだろう。

関連する部品メーカーも厳しいだろう。

本当にガソリンよりもクリーンなディーゼルを作って、失地挽回してほしいものだ。




| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
効率その2
前にも効率を上げるためには、ひとつのことに集中したほうがいい、という記事があったが、またそういうことが立証されたらしい。

MIT(マサチューセッツ工科大学)の神経科学者アール・ミラー氏が言っている。
ひとつのタスクが終わると、脳はドーパミンを出して満足感を得ようとするらしい。
そのドーパミンを求めて、人はいろんな仕事を並列でやろうとするらしい。
仕事中のスマホのチェックなども、その悪癖を助長する。
ツイッターやフェイスブックなどのチェックがそれにあたるらしい。
スマートウォッチなど、もってのほかという感じだ。

メールの受信トレイに未読メールが1件あるとわかるだけで、IQが10下がる可能性がある、という研究結果もあるらしい。

しかし、メールはまだマシだという。
より悪いのはチャット。即時性が要求されるからだ。
ラインなどはまさにそれにあたる。
「既読スルー」という言葉など最悪だ。

今日本の子どもたちが、ラインにどれくらい時間を割いているか、という研究結果はないのだろうか。
それと学力の比較のデーターなどないのだろうか。

記事ではそれらをスケジュール化して、時間を決めてまとめて行うべきだ、としている。

しかし、最新の研究の結果はもっと恐ろしい。
イギリスのサセックス大学で、テレビを見ながらチャットをするなどの、一度に複数のデバイスに時間を費やしている時の脳のMRIスキャンを実施したとのこと。
その結果、頻繁にそういうことをやる人は、感情のコントロールを司る前帯状皮質の密度が低いという結果が出ている。(ただし、それが直接の原因かどうかはわからないが)

今の日本の青少年がラインを日常的に使い、既読スルーに悩まされている状態は良くない、ということだ。

日本の研究機関でも、そういう研究をして、何らかの警鐘を鳴らすべきだと思う。

我が国では効率というものに関する興味が低い、ということが本当にあるんだと思う。

度が過ぎれば別だが、効率が悪いのは悪だという考え方は必要だろう。
そういうふうに学校で教えればいいと思うのだが…。

日本では教育と効率という言葉も相性が悪そうだからなあ。


| | 考えたこと | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラグビーワールドカップ
ラグビーのワールドカップで、日本代表が南アに勝って、BBCがトップで報じていた。
日本代表のプレーが良かったこともあるし、イギリスでワールドカップをやっているということもある。
でも、イギリス人がラグビー好きだということも大きいだろう。
オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ等、イギリス連邦の国々では、今でもラグビーが盛んだ。

でも、サッカーの人気に押されて、今の中高生は学校の体育の授業でラグビーはやらないことが多いようだ。
ぼくらの世代は、ラグビーを体育の授業でやった世代。
体育の先生がラグビー部の顧問で、何かというと「臨機応変、臨機応変」と言っていたのを思い出す。
青春もののドラマも、最初はラグビーだった。

しかし、日本代表のメンバーを見ると国際的になっている。
31人中10人が外国人。
ルールでは36ヶ月以上その国にいればOKということらしい。
もちろん、帰化している人もいる。

これからの日本の企業を表すようなメンバーだ。

イギリスでは、「ラグビーは紳士がやる野蛮なスポーツ、サッカーは野蛮人がやる紳士的なスポーツ」ということが言われている。
階級社会のイギリスでは、上流階級はラグビーを好むらしい。

サッカーと違って、本気でぶつかり合うスポーツ。
普段から鍛錬していないと、ケガをする。
それだけ危ないスポーツだからこそ、フェアで紳士的でないといけないということだ。

そういう経緯を考えると、日本ラグビーがワールドカップに出て、活躍するというのは感慨がある。
日本人のDNAに、イギリス紳士が残っているのかもしれない。

スコットランドには完敗したが、まだまだ頑張ってほしい。

| | 考えたこと | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ひっかけメール2
昨日に引き続いて、今日もこんなのが来た。

昨日メールしたけどメールだからみてないかな?
久々会いたいよね(^0^)
最近カフェ巡りをよくしてて見つけたお気に入りのカフェがあるんだ♪
近々一緒にどうかな??

ちゃんと同じドコモの携帯のアドレスからで、前日のを引き継いで、ひっかかるようにしている。
男性とも、女性ともとれるような文面。
若い人なら、興味津々で返信する人もいるかもしれない。

これに返信するとどういうことが起こるんだろうと、却って興味を持ってしまう。

返信したら、まず大量のスパムメールが来るのは当然だろう。
最近はFacebookなどの情報を元に、個人にしかわからないことを書いてくることもあるそうだ。
Facebookなどの記事には、メールアドレスなどを載せてはいけない。
あれは、その気になれば誰でも見ることができるからだ。

行ったところをFacebookに載せていたりすると、そこの情報をもとにスパム攻撃をされたりする。
新しい形の個人をターゲットにした攻撃だ。
そのための第一歩がこのメールかもしれない。

最近はどんどん手口も巧妙になっている。

気をつけるにこしたことはない。

まず、自己防衛だ。


| | 考えたこと | 15:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ひっかけメール
こういうメールが今日突然来た。

もう秋だねー(´・_・`)
夏の暑さがなつかしいなぁー
久しぶりだけど元気してる?
近々ご飯でも行こうよ♪
あ、そういえば携帯壊れて変えちゃったから登録よろしくね!

いかにもありそうなメールだが、その「ありそうさ」がなんとなくオカシイ。
今の若い人たちは宛名や自分の名前を書かないから、もっと違和感はないのかもしれない。
しかし携帯が壊れて変えちゃった、というのなら、自分の名前は書くだろう。

ぼくのところには、こんな文体のメールは来ないから、明らかに間違いだとわかる。
間違いとわかるように送っているのか、どうなんだろう。
親切心で間違いではないかと返信したりすると、次の日からたくさんスパムメールが来てややこしいことになったりする。
即座にゴミ箱行きだ。

しかし、どんどん手口が巧妙になってきている。
組織の場合は、その組織内での言葉があったり、普段から来ているようなところを装って送られたりするんだろう。
だから、クリックしてリンクを確認したりする。

昔はウィルスがPCを動かすと、動きが遅くなったりしたものだが、最近のPCは能力が高いからそんなこともない。

さらに、感染してもじっとしているヤツもいる。
だから、なかなかわからない。
もしかしたら、すでに引っかかっていて、自分のPCにウィルスが潜んでいたり、知らぬ間にスパムメールを発信していたりするかもしれない。

世の中便利になると、そこにつけこんで悪さを考えるヤツも出てくる。

これから、人だけでなく、いろんなものがインターネットにつながっていく。
ネット上にクルマや家電や家やペットなど、どんどん増えてくる。
それに伴って、ネット犯罪も増えてくるんだろう。

そのうち、思いもよらない犯罪が出てくるとも限らない。

サイバー警察には頑張ってもらわないといけないぞ。




| | 考えたこと | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
2025年の働き方
リクルートワークスという会社が、2025年の働き方について、書いている。
ここで見ることができる。

全体的には悲観的な未来が予測されている。
確実なのは人口が減るということ。
でも、予測にあたって、2020年までは何となく見えるけれど、2025年は難しいというのが各界の第一人者たちの意見。
人口減少で雇用機会が減少するという仮説も、人手不足が深刻化する(雇用機会が増える)という仮説もどちらも成り立つ。
でも、どちらが正解かはわからないとのこと。

2025年というと、今から10年先だ。
ま、たしかに2005年に2015年がどうなっているか、と言われても、今の状態は考えられなかったような気がする。
その上、世の中の進歩が早くなっているから、余計に難しい。
そこに、急速な高齢化と人口減少という、近代日本が体験したことがない状態が来る。
たしかに、難しい。

記事では2005年から2015年の10年間を延長して、ベースシナリオを出している。
この10年間で、就業者は減っており、1人あたりの所得も減っているから2025年はもっと減ることになる。
非正規社員が増え、労働者は貧しくなっている。
アジアを中心に競争相手が増え、また製造業が移転したりしたから、今までは仕方がなかったんだろう。
それが変化しないで続くと、2025年はもっと厳しくなる。

年齢別に分析もしているが、65歳以上の就業者数は増えないという予測。
高齢者の就労を促進する取り組みがなければ、高齢者の就労機会は増えないという。
まあ、そうだろうなあ。
65歳以上の高齢者が活躍(老害もあるが…)しているのは政界と学界くらいだろう。

産業別に見ても、製造業が減るのは仕方ないとしても、サービス業も減少傾向になるらしい。
まあ、人口自体が減るからやむを得ないのか…。
サービス業で増えるのが、医療・福祉分野。
これも高齢化でやむを得ないのか…。

職業別では、事務・営業職は減らず、専門・技術職、サービス職は増える。
減るのが工場関係、建設関係、管理職だ。
会社を支えるのは、営業と技術だから、ここは残るんだろう。

ベースシナリオの結論は悲しい結果。
「過去の延長では、高齢者の就労機会は増えず、女性の労働参加も十分には増えない。そのため、望んでも働くことができない個人が発生する。第二に、労働集約的な雇用機会は減少し、サービス業であっても2020年をピークに雇用機会は減少する可能性がある。これにより、一度仕事を失うと、次の仕事に就けない個人が生まれる。第三に、就業者数や賃金などをマクロレベルでみた場合、2025年にかけて日本経済は衰退していく。このように、これまでの延長で2025年を迎えると、雇用機会が減少し、人材余剰が起こり、社会全体が衰退していくと予想される。」

シナリオ2はもっと悲観的な未来になっている。
2025年にかけて、先行きに不安を感じる人が多い。
この不安の元は、「グローバル化やテクノロジーの発展という外的な環境変化と、人口構成の変化の2つによってもたらされる」ということだ。
今まで言葉の問題や仕事に求める水準の違いから、日本は海外から守られてきたのだが、2025年にはその影響は無視できないという予測になる。
さらに、少子高齢化によって、社会システムを担う人口が減少し、働き手そのものの不足が起こる。
要は少子高齢化という社会の構造変化に、実際の労働の現場がついていかなければ、社会システムの維持すらできなくなるということだ。

現在でも、長時間労働による過労死、ブラック企業などが社会問題になっているし、その一方で人手不足による廃業や閉店(必ずしもそれだけが原因ではないが)が起きている。
問題の根は今もあるのだ。
さらに、年金や生活保護の財源確保の見通しも立っていない。
個人的にはこちらの方が大きいと思う。

この悲観的なシナリオでは、経済の停滞→雇用機会の喪失→離職者や解雇が増加→失業者や無業者が増加という悪循環が発生するという。
さらに、人工知能などによる雇用代替やグローバル化の影響で、雇用機会が喪失→離職者や解雇が増加→失業者や無業者が増加という流れも加わる。
これらによって、仕事を失う確率がこれまでの2倍、仕事につける確率が1/2倍というシミュレーションをすると、就業者はベースシナリオから557万人減って5717万人になり、無業者が500万人増加して5025万人、失業者は106万人増加して351万人になるという。

シナリオ3は楽観的な未来だ。
とはいえ、楽観的な未来を予測するためには、仕事につける確率が2倍、仕事を失う確率を1/2にしなければならない。
悲観的なシナリオでは、経済が停滞するのは人口減少のためだ、ということになっており、そこをクリアするためには「いろいろな価値観や制約を持つ人たちが働くことができる環境を作る」ということらしい。
働き手のダイバーシティ(多様性)を進めなければならない。
「いわゆる日本型雇用慣行のもとでは主役だった日本人・男性から、その役割を外国人・女性にも拡大する」ということが必要になる。
さらに、非正規労働者の活用だという。
しかし、人材不足が進めば、労働条件が悪ければ求職者から敬遠されるという事態になり、時給は上げないと人材不足は解消しないだろう。

これからの組織は、いろんな制約や価値観を持った人たちが一緒に働ける職場でなければならないという。それが人材不足を解消する唯一の方法だ。
また、2025年には団塊ジュニアの世代が、団塊世代の介護に直面する。
だからこそ、「時間的、地理的、経済な制約と両立する働き方が求められる」という。
さらに、「労働時間に制約を持つ女性や、身体能力がかつてほどではない高齢者等、何らかの制約を持つ個人が職場に増えていく」ということもある。
だから、多様な人材で高いパフォーマンスを発揮する人材マネジメントが重要になる、ということらしい。
ここらあたりは、リクルートの営業トークが入っていると思う。

また、希少になってくる若年層は争奪戦が強まるという。
でも、入社したら十分に面倒を見てもらえるとは限らない。
職場の多様性が上がっているからだ。
だから、若い人たちは自律的にキャリアを形成していく必要がある、という。

「しかも今後、起業の競争環境は不確実で、厳しくなる一方だ。同一産業であっても、企業によって明暗がわかれるようになる。そのような厳しい競争下で、企業は社員に、より高い付加価値を求めるようになる。例えば、イノベーティブな仕事。例えば、時間あたりの生産性の向上。そういった仕事ができるかは、本人の創造性次第だ。」

教育に期待されることとして、

「2025年にかけて、個人のキャリア形成はさらに難しくなっていく。職業人生が長期化する中で、ひとつの企業、職種だけで生涯のキャリアを全うできなくなっていくからだ。環境変化が厳しい状況下では、特定の専門力にとどまらない、行動特性や地頭などの基礎力や環境適応性に代表される職業的態度が、個人のキャリアを支えるようになる。今後は、このようなキャリアの礎となる能力や態度を学生に身につけさせることが、教育機関にも期待されるようになるだろう。」

さらに、人的ネットワーク資本というものも、教育機関で得るもののひとつである、という。

「例えば、労働市場が流動的な諸外国では、人的ネットワークを通じた職探しが一般的である。毎日、顔を合わせる家族のような”強い紐帯”よりも、1年に一度会う学生時代の同窓のような”弱い紐帯”を持つ人ほど、職探しがスムースであるというグラノペッターの紐帯理論がよく知られている。また、企業は近年、志向するようになっているほかの基幹と連携したオープン・イノベーションも、従業員の人的ネットワーク資本に依拠した仕組みである。
これまで教育機関は知識を学ぶ場だと位置づけられてきた。だが、メンバーシップ型社会である日本では、人的ネットワークそのものが強い価値を持つ。」

この部分もリクルートの営業の思惑が入っているような気もするが、これはもっともなことだ。
今でもそう言われている。
学部での大学の専門は、そういう基礎的な力をつけるための手段としてやっている大学も多い。
残念ながら、教える方にそういう意識がないとダメなんだが…。

この報告書でカウントしていない部分が、産業や社会のイノベーションの部分だ。
何度も書いたが人工知能やそれを使ったロボットが実用化の域に達する。
装着型のロボットも増えてくるだろう。
それらによって、働ける年齢が上がるとか、力がいる仕事でも高齢者ができるようになるとか、人工知能が弱いと思われるヒューマンスキルを人間がカバーしてやれるようになるとか、そんなシナリオも描けるはずだ。
逆に、そうなるためには、どんなイノベーションが必要なのか、そこまで考えてほしいと思う。

そうしないと、少子化は止まらないし、経済の衰退も止まらないだろう。

いずれにせよ、若い人たちは自分のキャリアを自律的に形成することを考えておかないとイケナイ。

それは確かだろう。




| | 考えたこと | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動車ハッカー
最近のクルマは全てを電気信号で制御する方向になっている。
必然的にそれらをつかさどるために、コンピューターが使われている。

昔はすべてが物理的につながっていた。
アクセルペダルを踏むと、ワイヤーが引っ張られて、燃焼室に多くの混合気が送られるようになっていた。
その混合気も、今は空気と燃料の比率を変えるのはコンピューターになっている。
さらに、最新のクルマでは、ハンドルを回すと操舵のためのモーターが動くようになっている。
ブレーキを踏んで止まろうとして、車輪がロックしそうになると、自動的にブレーキの油圧を緩めてロックの制御をする。
駆動力さえ、コンピューターが判断して、制御して車両の姿勢を保つ。
ハイブリッドになると、モーターとエンジンの駆動力をコンピューターが配分する。
全てが電気信号になりつつある。

そうなると、出てくるのがハッカー。
実際にクルマをハッキングする事例がある。

プリウスでは車に乗り込んでハッキングできたらしいが、Jeepのチェロキーでは無線でのハッキングが可能とのこと。
何でも、メーカーの無線通信サービスを介して、クルマの電子制御ユニットを攻撃するらしい。
すると、エンジンやステアリング、ワイパーなどが自由に操れるとのことだ。

電子化が進むと、便利になる反面、やっかいな問題が起きる。
その最たるものが、ハッキングだろう。
最悪の場合、自分が運転していると思っていたら、ハッカーが勝手にコントロールし始める。
事故も起きるだろう。
そのうち、映画か何かでクルマをハッキングするというのも出てきそうな気がする。

今の車は整備の人がどこが悪いかを調べるために、メンテナンス用の接続端子がある。
それが車載コンピューターにつながっていて、そこから故障した場所を見つける。
今のクルマは電子部品が増えていて、外から見ただけでは故障箇所がわからないから、検査用のプログラムが入ったコンピューターを使って調べるしかないのだろう。
整備の仕事も高度化している。
そういう接続端子を使ってハッキングするのは、仕方ないだろう。

しかし、無線でコントロールされるのは危ない。
殺人も可能かもしれないぞ。

現在、アメリカとヨーロッパで、クルマのセキュリティの規格を制定中とのこと。

早くしてほしい。


| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいルンバ
新型のルンバは、今までとは異なり、カメラやレーザーのセンサーを持っていて、部屋の間取りを判断しながら掃除をするということらしい。

今までとどう違うかというと、今まではとにかくランダムに走り、同じところを4回通って掃除を終了するという方式。
今度のルンバは部屋の形を判断し、部屋の形に応じて走り方を決め、もれなく早く掃除を終わらせるということらしい。
大きさがそれほど変わらないなら、吸引力はあまり変わらないのだろう。

となると、ちょっと不安になる。
今までも、ゴミの取り残しがあった。
見ていると、回転翼でゴミを取り込んで、それをかき取るのだが、その取りこぼしが時々起きるのだ。
畳の上に綿ぼこりのかたまりが残っていたりする。
でも、今までのルンバなら、何度か通るうちにそれをかき取ってしまうのだ。
だから、結果的にはきれいになる。

それを見ていると、こちらで手を出したくなる。
でも、出さずにいると、ちゃんとそこの上を通ってゴミがなくなる。
何度かその光景を見ると、うまくできているなあと思う。
我慢して見ているところがミソだ。

慣れてくると、途中で見に行ってゴミがあっても、大丈夫だろうと思えるようになる。
そして、終わったあと見に行くと、きれいになっている。

おお、よくやったなあ、と声を掛けたくなる。
そういう健気さがルンバの人気を支えているのではないか。

新型はどうなるのか、むずかしい…。


| | 考えたこと | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
会期
日本の国会には会期があって、それを過ぎると法案などは全部廃案になる。

Wikipediaによると、アメリカやイギリス、フランスなどでは通年で開かれているとのこと。
田中角栄は「国会議員は毎月月給をもらっているのだから、国会も通年でやるべきだ」と言ったとのこと。
それはもっともなことだ。

野党が反対するのは、牛歩戦術などが使えなくなるためで、あまり積極的な理由とは言えない。
逆に会期があるから、法案を成立させまいとして、どうせ否決されるに決まっている緊急動議を出しまくる、などの子供のケンカみたいなことがおこるわけで、趣旨はわかるが、あまり生産的ではないと思う。

通年国会になれば、もっと生産的な対案を出すとか、まともな議論をするなどの「まっとうな」国会になるのではないか。

今の制度内で抵抗しようとすると、与党も野党も子供のケンカみたいなことをやってしまう。

それなら、通年国会にすればいいと思う。

大多数の国民も、どうせ否決される動議など、出したって仕方ないと思っていると思う。
今の国会を見ていると、金の無駄だと思う。
いい大人がたくさん集まって、ののしり合い、暴力沙汰までして、決め事の約束手順を踏んで、結局は多数決で決まる。
どうせそうなるに決まっている。
やられる方も、やる方も、腹の中ではそう思っているのだろう。
それでも、大げさに驚いてみせたり、怒ってみせたり、呆れてみせたりする。
もうそんな茶番はやめてほしい。

もっと冷静に話し合えないものか。
ちゃんとした議論ができないものか。
国会議員がちゃんと議論しないと、国民もちゃんとわからない。

こんなことをしていると、わからないままいろんなことが決まってしまう。

そういうすら、わからないのだ…。


| | 考えたこと | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
国会中継
今日の国会の中継を見てしまった。
見てしまった、というのは見なかったらよかったという意味だ。

議場で議論しているのではなく、発言者不明で、立ったまま議長の周りを囲んでいる。
口汚い言葉でののしりあっているとしか思えない。
まるでヤクザの(と言ったらヤクザに怒られる)集まりだ。

与党、野党とも、いろいろ事情があるのだろう。
これだけ年寄りが集まって、喧嘩するところを中継する意図がわからない。
まともな議論はできないだろう。

伝統的に日本の国会では、こういうことが起こる。
この前、牛歩戦術をやった党はたしか次の選挙で大敗したと思う。
闘争するか、冷静に話し合って非を指摘するか、どちらが効果があるかというと、難しいところだろう。

でも、この状況を見ていて、情けないとは思う。

戦前も日清、日露の戦いにみんなが熱狂した。
そして、日華事変を経て太平洋戦争が始まるまで、民意(そういう言葉が流行っているが)は戦争には反対ではなかった。
軍と組んだマスコミが煽ったこともある。
みんな提灯行列をしたという。
軍の中には冷静に考えて、アメリカと戦うのは避けるべきだと考える人もいたが、熱狂する民衆がすべてを誤ったのだと思う。

それがまた繰り返されようとしている。

戦争の過去を精算していないから、何度でも間違う。
熱狂の中からは間違いしか生まれない。

冷静に話をすることでしか、民主主義は機能しない。
国会議員は言葉の人であって、力の人ではない。

そして、正しい歴史を教育しないといけない。
人文社会科学を軽視することは、民主主義の軽視だと思う。
だからといって、今の大学のやり方が正しいとは思わないが…。

そのために、歴史を学ぶのだろう。

国会中継を見て、そんなことを考えた。

| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
教養は重要
インターネット・イニシアティブという会社の社長が、日経に経営者ブログというのを書いている。
鈴木幸一社長は、高校、大学ともほとんど学校に行かなかったらしい。
ブログにはこうある。

「高校、大学と一応は籍を置いて卒業までしたのだが、ほとんどの学習は独学だった。高校、大学と同窓生徒の交流もなく、当然、同窓会など、まったく縁がなかった。卒業後、たまたま、語学のクラスが一緒だった大学の同級生に会ったら、「鈴木さんて、4年間で4日しか大学に来なかったでしょ」と言われてしまった。授業はともかく、何人かの教授とは、食事をしたり、飲んだりしていたのだから、大学とまったく無縁だったわけではない。言語学の高名な教授とは、亡くなられるまで、折節、お目にかかっていた。そんな学生時代の過ごし方をした私は、およそ、教育問題については、知見、識見ともゼロに等しい。」

そういう強者が昔は多かったと思う。
Wikipediaによると、鈴木氏は早稲田の文学部を卒業されたらしい。
そんな鈴木氏が、文科省の国公立大の人文社会学部の見直しのことを書いている。

具体的にはこの通達は「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と書かれている。
まあぶっちゃけて言うと、人文社会系学部は見直して、ほかの分野をやったらどうか、というふうに業界ではとられている。

鈴木社長は、その怒れる業界人と酒を飲みながら話をしていたとのこと。
その文科省の社会的要請を聞いて、こう書く。

「教養といった言葉が、死語になりつつある日本にとって、文部省の通知する前提となる「社会的要請」そのものが、知性というものに対する追い打ちのようなもので、短絡的な発想だとしか思えない。」
「日本のビジネスマンが海外に行って、ほんとうに心を通じ合える友人を持ちにくい大きな欠陥として、ビジネス以外の会話ができないことにある。日本の文化についてすら、語るべき内容がない日本人に驚くことが多い。」
「自然科学系の人が文化や歴史といった人文系の学問に興味をもつようにしたり、人文系の学部の人が自然科学や工学のことに関心を抱くようにするといった教育こそ、本当の社会的要請にこたえる方向なのではないかと思うのだが、どうも、最近はなにかと短絡的に過ぎる気がする。」

その通りだと思う。
いろんな分野のことを知りたいと思う場が、大学ではないかと思う。
問題意識のタネをまくということだ。
教養の科目を取ったり、小説を読んだり、友だちの話を聞いたりして、自分の世界を広げることが学部でやることだと思う。
もちろん、専門を深めるのも大事だが、同時に専門バカにならないようにするために、いろんなものに興味を持つことが大事だろう。

もちろん、それは大学でやらなくてもいい。
社会に出てからやってもいいのだ。
しかし、種をまくという作業は暇がかかる。
いろんなことをかじってみないといけない。

友だちの好きな作家を聞いて、それを読んでみようと思わないといけない。
好みの映画を聞いて、行ってみないといけない。
くだらないことを話して、興味の幅を広げないといけない。

そういう場が大学の役割の一つだと思う。

一緒に仕事をした先生が言っていた。

「そこに何があるかわからないが、何かありそうな場所、そういう大学でないといけない」

そのとおりだと思う。



| | 考えたこと | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハードワーカー
ティム・クックと言えば、あの世界のアップルの社長。
スティーブ・ジョブズの後をついでアップルを率いている。

彼はすごいハードワーカーとのこと。
何せ、朝の4時半に社員にメールを送るらしい。
食事をせず、エネルギーバー(カロリーメイトみたいなやつ)だけで済ます。
アップルのマネージャーたちとの会議は日曜日の夜。ただし電話会議だが…。
これが世界標準のハードワークらしい。

ぼくが知っているドイツ人の会社の役員もハードワーカーだった。
しょっちゅうFAXが来る。
それもドイツ時間の夜更けだった。
どうしているのか、と思っていたら家からFAXしていたとのこと。
家族と食事をして、それから自分の書斎で仕事をする。
今ならe-mail、当時はFAXだった。

そうなると、今ならコンプライアンスが問題となる。
役員だから労働時間はいいとしても、会社の資料を勝手に持って帰ってはいけないとか、コンピューターは持ち出し禁止だとか、いろんなルールが増えた。

彼らの場合は、会社のお金をかけて、セキュリティを確保しているのだろう。
役員だからなあ。

今の日本でそういう働き方はやりにくい。
会社のルールがある。

ぼくは、それは会社の一員というより、歯車のひとつ、という感じがする。
やりたいのであれば、自律的にやらせたらダメなんだろうか。
そういうのが、やりがいを生むということはないんだろうか…。

ルールだから、守らないといけない。

でも、なんとなく寂しい気がする。




| | 考えたこと | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
老いのバケツリレー
久しぶりにスーツを着て鏡の前に立って自分の姿を見る。
年をとったのがよくわかる。
もう年寄りの顔だ。
髪は染めてごまかすことができても、表情はごまかせない。

口角を上げようとするが、なかなか上がらない。
笑うことが少ないからだろう。
老眼がひどくなって、近くが見えない。
メガネをかけると、なんとなく年をとったような気がする。

誰もが通る道だといっても、それは一般論だ。
本人にとっては、初めての経験。
そういうことがどんどん増えてくる。

若い頃は、そういうものだと思っていた。
でも、「そういうもの」という感じではない。
自分で経験すると、そんなことは言っていられない。

若い人たちをみると、羨ましいと思う。
そんなことは考えなくてもいいからだ。
もちろん、自分もそうだった。

老いは先に逝った人たちから、順番だ。
そのお鉢が回ってきたのだと思う。
ありがたく受け取って、次に回さないといけない。

でも、そう言っている間にも、どんどん次のお鉢が回ってくる。
バケツリレーみたいなものだ。
そういうふうにして、年をとっていく。

バケツをもらう方は、いつでも突然だ。
ある日、気がついたら、何かが起こっている。

そういうことの繰り返し。

それが人生。

ようやく気づいた。


| | 考えたこと | 00:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
教育経済学
小さい頃にどういうしつけを受けたかで、年収が変わるという。
京都大学の西村和雄教授が「基本的モラルと社会的成功」という論文で発表したらしい。
コクヨのサイトに記事が出ていた。

教育経済学の世界では、「教育の効率は小さい頃に行えば行うほど高い」ということが言われている。

シカゴ大学のヘックマン教授らによって、1960年代から「ベリー幼稚園プログラム」というのがあるらしい。長期に渡って、教育の効果を測定しているのだろう。
この実験の結果、幼児段階の質の高い就学前教育は、その後の学歴、年収、雇用などの面で大きなプラス効果をもたらし、効果が長期にわたって持続する、ということが分かった。

この「質の高い教育」は単に学力だけではなく、小さいころの「しつけ」も含んでいる。
実際、日本の社会人15494人に対して行った調査結果で、8つのしつけについて、それが記憶にあるか、という質問をしたとのこと。

8つのしつけとは、“ルールを守る” 、“あいさつをする” 、“他人に親切にする” 、“勉強をする” 、“親の言うことを聞く” 、“うそをついてはいけない” 、“ありがとうと言う” 、“大きな声を出す” 。

調査の結果、このうち4つが大事だということになった。
なんと4つすべて受けた人は、1つでも欠けた人よりも、約64万円も平均収入が高くなり、4つすべて受けた人と、ひとつも受けていない人の差はさらに開いて約86万円の差が出るという。
その4つとは、“うそをついてはいけない” 、“他人に親切にする” 、“ルールを守る” 、“勉強をする”。

ということは、”あいさつをする”、”親の言うことを聞く”、”ありがとうと言う”、”大きな声を出す”はあまり関係がないということだ。
まあ、これらの項目は、”ルールを守る”ということに含まれているのかもしれない。

しかも4つの項目は、一つ欠けても差が大きい。
いずれも、影響が大きいということだろう。

この前書いたが、うそをつくことに対するハードルは下がっている。
自分の利益のためには、平気でうそをつく人が増えてきた。
長い目で見れば、それが却って自分たちの収入を減らすことになるのだろう。

西村教授は言う。

「道徳や規範は、小さいときに身につけないと本当の意味で身につくことができません。大学生・高校生に教えてもあまり効果はないでしょう。最低でも小学校低学年までには教えるべきなのです。道徳というのは、考え抜いて出てくるものではありません。記憶の中に入っているものが、意識となり、モノゴトを決めるときに道徳的に判断できるのです。だからこそ、まず知っていることが大切です。たとえば“ウソをついてはいけない”のように、知っておかなければならないことがあるのです」

そういう意味ではテレビの役割は大きいと思う。
知らず知らずのうちに、刷り込まれていることがあるからだ。

小さいころにおバカの出てくるバラエティを見ていて、バカでもいいんだと思うなどというのは、その最たるものだと思う。
おバカキャラなどという言葉ができる事自体、オカシイと思う。
最近のクイズ番組を見ていて、つくづくそう思う。
AKBの若い女性など、バカを自慢しているとしか思えない。
そういうのを見て育った子どもが、”勉強をする”ということに価値を置くだろうか。

”他人に親切にする”ということの価値もはなはだ脆くなってきた。
学校では友だちがいる、ということの価値が突出して高い。
それがカーストを生む。
カーストというのは、みんなに親切にするということを認めない。
カースト内での団結を守るためだ。
誰かれかまわず親切にしていたら、カーストで仲間はずれにされてしまう。

そんな風に、小さいころの体験が悪影響を及ぼすこともあるだろう。

テレビの視聴者は減っていっていると思うが、それでも子どもにとっては影響は大きい。
もちろん、学校の影響は言うに及ばずだ。

そんな観点から見てみると今の日本の子どもが置かれている環境は、だいぶ危ういと思う。



| | 考えたこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
バレーボール
テレビでバレーボールのワールドカップをやっている。
2位までが来年のリオのオリンピックに行く切符をもらえるということだ。

女子は残念ながら2位までに入ることはできなかった。
男子は今やっているところだが、ちょっとシンドイような気がする。

でも、男子は強くなった。
ちょっと前まで、男子は女子と違ってだいぶ弱かった。
女子がロンドンで銅メダルを取ったのに対して、出場もできなかった。
それでも、リオに向けて立て直してきたと思う。
特に若手の活躍がすごい。

バレーボールといえば、圧倒的に身長が高いほうが有利。
体格差はどうしようもない。
その差をつめるために、サーブを強化し、レシーブを強化した。

東京オリンピックの頃、女子バレーは東洋の魔女と呼ばれたのを思い出す。
とにかく、拾うバレーだった。
回転レシーブという、今なら普通にやっていることも、あのころ出てきた。
アタッカーが複数飛んで、誰が打つのかわからないという、時間差攻撃というのもあった。
トスが落ちてくるところを打つのではなくて、上がるところですばやく打つというクイックというのもあった。
アタッカーがフェイクをかけて、相手のブロックを誘い出しておいて、遅れてジャンプするという一人時間差というのもあった。
あれらの技術は日本発だったと思う。

それが、世界に広がって、手詰まりになったというのが日本のバレーの苦しいところだろう。

でも、見ていると体格差は以前よりも小さくなったと思う。
まだまだ身長やジャンプ力で負けるところはあるが、日本人も大きくなった。

あとはその差をどうやって埋めるかというところ。

相手のメンバーを研究して、細かい指示を出しながら、コンビネーションを練り上げていく。
もちろん、サーブとレシーブは相手より良くないといけない。

それらのハンデを乗り越えて、また強くなってきた。

来年は男子もオリンピックに出られるかもしれない。

頑張ってほしい。


| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポストの色
ルノーのカングーというクルマがある。
あんまり日本では見かけない。

クルマ自体はトヨタのファンカーゴみたいな背の高い、小型車。
このカングーのイメージカラーは黄色だという。
本国フランスでは、この黄色のクルマが郵便配達にたくさん使われているらしい。

何でかというと、フランスのポストの色は黄色なのだ。
フランスでは「黄色のカングーといえば郵便車」になっているとのこと。

19世紀半ばにイギリスで郵便が発明され、それ以降電信電話ができるまで、郵便は情報通信手段のメインだった。
今はFAXや電子メールに押されて、テキストのやり取りにはほとんど郵便は使わないが…。
そのイギリスに習って、前島密が日本に郵便制度を導入し、ポストの色はイギリスと同じ赤色になったというのが日本の経緯だと思う。

でも、フランスでは黄色なのだ。
調べてみると、ヨーロッパは赤か黄色が多い。
ドイツ、ギリシアやスペインは黄色。
イタリアやポルトガルは赤。
イギリス連邦のインド、オーストラリアやニュージーランドはやっぱり赤だった。
アメリカは青だ。

目立つ色にしているから、赤黄青の三原色になったのかもしれない。

日本みたいな島国に住んでいると、日本でアタリマエのことが世界でも当たり前だと思ってしまう。
ポストの色もそうだ。
それを意識していないと、ポストの色はどこでも赤だと思ってしまう。

こういうのを意識するのが、文化の多様性(ダイバーシティ)というやつだ。

これからの組織はダイバーシティを上げていかないといけないとのこと。
いろんな人が、いろんな価値観を持って働けるようにしておかないと、人材確保ができないし、優秀な人材も獲得できないということらしい。

でも、ポストといえば赤、という島国の日本では、難しいかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
BMWのFF
1998年にダイムラー・ベンツ社がアメリカのクライスラーを買収して、ダイムラー・クライスラーを作って、アメリカでFF車を作った。
あれはベンツの歴史の汚点だと思う。
規模の拡大をしないと生き残れない、というような声があって、拡大に走ってしまった。
それが失敗だとわかって、2007年にクライスラーを売却するまで9年かかった。

BMWはそういう規模の拡大はやらず、高級車路線を走り、ミニというブランドを買って小型車の分野でも成功を収めている。
ようやくベンツも元に戻った感じだが、まだまだ電気自動車などでBMWに逆転されている感じだ。

でも、そのBMWがFF車(前輪駆動)を初めて作った。
これが2シリーズという車種。
顔はBMW顔だが、スタイルはどこにでもある3列シートのクルマ。
こういうのをしないのが、BMWだと思っていたのだが…。
もちろん、前後の車重は50/50にはならない。

電子制御が進み、制動力や駆動力の配分を変化させられるようになって、だいぶFFらしさを消そうとしているようだが、3列シートを実現しようとするとそれは無理だろう。
ライバルのベンツがBシリーズというFF車を出しているのも、影響したのかもしれない。

はっきりと、今までのBMWユーザーは絶対買わないと書いてある記事もあった。
それはそうだろう。
400万も出してこれを買うくらいなら、国産のミニバンを買う。

きっとこの車種は、早々に販売ラインから落ちるだろう。
そうなってもかまわないように、2シリーズの1車種として出している。
そのあたりは、賢い。

BMWといえども、販売店からの要望に抗しきれなかったということか。
そこに市場があるかないかにかかわらず、販売店は自社にないものがほしいというものなのだろう。
世界でみたら、需要はあるのかもしれないが…。

でもなあ…。



| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
生命とは
世の中には意外と簡単そうに思えることで、はっきりしていないことがある。
その一つが、生命とは何か、ということらしい。

生きているものと生きていないもの、というのは簡単に線が引けそうだが、それがすでにややこしい。
生命の定義というのは、決まったものがないのが実情。

大きく見ると、細胞からできていて、成長し、自分と同じものを作り出し、そして死ぬものが生物だと思う。
そういう見方でいくと、普通の植物や動物は全て生命になる。

でも、ミクロで見るとややこしいのがいる。
これがウィルス。
自己複製をするためのDNAは持っているが、他の細胞に入らないと、複製できないから、微妙な存在になる。

「利己的な遺伝子」という本を書いたドーキンスという人がいる。
この人は、生き物は「遺伝子を運ぶ乗り物」だと考えた。
要は、生命のあるものは、すべて遺伝子を運んでいるということだ。
その定義でいくと、ウィルスは遺伝子を持っているので、生命になる。

生物と無生物の境界線は、定義の仕方によって異なるということだ。

そして、「死ぬ」というのも、ややこしい。
生命の最小単位である細胞には、死という概念はない。
いくらでも増殖していくことができる。
だから、単細胞生物には死はない。

でも、多くの細胞が集まって出来ている生物には、死がある。
なぜ死が起こるのかということに対して、はっきりした理由は見つかっていないと思う。

実際、人間の体は数年で全部入れ替わっている。
つまり、構成している細胞が新しくなるということだ。
そんなことは意識していないし、変わったとも思っていないが、知らぬ間に生まれ変わっているということだ。

死というのも、定義は難しい。

死なない細胞が集まって、ぼくらは出来ている。
そして、どういうわけか、死を迎える。

生物は面白い。

| | 考えたこと | 00:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
人工知能とIT産業
ITの中小企業の社長が書いている記事を見た。
会社は、3Dプログラミングで一昔前は500万円のコンサル料をもらっていたとのこと。
今では文系の学生でさえ、数ヶ月の訓練で3Dプログラミングを自由に行うことができるらしい。

プログラミングはどんどん簡単になっている。
ぼくが学生時代にならった言語はアセンブラとかフォートランとかいうもの。
そういえば、機械語に近かった。
何でも先に宣言しておかないと、使えない。
プログラムで使うのに先立って、この変数は整数型とか、実数型とかを「宣言」するのだ。

今はもっと高級な言語ができている。
いちいち「宣言」などしなくても、コンピューターのハードが容量など気にせず使えるようになったし、人間の書く言語に近い(もちろん英語であるが)ものになっている。
子供向けの、ブロックを組み合わせて作るようなUI(ユーザーインターフェース)を持った言語もある。

そういえば、会社に入った頃に使っていた8ビットのベーシックという言語は、だいぶ分かりやすかった。
社長はこう言う。

「プログラミング手法は定型化され、パターン化され、効率化されていますが、こうした論理構造の最適化は人工知能が最も得意とするところです。人工知能の出現を待つまでもなく、もっと早い段階でソフトウェア開発会社の仕事がなくなる可能性は充分にあります。人工知能を使いこなさない限り、我々中小のソフトウェア開発会社が生き残っていくのは難しいでしょう。なぜならエンドユーザーであるクライアントが、自ら簡単にソフトウェアを作れるようになるからです。」

人工知能が発達すると、プログラミングの敷居が下がって、みんながプログラマーになれるということかもしれない。
となると、ITの中小企業は苦しいことになる。

「タイプライターがまだ普及していなかった時代、タイプライターの販売会社はタイピストを派遣していました。今、タイピストという職業はありません。誰もがキーボードをタイプできるようになったからです。こうした破壊的イノベーションは必ず起きます。しかし逆に言えば、そうしたソフトウェア開発会社を経営している私は最もラッキーであるとも言えます。時代の最先端の変化を肌で感じることができるからです。そして起業家とは、安定よりもむしろ変化を好む人物です。
変化あるところにチャンスあり。
人工知能やその他の技術がソフトウェア開発会社の仕事を軒並み奪ってしまうのだとしても、私はその先に、さらに新しいビジネスを夢想してワクワクしてしまうのです。」

そういう破壊的なイノベーションは必ず起きる、と書いてある。

結局変化し続けるしか生き残ることはできないのだろう。

何が人工知能で置き換えられるかを今から気にするよりも、何が起こってもそれを楽しむくらいの余裕あれば、大丈夫だ。

たしかに、どうなるのか楽しみではある。

まあ、ぼくはもう労動者人口にはカウントされないからなあ。


| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホワイトカラーの半分が人工知能に?
そういう題の記事があった。
人工知能はどんどん賢くなっていくが、半分はちょっと大げさだと思うのだが…。

東大で人工知能を研究しており、センター入試で東大に入れるところ(偏差値が60)を目指しているプロジェクト「東ロボくん」を指揮する新井教授は「東ロボくんの偏差値は60までいく。そうなると、ホワイトカラーの半分は人工知能に置き換わっていく」と言う。

また、有限責任監査法人トーマツのデロイト アナリティクス日本統括責任者である矢部誠パートナーは、人工知能と相性のいい業務とそうでない業務があるが、金融・会計にかかわる業務は人工知能によって代替される可能性は高い、と言う。

たしかに、お金を扱う金融・会計の仕事は規則や法則が多く、成功か失敗かもわかりやすいので、人工知能に代替しやすいかもしれない。

しかし、リクルートホールディングス リクルートワークス研究所主任研究員の中村天江氏は、こう話す。

 「日本の場合は欧米などと比べてドラスティックに雇用形態は変わらない。働き手の技能レベルが高い一方で、消費者が期待するサービスレベルが高い。また、雇用維持に対してとても厳しい。だから人工知能は、期待するほど人間の仕事を置き換えていかないのではないか」

どの程度仕事を奪われるかは、職場や消費者の文化にもよる、ということだろう。
たしかに、日本の現場はスキルが高く、消費者の要求も高いから、難しいかもしれない。
記事にもあるが、顧客との接点となるところは人工知能にはなりにくいだろう。
高齢化社会だから、それについていけない人も増える。

記事の最後はこう締めくくられている。

「人工知能が人間の仕事を奪うのか、両者が力を合わせて新しい仕事を生み出すのか、この先、様々なパターンが出てくるはずだ。人工知能をうまく使いこなす側になって自分のパフォーマンスを最大限上げられる人間になるか、逆に人工知能によって使われる側の人間になってしまうか。どちらになるかは、今後の若い世代が大人になるまでの教育によって決まるかもしれない。
 つまり、人工知能が苦手とする状況判断力と筋道の理解力を磨いて、問題解決能力の高い人材になり、人工知能を使いこなせるようになればいいのだ。将来は、そんな人材を育成してくれる学校に、多くの優秀な人材が集まっていくに違いない。」

要は、人工知能に使われる側ではなく、使いこなす側の人間になればいい、ということになる。
まあ、当たり前の結論。

センセーショナルな記事の見出しだが、結局はどうなるかわからない。
どれくらいの比率で、ホワイトカラーの仕事が代替されるのだろう。
これから仕事を選ぶ人は考えておかないといけない。
金融は学生に人気があるが、これは多くが代替される最有力候補かもしれないなあ。

ところで、「状況判断力と筋道の理解力」「問題解決能力」の高い人材を育成してくれる学校というのはどういう学校だろうか。
人工知能ができると、知識の価値は下がる。
だから、知識の学習時間を減らして、知恵の学習時間を増やしたらいい、という。
知識と知恵の違いはなんだろうか。

今後は学校は「知恵をみんなで生み出す訓練の場」になるのではないか、と大規模オンライン講座「受験サプリ」や「学習サプリ」を手がけるリクルートマーケティングパートナーズの山口社長は言う。
詳しくは記事の前半を読んでほしい。

彼のいうことにも一理あると思うが、知恵は知識の上にあるのだと思う。
だから、知恵だけを教えることはできないのではないか。
そんなに勉強の仕方が変わるとは思えない。

前にも書いたけど…。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイバーセキュリティ
インターネットの悪意のあるサイトもどんどん巧妙になっているらしい。

昨日ウィルスバスターのサイトを見ていたら、最近は広告をクリックしても危ないとのこと。
悪者はちゃんと広告料を払って、広告をでっち上げているらしい。
「何とかが今安い。60%オフ。今日まで」とか書いてあったら、ついついそっちに目が行ってしまう。
そこをクリックしたら、勝手にウィルスがダウンロードされるというような仕組みらしい。

ややこしいのは、それがすぐに悪さをするのではないケース。
クリックして仕込まれたウィルスは、個人情報を盗んで悪意あるハッカーに送信するらしい。
それによって、わかった情報を元に、今度はメールを個人名宛で出して詐欺を働いたりするというようなことらしい。
えらいこっちゃなあ。
敵もだんだんと手の込んだことをやるようになってきた。
おれおれ詐欺のネット版だ。

しかし、それだけのことをやる技術と知識があったら、どっかで雇ってもらえるのではないか。
実際アメリカではハッキングのコンテストがあって、上位の人はリクルートされる。
日本でもやっているのかな。

また、有名なサイトにハッキングした犯人を秘密裏に捕まえ、FBIやCIAで雇うというような話もある。
これはきっと本当だと思う。
中国のサイバー部隊などは、国が素質のある若者を育てているのかもしれない。
これから、本当にセキュリティは大事になる。

これだけインターネットが進んだら、それを利用して攻撃しようとするのは自然なことだ。
インターネットに依存していればいるほど、そこを突かれたら混乱は大きい。
考えたら、銀行の決済や交通の管理、重要な連絡、そして通信そのものもインターネットを使っている。
そこに悪意ある攻撃を一斉にされたら、日本などひとたまりもないと思う。
国の役所である年金機構があのありさまなんだから。

いくら軍隊を持っていても、それが機能しなければ何もならない。

サイバーセキュリティはもはや軍備だ。

今年の1月のニュースで見ると、アメリカは6200人のサイバー部隊がいるとのこと。
対する日本は、内閣サイバーセキュリティセンターが80人、自衛隊のサイバー防衛隊が90人とのこと。
ここでも、どこまでが自衛か、という問題がある。
記事によると、

「サイバー攻撃をめぐる政府指針は「武力攻撃の一環としてサイバー攻撃が行われた場合、わが国に対する急迫不正の侵害」に当たると位置付けている。だが、何をもって「武力攻撃の一環」と判断するかという問いには答えていない。反撃する際の「必要最小限度の実力行使」に関しても明確な指針はない。
 国連の政府専門家グループは25年6月、サイバー分野も自衛権行使を認める国連憲章を適用すべきだとする報告書をまとめた。しかし国際法解釈として確立しておらず、日本政府指針も「国際社会の議論を踏まえ、引き続き検討する」とするにとどまっている。
 米国が主導する北大西洋条約機構(NATO)はすでに、攻撃を受けた場合に自衛権行使を認めることなどを明記した「サイバー戦に適用される国際法に関するタリン・マニュアル」を策定しているが、日米間にそうしたマニュアルはない。」

ということらしい。

現代の戦争は、先制攻撃としてサイバー戦になるのだろう。
機先を制して敵国の交通網を遮断し、連絡ができないようにし、経済をストップさせ、攻撃する。
これはありうるシナリオだと思う。

こちらの対策を急いだほうがいいのではないか…。

| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学1年生
世間もだいぶ変わってきた。

こんな記事が出る。

「動物園」の読み仮名に「flower」の日本語訳、456センチを10等分した値――。6月上旬、大阪国際大(大阪府守口市)の1年生向け授業「フレッシュマンセミナー」で、タブレットに次々と現れる問題に学生たちが向き合っていた。
 出題内容は小学校レベルも少なくないが、指定校推薦で入学した男子学生(19)は「忘れちゃったことも多いから助かる」と屈託ない。併用する教科書は「友達の名前を覚えましょう」「教科書を音読しましょう」と、大学生活の心得を手取り足取り説く。
 一見、大学とは思えない講義風景にも、佐藤智明教授は「アカデミズムより作法。寺子屋のように基礎からやるしかない」と明快だ。

日経新聞の7月22日の記事。
5〜6年前に、東京の方で、アルファベットの筆記体や簡単な算数を1年生の科目に入れている大学が、レベルが低いという批判をされたのだが、もうそれは定着したようだ。
いいことか、悪いことかは知らないが…。
この記事が出て、大阪国際大が批判されたという話は聞かないし、話題にもならない。

要は小中学校のレベルを大学で復讐しているということ。
これはとりもなおさず、入試が機能していないということだ。
国語や英語、算数で、小中学校の復習をしないといけないような学生が、大学に入学できている。
それが悪いこととは言わない。
AOや推薦など、あまり学力を問わない入試もある。
その人たちを入れないと経営が成り立たない部分もあるのだろう。

しかし、そういう状態にあって、入試改革で中教審は今の入試は知識偏重だ、というスタンス。
おかしくないか。
知識を詰め込まれているなら、もう少しレベルは高いはずだ。
詰め込もうとして失敗している、というべきだろう。
だから、人物重視だという。
そんないい加減な試験でいいのだろうか。
言葉は悪いが、人物を選別する人物が、学校しか知らない連中なのだ。

文科省は大学に金を投入するのは減らし、もっと小中学校に投入すべきだ。
小中の事務を増やし、クラブ活動を外注し、先生に教育をちゃんとしてもらわないといけない。
18歳で小学校卒のレベルに苦労する学生を生み出している事実を、もっと重く受け止めるべきだ。
彼らが中高の6年間、どんな気持ちで授業を聞いてたのかを考えると胸が痛む。
中学や高校の先生は、それに気がついても、教えてやれない。
それでも、教育課程に示された科目は実施するのだ。

大学も悪い。
そういう事実を隠して、文科省を批判しない。
学問の府だとか、自由が大事とか言っているが、結局は監督官庁に何も言えない。
国公私立大学が結託して、今の教育はなっとらん、と言えないのか。
あ、そうか、その教員を要請しているのも大学だから、言えないのか…。
それでも、教育に関係のない学部などたくさんあるし、そこから声を上げたらいいのだ。
それが言えないのなら、偉そうなことを言うな。

記事の最後に書いてある。

別のある50代の私大教授は、高校や中学の教員と今の教育について話したことが忘れられない。高校教員は「中学校が問題だ」といい、中学教員は「小学校が不十分」。結局、その場の結論は「家庭に問題がある」に落ち着いた。「皆が責任を押しつけ合う結果、しわ寄せが大学に来ている」

大学が学問の府だというのなら、こういう社会の問題こそ、筋道を立てて行政に意見するのがスジだ。

そうではないか。

| | 考えたこと | 02:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
新入社員の宣伝
このところ、新入社員の配属が終わって本格的に働き出したとみえて、ポストにチラシが入る。
証券会社の新入社員の紹介のチラシである。当然、営業職だろう。

どこそこ大学を出て、何を学び、興味、趣味は何で、「よろしくお願いします」というやつだ。
こういうチラシは最近見るが、ずっと前から近隣に配っていたのだろうか。
1社だけではない。複数の証券会社だった。

しかし、これは宣伝になっているのだろうか。
今年見たチラシは、いずれも経済とは無関係の学部である。
別に経済学部でないと、証券会社に入れないとは全く思わないが、数ある学部の中でも経済学部でお金の勉強をしていた、というから宣伝になるのだと思う。
チラシには「やる気」が書いてあった。
「これから勉強して頑張ります」というようなものだ。
言えば、そんなことは当たり前のことで、宣伝にもならない。

普通の接客ならかまわないが、証券会社というとお金の相談をするところである。
このチラシを見て、どんな若い子が入ったんだろうかと思って訪ねてくる人はいるかもしれないが、この子に相談してお金を預けてみようとは思わない。
どう考えても、サラリーマン上がりの中年のおじさんは「頼りない」と思ってしまう。

しかし、これが効果があるから入れているんだろう。
とりあえず行ってみて、それで上役につなぐというような役割を果たすんだろうか…。

聞くと巷ではそういう類のチラシを作っていることが多いという。
新入の営業社員自らが持ってくることもあるらしい。
まあ、自己紹介の代わりだ。
持ってきて渡して、「これから私が担当します、よろしくお願いします」というのなら、まだわかるのだが…。

世の中も優しくなって、新入社員に業界や商品の知識など求めなくなったからだろう。
ただでさえ、若い人が減っているからなあ。
そうとしか思えない。

ぼくらが若い頃は(こんなことを言うと、年寄りだと思うが)、代理店などに行く時には「君はメーカーの人間だから、商品のことは何でも知っていると思われるぞ」とか言われて行ったものだ。
一夜漬けで商品知識を勉強したり、少なくとも知らないことは恥ずかしいことだと思っていた。
そういう見栄は必要だと思うのだが…。
若い時は背伸びも必要なのだ、とぼくなどは思う。

つくづく時代は変わったと思う。

それでいいんだろう。




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深夜族
昔は深夜族というと、深夜放送を聞いて勉強をしながら夜更かしする学生のことだったと思う。
「深夜族」という言葉が、Wikipediaにも出ていないから、記憶になるが…。

深夜放送とセットになっている言葉だった。
中高の頃だから、昭和40年代の中盤から昭和50年にかけての時代だった。
ぼくはヤングタウン(毎日放送)が好きだったが、ヤングリクエスト(朝日放送)も人気があった。
ヤンタン(ヤングタウンのことを省略してヤンタンという)を聞いた後、ヤマハのコッキーポップを聞いたり、電波が入りにくいがKBSのナターシャセブンの番組なども聞いたおぼえがある。
夜中の3時からは、走れ歌謡曲という、深夜のトラック便の運転手向けの番組を聞いた。
5時に終わって、その後はおはよう浪曲や宗教の時間が始まった。
「暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう」というコピーはよく覚えている。
12月の期末テストの頃は、おはよう浪曲で毎年忠臣蔵の特集をやっていた。

ヤンタンは日替わりでパーソナリティが変わる。主に吉本や松竹の芸人か、売り出し中の歌手やタレント、そしてアナウンサーという組み合わせでやっていた。
ヤンリク(ヤングリクエストの省略形)はアナウンサーがやっていて、「仁鶴頭のマッサージ」とか、「キダタローのスタジオ貸します」とかいうコーナーがあった。

今の若い人が聞いたら、どうしてテレビではないのか、と言われるかもしれない。
まず第一に、テレビは一家に1台という時代だった。
自分の部屋にテレビがあるなど、あり得ない時代。

そして、そのころはテレビは夜中はやってなかったと思う。
NHKは国旗が出てきて、君が代を流して放送を終わっていた。
民放もやってなかったのではないか。
昭和50年代はそういう時代だったと思う。
ラジオしかなかった。

一応勉強すると言いながら、実際にはラジオを聞いて、声を潜めて笑っていたり、はやりの歌をチェックしたりしていたのだ。
「ハッピートゥディのコーナー」というのがヤンタンの開始直後くらいにあって、リスナー(ほとんど中高生)に電話をかけて、今日あった面白いことを聞くというものだった。
時々、ほんまかいなと思うような面白い事があった。
そういう、平和な時代だった。

こないだ、大阪で中学生が夜中に出歩いて殺された事件があったが、その頃はそんなことは全くない。
外に出たって、何もないからだ。
開いている店もないし、やっている食堂もない。カラオケはまだないし、時間を潰せるような場所などない。
要は、外に出たって仕方がないから、出ようとも思わなかったのだろう。

今は携帯という通信手段もあって、親も連絡さえ入れれば安心ということもあり、コンビニが終夜営業ということもあり、他にもファミレスとか、いくらでも行くところがある。
だから、事件が起きる。

数年前に警察署長と話をする機会があった。
署長は、夜出歩く人が多いのは、終夜営業の店があるからだ、と言っていた。
あれらの店を規制すれば、出歩く人は減るから、犯罪は減るということだった。

そうだろうなあ。

法律や条例で、夜間の営業を禁止したらいいのだ。
そうすれば、犯罪も減るし、エコにもなる。

簡単なことだ。



| | 考えたこと | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
いじめの調査2
前にいじめの調査の実態について書いてあるのを紹介したが、文科省は調査をやり直しするらしい。

いじめ調査の実態を見て、オカシイと思ったのだろう。
何でも1000人あたりのいじめ認知件数に、都道府県によって最大83倍の差があったらしい。
いじめの件数が83倍もあるわけがない。
おまけに現職の教員がブログを書いていて、実態をあからさまにしたりしている。
既存のメディアが報じないところに真実がある、ということだろう。

文科省は今回、「認知件数が多い学校はいじめを積極的に把握し、解消に向けて取り組んでいるとみて極めて肯定的に評価する」としており、「調査のやり直しにあたっては、初期段階のいじめや短期間のうちに解消したものも計上するよう求めているほか、いじめはゼロだったという学校はその事実を児童生徒や保護者に公表し検証してもらうことで、認知漏れがないか確認」するとのこと。

なんで最初からそう出来ないのか、とため息が出る。

文科省には瑕疵はないのだろう。
単に指示をしただけだから。
その文科省や教育委員会の意向を忖度して、現場が勝手な解釈をしてしまう。
ことによったら、教育委員会も自分たちの保身のために「いじめがある」という結果をもみ消しているのかもしれない。
もちろん、現場が自発的にやったことで、もみ消した証拠はないだろうが…。

一歩進んだと思う。
正しいデーターからしか、対策はできない。

しかし、文科省も教育委員会も、本当は実態はわかっていたんだと思う。
教育委員会などは特にわかっていただろう。
みんながほとんどゼロのはずがない。

83倍の差がついたということは、現場にも心ある教師がいて、教育委員会もマジメに扱ったということだろう。

いじめがある、という認識のもとからしか、いじめの対策はできない。

今までの調査は全部チャラにして、もう1回やりなおせばいいのだ。


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