考えたこと2

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一年が早い
今日はレッスンに行って、先生と「明日から12月ですなあ」という話になった。

毎年1年が早くなる、ということで意見は一致。
時間が加速しますなあ…という話になった。

しかし、なんでやろうと言ったときに、先生が面白いことを言った。

「友だちがゆうとったんやけど、年をとると、同じ一年でも、比率にしたら下がりますやろ。それで早いんですワ。まあ、何となく納得する意見やと…」

なるほど。
ちょうど2歳になったときは、増えた一年は1/2の重みだ。
50%になる。

それが、10歳になると、1歳増えても1/11。
約9%にしかならない。

30歳になると、1歳増えても1/31。
約3%だ。

50歳になると、1歳増えても1/51。
約2%。

1年という数字が占める、人生における割合がどんどん減っていく。
だから、密度が薄くなるともいえる。
そして、1年が早くなる。

リクツだ。

ぼくは来年53になるから、約2%か。

たしかに、経験の増加代は少なくなっていく。
これ、初めてや…という経験はほとんどない。
また、そういう経験を避けて通ろうとする。
いまさら、もうええやん、ということだ。

決まりきった日常を過ごし、新しいことは避けて通り、知っていることだけこなす。

年をとるということは、そういうことなのだろう。

だから、若くあるためには、年をとっても新しいことを経験すればよい。

わかっちゃいるけど…、難しいなあ。

やっぱり1年は早い、ということで先生と納得した。


| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
勝った方が強い
ボクシングの内藤の言葉。

強い方が勝つと言ったのは亀田。
それに対して、強い方が勝つのではなく、勝った方が強い、と内藤は言った。

プロセスよりも、結果だということだろう。
それはチャンピオンのプライドだったかもしれない。
勝負の世界は残酷で、結果が全て、ということだ。

それを知っているのが、チャンピオン、内藤大助。

亀田の挑発には一切のらず、目を合わせなかったという。
さすが、チャンピオンだ。

そして、全く慢心を感じさせない。
油断せず、徹底的な走り込みでスタミナをつけた。
最初から長いラウンドになるという予測をしていたのか。

しかし、どうもおかしいと思っていたら、1ラウンドから調子が悪い。
あれよあれよという間に12ラウンド。
亀田が勝ってしまった。
内藤は残念ながら負けてしまったが、勝った方が強いということだ。

負けたら何を言っても負け。
勝った方が強いということだ。

元チャンピオンの気持ちは知る由もない。

ガンバレ、内藤。


| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
光るホイール
今日の帰り道、隣をトラックが走っていったが、ホイールのところが緑に光っていた。
そういえば、時々見る。
あれはどうなっているのだろうか?

回転しているのだから、電源をバッテリーからひいてくるわけにはいかない。

最近出てきたということは、LEDのライトだろう。
消費電力が小さいから、ホイールに取り付けた発電機(よくわからないが、回転エネルギーで電気を起こす)で発光させているのか。
だから、動いていないと発光しない…、と思う。

よくできたものだ。
まあ、役に立つかといわれたら、何ともいえないが…。
目立つから、安全ということはいえるかもしれない。

そういえば、ノートパソコンのバッテリーが最近伸びたのも、一つは液晶のバックライトをLEDに変えたということもある。
従来の蛍光灯?より消費電力が小さくなる。

そう考えてみると、LEDはまだまだ伸びるということか。

たしかに、自転車のライトも最近はLEDの電池式のものが増えた。
点滅する、真っ白な光だ。
あれも消費電力が小さいから、電池で何日ももつということだろう。
昔は電気をつけようと思うと、ダイナモをタイヤにつけて回し、それで発電していた。

電気自動車やハイブリッド車も、LEDをたくさん使っているらしい。
電池をながもちさせるためだろう。

ながらく、光とは「電球の光」だった。

それに対して、LEDは電子の光という感じだ。
指向性が強く、明るく、そして冷たい感じがする。

冷たいというのは、実際に発熱が小さい(だからエネルギー効率が高い)というのもある。
光の感じも何となく冷たい光。

エコが叫ばれる時代。
LEDの需要はどんどん増えていくだろう。
そういえば、信号機も新しいのはLEDだ。
クルマのヘッドライトはまだLEDはないのかな…。
しかし、時間の問題だろう。

LEDの時代が来たなあ…。


| | 考えたこと | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
燃費
毎日クルマで通勤していると、否応なく燃費が気になる。
ぼくは高速を利用しているので、燃費自体はよいのだが、それでもちょっと一般道を走ると悪くなる。

普通の場合、高速95%で一般道5%くらいで、燃費が12〜13km/L。
ストリームの1.7リッターなので、かなり燃費はよいと思う。

それでも、土日にどこかに行って、一般道を走ると燃費(表示される)が11から10にすぐ下がる。
京都の混み合った道を走ると、さらに下がり代が大きい。あっという間に一桁になる。
高速をクルージングしていると燃費はいい。
発進加速が多いと燃費が悪い。それは事実だとわかる。

しかし、えらいもので、3年で7万5千キロ走ったが燃費は変わらない。
まめにエンジンオイルやフィルターは替えているが、前のストリームに比べたら確実にエンジンのガタが減っている。
カーメーカーでは「やつれ」性能とかいうのだが、それは本当によくなった。

やつれ性能が一番よくわかるのが、ウィンカーのレバーだと思う。
一昔前のクルマだったら、3年も走るとウィンカーに遊びができる。(ウィンカーのレバーがブラブラする)
それは本当によくなったと思う。今のクルマは3年経ってもほとんど新品と同じだ。

それとエンジン音。これもほとんど変わらない。

日本車は本当にスバラシイと思う。

それでも、今は輸出が苦しくなったので、コストダウンを計画しているのだろう。
次のストリームはどうなるだろうか。
クルマという製品はそう簡単に設計が変えられないので、コストには慣性力が大きく働く。
そう簡単に落とせないのだ。
その代わり、モデルチェンジの時には思い切ってやる。

今のストリームが次のモデルチェンジでどうなっているか…、おそらくコストは下がっているだろうが、エンジニアは苦労して性能を落とさないように努力するだろう。
しかし、カネには変えられないものもあるからなあ…。
見栄えは落とせないとしても、どこかを画期的に変えないと難しいだろう。

ハイブリッドになるのだろうか。

ディーゼルエンジンでハイブリッドというのはできないのだろうか。
もともと燃費のよいディーゼルで、さらにハイブリッドカーというのは何か致命的な難しさがあるのだろうか。(誰も作らないから)
それができて、普通に走って25km/L以上というのができたら画期的だと思う。

どうなるのか、期待しよう。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
専門家
どの道にも専門家はいるものだ。

昨夜、あるセミナーの見学に行ってきた。
有名な講師がやっているものだ。
何のセミナーかは差し控えるが、やっぱり専門家というのはいるものだ、と感心した。

有名といっても、日本中の人が知っているというほど有名ではない。
しかし、その道では引く手あまたという人だ。

厳しい指導をするらしい、ということで行ったのだが、そうでもなかった。
昨日は抑えていたのかもしれない。
来ていた人に聞くと、「あの人はわかりやすいし、やる気が出る」という感想。
エライものだ。

人を引きつける話し方。
目をつけた観客と直接会話し、まるで自分と話しているように感じさせる。
適度なため口。
自分の持っている情報をうまく伝える。
ダメなものは、遠慮なくダメだという。
こんなことなら、やらない方がマシという。

コツは、やらせる前にダメだしすることだろう。
まず書かせる。そしてそれを見ずに「こういうパターンはダメ」という。そして、また書かせる。
その繰り返しだ。
やらせておいて、それを見てダメだしすると「何でそれを先に言わないのか」となる。
厳しいといっても、肝心なところで、その鉄則を守る。

グループの作らせ方もうまい。
退屈せず、あっという間に90分経つ。

なるほどな…、と感心して帰ってきた。
ああいうやり方もあるのか。

人の心をつかまえるのは難しい。
でも、それをやるのが専門家というものだろう。

素直に感心した。
やっぱりうまい。

しかし、ぼくがあのスタイルでやることはできない。
年も違うし、経歴も違うし…。
自分なりのスタイルを作らないといけない。

いい勉強をした夜だった。



| | 考えたこと | 00:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
雪のサンタ
海外のドラマでクリスマスの特集をやっている時に見た。

サンタの置物。
ガラスの球体の中に、液体とサンタの置物が入っていて、ひっくり返して戻すと雪が降ってくるヤツ。
白い粒子が入っている。
それが雪のように舞う。
サンタでなくて、ツリーや建物になっているものもある。

日本にもその類のものはあるが、たいがい金や銀のキラキラしたものが入っている。
あのキラキラは、日本酒に金箔を入れるところからきているのだろうか…。

ぼちぼち11月も終わり。
あと一週間で12月1日になる。

別にどうということはないのだが、何となくせわしい。
2009年が終わって、2010年が来る。
ミレニアムと言って騒いでから、もう10年。
2000年問題も懐かしい。あの時は大変だった。(ぼくはそんなに大変ではなかったが…)

来年はどうなるのだろうか。

景気は上向くのだろうか。
高速は無料になるのだろうか。
子ども手当てはでるのだろうか。
普天間基地はどうなるのだろうか。
スパコンの予算はどうなるのだろうか。
民主党はいったい何がしたいのだろうか。

いろんな疑問がある。

とりあえず、サンタの置物をさかさまにして、元に戻してみよう。

そうすれば、雪が舞って、少しのあいだこの世の憂さを忘れることができる。

800円は安いものだ…。

| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョルディ・ラバンダ
この人はスペインのデザイナー。
というか、本業はイラストレーターだと思う。

特徴的な絵を描く。ポップな絵で、いかにもスペインの南の方の開放的な感じ。
色使いもいい。パステル調ではなく、原色系。
いかにも、ラテンという感じ。

↓ここを見てみてください。
http://www.jordilabanda.com/

この人の絵が好きで、メモやノートを見つけたら買う。
めったに売っていないのだが…。
3Dノートとか、コラージュとか、大きさはA5、A6、A7…、いろいろある。
とにかく、明るい。

もう潰れてしまったが、数年前にいきつけの雑貨店で偶然に見つけた。
何ともいえず、魅力的な絵だった。
そこだけ、浮き出ているような感じ。
ちょっと派手かなと思ったのだが、手に取ると「買ってくれ」と言っているような気がしてレジに直行した。

それ以来、探しているのだが、なかなか見つからない。
通販ではあるのだが、直接目にすることはめずらしい。

と思っていたら、大丸の文房具売り場にあった。
1冊だけ、小さなメモである。
見たことがない絵のメモだった。

「おお、こんなところにあるのか」

思わず、手にとってみた。
Made in Spainと書いてある。
正真正銘のジョルディ・ラバンダだ。

忘れた頃に見つかる。

こちらが探しているからだろう。

それにしても、儲けものだった。
まあ、人からみれば、無駄遣いかもしれないが…。


| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
まるむし商店
まるむし商店といえば、漫才師。
最近はあまりメジャーではないが、花月には出ている。

この二人、何ともいえずおかしい。
「素」のおかしさがある。

いかにもシャベリがうまい、右側の磯部。
元落研という感じだ。
話し方に落語のような味がある。

何となく不器用な左側の東村。
シャベリが下手というか…、不思議な魅力がある。

この二人がそろって、面白さが倍増する。

今、どんなネタをやっているのか、テレビに出ないからわからない。

地味だが、上方になくてはならない漫才だと思う。

最近、昔のテープを聞いて、その思いを強くした。


| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
Plan B
ドラマを見ているとよく出てくる言葉。

初期の計画がどうもうまくいかない…「プランBで行こう」。
うまくいくハズの計画が相手の一撃でダメになった…「プランBはあるのか?」
行き詰まった状況…「プランBだ」

プランBは代替案のこと。
昔からあるのか、最近できた言葉かどうかは知らない。

プランBにはもう一つ「やけくその手段」という意味もある。
プランA(これはまっとうな手段)がダメになったとき、「よし、プランBだ」という。

「おお、プランBがあったのか!どうするんだ?」
「バンザイ突撃だ」
「・・・・・」

というような場面。

しかし、プランBという言葉があるということは、英語を話す人たちにはつねに代替案を考えておく、ということは理解されているのだろう。
必ずしも全てとは言わないが、代替案は必要だ。

何事もつねに作戦通りに進むとは限らない。
敵がどう出てくるか、予想しながらやるのだが、つねに予想通りにはいかない。
思わぬところで、思わぬことが出てきたりする。
裁判で、被告側が思わぬ人物の証言を出し、あわてたりする。
AとBは敵対していると思っていたら、急にひっついたりする。
そんな時には「プランB」が必要だ。

日本のドラマで「代替案」という言葉を聞くことはない。
どちらかというと、敵の奇策が出てきたら、その時に考える、というパターンが多い。

しかし、英語のドラマではプランBという言葉が頻繁に出てくる。

たいした策があるわけではない。
その場しのぎでやっていることもある。
しかし、それにプランBという言葉がついている。
これが大事だと思う。

プランBをもっておくこと、これは大事だ。


| | 考えたこと | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
比喩
Cutting edge.
この言葉は前の会社にいたときに知った。

カッティングエッジ。
端っこを切った切り口という感じ。

「最先端の」という意味になる。
カッティング・エッジ テクノロジーというのが常套句。
最先端技術、ということになる。

ニュアンスはよくわかる。

こういう比喩はわかったり、わからなかったり…という感じだ。

人によって違うだろうが、ぼくはわかりやすいと思う。

もう一つ、"a blue rose"で「あり得ないもの」という意味になる。

これは難しい。
こういうのは花に詳しくないと、わからないだろう。
青いバラは存在しない。

…ところが、ちょっと事情がかわってきた。
サントリーが青いバラを開発したのだ。
何年もかかって、ようやくできたらしい。

この花がアメリカでメジャーになると、"a blue rose"はどうなるのだろう。

あり得ないという意味ではなくなるのだろうか。
それとも、比喩として残るのだろうか。

a blue roseがどうなるのか、楽しみだ。
ぼくが生きている間に、わかるのかな…。


| | 考えたこと | 02:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
祝勝会
今日は招かれて若い人の宴会に行った。
女子サッカーの祝勝会だ。

呼んでもらえるのは、毎回試合に行って、応援して、写真を撮ったから。
キャプテンとマネージャーが来て、「お世話になった方をお呼びしています。ぜひ来て下さい」と誘ってくれた。

あわてて、昨日の夜、決勝戦の試合後に撮った写真をA4で印刷し、今日の昼休みに額を買いに行って、それに入れて渡した。
「祝リーグ優勝 2009.10.25」という文字をフォトショップエレメンツで入れたものだ。
たいした写真ではなかったが、額に入れると映える。

7時から宴会。
みんなうれしそうだった。
若い人はいい。
何の屈託もなく笑い、泣く。
大人と子どものちょうど中間。

彼女らの親が45歳から50歳。

そういえば、自分の息子も来年二十歳になる。
そんな年になった。

去年、1部リーグの入れ替え戦に出て、負けた。逆転負けだった。
その時に見に行って、残念ながら負けたが「ナイスゲームだった」と声をかけた。

今年は1試合だけ見に行けなかったが、その他の試合は見に行った。
毎週日曜日。
奈良まで見に行ったこともある。

とにかく、よくやった。
みんな声を出して、よく走った。

いろんな苦労話があった。
笑いと涙。

久しぶりに若返ったような気がした。

生きていればいいこともある。

| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
38歳の頃
昨日、以前のメモを見返していて、こんなものを見つけた。
友人にあてて書いたメールだ。
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最近仕事に行き詰まったと言うか、だれてきたというか、しんどいというか、そういう年頃なのかもしれませんが、ちょうど、会社に入って、16年たって、今までは会社に入って右も左も分からないところから、ここらあたりまで、結構変化に富んだ時間を送ってきているのではないかと思います。(それがいい事か悪い事かは別として)
プライベートでも、結婚したり、子供が出来たり、それ以前から言うと変化が激しい時を過ごしてきたのでしょう。

ただ、僕は昔は何かを書いて生計を立てられたらいいなあ、とか夢見ていた時期があって、それはもうあきらめていますが、でもいつかはやりたいとも思っています。
 
まあ、そういう訳で、また、会社にきて仕事する事に何か生きがいのような物を見つけられる事が出来れば、今のコンプレックスは(そういうほどたいそうではありませんが)解消すると思っています。
またそうしないとこれから先の会社での生活がめちゃしんどいですから。

でも、生きがいなどというものは、見つける、とか作る物ではなくて、仕事を一生懸命に出来るような自発的なモチベーションが得られればいいと思っています。
逆に生きがいを見つけよう、などと意識してしまうと、もともと仕事なんて必然性があって選んだわけでもなし、見つかる事が不思議ですから、ただ、頑張ってやっていけば、いいことあるかもしれない、ぐらいに思っていた方がいいんでしょうね。
青い鳥はすぐ近くにいるのでしょう。
----------------------------------------

この時のコンプレックスとは何か、今は覚えていない。

でも、結局今でも同じようなことを考えているんやな…と感心した。
成長しないというか、人間変わらないというか…。

「もともと仕事なんて必然性があって選んだわけでもなし、見つかることが不思議ですから…」というところは、今も同じことを考えている。

この、「仕事なんて」という言い方が好きだ。
そう言っておいて、それでも、「頑張ってやっていれば、いいことあるかもしれない」と思っている。

そういう仕方で仕事に接していると、きっとちょうどいいのだろう。(ぼくにとっては)

それにしても、14年前と同じことを考えている。
エライもんやなあ…。

| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
Always be prepared
Always be prepared.

「そなえよつねに」、ボーイスカウトのモットーである。
一時期、ボーイスカウトの下部組織であるカブスカウトのお手伝いをしていたこともあって、これについていろいろと調べた。

普通は、以下の意味。
これは山口県のボーイスカウト連盟のページから取ってきた。
---------
そなえよつねに  
ボーイスカウト以上のスカウトと指導者のモットー(標語)。

スカウトは何事に対してもいつでも必ずやり通すという準備を常にしておく、という意味である。
スカウトはいつも心にも体にも、技にもすきのないよう、どんなことにでも応じることができる心構えをもって「さあこい、準備はできている」ということを意味する。

そのため、スカウト技能はどんなことでも役立つよう、準備のために日頃から訓練をしておくのである。そしてまた、将来社会に出ても、よい公民としての準備が整った人物になるために、スカウト教育を身につけるという意味をもつ。

--------

どうも、パッとしないなあ…と思っていたら、アメリカのボーイスカウトのサイトにこんなのがあった。
ちなみに、ベーデン・パウエルというのは、スカウトの創始者(イギリス人)。

英語で書いてあったので、これを訳すと、こんな風な意味だと思う。

---------
そなえよつねに
ボーイスカウトのモットーである。

「一体何にそなえるんですか?」とスカウトの創始者であるベーデンパウエルに、尋ねた者がいる。

「何?いつもやっている事にだよ。」

隊でやっている訓練は、スカウトのモットーに恥じることが無いように、という意味でやっている。
誰かが事故にあったとき、応急措置を知っていれば、そなえよつねに、といえるだろう。
人命救助訓練をしていれば、泳げない人が深みに落ちても救うことが出来るだろう。

しかし、ベーデンパウエル卿は非常時の備えばかりを考えていたのではなかった。
全てのスカウトが生産的な市民になること、そして、他の人たちに幸せを与える、ということに対して、「そなえよつねに」と考えていたのだ。
スカウトの一人一人が、精神的にも、肉体的にも、いつでも、どのような苦闘にも立ち向かい、そして、どのような挑戦が前途に待っていようと、強い心でそれを迎えることが出来るように、「そなえる」事を望んでいたのだ。

「そなえよつねに − 人生のために」
幸せに生き、後悔をせず、自分が最善を尽くした、ということをわかること。
これがスカウトのモットーが意味するものである。 

---------

この「自分が最善を尽くした、ということをわかる」というところがミソ。

つねにそなえているから、自分が最善を尽くしたと言えるのだ。

Always be prepared.

なかなか難しい。


| | 英語 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
Long time no see
Long time no see というのは「久しぶり」という意味。

こないだ、ドラマで初めて使っているのを聞いた。
監獄に入れられた男に、捜査官が会いに行って、そこで言う。
"Long time no see!"

このセリフ、「久しぶり」という以外に何か意味があるのだろうか?

ぼくも何度か使ったが、全然反応がない。
発音が悪いのだろうか?

…と思って調べてみると、このLong time no seeは中国語からできたらしい。

そういえば、違和感があるフレーズだ。
no see というところは、not seeのハズであり、Long time no seeというのは文法的におかしい。
でも、日本人には直感的にわかる。
正しくは、"I haven't seen you in a long time!" と言うらしいが、それよりも、"Long time no see!"の方がわかりやすいのだ。

中国語で「久しぶり」という言葉が、そういう語順で並んでいるのだろう。

ということで、あまりフォーマルな英語ではないとのこと。
まさか日本人が使うと思っていないので、通じなかったのかもしれない。

これの変形で、Long time no hear とか、Long time no talk とかもある。
メールで書くときは、相手がアメリカ人なら通じるだろうということだった。

電話でアメリカ人相手に使ったのだが、それが悪かったのだろうか…。(ただし、もう10年ほど前)

しかし、このLong time 何とか というフレーズは、長いこと何とかしてなかった、という意味で日本人にとっては覚えやすい。
no+動詞というのがミソ。

でも、これが普通だと思ったら大間違い。


| | 英語 | 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ちあきなおみ
土曜日にBSで特集をやっていた。

この人は、ジャンルでいえば歌謡曲だが、なぜかアイドルでもないし、演歌でもない。
当時は流行歌手というイメージで見ていたが、特集を見ているとそんな範疇には入らない人だと思った。

こういう人をホンモノの「歌い手」というのだろう。

よく覚えているのが、「四つのお願い」「X+Y=LOVE」「喝采」など。
「喝采」はレコード大賞もとった曲で、ぼくらの世代では当然知っている曲。

1969年にデビュー。
1976年あたりから、演歌離れしていったらしい。

リアルタイムで追っかけてないのでよくわからないが、当時の歌謡ポップスというものの他に、戦後の流行歌、シャンソン、ファド(ポルトガル民謡)、アメリカンジャズ、そして、1980年代のシンガー・ソングライターの曲など、多くの作品を手がけていた。
ドラマや映画にもたくさん出演しており、そんな一面もあったのか、と感心。

途中、結婚に伴って休養していた時期があったりしたが、この人は「日本の歌」を歌っていこうとしたのではないか。
とにかく、歌がうまい。
いろんな曲をカバーしているが、この人が歌うと、この人の歌になる。

1992年にご主人が亡くなってからは、一切の活動を休止して今に至っている。
年齢としては45歳。
もったいない…、と外野からは見える。

それだけ最愛の夫だったのだろう。

しかし、ここ数年どんどん昔のアルバムがCD化され、売れ続けているらしい。
ホンモノは死せずということだろうか。

ぼくよりちょうど10歳上だ。

今になって、ぼくの中では昭和を代表する歌手となった。

これから聞いてみようと思う。

| | 音楽 | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
言葉にできない
小田和正の曲の題名ではない。

文字通り、「それ」を言葉にしてはいけないということ。
「それ」とは「ここはもう潰れるぞ」という言葉。

そんなことを言ってはいけない…という。

こんなところにまだ言霊信仰が生きているのか、と驚いた。

このままいくと、アブナイ。潰れる。文字通りそういうことだ。

会社にいるときは、そんな御法度はなかった。
こんな事をやっていたら潰れる…、ということは潰れないように何かしないとイケナイということだ。
何をしたらいいか、それが問題だ。

戦時中に「この戦争は負ける」というと「非国民」と言われたらしい。
まさにそんな世界。

言葉に出すと、それが実現するという信仰…、それが言霊信仰だ。
負けを意識しないと、どうやって勝つかということも考えられない。
負けると思うからこそ、負けないためには何をすればいいかということを考える。
そのために、「ここはもう潰れるぞ」という言葉を口から出す。

第二次大戦の教訓だ。


| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニンニクとうがらしベーコン
家の近所にryuryuというパスタ屋がある。
チェーン店らしい。

そこに時々夕食に行く。

ここで必ず頼むのが、ニンニクとうがらしベーコン。
いわゆる、ペペロンチーニだ。
パスタをゆでて、上げる。
ニンニクを焦げるまで炒め、とうがらしを入れて、ベーコンを入れる。
そしてゆでたパスタを入れて炒める。
書くと簡単だが、塩加減やとうがらしの炒め具合、ニンニクの厚みやこげの程度など、大変難しいと思う。

この「ニンニクとうがらしベーコン」というパスタを初めて食べたのは、前に書いたドンナ・ロイヤという神戸のレストランに行ったとき。
ここのは本当に美味しかった。
ニンニクが効いていて、とうがらしの辛さもよかった。
赤いとうがらしがそのまんま入っていた。

そこまで行くのが大変なので、ryuryuに行く。
ドンナロイヤにはかなわないが、ここのも美味しい。

それと、ここには「おかかバターライス」がある。

ご飯に「おこうこ」と「カツオブシ」と「海苔」を混ぜて、バターで炒めてある。

これがまた美味しい。

この2つがryuryuのベストチョイス。

なかなかいいでしょう。

| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
音域
禁煙してよかったことがもう一つあった。

高い声が出るようになったことだ。

すっと以前は喫煙していても、高い声がでた。
だいたい、原曲のキーで小田和正の曲が歌えたのだ。(もちろん、うまい下手は別として)
それが、ここ数年、キーを下げないと歌えなくなった。
だんだん、出にくくなっていたのだろう。
ちょっとずつ苦しくなってきて、数年前に完全に出なくなった。
原曲のキーを下げるというのは、屈辱的なことだった。

ところが、禁煙して1年たったら、元のキーで小田和正の曲が歌えるのだ。(もちろん、うまい下手は別として)

カラオケに行って確認したわけではないが、クルマの中で曲に合わせて歌っていると、あれ?という音がでる。
こないだまで出なかったのに…、と不思議になる。

そうか…禁煙したからか、と気づいた。
喫煙はのどに悪いということだ。
まあ、そうだろうなあ…。

禁煙の効果。高い声が出ること。

これは本当によかったと思う。
またこんど、カラオケに行って、確認しよう。
小田和正の曲が歌えるか…。

もちろん、うまい下手は別として。

| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
マイナーの循環コード
Am→F#m7-5→Bm7-5→E7という進行がマイナーの循環コード。

Aが?とすると、F#が?であり、Bが?、Eが?。?−?−?−?となっている。
イチ・ロク・ニ・ゴの形だ。
メジャーでいうと、C-Am-Dm7-G7の進行になる。
こんな循環コードがあったのか。

F#m7-5、Bm7-5の-5は5度の音を半音下げて、スケール内の音にするためのもの。
具体的にはド#をドに、ファ#をファにということになる。

月曜日にレッスンに行って、初めて知った。
なるほど、教えてもらえば?−?−?−?のカタチ。
これぞ循環コードだ。

そういえば、キーがAmの曲に時々F#m7-5が出てくる曲が時々ある。
あれは、Amの六度だったのか…。
長いことやっていても、知らないことがある。

和音は奥が深い。

| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
バッタもん
パチもんはまがい物のことだが、バッタもんはホンモノ。
バッタもんというのは、倒産した店などから仕入れた商品のことであり、本来の意味は正規品だ。
値段が安い正規品ということ。

しかし、今ではパチもんと同じく、安いまがい物のことをバッタもんという。
結局、パチもんと同じような意味になっている。

これも、ぼくらが小さい頃には使っていなかった。
聞いたこともない。
大阪では使われていたのだろうか?

ぼくは神戸だが、近所では聞いたことがない。

これも、いつからか使われるようになった。

パチもんとバッタもん、何となく似ている言葉。

こういう言葉が一般的になるということは、それが巷にあふれているということか。

そういえば、安売りチケットの店のことをバッタ屋という。
これはバッタもんを売っている店だから、バッタ屋だろう。

あれは、旅行会社がJRのチケットなどをたくさん買って値引きしてもらい、余った分を売っている…と聞いた。

切符だから、正規品に違いはない。
あれこそ、バッタもんだろう。

ということは、やっぱり巷にあふれている、ということなんだろう。

世の中、うさんくさいものが増えた。

| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
議論
この話題、何度も出てきてすみません。

議論をする、ということは難しいことだということがわかった。

会社にいたときは何人か集まると、くだらない話にまじって、開発のことや技術のこと、背反性能のことなど、誰からともなく話したものだった。
それが当たり前だったし、疑問もなかった。
しかし、それは(前もいったが)共通の認識があり、同じレベルでわかっていたからこそできることだ。
組織に目的があり、その方向に向いてベクトルがあった。
理解は異なっていても、少なくとも同じ方向を向いていた。
それが普通の組織だと思っていた。
だから、議論ができる。

しかし、違うところもあるのだ。

まず、組織に目的があるようでない。
あまりにも当たり前の目標で、ぼんやりしている。
そして、認識のレベルがバラバラだ。
あっち向いているヤツ、こっち向いているヤツ、上向いてるヤツ、下向いてるヤツ、目を閉じているヤツもいる。
だから、集まってもバラバラな話しかできない。
これほどできないとは、想像もできないほど、議論ができないのだ。

問題は、それでいて、自分はちゃんとやっていると思っていることだ。
「何を」ちゃんとやるのか。
それが組織の目標であるはずだ。
それが自分たちの思い思いの目標であって(あるかどうかも定かではないが)、「ちゃんと」していることになっている。
どうしようもない。
社会人になって、組織の目標というものを考えたことがない人ばかりなのか。

オープンな議論ができない組織は潰れていく。
組織として成り立たないからだ。
よほど上にいる人がパワフルで、引っぱっていくようなカタチになっていれば、大丈夫かもしれない。
しかし、そんな人がいない組織はどうしようもない。

そんな組織がある。

議論ができない組織。

それは意外と多いかもしれない。


| | 考えたこと | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
パチもん
パチもんという言葉、関西では最近多くの人が使うようになったが、この語源は何だろうか。

もともと、盗むという意味の「パクる」という言葉があった。
これは、ぼくらが小学校の頃使った言葉。

それが、どういうわけか「パチる」となった。
パチる、は使ったことがない。
そういえば、20年くらい前から、若い人が使っていたような気もする。
今はパクるよりもパチるの方が一般的なんだろうか?

パクるは、誰かが何かをやっていて、それをぱくっと食べるというところから来たような気がする。
技をパクる、というような感じ。
それから転じて、人のものを盗むというのもパクるになったのではないか。

しかし、パクるからパチるへの変化がよくわからない。

人に借りたまま返さないことを「借りパチ」というのは、数年前に若い人から聞いた。
この本、借りパチしてた…、というふうに使う。悪気は感じられない。
「借りパク」とは言わないようだから、若い人のあいだでは「パクる」よりも「パチる」が主流なんだろう。
あ、若い人というのは、20代から30代まで入っています。

そこで、パチもんとは、盗んだものの意味。
そこから転じて、偽物、類似品などを指す言葉になった(と思う)。

姫路で売っていた「クココーラ」やadidos、ワニの尻尾の方向が違うクロコダイルなど…、そういうのをパチもんという。

今中国はそれらの取り締まりに必死だという。
そう簡単になくなるとは思わないが。

しかし、どうしてパクるがパチるになったのか?

パクリよりもパチリの方が何となく言いやすい。
先に名詞がパチリになって、それがパチるという動詞になったのか…。

とりあえず、パチもんという言葉は、平成の新語だと思う。


| | 考えたこと | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウォークマン その2
今日長男が帰ってきて、ウォークマンを忘れていった。
ラッキー、といじくり回したが、なかなかイイ。

値段は知らないが、なかなかいい質感。
小さいけれど、きっちり作ってあるという感じ。
液晶もきれいだ。有機ELというやつかな。

感覚的に操作できる。
やれることはそんなに多くないが、これで必要十分。
音楽、ラジオ、写真、ポッドキャスト、ビデオの取り込みなど。
パソコンからゲームをダウンロードしたりはできない。
しかし、この大きさならやっても面白くないだろう。
ipodタッチとは違うコンセプト。
ipodナノが対抗品だろう。
直接録音もできるらしい。

ipodは何といっても故障が多すぎた。
あたりが悪かったのかもしれないが…。

しかし、隔世の感。
数年前は32ギガバイトというと、ハードディスクだったが、今はメモリだ。
ぼくが最初に買ったMacのメモリが32MB。
今は1GB〜2GB。MBになおすと、1000〜2000MBだから、約30〜60倍。

音楽をいつでもどこでも聞けるようにしたソニーウォークマン。
アップルにトップの座を奪われたが、どうなるのだろうか。

今のままなら、苦しいかもしれないなあ…。

ソニーはソニーらしく、新しいアイデアで勝負してほしい。




| | 考えたこと | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
禁煙
昨年の10月25日に入院して、そのままタバコをやめた。
もう1年間の禁煙である。
こんなにもつとは思わなかった。

朝病院に行って、検査をして、バタバタしているうちに、点滴をされてそのまま入院。
病院にはタバコを持っていっておらず、不思議なことに吸いたいとも思わずに1日たった。
2日目以降はちょっと吸いたいなとは思ったが、禁煙の病院であり、中でタバコも買えず、そのまま我慢した。

退院してから家に帰ったら、灰皿とライターは捨てられており、結局今に至るまで吸っていない。

何度か、コンビニで買おうかなと思ったり、帰りに売店で買おうかなと思ったりしたが、何となく買っていない。

今の部署で吸うのはぼくだけだったから、結局誰もタバコを吸わない部署になった。

一緒にいる人に吸われても、別に平気だ。
今は吸いたいとは思わない。

むかし、タバコをやめた人が、年に何回かはタバコを吸っている夢を見て、驚いて起きるという話を聞いたことがある。
ぼくもそういう夢を見るかなと思ったが、今まで見ていない。

こうなる前は一度禁煙しようとした。
2週間ももたなかった。
それ以降は禁煙をあきらめた。
喫煙をやめるのは意志が弱い証拠だとへりくつを考えたりした。

それでも結局は吸わなくなった。

エライものだ。

これで1年。来年も禁煙しているだろうか。

タバコをやめて一つよかったことは、タバコとライターを持ち歩くことがなくなったこと。
当たり前だが、気が楽になった。

これでタバコ税が上がっても平気だ。
いつでも来い、という感じ。

健康増進法もOKだ。

でも、喫煙者の権利も守らないといけないと思う。

それが真の禁煙者の態度だろう。




| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
エリクソンの発達段階 その2
昨日の続き。

他人のことはさておき、自分の発達段階は壮年期の終わりに当たる。
一般的には、52歳というともうすぐ親を卒業し、老年期に入るという年だろう。
世間並みにぼくもそういう年になった。

壮年期の危機は停滞だそうだ。
だが、壮年期の発達段階を乗り越えると、世代性が手に入るという。

世代性、難しい言葉だが、自分たちの世代を大事にしたいという意味もあるし、若い世代を育てたいという意味もある。
「ぼくらの時代」という意識、これは小田和正の歌だ。
たしかに、ぼくは最近になって、世代という言葉に敏感になったし、自分の世代に名前をつけたりした。
「昭和ひと桁ジュニア」がぼくらの世代だと思う。
そんなふうに、親の世代と自分の世代を関係づけたのは、発達の段階だったのか…。

もうちょっとの間、壮年期にとどまって、それから老年期に入る。

この発達段階を乗り越えられないと、絶望になる。
うまく乗り越えると、統合性が身につく。

統合性もむずかしい。
これは、自分の死を受け入れるために必要ということだろうか。

あと10年ほどで、自分の死を受け入れるという気持ちになるのか…。

一連のエリクソンの発達段階というのは、自分に当てはめたとき、それなりによくできている。

いつ死ぬのかはわからないが、人は死ぬまで発達し続けるというリクツは面白い。

エリクソン、えらい。


| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
エリクソンの発達段階
心理学者エリクソンは、アイデンティティという概念を発明したことで有名な人だ。

そのエリクソンによると、発達の段階は以下の8段階に分かれるという。

第1期 乳児期 〜1歳
第2期 幼児前期 1〜2歳
第3期 幼児後期 2〜6歳
第4期 児童期 6歳〜13歳
第5期 青年期 13歳〜30歳
第6期 成人期 
第7期 壮年期
第8期 老年期

この8段階のうち、成人期は就職して、恋愛して、結婚するまでの時期、壮年期は子どもを生み、育てるという親である時期、老年期は子育てが終わって退職したりする時期らしい。

このうち、児童期の発達において、失敗すると劣等感が、うまく乗り越えると勤勉性が得られるという。
なるほど、小学校が大事だということだ。
エリクソンの発達段階説は、前段階で失敗したら、あとでそれを修復することはできないという理論である。

1歳から6歳までの乳児期、幼児前期・後期というのは、親の問題である。
親がうまく育てることができるかどうか、というところにかかっていると思う。

しかし、その後は社会に育ててもらう側面も出てくる。
それが小学校であり、中学校であり、高校であり、そして大学だ。
まあ、昔から大学についてはあまり育てるという側面はないが…。

日本人は勤勉だと言われていたが、それは小学校が成功していたということだろうか。

1クラスの人数も多く、設備も今とは比べものにならない。
先生は大変だっただろう。45人くらいのクラスだった。
しかし、立って歩き回る生徒などいなかったし、授業中にしゃべることなどなかった。
先生はえらいと思っていた。

ここで失敗すると、勤勉性が失われる。

言葉で「勤勉性が失われる」というのが、どういう意味なのかはわからないが、そのままの意味ならやっぱり勤勉でなくなる、ということだろう。

これは大事だ。

今の小学校では、授業中に立って歩く生徒がいたり、しゃべっている生徒がいたりするという。
先生の言うことを聞かないのだ。
発達障害の子どもであるという。
それは、文字通り発達段階を乗り越えられないという意味で、発達障害だろう。
しかし、なぜ昔は45人のクラスでも静かだったのに、今、30人ちょっとのクラスでうるさいのだろうか。
そんなに発達障害の子どもがいるのだろうか。
児童期の前の段階で失敗しているのだろうか?

少子化の対策も大事だが、これらの発達障害の分析も大事ではないか。

本当に、真剣にやらないと、国が滅びてしまう…。



| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
のんびり過ごしすぎた
今日はのんびり過ごしすぎた。

10時頃起きて、パンを2つ食べ、紅茶を飲んで、新聞を読み、録りだめの番組を一つ見て、トイレでマイク・ロイコの「男のコラム」を読んで、ちょっと寝たのがマチガイだった。
気がついたら、4時過ぎ。
一日が経つのは早い。
あわてて着替えて、プールに行った。

今日に限って、プールは混んでおり、ペースの速い人にまじって泳ぐ。
プールのはしっこで何度か待って、やり過ごす。
どうも、ペースに乗れないまま、今日はおしまい。

帰りにダイエーに寄って、水銀電池を買いに行くが、目当てのものがなく帰る。

夕食を食べながら、くだらない番組をついつい3時間も見てしまい、もう10時過ぎ。

こんなふうにして、一日が終わる。

疲れはとれたが、もう一つ充実した気がしない。

こういう日はお風呂に入って、早寝をするに限る。

ダラダラと起きていたら、ろくなことがない。

また明日、がんばりましょう。


| | 考えたこと | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
11月2日
11月2日になったら、急に寒くなった。
夕方になると、風も吹いて、上着だけではいられないくらい寒い。
秋の訪れ、ということなんだろう。

毎年こういう日がある。

明日は文化の日。
日本国憲法が公布された日だ。
1946年の11月3日。
有名な憲法第9条もこの日に生まれた。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この文章、素晴らしいと思う。
「国際平和を誠実に希求」というところがすごい。

どこの国の国民も、そうではないのかな。
戦争がしたい、という国民はいないと思う。

民族や宗教の対立や、領土の対立、資源などの利権の対立、そんなものが戦争の原因だろう。

その中でも、宗教的な対立というのが、根が深い。

日本は神道でいうと多神教の国だし、仏教も鎌倉時代に日本風に変えてしまって、今や生まれた時は宮参りで死ぬ時はお寺…というワケのわからない(日本人はそれなりに不思議だとは思っていない)状態になっていて、そんなに宗教の違いが問題になるとは思っていない。(これは思っていないだけで、本当は問題になる。)

ナントカのみことも、ナントカにょらいもみんな同じだ。

しかし、これが一神教だとそういうワケにはいかない。
キリスト教とイスラム教はどうもそんな感じだ。

ぼくらには理解できないが、彼らはそうなんだろう。

極端にいうと、彼らは「国際平和を誠実に希求」するために戦争をしているかもしれない。
ひょっとしたら、どちらも一神教だから、どちらかが滅ばないと世界平和は来ないと思っているのではないか。

そう思うと、日本が戦争放棄という憲法第9条を持っているというのは納得できる。

本当に、「国際平和を誠実に希求」すると、戦争を放棄することになると思っているからだ。

そんなことを考えながら、明日はお休み。

のんびり過ごそう。


| | 考えたこと | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
気の早いクリスマス
きょうから11月。

近所のパーマ屋さんの前を昨日の夜通りかかると、飾りつけをやっていた。
もちろん、クリスマスの飾りつけだ。

ああ、もうそんな季節がくるのか…。

昔はクリスマスの2週間前くらいからやっていたが、今は2ヶ月前からスタートだ。

赤と緑と金と銀の色が定番。
この色の組み合わせをみると、クリスマスという気分になる。

そして、音楽。
クリスマスソングが鳴り始めるのはさすがにまだだろうが、これを聞くと「おお、今年も来たなあ」という気がする。

今日行きのクルマの中で、ユーミンの「雪だより」を聞いた。
「ロッジで待つクリスマス」、「恋人がサンタクロース」もいい曲だ。
クリスマスをテーマにした曲は多い。
もちろん、スタンダードのナンバーもたくさんある。

でも、このごろは冬になってもめったに雪は降らないし、11月でも台風が来るような季節だから、以前とはだいぶ違っているが…。

クリスマスはキリストが生まれた日、ということだが、その由来もわからずに祝う人が増えている。
めでたいクリスマスという感じ。
海外では、めでたいという感じではなく、おごそかな感じなのだろうという気がする。

Silent night, Holy night … という曲にもあるように、「きよしこの夜」なのだ。

もうすぐ来るクリスマス、といってもあとおおかた2月あるが、それを思って頑張ろう。


| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |