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2014.03.31 Monday
遺伝子
エライ生物学の先生が、人間は遺伝子のコンテナのようなものだ、と言った。
遺伝子を研究していると、そういう気持ちになるらしい。 人間が生きているのは、遺伝子を伝え残すためだという。 人間という外側は、それを運ぶための入れ物、という意味だ。 要は遺伝子さえ生き残ればいいということになる。 ぼくらは外側にこだわって生きているが、遺伝子にとってはそんなものはどうでもいい。 単なる遺伝子の入れ物だと考えると、人間の営みなどバカバカしく思えてくる。 人が増えすぎたり、食べ物が少なくなると、戦争が起きる。 これも遺伝子がそういうふうにセットされているのだろう。 石油という便利なものがあると、あとさきを考えずに使う。 燃やしたり、原料として利用したり、どんどん使う。 遺伝子は享楽的でもある。 楽して生きられるのなら、何でもありだ。 そして遺伝子は代々つながっていく。 人間という入れ物を乗り継いで、生き延びる。 それが人間という種の目的である、と言ってしまえばそれまでだ。 時に人間の営みを見ていると、立場が違えば、深刻なことも時にはバカバカしくて滑稽ですらある。 STAP細胞の小保方さんも、みんなの党の渡辺代表も、そんなことがバレないと思っていたのだろうか。 バレた時のことを想像しなかったのだろうか。 遺伝子は時に自己中心的だ。 自分さえよければ、回りが見えなくなる。 あとさきは考えない。 あるいは、単に気楽なだけかもしれないが…。 しかし、遺伝子の仕業だと思えば、誰もが同じようなことをする可能性があるということだ。 人間とハエの遺伝子は数%しか変わらないらしい。 その数%の遺伝子の中に、あとさきを考えずにやってしまう、という部分がある。 人間の営みは面白い。 |
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