考えたこと2

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今年の第九
今年の第九はいつも通り大阪城ホールでやることになった。
通常は客席とアリーナで合唱団10000人でやるのだが、今年は感染症の専門家によると、感染を考慮して2000人が推奨されたらしい。
今回はさらに安全をみて、その半分の1000人を募集するとのこと。
残りの1000人は観客だ。

空気の流れを計測し、合唱団は全員、飛沫感染を防ぐために首にかけるタイプのハンディ扇風機をつける。
さらに口のところにクリアマスク(麻生さんがいつもしている)をつけて、前に飛沫が飛ばないようにする。
なんともすごい格好だ。

会場ではコンセプトスモークマシンやDF50スモークマシン、ハイパースモークマシン、送風機などを配置して、空気の流れを実験し、人員配置を決めたということだ。
実験の様子もHPに出ている。

おかげで、参加費は通常は9000円程度で、12回のレッスンと佐渡練(佐渡裕の指導する練習)込みだったのだが、今回は12000円の参加料が必要。
いつもは、リハーサルと当日の2日間だったが、今回は1日だけ。
演奏は第4楽章だけになるから、合唱団は長いこと待たなくていい。
だいぶ時間は短くなるだろう。
それでも経費を考えると、12000円が必要らしい。

65歳以上の人、慢性閉塞性肺疾患、慢性腎臓病、糖尿病、高血圧、心血管疾患、肥満(BMI30以上)の条件で3つ以上当てはまる人は参加できない。
厚労省が指定している重症化しやすい人はだめ、ということだ。

まあ今年やろうとすると、こういうことになるのだろう。
1000人では、迫力にかけるだろうなあ。
リモート合唱の声も一緒に流すんだろうか。

12000円はちょっと高い。
首に扇風機をつけて、口のところにクリアマスクをつけて歌う姿はきっと滑稽だろう。

今年は抽選に参加するのはやめて、リモート合唱でいくことにする。

カラオケ屋に行ってスマホで動画を撮ろう。



| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
若者の自殺
「27日に政府が閣議決定した令和2年版自殺対策白書では、昨年の自殺者数は前年より671人少ない2万169人で、全世代的に減少する中、10代が唯一、前年より増加した。15〜39歳の各年代の死因は自殺が最も多く、先進国では日本だけにみられる事態として、厚生労働省は「国際的にも深刻な状況」と危機感を抱く。コロナ禍の今夏には中高生の自殺が増えており、心理的な孤立化を防ぐ取り組みが求められる。」

昨日の産経新聞の記事だ。

10代の自殺が増えているということだが、ぼくも気になることがある。
大学生でオンライン授業が続いているところは、学生同士のつながりもなく、サークルで集まるとか、ちょっとお茶するというような機会もなく、しんどい状態が続いている。
今行っているところは、秋から全面対面授業になっているが、ゼミだけ対面とかいうところは精神的に厳しいだろう。
中学生も高校生も、もう普通に学校に行っているのに、なぜ大学がという声もある。
ぶっちゃけた話、ぼくの大学時代は落研と下宿仲間のダベリがほとんどだった。
今となっては反省するが、でも今のような状態なら辛いだろう。

おまけに、雇用調整でアルバイトはどんどん切られている。
アパレルに行っている卒業生に聞いたら、妹もアパレルをやっているのだが、バイトは全員クビにされたと言っていた。
服だけでなく雑貨等も扱っていないと苦しいらしい。
今の一部の高校生にとって、アルバイトは部活のようなものだから、大変だ。

若い人たちのコロナの死亡率はゼロ。
かかっても、無症状だったり、軽症ですむ。
そういう人たちを家に閉じ込めて社会と断絶させ、自殺を増やしてしまった。
さらに、経済的な要因での自死がこれから増える。
厚労省はもっと社会の超過死亡の原因を発表するべきだ。

今やコロナで死んだ人はほとんど増えないが、若い人たちが孤独を感じて死ぬという図式。

こんなことをやっていて、ほんとにいいのだろうか。
感染を気にして、自殺を増やしているのではないかと思う。

欧州ではロックダウンをした国が、また死者が出ているのに対して、ロックダウンなどせず、学校も今や通常どおりにやって、ハイリスクの高齢者以外は普通に生活しているスゥエーデンは増えていないのが現実。

感染、感染と言わず、もっとそういう報道をすべきだと思う。

ぼくらは若い人が生きにくい社会にしている。





| | 考えたこと | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
50代の後悔
50代の後悔、という記事があった。

営業コンサルタントがビジネスマン1万人に聞いたもの。
氏は全ての根っこは「定年後の人生設計をしていなかった」ことにある、という。
記事の中で、後悔のベスト12?を紹介している。

12位 守備範囲が狭すぎた
11位 「年金は夫婦で月24万円」など、一般論を信じ込んでいた
10位 自分の可能性を過小評価していた
9位 「やりたいこと」と「やりたくないこと」のバランスを考えていなかった
8位 低い条件の再雇用に甘んじてしまった
7位 退職金、年金があまりに少なくシュンとしてしまった
6位 「ちょっと充電してから考えます」……“思考停止病”になっていた
5位 「働かないオジサン(オバサン)」になってしまった
4位 地域デビュー、妻と旅行、学び直しや趣味は暇つぶしにしかならなかった
3位 組織の名前ではないアイデンティティを確立できていなかった
2位 モチベーションがどうしても湧かなくなってしまった
1位 定年後の人生設計をしておくべきだった

この12の後悔をみてぼくが思うのは、高齢化の現代、「定年」というものを甘く見てはいけないということだ。
平均寿命が70歳なら、65歳まで働いて、残り5年だから、どうにでもなる。
長生きしても10年くらいだろう。

でも、今は男性でも平均寿命は83歳。
65歳で定年すると、18年も残っている。
18年というと、生まれてから高校卒業までと同じ。
とにかく長いのだ。

上位の6位までの理由は、経済的なことではない。
ちゃんと心の準備をしていたか、ということだ。

ぼくは47歳で一度目の退社をして、57歳で二度目の退社をした。
一度目の退社はある程度考えてやったが、二度目は漠然としか考えていなかった。
幸いキャリアの仕事をしていたので、この仕事の延長上で考えようとは思っていた。
1年の予定が1年半かかって資格を取り、今はキャリア支援の仕事と、筆記試験の指導。
今の仕事は定年がないので、65歳でやめないといけない、ということはない。
うまくいけば70歳まで働けるだろう。

友人の一人は80歳まで働くと言っていた。
そのために、それまで勤めていた会社の再雇用を断り、別の仕事にチャレンジしている。
彼も、再雇用されてしまうと、65歳で別の仕事を見つけるのは難しい、という意見。
そのとおりだと思う。

仕事は運と縁だから、偶然の要素も大きい。
それでも、50代である程度考えておかないと、人生の終盤戦は戦えない。
50代は大事だ。

本当にそう思う。




| | 考えたこと | 20:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
途上国支援
今日は途上国の支援をやりたい、という学生が相談に来た。
小学生の時に、途上国の状況を伝えるビデオを見て、彼らの貧困を救いたいとその時から思っている。

その志を持って、中学、高校に進み、国際貢献ができる学部を探して受験、失敗して浪人し、もう一度第一志望には行けず、今の大学に入る。
大学に入ってからも、自学部だけでなく、途上国支援に関係のある他学部の授業は、単位などなくても受講しに行き、学ぶ気さえあれば大学の名前にこだわらなくてもいいのだと悟る。
実際にアフリカに行き、現地の悲惨さも見てきた。

チームに日本人は一人だけだったらしく、現地の水で歯磨きしてしまってお腹をこわしたり、いろいろ苦労はあったという。
行った先では中国人の存在が大きく、東洋人は中国人だと思われたりして、日本の存在感が薄いこともわかった。
でも、現地の人から日本の技術を期待されることもあり、自分がまだ学生であり何もできないという無力感も感じたらしい。

そこで、NGOやNPOではなく、自分にスキルをつけるために企業に入って頑張ろう、ということで就活をしている。
ここがエライところだ。
ぼくも、新卒でNGOやNPOに行くのはどうかと思う。
仕事をして、自分に価値をつけないと、行っても仕事ができないからだ。
その判断は正しい。

大学にはよく青年海外協力隊の話をしたい、という依頼が来るのだが、大学生が行ってもまともな仕事はできない。
日本で仕事をしたこともない学生が、いきなり行くことに無理がある。
単なる海外での仕事経験だ。
それもあまりスキルのつくようない仕事ではない。
結局青年たちの夢を悪用しているようにしか思えないのだ。

その学生は、そういうことに気づいて、企業に入ってスキルを付けようと思った。
しかし、残念ながら志望理由に「途上国の支援をしたいから」などと書いては通らない。
そういう仕事がしたいのなら、外務省かどこかに行ってはどうですか?と聞かれるだけだ。
企業は利益を上げてなんぼのものという基本認識が足りない。
衣食足って礼節を知る、ということばがあるが、まことにその通り。
儲かるからこそ、アフリカで商売をするのだ。

その商売が結果的にWin-Winになる、という結果をもたらす。
そういうことなのだ。

この話を深めていくと、じゃあ資本主義とは何なのかとか、金儲けの意味は何なのかとかいう問題に突き当たる。
学生が持っている「途上国の貧困を救いたい」という気持ちは大事だし、否定もできない。

しかしなあ。
貧困を救うのには金が要るし、その金は天から降ってくるわけではないのだ。
ぼくらは資本主義の世界に生きているのだから。

それ以上考えるのはやめよう、ということになって面談は終わった。


| | 考えたこと | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 筒美京平
昭和のヒットメーカーだった作曲家の筒美京平。
10月7日に亡くなった。

ブルーライトヨコハマ(いしだあゆみ)、渚のうわさ(弘田三枝子)、また逢う日まで(尾崎紀世彦)、真夏の出来事(平山三紀)、17歳(南沙織)、わたしの彼は左きき(麻丘めぐみ)、木綿のハンカチーフ(太田裕美)、セクシャルバイオレットNo.1(桑名正博)、卒業(斉藤由貴)、野生の風(今井美樹)あたりを覚えている。
他にも山ほどヒット曲はあるが、ぼくの好きな曲はこんなもの。

筒美京平といえば、日本のポップスの王道だと思う。
歌謡曲というジャンルしかなかった頃、ポップな曲を作っていた。
尾崎紀世彦が出てきた時、日本のトム・ジョーンズという感じだったなあ。
あの声量で「また逢う日まで」を歌う歌手はまだまだ少なかったと思う。
イントロのトランペットから、ドラムのイントロは印象的だった。

「真夏の出来事」はイントロの女性コーラスがいい。
平山三紀のハスキーな声と、高い声の女性コーラスを組み合わせるところがすごい。
17歳も同じような感じ。
あの手の女性コーラスを使って作るのが好きだったのかもしれない。
「わたしの彼は左きき」も「HuHu」という女性コーラスが使われている。
半音ずつ上がっていく、ディミニッシュの進行がよかった。
あの曲で覚えた進行だ。

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は松本隆の詩もいいが、曲もいい。
今でも好きな曲だ。
エレキギターがいい感じで使われている。
その10年後に作られた「卒業」も好きだ。
フルートのオブリガードが盛り上げる。

レコード大賞の「魅せられて」はあまり好みではない。
どうしても歌い手でバイアスがかかる。

経歴を見ると、大学時代はジャズに打ち込んでいたとのこと。
やっぱりポップな感じはジャズの素養なのだろう。
ツボをおさえたモダンな曲が上手だったと思う。

昭和の大作曲家が逝ってしまった。

あまりマスコミに出る人ではなかったが、日本のポップスの黄金期を作った人だと思う。

合掌。


| | 考えたこと | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦時の人々
ぼくが物心ついたときから、日本の戦時ドラマは同じパターン。
主人公はたいがい戦争を悪だと思っている。
一部の国民は戦争をやりたい派。
それに反して、戦争を憎んでいる主人公で、あたかもそういう人が多かったような描き方だ。

ぼくもずっとそうだと思ってきた。
でも、それは戦後の考え方だ。
本当の戦前の人たちのことをわかっていない。

マスコミもこの点はまったく違う。
朝日も毎日も読売もみんな戦争をすべく煽った。
その方が売れるからだ。

そして、開戦のときは提灯行列。
みんな大喜びした。
本当に悲惨になったのは空襲が始まってからだろう。
たしかに、そこからは東京や名古屋、大阪近郊の人たちは悲惨だったと思う。
そういう時でも、都市部以外の人たちはどこ吹く風だったはず。

今回の朝ドラも同じパターン。
作曲家の古関裕而がモデルだ。
恩師の先生が南方戦線で、古関が慰問に行っている目の前で亡くなる。
実際には亡くなっていないのだが、ここは完全なフィクションだ。

史実に基づいているのかと思っていたら、大嘘だった。
もともとフィクションだから、悪いとは言わないが、今回の作り方は脚色といえるレベルではない
というのも、この物語は一部は実際の曲が使われているし、あたかも本当の物語のように作られているからだ。

終戦から70年を経て、日本人は完全に被害者の意識を持ってしまった。
悪いのは当時の軍部と一部の人たちで、一般民衆は戦争に懐疑的だったというストーリー。

実際には今回のコロナ騒ぎと同じように、マスコミが戦争を煽ったのだ。
それは軍部に強制されたからではなく、煽ったら売れるからだ。
マスコミは、自分たちの新聞が売れることが第一だったのだ。
もちろんほとんどの国民も好戦的だった。
それが事実だろう。

今回のコロナ騒動も同じ。
一番コロナを煽りまくったモーニングショーは高い視聴率を得られた。

原発の時も同じだ。
福島がいかに危ないか、放射能がいかに怖いか、もっと避難しろと煽った。
実際には放射能の被害よりもはるかに大きな「避難による被害」が起こった。
福島には人が住めないなどと言った「自称専門家」を使って、それを訂正も謝罪もしない。

日本人に必要なのは、本当の戦時の人々の事を知って、マスコミには騙されず、自分の頭で考えないといけないという反省だろうと思う。



| | 考えたこと | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
秋田県
秋田県は日本で初めて人口の半数以上が50歳を超えた超高齢社会。
15歳未満の人口は1割。
ここを見ると、世界的な潮流である高齢化、長寿化の持つ問題がわかるということだ。
イギリス人の経済学者が書いている。

長寿化の流れは止まらず、1963年の100歳以上は153人だが、それが2040年にはなんと30万人になるという予測。
日本でも100歳超えはニュースでもなんでもなく、普通の出来事になった。
母方の祖母も100歳を超えて生きた。

実際に行った人はすぐに高齢化社会ということに気がつくという。
レストランのウエイトレス、タクシーのドライバー、ホテルの客室係、電車の運転士など、みんな高齢者になっている。
いずれ日本全体が秋田県化する。

実際、世界の人口77億人の85%が平均寿命が上昇している国に住んでいるのが現実。
世界的に豊かになり、長寿化しているのが現実。
そういうぼくも90歳まで生きたら、確実に超高齢化社会になっている。

ほとんどの先進国が抱えている問題はこの高齢化。
なぜ問題かというと、働く人が減って、老人が増える。
手厚い社会保障をしようとすると、お金がなくなる。
今の日本など、ダントツ世界一の借金国家になってしまった。

それを何とかするために考えられる方法は、

1.できるだけ長く働く
 長寿化は健康寿命も上がるので、今までより長く働けるようになる。
 実際、60歳定年が65歳に上がり、いずれ70歳になると思う。

2.年金制度を変える
 減額するとか、資産がある人は減らすとか、いろいろ方法はある。
 文句は多いだろうが…。

3.医療制度を変える
 これの決め手は尊厳死だと思う。
 「命は大事」という言葉の解釈の問題だ。
 北欧のように、何歳かを超えたら積極的な治療はしない、というのもある。
 そうなると、本人がまともな間に意思を表示することを義務付ける等の必要があると思う。
 社会にコンセンサスがあれば要らないが…。

4.働く人を増やす
 一番の解決法は移民だろう。
 でも、アメリカも欧州もいろんな問題が生じている。
 移民は日本のような単一民族で、意識共有できているところでは難しいのも事実。
 来た人も苦労する。
 そうなると、子供を作る事によるコストを軽減することだ。
 女性の働く環境を改善し、子育て支援すること、教育費を無償化することなど。
 これも高齢者の反対があるから難しいだろう。
 でも、やらないといけないと思う。

秋田の問題は、日本の問題であり、世界の問題でもある。

解決は難しいけど。



| | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教授の資格
「大学教員の教育」について下位の大学では求められる資質について書いたが、では大学教員の資格はどうなっているか、ということになる。
前にも一度書いたのだが…。

それを担保するものは明確ではないが、目安として「論文数」「著書数」が挙げられる。
というか、それ以外にはないと思う。

単に過去に出していればいいというものではない。
継続的に出していることが求められる。
過去何年間で査読付き論文を何本というような具合。
准教授や教授に昇任するときにもその審査はある。
これは大学の自己点検(7年に一度の第三者評価)の時に、そういう基準がなければダメということで、担保されている。
ぼくの勤めていた大学も、決めるときはだいぶ揉めたが、そういう基準を明文化した。
逆に言うと、文科省の基準はあっても、学内に昇任基準もなかったのだから、いい加減なものだ。

でも、新学部開設の際は教員審査がある。
担当の授業を教えることができるのか、という審査だ。
その審査はその分野で論文を出しているか、ということが基準になる。
ただ、文科省経由でやる審査は開設等の時だけなので、それ以降は教授会に任される。

新学部を開設する時には、審査に通るようにどこかの偉いセンセイを連れてくる。
定年前の人が多い。
その人が定年になったら、次に来る人が審査を通る人とは限らない。
大概はその学部のセンセイのコネが多い。
選んだセンセイも論文数など足りないのだから、自分よりエラい人は選ばない。
こんなふうにして、下位校の教授の質は低下していく。

ぼくの見たところ、良き研究者でないと、良き教育者にはなれないと思う。
良き研究者の判断基準は、査読付きの論文数、あるいは著書数が基準に達しているということだ。
これをちゃんと出している人は、やはり教育もちゃんとやる。
査読付き論文というのは、ちゃんとした学会誌に掲載されるもの。
学部紀要などというものは対象にはならないのだが、下位の大学のセンセイのほとんどは紀要ばかり。
自分の大学が出している紀要など、審査があるとは言えない。
その紀要すら、期日までに文章が集まらず、発行できなかったりする。
それでも大学のセンセイなのだから、呆れる。

また、著書といっても、大学業界の通例として、エライ先生が編者になって何人かの関係者で本を出版することがある。
ああいうのは、たいがい業績づくりのための本。
中には見るべきものもあったりするが、だいたいはアタリマエのことをわかりにくくグダグダ書いてあったりする。
値段は高くて、とても自分のカネで買う人はいないと思う。
ほとんどの本は大学図書館や関係者に配られるのだろう。
そういうことを生業にしている出版社もあって、大学に行って驚いた。

研究業績を見て、この先生こんなに著書があるのかと思ったら、1冊の本の数ページだけ書いている。
割当分を書くのだ。
数ページで著書1冊扱いはないだろうと思うが…。
それが研究業績になって、見たところの目くらましになる。
普通の社会では通らないことが、大学では横行している。

博士論文を本にする出版社もあって、1冊5000円を超える値段で数百冊単位で作ってくれる。
よくこんな商売が成り立つなあ、と思うのだが、それだけ需要があるのだ。
紙の無駄だ。

中にはちゃんとした出版社から出す人もいる。
そういう人はいいセンセイだが、残念ながら下位の大学にはほとんどいない。

ということで、ぼくの知っている文系私学に限れば、下位の大学のセンセイはおそらく大学の教員としての資格がない人が多いと思う。
おそらく、文科省もそれを知っているから、教員審査は開設の時しかやらないのだろう。

そんな不誠実なことをやっていて、何が「学問の自由」かと思う。
まず、身内の襟を正すべきだ。


| | 考えたこと | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
鳥山雄司
WOWOWで鳥山雄司の還暦コンサートをやっていた。
時節柄、観客を入れずにやっている。
鳥山雄司というと、80年代、90年代の日本のポップスのバックでギターを弾いていた。
メインでフュージョンのギターアルバムも出していたはず。
ギターシンセを使ったり、わりと新しいものが好きなギター弾きだ。

ゲストにユーミンや葉加瀬太郎や松任谷正隆などが来ていた。
ブレッド・アンド・バターも出ていたのがびっくり。
彼らの有名度からして、死亡欄に出るか出ないかというところなので、いつの間にか亡くなっていたということもあるかもしれないと思っていたが…。

兄弟デュオで、兄が77歳、弟が75歳。
湘南サウンドだった。
二人で鳥山のギターと一緒に2曲も歌った。
77歳でステージ上で歌うということ自体がすごいこと。
全盛期とは比べ物にならないが、ちゃんと歌っていた。

ピンクシャドウという曲、初めて聞いた。
ブレッド・アンド・バターの兄弟の作詞作曲。
いい曲だ。
Youtubeで調べると、山下達郎もカバーしていた。
でも、ブレッド・アンド・バターのオリジナルがいい。

70年代、80年代あたりによく聞いた音楽。
その演奏者たちはもう60歳を超える。
中には鬼籍に入ったひともいる。

ユーミンも、達郎も、小田和正も、ハイ・ファイ・セットも、竹内まりやも、みんなだ。
毎年1つ年をとっていく。
時間は平等で、そして残酷だ。

そういうぼくも、いつの間にか63歳。

ブレッド・アンド・バターを見習って、頑張りたいと思った。



| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
消防士
昨年度、消防士志望の学生を指導した。
女子にしては珍しい、消防の仕事。
今はどこの消防署も、女子の採用にはわりと熱心。
でも、本当に仕事ができる人がほしいので、そう簡単には通らない。
その難関を突破して、みごと消防に合格。

その卒業生が配属されたということで、挨拶に来た。
半年間の消防学校生活で鍛えられ、身体も締まってちょっと大きくなったように見える。
内定時の希望は予防課だったが、さすがに消防学校を出てすぐということで、ポンプ車に乗っているらしい。
人が足りなくて、救急もやっているとのこと。
まだ女子用の施設が整っておらず、どこの消防署でも行けるという状態ではない。

中学校で消防署のインターンをやって、その時から将来は消防士になろう、と思ったという強者。
途中で日和ることもなく、公務員試験の勉強をして、面接も突破し、見事現役合格を果たした。
身体も小さく、大丈夫かと思うような体格だったが、今日は見違えた。
そんなに変わらないはずなのに、髪をショートにして、学生時代とは全く違って見えた。

やっぱり現場は楽しい、という。
まだそんなに大きな火事はないし、救急でもシリアスなものはない。
配属して1ヶ月足らずだから、そんなものか。
中学生の時からの夢だった消防車に乗れた、ということが一番の感激、と目を輝かせて言っていた。

当直の時に、指令が発動されたと勘違いして寝ぼけて靴を履こうとして足を捻挫し、サポーターをつけていた。
配属されて、緊張の中で寝ていたのだ。
そういうこともあるだろう。

これからきっと厳しい場面もある。
でも、頑張って乗り越えていってほしい。

「また来ます」と言って、いい笑顔で帰った。



| | 考えたこと | 20:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
大学教員の教育
大学の先生には教育課程はない。
大学教員資格というのもない。
唯一あるとすると、それは論文数になる。
それは、大学進学率が低かった時代の基準だが、今もそれを適用している。

大学進学率が低かった時代というのは、大学教員は研究が主であり、その研究を通じて自ら学んだことを深め、その背中を見せて学生を教育していた時代ということだ。
学生が勝手に学んでくれた時代、ともいえる。
同世代のごく一部しか大学に進学できなかった時代だからだ。

しかし、高等教育の大衆化が進んで18歳人口の半分が大学に行くようになった。
当然、大衆化した大学教員に求められる資質は変わってくる。
それは至極当然のことだ。
結果、大衆化した大学では研究よりも教育が求められるようになった。
基礎学力がなかったり、そもそも大学で何をしたらいいのかわからない学生が入ってくるからだ。
これは自己責任では片づけられない。
だから、研究だけでは十分ではない。教育も必要になったというのが実情。

その実情と相前後してFDという言葉も出てきた。
FDはフロッピーディスクではない。
Faculty Development、教育改善のこと。
下位の大学の人なら知っている業界用語だ。
基礎学力が不足している学生に授業をするのだから、今までのやり方ではだめだということ。
普通の人は、こんなことを大学でやってるのか…と驚くようなものが多い。

したがって、下位の大学の先生には教育の方法を教えないといけない、ということになる。
それが今までの経緯から必然的な結論。
しかし、大学の先生は学ぶのが苦手だ。
FDの事例を発表してもらったりして、研修会をやっても、教員は出席はするが自分の授業に取り入れようとはしない。
講師には「いいお話を聞かせていただいて、ありがとうございました」と言っても、その事例を取り入れて、こんなふうにしました、という話は聞いたことがない。
結局、旧態依然としたカリキュラムで、旧態依然とした教え方をしているのが事実。

アメリカでは、大学教員への教育は学部長の役割だという。
学生に対して、ちゃんと教育マインドを持って教えるということだ。
当然、そういうところも昇任させるうえでは評価され、場合によっては学部長から注意されたりする。
しかし、日本の大学ではそういうところは少ない。

強権を持ったワンマンの理事長や学長がいる大学くらいだろう。
そういう「学問の自由」のない環境でしか、そういう大なたは振るえない。

そんな大学を見てきて、今の「学問の自由」などという話を聞くと、バカバカしくなる。

実態はわからないだろうなあ。



| | 考えたこと | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
淡路島本社
パソナが淡路島に本社機能の一部を移すという。

学校法人に勤めているときには、お世話になった会社。
人材関係の仕事をしていて、時々面白い仕事もしている。
2010年頃、新卒でうまくいかず、失敗した学生に自信を取り戻させるということで、淡路島で農業をするというものもあった。
土とふれあい、作物を育てていくことでやる気を取り戻すのだ。
紹介した学生にはあまり評判は良くなかったが…。

今回移転をするのは経営企画や総務、人事、経理、IT部門の一部など顧客との直接的な接点が少ない管理系の部門という。
まあそういう部署なら、今の世の中どこにあっても構わない、という判断だろう。
情報・通信インフラが整っているからだ。
2024年までに1200人が移るとのこと。

今の本社の東京オフィスは段階的に縮小していくらしい。
どこまで本気なのか、それともアドバルーンなのかはわからない。
でも、パソナによるとコロナで広がったテレワークを喜んでいる人もいれば、そうでない人もいるらしい。
都会の社員はテレワーク歓迎だが、それは通勤時間が長いとか満員電車に乗らないといけないとかの条件があるからだ。
仕事場が近ければ、必ずしもテレワークがいいわけではない。

いろんな会社がコロナが収まっても、テレワークを拡大あるいは維持の方向に行っている。
それ自体は各々の会社の方針があるし、思惑もあるのだろう。
会議に出るのが仕事、というような役割の人を減らすという目論見もあるのかもしれない。
ダブついている中高年の選別をしようとしているのだ。

経費の削減もできる。
出社する人が減ってオフィスの面積を小さくできるからだ。
通勤費も削れるし、社員食堂も減らせる。

しかし、それで社員のモチベーションが下がれば本末転倒だと思う。
100%リモートワークというのは、あり得ないだろう。
ぼくもやってみて思ったが、やっぱり仲間が同じ場所で過ごすことは大事だと思う。
いくらネットで会議ができるといっても、100%リアルではない。

シリコンバレーでも、昼飯を一緒に食うとか、休憩室でだべるとか、そういう時間は大事なのだ。
ネットで代替えできるのなら、とっくにしているだろう。
アップルやグーグルはやっぱり集まってやっている(現状は知らないが)。

MIT(マサチューセッツ工科大学)の価値は学生、教員がMITという場所で生活をともにする(あの学校は全寮制だ)ことにある、と言っていた。
会社も同じことだ。

リモートワークに走りすぎないほうがいいと思う。
そのために、パソナは本社を移転するのだろう。





| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
感染は罪?
15日の都議会で都民ファーストの会が「コロナを複数の他人に感染させたら罰金」という全国初の罰則付き条例を提案した。
よくこんな条例案を出したものだと思う。

事前確率もまだ決まらず、偽陽性の確率も未定で、よくそんなことが言えるものだ。
これを報道する方も、都民ファーストの会と自民党の議員の意見を載せているだけ。
事前のアンケート結果では、罰則をつけるべき、という意見が多かったらしい。

それをそのまま鵜呑みにして、科学の検証も何もない。
これぞポピュリズム。
ジャーナリズムの批判は時と場合による、ということだ。
売ることだけを考え、真実などどうでもいいのか。

攻撃したいと思ったら、攻撃する専門家を探して、そういう意見を引き出し、それを報道する。
たいがい、大衆の意見に迎合して、それに合っているときはどんなに科学的におかしくても、批判をしない。

よしんば、陽性者に罰則を課すのなら、もっと死亡者数の多いインフルエンザはどうなるのか。
熱がおさまったら、まだ外出してはいけないという時期に、出ていったことが一度もないという人がどれだけいるか。
そんなことも考えない。

こういうふうにして、きっと第二次大戦は始まったのだと思う。
国民がみんな戦争をやりたがったのだ。

朝のドラマを見ていると、まるで国民の大多数は戦争をしたくなかったみたいに描いているが、そんなことは嘘だと思う。
国民がみんな戦意高揚したのだ。

いい加減にそういうことをわからないと、また戦争をしかねない。




| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの被害者
今年の4月〜6月の自粛期間中は自殺者が減少。
7月に入って増加に転じて、8月の女性自殺者4割増、子供は倍増らしい。
男性の自殺者は前年並みだが、女性、子供が増えているのが特徴。

ブルームバーグの記事によると、

「日本では年初以降の新型コロナによる死者が2000人以下にとどまっているのに対し、生活困窮や育児、いじめ、孤立など社会とのつながりの中で「追い込まれた末の死」と政府が位置付ける自殺者の数は約1万3000人に上っている。」

「政府は自殺について、多くが防ぐことのできる社会問題ともとらえているが、新型コロナがもたらした精神的な負担や失業などの経済的な代償は、女性や子供など特定のグループに偏っており、自死のリスクを高めていると専門家らは危惧している。」

とのこと。

やっぱりそうなるか、という印象。

大学生の就活を見ていても、ANAやJALを含む空港関係で働く仕事やホテルなどの分野は惨憺たる状況。
中国人のインバウンドにある程度支えられていた観光関連も悲惨だ。
さらに、まだまだ感染恐怖による自粛が多い中、外食、小売分野も厳しい。
ギターの先生もライブがなくなって四苦八苦状態だ。

結果的に社会的孤立や経済困窮などで自殺が増え、コロナによる死者どころではない被害が出ると思う。
新卒で就職機会をなくす学生も多いだろう。

今でも昨シーズンのインフルエンザよりも少ない死者数。
うつっても無症状が多く、無症状でうつしても98%が無症状だという。

コロナ死者の平均年齢は79歳。
65歳以上の死者が多いといっても、65歳以上人口の4万人に一人しかいない。

おまけに死んだ人のうち、97%には基礎疾患があったという。
つまり、高齢者で基礎疾患がある人がハイリスクで、その人たちだけ自粛すればいいのだ。
65歳以上でも基礎疾患(肺疾患、糖尿病、高血圧、心不全、透析、免疫抑制剤・抗がん剤など服用)がなければほとんど死なない。

このままいくと、来年度はコロナ不況ということになるだろう。

何年かの後に今回のコロナ禍を振り返った時、感染症の「専門家」たちはどう思うのだろうか。
原発事故のときも同じだが、恐怖を煽ったマスコミはどう思うのだろうか。
欧米に比べて1/100の死者数で済んだのは、感染症対策が適切だったからなどと考えるのだろうか。

おそらく、何の反省もないだろうなあ。



| | 考えたこと | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
昆虫食
地球の人口増によって、食料が足りなくなるという予想がある。
その時には、タンパク源として昆虫を食べないといけない時代になるという。
昆虫食については何度か書いてきたが、なんと昆虫食の自販機ができたらしい。

都内の5ヶ所にその自販機がある。
中には昆虫の姿そのままの商品もあるらしい。
主にはコオロギ粉末を練り込んだせんべいやうどんなどになっている。
飲み物はタガメのエキスが入ったタガメサイダー。
その他、コオロギ、タランチュラ、イモムシ、サソリ、カブトムシなど、これらの食用昆虫を詰めた容器が並んでいるとのこと。

ぼくも一度イナゴの佃煮を食べたことがあるが、なんとなく甲殻類に近かった覚えがある。
実際、バッタやコオロギを揚げると、エビの唐揚げのような感じになって、香ばしいという。

昆虫食は、低脂質かつ高タンパク質、必須アミノ酸やビタミン、ミネラル、食物繊維なども豊富な食品なので、女性をターゲットにしている会社もある。

女性の方が昆虫食に抵抗がない、ということだ。
「昆虫6種食べ比べセット」というメニューは女性の方が先に手を出すらしい。
複数の担当者がそう証言している。
面白がってイモムシを食べるのも、女性の方が多いし、昆虫をあしらったスイーツもインスタに写真をあげ、完食する。

就活のセミナーで女性の前で昆虫食の話をすると、げー、という感じのリアクション。
でも、現物を前にすると、変わるのかもしれない。
いずれにせよ、食糧危機を乗り切るためには昆虫食は避けて通れない。

健康志向でもあるし、意外と普及は早いかもしれない。


| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブルース
昭和のぼくらはブルースというと、「何とかのブルース」というのが思い出される。
「伊勢佐木町ブルース」とか、「中の島ブルース」、「宗右衛門町ブルース」…、懐かしい。
哀愁がただよう曲、ということだろう。

一方、音楽の世界では「ブルース」というのは形式。
12小節の構成。
キーがCなら

C7 F7 C7 C7
F7 F7 C7 C7
G7 F7 C7 G7

というようなコードになる。

すべて7thコードで、ちょっと哀愁が漂う。
アメリカ南部の黒人にルーツがある音楽。
ギターが主役の音楽で、あの色のブルーからブルースということになった。

ブルースをYoutubeで検索すると、たくさん出てくる。
ギターの練習で、この形式がよく使われるからだ。
12小節1コーラスの伴奏のトラックもたくさんある。
キーが違ったり、速さが違ったりして、いろんなパターンがあって練習に使える。
便利な時代になったものだ。

この12小節の形式をちょっと変えて、ジャズ・ブルースというのもある。
一部の7thコードを違うコードに変えて、ジャズっぽくしている。

ブルースは今のロックミュージックの元になった音楽。
だから、ブルースを練習しよう、ということだ。

フォークギターから入った昭和のぼくらは、アルペジオやフィンガーピッキングを練習したが、エレキギターから入る今の若者は、ブルースを学ぶのだろう。
時代の変化だ。

Youtubeの若いギター講師を見ていても、リズム感が違う。
ぼくらは1・2・3・4と均等なリズムだが、彼らのリズムは跳ねている。
そういう音楽で育ってきたのだろう。
跳ねるリズムが染み付いている。

拍の頭で手拍子を打つのではなく、裏の拍で打つ。
それが当たり前にできるのだと思う。

うまくて当たり前か…。


| | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
高卒生の採用
1990年代の後半くらいから、大手企業はホワイトカラーの高卒生を採らなくなった。
大学の数が増えて、大卒者が増えたからだ。

しかし、少子化の影響で、時代は変わりつつある。
2019年にワコールが約20年ぶりに販売職で高卒採用を復活し、20年も継続して採用している。
「伸びしろが大きい」という評価で、給与は入社5年目で大卒新入社員よりも高くなるらしい。
正当な評価だと思う。

ワコールにどんな大学生を採っていたのかわからないが、ぼくの勤めていた大学ならおそらく高卒生を採っても遜色ない場合も多いと思う。
あくまでも平均値の話だと思ってほしいが、世にいうFランク大学なら、真面目に社会に出て働こうと思っている高卒生の方が学力もやる気も上だと思う。

いよいよ大卒の看板にも偽りが出てきたということだ。
大卒でさえあれば、高卒とはランクが違って、生涯賃金が変わった。
それは年功序列賃金に中に組み込まれていて、なかなか追い越せない壁みたいなものだった。
高卒採用を再開している企業は、賃金体系も変えようとしているのだろう。
それは取りも直さず、年功序列賃金の終焉でもある。

ジョブ型の採用を目指している会社も、同じことだ。
高卒であろうが、大卒であろうが、会社に貢献してくれる人が高給をとる。
実際、高卒者の成長の度合いが大きい、とワコールは言っている。

文科省も、今の高卒の就職体制である「一人一社」という制度を見直そうとしている。
戦後すぐの1950年代から続いている制度。
これも止めようということだ。

そうやって、ダブついた中年以降の正社員を淘汰し、若い人たちの給料を上げていかないと海外と対等にならない。

いよいよ終身雇用、年功序列の制度が崩れてきた。
時代の必然だと思う。




| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギターを習うこと
昨日Youtubeのギター講師のことを書いたが、ぼく自身はリアルでギターを習い始めて15年ほど経つ。
月に2回の教室。
電車で一駅のところにあるが、仕事が終わってからギターを持って教室に行くのはしんどい。
でも、続けてきてよかったと思う。

最初はジャズギターを弾きたいと思った。
正直、ジャズはそんなに聞いてなかったが、ジャズというとかっこいいからだ。
でも、どちらかというと、今でいうJ-Popばかり聞いていたのが事実。

J-Popというと、ジャンル的にはロックギターということになる。
ジャズよりもある意味とっつきやすいギターだ。
中学時代、ビートルズで始まった。
エリック・クラプトンもその流れで知った。
友人の家で初めて聞いたときはビックリして、どうやって弾いているのか全くわからなかった。
そのうち、高中正義やカシオペアの野呂一生など、日本のギタリストも出てきた。
はっぴいえんどの鈴木茂も、松任谷由実のバックで弾いていた。
結局、それらのギタリストがぼくのルーツになると思う。

ぼくの先生も同じ年で、ぼくよりもハードな音楽が好みだった。
ぼくらの年代で、最初からジャズ、というのは珍しいと思う。
やっぱりビートルズ、クラプトンだろう。

詳しくは知らないが、先生はパソコンでの打ち込みのアルバイトもやっていたらしい。
カラオケのデーター作り。
若いころは苦労をされたんだと思う。
そのおかげで、パソコンにも詳しく、そういうソフトも使っている。
自分のホームとなっているバンドはメチャクチャうるさいバンドだと言っていた。
歪ませて、弾きまくるという感じ。

でも、仕事ではわりと渋めで、静かな音楽が多い。
スティールパンのバックバンドや、ハモンドオルガンのバック、歌物のバックバンドなどだ。
大阪フィルの仕事もやったと言っていた。
仕事なら何でもやる、というハングリー精神かもしれない。
プロということだろう。

その先生と月に2回、ギターを教えてもらう。
自然とこちらから課題を持って行って教えてもらうということになった。
あまり、これをやれ、あれをやれ、とは言わない方針。

学校法人に変わってからスクールに通ったので、時間的には余裕があったのだが、仕事を変わっていろいろと考えることもあったし、それほど熱意のある生徒ではなかった。
ぼちぼち、今頃になってちょっと真面目に取り組んでいるという感じ。

いろいろ教えてもらったが、何度も同じことを聞いているような気もする。
そういう生徒にも、愛想を尽かせず教えてくれる。
こちらもプロということだろう。

今になって習っていてよかったと思うのは、ギターを弾き続けられたということだ。
月に2回でも、そういう機会を作ってくれた。
教室に通っていなければ、弾かなくなっていただろう。
そうなれば、Youtubeのギター教室も見ていなかったかもしれない。
月謝をはらっただけの価値はある。
そういう体験があったから、今はギターを教えるほうにも回っている。

いつまで続けられるのかわからないが、まだしばらくは続けるつもり。

音楽は素晴らしい。




| | 考えたこと | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギター講師いろいろ
ここしばらく、Youtubeのギター講師をいろいろ見てきたが、いろんなスタイルがある。
対象者をどこにおいているのか、初心者、中級者、上級者か、ジャンルはロックか、ポップス、ジャズなのかなどだ。

もちろん対象は多いほうがいいから、だいたいは初心者から中級者という感じ。
たまに上級者向けレッスンなどというのもやったりする。
Youtubeはとにかくたくさんの動画をあげて、見てもらう回数で勝負というところもあるから、リピーターを増やさないといけない。
もちろん、チャンネル登録者を増やすのはコンテンツの良し悪しだ。
それはどの講師もいろいろ工夫している。

やはり収入を増やすためには、ファンを増やし、有料のサイトに誘導するのがいいのだろう。
多くの講師はそういう風にしている。
だからといって、無料の動画の出し惜しみをしすぎると、ファンが増えないのでここらあたりが難しい。

リピートしてしまう人と、一度見てやめとこう、という講師の差は何なのか。
一応登録はするが、いずれ整理する時に消えてしまう講師も多いのだ。
続けて見ようとか、有料のサロンに登録しようというところまでなかなかいかない。

どの人もギターは上手なのだが、話し方や画面の使い方などが大きな違い。
ギターを弾く動画だけでなく、解説用の譜面や図を示さないと、やはり人気が出ないと思う。
音楽理論を伝えようとすると、どうしても階名ではなく度数で説明することになる。
でもわかりやすいのは、どちらかというとドレミの方だ。
どちらをメインに説明するか、このあたりの選択も難しいところ。

ギター動画は溢れているから、何を伝えるのかも難しいところ。
題名のつけかたも工夫がいる。
「一人ブルースでコード感あふれるソロを弾こう」などの題名や、1動画の長さもある。
長すぎると見る気がしないし、短かすぎると内容不足になる。
1コンテンツと内容の濃さのバランスが大事だ。

楽をせず、わかりやすいように画面の一部に図を出すなどして、キャッチーな題名をつけ、喋りもうまくやって、みんながほしいと思うコンテンツを出し続ける。

書くと簡単だが、実際にコンスタントにやるのは難しいだろう。

でも、ギターを習う環境はぼくらが始めた頃とは全く変わった。
今始める人たちは、圧倒的に習いやすい。
Youtubeで気に入った先生を見つけて、視聴すればいいのだ。

つくづく、いい時代になったものだと思う。





| | 考えたこと | 21:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
天気の子
去年の映画。
「君の名は。」の次の新海監督のアニメ映画。
WOWOWでやっていた。

何とも不思議なストーリーだった。
青春ものなのか、ファンタジーなのか、ラブストーリーなのか、メロドラマなのか、サスペンスなのか、SFなのか…。

この監督はSF的なものが好きだ。
今回も、そういう色がついている。
単なる青春学園モノとは違うのは、そういうところだ。
というか、そこが魅力だ。
そういう仮想のストーリーと妙に現実的なストーリーが絡み合う。

奇想天外なストーリーなのに、それが普通に見える。
そういう作り方が上手。

こういう2次元のアニメは日本が得意とするところ。
最初から、不思議を不思議とせず前提にしてしまう。
展開が面白い。

ハッピーエンドなのだが、すべてが解決というわけではない。
そんなに世の中は単純ではないということを言いたいのだろう。

でも、この現実とファンタジーの混ぜ方は難しいところ。
絵はきれいだし、言うことはないのだが…。

ぼくは「君の名は。」の方がよかった。



| | 映画・舞台 | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョブ型雇用
G型、L型などの話で何度か書いた、産業再生機構の冨山氏が「ジョブ型雇用」について日経に書いていた。
従来から言われているが、日本の今の「メンバーシップ型雇用」は戦後の復興期から高度成長期という特殊な時代にマッチした働き方だ、ということだ。
現代では機能しなくなっている。

日本の長期低成長も、この雇用制度が災いしている部分も大きいと思う。
技術者が海外に引き抜かれたり、不要な中間管理職が多かったりするのも、日本の雇用慣行の影響だろう。

彼によると、今の「メンバーシップ型雇用」はもう働き手の思いからも乖離しつつある、ということだ。
そういうこともあって、トヨタが定期昇給を100%成果給にする、という決定をしたのだと思う。

自動車業界は100年に一度の大変革期を迎え、大変な状況。
アメリカのテスラのような電気自動車専業メーカーが出てきて、従来の自動車メーカーはどうするのか選択を迫られている。
そういう変革期には、一旦雇われたら雇用は保証する代わりに、会社の言う通りやれ、というような制度は合わない。
やる気のある人を働かせ、自らのできることを進んでやらせることが必要だ。

バブル崩壊以降、非正規雇用が増加し、今や伝統的なメンバーシップ型の正社員は全労働者の2割しかいない、と記事にあった。
そんなに減っているのか、とびっくりする。

会社にとって、社員の雇用を保証する前提では、仕事が増えたからといって社員を増やすのはリスクが大きい。
みんなで残業をして乗り切るか、非正規を増やすしか方法はない。
内部留保が増えるのも、雇用を保証するためという側面もある。

でも、もはやそんなことは言っていられない。

トヨタが従来の雇用慣行を破るような動きをしているのも、そうしないと世界で生き残れない、という判断があるのだろう。
もちろん、優秀な若手をつなぎとめるということもある。
実際、トヨタでも優秀な若者が離職するから、そうせざるを得ないという面もあるのだ。

これから日本の雇用はジョブ型に変わっていく。
そのスピードがどうなるか、それはわからない。

でも、大きなところほど、そのスピードは速くなるだろう。

そういうビジョンを持って働かないといけないと思う。



| | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
デジタル化
IIJというと、日本のインターネットの草分け的企業。
そこの鈴木会長が今回の菅総理の「デジタル化」について書いてある記事があった。

その中で、日本がIT化に遅れるわけを指摘している。

・雇用慣行をはじめ、痛みを伴う本質的な仕組みの改革をしない

・経営トップや政治家、メディアなど、影響力をもつ組織や人々がITに対する見識を持っていない

・IT化を促進する上で、膨大なデータとその利用について、国際的に比較しても、日本はプライバシーに関する過剰反応が壁になる

そこでこう書いていた。

「90年代の初め、IIJがインターネット接続サービスの認可を取るために、長いこと待たされ、危うく自己破産という状況まで追い込まれたことで、私が厳しい主張を繰り返したのではなかった。20世紀最後の巨大な技術革新に対し、経済界も政治も官界も、なんとかなるだろうと思っていた状況に対し、新たな経済成長をもたらす技術革新に対し、まともに取り組もうとしない日本は、このままでは、いずれ決定的な後れをとるに違いないという危機感からだった。のんびりした議論にいら立っていたのである。」

そして、鈴木会長が言われたとおりになったと思う。
提供する方でいえば、ネットを使った技術はほとんどアメリカか中国。
NTTや富士通、NECなど、見る影もない。

使う方でも、こないだのコロナの厚労省に見られるように、未だにFAXと転記の世界。
特に公務員の世界はほとんど合理化すら進んでいないと思う。
というか、合理化を進めたくない(人の仕事を変えたくない)から、IT化が遅れている。
雇用を守ることが悪いとは言わないが、仕事を変えていくことは必要だし、少子化の世の中、税金をもらって働く人を減らすほうがいい、という考えすらない。

当時アメリカではIT化を進めるために、トップかNo.2あたりの人が指揮をとっていたとのこと。
今でも日本ではせいぜい役員の末席レベルだろう。
場合によってはIT化の役員すらいない。
システム担当は外向きに仕方なく置かれている会社も多い。
わけが分からず、外注丸投げというところも多い。
そういう経営陣のIT軽視がこういう事態を招いた。
情けないことだ。

それは今も変わらない。




| | 考えたこと | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
Webの宣伝文
読ませる文章のコツは、次の文章が読みたくなるように書くこと、という本が出た。
本の名前は『稼ぐ人の「超速」文章術』。
著者の中野巧氏は「ウェブの文章表現では1行目でほぼ全て決まる。読まれるタイトルや書きだしは10パターンに分類できる」と言っている。

著者のプロフィールを見ると「10年書き続けてきた独自の文章メソッドを1枚のチャートに結晶化し、『エンパシーライティング®』を開発。講座は毎回即完売という人気の高さで、そのメソッドは、企業研修や広告代理店、通販企業での導入、公教育での授業、また海外へも広がりはじめている。」と書いてあった。

最近は、こういう人がハウツー本を出すことが多い。
昔なら、作家や評論家が文章のプロだったが、最近は文章を発表する機会も増えて、こういう人が出てきた。

中野氏の「ウェブ文章表現の2行目を読ませるタイトル・書き出しの10のパターン」を紹介すると…

1.話題性:世の中の注目が高いワードで引きつける
2.数字:説得力のある数字を挿入する
3.損得:相手が一瞬で釘づけになるほど欲しい(損したくない)もの
4.疑問:答えをどうしても知りたい内容
5.対立:真逆の概念を結びつける
6.逆説:相手の常識の意表を突く
7.権威:信頼してもらうための根拠
8.擬音:擬音から文章を始める
9.会話:会話から文章を始める
10.名言:名言や格言から文章を始める(もじるのもよい)

これを見てもわかるが、要は広告の文章だ。
今までは広告の文章を書くのはコピーライターの仕事だったが、今はWebができて宣伝用の文章を書く人が増えた。
ブログやNote、SNSなどというメディアができて、一見宣伝ではないような宣伝も増えた。
Webのライターに製品を使ってもらって、感想を書いてもらう(もちろんギャラは払う)という方法もある。

なにかを調べようとして、Googleの上位に出てくるサイトを見たら、説明の中にさりげなく「こういう便利なものがある」などと書いてあったりする。
一見広告とは見えないだけに、ややこしい。
親切で書いているのか、宣伝で書いているのかわからないが…。

書く方も、ギャラをもらってしまうと、どうしてもいいことを書いてしまう。
ここはもう一つ、というところがあっても、おそらく書かない。
中にはそれを嫌って、「自前で購入してレビューしている」という記事もある。

これこそ「この記事はどこそこからギャラをもらって書いています」というクレジットを入れないといけないと思う。

テレビのCMにはJAROというのがあるが、Webの広告にもそういう機関が必要だ。




| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴァン・ヘイレン

エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなった。
80年代から90年代にかけて、ギター・マガジンを購読していたが、あの赤白で塗り分けたギターはよく見た。
ロックバンドのヴァン・ヘイレンのリードギタリスト。

ライトハンド奏法というのを有名にした人だ。

一般的には、ギターは左手で弦を押さえて、右手で弾くものだが、この人は右手でも弦を押さえて音を出す、というやり方を広めた。
特に歪ませた音のギターは勢いよく押さえるだけで、十分音が出る。

ギターのフレットをキーボードみたいにして、両手で押さえることでそれまでの常識を超えた音使いができる。
初めて見たときはびっくりした。
逆転の発想というか、こんなギターの使い方もあるのか、という感じ。

Youtubeで最近の彼の姿を見たが、若い頃とはちがう。
当たり前なのだが、大人になった。
髪の毛も短髪で、ちゃんとシャツを着て演奏していた。
若い頃の写真では、上半身裸で映っているものが多かったのだが…。

今日見ても、80年代に聞いたことがある人達が追悼のメッセージを送っていた。

ぼくはそれほどのファンではないが、ロックギターの歴史に残る人だと思う。

合掌。




| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
グラフィティ
Palmという会社が自社の携帯端末で、文字を入力するために作ったのがグラフィティという方式。
それが一時IBMのWorkpadという端末で使えるようになった。
アルファベットのそれぞれの文字を一筆書きで書いて、入力するというやり方。
とっつきは悪いのだが、慣れるとかなり早く入力できる。
一時はソニーのクリエという携帯端末でも使えるようになっていて、数年間それを使っていた。

一筆書きというやり方は、慣れるとよくできている。
間違ったら、右から左へ横に線を引くと一文字消える。
改行は右上から左下に線を引く。
必要最小限の手の動きで入力ができる。
今のフリック入力よりも楽だと思うのだが、慣れないといけない。

一番良く使っていた頃は、クリエで会社の帰りにメモを書いていた。
ブラインドタッチで打つよりは遅いが、手で書くよりは早かった。
何より、あの携帯端末でテキストファイルが作れるというのが便利だった。

以前持っていたスマホではOSが対応しなくなって、グラフィティの時代も終わったと思っていたが、買い替えたグーグルのスマホならちゃんと動いた。
今日何気なく調べてみたら2020年のレビューが出ていて、使えることがわかったのだ。

使わなくなって、10年ほど経つが、ちゃんと指が覚えているのがすごいところ。
画面が出たら、勝手に指が動いて字を入力できた。
タッチタイピングと同じで、考えなくても反射で動く。

今後どうなるかわからないが、もうしばらく使えそうだ。
ぼく以上の根強いファンがいるのだろう。
今やフリーのアプリになっている。
OSに対応するのは大変だろうが、ありがたいことだ。

今日はいい日だ。


| | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
フィッシングメール
このごろ電話番号で届くショートメッセージでも、フィッシングメールが来る。
カードを使ったお知らせとか、使用残高だどうしたとか、カードの期限がどうたらとか、そんな怪しい内容。

もちろん、Eメールでも多い。
Googleの迷惑メールの判断アルゴリズムをかいくぐって、届くようになった。
特に、三井住友銀行は多い。

おかげで、三井住友銀行、SMBCを名乗ったメールは全部迷惑メールに設定した。
正しいものもたくさんあると思うが、いつも見ているとついついクリックしてしまうので、全部見ないことにした。
今の所、別に困っていない。

最初は三井住友だけだったのだが、こないだsmbcでメールが来た。
ちょうどその日、決済を使ったところだったので、危なくクリックするところだった。
よく見たら、必要な情報が書いていなかったので、リンクはクリックせず削除した。

送信元は smbc-debit@smbc-card.com bma-tis01.mrs.mpub.ne.jp 経由 となっている。
ぱっとみたら、smbc-debit@smbc-card.comかと思ってしまうのだが、「経由」と書いてあって、いかにも怪しい。
これはGoogleによると、メールを別のメールサービスで送ってきたということらしい。

使ってもいないのに送ってくるから、オカシイのだが、何も考えずにリンクをクリックしそうになるのが怖い。

最近はアマゾンを偽ったメールも来るようになった。
同様の手口で「Аmazon に登録いただいたお客様に、Аmazon アカウントの情報更新をお届けします。残念ながら、Аmazon のアカウントを更新できませんでした。」というメールだ。

そのうち、アマゾンでなにか買うときも2段階認証をしないといけなくなるかもしれない。

便利なはずのインターネットだが、どんどん危なくなってくる。



| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本学術会議
日本学術会議の定員の半数改選で、105名の非常勤公務員のうち、6人が任命を拒否されたということで問題になっている。
ぼくは学術会議が何をやっているのかは知らないが、大学教授の中には明らかに事実誤認したことを公然と言っている人を知っている。
大学に行って驚いたことの一つは、そういう人たちが教授として勤務しているということだった。

2004年に大学で勤務して、パソコンのサポートで教室に入っていたら、教職過程の先生が「企業は悪いことをしてボロい金儲けしている」という話をしていた。
いつの時代の話かと呆れてしまった。
左翼というより、アタマが悪いのだ。
今や悪いことをして金儲けをするとか、公害を公然と出して金儲けをするとか、そういう企業は大昔に淘汰されている。
頭の中が1960年代だ。

そういう先生がついこないだまで、働いていたのは事実。
一方で、そういう先生たちに「割合がわからない大学生に学士を出していいのか?」という指摘をしたら「大学は専門を教えているので、それは大学のすることではない」と言ったり、「研究計画を出してもらって、それに応じて研究費を出すのはどうか?」という指摘に対して「めんどくさいから嫌だ」と言ったりする。
世間の常識から乖離しているのだ。

自分たちが選んで入れている学生には責任を持たず、給料がほしいから定員が割れないように入試など関係なしに入学させる。
私学の半分は、そういう状態。
入れた学生に責任を持つなら、専門を学べるということを担保するために、入試を真面目にやらないといけない。
そうすると入る学生がいなくなる。
だから、いい加減な入試をする。
それを良しとしている大学の教員がたくさんいるのだ。

文科省はスポンサーだから、言うことを聞く。
今の大学をダメにしたのは、そういう教員たちの言う「学問の自由」というやつだと思う。
要はめんどうくさいことはせず、自分たちのやりたいことだけをやりたいのだろう。
今回任命されなかった教授のインタビューを見たが、老害という感じの人だった。

ツイッターに大学教員のこんなツイートがあった。

「私も30年以上学界に身を置いてきたので断言するが、日本学術会議は虚飾の肩書と小遣い銭が欲しい古株教授以外には無縁かつ無用の長物。大学は左翼が多いため「学会の推薦」となると必然的に左翼の溜まり場となる。自民党政権がそんな物に毎年10億円以上の税金を出してきたのはスキャンダル。真っ先に行革の対象とすべき。改革は不可能。廃止しかない。政策提言の組織など、遥かに機能するものが他に幾らでもある」

まともな先生はわかっているのだろう。
年間10億円も使う価値があるのか。

この件の詳細は知らないが、少なくとも、国家が金を出して公務員としてやっているのなら、総理には決定権がある。
自分たちのイデオロギーを権威づけたいのなら、学会でやればいい。
バカみたいにたくさんの学会があるではないか。

それらの学会費は大学が研究費として出しており、学問の自由はいくらでも保証されているのだから。



| | 考えたこと | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
クルマの価値
ぼくらが若い頃は、田舎の若者を地元に引きつけるためにクルマが使われていた。
今のクルマ離れの若い人たちには信じられないかもしれない。
都会に出て働く、という息子に「ここで就職したら、新車を買ってやる」と親が引き止めるという事例があったのだ。

2000年くらいまでそれは実在したと思う。
1980年代、よくクルマで出張したが、都市部を離れたドライブインなどに行くと、明らかに分不相応な車に乗っている若者を見た。
ピカピカの新車に乗っている。
当時の人気のスカイラインとか、セリカなどだ。

ちょうど暴走族が流行ったのもその頃。
竹槍マフラーなどというものがあった。
もちろん違法だが、クルマの後側でマフラーを1m位斜め上に突き出して走る。
それだけ長いマフラーだと排気効率が悪くなって、却って性能が悪化する。
さすがに田舎になるとそういうクルマはなかったが、マフラーを交換して爆音を出して走るクルマは時々あった。

日本製の小型車が世界で評価され、どんどん売れ始めた頃。
日米貿易摩擦で、クルマのメーカーがやり玉に上がり、アメリカに工場を作り始める頃だ。

当時はクルマの価値は高かった。
まだまだオートマチックは少なく、マニュアルミッションが主流。
モータリゼーションにインフが整備が追いつかず、渋滞も多かった。
それでも、自分のクルマを持つことに価値があった。
当時はモテるクルマとして、

モータースポーツも盛んだった。
公道を使ったラリーなども多く、そのためにクルマの改造をしている同僚もいた。
まだエアコン(クーラー)が付いていないクルマも多かった。

それが今はクルマは中古でいいとか、軽のワンボックスで十分とか、そういう時代になった。
クルマよりも、新型のスマホの方が話題になる。
都市部では免許を取らない若者もいる。
実際、公共交通機関を使えば、自家用車は要らない時代。
カーシェアもある。

ぼくの中では死ぬまでクルマの価値は変わらないだろう。
クルマがあって、初めていつでも、どこにでも行けるようになった。

下宿で夜中に比叡山にドライブしたことを思い出す。
エアコンもなく、パワステもなく、しょぼいバイアスタイヤがついていた軽自動車だったが、それでもクルマを持つということは素晴らしい価値だった。

これは死んでも変わらない。





| | 考えたこと | 20:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
携帯除菌カード
最近は減ったが、首からなんだかわからないカードをぶら下げている人がいる。
あれは何かと思ったら、除菌カードだという。
そんなものがあるのか、と思っていたら、こんな記事があった。

福岡県の上毛町で、全町民に配る携帯除菌カード。

「カードから周囲1・5メートル程度でマイナスイオンが発生。身につけることで、空気中にある物質を吸い込むリスクを下げることができる。インフルエンザウイルスには効果が実証されているという。」

とネット上の西日本新聞の記事に書いてあった。
町民7576人に配るらしい。

調べてみると、今年の3月に消費者庁がこんな発表をしていた。

「消費者庁は、新型コロナウイルスの特性が明らかではなく、民間施設での試験実施が不可能な現状から、新型コロナウイルスの予防効果をうたう商品は、客観性や合理性を欠くと判断。景品表示法(優良誤認表示)や健康増進法(食品の虚偽・誇大表示)の規定に違反する恐れが高いとする。」

自治体では国から補正予算が出ていて、その使いみちに困っているのではないか。

いくらなんでもちょっと調べれば、税金の使途として的確ではないとわかるはず。
そういうリテラシーもない町長が、議会の承認なく専決処分で決めたらしい。

またそれを何の批判もなく報道するマスコミ。
マスコミもダメになったものだ。

日本人は本当にバカになったと実感した。

諸外国から笑われているのではないか…。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゼロリスク
人間は進化の過程で、「不安」という感情にこだわる人たちが生き残ってきた。
要するに、命が危ないかもしれない、と思うとそれを最優先で考えるということだ。
これが今のゼロリスクの志向になっている。

福島原発にしても、マスコミも含めて危険を煽る人たちが重用され、やらなくてもいい避難をさせ、人的被害を増やした。
処理水の問題にしても同じだ。
今回のコロナも、今やインフルエンザと変わらない(死者数は圧倒的にインフルエンザのほうが多い)のに、未だにマスクをして怖がっている。

間違った報道や意見を述べた人たちは野放しだ。
危険サイドに大きく振った意見は、間違っても許される。
42万人が亡くなるという、今となっては大ボラと言ってもいい意見を宣伝した教授は何も責任を問われない。
普通の会社なら、予想が2桁間違ったらクビが飛ぶだろう。

原発を止めたおかげで、エネルギーコストが上がり、電気代をたくさん取られ、企業がどんどん海外に出ていっても、誰も何も言われない。
本当に意味不明なことが起こっている。

ぼくの感じでは、昔よりもそういう動きがひどくなっていると思う。
その原因は情報が多すぎることにあるのかもしれない。

特にソーシャルメディアだ。
ツイッター、フェイスブックなどを見ていると、自分のタイムラインしか世の中で起こっていないような錯覚に陥る。
自分が選んで表示させているだけなのに、それが全てだと思うのだ。

そこに恐怖を煽るゼロリスクのバイアスがかかる。
恐怖心を警戒する本能が強いから、そういう意見ばかりになる。

本当はマスコミはいろんな意見を紹介するべきなのに、今や伝統的なマスコミはオワコンになりつつあるから人々の恐怖を煽る方に偏る。
65歳以上が1/3になった今、高齢化もそれに拍車をかけている。

そういうふうにして、多くの人は限りなくゼロリスクの方に流れていく。
安全では満足できない。安心がほしいということになる。

それがどれだけ社会の無駄を生み、経済活動を破壊するかなど関係ない。
年金生活者が増えることは「安心」のバイアスを大きくする方向だ。
どれだけ経済活動が破壊されても、関係なくお金が入るからだ。

今回のコロナの過度の自粛で、どれだけ若い人たちの働く場所が減っているか。

考えてみてほしい。



| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |